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カナダ憲法における先住民の「土地権(aboriginal title)」に関する一考察(二・完) : 「権原(title)

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(1)

カナダ憲法における先住民の「土地権(aboriginal title)」に関する一考察(二・完) : 「権原(title)

」をめぐる先住民の法廷闘争と学説の応答

その他のタイトル Aboriginal Title in Constitutional Law of Canada (2)

著者 守谷 賢輔

雑誌名 關西大學法學論集

巻 57

号 6

ページ 1111‑1144

発行年 2008‑03‑15

URL http://hdl.handle.net/10112/12228

(2)

カナダ憲法における先住民の

は じ め に 第一章﹁土地権﹂と非先住民の権原

I議論の前提として

第一節カナダにおける英法の受容 第二節﹁土地権﹂と非先住民の権原の違い 第 一 二 節 小 括 第二章﹁土地権﹂をめぐるカナダ最高裁判決

第一節

De lg am uu kw

判決以前

第二節

De lg am uu kw

判決

第三節

De l g am uu kw

判決以後

第 四 節 小

︵ 以 上

︑ 五 七 巻 五 号

﹁ 権 原

﹁ 土 地 権

︱ 四 七

第二章﹁土地権﹂をめぐる学説︵以下︑本号︶

第一節﹁土地権﹂とコモン・ローの近似性

に依拠するアプローチ

第二節﹁土地権﹂とコモン・ローの近似性

に依拠しないアプローチ 第 三 節 小 括 第四章﹁土地権﹂の検討 第一節﹁特殊な﹂性質と﹁土地権﹂

第二節判例における﹁先住民﹂観 第 一 二 節 小 括 お わ り に

﹁ 土 地 権

( a b o r i g i n a l title)

」に関する一考察(-―•完)

(t it le

)

﹂をめぐる先住民の法廷闘争と学説の応答

( a b o r i g i n a l   t i t

l e )

カナダ憲法における先住民の

に関する一考察

賢 ^ 

 

・ 完 ︶

(3)

る ︒

第三章

本章では、「土地権」をめぐる学説の紹介•分析を行う。ここで扱うのは、先住民問題に取り組んでいる代表的論

者である

K e n t

M c

N e

i l

および

J o

h n

B o

r r

o w

s の見解である︒筆者の問題関心からすると︑この二人の論者のアプ ローチは︑対照的であるように思われる︒筆者の分類では︑

M c

N e

i l

は ﹁

﹃ 土

地 権

﹄ するアプローチ﹂を採っており︑

( 1 0 2 )  

を採っている︒本章では︑第四章で 大まかな議論の枠組みを提示しておきたい︒前者のアプローチを第一節で︑後者のアプローチを第二節で扱うことに

c M

N e

i l

は ︑

﹁ 土

地 権

﹂ の主張には法的根拠がないとみなされてきたことを批判的に検討し︑それが︑英国のコモ

( 1 0 3 )  

ン・ロー原理と一貰しているかどうかを問い直す︒そのため︑彼は︑丹念に英法を検討することから始める︒こうし た検討から明らかにされたのは︑英法についての理解不足や誤解が﹁土地権﹂

M c N e i ーは︑まず︑英法における所有と土地への権原の関係についての理解不足を指摘する︒それによると︑﹁所

有を必要とする権原

( t h e t i t l t e  

h a

t   g

o e

s   w

i t

h   p o

s s

e s

s i

o n

) ﹂と

第一節 す

る ︒

﹁上地権﹂とコモン・ローの近似性に依拠するアプローチ

﹁土地権﹂をめぐる学説

関 法 第 五 七 巻 六 号

一 方

B o

r r

w o

s は

︑ ﹁

﹃ 土

地 権

﹁ ﹃

土 地

権 ﹄

︱ ︱

二 ︶

とコモン・ローの近似性に依拠

とコモン・ローの近似性に依拠しないアプローチ﹂

の検討﹂を行う前提として︑それぞれのアプローチの内容を確認し︑

の主張を妨げてきた︑

︱ 四 八

というものであ

﹁不法に剥奪されている状態の権原

( t i t l e b y   b e

i n

g  

(4)

w r

o n

g f

u l

l y

  d i

s p

o s

s e

s s

e d )

﹂との違いをはっきり意識せず︑それぞれが依拠する権原条件

( e n t i t l i c n g

o n

d i

t i

o n

)

が異

( 1 0 4 )  

なることを認識しそこなってきたことが︑多くの混乱を招いてきた︒

M c

N e

i l

は︑かかる区別の重要性を強調した上

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

で︑所有を必要とする権原を有する単純所有者

( m

e r

e p o

s s

e s

s o

r )

が︑自身の所有が第三者の権利

( j u s t e r t i )

の 証

︑ ︑

︑ ︑

明によって不法なものと証明されないならば︑推定権原

( p

r e

s u

m p

t i

v e

t i t l e ) を有する︑と述べる︒この推定権限は︑

所有を必要とする権原とは異なり︑所有に依存しないため︑所有がなくともその回復を主張しうるものとされる︒

M c N e i l が次に検討したのは︑土地保有条件

( t e n u r e ) の絶対的権原の理論の下では︑先住民は国王の付与がないと︑占有する土地への権原を有しえない︑

コモン・ロー上︑国王の所有は一般的に臣民によって取って代わられえないし︑逆もまたそうで あると主張する︒それでは︑土地保有条件の理論とはいかなるものなのだろうか︒

M c

N e

i l

によると︑国王と臣民の 封建関係がいかに生じたのかを説明するために︑臣民が保持している土地には国王の絶対的な領主権

( l o r d s h i p )

あるというフィクション︑すなわち土地保有条件の理論が発明された︒したがって︑土地保有条件の理論が適用され るのは︑こうした目的にかなう限りにおいてである︒それゆえに︑土地保有条件の理論は︑巨民が所有している土地 に対して国王が権原を主張することには用いられえない︒国王は土地それ自体への権原というより︑むしろ優越的領

( 1 0 6 )  

主権 ( p

a r

a m

o u

n t

l o r d

s h

i p

)

を獲得したのだとされる︒

M c N e i l

は︑﹁領土主権

( t e r r i t o r i a l

s o

v e

r e

i g

n t

y )

 

か し

︑ M c N e i l は ︑

︱ 四 九

としてきた︒し

と土地への権原との根本的な区別﹂︑言い換えると︑国王の国際 法上の領土の所有と︑国内法上の土地の所有との区別がなされていなかったことも︑﹁土地権﹂

れてきた要因のひとつであると指摘する︒

M c N e i l によると︑ここでの要点は︑英法では︑土地の所有および所有権 カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o r i g i

n a l

t i t l e )

