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論文審査の結果の要旨
氏名:芳 賀 道 匡
博士の専攻分野の名称:博士(心理学)
論文題名:大学におけるソーシャル・キャピタルと主観的ウェルビーイング,適応の心理学的研究 審査委員:(主 査) 教授 坂 本 真 士
(副 査) 教授 岡 隆 教授 羽 生 和 紀
本論文では,これまで心理学以外の領域(社会学や社会疫学など)で取り上げられてきた「ソーシャル・
キャピタル(social capital; 以下,SC)」という概念を心理学領域に持ち込み,学生の主観的ウェルビー イング(大学満足感,人生満足感)や適応(抑うつ,中退率,卒業率)との関連を検討した。大学をひと つのコミュニティと見なし,そのコミュニティ(=大学)におけるSC,具体的には,仲間・クラス・教 員に関するSCが,学生レベルにおいては学生の大学満足感や人生満足感を高め抑うつを下げること,大 学レベルにおいては大学の中退率を抑え卒業率を高めることに寄与していることが,8つの研究により明 らかとなった。
SCは,日本において「社会関係資本」という訳語があてられている。人間はしばしば社会において快 適な生活を営むために,様々な社会関係に投資している。 この社会関係への投資過程は,信頼や互酬性を 伴ったネットワークにおいて協調行動をとる過程をさす。この過程は,(経済的)資産の形成・維持の過程 に類似している。信頼や互酬性を伴ったネットワークは「資本」であり,協調行動は「コストの低さ」に 該当する。したがって,社会関係への投資過程は,資産の形成・維持にたとえることができる。このうち,
信頼や互酬性を伴ったネットワークを,蓄積し利用することのできる資本とみなした概念がSCである。
理論編の前半では,SCの心理学的研究を始めるに当たって,SC概念がこれまで心理学以外の領域で 様々に定義されてきたことから,これらの概念を整理した。主要なSCの理論家と言われる Bourdieu,
Coleman,Putnamに絞り,概念を整理した。その結果,「ネットワーク」「信頼」「互酬性」の3つが,S
Cの一般的な構成要素であることを見いだした。その後,学生の主観的ウェルビーイングや適応をSCか ら検討する際に,SCの心理学的側面を調べる必要性が述べられた。すなわち,コミュニティレベルでは ネットワーク,信頼,互酬性が高かったとしても,個人が必ずしもこれらの存在を認識し,利用可能と判 断するとは限らない。たとえば,地域に住む人々が互いに関わりを持って信頼し合い,助け合うような状 況(高いSC)であっても,その地域に住む人のすべてが高いSCを認識しているわけではなく,個人差 が存在する可能性がある。主観的ウェルビーイングや適応を考える際には,この個人差が重要となる。そ こで,個人が認識するSC,すなわち主観的SCという概念が本論文で導入された。
理論編の後半では,それまでの考察を踏まえ,「大学のSC/学生の主観的SCの3段階モデル」を提起 した。このモデルは,①SCの源泉,②SC,③SCの効用,という3段階が大学と学生の関係から生起 することを説明したものである。「SCの源泉」には,大学の制度や取り組み,学生の協調行動,主観的 SCの関係が当てはまり,「SC」には,大学のSC,学生の主観的SCの関係が当てはまり,「SCの効用」
には,大学のSCと学生の主観的ウェルビーイングや適応の関係が当てはまる。モデルは①から③の3段 階を設定することで,SCが大学に蓄積され,それが学生全体に効用をもたらすまでのプロセスを説明し ている。この後,研究編に移り,このモデルに関する実証的な研究1~8が展開された。
実証的な研究を行うためにはまず,学生の主観的SCを測定する尺度が必要であるが,それに先立ち,
大学のSCとしてどのような要素を学生が認知しているのか,そしてどのような領域を設定するかなどに ついて調べる必要がある。研究1ではまずこの点を調べた。学生 12名を対象とした半構造化面接を行い,
学生にとってつながりのある人物の領域について調査した。インタビューより得られた言語データをKJ 法により分類した結果,ネットワーク資源の認知,信頼感,互酬的関係の認知の他,先行研究では説明さ れていない特徴である親近感の4つが,学生の認知しているSCの特徴であることがわかった。また,学 生にとって仲間とクラスの人たちがつながりのある人物の領域として重要であることも示された。なお,
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このサンプルにおいては認識されていなかったが,教員も学生と関わる重要な人物の領域であると考えら れることから,教員もつながりのある人物の領域に加え,研究2で学生の主観的SCを測定する項目を作 成した。研究2-A,Bでは,仲間,クラス,教員に関する主観的SCを測定する尺度を作成し,信頼性 と妥当性を検討するための質問紙調査を実施した。その結果,因子分析によって,本尺度で測定される学 生の主観的SCは,仲間,クラス,教員それぞれに関するものに分かれることが示された。再検査信頼性 に問題はなく,基準関連妥当性(社会的スキルや援助行動との関連),収束的妥当性(人生満足感および主 観的幸福感)が確認された。
