奈良教育大学学術リポジトリNEAR
太鼓踊の旋律について ―現在奈良県下にのこされ ている―
著者 牧野 英三
雑誌名 奈良学芸大学紀要. 人文・社会科学
巻 11
ページ 93‑111
発行年 1963‑02‑28
その他のタイトル Melodies of Drum Dance ―Survived at present in Nara Prefecture―
URL http://hdl.handle.net/10105/3499
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太鼓踊の旋律について
一現在奈良県下にのこされている−
牧 野 英
目 次 I 序 言
Ⅱ 現存の太鼓踊 1 大柳生の太鼓踊 2 吐山の太鼓踊 3 波多野の太鼓踊 4 国柄の太鼓踊 − 5 丹生の太鼓踊 6 篠 原 塀
Ⅲ 結 言 IV 附 言
I 序 言
奈良県下に伝わる太鼓蹄は、吐山、大柳生、丹生、波多野、国栖とその数は比較的多い。更に 室生の大野でも40年ばかり前迄は行われたと聞いているし、十津川の大野にも純粋の太鼓桶か否 かは別としてこれに類したものが残っている。又桜井の忍阪、或はその他の土地でしばしば聞か れる「なもで蹄」もこの系統に属するものと思われる。ここでは太鼓蹄の歴史的な起源や発達、
或はその編成等について論ずるのではなく、専らその旋律について検討して見たいと思う。県下 各地で録音し、その由来を教わる度に聞かされることは、必ずその土地独特のもので他に類を見 ないものであるということである。しかし、雨乞い或は五穀豊餞の祈願や祈願成就の御礼のた め行われた太鼓柿は全国的なもので、ラジオ、テレビで見聞するものでも、その構成、歌詞、旋 律において大同小異のものが非常に多い。本県内に於て採録したものを検討してみても、決して 各々が独特のものではなく、源を一にしたものが永い年月を経、その伝承の過程に夫々異る条件 が加わり次第に固有の特色を増して来たものと恩われる。事実、隣の三重県には本県のものと同 じ名称のものが数多く見られる。太鼓蹄は祭礼踊のように定った期日に行われたものでなく、大 早艦の際に行われる、広地域にわたる大規模な行事であったので、数十年に一度あるかなしの場 合が多い。波多野では大正13年8月の大早鑑の時から行われていないし、吐山ではこの目的のた めには、大正8.9年頃に行われ、昭和21年には祈願成就に対し奉納したと伝えられている。それ に戦後の社会、思想も変り、更に若い人の問には時代的ずれもあって余り興味をもたれないた め、次第に消滅して行く運命にある。かりに保存の意味で行うとすると、莫大な労力と財力が必 要とされる。太鼓桶は現在このような時期に直面しているし、太鼓踊相互の影響は勿論、風流
94 太鼓鏑の旋律について(牧野)
踊、神楽舞、念仏踊、盆桶等からの影響も考えられるので、その上からも興味あることである。
Ⅱ 現存の太鼓踊 1.大柳生の太鼓踊
大柳生には昔、七通りの桶があったと伝えられているが、現在は、「大神踊」「忍び鳳]「小 ぢんやく」の三つだけが残っている。今を去る340年前近畿全般にこの桶が大流行した際、この 土地にも伝え残されたものだろうといわれている。昭和32年にここの人たちは、古くから伝えら れた資料と記憶をもとに「太鼓踊歌本.」を作った。それによると主要な部分は上記の3つで、そ れに前奏的なものとして「道中いりは」「桶の場所どり」「打込み」があり、「大神踊」に入る 準備のために行われる。又「小ぢんやく」のあとに、後奏として一名「祝い太鼓」と呼ばれる、
「虫送り太鼓」が行われる。
r大神踊」(譜1)は次の「忍び踊」のそれと全く同じ旋律の前唄と、1番から5番迄の本唄か らなっている「譜1」の2段目迄はその前唄、4、5、6、段目は1番、「 譜2」は2番の唄である。
