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ショップとストアの異同

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著者 小西 浩太

雑誌名 社会科学

巻 49

号 4

ページ 95‑108

発行年 2020‑02‑28

権利 同志社大学人文科学研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000635

(2)

《研究ノート》

ショップとストアの異同

小 西 浩 太

本稿では小売業として一見同じように見える「ショップ」と「ストア」の異同につ いて用語・業態の両側面から考察する。同時にこれら「ショップ」と「ストア」が現 在どのような位置にあるのか,つまり「ショップ」と「ストア」を取り巻く市場環境 について先行研究を紹介しながら,明らかにする。こうすることによって,現時点の 日本で「ショップ」と「ストア」を商品史研究の課題として取り上げ,かつ『社会科 学』の特集号として発刊し,世に問う意味を考えたい。

「ショップ」と「ストア」の異同については,「ストア」はモノを売るだけで,規模 が比較的大きく,取扱商品の種類が多い小売店舗をいい,「ショップ」はモノを売ると 同時に修繕やアレンジメントなど作業サービスも行い,取扱商品を限定した専門的な 小売店舗をいうというように暫定的に結論づけた。業態の相違については本文をお読 みいただきたい。ただ国により,時代によって本稿のような理解に当てはまらない事 例も多く,今後用語としての「ショップ」と「ストア」の異同について,業態の相違 を考慮に入れながら,より深い考察を加えることにより,それらがなぜ「ショップ」あ るいは「ストア」を名乗り(この特集号では「パパママストア」,「コンビニエンスス トア」,「100 円ショップ」,「ネットショップ」が取り上げられる),時代・市場の変化 にどのように対応しようとしたのか,その歴史的意義はどこにあるのかを明らかにす る必要があると考える。

はじめに―ポスト大衆消費社会と商店―

本稿ではショップとストアの異同について考察するが,両者とも企業が発した商品と それを消費する生活者とを結ぶ最終の結節点であり,フロントであり,それらが社会や 市場の変化とともにどのように姿(業態)や役割を変えていくのかという問題は興味深 い。小売商業の変遷については,古くはのちに「動くコンビニ」といわれた「振り売り」,

御用聞き,勧工場,公設市場,商店街,通信販売,百貨店,スーパーマーケット,コン ビニエンスストア,テレビショッピング,フリマアプリなどを指摘する1)ことができ,社 会が変わり,商品が変わり,商店(業態)が変わり,社会が変わるという循環的相互関 係の解明は,商品・生活者・企業・社会の相互関係を解明しようとするランドマーク商

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品研究ひいては商品史研究に新たな地平を提供するものと期待される。現代の日本社会 は,消費の面でどのような歴史的位置のあるのか,現代日本社会の歴史的位置から考え てみよう。

現在の日本社会は大衆消費社会からポスト大衆消費社会へ歴史的変化を遂げつつあ る。これについては間々田孝夫(2000)2)が参考になるので,少し長くなるが紹介しよ う。

まず用語の使用については,「アメリカの経済学者W・W・ロストウは「高度大衆消費 時代」(high, mass, consumptionage)という言葉を用い,同じくアメリカの経済心理学

者G,カトーナは「大衆消費社会」(massconsumptionsociety)という著作を残してい

る。日本では,初めはカトーナが用いた「大衆消費社会」がよく使われたが,1970 年代 以降,時折この言葉が用いられるようになり,ブーアスティンの著作『アメリカ人』の 中に登場するconsumptioncommunitiesという言葉が,「消費社会」と訳されたことも あった。そして,フランスの社会学者J, ボードリヤールの著書『消費社会の神話と構造』

が邦訳され,消費論がブームになった頃から,特にこの言葉がよく用いられるようになっ た。現在日本では,専門の事典のみならず,言語辞典でも取り上げられる用語となって いる。」3)という。

用語の定義については,「物質的要素」「精神的要素」「社会的要素」から考察し,「消 費社会とは,人々が消費に対して強い関心をもち,高い水準の消費が行なわれる社会で あり,それにともなってさまざまな社会的変化が生じるような社会である,といった定 義が適当と思われる。」4)と述べている。

