Title
Finis Christianismi : F・オーファーベックにとってのキリ スト教の問題Author(s)
深井, 智朗Citation
聖学院大学総合研究所紀要, No.13, 1998.3 : 309-344URL
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=3423Rights
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lベックにとってのキリスト教の問題
深井
智 朗
問題設定
パ
lゼルの神学者フランツ・ォ!ファlベツクの名はある時は神学者カlル・バルトと共同︑またある時は哲学者フリードリッヒ・ニlチェとともに言及されてきたが︑彼自身に固有な思想についての研究は︑これまでわが国において
は皆無であったと言ってよい︒ドイツ語圏での研究においても状況は類似しており︑皆無とは言えないまでも決して多
いとは言い難い︒
確かにニlチェとオlファ!ベックの往復書簡は現在でもニ
i
チェ研究の重要な資料のひとつである︒一lチェは八七八年九月三日付けの書簡の中で次のように述べている︒﹁ねえ︑君︑
いったいいま︑君のほかに自分の心を打ち明
けたいと思う相手がほかにあるだろうか︒誰にむかつて打ち明けられよう︒いろいろなことが僕の頭のなかを駆けめぐ
っている︒外からやってくるものはほとんど防いでしまわねばならないものばかりが)﹂︒さらに一丁チェはオl
ファ
l
F i n i s C h r i s t i a n i s m i
309
ベックの﹃今日の神学のキリスト教性﹄と﹁反時代的考察﹄その裏表紙に﹁ある家の双子が︑
父は二人︒奇跡だった︒双子の母の名は友情であったのだ﹂と の第一篇の合本を作り︑
310
勇んで世間に飛び出した︒世間という龍を八つ裂きに︒
書いていた︒またニlチェが一八八九年一月に錯乱状態に陥った時に彼をパlゼルに連れ帰って︑精神病院に入院させ
たのもオl
ファ
lベックであった︒それ故に
ll一 一 チェ研究においてはオ
ファ
lベックはしばしば引用され︑しかし
付随的に論じられる︒またオi
ファ
lベックの固有の思想の研究においてさえも︑多くの場合︑一lチェとの関係が主
として論じられるのである︒しかしそれは︑オi
ファ
lベックの思想の研究にふさわしいものであろうか︒たとえばニ
ーチェの
﹃反
時代
的な
考察
﹄
の第一篇はシュトラウス批判であるが︑それはオl
ファ
lベックが﹃今日の神学のキリス
ト教性﹄において展開したシュトラウス批判と同一のものであるのだろうか︒
状況は神学においても同じである︒あのキリスト教批判者ニlチェからこのような手紙を受け取る神学部教授は︑実
は同時に今世紀最大の神学者のひとりと呼ばれたカiル・バルトから﹁復活の異教的な伝道者﹂︑あるいは﹁復活の告
知者﹂と呼ばれ︑﹁彼自身は決して神学者であろうと欲しなかった﹂にもかかわらず︑本来的な意味における﹁神学者﹂
だと言われた︒
の改定を推進したひとつの要素として言及され︑
オl
ファ
iベックの﹁原歴史﹂の概念はバルトの神学における重要な概念のひとつとして採用された︒バルトによれば
﹁死と原歴史に関するオl
ファ
l
ベックの教説は︑彼の立場を洞察するには決定的なもの﹂である︒そしてこの原歴史
オl
ファ
lベックの思想は︑バルト自身によって彼の﹃ロマ書注解﹄
はバルトによって彼の教義学的な思惟の中心的な概念となった︒すなわち彼は次のように述べている︒﹁われわれは言
葉の受肉︑すなわちイエス・キリストにおける神の啓示を﹃原歴史的出来事﹄として特徴付ける︒﹃原歴史﹄というこ
とによってフランツ・オl
ファ
lベックは︑新約聖書の資料の背後に大きな
X
として見える︑歴史的な研究および記述に対して同時に現れかつ遠ざかるところの︑キリスト教の教会および宣教の成立史を理解した︒そういうわけでオl
ファ
lベックによっては︑この概念は歴史学上の補助概念であった︒われわれはそれをここで︑啓示と歴史の唯一無比
の関係を性格づける神学的な概念として採用す
ω
﹂︒すなわち﹁啓示とは原歴史であμ
﹂とバルトは述べた︒それ以後この概念はバルトの予定論の展開において再び採用されている︒バルトは原歴史の概念を一度は破棄するのであるが︑
そして原歴史の概念はバルトによってオ!ファlベックの思想における﹁決定的なもの﹂と呼ばれることになったので
ある
それ以後神学界はこのバルトの見解に規定されたと言っても過言ではない︒オl ︒
ファ
lベック研究の多くがこの原歴
史の概念に集中たことと︑彼についての研究がバルトとの関係において展開されたことはそのことを証明している︒確
ラーが既に指摘しているように︑ かに﹁原歴史﹂はオl
ファ
lベックの思想において重要な役割を果たしているということができる︒しかし
H
・シ
ント
バルトのオl
ファ
lベック理解は︑彼の結論のように﹁誤解﹂であったかどうかはさ
明らかに﹁不十分﹂である︒初期バルトがその文化批判と終末論の強調の故にオ
F i n i s C h r i s t i a n i s m i