「忍び踊」は5つの唄から出来ているが、これらの歌詞の内容は、国楢のそれと非常によく似て いる。「小ぢんやく」(譜3)の前唄は朗詠風に唱われ、間奏を経て1番に入る。16の唄から成り 立ち、その内容は「忍び踊」の場合と同様、他の町村のものと似てC、る。次にその歌詞の一例を あげてみる。2番は「十七が、こおとしはじめて、ちいを立て、ちいどのましはり、なにをしよ んやり、さあじゅんやくや」となっており、4番には「うさぎうさぎ、おくやまのうさぎ、なに みてはねる、なにみてはねる、十五夜の月を、見てはねる」と現在の子供たちに唱われているよ うな内容のものさえ見られる。三つの部分の唄の旋律には特徴は見られない。Tempoの上から みると「大神踊」に比べ「忍び桶」は、唄の性質上からも、ゆっくり唱われ、よく聞かせている が、「小ぢんやく」では、最後の頂点に相応しく相当速くなっている。一般に欧風の音楽におい て、構成上3部の形式をとるとき、最初遠く、次はゆっくり、最後は極めて遠くしてTempoの上 の対照を考慮しているが、素朴な農民の問に培われたこの芸術の中に極めて自然にこの原理を見 出すことの出来ることは興味深いことである。
間奏において変化を与えるときには、太鼓を2拍日、4拍目に強打してシンコペーションの感じ を与えたり、2拍日を3連符に小刻みに打ち逼迫した感じを出したりしている。ここで特筆すべ きことは伴奏型についてである。「語1」の3段目、2小節から3小節にかけての笛の旋律と同 時に打たれる太鼓と鉦のリズムは「大神踊」を通じ終始同じ型を保って奏される。このような現 象は五声音階(陽音階)においてのみ考えられることで、七声音階の場合は絶対不可能となって くる。「譜4」に示す如く、陽音階の旋律に対し、同じ調子の中でその伴奏型を考えた場合、そ こに構成される音程は、長2度、長短3度、長短6度、短7度、完全4、5、8度である。ここで問 題になるのは長2度と短7度だけであるが、短7度は問題ないとしてその転回ともみられるこの 2度音程は、日本音楽の場合、寧ろ好んで用いられる「にごり」でさえある。つまり半音を構 成する2箇の音を省くことにより、2つの声部は大体納得のいく饗を出すことになる。この原理 を自然の中に感覚的に発見し、素朴な社会の中に育て上げて来た我々の祖先は、すばらしい才能 の持主であったといわなければならない。このことを知るに及び、少くとも陽音階によるわらべ 唄、民謡等において始終同じ伴奏型を繰返していても決して矛盾を来きぬ秘密をつかむことが出 来た。「大神桶」では唄い手の訝子が悪く全然違う調子で唱っているにも関らず、それですら聞 き得るのはこの理由によるものと思う。「譜2」は上記の唄の最後の所、伴奏は同じである。「小
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太鼓桶の旋律について(牧野)
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のが後援会を作り前者と合同して行事を行って来た。現在の組織はこれがもとになって出来てい る。34年3月、吐山で採録の際は、80才以上2人、66才2人、56才1人と老人の方ばかりに唱って
もらったが、今の若い人たちの太教桶は、昔のものと相当違って来ていると嘆いておられた。一 般に椅麗になりすぎ、割り切れすぎるとのこと。これも音楽教育、欧米音楽の普及の結果か。昔 の形をなるべく忠実に残す意味において、出来るだけ老令の方にお願いした。ここでは「鎌倉 踊」(譜5)「鎌倉踊入歌」(譜6)「泉水喝」(譜7)「松虫踊」(譜8)「▼家方踊」(譜9)や「ひんだ 踊」「宝踊」「糸屋踊」「長崎踊」「見物踊」(この5曲は紀要10巻1号に掲載)の10曲を採録し た。なお、この外に「御寺踊」「夢見踊」「花の踊」「唐仙踊」「山伏踊」「大仏踊」「駒引踊」
「おさめ踊」等の桶があったと伝えている。伴奏は極めて単純で太鼓と鉦で奏し、笛は加わらな い。この中で次にあげるものは相互の旋律線が非常によく似ている。「鎌倉踊」と「糸屋踊」、
又「泉水踊」と「松虫踊」、「長崎鳳」更に「家方踊」と「ひんだ踊」等。このことから旋律の 系統を大体3つ位に分類することが出来、数が多く複雑を極めているようであり乍ら、実は案外 単純なものになりそうである。この中で特徴のあるものを強いてあげれば「松虫踊」に松虫の擬 声をとり入れてあることと、「鎌倉商人歌」の明るく、ひょうきんな旋律の動きが目立つ。この 人歌は「鎌倉踊」の中の唄のつなぎに唱われるもので独立したものではない。
譜 5 鎌 倉 踊
太鼓蹄の旋律について(牧野)
譜 9 家 方 踊