﹂に関する一考察︵ニ・完︶

の法的根拠が否定さ

二︱一三︶

の理論である︒土地保有条件に関する従来の見解は︑国王

(5)

に必ずしも関係するわけではない︒

︵ 一

︱ ︱ 四 ︶ の実際の獲得は主権に不可欠なものではない︑ということである︒さらには︑国王による一方の獲得は︑他方の獲得

( 1 0 7 )  

ここで

M c N e i l は︑征服および割譲された領土と︑入植された領土の区別について言及し︑裁判所はこの区別の基 準を規定しそこなってぎた︑と言う︒

M c N e i l

によると︑文明化

( c i v i l i z a t i o n )

るために行った方法

( m a n n e r )

や︑法に関する確立されたシステム

の存在の有無は︑領土を征服︑割譲︑入植と分類する際の決定的な指標ではない︒重要なのは︑国王が主権を獲得す

で あ

る ︒

M c N e i l は続けてこう言う︒しかし︑国王には︑その獲得の憲法上の地位を 決定する法的権限がないため︑領士の分類は︑主権が獲得された状況にしたがって︑裁判所が判断すべき︑植民地憲 法の問題である︒そして︑領土に対する主権の獲得が︑国王に特定の土地への権原またはそれらへの領主権を与えた

( 1 0 8 )  

か否かは︑たいてい士地がその当時所有

( o w n ) または占有されていたか否かに依存するのである︒

( 1 0 9 )  

M c N e i l はこのように英法を詳細に検討し︑﹁コモン・ロー上の土地権﹂の可能性を探っていく︒

ところで

M c N e i l は︑先住民の﹁慣習法﹂が﹁土地権﹂の根拠となりうることを否定しないけれども︑それに依拠 することはしない︒その理由は︑次のように要約することができる︒

英法においては︑裁判所は︑慣習法を一般的に事実の問題としていることからすると︑土地保有条件に関する先住 民のシステムを司法が確認してきた歴史のないところでは︑先住民は関連する慣習を証明できない可能性がある︒さ らにこうした問題とは別の問題も存在する︒つまり︑利益の性質がどのようなものであっても︑それらは︑権利と考

えられなければならず︑私有財産

( p r i v a t e p r o p e r t y )  

関 法 第 五 七 巻 六 号

のカテゴリーに属さなければならない︒しかし︑先住民の土 地への態度が︑物質的というよりむしろ土地を商品とみなさないという精神的なものであればあるほど︑裁判所に

一 五

(6)

一 五

よって︑財産的利益をもつものとみなされにくくなる︒したがって︑慣習法に基づくアプローチには︑限界がある︒

一方︑﹁コモン・ロー上の土地権﹂は︑慣習法の存在の有無にかかわらず︑先住民が住んでいた領土への主権を国王 が獲得したときに︑先住民が存在し土地を使用していた事実から導かれる︒先住民が住んでいた領土への主権を国王

( l l l )  

が獲得したときに︑先住民が存在し土地を使用していたという事実は︑ほとんど否定しえないことである︒

そこで

M c

N e

i l

は︑先住民が︑国王が主権を主張ずる以前にその土地に存在していたことや彼らがその土地を使用 していたことが﹁占有﹂になるのかを検討し︑英法が先住民に権原を付与するか否かを追求する︒

M c

N e

i l

は︑まず

次のように論じる︒すなわち︑土地への物理的影響力または支配

( p

h y

s i

c a l

p r

e s

e n

c e

n   o   o r o   c

n t

r o

l   o

v e

r   l

a n

d )

  存する事実の問題である占有と︑法律問題の結論

c ( a

o n

c l

u s

i o

n   o f   l

a w

)  

に依 である所有は区別されるが︑この一︱つは密 接に関連している︒なぜなら︑ほとんどの事例で︑占有者は所有者ともなるからである︒さらに英法では︑所有が別 の者のそれであると証明されないなら︑占有者は︑所有者であると想定される︒所有は法律問題の結論てあるので︑

法システムと離れて存在しえず︑

る意図︵通常は黙示であるが︶

したがって︑法システムを有していると知られていなかった先住民は︑国王の主権 の獲得以前に︑土地を所有していたとは言いえない︒しかし︑彼らは占有していた可能性がある︒なぜなら︑それは︑

( 1 1 2 )  

法の存在に依拠しない事実の問題であるからである︒

次に

M c

N e

i l

は︑どういった活動が占有となるか

︵したがって︑所有となるか︶ について論じる︒

M c

N e

i l

は︑英

法の基準を検討し︑以下の結論に達した︒すなわち︑占有であるためには︑そこに住んでいる者の場所

( l o c a l i t y )

や使用法

( u s

a g

e )

が重要な

( m a t e r i a l ) 基準となる︒﹁要するに︑占有は︑自己の目的のために土地を保持し使用す

( 1 1 3 )  

と一体となった︑土地の排他的物理的支配に関する事実の問題なのである﹂︒

カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o r i g i

n a l

t i t l e )

﹂に関する一考察︵ニ・完︶

︵ 一

︱ ︱

五 ︶

(7)

M c

N e

i l

は︑さらに問題となるのは先住民が占有していた﹁土地の範囲﹂であることを指摘し︑遊牧の狩猟採集者

の集団について言及する︒彼は︑現代の人類学の知見からすると︑彼らは無差別的に 放浪していたのではなく︑それどころか︑むしろ﹁しばしば精神的な結びつきを有し︑利用可能な資源に精通してい る﹂特定の地域に愛着を持っている傾向にある︑と指摘する︒そして︑

集団の構成員および近隣の集団の双方に知られているであろう︑

と言う︒このように論じ︑占有の基準を適用すると

( 1 1 4 )  

狩猟採集者の集団は土地を占有していたと解される︑と結論づけるのである︒

以上のように︑﹁土地権﹂の根拠をコモン・ローに求める

M c

N e

i l

は ︑

﹁裁判官は︑これまでにない状況に直面したときに︑新たな法を作ることができ︑そして実際にそうしている︒

コモン・ローが発展してきたのは︑まさしくこのプロセスなのである﹂︒しかし︑﹁想定される効果が先住民の土

︑ ︑

︑ ︑

地の権利を否定することになる場合には︑英国の土地法を適用できる﹂とし︑逆に︑﹁先住民の土地の権利を確

︑ ︑

︑ 立する効果を有する﹂場合には︑それが適用されないとすることは︑﹁その正当性と権威を否定することになる

( 1 1 5 )  