らに検討してみなければならないが︑
i
ファ
lベックの思想を吸収し得たことは理解できることである︒しかしバルトにおいてはオlファ!ベックの思想の
意図は明瞭にはされていないし︑オl
ファ
lベックの思想史的な系譜を意識することなくバルトは原歴史の概念に集中
311
した︒そしてその影響は今日に至るまで神学界に広く及んでいる︒しかしオl
ファ
lベックの思想は神学的には︑﹁原
歴史﹂の概念につきるものなのだろうか︒また彼の思想の意義はバルトにこの概念を提供をしたということにあるのだ
ろうか︒われわれはそうではなく︑オ
i
ファ
l
ベック自身の思想の意図を︑彼自身の思想に却して理解しなければなら
312
ないのではないだろ︑っか︒
このような状況は彼の思想史的な位置を考える時に決してふさわしいものではない︒
うにオl
ファ
lベックは﹁かの時代の哲学と神学とに固有の場所を要求している﹂思想家である︒ 一コラウス・ペlタlが言うよ
それではオl
ファ
lベックの思想の中心的なモティlフとは何であろうか︒この間題について考える場合︑われわれ
はまず次のようなオl
ファ
l
ベック自身の言葉に注目することからはじめるのがよいであろう︒﹁私がこれまで知り得 たことについて︑よくよく考えなおしてみると︑私の天職というのは︑近代神学から文化を解放してやること
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︒位︒)以外の何物でもなかったのではないか︑という気がときおりする
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のである﹂︒あるいはまた﹁近代のキリスト教に対してキリスト教の終罵(片山口貯の﹃ユ丘町内百円ω百円)を告知すること︑私が
なすべきことはそれ以外の何物でもないであろう﹂とのべている︒この二点にオ
i
ファ
lべックの思想の意図が集約き
れているというのが本論の見解である︒そのことは彼の自伝的な文章にも同じ言葉を見い出すことができることから︑
また彼が生前白から出版した著作の主題からも明らかである︒原歴史もまたこの視点のもとで考察される時に︑その意
図が明らかになる︒
M
・ハイデガlはオlファ
l
ベックの思想を理解することができた哲学者のひとりであったと思われる︒彼は﹁神学
のキリスト教性の問題﹂︑あるいは﹁神学の学問性﹂をめぐっての問題を論じた﹁現象学と神学﹂の中で︑ニlチェの
﹃反時代的考察﹄の第一編と並んで︑オl
ファ
lベックの
示唆を与えるもの﹂だと述べている︒また
H
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・ガ
ダマ
lの記憶によればマlルグルクの神学部の学生と教師に﹁フ ﹃今日の神学のキリスト教性﹄がこの間題について﹁重要な
ランツ・オl
ファ
lベックの徹底的な自己懐疑を呼び出し︑神学にその任務
ll
人を信仰につかせ︑人を信仰の中に守
ることができるような言葉を見いだすという任務ーーにつけ﹂と﹁力をこめて﹂語ったという︒ガダマ
l
は﹁この発言それとも是認であったのか﹂と判断を保留しているが︑は神学の拒否であったのか︑
ハイ
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l
ファ
lベックの
思想の中にいわば﹁純粋神学﹂を見いだしているのである︒ハイデガ!の言葉もまた既に述べたようなオl
ファ
l
ベッ
ク自身の言葉に照らしてみる時にその意味を理解することができるであろう︒
それ故に﹁近代神学から文化を解放すること﹂と﹁キリスト教の終駕﹂いうオl
ファ
lベック自身による二つの命題
によって︑彼の思想の見取り図を描き出すこ(旬︑それが本論の目的である︒オl
ファ
i
ベツクは確かに体系的な著作を残したわけではない︒未完の著作や死後出版されたものも含め︑断片的なものが多い︒また彼の著作範囲は原始キリス
ト教史から初代教会史のみならず近代神学や哲学に及んでいる︒しかし上記の視点から彼の思想を見渡す時に︑われわ
れは彼の思想の意図を統一的にとらえることができるであろう︒
2 1
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F i n i s C h r i s t i a n i s m i
313
Widerspruch Munchen 1976
,D. Schellong
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(r11 ーホrJ 41
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重量制ml眠g]1(1(1眠)
(<..0)
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'ト
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(芯トWN Bd.6/1AJ
皆炉)(出)
aaO.