消費社会の具体的なイメージとしては,「大量生産された消費財が,不可欠な日用品と か便利な道具となる段階を過ぎ,目的のはっきりしない,遊びの要素が強い消費にシフ トしていく時代が想定されている。具体的にいえば,次から次へと目先だけを変えた新 製品が登場し,中身は同じでデザインだけ違うような商品が何十種類も出回り,余分な 装飾や強烈な彩色がたっぷり施された品物が増え,商品がいやというほど何重にも包装 されるような,そんな社会が消費社会だと考えられている。」5)とし,その歴史的変遷に ついては,「このような消費は,古く 1920 年代にも見られるものであるが,それがはっ きり現われたと思われるのは,1950 年代アメリカからもう少し時代を下り,消費水準が さらに上昇して質的に成熟(あるいは爛熟)していった時期であった。日本でいえば,製 品差別化がマーケティング戦略として重視され,画一的大量生産から多品種少量生産へ 重点が移ったといわれる時期がそれに当たる。その年代を特定しようとすれば,1970 年

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代後半ないし 1980 年代以降ということになろう。」6)と結論づけた。

宮原諄二は「20 世紀は科学と技術がめざましい発展を遂げた時代であった。大量生産 が始まり,商品が行き渡り,人々の生活は大きく変化してきた。「フォード紀元」という 言葉をご存じだろうか。象徴的に言えば,モノを生み出してきた今日までの大量生産時 代は,T型フォードの生産開始の年に始まる。キリスト紀元 1908 年である。(中略)フォー ドは専門化された組織による分業化を徹底させると同時に,標準化された互換部品を徹 底的に多用し,ベルトコンベアによる流れ作業による組み立て工程をつくりあげ,大衆 自動車であるT型フォードを製造した。このモノづくりの特徴は,均一な品質の商品を 低価格で大衆に供給することにあった。1908 年に 850 ドルであったT型フォードの価格 は,1924 年には 290 ドルまでに低下し,それまで金持ちのおもちゃであった自動車を大 衆の足にしたのである。フォードのこのイノベーションは,新規な商品の新規な製造方 法という枠を越えて,その考え方は人々の生活や社会,経済に大きなインパクトを与え た。以前はなくて済ませることができた高嶺の花の商品も,大量に安く供給されること によって,なくてはならない生活必需品に変化した。このイノベーションは「フォーディ ズム(Fordism)」と呼ばれた。大衆消費社会が始まったのだ。」7)と述べ,「大衆消費社 会がまだ未成熟な時代には,市場のニーズは明確であった。画期的な技術をつくり,低 価格の製品を供給すれば,大きな市場を開拓することができた。大量生産を必要とする 生活必需品になっていくからだ。自動車はもちろんのこと,白熱電球も,白色蛍光灯も,

ナイロンも,ネオプレンゴムも,トランジスターもそうであった。(中略)同じものでは なく,人とちがうものがほしいという「欲求」が人々から出はじめたのは,「生活必需品」

がほぼゆきわたった 1970 年代のころからである。市場ニーズがしだいに潜在化し,大量 生産でコストの安い製品をつくりだす「フォーディズム」にかげりが出てきた時代であ る。これは同時に,リニアモデルに対する疑義が生まれはじめた時期でもある。多品種 でコストを安く大量生産する日本型の生産システムへの変化が 1970 年代に起こったこと は偶然ではない。このイノベーションは世界の人々の生活や社会,経済に大きなインパ クトを与え,「トヨテイズム(Toyotism)」と呼ばれるようになった。それでも,人々は 何がほしいかと問われれば答えられる「何か」が意識されていた。その「何か」に応え るには「性能」,つまり数値で表された「特性値」がもっとも有効であった。別の言葉で は自然科学的な特性値と言っていいであろう。クルマで言えばスピードとか,燃費といっ た数値であり,明かりで言えば明るさとか,エネルギー効率といった数値である。自然 科学をベースにする表現は時代・地域・年齢・性別・民族・宗教を問わず,共通の理解

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が可能であるからだ。」8)とも述べ,大衆消費社会の変容を明確に指摘した。さらに「大 衆消費社会がしだいに成熟することによって,人々は自分の「欲求」が何なのかを答え られなくなってきた。市場ニーズが潜在化したのだ。市場調査をしても将来がわからな くなったとか革新的な技術をつくっても市場ニーズを満たすことができなくなってきた ことの事実は,この時代の一つの表現に他ならない。大量生産時代の次の時代,ポスト 大量生産時代が始まったのである。大量生産時代の終わりのころに偶然にもIT時代が芽 生えはじめたという意味で,かつIT技術がポスト大量生産時代の主要な技術になるだろ うという意味で,ポスト大量生産時代をIT時代と呼び変えてもよいだろう。大量生産し,

