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行政法解釈権における裁判所と 行政機関の相克(2)

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(1)

行政法解釈権における裁判所と 行政機関の相克(2)

――ゴーサッチ最高裁判事のシェブロンへの立ち位置を 素材として――

富井 幸雄

Ⅰ はじめに―ゴーサッチ最高裁判事の就任

Ⅱ 敬譲型の確立―シェブロン  1 2 つのモデル

 2 シェブロン―スチーブンス法廷意見

 3 シェブロンとスチーブンス―コモンロー判事のオーソドクシー  4 シェブロンを巡るスチーブンスの立ち位置

 5 小括(以上 60 巻 2 号)

Ⅲ シェブロンと行政国家―規制法規解釈権の所在の問題(以下本号)

 1 スカリアとシェブロン―フォーマリズムとテクスチュアリズム  2 サンスティンとシェブロン―行政国家との整合性

 3 シェブロン敬譲型の射程

Ⅲ シェブロンと行政国家―規制法規解釈権の所在の問題

1 スカリアとシェブロン―フォーマリズムとテクスチュアリズム

(1)シェブロン支持

 アメリカ法務省は、シェブロンは行政機関の解釈の合理性審査という一般法 理を確立させたとしている。94)スカリアも同様に、95)行政機関の自らが管理する

94) Gary Lawson & Stephen Kam, Making Law Out of Nothing at All: The Origins of the Chevron Doctrine, 65 A

DMIN

. L. R

EV

. 1 (2013) .

95) スカリアはシェブロンを「ランドマーク」と評価する。Antonin Scalia, The Role

(2)

制定法の曖昧な文言の有権的(authoritative)解釈では、シェブロンの敬譲が 推定されるとする。96)もっとも、そのアプローチとしての制定法解釈では、シ ェブロン(スチーブンス)の手法とは必ずしも同じではない。

 スカリアはシェブロンの敬譲型は先例に沿ったものだという。議会の意思を たどって行政権の解釈を優先させる法と解されれば敬譲になるのであって、そ れは議会に敬譲するのにほかならない。97)行政機関には問題となっている当該 制定法の歴史や目的を熟知しているといった専門性(expertise)があるから、

敬譲は理論的に正当化されるとし、権力分立論を全面に出すものではない。98)

‘制定法の文言が曖昧’には

2

つの型がある。99)第 1 は、議会は特定の結果を意 図したけれども、それが何であるかは明らかでないときである。第 2 は、議会 は特定の意図も主題も持たず、行政機関に解決を委ねたときである。第 1 は本 質的に法問題であり、裁判所によって解決される。第 2 で裁判所に与えられた 法問題は、行政機関がその裁量の範囲内で行動したか、つまり制定法の曖昧さ

of the Judiciary in Deregulation, 55 A

NTITRUST

L.J. 191, 193-94 (1986) . スカリアは シェブロン判決当時、DC 控訴裁判所判事であったが、1986 年 9 月 26 日に最高裁判 事となる。控訴審判事時代には、自分の意見の中で 3 回しかシェブロンを引用しな か っ た。Thomas W. Merrill, The Story of Chevron: The Making of an Accidental Landmark, 66 A

DMIN

. L. R

EV

. 253, 279 (2014) . なおメリルは、シェブロン立法経緯 を斟酌する intentionalism(意図主義)であるけれども、その後スカリアの影響もあ

って textualism(文言主義)によって、制定法解釈に関する行政機関の責任を重視

する敬譲型であると評価している。Thomas W. Merrill, Textualism and the Future of the Chevron Doctrine, 72 W

ASH

. U. Q. 351 (1994) .

96) United States v. Mead Corp., 533 U.S. 218, 241 (2001) (Scalia, J., dissenting) . 97) Antonin Scalia, Judicial Deference to Administrative Interpretation of Law,

1989 D

UKE

L.J. 511, 513-14, 516. 「シェブロンの理論的正当化は、行政機関の判断に

敬譲した、シェブロン以前の判例の理論を正当化するのとなんら変わらない」。Id.

at 516.

98) Id. at 514-15. 行政法において、制定法解釈の伝統的な道具である文言でも立法 経緯によっても、解決されえない曖昧さがそのままにされるとき、曖昧さの解決は 政策判断を必要とするところ、それは裁判所でなく政治部門による。議会は政策判 断をオープンにしたが、これは行政によって応えられるべきものである。Id. at 515.

99) Id. at 516.

(3)

の解決が合理的であったかである。シェブロンはこの後者に該当するとした。

 スカリアは、シェブロンは、「行政の専門性(agency expertise)」や「提示 された問題の複雑かつ技術的性格」といった伝統的な基準を十分にわきまえて いると評価する。100)行政機関の制定法解釈が合理的であれば、司法は

hard look

での政策選択に対する実体審査はしない。101)曖昧な制定法の執行権の解釈は、

不合理でなければ違法とはしないのである。行政の専門性に属する実体的判断 や手続にも

hard look

をしないのは、事実と政策の問題は行政機関に信頼を置 くことからくる。102)

 ただし常に敬譲型になるのではない。刑法の解釈は行政権のそれに敬譲する いわれはない。103)他方、シェブロンが典型とした行政の規則制定(rulemaking)

では敬譲型が妥当する。「準立法的な規則制定に適用するとき、その意味がい

100) Id. at 521. 「司法の仕事は、問題がいかに微妙な均衡でありえようとも、日

正しい答えを見出すことにある」。Id. at 520.

101) Director, Office of Workers’ Compensation Programs v. Belcher Erectors, 770 F.2d 1226 (D.C. Cir. 1985) .

102) Antonin Scalia, Responsibilities of Federal Regulatory Agencies under Envi- ronmental Laws, 24 H

OUSTON

L. R

EV

. 97, 106-9 (1987) . 行政機関の、事実判断や政策 の能力や政治性からくる責任を考慮して、敬譲になるとする。APA での行政権の判 断に対する司法審査の制限を類的に分析したものとして、高橋正人「法律・事実・

裁量 ― アメリカにおける司法審査論の展開と課題(1) (2) (3)」法政研究 17 巻 2 号 50 頁、18 巻 3・4 号 107 頁、2012 年、20 巻 2 号 1 頁、2014 年、2015 年。Hard look については、後掲注(244)、参照。

103) Crandon v. United States, 110 S. Ct. 997 (1990) . 連邦政府に雇用されるために 民間会社(ボーイング社)が退職する社員に退職金を支払うのは、公務員が私人から 金銭を受け取るのを禁じた刑法に反すると訴えられたケースで、それは行政経験に 対する金銭の支払いを禁じたのであって、本件には適用されないと判示した(Ste-

vens, J., delivering)。スカリアはこれに賛同して、「存在する膨大な行政解釈 ― 法務

長官、OLC(法務顧問局)、政府倫理局のみならず、様々な機関の統括官や会計検査

官も含む数えきれない助言的意見 ― は、シェブロンの敬譲を受ける資格がなく(not

entitled)、…問題となっている法は刑法であり、それは行政機関ではなく裁判所に

よって管理されるのである」と断言する。Id. at 1011 (Scalia, J., concurring) . シェ

ブロンは刑法の解釈には及ばない。Shannon M. Grammel, Chevron Meets the Cate-

gorical Approach, 70 S

TAN

. L. R

EV

. 921, 933 (2018) .