だ ろ

う ﹂

そ し

て ︑

M c

N e

i l

は︑﹁コモン・ロー上の土地権﹂を主張した主要な目的を次のように述べる︒すなわち︑その目 的とは︑交渉による解決のための基礎を提供することである︒なぜなら︑これまで先住民は﹁土地権﹂を主張する法 的根拠がないとみなされ︑そのために交渉において非常に不公正な扱いを受けてきたため︑それを払拭する必要が

( 1 1 6 )  

あったからである︒

n (

o m

a d

i c

  h u

n t

e r

g

a t

h e

r e

r s

)

関 法 第 五 七 巻 六 号

コモン・ローついてこう述べている︒ 一般的には︑ある集団の領土の範囲は︑当該

一 五

︵ 一

︱ ︱

六 ︶

(8)

l )  

( c

o n

v e

n t

1 o

n a

 

( l e g

a l  

r e

g i

m e

)  

のであ

コモン・ローを超えることなくしては理解されえない﹂と

B o

r r

o w

s は︑裁判所が︑これまで先住民の権利を﹁以前から存在する﹂﹁消滅していない﹂﹁慣習的な﹂﹁特殊な﹂

﹁受益的な﹂といった言葉で言い表してきたことを指摘する︒

B o

r r

o w

s によると︑これらの用語は︑決して同じ意

味ではないけれども︑﹁カナダにおける先住民の権利は︑

いうことが示唆されている︒すなわち︑裁判所が︑先住民の権利に関するカナダ法の根拠について︑別の起源を参照 してきたこと示しているのである︒これらのことから︑

B o

r r

o w

s は︑﹁カナダの裁判所は︑先住民を扱うカナダ法が

先住民の権利の内容に意味を与える際に非ヨーロッパの法に依拠する︑

( 1 1 7 )  

る﹂と述べる︒そして︑以前から存在する先住民の法体制

B o

r r

o w

s によると︑﹁特殊という概念

( c

o n

c e

p t

) g e n

e r

i s

o   d

c t

r i

n e

)  

という可能性に気づいている

( a l i

v e )

コモン・ローの理論だけを用いて先住民の権利を解釈してはならない︑

の存在ゆえに︑裁判所は︑従来の

( 1 1 8 )  

と 主

張 ず

る ︒

は︑﹃以前から存在する先住民社会﹄に見出される﹃伝統的な法 および慣習﹄そしてコモン・ローとそれらとの相互作用にその基礎を見出す﹂︒そして︑この特殊という理論

( s u i は︑先住民の視点が法に導入されることを保障するために︑司法に対して先住民の法および慣行の

( 1 1 9 )  

観念に応答することを要求する︒

た だ

し ︑

B o

r r

o w

s は︑次の点に注意を促す︒それは︑こうした差異を強調することだけではなく︑先住民と非先

住民の類似点を無視してはならない︑

というものである︒先住民と非先住民がお互いに関係性を保つ の方法を発展させ︑それがさまざまな集団間での多くの類似性を生み出してきたにもかかわらず︑差異だけに焦点を 当てることは︑国王と先住民の関係の現実を歪め︑さらには先住民の生活の現実をも歪めることになる︒特殊という

カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o r i g i

n a l

t i t l e )

﹂に関する一考察︵ニ・完︶

第二節

一 五 三

︵ 一

︱ ︱ 七 ︶

( r e l a t e )

多く

﹁土地権﹂とコモン・ローの近似性に依拠しないアプローチ

(9)

かかる問題点を便宜的に︑﹁外的チャレンジ﹂と ﹁類似性と差異を再定式化し 理論は︑差異をもちつつ生活をおくることを可能にする類似性が存在する︑

( r e f o r m u l a t e

) ︑

( 1 2 0 )  

ティと関係性を捉えるのである﹂︒

︵ 一

︱ ︱ 八 ︶ という確信を表明している︒この理論は︑

それによって当事者の︑複雑で︑重層的で︑排他的なアイデンティ B o

r r o w s のこうした主張の要点は︑先住民の視点および法を参照して︑先住民の権利を理解するというものであ る︒そして︑先住民が現代的な伝統︑慣習︑慣行および法を有しており︑

的物質的生存を保障している︑

に意味および内容を与え続け︑﹁カナダ法﹂

それらが︑民族

( p e o p l e s )

としての文化

ということが強調される︒

o B r r o w

s によると︑先住民法は︑あらゆる先住民の権利

( 1 2 1 )  

の一部を形成しており︑文化的物質的生存の諸原理を具体化している︒

こうした先住民の視点および法的諸原理が明示的に受け入れられることは︑自律的な法

( a n a u t o n o m o u s   b o d y f     o l a w ) をより堅固に確立する︒そして︑かかる自律的な法は︑先住民と非先住民の法文化を橋渡しし︑他の法的根拠 から導かれる不適切なアナロジーに対する効果的な抑制

( c h e c k )

を創りだし︑先住民の権利の法理の発展における

( 1 2 2 )  

非先住民の法の強力な影響を中和する︒

B o r r o w

s は︑それゆえに︑特殊という理論には︑

( i n t e r m i n g l e ) 必要性が含意されている︑

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

コモン・ローと先住民の諸構想

( c o n c e p t i o n s )

を混ぜ合わせる

と述べる︒そして︑こうした対称

( s y m m e t r y )

が︑先住民の差異の承認

を認める一方で︑先住民と非先住民との協働

( c o o p e r a t i o n )

( 1 2 3 )  

と主張するのである︒

および統合

( u n i t y )

と こ

ろ で

︑ B o r r o w s は︑自身の提唱する特殊という理論に重大な問題点があることを自覚している︒

B o r r o w s は ︑

﹁内的チャレンジ﹂という二つのレベルに分けて論じている︒﹁外的

関 法 第 五 七 巻 六 号

についての強い結びつきを築く︑

一 五

(10)

チャレンジ﹂とは︑﹁先住民のシステムおよび諸権利のコントロールを別の文化の法に引き渡す﹂ことに直面するこ とを示している︒そもそも︑彼の理論は︑先住民の法および視点それ自身にセンシティブではなかったコモン・ロー を批判し︑克服することを試みているにもかかわらず︑その理論は︑

( 1 2 5 )  

カナダ法との相互作用の中で︑﹁主権﹂を維持しようとする先住民にとっては︑ジレン のである︒かかる問題点は︑

( 1 2 6 )  

マ と

な る

一 五 五

コモン・ローに対する脅威ではなく︑その発展を助

コモン・ローのシステムを利用することで︑先住民の﹁主権﹂を譲渡ず ることにならないとしても︑

( 1 2 7 )  

である︒たとえば︑先住民の権利が特殊な権利とされることにより︑伝統的なコモン・ローのカテゴリーにあるもの

( 1 2 8 )  