(口
M.Heidegger
,Phonomeno1ogie und Theo1ogie
,1970
,17ff.
,Zitat 18
(~虫 8) aaO.
(但何含釦)
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4J伽お,~~桝是とな誕!I握年ミニ ι ャトレ r,マートトーでトそ\判事社蝶』 ロ AJ ...J年.1i+~ヒモト手 J今宮崎 (Franz Overbeck Werke und N ach1as
,9. Bde
,1994ff.] .B.Metz1er
,Stuttgart)
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剰標 4 伽走ド'時 d 金時榊 ~U ITlI4J明 ~fJAJ~ 1a'濯 U 仰心 0* 寝右指定訳~~寝 ti fJ ~判事赴モト ~{1~4 さ4J~やで拍手.1-1奇心
同計コ'(ヘ。
1 .
近代神学の文化からの解放316
①神学とキリスト教
オl
ファ
lベックが生前自らの手で出版した主たる書物である﹃今日の神学のキリスト教性﹄はその初版が一八七三
年に出版されている︒この書物における議論で︑本論との関係でまず注目すべきことは︑オl
ファ
lベックが提起して
いる神学の学問性をめぐっての議論である︒しかしそこで実際論じられておることは神学の学問性をめぐっての議論と
いうよりは︑キリスト教において神学という学聞が果たして成立し得るのかどうかという︑より根源的な問題である︒
果たしてキリスト教は︑厳密には福音は神学を必要としたのかという聞いである︒
オl
ファ
i
ベックによれば元来神学とキリスト教信仰とは﹁完全に水と油のような関係﹂にあるという︒これが彼の議論の出発点である︒一般には信仰が神学を生み出したということが言われ
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あるいは逆に﹁神学なくして教会なし﹂(口︒
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ゎE門前)といって両者の関係を規定するのであるが︑オー
ファ
lベックによれば神学が信仰によって生み出されるというようなことはあり得なかったということになる︒また同
時に今日の神学に︑信仰について何事かを語る権利はないと考えたのである︒彼によれば﹁神学が:::信仰を知識と結
それはまったく非宗教的な行為となってしまうはず﹂だからである︒それ故に神学的な営みびつけようとするならば︑
とは︑宗教的な関心とは別な営みがそこに生じたことによって開始されたのであり︑﹁そのような宗教的な関心が生じ
なかったところには神学は成立しなかった﹂とオ!ファlベックはいうのである︒そこから彼の当時の神学とキリスト
教に対する批判が始まる︒
オl
ファ
lベックがこのような見解を主張する根拠は︑彼の議論がいつでもそこに立ち戻ることになる原始キリスト
における﹁終末意識﹂にある︒ラディカルな終末意識︑あるいは再臨信仰が︑現世否定的な態度を生み出したことは明
らかである︒オl
ファ
lベックによれば︑キリスト教信仰の確信はこのラディカルな終末意識にあり︑この意識の後退
はキリスト教的なものの退廃に他ならないということになる︒神学もまた現世を生きる知性の営みであるという点で︑
この意識に反するのであり︑神学はキリスト教的とは言えないものだと彼は考えているのである︒
W
・ベンヤミンが言う通りそこにオi
ファ
lベックの主張の核心があるのであり︑﹁本当のキリスト教とはオl
ファ
lベックによれば︑
終
末論にもとづいたラディカルな世俗否定なのである︒そのような世俗否定の立場からすれば︑キリスト教が世俗の中に︑
また文化の中に入り込むこと自体がキリスト教の本質の否定﹂となってしまうのである︒それ故に﹁オ!ファ!ベック
によればどのような神学も︑既に教父の時代から︑宗教におけるサタンのような存在と考えられた﹂のである︒
そこからオlファ!ベックが
B
・ベ
ルリ
lヌが編集した﹃中世スコラ主義の前史及び少壮時代﹄の中で︑神学のスコ
F i n i s C h r i s t i a n i s m i
ラ化をそのような視点から分析し︑それを神学の発展としてではなく︑キリスト教における本来的なものの喪失の歴史
として記述したことも理解することができる︒
またこの種の議論は彼の死後出版された﹃キリスト教と文化﹄の中にも見い出すことができる︒オl
ファ
i
ベックに317
よれば﹁キリスト教というものは︑キリストとその弟子たちの信仰に他ならないのであり︑それ以外のことを意味して
