商業英語におけるFIGURATIVE EXPRESSIONについて
その他のタイトル Figurative Expression in Business English
著者 冨山 忠三
雑誌名 關西大學經済論集
巻 2
号 3
ページ 59‑94
発行年 1952‑12‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15858
この小文は︑さきに
H
本 商 業 英 語 学 会 々 報 に 発 表 し た
﹁F IG UR AT IV E EX PR ES SI ON に就て﹂の拙稿を補修加筆したもの である︒加筆の途上︑小文の意味する商業英語の性格を限定する必要を感じたのであるが︑それには一般に﹁商業英語﹂なる 科学の具有すべき論理︵普逼的規定︶に紬れずには済まされなかったので︑それに論及した結果こういう形になった次第であ る︒﹁商業英語﹂の科学的性格を確立することは︑理論的にも実践的にも解決を迫られている課題であってー後述する如くー それに向つては︑いくら努力しても︑し過ぎる憂はないと思うが︑これが簡単に片付く問題でないことは治く知られた事実で 商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON
について︵富山︶
( l I J
( I
) *
ま
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ヵ 目
え
商 業 英 語 の 性
格 * J
が 次
き
﹁商業英語﹂の科学的伸格 商
業 英 語 の 逐 語 的 意 義
四 む す び
( I ]
︶
( I )
︵直
︶ F
IG UR AT IV E E XP RE SS IO N その逐語的意義 その一般的性格 その特殊的性格
冨山 F I G U R A T I V E E X P R E S S I O N
について 商業英語における
五九 忠= +
( I )
商業英語の逐語的意義
商 業 英 語 の 性 格
商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON
について︵冨山︶
クラプの類語集に﹃
ある︒従ってこの大問題に取組むことはーそれに余り纏綿することは主題と紙幅を固定する限り均衡を得ないという事悔もあ ったがー解決どころが群盲の紬感を駄辮するに過ぎないかも知れないとは感じ乍ら︑敢えて﹁枯木も山の賑﹂と勇気を出した 所以は全く斯学確立を熱望する微意の然からしめた結果に外ならない︒
次に比喩的表現であるが︑之が我々の言動活動に於ける意義並に態様については︑宛も手足のそれを意識しない如く身近で あるだけに噌過され勝ちである°看過は注意によって意識を牽引する途もあるが︑意識的にスクラム組んで之を寄せつけない ヘルメス達は︑果して言語生活の厳しい社会的拘束から免れ得るのであらうか°利に聰く打算に明るい彼等が︑比喩的言語の 持つ玄妙なる武器をなぜ利用しないのであらうか︑質問せざるを得ない︒﹃言語は︑対話者が銘々自己の思想を人に押附けん とてその作用を目当に振ふ武器め如きものと思はれよう﹄︵シャルル・バイイ︶に︒しかし︑それにも︑これにも︑理由のあ ることに相違ない°之が考究を要する所以である︒
元来商業英語という名辞は英語のBusiness
En
gl
is
h又
はC
om
me
rc
ia
l
Englishから麟訳されたものであ
シノニムる︒BusinessとCommerceとは同意語と考えられ混用されているが︑両語はそれん\語源を異にし意味内容に
若干の差があるので以下にその区別を明らかにし︑商業英語の性格を知る一端としよう︒
語源的に言えばBusinessという語は︑busyという語に
ne
ss
(状態叉は性質を表はす接尾語︶が附加されて
成立した言葉であってstate
of
b
ei
ng
b us yを 意味 する (W eb st er 's
C o
l l
e g
i a
t e
Di
ct
io
na
ry
. P
13 4)
0従って
Businessを持つ者は商人に限らない︑医者や牧師であっても卿かの不都合もない筈である︒
ーヒジネスとは人間の時間・オ能•関心を牽制するところのものである』
( G.
C r a b
b , E
n g l i
s h S
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on
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x p l a
i n e d
, P .