よりも劣ったものとされる危陰がある︒

コモン・ローのシステムそれ自体の中での不利益が存在するかもしれない︑というもの

にもかかわらず︑

B o r r o w

s があえて特殊という理論を主張するのは︑先住民法が承認され︑そしてカナダが﹁再

設計﹂される可能性をこの理論に見出していることにあるように思われる︒

B o r r o w

s は︑こう述ぺる︒﹁先住民の組

( 1 2 9 )  

織および土地の占有は︑先住民法の存在に依拠するので︑先住民法は先住民の権利の根拠であ﹂り︑かかる先住民法

( l S o )  

が︑文化的物質的生存を保障している︒ただし︑特殊という理論は︑カナダを解体することを意図しているわけでは ない︒というのは︑すでに他の者が住んでいるにもかかわらず︑もし︑先住民が﹁コモン・ローおよび憲法構造を破 壊しようとするのなら︑先住民およびその諸文化に多くの害を与えてきた植民地主義のまさしくその効果を繰り返す ことになるてあろう﹂からである︒先住民は︑ただ単に︑カナダを﹁再設計﹂し︑

( 1 3 1 )  

反映させたいだけなのである︒したがって︑特殊という理論は︑

カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o r i g i n a l t i t l

e ) ﹂に関する一考察︵ニ・完︶

一方︑﹁内的チャレンジ﹂とは︑

カナダ社会における自らの地位を けるものとみなされるべきであり︑そして︑先住民と非先住民の﹁共存﹂をもたらすものと考えられるべきなのであ

︵ 一

︱ ︱ 九 ︶

コモン・ローの一部として特徴づけられている

(11)

民の協働および統合に資するものと解されている︒ き︑先住民の権利そして 第三節

英法を綿密に検討した

M c N e i l

︑ は

﹁ 土

地 権

﹂ おいてさえも矛盾することを指摘した︒彼のアプローチは︑

がいかなる主張を効果的に行うことができるのかを追求するものだろう︒

M c N e i l

の主張の一部が

D e l g a m u u k w

決により採用されたことを見ても︑彼の議論の説得力を物語っている︒

こうした

M c N e i l のアプローチからすると︑﹁土地権﹂には︑少なくとも︑

︵ べ き ︶

二︱二

0 )

の主張には法的根拠がないとする入植者の見解が︑彼らのルールに

カナダの現在の法制度および諸判例を前提にし︑先住民 は否定的になるように思われる︒なぜならば︑すでに第二章で見たように︑

ことは︑﹁土地権﹂を劣ったものとする危険性を乃子んでいるからである︒

コモン・ロー上の所有権と同等の保障 とするのは︑当然のことであろう︒したがって︑﹁土地権﹂を特殊な性質と特徴づけることに

一 方 ︑

B o r r o w s のアプローチは︑﹁士地権﹂をコモン・ローだけに根拠づけることは︑不適切あるいは不可能であ

る と

す る

︒ M c N e i l のアプローチが危惧する問題点があることを自覚しながらも︑

B o r r o w

s は特殊という理論に基づ

法に求められ︑かかる先住民法は︑民族としての文化的物質的生存を保障するものと位置づけられている︒そして︑

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

先住民と非先住民の法文化を橋渡しし︑先住民法とコモン・ローを混ぜ合わせる特殊という理論は︑先住民と非先住 が認められる ( 1 3

2 )  

る ︒

﹁士地権﹂を構成しようと試みる︒このアプローチにおいては︑﹁土地権﹂

関 法 第 五 七 巻 六 号

の根拠は先住民

コモン・ロー上の権利とは異なるという

一 五

(12)

ところで︑興味深いのは︑

ていきたい︒そして︑

いずれのアプローチにおいても︑先住民の視点を取り込まなければならないことを主張

( 1 3 3 )  

コモン・ローの﹁柔軟性﹂に依拠し︑

﹁ 土 地 権

﹂ 本章では︑第三章で概観した一︱つのアプローチを提示する論者の見解に加え︑それぞれのアプローチに当てはまる と思われる何人かの論者の見解を参照し︑第一︱章で概観したカナダ最高裁判決がどのように評価されているのかを見

かかる評価を分析し︑判例および学説の意義と課題を検討する︒

﹁ 土

地 権

﹂ l .

﹁上地権﹂とコモン・ローの近似性に依拠するアプローチ

( 1 3 4 )  

M c

N e

i l

は ︑

D e

l g

a m

u u

k w

判決以前の判例を評する中で︑﹁カナダの判例は︑土地権の根拠として先住民法と土地

う点で正しい︑ の占有とで揺れ動いていたが︑その比重は︑占有にあった﹂と指摘し︑先住民法の証明を不可欠の要件としないとい

( 1 3 5 )  

と述べていた︒

D e

l g

a m

u u

k w

判決は︑﹁土地権﹂の根拠を︑先住民の以前からの占有と︑それと先住 民法のシステムの関係に求めていたが︑

M c

N e

i l

は︑この点について以下のように解する︒

D e

l g

a m

u u

k w

判 決

は ︑

﹁コモン・ローと先住民法の関係を︑土地権の 権 を 主 張 し た と き 引 用 者

第一節

﹃ 第

二 の

根 拠

﹄ としてというより︑むしろ︑関連する時期︵国王が主 に土地を占有したか否かを決定する際に考慮に入れるべきものとみなしているように カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o

r i g i

n a l

t i t l e )

﹂に関する一考察︵ニ・完︶ ﹁特殊な﹂性質と

第四章

の検討

法などに依拠し︑先住民の視点を取り込もうとする︒ している点である︒

M c

N e

i l

に お

い て

は ︑

一 五 七

︵ 一

︱ ニ

︱ )

一 方

︑ B

o r

r o

w s

に お

い て

は ︑

先 住

(13)

こうした評価は︑﹁土地権﹂の根拠を英法そして先住民の以前からの占有に求める彼のアプローチと一貰している

だ ろ

う ︒

M c

N e

i l

は︑このアプローチを採る理由を次のように述べる︒すなわち︑いったん占有が証明されると︑﹁土地権﹂

( 1 3 7 )  

は︑先住民ごとに異ならない﹁包括的権利

e n ( g

e r i c

r i g h

t ) ﹂として存在する︒これに対し︑﹁土地権﹂の根拠を先住

( 1 3 8 )  

民法に求めた場合︑それには︑非先住民の裁判官が承認しうるプロパティの概念が含まれていない可能性があるし︑

先住民法ごとに内容が異なるため︑ある先住民には﹁土地権﹂が認められないかもしれない︒また︑

以前から存在する先住民法の関係は︑﹁土地権﹂が国王の主権とともに生じることからすると︑継続的なもの

g o

i n

g   o

n e )  