はない﹂︒それは終末の信仰であり︑この世の知恵をもたらすものではなかったのであり︑
そのような意味では神学は あ 存
る
2
在。し
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たし
正しくいうならば﹁イエスが生きていた時代にはキリスト教は存在しなかった﹂というので性﹄の中では確かにその開始をアレキサンドリア学派の中に︑
それではいつ信仰の神学化︑福音の異質化が始まったのであろうか︒この点については﹃今日の神学のキリスト教
とりわけクレメンスやオリゲネスに見ているし︑﹃キリ
スト教と文化﹄
の中
でも
︑ とりわけ二︑三世紀におけるキリスト教のグノ
l
シスとの戦いの中で︑グノ
lシスの立場を
批判したキリスト教が︑信仰の立場から︑パラドキシカルなことに信仰の立場へと移行してしまったことによって始ま ったと述べてい討︒すなわちキリスト教は救いのために必要な福音のみならず︑グノ
lシスとの戦いの後︑﹁誤りと言
い渡されたグノl
シスと並べてさらにひとつのキリスト教的神学がこれこそ真のグノ
l
シスだとして提案された﹂こと
によって︑福音の異質化が始まったというのであるという︒ニクラウス・ぺlタl
もこの二つの書物におけるオ!ファ
この議論の出発点を福音のグノ!シスとの戦いに見いだしている︒
ーベック自身の言葉の故に
しかしオl
ファ
lベックは使徒行伝について論じた論文の中で︑
さらに﹃キリスト教と文化﹄には組み込まれなかっ
た他の百円♀
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の資料の中でも次のような見解を述べ︑福音の異質化の大きな別のひとつの要因としてルカが 彼の福音書の第二巻︑すなわち使徒行伝を書いたことの中にも見てい討︒彼は次のように述べている︒﹁ルカが福音書 の歴史を歴史叙述の対象とみたかぎりでいっても︑福音書の続きとして使徒行伝を付け加えるという彼の発想ほど︑福 音書の歴史についての彼の理念の特徴をよく表しているものはない︒それは世界史的次元に関する不手際であり︑
ノレ
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がその対象に対して犯したもっとも過度の誤れる見解である︒歴史でないものを︑
ルカは歴史的に扱っているのである﹂︒ そのようなものとして伝承されては
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オl
ファ
l
ベックはルカによる福音の歴史化はあらゆ
る誤りの出発点であると見ている︒彼は福音と歴史とを対立させているのである︒福音とは︑キリストとその再臨︑
そ
して世界の終わりについての信仰であり︑それは歴史︑すなわち現世に対する関心を欠いており︑それ故に︑福音の歴
史化を語るルカは︑福音という対象に対する大きな誤りを犯しているということになるのである︒それ故にオl
ファ
i
ベックは福音の歴史化︑つまり福音の歴史との結びつきを︑信仰の事柄と現世との結び付きというふうに考えているの
であ
る︒
つまりオl
ファ
lベックはルカの神学をめぐる議論の中に︑既に彼が﹃今日の神学のキリスト教性﹄の中で考
えていたような︑問題が先取りされていたと見ているのである︒
(彼自身もそう言っている時期もあるのだが)︑彼をチュl
ビンゲン学派と見なすような見
解が誤りであることを示しているであろ刊︒すなわち彼がC・パウルに象徴されるような原始キリスト教理解を共有し さらにこのような見方は
ているとは言えないどころか︑
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ユダヤ教的なキリスト教とヘレニズム的なキリスト教とが︑まさに弁証法的な正と反とを構成しており︑・山h c
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それとはまったく異なった見解を持っていたというべきであろう︒パウルによれば原始キリスト教は
それを合へともたらせたのが使徒行伝の神学思想であったということになる︒オl
ファ
lベックは明らかにそのような
理解を批判しているのである︒彼はこのような単純な図式化を拒否したのであり︑思想的にはヘレニズム化したキリス
ト教というのは形容矛盾であると考えたのであ針︒
そして既に述べた通りルカ文書において既に始まっていた福音の異質化は︑グノ
i
シスとの対決というファクターを319
通して決定的な仕方で明らかになったとオl
