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研究の基盤となるもの 〜教師おこし委員会より〜

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Academic year: 2021

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研究の基盤となるもの 〜教師おこし委員会より〜

私たちは、教師が子どもとの日々の学校生活を自己との対話により見っめ直し、教師として人とし て自分自身の内面を探り、自らの可能性や存在価値を模索する「自分探し」を行うことを「教師おこ し」と呼び、大切にしている。

(1)教師おこしに込めるもの

ひ と りひ と りの 子 ど もが 、 精 一 杯 そ の子 ら し さを 発 揮 して い る時 に こ そ、 そ の 子 は も ち ろ ん学 級 集 団 と して の 他 の 子 も、 よ り確 か な 自分 自身 を 発 見 し、 成 長 して い る。

私たちは、上記のような理念のもと、子どもたちと向き合っている。そして、子どもが精一杯その 子らしさを発揮できるよう、関わってきた。子どものその子らしさはどういうところに見られるのか と、その子をできるだけ知りたいと思う。その子の行動を観察したり、その行動を別の表れとっなげ たりして、表れから感じられるその子の思いだけでなく、思いの背景までも理解していく。その子を 深く理解することなしに、その子らしさが発揮されていることを知ることはできない。私たちは、こ のように子どもたちひとりひとりをとらえようとする姿勢を、もち続けていきたいと願っている。

こうして教師が懐を深くして見えてきた子どもたちのその子らしさとは、実に個性的で多彩なもの だ。ひとりひとりには、成育歴やその子を取り巻く環境などのその子自身の歴史、自分についての理 解や友達関係などその子の状況がある。子どもひとりひとりは、見方、感じ方、考え方を自分の歴史 や状況から育んできている。子どもたちが互いにその子らしい見方、感じ方、考え方を発揮し、輝き 合っている時、互いの存在を感じ、より確かな自分を発見し、成長していくのだと考える。.

また、その子らしさをどう感じるのかは教師によって異なっていることも明らかになってきた。表 れのどこに注目し、どう感じ、考えるかは、その教師ならではのものだ。子どもたちひとりひとりが 個性的であるのと同じように、ひとりひとりの教師の見方、感じ方、考え方も異なっている。子ども たちは、そんな個性的な教師や友達と響き合いながら学校生活を送り、個性を輝かせようとしている。

だから、その子にかける願い、関わりは、その教師ならではのものであり、その教師だからこそ位置 付く。

子どもの姿に「こうあってほしい」「こうあるべきだ」と思うことがある。そうならない子どもの 表れに出会った時に、「なぜなのか」「自分と子どもの間でどこが(何が)ずれていたのか.」「自分に 何ができるのか」と、どこまでも子どもを理解していきたい。たとえ、子どもの姿が期待した通りで ある時でも、「子どもが教師に合わせてくれているのではないか」「本当にそれでいいのか」と、子ど もたちと自分との関係を今一度見っめたい。個性を輝かせようとしている子どもたちを、教師が意識 していないうちに、押し込めてしまったり、期待した通りの子どもたちの姿をその子らしいと思い込 んだりしていないか。私たちは、その子らしさを求めていく中で、自らの内面を見っめていく教師で ありたい。

その子らしさを求めていく中で、私たちは立ち止まって、自分の見方、感じ方、考え方を振り返る ことがある。思うようにならない子どもたちの姿に、自分の見方、感じ方、考え方を揺さぶられたり、

その子の思いに気づき自分との違いを感じたりする。あるいは、子どもたちを、教師の見方、感じ方、

考え方に押し込めてはいないかと自問する。どう子どもに関わることがその子らしさを支えることに なるのかと思い悩む中で、子どもの新しい魅力に気づいたり、子どもをもっと信じられるようになっ たりする。それは、教師の見方、感じ方、考え方を広げていることになる。教師が自分らしくなって いくとは、自分の見方、感じ方、考え方を知り、さらに広げていくことだと考える。教師が自分らし くなっていけば、子どもをとらえる目は広がり、子どもたちへの願いや関わりはその教師固有の人間 性をかもし出したものへと変容していくだろう。