であり︑そこでのコモン・ローの役割は︑﹁土地権﹂を﹁国王および第一二者に対抗するものとして定義し 保障することにある﹂︒したがって︑内在的制約が課する士地使用の制限の違いは別として︑﹁土地権﹂の存在自体は 先住民ごとに異なるものではない︒さらには︑﹁権原﹂を決定するために先住民法の実体に依拠することは︑非先住

( 1 4 1 )  

民の裁判官がその法を解釈適用することで︑先住民の文化を破壊するという結果を招くかもしれない︒こうした理由

( 1 4 2 )  

からすると︑先住民法は︑構成員間の土地の権利を統治するために︑各先住民の中で適用されるべきものなのである︒

ま た

M c

N e

i l

は︑先住民にとって

D e

l g

a m

u u

k w

判決のもっとも重要な側面は︑﹁土地権﹂の内容を扱っている部分

( 1 4 3 )  

である︑と主張する︒

D e

l g

a m

u u

k w

判決以前において︑判例は︑﹁土地権﹂が﹁財産的利益と対等な足場にない﹂と の見解を否定してきたが︑﹁土地権﹂

したのであるが︑問題となるのはその中身である︒

M c

N e

i l

は︑同判決の﹁土地権﹂の内容に関する判示をこう評価

関 法 第 五 七 巻 六 号

( 1 3 6 )  

思 わ

れ る

﹂ ︒

の内容を明らかにしてきていなかった︒

D e

l g

a m

u u

k w

判決はこの点を明らかに

五 一 八

︵ 一 ︱ ニ

︱ ‑ ︶

( o n   , 

コモン・ローと

(14)

ずる個別の権利

( s p e c i f i c r i g h t s )  

す る

︒ こ ま

' " 冒

﹃ ' り

す な

わ ち

﹁ 土

地 権

D e l g a m u u w k

判 決

は ︑

﹁ 土

地 権

の 内

容 を

で あ

る ﹂

も︑土地権は﹃土地におけるひとつの利益﹄

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

﹁土地の排他的使用および占有の権利が含まれる﹂

と し

︑ 上特殊であるけれども︑不動産の権利

( r e a l

p r

o p

e r

t y

i g   r h t )  

さ ら

に は

﹁コモン・ロー上の他の不動産の利益と異なるけれど

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

﹁土地への権利それ自体﹂である﹁土地権﹂

と述べた

一 五 九

︵ 強

調 は

M c

N e

i l

) ︒そして︑﹁土地権﹂は︑﹁性質

( 1 4 4 )  

であることをはっきりと示した﹂のである︒なぜなら︑

﹁排他性はプロパティのひとつの属性であり︑土地権のこの側面は︑その財産的な性質を確認している﹂ことを示し

( 1 4 5 )  

ているからである︒そして︑かつての土地の使用方法に決して限定しないことは︑

さらには﹁非差別

( n

o n

' d i

s c

r i

m i

n a

t i

o n

) ﹂の基準に一致する︒なぜなら︑占有および使用に基づき先住民に付与され

る土地の利益は︑非先住民が同じ基準で付与される利益に匹敵しているからである︒

の不可譲性が︑その特殊な性質を表しているということは︑判例が一貰して示してきたところである︒

この点について

M c

N e

i l

は︑土地権は不可譲であるという意味において﹁人的﹂

( 1 4 7 )  

の財産権としての地位を決して損なうものではないと主張する︒

このように

M c

N e

i l

は︑判例が示してぎた特殊な性質が︑﹁土地権﹂

であるが︑このことは︑﹁土地権﹂

の財産的性質を否定しないことを強調する︒

彼のアプローチからすると︑﹁土地権﹂が特殊な性質を有するがゆえに︑非先住民の土地の利益に比べて劣ったもの とされうる危険性があるので︑財産的利益の価値が減じられることに格段の注意が払われなければならない︒

こ の

点 に

関 し

B r

i a

n D o n o v a n

は︑特殊という概念は︑﹁土地権﹂

の内容を所有権から特定の限られた活動を遂行 へと切り下げるものだとし︑痛烈に批判する︒

D o n o v a

n によると︑この概念は︑

先例等に見出すことができず︑裁判所が創造した根拠のないものである︒そして︑不動産法の原理の適用を避け︑結

カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o r i g i

n a l

t i t l e )

﹂に関する一考察︵ニ・完︶

︵ ︱

‑ 三 二 ︶

コモン・ローの諸原理に一致し︑

(15)

局は︑﹁士地権﹂に無限定の制約を課することになり︑先住民の土地の経済的商業的価値を減じることになる︒した

( 1 4 8 )  

が っ

て ︑

D o n o v a

n からすると︑特殊という概念は︑まったく無益かつ有害なものと評価されるべきものなのである︒

﹁土地権﹂が財産的利益であるとする際に重要になると思われるのは︑﹁排他的占有﹂の概念についてである︒

( 1 4 9 )  

B r i a n   B u r k e は ︑ M a r s h a l l ¥  B e r n a r

d 判決が出される前の論考において︑遊牧民の﹁土地権﹂を検討する中で︑次の

( 1 5 0 )  

ように指摘していた︒最高裁は︑季節や変わりゆく環境とともに移動する遊牧民の独自の文化にとって土地が中心的 な重要性を有するとは考えておらず︑遊牧民は﹁土地権﹂を主張することができないと考えているようである︒しか

し︑たとえば

M i c m c a

のような遊牧民は︑人類学の証拠が示すように︑

は季節ごとに同じキャンプ地に戻ってくるのであり︑おおよそ固定的な

︵ ︱

‑ ︱

‑ 四

でたらめに移動しているのではない︒彼ら

B u r k e の議論からすると︑遊牧民に﹁土地権﹂が認められる可能性もありうる︒

B u r k

e が言及している

M c N e i l

( 1 5 1 )  

議論でも︑そのように解されていた︒しかし︑

B u r k

e は︑判例の﹁排他的占有﹂のテストを検討した結果︑判例が遊

牧民に﹁土地権﹂を認める可能性が非常に薄いという結論に達する︒

B u r k

e によると︑判例の言う﹁排他的占有﹂

( 1 5 2 )  

は西欧的概念に基づいており︑これを解消するには︑どのように先住民の視点を裁判所が認めるかに依存するが︑

( 1 5 3 )  

