T・W・アドルノ
「哲学のアクチュアリティ」
中 尾 f建 二 (訳)
T。W. ADORNO
Die AktualitEt der Philosophie
Ubersetzt von
Kenli NAKAO
今EIその職業として哲学の仕事を選ぶ人は,かつては哲学の企ての出発 点にあった,思考の力によって現実の総体を捉えることができるという幻 想を,初めから捨てねばならない。その秩序と形態が理性のいかなる権利 講求をも鎮圧している現実のなかに,正当化する理性をふたたび見出すこ
とはできないであろう。現実が,いつか正当かつ公正な現実が到来するで あろうという希望を,ただ痕跡と瓦礫のなかにしか認めないあいだは,現 実が現実全体として認識する人にあらわれるのは,ただ論争的にのみであ る。今日現実を正当かつ公正なものであると言いふらしている哲学は,現 実を覆い隠し,その現在の状態を永遠化する以外の役にはたたないのであ る。こうした機能は,あらゆる答えに先立って,すでに問いのなかに存在 していたのであった。それは今日ラディカルな問いと呼ばれているものの,
あらゆる問いのなかでもっともラディカルでない問い,すなわち存在その ものへの問いである。この問いは,新しい存在論的企てがはっきりと言明 しているものであり,あらゆる対立にもかかわらず,克服したと思いこん でいる観念論の諸体系の根底にもあったものである。と言うのも,この問
いは,存在そのものが思考に適っており,近づきうるものであること,そ して存在者の理念を問い尋ねることが可能であることを,それに対する回 答の可能性として前提しているからである。しかし,思考が総体としての 存在に適ったものだとする考えは,徐々に掘り崩されてきたし,それとと もに存在者の理念そのものも問い尋ねることのできないものになってしまっ
た。この理念こそ,円環を閉じた現実の上に比類なく煙々と輝く星として 存在しうるものであったが,われわれの生の諸形象がもっぱら歴史によっ てのみ保証されるようになって以来,おそらく永久に人間の欝にはその輝 きを失ったものになったのである。存在の理念は,哲学において無力なも のになってしまい,その太古の気品が好き勝手な内容に衣を着せるのに役 立つ,空虚な形式原理以上のものではないのである。充実した総体として の現実も,それに意味をあてがう存在の理念も想定することができないし,
存在者の理念も現実の諸要素から構築することができない。こうした理念 は哲学から失われてしまい,その起源にあった現実の総体への哲学の権利 講求もまた命運を共にしたのであった。
これについては哲学の歴史そのものが証書している。観念論の危機と哲 学の総体性講求の危機とは同じものである。自律的なラチオは一これが あらゆる観念論の体系のテーゼであった一現実の概念とあらゆる現実そ のものを自らのうちから展開することができるとされていた。このテーゼ が解体してしまったのである。きわめて厳密に現実の内実を論理的カテゴ リーから得ようと努めた,マールブルク学派の新カント主義は,なるほど 自らの体系の閉鎖性に気づいてはいたものの,現実に対する一切の権利を 断念し,自らには形式の領域が指示されているものと考えている。そうし た領域にあっては,一切の内容的規定が無限のプmセスの仮想上の終着点 へと蒸発してしまうのである。観念論の範囲でマールブルク学派と対立す る立場にあるのが,心理主義的かつ非合理主義的な姿勢をもったジンメル の生の哲学である。この生の哲学は,それが取り扱う現実との接触をたし かに保持していたものの,押し寄せてくる経験に意味を付与する一切の樵 利を失って,生命的なものという,冒目的かつ不明解な自然概念のとこ
ろにとどまってしまった。生の哲学は,この概念を「生以上(Mehr−als−−
Leben)」という不分明で見せかけの超越へと高めようとしたが徒労だった のである。最後にこれら両極を媒介する,リッケルトの西南ドイツ学派は,
諸価値のなかで,マールブルク学派が考えていたよりも具体的で扱いやす い哲学的尺度を使いこなせると考え,その諸価値へと,たとえ疑わしいか たちであれ,経験を関係させる方法をつくりだしたのであった。しかし,
諸価値の場所と起源は無規定のままである。それは,論理的必然性と心理 学的多様性の間のどこかにあって,現実にあっては拘束的なものではなく,
精神にあっては不透明なものであって,妥当の由来の問題ならびに妥当の 対象の問題を引き受けることができない,見せかけの存在論でしかないの
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である。一一観念論哲学の偉大な解決の試みからは離れたところで,科学 的な哲学が活動している。これらの哲学は,当初から観念論の根本問題で ある現実の構成への問いを放藁し,それを現に行なわれている個別諸科学,
とくに自然科学への入門教育の枠内でしか認めず,そのかわりに,意識連 関の所与であれ,個別科学の研究の所与であれ,とにかく所与のうちに確 実な基盤を所有していると思いこんでいるのである。この科学的哲学は,
哲学の歴史的諸問題との連関を失ったことで,いかなる前提に立つもので あれ,自分たち自身がつきとめたことが,歴史的諸問題と問題史とに分か ちがたく結びついており,それらと無関係ではありえないことを忘却して
しまったのである。
この状況のなかで,現象学という名の下にわれわれの前にあらわれてい る,哲学的精神の努力が始まる。その努力とは,観念論の諸体系が瓦解し た後に,観念論の道具である自律的ラチオをもって,超主観的な拘束力を もった存在の秩序を獲得しようとするものである。あらゆる現象学的志向 の底にあるパラドックスは,主観的な,デカルト以降の思考が産み出して きたと同じカテゴリーをもって,じつにその志向とは根源的1ζ矛盾する客 観性を得ようと努めているところにある。現象学がフッサールにおいて,