大量消費してきた時代に有効であった数値的に表現された商品の「性能」は,技術の進 歩によってしだいに高くはなっていくものの,限界値に近づいていく宿命を負っている。

クルマで言えば 400 キロのスピードはふつうは必要ないし,燃費もゼロになることはな い。明かりで言えば,一般家庭では水銀ランプのような,明るすぎる明かりは不要であ る。それよりも使って心地よいとか,美しいとか,地球の環境にやさしいといった「性 能」ではあらわせない「何か」が欲求のなかに入ってきた。自分でもよくわからない「欲 求」のその何かはつきつめれば,個人ごとにちがい,対象によっても,場面ごとにも,ま た時間経過によってもちがう。その何かとは,結局は社会的かつ文化的な「場」のなか で育まれてきた個人の「価値観」である。「価値観」はきわめて多様性に富み,自然科学 的な数値であらわされる「性能」とは異なる。「性能」は実用上の限界があるが,「価値 観」の本質的な特徴は限界がないことだ。リニアモデルに代わって,新たな研究開発の モデルを探そうとしている現在の動きには,このような背景がある。そのときにIT技術 は,「価値観」の多様性と発展性を支える基本技術になることはまちがいないだろう。(中 略)人々の欲求のキーワードが「性能」から「価値観」に変わってきていることを理解 するには,個人も企業も,パラダイムの転換が必要だ。大量生産時代からポスト大量生 産時代への渦中にある現在は,まさに静かな革命の最中にあるといってよいだろう。」9)

と述べ,ポスト大衆消費社会への転換を意味づけた。

瀬岡誠は 1920 年代のアメリカで,歴史上はじめて大量生産・大量消費の社会が出現し たのであるが,その社会の出現に大きな役割を果たしたのが,フォードのT型自動車で あった。フォードは互換性技術と流れ作業によって,自動車という商品を安価で大量に 供給することによって,自動車を一部の富裕層の贅沢品から一般大衆の生活必需品へ変 えたのである10)。と指摘し,また「このようにT型フォードの大量生産と人々によるそ の大量消費は 20 世紀初めのアメリカ社会を劇的に変化させた。」11)と市場・社会の変容

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について述べている。瀬岡和子も「自動車におけるT型フォードとマクドナルドのハン バーガーは,「誰でも,どこでも,同じモノを手に入れることができる」という,「消費 民主主義」のもっとも具体的な現われのひとつであった。ポップ・アートの旗手ウォー ホルは,「アメリカという国の偉いところは,金持ちでも貧乏人と同じものを消費するっ ていうことだ」と述べ,そういう「消費民主主義」を強調する社会が,多様性よりも「画 一性」によって特徴付けられる社会であることを,いくつかの作品(中略)を通して表 現した。逆にいえば,柏木博が指摘しているように,ポップ・アーティスト,ウォーホ ルを生み出したのは,アメリカという,「フォード主義とケインズ主義を背景とした大量 生産=大量消費社会」にほかならない,ということである。」12)と述べた。

このように大量生産と大量消費を背景とする大衆消費社会は,宮原が述べるように,一 般的には 1908 年の「フォーディズム」から始まり,1920 年代のアメリカで本格化したと 理解されているようであるが,その大衆消費社会では,画一で均一な品質の商品を大量 に低価格で大衆に供給することが企業目標とされ,かつて高嶺の花であった商品も大量 に安く供給されることによって,なくてはならない生活必需品に変化した。日本での大 衆消費社会の出現については,瀬岡が「日本社会は,1960 年ころから始まる「高度経済 成長」の進展に伴い,「消費は美徳である」という「大衆消費社会」に突入した」13)と述 べている。