1
55
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六0
商業英語における
FI
GU
RA
TI
VE
EX
PR
ES
SI
ON
について︵冨山︶ スよりもビジネスの語が慣用されているようである︒
,̲
ノ鼻、
ギリシャ語の
me rz
はラテン語の 生計のために知識・経験を投入する総べての事項がビジネスになるのであっ
て︑それは必ずしも商事に限ったことではない︒ビジネスを仕事・事務・実務の意味に解するのは︑この一般的用
たゞ多忙な点では他の職業人よりも商人が最大であり且その多忙を誘因するものが商取引である関係からビジネス
と言えば多くの場合︑商取引の意味に解する傾向が生じたものの様である︒しかしビジネス本来の意味には︑必ず
第二にビジネスは人生に於て為さねばならぬ仕事の意味から
d u t y
︵用務・用事・責務︶となり︑更に
m i s s i o n
(使命︶という意味も生れて来た︒第三に
Wh at
a
b u s i n e s s
!
aw kw ar d b u s i n e s s
(困つたことだ︶の例に見られる如
‑v
a f f a i r , m a t t e r , i n c i d e n t , s u b j e c (t 事項
・事 件・ 事故
・
問題︶等の意味にも展開した0之を要するにビジネスという語は渡批上なすべき仕事・用事・事項等を総称する語
( 1 )
G e n e r a l w or d
であって︑商業とか商売の意味に転用されるのは︑その特殊な用法と見るべきである︒
次に
Co mm er ce
という語は
co
とm
me rz
との二語から構成されたものである0
co m
は
c o m b i n e , co mp an y
の例に見られる如v
t o g e t h e r
(一緒にする︶の意味を持つ接頭語であって︑
me rx
と共に財貨を意味する︒.従つてコンマースは財貨を一箇所に寄せ集める意味を表はし︑それから物々交換・
売買の意味に発展したのである︒コンマースとビジネス︵広義の︶とを比較すれば︑前者は後者の限定された意味
( 2 )
を持つ所謂
S p e c i f i c
wor~(特殊語)ということになる。しかし米国に於ては、商業の意味にも一般にコンマー
Tr ad e
はラテン語の
t r a c t o ( t o t r e a t )
に始まり︑生計の手段として又は利益を得る為に営む商売の意味を持 しも商業と本質的な関係があった訳ではない︒ 法に於てゞある︒ と述べているが︑広義に解すれば︑
An
( i )
を実 務︵ 実用
︶英 語︑
Co
mm
er
ci
al
En
gl
is
h を商 業英 語︑
コンマースとは類語であつて︑共に
a r t
o r
u b
s i
n e
s s
o f
ex
ch
an
gi
ng
c
om
mo
di
ti
es
by hu
r t
e r
or
s a l e
を
意味しビジネスに対してはコンマースと同様に特殊語である︒郎ち
Bu
si
ne
ss
は
Tr
ad
e
の上位概念であって︑そ
の包摂関係は
A l
l
t r
a d
e i
s b u
s i n e
s s ;
bu
t a
l l
b u
s i
n e
s s
i s
n ̲ o t
t r a d
e .
( G .
C r a b
b o p . c i t . , p .
155)となるのである︒
Tr
ad
e
と
Co
mm
er
ce
との相達は前者が本来具体的な個別的売買に適用されるのに対し︑後者は何れかと言えばl
国全般の商業或は泄界の商業の如く全体的若しくは抽象的な意味に用いられる︒
一 般 に 貿 易 と い う 邦 語 に は
Tr
ad
e
が適用され︑貿易語を
T
d g
e t
er
ms
と訳する
が︑之は個別的経済主休相互間の商取引を意味し︑総括的国際通商を意味することは稀である︒尚
Tr
ad
et
er
ms
に就ては中井省三教授が詳細な解説を日本商業英語学会々報に発表されている︒
は広狭の意義があって︑広義には一般貿易用語を総称し︑ それに拠れば﹃
Tr
ad
e t e r I I ) . s
に
狭義には価格用語に限定して用いられる﹄と︒︵中井省
1ー
ー教 授﹁ TR AD ET ER MS の表解と略註﹂ー
H本商業英語学会々報第一号︶
以上述べた如く字義的に解すれば
Bu
si
ne
ss
En
gl
is
h
Tr
ad
e T
er
ms
を貿易用語として区別するのが適当であるが︑通常前二者を何れも商業英語と称している様である︒
﹁商業英語﹂の科學的性格
転じて学科課程としての﹁商業英語﹂に就て考察を進めてみよう︒通常商業英語と言えばすぐ
Bu
si
ne
ss
C o
r ‑
rg
只
nd
en
ce
(俗称コレボン︶叉は
Bu
si
ne
ss
L e
t t
e r
Wri
ti
ng
を想起する︒それ程商業通信の名称は一般に知れ
互り︑動もすれば商業英語即商業通信と考え易い0勿論商業通信は商業英語の中で極めて重要なもので︑殊に英語
国でない我国に於ては︑最も実用価値が高く諸他の英文報告とか広告︒・宜伝文等は之に較べると比較的利用価値が L
g
s o n s
n i
Co
mm
er
ce
︑ p .
