森鴎外訳
﹁
埋
木
﹂
の文章について
藤
田
保
幸
一、はじめに
うもれダ この稿では、森鴎外の初期文語体翻訳作品の言語の研究の一環として、鴎外訳寸埋木﹂をとり上げ、その 文章について考察する。 ﹁埋木﹂は、ドイツの女流作家オシップ・シュピン(本名はアロイジア・キルシュナl
)
の z U 芯 のg
n
町 一 の 宮 。 巴 ロg
のg
一
g
E
(
一人の天才の物語)を訳出したものである。 筆者は、先に藤田(二O
一O
)
において、鴎外の初期文語体翻訳作品の中から、寸黄綬章﹂と、それと対比して コっきよの波﹂寸瑞西館﹂をとり上げ、それらの文章の性格の違いを論じた。今回とり上げる﹁埋木﹂は、一人の人 間のほぽ一人にわたる期間を描いているため、これら三作品││これらは、いずれも H ある時 8 8 ある時期。の出来 事を描いている││に比べて、ずっと長い作品である(﹃鴎外全集﹄第一巻(昭和四六年・岩波書底)所収本文で九 二頁。これに対し、三作品は、最も長い﹁瑞西館 L でも三六頁)。その点で、三作品とは異なる言語的特徴が際立っ てくる面もあろうかと思われる。この稿の考察では、先の稿での分析をまず足掛りとしながらも、そうした﹁原木﹂ 森鴎外訳﹁坦木﹂の文市について(勝m )
-A L ' U 一 1 ミ ノ龍谷大学論集 一 六 O において際立っている面に光を当てて、鴎外の初期文語文の言語について考えてみたい。
1
1
2
1
埋木﹂は、一言で言えば、才能ある音楽家である主人公ゲザが、楽壇の大立物ステルニイの知遇を得て世 に出、一時は作曲家としての成功をも夢見るが、ステルニイの裏切りによって挫折してしまう話である。付言すれば、 大ピアニストという設定のステルニイには、十九世紀のヨーロッパ楽壇及ぴ社交界で華々しく活躍したフランツ・リ スト(今年生誕二OO
年)のイメージが投影されているように思える。また、原作者0
.
シュピンは、久しく忘れら れた存在であったが、近本国ドイツでは再評価が進んでおり、その状況については、ベアl
テ・ヴオンデ(ニO
一O
)
の紹介が参考になる。 ー ー 3 この﹁埋木﹂は、明治二三年から二五年にかけて、﹃しがらみ草紙﹄に十回にわたって連載され(第七・ 十・十二・十五・十六・十九・二十・二十二・二十七・三十一蹴)、鴎外の最初の翻訳創作作品集﹃水沫集﹄に収め られた。また、後に明治三O
年には、雑誌﹃太陽﹄第三巻第十二放にも再録されている。この稿では、改訂版﹃水沫 集 L ( 明治三九年)に依拠した﹃鴎外全集﹄第一巻(昭和四六年・岩波書庖)所収本文に拠って考察していく。初出 以下各テキストでは、細かにはいくらかの異同が見られるが、この稿の考察の限りでは、右の全集本文に拠って検討 してさしっかえないものと判断した。 なお、この作品の題名として﹃しがらみ草紙﹄では、寸埋れ木﹂寸うもれ木 L の表記が用いられているが、﹃水沫集﹄ では寸埋木﹂となっており、この稿でもこれに従う。 以下の考察において例文を掲出する際には、その末尾に()を付して、全集における当該例文の所在場所を示 すことにし、漢数字で所載頁、丸付き数字でそこでの所載行を示した(例えば(五三二②)は、吋鴎外全集﹄第一巻 (ただし、﹁黄綬章﹂の場合のみ第二巻)の五三二頁二行目ということである)。例証の必要上、この稿では、かなり 長い例文をいくつも掲出することになるが、予めご了承願いたい。二、文章の性格(質)
ここではまず、﹁埋木﹂の文語文の性格(質)を、藤田(二O
一O
)
の分析を足掛りに、 さえてみたい。藤田(二O
一O
)
では、﹁黄綬章﹂の文章を﹁うきょの波﹂﹁瑞西館﹂の文章と、いくつかの語法等の 特徴を指標として比較し、ずっと平俗に傾いた﹁黄綬章 L の文章、かなり硬質な﹁瑞西館﹂の文章、中間的な﹁うき ょの波﹂の文章といった違いを浮き上がらせてみたが、これらと対比する形で、﹁埋木﹂の文章の性格(質)を大き く位置づけることにする。 具体例でまず見てみたい。﹁黄綬章﹂﹁うきょの波 L ﹁瑞西館﹂の一節をそれぞれ掲げる。ω
l
a
わが意見少しは利いてか、道楽も暫らく止みて亡くなられし旦那様の友達に周旋を頼み鍛道局へ勤めさせ しをり、多くもなき恩給を身元金に梯ひしに、停が尻おちつかぬために、免職の瞬、身元金を抑へられ、この家 根裏へ、餓命送りに来ぬ。高の知れたる屋根裏の生活、残の思給にて立たぬ筈はなしと、健気におもひしも暫し の問、いまは足らぬことのみ多く、首惑色に出でしを、家主の女房みかねて、阿・街の女子ひとりお探しなされて はいかず、若し思召あらば、底告のお取次もいたすべく、さいはひ明いたる媒盛ひとつあれば、損料もお安く御 用 立 つ べ し と 勧 め ぬ 。 ( 寸 黄 綬 輩 ﹂ 五 五 ⑨1
⑪ )ω
ーb
王妃は番小屋を出で玉ひぬ。さきに乗り玉ひし挽架を鼻きし卒も、いまは見えずなりぬとて、知らぬ男の 柄を握みしを見て、妃は英吉利産の舎人を呼近づけ玉ひて、馬を牽かせて騎り玉ふ。エエリヒは早くも進寄りて、 その鐙を取るに、妃はうれしげに見卸し玉ふも却りて悲し。ムユ度立還りて我家を見れば、人去りて閲然たる跡 の景色、消えか﹀りし松火の光にて、いとあはれげに見えたり。鎗と鳥銃とを手早く取りて、戸をさ﹀むとする に、外よりは我名を呼ぶ聾頻なり。浮世の波は滋来りて、よるべき岸はいづくとも定らず。 内 t i t -一つの角度からお 森鴎外訳 1 埋木しの文章について(藤田 一 六龍谷大学論集 (1) C ( ﹁ う き ょ の 波 L 六三三③
1
⑦ ) 余が﹁ヂネエ L の食卓に呼び出されしは七時半の頃なるべし。華美なる装飾ある楼下の一室にニ長卓を据 ゑ、百人許も坐を占むべき準備あり。群客が相互に言葉をも交さず来り衆るには、三分以上の時を費しつ。鳴呼、 この女服の戦ぐが如くに鳴る音、静なる建音、又た彼の態惣なる、善き衣着たる憧僕に向ひての織に聞くべき扮 附。既にして復た一空楊なし。紳士も、淑女も、服装は頗る美なり。否、貴くE
つ世の常ならず清潔なり。 ( ﹁ 瑞 西 館 ﹂ 三 二 七 ⑮1
三二八③) 右と、次の﹁埋木 L の一節││ここは、ゲザが最初の演奏会で大喝采を博し、 ( な お 、 コ ア レ リ オ L は ゲ ザ の 養 父 ) 。 ステルニイと初めて出会う場面であ るーーとを読み比べていただきたいωld
忽ちおそろしき響、おさへし手を洩りて、デレリオが耳に入りぬ。矯きて手を放ちたる老人は、初火事起 りしかと疑ひしが、あらず、此響は幾百人の喝采拍手の醗なりき。デレリオは夢の如く、柴屋に跳り入りてゲザ を抱きぬ。護人は皆手を握りて祝し、前途の事さまf
¥