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自己と対話をし続けても、自分の見方、感じ方、考え方は、見えにくい。だから、その教師の自己 との対話を支える仲間を大切にしたい。私たちは、子どもとの日々の学校生活の中での思いをレポー トにつづり、それをもとに仲間と語り合い、教師である自分を見つめている。子どもたちへの思いや 出来事を通して自分を語る中で、「自分はなぜそう言ったのか」「なぜその子の表れが気になるのか」

「自分は、変わってきたのではないのか」Lともう一度自分自身を見っめ直す。仲間の見方、感じ方、

考え方にふれ、共感することで、子どもへの思いを強める。共通の話題の中で、仲間との見方のずれ に、自分の関わりを問い直したり、自分の見方を見つめることがある。仲間が自らを振り返っている レポートを読んで、自分はどうであったかと自分の内面を見っめることもある。語り合いを通して仲 間に共感や疑問、時には反発を覚える。仲間と自分の見方や感じ方、考え方とを行き来しながら、自 分はどうであるかを見っめることで、自分の見方、感じ方、考え方は、はっきりしてきたり、じっく

り見っめなければと意識化されたりしていく。

語り合いの後、その印象が心に残ることがある。語り合いで感じた違和感や疑問が、直ちに自分の ものとして消化される時ばかりではない。「今までも、自分はそう感じてきたのか」「なぜ、この人は こんなに子どもに感動できるのだろう」など、語り合いを終えた後実感できないものが残る。その実 感できないものは、子どもの姿を鏡にして、常に自分を探り続けることで、子どもとの営みの中のふ

とした表れをきっかけに解消していくに違いない。

子どもとの日々の出来事をつづり、語っていく云 この取り組みを通して、そこに教師であり人であ る自分自身が映し出されてくると感じている。自分ならではのものが、日々の学校生活の出来事の中 に色濃く表れていることが見えてくるのだ。同時に、自己との対話を繰り返す中で自分探しをする私 たちの、その子ならではの素敵な部分を感じる幅が広がっセきていることも実感してきた。

こうして、私たちがより自分らしくなっていくことは、子どもとの日々の学校生活に生きてかえり、

子どもたちがその子らしさを発拝できるよう支えていくことにつながっていくと信じている。

(2)本年度教師おこし委員会の取り組みの重点

本委員会は、教師が子どもとの日々の学校生活を自己との対話により見っめ直し、教師として人と して自分の可能性やあり方を模索する場であることを確認し、本年度もレポート・語り合いの活動を 継承していく。

本年度、より自分らしくなっていきたいと願う私たちは、子どもと関わっている自分の内面を見つ めていきたい。そこで、「自分らしさを探る」を重点とし、子どもたちへの関わりの中に見えてくる 自らの見方、感じ方、考え方について見つめていく。そうすることで、私たちの内面に何があり何が 起きているのかに気づき、見方、感じ方、考え方の幅を広げていくことになるだろう。

子どもたちとの学校生活における、その教師の見方、感じ方、考え方の拠り所は、それまで歩んで きた道のりやそれまでの経験に基づくものだ。子どもの表れを受け止めたり、受け止められなかった り・する中で、どうしてその子をそのように見、感じ、考えてしまうのかと、自分の見方、感じ方、考 え方を見つめていく。教師の願いや関わりの中には、強く意識して行うこともあれば、あまり意識し ないで行っているものもある。子どもたちへの願いや関わりに、教師が意識しているもの、意識して いないものが、どう表れているのかを、自分の歩んできた道のりや経験まで振り返り考えていきたい。

子どもたちへの関わりには、意識していなくても教師自身の見方、感じ方、考え方は常に発揮されて いるのだ。

それまで意識していなかった自分の姿を見出すこと。それは、自分の感じたままに願ったり、関わっ たりしていることに気づいたり、以前はしなかった関わりをしている自分に気づいたりすることだ。

自分が普段行っている子どもに対する何気ない関わりについて、改めて目を向けてみることで気づさ が生まれ、自分の見方、感じ方、考え方を広げていく。広がった見方、感じ方、考え方で、目を向け ていけば、さらに多くの意識していないことに気づき、より自分らしくなっていけるだろう。

レポートでは、自分がどう子どもたちに関わっていったのかという事実や、その時の思いに立ち戻っ

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てみることを通して、自分を客観的に見っめることを大切にしたい。「自分がどうとらえていたのか」

