――目次――
1,
現代と宗教の問題,城戸幡太郎,Bantarō KIDO,pp.1-18.
2,
天理教伝道者における入信の過程,中山正善,Masayoshi NAKAYAMA,pp.19-46.
3,
所縁行相の方面より見たる阿頼耶識概念の展開,東田大童,Daidō HIGASHIDA,pp.47-62.
4,
宗教的偉人と信仰の象徴,ブウセツトのクリスト観を中心として,帆足理一郎,Riichirō HOASHI,pp.63-72.
5,
『華厳五教止観』撰述者論攷,「五教止観」の杜順撰述説を否定し,法蔵撰「遊心法界記」
の草稿なりと推定す,結城令聞,Reimon YŪKI,pp.73-93.
6,
華厳経の成立問題,特に入法界品について,久野芳隆,Hōryū KUNO,pp.94-114.
7,
民俗文献の検討(承前),松村武雄,Takeo MATSUMURA,pp.115-140.
8,
現代文明は宗教を必要とするか,R.Niebuhr, Does Civilization Need Religion, 1927,岸本英夫,Hideo
KISHIMOTO,pp.141-146.
9,
ヘレニズム時代の宗教思想,中期ストア派ポセドニオスを中心として,葉上照澄,Shōchō
HAGAMI,pp.147-163.
10,
労働運動と基督教会,J.Davis, Labor Speaks for itself on Religion, N.Y., 1929,佐木秋夫,Akio
SAKI,pp.164-169.
11,
ヘルダーの歴史的解釈における宗教の役割,石津照璽,Teruji ISHIDSU,pp.170-178.
12,
新刊紹介,pp.179-187.
∴
吾々は書々の鮭陰に於て特に宗教的と呼ばる∼ものを経験してゐる。しかしそれは哲畢的或は
政治的などゝ呼ばる∼ものとその本質に於て如何なろ相違が認めらる∼かを概念的に規定せんと
する時、それらの意昧は極めて酸味に捏了り、宗教的仁るものが何を意味するかゞ問題にこゑ。こ
れは概念的規定が一般におちいる抽象化の誤謬に克くものでJのる。しかし吾々は自己の経験を竪
に自己固有の経駿として意識するに止らす、それを他人の経験に二も見出し、または他人の経験を
ヽヽ
自己の経験の内にも見出さんとする要求を持ってゐる。こ∼に経験の理解といふことが認めちれ
ねばならぬ。だが、か∼る理解は如付にして可能であ・0か、吾々はこ∼に経験に於ける共
通性の存在といふことを認めねばならぬ。而して・概念とはか∼ろ存在に於ける共通性の認識に外なら
ぬ。吾々は存在の概念的規定を鮮駿の本質的認識と呼ぶことができる。しかし一の概念が他の概
念と院別されねばならぬ限り、それらの概念には特殊なる経験の認識が食まれてゐねばぢらぬ。
現代ご宗教の問盤
現代と宗教の問題
城 戸 幡 太 郎
73ヽ 現代ヾJ宗教の同点 ′ 二
書々の経験が互に理解し掛くなるといふことは、概念がその内容の特殊性々規定する限界を白魔
⊥得ないからである。故に概念の作用は畢なる経験の抽象化ではなく、むしろそ一打具健化でなけ
ヽ れば乍らぬ。概念がその具健的内容によつて自己一箪規定するニーによつて、経験は概念の内に意味として表現されてくる。書々はこの意味によつて経挨を理解することができる。・而してその意
味は吾々の生活に於ては言語によつて表現される。故に吾々が言語によつて互に意味を理解する
ことができろとすれば、言語は単なる概念の抽象化の役目・で果すのみではなく、その具健化の役
目を果すものでなければならぬ。従って言語はその抽象化の作用によつて概念の普遍性を表現す
ると共に、その具濃化の作用によつて意味の特殊性一ぜ表現することができねばならぬ。■而して新 ヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽしき意昧の理解は経験に於ける認識の生活であ㌻り、新しき言語の表現は生活に於ける概念の歴史
ヽヽ ヽヽである。吾々はか∼る認識の生活を憬験と辞し、概念の歴史を思想と耕してゐる。従って思想の
根城には惟瞼の基礎がぢければならす、健瞼の発醒には思想の苦学がなければならぬ。吾々の生
活は歴史の必然によつて規定されると共に、書々の歴史ほ生活の要求によつて費展する。吾々の
認識が一定の要求を挿つ限り、認識の対象は人間生活の表現でなければならぬ。認識の対象は概
念の統一jして判断の尊属性を要求す鳥。しかしその普遍性が判断の要求であか限り、人間の理
想であつて、存在の現質ではない。人間の理想は存在の賓現によつて厳正に批判される。換言す
71れば理論は賓痍によつてのみ澄明される。故に認識に於ける判断の理論的要求は人間の理想に抱牒
ヽヽヽヽヽ
擬されてゐる数理の勾噺であろが、生活に放ける判断の賓成約要求は存在の賓現を規定してゐる
●
ヽヽヽヽヽ
睦史の必然である。吾々は数理の燭噺に於て人間のま粗性を最も強烈に怒讃することができ、歴
史の必然に於て存在の客観性を最も確賓に認識する亡とができる。こゝに書々は数理︵晋溜︶ト
歴史︵の莞l−iつ1−t且と一ぞシュライエルマッヘルやデールタイが考へたとは全く反対の意昧に於て理 解することができる。︵せ萱−つで寧−1つit一一月明=5.ユiつge⋮賢s司訂−︼邑P穿コ●G窪巨melte哲ど藍ざ†Ⅰ.芦︶ 而して彼等が宗教を数理と露見との髄備に於て精細蓉蓮の根源的なるものとして認識せん
とした態度は、票数を哲畢と区別することのできぬ普遍と箇別との統一原理となしたのでぁる。
︵空音︰冒亨きmぎ琶gぎ。P・eFノ、Ⅰ・m︶こゝに吾々は宗教の問題に於て﹁少くとも
票数の本賓と哲畢の本質との間に如何なる関係があるかについ七考へねばならぬ問題を課せられ
るのでぁる。
〓
しかし自分は宗教を哲撃と同棲に青々の世界観を構成する単なる認識の原理とは考・へたくへ甘
い。かゝる思想は中世期に於ける基数的世界観の螢展として現代の昔々にとつては必然的歴史の
内に認識される一つの濁断的数理に過ぎない。しかし青々はか∼る思想がシュライエルマヅヘル
現代 ミ宗教︰の用度からディ〝クイへの費展として、そこには翠仁る中世期的世界観の外に近世的世界観の何物か
を教見せぎるを待ない。それは歴史に於ける非合理性の認識でぁる。世界の創造に於て紳の意志
