ヨアヒムとヴァイオリン協奏曲
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(2) フは編集者に書き送っている。 ﹁細 lllllllllllllllllll か い 箇 所 に つ い て、 私 は 彼 の 提 案 ブラームス︽ヴァイオリンと をありがたく受けとめ一部を使っ チェロのための二重協奏曲 た。しかし一部に過ぎない﹂ 作品 イ短調︾ 作品は1867年 月、ヨアヒ ヨアヒムとブラームスの交友は ム独奏で再演され、翌 年出版に 終生続いたが、1880年代、一 際してヨアヒムに献呈された。 時的に気まずくなったことがあ る。それは、ヨアヒムが妻アマー lllllllllllllllllll リ エ と 出 版 者、 フ リ ッ ツ・ ジ ム ロックの仲を嫉妬して離婚に至っ た際、ブラームスがアマーリエを 弁護する側についたためと言われ ている。しかし、ブラームスの音 楽に対するヨアヒムの評価が変わ ることはなかった。ブラームスも またヨアヒムとの関係改善を願い、 当初5番目の交響曲として構想し ていた音楽をヴァイオリンとチェ ロ の 二 重 協 奏 曲 と し て 完 成 さ せ た。 1887年9月 ∼ 日、クララ・ シューマン宅でヨアヒム︵ヴァイ オ リ ン ︶、 ロ ベ ル ト・ ハ ウ ス マ ン ︵ チ ェ ロ ︶、 ブ ラ ー ム ス︵ ピ ア ノ ︶ により私的初演。同じソリストに よ る 公 開 初 演︵ 指 揮 ブ ラ ー ム ス ︶ は1887年 月 日、ケルンで 行 わ れ た。 楽 譜 は 当 然 ヨ ア ヒ ム に 献呈された。ヨアヒムはヴァイオ リン協奏曲よりこちらを好んだと 言われる。 ヨアヒムに献呈された曲は他に も多いが、献呈されたにもかかわ らず生涯演奏しなかった作品が二 つある。ドヴォルザークとシュー 14. 102. 22. 15. 77. 84. マンのヴァイオリン協奏曲である。. 初演は実現しなかった。シューマ ンの死後、クララ・シューマンと ヨアヒムは、この曲には病気から くる翳りが出ていて聴衆を満足さ せ る も の で は な い と 判 断 し た。 ク ララはシューマンの自筆譜をヨア ヒムに託し、ヨアヒムの死後、そ の楽譜はプロイセン国立図書館に 預 け ら れ た。 ヨ ア ヒ ム の 遺 言 に は﹁ こ の 協 奏 曲 は 作 曲 家 の 死 後、 一〇〇年を経てはじめて上演を 許可する﹂と書かれていた。この 作品が初演されたのは、作曲され てから実に 年後の1937年 月 日 の こ と で あ る。 ヨ ア ヒ ム の 遠 縁 に あ た る ヴ ァ イ オ リ ニス ト、 イ ェ リ ー・ ア ラ ニ︵ 1 8 9 3 ∼ 1966 ︶ が 心 霊 術 の 力 を 借 り てこの楽譜を探し当てた話も興味 深いが、これはまた別の機会に譲 ろう。. 26. 現在、庄司紗矢香の弾くストラ ディヴァリウスは、ヨアヒムが所 有していた1715年製ストラ ディヴァリウス五挺のうちの一つ で、 ﹁ヨアヒム﹂と命名されている。 イェリー・アラニの姉、アディラ・ アラニ︵1868∼1962︶に 遺贈されたため﹁ヨアヒム=アラ ニ﹂とも呼ばれる。. 11. lllllllllllllllllll. ドヴォルザーク︽ヴァイオリン 協奏曲 作品 イ短調︾ ドヴォルザークの室内楽を初演 して彼を高く評価したヨアヒム は、ヴァイオリン協奏曲の作曲を 依頼する。1879年7月、ドヴォ ルザークは作曲に専念し、9月に は第一稿をヨアヒムに送る。翌年 5 月、 ヨ ア ヒ ム の 提 案 に 従 っ て 第 二 稿 を 完 成 さ せ た 後、 さ ら に 1882年、大幅な改訂が為され、 月にはヨアヒムのヴァイオリン 演奏によりベルリンでリハーサル が行われた。しかし、なぜかその 本番はなかった。 この曲の初演は、1883年 月 日、 チ ェ コ の ヴ ァ イ オ リ ニ ス ト、 オ ン ド ジ ー チ ェ ク に よ り プラハで行われた。同年 月には ウ ィ ー ン・ フ ィ ル ハ ー モ ニ ー も こ れ を 演 奏 し た が、 ヨ ア ヒ ム が こ の 作品を演奏することは一度もな かった。 11. 12. 53. 10 lllllllllllllllllll. 14. シューマン︽ヴァイオリン 協奏曲 ニ短調 遺作︾ こ の 協 奏 曲 は、 本 来 な ら 1853年にヨアヒム独奏、シュー マン指揮で初演されるはずだった。 しかしオーケストラの準備が不十 分だったことと、シューマンの病 気が悪化したことが原因で、この. 。. 芸術劇場 庄司紗矢香 。次 協奏曲 聴. 2005 年 11月、 他) 聴. (. 3. 21. 10. 10. 