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唱導にみる地獄−金沢文庫蔵『仏教説話集』の場合
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著者 松本 啓子
雑誌名 奈良教育大学国文 : 研究と教育
巻 3
ページ 17‑27
発行年 1979‑03‑30
URL http://hdl.handle.net/10105/10467
唱 導
こ乙み
る地 獄
金沢文庫蔵﹃仏教説話集﹄の場合1
松本啓子
一
仏教は日本人にとって︑もともとは外来の宗教であった︒が︑そ
れは︑いつの頃からか日本人の心に深く浸透し︑日本人のものの見
方や考え方に強い影響を与えるようになった︒現代に生きる私もそ
の影響の中にあることは確かで︑以前に読んだ芥川龍之介の﹁人生
は地獄よりも地獄的である︒﹂という言葉を日々の生活の申でふと
思い出すこともあれば︑先祖の供養のために阿弥陀経をあげようか
などと思うこともある︒私は常々︑文学と仏教︑その申でも﹁地獄﹂
というものが日本入にとって何であったのかということに強い関心
を抱いていた︒そんな折に﹃仏教説話集﹄の存在を知ったのであ
る︒
金沢文庫所蔵の﹃仏教説話集﹄は︑保延六年(=四〇)の識語
を持つ仏教唱導の書であり︑唱導文学︑説話文学︑国語史上︑貴重 な資料とされている︒しかし︑片寄正義氏の論考﹁金沢文庫所蔵の注‑仏教説話集について﹂によって世に紹介されて後は︑甚しい落丁乱
丁のため長らく充分には活用されなかったといってよい︒その後︑注2山内洋一郎先生が﹁金沢文庫本仏教説話集の錯簡について﹂でその
錯簡を訂正され︑この書の概要・構成は明らかになった︒が︑いま
だ完全な翻刻がなされていないため︑一般に知られ活用されるとい
うまでには至っていない︒
本稿では︑この﹃仏教説話集﹄の中で︑当時の僧が地獄をどのよ
うに語り︑それを受けとめたその時代の人間にとって地獄がどのよ
うなものであったのかについて考えていきたいと思う︒
二
﹃仏教説話集﹄の地獄に論を進める前に︑ぜひ見ておかねばなら
ない書がここにある︒一般に地獄・極楽の書として知られている﹃ 一
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往生要集﹄(九八四ー五)がそれである︒今︑二般に﹂と述べた
のにはそれなりの理由がある︒石田瑞麿氏は﹁﹃往生要集﹄の思想注3的意義﹂の中で︑一般に行われているこの見方は要集の大文第一﹁\
厭離磯土﹂と大文第二﹁欣求浄土﹂の二章を重視するもので︑﹁決
して﹃往生要素﹄の本意を正しく理解したものではない︒これらは
むしろ﹃往生要集﹄の中心課題に近づくための導入部であって︑源
信の意図はその後の︑とくに大文第四︑第五︑第六の三章にあった
ものである︒﹂とされ︑﹁浄土に往生するための念仏の正しい在り
方こそ︑念仏同心の人たちの指針となりうるものである以上︑それ
を廻るさまざまな問題を解こうとする部分に重要性があるはずだか
らである﹂と指摘されている︒石田氏のこの言は﹃往生要集﹄とい
う書を思想的な面から正しくとらえようとされたものであり︑異論
のあるものではない︒
しかし︑今問題にするのは﹃往生要集﹄が後世︑とくに唱導にお
いてどのような影響を与えたかということであり︑そこでは﹁地獄
・極楽﹂の書としての面が極めて大きいのである︒注4辻善之助博士はその著書﹃日本仏教史﹄において︑﹁平安時代に
於いて発達し永く国民信仰の中心を成した浄土教は︑仏教が国民生
活に融合し︑日本的特色を帯びたことを示す最も著しい例﹂である
と述べられている︒﹃往生要集﹄は強い浄土思想︑浄土志向を根本
に据えながら︑その冒頭において﹁地獄﹂世界を展開した書であ る︒辻博士のお言葉をお借りするならば︑そこに示された地獄は極
めて強い﹁日本的特色﹂を有していることになろう︒
では︑その﹁日本的特色﹂とはどのようなものであろうか︒それ
は一つは︑﹁地獄﹂という世界に対する知識の増大とその統一︑そ
して今ひとつは個人における内面化という点にあるように思う︒し
