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「動詞+結果補語」構造とその目的語のタイプ

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Academic year: 2021

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(1)

「動詞+結果補語」構造とその目的語のタイプ

动结式和它的宾语类型

崔婷 崔婷

 本文以基本句式

SVO

为基础,把动结式分成四类 ;即虚词型、动作指向型、宾语指向型、

主语指向型,并且分别考察了它们的宾语类型和语法特征。动结式的宾语根据它和补语的 语法关系可分为三种 :(结果补语的)致使对象、(结果补语的)支配对象、同源宾语“饭、

酒”。最后,对主语和宾语可互换的动结式做了简单的考察。通常动结式中一个动词可以导 致多种结果状态,但是在主宾可互换的结构中动词和结果补语的语义关系不是一对多的关 系,而是一对一的关系。

目次

1.はじめに

2.中国語における結果事象

  2.

1 時間軸上の結果と非時間軸上の結果

  2.

2 規約性の結果と非規約性の結果

3.「動詞+結果補語」構造における四つの分類とそ

の目的語のタイプ

  3.

1 虚詞型と動作指向型

  3.

2 目的語指向型の構造が伴う目的語

  3.

3 主語指向型の構造が伴う目的語

  3.

4 

吃饱”、“喝醉”の場合

4.基本文型「主 ・ 述 ・ 目」における主語と目的語の

位置変換

  4.

1 主語と目的語位置に現れる成分

  4.

2 主語と目的語の位置変換

5.おわりに

(2)

1.はじめに

 本稿では中国語の「動詞

+

結果補語」構造が伴う目 的語について考察を行う。「動詞+結果補語」構造は 全体としてかなり自由に、後に目的語を伴うことがで きるかのように考えられている。朱德熙(1982:126)

は「動詞+結果補語」構造全体は一つの動詞として機 能していると述べている。次の例文を見てみよう。

(1)小王打碎了花瓶。

(2)老张喝醉了酒。

(3)我学会了英语。

 上の三つの例文の“打碎”、“喝醉”、“学会”は一つ の他動詞のように機能しており、また、その他動性が 述語動詞の他動性と関係があるかのように見えるが、

そうではない。朱德熙(1982:126)は、動補構造の 高い他動性は前項の他動性と必然的な関係がないと指 摘している。

 「動詞+結果補語」構造には目的語をとるものと取 らないものがあり、しかも、目的語をとる場合も、そ の目的語には一定の制限があると思われる。実際のと ころ、上の三つの文での目的語はそれぞれ性質が違う。

どのような目的語が結果補語構造の目的語になれるの か。これらの目的語はいくつかのタイプに分けられる のか、それぞれのタイプの目的語はどのような統語的 特徴を持っているのか。

 以上の観点から、本論文では「動詞+結果補語」の 目的語を見直し、目的語になる成分の統語的特徴を通 じて、それが目的語の位置に生起できる条件について 考えてみたい。

2.中国語における結果事象

 2.1 時間軸上の結果と非時間軸上の結果

 中国語の「動詞

+

結果補語」構造は典型的には、「原 因―結果」という事象構造を表し、「原因」は動詞に よって表現され、動作によってもたらされてきた客体

の変化による「結果」は補語によって表現されるのが 普通である。また、中国語は一つの客観事実に対して、

その事象がどんな理由により、いかなるプロセスを経 て、その結果になったのか、その結果に達するまでの プロセスを重んじ、「動詞+結果補語」形式を用いて、

過程からそれを表現する。つまり、中国語では、単文 において、動作と結果を同時に表現することができる ということであるが、「動作」と「結果」はそもそも、

異なるものであり、その中には階層性も含んでいる。

我々は外界の事態を常に「動作・行為―変化―状態」

という事態発生の時間的順序に基づいて捉えることが できる。張黎(2009)は、出来事全般における変化過 程を表す事象構造において、中国語における結果事象 を時間軸上の結果と非時間軸上の結果、規約性結果と 非規約性結果という四つに分けている。以下、事象構 造として図解する。

 この図が表しているように、動作主の働きかけの開 始から、客体が変化してその結果が現れるまでの出来 事を一つの過程と見なせば、その中で、Aは動作・行 為の始点を示し、Bは動作・行為の持続を示し、Cは 動作・行為の終点を示している。このように、動作が 時間軸の上で終了したものを時間軸的な結果と呼び、