(4)

かなるものであろうとも、政治的裁量といってもよいなんらかの要素を含んで いるのであって、それは裁判所が審査できるものではない。…行政機関は最善 に知悉しているからではなく、人民がそれを欲しているようにみえるのである から、規則制定で何らかの決定をなしうる」と明言する。104)

 裁判所が権力分立上、究極の制定法解釈権を有しているにもかかわらず、敬 譲型が正当化されるのは何ゆえか。一般に、①行政機関は当該規制法規の多様 な解釈や実務に精通している②予見できない複雑な規制に柔軟に対応しなけれ ばならない③現政権に結び付く政治的責務を負う④多様な裁判所に対し一元的 行政機関は法解釈の統一性を維持できる、といった理由が挙げられる。105)司法 が他の機関の憲法や制定法の解釈に敬譲することは理論上否定されているわけ ではなく、主に裁判所の能力に対して、議会や行政機関の専門技術的優位が認 められる。106)現代国家にあって、行政機関は新たな状況を斟酌しながら制定法 の具体的な意味を現実化させる役割を有するのであり、107)スカリアはシェブロ ンをこの観点から正当化している。

 シェブロンでスチーブンスは、敬譲は行政法の文言が曖昧であるとき、それ は議会がその意味を明確にすることを放棄し執行機関に委任したと解されるか ら、行政機関の第

1

次判断権が尊重されるとした。それは、議会の意思に忠実 足らんとする司法の正当な立場である。108)しかし、2点が疑問となる。第

1

に、

104) Antonin Scalia, Rulemaking as Politics, 34 A

DMIN

. L. R

EV

.

V

.

(1982)

.

105) R

ONALD

M. L

EVINAND

J

EFFREY

S. L

UBBERS

, A

DMINISTRATIVE

L

AWAND

P

ROCESSINA

N

UT

-

SHELL

81 (6

th

ed. 2017) . なお、マーシャル首席判事は、疑わしい(doubtful)制定法 には裁判所は行政機関の統一的な解釈(uniform construction)を尊重しなければなら ないとしている。United States v. Vowell, 9 U.S. (5 Cranch) 368, 370-371 (1809) . 106) Shapiro, supra note 26 at 695-708. 憲法判断の敬譲には民主的な議論を促進さ

せる意義があるとする。「敬譲的司法審査は教育的機能に仕え、立法府や人民が憲法 的責任のセンスを発展させる助けとなる」。Id. at 703.

107) Scalia, supra note 97 at 517-18. スカリアは、法解釈は政策的帰結を考慮する ことなしにはなされえないとしている。Id. at 515.

108) 「司法の行政機関の法解釈への敬譲は、単純に法制定権限を行政機関に委任する

1 つの手法である」。Monaghan, supra note 18 at 26. 敬譲は広範な立法権能を裁量

(5)

文言が多義的であることが行政機関の

1

次判断権の尊重になるのか、多義的で あるとはどういうことでどのようにそう判断するのか。スチーブンスはこのと きでも裁判所の解釈権はゼロになるのではなく、合理的である場合に敬譲にな るとしている。第

2

に、ステップ 2 では裁判所の審査は謙抑的なものとなろう が、そこでの合理性の審査とはどのようなものなのか。

 第

1

について、制定法の簡潔な意味(plain meaning)を無視する行政機関の 解釈が否定されるのはいうまでもない。アメリカ市民の雇用の平等が海外にも 及ぶとした平等雇用委員会(EEOC)の規則制定に敬譲を認めた判例で、スカリ アは次のように述べている。行政機関たる「EEOCは、問題となっている特定 の点に敬譲を受ける権利がある。しかし敬譲は放棄(abdication)ではなく、裁 判所が普通に用いる解釈原理に照らして合理的である行政機関の解釈のみ受け 入れることをわれわれに要求している。本法廷が厳密に述べた領域外適用に反 する前提と、これをうちまかすには「明白な表現(clearly expressed)」の意思 が必要だとすれば、違法にも

EEOC

がなしたような文言から単なる黙示の効 力を認めるのは合理的ではない」。109)しかし、黙示的委任と解する基準は不明 である。110)

 行政機関の曖昧な制定法の解釈が合理的かを判断する基準もみえない。スカ

として行政機関に委任する議会の現代的権能にほかならないとする。Id. at 7.

109) EEOC v. Arabian Am. Oil CO., 111 S. Ct. 1227, 1237 (1991) (Scalia, J., concurring) . 連邦証拠規則(Federal Rule of Evidence)の条文の解釈が問題となった事件で、文 言通り解釈すると不合理な(absurd)帰結を生むとして法廷意見(スチーブンス)

が立法経緯を参照したのに対し、スカリアは、「われわれは本件では文言通り解釈さ れるとばかげた(absurd)、そしておそらく違憲となる結果をもたらす制定法に直面 している」として(id. at 527)、文言解釈で不合理な結果になる認識は共有するも、

立法経緯を参照するのに難色を示した。

110) シェブロン直後に K

en Starr

判事はそう指摘したうえで、黙示的委任は、「定義

されていない制定法の文言(本件では「極限的困難(extreme hardship)」)が執行機

関の行動の指針となる機能的な基準を構成し、そしてそうした基準がほぼ法制定の

裁量の射程が当然に補完されているような固有の不明確さ(inherent imprecision)の

1 つである場合には認められる」としている。American Federation of Labor & Con-

gress of Industrial Organizations v. Donovan, 757 F.2d 330, 341 n.7 (D.C. Cir. 1985) .

(6)

リアは、先に見た

INS

のケースで、「明確に表現された(clearly expressed)議 会の意思に符合しない」解釈は不合理だとしている。111)別の判例では、「敬譲は、

関係する文言が慎重に考察されて 1 つの合理的解釈を生むことができる場合に 適切なのであって、唯一の可能な解釈だけを識別するのにめんどうな審査をし なければならない場合にではない。シェブロンは、制定法の多義性はそれを履 行する責めのある行政機関によって解決されるべきと認識したのであり、制定 法の解釈が困難であるとき、われわれ(司法―筆者)が(その解釈を―筆者)放 棄し規制行政機関にわれわれのためにそれをなすようにさせるとの宣言ではな い」。112)なお、曖昧な制定法を解釈した執行機関自身の規則は、「簡潔明瞭に誤 りであるとか規則と一致していないとかでな」ければ、有権性が与えられると している。113)行政機関の自らの規則の解釈には強固な敬譲が認められるという ことである(Auer型敬譲)。

 スカリアはステップ

1

のテストには否定的である。国税の査定における赤字 の評価に関して制定法を解釈した国税庁(IRS)の規則について、制定法の文言 が同じだから先の最高裁判例が適用されるとした判決に同調した意見で、ステ ップ

1

は「シェブロン分析の本質的な部分では決してない。ある特定の制定法 が曖昧であるかどうかは、行政機関の採択した解釈が明らかに合理的であるの

111) Cardoza Fonseca, 480 U.S., at 2539 (Scalia, J., concurring) .

112) Pauley v. Beth Energy Mine Inc., 111 S. Ct. 2524, at 2539 (Scalia, J., dissenting)

(1991) .

113) Auer v. Robbins, 519 U.S. 453, 461 (1996) (Scalia, J., delivering) (unanimous) . セ ントルイスの警察官には超過勤務手当の受給資格はないと連邦法(Fair Labor Stan- dards Act)を解釈した行政規則は連邦法の解釈を誤っていると訴えた事件で、シェ ブロンが適用されるとして、合理性の審査をしたうえで敬譲を認めた。Auer は行政 機関が自身の行政規則の解釈をしたとき、司法は敬譲型をとることを明示した判例 である。かかる敬譲は一貫して認められているといえる。Bowles v. Seminole Rock

& Sand Co., 325 U.S. 410 (1945) . 行政機関が自身の規則を解釈したものは、「それが

はっきりと誤りであるとか、規則に符合しないとかでない限り、支配的な重み(con-

trolling weight)がある」。Id. at 414. See also, L

INDA

D. J

ELLUM

, T

HE

L

EGISLATIVE

P

ROCESS

,

S

TATUTORY

I

NTERPRETATION

,

AND

A

DMINISTRATIVE

A

GENCIES

39-662 (2016) .

