文学としての元代漢語版本『老乞大』
著者 小池 一郎
雑誌名 言語文化
巻 13
号 3
ページ 237‑303
発行年 2011‑01‑20
権利 同志社大学言語文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012286
文学としての元代漢語版本『老乞大』
小 池 一 郎
はじめに
『使会話の教本として長く用漢されていた。一九九八語、老の乞大』は朝鮮で、中国明にから清に相当する時代年
その元代言語による版本が韓国大邱で発見された。﹁元代漢語本︽老乞大︾﹂︵慶北大学出版部、二〇〇〇年︶に原文︵写
真版と釈文︶を載せる。その解説によると、元末太宗年間︵一四〇一~一四一八︶の刊行と推定される。訳注として
『老 ろうきつだい乞大
︱
朝鮮中世の中国語会話読本』︵金文京、玄幸子、佐藤晴彦訳註、鄭光解説、平凡社、二〇〇二年︶がある。鄭光﹁元代漢語の『旧本老乞大』﹂︵中国語学研究『開篇』一九、好文出版、一九九九年︶、李泰洙﹁︽老乞大︾四種版
本語言研究﹂︵語言出版杜、二〇〇三年︶が参考になる。『原本老乞大』︵外教学与研究出版杜、二〇〇二年︶、汪維輝
編『朝鮮時代漢語教科書叢刊』全四冊の第一冊と第二冊、中華書局、二〇〇五年︶にも原文を載せている。
﹁言語文化﹂
13︱3.
237︱
303 ページ二〇一一年. .
同志社大学言語文化学会
©小池一郎
筆者︵小池︶は、ここ数年にわたり、本学文化情報学部の沈力教授と、このテキストを明清時代の刊本と対照して
読解する共同作業を行った。その機会に、沈力氏から多くの貴重な示唆を得た。本稿では、この読解作業を基にして、
筆者自身が独自に、元代漢語による版本『老乞大』を一つの文学として捉える試みを行いたい。
『論中国人教師について、﹁語校﹂や﹁大学﹂の勉強をで学老人乞大』に登場する高麗た、ちは、高麗にいる時にし
ている。彼らは、中国語を話すことについて、強い必要性を感じ、切迫感を持っている。
﹁如今朝廷一統天下、世間用著的是漢兒言語。咱這高麗言語、只是高麗田地裏行的。過的義州、漢兒田地裏來、
都是漢兒言語。有人問著、一句話也説不得時、教別人將咱毎做甚麽人看?﹂*︵02a05 ~02a09 ︶
*原文第二葉表五行目~表九行目。以下︵02a05~02a09︶のように記す。a は各葉の表面、b は裏面である。なお、原文
は漢字のみの表記である。原文中の括弧、句読点は全て小池が付した。
今や朝廷は天下を統一し、世間で用いられているのは、中国語です。我々の高麗語は、ただ高麗の土地で行わ
れているだけです。義州を越えてしまって、中国の土地に来ると、みな中国語です。誰かある人に問いかけら
れたとして、一言も話せない時には、ほかの人たちに我々はどんな人間だと見なされるでしょう。
︹注釈︺訳は小池による。以下同。随時、金文京、玄幸子、佐藤晴彦訳︵以下『平凡社訳』と略記する︶を参考にした。﹁用著的﹂
⋮﹁著﹂は﹁着﹂︵持続︶、﹁的﹂は﹁の﹂、現代語に同じ。
﹁曲我﹁に﹂辞歌柳楊折﹁五辞吹漢横』集詩府楽『⋮﹂語言兒は
是れ虜家の児、漢児の歌を解せず﹂とある。﹁漢児﹂は異民族が漢族を指して言う言葉であった。『朴通事諺解』巻中に﹁私
は中国人︵漢児︶の言葉が分かりません﹂とみえる。
﹁田地﹂⋮場所、地方。
﹁過的﹂⋮﹁的﹂は完了。
﹁義州﹂⋮鴨緑
江下流左岸、高麗側の地。元朝の東寧府義州郡の所在地。
﹁﹂るけかい問。﹁意の到問﹁は﹂著﹁⋮﹂著﹂。
﹁咱教別人將
毎做甚麽人看﹂⋮﹁教﹂は使役であるが、いま受け身に訳した。﹁將﹂は﹁把﹂、﹁咱毎﹂は︵包括的︶一人称複数、﹁做~看﹂
は﹁~と見なす﹂の意。
『わ験を通して、実際に使れ擬ている漢語を教えると体模老と乞大』は、漢語を母語し、ない話者︵高麗人︶にい
う目的を持つ。その為に様々な工夫が凝らされていて、筆者はそこに、我々の眼から見て、文学としての性質が現れ
ていると考える。以下、このことについて順次例証しながら、考察して行きたい。なお、本稿では元代漢語『老乞大』
を単に『老乞大』と記す。明代清代に改編された『老乞大』のテキストに言及する時にはその旨明記する。
一 旅の文学、出会いと道行き
『記別れまで、全篇が旅の録らとして構成されている、か老の乞大』は、旅の途上で高い麗人の一行と漢人の出会。
出会いは次のようにして始まる。
﹁伴當、恁從那裏來?﹂︱﹁俺從高麗王京來。﹂︱﹁如今那裏去?﹂︱﹁俺︵往 *︶大都去。﹂︵01a02~01a03︶
*︵往︶、原文の二行目末一字不明。明刊『老乞大諺解』によって﹁往﹂字を補う。
漢 人﹁あなた方は、どこから来られたのですか。﹂
高麗人﹁我々は高麗の王京から来ました。﹂
漢 人﹁これからどちらへ行かれるのですか。﹂
高麗人﹁我々は大都へ行きます。﹂
︹注釈︺﹁伴當﹂⋮﹁伴当﹂。仲間、連れ。元の孟漢卿の雑劇﹁魔合羅﹂第四折に﹁彼がいっしょに商売するのは、新しい仲間︵伴
当︶ではあるまいな﹂とみえる。
﹁人︵排他的︶一称﹂複数の代名詞は俺恁﹁﹂と﹁俺﹂⋮恁、﹁﹂は二人称複数。
﹁高麗﹂
⋮朝鮮の王朝。九一八年建国、九三六年朝鮮半島統一。都は開城。一三九二年に李成桂︵李氏朝鮮︶に滅ぼされた。
﹁王京﹂
⋮都。元の無名氏の雑劇﹁陳州糶米﹂第一折に﹁それでは今日すぐに旅路について、まっすぐ都︵王京︶に行こう﹂とみえる。
﹁世たし名命が︶イラビフ︵祖に大年二七二一。都の元⋮﹂都。
簡潔な言葉のやり取りのうちに、これから始まる旅の性格が大きく方向付けられる。続いて、﹁旅は道連れ﹂とい
うことになる。
﹁伴當、恁如今那裏去?﹂︱﹁我也往大都去。﹂︱﹁旣恁投大都去時、俺是高麗人、漢兒田地裏不慣行。你把似拖帶俺、做伴當去、不好那?﹂︱﹁那般者、咱毎一處去來。﹂︱﹁哥哥、你貴姓?﹂︱﹁我姓王。﹂︱﹁本家在那裏 住?﹂︱﹁我在遼陽城裏住。﹂︱﹁恁大都爲甚麽勾當去?﹂︱﹁我將這幾箇馬賣去。﹂︱﹁那般呵、更好。俺也待 賣這幾箇馬去。更這馬上駞著的些小毛施帖裏布、一就待賣去。﹂︱﹁旣恁賣馬去呵、咱毎恰好做伴當去。﹂
︵02b08~03a05︶
高麗人﹁あなたはこれからどちらへ行かれるのですか。﹂
漢 人﹁私も大都へ行きます。﹂
高麗人﹁あなたが大都に行かれるというのならば、我々は高麗人で、中国の土地に馴染みがありません。あなたが
我々を連れて行ってくださり、お仲間にしてくだされは、ありがたいのですが、いかがでしょう。﹂
漢 人﹁それじゃあ、我々いっしょに行くことにしましょう。﹂
高麗人﹁お兄さん、お名前は。﹂
漢 人﹁私は王と言います。﹂
高麗人﹁ご実家はどちらの方ですか。﹂
漢 人﹁私は遼陽の市内に住んでいます。﹂
高麗人﹁あなたは大都までどんなお仕事をしに行かれるのですか。﹂
漢 人﹁私はこの数頭の馬を売りに行きます。﹂
高麗人﹁そういうことならば、なお都合が好い。我々も、この数頭の馬を売りに行こうと思っているのです。さら