一般的に“V 了”の形をとっている。動作が時間軸の 上で終了した後現れる結果を非時間軸的な結果と呼 び、一般的に V 完/好/准”の形をとっている。

 なぜ

A

から

E

までに分けているかというと、これ らは単なる時間的順序だけではなく、これらが表して いる結果における階層性が異なるからである。

(A/C)(了)>

D/E

>(了)(張黎

2009)

動作主の行為 図表1

<時間軸> 存在状態

発話視点 規約非規約

A B C D E

(3)

 Aから

C

までが表しているのは動作・行為又は状 態が時間軸の上で発生、持続、終了することである。

これは一つ目の階層として動作の過程から動作による 結果への変化を表す。D、Eは動作・行為と外れてい るため、行為が終了した後で初めて現れるのである。

これは二つ目の階層として、話者の結果に対する心理 的な変化を表す。つまり、“V 了”という形は動作・

行為または状態が時間軸の上で変化することを表して いるが、文末に置かれる“了”というのは発話の視 点1で,現れる結果状態の現実性を説明している。

 2.2 規約性の結果と非規約性の結果

 張黎(2009)では、規約性の結果と非規約性の結果 を以下のように規定している。

 規約性の結果はある動作・行為による一番自然な結 果であるもの。例えば、“杀-死、晾-干、喝-醉”

などがある。非規約性の結果は規約性結果以外のもの であり、客観的な変化と主観的な評価2によるもの。

例えば、“饺子包快了”、“把她说糊涂了”などがある。

張黎(2009)が言う規約性の結果は動詞の表す事象か ら結果補語

R

の表す事象を特定できるものだと考え られる。非規約性の結果は話者の判断あるいは評価を 表すものであり、「〜すぎる」という意味を表している。

陆俭明(1990)は「偏離義」と呼び、岩崎(1990)は

「過分義」と呼んでいる。

 過分義に関しては、岩崎(1990)は自然な変化を表 す結果を“变”と共起してその変化を表し、過分の意 味を表す結果を程度副詞“太”と共起して表されるも のだと解釈している。例えば、“坑挖深了”という表 現の中で、プラスの意味を表す方向“坑 a 深了(变深 了)”(「深くなる」)とマイナスの意味を表す方向“坑 b 深了(太深了)”(「深すぎる」)の二通りがありうる。

また、岩崎(1990)は、比較の意味を内包する形容 詞3はそれが発話された時点で、内在または外在する 何らかの参照物との比較でその性質に注目している。

例えば、

(4)a 坑 b 挖深了。

  b 坑 b 比 R 深。

    (Rが表しているのは予期した結果である。)

 例(4)の“深了”という表現は“坑 b”の属性で はなくて、程度の上でのズレであり、その原因は動作 の過程(「掘りすぎる」)にあると指摘している。

 実際のところ、過分義型に属す補語には、その具体 的な中身がかなり込み入った様相を呈するものがあ る。例えば、“吃多了”の“多”のようにものを示す ものや“说快了”の“快”のように動作の様態を示す ものがある。過分義型は意味上から見ると、「形状型」、

「様態型」(動作指向型)、「空間型」と、さらに下位分 類できる可能性がある。一つ目は、物体の形状を表す 形容詞“长、短、粗、细、厚、薄、大、小”の場合、

例えば、

(5)衣服做大了。

  服を作ったら、大きかった。

 例(5)の形状についての関心が高い衣類については、

「作る」という動作によって大きい・小さいどちらの 形状を生み出せる行為を表している。

 二つ目は、“高、低、矮、宽、窄、深、浅”などは 視線を移動させて、空間を目測して獲得した「点と点 を結ぶ直線距離」を判断するものとして形状を表す形 容詞グループとは異なる「空間型形容詞」のグループ と見なすべきである。例えば、

(6)手举高点儿。

  手を高く挙げてください。

 三つ目は、あるべき形状から逸脱したマイナス評価 が伴うこと、程度の大小とは別の次元での「〜すぎる」

という意味がある。例えば、

(7)这次跑慢了,才跑了 15 秒。

(8)房间订早了,现在也退不了。

(4)

 例(7)は動作に関わる速度の状態を表し、例(8)

はものの属性を表さず、「部屋を予約する」ことが「早 すぎる」という意味になる。

 上に挙げられている多くの形容詞は意味上ペアをな しており、そのペアが同じ文脈で両方とも使うことが できるものもあれば、他方では一対の反義語の形容詞 であるとしても、動詞と形容詞との共起制限に何らか の非対称がある場合がある。例えば、

(9)拉长了脸。 

  仏頂面をしている。(不機嫌な顔をしている。)