(7)

となんら変わらない。そうした探索をするのは時間の無駄だ。行政機関の解釈 が明らかに認識できる曖昧さの範囲を超えているときも同様である。「黄色」

という語を行政機関が紫と解釈したとき、曖昧かどうかは重要でない」として いる。114)ステップ

1

には、「最善の解釈」、「許容できる解釈の範囲内にある許 容できる(permissible)解釈」、「それら以外」、の

3

種からなる「曖昧さのゾ ーン」があり、これは制定法が明白には禁じていない解釈であるから、裁判所 が好む解釈ではなくてもシェブロンの敬譲によって行政機関のそれを是認しな ければならないし、このゾーンをこえれば否定するとした。115)

(2)文言主義(textualism)

 スカリアはステップ 2 のアプローチを全面的に支持する一方、ステップ 1 で の文言の曖昧さの判断に文言以外の立法経緯を探るのは否定する。「法典の文 言の意味は大きめの一握りの議員によって意味が示されたはずだ、ではなく、

…①コンテキストと通常の用法に最も適合して②その条項が統合されるべき周 辺の法の総体に最も両立するとの根拠で決定されなければならない」という。116)

そして、立法経緯その他の外部的な(extrinsic)コンテキストは無視する。117)

114) United States v. Home Concrete & Supply, LLC., 566 U.S. 478, 493 (2012) (Scalia, J., concurring) . See also, Mathew C. Stepehnson & Adrian Vermeule, Chevron has Only One Step, 95 V

A

. L. R

EV

. 597, 600-601 (2009) .

115) Id. at 601. See also, Nicholas R. Bednar, The Clear Statement Chevron Canon, 66 D

E

P

AUL

L. R

EV

. 819, 825-826 (2017) . Bednar は、シェブロンは連邦政府内の政策 形成権限のヒエラルキーを決定し保護するフォーミュラだとする。 Id. at 872.

116) Green v. Bock Laundry Mach. Co., 490 U.S. 504, 528(1989) (Scalia, J., concur- ring) .

117) 「議会はその指令を議会制定法典(Statutes at Large)で伝えているのであって、

議会記録(Congressional Record)から抽出されるものではない」。Begier v. IRS, 496

U.S. 53, 68 (1990) (Scalia, J., concurring) . 「われわれは、法に支配されているのであ

って、立法者の意思によってではない。…法はそれが制定されたままのものが両院

の多数者意思であり、その意思が語られたモードのみが立法そのものにある」。Con-

roy v. Aniskoff, 507 U.S. 511, 519 (1993) (Scalia, J., concurring in judgment) (quoting

Aldridge v. Williams, 44 U.S. (3 How.) 9, 24 (1845)) . また立法経緯など「伝統的な制

(8)

 スカリアは文言主義(new textualismともいわれる)に立ち、制定法解釈に は法の文言にのみ着目し、それが制定されたときの意味と辞書的な慣用の意味 でそれを解し、118)その他の、法の読み手が一般には目にしない立法経緯は解釈 の資料にしない。119)「下院議員と上院議員が表決で思ったこと、そして大統領 が法案に署名するときに承認したことは、テキストが明白に語ったことであ る」。120)もっとも、制定法解釈がその法の意味を探ることである以上、法の意 図を読むことに変わりはない。ただ法文以外の資料は基とせず、いわば法の意

定法解釈のツール」を使用しても、曖昧だとか曖昧でないとかの異なった結論が判 事間で導き出されるとする。Scalia, supra note 97 at 521. See also, Brett M. Kava- naugh, Fixing Statutory Interpretation, 129 H

ARV

. L. R

EV

. 2118, 2149-50(2016) . 

K

avanaugh

は、制定法が曖昧かクリアーかを判事が判断するのは困難で主観におぼ

れる要素を秘めているとし、判事の役割は制定法が曖昧かどうかを判断することで はなく、制定法を最善に解釈することだとする。Id. at 2144.

118) textualism は、辞書は法作成者が意識した意味の歴史的実証として依拠される

けれども、それ以上でも以下でもないとするものである。John F. Manning, Textual- ism and the Equity of the Statute, 101 C

OLUM

. L. R

EV

. 1, 109 (2001) .

119) 立法経緯は議事録で、委員会報告なども含まれる。Jackson 最高裁判事は、法

文のみでなく立法経緯からも、問題となっている連邦法(Miller-Tydings Act)が再 販売の最低価格を設ける契約を免除していると解されるとした法廷意見に対して、

結論は賛成するも以下のように立法経緯まで触れる必要はないとした。Schwegman Bros. v. Calvert Corp., 341 U.S. 384, 395-397 (1950) (Jackson, J., concurring) . 第 1 に、

法案の承認を得る大統領の署名の手続に付されるのは法文のみである。第 2 に、「法 は今生きている人民全てを客体としており、そうした法の下で自分らの権利が何た るかを学ぶために法律事務所に行く人民なのである」から、そうした人々は立法経 緯はおおよそ目にできない。裁判官の職務はすでにホームズ判事が明確に述べてい る。「われわれは立法者が何を意図したかを詮索するものではない。制定法が何を意 味するのかのみを尋ねることなのだ」(We do not inquire what the legislature meant;

we only ask what the statute meant)。スカリアは、議会は 1 つの委員会に立法を委 ねることはできないから、立法経緯は立法ではないことを確認する。S

CALIA

, supra note 3 at 35.

120) United States v. Taylor, 487 U.S. 326, 345 (1988) (Scalia, J., concurring) . 多数の議

員は法案の表決で制定経緯の細部には関心を持たない。立法の趣旨はそれを形成す

る議員の真正の理解(genuine knowledge)でなければならず、それは委員会報告の

前提にはなるけれども、表決の基になるものではない。S

CALIA

, supra note 3 at 34-

35.

(9)

図は法文の中に表現されているとみるのである。したがって法の文言のみでは なく、コンテキストも資料とする。スカリアは、われわれが探すのは主観的で はなく客観化された(objectified)意図であり、法文から集積される合理的な 人の意図なのであるという。121)銃の使用(use)に関する刑事法の解釈で、「制 定法解釈の(そしてまさに文言そのもの)根本原理は、文言の意味は単独で決 定されるのではなく、それが用いられているコンテキストから導出されなけれ ばならない」としている。122)マニングがいう「合理的なユーザーの見方(rea-

sonable-user approach)」 で あ り、 ス カ リ ア も Moskal v. United States(498

U.S. 103, 121

(1990))で、「議会が法の伝統と何世紀にもわたる慣用の意味の

集積である術語(terms of art)を借用する場合には、議会はその語が取り上 げられた理解の体系の中でその借用された語につけられた一群の考えと、別に 指示されていなければその語の用法が司法のマインドに伝える意味をあらかじ め知っていて採択するのである」としており、文言主義者は法制度で受容され た手続と明白なルールと説得と防御の責任に従って制定法を解釈するとする。123)

スカリアは語意を文字通りに解することで説得力を欠く不合理な結果を招く場 合に限定しながらも、語の原意を曲げることを認めていないわけではなく、ま

121) Id. at 17. 「それは支配する法なのであって、立法者(lawgiver)の意図ではな い」。Id.