まさしく超越論的観念論から出発したことは,それ故になんら偶然ではな いのであり,その後の現象学の成果は,隠そうとすればするほど,ますま すこの由来を否定できないでいるのである。フッサール本来の生産的な発 見は,一一外に対して影響力のあった《本質直観》という方法よりも重要 なことであるが一かれが実証主義的な方向が十分に発達させていた,演 繹不可能な所与という概念を,それが理性と現実とのかかわりにどのよう
な意味をもつのかという点で認識し,実り豊かなものにしたことにあった。
フッサールは,原初的な趨観という概念を心理学からもぎ取り,哲学の記 述的方法を鍛え上げることによって,とっくの昔に個別科学に譲りわたし てしまっていた,限定された分析の信頼性を取り戻したのであった。しか
し,見誤ってならないのは,一フッサールがそのことをはっきりと書明 していたことは,この思想家の偉大で純粋な誠実さを示しているが一 フッサールの所与性の分析は,はっきりとは表明されていない超越論的観 念論の体系にすべて関係づけられていることである。その体系の構想は,
結局のところフッサールによって,《理性の判決》が依然として理性と現 実との関係に対する最終審である,と言われてもいるのである。そうする
と,フッサールによるすべての記述は,この理性の周辺にあることになる。
フッサー一ルは観念論を一 一・ 一・切の思弁過多から純化し,観念論が到達しうる最
高のリアリティの尺度にまでしたのであった。しかしかれは,この観念論 を爆破しはしなかったのであるeかれの領分では,コーエンやナトルプの 場合同様,自律的精神が支配している。ただかれは,精神の生産的な力を,
カントならびにフィヒテ的な自発性を請求する権利を断念し,カントのみ が自らそうしたように,かれが適切に到達しうるものの領域を手に入れる ことで甘んじている。最近三十年聞の哲学史のふつう行なわれている解釈 は,このフッサールの現象学のつつましさのなかに,その限界を見ようと するものであり,フッサールのノエシスーノエマ関係の記述においては形 式的にしか着手されていなかったとされる,まさしくあの存在の秩序の現 に行なわれている企てに最終的にはつながっていく展開の出発点と,それ をみなすのである。わたしはこの解釈に明確に反対せざるをえない。《マ テリアルな現象学》への移行は見せかけだけのものであり,研究結果の信 頼性を犠牲にして行なわれたものである。この信頼性のみが,現象学的方 法に権原を与えていたものであった。マックス・シェラーの展開のなかで,
永遠の根本真理がめまぐるしく交替しあい,最終的にそれらの超越性が無 力なものとされてしまうならば,たしかにそこに,誤りから誤りへの運動 のなかでしか真理に関与できない,思考の倦むことなく問いつづける衝迫 が認められるかもしれない。しかし,謎めいた,ひとを不安にさせるシェ ラーの展開は,たんに個人の精神の運命といったカテゴリーをもってする 以上に厳密に理解されねばならない。シェラーの展開が示しているのはむ
しろ,現象学の形式的一観念論的領域からマテリアルで客観的なそれへの 移行は,飛躍なしに疑問の余地なくなされえたのではなかったということ,
そして,かつてその哲学が完成されたカトリックの教義を背景にして,き わめて魅力的な形で構想した,超歴史的な真理の諸形象は,ひとたびそれ がまさしく現実のなかに捜し出されるやいなや,混乱し,崩壌していった ということなのである。じつにこの現実の把握こそ,《マテリアルな現象 学》が綱領的にめざしているものなのである。シェラーの最後の方向転換 が本来見本となりうるのは,以下のごとき理由によってであるようにわた しには思われる。すなわち,シェラーは永遠の諸理念と現実との裂け目を,
この裂け園を克服するために現象学はマテリアルな領域に向かったわけで あるが,この裂け自を今度は自らマテリアルー形而上的という形で承認し,
現実を欝目的な《衝動》にゆだねたのであった。この衝動と理念の天空と の関係は,不分明かつ問題的なものであって,きわめてか弱い希望の痕跡
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にしかもはや余地を残してはいないのである。シェラーにあってマテリア ルな現象学は弁証法的に自分自身を取り消してしまった,と雷うのも,そ の存在論的な企てからあとに残されたものと書えば,衝動の形而上学だけ であるし,その哲学が意のままにしている究極の永遠性は,無限定で放恣 な活動性だからである。こうした現象学の自己撤回という観点に立つと,
マルティン・ハイデガーの学説もまた,それが出現させ,外部への影響の 原因となっている始元のパトスとは異なった相貌を見せるであろう。客観 的な理念と客観的な存在への問いのかわりに,ハイデガー一においては,す
くなくとも公刊された著書で見るかぎり,主観的な問いが登場している。
マテリアルな存在論の要請は主観性の領域へ還元され,公然たる現実の豊 かさのなかには見つけだすことのできないものが,この主観性の深みのな かに探し求められている。したがって,ハイデガーがまさしく,ヨー一ロッ パの思考が産み出した,主観的存在論の最後の企て,すなわちゼーレン・
キルケゴールの実存哲学に立ち返るのは,偶然ではないし,哲学史的意味 においてもそうなのである。しかし,キルケゴールの企ては砕け散って,
回復不可能である。キルケゴールの落ち着きのない弁証法は,主観性のな かで,しっかりと基礎iづけられたいかなる存在をも手に入れることができ なかった。その弁証法に明らかとなった,究極の深みは,そこで主観性が 解体していく絶望の深みであった。それは言いかえれば,主観性における 存在の企てを地獄の企てへと魔法で変えてしまう,客観的絶望であり,こ の地獄の空間からは,超越性への《飛躍》による以外に,主観性は自らを 救い出す術を知らないのである。この飛躍は,擬似的で無内容なものであ
り,それ自体主観的な思考の行為にすぎず,その最高の規定を,ここでは 主観的精神は己れ自身を犠牲にしなければならず.そのかわりに信仰を引