(10)* 拉短了脸。

 以上のように、「動詞+結果補語」構造が表す結果 事象は動作が終了した後初めて現れる状態であり、そ の文法的な意味によって規約性と非規約性に分類でき ることがわかった。本稿では以上のようなことをふま えた上で、結果補語の語義指向(結果補語が意味上ど の成分を指しているのか)から分類を行うことにする。

3 「動詞+結果補語」構造における四つの  分類とその目的語のタイプ

 3.1 虚詞型と動作指向型

 ここでは「動詞

+

結果補語」構造の結果補語を動 作の完了と目的の達成を表す「虚詞型」と実質的な意 味を持つ「実詞型」という二つのタイプに分けること にする。そして、「実詞型」の結果補語は、さらに文 中の主語を説明する「主語指向型」、目的語を説明す る「目的語指向型」前項の述語を補足

·

修飾する「動 作指向型」の三つのタイプに分類することができる。

 「虚詞型」の結果補語は、述語動詞との結合度が強 くなり、実詞からの文法化が進んでアスペクト辞的機 能を持つに至ったと考えられるものである。このよう な「虚詞型」の結果補語には“–完、–好、–掉、–住、

–成、–上、–着、–中、–到、–见”などがある。

例えば、

 (11)这个工作要今天做完吗?

この仕事は今日やり終えねばならないのか。

 (12)他把电脑修好了。

   彼はパソコンを修理し終えた(直した)。

 (13)你看见4我家的猫了吗 ?

   うちの猫を見かけなかったですか。

 上の三つの例の結果補語はいずれも動作が完了した ことを表しているが、以下の二つの例は目的の達成を 表す意味合いで使われている。例えば、

 (14)一定要守住球门。

   ゴールを守らなきゃ。

 (15)看中了这幅油画。

   この油絵が気に入った。

 例(14)の“-住”は「動きがしっかり止まる」と いう意味で、“守住”は「“守”という行為を通じて、

シュートされたボールの進入を食い止める」というこ とを表している。例(15)の“-中”は「目的に達す る」という意味で、“看中”は「“看”という動作の結 果、気に入る」ということを表している。

 「虚詞型」には多義の結果補語、つまり完了と目的 の達成を表す意味のみならず、ほかの意味を表すもの もある。例えば、

 (16)把他培养成一名歌手。

   彼を歌手に育て上げる。

 (17)跑掉一个人。

   一人が逃げてしまった。

図表 2

結果補語

虚詞型 実詞型

主語指向型 動作指向型 目的語指向型

(5)

 例(16)の“-成”は「…になる」という意味で、「出 来上がる」または「完成する」という意味を表す“办成”

の“-成”とは違う。例(17)の“-掉”は離脱するこ とを表し、“跑”という動作の結果いなくなったとい うこと表す。これは目的に達する“-掉”の意味とは 違う。例えば、“扔掉”(捨ててしまう)、“洗掉” (洗い 落とす)は“扔、洗”の結果何かを排除することがで きたという目的の達成を表すからである。

 李临定(1990:52−53)では、まだ定着していない が、一部の動詞と結合する時、完了を表す語として“- 破、-穿”などが挙げられている。

 (18)你把事情捅破了就不好解决了。

ことをぶち壊してしまったら、解決しにくくな るぞ。

 (19)妈妈把眼睛都望穿了,还不见儿子回来。

お母さんは目を皿のようにして見たが、帰って 来る子供の姿はまだ見えない。

 例(18)の“- 破”は「破る」という意味で、“捅破”

は「突き破る」ということを表している。例(19)の

“- 穿”は「穴が開く」という意味で、“望穿”は「目 に穴が開くほど遠くを見る」ということを表している。

このような場合、“- 破、- 穿”自体が持っている本義 の意味を表している。つまり、実質的な意味が強く、

アスペクト助詞にいたるまで文法化は進んでいないと 考えられる。

 次に、「実詞型」の「動作指向型」について説明する。

「主語指向型」と「目的語指向型」は

3. 2

3. 3

で詳 しく説明する。「動作指向型」に属する補語は、実際 のところ、実質的な語彙的意味を備えているものが多 く、常に動作の速さ、動作が起こる時期、動作が続く 時間の長さなどを表す“- 快、- 慢、- 早、- 晚、- 迟、

- 久”などのような特定のものが見られる。例えば、

 (20)(说话)说快了。

   速くしゃべりすぎた。

 (21)(今天)来晚了。

   遅くなった。

 (22)坐久了,(腰疼)。

   長時間座りぱなしだった。

 例(20)の“说快了”の“-快”は「しゃべる」と いう動作の速さを表し、例(21)の“- 晚”は「来る」

という動作が行われる時間が早いか遅いかを表し、例

(22)の“- 久”は「座る」という動作が続く時間が 長いということを表している。

 「動作指向型」の場合は、目的語(客体)を伴う場 合とそうではない場合の二通りがある。上で見た三つ の例は目的語を伴わない例であり、目的語を伴うもの としては“- 紧、- 牢、- 准、- 清、- 透5”などのよう な特定のものが見られる。

 (23)抓紧6绳子!