122) Smith v. United States, 508 U.S. 223, 241 (1993) (Scalia, J., dissenting) . 被告は、

この制定法の「使用」は道具にする目的で使用すること、つまり特定の武器として 使用することを意味するのであって、その意味では「使用」していないと主張した。

Id. at 242. 法廷意見は、麻薬売買人の被告人がコカインとの交換として銃を使用し たことが、連邦法の「銃器の使用」にあたるとした。スカリアは、「使用」は法文上 特別な定義がなく、またテクニカルな語でなければ、通常の意味(ordinary mean- ing)で理解すべきであり、本件ではこれらに当たらないから、本件連邦法での「使 用」は武器としての使用を意味すると解すべきとした。新法の曖昧さは以前に制定 された法と共存するようなやりかたで解決されるべきであり、意思を探るというこ とはその法の制定者がこうした他の法すべてを知っていることが前提となる。S

CAL

-

IA

, supra note 3 at 23-24.

123) Manning, supra note 118 at 112-114. Textualism である E

イ ー ス タ ー ブ ル ッ ク

asterbrook の言質を引

用している。

(10)

た、canonも法伝統の中で立法者が当然わきまえていて制定しているものとし て、否定しない。ただし、それらはあくまで法文の予定するところと解するの である(文言主義は貫かれる)。124)これは最高裁の基本的立場と異なるとはい えまい。125)スカリアはこてこての文言主義からはやや離れるように思われ、コ ンテキストを考量する公平読解(fair reading)を提唱している。ただし、立法 の目的はあくまでその立法の条文からのみ導出されるとする。126)

 文言主義は最高裁のシェブロン適用でも対立する。Zuni学校区事件では、

124) スカリアの制定法解釈= textualism の要諦は次のごとくである。S

CALIA

, supra note 3 at 3-37. 制定法の文言を主として制定法全体から、そしてその語の通常の用 法に従って解釈する。裁判官は明白な意味(plain meaning)が読み取れれば、その 他の資料、立法目的、行政解釈、実体的な憲法的 canon を尋ねてはいけない。ただ し明白な意味に従うと不適な(absurd)帰結をもたらすときはその限りではない。こ

れは canon である。明白な意味がないときでも立法経緯に当たってはいけない。も

っとも、expressio unius est exclusion alterius(1 つの明文化は他の解釈を排する)

などの canon は否定しない。Id. at 25. canon は学問的には制定法解釈での恣意的

な指針とも記されるが、スカリアなどの新文言主義はこれを肯定する。Eskridge, supra note 82 at 663. スカリアは、canon はツールとして認めるも、注意を促してい る。法文の曖昧さには多義的(ambiguity)と広範性(vagueness)の 2 種がある。

前者は通常立法者の不注意で意図のないものであるの対し、vagueness は合理的時 間とか最善の努力とか平等保護といった広範な文言のように意図的で、予見できな い状況をカバーできるようにしているとし、canon は前者に使用されても後者に使 用されない、またはその逆もあるとする。A

NTONIN

S

CALIAAND

B

RYAN

A. G

ARNER

, R

EAD

-

ING

L

AW

: T

HE

I

NTERPRETATIONOF

L

EGAL

T

EXTS

32-33 (2012) .

125) 制定法解釈の指導的判例である Holy Trinity 事件では、法規定の国語的意味に

従うのを拒否し立法経緯を参照している。立法経緯「は、立法者の意思を判事の意 思にとって替えるのではない。一般的な意味を持つ用語が制定法に使用されるのは よくあることで、文言というものは争点となっている行為を十分含みうるほど広範 なのである。そして、制定法全体、あるいはその制定をめぐる、あるいは用語にか くも広範な意味を与えることから帰結されるばかげた結論の状況を考慮すると、立 法者がこの特定の行為を含むのを意図したと信じるのは不合理になる」。Holy Trinity Church v. United States, 143 U.S. 457, 459 (1892) (Brewer, J., delivering) .

126) S

CALIAAND

G

ARNER

, supra note 124 at 33-34. この点、合目的的主義者(purposiv-

ist)は、法にまつわる道具(legal instruments)が完全な意味を形成させていると批判

する。Id. at 39.

(11)

州の平等支出(equalized expenditure)公立学校補助金プログラムについて、

連邦法が州内の学校区の間で学生数の格差(disparity inter-pupil)の計算方法 を規定しているところ、上位

95%

と下位 5%は無視してよいと解釈して文部 長官がこれを実行してきたことに対して、ニューメキシコ州の

Zuni

学校区ら がこの文部省の解釈を違法として争った事件で、シェブロンを適用して敬譲を 認め、文部省の解釈を支持した(ブライヤー法廷意見、スチーブンス、ケネデ ィ、アリトー同調)。127)制定法の文言が曖昧なのでシェブロンを適用するけれ ども、法廷意見は法規定の背景や基本目的を検証したうえで、平等の計算方法 は技術的であるから長官に委ねたのであり、それは立法経緯と立法目的から明 らかだとした。もちろんプレーンミーニングの検討も欠かさない。「議会の意 思が問題となっている制定法の文言で一義的明確に表明されているなら、われ われの分析はそれで終わる」。計算方法は生徒割支出(per-pupil expenditure)

であって、長官は生徒割で様々な人口(学生、地区、学校、グレードのレベ ル)を採用して計算してきたが、それらはこの文言の枠を超えていない。「制 定法の文字通りの言語は、これらの方法全てまたはいくらかを伝えている

(convey)」のである。では長官によってこれまで裁量的に創出されてきた計 算方法が、その制定法の合理的解釈といえるか。「制定法の許容できる執行

(permissible implementation)」であって異論なしとする。スチーブンスも、本 件はシェブロンが全うに適用されるとして、立法経緯が制定法解釈の伝統的ツ ールであることを確認し、とりわけ、「立法経緯が全く明瞭で(pellucidly clear)

制定法の文言が探求困難であるところでは」そうだとする。

 これに対してスカリア(ロバーツ、トーマス、スーター(一部)同調)は、制 定法の基本(Statutory Interpretation 101)に立ち返るべきとして、プレーンミ ーニングはあきらかに長官の格差是正システムの学校補助金制度の決定の方法 に長官の嗜好を禁じたとし、長官の計算方法(立法を解釈したもの)は

ultra

vires

(越権)であるとする。「われわれはいつもそうであるように、文言から始

127) Zuni Public School District v. Department of Education, 550 U.S. 81 (2007) .

(12)

めなければならない」。立法の文言だけが議会両院の意思である。「立法経緯は 法が意図した「完全に明瞭な」絵を生み出すことは決してできない。そのわけ は単純で、大統領と両院で構成される、意思を示す(intending)立法組織体

(law-giving entity)によって、それは決して表決されたわけではないし、もし くは通常、見たり聞いたりされたものでもないからだ」。スチーブンスに言及 して、「議会が意図したことの唯一確かな指示は議会が制定したもの(what

Congress enacted)なのだ」と言い放つ。

128)

 スカリアには、裁判官が法の曖昧な部分を自身の哲学で埋めるアカデミズム の主流に対しての不信がある。それは人の政府であって法の支配ではないとし ていると皮肉り、裁判官に法の間隙を埋める自由な裁量を認めていると批判す る。129)スカリアは、フランクファーター、そしてホームズの、司法の禁欲的伝 統を継承するのである。130)この立場からシェブロンの意味を限定し、司法は行 政法の文言が曖昧であるとき行政機関がこれを解釈したことに敬譲し、合理的 である限り踏み込まないと説く。スカリアは、曖昧な法の解釈は論理ではなく 政治的政策的問題であり、司法の致すところではないとし、法の趣旨と権力分 立を満たすべく、文言主義に立って行政機関のそうした解釈を立憲統治システ

128) Id. at 122 (Scalia, J., dissenting) . スカリアは、スチーブンスのプレーンミーニン グアプローチと法文と原意主義に則った判断については、称賛している。S

CALIAAND

G

ARNER

, supra note 124 at 46.