しかし,3 種の神器や 3Cといった生活必需品が,一般家庭にほぼ行き渡った 1970 年代 以降からは,大衆消費社会を超えてポスト大衆消費社会へ移行しはじめ,その社会状況 が現在も続いている。つまり,宮原が指摘したように,それまでの大衆消費社会での商 品購入の決め手は,大量生産,大量消費時代に有効であった商品の「性能」(クルマで言 えばスピードとか燃費といった数値)であったが,その限界(クルマで 400 キロのスピー ドは必要ないし,燃費もゼロになることはない)に気づいたポスト大衆消費社会に住む 人々は,「性能」では表せない「何か」が欲求の中に入り,その「何か」は突き詰めてい えば個人の価値観であり,価値観はきわめて多様性に富み,自然科学的な数値で表され る「性能」とは異なるものだという。「性能」は実用上の限界があるが,価値観の本質的 な特徴は限界がない。このようにポスト大衆消費社会では,価値観の多様性と発展性に こたえる商品が求められるようになる。これは自動車以外の商品,例えば身近な即席麺 やコンビニのおにぎりなどについても,ただ価格が安く,量が多いというだけで購入す る時代ではなく,多少高価であっても何か自分の好み(価値観)にあった商品,例えば 具材とスープや米や海苔と中身の珍しさや高級さを求めて購入する階層(特に若者)が

(7)

多くなっているという認識は共有できるように思える。トイレットペーパーにしても,た だただ安価さや機能面だけでなく,香りの付いた柔らかい,あるいは格言の書いてある ようなペーパー,たとえそれが高価なものであってもあえて購入するというスタイルは,

いまや少数派ではないように思える。

このように現在の日本の市場環境は,「フォーディズム」(均一で安価)から「トヨティ ズム」(居住性重視,少量多品種で安価)へ,つまり大衆消費社会からポスト大衆消費社 会へ変化しつつあるといえよう。

このような社会や市場の変化の中で,生活者と商品流通の段階で直接接触する,ある 意味でフロントともいえる商店(ショップ,ストア)がどのように存在するのかという 課題の設定は,きわめて興味深いものである。また「小売業は現代日本社会のインフラ である。」14)と述べられているように,今やショップ,ストアは,商品の購買のみでなく,

社会にとってインフラに匹敵するほど不可欠な重要性を持った存在(すべてがそうだと はいえないが)となっている。

このような意味で,「商品と商店」というテーマを掲げ,その歴史と現状を解明しよう とするこの特集号の目標は,学術的にも,現状分析としても時宜に適ったものであり,大 きな意義を持つものといえる。

このような市場環境の変容を前提としながら,「ショップとストアの異同」について考 えてみよう。

1 「ショップ」と「ストア」の意味

1.1 用語上の異同

まずショップと名がつくものを思いつくままの挙げると,

【ショップ】

100 円ショップ,金券ショップ,チケットショップ,ネットショップ,ペットショップ,

アンティークショップ,コーヒーショップ,ミートショップ,リサイクルショップ,フ ルーツショップ,リカーショップ,ジーンズショップ,インテリアショップ,ボディショッ プ,フラワーショップ,ギターショップ,ダイビングショップ,ディスカウントショッ プ,ブックショップ,レンタルショップ,ホビーショップ,オンリーショップ,バーバー ショップ,アウトドアショップなどがある。

またストアと名のつくものとしては,

(8)

【ストア】:ドラッグストア,コンビニエンスストア,パパママストア,ブックストア,

Eストア,デパートメントストア,ディスカウントストア,レンタルストアなどがある。

結果的にはこれらの「ショップ」と「ストア」のほとんどすべてが「チェーンストアー」

になっているのも興味深い現状だといえる。

まず「ショップ」とストアの語源を見ると,(『語源由来辞典』)gogen-allguide.com/si/

shop.htmlによれば,英語のSHOPは古期英語で「(差し掛け)小屋」を意味する「sceoppa」

から生まれ,14 世紀に名詞として「SHOP(PE)」が使われ始め,18 世紀後半に「買い 物をする」という意味の動詞にも使われ始めたという。

また(英語と言葉の日記)eigotokotoba.blogspot.com/2007/03/store-stoic.htmによれ ば,storeはギリシャ語のstoasに由来し,屋根付きの場所という意味で,商人たちがそ こに店を開いていたという。そこは商人だけの集まりの場ではなく,哲学者も弟子達を 教えており,そこからStoic(ストア学派)という言葉が生まれ,stoic(禁欲的な)が派 生したともいう。

「ショップ」と「ストア」のいう言語の意味については,同じ英語ではあるが,イギリ スとアメリカでは,多少ニュアンスや使い方に違いがある。

安藤貞雄・山田政美編(1995)によると,まずアメリカでは,「ショップ」といえば,

通常ある特定の商品とかサービスを売る店を指すという。例えばフラワーショップ(a flower shop(花屋),コーヒーショップ(A coffee shop)などである。ただこのコーヒー ショップには,アメリカでは,よく映画で見られるように,小さいレストランという意 味もあるようで,パンケーキやハンバーガー,時にはステーキなども食べることができ,