には些かの非合理性をも認容することの1できなかった中世の思想は、近世に至って世界の一歴史に於て人間的存在の非合理性を認識すろやうになつた。而して紳も人間的存在の非合理性を合理化
ヽヽする方法として認容される原理となつた。従ってか1原理としての紳ほ一般に理性としてのみ記
ヽヽヽヽヽヽ容されねばならなかった。しかし理性は経験の統一原理としては一般に自然の法則性として認識
ヽヽヽヽヽヽされねばならなかったため、理性としての碑は僅かに人間の主観性に於て道徳の命令者として認
容されるに過ぎぢくだつた。近世に於ける宗教の一問題は如何にして人間は人間白からの主観性に
於て普遍的なもの▼∼存在を認識すべきかの問題であつた。しかしカントの如く暫畢に於ける貨践理性の優位を認める限り、醐は人間の賓践に於て道徳の命令者として厳存したのであつたが、ヘ
ーゲルの如く膏畢に於ける理論理性の優位を認める限り、紳は世界の歴史に於ける絶射精紳の顕
現として表象されたのである。中世に於ける紳の概念はスピノーザに至って本鰹といふ概念に蚤
展し、ヘーゲルに至っては絶対精紳といふ概念に費展したのであつた。しかしかゝる絶対と七ての
紳は少くとも近世に於ては自然といふ概念の内に認容されねばへ㌧らぬ気蓮に向つてゐた︵J従って 近世に於けろ.自然野ぜの螢建はその科挙的世界観を以て中世に於ける宗教的世界観を克服せねば現代ミ宗秋の間監
四 7βならなかった。こ∼に近世の思想に於て宗教と科畢との対立が極めて明瞭に意識されるやうにだ▼ 打
った。.しかしその場合に於ける宗教とはもつばら基数的世界観を指すものであつた。しかしその∴場合宗教的世界観の立場を守る唯一の堅塁は人間の道徳的社食生活といふことであつた。彼等は
こい竪丑に立籠って勇敢に奮闘した。しかし人間はやはり自然の一部分として彼等の生活は物質
的傭件によつて混定されねばならぬといふことが益々力強く認識
教的世界観の唯一の堅塁である道徳の世界までが自然科挙の方法によつて崩壊せんとしてきた。
ドイツからはフォイエルバッハの唯物暫挙がその堅塁に射して第一の亘澤を投じた。しかし彼の
耕線的唯物論の基礎には近世の・思想である人間に於ける非合理性の認識が秘められてゎた。彼の
背邸は一種の人間主義に過ぎなかった。これと同時にフー㌢ソスからはコントの常設膏挙がその竪
畳に打撃を加へたが、彼の貰否的乱曾革も人道ま童の道穂を否定することはできぢかった。この時
に留ってヤルクス及びエンゲルスの唯物史観は人間ま養或は人道ま義に出費はしたが自然利率的
認識の方法を以て徹底的に軌骨の道徳生活を克服せんとした。而して彼等のいはゆる斜畢的政令
ま議は政治運動として共産真の軍育と〃アリ、終l±ロシア革命を完成してツゲィエット・Ⅴシアを建設するに至った。これによつて宗数的世界観はそれが唯一の頼みとする赴愈の道徳生活に於てそ
の立場を失ってしまつたのであらうか。現にVシアに於ては宗教法塞によつて徒凍の宗教的信仰
現代ミ宗教の問題
五現代ミ宗教の問題
六 を碍座して′かる。ツゲィエット・ロシアに於ては票数的世界観は、現在の日本に於けるマルクスま義的世界軌の如く、狩魔の封象となつてゐる。しかしその宗教的世界観とはもつばら某数的世界
観であろ。しかし■レーニンをして﹁宗教は阿片である﹂といはしめたほど強烈に宗教はロシア民族 の心一て堪酵せしめてゐたのでJのる。人間は何故に阿片を密輸入してまでそれに陶酔せんとするの であらうか。現在の日本に於ては、﹁宗教は阿片である﹂といふ代りに資本家蓮はむしろ﹁マ〝キシズムは阿片である﹂といふでぁらう。人間は何故に蕉断を犯してまで集貨を味ひ、禁制を犯し
ヽヽてまで阿片に酔はねばならねのでめらうか。一そこには人間の吟味せんとする兵理と玩味せんとす
ヽヽる理想とがあるからである。人間は眞理の吟味によつて存在を認識することができるが、層想の
玩味によつて非存在を要求することができる。人間は月己の生活催件に於て常に現軍晶を︳
存在の理由を認識せんとするが、それと同時に現斉を否定する非存在の賓現を要求する。r∼に
人間の生活に於ては悪の怒歳と共に善の要求が認められる。しかし人間の理想は常に葦として贋
ヽヽヽヽ 現されるものではなく、多くは人間の行虐として過失の罪を犯すものである。過失の罪は認識の誤認に基くものであるが、人間の布袋が常に裸普を犯すことによつて人間は人間白からの不完全性
ヽヽヽヽヽ
を自発する。人間はか1る不完各位の白魔によつて人間の行男を可能と不可能との対立に於て審
議する。しかし人間は人間にとつて不可能なるものを可能ならしめんとする要求を有してゐる。
78ヽヽヽヽ 0 こヽに人間は人間白から一ど超越する何物かのカを要求する。原始民族はか∼るカを先に求打、近代 ヽヽ
氏警妙に求めに。青々はかゝるカ竺般に人間の世界観を構成する原理と耕する。吾々は原理
の尊兄によつて理論的には認識を可能ならしめ、賓践的には行勒を可能ならしめる。一定の原理
ヽヽ ヽヽを挿花ない知識には統一がなく、運動には組織がない。一定の原理によつて統一.された知識が哲
ヽヽ畢であり、一定の原理によつて組織された運動が政治でぁる。而して政治が一定の哲畢的畢理に
ヽよつて行はれる時、その原理の如何によつて種々なる国家を表現する。而してその原理は国家の
ヽヽ統一原理として常に一定の人間
の原理である時には皇帝が、理がその原理でゐ㌃時には人民が、その代表者となつてゐる。徒
ヽヽ ヽヽ ってその統治の方法は巫喝同家に於ては兄備により、皇帝国家に.於ては紳典により、人民国家に ヽヽヽ於ては畢問によつて行はれる。国家が一定の哲草原理によつて統治される限り、国家統治の習畢
ヽヽ ヽヽ原理は国家の教義であり、従って同数として同氏教育の根本原理で克ければならぬ。故に同家が
ヽ一定の国教を持たぬといふことは、国家の基礎に哲学がないといふことであ♭、同氏教育の級本
棉醐を映巨でゐるといふことでぁる。日本の闊艮は憲法によつて宗教信仰の自由が典へられでゐ
る。しかしその宗教は政治と無関係なものでなければならね。だが、政治と艶聞係な宗敢がJのb
得るであらうか。もし有るとすれば、それは単なる背畢的世界粗に過ぎない。票数が哲畢と異る
ヽ現代ミ宗教の問題
七 7ク八
現代ミ宗教¢開披
ヽヽ鮎は、哲学的世界観を指導原鞘とす阜園結が組織されるといふことであるむ哲挙が人間の脚結カ