129) Id. at 26. Martin M. Shapiro の以下の言を引く。「裁判所と判事は常に嘘をつく。

嘘をつくことは司法活動の性質なのだ」。Id. n.86.

130) フランクファーターの、「おそらく最高裁に陪席したことのある誰も、自身に自 らの社会経済的見解を憲法の指令に翻訳させようと強いる感情的なコミットメント から、その気質と自制でより自由であったことはない」との言を見る。Id. at 26. 

また、ホームズの既述の言(前掲注(119))も引いている。Id. at 29. フランクファ ーターは制定法の目的(立法者の意思ではない)を探るのが法解釈だとし、そのツ ールは文言に尽きるとする。 Felix Frankfurter, Some Reflections on the Reading of Statutes, 47 C

OLUM

. L. R

EV

. 527, 546 (1947) . 「民主主義においては、立法の impulse

(衝動)とその表現は、立法するように人民から選ばれ、政策を工夫するように装備

された人から発するものであり、裁判所はそうでない」。Id. at 545.

(13)

ムでの重要な裁量的慣行とみるのである。131)

2 サンスティンとシェブロン―行政国家との整合性

 スカリアとは対照的に、サンスティンは、132)制定法解釈はその制定法の背景 の規範(background norms)の適用を内包するから、裁判官は可能な限りそ うした規範を考慮しなければならないとする。彼によれば、行政法が一つの撞 着語法(an oxymoron)であるかどうかについては、行政法の歴史的展開の中 で 3 つの立場がある。「第 1 は、法と行政を広く競合しないものとして扱う。

第 2 は、行政の専制に対する防護(bulwark)として伝統的な法的統制をみる。

第 3 は、こうした伝統的な統制は、行政国家の価値と機能、そして欠陥に対し てなされなければならないことを示唆する」。133)シェブロンは第

1

を再生させ

131) B

RISBIN

, supra note 4 at 111. アメリカにおける文言主義と立法意思主義(inten- tionalism)を詳細に検討したものとして、福永実「アメリカにおける制定法解釈と 立 法 資 料(1)~(7)」 広 島 法 学 38 巻 3 号 142 頁、39 巻 1 号 214 頁、2 号 272 頁、

2015 年、40 巻 2 号 228 頁、2016 年、3 号 348 頁、4 号 188 頁、41 巻 1 号 298 頁、

2017 年。シェブロンはわが国でも研究が多くなされているけれども、本稿に関連す るものとして、筑紫圭一「アメリカ合衆国における行政解釈に対する敬譲型司法審 査(上)(下)」上智法学論集 46 巻 1 号 113 頁、2 号 39 頁、2004 年、紙野健二「ア メリカにおける規制緩和と司法審査の転換」室井力還暦『現代行政法の理論』(法律 文化社、1991 年)3 頁、日野田浩行「政治部門の責任と司法審査」手島孝還暦記念

『公法学の開拓線』(法律文化社、1993 年)125 頁、参照。なお、現最高裁判事

Kagan は、スカリアの影響を受けてロバートコートの最高裁は文言主義が基本であ

るのを認めている。The Scalia Lecture : A Dialogue with Justice Elena Kagan on the Reading of Statutes, Nov. 25, 2015. https://www.youtube.com/watch?v=dpEtszFT0Tg  https://today.law.harvard.edu/in-scalia-lecture-kagan-discusses-statutory-interpreta- tion/

132) See, e.g., Cass R. Sunstein, Interpreting Statutes in the Regulatory State, 103 H

ARV

. L. R

EV

. 405 (1989) . アメリカ憲法の構造では、議会と大統領が立法の責任と権

能を共有するのであって、裁判所ではないとの視点を基本にする。Id. at 415. See

also, C

ASS

R. S

UNSTEIN

, A

FTERTHE

R

IGHTS

R

EVOLUTION

: R

ECONCEIVINGTHE

R

EGULATORY

S

TATE

(1990) . Hereinafter cite as RIGHTS REVOLUTION.

133) Cass R. Sunstein, Law and Administrative State after Chevron, 90 C

OLUM

. L.

(14)

たとする。シェブロンとは、制定法の曖昧さに直面した時、行政機関のなした 解釈は合理的(reasonable)であるかぎり支配するという法理である(2074)。

それは、「曖昧な制定法を解釈するのに信頼が誰に置かれているかについて、

またさほど明確ではないが、法解釈とは実際には何なのかについての考え方の 一群(cluster)」を定義するのに、きわめて重要であるととらえる(2075)。解 釈権の配分は込み入った法理で、裁判所はいつ行政機関の解釈に敬譲しなけれ ばならないかにはアドホックに理論を展開していたのを、シェブロンは完全に 変えてしまった(2082)。シェブロンは立法の意思を無視しており、憲法の権 力分立原理に符合しないと、批判的である。

 サンスティンは、そもそも、シェブロンが示す敬譲型に議会の明白な意思が 存在しているのかを疑う。行政機関の解釈の司法審査では、彼の理論はAPA の司法審査規定(5 U. S. C. §706)の立法経緯を考慮する点で、先にみたファ リーナの独立判断型に列する。制定法の曖昧さは行政機関によって解決される べきと判示することで、法律問題を解決できる場合はあろう。「これでは、法 律問題の解答の部分の曖昧の解消は行政機関に留保せられているということに なる。しかし、議会が作用法(organic statute)で特別にそうした権能を与え ていないときには、そうした議論は弱い。この規定の立法経緯は行政権の司法 的統制の必要性を強調している」と主張する(2081 n.46, 2086)。APAは文 言から、明白な議会の判断がなくとも裁判所に重要な役割を求めており、その 制定者はインフォーマル・ルールメイキングには独立判断型を志向したという

(2086)。134)敬譲型を志向する議会の意思を示す「証拠(evidence)」があれば ともかく、そうでなければ、「立法府の関心は行政機関の決定に対して裁判所 があまりにも多く敬譲していることに」あり、「証拠は、議会自身がシェブロ ンの規準にほとんど満足していないことを示唆している」とする。135)

R

EV

. 2071, 2072 (1990) . 以下本節では引用頁を本文の括弧内に示す。

134) See also, Cass R. Sunstein, Factions, Self-interest, and the APA: Four Lessons since 1946, 72 V

A

. L. R

EV

. 271, 289 (1986) .

135) Id. at 289-290. 