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3.波多野の太鼓踊
ここで最近行われたのは、大正13年8月の大早魅のときとなっている。その後40年間絶えて久 しく行われていない。恐らくはこれを最後に消滅していくのではなかろうか。36年3月採録した ときの古老の記憶も、その時のことを基礎にしているものと患う。それでも「糸屋踊」(譜10)「長 者辟一,(譜ユり「伊勢山桶」(譜i2)「山伏桶」(譜工3)「障役席」(譜ユ4)等を唱ってもらった。この外 に、「御座船踊」「住吉踊」「あたど桶」「治福桶」「具足踊」等がある。なお、菅生には「ひ んだ踊」「宝踊」「大前桶」「屋敷踊」「森山踊」等かが残っているし、遅瀬には最も有名な「白 鷺踊」それに「入江踊」「十九踊」「陣立踊」「みだれさし踊」の数々が残っている。「糸屋踊」
は、吐山のそれと詞も旋律も大同小異、更にこの村固有のものとされている「茶栓桶」は節廻し が全く同じである。この点から他の地方の太東桶の外に、太鼓桶以外のものとも相互に影響を与 えていることが肯かれる。その結果、区別の出来兼ねるものさえ見受けられるのである。
「陣役踊」は大柳生の「小ぢんやく」と詞、節共に同じものから出ていると考えられる。又
「山伏踊」は吐山にも同じものがある。ただし「ひんだ踊」は両村にあるが、詞の内容が全く臭 っている。
譜10 糸 屋 踊
太鼓踊の旋律について(牧野) 101 譜14 障 役 蹄
4.国栖の太鼓踊
国柄では8つの桶と1つの口上を採録したが、唱う人の技術の勝れているためか、他の地方の ものにくらべて、旋律が格別美しく感じられた。「いりはのはやし」(譜15)「御寺桶」(譜16)「忍び踊」
(譜17)「たから踊」(譜18)「うずら踊」(譜19)「うぐいす踊」(譜20)「かねまき踊」(譜21)「でまえ の踊」(譜22)等の中で、「いりはのはやし」は.終止直前で陰音階に転調するが、陽音階のものと しては実に哀愁をおびた、しかもみやびやかなものを感じさせ、旋律の型もよく整っている。
この唄などは、土くささよりも、寧ろ洗練された音楽そのものを訴えて来る。又、「御寺踊」
は陰音階で唱われているが、終り近くで感情の昂場に伴い極めて自然に行われる陽音階への転調 は勝れた表現といわねばならない。吐山にも同じ詞のものがある。「忍び桶」は大柳生にも詞の 上では似たものがある。その一例を示すと「おれをば忍ぶは勧門のわきでお待ちやれ、もしあら ほれて人間わば御門の番ぢゃとおこたやれ」となっており、国楢では「譜17」に示す通り、「お れをしのはばほそたにがわでおまちやれもし人がいざとわばちょうずをつかうとこたえさせ」と なっていて殆んど同じである。「うぐいす踊」はこの中で一番風変りな唄で終始、極めておそい 朗詠調で存分に唱われるので、譜には敢て拍子、小節の区切を記さなかった。
実に美しい唄である。「かねまき蹄」は節廻しに相当の変化のある唄で、Dの音がその所に応 じて巧みに変化されている。前にも述べたが、ここ国栖の太鼓蹄は、旋律の上で何か外とは違っ たものの影響を受けているのではないだろうか。今後の課題のつ一つにしたい。
譜15 いりはのはやし
よ う一一も一 朗 レ、一一一 ニ や ま− で ′=一 都オI 一一
′−
 ̄ 左− か よ ぼう ー いんヤー た−‥か よ ぼう
太鼓蹄の旋律について(牧野) 105
.つ 1・− ヽヽ 一 一・.  ̄  ̄
と 一 一 と 一一 一一 て
よ 一一一 → ま
さ − しり 一 一 上一一 一一一 と一一一
5.丹生の太鼓踊
前奏、間奏及び途中の伴奏は「譜23」に示すように2小節のものが練りかえされる。必要に応 じ法螺貝がならされる。又唄の切れ目等にはそのつなぎの意味で「譜24」の3段目に示すような 笛なしの太鼓と鉦のみので奏される。前奏に続いて一名「俄か蹄」ともいわれる「あいさつ踊」
(譜24)が行われ、「おじしまい」、口上、更に「おしんぼち踊」、口上、次に「みないちおんど」
「かみの踊」(譜25)又「おじしまい」、口上、最後に「いとま踊」(譜26)を踊って全部を終了す る。
前奏のことについては、大柳生の場合と同じで、旋律こそ違うが、短い節を単純なリズムにの せて繰り返していくだけで改めてのべることはない。「あいさつ踊」は威勢のよい、単純な節で、