にいひて褒めそやすを、世間知らぬ少年なれば、おほや うに聞きたりしが、前なる戸の俄にあきて、爾手さしのべ入り来たりし美男子の聞を見て、流石のゲザも続きぬ。 その人はアル 7 オ ン ス 、 ド 、 ス テ ル ニ イ な り き 。 ( 五 三 二 ②1
⑥ )a
の寸黄綬章 L はぐっと平俗に傾き、寸埋木﹂とは一見して異なる文章であることがわかる。一方、 b の﹁うきょ の波﹂もc
の﹁瑞西館﹂も、まずa
とは明らかに懸隔があり、少なくとも平俗といった印象を受けることはない文章 である(その点では、﹁埋木 L も 同 様 と い え る ) 。 更 に 、 b とc
を読み比べると、もとよりともに文語文であるから現 代人にとって読み易いものではないが、それでも b の 方 がc
より内容がたどり易く、c
は b に比べて措辞もやや難し く硬い文章と感じられよう。そして、このb
c
と 比 べ る な ら 、d
の寸埋木﹂の文章は、どちらかというとb
の﹁うき よの波﹂に近いもののように感じられるだろう。り下げてみることにする。 もちろん、これだけでは 8 印象。に過ぎないのだが、以下この印象を裏付け、あるいは手直ししつつ、 いくらか掘 内 , z ・ ' E E ・ 内 , -文語文の性格(質)を探る指標の一つとして、 まず比況・例示の言い方としての﹁如シ﹂と﹁ヤウナリ﹂の 使われ方を見てみる。藤田(二
O
一O
)
では、﹁黄綬章 L ﹁うきょの波﹂﹁瑞西館 L の三作品について﹁如シ﹂と﹁ヤ ウナリ﹂の使用数を調州寸黄綬章﹂は﹁ヤウナリ﹂専用、コフきよの波﹂は寸如シ﹂﹁ヤウナリ﹂をほぼ均等に用いる が 、 ー 瑞 西 館 L はもっぱら﹁如シ﹂で、﹁ヤウナリ﹂はごくわずかしか用いられないとの結果を得た。この結果は、先 に211
に記した三作品の文章の性格(質)の違いに対応し、それを物語るものと解せられる。見方を変えれば、硬 い印象の﹁如シ﹂に対して寸ヤウナリ L が用いられる度合が大きい程、文章は平俗に傾くと考えることも許されよう。 このように、比況・例示の﹁如シ﹂寸ヤウナリ﹂の使われ方の数量的傾向は、こうした文語 文の性格(質)の違いを見ていく上で有効な指標となるものと考えられる。 そこで、﹁埋木﹂についても、寸如シ﹂と﹁ヤウナリ﹂の使用数を調べ、それを右の三作品 の数値と併せて、表ーとして示す。 ﹁埋木﹂の場合、﹁如シ﹂も﹁ヤウナリ﹂も用いられるが、ほぽ二対一くらいの割合であ 比況・例示の言い方一一如シとヤウナリ] 如シ ヤウナリ 黄綬章。
7 うきょの波 19 17 瑞西館 37 4 埋 木 120 69 [表l り、﹁うきょの波﹂のように両者均等に近く用いられているわけではないが、また、﹁瑞西 館 L のように﹁ヤウナリ﹂の使用がごく僅かというわげでもない。寸瑞西館﹂のような硬い 文章が﹁ヤウナリ﹂の使用となじみにくいものとすれば、﹁埋木﹂の場合、﹁如シ﹂も寸ヤウ ナリ﹂もある程度出てくるという点では﹁うきょの波﹂と同傾向の文章といえ、 そ れ が2
1
ーで見た市印象。の近さにもつながるのだろうが、﹁ヤウナリ﹂と比べ﹁如シ﹂の使用の度 合が高いことからすると、寸うきょの波﹂よりやや硬い言葉づかいを志向するところがある 森鴎外訳 1 埋 木 L の文市について(藤田龍谷大学論集 こともうかがわれるのではないかと思う。 一 六 四 次に今一つ、﹁待っている L ﹁降ってくる L 1 渡してやる﹂のようなテ形式の補助動詞による表現を使うか、 ﹁ 待 ち 居 る L ﹁ 降 り く る L ﹁渡しゃる﹂といった非テ形式の表現を使うかという点を指標として考えてみる。この種の テ形式の表現は、テを介して補助動詞を付加することで、アスペクトや恩恵授受といった文法的(あるいは待遇的) 意味を添えるものであるが、近・現代語において発達した特徴的な表現であり、一方、それと対応する非テ形式の表 現は、明治期文語文では、テ形式のものをいわば文語的に H 回帰。させたものであったと考えられるロ従って、こう した非テ形式の表現を用いようとすることは、より文語的で硬い言い方を志向することのあらわれとも解せられる。 そこで、藤田(二
O
一O
)
では、この種のテ形式と非テ形式の表現を、後項が連接して文法 的(あるいは待遇的)意味を添えるという点で﹁連接形式﹂と一括し、三作品についてテ形 式と非テ形式の使用数を調べた。今回は、﹁埋木 L についても同じく使用数を調べ、表 2 と して一括して掲げる。 平俗に傾く﹁黄綬章 L では、文語文ながらテ形式の言い方がもっぱら用いられており、意 外にも、一応﹁黄綬章 L とかなり隔って見えるーーその意味では H 整った。文語文に見える ﹁うきょの波﹂でも、テ形式がほとんどである。この点、主に非テ形式を用いる﹁瑞西館﹂ と比べて﹁うきょの波﹂が幾分読みやすきを感じるものであったこととの対応を見てとって もよかろう。措辞の平明さ(更には平俗さ)ということと、目立たないところでの形式の選 択とが、それなりに対応しており、一貫性のあるものだということがわかる。 さて、﹁埋木﹂の場合、どちらかというと非テ形式の表現が多いが、寸瑞西館﹂ほど偏って むしろテ形式もそれなりによく用いて、比率にして三対二程度になっている。 崎 正 1 1 q M 連接形式ーテ形式連接と非テ形式連接] テ形式 非テ形式 黄綬章 34 3 うきょの波 15 瑞西館 7 21 埋木 24 36 [表2 は お ら ず 、寸 う き ょ の 波 L ほど新しい方の形式に偏りはしないが、寸瑞西館﹂ほどそれを抑えるものでもないというこの数の出 方 は 、 2 2 で見た寸埋木 L 音便形の使用] テの前接部分 タリの前接部分 非音便形+テ 音便形十テ 不対立 非音便形十タリ 音.~形十タリ 不対立 黄綬章 47 41 78 10 19 48 うきょの波 139
。
109 46 1 81 瑞西館 113 34 119 60 l 226 埋 木 443 16 374 256 13 377 [表3 の文章の性格づけとも符合するものといえる。 語法的な指標を二つばかりとり上げたが、併せて参考として今一つ、 い わ ゆ る 音便についても見ておく(これは、語法というより形態音韻論的な事柄である)。 近・現代語では、 五段(四段)動詞・連用形が寸テ﹂に前接する場合、寸飛びて﹂ のように音便化するのが原則となった(サ行 のものを除く)。助動調寸夕﹂に前接する場合も同様で、﹁飛んだ﹂﹁書いた﹂とやはり 音便の形が原則である。 ー ψ 寸 飛 ん で ﹂ 、 ﹁ 書 き て ﹂ │ ← ﹁ 書 い て L そして、明治期文語文においても、﹁テ L 及び(﹁夕﹂が由来する形である)寸タリ﹂ に前接する五段動詞・連用形としては、非音便形とともに音便形も現われるが、非音便 形をとるか音便形をとるかの選択傾向には、やはり文章の書かれ方の傾向、そして文章 の性格(質)が反映するものと考えられる。すなわち、近・現代語では音便形が原則と いうことを意識するなら、あえて非音便形を選択することは、いわばか擬古的。な表現 口頭語に近く平俗に聞こえる言い方から距離を置いて、文語的な硬い表 の 仕 方 で あ り 、 現を志向するものだからである。そこで、藤田(二O