ファ
lベックは考えたのである︒彼によれば︑キリスト教の信仰はその対
決の後︑一方で﹁カノン﹂の確認によって︑知識からの攻撃から身を守ろうとした料︑他方で︑﹁ひとは信仰の立場か
ら知識の立場へと自己を高める必要性﹂を考えた︒しかしその際にオl
フェ
iベックによれば﹁純粋に信仰的な立場の
宗教的な関心と知識へとそれらの立場へと自己を高めることの矛盾﹂を改める感じる中で両者の異質性を知らされたの
だという︒それ故に学問としての神学や︑知識としての信仰は︑﹁一種の暴力によらずしては教会の中に入ってくるこ
とはできなかった﹂のだと彼は述べた︒
そしてオlファ!ベックの時代にまで至るものだと言うのである︒それ故に﹁今日神
学が直面している危機﹂は︑決して時代の問題でも︑﹁近代﹂と﹁神学﹂との対立の問題でもないのである︒キリスト そしてこの関係は中世︑近代︑
教の信仰は︑本来の姿においては︑そのラディカルな現世否定︑そしてキリストの再臨への敬慶な期待の故に︑﹁神学﹂
に対しては﹁明らかな敵対心﹂を持っていたのであり︑それは融合されたり︑止揚されたりするものではないのである︒
ここに今日の神学の根本問題の根があると彼は考えたのである︒
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(∞)
WN Bd
.I,175
(∞)
Walter Benjamin
,Deutsche Menschen
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(ヨ)
aaO.
(~) F
r.Overbeck
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r1ichen Scholasti
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r1esung aus
dem Nachlas hg.von
C.A.Bernoulli
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E;'!悪域以付時纏綿場 ~1 号令。ゐ F 構 1締
な富士
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....J年JE;' ~J
E;' m程程会J;tr;匝炉時~JAJti写E;'mg:蝦4ヤニAJ端、吋~。(ロ)
V g
l.WN Bd.6/1 108
(ロ)(ヨ)
(出)
(吉)(口)
(~) WN Bd.6/1 41
aaO.
WN Bd.1194f
f.明 TN Bd.6/1 96f.
,106
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N.Peter
,aaO. 19
1ff.
(含
Franz Overbeck 羽 T erke und N achla s Bd. 4 Kirchenlexicon Texte Ausgewahlte Artikel
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にJ話 g
G EqJ
電弘U口3 ィれ0h3オJ
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この点についてはMartin Rese
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~込崎時。AJC'兵士憾1~時G'1t駅長{G'詰é(司会J4偽堕~G'~JAJ。
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(お
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G'U やニド ~P.
Nikulaus
G'語字!!aaO.36
0(お)
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,(お
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(二Franz Overbeck Werke und
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,Band 2
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(お)
WN Bd.1180
(~) aaO.
