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「所有と経営の分離論」

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(1)

株式会社法における

﹁所有と経営の分離論﹂

そ の

今日における株式会社の実態はおよそ人的︑資木的︑現代的の三種の形態に分類することができ︑このうち木来の

株式会社法が予想したものは資本的株式会桂であると恩われ︑最近の株式会社法の改正は更に現代的株式会社の法的

① 

形態に適応させるため立法的努力を払ってきたものと言うことができよう︒

一 方 ︑

二十世紀資本主義社会における新しい現象の一つが︑ いわゆる﹁所有と経営の分離﹂ないし﹁経営者支配﹂

と言われる︒そしてこの﹁所有と経営の分離﹂現象は現代的株式会社に特有のものであり︑ また現代的株式会社の最

も重要な基本的特徴でもある︒

現行法における種々の研究が﹁所有と経営の分離﹂という観点からなされるべき意義と心要性はここに存する︒

本来﹁所有と経営の分離﹂現象は特に経営学において︑会/年研究考察されてきたものであり︑ 今日この理論を認め

るのがアメリカ経営学における主流的見解であり︑従ってまたアメリカ経営学の影響をうけているわが国経営学にお

げる主流的見解である︒

昭和二五年の改主によってアメリカ法の影響を受けたわが国株式会社法の研究において︑

こ の

占 ⁝

アメリカおよび

株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離

﹂ 論

そ の

一 ︵

中 村

(2)

富 大 経 済 論 集

L

わが国の経営学の見解に注意が払われる必要があろう︒

最近商法学においても﹁所有と経営の分離﹂を主とする議論がかなり見られる︒ところが︑これらの学説を仔細に

検討すると︑経営学者の見解とその意味内容において相違していることを発見するのである︒経営学における分離論

が一般株主のみでなく︑支配株主についての分離論であるのに対して︑商法の分離論は逆に支配株主については結合

を意味し︑むしろ経営学における分離否定論に導かれるのである︒このような結果は何故生じたのであろうか︒この

疑問が問題を提起せしめた主たる理由である︒

本稿においては︑商法学者の見解と経営学者の見解とを比較検討して︑ ﹁所有と経営の分離﹂に関する私見を明ら

かにしたい︒これがとりも直さず︑ ﹁経営者支配﹂の法的研究を行うに当って必要不可欠なことである︒

註①株式会社の実態を人的︑資本的︑現代的の三種の形態に分類して検討を加えているのは︑拙著﹃株式会社支配の法的研究﹄

︵ 共

V

で あ る ︒ 竹 内 敏 夫 教 授 ﹁ 株 式 会 社 法 の 再 改 正 と 株 式 の 法 的 地 位 ﹂ 企 業 会 計 八 巻 七 号 ︑ 七 三 頁 は 昭 和 二 九 年 の 商 法 改 正

が 従 来 の 株 式 会 社 法 を 新 に

﹁ 高 度 企 業 ﹂ の 法 的 形 態 に ま で

︑ 引 き 上 げ よ う と し た も の と 述 べ て い る

②本稿で﹁所有と経営の分離﹂問題を取扱うに当つては次のことを前提としている︒すなわち︑経営学において﹁資本と経営 の 分 離 ﹂ な い し ﹁ 資 本 と 支 配 の 分 離 ﹂ が 現 実 に 成 立 す る の は ︑ 債 権 者 支 配 ︑ 従 業 員 支 配 ︑ 国 家 支 配 あ る い は 経 営 者 支 配 が 成 立

する場合である︒ところが商法学者の大半が﹁所有と経営の分離﹂と表現しているように︑現行株式会社法が関知するのは

﹁ 所 有 者 支 配

﹂ の 建 前 と ﹁ 経 営 者 支 配 ﹂ の 可 能 性 に す ぎ な い と 考 え ら れ る か ら ︑ 他 に よ る 支 配 は 除 外 し た い と 思 う ︒ こ こ で 問 題 と な る の は 所 有 者 支 配 と 経 営 者 支 配 で あ る

︒ こ の 意 味 で 所 有 と 経 営 の 分 離 は 経 営 者 支 配 論 の 理 論 的 根 拠 な い し 前 提 で あ る ︒

﹁所有と経営の分離﹂に関する各種命題

  経営学における各種命題

いわゆる﹁所有と経営の分離﹂を経営学において︑バ 1

リ ︵

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︶ と

1 ンズ︵宮 22 ﹀は︑口出

2 8

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2 8

(3)

3

8  ownership  and  management  or  Divergern.:e  of  interest  between  ownership  and  control  ..JJ  :0,  :0, h ミト牝入、ペ

@  (Brookings)  ~ Segregated  management  from  ownership ,。く{ト−.'.\ (Burnham)  ~ Separation  of  ownership  and 

@  control  or  Separation  of  control  over  access  from  control  over  prefential  treatment  in  distribution ,干 1 •ー ι 入

@ 

(Gordon)  ~ Separation  of  ownership  and  management  control'  nν 入' t<, (Commons )竺 Separates, or  least 

@  distinguishes,  management  from  ownership'  ::::‑,  ~「' \"入( Liefmann )笠 vollige Trennung 

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Unternehmungsbesitz 

@ぬ und  Unternehmungsleitung  ..JJ  :0,  rν お心 P 」ミ:長田辻義 :;, νJ 同一ヰ k 総理ぷ’ JU 結~~話臨油 w~ 「)荏持久 l樹:{ nt!Q ボ糧」' 1D 三 F

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⑤ 

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組 8 Berle  and  Means  ;  The  Modern  Corporation  and  Private  Property.  1956.  p.  119. 

@  R.  S.  Brookings  ;  Economic  Democracy,  America s  answer  to  Socialism  and  Communism.  1926.  p.  17. 

@  J.  Burnham  ;  The  Managerial  Revolution,  1941  p.  87.  p.  94. 

8  Gordon  ;  Business  Leadership  in  the  Large  Corporation  1945,  p.  120,  p.  157,  p.  161,  p.  325.  8  J.  R.  Commons;  Legal  Foundations  of  Capitalism.  1957.  p.  55. 