き正めておくのだというパラドックスのなかに見出すのである。その僑 仰の内容はと言えば,主観性にとって偶然的に,ただ聖書の言葉にのみ由 来するのである。原理的に非弁証法的で歴史的に前弁証法的な.《手もと にある》現実を受け入れることによってのみ,ハイデガーはこうした帰結 をまぬがれることができる。しかしここでも,飛躍と主観的存在の弁証法 的否定とが,その主観的存在の唯一の正当化となっている。ただ,ハイデ ガーをなおも現象学に結びつけており,キルケゴールの観念論的思弁から 原理的に区別している,囲の前にあるもの(das Vorfindliche)の分析が,
信仰という超越性とそれを主観的精神の犠牲の下で自発的につかむことを 禁じており,そのかわりに,死における,生命的な存在の仕方への,盲目
的で暗い超越だけを承認している。ハイデガーの死の形而上学をもって,
現象学はすでにシェラーが衝動学説をもって開始していた展開を確実なも のにする。これをもって現象学が,もともとそれに挑戦したところの生気 論に終わろうとしていることは無視しえないのである。ジンメルにおける 死の超越性とハイデガーのそれとは,ただハイデガーが存在論的カテゴリ ーで語っている一方で,ジンメルのそれが心理学的カテゴリーに留まって いる点で区別されるだけであるが,事柄においては一一たとえば不安の現 象の分析においては一一もはや区別の確実な手段を見つけだすことはでき ないのである。現象学の生気論への移行というこの把握に合致するのは,
歴史主義によって現象学的存在論がふたたび大きく脅かされた時に,ハイ デガーが時間そのものを存在論化し,本質を構成するものとして人間を措 定する以外に,それを免れる術を知らなかったことである。これによって,
人間のうちに永遠なるものを探し求める。マテリアルな現象学の苦心は,
逆説的に自己を解消してしまい,永遠なるものとして,唯一碍間性だけが 残されるのである。存在論の請求を満足させるものは,その独裁から現象 学が思考を解放しようとしたカテゴリー,つまり,たんなる主観性とたん なる時闘性なのである。人間存在の究極的な条件として措定される《被投 性》の概念をもって,生は,生の哲学においてのみそうであったように,
それ自身盲目的で無意味なものとなり,いずれにあっても,死はこの生に 積極的な意味を与える術を知らないのである。思考の総体性請求は思考そ のものへと投げ返され,そこにおいても砕かれてしまった。ただ必要なの は,言うまでもなく生の豊かさを捉えきることのできない,被投性,不安,
死といったハイデガーの実存カテゴリーの狭さへの洞察だけである。ピュ アーな生概念が,ハイデガーの存在論の企てを完全に占有しているのであ る。一切が見せかけだけではないとしたら,こうした方向への拡張ととも に,すでに現象学的哲学の最終的崩壊が兆している。ふたたび哲学は,存 在への問いの前に力無く立っている。哲学は,かつて自らのうちからそれ を展開できなかったように,存在を自立的で基礎的なものとして記述する
こともできなかったのである。
わたしが最近の哲学史に言及したのは,全般的な精神史的な位置づけを するためではなくて,問いと答えのからみ合いからのみ,哲学的なアクチュ アリティの闇題がはっきりとあらわれるからである。しかも,大規模で総 体的な哲学を求める苦心が挫折してしまった後で,哲学そのものはそもそ もアクチュアルなのか,と簡潔な形で問おうとするものである。アクチュ
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アリティと言うことで,全般的な精神的状況についての無責任な見解にも とついた,あやふやな《時期到来》ないし時期尚早を考えているのではな い。そうではなくてむしろ,最近のおおがかりな努力が挫折した後で,哲 学的な問いとそれに対する回答の可能性との閤になおもそもそも櫓応性が 成り立つのかどうか,むしろ最近の問題史本来の結果は,哲学的根本閣題 が原理的に回答不可能であることを示しているのではないか,こうした問 いが考えられているのである。この問いは修辞的にではなく,まったく文 字どおりに受け取ってほしいのである。今日既存の精神的ならびに社会的 状態の安全確保ではなく,真理を問題とするどの哲学も,自身が哲学その ものの清算という問題に直面しているのを見るのである。哲学の清算は,
とくに論理学ならびに数学といった学問によって,かつてないような真剣 さをもって着手されている。その真剣さが何故それ本来の重さをもつかと 言えば,数学的自然科学を含めた個別諸科学は,19世紀に観念論的認識論
に対して自分たちを劣勢にした,自然主義的な概念装置をとっくの昔に脱 して,認識批判の内容を完全に自分のものにしてしまっているからである。
もっとも進歩した論理学が一わたしはシュリックに始まり,カルナップ とドゥビスラフによって引き継がれ,記号論理学者やラッセルと密接に関 連しながら動いている,新ウィーン学懸のことを考えているのだが一,
尖鋭化した認識批判の方法の助けを借りて試みているのは,経験のうちか ら本来的で先導的な認識だけをすべて手もとに残しておき,経験の範囲と その相対性を越え出る,すべての命題を,トートロジーのなかに,分析命 題のなかにのみ探し求めることなのである。これに従えば,アプリオリな 総合判断の構成へのカントの問いは端的に空しいものになるであろう。な ぜなら,そのような判断はそもそも存在しないからである。経験によって 立証可能なものから外れることは,何であれ禁じられ,哲学は,自分のう ちから個別科学の研究成果に本質的なものは何もつけ加えることが許され ず,ただ個別諸科学を整理監督する審級となるのである。こうした端的に 科学的な哲学の理想に一なるほどウィーン学団にとってではないにせよ,
暫学を排他的な科学性の請求に対して擁護したいと考え,にもかかわらず この請求霞体は承認する,すべての見解にとって一一その補完物ないし付 録として並び立つのが,哲学的文学の概念である。その真理に対する無責 任さ加減は,その芸術音痴と劣悪な審美眼に勝るとも劣らないものである。
文学的理想をもって哲学に手を貸すくらいなら,むしろ哲学をきっぱり清 算し,個別諸科学へ解消してしまった方がいいくらいである。こんなもの