   ロープをしっかりつかんで。

 (24)能用筷子穿透地瓜,就可以放盐了。

   芋に箸が通れば、塩をかけていい。

 例(23)の“- 紧”(しっかり)は、“抓”(つかむ)

という動作の仕方について述べている。例(24)の結 果補語の“- 透”は「通る」という意味で、箸で食べ ものを刺した時、箸が通ったということを表している。

「動作指向型」は動作の様態、程度、範囲を示し、本 義を強く保持している。また、目的語を伴う場合、目 的語は同時に「動詞

+

結果補語」構造の述語動詞の 目的語でもあるという性質を備えている。結果補語が 説明しているのは動作と対象との間の関係である。こ こで「虚詞型」と「動作指向型」の結果補語の統語的 特徴について比べてみたい。

 次頁の図表

3

で見たように、虚詞型の結果補語は語 義と読み方から見れば、アスペクト辞に近い。しかし、

これらは完全に文法化を経て、アスペクト辞になった

“了、着”とは違って、どの場合でも、軽声で読むと は限らない。例えば、動詞と結果補語の間に“得”ま たは“不”を挿入し、可能補語になった場合、依然と して四声で読む。例えば、看得见(見られる)、记不

(6)

住(覚えられない)。さらに、“- 住”の場合、わざと 強く読み命令を表す場合もある。例えば、“记住了!”

(覚えよう)、“站住!”(止まれ)などがある。

 ここで、四つのタイプにおける結果補語が文中で果 たす意味機能について見てみよう。まず、「目的語指 向型」と「虚詞型」について“好”を例に説明する。「虚 詞型」の中には“- 好”のようにもともと本来の語義 の影響が強いため、本来の語義の用法かあるいは動作 の完了を表す用法かという判断が付きにくいものがあ る。例えば、

 (25)医生治好了我的病。

   お医者さんは私の病気を治してくれた。

 (26)写好作业再出去玩吧。

   宿題が終わったら外に出て遊ぼう。

 二つの例文の中で前者は「目的語指向型」、後者は

「虚詞型」である。例(25)では、形容詞 “好” は “坏”

の反義語として目的語“我的病”との間に意味関係、

つまり “我的病好了” という主述関係が成り立ってい るのである。それに対して、例(26)では、通常の 解釈からすると、“- 好” と “作业” との間に“作业好 了”という意味は読み取れない。“写好”の“- 好”は、

主語または目的語について述べているのではなく、た だ、“写”という動作が完了したかどうかを述べてい る。もう一例を挙げると、

 (27)想好了,毕了业先去中国留学。

   決めた。卒業したら、まず中国に留学する。

 例(27)の“- 好”は動作の「完成」という意味で

ある。“想” は「考える」という行為しか表さず、“- 好”

のような補語がついて初めて「考えた結果、結論が出 る」という結果の意味を表すことができる。

 次に、「目的語指向型」と「主語指向型」について

“- 够”を例に説明する。

 (28)攒够了钱,我就去中国留学。

   お金を十分ためたら、中国に留学します。

 (29)这几年我可受够了苦。

   ここ数年の苦労は、もうこりごりだ。

 例(28)の「目的語指向型」では、補語 “-够”と 目的語“钱” との間に文法的な関係、つまり、“钱够 了” (お金が十分だ)という主述関係が成り立つのに 対し、例(29)の「主語指向型」では、“- 够” は “苦”

について述べているのではなく、我

について述べて

いるのである。さらに、「目的指向型」の “- 够” は「量 が十分だ」というプラス意味を表すのに対し、「主語 指向型」の “- 够” は「もういい」、「もう我慢できな い」というマイナスの意味を表す。つまり、例(28)

の “- 够”は「主語指向型」であると解釈すると、「お 金を何十年間もためていて、もういらない」というニュ アンスになる。

 結果補語の指向型には指向が曖昧なものもある。次 のような文の場合、構造上の曖昧さがあって、二通り の解釈の可能性が生じる。

 (30)打个电话问一下吧,别买重了。

だぶって買うといけないから、電話して聞いて みたほうがいい。

図表3

語の意味 読み方

虚詞型 虚化している意味 部分的に軽く読む7 ‐住 :抓住、咬住

‐见 :看见、听见 動作

指向型 実質的な語彙的意味 強く読む ‐牢 :抓牢、记牢

‐准 :看准、瞄准

(7)