2)
ち ︑
商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON
について︵冨山︶
( G .
C r a b
b , i
b i d
, p .
7 4 4 . ;
G a m b
a r o '
s
,,
, ヽ
商業英監における
FI
GU
RA
TI
VE
EX
PR
ES
SI
ON
について︵冨山︶ 実利化されることを率直に認むべきである︒
ノ. (4
)
﹁商業英語﹂の学科内容が英文陶信に偏する傾向をつくったのは自然の成行であった︒しかし之は我国
の特殊事情に基く現象であって︑本質的に﹁商業英語﹂の学科内容が商業通信に限定さるべきものとは考えられな
ぃ°学的性格を確立するためには︑認識は︑歴史・民族性・国民性により條件づけられる現実性を越えて︑普遍妥
実際問題として︑商業英語は商業通信・諸種の報告︵事業報告・監査報告・調査報告等︶・趣意書
P r
o s
p e
c t
u s
( 6 )
その他商業に関する売買︒広告・宣伝・運送・保管・金融等百般の経済活動にその適用範囲を持ち︑且又それは単
( 6 )
に紙上の言葉ー所謂作文ーのみでなく︑口頭の言葉ー例えば
S a
l e
s T
al
kーをも包含するので単なる商業通信とい
う一項目の性質を取り挙げて﹁商業英語﹂の性格を定義づけるということは決して妥当ではないのである︒
商業英語を実用に供せられる英語︑所謂実用英語と解することは広く採用されるところである︒実用は商業より
上位の概念であって実用英語とすれば前記の適用範囲を悉く包摂して余すところはないが︑反対にその内容は茫莫
となる惧があるから︑その意味を明確にする必要がある︒之に関連して斯学の碩学
Ho
tc
hk
is
s 及び
K i
l d
u f
f
教
授は文学︵的︶英語と対照して次の様に述べている﹃商業英語と文学英語との根本的差異は作文の目的にある︒郎
よりも寧ろ印象
im
pr
es
si
on
にある︒文学は通常読者の行為を求めない︒ち商業英語の目的は表現
ex
pr
es
si
on
読者はたゞ鑑賞し啓発されるだけで足る°勿論文学が読者を感動させ行動に赴かせることもあり得るが︑それを創
作の支配的動機となす必要はない︒現代の文字には読者に迎合
Ca
te
r
する傾向が多くなつて来たが︑
露骨に追求したものは﹁藝術の商業化﹂として批難された︒之に反し商業害翰の作者は︑その技術が商業化され且 当な真理を明白にしなければならないと惟う︒ 勘
いの で︑
それを余り
﹁藤術のための藝術﹂を理想とすべきでなく﹁商売のための技術﹂
合如何なる結果を生ずるであらうか︒ A r t
f o r
m a r t ' s
sa ke
を信條とすべきである︒従つてその構想︵の方向︶及び文体は読者の立場と関心から支配
されねばならない︒しかしこの事は商業書翰が文学的見池から優秀であってはいけないと言う意味ではない0啓煤
的であり人を業しませることは卿かも差支えないばかりか場合によっては︑その必要さえある︒しかしそれはあく
まで目的に対する手段としてゞあって︑終局の目漂は常に読者の行動でなければならない﹄︒
右の説は商業英語︵特に商業通信に就てゞあるが︶の特質を文学英語との比較に於て摘出したものとして注目に
値する識見と言えよう︒
実 際 に 於 て 商 業 通 信 の 大 部 分 は 顕 在 的 に 或 は 潜 在 的 に 斯 か る 意 図 ー 読 者 の 行 為 を 諦 発 せ ん と す る 意 図 ー を 包 蔵 し 殊 に
Sa
le
s L e t t e r や広告宜停文等は全くこの意図に支配されるものと断言しても過言ではない︒極言する論者は︑商業書翰の価値は金鐵 的牧益能力によって測定されるとまで言う︒
元来﹃言語活動としての言語は︑本質的には︑話者の側に於ける心的過程の意図的表現で︑且それを聴者に伝達
し聴者の精神生活に一定の仕方で影響しようという意図的活動である﹄︵研究社﹁英語学辞典﹂五五七頁︶とすれば︑文
学英語と雖も何等かの仕方で読者に影響しようとする意志のあることは認めねばならない0否︑文学英語に限らず
C 8 )
凡そ﹃言語は︑対話者が銘々自己の思想を人に押附けんとてその作用を目当に振う武器の如きものとも思はれよう﹄
従つて商業英語と文学英語との差別も心的過程に於ける意図的活動の有無に求めることはできないから︑意図の質
的差異に之を求める外はない°然らば商業英語発動の意図は何であらうか︒そこに﹁実用﹂というアイディアがは
いつてくるのである︒ところで商業英語を実用G的︶英語と解し︑実用ということを以て斯学自立の根拠とした場
商業 英語 にお ける FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON につ いて