に、この馬の上に積んでいるカラムシ布と麻布も、ついでに売りに行こうと思っています。﹂
漢 人﹁あなた方が馬を売りに行こうということでしたら、我々、連れだって行けば、ちょうど好いですね。﹂
︹注釈︺﹁旣恁投大都去時﹂⋮﹁旣~時﹂~であるからには。﹁投﹂は﹁到﹂の意。
﹁人人二びよお称一我の数単⋮﹂你﹂﹁称
代名詞。
﹁﹁。元の関漢卿の雑劇望の江亭中秋切鱠﹂二折﹁意︶你﹂把似拖帶俺﹂⋮﹁把似はい﹁不如﹂︵~した方がよ紅
繡鞋﹂に﹁あなたは自分の家庭をちゃんと守った方がいい︵把似︶ですよ﹂とある。
﹁拖帶﹂⋮引き連れる。
﹁那般者﹂
⋮それでは。
﹁本家﹂⋮本人の家、実家。
﹁市地心中の方地東遼。陽遼遼省寧遼の在現﹂⋮城陽。
﹁勾當﹂⋮こと、事柄。
﹁待﹂
⋮助動詞﹁想﹂﹁要﹂、﹁~したい﹂の意︵『元語言詞典』参照︶。
﹁駞﹂⋮︵荷物を︶載せる。
﹁些小﹂⋮少しの。
﹁毛施
帖裏布﹂⋮『平凡社訳』を参照した。
﹁ちの他の囚人たは﹁、巡察した時にそに一。『就﹂⋮ついでに元治典章』台綱二按、
ついでに︵一就︶取り調べよう﹂とある。
﹁いばらなとこうと旣~﹁⋮﹂呵~﹂。
この当時使われていた口語の漢語を使った、簡潔かつ丁寧な会話が高麗人と漢人の間で取り交わされ、﹁旅の道連
れ﹂が成立する。とくに高麗人の漢人への問いかけの言葉が、漢人の自然な応答を導き出していて、見事な漢語となっ
ている。
旅にあっては、他 ひと人の善意と悪意がことのほか身にしみる。旅を始めるに当たって、まずは漢人の王氏が、途中で
出会う土地の人々との交渉を引き受ける。その交渉がうまく行った場面では、以下のような会話が交わされる。通り
かかった民家に米を売ってくれるように求めた所、有り難いことに主人が出来立てのご飯を食べさせてくれた。
﹁客人毎休恠、胡喫。﹂︱﹁小人毎驟面間厮見、哥哥便這般重意、與茶飯喫、怎麼敢恠!﹂︱﹁量這些淡飯係甚利
害?偏俺不出外、出外時也和恁一般。﹂︱﹁哥哥道的是。『慣曾出外偏憐客、自己貪盃惜醉人。』﹂
︵12a04 ~12a07 ︶
主 人﹁お客さん方、すみませんが、こんな物でもよければお召し上がり下さい。﹂
漢 人﹁私ども今お会いしたばかりなのに、お兄さんはこんなに気を使って下さって、食事を食べさせて下さる。
すまないなんて、めっそうもない。﹂
主 人﹁たかがこんな粗末なご飯が何のお役に立ちましょうか。たまたま私どもが旅に出ていなかっただけで、旅
に出ていれば、あなた方と同じですよ。﹂
漢 人﹁お兄さんのおっしゃる通りだ。『旅慣れていれば、とりわけ旅人を大切にする。自分が酒好きならば、酔っ
ぱらいを大事にする』と言うからな。﹂
︹注釈︺﹁毎﹂⋮現代語の﹁們﹂に相当する。人物が複数であることを示す。
﹁はう遇てしずせ期﹁﹂驟面驟﹁⋮﹂見厮間面﹂
こと。元の鄭光祖の雑劇﹁王粲登楼﹂第一折に﹁学士さん、たいへん有り難うございます。小生いま期せずしてお会いした︵驟
面︶ばかりなのに、何と私に金帛の鞍付き馬と推薦書を頂戴いたしました。後日もし繁盛しましたならば、このご恩には必
ず厚く報わせていただきます﹂とある。『平凡社訳』注は、﹁面﹂は﹁而﹂の誤字かと疑っている。
﹁便﹂⋮﹁就﹂、﹁︵早くも︶
もう﹂。
﹁重意﹂⋮気を遣う。
﹁学﹂︵『ことばと文』助所収、汲古書院字の量﹁『﹂⋮田中謙二が董語西廂』に見える俗、
一九九三年。初出は『東方学報京都』一八、一九五〇年︶で﹁量着﹂を﹁たかが﹂と訳すのに従う。『関漢卿戯曲詞典』はこ
の﹁量﹂を﹁ある種の情況に限られることを強調する﹂と説明する。
﹁連何﹁は﹂甚﹁﹂、るす関係﹁は﹂係﹁⋮﹂害利甚﹂
の意。
﹁偏﹂⋮﹁只﹂。
﹁﹂﹁の﹁偏﹂は﹁最も特こ別に﹂の意。関漢こ⋮慣憐曾︵=常︶出外偏客﹂、自己貪盃惜醉人卿
の雑劇﹁趙盼児風月救風塵﹂第三折﹁滾繡毬﹂に﹁第二来是我慣曾為旅偏憐客、第三来也是我自己貪盃惜酔人﹂と、同文が
みえる。
ある程度世慣れた漢人同士の、余裕のある会話である。会話を楽しんでいるという風な所がある。元代の、外に向
かって開かれた社会の懐の深さが、背景に感じられる。しかし、好いことばかりではない。旅人は、次に紹介する場
面のように、時には人様の悪意︵客観的に言えば、旅人にとって悪意と感じられる他人の所作︶に直面する。やはり
漢人王氏が、旅の一行の外部との交渉役を担っている。
﹁拜揖主人家哥、俺是客人、今日晩也、恁房子裏覔箇宿處。﹂︱﹁俺房子窄、無處安下、恁別處尋宿處去。﹂︱﹁你
這般大人家、量俺兩三箇客人、恰便下不得那?恁好房子裏不教俺宿時、則這門前車房裏教俺宿一夜如何?﹂︱﹁俺
不是不教恁宿。官司排門粉壁、不得安下面生歹人。﹂︵13b04~13b09︶
漢 人﹁今日は、ご主人さん。我々旅の者ですが、今日は日が暮れます。お宅のお部屋で泊めていただけないでしょ
うか。﹂
主 人﹁私どもの家は狭くて、泊まる所はありません。あなた方、他 よそ所で泊まる所を探してください。﹂
漢 人﹁こんなに大きなお宅で、たかだか我々二、三人の旅人を一体どうして泊められないのですか。好い部屋に
我々を泊まらせたくないのなら、玄関先の車庫に我々を一晩泊めてもらえないでしょうか。﹂
主 人﹁私どもがあなた方をお泊めしないのではありません。一軒ずつお役人のお触れがあり、見知らぬ悪人を泊
められないのです。﹂
︹注釈︺﹁安下﹂⋮﹁泊まる、泊める﹂。﹁下﹂だけでも同意で使う。
﹁解る作に﹂説麼怎却﹁は』諺恰大乞老『語漢代明⋮﹂便。
﹁恰﹂は﹁却﹂の意で、﹁便﹂は反語﹁豈﹂の意と取りたい。﹁それなのにどうして﹂。
﹁車房﹂⋮車庫。
﹁排門粉壁﹂⋮﹁排
門﹂は﹁一軒ずつ﹂。﹁粉壁﹂は﹁︵壁に白く書いて︶通告をする﹂。『元典章』戸部六偽鈔に﹁排門粉壁して、民をして知り惧
れ使む﹂とある。
﹁と主人が自ら﹁俺﹂言家っているが、これはの民面、生﹂⋮﹁面識がない初で対面の﹂。なお、ここ本
来﹁私ども﹂という︵排他的︶複数一人称代名詞であるものの、この場面では、主人の自卑称の性格が強いであろう。
一行が端から主人によって﹁悪人﹂呼ばわりされてしまった。対する漢人王氏の口ぶりにも思わず力が籠もるが、
しかし、けっして粗雑には流れない。以下会話の続きは省略するが、結局旅の一行は、この家の車庫に泊まることが
でき、その上、主人からお米を買い受けた。漢人王氏の話し言葉は、高麗人にとって︵つまりは読者にとって︶文字
通り生きた漢語教材としての役割を果たしている。
二 人物形象の妙
ここで、『老乞大』の登場人物について、原文中でなされている紹介に従ってまとめておこう︵図参照︶
中国人︵王氏︶︰偶然出逢った人。家は遼寧の城内にある。大都へ馬を売りに行く。
高麗人甲︵?氏︶︰乙氏の母の姉方の従兄、丙氏の父の姉妹方の従弟。
高麗人乙︵李氏︶︰甲氏の母の妹方の従弟、丙氏の父の姉妹方の従弟。