(~) aaO. 179
(~) 快ートトーでト ~U .L6~包制定三車 i昧 u -tq 士!'(ð ffi陣穏な 1時G',什=-- tくム栴立て κ4 マ弐 AJ~ 小 ~JAJU 相時 o ,九 TN Bd.6/1 161
3 0
当Z
国広
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②D・F‑シュトラウス批判
このような意味での信仰と神学との関係はオl
ファ
lベックのいわゆる批判的神学の代表的な存在であるシュトラウ
ス批判の中に典型的に現れ出ている︒その意味でオl
ファ
lベツクを批判的神学の系譜に入れること柄︑いわゆるへl
ゲル左派のキリスト教批判と結びつけることはできないのであ(針︒﹃今日の神学のキリスト教性﹄は一八七三年に出版
され
てい
るが
︑
その同じ年に︑同じ出版社からフリードリッヒ・ニlチェの
る︒第一篇は他でもない一丁lチェのシュトラウス批判の書なのであじ︒しかし両者は
のであるが)共同戦線で戦ったのではな行︑オl
ファ
lベツクのシュトラウス批判は︑
﹃反
時代
的考
察﹄
の第一篇が出版されてい
( ニ
lチェ自身はそう考えていた一lチェのそれとは方向におい
てある種の一致があったとしても︑異なったものであり︑オl
ファ
lベックのそれはよりラディカルなものである︒
確かにニ1lチェとオl
ファ
lベックは当時のいわゆるドイツ的教養が普仏戦争の勝利をドイツ精神の勝利と見なし︑
市民的な幸福に酔いしれていることを批判していぷ︒また両者はシュトラウスの﹃古い信仰と新しい信仰﹄の中にその
典型的な姿を見い出しているという点で一致してもいる︒
シュトラウスが﹃古い信仰と新しい信仰﹄において提示した自らの立場は︑ダlヴィニズムの影響や︑さらに自然科
学的な学問態度に影響を受けた実証主義の立場であり︑
判したのである︒それだけではなく︑ それをもって伝統的なキリスト教信仰を﹁古い信仰﹂として批
っ リ
2
nd
へlゲルの哲学体系が︑このような立場から﹁古い信仰﹂と共に批判されている︒
F i n i s C h r i s t i a n i s m i
それに対して︑シュトラウスのいう﹁新しい信仰﹂が対置される︒それは世界の因果関係や必然性を﹁理性的信仰﹂と
への信仰のことである︒みなした︑﹁神
l
宇宙
i
理性
﹂
324
l一 一 チェは﹃反時代的考察﹄の中でこの書物に見いだされるようなシュトラウスの立場を感情的に批判している︒
オ
ーファlベックのそれはニlチェに対してより神学史的であり︑その中にオl
ファ
lベックの立場を典型的に見いだせ
るようなものであると言ってよいであろう︒
オl
ファ
lベックはシュトラウスが﹃イエスの生涯﹄
3 8 F o σ g r ω
己)
の中で展開した︑イエスの運命の解釈に批
判的であったわけでもなく︑また既に述べたようなシュトラウスの﹁新しい信仰﹂の中で提示した世俗主義的な態度や
文化肯定的な態度についても︑単純にそれを批判したというわけではない︒シュトラウスのいわゆる﹁批判的神学﹂の
キリスト教が元来持っているような世界に対する観照的な態度を否定する
それを現世から取り除いてしまうこ民﹂や︑他方で﹁世俗化した神学がキリスト教の根本的な態度である現世
否定を喪失してしま刊﹂ことに対して意味を持っているとオl
ファ
i
ベツクは考えているのである︒ 立場は一方
で﹁
伝統
的︑
正統的な神学が︑
こと
で︑
それにもかかわらずオl
ファ
lベックはシュトラウスの立場にたいして次の二点において批判的なのである︒すなわ
ち第一にシュトラウスが彼の言う﹁新しい信仰﹂に基づいて︑道徳化し︑また極度に人間主義化した﹁古い信仰﹂に対
そして戦争や労働について論じることを批判しているのである︒しかしオl
ファ
lベックにして︑国家や政治の問題︑
よれ
ば︑
どのような立場であれ︑真のキリスト教信仰は︑そのような文化や世俗の問題と決別したところから出発した
のであり︑問題は﹁新しさ﹂と﹁古さ﹂とい︑コような区別の中にあるのではなく︑信仰は︑いかなる思想傾向や神学的
な立場とも区別されるということこそが重要なことのであ針︒また第二にシュトラウスがキリスト教とは︑人聞が承認 し受け入れねばならない教義と神話であると考えていることを批判してい説︒オ
l
ファ
l
ベツクによれば︑キリスト教
カルな終末待望と︑
そのような教会によって作り出された教義でも︑生み出された神話でもなく︑キリスト教信仰の核心は︑ラディ
それに基づく現世拒否という態度にある︒それ故に信仰と︑教会が生み出した教義や現世と結びつ
とは
︑
いた信仰とは明らかに区別されねばならないというのである︒
シュトラウスがしたように︑原始キリスト教の信仰態度や禁欲的な性格を批判したところで︑
それをキリスト教批判 とみなすことはできないのである︒信仰とは元来それらから区別されるべきものなのである︒この点でオ
i
ファ!ベックはいわゆる自由主義神学からも区別される︒オ
l
ファ
l
ベックの議論は︑たとえば歴史的・批判的研究の問題性が提 起される
それ以前の問題ということになるである︒
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N年にオックスフォードに提出された博士論文の改訂版である)の立場や︑柏原啓一氏はオ
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ファ!ベックを﹁批判神学﹂の系譜に数えている(﹃ニ
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チェ事典﹄一九九五年︑弘文堂︑五二五頁)︒( 2
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分析を参照のこと︒
F i n i s C h r i s t i a n i s m i
325
(叩)
aaO.88
1.0 (凹F.Nietzsche
,Erste Unzeitgemasse Betrachtungen: David Strauss. Der Bekenner und der Schriftsteller
,1873(
=将Nietzsche Werke
,Kritische Gesamtausgabe
,III/1) (n 民世記:m~や蛾 j
+側憎鞍馬,.;i'-v-例 ~tHl 問料慣I\-~トパ引蝋司)
川11同(~}ι,,町
N Bd. 1
,217ff.
