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河地貫一 目 次

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コミュニティの地理学

−地理学への問題提起−

河地貫一

目    次 はじめに

コミュニティ論の登場

高度産業社会のコミュニティ必要論 都市の哲学と住民参加

都市のなかの町づくり一住区区分の根拠 コミュニティと地理学

は じ め に

筆者は,,77年,,78年の2ヶ年にわたって,コミュニティづくり計画を推 進している仙台市,船橋市(千葉県),神戸市,広島市,神戸市および高知市

の6都市をたづね,更に,78年の都市学会において武蔵野市(東京都)の計 7都市について,コミュニティ計画の推進の手法およびその実態について調 査してきた1)。各都市の哲学の相違によって,コミュニティそのものの考え 方,実態にも,また,コミュニティづくりの推進の手法についてもかなりの

差異があった。

本稿では,それらのことに言及し,更に神戸市のコミュニティづくり計画 で,「人間味ゆたかな生活空間の創造2)」と謳っているように,本来,空間

° ° ° °

計画であるミニ都市計画,或は都市のなかの「マチづくり」計画を究極の活 動目標とするといえるコミュニティ活動に果しうる地理学の役割について提 言したいと思う。

コミュニティ論の登場

1960年代のわが国の高度成長の過程において,生産手段と日本民族の大移

(2)

48  経 営 と 経 済 動といわれるような,激しい労働力の移動とが起って,いわゆる太平、洋ベソレト が形成され,そこに定住性の弱い急速なメガロポリス的現象が進んだ。こう した急激な空間的変革の中で,都市の行政は多様な才能,価値観をもち,生き て働く人間の集団を人格の喪失した量的表現としての「人口」として把え,政 治は選挙の時の一票の集団として,また経済は人的資源の,或は消資者の集 団として把えがちであった。そして,この高度成長は, GNPを成長指標と する工業生産のそれであって,個々の生きて働く人閣の生活福祉の向上が指 標とはならなかったことはいうまでもなかった。日本社会は利潤追求を主目 的とする lつの巨大な利益集団のように行動した。国は、日本株式会社グで あり,そこで働く国民は、エコノミック・アニマノレグのように思われた。し かもこの日本株式会社はその高度成長のプロセスにおいて不幸な過失を犯し てきた。最も大きいそれは,本来,生物的存在であり,かつ社会的存在であ るという人間生存の基盤が無視されがちであったということであるD 人間が 生物として自然生態系を構成する一員としてのみ存在しうるという最も根源 的な生物学的事実さえ忘れられがちであった。 GNPの増大追求は,当然単 位面積当りのそれの追求を伴った。人間生活にとって必要な空間であって i金にならない」ものは無視されてきた。従って耕地よりは工場や宅地 が,宅地よりは商業地が,山林よりはコツレフ場やレヂャーランドが,海水浴 場や沿岸漁場よりは臨海工場用地等が追求されてきた3) o人間と自然とを生 産の場において結びつける農林業や沿岸漁業は荒廃し,人間の居住空間から 自然は手のとどき難い遠方におしゃられていった。各種の自然破壊や公害 が,生態学的な視点から,日本列島をお〉って表面化し,重大な社会問題化 してきた。

こうして,人々は自らの生物的存在の基盤である自然を居住空間から失っ ていったばかりではない。また本来社会的地域的生物である人聞は,その地 域社会をさえ見失ってきた。すなわち現代産業社会の進展は,伝統的なムラ 共同体における地縁的諸関係をっきくずし,そこから人的資源としての人間 を安価な都市労働者として大労働市場に吸引する乙とによって可能であっ D そして乙の産業社会はまた高度の機械と徹底した分業体制とを導入し

(3)

て,機能性と効率性一合理性を追求し,そのために強大な管理社会を実現さ せてきた。いわゆる「タテ構造の社会」がそれである口こうした組織に組み こまれる個人の役割は高度に細分化,特殊化,そして専門化する。そこから 人間関係は分断し,いわゆる「人間疎外」が進められ,人は非人間的な存在 におしゃられる3)口こうした管理社会における個人は自らの企業社会におい てはモーレツ社員として企業に忠実な労働者であり,従って「企業は彼にと って客体ではなく, 、私の会社グであり,多くの場合それは自己の社会的存 在のすべてであり,全生命のよりどころというようなエモージョナルな要素 を濃厚にもっている4) 。」そしてその生活の場である地域社会においては自 らを位置づける事ができないままに,地域聞における連帯性を失い,管理社 会から解放される余限の時間(高度成長は多くの余暇を提供した)にあって はマイホーム主義に自らを媛少化させてきた。あたかも,生活のばでは人々 は,マイホームのみが地域社会であるかのように行動した。現代社会には,

企業社会はあっても,地域社会は存在しないように思われた。とうした管理 社会における「人間疎外J,或は地域社会における「連帯感の欠如」は国土 庁の中間報告5)が指摘するような, 巨大都市なるが故に生じたものではな く,実は現代産業社会そのもののもたらした矛盾である3) 。つまり日本株式 会社は人間の生活空間から自然を遠ざけたばかりでなく,その所属する地域 社会そのものを見失わせしめたといえないだろうか。要約すると,高度成長 は人間存在の基盤である自然と社会とを人聞社会から奪ってきたという重大 な過失を犯してきたのであるo倉田の表現をかりると「産業化の道程にふく まれていた最も不幸な乙とがらの一つは,ゲゼノレシャフトの優位が基礎とし てのゲマインシャフト(コミュニティ)への関心を失っただけでなく,乙れ を収奪しながらすすめられた」ということである6)。しかし一方では高度成 長期には,日本人の生活水準は向上し,大資本の生産物である高価な耐久 消費財がおどろくべき勢いで普及していった。 f電化製品とクノレマとがその 代表的なものであるO 戦前歩恕だにしなかった自家用車が,庶民の比較的 安易な買物となってきた。せまい2DKの家屋にカラーテレビとクノレマが極 く普通にみられるに至った。そしてテレビ,クルマの普及が人々の社会的述