この桶の冒頭に相応しいものである。「かみの踊」の最初は大柳生の「大神踊」の最初の部分と 詞は同じであるが、旋律の動きには相当の違いがある。4段目迄は老令の方が1人で鳴っている が、その5小節までは陽音階、6小節から15小節までは陰音階、しかし12小節から15小節の部分
106 太鼓屑の旋律について(牧野)
の繰り返して、若い者と一緒に唱うときには、同じ旋律が陽音階にかえられて了っている。
これは恐らくは最初のところは元気にまかせ陽音階で唱い、途中疲れて陰音階になり、更に若 者の加勢で又もとの調子をとりもどしたとも考えられるが、日本音階のみに見られる現象であ る。
この中にしばしば現われるe、fis、gis、h、eis、e、の音の配列が印象的で、おおらかにして大 陸的な響きを感じさせる。次の「いとま踊」は、部分的に「かみの踊」の素材が使われている。
このあと退場と共に吹き出される法螺の音は、まことに効果的である。
譜 23 前奏、間奏、伴奏
譜 24 あ い さ つ踊
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ま わl 九一 ま わ れ− い ち − とう −Jニ ー
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譜 25 か み の 踊
も 乃・一一一一 い ち よ一 一一1こ よ えモー ら一びキ:L−
そ.1 −一一一 ろ ヤー が − み の一一 みと・・− ̄ り 良一 口 ̄ 「≡
太鼓踊の旋律について(牧野)
107
ふ一一 と・・ろ− よ一 一
譜 26 い と ま 蹄
)、 − と ま
さ  ̄ あー一 ビ うー
ふ と一 日 も
上一 一 ホイ ホイ
未・一一 と.う ー
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撃至聖賢頚憂苦空
一わ 〃)い しわ た ち 水イ ネイ
6.篠 原 踊
この蹄は、前述5つの桶の場合と異り、いわゆる「雨乞い」のための柄ではないし、又、旋 律の上からみても、多分健謡的な色彩が濃厚である。この点から太鼓桶の中に入れるのは妥当で ないかも知れないが、太鼓を主な伴奏楽器としていること。「人波の踊」「世の中踊」「御船踊」
等太鼓蹄に見られる詞の多いこと、音楽全体から受ける感じが、相当似ていることなどから、
「桶」を別に音楽の上から敢えてここに取り上げることにした。「いりはの踊」(譜27)は国楢、
大柳生のそれとは全然趣を異にしたもので、割と音域の広く、旋律線が動的である。「御船蹄」
(言普28)の3段目の2小節からスタッカート気味に刻んでいく連続した8分音符の群は、違った意 味での清新さを与えるが、終止の部分だけは明らかに太鼓席のものである。「梅の古木踊」(譜29)
これは何と可憐な、表情に富んだ唄であろう。岩陰に咲く桔梗一輪とでも言うべきか。休みの2 小節を除くと11小節の短い節の中に、微塵の汚れもなく、清純な趣を一杯に湛えている。「世の 中踊」(譜30)は旋律の上からは、太鼓桶と異っているが、詞や終止の面から見ると太鼓桶の要素
108 太鼓桶の旋律について(牧野)
が多分に含まれている。
。篠原桶の録音テープは本大学教官木村助教授の御配慮を愚わした。
譜 27 い り はの踊
さ − あ、 と. 一 一 リ ー が コリャ ま 一 一 い
譜28 細 船 踊
峯,圭「・ト∵・‥∵ ∵・∵イ「
∫ 一 花 か 一 さ  ̄ き  ̄  ̄ の ̄  ̄ よ、 ̄
匪画一 一 で ′訂 .わ い リ
′b 4_.し、よ
ね 一 一 さ
譜 29 梅の古木踊
−1.、3、∵l Jb − カl よ 一 い ′3ヾ 一
み一守一に一み−え一モーは さ寺 ̄の ̄−′お ̄
ノね 一 一 さ 一 一 さ ̄ ヤレ
匪畢軍事牽華華ヨク  ̄ や  ̄  ̄ の ん に よ 一一 や ノ、
軽重
qdま 一 一一 つ 一 一一 ち 一 一 一 一 ぐ よ
太鼓踊の旋律について(牧野)
譜 30 世 の 中 踊
担蚕歪埼壷転蜃轟毎麺
桓一語壷・・・二三.三三三∴高
と 一一こ−ろ一一 と こ ろで・− く−ら−が−た一 つ 一 一 さ−
上 のろ−か− おーいリーは− ひ−と−ムーと一 りん一一ナー