@)  Liefmann  ;  Unternehmungsformen,  S.  17.  8  Fトヰ\:;~匙 t(g 設総里民「 1阻悩 4 目:;!<iQ 盟主題」 『際司 ~:/<ii 自久 14~:/<:i 組制』 1  -F'.~ 砥 Cjf ム 0 @  恒三主任 1 ~話鞘『製担金ト照纏』 111 干ミ町三件。 『耳王製粗削』 1‑F'. 回。ヨ主主細部目当「苦主主雲情相 :W 」 『犠<-:,;耕民主盟主』 Iii .\コ宍限。 Jjjj'~ 話

里高『斜線法草』 1111  l回ミド。困 iif\Oll[ -<総里民『詳 hl-4~:/<:i~l!i 』 111 同町 Cjf ム。

~TI:\~ 相場 l」 ~1 三時「 iさ 1Jlr 久 j鎚事 IlQ ボ糧」程 lVQ1  (丑 4')

(4)

富 大 経 済 論 集

‑ 9 4  ‑

⑨古賀英正教授﹃支配集中論﹄九九頁︒ただし︑教授は実質的な分離論者ではない︒この点︑商法の通説が所有と経営の分離

を 説 き な が ら

︑ 実 質 的 に 分 離 論 で な い の と 似 て い る ︒

⑬上林貞治郎教授﹁﹃経営者支配﹄の実体

ii

﹃ 経 営 者 支 配

﹄ と 金 融 資 本

﹂ PR

七 巻 一 一 号 一 二 頁 以 下 ︒ 同 教 授 ﹃ 現 代 企 業 に

お け る 資 本 ︑ 経 営 ︑ 技 術

L

二 一 頁 以 下 ︒ 醍 醐 作 三 教 授

﹃ 労 務 管 理 序 説 ﹄ 一 七 八 頁 以 下

︒ 馬 場 克 一 二 教 授

﹁ 近 代 株 式 会 社 に お け る 所

有 と 経 営 の 分 離 ﹂ ﹃ 株 式 会 社 と 企 業 経 営 の 諸 問 題 ﹄ 五 四 頁 以 下 ︒ 漠 利 重 隆 教 授 ﹁ 資 本 と 経 営 の 分 離 ﹂ ﹃ 新 会 社 法 と 会 社 経 営 ﹄

五 O

頁 以 下 ︒ 岡 村 正 人 教 授

﹃ 株 式 会 社 金 融 の 研 究

﹄ 一 一 八 一 頁 以 下

︒ 同 教 授

﹃ 株 式 会 社 の 研 究

﹄ 一 五 一 頁 以 下 ︒ 仁 オ

商法学における各種命題

一︑経営学と密接な関係にある商法学においても一所有と経営の分離﹂論が導入されて︑

分離﹂ないし﹁企業所有と経営の分離﹂という命題が︑田中︵耕︶︑大隅︑鈴木︑右井︑松田その他多数の学者によっ

② 

て愛用されている他︑近年︑実方教授が﹁資本所有と資本運動との分離﹂︑竹内教授が﹁所有及び支配と経営との分

④  

離﹂︑大野教授が﹁企業者と経営の分離﹂および﹁企業者と企業の分離﹂︑松波教授が﹁資本と経営の分離﹂という命 ﹁企業所有と企業経営の

題をとって︑その意味内容を法律的に検討している︒

また︑比較的最近になって︑商法学においても経営学における分離否定論に立脚して︑実情の否定のみでなく﹁所

有と経営の分離﹂その他分離に関する命題をも否定する見解が生じていゐ︒

いずれもこれら商法学者の見解には︑ ﹁所有と経営の分離﹂問題の核心にふれようとする意慾が観取される︒

註①大隅健一部教授﹃株式会社法変遷論﹄一四六頁以下︒八木弘教授﹁改正株式会社法における企業所有と企業経営の分離につ

いて﹂国民経済雑誌八一巻四号一九頁以下︒鈴木竹雄教授﹃会社法﹄二八頁以下︒石井照久教授﹁商法上﹄二七 O 頁 以 下 ︒ 田 中 耕 太 郎 博 士 ﹃ 改 正 会 社 法 概 論 ﹄ 下 巻 三 四 四 頁 以 下 ︒ 松 田 二 郎 惇 士 ﹃ 会 社 法 概 論 ﹄ ︵ 新 訂 ︶ ム ハ 頁 ︒ 同 博 士 ﹃ 株 式 会 社 の 基 礎 理

論 ﹄ 一 頁 ︒ ニ 頁 ︒ 一 四 頁 ︒ 一 五 六 頁 ︒ 一 六 二 頁 ︒ 蓮 井 良 憲 氏 ﹁ 少 数 株 主 権 の 保 護 ﹂ ︵ イ ギ リ ス 法 ︶ 政 経 論 叢 八 巻 四 号 一 一 五 頁 ︒

(5)

星 川 長 七 教 授

﹁ 少 数 株 主 権 に つ い て

﹂ 早 稲 田 法 学 三 三 巻 一 二 ︑ 四 冊 一

O 八

真 ︑ 本 間 輝 雄 氏 ﹁ 株 式 会 社 取 締 役 責 任 論 序 説

﹂ 法 学 二

O 巻

四 号

七 六

貰 等

②実万正雄教授﹃改訂会社法学 E

﹄ 四

O 七

頁 ︒

③ 竹 内 敏 夫 教 授 ﹁ 株 式 会 社 法 に お け る 支 配 概 念 ﹂

﹃ 会 社 法 の 諸 問 題

﹄ 一 一 一 五 頁 以 下

④ 大 野 実 雄 教 授 ﹁ 企 業 の 所 有 と 経 蛍 の 分 離 ﹂ ︵ 企 業 の 法 人 格 ︶ 民 商 法 雑 誌 三 八 巻 一 号 三 頁 以 下 ︒

⑤ 松 波 港 三 郎 教 授

﹁ 改 正 株 式 会 社 法 と 経 営 者 支 配

﹂ 法 学 志 林 四 八 巻 二 号 ゴ 一 二 頁 以 下

⑥ 宮 島 尚 史 氏 ﹁ 株 式 会 社 に お け る 業 務 執 行 機 関 論 ﹂ ︵ そ の 一 ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離 ﹂ 論 ︶ 法 律 論 議 三 一 巻 二 号 四 七 頁 以 下 ︒

八 九 貰 以 下 ︒ 品 川 登 氏

﹁ 改 正 株 式 会 社 法 論 と 経 蛍 者 支 配 ﹂ 法 と 政 治 二 巻 コ 了 四 号

︑ 七 三 頁 以 下

五 号

二︑経営学において﹁所有と経営の分離﹂という命題を採る説は今日多数ではないが︑商法学においては︑

﹁ 企

所有と企業経営の分離﹂ないし﹁企業所有と経営の分離﹂という命題を採るのが多数説である︒

このような表現を採る現由は明らかでないが︑ドイツ法学を身につけたわが国の商法学者が︑リーフマン︵

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﹁ 日

民自由ロロ︶の﹁企業所有と企業経営の分離﹂︵さロ官︒吋

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田 宮

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をそのまま踏襲しているのか︑あるいは木来企業所有︵ d ロ R