(15)

 サンスティンは、シェブロンの敬譲型を根拠づける議会の意思が見出されな い以上、シェブロンは制定法解釈を誤っているという。「生じた問題点はきわ めて一般的である。すなわち、たとえ議会がある特定の問題を明白には扱って いなくとも、制定法の文言は指針(guidance)を供給する。行政機関の決定は、

制定法があらかじめ禁じている(foreclose)価値判断―たとえば、ある要因を無 視したり、他のものを過度に軽視したりすること―に基づいているときには、

違法となろう。制定法の解釈は立法の明白な(explicit)決定を探求するプロセ スであって、そうした探求が無駄であるなら実行しうる束縛は消えてしまうと いう考え方は、根拠のない解釈プロセスの理解に基づいている」。136)

 かくして、シェブロンの敬譲型は、権力分立システムにおける裁判所および 行政機関の位置付けに反するとする。137)まず、行政の行為への制定法の指針は 曖昧であり、議会は行政機関の制定法の執行過程にさほど統制のメスを入れる ことができないでいるとして、次のように論じる。138)かかる「ままならない

(uneasy)」行政機関の位置付けは、議会の意図するところによって裁判所によ る厳格な監視(supervision)を要請する。行政機関の意思決定過程の正当性を 討議的な属性にみる一方で、これには行政機関がある特定の利益団体の意見の みを汲み上げて一定の私益のみの具現化をはかる危険性があるから、政治的責 任から分離した司法権が、こうした制定法違反を含む危険性に対する防護にな りうる。こうした考えを議会は共有しているから、シェブロンは裁判所のそう した積極的な役割を評価している議会の意図に反することになろう。139)シェブ ロンは、「すべての曖昧さを委任として扱う大きな誤り」をおかしているとい う(2090)。

 サンスティンは、規制法解釈では議会の明白な意思を基軸に据えるのである から、曖昧さそれ自体は法解釈権の委任とみるべきではなく、曖昧さ全てをか

136) Id. at 290-91.

137) RIGHTS REVOLUTION at 143.

138) Sunstein, supra note 134 at 291.

139) Id. at 291-92.

(16)

かる委任としてしまうのは問題だとする。140)議会が規制法規を制定するのは大 概、行政機関への不信に基づく。141)もっとも、このようにシェブロンの制定法 解釈原理や権力分立の理解は疑問視するが、シェブロンの行政法への影響は大 きいから、142)シェブロンの法理について合理的で明確なルール作りによりその 精確を期すべきであるとしている(2091)。

 サンスティンはシェブロンの敬譲型を、行政機関が事実認定や政策形成の専 門家として良いポジションにある領域に限定する(2117)。敬譲型をとるか否 かは、シェブロン以前は「困惑した、相対的でアドホック」であったところ、

シェブロンはこれを完全に変えてしまった(2082)。そして、シェブロンのい う合理的な解釈というものは、制定法を最良の政治家の最大限の能力の業とし、

140) サンスティンはいう。シェブロンは「曖昧さを法制定権の委任に匹敵するもの として扱っている。この2つは全く異なる。議会がそうした委任について規定を設 けなかったときには、法的問題は裁判所に属する。より根本的には、シェブロンは 憲法のバックグラウンドに符合しない。アメリカ立憲主義の原則というものは、法 によって制約を受けた者にはそうした制約の意味について決定を下す権限は与えら れないということなのである。・・・・シェブロンは、行政機関の権限を制限しコン トロールする法律を解釈するのを行政機関に許容することで、この原則を無視する。

独立した判定者としての司法は、行政機関のぎこちない憲法上の位置付けにはなく てはならないのである」。RIGHTS REVOLUTION at 224. See also, Sunstein, supra note 133 at 2090.

141) RIGHTS REVOLUTION at 143.

142) サンスティンは、シェブロンで制定法解釈の問題が全て解決したことにはなら ず、いかなる場合に制定法が曖昧であると判断するのか、さらに裁判所が独立判断 型を取り得るのはいかなる場合かというような問題は残っているとする一方で、「敬 譲の準則は、全ての争いのある事例を行政的に解決する規制行政機関に移送するも のであるから、重要な帰結をもたらすことになろう。この準則はかなり訴えかける ものがある。シェブロンのアプローチは、行政機関がその専門性を複雑な規制の問 題に適合し得るようにするものになろう。すなわち、法律の荒削りの部分を取り除 き、規制の過程で協調と一致を可能にし、時代遅れ(obsolescence)に対応し、そし て様々な行政の視点を斟酌する責任を促進するのである。このアプローチは議会が 法解釈権を行政機関に委任したとき、あるいは法と事実の問題が混合した場合のよ うに行政機関の事実認定と政策形成の権能が問題になっているとき、特に望ましい」

と述べている。RIGHTS REVOLUTION at 142.

(17)

「規制国家の機能と欠点を扱う適切な制定法の背景となっている規範を斟酌す るもの」と定義する(2087)。

 彼は、制定法の解釈を考えるときの重要な規準としてシェブロンが典型的に 確立させた敬譲型を論難する (2087)一方で、143)それが価値のあるものとされ ても、それで全ての争いのある制定法解釈の問題が解決されることはないであ ろうという(2087)。「曖昧さということがそれ自体法解釈権の委任にはなら ないし、そもそも曖昧さの全てが委任であるとして扱うことに大きな誤り

(major error)がある」と、シェブロンに注意を喚起している(2090)。144)

 かくして、サンスティンはシェブロンの適用を以下の

5

点で狭めていこうと する。第 1 に、「議会が行政機関に法解釈権を付与していなければ、シェブロ ンは適用されない」(2119)。シェブロンは、議会のこうした明示の意思を要 することなく、文言の曖昧さが認められれば行政機関の解釈への敬譲がなされ るとしたものである。行政機関が規制法規を執行する責を負い、かかる法執行 としての規則制定が規制法規によって授権されることは、解釈権の承認を内包 するとみるのである。その意味で、「敬譲の原則は法律を解釈する権限を認め られなかった行政機関による解釈には拡大されない」というのであろう。145)

143) See also, Sunstein, supra note 37 at 445.

144) 「いくつかの理由から、・・・全ての行政機関の法律解釈に司法が敬譲するとい う一般的な準則は説得力がないようだ。敬譲の事例は議会の指示に基づく。議会が 裁判所に行政機関の解釈に敬譲するように言ったなら、裁判所はそうしなければな らない。しかし、多くの規制法規は行政機関の裁量に対する立法府の不信から生じ たものであった。規制法規は、明確な立法による特定化を通じて行政権の権限を制 限する努力を表している。・・・行政官が自らの執行する制定法を解釈できるという 概念は、アメリカ共和制の初期の時代にまで遡り、今日でも相当の重大性を保持し ている権力分立に符合するものではない。・・・つまり、行政機関の法律解釈への敬 譲の準則は、議会の法解釈についての指示を最もよく読むことに符合しないのであ り、健全な規制政策を促進するという目的に符合しないのである」。Id. at 445-6. 

See also, RIGHTS REVOLUTION at 142-43.

145) シェブロンをこのようにみるならば、「行政機関が規則制定による解釈権を付与

されたとしても、特定の場合に規則制定権を行使しなかったなら、敬譲は認められ

ないことになろう」。サンスティンは、このようにシェブロンは議会の意思に符合し

(18)

 第 2 に、「純粋な法律問題を含む行政機関の決定は独立の司法審査に服」し、

シェブロンの適用を原則的に否定する(2094)。一方、「行政機関の専門化さ れた高度な事実認定の能力と責任が関わる」ような、法律を事実に当てはめる 決定には、敬譲型を適用する余地が生じる(2094)。第 3 に、第 2 で想定した、

純粋な法律問題と事実認定の問題との区別が困難であっても、「行政機関の権 能の範囲内にある事柄が問題になっているときには、敬譲は正当である」

(2096)。第

4

に、規制権限の所在をめぐる行政機関の管轄権(jurisdiction)の 有無といったような法的問題には、原則として敬譲型は適用されない(2097-

2100)。第 5 に、行政機関自身の利益があからさまに関わっているような行政

機関のバイアスが問題となっているときも、敬譲型は適用されない(2101)。146)

 「行政機関の長く保持している解釈は、行政機関の先例拘束性(administra-

tive stare decisis)という形での実益のため、敬譲が認められる」(2103)。そう

した解釈は、人民に与える信頼と期待から保護される(2102)。一方で、行政 機関は規制行政の過程で刻々と変化する状況に法規を安定的に、それでいて時 宜を失しないように適用していかなければならない。サンスティンは、この後 者の観点を重視するならばシェブロンは最もよく支持されるとする(2102)。

 なお、シェブロンの敬譲型は、議会の意思を断じるのに資する原理によって はっきりと負かせられると論難する。まず、文章構成上の規範(syntactic

norms)があるときはシェブロンの敬譲型は適用されないし、同様に議会が解

釈に関して指示を与えている場合もそうである(2109)。つぎに、明白な立法 府の言明を要する規範の解釈には、シェブロンの敬譲型は適用されない

(2112)。憲法上そうである規範はもちろん、アメリカ法史上そうされている ものも含まれるとする(2111-15)。

ていないことを暗に批判する。Sunstein, supra note 133 at 2093.