ビールやウイスキーなどのアルコールも提供しているという。他方ストアは,数種類の 商品を売る店で,イギリスでの「ショップ」に対応するものであるという。例えばa grocery store(八百屋),drug store(薬屋)には文具や化粧品あるいは当地の土産品ま で売っているということである。一方イギリスでは,通常大型店舗をストアと呼び,例 えばa furniture store(家具店)/a clothing store(衣類店)/a department store(百貨 店)などがある。ただしイギリスでは,特定の品を売る店や小さな店をストアと呼ぶこ ともあるそうで,例えばA candy store(菓子店)やa liquor store(酒店)といった類で ある。余談であるが,アメリカでは,特に小さな店やレストランの名に用いて擬古的雰 囲気をかもし出すことを意図してshoppeという綴りが用いられることがあるようで,例 えばYe olde gifte shoppe, the old gift shop.などの事例がある15)

またhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/1022877.htmlによると,

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「ショップ」も「ストア」も両方とも小売店のことを言うとある。そして両方とも同じ ようにも使われるというが,ショップにはもう一つのイメージが掛かっているようで,

「作業をする所」と言う意味が認識されているようであるという。したがってbicycle shop と言うと修理もしてくれる店,flower shop(flower storeとは言わない)はアレンジも してくれる,また売らないで作業をするだけの店としてbarbershop, car repair shop等 があり,これらにはstoreは使わないという。逆にdrugstoreのように売るだけのところ であるからdrugshopとはいわないのである。また,イギリスではgrocery storeと言え ばスーパーの事を指すようで,アメリカでgrocery shopと言えばスーパーで買い物をす る/に行く,と言う動詞になるという。また小西友七,南出康世編集主幹(2001)では,

「ショップは,物を作ったり修理したりする仕事場,作業場,工場をさし,ストア(米)

ではいろいろな種類の品物を売る店に用い,特定の品を売る専門店はショップと呼ぶ」16)

とされている。

中村尚正は,同じく「ショップ」も「ストア」について,『ハイトップ英和・和英辞典』

(1988 年初版,旺文社),徳永豊,L・マクラクラン,H.タムラ編『マーケティング英和 辞典』(1989)年初版,3(1991)年 4 版,(同文舘),研究社『新英和大辞典』(1991 年第 5 版 21 刷,研究社),『世界大百科事典』全 33 巻(平凡社)それに Webster,s Third New lnternational Dictionary, of the english language unabridged, 1966, G.&C.MERRAM Co., MASSA., U.S.A, や The Oxford English Dictionary, 2nd ed., 1989, CLARENDON ORESS, OXFORD, UK.などを用いながら,両用語の違いを知らべ,「ShopとStoreの 大きな相異は,Shopが作業ないし作業場を含意しており,Storeが保管ないし貯蔵所を 含意しているところにあると言える。(中略)また,Shopは,独特の商品や高品質の商 品を取り揃えている小規模小売施設であり,Storeは,様々な商品を大量在庫している大 規模小売施設である,という表現での区別も可能である。従って,相異に着目して,ショッ プとストアを特色づけるとすれば,仮に次の如くなるであろう。ショップとは,独特の 商品や高品質の商品について,一工夫手を加える作業を伴う販売方法を実施する小売店 であり,ストアとは,様々な商品について大量在庫し,仕入れたままの状態で販売する 小売店である。」17)

これらの指摘から考えると,ストアはモノを売るだけの店で,規模が比較的大きく,取 扱商品の種類が多い小売店舗ということになり,ショップはモノを売ると同時に修繕や アレンジメントなど作業サービスもする店で,取扱商品を限定した専門的な小売店舗を 指すと結論づけることができると思われる。

(10)

1.2 業態上の異同

中村尚正は「ショップ」と「ストア」について用語上の異同だけでなく,両者の業態 比較も行っている。両者の違いを項目ごとに紹介しよう。

まず顧客の購買動機について。

ショップでは「時間・費用・努力を惜しまず」,「個性重視の商品選択」,「商品及び自 分のショッピングに満足」があげられ,ストアでは「時間・費用・努力を掛けず」,「効 率的な商品選択」,「商品及び価格に満足」があげられている。