研究3と4では,主観的SCと類似の概念や変数によって結果が説明される可能性を排除するために,
学生レベルの質問紙調査のデータをもとに,学生の主観的SCの源泉と効用を検討した。研究3では,人 口統計学的変数の他にサークルへの所属を統制しても学生の主観的SCが協調行動を高めることを示し,
研究4では,仲間,クラス,教員で顔と名前の一致している人の人数(ネットワーク・サイズ)を統制し ても,学生の主観的SCは主観的ウェルビーイングや適応を説明することが示された。したがって,学生 の主観的SCは,協調行動や主観的ウェルビーイングや適応を向上させる機能をもつことがわかった。こ のうち,主観的ウェルビーイングや適応を向上させる機能は,学生へ与えられる効用をさしていると考え られた。
研究5と6では,大学レベルと個人レベルの分析を並行して行うマルチレベル分析を用いてSCの源泉 と効用に関する検討を行った。研究5では,まず,大学のSCの因子構造についてマルチレベル因子分析
(最尤法)を用いて調べたところ,学生の主観的SCの場合と同じく,大学のSCもまた仲間,クラス,
教員の3つの領域に分かれることが示された。そして,マルチレベルSEM(共分散構造分析)による推 定の結果,大学のSC(仲間)得点は抑うつ得点と,大学のSC(クラス)得点は人生満足感得点と,大 学のSC(教員)得点は大学満足感得点と関連することが示された。また,それぞれの説明率は特に大学 のSC(仲間,クラス)得点において十分に大きい値だった。一方,研究6において,大学のSC(仲間,
クラス,教員)得点すべてに関し,大学の制度や取り組みのうち,特に教員との授業外交流得点と関連の あることが示された。研究5と6から,大学のSCは学生の主観的ウェルビーイングや適応,そして大学 の制度や取り組みと関連することがわかった。
研究7と8では,大学のSCの効用を示す社会的指標として1年生の中退率,4年間の卒業率を用いた。
マルチレベルSEMを用いて大学のSC(仲間,クラス,教員)得点と中退率,卒業率の関連を調べたと ころ,大学レベルの分析で大学のSC(仲間)得点と中退率,卒業率の関連が示され,それぞれの説明の 程度は十分であった。以上から,仲間を信頼し支え合えると考える学生数の増加と,低い中退率および高 い卒業率に関連のあることが示唆された。最後に研究8では1年生から2年生にわたる大学のSC得点の 経年変化について調べた。各指標の平均得点について差の検定を行った結果,大学のSC(仲間,教員)
得点は高くなり,大学のSC(クラス)得点は低くなる傾向があった。つまり,仲間や教員のような,よ り特定的な人間関係について信頼し支え合えると考える学生の数は増える一方,クラスメートのような,
より一般的な人間関係について信頼や支え合えると考える学生の数は減る傾向があった。一方,1年生と 2年生の場合で,各変数間の関連について相関分析を用いて検討したところ,一部を除いて概ね同じ関連 の構造がみられた。
以上の実証編を通して,芳賀氏の提起する「大学のSC/学生の主観的SCの3段階モデル」が概ね支 持されたと言える。本論文では,コミュニティに存在すると仮定されているSCに関し,その認知的な側 面を取り上げ,「主観的SC」として心理学的な研究を展開してきた。適応の問題を心理学的に考える際に,
個人差の問題を離れて考えることはできないが,その個人はまた,あるコミュニティに属しており,コミ ュニティ間の差も無視することはできない。その点,主観的SCという概念を導入し,マルチレベル分析 という最新の統計手法を用い,大学というコミュニティの効果とそこに属する学生の個人差を分けて論じ ている本論文は,新奇性に富むものと判断できる。また,実証の際に,38 の大学,2000 人以上の学生を 対象にした大規模な研究を行っている点も評価できる。ただし本論文で取り上げられている指標は,主観 的ウェルビーイングや適応に限られており,大学に通う大きな目的のひとつである学修は取り上げられて いなかった。このような点は今後の課題となったが,学生の大学における満足感や適応は,18歳人口の減 少とともに大学関係者の間でも問題となっている状況を考えると,大学における制度が主観的SCに影響 を与え,学生の主観的ウェルビーイングや適応に影響することを示した本論文は,学生の大学適応という
3 問題の解決に重要な示唆を与えていると言えよう。
以上の成果は,社会心理学領域における学識の深さと新しい心理科学的研究を遂行する能力の高さを示 すものであり,申請者が専門的な職務に従事するための十分な資格を有していると判断される。
よって本論文は,博士(心理学)の学位を授与されるに値するものと認められる。
以 上 平成28年1月21日