高麗人丙︵金氏︶︰甲氏の母の兄弟方の従兄、乙氏の母の兄弟方の従兄。
高麗人丁︵趙氏︶︰高麗人甲乙丙と同じ町内の人。
ところで、『老乞大』では、この高麗人金氏一族三人の人物は明確に書き分けられている。実際には発話人物は区
別して明記されないので、会話の流れに沿って、誰が発言しているかを特定しなければならない。次に、酒屋での支
払い場面での会話を取り上げて、発話人の特定を試みてみよう。
︻高麗人の親族関係図︼
︵酒屋で︶
﹁喫了酒也、廻了酒錢去來。﹂︱﹁量酒、來廻鈔。兀的二兩半鈔、貼五錢來。﹂︱﹁哥哥與一張兒好的、這鈔無了
字兒、怎麼使的?﹂︱﹁這鈔嫌甚麼?字兒、伯兒分明都有、怎麼使不得?你不識鈔時、教別人看去。﹂︱﹁我怎
麼不識鈔?索甚麼教別人看去?換鈔不折本。你自別換與一張兒便是也。﹂︱﹁索甚麼合口?﹂︱﹁這量酒也纏的 金
氏
父
母 丙 乙 甲
︵年長︶ 金氏
︵高麗丙と略す︶
︵年下︶ 李氏
︵高麗乙と略す︶
︵三十二歳︶ ?氏
︵以下︑高麗甲と略す︶
母︵姉︶
母︵妹︶父︵兄弟︶ 父︵李氏︶
壞了。﹂︱﹁阿的般鈔使不得?兀的一箇一兩半、一箇五錢將去。﹂︱﹁這一兩半也昏。﹂︱﹁你却休謊。恰早來喫
飯處貼將來的鈔。﹂︱﹁儘教、胡留下者、便使不得也罷。﹂︱﹁你要那話怎麼?使不得呵、你肯要那?﹂
︵18b01~18b10︶
高麗甲﹁︵一行の者たちに︶お酒を飲み終わりましたので、酒代︵二両︶を支払に行って来ましょう。﹂
︵こえ払いをするとてになっている替立事漢前の約束で、人がの分も高麗人。︶
高麗乙﹁給仕、支払いに来た。ここに二両半のお札が有る。五銭お釣りをくれ。﹂
︵お金を払うのは本来甲だが、乙はちょっと酔いがまわって、自分で払おうとしたのであろう。﹁二両半のお
札﹂とは至元鈔五百文=五銭を中統鈔計算︵五倍︶で言ったもの。『平凡社訳』注の﹁解説﹂に詳しい説明
がある。︶
店 員﹁お兄さん、好いのを下さいよ。このお札は文字が有りません。どうして使えるでしょうか。﹂
高麗乙﹁このお札のどこがいけないのだ。文字も図柄も皆はっきりしている。どうして使えないのだ。お前にお札
の見分けができないなら、他の者に見せに行きなよ。﹂
店 員﹁私がどうしてお札を見分けられないんですか。どうして他の者に見せに行くのですか。お札を換えても元
は減りません。あなたの方で、別の一枚と取り換えてくれれば、それでよいのです。﹂
高麗甲﹁何を言い争っているんだい。﹂
高麗乙﹁この給仕め、ひどくからみやがる。こんなお札が使えないなんて。﹂
高麗甲﹁ほれ、一両半がひとつと五銭がひとつだ。持って行きな。﹂
︵銭のもたっ言で算計鈔統中を三﹁=文百三鈔元至はと﹂半両一。︶
店 員﹁この一両半もはっきりしません。﹂
高麗甲﹁お前、でたらめを言うなよ。ついさっき飯を食った所でお釣りに持って来たお札だ。﹂
店 員﹁まあいいや。むやみに残しておいたところで、使い物にならないだろうが。﹂
高麗甲﹁今さらなにを言いやがる。使えないのなら、どうして自分で受け取るんだい。﹂
︹注釈︺﹁無了字兒﹂⋮﹁無了﹂は﹁没有﹂の意。『元刊雜劇三十種』﹁蕭何月夜追韓信﹂第一折[油葫蘆]に﹁礼は通じず管理
はされず、道は行われず木鐸は無い︵無了︶﹂とみえる。
﹁字兒﹂⋮貨幣の文字。
﹁伯兒﹂⋮貨幣の図柄。
﹁分明都有﹂
⋮﹁分明﹂は﹁はっきりとしている﹂であるが、この四字自然な漢語ではない。
﹁折本﹂⋮元金を割る。
﹁便是也﹂⋮こ
の文末の﹁也﹂は確認の語気を示す。
﹁合口﹂⋮﹁口争いをする。﹂
﹁句漢関『は﹂也﹁の中の這こ⋮﹂了壞的纏也酒量卿
戯曲詞典』に﹁呼喚の語気を表す﹂というのに当たるであろう。﹁壞了﹂は﹁ひどく﹂の意である。
﹁阿的般﹂⋮﹁兀的般﹂
に同じ。﹁この様な﹂の意。
﹁止なるす~﹁現表禁休は﹂休﹁⋮﹂謊﹂。
以上の会話で分かるように、高麗人甲は、温厚な良識人︵店員の無理難題には厳しく対応している︶で、高麗人を
統括する立場にあるのに対して、年少の高麗人乙は、漢語に十分習熟していないのはともかくとして、直情多感で元
気に溢れ、時に話相手に乱暴な言葉を発する自然人として登場してくる。付け加えれば、高麗人丙は、年長者として
皆に敬意を払われつつも、控えめな人物として描かれ、旅行きの中では脇役的な存在である。馬に水を飲ませに行く
時の留守番役を決める際にこんな会話がある。
﹁
恁三箇裏頭、著這老的看者。﹂︱﹁『三人同行、小的苦。』咱毎三箇去來。﹂︵10a06~10a07︶
漢 人﹁あなた方三人︵高麗人甲乙丙︶の中で、この年長の方︵丙=金氏︶に残ってもらいなさいよ。﹂
高麗甲﹁『三人同行するときには、若い者が苦労する』だよ。我々三人︵漢人と高麗人甲乙︶が行こう。﹂
︹注釈︺﹁三人同行小的苦﹂⋮『易経』損卦に﹁三人行けば、則ち一人を損す。一人行けば、則ち其の友を得﹂とある。関漢卿
の雑劇﹁包待制三勘蝴蝶夢﹂第二折に︵正旦がいう︶﹁『三人同行、小的苦』と言うではないですか。彼が命で償えばよいの
です﹂とみえる。
三 道行きと会話の妙および仲間意識
『の富んでいる。また、そ会彩話の中で各人の性格やに生老き乞大』では、特に道行にがおける仲間同士の会話立
場および人間関係が明かにされる。少し長くなるが、大都へ後五日ばかりの路上での会話を引いて、この点について
考察してみよう。
﹁咱毎今夜那裏宿去?﹂︱﹁咱毎往前行的十里來田地裏、有箇店子名喚瓦店。咱毎到時、或早或晩、則那裏宿去。 若過去了呵、那壁有二十里地、無人家。﹂︱﹁旣那般呵、前不著村、後不著店也。﹂︱﹁咱毎則迭那裏宿去。﹂︱﹁到 那裏便早時也好。咱毎歇息頭口、明日早行。﹂︱﹁這裏到大都、有幾程地?﹂︱﹁這裏到大都、則是有五百里之上。 天可憐見、身己安樂呵、更著五箇日頭到也者。﹂︱﹁咱毎到時、那裏安下去便當?﹂︱﹁咱毎則投順承門關店裏 下去來、那裏就便投馬市裏去哏近。﹂︱﹁你道的是。我也心裏那般想著有。﹂︱﹁你説的恰和我意同。﹂︱﹁則除 那裏好。﹂︱﹁但是直東去的客人毎、別處不下、都在那裏安下。﹂︱﹁俺年時也在那裏下來、哏便當。﹂
︵03b01~04a01︶
高麗甲﹁私たちは今夜はどこへ泊まりに行きましょうか。﹂
漢 人﹁私たちがこのさき進んで行くと、十里︵約五、五キロ︶ばかりの所に『瓦店』という名の宿場が有ります。
到着した時には、私たちは早くても遅くても、そこで泊まるしかありません。もし通り過ぎてしまったなら
ば、それから二十里にわたって、人家が有りません。﹂
高麗丙﹁それじゃあ、『進んでも村には着かず、戻っても宿に着かない』ということになってしまいますね。﹂
高麗甲﹁我々はそこへ泊まるしかないでしょう。﹂
高麗乙﹁そこへ着くのがたとえ早くても、かまいません。私たちは馬を休ませて、明日早く行きましょう。﹂
︵たるれらえ考とのもしこ過経が間時し少でこ。︶
高麗甲﹁ここから大都まで、どれくらいの道のりですか。﹂