ヽヽ を持つことによつて、それほ敦圏の信條として宗敦とぢ一心のである。﹁天皇は神童にして犯すペ からす﹂とは法梓であ・ると同時に紳典であり、日本奇観の信催である。これは神道の教義とは矛盾しないかも知れぬが、果して偶数及び基数の教義と矛盾し得ないものであらうか。現在に於ては
偶数も基数もこの倍條と矛爪しないやうに脈化されてゐる。しかしその布致の歴史に於ては必ず
しも矛盾し得ぢかったとはいへぬ。彿致及び基数の耐典は皇帝の推力と協雀することができた。
ヽヽヽヽ而してかゝる協妥の原理は絶劉精細の認容といふことにあつた。へ
精神の認容にある限b、ヘーゲルの一は梓哲単に於ては国家の絶封樺力一で認容せねばならなかった。従って彼の国家哲学と宗教哲学とは何らの矛盾を合むものでほなかった。しかし彼の耗射精紳は
その揮澄的螢展に於て如何なる具憶性を表現せねばならたかったか。既にフランス革命を鮮臆し
てゐる彼の畔代に於ては、貴族的専制の封建政治は否定されねばぢらぢかった。しかし国民的自
由り統一政治には一人のナボレオソ或はカイザーを認容せねばならなかった。而してそれが国民
の自由意志によつて選ばれた人間でない限♭、やはト皇帝としての絶対精神の表現に外ぢらない。
従ってか∼る閲家ほ基数亨′、の国数と†一〇ことに於て何の矛盾をも威じわ与いのでぁる。しかし基数にに更に教義を典に†る教派の教則が生じた、而して基数が国数として認められてゐる限り、
β0国家は同時に相律ふ二つの数式を認容することはできぬ。ビスマルクがカL﹁サック敦を碍摩した
如く、一つの教義は他の教義を寛服せねばならぬ。而してもし相対抗する教義が全然その原理を
異にする世界搬の上に立脚する時には、そのいづれを歯数とするかによつて国家の形鰻は相異し
てくる。宗教は国家の道徳及び法樺の基礎である。国家が互に矛盾する多くの宗教を藩容するこ
とば園家崩壊の困である。もし筒家と宗教とが分離して、宗教は互に人道重義の世界観の下に国
家を超越することができるとすれば、国家は宗教の人道主義によつて沈痛を受けるか、さもなく
ば破門されねばならね。現代に於てもP−マ法皇の洗虐を受けんとしてゐる観家がある。しかし
宗致は固家が世界的に統一きれないやうに、統一される見込はつかない。宗教ほ常に他の宗教に
対立して自己の絶封性を主張するとニスにその本質があり﹂生命がある。宗教に於ける絶対性の
♪ ヽヽヽヽヽ 矛盾、こ∼.に書々は人間に於ける倍仰の矛盾、従ってま義の固守を認めねばならぬ。而して宗教 ヽヽヽヽヽ 的間乎は常に主義の克服による迫嘗と殉教との結果を生する。宗教に於ける悲劇は信仰に於け㌃絶対性の否定でぁる。吾々が異数のために自己の信仰を否定する時、改宗の悲劇を意識し、異数
ヽヽヽ ・のために自己の生命を否定する時、殉教の悲劇一ぞ債虜する。而して改宗の悲劇によつては清算の ヽヽ ヽヽヽヽヽ 00 寂滅を威じ殉敦の悲劇によつては親等の解脱を農える。宗教は人間の生活を厳かに生と死との矛 ヽヽヽヽ ヽヽヽヽ膚に対立せしめるJしかし鳥故に於ける死は人間の白虎的な死ではなく、道徳的な死でぁる。こ
現代ミ宗教の問塩
βJ現代ミ宗教の二間垣
︼○
こに生命を問題とする自然科畢と敢含科畢との方髄論的限界が認められそ敢骨科畢の封象とL
ての生命は現在の杜曾生活でぁる。自然科畢の対象はその観察者の意識を超越した存在でなけれ
ばならねが、社食科畢のそれは観察者の意識を内在せしめた存在でなければならぬ。政令生活の
ヽヽ 黎誠に於ては認識する者のま軌は健上その封象の一部分として全健から規定されねば灯らぬ。而
ヽヽ
ブルジョアの、インテリダンテアの生活にはインテリゲソチアのイデオVギーがある。現代はそれ
してをの重任とほ歴史的政令的現賓性としての現代である。歴史的赴曾的現賓性が梗に意識する
▲ ヽ ヽ
ま観・ぎ円在せしめてゐる限り、か∼る現賓牲は常に現代として存在する。事々は現代に於て最も深割に自己を怒諭することができる。現代に於ける自己む認議は現貰の生活を離れては不可能で
ヽヽヽヽヽ
ある。故に社曾科型の方法ほ自己の生活に立脚する目的の茸現でなければならぬ。こ∼に赴骨科
ヽヽヽヽヽ
畢の方法−二は﹁吾々は何をなすべきか﹂の目的意識を自覚するイデオロゼーが認められねばなら
ぬ。而してか∼るイデオロゼーは現代意識の自己表現として最も現貨的たろ自己り生活を規定す
る原理でなければならぬ。ブルジョアの生活にはブルジョアのイデオ.pギーがあり、ブロレクリアの生活にはブロレクリアのイデオロギーがある。杏それのみではなく、小ブルジョアの生活には小
らのイデオロギー陶守の場で今Q。昔々の生活はいづ、れかの仝7オⅥギ一によつて指導されねば
ならぬ。而して一つのイデオアキーが他のイデオロギーに射して自己の絶封健一で信する時、その
∂β.
イデオロゼーは政令科挙の限界を超越して自然科挙の原理と合敦するものである。吾々ほかゝる お
ヽヽヽヽヽ政令科挙と自然利率との原理的統一に於て始めて宗教の本質を理解することができる。かゝる見
地からみれば現代のマルクスま美は単なる哲畢ではなく、科挙的敢含ま義として唯物史観の原理
ヽヽヽの下に自然科畢と政令利率とを譲二せんとする一種の宗教でぁると見倣さゞるを得ない。しかし
彼等は宗教を否定し、のみならすこれを排撃せんとする。それにも拘はらサマルクスま義を一種
ヽヽヽの宗教と見倣さねばならぬ理由隼その敢骨運動が一定の暫畢的尿理によつて指導され、マルク
ヽヽヽヽヽヽヽスま鶉の凍の下に彼等の運動は熱烈なる園結カを有してゐるからである。彼等は単なる新しき哲
畢を組織せんとするものではなく、新しき国家を賓現せんとするものである。マルクスま義の庶
の下に統治されてゐる現代のロシアに於ては、マルクスま或は明かにロシアの国数と克ってかる。
ツゲィエット・ロシアの委員長はゃルクス主義の務までなければならぬ。偉大なるロシアの革命家レ ー一;はマルクスま義の潜まで・¢つた、そして今はその様現として世界の†ルクスま養老から崇拝されてゐる。宗教的熱情はその絶封牲を認容される時、暫畢的典昧に樽換する。而して暫畢は
ヽヽ 国家の樺カの下に国数として建設され、素数は国家の権力の下に祭諒として記念される。革命家 は雑観尭と同じく国家の朱憩である。 三 現代↓J宗教の問題現代ヾ1宗教の閃夏
一二
宗教は紳畢ではない。而してまた痢畢は宗教畢でもハ甘い。吾々は宗教と宗教畢とを囁別すむと