︵冨 山︶
六四
英語を識別し︑斯学の性格を確立する上に有力な手懸を得ることは決して不可能ではない︒
六五 抑々実用とは何を意味するか︒﹁実際に入用なること﹂﹁実際に利用あること﹂︵金沢庄︱︱一郎編﹁広辞林﹂︑参照︶つまり実際に役立つことに帰着するであろう0役立つということには物心両面があって︑文学的英語にも精稗的な用役があるから︑之に対して商業英
語を区別するには実用の意味を︑前説の様に限定して実利的意味か更に押しす
4めて牧益的意味に解した方が頗る明瞭になる︒
実用の意味を斯く解すれば︑確に文学英語は原則として実利的収得を意図するものではない0従つてこの点から
しかし問顆は︑その様な目的観的概念だけで以て﹁商業英語﹂の本質を規定すること自体の妥当性如何である︒
凡そ事物の本質的属性の解明に当つて目的観的概念規定は如何なる価値を持つものであろうか︒それは経験的時
間的概念規定︵歴史的特殊現象に基く概念規定︶の如く偶然的なものではないが︑本質的規定︵事物をして事物たらしめる論理的要請即ち普遍的規定)より観れば、部分的展間に過ぎず、十全的な|~対象の最も本質的な漂識をす
べて正確に反映するところのーー・ものたり得ないのではなかろうか°焦点を当面の課題に限局すれば︑この目的観
的概念規定が﹁商業英語﹂の本質的属性をどの程度展開するか︵内包関係︶この概念規定の包摂能力如何︑
関係︶の一一点に就て検討する必要がある︒その検討の結果に於てのみ至当な評価が可能となるであらう︒
先づ外延関係から吟味するが︑この問題は実用を目的としない商業英語は絶無なりや否やの問題に要約される︒
之に対しては︑否︑と答えざるを得ない︒
例えば事業経過報告とか監査報告等の諸報告書は通常その報告から読者の作為が生れるにしても︑報告者の直接の意図は作為を 求めんとするものではない︒報告には欲念を必要としない
0
否︑報告はできるだけ欲念に執らはれない不偏なものでなければな
( 9 )
らないのである︒
従つて斯かる報告書が﹁商業英語﹂に所属する限り︑直接読者の行為誘発を意図しないー実利的収得を直接の目
商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON
について︵冨山︶
︵外
延
斯かる考え方から︑
n l l )
するのである︒ 次は内包関係であるが︑この問題は﹁商業英語﹂の言語学的性質から照査しなければならない°言うまでもなく
商業英語も言語である︒生きた言語現実を持つている︒この言語の﹁原本的事実﹂にはそれ自らを成立させる論理
がなければならない0論狸を持つということは︑そのものにとつて最も普迦的な規定を持つという意味に他ならな
い︒この普遍的規定の発見・組織にこそ科学ーこ4
では言語学殊に語法学ーの研究の目糠があると惟う︒
ところで﹃語法の論理は︑言語現実をありのま4の生の解釈と表現の過程との二つのものとして見得るやうに把握
された論理でなければならぬ°否︑生の解釈と表現の過程が置かれた場として︑言語現実を把握するやうな論理でな
( 1 0 )
ければならない︒ーロに言へば︑それは人間的に︑社会的に︑歴史的に生きた論理でなければならないのである︒﹄
法はこの二重の論理をくぐつて始めて真の語法たるの資格を得るのである︒
一般的な言語形式を体系化する文法論と対立して︑言語を機能的に言語活動に即して考究する文体論が成立
﹁商業英語﹂の科学性に就ては︑特にこの言語行動的視角から研究する必要がある0それは当事者︵話者及び聴
者︶︑使用の場︑意図及び手段並にその結果的事象等に就て︑それぞれの特殊性に郎する研究でなければならない︒
言語を単なる意味的存在としてでなく︑歴史的社会的存在を持つものと考えるならば︑当然斯かる考えに到達しな
ければならない︒この立場に於て始めて﹁商業英語﹂の語学として本質的属性が把握され︑又その独自性を閾明に がないから先え稿を進めることにしよう︒
商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON
について︵冨山︶六六
語 的としないー商業英語の存在を看過することはできない°更にこの目的観的概念規定は︑文化科学としての目的関連的
t e
l e
o l
o g
i s
c h
見方に於て如何に定位されるかを吟味しなければならないQしかし今はその問題に触れる余猶
商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON U
ていて︵冨山︶ 変則的なもの
an om al y で学問的見地からは︑
六七 醜つて商業英語の学問的独立性を否定する論者の述言を聞かう︒
R .
