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ヨアヒムとヴァイオリン協奏曲

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Academic year: 2021

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(1)ピ ー プ ル ・ ぴ ー ぷ る 27. Joseph Joachim (1831 ∼ 1907). ヨアヒムと ヴァイオリン協奏曲. 伊藤 陽子. いては、今月の図書館テーマ展示 今年はヨーゼフ・ヨアヒム没後 を見ていただきたい。ここではヨ 一〇〇年にあたる。現在では主に アヒムがかかわった七つのヴァイ ベートーヴェン、ブラームス等の オリン協奏曲について紹介しよう。 ヴァイオリン協奏曲カデンツァの 作者として知られるが、 世紀後 lllllllllllllllllll 半、 ヨ ア ヒ ム は ヨ ー ロ ッ パ で 最 も ベートーヴェン︽ヴァイオリン 偉大な演奏家︵ヴァイオリニスト・ 協奏曲   作品   ニ長調︾ 指 揮 者 ︶、 作 曲 家、 教 育 者 と し て 歳の誕生日を間近に控えた少 絶大な人気を博していた。 年ヨアヒムは、1841年5月 幼い頃から神童ヴァイオリ 日、ロンドンのフィルハーモニッ ニ ス ト の 誉 れ 高 い ヨ ア ヒ ム は、 ク・ソサエティーでこの曲を演奏 1869年、ヨアヒム四重奏団を して圧倒的成功を収めた。指揮し 結成して以降、独奏者、指揮者と たのはメンデルスゾーン。この曲 してだけでなく、室内楽演奏のパ は、1806年ウィーンで初演さ イオニアとしてヨーロッパ各地を れ た 時 そ れ ほ ど 評 判 を 呼 ば ず、 以 廻り、ヴァイオリン演奏史に大き 来 年近くの間、数えるほどしか な足跡を残した。 演 奏 さ れ て い な か っ た。 ベ ー ト ー し か し そ れ 以 上 に 重 要 な の は、 ヴ ェ ン の ヴ ァ イ オ リ ン 協 奏 曲 は、 音楽文化全体に及ぼした影響だろ ヨ ア ヒ ム の 演 奏 に よ っ て 復 活 し、 う。1869年、ベルリン高等音 現在ヴァイオリニストの最も重要 楽学校初代校長に就任し、ヴァイ なレパートリーの一つとして演奏 オリン教育の大御所として数多く され続けている。 の演奏家を育てるとともに、創設 lllllllllllllllllll 間もないベルリン・フィルハーモ メンデルスゾーン︽ヴァイオリン ニーを卓抜なアイディアで財政支 ホ短調︾ 協奏曲   作品   援し、この楽団が今日の地位を築 メンデルスゾーンのヴァイオリ くことに貢献した。そして何より、 ン協奏曲は、1845年3月 日、 ブ ラ ー ム ス は じ め、 メ ン デ ル ス ライプツィヒでフェルディナン ゾ ー ン、 シ ュ ー マ ン、 リ ス ト、 ブ ト・ダーフィトにより初演された ルッフ、ドヴォルザーク等、多く ︵ ニ ル ス・ ゲ ー ゼ 指 揮、 ゲ ヴ ァ ン の作曲家たちと生涯にわたって深 トハウス管弦楽団︶。ベートーヴェ い交流を続け、そこから数多くの ンの協奏曲と違って、こちらは最 音楽作品が生まれた。 初から絶賛され、傑作の名をほし ヨアヒムの生涯と活動全般につ いままにした。メンデルスゾーン 19. の下で学んでいたヨアヒムは、早 くからこの曲に親しんだ。後にヨ アヒム=モーザー教本の中でヨア ヒムは﹁ 歳の時、幸運にも作曲 家自身のピアノ伴奏で何度も演奏 する機会があり、作曲者の考えを ご く 身 近 で 知 る こ と が で き た。 メ ンデルスゾーンは時々、私の演奏 にチェックを入れてくれた﹂と書 いている。. lllllllllllllllllll. 26. 17. 61. 64. 16. ブルッフ︽ヴァイオリン協奏曲 第 番 作品     ト短調︾ ブルッフは1番から3番まで ヴァイオリン協奏曲を書き、1番 と3番をヨアヒムに、2番をサラ サーテに献呈した。最も有名な1 番は1866年に完成し、同年4 月 日、オットー・ケーニフィス レーヴの独奏、ブルッフ自身の指 揮 で 初 演 さ れ た。 こ の 演 奏 に 満 足できなかったブルッフは改訂 に と り か か り、 ヨ ア ヒ ム に 手 稿 を 送 っ て 意 見 を 求 め た。 ヨ ア ヒ ムは多くの譜例を付けた長い手 紙︵1866年8月 日︶を書い てこれに応えている。ブルッフは ヨアヒムの対応に深く感謝したが、 1912年にヨアヒム書簡集が出 版される際、自分が書いた返信︵9 月 日︶の公開を強く拒んだ。﹁こ の手紙を読んだ読者は、この協奏 曲は私でなく、ヨアヒムが作曲し た と 誤 解 す る だ ろ う。﹂ と ブ ル ッ. 24. 26. 13. 40. 13. 27. 1. 2.