一O
)
で は 、 一 二 作 品 の ﹁ テ ﹂ と 寸タリ﹂に前接する動詞連用形について、音便形と非音便形の両様の形が考え得る場合 どちらを選択しているかを調べた(受身・使役の助動詞の連用形や完了の助動詞の連用 形 ( 寸 に L) がコア﹂﹁タリ﹂に前接する例は採らない。なお、﹁不対立﹂とは、﹁見て﹂ のように、音便形と非音便形の両様の形が考えられない例である)。今回は、﹁埋木 L に 森 鴎 外 訳 寸 埋 木 ﹂ の 文 章 に つ い て ( 藤 田 一 六 五龍谷大学論集 一 六 六 ついても同じく例数を調べ、表
3
として一括して掲げる。 いささか注記しておきたいが、硬い文章である﹁瑞西館﹂で、ある程度音便形が用いられているのは、藤田 一O
)
で論じたように、語り手の心の高揚などをうかがわせる表現効果を狙ったものと考えられ、別に考えるべきこ とである。その点を措くと、三作品についての数字は﹁うきょの波﹂﹁瑞西館﹂に対する寸黄綬章﹂の文章の性格 (質)の違いを、よく物語っているように思える。 さて、﹁埋木﹂の場合、作品が長く言語量が多いので、 ( 二O
いくらか音便形は出ているが、相対的に比率で見るとやは つまり、﹁うきょの波﹂とも、またこの点では﹁うきょの波﹂と大きな相違 のない﹁瑞西館﹂とも同じ傾向なのだといえる。また、注目されるのは、次のω
のような例が見られることで、﹁往 く L の音便形としては、﹁いく﹂と読ませるなら﹁佐って﹂という促音便の形が期待されるところが、﹁役いてしとイ り僅かと言ってよかろうかと思われる。 音便の形になっている。ω
役いて見むとおもひ玉はゾ明日件ひまゐらせむ。 ( 五 九 九 ③ ) この場合、寸いく﹂でなく﹁ゆく L という語形で考え、その音便形として﹁ゆいて﹂という形をとったものと思わ れるが、むしろ近・現代の口頭語から遠く感じられる文語的な言い方といえよう。その意味では、こうした例は、 ﹁ 埋 木 L のやや硬い言葉づかいの志向の一つのあらわれと解してよい。いくらか出てくる音便形の中にこのような例 が見られることにも、注意しておきたい。 以上、二三の言語的指標から寸埋木﹂の文章の文語文としての性格(質)を考えてみたが、要約すれば﹁埋 木 L の文語文は、もちろん平俗に傾くものではなく、しかし﹁瑞西館﹂ほど硬い文章でもない。確かに﹁うきょの 波 L あたりとの近さが見てとれるが、今少し硬い言葉づかいを志向するところがあり、誤解を恐れずに言えば、コっ きよの波﹂と寸瑞西館﹂の中間といえるような位置づけができるものと言うことも許されょうかと思う。 内 , ‘ .EE ・ F ﹃ 岨三
、
﹁
埋
木
﹂
の特質││殊に助動詞﹁キ﹂
の使用をめぐって││
での考察を足掛りとして、﹁埋木﹂の文語文での性格(質)・位置づけを考えて みたが、この節では、寸埋木 L の文章の特質を、更に角度を変えて考えてみたい。 では、三作品について、過去・完了の助動詞の使用数も調査した。そして、﹁瑞西館﹂における 完了の助動詞﹁リ﹂の、殊に連体形での使用数の多さと、﹁瑞西館﹂の硬い文章との関連 性を論じた。しかし、ここでは同様の調査を﹁埋木 L について行ない、いささか別のこと を論じてみる。寸埋木 L における過去・完了の助動詞の使用数を、比較のために﹁うきょ の波﹂寸瑞西館﹂の数と併せて、表 4 と し て 掲 げ る 。 寸埋木﹂については、以下の検討の便宜を考え、まず各助動詞の使用総数をあげ、その 下にそれぞれが終止形言い切りで文末(引用句1
1
ト L 内も含む)に用いられた数をあげ た。そして、終止形の文末言い切りのうち、会話(心内語も含む)の部分に出てきた数も 最下段に示した(これで、差し引きして、地の文での終止形言い切りの数もわかる)。 さて、﹁埋木﹂についてまず総数を見ていくと、概して言えば、寸キ﹂と寸タリ﹂の使用 q M E E t -二節では、藤田(二O
一O
)
藤田(ニO
一
O
)
過去・完了の助動詞の使用] キ ケリ ツ ヌ タリ リ うきょの波 148 2 14 57 129 12 瑞西館 125 3 15 45 281 142 埋木(総数) 623 27 83 254 667 113 (文末の終止形言切り) 222 7 77 242 207 71 (上の内、会話部の倒) 53 3 3 17 25 12 [表 4 が際立ち、﹁ヌ﹂もその三分の一強の数出ているという分布は、﹁うきょの波﹂に近いと見 られる。ここでも﹁うきょの波﹂の文章との近さがうかがわれると言えるのかもしれない が、しかし、実は一点大きな違いがある。 表に示してはいないが、﹁うきょの波﹂における﹁キ﹂の終止形言い切りでの使用は、 実はわずかに一二例に過ぎない。それに比べると、﹁埋木﹂の﹁キ﹂の終止形言い切りで 森鴎外訳﹁県木﹂の文京について(藤旧 一 六 七龍谷大学論集 一 六 八 の使用は、表のとおり、総数の三分の一を越え、際立ったものといえる。また、これも表にないことだが、﹁瑞函館﹂ の場合、﹁キ﹂の終止形言い切りでの使用は三
O
例あり、﹁うきょの波﹂に比べるとそこそこ出ているが、﹁瑞西館﹂ では一人称の主人公﹁余 L が語り手でもあり、過去をふり返る形でこのような﹁キ﹂による言い切りの表現がある程 度出てくることは理解できる。しかし、そういった一人称の語り手など設定されていない寸埋木﹂の方が、それでも 比率(総数に対する言い切り寸キ﹂の使用数)において﹁瑞西館﹂をはっきり上回っているし、何より言語最では ﹁ 瑞 西 館 L の二倍半強と概算できる﹁埋木﹂で、言い切りの寸キ﹂の使用は﹁瑞西館﹂の七倍にもなる。とすれば、 ﹁うきょの波﹂に比べても、﹁瑞西館﹂に比べても、ー埋木﹂は過去の助動詞﹁キ﹂の言い切り用法が大変目立つ文章 だと言って誤りではないだろう。この点が、﹁埋木﹂の文章の一つの際立った特徴であり、この文章の特質を考えて いくポイントだと筆者は考える。 が、考察を進める前に、﹁キ﹂による言い切りということについて、今少し違う観点から補足しておきたい。 明治期文語文は、中古語を基本とする古典語の文法に則る姿勢で書かれているといえようが、あくまで 8 擬 古 文 。 であって、中古語の文法を細部まで忠実に写し得ているわけではない。