B u h l i g
教授日く﹃商業英語という名称は さてこの言語行動的立場から前述の実利的目的観的概念を考察するとき︑それが﹁読者に対する作者の意志的有・
目的々態度﹂を採り上げた点は確に推奨に価するものと言はねばならない︒しかし言語行動的視角からいつて
も︑それのみが唯一の本質的規定となり得ないことは勿論︑更にそれは言語行動的立場と次元を異にする資材的立
場ーー思想通達の手段だけを抽象的に考えたものーー・を全然考慮しない考え方であることを見逃してはならない︒
﹁商業英語﹂の本質に関して一般に承認された科学的規定を寡聞にして聞かない
0
勿論個々の場合に就て言えば︑実践的要求か ら独自の規定を設けているものも多かろう︒しかし一般弘通の見解に於て︑それらの諸規定を通覧するとき︑相互の間に甚だし い懸隔はないだらうか︒不鮮明・不徹底なものはないであらうか︒将逼妥当なものであらうか
0
そのため諸種な混乱や煩雑な問 e 12 ) 題が招来しないだろうか°疑なきを得ない︒洵に﹁商業英語﹂の科学的性質を確定することは理論的にも︑実践的にも解決を迫
られている重要な問題である︒
その存在を否定される°英語は英語である
E n g l i s h i s E n g l i s h
それが空想的創作を表出するために使用されようと︑美的鑑賞若しくは日常の必要に向けられようと︑その使用目
的によつて区別さるべきものではない
0商取引にのみ特有にして他にないという様な単語・成句・文章の魔術的
(13) 結合
m a g i c a c l o m b i n a t i o n
はあり得ない﹄と︒
いかにも右論者の言う如く︑英語は英語であって︑文章を機械的に分解したならば﹃これは蓑︑これは笠とて除
ければあとには何の案山子なるらむ﹂で︑﹁商業英語﹂なるものは何も残らないという結論が生ずるかも知れな
い0しかし論者の学問成立に関する見解には若干の異論なきを得ない︒ することができると思う︒
︑0カ がないであらうか︒ 第一に﹃英語は英語である﹄という意味である︒之は種々に解せられるが︑先づ研究対象の同一物からは一一ッの学問ー﹁商業英語﹂と諸他の英語ーーーは成立しないという意味に解してみよう0若しそうだとすれば︑それは余り
に皮相的な立論と言はなければならない︒例えば﹁人間﹂という同一対象物は﹁心理学﹂のみ若しくは﹁生理学﹂
のみ成立させて他学の成立を阻止したであらうか0科学をして科学たらしめるものは︑その研究対象にあるのでは
ない
0研究方法と研究態度とが学問成立の根本條件である°而して﹃学問的方法は与えられた対象のもつ現実的性
G>
格と︑それに対する視角とから定められるものである﹄従つて英語という同一の対象に対して諸他の英語︵文学を
含めて一般英語︶と同様に﹁商業英語﹂なる学問の成立を期待することは決して変則的なものではないと思う︒
次に﹃英語は英語である﹄という意味を下段の﹃商取引にのみ特有な文章の結合はあり得ない﹄去々の文句と関
連せしめて解釈してみよう0果して論者の言う様に「商業英語」には言語形式—その体系化が文法ーに特有なもの
凡そ単語・成句を連結する語法︵文法︶は﹃一面に於て人間狸性の論理的性格に基礎づけられているのであるが
︵アリストテレスの範疇に於ける論理学と文法との不離の結合を想起せよ︶︑他面に於ては特定の言語集団の伝統
Jモ
ス
的・社会的規約に基礎づけられている︒それは希朧人的用語に従へば人間一般の本性と歴史的・社会的慣習とに支
(15) へられてゐる﹄と解せられる0商業英語に於て︑伝統的・社会的︵法律的・経済的︶規約に基づき制約された特定
の言語集団のあることは周知の事実である︒それは一般英語の研究対象とすべく余りに多大の質量である︒従つてそれら特定の言語集団に対して特定のー—ー「商業英語」のー~語法の存在を主張することは果して無理であらう