 この“- 重”は“重复 (重複する)という意味で、

“买”という行為を重複してはいけない(一样的东西 买两次)、あるいは買ったものがかぶる(买东西,东 西重了)のはだめという二つの解釈がありうると思わ れる。

 3.2 目的語指向型の構造が伴う目的語

 「動作指向型」にせよ、「虚詞型」にせよ、上で見た 虚詞化が進んだ補語や動作を説明する補語は本来の用 法に比べると、さほど多くない。その補語となってい る動詞、形容詞はかなり多種多様である。「目的語指 向型」の場合は、結果補語が目的語に加えられた動 作・行為の遂行された結果としての状況を表す語であ る。「目的語指向型」のタイプは、その表面に現れた 構造が常に目的語を伴うにもかかわらず、述語動詞と 目的語の直接の関係を持っているタイプと直接の関係 を持っていないタイプに分けられる。

 (31)弟弟撕坏了画报。

   弟がポスターを破った。

 (32)弟弟打碎了花瓶。

   弟が花瓶を壊した。

 (33)洗湿了鞋。

   (何かを)洗っていて、靴がぬれた。

 上の例は常に以下のように分析されてきた。

 (34)弟弟撕画报 + 画报坏了  (35)弟弟打花瓶 + 花瓶碎了  (36)洗(衣服)+ 鞋湿了

 結果補語“坏”や“湿”と目的語“画报”や“鞋”

との間に意味上の関係、つまり、“画报坏了”(ポスター が壊れた)という主述関係が成り立つ8。ここでは次 のように分析してみたい。

 (37)弟弟撕画报 + 使画报坏了

 ここに現れる使役義を持つ動詞“使”は「させる」

という意味の動詞である。この“使”は「ポスターを

〜させる」(Oを

R

させる)という意味を表している。

ここでの目的語“画报”や“花瓶”の意味役割は“撕”

と“打”の「対象」であるから、本来的に目的語とな る性質を内在していることになる。

 (38)洗 + 使鞋湿了

 “洗湿了鞋”では“洗”の対象は靴ではなく、何か 別のものを洗っていて、その結果靴がぬれたという状 況を表している。この場合は、その構造が常に目的語 を伴うにもかかわらず、述語動詞と目的語が直接の結 合関係を持たず、結果補語が常に目的語と直接の結合 関係を持っている。つまり、“使

O,R

了”(Oを

R

さ せる)という使役関係になる。

 「結果を表す動補構造」における使役性の意味機能 について、石村(2000、2011)では、単独の述語とし て使役義を持たない前項要素

V

と後項要素

R

が複合 化した後、使役動詞と同じ意味機能が備わる原因につ いて考察している。その一つの根拠として、石村(2011)

は動詞連続構造の角度から、VRの使役の意味の獲得 を分析している。例えば、

 (39)a* 张三踢球鞋破了。

VOR

   b 张三踢破了球鞋。

VRO

   サッカーで张三の靴がボロボロになった。

 例(39a)は原因と結果が単純につなげたもので、

VOR

という語順をなしており、非文である。例(39b)

は結果を表す「靴がボロボロになる」という語順が逆 転することによって形成されている。使役の出所はこ こにあって、「VR+

O」という動目構造の統語レベ

ルでの語順の力9によって表される。例えば、「原因

+結果」という複合述語の後ろに目的語を従える統語 形式は目的語に対する使役の力の強化を意味し、VR 全体が一語の使役性を持つ他動詞に相当する。図式化 すると、

(8)

 二つ目の根拠として、石村(2011)では中国語の結 果構文の形成パタンから使役義の獲得を分析してい る。「動詞+結果補語」構造は結果を表す第二動詞を 基点にして、「結果に原因を継ぎ足す」形成パタンを 持つという。つまり、「動詞+結果補語」構造の結果 補語の相当語は、すでに古代語の「使動義」10を失っ ており、単独では他動詞に転換できない。例えば、“碎 了花瓶”や“坏了画报”のように、R自体が単独で他 動詞的に用いることは基本的に不可能である。Rが目 的語をとるためには結果事象を引き起こす何らかの働 きかけを明示する必要があり、前方に原因を表す動詞 を継ぎ足す必要がある。