(<.0)
~・I\-~トパ塩轄蜘 111 川同(' WN Bd. 1
,219
0例~ ~J ~.lJJ~やユド tiM.Henry , aaO.30f. 山崎堕 ~~~JAJ 。
(ド
David Friedrich Strauss
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,Stuttgart
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暖化 J4 崎直~ ~ ~ J AJ (Friedrich Wilhelm Graf
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Kontext der positionellen Theologie seiner Zeit
,1982
,112f
f.)(∞
リ
jε4叫ロ可~.!l¥や「ニドtiDie chri 詰 stliche Glaubenslehr
陀e 加 n i 出 hrer geschich 式叫 tlichen En
凶1託 twick
王dung und im Kampf
おe mi 抗 t der
modernen Wissenschaft
,Bd. 2
,Tubingen
,1840 ~怯;程品 J"";>~ 区~ ~J AJ 。 す十-6~ ~J ~~I トヤ,入パム lトi:' K~ 田実験 AJ ,マート
ト-,,(ト~~糠緯.!lや二年 J 網間 l.--'l ~"";>~AJ .--'lド ti' Ka
r1Pestalozzi
,Overbecks} Schriften ( > Erste Unzeitge‑
masse Betrachtung: David Strauss. Der Bekenner und der Schriftsteller <in:Brondle/Stegemann(hgs.
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,aaO.
会J体堕~~J刈。
(0))
~刈吋包 WN Bd.1
,219
,cf.K.Lowith
,Von Hegel zu Nietzsche
,1949 (=Karl Lowith Samtliche Schriften Bd
.4,1988
,475
(ヨ)
WN Bd.1
,231
(口)
aaO.
(自)
aaO.231
,219
,221usw.
(口)
aaO.232
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文化とキリスト教
以上のような議論の帰結として︑キリスト教的な文化︑キリスト教的な社会への批判が開始される︒キリスト教信仰
の真の姿が既に述べたようなものであるとするならば︑キリスト教信仰と文化との結びつき︑キリスト教的世界︑
キ
時代のキリスト教のあり方へのラディカルな否定となる︒ スト教的な道徳というものは本来結びつくはずのない二つのものが結び付いているものということになる︒それはその
それがたとえば︑﹁ピスマルクの宗教と化したキリスト教﹂
への批判ということになる︒オ
i
ファ
i
べへの批判という形で表れ出る︒具体的には︑ひとつの﹁道徳と化した神学﹂ラディカルな終末意識によって規定されていたキリスト教信仰が︑﹁市
民的道徳﹂となり得るわけがないというのがオl
ファ
lベツクの主張なのであじ︒元来キリスト教は現世を否定したの
であり︑キリスト教の知識とは︑具体的には﹁死の知謀﹂であり︑それは現世と対立し︑﹁世界を支配することなどで
きない﹂知識なのである︒ ツクの問題意識はそこにあったと言ってよい︒
いわゆる﹁ビスマルクの宗教﹂とは︑彼の死後出版となった﹃キリスト教と文化﹄に収録
された断片によれば︑﹁この世の知恵や道徳﹂としての宗教であり︑﹁あらゆるこの世的なものの総体のために求められ オl
ファ
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ベッ
クが
いう
︑