商業英語における
FI
GU
RA
TI
VE
EX
PR
ES
SI
ON
U . ていて︵冨山︶
六八
きるであらうか︒ み よう
︒
六九
更に言語形式の問顔から言語活動の問題ー文体論︵言語活動を機能的に考案する︶に転じて当面の課題を考えて
言語資材ー│意味発表伝達の手段だけを抽象的に考えたものIだけを考えると﹃英語は英語﹄に相違ない︒し
かし言語の性質はそれに盛きるものではない︒否︑真に言語の性質をきわめるには更に﹃特殊の話手が特殊の顔手
( 1 6 )
に対し特殊の場面において特殊の意味を発表伝達しようとする手段行動及びその結果︵的>事物を考える﹄必要が
ある︒即ち資材的立場と行動的立場との二つの立場から考究して始めて言語の真の研究が完成せられるのである︒
言語を県に意味伝達の存在としてのみ考えないで︑生きた歴史的社会存在として考える場合︑必然的に後者の立場
実際問題として︑商業生活の言語活動に特殊の当事者︑特殊の場面︵言語活動のはたらく批界︶︑特殊の意味を
発表伝達する手段行動及びその結果的事態が存在することは周く知られた事実である︒従ってそれらの生きた歴史
的・社会的現実に削した商業英語学︵仮称︶が存立しなければならないのは当然であると思う︒
あり乍ら各種の科学が成立したように﹁英語は英語﹂であっても︑商業英語の学問的成立を期待することは決して
空しき希求でもなければ︑それを企てることが無謀な企図でもないと思う︒
若し学問的幼若期に免れ維い混迷の故に︑その学問的生命を抹殺することを敢えてしたならば︑今日あるが如き諸
学の樹立を見ることは恐らくなかったであらう︒夫の政治学と経済学︑経済学と経営学との別離の歴史を顧み︑又現
( 1 7 )
に斯学確立のため遂次納めつ4ある研鑽の成果に想到する時︑尚且﹁商業英語﹂の科学的樹立を拒否する冒漬がで
商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON . ! , ; ! ていて︵冨山︶
を無視することはできない︒
﹁人間は人間﹂で
( a ) ( b
>
( C )
通信文のみ
購演のみ
通信文と購演を併せ行うもの
註
( 1 )
﹃明 治時 代で は多 .. ., . Co mm er ci al En g l is h
其の後米国式の
B us i n es s E ng l i sh
が多く用いられ︑共に商業英語と訳され
ている﹄︵中村賢二郎教授﹁商業英語か貿易英語か﹂
1
日本商業英語学会々報第二号︶またこの名辞は諸他の釈語と同様 に︑日本的特種語になっているとも考えられる︒
e2 )
及び
( 3 )
Ge ne ra l w or
d (総称語︶とは同類の事物を総括的に首表した名辞である︒それに包癖される特殊の事物を総
括して
S沼
c i f i c wo rd
C特殊語︶と称する︒両者の関係は宛も類概念に対する種概念に相当する︒しかしこの関係は網対
的固定的なものではなく相対的なものである︒例えば木という言葉は植物に対しては特殊語であるが櫻に対しては総称語
である︒
( 4 )
︵イ>我国の大学︵短期大学を含む︶に於て﹁商業英語﹂が如何様に教授されているか︑その実態調査が日本商業英語 学会で行はれ︑その結果が同会報第二号に発表された︒この報告はこの種調査に乏しい我国では頗る貴重な要料であっ て︑之が調査に専任された紳戸市外国語大学の安達教授の御労苦に対し深甚の謝意を捧ぐる次第である
0今その賓料の一
部を拝借して当面の問題に賽すれば次のようになる︒
教授内容及び方法︵回答のあった学校一︱︱
‑ l一 校 内 容
( 1 )
方法もその例外ではあり得ない︒
内短大一0
校︶
四年制大学
校四
︱ ︱
︱
四
短 ニ ー 一
校 大
反覆重言を容されるならば︑学的性格を確立するには︑認識は歴史性・社会性に條件づけられる現実性を越えてー│.