「あの時は、なぜそう願ったのか」「そのように関わったことで、自分はどう感じたのか」と、その時 の事実や思いを見っめていく。そうすることで、とらえ、願い、関わりの中に自分の見方、感じ方、

考え方が見えてくる。自分自身の内面に何があり、どんなことが起きているのかがわかれば、とらえ や願い、関わりの中に、にじみでてくる自分という存在が客観的に見えてくる。それは、その時の自 分と今の自分とが対時し、自分を見っめていることである。だから、自分を飾らず正直に感じたまま を書いていきたい。

語り合いにおいては、仲間の言葉に響いたり、反発を覚えたりする自分を見っめていく。響いたら 反発したりするのは、自分の内に応えるものがあるからなのだ。何が響いたのか、何が反発させるの か、それを明らかにすることを大切にしたい。たとえば、仲間のある関わりが素敵だと思うのはなぜ かを、見っめてみる。そこには、自分も同じことをしてみたいという願望が見えてくるかもしれない。

あるいは、子ど.もに関わる中で仲間と感じたものが同じであることに安心し、関わりに自信がもてた のかもしれない。

仲間の見方に反発を覚えるのは、仲間の考えが自分のものと相容れない時ばかりではない。仲間の 考えの中に自分の嫌な面を見出しているのかもしれない。あるいは、自分ができない関わりができる 仲間に魅力を感じているのかもしれない。仲間の見方への違和感を感じる時、なぜ違和感を感じたの かと見っめることで、自分の見方ではなく仲間の見方で、出来事を見っめ直すことになる。今までい いと思っていた見方が、本当にそうなのだろうかと思えるようになること、それは自分の見方が広がっ たことでもあるのだ。

語り合いでは、自分の感じ方に共感されることで心がなごんだり、はっとさせられたりすることが ある。そう感じた自分をも見っめるからこそ、自分を見っめるとは厳しく、限りのないものでもある ことがわかってくる。語り合いは、自分らしさとはどういうものかを見っめていく場でもある。時に は、自身を見つめることを恐れ目をそらしたくなることもあるかもしれない。仲間の言葉にとまどっ たり、反発したりすることもある。それでも、私たちは、語り合いの仲間の言葉を、うわべだけで受 け止めたくはない。

このように、レポートや語り合いなどを通して自己との対話を重ねていくと、自らの内にある素敵 な部分や嫌な部分に出会う。今までと同じような子どもの表れであっても、ふとそれまでとは違う見 方ができる自分に出会う。例えば、友達に対して厳しく接する子どもの内に友達を求める思いがある ことや、自分を出さない子どもの内に認められたいという思いがあることを感じられた時、そう感じ られるようになった自分の成長に気づくことがある。自らの素敵な部分に気づき、自分の見方、感じ 方、考え方が広がれば、子どもたちの何気ない表れにもよさを感じ、感動できるようになるに違いな い。その時、その教師の子どもへの願いや関わりは、温かさを帯びたものになっていく。

子どもへの関わりに臆病になっている自分や、強引さをもっ自分に出会うこともある。そんな時に も、恐れず自身の内面に向き合っていく。嫌な部分を受け止めることは、しかたがないと妥協するこ とではない。受け止めようとすることは、それが本当に自分らしさなのかと自己との対話を繰り返し ていることなのだ。それは、より自分らしくなろうと自分の可能性を引き出していくことにつながっ ていく。恐れずに見っめることで、子どもの素敵な部分に気づくことができるのだ。

自己との対話の繰り返しの中で、それまで感じられなかったことを感じられるようになった自分や、

それまでより広い見方で、子どもを見ている自分に気づく。そんな自分の中の小さな変化への気づき の積み重ねを大事にしたい。こうした気づきの積み重ねによって、意識していなかった自分までも見 えてくると、自分の見方や、感じ方、考え方は広がり、子どもたちへのとらえ、願い、関わりにかえっ ていく。教師が自分らしくなることは、子どもたちがその子らしさを発揮していくことにつながって いくに違いない。自己との対話を繰り返しても、自分はなかなか見えにくいものだ。だからこそ、簡 単にわかったっもりにならないことも大切なのだ。「自分らしさを探る」中で、子どもと共に歩む自 分自身を探し続けていきたい。

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参照

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