<研究ノート>
競争と排除から友情と連帯の関係性へのアプローチ
−生徒指導・特別活動の視点から−
渡辺 雅之
はじめに
教育実践に関わる思想と手法は、一定の普遍 性を持ちつつも、激動する社会情勢の中で日々 再検討、再構成していく必要がある。現在、社 会全体に自己責任論を基盤とする新自由主義的 価値観が拡大する中で、教育現場にはその影響 が強く表れている。中でも、貧困の連鎖や格差 社会の常態化は子どもの発達に大きな影響を及 ぼし、教師と子ども、子どもどうしの関係性を もつれたものにし、教育実践に一層の困難をも たらしている。本論では、それらの問題の背景 をいくつかの角度からの分析を試みる。そして、
競争と排除の関係性を、友情と連帯という親和 的な関係性に組み替えるアプローチについて、
教師論をふまえていくつかの考察を試みる。
1.教育に関連する全体的な社会状況
(1)ヘイトスピーチと教室
子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)
は子どもの人権を第一義的に掲げ、1989 年 11 月 20 日に第 44 回国連総会で採択、日本では 1994 年 4 月 22 日に批准されている。それからすでに 20 年近い年月が過ぎたが「体罰」「いじめ」な どによって子ども自らが命を絶つ事件に象徴さ れるように、子どもや若者の現状はこの内容と ほど遠い。それどころか、日本政府は、この条 約は主に第三世界の子どもたちに向けられたも
のだとして「国連・子どもの権利委員会」の度々 の勧告を無視しつづけてきた(1)。そして多くの 教育関係者の意識の中から、この条約の存在が 少しずつ消え去ろうとしている。それは東日本 大震災の大津波とそれに伴う過酷な原発事故が 時間の経過とともにメディアの報道量が少なく なっていく状況とよく似ている。それは日本人 特有の国民性に主な要因があるが、それだけで はない。「風化」は政策的に作り出されているも のではないだろうか。
また人権という観点から見ると歴史認識の相 違などから、右傾化とネオファシズムの動きが 強まっていることに注意を払いたい。例えばネ ット右翼と称される人たちを中心として在日コ リアンへのヘイトスピーチが 2013 年初頭から 各地で頻発している。これらは、攻撃対象とな る他者の心身を傷つけるばかりか、自分自身を も傷つけ、人として生きる尊厳を喪失させると 同時に社会をファシズム化する性質を持つ(2)。 それは対象となる個々人に向けられているとい う側面のみならず、社会の公平性 (fairness) に 対する攻撃である。それゆえに、ドイツ、スイス を始めとして、ヨーロッパ各国やカナダなどに おいてはヘイトスピーチに対しては法的に厳し い処罰が科せられている(3)。
ヘイトスピーチは、自身の生きる世界の息苦 しさと不満がダークなエネルギーとなって発生
していると考えられる。それは自分と(異質と感 じる)他者の心身を暴力的に傷つける行為であ る。注目したいのは、これらレイシズムに走る 人々の主要なエネルギーが、強い自己承認欲求 に基づくものではないかという点である。自己 承認欲求は状況によっては、負のパワー(攻撃 性)と同化しやすい傾向を持つ。2013 年 3 月「も う(朝鮮人を)殺してやりたい。皆さんもかわ いそうやし。私も憎いし、死んでほしい。『鶴橋 大虐殺』を実行しますよ!」と、大阪・鶴橋の 街頭演説で絶叫した少女のように(4)。 (http://www.youtube.com/watch?v=GoTBRpca ZS0 2013 年 3 月) この女子中学生のスピーチ を聞く限り、自分が認められることへの「喜び」
またはそれへの激しい希求があるように思われ る。これらは言わば逆立ちした自己承認欲求と 言えるだろう。
偏狭なナショナリズムや後段で述べる自己責 任論を基調とした「寛容なき世界」が社会の背 景に広がりつつある現在、教室の子どもたちは、
ヘイトスピーチをするほう、止める方、どちら にでも行く可能性を秘めている。これは教室内 外で起きる「いじめ・いじめられ問題」と深く リンクしていると考えられる。
(2)貧困の連鎖と子どもの発達
さらに注視すべきは、格差社会の拡大と放置 による「貧困の連鎖」の問題である。平成 21 年度・文部科学白書によれば親の年収とテスト 学力に相関関係があることが分かる。年収が高 いほど、大学進学率が上がる傾向も同様である と推察される。
さらに、国連児童基金(ユニセフ)2012 年報 告によれば、日本の子ども(18 歳未満)の貧困
児童の正答率と家庭の世帯年収