は,虚偽の思想に悪しき装飾的装いを懲らすだけのものなのだ。
いずれにせよ,すべての哲学的問題設定を個別諸科学のそれへと原理的 には解消してしまうというテーゼはe今日でもけっして疑問の余地なく確 保されているわけではないこと,なかんずく,そのテーゼそのものは見か けほど哲学的に無前提ではけっしてないこと,このことはここで言ってお かなければならない。わたしは,このテーゼに基づいては克服できない,
二っの問題だけを指摘するにとどめたい。一つは,すべての経験論の基礎 的カテゴリーである《所与性》自体の意味の問題である。ここではつねに,
帰属主体への問いが残ってしまい,それには歴史哲学的にしか答えること ができないのである。と言うのは,所与の主体は,無歴史的に同一な,超 越論的な主体ではなくて,歴史とともに変化し,歴史的に理解することの できる形態を身に帯びているからである。この問題は,経験批判論の枠内 では,そのもっとも新しいものも含めて,そもそも提起されてこなかった し,この点で経験批判論はカント的出発点を素朴に受け入れたのであった。
もう一つの問題は,経験批判論がよく知っているものであるが,まったく 筋のとおらないやりかたで,恣意的にそれを解いたのであった。それは他 人の意識,他我の問題であって,これは経験批判論にとっては,類推を通 じてのみ開示され,自分の体験に基づいて後から構成することのできるも のなのである。だが他方,経験批判論的方法は,それが駆使する言語のな かに,そして検証可能性の要請のなかに,すでに必然的に他人の意識を前 提しているのである。この二っの問題を立てるだけでも,ウィーン学団の 学説を,まさにかれらが遠ざけたがっている哲学的連続性へ引き入れるこ とができるのである。しかしこのことは,この学団のもつきわだった重要 性を否定するものではない。この学団の意義は,かれらが企図した哲学の 科学への転換が実際に成功したというよりは,哲学における科学性とは何 かを鋭く表明することによって,哲学において論理ならびに個別科学の審 級に服してはいないものすべての輪郭を浮き彫りにしていることにあると 思う。哲学が科学に変わることはないであろう。しかし,哲学が経験主義 による攻撃の圧力の下で,特殊科学的なものとして個別科学にはふさわし いが,哲学的聞題設定を混濁させるあらゆる問いを,自分のなかから締め 出すことはあるだろう。だからと雷って,哲学がついに取り戻し,その達 成が最近の精神史のもっとも幸運な成果の一つに数えられる,個別諸科学 との接触をふたたび捨て去る,あるいはまたたんに緩めるべきである,な どとわたしは考えているわげではない。逆である。問題のマテリアルな充
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実と具体化を,哲学はもっぱら個別諸科学のその時その時の状態から引き 出すことができるであろう。哲学はまた,個別科学の《成果》を出来上 がったものとして受け入れ,安全な距離を保ちながらそれらについて瞑想 することで,個別科学に対して超然としていることも許されないであろう。
そうではなくて,哲学的な問題は,つねにそしてある意味で切り離しがた く,きわめて限定された個別科学の問いのうちに含まれているのである。
哲学が科学から区別されるのは,今日でもなお通俗的な見解が想定してい るように,普:遍性の度合がそれよりも高いことによってではない。哲学が 自らを科学から分かつのは,カテゴリーの抽象性によってでも,素材の性 質によってでもない。その中心的な差異は,むしろ次の点にある。つまり,
個別科学はその所見を,すくなくともその最終的でもっとも深い所見をe 解消できない,それ自身自足したものとして受け取っているが,他方哲学 は,自らに生じた最初の所見を,はやくもその謎を解くことが自らに諜さ れている徴候と理解するのである。端的に言えば,科学の理念は研究(F or・−
schung)であり,哲学の理念は解釈(Deutung)なのである。この場合 に,大きな,ひょっとして永遠のパラドックスが残ることになる。つまり,
哲学は絶えずいつも真理の請求をかかげて,解釈の作業を行なわねばならな いが,その際解釈の確実な鍵を持ちあわせているわけではないのである。
だから,哲学にできることと雷えば,存在者の判じ絵とそれが織り成す不 可思議な絡みあいのなかにあって,その場かぎりの,かりそめの指摘をす ることだけなのである。哲学の歴史は,こうした絡みあいの歴史に他なら ない。それ故に,哲学にはわずかな《成果》しか与えられていないし,そ れ故に,哲学はいつも新たに語り始めなければならず,それ故に,そうで はあっても以前の時代が紡ぎだした,きわめて僅かな糸でさえも欠くこと ができないのである。その糸が,ひょっとしたら暗号をテクストに変える ことができるような輪郭線を完成するかもしれないのである。従って,解 釈の理念は,これとたいてい混同されている《意味》の問題と重なっては いないのである。L一つには,こうした意味をポジティブに与えられている ものとして,現実を《意味のある》ものとして示し.正当化することは,
哲学二の課題ではないからである。こうした存在者の正当化はいずれにせよ,
存在のうちにある壊れやすさそれ自体によって禁じられている。たしかに われわれの知覚像はゲシュタルトであるかもしれないが,たんなる知覚像 からとは異なった仕方で構成されている,われわれの生きている世界は,
そういうものではない。哲学が読まねばならないテクストは,不完全で,
矛盾に満ち,壊れやすいものであり,その多くは齎目的な魔力にゆだねら れているかもしれない。いや,読むことが,まさしくわれわれの課題であ るのは,ひょっとしたらわれわれが読むことによって,魔力をより良く認 識し,それを調伏するのを学ぶためにこそであるかもしれない。もう一っ