このことは、明治期文語文のさまざまな語法 にわたって検証していく必要があろうが、今問題にしている寸助動詞﹃キ﹄による言い切り﹂にも、その種の問題の 一つとして考えなければならない面がある。すなわち、実は中古の物語作品の文章の場合、﹁キ﹂が言い切りで用い られる例は、(殊に地の文では)極少でほとんど見当たらないとされる。中古の物語作品においては、過去であるこ q u i t ' -とを示す言い切りは、基本的には﹁ケリ﹂なのである。 過去の助動詞﹁キ﹂と、同じく過去の助動詞寸ケリ﹂については、しばしば前者が直接経験の過去、後者は間接経 験の過去を表すと説明されてきたが、それで十分説明できないこともあり、むしろ近年の研究では、﹁ケリ L が語り 手の語りの現在時を基準としての過去を表すのに対し、﹁キ﹂は物語の中の出来事の現在時を基準としての過去を表すといった理解が一つの有力な見方となっている(糸井ご九九五)参照)。従って、語り手の自分の立脚点からの 事柄の直接的な位置づけである故に、﹁ケリ﹂は当該の事柄を述べる語り手の言明を直接にマークする形でその文末 に言い切りとして付加されるのに対し、摘かれる事柄の相対的関係としての位置づけを示すものである故に、寸キ﹂ は言明を直接マークするような形では出て来にくいということでもあるだろう。 しかし、明治期文語文である﹁埋木 L 他では、そのような使い分けは、もちろん考えられない。何より﹁ケリ﹂の 使用が僅少であり、過去を表す形式として﹁キ﹂とは対立的に機能していない門。﹁埋木﹂他のここで問題にしている 文語文では、過去の形式(助動詞)は基本的に寸キ L であり、語り手が語りの時点を基準に文で述べる事柄を過去の ものとして位置づける形は、言い切りとしては寸
1
きJ
な の で あ る 。 313 念のため付け加えておくと、寸埋木﹂他で﹁キ﹂が過去の助動詞││この場合、それで言い切られる文の表 す事柄を語り手が語りの時点を基準として過去のものと位置づけることを示す形式ーーであることは、次のような例 を見ても疑いないところである。 次のω
ω
は、ともに寸埋木 L の一節で、まずω
は、﹁蛍時の音楽世界 L において最ももてはやされたのがステルニ イであったと紹介説明する記述である。ω
ア ル 7 オンス、ド、ステルニイ。此名の響善かりしことは、冷淡になりて、批評の限に誇る今の人にはわから ぬなるべし。蛍時の音柴世界にて、二三の﹁ピヤノ﹂掠きの占めたる名容は、神も若かざるべく、其首に居りし 人はステルニイなりき。 ( 五 三 二 ⑩1
⑫ ) この﹁:::ステルニイなりきJ
という一文は、﹁:::ステルニイなり。﹂となっていても、事実の一般的な紹介と して文意は通じるが、ステルニイが最ももてはやされた人物であったことを過去のこととして位置づけ、﹁ソノ時ハ :・ダッタ﹂と過去のこととして語るべく﹁キ﹂が用いられていると解せられる。 森鴎外訳﹁埋木﹂の文章について(藤田 一 六 九龍谷大学論集 一 七 O ま た
ω
は、そのステルニイが過去の片思いをゲザに語ることぼである。ω
ステルニイは掌にて額を按りて、苦々しく笑ひぬ。﹁さなり。わがガルチエリに逢ひしはダグウルの座敷にて の事なりき。我齢はまだ十八にならぬ程にて、容貌は女子の如くなりき。我態はさこそをかしかりけめ。ガルチ エリは只我を噺笑ひしのみロ我態は片思にて、遂に協ふ期なかりき。それより早や二十年を綬たれど、ガルチエ リといふ名我耳に入るときは、蒸熱き気わが除絡の中をめぐる如き心地す。さても彼の美しかりしことよ。其姿ロ 其笑顔。其髪容。彼が髪は暗色なりしが、顕頼、項の漣に赤き光あり剖。その光あるところは黄金の粉をふり掛 け た る 如 く な り 剖 。 そ が 上 に そ の 立 居 振 舞 の 大 や う な り し こ と 。 ﹂ ( 五 五 九 ③ : ⑧ ) まさに過去のことを過去のこととして語るものだが、受け答えの﹁さなり(ソウダ ) L の後のことばの文末は、過 去の推量として寸けめ﹂が出てくる一文と、寸それより早や二十年を経たれど、:::﹂と現在に言及する一文を除け ば、﹁き﹂(もしくは﹁キ﹂の連体形寸し﹂+﹁こと(よ)﹂という詠嘆的な形)で一貫されている。 こうしたことは、少し観察すれば容易に見てとられることであり、また、﹁埋木﹂以外の寸うきょの波﹂等もこの 点では同様といえる。﹁埋木 L 他で、過去の助動詞は寸キ﹂であり、過去のことを過去のこととして位置づけて述べ る 言 い 方 は 、 基 本 的 に ﹁ { } き 。 L な の で あ る 。314
以上は、あるいは余分な補注であったかもしれない。むしろ問題は、﹁埋木﹂において過去の寸キ L に よ る 終止形言い切りが、他の文語文作品に比べて目立つという点である。これは、どのように理解すべきことなのか。 も ち ろ ん 、ω
のように作中で登場人物が過去をふり返って、事柄を過去のこととして諮る場面が多ければ、﹁キ﹂ の言い切りは増えるだろう。﹁埋木﹂が長い作品であり、そうした発言がある程度あって﹁キ﹂の言い切りが噌えて いるのも事実である。しかし、表4
のとおり、会話(心内語を含む)での寸キ﹂言い切りを別にしても、地の文でも 確かに﹁キ﹂言い切りの数はかなり多いということがわかる。回ゅうに、このように寸キ﹂の終止形言い切りでの使用が際立つということは、それがこの作品で何らかの表現・何 らかの叙述の仕方のために積極的に活用、多用されているということではないかと考えられる。そして、このことは また、﹁埋木﹂の文章の特質ということにもつながるかと思えるのだが、以下、節を改めてそのあたりを具体的に考 え て み た い 。 四
﹁き﹂言い切り文の使用とその意味
この節では、﹁埋木 L の地の文における﹁キ﹂による言い切りの文の使われ方について見てみたい。記述の 便 宜 上 、 寸 キ L の終止形で言い切られる文を、﹁き﹂言い切り文と呼ぶことにする。 a 斗 1 1 4 1 さ て 、 ﹁ き L は過去の形式であるから、これを文末に伴い、これで言い切る文が出てくると、その文で述べられた 事柄が、過去の事柄として位置づけられることになる。実際、﹁き L 言い切り文は、過去の時点の表現と結びつき、 あるいは隣接することも多い。ω
悪 魔 の 曲 の 試 を 始 め む と 定 め し は 刊 一 周 到 同 州 制 斗 ぺ な り 剖 。 ( 五 一 六 ② )ω
列例は創附二十四歳、この齢には己に不朽の業をなし﹀繁人も少からぬをゲザが公にせしものとては、十年ば か り 前 に 印 制 せ し め し ﹁ レ エ ウ リ イ ﹂ ( 夢 曲 ) あ る の み な り 剖 。 ( 五 凶 二 ⑤1