(出典)文部科学省:お茶の水女子大学委託研究(平成 20 年度)より作成
率は 14.9%で、先進 35 カ国のうち悪い方から 9 番目の 27 位であり、国際比較でも悪化傾向に歯 止めがかからず、深刻な状況があると指摘して いる。子ども期の貧困は、学力のみならず心身 の発達に様々な影響を及ぼす。
これは教室にいる子どもたちの、見えにくいが 紛れもない現実である。親の家計収入と子ど もの将来的な収入が相関関係にある現実は、
貧困が連鎖していることを裏付ける。教育現 場のみならず、この問題の解消は大きな社会 的課題でもある。
(3)自己責任論と自己肯定感の剥奪
加えて「生活保護バッシング」など大手メデ ィアも世論をミスリードする(5)。今の日本社会 には「貧困の原因のすべてが自分であるかのよ うに思いこまされる」凄まじい社会的パワーが 働いている。人が生きる上で極めて重要な自己 肯定感は社会によって剥奪されていく。生活保 護基準以下の生活者のうちの保護受給者の割合、
すなわち生活保護捕捉率は諸外国に比して異常 に低いのが実態であるにも関わらずこのような 意識が一般化しつつある(6)。
そして問題となるのは、このように作り出さ れた世論と感情は、他者を攻撃することによっ て自分の置かれている現状の苦しさ、不満のは け口として拡大再生産されていくことである。
大坂で維新の会代表の橋下氏の支持率が高いの は、公務員バッシングや既得権益に対する氏の 攻撃姿勢に共感する層が多いという分析がある。
またそれは権力を持つ者にとっては、自分に矛 先が向かないという意味で、誠に都合のいいこ とであり、結果として体制を補完する役割を果
たす。パウロ・フレイレが指摘したように、被 抑圧者は抑圧者に容易に転化するのである。
(パウロ・フレイレ 『希望の教育学』2001 P135-140 太郎次郎社)
また、経済的貧困ではないにしても、縦の序 列に基づくステータス競争に敗れた子どもたち のストレスも弱者攻撃に向かいがちである。ま た「仲間外し〜影口」も、自分を受け止め、認 めてくれる友だち・仲間が欲しいという(それが いないゆえに)人間的欲求が裏返った形で起き ることが多い。教室に起きるイジメの多くが子 どもの置かれたそのような現状から生まれてい る。
(4)新自由主義と格差社会のリスク
これらの問題の根底には、無制限とも言える 市場の自由化と競争原理を徹底する新自由主義 政策によって生み出されてきた日本型自己責任 論〜社会がある。規制緩和によって市場の自由 化を推進し、経済の活性化を図ろうとする新自 由主義は、自己責任論と深くリンクし弱肉強食 の世界を日常化する。「競争と自己責任」は教育 現場にも深く入り込み、成果主義を産み落とし、
数値管理や実績(評価)主義と深く結びつき「出 来ない自分が悪いんだ」 「いじめられる自分が ダメなんだ」という風潮を生み出し教師と子ど もたちを苦しめている(7)。この問題の背景には 労働環境があることも指摘しておきたい。
総務省統計局労働力調査によれば、正規の職 員・従業員は 3,295 万人と,前年同期に比べ 32 万人の減少。3 期連続の減少であり、非正規の 職員・従業員は 1,908 万人と前年同期に比べ 79 万人の増加しており 3 期連続の増加傾向にある。
全体としてみれば、役員を除く雇用者に占める 非正規の職員・従業員の割合は 36.7%と上昇傾 向にあり、2011 年には非正規比率が男 20.1%、
女 54.6%と男女とも過去最高を更新している(8)。 特に 15〜24 歳男の非正規比率の上昇が目立っ ている。男女とも 15〜24 歳の若者の非正規比率 が急激に高まっており、いわゆるフリーターの 増加を裏づけるものとなっている。そればかり か、就業した先がブラック企業であることも少 なくない(9)。そういう情勢の中で「就活自殺」
や奨学金の返還が出来ない若い世代も増加して いる。すくらむ国家公務員一般労働組合(国公 一般)ブログには、「就活生の半数以上は、日本 社会はいざという時に何もしてくれず、やり直 しがきかない社会で、正直者がバカを見て、あ まり希望を持てない社会だと感じている」とい う記述がみられる(10)。それは極めて近い子ど もたちの「未来」でもある。このまま格差社会 が進行すれば、社会から脱落しないために「競 争」というバスから乗り遅れまいとする動きが、
さらに強まるのは当然のことであり、そのバス に乗り遅れた家庭の子どもは、貧困層に突き落 とされるリスクがさらに高まっていると考察さ れる。
2.教育に関わる諸施策の動向と教育現場