D e l g a m u u k w

判決を見る限り︑こうした望みは薄い︒

し か

し ︑

e D l g a m u u k w

判決および

M a s r h a l l ¥  B e r n a r d 判

は 決

︑ M c N e i l

の見解を参照していた︒こうした判例が︑

M c N e i l

の主張と逆の結論を導き出した要因としてまず考えられるのは︑

B u r k

e が指摘するように︑﹁排他的占有﹂

の捉え方の違いにあるだろう︒ここで参考となるのは︑

M c N e i l

D e l g a m u u k w

判決の次の説示の意義を論じてい

る点である︒すなわち︑

D e l g a m u u k w

判 決

は ︑

﹁ 土

地 権

関 法 第 五 七 巻 六 号

の二つの根拠に﹁内在的制約﹂を結びつけ︑当該土地と先 (static)~IH 介の中で移動しているのである。

一 六

(16)

だ か

ら こ

そ ︑

M c N e i l は︑判例を批評する中で︑

チは︑英法に基づいて

一 六

コモン・ローの﹁柔軟性﹂はどこまで︑

コモン・ローの﹁柔軟性﹂ゆえに︑

住民との特別な関係を維持する重要性を強調した︒

M c N e i l によると︑これは︑﹁土地との儀式的文化的関係の証拠 や狩猟地としての土地の使用の証拠が︑土地権を確立するのに十分なものとなりうる﹂ことを示していな︒そして︑

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

この﹁占有は︑ヨーロッパ人の基準によるのではなく︑当該先住民社会および当該先住民の土地の使用方法を参照す

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

C 1 5 )

ることによって評価される﹂︵強調は引用者︶︒

﹁先住民の視点とコモン・ローの視点に等しい重み﹂を置かなければならないと判示してきた︒

M a

r s

h a

l l

  ¥  B

e r

n a

r d

判決は︑この点を強調しながらも︑﹁排他的占有﹂の概念が﹁コモン・ロー上の権利の核となる概

( 1 5 6 )  

念﹂であることを示唆していたことが注目される︒同判決の論理からすると︑遊牧民の土地の使用方法は︑﹁排他的 占有﹂︑すなわち︑﹁コモン・ロー上の権利の核となる概念﹂に一致せず︑

( 1 5 7 )  

いうことになると考えられる︒

したがって

こうして見ると︑

M c

N e

i l

のアプローチの問題点が現れているように思われる︒繰り返しになるが︑彼のアプロー

﹁土地権﹂が認められなげれば︑それは英法それ自体において矛盾するというものであった︒

コモン・ロー原理およびこれまで広く受容されてきている非差別の 基準に依拠し︑それに合致しているか否かを問いただすことができた︒さらに︑

先住民の視点を取り込むことが可能であることが示唆されていた︒しかし︑

そしてどのように及びうるのかは︑不確かなものである︒また︑先住民の視点を考慮するには︑何に依拠してそうし

( 1 5 8 )  

うるのか︑そして︑なぜそれに依拠することができるかの根拠が問われなければならないだろう︒遊牧民に﹁土地 権﹂が認められるか否かという文脈の中で︑これらの問題点が顕在化しているのではないだろうか︒さらには︑

カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o r i g i

n a l

t i t l e )

﹂に関する一考察︵ニ・完︶

判 例

も ︑

︵ 一

︱ 二 五 ︶

﹁上地権﹂は認められない︑と

(17)

M c N e i l のアプローチにおいても︑﹁土地権﹂

( 1 5 9 )  

義を見出していることが注目される︒

の享有主体が﹁集団﹂である点については︑特殊という理論に一定の意

﹁土地権﹂とコモン・ローの近似性に依拠しないアプローチ

( 1 6 0 )

1 6 1 )  

B o r r o w s は ︑ V a n d e r   P e e t 判決およびそれを踏襲した

D e g l a m u u k w 判決が︑先住民の権利はコモン・ローの視点 と先住民の視点のどちらか一方だけを参照することによっては︑完全には説明されえないと判示していた点を指摘し︑

この判示の本質は︑﹁先住民の文化と非先住民の文化を橋渡しすることにあ﹂り︑それぞれの文化の調和を図ろうと

し た

︑ と解する︒そして︑

D e l g a m u u w k 判決が︑他の先住民としての権利と同様に﹁土地権﹂においても︑先住民 の視点とコモン・ローの視点の双方を参照して理解されなければならないとしたことは︑

の自らを組織化するシステムに法的承認および効力

( f o r c e s ) を与えたものである︑と主張ずる︒

B o r r o w s に

よ る

と ︑

先住民の組織および土地の占有は先住民法に依拠しているので︑これらの法は先住民の権利の根拠となる︒士地にお ける特殊な利益が先住民法にルーツを持つという事実は︑これらの法が先住民の権利の現代的意味の一部を形成しな

( 1 6 2 )  

と さ

れ る

︒ ければならないことを意味する︑

こうした

B o r r o w s のアプローチに類似する主張をする論者として︑

J a m e s ( S a k e j )   Y o u n g b l o o d   H n e d e r s o n

( 1 6 たちが

3 )  

いる︒彼らにとって︑﹁土地権﹂は︑英国の土地法ではなく︑先住民の世界観や先住民法に由来するものである︒先

( 1 6 4 )  

住民法は﹁土地権﹂の根拠および内容であり︑﹁土地権﹂は単純不動産権の所有権と同一視されないものであるとさ

( 1 6 5 )  

れる︒彼らにとって︑﹁土地権﹂を英国コモン・ローに基礎づけることは同化を意味し︑許されない︒先住民の権利

関 法 第 五 七 巻 六 号

一 六 ファースト・ネーションズ

︵ 一

︱ 二

六 ︶

(18)

一 六

アイデンティティの構成要

の特殊な性質は︑こうした同化や﹁土地権﹂および先住民としての権利を平等に尊重してこなかったことに対する司

( 1 6 6 )  

法上の救済だと主張するのである︒

H e

n d

e r

s o

n ら

は ︑

D e l g a m u u k w 判決について次のような評価を加える︒すなわち︑過去に裁判所は︑﹁先住民の土 地領有態様

( a

b o

r i

g i

n a l

t e

n u

r e

) を英国の上地保有条件

( t e n u r e ) および不動産権の分類に押し込めまたは統合し︑

それにより国王の土地保有条件を︑先住民の土地領有態様を従属させる合一的

( t o t a l i z i n g )

( 1 6 7 )  

ション﹂としようと試みてきたが︑同判決はそれを拒絶した︒そして︑﹁先住民の土地領有態様はコモン・ロー上の

( 1 6 8 )  

承認からカナダ憲法の一部に変容していると判示した﹂︑と解するのである︒また︑彼らは︑裁判所は︑先住民の視 点から﹁土地権﹂を理解ずる場合にだけ︑﹁国王の土地保有条件およびコモン・ローの視点と先住民の土地領有態様

( 1 6 9 )  