 このタイプをその述語動詞と目的語の意味関係の

(道具、身体の一部、場所など)違いから区分すると、

数種の下位タイプに分類できる。その中で最も広汎に 見られるものが、次のような例である。主語と目的語 の間が全体―部分の関係にある場合:

 (40)观众们笑弯了腰。

視聴者はお腹を抱えて笑った。体をかがめるほ ど笑った。

 (41)孔乙己涨红了脸。

孔乙己は気がのぼって顔が真っ赤になった。

 目的語の位置に“腰”、“脸”などの身体の一部分を 表す語が置かれ、人を表す語とその身体部分を表す語 という特定の関係にある。“腰”、“脸”は“观众”、“孔 乙己”の身体部位、もしくは全体の一部分であり、目 的語の存在は主語にとって先天的に備わっているもの であると理解される。これらの名詞(目的語)は定的 なものであり、以下のように、目的語(身体の一部分)

が修飾成分を必要としない。

 (42)观众们笑弯了 {* 他们的 } 腰。

 (43)孔乙己涨红了 {* 他的 } 脸。

 また、人の所有物である「身のまわりの物」を表す 目的語となっている次のような例も見られる。

 (45)她哭湿了枕头。

   彼女は泣いていて、枕がぬれた。

 この例文の中の“枕头”は一般的な“枕头”ではなく、

特定の人の所有物として位置づけられている。これら の所有物の所有者に対する関係は、分離不可能な関係 に準ずるものとして捉えることができるであろう。こ れらはみな定的なものである。

 3.3 主語指向型の構造が伴う目的語

 「目的語指向型」の場合は、目的語が結果補語と使 役関係を持っており、結果補語の使役の対象として働 いていることがわかった。「主語指向型」の目的語の タイプについて見てみたい。目的語を取る「主語指向 型」の中には次のような例がある。   

 (46)他听懂了这个故事。

   彼はこの物語を聞いて理解した。

 (47)我终于学会了游泳。

   やっと水泳をマスターした。

 (48)他想飞跑一气,跑忘了一切,摔死也没多大关系。

   (老舍《骆驼祥子》)

彼は飛ぶように走り続け、すべてのことを忘れ 去りたい。倒れて死んでもかまわないと思った。

 (49)他听烦了祥林嫂的故事。

   彼は祥林嫂の話しを何度も聞いて飽きた。

 (50)我买惯了便宜的茶,没想到会有那么贵的。

安いお茶をよく買っていたので、そんなに高い のがあるとは思ってもみなった。

 (51)那种游戏我都玩儿腻了。

   こんな遊びはもう飽きた。

(9)

 このように、結果補語はその叙述する対象になる主 語の感情や認知能力を表す。例文(46)(47)の中の動 補構造“听懂”、“学会”について分析してみると、

 彼が聞いて、彼がわかる。

 私が学んで、私ができる。

のようになり、これらは「主語指向型」であると理解 できる。また、結果補語“懂”、“会”は主語以外の目 的語とも構造関係を持っている。“懂”を例にとると、

 (52)他懂这个道理。

   彼はこの道理をわかっている。

 このように“懂”は単独で文中の述語となり、目的 語も取っている。これらの目的語は認知能力の向けら れる対象を表し、直接に動目構造を作ることができ る。これらの結果補語は感情や認知能力を表し、他動 詞性が弱い。いずれも動作主の行為性、意志性は稀薄 であり、数の上から見ても極めて少ない。それに対 して、“惯”、“烦”、“腻”などの場合、文中において 単独で述語になることができない。例えば、「彼がな れる」という文で“* 他惯了”ではなく、“他习惯了”

と言うのである。“烦、腻、腻味”などについては、

郭锐(1995:172、174、184)は一項動詞(一価動詞)

であると、王红旗(1995:158-159)は二項動詞(二 価動詞)であると主張しているが、ここではこれらに ついて以下のように想定してみたい。“吃”がとる項 は動作主とその受けてであり(吃[

Agent,Theme])、

“腻”がとる項は経験者と原因である(腻[

Experiencer,

Cause])。

“吃腻”全体としては“腻”と同じ項構造を 持つ(吃腻[

Experiencer,Cause])。

 (53)大家吃腻了剩菜剩饭。

   皆残り物を食べ飽きてしまった。

 (54)他听烦了祥林嫂的故事。

   彼は祥林嫂の話しを聞くのが煩わしくなった。

 (55)大家吃腻了。

   皆食べ飽きてしまった。

 (56)他听烦了。

   彼は聞くのが煩わしくなった。

 例(53)、(54)のように、「動詞+結果補語」の目的 語“剩菜剩饭”と“祥林嫂的故事”が、結果補語“-腻”