(1)政策と社会の行方
2012 年に誕生した安倍自民党政権は、このよ うな状態を改善するどころか、新自由主義路線 の総仕上げ、そして特定秘密保護法制定や共謀 罪の導入を検討するなど戦後民主主義体制を根 底から変える数々の政策を推し進めている。そ の中で、国防軍の設置や徴兵制の導入も検討さ
れている。ゼロトレランス方式の全国的広がり や道徳の教科化の動きもそれと深くリンクして いると考えられる。そういう文脈で見れば、戦 後民主主義教育はいま、大きな転換点にあると 言っても過言ではないだろう。
6 年前となる 2008 年。橋下徹大坂市長(当時 は府知事)は、私学助成金の削減をめぐる高校 生たちとの意見交換会でこう述べている。「今の 世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救 ってくれない」。高校生から「それはおかしいで す!」と意見が出ると、橋下知事は「それはじゃ あ、国を変えるか、この自己責任を求められる 日本から出るしかない」と反論した。女子高生 の1人は会終了後、「思いが全然伝わらず、悔し い」とうつむいていたという(11)。しかし、こ のような発言は橋下氏の個人的特徴であると断 定することは出来ない。それを支持する世論が 根底にあることが最大の問題であり、そして私 たち自身の中にも似たような弱さはないだろう か問うてみる必要がある。社会に漂う閉塞感や 政治に対する無力感は間違いなく作り出されて いるものであるが、私たちは「社会」が変わる その日まで待っているわけにはいかない。
現状を俯瞰すると、渡辺治が指摘したように 日本社会は「新自由主義路線と軍事大国化」へ の道を邁進しているように見える(12)。しかし、
反原発の首相官邸前金曜日デモやヘイトスピー チへの抗議アクションなど、党派や政治的違い を超えて市民的に連帯しようとする運動などが 各地で展開されている。これらは、後段で述べ る平和的で民主的な主権者を育てるという教育 の目的につながる希望的なものとしてとらえる 必要があるのではないだろうか。教育現場で起
きている「問題」の多くも、これら社会的視点 から捉え直す必要がある。
(2)「説明責任」現場教師の苦悩
現場で起きている「体罰問題」は、家父長的 権威主義と成果主義から、「いじめ問題」は差別 と排除の論理から構造的に産み落とされるもの である(13)。この二つの問題はまるで双頭の鷲 のようにつながっている。これを背景とした現 場教師の苦悩は深い。そればかりか、「説明責任」
という名のモンスターが学校を徘徊し、事務仕 事が増加し教師の多忙化に拍車をかけている。
説明責任を果たすための事務、出張、免許更新、
研修。そして成果主義に後押しされた各種コン クールや対外行事などの増加は、子どもたちと 触れ合う時間、そして本来子どものために費や すべき時間を奪っている。さらに「全国統一学 力テスト」の実施によって、より一層「競争の 教育」が加速されている。子どもの「荒れ」や
「発達障害」などの問題も深刻だ(14)。教室を
「制御」できなければダメな教師とされ、保護 者からの批判にさらされることも少なくない。
教師として、一人の人間としての尊厳を「根こ ぎ」されるような状況の中で心身を病む教師が 増加しているのは周知の事実である(15)。
(3)教室の中の「紛争」と教師の姿勢 教室で起きるトラブルのほとんどは、社会で 現実に起きているミニチュアである。それらを 平和的解決に導くことは急務の課題である。こ こにはトラブルは「当然起きうるもの」、起きな いとするとそれは「集団内部に沈殿して姿を見 せていないだけ」という姿勢が必要になる。特
別活動の中核となる学級活動は、集団づくりと いう教育的手法が有効である。それは、集団内 部に存在する諸矛盾を様々な活動によって顕在 化させ、その解決を通して集団を民主化し、そ の成員を社会的に自立した人格として育てるこ とに眼目がある。したがって「イジメ撲滅」「不 登校 0 を目指して」などのスローガンを目標と して設定することはそもそも教育的とは言えな い。
いじめ問題を解決するための取り組みを行う こと、不登校の子どもたちを励まし、どの子も 学びあえる教室をつくることは教師の責務とも 言えるが、「撲滅」や「ゼロ」を目標として設定 することは、問題の本質を見誤る可能性を生じ させる。
そもそも教室の中で起きる「紛争」の事実は 容易に見えないことが多い。紛争の背景にある ものは何かに思いを寄せて、子どもたちの「現 実」を見るべきである。しかし、その時点で分 からないことも沢山あるだろう。分からないこ とは子どもと相談しながらじっくり進めば良い。