漢 人﹁ここから大都までは、わずかに五百里余りしか有りません。お天道様が憐れんでくださって、身体が達者
ならば、もうあと五日もすれば着くことでしょう。﹂︵約二百七十五キロを一日約五十五キロ進む行程にな
る。︶
高麗甲﹁私たちは到着したら、どこで宿を取れば都合がよいでしょうか。﹂
漢 人﹁私たちは、順承門︵大都西南︶の城門の関店︵公営店︶へ泊まりに行きましょう。そこからすぐに馬市に
通じていて、とても近いのです。﹂
高麗甲﹁おっしゃる通りです。私も心の中でそのように思っていました。﹂
高麗乙﹁あなたのおっしゃることは、私の考えとちょうど同じです。﹂
高麗丙﹁あそこなら好いでしょう。﹂
漢 人﹁東へ行く旅人たちであれば、他の所には泊まりません。皆そこで宿を取ります。﹂
高麗乙﹁我々は去年もそこに泊まったのですが、とても都合がよかったです。﹂
︹注釈︺﹁往前行的十里來田地裏﹂⋮﹁的﹂は﹁到﹂の意を表すか。
﹁裏只﹁は﹂則﹁⋮﹂去宿那咱則、晚或早或、時到毎﹂
の意。明刊本は﹁只﹂に改めている。『元典章』戸部八常課に﹁不要中統鈔、則要至元鈔呵、百姓毎生受﹂︵もし中統鈔は要
らない、ただ至元鈔だけが要るというのなら、民衆たちは難しい︶。
﹁じらちそ、こそ。﹁同那に﹂边那﹁⋮﹂壁﹂。
﹁前不
著村、後不著店也﹂⋮会話のやりとりからは逸脱した言葉なので、中国人とやり取りをしていた高麗人ではなく、その横に
いた別の高麗人︵丙︶が口を挿んだのであろう。
﹁﹂意の﹂到﹁は迭迭﹁⋮﹂去宿裏那。
﹁﹂時︵~便﹁⋮好到也時早便裏那︶
也﹂は﹁たとえ~でも﹂。
﹁馬二首その一に﹁戦は﹂春に放たれて帰り詩る歇。息﹂⋮休む、休める唐作の白居易の﹁偶たま、
農牛は冬に歇息す﹂とみえる。
﹁﹁史平話﹂巻上に家』﹁畜︵頭口︶を放周話頭ど口﹂⋮馬、牛なの平大型家畜。『五代史っ
て穀類の作物を蹂躙することを許さない﹂とある。
﹁幾程地﹂⋮どれほどの距離。
﹁樂高に先⋮﹂呵安天己身、見憐可麗
人の発した言葉︵01a08︶。ここでは漢人が、高麗人が先に慣用句を使ったのをからかったのかも知れない。
﹁更著五箇日頭
到也者﹂⋮﹁著﹂は﹁追加する﹂の意。﹁着﹂に同じ。元の張養浩の小令﹁咸陽にて古を懐う﹂越調︻天浄沙︼に﹁更に十年
して見てみれば︵更着十年試看︶、雲散霧消しているだろう﹂。﹁日頭﹂は本来﹁太陽、お日様﹂。ここでは﹁日︵数︶﹂の意。
﹁也
者﹂⋮﹁也﹂は、句末について﹁状況の確認﹂の語気を示す。﹁者﹂は文末助詞﹁推測﹂を示す。
﹁那裏安下去便當﹂⋮﹁便
當﹂便利な、都合の良い。
﹁老武門﹂。崔世珍の『朴﹁集覧』平則門に﹁宣の投來順承門關店裏下去﹂明⋮﹁順承門﹂は、永
楽十九年に宮室を営建し、九門を立つ。︵中略︶南の右を宣武と曰う。元は則ち順承と曰う﹂とある。元の黄文仲の﹁大都賦﹂
に﹁順城︵承︶は南商の藪 すう︵たまり場︶﹂と述べる︵陳高華著、佐竹靖彦訳『元の大都』中公新書、一九八四年、一一六頁参
照︶。
﹁翱を官店を作りて以て商賈居にらしむる者有り﹂と記す﹁﹂關﹂店﹂⋮明刊本は﹁官店に献作る。唐の李の﹁疏絶進。
『続資治通鑑』元順帝至正二十四年︵一三六四︶には﹁己酉に、在都の官店を改めて宣課司と為す﹂とある。
﹁去來﹂⋮﹁來﹂
は希求の文末助詞。晋の陶淵明の﹁帰去來兮辞﹂に﹁帰り去り来 なん、田園将に蕪れんとす﹂と詠う。
﹁就便﹂⋮﹁立即﹂、﹁す
ぐに﹂の意。
﹁内たっ在に頭角市羊の門馬承順。市馬の都大﹂⋮市。
﹁著同意我和恰的説你﹂﹁有想你般那裏心也我。是的道﹂
﹁則除那裏好﹂⋮皆同じ意味なので、明代言語『老乞大諺解』では意味の重複を嫌って﹁你道的是。我也心裏那般想著有﹂の
部分を削除している。しかし、ここは高麗人三人が三者三様に発言したのであろう。学習者に漢語の様々な表現を学ばせよ
うとしたものと推測される。
﹁語意の﹂るあでの~﹁で体訳直古那蒙は﹂有﹁の末文⋮﹂有著想般。
﹁則除那裏好﹂⋮﹁則
除﹂は﹁只除﹂に同じ。元代では﹁ただ~だけが﹂の意。王実甫の﹁西廂記﹂第一本第一折に﹁あそこなら︵則除那裏︶、旦
那さんがぶらぶら歩きできます﹂とある。『平凡社訳』は前の会話文に含め、﹁あそこがいちばんいい﹂と訳す︵四五、四六
頁︶。
﹁東れば、みな﹂の意。﹁直去え﹂は、『平凡社訳』は﹁すさ但﹂是直東去的客人毎~都⋮り﹁但是~都﹂で﹁~であ東
から行く旅人﹂と訳しているが、漢人は大都を基準に述べているので、﹁東へ行く﹂と理解したほうが分かりやすく、文型上
も無理がない。
漢人は一行の旅の計画を立て、高麗人に提案する立場の人である。高麗人甲は、漢人との交渉の窓口役となり、漢
人の提案を受けて、高麗人たちの意見をまとめ、旅を実際に遂行する役目を担う。高麗人乙は、漢人と高麗人甲のや
り取りに対して、早く旅を進めたいという積極的な、少し早った態度で、率直に自らの意見、気持ちを述べる。漢人
と高麗人三人がそれぞれ自らの立場から発言し、物事が推し進められて行く。
もう一箇所、上に紹介した会話に続く、夜の馬の見張り番の場面を取り上げて、各人の性格、役割分担を観察して
みよう。
﹁我恰纔睡覺了、起去來、參兒高也、敢到半夜也、我先去、替那兩箇來睡。你却來那裏、咱毎兩箇看著馬。﹂︱﹁那
般者、恁去。﹂︱﹁恁兩箇去睡些箇。到那裏時、教那箇伴當來者。﹂︱﹁你來也?你邀過馬來在一處者、容易照覷。
月黑也、恐怕迷失走了、悞了路子。﹂︱﹁明星高也、天道待明去也。咱毎赶將馬去來、到下處收拾了行李時、恰
明也。﹂︵16b01~16b07︶
︵夜の馬の見張り番を二人ずつ交代で行うことになり、先ず漢人と高麗人丙が見張りに向かった。それから
四時間前後が過ぎた。︶
高麗甲﹁私はいましがた眠り終わって、起きて出てみると、オリオンの三つ星が空に高かった。おそらく夜半になっ
たのだろう。私が先に行って、向こうの二人と交代して、彼らを眠りに来させよう。それから君︵高麗人乙︶
があそこに来てくれて、我々二人で馬を見よう。﹂
高麗乙﹁それじゃ、先に行ってくれ。﹂
︵人てっか向に丙人麗高と漢草が甲人麗高たい着に原︶
高麗甲﹁あなた方お二人、ちょっと眠りに行って、向こうに着いたら、残っている仲間を来させてください。﹂
︵乙が草原に到着︶
高麗甲﹁やあ、来たな。大声でおどして、馬を一箇所に集めて来てくれ。面倒を見るのが楽になる。月が見えない
闇夜だから、道に迷ってしまえばきっと出発に遅れてしまう。﹂
︵それから、また数時間の経過︶
高麗乙﹁明星が高くにある。夜はまもなく明けるぞ。我々、馬を追って行こう。宿所について荷物を整理したら、ちょ
うど夜明けだ。﹂
︹注釈︺﹁恰纔﹂⋮恰才、つい先ほど、いましがた。
﹁スるいてめ改に﹂就﹁はトキ却テ代清﹂。是于、就﹁⋮﹂。
﹁那般者、
恁去﹂⋮乙は甲に対して﹁恁﹂と言っている。﹁恁﹂︵二人称複数︶はここでは尊敬語として用いられていて、依頼の含意が