同時に神学と宗教学ぜも明かに陰別せねばへ与らぬ。宗教といふ言葉の意味には紳の概念は表現さ
れてゐない。宗とは﹁むね﹂でふ∵り、主旨或はま義の意味である。故に宗教とは一定の主義による・数
同を意味する言真で雪Q。空igiCnは確信皇息映する言葉であるが、.HJ邑邑首によ≠ば、薄l官l・e からき望遠で、−ig弓つとは結合を意味する言尭である。故にrつli管、ふことであえこしかしその結合の意味は時代によつて相違してくる。古代では人と紳との
ある、現代では偶人と社食との結合でぁる。しかし概念的には一般に筒別と普遍との結合であ
と解することができやう。従って宗教の問題は、その語史の考案からみて最初は筒別と普遍と
の閲係についての認識から出費したものでぁるといふことができる。筒別的存屈七対して普遍的
存在を如何に考へたか。こゝに超越性及び絶対性の認識の起源がある。これを紳と考へ、或烏精
細と考へ、または埋と考へ、塑と考へることによつて種々なる宗教哲畢の原理を費展せ⊥めた.。現代に於ける薪カント派の宗教帝単に於ては宗致の対象を奥書美の債佐に対して、・それ
する発と考へてゐる。︵Wi・lde−■b呂d︰Pr賢1di2−−・ド︼邑・D読Heilige・︶.鹿って畢問は論理畢、倫理畢、美学の外に宗教畢を認めねばへ仏らぬが、果して宗教がこれら三種の畢に対して狗立の撃と⊥
−∴
て認められるか何うかは問題でぁる。コーヘンの暫畢に於ては文化意識の純粋性に於て純粋認識
β4の論理嬰基経粋意志の倫理撃と純粋威情の美畢とに対して文化意識町統一性に於て心理畢が認め
られるが、これらに劉して宗教は如何なる問題を有するものであらうかd コーヘソによれば宗教
は意識の純粋性に於て三っの方向以上の特殊な方向ではふγり待ないし、■意識の統一性に於て人間ヽヽ
h戸9F2ロ︰せ雫]野gri鴎d2rR監giOn訂ぞ賢mder句邑謡旦︼ie●︶しかしか∼る意簸でも硝はもは 屈の概念によつて規定することもできぬ。宗教は意識に於ける純粋性々統一性との相隣︵只。r邑争
ヽヽ
ヽヽぎ︶換言すれば紳と人との相関に於て怒められるものでやる。従って紳は理念であ卜、人は螢展
であるから、宗教は理念と蓉展との相関を問題とする背畢的方法その
や形而上畢的存在ではなく哲摩的存在の普遍的概念である。而してか∼る存在が畢なる自然と区
別されねばならぬ理由は、コーヘソの暫畢に於ては、自然は畢に論理畢の対象として認識され
ねばならぬからである。自然及び人間が同妄在であるためには哲畢的存の概念としての紳を
との統一原理としての存在として充分に怒容し得らるものである。それ
於て諌められねばならぬのは、コーヘソの暫畢に於ては人間の認識に於て更にその純粋性喜成一
位とが相関的に怒識されねばならぬからである。ナト〝ブの暫畢に於ても哲畢はその方法と七で
経験の客観化とま粗化との相聞が認められ、そのま粗化の方法よして心理畢が認められる限り、
現 代ミ宗教の二間慮 ββ現代ミ宗教の二間度 一四 背畢の重心︵筐1司erp巨貯Cに於て自我を認めなければならす、而してその自我は、コーヘソの人
間に於けるが如く、客観性とま軌性との相聞に於てのみ存在しなければならぬ。ナトルブの哲学
に於て甘か1る自我の相開に於て人間性の尊慮が認められ、かゝる人間性の費展を問題とする限
ヽヽり、哲畢は同時に教育でなければならなかつた。コーヘソに於ける哲畢と宗教との関係は、ナト
ルブに於てはむしろ暫撃と教育との関係として怒められねばならなかつた。かくの如くマールブ
ル〆泥の背単に於ては宗教は覇立の封象を有する純粋の拳闘として成立し行なかったのである
が、グールランドは同じく理想主義の膏畢的立場から宗教に草間としての猶立なる封象性を典へ、
宗教哲畢を彼の批判的暫畢憶系に於ける論理畢、倫理畢、美挙に封して第四の領分となした。
ヽヽヽヽヽ従って彼は宗教を文化の一事賓として、その経験的内容を醐への接近︵崇㌃G〇t且となし、そ
ヽヽの作用を渾化︵Heil官ng︶として、これを封象とする僻殊科学を宗教撃と考へた。而して彼によ
れば宗教学は重なるもの∼顕現を憤臆せんとする観念の方法 ︵已峯︷乙ik der AFlung告軋コnu−−g
辞訂r−亀甲訂訂ndeり○穿nb胃βngd袋穿i−igen︶である、︵A・G監pmd︰Re−i昔11旦lilO蕃p−1ie−︶。しかし
かゝる方法は事賓の経験と経験の批判とを明かt拓別しないものである。﹁紳への接近﹂は﹁自然
の認識﹂並びに﹁人間の要求﹂へ批判的に費展せしめられねばならぬ意識の素地に過ぎないのであ
る。もしもかゝる意識の素地が認識の封象を構成すべき綴験であるとすれば、か∼る緯瞼は自然
科挙かさもなくば政令科挙の問題として麒理されねばならぬものである。しかしか∼る意識の素 訂
ヽヽヽヽ地は人間の基礎紅顔として特殊な見地から怒識されねばならぬとすれば、それはいほゆる現象畢
的方法によつてのみ認識されねばならぬ。しかしか∼る方法はコーヘソ及びナトルブの暫単に於
ては心理畢的方法に過ぎす、凡ゆる認識の人間的統一或はま軌性、への還元である。か∼る人間の基礎経験に於ては明かに宗数的なるもの∼存在を意識することができる。しかしこれが如何なる
意味によつて認識の封象印ち存在としての規定を受くるかば、認識の方向を逆に存在の客観性へ
樽換し︷見ねばならぬ。か∼る方法によつて人間は一個の客私的存在として規定され、人間の意
ヽヽ識は人間朗存在の表現としてのみ認識の対象となり得るのである。こ∼に人間的意識に於ける㌫
数的なるもの∼存在は人間に於ける宗教的表現としてのみ存在するのである。而してか∼る宗致
ヽヽヽ的表現を人間的存在として規定する拳闘は論理畢或は自然科学的には宗教畢であり、倫理畢或は
ヽヽヽ赴倉科畢的には宗教史である。しかし就曾科挙の方法が賓践的認識に裁かねばならぬ限り、宗教
史は宗教の賓践的批判であつて、宗教は吾々の認容すべき宗敦と認容すべからざる宗教との封立
によつて、宗教の現象畢的本質直観は紹えす歴史的政令的現賓性として発展しなければならぬ。而
して宗教畢の方法論的基礎に於て宗教意識の現象挙が預定されねばならぬ限り、宗教畢は理論的
ヽヽヽには宗教心理畢でなければならす、宗教史の方法論的基礎に於て宗教の賓践約批判が期待されね
現代ミ宗教の問塩
現代ミ宗教の問題
一六
ヽヽヽヽ
ばならぬ限り、宗教史は質洩的には宗教革命でなければならぬ。コーヘン及びナトルブの膏畢を