B o r s g m

田宮島るという概念が経済学︑経営学において

① 

法律上の所有にたとえた概念であるから︑企業が所有権の客体ではないことを知りながら︑法律的に最も近い表現と

‑ 9 5 一

して使用しているのか︑あるいは無批判に使用しているのかのいずれかであろう︒

②  ここに﹁企業﹂とは法律的には主観的意義と客観的意義があるとされている︒前者は企業家等という場合のように

一種の行為を指し︑利潤撞得の目的をもって︑資本あるいは労力を投下することをいう︒しかし︑経営学において企

業という場合は大体後者の意味で使われる︒これを法的に定義すれば企業とは資本と労力とが結合され︑組織化され

た社会的︑経済的構成体であり︑換言すれば資木を運用し︑その増殖すなわち利潤の獲得をはかる事業体であると一吉

株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離 ﹂ 論

そ の

一 ︵

中 村

(6)

nHU  m a帆u

富大経済論集

③ 

えるが︑本来経営学︑経済学の概念であるので︑例えば増地博士の﹁企業とはその所有者の公私を問わず︑叉営利を

目的とすると否とを問わず︑生産単位として経営の必要とする財貨と経営より生ずる貨物および勤労の給付とを所有

③ 

する独立の組織である﹂という定義などが影響を与えているだろう︒

多くの商法学者は所有と経営の分離のつ所有﹂を﹁企業所有﹂と表現し︑株主を実質的な意味の企業所有者と解し

ている︒例えば︑社員権説の鈴木教授は﹁商法の立場において株式会社の企業所有者は株主であり︑従って企業の経

⑤ 

営支配権は根本において株主に冒するものと認められる﹂と述べている︒また大隅教授は民法上の所有権と対比して

⑤ 

﹁株主権は所有権の変形物である﹂と説明される︒

この点︑松田博士が株式債権説を採りながら﹁企業所有﹂という概念を使っている意図は必ずしも明らかでないと

⑦ 回

b

弓 ノ ︒

﹁経営﹂の法的意義については︑経営学者例えば国弘教授の﹁企業ないし会社の経営︵﹀岳己ロダ常国昨日

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巾 5

2 7

F 岳

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m ︶とは財務︑購入︑生産︑販売などを計画し︵最高政策の決定︶指揮統制すること﹂という定

義と大差なく︑それが取締役の行う﹁業務執行﹂を指すことには多く異論がなかろう︵商二六 O 条︑二六一条︶ 0

しかし︑株主総会が経営を担当するか否かについては問題がある︒株式会社においては所有と経営とは制度的に分

⑤ 

離されているという見解に従えば︑株主が株主総会を通じて行使する機能もまたすべて﹁企業所有﹂の一内容となり

株主総会は経営を担当しないことになるが︑通説は株主総会が一般の業務執行に関し︑意思決定にのりだすことを認

⑬  めており︑結局﹁経営﹂機能を営むものと解している︒

そして︑この説がその命題の一訴す通り﹁企業所有﹂と﹁企業経営﹂が分離することを主張することは言うまでもな

し 、 。

(7)

註①経済学者には誤って株主を法律上会社の所有者と理解している者もある︒例えば古賀教授︒前掲書︑九九頁︒

②升本教授﹁企業︵

d E 2

各 自

g ︶の意義について﹂中央大学五十周年記持論文集法律之部︑五二五頁以下︒

③ウィlラント︵司王

E 仏︶は企業を利益獲得の目的を以って資本及び労力を賭することに求めた︒ぜ司王山口弘

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品 目

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西 原

教 授

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批 判

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企業法論を展開され︑企業 の法主体性を︑主張したことは周知のところである︒﹃日本商法論﹄一巻一二二三頁以下︒﹁企業概念の実定法的適用﹂﹃商法の

諸 問

題 ﹄

六 三

頁 以

下 ︒

他方︑鈴木教授は企業法的考察も企業を実質的な社会的地盤として顧慮すれば五分であって︑それ以上に出ることは却って

危険ではないかと述べている︒﹁商法の企業法的考察の意義﹄九頁︒

﹁企業﹂は最近法令の中でも使われるようになった︒例えば戦時中の企業整備令︑企業許可令︑企業整備資金措置法等︑戦

後の企業再建整備法︑中小企業安定法︑中小企業協同組合法等︑しかし︑わが商法典には﹁経営﹂という用語はあるが︵商二

四五条一項二号︶企業という言葉は見当らない︒

④増地博士﹃経営経済学﹄八 OO

頁 ︒

⑤鈴木教授︑前掲書七三頁︒

⑥大隅教授︑前掲喜一四八頁︒

①松田博士﹃株式会社の基礎理論﹄一頁︒二頁︒一四頁︒一五六頁︒二ハ二頁等︒

③国弘教授﹃株式会社論﹄一七九頁︒なお増地博士︑前掲書八 OO

頁 ︑

古 川

教 授

﹃ 経

営 学

通 論

﹄ 一

一 一

一 一

員 ︒

⑨西原教授﹃日本商法論﹄一巻八六頁参照︒

⑬ 石 井 教 授

︑ 前 掲 書 二

七 O

頁 ︒ 三︑実方教授は﹁資本所有と資本運動の分離﹂という命題を採る︒

﹁資本﹂の法的意味について︑わが国ではじめて問題を提起されたのは我妻教授であった︒教授は資本が所有権と

① 

契約との結合だという理論を立てたわが国における最初の人である︒川島教授も資本の法的構造は契約媒介として運 動 す る と こ ろ の 私 的 所 有 権 と し て 把 握 し て い 九

株式会社法における﹁所有と経営の分離﹂論

そ の

一 ︿

中 村

(8)

富大経済論集

﹁資本所有﹂という概念を用いる実方教授は﹁株式会社企業においては資本所有は法人たる会社の個人的・直接的

@  所有と株主の観念的・間接的所有とに完全に分離している﹂と説いている︒また﹁資本運動﹂とは資本再生産運動の

ことであるが︑資本運動の担当者が必要であり︑資本運動の担当者は実に経営権の帰属主体としての企業者と︑経営

権行使の主体としての経営者に分けることができる︒そして﹁資本所有と資本運動との分離﹂は結周資本所有の諸機

能を媒介すべき人格者としての﹁資本所有者﹂と資本運動の現実的担当者たる﹁企業者﹂ないしは﹁経営者﹂との制

@  度上の分離︑および後者の自律性の強化であると言っている︒

註 ① 我 妻 教 授

﹃ 近 代 法 に お け る 債 権 の 優 越 的 地 位

﹄ 四 五 七 頁 以 下 ︒ 外 国 で は カ ル ネ ル や カ

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S 唱

② 川 島 教 授 ﹃ 所 有 権 法 の 理 論 ﹄ 三 二 四 頁

③ 実 方 教 授 ︑ 前 掲 書 ︑ 二 七 六 頁

︒ な お ︑ 川 島 教 授

︑ 前 掲 書

︑ 三

四 O

頁 ︒

④実方教授︑前掲書︑四 O

七 頁

︒ 四

︑ 竹 内 教 授 は ア メ リ カ 経 営 学 お よ び 商 法 学 を 考 慮 し て

﹁ 支 配

﹂ 概 念 を 加 え て

﹁所有及び支臨と経営との分離﹂なる表現を用い︑株式会社の構造変革を解明することを提唱されている︒

﹁ 所

有 ﹂

﹁ 経 営 ﹂ の 概 念 の 他 に

竹内教授によれば﹁支配﹂とは経営︵管理︶活動の上位にたち︑企業を創立しあるいは改善し補充し︑さらに経営

① 

者の人事を掌る等の諸機能を指すものである︒ここに﹁支配﹂という一言葉は日常用語においても︑また学術的用語に

おいても︑きわめて種々の概念として使用されている︒それは政治的︑社会的︑経済的︑法律的と種々考えられる

② 

が︑その株式会社法的意味は経営学における支配概念に基づいていることは言うまでもない︒経営学における支配概

⑤ 

一般に経営者の任免権や経営に根本的変化をあたえるようなことを指している︒ 念も確定概念ではないが︑

(9)