⑥ ) 的制刻叫列引は、少女が痩せたる頬の濯を優しく摩りて o ﹁奈何せしか、何ゆゑに悲しげなる、街の空気のあま りに悪しきためならむ。父上、この子をしばし海遊へやり玉はずやJ
(
8
)
ガ ス ト ン は 一 周 を 鋒 か し て 0 1 残念なれどわれはさる費を出すこと能はず、﹂と答え剖。(五四八③1
⑤ )川
剛
ヨ
刊
矧
叫
剖
引
UU
剖、外の廊のわたりに物音するを聞きて、失望に慣れたる升リレオは、﹁断の使にはあ ら ず や ﹂ と い ひ 剖 。 ( 五 六 二 ③1
④ ) 森鴎外訳﹁樹木﹂の文章について(藤間 ' 七龍谷大学議集 七 そして 、 特定の時点規定と結びつかなくてむ、 ﹁ き ﹂ 言 い切り文で述べられることで、一平柄は。ソノ時ハ: : : ダ ツ グ H というように 、 時の流れと関係づけて意識され、その中のどこかに定位されるように感じられるのである。 以 は もとより行うまでも伝いことであろう 。 が、克に与える bu ら 、 ﹁さ﹂行い切 り文が川いられるこ とで 、 r
、
:
れ を含 んでそこ で拙かれる場 州や述 べ ら れ る一統さの 引制も、時の流れ の 小に定位 されると い う ことになるのではな 、 A 、 。 b ・ ヵ(
9
)
具 体 例 を あ げ て み よっ
山 和 一 波 の 花 は 榔 に 誌 でられ、さまざまの花束ガルチエリが像の 前に て 枯れぬ 。五 月は六月に伝り、六日付は七月に なりぬ。-ケザはいまも夜な/¥わが帯作の見こみを長父にかたり﹁メロディ﹂二つ三つ﹁ヰオリン﹂にて弼いて ' ' シ 叫 ・'4 ' ' 4・ 聞かせ、合 歌のところの け んこみはかうと ﹁ ピ ヤノ ﹂にて まねその皮ごとに耐'円か らむと い は せ 、 首 ・ 位 の 山多く 作り、野ご、ろに て前 神のうちに特 く怪しき聾を 聞き、さて阿一つ仕出 さずり 因 。 グザはがスト ン が 家の向ひん泊る抗出婆の住肘の 一 間を的りて、川どころと定めたれど、 アンネットと﹀らに而山さ時をすごしっ。 ほと/¥朝より タまで ガストンが家に来て、 10) 制 食 川 市 て ¥ デ リ レ オ は 机 に 向 ひぬ。(中附) る市は、・帝閣時代 の道只の 九 円 強 り た る と 、 はれげなるを、珍らしげに見つ。 ( 冗 阿 し ハ ②1
⑦ ) その隙に枇川染の関紙はりたる部民を、あら 、こ ちと見起りた フイリップ時代の迫以の曲りくねりたると 、打 交れる飾付のあ ル イ 、 るり怖の文字猶説まる 。 昭 一 に掛けたるは守て 一 たび名目かりし五工の作れる同にて 、 ﹁ ア 、 セ ラ ミ イ L ( 附我制友) 云々と題 した その側には県側に侠みし詩人ぷぷの自主あり。日中には n l がきの 円印 一 つ あ り 。 柿なる夫 モ ン 、 人の内さ ﹁アトラス﹂制の 火きて、汁に-ム会つなぎし組合結び、聞には小 さ冠全紙きたるな り 。 グ ザ 、 3 こは女王にや。﹂列川叶刈はまど物A
きでありしが 、而 をあげて、﹁そは刈川列d
川 な り 。 ﹂ 外 引 は よ、-・コエ 、7リ今 (0 なりや﹂と終えしが、心には何とらわきまへざり 置 。 まだ科き身には、ガルチエリが岱時、世に問えたるうたひ ' K にて、妙芸の名は、川県相 白 仕 り 、 -一 , の明と共に山かりしことを知らざりしも 。 しばしありてデリレオは泌を総ゴて。 : : :
(
五 ・
4 八③1
⑪
)
仰は、グザが作山に従事する時間 を得るために故郷の 町 に . 以 り ながら無為に時を過ごしたというこ と金 品る川分だが、 プ : 、 さて何・つ仕山必ずり3
t
とV
3
﹂で終る . 文で述べられていることが 古 川 り 乎 か らμ
て過去に位間づけられるものと芯殺され 、 それと一統きの前後の無為の日々の叙述も、 やはり同線の過ょに定位主れるものと解せうれることになる。 また側も 、 こ れは幼い . ケ ザ が 付に捨て られデリレオ に引き取 られた当初のことが語、つれる部分足が、 肖 仰 の 主 がガルチエリ(実は、この人は デリ レオの妥であ っ た)であると教えうれ ても﹁ 心には阿と もわきま えざりき﹂と、や はりごさ L で終る一文が出てくる と 、 その文で述べられた 寸 ヨ ク ワカラナ カツタ﹂ということが、。ソノ時ハ : : : 。 という何らか過去のことと芯識され 、 それと一続きのこの 場一山の状況やゲザの行動、デレリオとのやりなども、 リ川憾に過去に位同 づけられるらのと解せられ る の で あ る 。 このよとに附辿して住 川 主れるのは、次のような引%である。地の文において . . け い 切 り の ﹁ さ ﹂ が どのような活と結びついて 川 い られるのかを摂瑚したぷ 5 を 掲 げ る 。 5 休日される の は、助川に ﹁ さ ﹂ が付いた例は必ず しむ多く は仕 く 、 -d時 l 、 ノ h H M L o d d -F ノ 勺 r J q s y ・ 干 ι リ ・ d , J r ﹁r・ 4 リ ‘ , , F レ 4 ・叫 H O H 円前山 -d . M 川 弘 1 1 r . u n 引 1 山 J ' d . J I f -- j r , 十 リ﹂に付く例でじ 訓以上を山める以 で あ る 。 つまりJ
い切りの ﹁ さ ﹂ は 、動作 ・ 行為でなく 状況 ・ 状態を表す述 町 出 川 と 結 びついてm
ぃ 、 り れるのが大半なのである ( な い り 、 ﹁1
ナ リキ ﹂ の 政 に は 、 形谷助制だけでなく断 ・ 足の助助 制 ぷ 印 刷 外 ぷ ,m h
・ ボ の文 巾について ( 牒 川 -じ龍谷大学泌総 七 円 ﹁ ナ リ L の例も含むが、それらも﹁
1
如くなりき﹂﹁i
やうなりき﹂とか ﹁ 親切誌なる笑がほなりき﹂(五七二⑬)と いった状況 ・ 状態の表現というべきものばかりなの で 、 表では 一 抗した。右の ﹁ 形容動詞﹂とはそのような知のもの を言っている)。概して言えば、 状 況 ・ 状態は 、 個々の動作 ・ 行為と追い、少なくとも終点(それが終るところ)が 特にむ識されないという ・ 芯 味 で 、 それが存在する場聞やエピソードの 巾 に 、 いわば屈を引き広がってイメージされる。 ある場面で 、 ﹁1
シナカツタ﹂とか﹁1
ダッタ﹂﹁1
(
ガ ) アッタ﹂といった状況 ・ 状 態 は 、 その場而での事柄の批移 の背後で 、 いわばず っと基調として特くのである。そうした状 況 ・ 状態の叙述をE
X