(4)

50  経 営 と 経 済 帯性を失わしめた一つの大きな原因でもあったことはいうまでもないであろ

耐久消費財の普及がほぼ完了する1970年頃になると,人々の関心は,住ま いの哲学の欠如のままに I人間のいれもの」にしかすぎなかった高度成長 期の住宅の,質への向上にうつった。それから次に当然それをとりまく住宅 環境に強い関心がむけられるに至るO 高級な耐久消費財は安くとも,生存の 基本である生鮮食品や地価・家賃が高く,マイホームはせまく,かつ通勤,

通学,買物に遠くて不便であり,クノレマが生活道路にあふれて危険であり,

緑が少く空気が汚染され,非健康的であり,しかも医療機関が巨大な収入を もたらす地域に偏在し,文化財,精神面よりはモノや金が尊重される文化性 に之しい生活環境が人々の社会をおうていた。しかも,そのすむ地域社会に おける人間の連帯感は極めて弱いものであった。それでも耐久消費財の購入 に心が集中していた時期には見逃されてきたこれらの事象が,今や人々の重 大な関心事となってきた。 1970年頃はこの転換期であったといえよう。ジャ ーナリズムにおいても今までの高度成長をもたらした科学,技術の謡歌が,

一転してそれらへの不信へと変るのもこの時期であるD 一 般 の 人 々 の 聞 に も高度成長とは,またいうところの物質的な、豊かな社会グとは人間にとっ て何であるのかという根源的な疑問が生じ,その後のオイノレショックと重な って,従来のモノ中心の価値観の転換を伴ってきた7) o 今まですててかえり みられなかった有機農業の復活が望まれるようになるのも乙の時期からであ o こうして生活環境を破壊するおそれのある各種の開発事業反対の要求 や,従来等閑視されてきた生活環境の安全,利便,健康,快適,文化的諸 要求を満たすいわゆるコミュニティ施設がシビ、ルミニマムとして自治体行政 に強く要求する市民運動が激発してくる。つまり総括的にいえば生活環境の 改善,整備に基礎をおいた「ミニ都市計画」実現の要求であるロもちろんこ うした要求は地域社会と行政とのかかわりの問題であるから,個人やマイホ ームのわくのなかからではなく,地域住民と自治体行政との相互作用のなか からしか解決の道のない問題であるo この相互作用を今日の言葉でいえば 住民参加である。更にいうと,マイホームから出てタテ構造の管理社会から

(5)

解放される時間を地域社会のために使うという主体的な市民団体の行政参加 のなかからのみ解決の手段が発見される問題なのであるo しかし,さきに述 べてきたように住民の地域社会における人々の連帯感は極めて弱い。ここに 地域における社会的連帯感を回復して,行政への住民参加を前提とする主体 的な市民組織,すなわちコミュニティ形成の必要が論ぜられてくる必然があ り,しかも体制の側からも極めて強力な要請があった。しかし, 日本株式会 社の理事者グループである体制側と,そこに生活するために働く平社員や工 員たちー住民ーとの発想の出発点はちがうはずであるo何故なら,両者の聞 には生産手段の所有と非所有という基本的な相違があり,従って,前者を支 配するものはタテ社会の経済の論理であり,後者のそれはヨコ社会の生活・

地域の論理であるからであるD 少くとも住民側はさきに述べたように,今ま で等閑視されてきた生活条件と生活環境との改善,すなわち人間の復権その ものにコミュニティ形成の意義を見出すであろうし,理事側からみると,公 害反対や企業進出のための地域開発反対の或は,財政能力を超えた生活環境 改善を要求する住民運動は,日本株式会社の利潤追求の阻害要因としてうつ るであろうo そしてこれら阻害要因を除去する手段としてコミュニティ形成 の必要が主張されていると思われるのであるo

19o9 (44)年の高成長の高ij則自に,経済企画庁の国民生活審議会が「生 活の場における人間性の回復」としてコミュニティ形成の必要をとき, 1971 

(昭46)年には自治省の「コミュニティ(近隣社会)に関する対策要綱」

(事務次官通達)が出され,各地l乙モデノレコミュニティがスタートした。同 年厚生省中央社会福祉審議会からは「コミュニティ形成と社会福祉」の答 申があった。次の'72年に経済同友会が r'70年代の社会的緊張の問題点とそ の対策要望」を発表し,市民参加による政策決定の必要を強調している。こ れらの内容は,発表,際関によって若干の見解の差異はあるが,共通する主張 点は現代社会は地域において述帯感が欠如し,人間疎外が進んでいるという 認識からコミュニティ形成の必要を強調していることである。従って,コミ ュニティのあり方については,まず地域における人間相互の連帯性の回復が 強調され,しかも,旧来の共同体的述帯性ではなく,主体性,権利の自党,

(6)