結論的に教授の見解を述べれば︑ また分離すべきであるが﹁所有﹂と ﹁ 所 有 及 び 支 配 ﹂

﹁ 経

営 ﹂

と は 分 離 し ︑ と

﹁支配﹂は分離すべきではなく︑出資者の支配は確保すべきであるとされる︒

竹 内 教 授

﹃ 企 業 法 概 論

﹄ 一

一 O

頁 ︒

支配の政治的︑社会的︑経済的概念については拙著︑前掲喜一五頁以下︒法律的には民法の所有権につき支配概念が問題に

な る 他 ︑ 私 的 狼 占 禁 止 法 第 二 条 五 項 に は ﹁ 支 配 ﹂ と い う 用 語 が 使 わ れ て い る ︒

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丹 と し い い る

︒ ︒ c L C E

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− ︶ ・ 呂

わ が 国 で は 国 弘 教 授 ︑ 前 掲 書 ︑ 一 二 八 頁 ︒ な お 山 城 教 授 ︑ 森 昭 夫 氏 等 の ﹁ 支 配 ﹂ の 定 義 は こ れ と 異 な る が 後 で 論 ず る ︒

② ①  

五︑大野教授は従来から使用されている﹁企業所有と経営の分離﹂はあいまいな概念であるとして﹁企業者と経営

の分離﹂および﹁企業者と企業の分離﹂という命題に置き換えて問題を取扱っている︒

教授によれば企業者︵四三日胃

g R

︶という概念は出資者と同じ意味をもつのであり︑企業者と経営との分離は企業

者と支配との分離にまで発展するとは思われない﹂とする︒

① 大 野 教 授

︑ 前 掲 論 文 ︑

六︑松波教授は﹁資本と経営の分離﹂という命題を用いているが︑

① 

古川教授等に従っているものと解せられる︒ その命題およびその内容は経営学者山城教授︑

① 

︵ 一 橋 論 叢 二 三 巻 四 号 五 二 頁

教 授 が 国 弘 教 授 ﹃ 企 業 形 態 の 諸 問 題 ﹄ ﹃ 株 式 会 社 新 論 ﹄ 古 川 教 授 ﹁ ア メ リ カ 経 済 学 の 一 展 開 ﹂

以 下 ︶ 等 を 引 用 し て い る と ζ

ろ か ら ︑ こ の よ う に 判 断 し た ︒

株 式 会 社 法 に お け る つ 所 有 と 経 営 の 分 離 ﹂ 論

そ の

一 ︵

中 村

(10)

宮大経済論集

‑100 一

﹁所有と経営の分離﹂の実情

ll

経営学者の見解との比較

)  

商法学の見解

﹁企業所有と経営の分離﹂論の一人として︑石井教授は分離の実情について﹁株主総会は民主主義的︵純資木

主義的な︶に巧みな法的機構ではあるが︑実際においては資本的に︵しかも有限的に︶参与する大衆株主︵一般株主

H 筆者註︶にともないやすい欠陥として企業経営への無関心と無知とのゆえに多くの株主は通常株主総会に出席せず

企業の所有と経営の分離は法の予想以上に甚しいものとなっている︒かくて︑株主総会は一部大株主︵支配株主 H 筆

者註︶の企業支配に便宜な法的技術となり︵比較的少数の株式保有で総会を支配しうる︶実質的には株主総会は﹃君臨

すれども支配せず﹄といった現象をもたらし︑会社か骨骨は大株︑E・取締役等一部少数のものの手中に帰いわい b ﹂

① 

︵傍点筆者︶とのべている︒大隅教授も﹁株主総会における議決権の多数を把持し︑会社の運命の形式に決定的努力

を獲得しようとする企業者株主は当然に会社理事者と密接な関係に立つ︒:::かくて株式会社における企業の所有と

経営の分離は決定的となり︑自由株主︵一般株主 H 筆者註︶は経営に関する限り実際上権利喪失をきたし︑その社債

いわゆる新封建主義︵

Z g F E E Z

回 日 ロ 田

︶ 吹 は 産 業 的 世 襲 財 産 制 ︵ 山 口 合 号

E −

2

2 舟 権者化の傾向が如実にあらわれ︑

F O B B r a

由 ZS

︶が実現されることとなる﹂︵傍点筆者︶ と表現している︒富山教授も﹁株式会社では経営日業務執行

は取締役会という株主総会とは別個の機関でなされるが︑取締役会の権限の拡大と株主総会の権限の縮少とが最近の

傾向であり︑また大多数の株主である一般株主にとって議決権が有名無実となっていること︑しかも企業の経営は完

全に株式資本の支配から脱してはいないのであって︑大株主が企業を支配していること﹂がその実情であるとしてい

る ︒

(11)

﹁株式会社における企業所有と経営との分離の事実に即して︑ いわゆる社員権としての株主権を否認し︑これを共

益権と自益権に解体する見地に立ち︑株︑王を以て利益配当請求権なる社団法上の債権と解し︑議決権その他の共益権

④  を以て一身専罵的の人格権﹂と解する松田博士も株式会社の実情を﹁いわゆる企業所有と経営との分離を生じ︑

⑤  株主は単なる債権者的地位へと転化し:::﹂

︵傍点筆者︶として大株主支配を肯定するかのようである︒

また﹁資本所有と資木運動との分離﹂論の実方教授もつ企業所有と企業経営の分離﹂と言われるのは﹁社員資格と

機関資格とが分離せること︑

あ っ

て ︑

および企業所有者としての一般株主が︑企業経営には参与しないことを意味するだけで

企業者株主の寡頭支配において資本と経営とが実質的に固く結び附いていること︑従って経営が資本の支配

に従属していることを何等否定しているものではない﹂ ︵傍点筆者︶とのべている︒

﹁企業者と経営の分離﹂の大野教授も﹁社員に非ざる経営者これを専門的経営者と称してよいかも知れぬが︑の出

現を可能とする前提であり︑しかも従業員からの人材登用が右のような実情となって現われてくると︑大株主による

⑦ 

独裁はますます容易になってくる﹂とのべている︒

このように︑これらの分離論は一般株主・無機能株主についての分離であって︑支配株主に関しては分離の問題は

伏せられただけでなく︑むしろ支配株主と経営とは結合しているとなすのである︒

註①石井教授︑前掲書︑二七 O

頁 ︒

②大隅教授︑前掲書︑一四七頁︒

③ 富 山 教 授 ﹁ 株 式 と 資 本 所 有 の 論 理 的 構 造 ﹂ 民 商 法 雑 誌 一 二 九 巻 四

・ 五

・ 六 号 ︑ 七 一 三 頁

︒ そ の 他

︑ 鈴 木 教 授 ︑ 前 掲 書 ︑ 一

O 八

頁 ︒ 高 回 教 授 も ﹁ 以 前 に 於 て は 株 式 会 社 の 所 有 と 経 営 と は し か く 隔 離 し た も の で は な く ︑ そ こ に は 民 主 主 義 的 企 業 と 支 配 と が 存 在 し た の で あ る