109
リん一 一 さ 一 一 は い や れん 土の−亮一カト
「r ̄ ̄
あー ヒリーもー ひ−と−あーピー リ ー さ リ ー
瑚 緒 言
県下5ケ町村の太鼓蹄と篠原桶の大略を述べ、主としてその旋律の比較検討を試みたわけであ るが、詞の上から見ると、雨乞踊、或は陣役(勇み)桶の名には相応しくない内容のものばかり である。お祝いの歌、叙景的な歌、名所めぐり的な歌、権力富者を讃美する歌、恋歌等のものが 多い。これは大体どこの太鼓桶にも共通していて、内容も殆ど同じで、強いて言えば地名等の固 有名詞がおきかえられているくらいで大差はない。三重県で行われている「お寺踊」「山伏踊」
「加賀の蹄」(本県では糸屋癖)等は吐山のものと完全に同じ歌詞といっても差支えない。このよ うな点から詞の上からは絶対的な特色は何も見当らない。又、行事の上から見て太鼓桶は元来雨 乞又は豊作祈願成就に対する返礼として行われた行事であるが、雨乞踊、又は勇み桶は、雨乞の 祈願のため山の上に登って行われたもので、この2つの行事が1年の中で行われることは曽てな かったとされている。この点、厳密に言えば区別さるべきものであるが、実際には太鼓桶といわ れ、勇み桶とされている両者には共通しているものが多い。それ故更に極端に言えば、行われる 目的、時期、場所だけの相違でそれ以外の区別はないものとも想像される。旋律上からは、大柳 生、吐山、波多野、丹生のものは大同小異格別特徴のある旋律は見当らない。国栖の太鼓踊だけ は他のものに比し、余りにも旋律線が美しく、優雅で、形式が整っている。或は国柄奏の存在で
、その直接の影響、或は奉納のため遠隔の地へ出かけた際、文化の交流があり、その影響を受け ているか、いずれにしても異る要素を多分にもっている。篠原桶は太鼓桶と違い祭礼の歌で、前 にも述べたように佳謡的な面が多く、旋律もくだけているが、太鼓踊からの影響とおもわれる所 が多い。
なお、伴奏型については、現代の音楽及び教育面に活用すべき点が非常に多いように思われる。
参 考 文 献 0 大塔村 史
110 太鼓蹄の旋律について(牧野)
0 波多野村史
0 奈良県綜合調査報告書 都介野地区 0 たいこ踊歌本 (大柳生塔坂垣内)
Ⅳ 附 冨
ドイツの生んだ世界的大作曲家カール・オルフ博士が、去る9月中旬から10月にかけて来日 し、「子供のための音楽」の実地指導と講演を公開し、これが数回にわたりラジオ、テレビでも 放送されて、全国各地に多大の反響を巻きおこした。「この子供のための音楽」は、リズムと即 興演奏により、子供たちがもっている音楽的な感覚を呼びおこそうとする試みで、ドイツでは既 に30年前から試みられているものである。戦後我が国でも器楽教育の形で取り入れられたが、こ の本来のものとは違った形で成長して来たようである。数年前、博士の著した「子供のための音 楽」5巻が我が国でも出版されるに及び大きな話題を呼び、既にこれを試みて成果をあげている 所がある。ここで使はれる旋律は5声音階(半音程なし)を用い、旋律楽器にはフルートを主と し、シロホン鉄琴等、伴奏楽器には、シロホンの類及び太鼓、シンバル、足、手拍子等のリズム 楽器を使っている。なお、シロホン類は5声音階に不必要な鍵は簡単に攻り外すことが出来るよう になっている。リズムはなるべく単純なものを使用、例えば1小節を1つ打ち、2つ打ちと各々 に教え、これを同時に演奏させると、各個人は単純なことを反復しているだけであるが、全体と
しては複雑なおもしろいものとなって聞えて来る。これに5芦音階の旋律を即興的にフルート か、シロホンで演奏すると立派な合奏になるのである。ここで5声音階を使用したということは 正に注目に価する。5声音階の特徴として、どの音からでも始めることが出来、どの音でも終止 し得ること、このことから、どんなに音楽的に初歩の子供でも即興は可能な筈である。これが7 声になると相当の訓練と経扱がなければ容易なことではない。実際に箕面の子供は立派な演奏を 聞かせて呉れた。叉前述したように旋律相互、叉は伴奏との問の協和の度合には余り矛盾を来さ ない。これも5声音階(陽音階)でなければ考えられない大きな特徴である。しかしこの方法は、