末の﹁き﹂で過去と位世づけるこ そのような状況 ・ 状態を内包 する当該場 而 ・ エピソードも自ずと同じ過去のものと定位されることになる││ そう い った表現の仕組みが 働いている ことを、表 5 のような数字から見てとることができようかと思える。 以上のとおり、﹁き﹂言い切り文は、その文の記述を合む一続きの場 一 由 ・ 事柄の叙述を時の流れの中に定位する │ │ 砂 ソ ノ 時 ハ : : : 。という怠識で時間の流れと闘わりづけ、位前 づ ける 1 1 ように 機能するものと考えられる 。 それを合む一統きの場面 ・ ぃ 引柄の叙述を時間 の航れの 中に定位するもの いくつもの場面や事柄が時間の流れの中に順に定位 され 、 と で 、 布のように、﹁き﹂言い切り文が、 であるなら 、 更に、﹁き﹂言い切り文を重ねていくことで、 時とともに和み重なっていくものとして順序立てて示されることになる。 次例を見てみたい。 二人 は公凶に入りぬ。困の内 に は 人気なかり 図 。却さ 木の頂を折々わたる風は伐ひ戦く如 く な り 。 ゲザ、﹁おん ' 身はまことに病身なりや。﹂ ﹁ 然 な り 、 ﹂と答へしアンネ ットが貯は低く削りて、 ゃうやく抑へたる苦桁の叫びの如くなり 因 。暫くしてア ンネットは削しく。﹁いかなれば我をひとり残して性きたまひし。﹂ ﹁ 我を出しむり王ひしは君ならずや、 ﹂とグザ戯 のやうに答へぬ。寸げにそは民公り。﹂と少交は聴くいひぬ。 二人はしばし言葉なかり 図 。天は次第に哨くなりぬ。( 小時) 十小の頂の戦ぎは刺しくなりぬ 。 少女は身を 仰 らせ、市を 山 中 げ て 、 夢見る如くグザが顔を打守り 、 ﹁縦も見ねは 守 ス 親嚇して 、 ﹂ とさ﹀やぎぬ 。 この親明は長く 、 燃ゆるやうなり 園 。アンネットは微咽みて、かすかによユ度﹂ と い ひ し が 、 什 ﹄ ︿ 川 口 は な か ぱ 相 の 戦 に 消 さ れ ぬ 。 円び釈明せし後、ゲザ、 J 作世はいかにうれしく、めでたきもの なるか 、 ( 五 七 八 ⑬
1
五 七 九 ⑪ ) ステルニイの世話でアメリカに演奏旅行に出ていた。しかし 、 これはステルニイの策略で 、 ゲザの留守の けふまで知らざりき。 L ゲ ザ は 、 間にステルニイはゲザのいいタずけのアンネットを誘惑し、彼女はあやまちを犯してしまう 。 則 け よ り け 十 く 削 っ た グ ザと再会して、 アンネッ ト は熊き怖れるようなそぶりを比せるが、 その場では病気だと弁解する。そして右は、 その
後 二 人が思い出の公闘を散歩するという一節である 。 十 れ の 例 で は 、 ﹁ き ﹂ 言 い切り文を重ねることで、 クライマックスというべきキスの場而ま での事 柄の推砂が時の流 れの中に順序立てて揃き山される 。ま ず ﹁ 闘の内には人紙なかりき ﹂ の一文を中心に、公園に入った場而の 一 続 きの 描与が 、 砂 ソ ノ 時 ハ : : : 。 というような意識で時の流れの中に定位される 。 次 い で 、 ﹁ E ・ E ・ -苦 ぃ 加 の 叫 び の 如 く な り き ﹂ を小心に 、 グザとアンネットの対話の財耐が 、 時の杭れの小で先の場一山の次に位山づけられ、史に﹁ 二 人はしばし日 禁なかりき ﹂ で 、 対話の後に来る沈黙の場一聞がその次に位置づけられる。(中略)を挟むが、その問にら 二 人の気持 ちは高揚し、次に米るキスの場聞が﹁この親明は長く、燃ゆるやうなりき﹂の一文を中心に、先の場 -山に続き、それ までの場而の進展を汲けるものとして 、 時間の中に定世される。このように 、 ﹁ き ﹂ 言 い切り文を何度も川いること で 、 それを含んで述べられる場開や事柄が順次時の流れの中に位間づけられ 、 整理されて並べられるような効果が得 ら れ る 。 そして、この川の場合、 それによってクライマックスのキスの場聞に向かって時とともに物事が引み重なり、 森 川 間 外 以 ﹁ 別 本 ﹂ の ん X MM μ つ い て ( 勝 川 じ間 谷 大 学 論 仰 木 七 次第に山陽していくような印象的な表現梢成が可能になっている。 以上見てきたように、﹁埋木﹂においては﹁き﹂言い切り文がある艇の表現機能を担うものとして活用され ていると考えられるが、このことに関連して殊に注目されるのは 、 次のような﹁き﹂言い切り文の使われ方である。 端的な例として、 まず仰を掲げる。 ) n , , “ l ( 恕踏の山の試を始めむと定めしは十一月五日のゆふぺなり 図 。 ﹁ グ ラ ン 、 ダ ル モ ニ イ ﹂ の幾堂には 、 早や人々集まりたり。常の試のをりには増して 、 瓦斯燈の数も多けれど、 附き客肢と怪しげなる焔閃く指抑出とのさま、阿となく物すごく、瓦斯、ほこり、繰りたる布の臭、空気の叫に 制ちて、鼠色なる弱は後に入りし人の衣の上に凝りて、間ひたる光を放ちたり。(中附) 調子は合ひたり 。こ﹀ かしこにで﹁ヰオリン﹂の一手二手、試みたる間ゆ。瓦斯の焔はかすかに鳴りたり。謡 女らは目見、がりて足断みならし、赤くなりたる手をすりあはせたり。( 中 略 ) 柴長と親しき友の一群とに伴はれて、 ステルニイは別に上りぬ。(中川町) 彼が指抑するさまは、 ヱルヂイの花々しき 、 ヘ ク ト ル 、 ベルリスの物凄きには 似 ず 、 一種の間目 を 具 へ た り 。 ( 中 略 ) ア ル ト この胞をば一たび繰返して、間習は柏次の口を朋して止みつ。次一日以問、ったひはこの時装ぬぎすて、ロシニが友 を一目見て立ちあがり、式の如くに笑を帯びて歌ひはじめぬ。聾は戯曲に似たる﹁レチタチイフ L に起りて、位 く如き ﹁ メロヂイ﹂に入る。 嶋町民の ﹁ メロディ ﹂な り。工を弄したる辿なくして、 もはる﹀に、少し沈欝の気象を含ませたり。ロシニが友はおも ひ かけずといふやうなる而持す。 一 位悩深きさま、 モツアルトにもをさ/k 、 劣らじとお をりノ¥に挟みたる粗大なる﹁インテルメツチイ﹂を除いては、恕 ・ 加の山は歩ごとに其妙を加へて、人 間 界 が
天堂を失ひて位くといふ 心 を勾したる離別の段に至りて共 頂 貼に達したり。伶人ども皆一時に立らて 、 覚えず喝 ステルニイ一拐を抗して。﹁か﹀る喜はけふ迄知らざりき。諸君の識力は肝に銘じて忘れざるべし、﹂と 謝 す 。 ﹁ ピヤノ﹂の 削 何は狂せ
U
とし 、 ロシニが友は。 ﹁ 測窃なり。恐ろしき測窃なり。されど何硲よりか仰た 采するに る 。 ﹂とつぶやき/¥愈々不平なる面持らす。 乙の後にはいと悦さ回全附けたれど、 AJ 迄の美しき嵯を思ひて 、 人々特めず。妬を僻びて敬砲す。されど人々 慢しとおもふのみにて、共故金解せざり 図 。 ステルニイはこれより来的の夫人の車に乗りて、 の但しさ持にて特U