(2) フは編集者に書き送っている。 ﹁細 lllllllllllllllllll か い 箇 所 に つ い て、 私 は 彼 の 提 案 ブラームス︽ヴァイオリンと をありがたく受けとめ一部を使っ チェロのための二重協奏曲 た。しかし一部に過ぎない﹂ 作品   イ短調︾ 作品は1867年 月、ヨアヒ ヨアヒムとブラームスの交友は ム独奏で再演され、翌 年出版に 終生続いたが、1880年代、一 際してヨアヒムに献呈された。 時的に気まずくなったことがあ る。それは、ヨアヒムが妻アマー lllllllllllllllllll リ エ と 出 版 者、 フ リ ッ ツ・ ジ ム ロックの仲を嫉妬して離婚に至っ た際、ブラームスがアマーリエを 弁護する側についたためと言われ ている。しかし、ブラームスの音 楽に対するヨアヒムの評価が変わ ることはなかった。ブラームスも またヨアヒムとの関係改善を願い、 当初5番目の交響曲として構想し ていた音楽をヴァイオリンとチェ ロ の 二 重 協 奏 曲 と し て 完 成 さ せ た。 1887年9月 ∼ 日、クララ・ シューマン宅でヨアヒム︵ヴァイ オ リ ン ︶、 ロ ベ ル ト・ ハ ウ ス マ ン ︵ チ ェ ロ ︶、 ブ ラ ー ム ス︵ ピ ア ノ ︶ により私的初演。同じソリストに よ る 公 開 初 演︵ 指 揮 ブ ラ ー ム ス ︶ は1887年 月 日、ケルンで 行 わ れ た。 楽 譜 は 当 然 ヨ ア ヒ ム に 献呈された。ヨアヒムはヴァイオ リン協奏曲よりこちらを好んだと 言われる。 ヨアヒムに献呈された曲は他に も多いが、献呈されたにもかかわ らず生涯演奏しなかった作品が二 つある。ドヴォルザークとシュー 14. 102. 22. 15. 77. 84. マンのヴァイオリン協奏曲である。. 初演は実現しなかった。シューマ ンの死後、クララ・シューマンと ヨアヒムは、この曲には病気から くる翳りが出ていて聴衆を満足さ せ る も の で は な い と 判 断 し た。 ク ララはシューマンの自筆譜をヨア ヒムに託し、ヨアヒムの死後、そ の楽譜はプロイセン国立図書館に 預 け ら れ た。 ヨ ア ヒ ム の 遺 言 に は﹁ こ の 協 奏 曲 は 作 曲 家 の 死 後、 一〇〇年を経てはじめて上演を 許可する﹂と書かれていた。この 作品が初演されたのは、作曲され てから実に 年後の1937年 月 日 の こ と で あ る。 ヨ ア ヒ ム の 遠 縁 に あ た る ヴ ァ イ オ リ ニス ト、 イ ェ リ ー・ ア ラ ニ︵ 1 8 9 3 ∼ 1966 ︶ が 心 霊 術 の 力 を 借 り てこの楽譜を探し当てた話も興味 深いが、これはまた別の機会に譲 ろう。. 26. 現在、庄司紗矢香の弾くストラ ディヴァリウスは、ヨアヒムが所 有していた1715年製ストラ ディヴァリウス五挺のうちの一つ で、 ﹁ヨアヒム﹂と命名されている。 イェリー・アラニの姉、アディラ・ アラニ︵1868∼1962︶に 遺贈されたため﹁ヨアヒム=アラ ニ﹂とも呼ばれる。. 11. lllllllllllllllllll. ドヴォルザーク︽ヴァイオリン 協奏曲   作品   イ短調︾ ドヴォルザークの室内楽を初演 して彼を高く評価したヨアヒム は、ヴァイオリン協奏曲の作曲を 依頼する。1879年7月、ドヴォ ルザークは作曲に専念し、9月に は第一稿をヨアヒムに送る。翌年 5 月、 ヨ ア ヒ ム の 提 案 に 従 っ て 第 二 稿 を 完 成 さ せ た 後、 さ ら に 1882年、大幅な改訂が為され、 月にはヨアヒムのヴァイオリン 演奏によりベルリンでリハーサル が行われた。しかし、なぜかその 本番はなかった。 この曲の初演は、1883年 月 日、 チ ェ コ の ヴ ァ イ オ リ ニ ス ト、 オ ン ド ジ ー チ ェ ク に よ り プラハで行われた。同年 月には ウ ィ ー ン・ フ ィ ル ハ ー モ ニ ー も こ れ を 演 奏 し た が、 ヨ ア ヒ ム が こ の 作品を演奏することは一度もな かった。 11. 12. 53. 10 lllllllllllllllllll. 14. シューマン︽ヴァイオリン 協奏曲   ニ短調   遺作︾ こ の 協 奏 曲 は、 本 来 な ら 1853年にヨアヒム独奏、シュー マン指揮で初演されるはずだった。 しかしオーケストラの準備が不十 分だったことと、シューマンの病 気が悪化したことが原因で、この. 。. 芸術劇場 庄司紗矢香 。次 協奏曲 聴.  2005 年 11月、   他) 聴. (. 3. 21. 10. 10. 68. ブラームス︽ヴァイオリン 協奏曲 作品   ニ長調︾ ブラームスはヴァイオリン協 奏曲を1878年7月頃書き始 め、8月 日には第一楽章の独奏 ヴァイオリン・パートをヨアヒム に送って、批評を求めている。こ の作品をめぐってブラームスとヨ アヒムが交わした緊密なやりとり が書簡集に残されており、ブラー ム ス の 自 筆 譜 に、 ヨ ア ヒ ム は 力 をこめた筆致で書き込みを入れ ている︵ファクシミル版を展示︶。 1879年1月1日、ライプツィ ヒでブラームス指揮、ゲヴァント ハウス管弦楽団、ヨアヒム独奏に よ り 初 演 さ れ、 日 に ウ ィ ー ン、 翌2月にはロンドンでもヨアヒム のソロで演奏された。楽譜出版は 同年秋で、ヨアヒムに献呈されて いる。この曲は現在、ベートーヴェ ン、メンデルスゾーンと並んで三 大ヴァイオリン協奏曲の一つに数 えられているが、発表当時は厳し い批判にさらされた。 21.