の関係の決定に着手することができる﹂と主張する︒

P a

t r

i c k   M a c k l e

m は︑裁判所が﹁土地権﹂を特殊な利益と特徴づけ︑非先住民の権原よりも劣るレベルでの保障を

してきたと批判するが︑﹁土地権﹂をコモン・ロー上の権利であるとすることにも批判的である︒なぜなら︑﹁土地 権﹂がコモン・ローの文言で形成されるとぎ︑先住民の領土の利益は民族的

( n a t i o n a l ) 素としてではなく︑単に所有権に近似するものと理解されるからてある︒

M a c k l e

m によると︑﹁先住民の領土の利益

( 1 7 0 )  

をコモン・ローが承認することは︑かかる利益の特質を捉えそこなう﹂ことになる︒

これら諸見解を評価するにあたって重要だと思われるのは︑オーラル・ヒストリーの位置づけである︒

D e

l g

,  a

m u u k

判決およびそれを踏襲した w

M a

r s

h a

l l

¥  B

e r

n a

r d

判測は︑先住民の権利が特殊であることから︑証拠の採用に あたり独特なアプローチが必要とされるとし︑

オーラル・ヒストリーを証拠として採用した︒

カナダ憲法における先住民の﹁土地権

( a b o r i g i

n a l

t i t l e )

﹂に関する一考察︵ニ・完︶

で普遍的な法的フィク

︵ 一

︱ ︱

一 七

(19)

の視点の

︵破壊しないけれども︶緊張させることに

B o r r o w s は︑先住民の証拠採用に関する別異取り扱いは︑特殊な性質により正当化されており︑先住民の視点に

正当な重み

( d u e   w e i g h t ) を与えたものだと解し︑こうした先住民の視点とコモン・ローの視点との調和は︑先住民 の文化と非先住民の文化との差異を橋渡しする諸原理における重要な発展であると評価する︒しかし︑それと同時に︑

これは新たな挑戦を創り出していると指摘する︒というのは︑

D e l g a m u u k w

判 決

は ︑

﹁調和﹂は﹁カナダの法構造および憲法構造を緊張させる﹂方法でなされてはならない︑と判示していたが︑

オーラル・ヒストリーは︑﹁おそらく︑

なるだろう﹂

う︒そして︑

カナダの法構造および憲法構造を

からである︒

B o r r o w s

に よ

る と

︑ 造のまさにその核心を問題にし︑潜在的に︑

オーラル・ピストリーは︑時として︑

カナダ法の正当性を掘り崩し︑

カナダの法構造および憲法構

カナダ法の排他性を緊張させることにな る︒こうした難題を﹁承認しそこなうことは︑先住民のオーラル・ピストリーの性質および諸目的を誤解﹂してしま

カナダの法構造および憲法構造を潜在的に緊張させる場合にオーラル・ヒストリーを否定することは︑

それを他の史的法的方法論

( h i s t o r i l c a a n d   l e g a l   m e t h o d l o o g i e s )   M a

r s h a l l   ¥  B e r n a r d

判 決

は ︑

関 法 第 五 七 巻 六 号

に従属させることになり︑また︑

トリーの取扱いを誤るならば︑﹁多くの先住民コミュニティの法構造および憲法構造を緊張させる﹂ことになるので

( 1 7 2 )  

あ る

オーラル・ヒストリーを証拠採用する際に︑﹁有用性﹂と

オーラル・ヒス

﹁合理的信頼性﹂の状況を尊

( 1 7 3 )  

重しなければならないと述べていたが︑この判示が︑

B o r r o w s の見解に配慮したものであるかは疑わしい︒そして︑

﹁土地権﹂をめぐる過去の判例に比ぺると︑

M a r s h a l l ¥  B e r n a r

d 判決はコモン・ローにより大きく依拠しているとい

( 1 7 4 )  

W i l l i a m R .  

M c K a y の指摘に鑑みると︑

M c N e i l らの議論の問題点が現れているとともに︑

o B r r o w

s 自身が危惧し コモン・ローの視点と先住民

︱ ︵

‑ ︱

‑ 八

(20)

ていた特殊という理論の難点が現実化していると評することが出来るだろう︒

しかしながら︑

B o

r r

o w

s はもちろんのこと︑﹁﹃土地権﹄

る論者たちは︑おそらくは︑こうした難点の存在を共有していたであろう︒にもかかわらず︑彼らが﹁土地権﹂が特 殊であることを強調するのは︑﹁﹃土地権﹄とコモン・ローの近似性に依拠するアプローチ﹂のように︑

のある意味での﹁普遍性﹂を前提とすることは︑結果として︑これまでの裁判闘争により︑先住民がその﹁独自性﹂

を何らかの形で認めさせてきたことの意味を減じることになるからではないだろうか︒また︑このようなアプローチ には︑非先住民社会の﹁価値観﹂を揺るがす効果を期待できないし︑むしろそれどころか︑それを強固にしてしまう 危険性があると批判されるかもしれない

こ の

よ う

に 考

え る

と ︑

﹁ ﹃

土 地

権 ﹄

かるアプローチが強調する﹁権原﹂に込められた意味こそが︑先住民が﹁土地権﹂をめぐる訴訟に懸けていたもので

周 知

の 通

り ︑

第二節判例における﹁先住民﹂観 あるように思われる︒ 依拠するアプローチは︑

一 六 五

とコモン・ローの近似性に依拠しないアプローチ﹂を採

コモン・ロー

とコモン・ローの近似性に依拠しないアプローチ﹂すなわち︑特殊という理論に コモン・ローでは捉えきれないものを汲み取ろうとするものだと言えるだろう︒そして︑か カナダに限らず︑先住民は﹁原始的﹂﹁野蛮﹂﹁未開﹂などと見なされ︑こうした﹁先住民﹂観に基づ

き︵あるいは︑こうした口実に基づき︶︑多かれ少なかれ︑法主体性を否定されてきた︒現在では︑

カナダの判例の 中で︑こうしたことが正面から主張されることはない︒先住民の権利が憲法上の権利とされ︑また︑﹁土地請求協定

カナダ憲法における先住民の﹁士地権

( a b o r i g i

n a l

t i t l e )

﹂ に 関 す る 一

考 察

( ︱ 一 ・ 完 ︶

︵ 一

︱ 二

九 ︶

(21)

︵ ︱

‑ 三

0 )

第 五 七 巻 六 号 ( l a n c d   l a m i s   a g r

e e m e n t s )

﹂が先住民とカナダ政府の間で結ばれていること等からすると︑ある意味では当然のこと なのかもしれない︒しかし︑だからといって︑先住民が非先住民と対等な法主体であり︑﹁カナダ﹂を形成する対等 なパートナーであることが法的に承認されている︑と考えることは︑早急であるように思われる︒