には,解釈の理念は,現象する世界の分析を通じて開示されるものとされ る第二の世界,背後世界の想定を要請するものではないからである。カン トが確立したような,叡知的なものと経験的なものの二元論,そして,そ のイデアの天空が,何と言ってもなお精神にありのまま,あからさまに存 在しているプラトンについて,おそらくカント以降のパースペクティブか らはじめて主張されたような二元論一一この二元論は解釈の理念よりはむ しろ研究の理念に帰される一一答えだけが唯一必然的であるような,所与 のあらかじめ知られた諸要素への問いの還元を期待する研究の理念に,で ある。現象的な世界の背後に,その根底にあって,それを支えている世界 そのものを探し求めつつ解釈する人の振舞は,判じ絵のなかに,それを映 しだし,それを支えている,背後にある存在の写しを捜す人のそれに似て いる。しかし,判じ絵の解き方というのは,謎の背後にこだわって,それ に調子を合わせることではなく,謎の形態を一一瞬のうちに解明し,それを 解消してしまうことなのである。真の哲学的解釈というものは,問いの背 後でじっと待ち構えている意味をめざすのではなく,突然一一一eeのうちにこ の問いを解明し,同時にそれを食べつくしてしまうのである。そして,問 いの個々ばらばらの諸要素を,そこから解決が得られる形象にそれらが結 晶するまで,長い間あれこれ並べてみることで謎解きが完成すると,問い が消えている一一同じように哲学は,自分が諸科学から受け取る諸要素 を,長い闇さまざまな布置(星位)に置いてみる,言いかえれば,占星術 的ではない,もっと科学的にアクチュアルな表現で語るために,さまざま な布置を試みなければならない。そして,最後に諸要素は答えとして読む ことのできる形象となり,その時,問いもまた消え去っているのである。
哲学の課題は,隠れて存在している現実の志向を究明することにあるので はない。そうではなくて,現実の孤立させられた諸要素,これの簡明的確 な把握が科学の課題だが,この諸要素からなる形象,図像を構成すること によって問いを解消するといったやり方で,志向をもたない現実を解釈す ることにあるのだ(ヴァルター・ベンヤミン『ドイッ悲劇の根源』ベルリ ン1928年,9−44ページ,とくに21と33ページを参照)。哲学がつねに こうした課題に結びつけられ続けるのは,こうした苛酷な問いにかかわる
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以外には,自らの光度を輝かせることができないからである。ここで,解 釈する哲学と,志向的なもの,意味するものの観念をきわめて厳格に現実 に関して寄せつけようとしない思考方法との間に,一見はなはだ驚くべき,
奇異の念をおこさせる親縁性を見つけだす人がいるかもしれない。その思 考方法とは,唯物論である。分析的に孤立させられた諸要素を組み合わせ ることを通じた志向なきものの解釈とこうした解釈による現実の解明,こ れが,あらゆる真に唯物論的な認識のプraグラムである。このプログラム
に唯物論の方法が忠実になればなるほど,この方法は自らの対象の・一…一一一F切の
《意味》からますます距離をとり,イムプリシットな,たとえば宗教的な 意味と関係することがなくなるのである。と言うのは,解釈はとっくの昔 にあらゆる意味への問いから別れてしまったからであり,あるいは同じこ とであるが,哲学の象徴の力が衰えてしまったのである。哲学が総体性の 問いを放棄することを学ばねばならないとすれば,このことは先ず,哲学 が象徴の働きなしでやっていくことを学ばねばならないことを意味する。
今までは,すくなくとも観念論においては,この象徴の働きによって特殊 が普遍を体現していると思われていたのである。そして,かつてはその偉 大さが総体を請け合おうとした,その偉大な諸問題を断念することを学ば ねばならない。今Bでは,こうした偉大な諸問題の広範な網の目の間に解 釈が溶けて消え去っているのである。解釈がきわめて微細なものの組み合 わせのみによって,真に成功するならば,解釈はもはや伝統的な意味での 偉大な諸問題には関与しない,あるいはするにしても,一つの具体的な所 見,かつてはこれが総体的な問いを象徴的に体現していると思われたわけ だが,この所見のなかでその総体的な間いを打ち砕くという仕方で関与す るのだ。小さな,志向をもたない諸要索の構成を完遂することは,従って 哲学的解釈を基礎づける前提に数えられる。フロイトが宣言した《現象世 界の屑》への転換は,精神分析の領域を超えた妥当性をもっている。まっ たく同様に,進歩した社会哲学が経済学に向かうことは,たんに経済学の 経験的優越性からばかりでなく,哲学的解釈の内在的要請自体から同じよ うに出てくるのである。もし哲学が今日,物自体と現象との絶対的関係を 問う,あるいはもっとアクチxアルな表現をとれば,存在の意味そのもの を問うとすれば,哲学は形式だけの無責任さに留まるか,あるいは多くの 考えられうる任意の世界観的立場に分裂してしまうだろう。しかしながら,
以下のように仮定すれば一わたしは思考実験的に一つの例を出すので あって.それが実際に実行可能であるとζこで主張するわけではない一一,
すなわち。社会分析の諸要素の連関が,個々いずれの契機もそこに揚棄さ れている一つの形象を成すように,諸要素をまとめることが可能だと仮定 すれば,である。薔うところの形象とは,もちろん有機的に存在するもの ではなく,まず作り出されねばならないもの,つまり商品形態である。こ う仮定したからと言って,それによってなるほど物自体の問題が決して解 けるわけではない。ルカーチがすでにその解決を考えたように,物自体の 問題が成立する,たとえば社会的条件が指摘されるといったやり方でも不 可能だろう。なぜなら,一つの問題の真理内容は,その問題が生じてくる,
歴波的ならびに心理的条件とは原則的に異なったものだからである。しか し,商品形態の十分な構成を前にして,物自体の問題がまったく消えてし まうということは可能であろう。商晶と交換価値という歴史的形象は,光 源のように現実の見えなかった形態に光をあてるのである。物自体の問題 の究明は,その背後に意味を探し求めたが,無益な骨折りであった。なぜ なら,現実は,その〜回的で初めての歴史的出現から切り離されるような,