146) シェブロンは一般に、①裁量権が認められない場合②解釈が非形式でなされる 場合(informal format)③争点が行政による解決にふさわしくない場合④司法判例 の先例がある場合(stare decisis)には、適用されないと説かれる。L

EVINAND

L

UB

-

BERS

, supra note 105 at 89-96.

(19)

 サンスティンは、シェブロンは、基本的には議会の意図に反する疑問の多い 判決であるとしながらも、規制法規そのものの欠陥(複雑な社会構造やシステ ムに追い付く規制権限を、議会は持ち得ないことなど)(2090)を認めた上で

(2087)、その公法学に与える影響は大きいと認識し、「敬譲という問題につい ての立法府の指示を最もよく再構成するものとして認識される」としている

(2087)。行政国家での妥当性を認めながら、シェブロンを限定的に適用して いく理論を考察するのが課題となろう。 

 このように、サンスティンは、根本的な規制法規の創設機関としての立法と 積極的な司法という制度的観点を強調して独立判断型を支持するけれども、シ ェブロン全面否定ではない。147)彼は、シェブロンは生きた法であり、それなり に行政国家における規制法規解釈理論のたたき台を提示してくれているとする ものといえる。シェブロン全面支持のスカリアもその射程を整理しており、以 下こうした観点から、シェブロン敬譲の理論をさらに検討してみることにする。

3 シェブロン敬譲型の射程

(1)de novo の原則

 シェブロンはその筆をとったスチーブンスの思いとは別に、行政法解釈権を 司法権から執行権にさらりとシフトさせた。148)Ⅱでは、シェブロンが行政訴訟

147) サンスティンは近著では、シェブロンがなければ行政法は成り立たないと分析 し て い る。Sunstein, Cass R., Chevron Without Chevron (September 6, 2018) . Su- preme Court Review, Forthcoming. Available at SSRN: https://ssrn.com/ab- stract=3235655 or http://dx.doi.org/10.2139/ssrn.3235655 また彼は、執行権の外交領 域ではシェブロンの積極的な適用を主張し、いわば超敬譲型(super deferential)を 説いている。Eric A. Posner and Cass R. Sunstein, Chevronizing Foreign Relations Law, 116 Y

ALE

L.J. 1170 (2007) .

148) Linda D. Jellum, The Impact of the Rise and Fall of Chevron on the Executive’s

Power to Make and Interpret Law, 44 L

OY

. U. C

HI

. L.J. 141, 169-71 (2012) .

(20)

や制定法解釈の

canon

と意識されているのをみた。149)もっとも、敬譲はシェブ ロンの前後からあり、そのパターンもさまざまで、150)シェブロンの射程を限定 したり区別したり、シェブロンとは別の敬譲スタイルであったりする。151)本項

149) フランクファーターは、審査基準は同じ適用を確証させる確固たる規則の体系 としてまた判断の基準として機能するのではない論法(mood)であるとする。Uni- versal Camera Corp. v. NLRB, 340 U.S. 474, 487 (1951) .

150) 以下見るように、判例法理では Skidmore、Auer、Chevron、Chevron-Auer のパ ターンが整理される。Tercel Maria G. Mercado-Gephart, Deference in Wonderland:

Into the Many Rabbit Holes of Chevron, Skidmore, and Auer Deference, 42 O

KL

.

C.U. L. R

EV

. 367, 368 (2018) . この論稿はどの敬譲パターンが適用されるかの基準を

考察し、「制定法や規則の解釈は、それらを解釈する行政機関が信奉する原理や政策 と完全に分けることはできない」と論じる。Id. at 407. なお、今本啓介「アメリカ 合衆国における行政機関による制定法解釈と司法審査(1) (2) (3)」商学討究 59 巻 4 号 99 頁、60 巻 2・3 号 131 頁、61 巻 1 号 159 頁、2009 年、2010 年、黒川哲志『環 境行政の法理と手法』(成文堂、2004 年)239 頁、参照。シェブロンの射程をスカ リアとブライヤーの視点を対比させて分析したものとして、海道俊明「行政機関に よる制定法解釈と Chevron 法理(一)」神戸法学雑誌 66 巻3・4号 65 頁、2017 年。

ブライヤーは文言主義を否定し purposive の立場に立ち、議会の意思と曖昧な制定 法の文言のみを解する合理的立法者(reasonable legislator)が憲法に合致するとする。

S

TEPHEN

B

REYER

, A

CTIVE

L

IBERTY

: I

NTERPRETING

O

UR

D

EMOCRATIC

C

ONSTITUTION

98-101 (2005) . 人民の権力への参加の権利(これを彼は積極的自由(active liberty)とする)が憲法 に流れており、裁判所は憲法や制定法の文言を解釈するとき、憲法のこの偉大な民 主的本質を十分に考量すべきだとする。Id. at 5-6. ブライヤーはいわば折衷的立場 ともいえ、行政機関の相対的専門優位性を裁判所は考量しなければならないとする 一方で、裁判所のほうが制定法の意味を正当かつ中立的に判断できるとする。Ste- phen Breyer, Judicial Review of Questions of Law and Policy, 38 A

DMIN

. L. R

EV

. 363,

370-71, 373 (1986) . 行政機関の選択した政策の適法性の司法審査には、「この「相

対的専門性」ゆえに、司法審査の密度を濃くさせるのは適切でないように思われる。

このジレンマが安定した適切な政策の司法審査制度をほとんど扱いにくい(intracta- ble)問題にしているのである」。Id. at 394. シェブロンを含む現代行政法は、法の 問題には行政機関の判断に敬譲しろと要求し、政策問題には行政機関の判断を独立 して深く審査するのを示唆するという異常(anomaly)があるとする。Id. at 397.

151) こうした敬譲はカナダ、イングランドなどコモンローの国に共通してみられ、

教義的(doctrinal)、認知的(epistemical)、クリエ的(curial)に整理して分析する ものがある。シェブロンは doctrinal に整理している。P

AUL

D

ALY

, A T

HEORYOF

D

EFER

-

ENCEIN

A

DMINISTRATIVE

L

AW

: B

ASIS

, A

PPLICATIONAND

S

COPE(2012)

.