教師は万能の神やスーパーマンである必要はな い。ただし、事実を子どもとともに追求し、共に 考えていくリーダー(先頭に立つ人)になる必要 がある。それが、成果主義や説明責任といった 教師を苦しめるものと決別する道のひとつであ る。
3.差別と排除から友情と連帯へ
(1)教室で発生するトラブル
「いじめ問題」も個々の子どもの性質に原因 があるというよりは、閉鎖的な教室空間という ある意味物理的とも言える構造から発生するこ
とにも注意したい。しかし物理的な箱を壊せば それで済むという問題ではない。競争を煽り、
異質な他者を認めず、他者への攻撃性が強まっ ている社会の全体構造が根本にある。よってそ れを視野にいれることなく、道徳を教科化し、
一人一人の子どもたちに徹底して徳目を注入し たところで、それは何の解決にもならないどこ ろか、「世界」と子どもを分断し、子どもたちの 人権意識を希薄にするだけであろう。ましてや、
いじめ告発の義務化、加害者への厳罰処分、安 易な警察権力の介入などのゼロトレランスの流 れは事態の一層の深刻化を招くはずだ。家父長 的な匂いを残した体育会系の部活動などで、繰 り返される体罰(暴力)も同様である。熱心な指 導者だから暴力をふるうわけではない。「支配の 文化」が底流にある密室的な空間構造の中に勝 利と結果を求める成果主義が流入した時にそれ は常態化するのである。そういう意味では体罰 もまた間違いなく構造的な問題なのだ。
教室で起きたトラブルをどう解決するのかを 国際紛争に例えてみると、大きくは二つのアプ ローチが考えられる。軍事的抑止力と軍事行動 をベースに置くのか。それとも時間はかかって も、ものごとには、必ず「理」があることに確 信を持ち、話し合いをベースにして構造を組み 替えることを目的として平和的に解決するのか。
これは「ゼロトレランス」を基調とする指導か、
子どもたちの自治を形成する中で解決していく のかというアプローチの違いでもある。つまり 教室のトラブル解決は政治の課題とも深くつな がっていると言えるだろう。教室に起きるトラ ブルは教室の構造を変え、子どもたちの関係性 を差別と排除から友情と連帯へと変革する大き
な指導のチャンスである。
そのひとつの方法は集団そのものを民主化す る自治活動を通して、個人に民主的人格を育む 教育方法である集団づくりを取り入れることで ある。それは子どもたちの生活空間をまるごと 変革することを目指すものとなる。実践的には
「討議・討論」の指導がメインとなる特別活動 の実践「学級指導」の中で行われることが多い はずだ。最後に、そのために必要な視点につい て述べる。
(2)構造と根本的原因を追求する姿勢〜学ぶこ との意義
社会に起きる問題はその本質を見る努力をし なければならない。教育の現場にひきつけて考 えれば、子どもの問題行動の背景にあるものを 読み解くことであり、そのさらに奥に見え隠れ する社会的矛盾に目をこらすことが必要である。
それには「問題行動」を声なき意見表明(ある いは叫び=help)ととらえる視点が欠かせない。
子どもの「荒れ」や指導拒否の原因は、もちろ ん教師の指導の不具合、不十分さによるところ も少なくない。よって、子どもから保護者から 時には同僚からの批判にさらされる。それは正 鵠をついたものもあるだろうし、的外れで理不 尽なものもあるだろう。そのどちらにしても、
批判にさらされれば、多くの教師は、その場に 立ちすくみ、時に絶望に暮れる。そんな時に、
歩みを続けるちからの源は「学び」である。子 どもの背後にあるものをみること、そしてその 奥にあるものを見据えるちから、構造と根本的 原因を追求する姿勢なくして「教師」であるこ とは出来ない。「なぜ」を問うことなしに「教育」
は成立しないと考える。
川村肇は次のように述べている。「子どものな かに必ずある発達への要求、すなわち自立への 要求を読み取ることである。どんなに荒れた子 どもであっても赤ん坊の頃から荒れていたわけ ではない。その後の生育環境(学習環境、食事環 境、家庭環境)、社会的背景など子どもを取り巻 くさまざまな環境に育つなかで、その子がそう した荒れた行動をとることによってしか、自分 の存在意義を実感し、確認できなかったのだろ う。そうした彼らなりの経験を積んだ結果とし て、目の前の荒れがあるのである」。(『新しい生 活指導と進路指導』2013 P43 武蔵野美術大学 出版局)