ある。
﹁﹁トは﹁敢︵趕︶﹂、清代は赶キ﹂字に改めている。﹁邀ステ你『邀過馬來﹂⋮﹁邀﹂を平代凡社訳』は訳出せず。明﹂ は﹁喓﹂︵大声で叫ぶ︶と解すべきであろう。︵13a09︶にも﹁邀當︵擋︶著﹂とみえる。
﹁一處﹂⋮現代語﹁一起﹂に同じ。
﹁覷照﹂⋮﹁面倒を見る﹂。
﹁迷失﹂⋮道に迷う。
﹁。﹁記誤の﹂誤﹁は﹂悞る悞れ遅に発出⋮﹂子路。
﹁天道﹂⋮時、
時間。元の鄭廷玉の雑劇﹁金鳳釵﹂第三折に﹁もう晩くなった︵天道晩了︶。我々休むことにしよう︶とある。
﹁待明也﹂
⋮﹁待﹂は﹁欲、將、要﹂、﹁~しようとする。まもなく~する﹂の意。
間に時間の経過を挟んだ断片的な会話のやり取りであるが、一切無駄がなく、静かに経過する夜の時間と、そこに
働く人物の働き振りおよび心理状態が的確に表現されている。
四 心理描写の妙
1﹁憶病心﹂
『面次にその例を三つの場にるよって示そう。まず第。い老た乞大』は、右にも述べよてうに、心理描写に長け一
の例は、一行が翌朝早く宿を出発しようという場面である。
﹁那般呵、俺明日早則放心的去也。﹂︱﹁你底似的休早行、俺聽得前頭路澁有。﹂︱﹁爲甚麼這般的歹人有?﹂︱﹁恁
偏不理會的。從年時天旱、田禾不收、飢荒的上頭、生出歹人來。﹂︱﹁碍甚事?俺則是赶著這幾箇馬、又無甚麼
錢本、那廝毎待要俺甚麼?﹂︱﹁休那般説。賊毎怎知你有錢没錢?小心必勝。﹂︵08a03 ~08a08 ︶
漢 人﹁︵宿の主人向かって︶それじゃあ、我々は明日早くても安心して行かれるのだな。﹂
主 人﹁あなた方は決して早立ちしてはいけません。私は、道の前方に追いはぎが出ると聞いています。﹂
高麗甲﹁どうしてそんなに悪いやつが居るんだい。﹂
主 人﹁あなた方はどうしても理解できないでしょう。去年から日照りで穀物の収穫がなく、飢饉となって、その
為に悪人たちが現れ出てきました。﹂
高麗甲﹁何が邪魔になるんだい。俺らはただこの数頭の馬を追っているだけで、金目のものは何も無い。やつらが
我々の何を欲しがるというのだ。﹂
主 人﹁そんなにおっしゃらないで下さい。賊たちがどうして、あなたにお金が有るかどうか、知りましょうか。
用心するに越したことは有りません。﹂
︹注釈︺﹁放心﹂⋮安心する。高明﹁蔡伯喈琵琶記﹂巻下第二十五出︻蛮牌令︼に︵生がいう︶﹁俺はまもなく帰ってきて、皆
に安心︵放心︶してもらう。心配しなくてよい﹂とみえる。
﹁﹂﹂貝宝多許如﹁首三百三詩前﹁の山寒の唐。方前⋮﹂頭詩
に﹁前頭は桅︵帆柱︶を失却し、後頭は又柁 かじ無し﹂とある︵『全唐詩』巻八百六︶。
﹁路澁﹂⋮盗賊、追いはぎ。
﹁歹人﹂
⋮悪人。盗賊のこと。元の無名氏の雑劇﹁碧桃花﹂楔子に﹁︵梅香がいう︶まさか賊ではあるまいな。︵張道南があわてた仕
草をしていう︶小生悪人︵歹人︶ではありません﹂とある。
﹁の﹁に』釈集辞語曲詞詩『編年徳明曽・鍈王。年去⋮﹂時北
方の相当広範な地域では、口語の『年時』は『去年』のことである﹂。
﹁』日終﹁に八下志貨食史錢宋。『物の目金⋮﹂本あ
くせくしても、金目の物︵錢本︶はみな無くなってしまう。行商に行かないと、衣食の路が途絶える﹂とある。
﹁那廝﹂⋮
やつら、そやつ。『京本通俗小説』西山一窟鬼に﹁朱小四、お前こやつ︵這廝︶、喚んでいる人がいるぞ﹂。この﹁廝﹂は蔑称。
﹁待
要﹂⋮﹁打算﹂、﹁想﹂の意。『京本通俗小說』菩薩蠻に﹁新しい蓮の花を賞するつもり︵待要︶なら、どうして病気が治るも
んかい﹂とある。
﹁と。鍵の紐はしっかり通しし入れた。こんなにたろ小諺心必勝﹂⋮『朴通事解下』巻中に﹁門は錠を防
備しているんだから、どうして入って来られようか。諺に言うじゃないか、『用心するに越したことはない』︵小心必勝︶と﹂。
続いて、宿の主人が盗難の実話を二件︵この話の内容については、本稿で後述する︶、一行の者たちに生々しく話し
て聞かせる。ここでは、その主人の話しが終わった後の会話を次に記す。
﹁旣這般路澁呵、咱毎又無甚忙勾當、索甚麼早行?﹂︱﹁等到天明時、慢慢的去、怕甚麼?﹂︱﹁道的是。依著
恁天明時行。﹂︵09a07~09a08︶
漢 人﹁こんなに道が危険なうえに、我々は何か忙しい仕事が有るわけでもなし、早立ちすることもないだろう。﹂
主 人﹁夜が明けてから、ゆっくりと出発なさい。何をかまうもんですか。﹂
高麗甲﹁おっしゃる通りだ。あんたのお考えに従って、夜が明けてから行くことにしよう。﹂
︹注釈︺﹁怕甚麼﹂⋮﹁怕做甚麼﹂を簡単にした言い方。﹁何をかまうもんか。﹂元雑劇の決まり文句。『元曲熟語辞典』参照。
王仲文の雑劇﹁救孝子賢母不認屍﹂第一折に︵王脩然、酒を飲む仕草をして︶﹁あんたは賢くて孝行なお人だが、私は何杯飲
んでもかまうもんかい︵怕做甚麽︶﹂とみえる。
宿の主人の話を聞いて、怖くなり、先ほどの勢いはどこへやら、旅の進行役であるはずの高麗人甲の心に、臆病心が
生じた様が、直接それとは明示せず巧みに描かれている。それはまた、間に挿まれる盗賊の話︵本稿の後に紹介︶を
より強く印象付ける働きをしている。
2﹁金が物を言う﹂
二番目の例は、旅の一行がある一軒の民家に立ち寄ってお米を分けてもらおうとして、体よく断られた場面である。
漢人は挫けずに更に主人に頼み込む。
﹁俺從早起喫了些飯、到這早晩不曾喫飯裏、好生的飢也。你糴來的米裏頭、那與些箇、俺則熬些粥喫。兀的二兩
半鈔、從恁意與些箇。﹂︱﹁二兩半鈔、與恁多少呵是?﹂︱﹁由你、但與的是數。﹂︱﹁今年爲旱澇不收、十兩鈔 糴的一斗米。俺本無糶的米、旣恁客人則管的厮央、俺糴來的米裏頭、那與恁三升、煑粥胡充飢。﹂
︵15a09 ~15b04 ︶
漢 人﹁我々は早く起きて少し食べてから、今までずっと食べていませんので、ずいぶんお腹が空いています。あ
なたが買われたお米の中から、少し分けて下さい。そうすれば我々お粥を少し炊いて食べられます。ここに
二両半︵至元鈔五百文紙幣一枚︶のお金が有ります。あなたのお心次第で少しお分け下さい。﹂
主 人﹁二両半でどれくらい、あなた方にお分けすればよいのかな。﹂
漢 人﹁あなたにお任せします。分けていただければ、それで結構です。﹂
主 人﹁今年は日照りと水害のために、収穫がなくて、十両のお金を出して、やっと一斗の米が買えます。我々に
はもともと売るお米が無かったのですが、お客さんがひたすら求められるので、私が買ってきたお米の中か
ら、あなた方に三升をお分けしましょう。お粥を炊いて、ご自由にお食べください。﹂
︹注釈︺﹁早起﹂⋮早晨、早朝。
﹁る用する、融通す﹂、の意︵『平凡社訳』流す那﹂與些箇﹂⋮﹁那は移﹁挪﹂で、動詞﹁注
参照︶。
﹁熬﹂⋮﹁煮る﹂の意。
﹁由你﹂⋮﹁あなた次第です﹂。
それまで頑なにお米を与えることを拒否をしていた民家の主人が、二両半のお札を見た途端に、態度を変える。言