52  経 営 と 経 済 積極性をもったいわば市民的連帯性である口行政との関係では,住民参加,

住民による政策決定がとかれているロそしてそのような事を可能にする物理 的条件として各種のコミュニティ施設の必要性が指摘されているの。

そして上の自治省事務次官通達(1971)は,その後の各自治体行政に大き い影響を与えたD 各自治体の「基本計画」に多くコミュニティ形成が盛りと まれ,またたとえコミュニティという表現がなくとも人間尊重,生活優先の 自治体像が抽かれている。長崎市の「基本計画J(昭49.3)にも地域住民が 快適で,安全な生活環境のもとで,地域的な連帯感に支えられた人間らしい 都市社会を営む基盤をつくるためにコミュニティ作りの推進がとかれ8) 崎市日見地区にモデル・コミュニティセンターが設けられたととは周知のと

ころであるo

高 度 産 業 社 会 の コ ミ ュ ニ テ ィ 必 要 論

高度成長の高潮期にあって

r

経済の論理」の貫徹するタテ構造の管理社 会の中からこうしたいわば「地域・生活の論理」が中心をなすコミュニティ づくりが行政の重要な施策のーっとして推進されている社会的理由につい て,日本株式会社の理事者側の意向を要約していると思われる坂田朝雄の意 見をみよう9)

コミュニティ作りの必要性について,坂田は次の 5項目に要約している。真意をくみ 誤るのをさけるために原文をそのまま引用する。

①都市化の進展につれて,住民の地域社会に対する関心がうすれ,連帯意識も弱ま り,住民が共同の近隣生活を営む基盤が失われてきた乙と。

②  しかも,今日,住民の利害関係は複雑多岐にもつれあい,その価値観も多元的に なってきたが,乙のような中で行政施策を推進するには,どうしても住民の積極的な協 力を求めなければならなくなってきたとと。特l乙近時,各種公共事業に対する住民の 反対運動が各地に激化し,深刻な住民間の対立が発生しているが,とれに対処するため には,

r

全体と部分J

r

公益と私益」との調整をはかり,住民との合意を形成してゆ くととが極めて重要な課題となってきている。そして,そのためにはその基盤となるコ ミュニティがまずつくられる必要がある。

(7)

③  限られた財源の中で住民の福祉拡大の要求ニーズに応えてゆくには,公,荘、の機能 分担,政策の優先順位とその選択ということは極めて大切となってくる。そのためには 住民の行政への参加と十分な理解とをうることが,特に必要であるが,その場合,住民 参加の基礎であるコミュニティ作りがまず急がれる。

④今日,住民の行政へのサービス要求がますます強まっているが,他方,それに対す る負担の観念がほとんどない。各種の集団のムリ押し,エゴの主張で我が同社会が身動 きがとれなくなりつつある。

r

自ら治める精神」がうすれて,行政への依存心を強め,

自らの主体性がしだいに薄れてきている。乙れは自治の拡充強化に決して好ましい乙と ではない。住民に「受益と負担」の観念を直結させ,自主性をもたせる訓来日のために も,コミュニティの推進が急がれる。

⑤  コミュニティが公共施設整備のための基礎的単位となることが望ましく,とれによ って行政施策の経済性,効率性が確保できる。行政的財政的には細分化に限界があるの で,住民の日常生活固に配置するよう両者を歩みよらせ,さらにコミュニティ施設を自 主管理(自主運営のあやまりではないか)の方向に導くにも,コミュニティに根ざした 地域からの盛り上りが必要とされる。

こ れ に よ っ て 体 制 の 理 論 を 要 約 し て み る と , 現 在 , 行 政 に 反 対 す る 各 種 住 民運動や利害の相反する住民間の対立があって社会的緊張がおこっている。

ま た 生 活 環 境 整 備 の す べ て を 行 政 に 依 存 す る 住 民 要 求 が 高 ま り , 行 政 を ス ム ー ズ に 運 営 し て い く に は , 住 民 の 合 志 な し に は 困 地 な 社 会 と な っ て き て い る。ところが,住民は地域的連帯感を失い,かっ自治の精神にかけていて,

「公益と私益J I受 益 と 負 担 」 と を 充 分 に 理 解 し 得 な い 状 態 に あ るD その た め に 住 民 運 動 は ば ら ば ら で 無 秩 序 な 大 衆 運 動 と な り , 地 域 エ ゴ が 甚 だ し い 。 こ れ ら 大 衆 運 働 を 地 域 的 連 帯 性 の も と に 秩 序 づ け る た め の , ま た , 上 述 の 自 治 精 神 の 社 会 的 訓 練 の た め の 住 民 組 織 が 必 要 で あ るo ま た , 地 域 の 生 活 関 連 施 設 を 自 治 的 に 管 理 , 運 営 す る た め に も そ の 組 織 に 力 を つ け る 必 要 が あ る 。 乙 の 住 民 組 織 が コ ミ ュ ニ テ ィ で あ り , こ の コ ミ ュ ニ テ ィ を 基 盤 と し た 住 民 運 劫 , 住 民 参 加 を 期 待 す る 。 か く て 財 政 能 力 を こ え た 生 活 環 境 施 設 の 諸 要 求 に ふ 秩 序 あ る 撰 択 と 優 先 順 位 と の 合 意 が 得 ら れ る で あ ろ う し , 公 共 事 業 (開発事業の場合も多くこの用語がつかわれる)に対しても,住民の理f~7j{と 合 意 と が 得 や す く , 従 っ て 住 民 相 互 の 対 立 も 解 消 す る で あ ろ うo