超えてとはそれと遊離することでなく︑それに即して然もその特殊性のうちに本質的なものを把握してーー'普遍性
︵批界性︶を明白にしなければならない0商業上の生きた言語生活を対象とする﹁商業英語﹂の科学性を探究する
商業英語における
FI GU RA TI VE EX PR ES SI ON
にていて︵冨山︶
七〇
商業英語における
FI
GU
RA
TI
VE
EX
PR
ES
SI
ON
. I . !
ついて︵冨山︶
1•
L e t t e r s
2.
Me mo ra nd um s
3.
R e p or t s
七
( d )
通 信 文
︑ 商 業 害 類
︑ 市 況 報 告 の 研 究 を 併 せ 行 う も の 四
︱
︱
︱
( e )
︵d
)の
外 広 告 文 の 研 究 を 併 せ 行 う も の 三
︱
︱
( f )
︵d
)の
外 に 講 読 を 併 せ 行 う も の
︱
10
( g )
不 明
︱
︱
︱ 以上の数字から大多数の大学が︑通信文を﹁商業英語﹂の教授内容としていることが判明する︒
︵口︶英語を国語とする米国に於てすら右と類似の現象が見られる︒
つ ︒
r t h C a r o l i n a 州立大学の
A .
S h e l l y 教授がアメリカの南東部五州の大学六九校について商業英語教授の実怖を調査 したところ‑==一校がこの講座を設けており︑その講座の所属する学部は各校まちまちである︒その中一四校は英語学部 に 九 校 は 経 営 学 部 に 六 校 は S e c r e t a r
‑ i a l S ci e n ce 又は
S e t gr r i a l E d u ca t i on に
︑ 二 校 は 商 業 教 育 学 部 に そ れ ぞ れ 設 置 さ れている︒その講座名も商業英語と称するもの一九校︑商業書信
B us i n es s Co rr es po nd en ce と名づけるもの七校︑商業 通信 B us i n es s Co mm un ic at io n
1 11
校などさまざまである﹄︒﹁商業英語﹂と称しても語学本・位のところあり︑通信文︑報 告書の作成を教えるところあり︑或はそれに広告を加えるところなど各校各様である︒又奥える単位︑教授の質︵専攻部 門 に 就 て
︶ に 関 し て も 帰 一 す る と こ ろ が な い
︒ そ こ で S h e l l y 教授は﹃﹁商業英語﹂に必要な科学内容を確定すること及 び少くとも商業英語に興味を持つ教師を得ることに大いに努力する必要がある﹄と述べている
(A BW A BU LL ET IN
の中
よりー日本商業英語学会々報第
1号参照︶
( 5 )
︵イ︶米国の商業英語学会々長
G . R . An de rs on 教 授 は
︑ 日 本 商 業 英 語 学 会 に 宛 て た 書 翰
︵ 一 九 五 一 年 九 月 二
8十 附
︶ の 中 に
﹃B u s i n e s s Wr it E r g は 単 に 商 業 通 信 の み で な く
︑ 諸 種 の 報 告
︑ 広 告 文 案
︑ 商 業 雑 誌 え の 草 稿
︑ バ プ リ ッ ク リ )イションに或は諸他の講演向け草稿等をも包含する﹄と述べている︒
︵口︶米国の学会では実業界に実際使用している
B us i n es s Wr it in g の種類を次のように発表した︒
TY PE
S OF
WR IT IN G D ON E I N B US IN ES S
握甜採誨旦将:b,o FIGURATIVE EXRPESSION旦(¥;¥‑‑'(悼ヨ)
a. Executive reports to management b. Annual reports to stockholders and/or employees 4. Manuals and handbooks a. Orientation handbooks b. Company histories c. Information and/or instructions for employees d. Information and/or instructions for foremen, supervisors, ane excutives. e. Training manuals
5 . Magzmes a. For .employees b. For Supervisors and executives 6. Bulletins 7. Booklets a. Safety publications b. Incentive program c. Suggestion system d. Employee beneft program 8. Job descriptions 9. Forms a. Personnel b. Merit or peJJformance rating c. Job evaluation 10. Bulletin board displays 11. Training materials (other than manuals) 12. Tests ギ11