川村が指摘するように、子どもの自立への要 求をつかむためには、まず社会の背景や構造を つかむことが必要である。子どもの発達要求を 読み取るためにも「学び」は欠かせない。それ は、社会を多様な角度から常に見ていくことで あり、同時に情報を見分けるちから(メディア リテラシー)を持つことである。経済的貧困や 地域のコミュニティが衰退する中で起きやすい DV や虐待、発達障害に関する無理解から生じ る「二次障害」などは子どもの問題ではなく、
大人そして社会全体の問題である。しかし、皮 肉なことに、その問題が発芽する場所は子ども である。パニックを起こし、友だちや教師とト ラブルになる子ども、非行や引きこもり、そし て死に追い込まれる子ども。それらはすべて子 どもの問題というよりは、子どもに発芽した大 人のまいた種によるものである。よって、私た ちは「世界」について学ぼうとする姿勢を抜き にして、競争と排除から友情と連帯の関係性に
組み替える指導は出来ないのではないだろうか。
おわりに
本稿では社会情勢と教育現場の関連について 言及した。その中で教師はどのような考え方を 持つべきかについての拙論を述べた。教室の中 のトラブルを解決するためには、何より子ども たち相互の集団的関わりを重視した取り組みを 組織し、子どもたちの住む社会(例えれば教室)
をまるごと変革することを目指すべきだろう。
そもそも教育の目的は「人格の完成を目指し、
平和で民主的な国家及び社会の形成者として必 要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成
(教育基本法第一条)」である。この文脈で重視 しなければならないのは、「形成者」という部分 と言える。受動的に生きるのではなく、自らが 社会の形成者として生きていくちからを育むこ とが教育であり、それをアシストするのが教師 の役割である。それは取り締まりをメインとす る管理的な生徒指導と決別し、自治を育む指向 をもった特別活動の実践の中で追求されていく ものと考える。
参考文献・資料
子どもの権利・教育・文化全国センター 2009
『改訂・ポケット版 子どもの権利ノート』
野間易通 2013『「在日特権」の虚構』河出書房 新書
安田浩一 2013『ネットと愛国〜在特会の「闇」
を追いかけて』講談社
師岡康子 2013『ヘイトスピーチとは何か』岩 波新書
ユニセフ(国連児童基金)2012 年報告
http://www.unicef.or.jp/library/nenji̲2012.
html
保坂渉 2012『ルポ子どもの貧困連鎖 教育現 場の SOS を追って』 光文社
すくらむ(国家公務員一般労働組合) 2013 ブ ログ http://ameblo.jp/kokkoippan/
佐々木晃 2013『ブラック語録』合同出版 藤田孝典 2013「本当に必要に貧困支援とは何
か」ボッセ
日本弁護士連合会 2013「今、ニッポンの生活 保護制度はどうなっているの?」
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/public ation/booklet/data/seikatuhogo̲qa.pdf 渡辺治 2013『安倍政権と日本政治の新段階』
旬報社
小谷敏 2013 『ジェラシーが支配する国』高文 研
パ ウ ロ ・フ レ イレ 『被 抑 圧者 の 教育 学 』 A.A.LA 教育・文化叢書
パウロ・フレイレ 『希望の教育学』太郎次郎 社
文科省 2013「道徳教育の充実に関する懇談会」
報告
http://www.mext.go.jp/b̲menu/shingi/chousa /shotou/096/index.htm
楠凡之 2012『自閉症スペクトラム障害の子ど もへの発達援助と学級づくり』高文研 岡田尊司 2009『アスペルガー症候群』幻冬舎
新書
竹田契一 2007『AD/HD 高機能広汎性発達障 害の教育と医療』 日本文化科学社 竹内常一 2012『教育と福祉の出会うところ』
山吹書店
吉田脩二 1996『いじめの心理構造を解く』高 文研
鈴木翔 2012『教室内(スクール)カースト』光 文社新書
川村肇 2013『新しい生活指導と進路指導』武 蔵野美術大学出版局
【註】
(1)日本の教育システムに対しては、非常に厳しい 懸念が示されている。まず、日本の教育システム があまりに競争的なため、子どもたちから、遊ぶ 時間や、からだを動かす時間や、ゆっくり休む時 間を奪い、子どもたちが強いストレスを感じてい ること、それが子どもたちに発達上のゆがみを与 え、子どものからだや精神の健康に悪影響を与え ていることが指摘され、適切な処置をとるよう勧 告されている(国連勧告二二項、四三 項)