(8)

54  経 営 と 経 済 低成長期に入った1977(52)年に第三次全国総合開発計画(三全総〉が 発表された。経済成長を追求した旧来の「全総J

r

新全総」とは臭って,

この計画は,かなりひかえめに経済成長に言及し,むしろ地方圏における生 活佼先の「定住構想」を強く打ち出している。その主な内容は地方は人的,

物的資源の重要な産地であり,かっ未開発,未利用の広大な空間を残してい る処女地であるo その開発,利用によって,巨大都市圏に集積偏在する人 口,産業,高等教育,研究機関等をそこに分散,再配置するo しかもこれら の受け皿としてばかりでなく,地方圏のなかに生活上の諸機能の整備され た,しかもその歴史,伝統,風土を尊重した定住しうる魅力ある町づくりを 進め,そのような地方都市を列島内各地に適当に配置するというものであ 3)。つまり, 日本株式会社の論理と生活優先の論理,別の言葉でいえばタ テ構造の管理社会の論理とヨコ構造の地域社会の論理とを前者の立場に立ち ながら定住構想で縫い合わしたものであり,

r

町づくり」という生活環境計画 が,開発計画のなかで重要な地位を占めてきた乙とは否定出来ないD 乙の魅 力ある町づくり乙そ,コミュニティ活動の基本的内容であるから,体制のな かから高成長を阻害する要因を除去する手段として登場してきたコミュニテ ィ形成論は,低成長期に入って定住構想論の主要な内容として三全総で縫合 されたといえるo

さきに述べてきたように,行政や企業の行為が産業開発政策を優先させ,

地域住民の生活環境を破壊したり,或はそのおそれのあることは,多くの事 例が証明してきた。そうした「行政,企業の行為から住民の生活権を守るた めの住民運動は,特定のイデオロギーからではなく,自らの生活環境を守る という極めて人間的な要求なのであるo この住民運動が,反体制のイデオロ ギーで理論武装されているという理由から,従来,体制l乙不利なもの或は反 体制運動そのものとして,公権力でおさえようとする傾向が強かったと思わ れる11)oJと日本総合研究所は述べているo

今日の住民運動と呼ばれるものの共通点からみると,住民運動は地域生活 から疎外された住民が自らの生活環境を守るために行政や企業,或はその両

(9)

者ともの行為を正す運動から,積極的に生活環境の改善を要求する運動にま で発展している。つまりその目的は自らの生活環境を守る,或はその改善を 要求することであり,そしてその論拠を人々の生活権を基本的人権であると するところに求めているO そのために行政の側では,反体制イデオロギーに

よっていると映じるのであろうO

住民運動のいろいろな要求や主張をみると,その運動はいままで地域から 疎外され,地域の問題に無関心であったタテ構造の社会の人々が I自らの 生活権というよりも,むしろギリギリの生存権をおびやかされてきていると いう自覚を出発点として1ll1,域の問題にめざめていく過程である11)Jつま り地域の住民が「いわゆる『市民』としての意識にめざめてし1く過程が住民 運動であり,その運動を通して活動をつづ、けていくなかで,また近代的市民 の自覚を高めてきたものである11) Jそして, こうした運動の過程のなか から,われわれのいうコミュニティの形成が進められるものであって,現代 社会は,この意味でまさにコミュニティ形成への歴史的転換期であるといえ

ようか。

こうした意義をもっ運動を,反体制的なものとして把え,これらの運動の 提起する諸問題を社会的な問題として解決する方法をもたずに放置すること は,変転,進歩する社会の流れに逆行する,まさに「社会の自殺行為であ 11)J。

乙うした事態に対応するために打ち出されたものが,体制の側からの住民 の行政参加を前提にした地域的連帯性を根底にもつ住民組織ーすなわちコミ ュニティ形成の必要論であったのではないだろうか。

コミュニティ Communityには,従来「共同体社会J, I地域社会」等の 訳語があてられ,最近では「近隣社会」とも訳されているが,何れも,充分 にその内容をあらわし得ないままに, Iコミュニティ」がそのまま日本語化 してきた。

人間は社会的生物であり,人と人,人と社会との関係のなかでしか生きられ ないものである。人間は同ーの地域に住むことによって生じる近隣関係や,地 域の生活環境の悪化を防止したり,又その改善を必要とする多くの地域の諸

(10)

56  経 営 と 経 済

問題を共通にもつo前者は主に住民相互の問題であるが,後者は住民と行政 とのかかわりの問題が主であるO こうした地域の諸問題の解決に,マイホー ムから出た地域住民が主体的に取りくみ,行政に参加するための地域的な住 民組織‑それがコミュニティであるo少くともタテ社会から解放された余暇 の時間を地域の諸問題解決の為に使う組織をもっ地域的市民社会一それがコ ミュニティであるo更に,コミュニティという術語は,そのような組織をも っ社会的単位と,更にその社会がしめる地理的単元一コミュニティスペース としてのコミュニティ空間をさす場合にも使われている12)。つまり,コミ ュニティには,市民組織,都市内における社会単位と,第三に地理的単位と しての空間の三様の意味をふくんでいると考えられる。コミュニティ活動に は地域の連帯感をそだて,近隣関係をよくする日常の生活上のつきあい,趣 味,スポーツなどの諸活動から,地域の自然や文化財を守る活動,それらを ふくめた生活環境を整備し,改善することを目的とするものをふくんでい 13)。さきに述べてきたように高度成長期において,経済の環境整備が優 先して住いの哲学の欠如のままにこれら生活環境の整備がおくれてきている から,そのためには多くのコミュニティ施設の整備,建設が要求される口そ れらの選択,順位を決定し,更に都市空間のなかに地域的にいかに合理的に 配置するかがコミュニティ活動の中心にならざるを得ない。すなわち,住民 参加によってキメ乙まかな「町づくり」を目的とすることがコミュニティ活 動の最も中心的なものとなる14)