商品特性・品揃え構成・鵬価格帯について。

ショップでは「個性的商品」,「狭く深く」,「高価格も容認」と述べ,ストアについて は「非個性的商品」,「広く浅く」,「高価格非容認」とした。

陳列・店内レイアウトについて。

ショップでは「展示型(ショー・ディスプレイ)」,「魅力的雰囲気演出」とし,ストア においては「補充型(オープン・ディスプレイ)」,「効率的客動線確保」とした。

販売方法・勘定(会計)について。

ショップでは「パーソナル・セリング(座売り:サロン・セリング)」,「部門ごと」で あるのに対し,ストアでは「セルフ・サービス・セリング(セルフ・セレクション)」,「複 数部門一括」であるとした。

併存 行為・設備(売場・バックヤード)・行為者・使用者・入店客サービスについて。

ショップでは「ワークショップ・作業コーナー提案・説明,試用・試着・試食」,「従 業員・顧客」,「入店客と販売員の応接コーナー」があるのに対し,ストアでは「ストッ ク・品置場・POP」,「従業員」,「入店客同志の休憩コーナー」とした。

営業時間・店舗・立地について。

ショップでは「重点(短)時間制」,「高級志向・店舗集積」であり,ストアでは「終 日(長)時間制」,「普通・交通利便」であるとした。

最後に販促(広告)対象について。

ショップでは「販売対象者セグメント選定」であるのに対し,ストアでは「販売地域 セグメソト選定」であるとした18)

このような業態の相違は,市場環境の変容とともに変遷してきたものであり,それら が経営成果とどのように結びつくのかは興味深いところである。

(11)

2 「屋」と「店」の意味

「ショップ」と「ストア」の調査中に,日本語の商店を表すのに,「屋」と「店」とい う用語があることに気づき,「ショップ」と「ストア」と同じように,この二つの言葉の 異同はどういうものなのかを調べてみた。

これについては,多くの文献の中でもNHKのメディア研究部の柴田実氏の説明が最も 有効なので,紹介しよう。文研「ことば ウラ・オモテ」(屋と店)NHK文化放送研究 所)https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/133...によると,

「専門の商いをする店を呼ぶときに,「○○屋」という言い方と「○○店」「○○商」が あります。放送で店の業種を言う場合は,ほとんどが「○○店」となっています。一般 に言うのと違うので,少しおかしな感じを受けることもあります。このおかしさは個人 によっても違いますが,「そば店,パン店,酒店,肉店」など食品関係は多くの人が「?」

(えっ)と思うかも知れません。食品関係は「○○屋」が日常的に使われていて,「店」は 別の分野に多く見られます。もちろん,両方OKということもあります。文房具屋−文 房具店,呉服屋−呉服店,金物屋−金物店,かばん屋−かばん店,ガラス屋−ガラス店,

クリーニング屋−クリーニング店などは両方ありそうです。

これらは,生活の中での慣用と言うことができますが,素材を売っている商売は「米 屋,豆腐屋,魚屋,八百屋」など「屋」が多いように見えます。加工度が高くなるにつ れ,「店」になじみが出てくるようです。「コーヒー」の豆を売っている店は,「コーヒー 屋」,客に飲ませる店は「コーヒー店」となるようなものでしょう。この違いも,人によっ て感じ方が違います。「屋」と「店」を全く区別しない人もいますし,個人の頭の中でき ちんと区別することもあります。「きちんと」というのも,「△△という店は『コーヒー 屋』,××は『コーヒー店』」などという個別の店による区別もありそうです。

放送で「○○屋」が少ないのは,決まりがあるわけではなく,ある商売は「屋」,また,

ある商売は「店」とすると,放送を見ている人,聞いている人に,どこに違いがあるか,

「屋」と「店」では規模が違うのかという疑問が生じるのを防ごうという考えです。違い を説明することは難しいですし,どこから変えるのかという基準も作れそうにありませ ん。辞書を見ても,「屋」のほうは「ある職業の家や人」,「店(てん)」は「みせ」「たな」,

と説明しているだけのことが多く,それぞれの使用例をあげているだけです。

「屋」は,一般的には「よく使う,小規模,家族経営,独立店舗,近所のコミュニティー に含まれる」というイメージがあり,「店」は「あまり利用回数が多くない,新しい業種,