68. ブラームス︽ヴァイオリン 協奏曲 作品 ニ長調︾ ブラームスはヴァイオリン協 奏曲を1878年7月頃書き始 め、8月 日には第一楽章の独奏 ヴァイオリン・パートをヨアヒム に送って、批評を求めている。こ の作品をめぐってブラームスとヨ アヒムが交わした緊密なやりとり が書簡集に残されており、ブラー ム ス の 自 筆 譜 に、 ヨ ア ヒ ム は 力 をこめた筆致で書き込みを入れ ている︵ファクシミル版を展示︶。 1879年1月1日、ライプツィ ヒでブラームス指揮、ゲヴァント ハウス管弦楽団、ヨアヒム独奏に よ り 初 演 さ れ、 日 に ウ ィ ー ン、 翌2月にはロンドンでもヨアヒム のソロで演奏された。楽譜出版は 同年秋で、ヨアヒムに献呈されて いる。この曲は現在、ベートーヴェ ン、メンデルスゾーンと並んで三 大ヴァイオリン協奏曲の一つに数 えられているが、発表当時は厳し い批判にさらされた。 21.
(3) ヨアヒム年譜 1827. ベートーヴェン没. 1831. 誕生(6月28日 ハンガリー キットゼー). 1833. 一家 ペスト(現ブダペスト)へ移る. 1838 1839. ブダペストでデビュー ウィーンへ移る. 1841. ウィーンでヨーゼフ・ベームに師事. 1843. ライプツィヒでメンデルスゾーンに会う ライプツィヒ音楽院創設. 1844. ロンドンでベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」を演奏 メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」作曲. 1847 1848. ドヴォルザーク誕生. メンデルスゾーン没 「アンダンティーノとアレグロ・スケルツォーゾ作品1」作曲. 1850. リストに招かれ ワイマール宮廷オーケストラのコンサートマスター就任. 1853. ゲオルグ5世に招かれ ハノーヴァーへ移る ブラームスに会う この頃ゲッティンゲン大学で学ぶ シューマン「ヴァイオリン協奏曲」作曲. 1854. シューマンの「交響曲第4番」を指揮. 1856 1857. ブラームス誕生 ブルッフ誕生. マルクス「共産党宣言」. クリミヤ戦争終わる シューマン没 ロンドン・ポピュラーコンサート始まる 「ハンガリー協奏曲」完成. 1859. ブラームスの「ピアノ協奏曲」初演で指揮(ピアノ=ブラームス). 1861. ウィーンで18年ぶりの演奏会 . 1863. アマーリエ・ヴァイスと結婚 L. アウアーがヨアヒムに師事. 南北戦争はじまる (米). 1864. 第1子 ヨハネス誕生. 1866. ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」作曲 第2子 ヘルマン誕生. プロシャ・オーストリア戦争. 1868. ベルリンへ移る 第3子 マリー誕生. 明治維新(日本). 1869. ベルリン高等音楽学校初代校長就任 第4子 ヨーゼフ誕生 ヨアヒム四重奏団結成. 1870. プロシャ・フランス戦争 イタリア統一. 1871. フバイがヨアヒムに師事. 1877. ケンブリッジ大学より音楽名誉博士号授与 第5子 パウル誕生. 1878. ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」作曲. 1879. ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」初演 . 1880. ドヴォルザーク「ヴァイオリン協奏曲」第2校完成. 1881. 第6子 エリザベート誕生. 1882. ベルリン・フィルハーモニー創設. 1884. アマーリエと離婚. 1887. グラスゴー大学より名誉文学博士号授与 ブラームス「ヴァイオリンとチェロ二重協奏曲」作曲. 1888. オックスフォード大学より名誉音楽博士号授与. 1889. ベルリンで「デビュー 50周年記念式典」. 1891. ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第3番 ニ短調」初演. 1897 1898. ドイツ帝国成立. エッフェル塔建設 ブラームス没. モーザー「ヨーゼフ・ヨアヒム」を出版. 1899. ベルリンで「デビュー 60周年記念式典」. 1902. ヨアヒム=モーザー「ヴァイオリン教本」第1巻. ヴィクトリア女王没(英). 1904. イギリスで「ヨアヒム・英国デビュー 60周年記念式典」. ドヴォルザーク没 日露戦争. 1907. 没(8月15日 ベルリン) . 1908. モーザー 「ヨーゼフ・ヨアヒム 第2版」を出版. 1912. 「ヨーゼフ・ヨアヒム書簡集」第1巻出版. 4.
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