い訳をしつつも、態度が和らいで行く様子を、会話の言葉のみでみごとに表現している。主人は一斗︵=十升︶十両
と言いながら、現金が手に入るとなるや、二両半で三升の米を分け与え、自らの喜びの気持ちを暗に示している。漢
人の方も、それを見込んで対応をしているのが、やはり会話の言葉から読み取られる。
3﹁妻子への想い﹂
次に、高麗人甲︵*︶が大都に居住する親類の李舎という人を尋ねた時の会話を挙げる。一通り近況を話し合った
後で、李舎の家族からの手紙の話に移る場面である。
*訪問者は後で李舎に﹁あと二人仲間がいます。どちらも親戚で、一人はおじおばの関係の従兄、一人はおば同士の関係の
従弟です﹂と語っているので、彼は高麗人甲であると分かる。
﹁俺家裏書信有那没?﹂︱﹁書信有。﹂︱﹁這書上寫著無甚備細。你來時、俺父親、母親、伯父、叔父、伯娘、嬸子、姐姐、姐夫、二哥、三哥、阿嫂、姊妹、兄弟毎都安樂好麼?﹂︱﹁都安樂。﹂︱﹁那般好呵。『休道黃金貴、
安樂最直錢』。怪殺今日早起喜鵲兒噪、更有嚏噴來、果然有親眷來、更有書信。却道『家書直萬金』。小人拙婦和
小孩兒毎都安樂那?﹂︱﹁都安樂。你那小女兒出班子來、俺來時都完痊疴了。﹂︵21a03~21a09︶
李 舎﹁私の家から手紙が有りますか。﹂
高 甲﹁手紙が有ります。﹂
李 舎︵手紙を読んで︶﹁手紙には何の詳しいことも書いてない。あなたが来られた時には、私の父親、母親、お
じ達、義理のおば達、姉、姉の夫、二番目の兄、三番目の兄、兄嫁、妹、それから弟たちは皆無事で元気で
したか。﹂
高 甲﹁皆無事でした。﹂
李 舎﹁そんなに元気なら、『黄金の値が高いなんて言うなかれ。無事なのが最高の値打ち』ですね。道理で今日
朝早くカササギが騒いでいた上に、クシャミまで出たと思ったら、やはりご親戚が来られて、手紙まで有る
という訳ですよ。『家書万金に抵る』とも言うじゃありませんか。当方の愚妻と子供達はみな無事ですか。﹂
高 甲﹁みな無事ですよ。あなたの所の末の娘さんは発疹が出ていましたが、私が来る時には、もう完全に治って
いました。﹂
︹注釈︺﹁備細﹂⋮﹁仔細﹂、﹁くわしい︵こと︶﹂。
﹁な﹂呵﹁はで訳のこ。﹂たっか良られ那そ﹁は』訳社凡平『⋮﹂呵好般は
文末助詞となる。明代テキストは﹁那般好時﹂と後の文に繋げている。清代テキストは﹁那般好﹂とし、文末の﹁呵﹂を省
いている。いま明代テキストを参考にして訳した。
﹁⋮魂離女倩﹁劇雑の祖光鄭の元﹂休錢︶値︵直最樂安、貴金黃道﹂、
また岳伯川の﹁鉄拐李岳﹂第一折︵旦云︶に同一の表現がみられる︵『元曲熟語辞典』︶。また『朴通事諺解』巻下にも﹁休道
黄金貴、安楽直銭多﹂とほぼ同様の表現がみえる。
﹁は『は﹂鵲喜。﹁意の﹂で理道﹁﹂怪殺怪﹁⋮﹂噪兒鵲喜起早日今殺西
京雑記』巻三に﹁乾鵲噪げば行人至る﹂とみえる。
﹁三ばれすをみゃしくが人に俗﹁に巻嚏』子真嬾『の卿永馬の宋⋮﹂噴、
誰かが噂をしている、と言う﹂と述べる。元の鄭光の雑劇﹁鍾離春智勇定斉﹂第一折にはこのような俗言を﹁鵲噪ぐは食の
為に忙しく、嚏 くしゃみ噴は鼻子癢 かゆし。︵中略︶全て正経︵正統な理由︶無し、則ち是れ胡道︵でたらめを言う︶するなり﹂と皮肉っ
ている。
﹁﹁﹂を『平凡社訳』は~却て言うだろう﹂と訳す道。﹁却﹂道家書直萬金﹂⋮﹁却は意﹁又、還﹂、﹁更に﹂の。
明代テキストが﹁不﹂を補って﹁却不道﹂と改めたのは、﹁却﹂の意味がすでに曖昧であった為か。﹁家書直萬金﹂は杜甫の﹁春
望﹂詩の﹁烽火三月に連なり、家書万金に抵 あたる﹂『金唐詩』巻二百二十四に基づく。
﹁小女兒﹂⋮末の娘。元の無名氏の
雑劇﹁薩真人夜断碧桃花﹂第四折に﹁我が大女児︵長女︶碧桃は、已に死して三年なるに、昨夜小女児暴 にわかに亡 うせり﹂とみ
える。
﹁。とこるえ癒が気病じ痊同に﹂可痊﹁⋮﹂疴。
この会話で李舎が高麗人甲に最も聞きたいのは、最後の﹁妻と子供達は皆無事か﹂ということである。しかし、そ
の気持ちを最初に相手に明かすのは憚られるし、また、その答えをすぐに聞くのは不安である。そこで李舎は、さし
当たって自分にはさほど関心のないことをクドクドと語って、心の準備ができた所で、唐突に﹁妻と子供達は皆無事
か﹂と尋ねるのである。その問いを受けた高麗人甲も、そこは心得たもので、﹁みな無事である﹂という回答に加えて、
末の娘の病の症状と治癒について具体的に語る。李舎の知りたいのは、通り一遍の返答ではなく、具体的な事実なの
であるから。
五 異文化間交渉人
『ら文化と接触し、そこか色に々なものを学んで行く異い老旅乞大』に描かれている行互きは、漢人と高麗人が過
程であると考えられる。ここでは特に漢人王氏の、異文化に対する姿勢が、会話を通してどのように表現されている
かを見てみたい。以下に三つの場面を取り上げる。
1﹁井戸端の異文化論﹂
まず井戸端における、漢人と高麗人甲の水汲み談義から始めよう。
﹁我恰纔這槽兒裏頭拔上兩帖落水也、著馬喫。﹂︱﹁這箇馬好喫水、這箇馬喫水細。﹂︱﹁這水小、再打上一帖落者。﹂
︱﹁將帖落來、我試學打。﹂︱﹁這帖落是不喫水、怎生得倒?﹂︱﹁我教與你、將帖落提起來、離水面擺動倒、
撞入水去、便喫水也。﹂︱﹁這般時、眞箇在前曾見人打水、終不曾學、從今日理會得也。﹂︱﹁你高麗田地裏無井
那怎麼?﹂︱﹁俺那裏井不似這般井。這井是磗甃的井、至小有二丈深。俺那裏井都是石頭壘的、最深殺的没一丈、 都是七八尺來深有。俺那裏男子漢不打水、則是婦人打水。著箇銅盔、頭上頂水、各自將著箇打水的瓢兒、瓢兒上
絟著一條細繩子、却和這裏井繩、帖落一般取水有。﹂︱﹁却怎麼那般打水?﹂︱﹁我不理會得。﹂︱﹁我則道是和
俺這裏一般打水有。﹂︵10a10~11a01︶
漢 人﹁いまちょうどこの水槽に桶二杯分の水を入れました。馬に飲ませてください。﹂
高麗甲﹁この馬はよく飲みますが、こちらの馬はあまり飲みませんね。﹂
漢 人﹁水が少なくなりました。あと一桶汲み上げましょう。﹂
高麗甲﹁桶をお貸しください。私が試しに汲んでみます。︵漢人に負担をかけないように気づかっている。︶この桶
は水が入らないな。どうすれば倒されるんですか。﹂
漢 人﹁私がお教えしましょう。桶を持ち上げて、水面から離してから揺すぶって倒します。そして水中に勢いよ
く投げ入れれば、水が入るのです。﹂
高 甲﹁そうだったのか。以前に人が水を汲むのを見た時には、本当に何も分からなかったが、今日になってやっ
と理解できました。﹂
漢 人﹁あなた方高麗の地では、井戸がないんですか。﹂
高麗甲﹁我々の所の井戸は、こんな井戸ではありません。この井戸はレンガの囲いをした井戸で、少なくとも二丈
︵約六メートル︶の深さがありますが、我々の所の井戸は、石を積み上げたもので、最も深いものでも一丈
もなく、みな七、八尺︵二・一五~二・ 四五メートル︶程の深さです。我々の所では、男は水汲みをせず、女