(12)

規模がやや大きい,ちょっとよそよそしい,チェーン店」などのイメージがあります。ま た,「屋」は商売を表すだけでなく,「気分屋,気取り屋,寂しがり屋,がんばり屋,気 むずかしがり屋」など,その人の気性を表し,それもややマイナスイメージのあるもの のほうが多い表現としても使われます。さらに,自分の職種を自嘲的に言う場合にも使 われます。商売の種類を示す「屋」の別の顔としては,ややマイナスイメージで使われ ることもあるのに対し,「店」は単純に「みせ」を表すだけの単純な語と言えます。「屋」

は「鉄道屋魂,技術屋冥利(みょうり)」などプラスのイメージでも使われますが,「店」

に比べ陰影に富んだ表現であることは間違いなさそうです。

「ことばの陰影」はことばの解釈や理解,イメージにより,微妙に使い分けることが可 能だという長所を持っていますが,ことばを使う側と受け取る側との理解の隔たりがな いということが前提になります。「屋」の語感は人によりかなり差があることばなので,

さまざまな考えを持つ受け手に対しては使いにくいことになります。そうなると,単純 な「店」のほうが少々違和感があっても,使いやすいということになります。

また,「商売」と言っても,「○○屋」の伝統を持たない職種が増えてきたことも,「店」

の増加に拍車をかけています。「百貨店,喫茶店,宝飾店,新古書店,鮮魚店,ブランド 店,ディスカウント店」などは「屋」と言えません。

一方で,「お茶屋,鍛冶屋,仕立て屋,悉皆(しっかい)屋(和服の細々したことを請 け負う業者),地上げ屋,ダフ屋,テキ屋,闇屋」なども「店」に言いかえが難しいかも しれません。

日常生活では,「屋」と「店」を何となく使い分けているのですが,ちょっと改まった 場合にどうするか,「○○屋さん」とするのか「○○店」にするのか,「さん」を付ける のは敬称かなどを考えると,かなり複雑な方程式になりそうです。この使い分けの技術 は,生活のコミュニケーションの技術でもあるので,思い悩みながら,場合による適切 な使い分けをするのが,楽しいことばづかいかもしれません。」

以上が柴田氏による説明の紹介であるが,「屋」と「店」の歴史性にも注目する必要が あるのではないかと考える。例えば,床屋および髪結い床から散髪屋へ,そして理髪店 へという歴史的経過による呼称の変化,また訓読みと音読みの違い,例えば果物屋と青 果店,薬屋と薬剤店,魚屋と鮮魚店など,訓読みが「屋」で音読みが「店」なども考慮 される点ではないかと思う。当然のことながら,これらには例外が多くあるが,大まか な傾向としてこれらの違いを指摘することができるように思われる。「ショップ」と「ス トア」との関連で見ると,感覚的には「屋」は「ショップ」,「店」は「ストア」に近い

(13)

ようである。

おわりに―「ショップ」と「ストア」からタッチレス購入へ―

冒頭で,ポスト大衆消費社会について述べたが,商品の購入スタイルについは,これ までの大衆消費社会では,商品を直接手にとって品定めできるものであったが,ポスト 大衆消費社会では,ITやAIなどの普及,他方で少子高齢化の進展という内外の要因によ り,通信販売やネット販売が主流となりつつある。それに伴い購入形態もそれまでとは 違い,手に取って直接商品に触れることのできないもの,つまりタッチレスな形態に変 化しつつある。そうなった場合,「ショップ」と「ストア」はどのように変化するのかを 見ることも興味深いところである。ポスト大衆消費社会の先端に位置する現代日本で,商 品と生活者の接点であるショップとストアが意味の違いも含め,それぞれどのような役 割をはたし,どのように変化するのか興味深い課題である。