螢展したカッシラーの暫畢に於ては、マールブルグ派の哲学に於ける相関の原理は螢展の原理と
ヽ
しての﹁梼澄﹂に遠元せし働られ克。彼のいはゆる﹁表徴形態の哲畢L︵号訂○苫eder唱mbO−訂Fen 句Ormつl−︶ に於てはコーヘソめいはゆる純粋意識の形感は言語と紳話と萄術との表徴形憩として考へられた。そしてそれらの形態に於ける言語意識、紳話意識、垂術意識は単なる意識の純粋性
としてその木賃が.怒諭されるのみでなく、それらは意識に於ける一つの原始形態として締密約に蓉展せしめられねばならぬのである。従って彼のいはゆる神話意欒仏るものはその折青的費展に
於て意味︵Sぎl︶と形象︵ヨへ一︶ との賓在的統一として意識に於ける合法性と自由性との一致
‖にまで高められねばならぬ。ここに於て形象ほ単なる物的存在として精神に働きかけてゐるので
はなく、精紳に対しては創造力の表現とh仏るのである。而してか∼る創造力の表現としての形象
が自然及び赴骨として考へられるならば、宗教意識の問題は政令の問題であアリ、同時に政令革命
の問題とならねばならぬ。しかしカ.ブシラーの膏畢に於ては宗教的創造は廃りに整術的創造に接 近し過ぎてゐる。︵声C乳rer︰つ︼=it・せ蓋m盲㌻i邑−⋮・冒ロke−1・︶またトレルチの宗教畢はカッシラーの醐語意識の群記法に比較してみれば宗教心理垂の領域を越えないものでふ∵り、彼のいはゆ
や歴史ま義は、宗教畢の方法としては、宗教の革命でなく宗教革命の解将に過ぎへ仏いのでぁるっ
ββ︵E∴ロ宕−腎b︰七∝︶tChC−e昔u−1d苧keロロFi臣grici−−dc巧芽−i号n芸叫琵琶b旨・哲畢論叢二十一、松 本良彦詳︶か∼る解秤畢的或は現象畢的宗教畢は、ウエーバーの宗教融合畢︵ヒ⋮lHノく¢ber︰−Ei・ 官−該鼓且邑e︶に於ても、ヲッノーミソの組織的紳革︵Pノノ、C−.︸bcr⋮㌻︰Sy賢m乱筆︼1C声cC厨㌻︶
に於ても認めることができる。たとひヲッノーミソの如く精柳生括に於け・三景数の廃位を認めて
も、そ臥宗教が敢骨生活の目的一計具髄的に表現してゐる現在の如何写三ポ派に屈するものでなけ
ヽヽヽヽヽ
ればならぬかを明瞭にしない限り、か∼る宗教は畢なる崇敬の本質として極めて抽象的な概念に
過ぎぬ。宗教の佳括は宗教撃の認識によつてその賓践的具鱒性を峯なる理論的抽象性にまで普遍
.化してし.まふ。マクでシ′けーラーの膏畢的人間挙が紳に於て人間の永速睦む認めんとしても、 ︵已買Sc訂㌻∴う旨二苧・ige−ニー1巳㌢雫F芦︶その紳が何らの展史的・政令約現賓牲を持つ紳の概念でないとすれば、吾々はか∼る紳の信仰によつて永遽に現代を超越した未森に於て理想の生新を
軌念してゐなければならぬ。またジェームズの心理畢的人間畢が宗教的経験の種々相を記述し訟
明した塵で つノ・、・J2買戻∴ロ石﹂訂rie計OfRe︼jgie−︼仇P℃erie−−Ce・︶吾々は悲滞なる現代生活の苦境から救はれることはできない。賓践を離れた薯畢の理論は人間を観想的生活に於て安楽に往生せ
しめることができるであらう。﹁働くものから見るものへLの観想的特捜によつて人間は遍照金
剛の御念傭も唱へられるであらう。しかし﹁見るものを働くものへLの生産的螢働によつて人間
現代こー宗教の閉息 ∂クの生活は社曾に安住†るごとができるのである。吾々は現代に於て何空音ペ1音雪か。宗教
一 は現代を否定すべき赦骨と肯定すべき赴骨とに審判するC而して青々はその審判によつて1吾々
、、11ヽヽ は河芸すべきか﹂の使命を塵悟し、一定のま義に立つ信念に.よつ首的貫徹の希望を抱き、そヽヽ
の目的の賓現に対して戚謝を表はす。か∼る信念に基く希望と戚謝とが人間の生活に於ける宗教
意識の表現で曾一社曾の庭草に於ける三世因果の賓現で雪。音々の鹿骨生活は宗教的信念によ
、、−
ヽヽ って最も判然たる宗派︵賢t︶或は業況︵Pllrtei︶に対立せしめられたのである。・而して青々は如何なるま義の下に囲結して現代の敢曾を鼻草すペきであらうか。︵毒ニ〇三、八︶
現代ミ宗教の問題
#〃個人の鎮痛は孤立的にとれを営むことがは兼ない以上、その生活の諸相が融合環境上り甚だ多くの感化−影響 ● を受けることは自明の事葦である。従って個人の精紳生活である宗教現象も、個人従来の経験と外国的條件に支 配せらる1虚が痩めて探いといつてよからう。そこで此の見解を参考にして、今天理教停道に志した人竺又は志 ナ人々が、如何なる影響を受けて入信の経路を辿ったか、或は入信後は如何なる生活を噂み越えて修道の境地町 ●′ 韮山したか、等の事柄に閲⊥外囲側なるもの、また個別的なるもの1上から討究することは.天理教の構努を如
貨に知る所以でもあり、且つは現代人の把握する宗教経験の色調の一端を親知する屏以であらう。
すなはち本稿に於ては昭和三年九月、全竺○、一七八ケ屏の天理教ぞ曾に謝して行った調査により其傲骨の
現任修道者及び死亡又は解任せる以前の伴走者の経験を各方面より調査して仲製したる﹁天理教伴道者に閲する
調査﹂の梗概を総括的に報告しょうとするのである。
材料蒐藁には問答法を採用した。毒し宗教経験の如き情緒の蓮な全拉的経験は質感其億を如箕に表白する事
は嫌串であ少、又自己自身の宗教的純粋経験を清曜に省察記述し得る着は稀であらうと思はれた上に・文字に含
まれる概念の廣狭や暗示性の強誠によつて崩される虞もなしとせないと危惧したからである。
併し問答法にあ少ては同一の事情の下に同時に多数の回答を得る串は至難であるので、各最上級敦骨︵筆者罵 天理教樽遭者に於ける入信¢過程紙用根㈹摘入・信の過程
一滴
中 山 正 薯
クJ天理教僻近着に於けろ入信の過程 二〇 大群教の軟骨制度は本部−二捉壊lこ排撃・ろ六十二の軟骨ミ吏に共下に風チエ鵡有除の軟骨ごより成る。申して=の 軟骨を放上級教令室糾する。︶より主任及助手若干名を選出せしめ、夫等の人の宇に仇って問思用紙を刷ゐて一斉に 之れを行はしたのである。そして成るべく自然の億に回答せしめるやう旨を含め.牽間者と調査者並に回答者と
′ ヽ
