九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
オウベイ ノ タイポグラフィ ニ オケル タイムズ ニュー ローマン ノ レキシテキ イチズケ
小野, 英志
岡山県立大学デザイン学部ビジュアルデザイン学科グラフィックデザインコース : 教授 : タイポグラ フィ
https://doi.org/10.11501/3134563
出版情報:Kyushu Institute of Design, 1997, 博士(芸術工学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
氏 名・本籍(国籍) 小 野 英 志 (埼玉県)
学 位 の 種 類 博士(芸術工学)
学 位 記 番 号 甲第16号 学位授与の日付 平成10年3月18日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当
学位論文題 目 欧米のタイポグラフィにおけるタイムズ・ニュー・ローマンの 歴史的位置付け
審 査 委 員 会 幹事 教 授 宮 木 英 幸 委員 教 授 大 西 修 也 委員 教 授 佐 藤 優 論文内容の要旨
タイムズ・ニュー・ローマンは、ロンドンで発行されている平日版朝刊紙『ザ・タイム ズ』の専用タイプフェイス(活字書体)として、1932年にデザインされたものである。翌 1933年、開発主体であるタイムズ紙がその独占的使用権を放棄して一般に解放したため、
それ以降たいへん広範にわたる普及をみせ、現在では、例えばパーソナル・コソピュータ のシステムに標準的に添付されるような状況にある。
この書体については、その開発経緯に関わる幾つかの研究が行われているが、いずれも 開発責任者であるスタンリ・モリスンのディレクションのありかたが中心となっている。
「タイプ・デザインに際して独自のラフスケッチを起こした」というモリスン自身による 記述に対しては、モリスン没後、複数の研究者によって否定的見解が示されているが、ラ フスケッチに代わるものは何であったのか、モデルとした書体はプランタン・モレトゥス 博物館のものなのか、あるいはモノタイプ社が20年前に製品化したものか、などの未詳の 部分を残しつつも、これらの諸研究は専ら書体史家でタイポグラファたるモリスンの個人 的資質にタイムズ・ニュー・ローマンのデザインの契機を見い出そうとしている点で共通 している。
本研究では、タイムズ・ニュー・ローマンに対するタイポグラファの評価、先行研究を 概観(第 2章、第 3章)した後、開発を発注したタイムズ紙、それを受注した英国モノタ イプ社、開発責任者モリスンの三者いずれにも、当時新聞印刷専用書体として広く普及し ていたレジビリティ・タイプを忌避し、オールド・フェイスの手直し向かう高い蓋然性が 存在していたことを明らかにした。
第4章では、タイムズ紙について検討した。同紙は1784年に印刷所として創業されてい るが、創業時に於ける最新組版技術ロゴグラフィの特許買収以降、印刷技術面での同業他 社に対する優位性を常に主張してきている。特に19世紀に入ってからは、印刷に関わる技 術開発で世界的なリーダーシップを発揮し、1828年から1868年にかけては20年毎に自社 技術として輪転機を新規開発している。 20世紀に入って経営危機を経験した後は、印刷技 術を自社開発する積極的姿勢は後退したが、「スペシャル・プリンティグ・ナンバー」と称
する別冊をたびたび発行し、依然として新聞印刷におけるリーダーたることを強くアピー ルしている。またニューズ・メディアとしての成長も著しく、タイムズ・ニュー・ローマ ン開発当時、タイムズ紙は自他共に認める世界で、最も権威あるニューズ・メディアであ った。したがって、既に広く普及しているレジビリティ・タイプを、しかも他紙に大きく 遅れて採用したのでは自己の権威の否定にこそなれ、強化にはならない。すなわちタイム ズ紙には、レジビリティ・タイプを忌避する素地があった。