(21)

では、敬譲理論の歴史とパターン、そしてシェブロンの射程を検討して、シェ ブロンの

2

段階審査と敬譲型は唐突なのか、シェブロン前の判例とどのような 関係にあるのかを整理しておきたい。

 シェブロン以前は一般に

de novo、つまり裁判所が独自に制定法の意味を探

知していたとされる。152)

1932

年、最高裁ははじめて行政機関(被用者損失補 填委員会(Employees Compensation Commission))の裁判的権限を、それが 通常の司法への控訴を保障されている限り権力分立に反しないと判断した

(Cromwell事件)。153)この事件では、憲法

3

条は司法権の管轄権を海事(admi-

ralty)としているけれども、議会が海事審判所(行政機関)に裁判権を付与し

たことは合憲だとしたのに加えて、司法権はその審判所の判断を

de novo

に行 うとした。行政機関が司法的権限を行使しても、全ての法問題と司法事実が司

法権で

de novo

で審査されることが保障されれば、憲法 3 条違反にはならない。

法は、航海路(navigatable waters)での傷害は雇用者によって補填されるとし ていたところ、本件の関係は雇用関係にあるかが争われた、私権に関する訴訟 である。そうした立法が事実認定(本件では航海水路での傷害)の管轄権まで 行政機関に委ねているとした一方で、司法裁判所の審査は

de novo

だとし

た。154)

Hughes

最高裁判事は損失補償権という憲法上の人権と

3

条以外に裁判

152) Russell L. Weaver, Chevron, Martin, Anthony, and Formal Requirements, 40 K

AN

. L. R

EV

. 587. 587-88 (1992) . この意味では、シェブロン以前の判例はステップ 1に関する先例として拘束力を有することになる。Thomas W. Merrill and Kristin E.

Hickman, Chevron’s Domain, 89 G

EO

. L.J. 833, 920 (2001) .

153) Cromwell v. Benson, 285 U.S. 22 (1932) . 法廷意見の Hughes 長官は、本件の主 たる問題は、市民の憲法上の権利の執行する前提となる事実の最終的決定権を、議 会は憲法が司法権限を付与した裁判所から行政機関に代えることができるかだとし た。

154) Id. at 49. もっとも、議会は法の問題が何たるかは規定しておらず、その決定

は司法裁判所の完全な権限であるとした。「行政機関(administrative body)が一定

の事項の争訟の需要に応えるために適切に創設され、そうした争訟が司法的性格を

持つ場合には、それらの行政的事実の認定の終局性(conclusiveness)の問題は、事

実が明らかに管轄にはないところで生じるのが通例で、そうした事実に関する審査

の範囲は適用されうる制定法によって決定されてきた」。Id. at 58.

(22)

権を持たせる制度の合憲性の整合性に腐心しており、155)議会は公権(public

rights)領域でその制度形成を行政権に委ねたと判断するに至ったようにも読

める。

 ブランダイスは、de novo審査は認められないとする反対意見を述べている。

それを根拠づける明文の規定も判例もないとして、156)立法が行政機関に一定の 事項について裁判権を付与したのは、議会が法の効果的な執行のために裁判権 を専門の特別な行政機関に委ねるのがよいと判断したからであって、裁判所は これをおろそかにしてはいけない。157)憲法には事実認定権を執行機関に独占的 に認める規定はない。行政裁判は特別の事項について、それが専門的審判所に 委ねた方が効果的だと判断した場合に認められ、行政の裁判所はその限られた 授権の範囲内で最終的権限を持つのであって、司法裁判所はそうした行政機関 が授権の範囲内で権限を行使したかの審査権を有するのだとした158)。  行政国家を知らない

20

世紀前半くらいまでは、敬譲型を義務付ける一般的 な法ルールは存在しなかった。159)「19 世紀、すべての行政行為の審査は実際に

de novo

であった」。160)シェブロンは制定法、とくにその条文の文言が曖昧

な場合の解釈に関するルールである。17-18世紀、それには 2 つの法理論があ った。条文を現代の意味で理解するもの(contemporanea exposition)(制定法

155) 本件の問題は、憲法上の制約の遵守を義務付けて連邦の司法権をどう適切に維 持するかである。Id. at 56.

156) Id. at 66, 73 (Brandeis, J., dissenting) .

157) Id. at 88-89. 「次席コミッショナーの面前で de novo の判断権を連邦司法裁判

所に認めれば、私が恐れるに、本法の効果的な管理を重篤に阻害することになろう」。

Id. at 94.

158) Id. at 89-90.

159) Bamzai, supra note 23 at 965. 「しかし、20 世紀にはいり情景は根本的に変化 していき、制定法やその他の法条文の解釈手法は劇的に変容し始めた。そして、時 の経過が行政権の制定法の条文の慣習的で現代的な解釈を許した 19 世紀の先例をぼ んやりさせていったのにつれて、そうした判例が執行権…によって発展された解釈 を認める先例として再認識され、リサイクルされていくようだ」。Id.

160) Thomas W. Merrill, Article III, Agency Adjudication, and the Origins of the Ap-

pellate Review Model of Administrative Law, 111 C

OLUM

. L. R

EV

. 939, 953 (2011) .

(23)

はその制定者の意図と制定時の一般的に理解されていた意味と長期の専門的受 容が最善の意味となる)と、当該文言の慣用で理解するもの(interpres con-

suetudo)である。

161)前者が優越的であったけれども後者も捨てがたく、両輪

で機能していった。制憲者には

de novo

と敬譲型の区別の意識はなく、司法の 責務は制定法、憲法、そして立法府の個別の行為について、その意味を宣言す ることにあるとしていた。162)もっとも、支配的(controlling)とまではいえな くとも、授権法が曖昧であれば司法裁判所には行政機関の解釈を尊重する態度

(respectful)はあったことに留意したい。163)

(2)制定法の解釈における司法の裁量―原初モデル

 敬譲は、制憲期、行政法なるものをアメリカがまだ知らなかった時代におい て、制定法の解釈を巡り、裁判所は立法権との関係でどこまでエクイタブル

(衡平)な裁量的解釈を認められていたかの議論と関係する。連邦裁判所は、

その最高裁はユニークといえども、イングランドの裁判所を基とした。164)そし

161) Bamzai, supra note 23 at 936-38.

162) Id. at 939. フェデラリストは成文法の曖昧さを十分に認識していた。J・ジェ イ他、前掲(2)書、175 - 76 頁(第 37 篇、マディソン)。「新しい成文法はすべて、

技術的にきわめて巧みに起草されたものであり、十全かつ慎重な審議を経て制定さ れたものであるが、一連の特定の議論と判決とによってその意味が整理され確定さ れるまでは、やはり多かれ少なかれ曖昧模糊とみなされている」。同上、175 頁。な おアメリカの制定法解釈における裁判所のアプローチの歴史について、W

ILLIAM

D.

P

OPKIN

, S

TATUTESIN

C

OURT

: T

HE

H

ISTORYAND

T

HEORYOF

S

TATUTORY

I

NTERPRETATION

P

ART

I

(1999) . See also, William N. Eskridge, Jr., All about Words: Early Understanding of the “Judicial Power” in Statutory Interpretation, 1776-1806, 101 C

OLUM

. L. R

EV

. 990 (2001) .

163) Jonathan R. Siegel, The Constitutional Case for Chevron Deference, 71 V

AND

. L.

R

EV

. 937, 943 (2018) . See also, Smythe v. Fiske, 90 U.S. (23 Wall) 374, 382 (1874) . 「疑 わしい曖昧な法の解釈にあっては、法の下で行動するよう要求され、法の規定を実 効させるように任じられた人々の現代的解釈は、多大なる尊敬(very great respect)

に値する」。Edwards’ Lessee v. Darby, 25 U.S. (12 Wheat.) 206, 210 (1827) , cited in Siegel, supra note 163 at 943 n.35.

164) H

ENRY

S

UMNER

M

AINE

, P

OPULAR

G

OVERNMENT

216-18 (1977) . メーンは、イングラン

参照

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