背後の意味をもってはいないからである。わたしはここでマテリアルな主 張を行ないたいのではなく,ただいずれの方向に哲学的解釈が進むべきかを 示したいだけである。しかし,この課題が正しく的確に表明されるならば,
わたしがそのイクスプリシットな提起を避けたいと思っている,哲学の原 理的諸問題について少なくとも若干のことが確定されることとなろう。つ まり,こういうことなのだ。従来の哲学的な問いが,超歴史的な,象徴に よって指示される理念に期待している働きは,歴史の内部で構成された,
象徴によらない理念によって遂行されるのである。これをもって,存在論 と歴史との関係も原理的に異なったものとなるだろう。従ってその際,歴 史を総体として,たんなる《歴史性》の形で存在論化するような術策を弄 する必要はなくなる。そうしたところで,解釈と対象とのあらゆる特殊な 緊張が失われ,後に残るのは,仮面をかぶった歴史主義だけということに なるだろう。そうではなくて,私見によれば歴史はもはや,そこから理念 がわき起こり,自立してくっきりと浮かび上がって,ふたたび消えていく 場所ではないのであって,歴史的な像そのものがいわば理念なのであって,
この理念の連関が無志向的に輿理を成しているのである。真理が志向とし て歴史のなかにあらわれるのではないのだ。しかし,わたしはここでこう
した考えを述べるのを打ち切る,と言うのは,哲学にとって以上に一般的 言明がいかがわしい場はないからである。哲学というものは,己れのうち から抽象的,一般的言明を排除しようとするものであり,過渡の困窮のな
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かでのみそれらを必要とするものだからである。そのかわりわたしは,解 釈する哲学と唯物論との第二の本質的連関を指摘したい。わたしが先に述 べたところでは,謎の答えは,答えと意味とが同時に存立しうるような仕 方で,その謎の《意味》なのではなくって,答えは謎のなかに含まれてい るのであった。言いかえれば,謎を立ち現わせているのは,この謎だけな のであって,謎は志向として答えを自らのうちに含んでいるのであった。
むしろ,答えは,謎とは厳格に反立するものであり,謎の諸要素の構成を 必要とし,そして謎を破壊する。答えが的確に与えられるや,謎は意味あ るものではなく,無意味なものとなる。こうした遊びのなかで行なわれる 運動を,真剣に行なうのが唯物論である。唯物論で真剣にとは,情報が認識
という閉ざされた空間に留まるのではなく,実践が情報を与えるというこ とである。現にある現実の解釈とその廃棄とは,互いに関連しあっている。
なるほど概念のなかで現実が廃棄されるわけではないが,しかし現実の形 象の構成から,そのつど即座に現実の実際の変革への要請が出てくるので ある。謎解き遊びの変革的身ぶり一たんに解答そのものが,唯物論的実 践が駆使する解答の原像を提供しているのではない。この関係を唯物論は,
哲学的に裏づけられた名称をもって呼んでいる,すなわち弁証法である。
わたしには唯一弁証法的にのみ哲学的解釈は可能であると思われる。マル クスが哲学者を,かれらは世界をたださまざまに解釈してきただけだと非 難し,問題は世界を変えることだと言って,かれらに抗議したとすれば,
この命題は,たんに政治的実践からのみでなく,同じように哲学的理論か らも正当化されているのである。問いを根絶やしにすることによって,哲 学的な解釈は初めて己れがほんものであることを実地に示すのであって,
純粋な思考は自らこれを為し遂げることができないから,解釈は実践を引 き寄せざるをえないのである。理論と実践とが弁証法におけると同じよう に組みあわさっている,プラグマティズムの見解をはっきり分けることは 余計なことである。
きわめてはっきりと,わたしはあなた方に提起したプraグラムが実行不 可能なのを自覚している一この不可能性は,たんに時聞の窮屈さから来 ているばかりでなく,−me的に存在しているものである。と言うのは,ま さにプuグラムとして,完全性と一般性において,このプログラムは実行 できないからである一きわめてはっきりと,わたしはあなた方に若干の 指摘を与えねばならないのを感じる。さしあたって先ず,哲学的解釈の理 念は,最近の哲学的な総体性請求の崩壊を通じて示されていると思われる,
暫学の清算を前にして,それにたじろぐものではない。と言うのは,従来 の意味での存在論的な問いの厳格な排除,不変的な一般概念一たとえば 人間という概念も一一の回避,精神の自足的総体性にかかわる一切の観念 の,また自己完結的《精神史》の観念の排除,哲学的な聞いがそこから切 り離されてはならない,興体的で歴史内的な複合体への,哲学的な問いの 集中,これらの要講は,これまで哲学と呼ばれてきたものの解体にきわめ て酷似したものとなる。現在の哲学的思考は,少なくとも公認のそれは,
これまでこれらの要請を遠ざけてきたし,せいぜい二三の要請を緩和して 摂取しようと努めてきただけであるから,最初の,もっともアクチュアル な課題の一つは,支配的な哲学的思考のラディカルな批判であるように見 える。わたしは不毛な否定性であるとの非難を一一ゴットフリート・ケラー がかつて《こしょう入りお菓子表現》と特徴づけた表現を恐れるものでは ない。実際に哲学的解釈が弁証法的にのみ進められうるものとすれば,哲 学がその最初の弁証法的攻撃点となる。この哲学こそ,あまたの古い答え に新しいそれを付け加えることよりも,その除去が急を要すると思われる,
諸悶題を育んでいるのである。ただ原理的に非弁証法的で,無歴史的な真 理をめざす哲学だけが,それを忘れて,さっさと最初から始めることで,
古い諸問題を除去できると妄想できるのであろう。じつに,この開始のご まかしこそ,ハイデガー哲学において先ず批判されねばならないことであ る。哲学における最近の解決の試み,そしてそのターミノロジーとのきわ めて厳密な交流によってのみ,哲学的意識の実際の変革を為し遂げること ができる。この交流は,その個別科学的マテリアルをとりわけ社会学から 取り出さねばならないであろう。この社会学は,小さな,志向をもたない,