だけが水汲みをします。銅のタライを使って頭の上に水を載せます。各自が水汲み用の瓢箪を持ち、瓢箪に
は一本の細い縄がくくり付けてあります。そして、ここの井戸の縄や桶と同じように、それらを使って水を
手に入れるのです。﹂
漢 人﹁それで、どのようにして水を汲むのですか。﹂
高麗甲﹁それは私には分かりません。﹂
漢 人﹁やはり我々の所と同じようにして水を汲むのでしょうね。﹂
︹注釈︺﹁再打上﹂⋮﹁上﹂は結果︵瞬間︶を示す。
﹁從今日﹂⋮﹁從﹂は﹁到﹂の意。
﹁却﹂⋮﹁究竟﹂の意。結局。
﹁怎
麼那般﹂⋮﹁どのように﹂、﹁どのようにして﹂。『朴通事諺解』巻中に﹁いま、どうして賊が広がっているのか︵如今怎麼那
般賊広︶﹂とみえる。
﹁道と考える﹂の意。﹁﹂~はここでは﹁考えるだり則~道﹂⋮﹁只道﹂。﹁だはとばかり考える﹂、﹁や﹂。
関漢卿の雑劇﹁包待制三勘蝴蝶夢﹂第一折に︵王三はいう︶﹁お父さん、お母さん、私は文章で身を立てるべきだと考えて︵道︶
います﹂とある︵『関漢卿戯曲集』による︶。『平凡社訳』はこの箇所を﹁⋮とばかり思っていたよ﹂と訳すが、高麗人の水汲
み︵打水︶の方法については、今始めて言及されたので、現在形で訳すべきである。
漢人と高麗人甲が、水汲みの共同作業の中で、お互いに教えあい、また相手のことを気遣って、異文化を理解して
行く。そして、井戸汲みの文化に違いがあるものの、漢人が最後に﹁やはり我々の所と同じようにして水を汲むので
しょうね﹂と納得するように、人間の営為の共通性、普遍性に目覚めて行く。その過程が、ここでも二人の間の具体
的な会話のみによって、鮮やかに描かれている。
2﹁高麗人を弁護する﹂
次は、旅の一行がある民家に泊めてもらおうとしたが、怪しい人は泊められないと、すげなく拒否され︵ここまで
は前述した︶、漢人王氏が家の主人︵やはり漢人である︶を説得している場面である。
﹁主人家恁説那裏話?好人歹人更不認的那?這幾箇伴當、他是高麗人、從高麗田地裏來。他毎高麗田地把口子、
渡江處、官司比咱毎這裏更嚴、驗了文引、仔細的盤問了。纔放過來、他毎若是歹人、來歴不明呵、怎生能勾到這
裏來?他見將文引、赶著高麗馬、投大都做買賣去。底似的漢兒言語説不得的上頭、不敢言語。他毎委實不是歹人。﹂
︵14b06~15a02︶
漢 人﹁ご主人、なんと言うことをおっしゃる。よい人と悪い人の区別がつかないですって。この幾人かの仲間た
ちは、高麗の人で、高麗からやって来ました。彼ら高麗の関所や渡江処では、役人が我々のこちらよりさら
に厳しく、通行手形を調べ上げ、細かく尋問し尽くしました。そうして、やっと通過させたのに、もし彼ら
が悪人で、経歴も不明だというならば、どうしてここまで来ることが出来たのですか。彼らはいま通行手形
を持ち、高麗の馬を追って、大都まで商売をしに行こうとしています。彼らのひどい漢語は人様の前では話
せないので、黙っているのです。彼らはほんとうに悪い人ではありません。﹂
︹注釈︺﹁更不﹂⋮反語﹁豈﹂。
﹁﹂する﹂。﹁口子は守山の狭隘な所備、把﹂口子﹂⋮﹁把はるここでは﹁守。
﹁盤問﹂⋮詳
しく尋問する。『元刊雑劇三十種』﹁趙氏孤児﹂第一折[後庭花]に﹁私がもし関心が無いなら、彼を詳しく尋問︵盤問︶し
はしない﹂とみえる。
﹁第望江亭中秋切鱠﹂一劇折[上馬嬌]に︵﹁雑放﹁過來﹂⋮﹁放﹂は讓の、叫﹂、使役。関漢卿お
ばが言った︶﹁門を閉じてしまいなさい。私はお前が出て行くのを許さ︵放︶ない﹂とある。
﹁能勾﹂⋮﹁能夠﹂に同じ。
﹁底
似的漢兒言語﹂⋮﹁底︵抵︶似的﹂は﹁抵死的﹂﹁命をかけて﹂﹁力を尽くして﹂﹁結局﹂の意。﹁底似﹂で格別に。特別。﹁底
似的漢兒言語﹂とは、どういうことか理解しにくい。『平凡社訳』は﹁ちゃんとした中国語﹂と訳す。元代漢語『老乞大』では、
この箇所以外の﹁底似︵的︶﹂は﹁格別にひどい、適当でない﹂意、つまり否定的意味において用いられている。ここも同じ
ように考えると、﹁格別にひどい漢語﹂なので、漢人の前では恥ずかしくて話すことができない、という意味ではないであろ
うか。
﹁委實﹂⋮﹁確実﹂、﹁たしかに﹂。
王氏は、冷静に事実を積み重ね、相手に反論する隙を与えないで話を進める。異文化に属する二つの人間集団の間
を、抵抗のない形で繋ごうとする、王氏の細心の注意をその言葉に見て取ることができよう。もちろん、王氏の説得
の背後には、氏の高麗人の仲間への厚い愛情がある。
3﹁高麗の実情を理解する﹂
ここでは、まず原文を紹介しよう。旅も終わりに近づいた頃の漢人と高麗人の会話である。
﹁你待買甚麼行貨?﹂︱﹁俺知他甚麼中將去?哥哥你與俺排布者。﹂︱﹁我曾打聽得高麗田地裏賣的行貨、底似十
分好的倒賣不得、則宜豹子行貨、倒著主兒快。﹂︱﹁可知哥哥你説的哏是有。俺那裏好的歹的不識、則揀賤的買。﹂
︱﹁正是『宜假不宜眞』。﹂︵38a01~38a06︶
漢 人﹁あなた方はどんな品物を買いたいのですか。﹂
高麗甲﹁我々に何を持って帰れば好いか分かるでしょうか。お兄さん、我々の為に見立てて下さい。﹂
漢 人﹁私はかつて聞いたことがあるんですが、高麗の土地で売る品物は、とびっきり好いものは反って売れずに、
逆にそこそこの品物だけが、速く買い主が見つかるということですね。﹂
高麗甲﹁そうなんですよ。お兄さんのおっしゃるその通りなんです。我々のあちらでは、良い物と悪い物の区別が
つきません。ただ安いものを選んで買うしかないのです。﹂
漢 人﹁まさに『偽物は宜しくて、本物は宜しくない』ですね。﹂
︹注釈︺﹁排布﹂⋮﹁排兵布陣﹂︵軍隊を配置し、布陣を整える︶の略。ここでは計画を立てることを言う。
﹁宜假不宜眞﹂⋮『元
刊雑劇三十種』﹁公孫汗衫記﹂第一折[金盞児]に﹁︵老聃がいう︶私は長いものを見て、短いものを見ない。他の者は武述
を学んで、学問を学ばない。私は善を敬って、悪を敬わない。あなたは偽物を好しとして、本物を好しとしない︵你宜假不
宜真︶﹂とみえる。
もう一行の旅も終わりに近づいて、漢人王氏の高麗人についての理解は一層深まり、彼らに向かって、彼らの社会
の弱点を遠慮無く指摘し、その現実認識の上に立って、どう対応すべきかを共に考えようとしている。対する高麗人
甲も、率直に王氏の指摘を認め、謙虚に教えを乞うている。『老乞大』は、このように、何気ない会話を通して、人
が異文化理解を進めようとする時、何が必要かを読者に教えている。
六 労働の文学、働く者達の繊細
この項目について、書くべきことは多いが、ここでは漢人の次の二場面での言葉に絞って紹介し、留意すべき点を
述べるに止める。
1﹁飼い葉の作り方﹂
﹁這伴當、你過的草忒麤、頭口毎怎生喫的?好生細細的過者。這伴當、你敢不會煑料的法度。你燒的鍋滾時、下
上豆子。但滾的一霎兒、將這切了的草、豆子上蓋覆了、休燒火、氣休教走了、自然熟也。﹂︵06a05~06a08︶