繰り返しになるが,「ショップ」と「ストア」という用語の異同については,「ストア」

はモノを売るだけの店で,規模が比較的大きく,取扱商品の種類が多い小売店舗をいい,

「ショップ」はモノを売ると同時に修繕やアレンジメントなど作業サービスもする店で,

取扱商品を限定した専門的な小売店舗をいうというように暫定的に結論づけた。またこ の意味から,ショップにはその店が取り扱う商品あるいはサービス名を入れる(例えば,

金券ショップ,チケットショップ,ペットショップ,コーヒーショップ,ミートショッ プ,フルーツショップ,リカーショップ,ジーンズショップ,バーバーショップなど),

ストアにはその店がもつ機能あるいは特徴を入れる(コンビニエンスストア,デパート メントストア,レンタルストアなど)と整理できるかもしれない。

もちろんこれらの指摘に当てはまらない例外も多く,これはあくまでも暫定的な解釈 であり,今後より広く深く調査することにより,「ショップ」と「ストア」という言語の 異同を明らかにしたいと考えている。また両者の業態の相違にも注目し,小売店舗史の 中でそれぞれの果たした役割を考察する視点も重要であろう。ただ暫定的ではあるが,上 記の「ショップ」と「ストア」の異同と市場環境の変容が,「100 円ショップ」・「コンビ ニエンスストア」・「パパママストア」・「ネットショップ」それぞれの論文にどのように 反映されるか興味深いところである。

本稿は 2019 年 5 月 12 日に同志社大学で開催された『2019 年度日本商品学会全国大

(14)

会 共通論題:「商品と商店―ショップとストア―」』での報告「ショップとストアの異 同」に加筆したものである。報告および本稿の作成に際し,同志社大学名誉教授石川健 次郎先生からご助言をいただいた。お礼を申し上げる。

1 )廣田誠・山田雄久・木山実・長廣利崇・藤岡里圭(2017)305 頁には,「店舗小売業が定着 したのは明治時代後半からの 100 年のことであり・・・(後略)」という指摘がある。

2 )間々田孝夫(2000)。

3 )同上 4 頁。

4 )同上 8 頁。

5 )同上 17 頁。

6 )同上 17-18 頁。

7 )宮原諄二(2005)199 頁。

8 )同上 200 頁。

9 )同上 202-203 頁。

10)瀬岡誠(2004)130 頁。

11)同上 144 頁。

12)瀬岡和子(2004)186 頁。

13)瀬岡誠(2004)125 頁。

14)結城義晴編著(2011)1 頁。

15)安藤貞雄・山田政美編(1995)464 頁。

16)小西友七,南出康世編集主幹(2001)。

17)中村 尚正(2000)25 頁。

18)同上 35 頁(表 2)。

参考文献

安藤貞雄・山田政美編(1995)『現代英米語用法事典』(研究社)。

上野千鶴子・三浦展(2007)『消費社会から格差社会へ

-

中流団塊と下流ジュニアの未来

-』(河

出書房新社)。

オルダス・ハクスリー,黒原敏行訳(2013)『すばらしい新世界』光文社。

倉敷伸子(2013)「消費社会のなかの家族再編」(安田常雄編『社会を消費する人々』(シリーズ 戦後日本社会の歴史 2)(岩波書店)。

小西友七・南出康世編集主幹(2001)『ジーニアス英和大辞典』(大修館書店)。

J・ボードリヤール著,今村仁司・塚原史訳(1979)『消費社会の神話と構造』(紀伊国屋書店)。

瀬岡誠(2004)「負の商品史

-

消費社会における自動車と人間

-」

(石川健次郎編『ランドマーク 商品の研究』同文舘)。

(15)

瀬岡和子(2004)「日本におけるモータリゼーションの進展とその負性」(石川健次郎編『ラン ドマーク商品の研究』同文舘)。

辻井喬・上野千鶴子(2008)『ポスト消費社会のゆくえ』(文藝春秋)。

常松洋(1997)『大衆消費社会の登場』(山川出版社)。

中村 尚正(2000)「ショップとストアの業態比較」(『専修大学北海道短期大学紀要』

人文・社会

科学編 第 33 号)。

原山浩介(2011)『消費者の戦後史

-

闇市から主婦の時代へ

-』(日本評論社)。

廣田誠・山田雄久・木山実・長廣利崇・藤岡里圭(2017)『日本商業史

-

商業・流通の発展プロ セスをとらえる』(有斐閣)。

福岡賢正(2000)『たのしい不便―大量消費社会を超える』(南方新社)。

藤田貞一郎・宮本又郎・長谷川彰(1978)『日本商業史』(有斐閣)。

間々田孝夫(2000)『消費社会論』(有斐閣)。

宮原諄二(2005)『「白い光」のイノベーション』(朝日新聞社)。

結城義晴編著(2011)『1 秒でわかる!小売業界ハンドブック』(東洋経済新報社)。

参照

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