る を 削 さ て 、 附 叫 ん 袖 る 般 に 向 は む と す 。 . 布 は 、 一 一 時 間 聞から引きこもっていたステルニイが、﹁恐怖胤の合炎﹂なる新 山 を世に問ぃ、プリユツセル 故郷である)でらそれを指揮して演奏することになった時の話で 、 全集で四頁余りの長い箇所なので 、 ( 中 略)を入 れて抄出した。この部分は 、 まず﹁揺胞の仙の試を始めむと定めしは十一月五U
のゆふべなりき ﹂ と 、 ﹁ き﹂言い切 り文で始まる。拙かれているのは﹁恋脆のム円安 ﹂ の試演の場而であるが 、 叙述は続いて、会場であるグラン ・ ダルモ ニイの情対、ステルニイの笠場と桁抑ぷり、新山のあり様などが述べられ 、 そして﹁されど : : : 解せざりさ﹂と叫ぴ ﹁き﹂言い切り文が出てくる モングニユ ド プ クウルの街をよらせ、 かしこにて町人 氏 一 六②11
二O
③
)
ゲザの ( そ こ ま で は むちろん ( 中 略 ) の部分にも、﹁き﹂言い切り文は地の文に一切 出 て き ていない) 。 そして、注意すべきは、この二つ円のJ
C
﹂言い切り文を邸に、場一山 ・ 話制は、試竹山から訴前後のステ ルニイの行動(映髭に向かったこと)にば っ さりと切り肱わっている己とである。つまり、ぷ出の場町の叙述は、 一 . つ の ﹁ さ ﹂ J Z H い切り文で挟まれる形で 一不されているのである 。 実は 、 このような﹁き﹂コい切り文の使い点は、 ﹁ 担 木﹂では極めて頻繁に見られる。﹁主 ﹂ 宥い切り文がそれを今n u
一統きの場 而 ・ 半柄を時の流れの中に定位するもの として働くのなら、これは、 そ の よ C ﹂言い切り文を繰り返して二つ用いることで、 それによって挟まれる部分の場 広 州 剛 同 外 川 以 ﹁ 槻 木 ﹂ の -X 常について(藤山 じ ー七刷 出 羽 什 大 学 論 集 七 J¥ 一 刷 ・ 事柄をは っ き り区刊して示し、 それを時の流 れ の 小に位置 づけ整型するものと い え よ う 。 (1沿 今 少 し 同 趣
の
例 f <r あ げ て お 言悟りてステルニイは 市 を 招 き得せ 、 これに飛采りて去りぬ。 ラアヱスグ イ ン街にては 、 此 タ物語いと峨掛かり 園 。デ リレオ は矧紅きこと 三 鞭酒飲みし如くにて、常に附して 能 的 州なり。グザは少女に 向 ひ て 、 おちなく部 仰 ふれど、少女は 以 足らで晩起されし軒 先の如く、何ド小企もうるむがりたり。少女は 川 取のいつになく 州かり しを悔て、返らぬことをつぶやき、 WT 生父 の 一 一 日東多き合判べるに 似 ず 、け ふはすこしも 耳 を併さず、川市は出を娃めて 、 父 上 の 部 川 院 の 小 企彼方 此 万 と 沙 み 一 ム ふを見れば、目肱きて堪ヘが た しといへり。デリレオ 聞 い て 、 興を 出 し 、柿 子に附りしに 、 少 女 は 今 一 史 に % の 市 町 ステルニイが褒めし節々、 が り 、 許し玉へとかこちて 、忽泣出 で ぬ 。 グザは少女を膝の 上に抱上げて、代りて涙を拭ひ、かにかくと言問め、その舶を撫でつ ﹀父に 向ひ 。 ﹁ こ の 子 はあまり 引 飽りてのみ 世を 送 れ ばこそ 、 些制の事にもかく刺しく感 動 するならめ。この子の心慰めむ術もがな。﹂ AH H W J l ( 父は、苦々しきおも持 し て雌へざ り 園 。 ステルニイは夜の三時すぎ に 客舎の悌を上りぬ。 . グザは 仰 ぎ見て﹁さらば﹂といひしのみ、起を速めてロアイヤル脱こうぢに 向 ひ ぬ 。 侃 山 中 の 山 でむとするとき 、 ﹁ ブロンド﹂にて汗向く、毛ぷの 外 科 UhV ﹄ 川 似たる人、点の断艇の過に駆け付けたり 0 1 ステルニイ﹂かと 呼 び し グザが昨の 中 には感激の桁みち/¥たり 因 。 ﹁わが来ぺきことをば 知り つらむ。ぷの注 川 に届りしが 、(
五
六
七
③
1
⑪ ) い ま 一 位めひて 関 連 を祝せむとおもひて 、 人 川 をぬす ん で 米 ぬ 。 ﹂ 草 川 川 寸 室 の 一 以 を 附 け ば グ ザ は 入 り ぬ 。ステルニイは再びよろこびをのべたり。 グザは車の窓より半身を出して。﹁おん身が親切はいつまでも忘れざるべし。嫌ならずは明日あれが様子を見 て 呉 れ よ 。 ﹂ ﹁ 明日は必ずおとずれて、 おん身が機鰍よく立ちしことを討さむ。 ﹂ ん 阜 の 動 き は じ む る と き 、 ステルニイは刑笑を合みてさしまねさたり。 別る﹀ときのステル ニ イが顔はやさしく、税切紙なる突がほなり 図 。ゲザが念頭 に残りし友の凱もまたやさし く 、 親切気なる笑顔なり 図 。
(
五
七
一
⑬
1
五
七
二
⑬
)
ω
は 、 ゲザの控父デリレオの家をステルニイが訪問し 、 そして車に﹁飛乗りて ﹂帰った 後のデリレオの家の夕べの 場面が 、J
C
L
言い切り文で挟まれて切り出され 、 時の流れの中の一コマとして 、 か ソ ノ 時 、 コ ン ナ コ トガ アッタ。と いうように 、 定位されている ( な お 、 ﹁少女﹂とはデ リレオの娘でゲザのいいな ずけでもあるアンネットのこと)。そ その夜のステルニイのあり様へと話は の後 、 場面変わって、 し て 、 二つ自の﹁き﹂言い切り文﹁ : ・ ・ 腔へざりき。 L 移 行 す る 。 また川は、アメリカに前奏旅行に旅立つゲザをステルニイが 叫 ん 送 り に 来た場面で 、 ﹁ き﹂言い切り文に挟まれる形 で二人の親愛に満ちたやりとりが区切られてクロ ー ズ ・ アップされ 、 時の流れの小μ
あった過去の 一 コマとしてそこ に 町 一 か れ て い る 。 こ の よ う な よ ど 言 い切り 文の使われ方は、 ﹁ 間 仕 木 ﹂ では 枚 挙にいとまない松だが、 ﹁ 埋 木 L の文引に特徴的な表別 法であろうかと忠われる。﹁き L 言い切り文を一つ用いることで 、 それを含む一続きの場面 ・ 事柄を過去の一コマと して定位していると い っ た 印 象は 、 コフきよの波﹂の﹁き ﹂ 言 い切りの 場合でも全く感じられないわ けでは ない。し かし 、 寸き﹂言い切り文をくり返して一続きの場面 ・ 事柄をはっきりと区画し、 それを時の流れの中の 一 コマとして 森 川 聞 外 沢 ﹁ 則 一 木 ﹂ の 文 抗 日 に つ い て ( 藤m
七 )L龍谷大学論集 一 八
O
定位していくといったやり方は、寸うきょの波﹂や﹁瑞西館﹂には見られないものである。 そして、このようなやり方を含め、﹁き L 言い切りの文を一つの表現構成のための手段として活用、多用している ことが、﹁埋木﹂における終止形言い切りの﹁き﹂の使用数を大きくしているものと思われる。414