都市の哲学と「住民参加」

筆者らの調査したさきの7都市の実態をみると,共通していえることは,

まず(1)コミュニティの地理的単元としての都市内の地区(近隣住区,まち住 区などとよばれていた)を決定し, (2)それぞれの地区の生活環境上の問題点、

を明かにするために,膨大な診断書ーコミュニテイカルテとよんでいたーを 作成し,更に(3)それを基礎的資料として,住民参加による町づくり計画を立 案し,実施しようとしていたことである。

(11)

しかし,各都市の「哲学」の相違によって,住民参加の方式, コミュニテ ィ組織の方策に決定的な差異があり,また都市の伝統,規模によって, コミ ュニティスペースの設定の仕方にもかなりの差異があった。

長崎市のばあい,なお計画の前夜にある関係から充分な計画はみられない が,既に日見地区をモデJレ・コミュニティとし,そこにコミュニティセンタ ーを建設しており,その哲学は

r

安全・快適な生活環境のもとで,地域的 連帯感に支えられた社会を営む基盤としてのコミュニティづくりを行う15)

とし

r

諸コミュニティ施設の整備,その適正配置につとめ,自主的に組織 するコミュニティ活動を育成する15) 」としている。そしてそのセンターの 運営は,一応町内会役員を中心とする同推進協議会によって行われているが,

同センターが市の公民館と併設されており,その活動の内容は官製の公民 館活動の補完的な役割が主で,日見地区の町づくり計画に何ら積極的な役割 を果していない。また行政の側も,そのための住民参加を行政のなかに位置 づける方法をもっていないのが現状であるO 住民参加の方策についてはなお 検討の段階にあると思われるが,根本的には都市の哲学の欠如にあるのでは ないだろうか。住民主権を文字に表現しようとさえせずに「市民が市政に積 極的に参加し,市民存在の市政を遂行していく……16) 」としており,いう

ところの市民参加とは

r

市民に市政の勤きを正しく知らせ,十分に理解し てもらい,市民と対話のある行政16) 」であり,当然「市がコミュニティづく

りの育成をはかる15〉」乙とになるo 仙台市ではで,都市は市民のものであ り,従って「市民参加が市政の基本で17) 」あった。そ乙から市民みんなで 仙台のまちをつくることを市民によびかけることになるo従って市民参加の 方式も

r

地域整備計画」にはまず役所中心のそれに関する政策の策定本部 が作られてタタキ台としての素案が出されるが,それを選挙人名簿から無作 為に抽出された100"""'300人を中心とし,町内会長その他日常地域で活動して いる人々から構成される地域市民委員会に検討がゆだねられる。その検討を 経た案を市民協議会(学識経験者,役所,市民団体代表で構成)が全市的な 立場で検討し,決定する18)

船橋市については,コミュニティ計画の前提であり目的でもある「船橋都市

(12)

58  経 営 と 経 済

施設整備計画」は都野の表現をかりると「住民運動や団地自治会の陳情な ミニマム以下の行政に対する巨大な需要に対処するためのやむを得ない 効率的行政計画であり,都市砂漠再開発計画であり19) ,住民参加につい ても,施設整備計画書の序文に市長のあいさつとして「本計画の策定,実施 につきましては,市民のみなさんのご理会とご支援を得て,目標の早期実現 を期したいと思います20〉」とし,行政主導,市民協力というパターンを明 確に打ち出しており,その老大な報告書には,市民参加について何ら言及し ていない。ほY同椋のパターンを取っているのが広島市であるo何れも少く とも行政の主体としての市民の位置づけが忘れられているo

神戸市では「市民が都市をつくる021〉」それが人間都市普通の真理である とし i市は市民の信託にこたえてまちづくりにつとめる22)oJ人間都市神 戸をつくる手段として,また住民自治を実践する保障としても市民参加の市 政を行政の基本とするo そして「市民参加とは議会制民主主義を排して,直 接民主主義に移行することを意味するものではなく,市が市民を行政の主体 と認識し,市民の意見を積極的に行政サービスに反映させることであり,

市と市民との対話を基調とした信頼,協調関係をつくり,行政の審議会,

委員会などに積極的に市民の参加を求めて,政策形成を進めていくことであ 22)JとしているD

高知市では,早くから組織された市職員幹部による「コミュニティ計画委 員会」は高い調子で,都市とコミュニティ計画との哲学を論じ,コミュニテ ィ計百とは「市民による,市民のための,市民の町づくり計画であり23)J,  この計画が「住民の居住環境の整備から始められたのは,それを通して,コ