﹂ ﹁ 大 株 主 は 其 の 機 能 資 本 家 た る の 佼 割 を 株 主 総 会 に 於 て で は な く

︑ 取 締 役 会 に 於 て 確 保 し ︑ 取 締 役 中 の 独 裁 執 行 者 を 制 肘 指 揮 す る の で あ る ﹂ と さ れ る

︒ ﹃ 独 裁 主 義 株 式 会 社 法 論

﹄ 一 二 七 頁 ︒ 四

O 頁 ︒

株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離 し 諭

そ の

一 ︵

中 村

(12)

富 大 経 済 論 集

1 0 2  

④ 

松 田 博 士

﹃ 株 式 会 社 の 基 礎 理 論

﹄ 一 頁 ︒ 松 田 博 士

︑ 前 掲 書

︑ 二 頁 ︒ 実 方 教 授

︑ 前 掲 書

︑ 四 一 一 一 員

︒ 実 方 教 授 は 企 業 所 有 と 企 業 経 営 の 分 離 と い う 表 現 も 用 い て い る ︒ 大 野 教 授

﹃ 商 法 研 究 ﹄ 一 巻 二 一

O 五

頁 ︒

⑤ 

⑥ 

⑦ 

二︑これに対して︑支配株主についても所有と経営︑支配が分離すると説く立場がある︒

①  のなかでは松波教授がそうである︒ ﹁資本と経営の分離﹂論

また﹁所有および支配と経営との分離﹂を説く竹内教授もその実情について︑

資本集中が更に飛躍的に進展して

﹁資本的企業﹂が逐に﹁高度企業﹂化する段階に至ると︑資本の巨大化と︑ それに伴う分散とによって︑企業所有者

の企業支町も必然的に分散せざるを得ない︒しかも︑ 企業所有の分散は単に﹁数量的﹂だけではなく更につ地域的﹂

の意味を持つのであって︑企業所有の分散に伴う︑企業支聞の分散は同時にその無力化をもたらすのである︒これと

相並んで︑近代企業の経営内容のおそるべき複雑性は経営に対する批判力を剥奪し︑企業所有者をして企業支田につ

いての関心を実質的に地棄せしめるとともに︑企業に対する所有持分の証券化と︑証券市場の発達は︑投下資本の回

牧をきわめて容易にするため︑特定企業に対する企業支寵の熱意も利廻り計算による企業選択の可能性によって︑簡

単に冷却されるに至るのである︒このようにして︑所有と経営との分離は一高度企業﹂においては︑更に前進して所

② 

有と支配との分離にまで至らざるを得ない︒といって︑その後に﹁経営者支配﹂が成立することを述べている︒しか

し︑教授は法律の面からは所有者側に﹁支配﹂を確保すべきであると一言っている︒

③ 

なお︑労働法学者の津曲教授も︑所有と経営の分離について︑支配株主の支配が喪失することを指摘している︒

①  飢 仙 波 港 ゴ 一 郎 教 授 ﹁ 改 正 株 式 会 社 法 と 経 営 者 支 配 ﹂ 法 学 志 林 四 八 巻 二 号 三 八 頁 以 下

(13)

③ ②  

竹 内

教 授

﹃ 企

業 法

概 論

﹄ 一

一 一

γ

員 ︒

津 曲 蔵 之 丞 教 授 ﹃ 日 本 統 制 経 済 法 ﹄ 二 三

O 頁

以 下

三︑商法学における分離否定論の立場からは当然︑支配株主と経営との結合が説かれる︒例えば品川助教授は﹁取

締後の違法執行行為の差止請求権︵商二七二︶︑ 代表訴訟権︵商二六七︶累積投票制度︑総会招集の少数株主資格の

緩和︵商二三七︶等が新に設けられ企業の民主化をも併せて図ろうとしているが︑これ等の規定も︑少数株主の書類

閲覧権︑総会招集権等と共に︑経営者支配の傾向よりは少数株主寡頭支配への傾向をバックする結果となるのではな

いかと思う︒株主の地位の強化︑自覚を促す等の規定は結局事実上大株主︵支配株主リ筆者註︶によってのみ最もよ

①  く利用し得る規定であるからである﹂と述べている︒この説明は法律的であるが︑むしろ法律の規定を通してみた実

情の説明と言えるであろう︒

①  品 川 助 教 授 ︑ 前 掲 論 文

︑ 九 六 頁

︒ 同

経営学者の見解

てそれでは︑経営学における﹁所有と経営の分離﹂ないし︑ ﹁資本と経営の分離﹂論の意味内容はとうであろう

か︑その命題が多彩であるように内容も不統一であり︑多義であるが︑ その共通するところを要約すれば次の通りで

ある︒すなわち︑経営学者のいう分離論は一般株主のみでなし︑支配株主についての分離論であり︑ 経営者が株主

︵説によっては資本家︶の支配から蝉脱することを意味している︒

バ 1

リ ︵

切 巾

ユ 叩

︶ と

l

ン ズ

︵ E 2 5

︶ は一九二九年における二百の巨大会社︵鉄道会社四二︑ 公共事業会社五二︑

産業会社一 O

六 ︶ に つ い て

どの程度の株式を所有すればその会社を支配できるかという観点︑ あるいは法律上の方

① 

その結果を次のように分類したのである︒すなわち︑仙完 法による支配という観点から実態を調査したのであるが︑

株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離

﹂ 論

そ の

一 ︵

中 村

(14)