次に第 5 章では、英国モノタイプ社について検討した。同社は鋳造植字機メーカーとし て、米国モノタイプ社から南北アメリカ大陸以外の地域に於ける営業権を獲得して1897年 に発足し、1908 年にタイムズ紙がモノタイプを導入した後は経営的にも安定した。 1912 年の雑誌『インプリント』に対する新書体開発での協力を契機に、オールド・フェイスの 覆刻を中心とする新書体開発に力を注ぎ、また、ウィリアム・モリスらに由来する機械の 使用に対して否定的な態度を、印刷・出版界から排して徐々に書籍印刷市場に浸透してい った。ケンブリッジ大学出版局やナンサッチ・プレスなどの有力出版社が、鋳造植字機と してのモノタイプのみならず、英国モノタイプ社が開発した新書体を積極的に使用する事 態が手伝って、タイムズ・二ュー・ローマン開発当時には、同社は英国の書籍印刷市場に 於いてほとんど独占的支配を達成する。しかし、英国モノタイプ社の競争相手であり、新 聞印刷市場に強いライノタイプ社やインタータイプ社によって開発され普及をみたレジビ リティ・タイプと同様のものを開発しても、英国モノタイプ社にとってはマーケットでの 競争力の強化にはならないため、英国モノタイプ社にもレジビリティ・タイプを忌避し、
書籍市場から歓迎されているオールド・フェイスの覆刻に重点を置く製品計画を継続する 素地があった。
次に第 6 章では、スタンリ・モリスンについて検討した。彼には独学によって形成した 書体史に関わる該博な知識と、タイポグラフィックなデザイン・ワークの実務経験はあっ ても、タイプフェイスそのものをデザインするタイプ・デザイナーとしての実技能力や経 験はなかった。したがって、彼にとっては既存の書体の手直しが、最も迅速かつ確実な手 段であった。そのためモリスンはタイムズ紙との事前の合意形成の手段として、1930年に
『タイムズ紙のタイポグラフィ改訂に関するメモランダム』をタイムズ紙宛てに提出した。
その中でまず彼は、より質の高い書籍印刷を新聞印刷も目指すべきことを主張し、さらに その書籍印刷においてはオールド・フェイスの使用が主流となっていることを示唆した。
この『メモランダム』を根拠としてモリスンは、オールド・フェイスの採用という方針に 沿ってデザイン・ワークを指揮し、タイムズ・ニュー・ローマンをタイムズ紙の専用新書 体として完成させた。
第7章で、タイムズ紙、英国モノタイプ社、モリスンの三者に対する検討を総括した後、
第 8 章では、タイムズ・ニュー・ローマンの歴史的位置付けとして、次のように結論づけ た。
タイムズ・ニュー・ローマンの形態上の直接的なモデルは、ダッチ・オールド・フェイ
スと呼ばれる、17 世紀頃のオランダのタイプフェイスのひとつであるプランタンに求める ことができるが、その開発の姿勢は、19 世紀中葉のイギリスに始まった印刷復興の動きと 志向性を同じくするものである。この印刷復興はチジク・プレスによるキャズロン製のオ ールド・フェイスの復刻をもって開始されたと見るのが一般的であり、タイムズ・二ュー・
ローマンもまた、英国モノタイプ社に於いて一連の古典的タイプフェイスの覆刻を指揮し つつあったスタンリ・モリスンが開発した点で、オールド・フェイス復活すなわち印刷復 興以来の流れに沿うものである。しかし、このタイプフェイスの開発の直接のきっかけは、
新聞印刷専用書体であるレジビリティ・タイプの急速な普及によってもたらされたもので、
その点ではタイムズ・二ュー・ローマンには、レジビリティ・タイプに対する一つの対案 という性格が認められる。すなわちタイムズ・ニュー・ローマンとは、継時的には、ルネ サンス期のオールド・フェイスからダッチ・オールド・フェイスさらには印刷復興期の覆 刻オールド・フェイスという、欧米のタイプ・デザインの主流の末端に位置するものであ り、同時的には、新聞の高速大量印刷を背景としてつくられたアメリカ製レジビリティ・
タイプに拮抗する、イギリス製の相対的タイプフェイスとして位置付けられるものである。
論文審査の結果の要旨
近年デザイン史に関する研究の動向に共通する主題のひとつとして、「デザイン活動と 社会の相互関係」が指摘されているが、本研究は印刷ならびに出版・情報産業の動向が、