′ の閃に語義等に閲する主観的の錯誤が生じないやうに努めた。提出した問監の大要は.︵一︶原籍、︵l一︶韓籍、︵三︶ 現住所、︵川︶姓名、生年月日及び男女別、︵五︶創設者なるか後任者なるか.︵六︶履歴.︵七︶家族の状況、︵八︶入 信の動機、︵九︶和教の動機、︵一〇︶加数地選定、︵一一︶布教地菱更の有無.及び理由.︵一二︶教官設置迄の経過. ︵一三︶設置後の状況の十三項目とする箪が出来る。而して︵六︶履歴の内に.は畢歴.兵歴、入信前の職業.配過 脚係.授訓年月日及び年齢.教師禰命年月日及び年齢等の細別が含まれ、︵七︶豪族の状況は入信常時、布教常時、 軟骨設置︵又は後任として就職︶昔時、及び現在の凶項目に分たる。︵八︶入信の動機の項にては入信前の信仰︵宗 教派別︶及び本人の天理教に射せし態度及び入信昔時の周固︵親戚痘隣︶の態度等をも併せて記入すること一生翼求 してゐる。︵九︶布教の動桟の項には入信から布教開始迄の年数及びその常時の隈韮と入信常時の職業との比較を も併せて記入せしめた︺︵一〇︶和敷地の選定の項には選定の理由.場所、稀別︵魔女地∴束結成地.成功地.失 敗地︶等の抑日があり.︵一二︶軟骨設置迄の経過の項には倍道完成の年月日及び経過年数.布教穀、致骨設置数. 赦曾の憩度等の細目が含まれてゐる。 二 偽造開始以前の生活信仰は個人の鮭駿に威するけれども、信念の向上は在任人を触って之れを他人王偉へしめ、進ん
でほ遂に偽造に身を捧げしむるに至る事がある。是れ宗教が個人の憶験中に存しながらも政令的
に教現する所以である。が布くも斯くの如く人生上の一大均換を個人の生活の上に招来せしめる
ク3には、何か探き原因が伏在⊥てゐることは推測するに難くない。併しか∼る何かの原因が、たと 竺
へ尖れが頓機的に教生したものと雄も、液密に言へば決してそれ自身純粋なる頓機的原因とはな
らないのであつて、幾年かの人生過程と宗教経験とが相錯綜して、漸機的にこれ一で誘導したもの
に他ならないのである。即ち各個人はみぢ夫々の樽道に志したる母憧を有するものであつて、此
の母髄によつて育れたる内部的心情が何かの横線に誘蓉されて、樽造といふ特殊な宗敢生活を懐
成するものであるから、侍選者が歩む過程を讃るまへに、そ・り準備時代ともいふペき僻迫開始以
前の生活を検討することは決して無意味では無からうと思ふ。
川宗旨 個人の宗教経験の最も大きい外囲阻勒囚藍晋宗旨に関しては家の宗旨と本人の信仰
とを厳密に駈別して考へる必要があるが、回答者の多くが此り両君を混同した主は造域で、従っ
て極く僅かではあるが、これを明瞭に監別したものにあ上しは勿論個人の信仰一ぜ携用した。
回答組数一〇、七二六名について・之れを見れば、
沸教及彿数的信仰を右したるもの 無宗教と答へたるもの 宗派細道及師道的な信仰を有したるもの 数倍の宗波を信仰せるもの 天理教律法着に於けろ入信の荊療 ︵見 取︶ 六・五五三 一・三二七 九七九 一閃九 ︵青身比︶ 六一・〇九% 一二・三七% 九∴三% 一・三八%英他であつて、即ち彿致がその八割強を占めてゐ一心。
次に彿数倍春着六、四五六名について主なるものの宗派別百分比を示せば、
数倍の信仰 紳道的色彩のもの 彿数的色彩のもの 神道 棟数者と親譲ら天理政信者を減じたる七、七九九名について其まなものを大別すれば、
特定誓人露和とは二宮尊徳を崇詳し、又は報徳数と書いたものでぁる。更に右の中より無宗教
犬種敢倖邁者に於けろ入信の過程
基督致を信仰せるもの
信仰心厚し
特定偉人崇拝
儒教
親率1・天空数信者 (表一束) 分 比首 且 欺 繁 朋
眞 ヽ 五 九 眞 ヽ ヽ :た _■_ ′ヽ 帝 九 ヽ ヽ 宗 浄 土 七 八 ヽ ■さ● 田 日 蓮 五 五 ヽ ブて 九 曹 洞 幕 天 甘 宗 七 せ幣 ると もの のろ 他 六・四五六 六一九 九七 三六〇 一閃九 五八 充用 正 一 一・六〇〇 八二・七八% 七・九四% 一・二川% 囲・六二% 一・九一% 〇・〇︼% 〇・〇闇% 〇・正三% 〇・五四% 一国・九一% タメとなり眞宗が最も多いが、しかも具宗、畢吉宗、扉宗ともに大差なく、ヌ自力派、他力派おし
へ仏べで、殆ど等しき率を示せろば見のがし難き所である。
次に師道借着六一九名について重なるものの比率を示せば、
と打†り、御嶽教と黒佐敷とが相伯仲してゐる。
次に沸教的色彩あるもの丸七名の中、まぢる.ものは不動尊五五名、妙見人名、軌書天、観世音、行者請、聖天の各五名宛等であり、軸造的色彩のもの三六〇名の中にまなるものは、稲荷数囚人
名、氏翻二七名、九山敏一.玉名、冨士講一三名等であつて、単に醐傭崇拝とのみ記せるもの二〇
玉名をもこの巾に合めてかる。
回串原及職業信仰と傘屋とは必すしも表するものではない。寧ろ高等の畢藩を有するしの
に無信仰者が多く且っ非宗教的背徳を出す例さへあろから此の雨着を拉行するものと暇足するこ
とは診りである。故に侍道者の畢産は何等その侍道の過程に彩管一ぎ及はす.べきものではないが、噂温者の階級或は侍邁分域を知る上に率歴を調査す一?Jとは全然無意義であるとはいはれない。
(真二第) 天理教停逆着に於ける入信り過程 ガ.タ天理教偉通名に於ける入信の過程
今、同答者一二、〇七人名について見るに次のやうである。
即ち天理教老極道の大部分は小畢校草丈程度のものであるといひ得る。蓋し政令の一下層階級よ
りの救済一ど高唱せら、れた一り敦剋の理想及び天理教過去の歴史より見て普然の串と云ひ得やう。併
し宣に一つ附託すべ.きは寺小屋と雄も、これは其曹時の軋骨に於ける唯一S・教育機関であつてその中からも多くの畢着識者を輩出したのであるから、強ちこれを以て無数育に近きものと速断寸
乙ことは出窓ないといムことである。
次に職業について見るに、いふまでもな︿職業は偶人の掟酔的生活一ぜ資使するものではあるが、
職業に従事する問にその職業が個人の精細生活に及ばす影響は蓋し大へ︰㌢匂ものがある。今、回答
者一一、九人一名の中まな↓匂もりを寒ぐれば、農丈六、〓四帽名、番せ二∴六五一名、工業て四七
匹名ハ仏どで其他は食軋銀行員、官公袈、教化業、手職、交通道路尭、職工等、賓に種々競多に甚
∴
∴■予
∴ ∴ ‥三
丁÷
二四 クげ介すろことが出水ろ。がその中農業が五一%強堅不して全能の通年敦を占めてゐるのは﹁一に百
姓助けたい﹂といふ天理教租の意志が知覧に現成された結準じ見ることが出水よう。
い人膚の動携宗政経験夫自身は純ま軌的の持前活動でめ一品ら、個人の租先より享けついだ
素質、従妹の境遇による感化及致育等が異る以上、同一の宗教を信仰するといつても良家に云へ