し か し 、 1 埋木﹂では何故﹁き﹂言い切り文で場面や事柄・エピソードを時の流れの中に位置づけ整理して いくような表現法が目立つのか。 結局、これは﹁埋木﹂が一人の主人公のほぽ一生にわたっての好余曲折を描くーーその意味で。長い。││作品だ からであろう。主人公ゲザの人生は、さまざまな出来事の積み重ねであり、いろいろな場面から成っている。それを 時の流れの中に位置づけながら記していくことが、一人の人間の人生を描くということである。少なくとも、時の流 れに関わりづけ整理している感が乏しいと、叙述は冗漫なものになってしまう。そこで、主人公の人生の一コマ一コ マを構成する一続きの場面・エピソード等を時の流れの中に定位し、整理して述べている叙述姿勢を示すために活用 されたのが、﹁き﹂言い切り文であったと言えよう。 つまり、以上見てきた終止形言い切りの﹁き﹂の盛んな使用という寸埋木 L の文章の特徴は、﹁埋木﹂という作品 がどのようなものを描いているかということと結びついた相応に必然性のあることであった。。ある時 0 8 あ る 時 期 。 における一つのエピソードに焦点をあてる﹁うきょの波 L 等では、このようにならないのも十分故あることだったと 言えるのである。五、結
ぴ
この稿では、鴎外訳﹁埋木 L をとり上げ、その文語文の性格(質)を、藤田(二O
一O
)
の考察をふまえ、﹁黄 綬章 L ﹁うきょの波﹂寸瑞西館﹂と比較して位置づけるとともに、特に助動詞﹁キ﹂の終止形言い切りの使用が目立つ 5ことをめぐり、﹁埋木﹂の地の文における﹁き﹂言い切り文の使われ方を検討して、寸埋木﹂の文章を特質というべき 点を論じた。 寸埋木﹂については、更に述べたいこともあるが、それは続稿を用意することにしたい。 ( 二
O
一
て
五 . 九 稿 註 川もちろん、各活問形すべてをとって計数する。ただし、﹁(コノ山ハ)臓を断つ苦悩の調に終るやうに作りたり﹂(五六 六③i
④)のような、比況・例示といえない﹁やうに﹂はとらない。なお、この稿では、助動詞を表記する際に、各活用 形を一括して示す場合は寸ヤウナリ﹂のように片仮名(もしくは漢字片仮名交じり)表記し、各活用形として示す場合は ﹁やうに﹂のように平仮名表記することにする。ω
テ形式の表現としては、補助動詞として﹁居リ・ヰル・アリ﹂﹁ヤル・クレル・モラウ﹂﹁行ク・来(ル)・来タル L が 用いられるものを見ていくことにする。非テ形式も、これと対応するものを考える。なお、﹁讃みて聞かす﹂(五四七③) 1 ( 子紙ヲ)取りて見れば L ( 五八五⑮)のような例は、﹁聞かす﹂﹁見れ(見る )L に実質的な意味があり、補助動詞では ないと判断されるので、ここではとらない。ω
例えば、次は寸伊勢物語﹂の寸東下り L の 一 節 だ が 、 閉そのさはに、かきっぱた、いとおもしろくさきたり。それを見て、ある人のいはく、寸かきっぱたといふいつもじ を句のかみにすゑて、たびの心をよめ L といひければ、よめる、 からごろもきつ﹀なれにしつましあればはる戸¥きぬるたびをしぞおもふ とよめりければ、みな人、かれいひのうへになみだおとして、ほとびにけり。 ゆき/¥て、するがのくににいたりぬ。うつの山にいたりて、わがいらむとするみちは、いとくらうほそきに、っ た、かへではしげり、物心ぽそく、すゾろなるめを見ること﹀忠ふに、修行者、あひたり。 ﹁か﹀るみちは、いかでか、いまする﹂といふを見れば、見しひとなり付り。(﹁伊勢物語﹂第九段より) 寸 け れ ﹂ ﹁ け り L が、語り手が語りの現時点から見て当該の事柄が過去のことであるという位置づけを述べるものなのに 森鴎外訳 1 埋 木 L の 文 章 に つ い て ( 藤 岡 ) /¥総谷大学論集 J¥ 対 し 、 ﹁ 見 し人﹂の寸し ﹂ ( ﹁ キ﹂の連体形)は、砂修行者ガ(自分遣ニ)山会ツタコト(及ピ、自分迷ガソノ人ト依認シタ コ ト ) H という物語の現時点から見てぷ宮ツタコトガアル(日見(シ))。ということを過去の乙ととして位世づけるわの 々 の で あ る 。 川﹁ケリ﹂は、文ぷ -f 円い切りでは凶知的なニュアンスを悦びることが多いが、 川刈川判斗川がために狂せしは、伎のみにはあらざり叫引。
(
μ
五八⑪) 文 小 で 川 い ら れ る と 、 仙 似 ' け の V M 味を去すむのとは感じられず、過去の助動向﹁キ﹂を怖う形の LL でのヅアリエ 1 シヨンの ように川いられる(次の 1 ければ﹂は可しかぱ﹂であってむさしっかえないと思われろ)。 例 か く 符 ふ る と こ ろ へ 下 部 公 て 、 此 さ 存 の 刺 合 通 じ り 札 ば 、 ゲ ザ は 避 け て 制 り ぬ 。 ( 五 七O
@
)
削 助 制 に 引 く 場 A H も、﹁ハ川み主﹂のよう位継続状態 的 b u ものやベーと)思ひさ・・パひさ﹂のようわ u 、後に厄合引く思考 ・ 先日の意味のむのが ・ 木 下 で あ る 。ω
例えば、次例では、主人公のエエリヒが友人のカ トリ ック的ゼパルドをμ
送って、円分の山小凶に似る途次に、小屋近 くで 何かの物 mH や光をけにする場耐が、 ﹁ 例 と も わ かざりさ L という ﹁ キ ﹂ 一 一 一 口い切り文を小心に、小屋近く ﹂なった時の 一 絞きのこととして、時の流れの中に位置づけられ 、 はっきり意識されていると感じられる 。 判 断 u し的が後 w w 見送りしエエリヒは、かへり路に 就かむ と し て 、 ( 中 略 ) 小 u m 近くなりしと き 、ふ とR
につきしむのあ り。万ちとまりてお手を見やり、耳を依てたり o p ﹂ ﹀ は 木 立 疎 に て 、 渇か b u る 作 間 を 見 お ろ し 、 -戸 仰 の ヂ ﹂ 山 さ の み ん 袖 る に 、 柄 h u 人なさ下迫に火の光弘えしゃうわ泊りさ。この時以ふさかは り て 、行の必より勺少し抱しし ぐるにつれて 、川公らぬ杯、汀に入りし如くなりしが、制加に削れたる聴さ幻にも何 とむ ねかぶり 図 。彼はとい3
つ3
て 、XHe
鋭くして は卸すに、微な る火の光 、午む述 ぎかりん十む近づく加く、その近づ く如さとさ、物のWX
間ゆ。彼の心はいたく騒ぎたり。この火光、乙の物の制作、この酬の行は w v み し 浮 叶 い の 放 に あ ら ずや。此波は楽りて説に迫るにあらずや。 初しありて火の光む見えずなりて、 ( ﹁ う3
よ の 波 ﹂ 六 一 一 一 一 ⑬1
六二三⑪) { 参考 文 献 ︼ 糸川辺治こ九九五)﹁中古の助動詞2 c
h
と税点﹂(吋京都教育大学国文学会誌﹄二凹 ・ 二五合 併号 )ベ ア