(3) ヨアヒム年譜 1827. ベートーヴェン没. 1831. 誕生(6月28日 ハンガリー キットゼー). 1833. 一家 ペスト(現ブダペスト)へ移る. 1838 1839. ブダペストでデビュー ウィーンへ移る. 1841. ウィーンでヨーゼフ・ベームに師事. 1843. ライプツィヒでメンデルスゾーンに会う ライプツィヒ音楽院創設. 1844. ロンドンでベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」を演奏 メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」作曲. 1847 1848. ドヴォルザーク誕生. メンデルスゾーン没 「アンダンティーノとアレグロ・スケルツォーゾ作品1」作曲. 1850. リストに招かれ ワイマール宮廷オーケストラのコンサートマスター就任. 1853. ゲオルグ5世に招かれ ハノーヴァーへ移る ブラームスに会う この頃ゲッティンゲン大学で学ぶ シューマン「ヴァイオリン協奏曲」作曲. 1854. シューマンの「交響曲第4番」を指揮. 1856 1857. ブラームス誕生 ブルッフ誕生. マルクス「共産党宣言」. クリミヤ戦争終わる シューマン没 ロンドン・ポピュラーコンサート始まる 「ハンガリー協奏曲」完成. 1859. ブラームスの「ピアノ協奏曲」初演で指揮(ピアノ=ブラームス). 1861. ウィーンで18年ぶりの演奏会 . 1863. アマーリエ・ヴァイスと結婚  L. アウアーがヨアヒムに師事. 南北戦争はじまる  (米). 1864. 第1子 ヨハネス誕生. 1866. ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」作曲 第2子 ヘルマン誕生. プロシャ・オーストリア戦争. 1868. ベルリンへ移る 第3子 マリー誕生. 明治維新(日本). 1869. ベルリン高等音楽学校初代校長就任  第4子 ヨーゼフ誕生 ヨアヒム四重奏団結成. 1870. プロシャ・フランス戦争 イタリア統一. 1871. フバイがヨアヒムに師事. 1877. ケンブリッジ大学より音楽名誉博士号授与 第5子 パウル誕生. 1878. ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」作曲. 1879. ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」初演 . 1880. ドヴォルザーク「ヴァイオリン協奏曲」第2校完成. 1881. 第6子 エリザベート誕生. 1882. ベルリン・フィルハーモニー創設. 1884. アマーリエと離婚. 1887. グラスゴー大学より名誉文学博士号授与 ブラームス「ヴァイオリンとチェロ二重協奏曲」作曲. 1888. オックスフォード大学より名誉音楽博士号授与. 1889. ベルリンで「デビュー 50周年記念式典」. 1891. ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第3番 ニ短調」初演. 1897 1898. ドイツ帝国成立. エッフェル塔建設 ブラームス没. モーザー「ヨーゼフ・ヨアヒム」を出版. 1899. ベルリンで「デビュー 60周年記念式典」. 1902. ヨアヒム=モーザー「ヴァイオリン教本」第1巻. ヴィクトリア女王没(英). 1904. イギリスで「ヨアヒム・英国デビュー 60周年記念式典」. ドヴォルザーク没 日露戦争. 1907. 没(8月15日 ベルリン)  . 1908. モーザー  「ヨーゼフ・ヨアヒム 第2版」を出版. 1912. 「ヨーゼフ・ヨアヒム書簡集」第1巻出版. 4.

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