ミュニティ活動の触発をねらったもので,町づくりの主体は住民であり,行 政は裏方である28〉」と強調しているo

今日のきびしい地方財政の危機下にあって i住民と行政との間で無限に つづくであろうキャッチボール'のなかから計四が絞り上げられていくもので あるから,キャッチボールの相手(地域住民の意志を表現する主体)をどこ l乙求め,どう接触していくかY主要な課題である24) 」とし i地域住民が 主体的に計画策定に関与する条件が期待できなければ,施設計画は策定され

(13)

るべきでない25)Jとしながらも,なお「コミュニティ形成の進んでいない 現在では行政がタタキ台を提供するlつのステップをふまざるを得ない25)のであるo市民参加の方式としては既存の半官製的地域組織の町内会,防犯 協会等々地域の実情にくわしいオピニオンリーダーを中心に組織するか,或 は全く自主的な iOO地区を考える会」という組織をまずつくるか,第三 には既存の組織を全く考えないで新しい組織をまち,それらのオピニオン リーダーを中心に地域住民の意向を吸い上げるかという方法を列挙してい

るに

武蔵野市では「現在における自治体の多くの課題が達成されるためには,

市民の市政参加が必要であり,市民参加が自治体を自治体ならしめる基本の 原理である27〉」としており,市民参加ジステムの確立と,その基盤をなす

コミュニティ組織とは市の中心的な施策をなす。

この市は遠藤湘吉,松下圭一,佐藤竺ら第一線の社会科学者を市民として もつ好条件にめぐまれ,これら学者と助役2名計6名による策定委員会がも たれ,その案を市民会議(一般市民,市議会議員,団体代表)の討議を経て 策定計画が作られるo 乙の市民会議は単なる諮問機関ではなしに,計画を立 案する役割を果しているo次にそれぞれの事業内容によって専問別の市民委 員会があるD ついで境南,吉祥寺東,西久保の3コミュニティ予想地区には コミュニティ市民会議が生れ,更に老人食事サービスボランティアを中核と するボランティア活動がある。かくして市民会議,市民委員会,コミュニテ ィ市民会議,およびボランティア活動の4方式のトータJレが市民参加の武蔵 野市方式といえようカ328

以上,役所主導と市民の理解・協力を求めるところから,都市は市民がっ くり,徹底した市民参加の方式を求める都市まで発見する乙とが出来る。前 者のばあいの市民参加方式として一般的には市長の指名による経済団体代 表,学識経験者らによる審議会方式から,後者の町内会, 自治会,防犯協 会,婦人会, iOOを守る会」などの公的,私的団体のほかに選挙人名簿によ る無作為抽出による市民委員会方式があった。何れにせよ,既存の半官製 的性格をもっ自治会,町内会組織が重要視されていたし,神崎もまた町づ

(14)

60  経 営 と 経 済

くりに参加する住民組織として,町内会組織の佼位を認め, しかも依然とし て古い体質を温存していることを指摘しているが29) ,中村は各地の事例か ら,町内会,防犯協会などの行政の協力組織的なものが「換骨奪胎」して充 分にコミュニティに変質しうる可能性を主張している30)

要するに体制の側から投げられたボーノレは,むしろ革新自治体によってう けとめられ,佐藤竺の「全国調査の結果10)Jの報告にもかかわらず,実態 は以上のようなものであった。日本総合研究所が,いかに住民迩動,住民参 加を,体制維持のための方策として理論づけよう11)と,これらは現段階にお いては体制側に「なじまないもの」のようである。 1978年の「三全総」には 地方の定住構想を打ち出しながら,市民参加による「魅力あるマチづくり」

計画も,住民参加によるコミュニティ計画も文字としては完全に姿をけして いるのであるO

都 市 の な か の 町 づ く り 一 一 住 区 区 分 の 根 拠 一 一 一

現在のわが国の都市には,幕藩体制期の城下町,港町或は宿場町等古くか ら都市の核をもったものが,明治以降周辺町村を合併したものと,明治以降 の近代産業の立地によって新しく都市の核をもち,その後の町村合併によっ て成長してきたものに大別することができる。もちろん前者のばあいその人 口集積によって近代産業が立地してー居成長のポテンシャルを持って発展し ている例も多い。長崎市は第三の例であり,佐世保市は第二の例である。太 平洋ベソレトの急成長した諸都市は多く第二,第三の例である。高度成長期に 入って,主に大企業の立地或は進出の有無によって,都市のスクラップとピ ノレドとが進められるが,高度成長期の前夜昭和30年頃から,一般の自治体に おいて,行政指導によって町村合併が急速に進められ, ビノレド都市は急速に 肥大化してきた。こうしてピノレドことに大平洋ベルトの諸都市は,多くの人 口をかかえこんでくる口単にベルト地帯のみでなく,地方中心部市もまた,

人口の増減にかかわりなく,合併によって広大な空間をかかえてきた。こう して都市は高度成長期前後からその自然,産業の構造,歴史的伝統,社会

(15)

的性格等を異にした多くの異質の地域をふくんで空間的にも肥大化してき た。つまり今日の都市は多くの「マチ」と「ムラ」との集合体といえるo 22(1889)年市制のしかれた当初の長崎市は古い貿易都市としての空間の みであったが,明治31(1898)年,当時三菱造船所とその関連企業群との立 地する測村と同造船所の小菅ドック(今日のソロバンドック)の立地してい た戸町村とを合併して,貿易都市から工業都市に転換した31に つ い で 明 治