ば其の信仰内容は決して同一ではない。従ってその宗教情操の種子も如何なる横線によりて費芽
したかは三日に亜しぅるものは極く稀で、大抵は幾多の事情が纏綿錯綜して何れを入信の動機と
定むべきやに迷はぎるを得ないのが普通であるが、天理教入信者の場合においては第四表に示さ
るゝが如く窟救が其の大部分を占めてゐる関係上、これは可成り明瞭に断定され得ると思ふ。
即ち病気の室救をうけて入信せるものが全憶の五九・一人%に嘗ってをろがこれは僅の年限の閉に急激な螢展を遂げた歴史を鑑れば新興の宗教として辿った普然の道であづた主が首肯される。
︶ 弟 四 表 ︵ 三ま ヽ 自 露 七 ヽ 口 −ti 五 己 家 救 四 九 人家 五 の族 ■■ 印 死知 ヽ ヽ 囁n 円
C てlニ ヽ 税 譲 n ・ぷ 悶 メヽ ピ■ 川 不束 会 族 和の 霊 失鍵 済 放的 他落杜 五 :事乙 伍曾 其的 災 四 天 親 せ悼単 ゴ 五 孟晶妄 ノヽ ′ヽ 贋 罪 恐 怖 ノー ぁつ 義 ひき 典 味 九 功 利 的 占 ひ・ 天理教停道春に於けろ入信の過程 97次にこの期間において、従来の職業を慶へ或は2れを慶して漸次倍混生括への準備を行うたも
の・が細管多きに達してゐることも豊息すべき事項で・・リラ阜思はれろが、精述す曳ことほ略すC天理教停造者に於けろ入信¢過程
二六
︶
ト債邁まての期間信仰を得て侍造に従恕する迄には細管の年限を要し、その間種々なる内的
経験を経て侍造老としての人格陶冶を完癒するものであるが、ま空而においては抱懐するその
信念の強弱ほ直ちに入信よゎ停学長の年数に伸暫嘉すことも否若い革質で雪。今、岡谷
数二、≡三名についてこれを通観するに、最も主位、・ざ占めるものほ六ケ月以内一、六七人名に
して約=叫狗を示し、次に一年以内一、這三名の一〇形強、三年以内二三九名の一〇%強、
二年以内﹁〇八七名の九・六%、五年以内七八七名の七%翳、凹年以内六三二名の空ハ%窮の膳
を追うて以下漸次逓減の傾向を示してゐる。がこれを次の如く表示すると、五年以内のもりが六、
讐ハ六名で絶憶の五七%強を嘉してゐることは見遁し難い鮎でふ∵らうとm心ふ。入信直後より五年迄
六年上Tリ一〇年迄 一一年より一先年迄 一六年より二〇年迄 二一年より三〇年迄 ︵以 下 略︶昏
iT一
点丁一 一 β占三 倍通関始後の過程
人間の持前活動は其の向ふ方面の如何を問はす、決して同じ緊荻度を拝輯することは出窓ない。
緊張と弛緩とは常に相交互して現れるものである。このことは単に穎小時間の心的過程に於て然
るのみならす、長き人間の一生を通じても云ひ得ることでぁる。又楳命侍道連勒が侍道春の内面
に燃ゆる抑へ切れぬ戚放と日登とによりて開始されたとしても、長い偽造過程中には物質的及内
債的苦滞もあれば、また燃ゆるが如き偽造心を妨害する幾多の個人的なる諸事情もあらうし、仰
又政令的なる諸事情が樽造岩の精紳上及び賓際上の両方面の生活に多くの難関を許すこともあら
/
ヽ−一′●う
川博邁の動横まづ樽道の動機について考察してみるに、次の第玉東の如き結果を示してゐる。
︵岡谷紙数一一、六八玉名︶右表の中、身上とは権柄に射して天理致信者が抱く﹁紳標のお手入れ﹂といふ信念の上から侍
′tヽ 表 五 ヽノ 弟 天理教停活着lこ於ける入信の過程 クり天理教停道春に於ける入信の過程
二八
温を決心したものを云ひ、婁救とは全快の愴びのうちに其決寧ぎしたものを指してゐるが、身上
といふ中には普通室救を享けた場合でも信者達が二口に之れを身上といひ合める習慣上、麗救ド
属すべきものも多分に這入ってゐることが推定出水得るから、両者の芯分を明瞭に断定する、とは
困難でぁる。従って此の雨着を寧ろ一つのものに経めて絡ふ方が本管かも知れない。又家業とい
ふのは侍温君自身が購求必ず散骨拾任着たるペき運命の下に在♭て傾造せしものを云ふのであ
る。が今これを通観するに侍邁を決心したものの中、身上及窪救は三、三二〇名にて細管多いが
購罪のため侍造したものが第一位を占めて四、〇二六名を示してゐる。前述の如き入信の動機に
於いては婁救が大字を占めてゐるに封し、愕追の動機が頗罪にそのま位ノピ奥へてゐることは、そ
の義教が如何に信仰心に力強く喰ひ入ってゐるかを暗示す一言のでなからうか。殊七天理教にお
いては因縁の月魔といふ挙が教理の重大な要素となつてゐる㈲係上、頗罪に費竺呈侍道の多き
は自然の勢であらう。今一二の回答文を引用してみょう。
ヽヽヽ ﹁蒙竺直火災に遇ひ、妓占分の妻子供三人共肺結核に躍り出直し︵筆歪、死亡︶とな少、又一時英男兄の信仰 鈍りしが、自分は及ばず乍ら此の零因縁を切らして巽ふ満布教を決心するに至れり。﹂︵束・軍三七、創立者・男︶ ﹁初婚の際は夫を嫌ひて私から鮮別しました。其後再婚しましたが・今度は夫が私−竺捕って他併に情婦をこし らへ家出しました。最初は不治の病︵肺病、子宮病︶を助けて頂き岩雄い神様だと思ってゐましたがl弦に因線 の理の恐ろしさを悟り、死を晒してもと云ふ楷紳にまで確信し布教に従事しました。﹂ハ甲賀、完、四〇二、創立者、女︶ J伽︶
い 環境の態度 新興の宗教が侍括される時、赴骨がその新宗教に封して何等かの態度を現し、
●
その俵度が又新宗教の停遭遇程に深刻な影響を及ばすものであることは歴史のよく示すところで
ある。而して新宗教の停播率がまた政令の値段に及ばす影響は塞にデリケートな交錯関係に立つ
ものであむ。天理教も亦此例にもれす過去九十有除年の敢史に於て幾多その影響を示してゐる。
今その社食の状膿を見るに、反封五一・八〇形、好意二八・七四〆、無関心一九・二八%、好意反封 細字するもの〇・一入%の比率を示してゐる。而して偽造者に封する環境の感度としては、家族、親戚及近隣、他宗派、官憲の四項に分けて簡単に之れを検討してみょう。
︶ 一家族の態度 ︵家族が侍温者に射してとる線度は其侍邁薯の心情に最も反響を許すもので、殊に日本の如き
家族制度の固にありては、家庭の燥度より或は鼓舞せられ或ほ失望させられる度合は極めて深
い。統計に現れた結果は、′好意七人・二四%にて反射六・六九%になつてゐるが、併しその反封者が骨肉を分けた親子兄弟から向けられるのだから、侍道老にとりでは特に革質上の障礎や精
神上の苦情となるこlは明白である。一二の例を示せば、