(2)ヘイトスピーチは、特定の民族に対する憎悪表 現である。その多くは変更できない出自や属性に 対して向けられるとされている。しかしながらそ の表現方法は問わないことに注意する必要がある。
また、その発信者はネットを中心として議論を展 開し、保守的で右翼的な言論を絶対とするネトウ ヨと呼ばれる人たちによることが多い。また社会 的影響力のある政治家などによって差別発言のハ ードルが下げられてきた経緯にも注目したい。
(3)具体例として、イギリスでは公共秩序法によっ て人種的嫌悪を煽動したものは最高 7 年の懲役。
カナダでは、肌の色や人種、宗教、民族的出自、
性的嗜好によって区別される集団に対する嫌悪を 煽動した者は最低でも 2 年、最高で 14 年の懲役。
ホロコーストの否定は、ヨーロッパ諸国において ヘイトスピーチの一種であると認識されている。
(4)レイシズムは、ロバートマイルズによれば、肌 の色など恣意的に選び出された特徴を重要な基準
として選択し(signification)、この特徴により人 間集団をカテゴライズ し(racialization )、否定 的/肯定的な評価を付与し、 一定の人間集団を排 除/包摂(exclusion/inclusion )していくイデオ ロギーとされているが、人種的特徴のみならず、
固有な文化や習慣、性的アイデンティティなどに 対しても向けられることが多い。他者を卑下する ことによって自分の存在を確認するレイシズムは、
皮肉なことに自己承認欲求を満たす場面として 度々立ち現れる。
(5)生活保護受給を巡る河本準一氏記者会見は、レ ポーターが繰り返し「恥ずかしくないのですか?」
という質問をし「生活保護は恥ずかしいものだ」
というメッセ―ジを図らずも社会に広めた。自己 責任論があたかも市民権を得たようなトピックの ひとつと考えられる。
(6)2012-2013 年のデータでは、ドイツ 85〜90% イ ギリス 87% 日本 19.7% となっており、各国と 比較して日本は突出して補足率が低い。
(7)成果主義は、実績が最も重視され、数値や成績 など、到達した具体的なものだけを肯定的に評価 するために容易に自己責任論と結びつきやすい。
自殺に追い込まれた教師や労働者の多くは自身の 目に見える業績や評価に追い立てられたケースが 多い。
(8)労働力調査(詳細集計) 平成 25 年(2013 年)
7〜9 月期平均(速報)結果 参照
http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4ha nki/dt/
(9)ブラック企業は、従業員に対して過労やサービ ス残業を強いたり、パワハラや偽装請負や派遣差 別を行ったりなどの行為がみられる企業の総称で あるが、定義は広範囲にわたり、現在において学 術的定義はなく言わば流行語的な名称である。
(10)すくらむ(国家公務員一般労働組合)
http://ameblo.jp/kokkoippan/ 参照
(11)「Everyone says I love you !」
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/3e562ceb8be b7cca8424c65067df5080 参照
(12)渡辺治 2013『安倍政権と日本政治の新段階』
旬報社 P4-5 参照
(13)家父長制は度々ジェンダー論の中で議論されて きた。そもそも共同体の中で最も強く、権威ある 家父長が、万事を取り仕切るあり方であり、言い 換えれば、当該の共同体における相対的に弱い立 場の者へ積極的に干渉することを是認する考え方 である。家庭のみならず日本社会の隅々にまで影 響を及ぼしているために、教育現場における教師 の指導の有り様と深く関わっている。
(14)ただし発達障害といっても、現実にはその境界 線や定義は曖昧である。教育現場では、安易に「発 達障害」であるとカテゴライズされるケースが増 えていることに注意しなければならない。最近で は「自閉症スペクトラム」概念からの障害が複合 的で、連関的であるという研究がなされている。
(15)教員のメンタルヘルスの現状文部科学省(平成 24 年 1 月 22 日)参照
http://www.mext.go.jp/b̲menu/shingi/chousa/s hotou/088/shiryo/̲̲icsFiles/afieldfile/2012/02/2 4/1316629̲001.pdf