ばらくは︑もう少し具体的に﹃往生要集﹄の﹁地獄﹂をみてみよう
と思う︒
﹃往生要集﹄大文第一の冒頭において地獄世界はどのようなもの
とされているだろうか︒これは︑それより以前︑例えば﹃日本霊異
聾,に⁝描かれた地獄と比べてみると︑非常によくわかる︒﹃日本霊
異記﹄での地獄は︑閻羅王の主宰する冥界の一部に属し︑それ自身
ひとつの世界を成しているといった描写はみうけられない︒霊異記
(以下﹃日本霊異記﹄をこのように略す)での記述を総合すると︑
閻羅王の支配する世界は次のようなものである︒(括弧内に霊異記
の何巻何縁かを示す︒)1閻羅王宮は︑私たちが生活しているこ
の世界から西の方向にある(中7)︒初めその方向の広野をずっと
行くと︑急な坂があり︑この坂が生きた人間の世界と冥界との境で
よみがえある︒だから運よく甦る時には当然のことながらこの坂を下って
いくことになる︒さて坂の上から見下すと道はなおも続き(下22)︑
その路は広く平らかで︑左右に寳幡を立て列ねている(中16)︒そ
の前には幅が一町許もある河があり(下22)︑水の色は黒く︑河は
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深く静まりかえっている︒そして︑いよいよその向こうに︑屋根がてり幾重にも重なり︑舷輝いて光を放つ金の楼閣が見える︒これが閻羅たまのすだれ王宮である︒黄金に輝く楼の内︑四方に厨珠を懸けたその申の黄
金の坐に閻羅王は坐している(下9)︒地獄はこの王宮の南方(上
30)にあったり︑北方(中7)にあったりする︒1これが霊異記
に描かれた閻羅王宮および地獄である︒冥界および地獄の位置につ
いては︑かように水平思考といってよい考え方がみられる︒また︑
ここでの描写の力点は明らかに閻羅王宮の方に置かれていることが
わかる︒では地獄における時間についてはどうか︒それは各話によ
り考え方が違っており︑地獄の一日は現世の一日と等しいと考えて
いる場合(中5・中7など)がほとんどであるが︑﹁人間の百年を
以て︑地獄の一日一夜と為す﹂(下35)という考えもみられるので
ある︒与えられる苦については︑熱銅柱・熱鉄柱・鉄杖・鉄釘・
釜︑とこれでほぼ尽きてしまい︑地獄の規模となると触れたものは
ない︒霊異記の地獄の理解はこのようであり︑全体において曖昧で
ある︒
これが﹃往生要集﹄になると全く異なり︑著者源信は﹃正法念経﹄
など各経を駆使しながら大規模な世界として地獄を明確に体系づけ
ている︒﹃往生要集﹄の地獄については要集を一読願えればよいこ
となので詳しくは書き連ねないが︑地獄の位置は閻浮提(人間の住たてひろさんでいる世界)の地下深くにあるとされ︑八層からなり︑縦広一 万由旬の広がりをもつとされている︒また︑霊異記説話において罪
の裁定を下す重要な登場人物︑閻羅王は﹃往生要集﹄では餓鬼道に
追いやられてしまっている︒地獄の時間は︑その最上界である等活
地獄においてすら﹁人間の五十年を以て四天王天の一日一夜となし
て︑その寿五百歳なり︒四天王天の寿を以てこの地獄の一日一夜﹂
とするとある︒地獄で受ける苦も千差万別である︒﹃往生要集﹄の
地獄は︑空間的にも時間的にも大規模な世界であり︑一度堕ちたが
最後蘇生などは及びもつかない絶対的な苦の世界である︒
霊異記と﹃往生要集﹄のこのような違いは︑薬師寺の僧景戒と天
台の僧源信の個人的な興味のありようや見識の違いということでと
らえきれる問題ではあるまい︒時代の要求︑そして仏教の日本化と
いう面でとらえるべきことであろう︒
﹁厭離稼土﹂は地獄を展開した後︑餓鬼︑畜生︑阿修羅︑人︑天︑
そして惣結へと続いている︒地獄の他に他に特に重点をおいて描か
れているのは人道である︒源信は人道を不浄︑苦︑無常の三相でと
らえ︑人間の世界も地獄とさして変わるものではないとしている︒
人間のあらゆる欲望が満たされている天道でさえ︑天人が五衰の相
を現わす時は︑
心に大苦悩を生ず︑地獄のもろもろの苦毒も十六の一に及ばず
とあって︑地獄以上の苦を内在しているのである︒だからこそ︑欣
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!