にもかかわらず哲学的マテリアルと結びついている諸要素を晶出しており,
解釈的な取りまとめはそれらを必要とするのである。現在もっとも影響力 のあるアカデミーの哲学者の一一人は,哲学と社会学の関係を尋ねられて,
哲学者は建築家のように家を設計し,それを実行に移す一方,社会学は外 から壁をよじ登って,手に入るものをもっていってしまう泥棒である,と 答えたそうである。わたしはこの比較を認め,哲学に対する社会学の働き に有利な形でこれを解釈してみたい。つまり家は,この大きな家は,かな り以前から基礎が老朽化してしまっていて,そのなかにいる人々全員を圧 死させかねないばかりか,そこに保存されている,その多くがかけがえの
ない,すべての晶物も失われようとしているのである。泥棒がこれらの品 物のなかから二三を,しばしば半ば忘れられている品物を盗んだとすれば,
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その品物が助かっただけ,泥棒は善行をしたことになる。そして,泥棒は これらの品物を長く手許に置くことはまずないだろう,と言うのは,その 品物は泥棒にとってほとんど価値のないものだからである。もちろん,哲 学的解釈による社会学の評価は,若干の制眼を必要とする。解釈する哲学 にとって肝要なことは,それを前にして現実がぱっと開かれるような鍵を 構成することである。ところで鍵を成すカテゴリーの寸法は,特別注文さ れたものである。古い観念論は大きすぎる鍵を選び,まったく鍵穴に入ら なかった。純粋の哲学的社会学主義はあまりにも小さい鍵を選んで,入る には入ったが,今度はドアが開かない。社会学者の大部分は,唯名論を極 端なまでに押し進めるので,他の諸概念を自分へ向け,それらと複合的に 組みあわさるには,あまりにも概念が小さくなりすぎてしまったのである。
後に残るのは,おびただしい,一一es性を欠いた,たんなる「ここにあるこ れ」規定の集積であって,この集積は認識によるあらゆる組織化をあざ笑 い,いかなる批判の尺度ももはや提供してはくれないのである。かくして,
たとえば階級の概念が破棄され,そのかわりに個々の集団についての無数 の記述が登場するが,これらの記述をもはや包括的なまとまりへ,それが 経験そのもののなかに現象しているにもかかわらず,このまとまりへと整 序することができないのである。あるいはまた,もっとも重要な概念の一 つであるイデオロギー概念の一一切の鋭さが奪われてしまった。それは,イ デオロギー概念を形式的に特定の集団への特定の意識内容の配分として規 定し,その際に内容そのものの真理あるいは非真理の問題を提起させない という形でなされたのである。この種の社会学は,一・一一一in種の一般的相対主義 に組み入れられるのだが,この一般性を他の一一般性と同様に,哲学的解釈 はもはや認めることができないのであり,解釈はこの相対主義の誤りを正 すに十分な手段を,弁証法的方法のうちに所有しているのである。哲学的 概念というマテリアルを取り扱うなかでわたしが,取りまとめ(G ruppie−
rung)と整序の試み(Versuchsanordnung),布置(Konstellation)と 構成(Konstrukti◎n)について語ったのは,意図がないわけではない。と 雷うのは,現存在の意味を成しているわけではないが,その問いを解き,
解消していく歴史的な像,一一eの像は,おのずから与えられているもの ではないからである。それらは有機的に歴史のなかに待ちかまえているの ではないし,それらに気づくために,観察や直観が必要なわけでもない。
それらは,受け入れ,崇拝しなければならないような魔術的な歴史の神々 ではない。むしろ,これらの像は,人間によって作り出されねばならず,
決定的な明白さで現実がそのまわりに結晶となって析出することによって のみ,最終的に正当化されるのである。この点で.歴史的な像は,精神分 析が見出し,クラーゲスがわれわれの認識のカテゴリーとして保持しよ
うと望んでいるような,太古の,神話的な原像からは決定的に区別される のである。たとえあまたの特徴が似ていようとも,前者は人間の頭のとこ ろにその運命的な軌跡を描くという点で,後者から区別されるのである。
それは扱いやすく,理解しえるものであり,それが磁力の中心として,客 観的存在を客観的に自分の方へと向けさせているように見えるところです ら,なお人問理性の道具なのである。歴史的な像とはモデルなのであって,
これを用いてラチオは吟味し,試しつつ現実に近づくのである。この現実 は法則に身を任せることを拒んでいるが,しかしモデルの図式を,それが 正しく形づくられているかぎり,時として模倣するかもしれないのである。
ここに人々は,ベーコンが需い出し,ライプニッが生涯それをめぐって情 熱的に努力をした,哲学の古い構想をふたたび取り上げようとする試みを 見るかもしれない。それは,観念論が馬鹿げた思いつきだとあざけった構 想,すなわち発明の術(ars inveniendi)の構想である。他にいかなるモ デル理解があるにせよ,それらはすべてグノーシス的であり,責任を負え ないものであるだろう。ところで,このars inveniendiのオルガノンは,
想像力なのである。厳密な想像力,諸科学が提供するマテリアルのなかに 厳格に留まり,その配置の微細な特性においてのみ,諸科学を超え出る想 像力。この特性はもちろん,想像力が最初から,そして自ら与えねばなら ないものである。わたしがあなた方に対して展開しようと企てた,哲学的 解釈の理念が有効であるとすれば,この理念は以下のごとき要請であると 述べることができる。すなわち,問いの諸要素を,この諸要素の範囲を出 ずに組み替え,その厳密さが,問いが消え去るかどうかでチェック可能と なるような想像力,この想像力によって,眼前にある現実の諸問題につね に答えること,このことである。