昭和52年度長崎市における小売吸引率(小学校区別〉

全市平均吸引率を1.00とした 名小学校区の小売吸引率。

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院は

~

0.0 0.6 1.0‑ 1.6‑ 10.0%以よ 0.5%  0.9%  1.5%  2.5%  昭和45年と比較して,新興菩,

西坂両校区は5096増,西北校区 3倍増,銭座校区は5096 他は大きい変化なし。

(16)

62  経 営 と 経 済 長与町に対する長崎市の中枢機能(昭和535月調査〉

長与町民に,次の諸買物の購買地をきいてみた。

一農村地域ー

町 内 の 長 崎 市 内 ショッピン

滑石│住吉│浜町

センター

生 鮮 食 料 品 73  21  38  27 

※「文化品運j苫, 

加 工 食 料 品 31  16  49  39 

実 用 衣 料 品 29  31  16  25  高 級 衣 料 品 12  18  82  21  23 

ど庭,用 家 具 什 器 類 23  32  21 

。 。

家庭電気製品 36  28  25 

。 。

22  37  34 

。 。

,廻,靴j,服,  家 庭 用 品 49  25  13  10 

口口 83  37 

{ 23 

。 。

381  245  I 299  124  27 

一都市化地域ー

町 内 の 長 崎 市 内

ショッピン

滑石│住吉│浜町 センター

生 鮮 食 料 品 67  65  35  12  加 王 食 料 品 54  34  57  61  13  実 用 衣 料 品

。 。

62  35  32  高 級 衣 料 品

37  27  家 具 什 器 類

。 。

45  68  家庭電気製品 21  36  26  45 

口口 11 

47  24 

2~

家 庭 用 品 34  33  43  13  ロロ 65  41 

81 

{ 29  8 I  6 I  0 

210 

三 司

(17)

37(1904)年に今日の長崎港周辺が埋立てられた。その後三菱企業の拡大に伴 って,順次歴史的伝統を異にする浦上村,山里村,上長崎村ついで西浦上村 その他が,更に昭和30(1969)年以降になると,長崎湾斜面をこえて,日見 村,深堀村,福田村が,更に三菱企業とかかわりなく茂木,東長崎,三重の町 村を合併して市域は拡大していった。もちろん,これらの歴史的伝統や民俗 を異にしたマチ,ムラが合併後も相互に孤立しているのではない。むしろそ れ以降新興善,磨屋両校区一浜ノ町商庖街,官公庁,飲食庖街,大企業(主 に証券,金融,損保企業が多い)等の集中,集積しているいわゆるCBD 全市に対する統一的,中枢的機能はかえって強化している(付図参照)。乙の 長崎市のCBDは,単l乙,長崎市域ばかりでなく,岡市を中核とする広域生 活圏内に中枢的機能を拡大している乙とは長与町の買物動向からみても明か である32)。乙うして都市が肥大してくればくるほど都市は市民の手のとど かない巨大な存在となり,都市住民と都市行政との関係は遠くならざるを得 ない口都市の行政は,市民を人格の喪失した単なる人口としてのみとらえが ちであり,その上,さきに述べてきたように,管理社会の中にあっては,職 場の内外にあって「人間疎外」が進み,地域社会にあっては連帯感を失なっ て,都市を自己の単なるねおきする場としか考えなくなるo換言すると,生 活の場であるはずの地域社会は,マイホームの単なる集積にすぎなくなって いる。さきの住民運動とほ自ら居住する地域社会の生活上の諸問題を解決す るための町づくりを,マイホームから出て市民の一人一人が自らの問題とし て関心と自覚とをもち,地域に関する行政を市民の身近かなものとする運動 であり,その運動を通して,一層市民的な自覚を深める過程でもある。そし て都市の行政とそうした住民運動との協力によって地域の諸問題を解決しよ うとする両者の相互作用ーそれが行政への市民参加であると言えようD こう した経過をへて都市ははじめて市民にとって魅力ある存在となりうるもので あろう。ことに地方の小都市にあっては,居住地がそのまま自らの都市であ り,またl1人の市民の発言,行動の意味は大きく,それだけに,市民参 加による町づくりは一層大きく住民の意志を反映して,都市は真に市民にと って魅力あるものとなるはずである。星野は1"とくに小都市においては,

(18)

64  経 営 と 経 済

このような相互作用なくしては,市民にとって本当に魅力ある存在とはなら ない33)Jと主張している口然らば市民の手のとどき難く,都市問題の山積 する大都市,地方中心都市において小都市のときのようなキメ乙まかな町 づくりを可能にする方法は何か。大都市は,さきに述べたように,近隣住区 であるマチ,ムラの集合体であると考えると,住民参加を大都市行政と市民 運動との直接的な相互作用としてではなしに,市民の居住空間である近隣,

マチ,ムラの行政と地域住民とのそれがまず基本的なものとなるべきであろ o ここに大都市において,コミュニティスペースとしての近隣住区の策定 が極めて重要な意味をもってくるのである。そこから,近隣住区の生活環境 整備のいわば「ミニ都市計画」或いは都市の中の「マチづくり」が生れてく

D 通常「住区計画」とよばれているものであり,長崎市では地区別計画と よんでいるようであるo もちろん全市的な立場に立つ調整の機構が必要であ るが,何れにせよ,こうした「住区計画」がつみ上げられて,はじめて大都 市もまた市民にとって身近な魅力ある存在となるであろう口