大柳生、或は丹生の太東桶の中にも見出され、ひいては日本の俗楽、殊に膀音階より成り立つ わらべ唄、民謡等にひろく見られる現象である。単純な2小節の基本的な伴奏が、同じ型で最後 まで操返えされ、しかも少しも不自然に感じられないことは前にも述べたことであるが、日本の 国土の中に、既に幾百千年の昔から自然に育てられて来た代表的な演奏法、素朴な農民がなんの 躊躇もなく安易に音楽を楽しむことの出来た方法、この方法がドイツにおいて発見され、更に活 用され、その効果をあげていることを思うと、博士の卓越した識見と実行力に只々頭の下るおも いがする。日本古来から伝わるこのシステムが今や世界の「子供のための音楽」教育における勝 れた方法として用いられているのである。しかし日本では未だここには少しも注目されていない し、又活用もされていない。これだけ豊富に存在する我が国のわらべ唄を民謡を、もっと効果的 な方法で大いに教育の中に取り入れるべきであるし、オルフ博士の方法というよりも、我々の祖 先の育てて来た勝れた方法を大いに見なおすべきであると思う。この点からも、わらべ唄、民
謡、及び古来の演奏法の価値を改めて認識させられる次第である。
〔昭和37年9月29日受理〕
X
Ill
Melodies of Drum Dance
-Survived at present in Nara Prefecture- Eizo Malrino
(Department of Music , Nara Gakugei University)
I selected together with Shinohara dance which was most likely so much influenced by the drum dance, the drum dances survived at five villages of Hayama, Ooyagyu, Niu, Hatano, and Kuzu from among the drum dances handed down from old times in Nara Prefecture and made the compared examinations from the points of texts as well as melodies of each of them. The result was that I could find no particular differences among them on the point of texts. This can be said to be the truth when compared with the neighbor- ing prefectures. Concerning the melodies, those of four villages, excepting the dance at Kuzu, are nearly the same. Kuzu dance, when compared with others, has so beautiful amelody and so complete a form and is so refinedthat it may belong to quite another system or have come down to this day receiving some special influence, remaining enough room for our study. Shinohara dance which has something of folk song init, has as its accompan- iment a drum alone and has many phases common to all drum dances.
The method of accompanimenthas that speciality formed in Japanese music and gives us many points to be takenintothe present day Japanese music and at the same time into the musical education.