と“-烦”の対象となる語として機能していることが わかる。これらの目的語は、感情や認知能力の向けら れる対象を表し、直接に動目構造を作ることができな い。それに対して、例(55)、(56)では、目的語なし でただ主体の感情を表している。もう一つの例を見て みよう。

 (57)我吃饱了饭。

   私はご飯を食べて、お腹いっぱいになった。

 例(57)では、“吃”と“饱”が結合し、“吃饱”全 体でこの文の述語を構成しているが、“吃”も“饱”

も文中において単独で述語になることができる(“我 喝醉了酒”も同じである)。ここで指摘していきたい のは目的語“饭”である。3.2のところで見たように、

はだかの名詞が目的語として用いられていても、それ が不定であるとは、必ずしも言い切れないが、“吃饱”

“喝醉”の場合は、述語動詞の後ろに現れる名詞“饭”、

“酒”は不定あるいは非特定的であるというのである。

ところが、例(53)の“吃腻”の場合、目的語が特定 のものであるという意味も表せる。“吃饱” “喝醉”が

「主語指向型」のメンバーと異なる点については、3.4 のところで具体的に分析することにする。

 上で見たように、「主語指向型」には“学会”とか“吃 饱”といった例もその中に含まれる。これらの文では、

主語が動作主であるが、実際には結果補語によって引 き起こされる精神的・身体的・生理的変化を体験する

「経験者」でもある。したがって、主語と目的語がと もに「経験者」になりうる場合はあいまい性が生じる。

例えば、

(10)

 (58)宝玉骑累了马。

   宝玉は馬に乗って疲れた。

   宝玉は馬に乗って馬が疲れた。

 例(58)のように、多義的な文では、目的語「馬」

が形式上は特定のものであることを表すマーカーはな いが、特定の馬に言及する定的名詞としての読みも可 能であるため、前者の場合は「彼が馬に乗って、彼が 疲れた」のような主語指向の解釈となり、後者の場合 は「馬が疲れた」のような目的語指向の解釈になる。

 上で述べたように、目的語が不定な名詞句である場 合、あるいは目的語を伴わない場合、結果補語は主語 を叙述する。しかし、補語の性質によって、主語と目 的語両方とも指向可能な場合もある。“唱红”という 構造を例にとると、

 (59)他唱红了。

 (60)他唱红了这首歌。

   彼が歌って、その歌は人気が出た。

 “红”という形容詞は「人気がある」という意味で、

人もしくは歌が人気があることを表す。例(59)のよ うに目的語を伴わない文は問題なく、歌を歌った人が スターになったということである。しかし、例(60)

については、必ず「歌が人気が出る」という目的語指 向の解釈が得られる。つまり、彼がスターになったと いう解釈にはならない。しかも、歌った歌も人気が出 ると同時に人自身が人気が出るという両方の意味は表 せないのである。

 Cheng & Huang(1994)は主語指向が許されるのは 目的語が不定な名詞句として解釈されるためであると 主張している。この場合、結果補語の指向の対象には 主語が選ばれることも可能であろうか。例えば、

 (61)他唱红了 { ?歌 }。

 例(61)における目的語“歌”ははだか名詞である

ため、Cheng & Huang(1994)の分析からすると、解 釈の曖昧性が生じると予想される。また、もし、例

(61)について目的語の定性によって指向の対象を判 断すると、中国語では目的語がはだかの名詞の場合、

結果補語の指向の対象は常に曖昧であり、どちらの解 釈が選ばれるのかは文脈によって決定されることにな ることが予想される。しかし、例(61)では、目的語 になる “歌”の定性にかかわらず、主語指向は不可能 である。その理由として次のようなことが考えられる。

“歌”というはだかの名詞を伴うため、新しい情報が 付け加えていないため、不自然になる。つまり、目的 語“歌”は数量詞あるいは修飾を受けた名詞句が必要 とされる。“这首歌”と違って不定の名詞として解釈 されるにもかかわらず、主語指向は不可能となる。

 3.4  “吃饱”、“喝醉”の場合

 “吃饱”、“喝醉”が属しているタイプは先に

3.3

で 簡単に紹介しておいた。ここで、「動詞+結果補語」

構造“吃饱”、“喝醉”の目的語“饭”、“酒”が「主語 指向型」が伴う目的語のタイプと異なる点について見 てみたい。

 主語指向型の補語“-惯、-腻、-懂、-会”は意 味上主語について述べている。しかし、これらの補語 の中では、主語指向型の補語ではあっても、“-懂、

-会”のように直接に動目構造を作ることができるも のがある。一方で、“-饱”、“-醉”は目的語と動目 構造を作ることができない。この点で、主語指向型の 中の補語とは性質が違うのである11。また、“吃饱”、