富 大 経 済 論 集

A ︐  全な所有による支配合

8 5ご r e a r

田 宮

︒ ぇ

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3

R 由 巴六%︑凶過半数支配︵富田 E

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C 同 日

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尽 き

日 ︶

間法的手段による支配合 SE

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8 ︶ 支 配

︵ 呂

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︶ 四 四 %

︑ 間 レ シ

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一 %

二三%閉経営者

の手中にあるもの︵佐官ロ仕え

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− 4

2 ︶

一 % で あ る ︒

︵ た だ し ︑ 社 数 に つ い て の 比 率 で あ る ︶ ︒ これらの比率が示す通り︑この調査は巨大株式会社においてはその半

数程度が株式所有にもとづく﹁所有者支配﹂をはなれて︑所有によらない﹁経営者支配﹂に移っていることを明らか

に し て お り ︑

そ こ に バ I

リ と ミ

l ンズの主張における最も重視すべき点があるといえるのである︒バ l

リ と ミ

l

ン ズ

はこのことを﹁企業経営における経済的な力は少数の経営担当者にいわば求心的に公開口三宮邑︶

② 

有は大衆にいわば遠心的に︵ロ g

h c m 可 日

己︶分散せられていくと述べている︒ 集中し︑株式の所

ま た バ

1 ナ

ム ︵

切 同

E E

︶によれば︑第一次大戦後以降において︑ 日本を含めて先進諸国は資本家的社会から経営 B

者社会︵ B

自 由 m m H E

S ロ宮司︶に移りつつあるという︑資本家的社会は生産手段を所有する資本家階級が支配階級であ

る社ム主であるのに対して︑新しい経営者社会では経営者階級が社会の支配階級となることを特徴にしている︒経済と

は生産手段の支配権をめぐる権力闘争の場であり︑そして生産手段に対する支配権を獲得する階級が社会の支配階級

となるというのが︑彼の基本的な考え方である︒バ 1 ナムによれば︑生産手段の支配とは ω 特定の社会経済的関係に

よって生産手段への接近への支田︵ g

ロ 可 ︒ −

0 4 2 8 8 g B

任命♀

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ロ 可 ︒

H c h R g g

︶ と凶その生産物の分配に

お け る 優 先 的 取 扱

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仲 田

︶ を

意 味

し て

い る

そして一方では生

産技術の発達により︑他方では巨大会社の発達によって︑生産手段に対する社会関係は根木的に変っており︑法律上

の所有者でない経営者が生産手段への接近を支配し︑その事実に基づいて分配にも優先的取扱をうけ︑その結果とし

③ 

て経営者が社会の支配階級となっているとバ l ナムは述べている︒

(15)

わが国においても︑増地博士は昭和九年︑右のバ I リおよびミ l ンズと大体同様な方法によって︑わが国の重要株

④  式会社九一社について調査して︑次の通り発表している︒ ω 過半数支配一三・二%︑間ピラミッド型支配一一・O%

削少数派支配二二・八%︑凶経営者支配三三・O%︑間金融業者支配一・一%︑制政府支配九・九%︵ただし︑社数

についての比率である︶︒増地博土の調査がバ l リとミ l ンズのそれと異る点は︑私的所有および特殊な清算中のレ

シーバーの手中にあるものを除外して︑新に金融業者および政府による支配形態をこれに加えた点であるが︑﹁経営

者支配﹂の形態はやはり一一一一一一%の多数を示している︒そして︑経営者支配︑金融業者支配および政府支配はいずれも

﹁所有と経営の分離﹂していることを物 ﹁非所有者支配﹂であり︑所有者は自己資本の提供者たる株主であるから︑

語 っ て い る ︒ 叫 庇 っ て

﹁経営者支配﹂は別の言葉で表現すれば︑

ほぼ同一地盤にたって︑所有と経営の分離を説く者にゴードン︵︒︒止︒ロ︶ジョンズ︵開・ 0 ・

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︑ プ ル

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り ︑

があげられる︒ ﹁所有と経営の分離﹂の結果である︒

こ の

他 ︑

わが国でも増地博士の外︑上回︵貞︶︑古川︑ 山城︑平井︑占部の諸教授

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・ s ・ ④ 増 地 博 士 ﹃ 株 式 会 社 ﹄ 三 五 八 頁 ︒

⑤アメリカでは︑バ 1

リ と

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ズ の 実 証 的 研 究 の ほ か に ︑ 証 券 取 引 委 員 会 ︵ ω 2 己

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ロ略称 ω

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自 BE2 略称吋

Z H W

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︶ が 行 っ た 調 査 が あ る

︒ そ れ は 一 九 三 七 年 末 に お い て

︑ 六 千 万 ド ル 以 上 の 総 資 産 を も っ 二 百 の 最 大 非 金 融 会 社 に 関 す る 調 室 で あ り

︑ バ

1 リ

と ミ

1

ン ズ の 場 合 と は 大 分 異 っ て 大 株 主 の 持 株 が 多 い

︒ し か し

︑ ゴ ー ド ン ︵ の c

E S

︶ は 二 四 社 の 子 会 社 に つ い て 検 討 ︑ 修 正 し て ﹁ 小 規 模 で ま と ま

っ た 個 人 の 集 団 が 自 ら 持 株 の 規 模 の 力 に よ っ て 支 配 ︵ 経 営 者 層 を 解 任 す る 能 力 を 実 際 に 所 有 ︶ し て い る の は 恐 ら く 一 七 六 社 の 株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離

﹂ 論

そ の

一 ︵

中 村

(16)

富 大 経 済 論 集

‑106 

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以 下

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GMF

古 川 教 授

﹃ 新 経 営 者 ﹄ 四 四 頁 ︒ 占 部 助 教 授 ﹃ 経 営 者 ﹄

六 O

頁 ︑ 平 井 教 授

﹁ 高 度 会 社 の 機 構

﹂ ﹃ 訂 正 増 補 新 会 社 法 と 会 社 経

営 ﹄

一 一

一 一

頁 以

下 ︒

山 城

教 授

﹁ 株

主 総

会 論

﹂ ﹃

訂 正

増 補

新 会

社 法

と 会

社 経

営 ﹄

七 七

質 ︒

七 九

頁 ︒

二︑経営学における分離否定論は主として︑ マルクシズムの立場からなされる︒

馬場教授は︑株式会社なるものは本来大株主を中心とした資本結合の組織であって︑大株主︵支配株主 H

筆 者 註 ︶

① 

の存在しない株式会社なるものはおよそ考えられない﹂と述べ︑このことは株式会社の発達史と創業利得発生の機構

から論証されるとされる︒

また薄信一氏その他の立場からは昭和二五年の改正商法に対する批判が行われ︑株主の地位の保護強化をはかった

ことについては︑多数の一般株主にとっては実質的に関係のうすいものであり︑大株主︵支配株主 H 筆者註︶にとっ

てのみ会社への発言権を実質的に増大したことを意味し︑取締役会が強化され︑取締役が安定した地位を与えられた

のは︑それは実質的には大株主が選任したその代理人としての取締役と︑銀行等から派遣する非株主の取締役が会社

経営に対し︑まさに独裁的な権限をふるいうることを保証するものにほかならないと述べ︑結論的には﹁もとよりそ

れが﹃資本家の独占物﹄であった大会社を大衆に開放したことにならないのは明白である︒:::﹃株式民主化﹄は独

占による中小株主への﹃独裁化﹄であり︑実質的にはいままで表面上存在していた株主聞の民主主義をつまりプルジ

ョア民主主義を否定するものにほかならない︒つまり大衆株主には﹃棚上げされた﹄株主総会も大株主 H 独占資本に

とっては依然として︑いなむしろ強化された形での支配機関であり︑最高機関であり︑この意味で所有にもとづく牧

② 

益請求権と支配権の純化であったのである﹂としている︒

(17)