本節は︑第一︱章で見たカナダ最高裁判決が︑どのような﹁先住民﹂観を有しているのかを諸学説を参照しながら探

( 1 7 7 )  

り︑かつて言われていた﹁先住民﹂観と現在のそれとの距離を測りたい︒結論を先に言うならば︑﹁土地権﹂に関し

( 1 7 8 )

1 7 9 )

 

てどのようなアプローチを採るかにかかわらず︑判例の﹁先住民﹂観が問題視されている︒

( 1 8 0 )  

M c N e i l は ︑ D e l g a m u u k w 判決が示した﹁土地権﹂の﹁内在的制約﹂を︑かつての判例にも︑また︑コモン・ロー

( 1 8 1 )  

一般においても見出すことの出来ないものであると指摘し︑先住民を﹁過去の囚人﹂とする危険性があると主張する︒

なぜなら︑こうした﹁パターナリズム﹂は︑﹁先住民コミュニティが︑動的な文化的政治的統一体として栄えるため

( 1 8 2 )  

に必要である自律を破壊するからである﹂︒

M c N e i l によると︑このように土地に関する先住民の決定権を制限する ことは︑彼らが持続可能で自足的なコミュニティであるために必要な一種の経済的発展に着手する能力を掘り崩すこ とになる︒さらには︑これは︑先住民が土地との特別な関係を維持する適切な行動をとることが出来ない︑

( 1 8 3 )  

るつもりがない︑との見解を示している︒

o B r r o w s は︑判例の言う内在的制約は︑国王の基底的権原に﹁土地権﹂を服させるという国王と先住民の封建関 係を証明していると主張する︒なぜなら︑先住民が一定の﹁非先住民的な﹂目的で土地を使用することを望む場合に︑

国王に土地を譲渡することを強いており︑これは︑﹁主権という暗黙の魔力

( u n s o p k e n h e x ) が︑国王を︑先住民の

( 1 8 4 )  

土地を受け取り再設計する地位に位置づけている﹂ことを示しているからてある︒また︑﹁土地権﹂の内容を︑結局

関法

一 六 六

またはと

(22)

( 1 8 5 )  

のところ﹁伝統的な﹂活動を参照して定義していることは︑﹁土地権﹂を劣った利益としていると批判する︒

( 1 8 6 )

1 8 7 )  

ま た

︑ D e l g a m u u k w

判 決

は ︑

S p a r r o

w 判決および

G l a d s t o n

e 判決に依拠し︑﹁土地権﹂の侵害を正当化しうる広範

な立法目的を挙げていた︒

M c N e i l は︑こうした目的は︑狩猟採集者に対する農耕者の優位性を根拠に︑先住民の上 地を奪うことが出来るとした︑

ヨーロッパの植民地主義の全盛期における正当化と非常に類似している︑と指摘する︒

さらに︑憲法で先住民の権利が保障された今日においても︑﹁土地権の神聖さ 題の重大さを説き︑こうした正当化は︑憲法上の権利とされることの価値や目的をないがしろにするものだと強く批

( 1 8 8 )  

判するのである︒

M a c k l e m は ︑ D e l g a m u u k w 判決の挙げた正当化根拠は︑

一 六 七

一九八二年憲法第三五条一項の目的を見誤っており︑最 高裁が述べてきた﹁調和﹂を打ち負かすものであると批判する︒第三五条一項の目的は︑先住民の差異と結びついた

( 1 8 9 )  

利益に憲法上の保護を与えることにあり︑最高裁はそうした諸利益を考慮し損なっていると断じる︒

こうした諸見解を見てみると︑最高裁が先住民を﹁対等なパートナー﹂とみなしているかが︑非常に疑わしくなっ てくる︒確かに︑近年︑先住民とカナダ政府との間で︑さまざまな交渉が行われているが︑それが単なるその場しの ぎの﹁懐柔策﹂あるいは﹁恩恵﹂であるならば︑先住民の地位および権利の位置づけは︑実質的に︑

( 1 9 1 )  

制定前とそれほど変化のないものと見なされよう︒

第三節

一九八二年憲法

本章では︑第一二章で紹介・検討した各アプローチが︑第二章で挙げた判例をどのように評価しているのかを見てい

カ ナ

ダ 憲

法 に

お け

る 先

住 民

の ﹁

土 地

権 ( a b o r i g i n a l t i t l e )

﹂ に

関 す

る 一

考 察

︵ 一

了 完

︵ 一 ︱ ︱

︱ ︱ ‑ ︶

( s a n c t i t

y ) ﹂を無視していることの問

(23)

権﹂を語るのか︑という違いである︒ ら批判を浴びている︒

判 例

は ︑

ることを考えると︑まだ多くの課題が残されている︒

一 方

B o

r r

o w

s のアプローチは︑先住民法に依拠した上で

張てき︑それゆえに︑先住民ごとに異ならない

コモン・ローに依拠す

三 ‑ 二 ︶ き︑それぞれのアプローチおよび判例の意義と問題点を明らかにした︒すなわち︑

M c N e i l のアプローチの利点は︑

﹁土地権﹂の根拠を英法における占有に求め︑非先住民の裁判所による先住民法の内容の審査なしに﹁土地権﹂を主

﹁包括的権利﹂を主張できることにあった︒しかし︑﹁士地権﹂の享 有主体を﹁集団﹂とすることや︑先住民の視点を考慮ずべきとする際の理由づけを考えると︑

るだけでは︑説明しきれないのではないかということ指摘した︒

うる可能性を有している︒ただし︑これに対しては︑本章で述べてきたように︑

M c N e i l らの指摘する問題点がある︒

しかしながら︑彼のアプローチは︑先住民が﹁土地権﹂︑

﹁土地権﹂を論じているため︑こうした難点を回避し つまり︑﹁権原﹂を主張する理由を示唆しているように思わ

れる︒とはいえ︑

M c N e i l らの危惧にも十分な理由があり︑また︑

B o

r r

o w

s のアプローチは大きな危険性を抱えてい コモン・ローの視点と先住民の視点の双方に等しい重みを置くことを強調してきたが︑最近になり︑先住

民の慣行が﹁コモン・ロー上の権利の核となる概念﹂に一致することを要求した︒この判示は︑双方のアプローチか これまで見てきた二つのアプローチの違いは︑

オーラル・ヒストリーの認定において︑判例が﹁カナダの法構造お よび憲法構造を緊張させてはならない﹂としたことへの評価に現れるようにも思われる︒すなわち︑

および憲法構造を緊張させることを自覚した上で︑﹁土地権﹂を語るのか︑あるいはそれらを緊張させずに︑﹁土地

関 法 第 五 七 巻 六 号

一 六 八

カナダの法構造

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