乙うして,現代社会の危機といわれる、都市問題グの解決は,市民参加を 経てはじめて可能であるとするならば,市民参加の前提をなす主体的市民組 織であるコミュニティの形成,それによる一人一人の市民の復権こそ,現代 の危機を打開する一つの方途ではないだろうか。そのための行政の対応が必 要であることはいうまでもないが,同時に,タテ社会から解放される余暇の 一部を,地域の問題の解決のために努力する市民的自覚が強く要請されよ う口そして社会学や空間場所の科学としての地理学もまたこれに参加する重 大な使命をもつはずであるo

コ ミ ュ ニ テ ィ と 地 理 学

こうしたコミュニティ活動に,地理学はどのような貢献をなしうるのであ ろうか。地理学は古くから場所,空間の科学として,自らの独自性を主張し てきた。すべての人間活動は必ずひろがりをもち,特定の場所を占拠する空 間的,場所的実在である。

(19)

地理学ことに経済地理学は経済活動の空間的,場所的研究を中心としてき 、立地論グ LocationTheoryがあたかも経済地理学そのものであるよ うに思われた時期さえあり,ことに,第2次大戦後の高度の技術革新によっ て,労働力や生産手段の新しい立地や,場所的移動が激しく,立地論は盛行 を極めた。あたかも,第1次大戦後の「今日われわれは経済諸力のかつて ないほどの大規模な場所的移行と,資本と労働力との移動を目のあたりに 見ているJ34)時期に, A.  Weberの 工 業 立 地 論 むberden standort der 

lndustrien (1909)が出て,古典的な立地論が確立された事情と似てい

経済活動の立地とは,厳密にいえば,生産力すなわち労働と社会的生産手 段との特定場所の占拠であるo これらの立地によって,生態学的にいえば,

その場所に物質的社会環境を形成し,それが,経済空間を中心にした地域構 造をもっ人間空間を形成するD 生産力は特定の生産関係のもとで働くーすな わち社会的生産手段の所有関係のもとで働くものであるD 従って生産力の立 地によって作られる人間空間の構造,変草は所有者の手にある生産手段に照 応するものであって,非所有者に対応するものではないといえるO 従って,

非所有者の労働の結果であるはずの物質的社会環境ひいてはそのトータル である人間空間は,非所有者の利害に反する性格をもつことが当然考えられ る。乙こに生活のばにおける人間の疎外が起るD いわゆる企業城下町といわ れるものはその典型的な例であろう。非所有者の労働の結果であるコンビナ ートが大気や海を汚染し,沿岸漁業を崩壊せしめ,人間の生活を破壊してい る事例はあまりにも多い。人聞が人間らしさを回復するためには,この物質 的社会環境,そのトータノレで、ある現在の人間空間の基本的性格から問い直す 必要があるのではないだろうか。

従来の経済地理学は経済の資本主義的な空間原理を追求してきた。より正 確にいえば,非所有者の生活の空間原理はこの学問の対象たりえなかったの ではないだろうか。乙のことは人間の少くとも居住空間を対象とした都市地 理学においても例外ではない。

松田が解説しているように, ソーノレ Max.Sorreの 地 理 学 が I人 間

(20)

66  経 営 と 経 済

の営造物のあつまりだけを説く、死の地理学グではなしに,それらを作り出 した人間集団そのものの研究にまで進む、生の地理学グである85〉」との主 張は正しいが,残念ながら, ソーノレの場合は,人類を一体として把えたため、

に,人間集団が多くの利害の相反する階級によって構成されている視点が欠 落しているのであるoつまり地理学でいう地域とは諸々の階級によって構成 されている集団によって形成され,その集団は少くとも都市においては,非 所有者が大部分を占めているのであるo

地理学が地域の科学であると主張してきたが,その地域における生活の空 間原理の追求を忘れてきたといえるのではないか。そうした生活の空間原理 の欠如のままに,吉野の表現をかりれば「われわれはでたらめに作られた住 宅環境のなかで,生活することを余儀されてきた36)Jとするならば,今日 のコミュニティ論は,まさに地理学に対して,生活して生産に従事する非所 有者一市民のための生活の空間理論の樹立を問いかけているのではないだろ

うか。それこそ、生の地理学グではないだろうか。

さきにわれわれが調査してきた諸都市の生活空間の創造の目標,手法,実 態についてふれ,生活の空間理論の探究と「でたらめでない生活空間」の創 造へ,地理学の参加を求めたいと思うo

神戸市はさきにふれたように,人間都市普遍の真理として「市民が都市をつくる」も のとし,そのために市民がみずから行動し,地域の歴史,風土に根ざしながら,人間都 市をきづきあげていく市民の自覚と良識とを求めている。

さきの基本構想には (1)自然環境と都市環境の調和.(2)人口の社会増の抑制.(3)市民 の働くばの確保.(4)市民生活の安全確保.(5)人間味ゆたかな生活空間の創造という 5 の視点から新しい明日の神戸のまちを築いて行くことを主張している。上の5つの視点 はそれぞれ相互に密切な関係をもち,それらの理念や計画が具体化し,統一されるのは 生活空間のばにおいてである。乙乙でいう,生活空間の創造とは, 生活の安全を補償 し,生活感覚を大切にする,人間味ゆたかな都市空間であり,しかもそれぞれの特性,

多様性を生かし,地域の魅力をたかめる生活空間の創造であり,それが神戸市全体の魅 力を高めるものであるとしている。

神戸市民の生活図のひろがりを,神戸都市圏→地域→プロック→行政区→まち住区→

参照

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