マルクシズムという観点でなくても︑この所有と経営の分離論に対して批判を向けるのは藻利︑岡村各教授であ

る︒藻利教授はつ資本主義経営たる企業の本質的性格は︑資本と経営の分離にではなく︑かえってそれらの結合のう

ちにこそ見出されなければならない︒そして︑このことは企業があくまでも営利原則をその指導原理とするものであ

ることを意味しているわけである︒したがって株式会社の特質として理解せられる資本と経営の分離は出資者と経営

者との分化という事実の問題を論外とすれば︑企業の管理より離脱する無機能資本家が発現し︑増大して来ること以

外のなにものでもありえない︒こうした無機能資本家の出現ないしその増大にもかかわらず機能資本家が︑経営者と

三 ② 主

直 接

f ま こ

は 支 配 者 と し て 間 接

管理職能を担当することによって︑ 資本と経営とは結合しているわけであ

︵傍点筆者︶と述べている︒

ひとり群小株主のみならず︑巨大株主すらも

無機能資本家と化すことがどうしても必要である︒ところが巨大株主はどこまでも機能資本家としての性格を担うも 岡村教授は次の通り述べている︒ ﹁経営者支配が成立するためには︑

のである︒巨大株主の持株が総株式においてしめる比重が僅小となるのは︑確かに株式会社金融の高度化がもたらす

ところの必然的傾向である︒しかしながら︑巨大株主の持株は相対的に減少するとしてもその絶対額において巨大で

あり︑そのために巨大株主が企業の経営面や支配面に重大な関心をもつのはいうまでもないところである︒資本所有

と企業支配との分離を強調する論者は︑大株主の持株における相対的減少のみに着眼している︒だが絶対額において

巨大である出資が存在するかぎり企業の経営に対する資本的支配は容易に排除されることはないのである﹂

︵ 傍 点 筆 者 ︶ と ︒

馬 場

克 一

二 教

授 ︑

前 掲

書 ︑

五 五

頁 ︒

薄 信 一 氏 他 ﹃ 戦 後 日 本 の 経 営 会 計 批 判 ﹄

︵ 現 代 経 営 会 計 講 座 ︶ 一 一

一 O

一 頁 ︒

② ①  

上 林 貞 治 郎 教 授 も

﹁ 経 営 者 支 配

﹂ と い わ れ て

株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 蛍 の 分 離 ﹂ 論

そ の 一

︵ 中

村 ︶

(18)

富 大 経 済 論 集

‑108 ー

い る 企 業 支 配 の 実 態 ︑ 本 質 は 株 式 所 有 に 基 づ か な い 金 融 資 本 の 支 配 に ほ か な ら な い ︒ あ る い は ご ぐ 少 数 の 株 式 所 有 に 基 づ く 金 融 資 本 の 支 配 で あ る と し て い る

︒ ﹃ 現 代 企 業 に お け る 資 本

・ 経 営 ・ 技 術

③藻利教授﹃経営学の基礎﹄二 O

頁 ︒

④ 岡 村 正 人 教 授 ﹁ 株 式 会 社 金 融 の 高 度 化 と 企 業 支 配 ﹂ 同 志 社 商 学 一 五 頁

以上述べた諸説から株式会社の実情について経営学におけるいわゆる﹁所有と経営の分離﹂論を正しく伝えている

のが︑松波教授︑竹内教授︑津曲教授等であり︑また分離否定論を正しく伝えているのは品川助教授︑宮島氏等であ

ることが明らかになったことと思う︒また命題としては分離論を採りながら︑その実否定論と同じ内容を唱えている

のが﹁企業所有と経営の分離﹂論の大半と実方教授︑大野教授等であり︑特に商法学における多数説である﹁企業所

有と経営の分離﹂論の大半は︑その命題が不適当かつ誤っていると云わざるをえない︒

﹁所有と経営の分離﹂論批判

付 ﹁企業所有と企業経営の分離﹂論

一︑命題について

この分離論は結局一般株主についての所有と経営の分離であって︑支配株主の存在を肯定するのであるから︑経営

者における分離論からみれば極めて不可解な理論である︒所有と経営の分離が一般株主についてのみ考えられること

であれば︑所有とは一般株主のことのみということにもなり︑支臨株主を含めての分離論である経営学を曲解するも

﹁企業所有と企業経営の分離﹂なる命題は誤りである︒

の で

あ り

︑ ( 1 )  

論 理

イ フ し 、 て

社員権説の見解

(19)

( イ )

西原教授の見解︑西原教授は﹁企業利益の事実的帰居者たる株主は経済上︑ いわゆる企業所有者たる地位を占

めるに止まり︑企業経営の義務を負わない︒反対に企業経営者たる取締役は企業所有者すなわち株主たることを要件

としない︒こうして︑企業所有

︵ 巴 ロ

B 5 5 5 5 m

由吉田円円

N

と 企 業 経 営 ︵ 己 ロ

Z E

B g m m E Z

ロ ぬ ︶ と は 法 律 上 も 完 全 に

分離し︑適者管理の実を挙げ得る制度的支柱を構成している﹂と述べている︒

この見解が昭和二五年改正以降のものであれば特別の意義を見いだすこともできるが︑従来からの見解であるの

① 

で︑その意味内容は株式会社機関の分業を指すものと解せられる︒

そうすると︑この見解からは株式の極度の分散︑株主総会の権限縮少︑取締役会の権限拡大等の構造変革は説明が

で き な い

経営学における﹁所有と経営の分離﹂論はこの見解のような単なる分業をきしているのではない︒

①  西 原 教 授

﹃ 日 本 商 法 論

﹄ 一 巻 ︵ 昭 和 一 八 年 刊 行 の も の

︶ 一 一 一 頁 参 照 ︒

制石井教授その他多数説の見解︑これらの分離論の命題と内容とは相違していること前述の通りであるから︑支

配株主の存在を肯定するものとして論を進める︒

( a )  

株主総会の権限縮少 大衆株主にともないやすい欠陥として企業経営への無関心と無智とのゆえに多くの株主

は通常株主総会に出席しない︒実質的には会社の実権は大株主︑取締役等一部少数の手にある︒

一 般 株 主 に つ い て

所有と経営は分離しているから︑株主総会の権限を縮少し取締役会制度を確立することが﹁企業経営の技術的要請﹂

に合致する︒大体以上のことを石井教授はのべている v

しかし︑この場合︑株主総会は一般株主だけで構成されているわけでないから︑疑問が生ずる︒むしろ︑支配株主

が存在する会社においては︑支配株主が自ら取締役になる場合はともかく︑ 雇傭経営者を身代りにおく場合にはこれ

株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離

﹂ 論

そ の

一 ︵

中 村

(20)