﹁其後再び妻を迎へたりし時の信仰は入信昔時と大差なき微蕗なものであつたが、前所長の薫陶に上り日に 日に信仰は深遠に入りたり。然共妻の反射たるや毛虫の如く天理教を忌避し、さなきだに動施し易き信仰を 天理教博道春に於ける入信の過程 JOJ天理教停遭者lこ於ける入信の過怠 三〇 不安ならしめた。外にありては前所長の先軍内にありては家内の反射、此間に立ちて困惑幾月かを逸る。 ヽヽ︳ヽ 逸に柳の御カに上り、妻の反封を懸念焦燥しっ1布教を思ひ立ち陰より陰へ匂ひ掛け︵筆者証。惜ゆる人々lこ入 信ね勒ゆるこミ︶に出でた少。妻は此を察知するや烈火の如く憤り親許へ蹄郷をなすことさへあつた。素よ少 妻は喰はす嫌ひの事なれば折にふれ時にあたりて理解をなさしめんと談論に努む。妻の身上に現はれたる病 は、より妻の理解にカあり。宛然信仰への階段とも思ぼしく、年月の中にはやがて数理を悟入し家内の反射 は讃酔にさへ欒り弦に決然布教に精進す。﹂︵名乗、宜﹂五、後任者、男︶ ﹁布教にかし﹁hソて間もなく次女覆し家族六人となる。長男は非常な反封にして一例を上ぐれば信徒が参拝に 来れば︵お前が来るから父母が益々天理教熱になるからかへって箕ひたい︶と机にて旦二賢にても手首り次第 に放り出すといふ様なりき。教曾設置常時にてもお勤め中には後にて琵琶を弊じるなどの邪魔をなしいた り。流石に反射なりし長男もチブスに罷り既に犀者に見放されたる時本人︵私︶のす1めに従ひて夫では紳揆 ヽヽヽ をためして見ると言ひたれば早速お授け︵筆者謹。教理を論・し、新棟の悪救な共1ニ併・々、てご︶をせしに其翌日熱下 りたり﹂ハ高安、宜、八八︶ ︶ 二親戚及近隣の感度 ︵
侍道に対する親戚及近隣の鰻度も亦多くは反射を示し、夫れがために布教地の鼻吏を止むな
くさせられたといふのも屡々ある。 ﹁明治二十八年頃に小松町に於て布教せる折天理教の布教師の入込めることが同町一帯に停へられると、其 反射攻撃は次第に擁に遷し其狂暴なること殆んど其例を見ない程で、老母及びカ弱き子供あるにか⊥わらず Jβ月乱入し・暴民は棍棒を以て手鷺少次第にはたきまわつたC或は料掛かの途に於て手槍を持て刺さううとした。
そこで家族はかへしたが只一人踏み止まつて布教む据けた。然し徒らに反封を受けることが目的でない。反
射の目的は他固から入り込んだといふことが唯一のものであつたから一時立退くことがよいといふことに衆
議が一致したので金澤に退き布教すること1せり。﹂︵郡山、支、四、創立者、男︶︶
三他宗涯の感度 ︵他宗汲の感度とは、徒凍其地方の信仰の鍵を振ってゐたものが新宗教の侍道による薪信仰の
割込みに射してとつた憩度で、これはいふ迄もなく反封が大部分である。が反封というても寧
ろそれは攻畢的に出るもので、裏面には経済開腹が大きいカとして構ってゐるのを見る。而も
膿度を撲滅演歌骨の如き直接的な形に於て示してゐる例もぁるが、間接に或は新聞難詰其他の
文書に採るとか、或は世人官憲を煽動しで暴干暴腰に皆らしめるといふのが多い。殊に天理教
の起った赴曾の信仰上の勢力は偶数である関係上、彼等が最も多く如上の方法で反封した。是は
一面に明治初年に於ける刷倣不和の牌係からでもあつたらうが、後竿における偶数の感度は必
やしも此の事を以てのみ諭する主は出水ない。次の例の如きは同答申往々見受けるものである。
﹁督地は元来彿教の盛んなる併にして四囲八十八ケ併の婁地あり、主に鼻音宗及展宗に堅めらる。然し氏神
祭典等は盛大に奉行せられ紳遣を好む者も亦多くあ少。天理教に於ては格別の反射をなし︵財産蕩素数であ る。馬鹿阿呆の倍する宗教なり︶と認められたり。一面僧侶紳官側にありては本郡内に天理教の侵入を防止 天理教伴遺著lこ於ける入信の過程 Jの天理教噂適者に於ける入信の過痙
三二
せんとして組合をつくり、人を旛ひ入れ各地にて天理教撲滅の連動を開始し−或は此を芝居に仕組むなどして反封建動をなし、又替客側に於ては財産蕩整数なりと誤信し、常に信徒の宅を訪問し信仰の中止を勒誘す
ることさへありたり。−故に信者も容易に結成すること維はぎる情況なりき。殊に先妻ひさ死亡の際の如きは紳葬の準備を些へ正に出棺せんとする際、来合したる上級敦曾の先生に抗議を申込まんとして郡内主なる檜
侶の押寄せたることもありたるほどなりき﹂︵郡山、支、二二、創立者、男︶﹁明治三十四年七月紳式に改式せしため、村内の天台宗風光専任職雉賀密由及び縛徒総代並びに近隣組合一
同猛烈なる反射をなし途に紹交をせらる。冠婚葬式などの扇の交際を絶たれ、十ニケ年に及びしも其王謀
者全部死亡したると教曾移持をなしたるため薦交のことも自然滑滅となれり。上述の如き情腰にありしため
教官設置の警を地方磨へ提出せし時も、近隣の者は反射運動をなすものありし食め許可も邁沸せり。共時
は雷鳥も措置に窮し、村内に布令して天理薮曾設定に反射の意見あるものは明治三十六年七月十五日を期し
村蛋へ出頭して其理由を開陳すべしと云へり。反射の村民は其日一同村役場へ指頭して反射邁動をなす準
備なりしも昔日は大暴風雨にて前年︵明治三十五年秋︶の大災青雲心はしむるものあり。恐怖のため逮竺人 も出頭するものなくて止みぬ。ために吏員は即日︵村内に天理教設置に謝し異議なし︶と申遷せしめた﹂︵甲賀、 支、︼五、創立者、男︶﹁柑は殊に甚だしく璧蒜を固守する風習ある肝とて村を立退の有様、途忙明治二十七年十一月常設敦屏の
詮数日に数十名の狼湊が来り大議論をやる等、又共時分はお助けもよく勧守護を頂き追々盛大に向つて行く
有様に、二月堂講放念彿講赦の一波から反動を受け、其に村専任職の反対もあつて蓮に竺柑挙って反射−共時村の寺で多くの伶侶が集まり、村民の應甥を得て天理教撲滅の演詮曾を開いて押寄せて来るなどー共時
† J∂4瞥戒の任に貰った瞥官迄が反射を云した澄度をとりて来る等、斯様なことが幾度もあつた。又或時は楷偶村 民全駁が村の骨議併に集まりて私を呼び寄せ.其の小に茫き私一人と村全位とが火花を散らして大論戦を始 め.花一時二時になつても鈴虫めず.途に花の明け方肪って凱歌を奏することが郎来たが.此も必然の結果 とは言ふものの紳援の御守り下されたものと感謝して居る次第であります。又途中に待伏せられた少、問打 −こ骨ふなどそんなことは大小幾度あつたか枚拳に邁ありません。相手と議論した陣など遠近から見物に禿た 人で黒山む築くなど、或は同じ倍者の中より異職者を目して其繋が反抗して来たりするなど筆紙に轟されま せんでした。﹂ハ河原町、分、﹁創立者、男︶ ︶ 四官憲の態度 ′l