ひとつの書体のデザインにどう反映したかを追及する点で、デザイン活動と社会の相互関 係を探る視座に立つ研究となっている。
第1章では、パーソナル・コンピュータの普及等によって、「タイボグラフィ」という専 門用語が十分に理解されないままに、実態としてタイポグラフィが一般の興味の対象とな っていることが指摘され、タイポグラフィの持つ今日的意義の一端に触れられている。
第2章では、タイムズ・ニュー・ローマンに対するタイプ・デザイン関係者の評言をも とに、この書体の評価が既に確立していることを明らかにしている。そしてそのことが本 研究をして、タイムズ・ニュー・ローマンのデザイン完成以前に遡って追究に向かわせた ことが示されている。
第3章では、先行研究がいずれも、開発責任者スタンリ・モリスンの個人的資質にタイ ムズ・ニュー・ローマンの開発の契機を見出そうとしている点で共通していることに触れ、
タイムズ・ニュー・ローマンのデザインにおけるモリスン以外のファクター、つまり開発 主体で発注者たるタイムズ紙、その発注を受けた英国モノタイプ社も考察の対象とすべき ことの重要性が示されている。
第4章では、まずタイムズ紙の印刷技術開発における業績が、創業に遡って考察されて いる。タイムズ社は、1814年の蒸気力輪転機の導入に象徴されるように、印刷史上にエポ ック・メイキングな業績を数多く残している。そしてこの組織が、新聞社であると同時に 長く印刷技術開発の政界的リーダーであったことが明らかにされている。次いで、レジビ リティ・タイプという新聞印刷専門書体がアメリカからもたらされた時に、タイムズ紙に
おいてその採用に至らなかった事情が、こうした印刷技術開発のリーダー的存在であった 事実や、報道機関としての権威や名声等との関係から考察されている。
第5章では、レジビリティ・タイプを開発したライノタイプ社と英国モノタイプ社が、
競合関係にあったことに触れ、さらに鋳造植字機としてのライノタイプとモノタイプのメ カニズムの違いが、新聞印刷と書籍印刷という分野の違いとして帰結したことが考察され ている。また当時さかんにオールド・フェイスの復刻を進め、「さらにその書体がケンブリ ッジ大学出版局やナンサッチ・プレスといった著名な印刷・出版社に好んで使われること によって、経営面で好影響をうけていた英国モノタイプ社にも、レジビリティ・タイプの 類の開発に向かいにくい背景があったことが考察されている。
第6章では、スタンリ・モリスンの資質・能力、ならびにタイムズ・ニュー・ローマン 開発に当たっての具体的手法等が検討されている。モリスンはタイプ・デザインに関する 専門的教育を受けた事実は無いが、彼の独学による書体史に関する高度な知識を最大限に 生かした、モリスン独自の解釈による方向性が新書体の開発を決定づけたことが示されて いる。
第7章および第8章では、タイムズ・ニュー・ローマンと「印刷の復興」との関連に触 れられている。そこでは、タイムズ・ニュー・ローマンは、その開発の契機においてはレ ジビリティ・タイプの登場という重大事態があるものの、より長期的視点からは、当時の オールド・フェイス復活推し進めていた欧米のタイプ・デザインの主流に位置するもので あると結論づけられている。
本論文は、タイムズ・ニュー・ローマンの開発における根拠と指針とを先行する歴史的 文脈に求め、当該の開発行為に対する分析を単なる一新書体誕生のエピソードに終わらせ る事なく、産業および文化をも含めた、社会構造の変化との相剋の過程から生じた、象徴 的な出来事として位置付けることに成功している。以上の成果は、本論文が博士(芸術工 学)の学位を得るに値するものであることを、本委員会は認定した。
最終試験の結果の要旨
最終試験を兼ねた公開発表会が、デザイン史及び関連分野の研究者の出席のもとに行わ れた。著者の発表に対して、スタンリ・モリスンとレジビリティ・タイプ開発者における レジビリティに対する認識の相違、モノタイプ社の市場占有状況等について活発な質疑が あったが、いずれについても著者から納得の行く説明がなされた。 よって、審査委員合 議の結果、最終試験は合格と決定した。