富大経済論集

‑110 一

を監督制御するためにも株主総会の権限を強化して︑株︑主としての法的地位を確保すべきではなかろうか︒

社員資格と機関資格の分離 また石井教授は﹁株式会社の機関構成につき注目すべきことは:::社員資格と機 ︶ 

LU 

︵ 

関資格とが明瞭に分離していることである︒:::取締役会を構成する取締役及び監査役については︑とくに株主資格

昭和一三年改正前一六回参照︶制度上いわゆる との関連づけが法律上禁止されてすらおり︑

② 

企業の所有と経営との分離は顕著である﹂とのべている︒支配株主の存在を前提とする改正前商法が社員資格と機関

資格の結合を建前としていたのに対し︑支酉株主の存在を前提とする石井教授が現行法について社員資格と機関資格

︵ 商 二 五 四

E ︑二八 O ︑

の分離を説く意味が分らない︒

しかも︑石井教授は別の箇所で取締役の資格に関する商法第二五回号第二項の立法趣旨を取締役を支配株主に限る

ことの弊害に対する配慮を極端に押し進めたものであるとする︒鈴木︑服部各教授も同見解である︒これから判断す

ると︑先に企業経営に無関心な一般株主を肯定して株主総会の権限縮少を説きながら︑逆に今度は取締役を大株主に

限ることの弊害を避けようとして︑ 一般株主の取締役会進出をはかろうとしていることになり︑納得できない︒

( C )  

無議決権株 企業所有と経営の分離を説く商法第者は一般に無議決権株制度を企業所有と企業経営との分離に

⑤ 

応じた形態であると言う︒一般株主についての分離を主張するこれらの見解からすれば︑至極当然のこととなる︒

しかし︑経営学における分離論は支配株主をも含めての分離論であるから︑ 無議決権株制度は﹁所有と経営の分

離﹂に応じた制度でも何でもない︒

③ ② ①  

石 井

教 授

﹃ 商

法 ﹄

I

二 七

O 頁

以 下

︒ 石 井 教 授

︑ 前 掲 書

︑ 二

七 O

員 ︒ 石 井 教 授

︑ 前 掲 書

︑ 二

九 八

頁 ︒

(21)

⑤ ④  

鈴 木

教 授

﹃ 会

社 法

﹄ 一

一 一

四 頁

︒ 服

部 教

授 ﹃

訂 正

会 社

法 提

要 ﹄

一 一

一 一

一 一

一 員

︒ 田 中

︵ 耕

︶ 博 士 ︑ 前 掲 書 ︑ 三 六 四 頁

︒ 実 方 教 授 ︑ 前 掲 書 ︑ 三 四 一 頁

︒ 松 田 博 士 ﹃ 会 社 法 概 論 ﹄

︵ 新

訂 ︶

一 一

一 九

質 ︒

( 2 )  

株式債権説の見解

株式債権説は一般株主の社債権者化の現象︑換言すれば一般株主の議決権が有名無実となり︑かつ株式が利子のみ

資本の法則の支配をうけているという現象をその主張の根拠としており︑最も﹁所有と経営の分離﹂現象に即した理

論とみられがちであるが︑松田博士は支配株主が支配権を喪失することまでは述べておられない︒

一般株主についてのみ支配の喪失があると説くことは︑反面支配株主の存在を認めることになり︑支配株主に﹁支

@  配﹂が集中する意を含むことになり︑このような実情把握では株式債権論は不可解なものとなろう︒

むしろ︑支配株主についても分離を説く方が株式債権説を明確にするのではなかろうか︒

これに対して︑債権説の立場からは次のような弁明がなされるかもしれない︒すなわち議決権が有名無実な一般株

主の株式が占める比率の方が企業の発行済株式のうちで多いのだから︑株式の本質はそういう実際に多い方の株式の

状態から論ずべきではないか︑すると︑そこでは所有と経営が分離し︑現実資本と貨幣資本が分離し︑株式が貨幣資

本︵債権﹀の形態に援制されている側面が強く示されているのだから︑株式を﹁債権﹂ととらえるべきではないか︑

と の こ と で あ る ︒

しかし︑ものの本質をたんに数の上で多く現象している点をとりあげて判断すべきではなく︑その場合がいわゆる

﹁少数支配﹂なのか︑または﹁非所有者支配﹂なのか︑ あるいは﹁経営者支配﹂なのかを判断して決すべきである︒

‑111 一

註 ① 最 近

︑ 社 員 権 説 の 立 場 か ら

︑ 所 有 と 経 営 の 分 離 と い う 観 点 に お い て

︑ 株 式 債 権 説 を 理 論 的 に 批 判 し て い る の が ︑ 富 山 康 吉 教 授 ﹁ 株 式 と 資 本 所 有 の 論 理 的 構 造 ﹂ 民 商 法 雑 誌 三 九 巻 四 ・ 五 ・ 六 号

︑ 七

O 九

頁 以

下 ︒

株 式 会 社 法 に お け る ﹁ 所 有 と 経 営 の 分 離

L

そ の

一 ︵

中 村

(22)

富 大 経 済 論 集

‑112‑

二 1

﹁資本所有と資本運動の分離﹂論

由一六方教授の説は︑経営学における﹁資本と経営の分離﹂論を参考としているのかも知れないし︑支配概念も併用し

ているので︑理論が一段と深化しており︑経営学的でありまた民法的にみれば﹁資本所有﹂は実定法上の﹁所有権﹂

に近い構成をしようとするものでもあろう︒

しかし︑前述の通り︑資本所有者を一般株主とみており︑株式会社における実情として︑支師株主の存在を肯定し

﹁企業所有と企業経営 ているので︑分離論ではあるが︑経営学における分離論とは遠くはなれたものとなっており︑

の分離﹂に対すると同禄の批判がなされる︒

同 ﹁所有及び支配と経営との分離﹂論

竹内教授の見解は分離の実情について︑同先づ資本的企業において所有と経営との分離が成立し︑制高度企業にな

ると所有及び支盟と経営との分離が徹底するが︑同さらに前進して所有と支配との分離が成立するとなし︑しかし︑

法政策的には所有と支配は分離せしめるべきでないとして︑結局分離否定論に帰一するものと理解される︒

先づ株式会社の分離の実情について︑﹁所有と経営の分離﹂の問題と﹁所有と支配の分離﹂の問題とを区別し

ている点に問題がある︒経営学においても﹁資本と経営の分離﹂と﹁資本と支配の分離﹂とに区別して論じている説

①  があるが︑次のような批判をうけている︒すなわち﹁資本と経営の分離﹂の問題が生来意味するところのものを﹁資

本と支配の分離の問題だと解するとともに︑後者から区別される﹁資本と経営の分離﹂の問題を新しく採りあげ︑そ

れは単に間接的管理形態の成立を意味するだけのものだとして理解しているが︑これは問題を混乱せしめるのみであ

( a )  

って︑決して生産的な見解ではなく︑たんに分業の発達を意味する一言葉としては︑

②  はもっとも不適当という批判である︒ ﹁資本と経営の分離﹂という言葉

参照

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