求すべきは極楽浄土のみなのである︒地獄も人道もすべて厭い離れ
るべき糠土なのである︒
﹃往生要集﹄の文学に与えた影響を探ろうとする時︑この人間の
世界も絶対苦の世界地獄も何ら変わるものではないというとらえ方
は非常に重要である︒なぜなら︑文学は人間界の諸事の申で生まれ
てくるものであり︑人間界も地獄も何ら変わらないというような眼
をもって人間界の諸象を眺めた時︑それ以前とは全く違った感情な
り感動︑あるいは人生観といったものが生じてくるのではないかと
思うからである︒入問は何といっても現実に生きるものであり︑現
実の悲惨や苦に最も強い衝激を受けるものである︒﹁厭離薇土﹂と
して︑地獄および人間界を観じきることを﹃往生要集﹄の冒頭にも
ってきた源信は︑人間の心というものを深く見すえていた人であろ
う︒ここに︑単なる時代の要求にとどまらない︑源信個人の透徹し
た眼をみることができるのである︒
さて︑ここでやや視点を変えて︑﹃往生要集﹄で極楽往生の手段
として示された念仏という方法について考えてみたい︒注6春日清澄氏は﹁日本霊異記に現れたる平安初期の仏教信仰﹂の申
で︑﹁当代の仏教信仰は︑之を一言にして云えば︑現世的安寧幸福
や富貴栄達を希求するにあった︒(申略)寺院や重塔を建立し︑仏
像︑仏画を製作礼拝し寺院に寄進することによって︑現世的幸福に 浴せんとしたのである︒従って当代に於いて寺院の建立︑仏像の製
作︑乃至は寺領の寄進が盛行したのは敢て異とするに足らない︒L
とされた︒このような信仰のあり方に比べると︑源信が示した念仏
という方法は極めて個人的な内に向かった信仰の態度と言えよう︒
が︑個人的な信仰態度︑およびそれをもって地獄をみつめる姿勢
は︑﹃往生要集﹄で突然現われたものではない︒それ以前︑内裏や
諸国寺院では年に一度︑仏名会i地獄変の屏風を用いて︑罪を餓
海し︑三千仏の仏名を唱えて一年間の罪を消滅し︑来世の菩提を得注7る法会‑が行われていた︒和歌森太郎氏は﹁仏名会の成立﹂にお
いて︑その成立の前提として個人の生命に対する強い関心や個人に
対する批判力の成長を考えられ︑その関心や批判力をもたらした要
因として︑同族生活の変化の動き︑平安前期に確立した天台真言の
二宗の影響︑当時の教界の頽廃的動向をあげられている︒そして最
後に︑﹁要集出現以前のことを顧みると︑我々の地獄観がまったく
要集によってのみ培われたとする在来の見解もあらためるべきであ
ろう︒﹂と述べられている︒
このように個人的な信仰態度をもって地獄をみるということは︑
﹃往生要集﹄以前からもみられるのであるが︑それは﹃往生要集﹄
においてつきつめた形をみせている︒﹃往生要集﹄の地獄は︑﹁孤﹂
の認識さえ伴っているのである︒﹃往生要集﹄の地獄は︑まさに﹁救うものなし﹂(岩波思想大系