あなた方の多くが,ひょっとしたら大多数が,わたしがここに述べたこ とに同意していないことを,わたしはよく分かっている。たんに科学主義 的な思考のみならず,それ以上に基礎的存在論と,哲学のアクチ アルな 課題についてわたしがもっている確信とが桐容れないのである。ところで,
他から切り離された畠身の整合性ではなく,事柄の諸関係をめさす思考は,
自分に対して公にされた異議を論駁し,自分は反論に余地を与えないもの であると主張することで,自らの生存権をしばしば裏づけてきたのではな
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い。そうではなくて,ゲーテがその概念を用いたような意味での,思考の 創造的生産性によってなのである。それでもやはり,もっともアクチ甑ア ルな,いくつかの異議に対して,あえてひとこと言わさせていただきたい。
この異議は,わたしがでっちあげたものではなく,基礎的存在論の代表者 たちが表明しているものであって,これまでわたしの哲学的解釈の実践を 導いてきた理論を初めて定式化するよう促したものである。その異議の核 心は,以下のごとくである。すなわち,わたしの見解の根底にも,人間の 概念,現存在の投企があり,ただわたしは,歴史の力に対する盲目的な不 安から,これら不変なものを明確に首尾一貫して押し進めることを恐れ,
これを不明瞭なままに放置している。そのかわりわたしは,不変なもの,
存在論の基礎に本来は帰せられるべきカを,歴史の事実性ないしその配置 に授け,歴史的に産み出された存在を盲目的に崇拝している。また,哲学 から一切の恒久的な尺度を奪い,それを美的な絵解き遊びに気化し,pri−
ma philosophiaを哲学的エッセイに変えている,とこういうものである。
これらの異議に対して,ふたたびわたしは,それが内容的に意味するとこ ろをほとんど承認し,しかしそれは哲学的に正当なことであるとして擁護 する形でしか対応することができない。わたしは,わたしの理論の根底に,
人間と現存在についての一一定の見解があるかどうかに関して,決定を下す っもりはない。しかしわたしは,この見解に遡及する必要性を認めない。
それが必要だとするのは,観念論的要請であり,純粋思考のみが自身のう ちで為し遂げることのできるような,絶対的開始の要請なのである。それ はまた,思考をその思考の諸前提の形式へ,つまり公理の形式へもってい かねばならないと信じている,デカルト的要請である。しかし,自律性を もはや想定せず,現実がラチオのなかに基礎づけられるとはもはや儒じず,
自律的一合理的立法が,それに適合してもいないし,総体として合理的に その輪郭を描くこともできない存在によって侵犯されることを,つねにい つも想定する哲学,このような哲学は合理的諸前提への道を最後まで歩み つづけることはないであろう。そうではなくて,演繹不可能な現実が侵入
してくる場に立ちつづけるであろう。もし哲学が,前提の領域へさらに進 むならば,哲学はこれらの前提を,唯一形式的にのみ.そして哲学本来の 課題がそこにあった現実を犠牲にしてのみ手に入れることができるであろ う。演繹不可能なものの侵入はしかし,歴史的に翼体的な形で行なわれる。
それ故に歴史は,前提に向かう思考の運動にストップをかけるのである。
思考はその生産性を,もっぱら歴史的臭体化においてのみ弁証法的に示す
ことができる。思考の生産性と歴史的具体化との両者は,モデルのなかで 交流する。こうした交流の形式を求める努力のためにならば,わたしは
エッセイ主義という非難を喜んで受け入れるものである。イギリスの経験 論者やライプエツは,自分たちの哲学的著作をエッセイと呼んだ。なぜな ら,かれらの思考がぶつかっては,はね返される,開示されたばかりの現 実の威力が,つねにかれらに試み(の論)という留険を強いたからである。
カント以降の世紀が初めて,現実の威力とともに,この試み(の論)とい う冒険をなくしてしまったのである。かくしてエッセイは,大哲学の形式 から美学の小さな形式になったのである。こうした外見の下に,とにかく も解釈の翼体化は避難したのであった。この解釈の異体化は,本来の哲学 が,その問題を展開する大々的な次元のなかでは,とっくの昔からもはや 駆使することがなくなっていたのである。大哲学のなかでの一切の確実性 の崩壊とともに,試論が登場するならば.そしてその際,試論が,美的エッ セイという,限定され,構成された,非象徴的な解釈を受け継ぐとするな らば,このことは,対象が正しく選択され,対象が現実的なものであるか ぎり,なんら弾劾すべきものとは思われないのである。と雷うのは,おそ らく精神は,現実の総体を産み出す,あるいはそれを概念的に把握するこ とはできないが,しかし精神は,小さなもののなかで突破口を穿ち,小さ なもののなかでたんなる存在者の尺度を爆破することができるからである。
〔解題〕ここに訳出したのは,アドルノの1931年5月7日の就任 講義である。かれはこの年ティリッヒのもとで教授資格を取得してい る。テクストは,1973年にズーアカンプ社から出た,アドルノ全集 第一巻『初期哲学論集』に収められており,この時点で初めて活字と なったわけである。ここには,1922年頃に知りあったベンヤミンの 強い影響を見ることができる。r形象(Figuの」,「像(Bilder)」,「解 釈(Deutung)」といったキー・コンセプトは,ベンヤミンの考えから アプローチした方が,いきなりこれを読むより理解しやすいかもしれ ない。それと同時に,このテクストから,その思想性と文体において,
真にアドルノらしいアドルノが始まるということも,ほぼ衆園の一致 するところである。『否定的弁証法』や『美学理論.9,はたまた『文学 ノート』のエッセイ群は,このテクストから始まる壮大なヴァリエー ションの一環であると雷えなくもない。しかし,さまざまな発展と紆
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