漢 人﹁︵高麗人の一人に向かって︶こちらのお仲間、あなたが切った草は粗すぎますね。馬たちはどうやって食
べられますかね。気を付けて細かく断ってください。︵別の高麗人にむかって︶こちらのお仲間、あなたは
どうやら穀物の煮方をご存じないようですね。あなたが焚いて鍋が沸き立った時に、ちゃんと豆を入れます。
ただし、沸き立てるのはほんのしばらくにして、この切り終わった馬草を豆の上に覆いかぶせます。火を焚
くのを止めて、蒸気が逃げてしまわないようにすれば、自然に煮上がるのです。﹂
︹注釈︺﹁你過的草忒麤﹂⋮﹁過﹂は﹁断つ。裁断する﹂。﹁忒﹂は﹁太﹂、﹁~しすぎる﹂の意。
﹁好生﹂⋮しっかりと。
﹁細
細的﹂⋮﹁細かく﹂。﹁的﹂は副詞化の﹁地﹂に同じ。
﹁推﹁﹂。だうよの~らやうど、﹁量は你﹂敢﹁⋮﹂度法的料煑會不敢法
度﹂は﹁方法﹂。
﹁滾﹂⋮沸く、沸かす。
﹁と﹂は﹁ちゃん~、﹁する﹂の意で上詞下は上﹂⋮﹁下﹂投動げ入れるという、
現代語の結果補語。
﹁將儿﹂︵しばらく︶。﹁﹂一は﹁把﹂︵~を︶の意会﹁但切滾的一霎兒、將這了は的草﹂⋮﹁一霎兒﹂。
漢人は飼い葉を作る方法を、高麗人に対して具体的、明確に、自らの口語によって指示する。その言葉には一切無
駄や曖昧な所がない。
2﹁飼い葉の食べさせ方﹂
﹁伴當、你將料撈出來、冷水裏拔著、等馬大控一會、慢慢的喂者。初喂時、則將料水拌與他、到五更一發都與料喫。
那般時、馬毎分外喫得飽。若是先與料呵、那馬則揀了料喫、將草都拋撒了。更困裏休飲、等喫一和草時飲。﹂︱﹁咱毎各自睡些箇、厮輪著起來勤喂馬。﹂︵07a10 ~07b05 ︶
漢 人﹁お仲間、穀物︵豆︶を取り出して、水の中にさらし、馬をしばらく休ませてから、ゆっくり食べさせてく
ださい。最初に食べさせる時には、草と穀物を煮た水をかき混ぜて与えるだけにして、五更︵午前四時頃︶
になったら、穀物を皆一斉に与えて食べさせます。そうすれば、馬たちはことのほか腹一杯食べます。もし、
先に穀物を与えたならば、馬は穀物を選んで食べ、草をまき散らせてしまいます。それに、馬が疲れている
時には、飲ませるのを止めて、一通り草を食べさせてから飲ませます。﹂
高麗甲﹁我々各自が少しずつ眠り、順番に起きて来てしっかりと馬に食べさせよう。﹂
︹注釈︺﹁一發﹂⋮﹁まとめて﹂﹁一斉に﹂。
﹁撈﹂⋮﹁手に取る﹂。
﹁﹂とこむ休が馬は控等﹁⋮﹂會一控大馬。
﹁料水﹂⋮
穀物︵豆︶を煮た水。
﹁分外﹂⋮ことのほか。
﹁拋撒﹂⋮まき散らす。
﹁らがるあも意の︶くば一し﹂︵儿会一﹁⋮﹂和、
ここでは﹁一次﹂の意。﹁一回、一遍﹂。﹁しばらく食べるのを待つ﹂という解釈は不自然である。
﹁厮輪著﹂⋮﹁厮輪﹂は﹁互
いに順番になる﹂。﹁著﹂は持続の﹁着﹂に同じ。
この場面では、漢人は馬に飼い葉を食べさせる手順と方法を、やはり具体的に、明確な言葉で高麗人たちに教える。
それを聞いた高麗人甲の、仲間への呼びかけの言葉が、漢人の指示の行き届いていることをよく示している。
以上、︵1︶︵2︶の会話文共に、会話の言葉だけで、必要な動作を明示し、かつそこに働く者の息吹を感じさせる
という点で、優れた文学的言語であると言うことができる。
七 宿の文学、食べ物の文学
『描のがある。宿での情景写たから食べ物論議に移るもれ老び乞大』はまた、宿およ食優べ物の描写においても場
面を紹介しよう。
﹁客人毎、恁打火那、不打火?﹂︱﹁俺不打火、喝風那甚麼?﹂︱﹁你疾快做著五箇人的飯者。﹂︱﹁恁喫甚麼飯?﹂
︱﹁俺五箇人打著三斤麵的餅者、俺自買下飯去。﹂︱﹁那般者、你買下飯去時、這間壁肉案上買猪肉去、是今日
殺來的好猪肉。﹂︱﹁多少一斤?﹂︱﹁一兩半一斤。﹂︱﹁恁主人家一就與俺買去、買著一斤肉者。休要底似肥的、
帶脇條肉買者。﹂︱﹁大片兒切著將來爨者。﹂︱﹁主人家迭不得時、咱毎伴當裏頭教一箇自爨肉。﹂︱﹁俺是高麗人、 都不會爨肉。﹂︱﹁有甚麼難處?刷了鍋者。燒的鍋熱時、著上半盞清油、將油熱過、下上肉、著些塩、著筯子攪動。
炒的半熟時、調上些醬水、生葱、料物打拌了。鍋子上蓋覆了、休著出氣。燒動火、暫霎兒熟也。﹂
︵06a08~06b09︶
主 人﹁お客さんたち、あなた方は食事をなさいますか。﹂
高麗乙﹁我々飯を食わずに、霞でも食っていろというのかい。﹂
漢 人﹁手っ取り早く五人分の飯 めしを作ってくれ。﹂
主 人﹁あなた方はどんなご飯を食べられますか。﹂
漢 人﹁我々五人に、三斤の小麦粉で餅 ピンを焼いてくれ。おかずは自分で買いに行くから。﹂
主 人﹁それじゃあ、おかずを買いに行くときには、この隣りの肉屋に豚肉を買いにお行きなさい。今日殺したば
かりの良い豚肉です。﹂
漢 人﹁一斤︵約六百グラム︶幾らだい。﹂
主 人﹁一斤一両半です。﹂︵物価は一両で約千円の見当︶
漢 人﹁おやじさん、いっそのこと我々の代わりに行って、肉を一斤買ってくれないか。たっぷり太ったのは要ら
ない。あばら骨の付いたやつを買って来てくれ。﹂
高麗甲﹁そいつを大きな塊に切って持って来て、煮てくれ。﹂
漢 人﹁おやじさんが間に合わない時には、私たち仲間のうちの一人が自分で肉を煮ることにしましょう。﹂
高麗甲﹁我々は高麗人なので、みな肉を煮ることが出来ません。﹂
漢 人﹁何の難しいことが有りましょうか。鍋をごしごし洗ったら、鍋を熱くなるまで焚いて、それから杯半分の
植物油を注ぎ、油が熱くなったら肉を入れて、塩を少し加え、お箸でかき混ぜます。炒めて半分火が通った
ところで、味噌ジル︵味噌を水で溶いたものか︶と生ネギと調味料とで味を付けてかきまぜます。鍋の上は
フタで覆って、蒸気を出してはいけません。それから火を強くすると、しばらくして出来上がりです。﹂
︹注釈︺﹁打火﹂⋮﹁旅の途中で飯を作ることを『打火』という﹂︵『元曲釈詞』︶。
﹁喝風那甚麼﹂⋮決まり文句か。
﹁著~者﹂
⋮﹁ちゃんと~︵しあげ︶てくれ﹂。この文型がこの場面で連用されている。教科書として、この文型の練習をさせようとい
う意図があるものと推測される。
﹁疾快﹂⋮速く。
﹁下飯﹂⋮副食、おかず。
﹁で意の﹂り隣﹁﹂這壁間﹁⋮﹂壁間。
﹁肉
案﹂⋮肉屋。
﹁第詞曲語辞例釈』︵二『次増訂本︶参照詩鍈今來日殺來的﹂⋮﹁﹂王はここでは﹁了﹂。。
﹁底似﹂⋮格別に。
特別。
﹁間意の﹂いなわ合に﹁迭﹂、及不來﹁⋮﹂不。
﹁清油﹂⋮﹁植物油﹂。
﹁筯子﹂⋮お箸。
﹁將油熱過﹂⋮﹁將﹂は
﹁把﹂の意、﹁過﹂は完了。
﹁鹹淡﹂⋮塩加減。
漢人は﹁おかずは自分で買う﹂と言ったが、主人が隣りの肉屋の豚肉を薦めてくれたので、代わりに彼に買い入れ
を頼んだ。相手に頼むので﹁恁﹂︵敬語︶を使っている︵本稿二五五頁注釈参照︶。漢人の肉の煮方の説明は、例えば
『居家必用事類全集』庚集飲食類の﹁煮肉品﹂のものよりも遥かに要を得て、より丁寧である。そして、そこに使用
される言葉が生きている。
八 商人のかけ引きの妙