“喝醉”は、目的語“饭”、“酒”をつけても「動詞+

結果補語」構造が依然として成立し、しかも、その構 造全体の意味は、目的語がついていない場合と比べて も変わることがない。

 我吃饱了。→我吃饱了 + 饭  我喝醉了。→我喝醉了 + 酒

このようなタイプの目的語はすでに李临定(1986)

(11)

などによって指摘されている12。“饭”は“吃”の受け 手になるが、“吃饱” 全体の受け手にならない。した がって、“饭”、 “酒”は“吃饱” “喝醉”といった構造 に補足された特殊なタイプと見なす。

 このような目的語は、具体的な事物を表しているわ けではなく、形の上では目的語になっているが、「動 詞+結果補語」構造に何も新しい情報を付け加えては いない。日本語の「飲む」という動詞も「酒を飲む」

と同じ意味で使われる場面が多い。例えば、「飲みに 行く」という表現を中国語の言語表現にしてみれば、

“去喝点?”とか“去喝两杯?”といったいろいろな 具体的な表現が考えられるであろう。

 現代中国語には、“走路”(道を歩く)、“唱歌”(歌 を歌う)、“烧火”(火を燃やす)のような動目構造が あるが、これらの中に見られる目的語は実質的な意味 が込められているのではない。このような目的語は

“同源宾语”と呼ばれる。また、“吃饱饭”、 “喝醉酒”

における“吃饱”、“喝醉”はその動補構造全体として 一つの動詞のように働き、一つの目的語を取っている と理解すると、それは“同源宾语”を伴った動目構造 と構造が同じものであると言うことができる。つまり、

“吃饱”、“喝醉”に対して“饭”、“酒”は構造が取り うる唯一の目的語であるのだが、実質的な意味を担っ ているわけではなく、これらは、李临定の言う「虚目 的語」でしかない。

 以上のように、「動詞+結果補語」構造 “吃饱”、

“喝醉”の目的語は虚目的語であって、具体的な事物 を表す語として機能していないと思われる。しかし、

小説の中ではある表現のため、時にほかの目的語を伴 う場合も見られる。“吃饱”を例にとると、

 (62)吃饱山珍海味的肚子吃不消西北风,…… 

   徐迟《回首可怜舞地》

山海の珍味でいっぱいになったお腹はすきっ腹 をかかえることは(空腹には)耐えられない。

 (63)这两位奶奶现在的身体像两个吃饱苍蝇的大蜘 蛛。钱钟书《围成》

この二人の奥さんの体はハエをいっぱい食べた

二匹の大ぐものようだ。

 例(62)では、いつも高級料理を食べていることを 山海の珍味でお腹いっぱいということに言い換え、例

(63)では大ぐものような奥さんの姿を描きだすため、

ハエをいっぱい食べたという表現が使われている。し かし、このような使い方はあくまでも特例であって、

施春宏(2008:146)が指摘したように、一般的によ く使われている例ではなく、ある作家に特有の個別的 な例にすぎない。

 前述のとおり、“吃饱”がとることのできる目的語は、

唯一“饭”だけであり、同じように“喝醉”の場合は、“酒”

だけである。一般的には、“* 吃饱巧克力”、“* 喝醉啤 酒”のように、目的語が個別的、具体的なものを表す ような場合には、その目的語を“吃饱”、“喝醉”の後 に置くことができない。もし、目的語についての明確 な描写が必要な時には、その目的語の位置を変え、一 度目的語をとった述語動詞を言っておいて、その後で 再びその述語動詞と補語を伴った言い方を繰り返す。

つまり動詞句が二つ重なる形式(重動文)が用いられ る。例えば、

 (64)吃馒头吃饱了。

   饅頭を食べてお腹いっぱいになった。

 (65)喝红酒喝醉了。

   ワインを飲んで酔っぱらっちゃった。

 指摘しておきたいことは、“吃饱”がとることので きる目的語は、唯一“饭”だけであるにもかかわらず、

“吃饱”は“肚子”という目的語もとることもできる ということである。例えば、

 (66)当兵能吃饱肚子。饱肚不思家。阎连科《雪地里》

兵士になると、お腹をいっぱいにすることがで きるので、ホームシックにはならない。

 (67)现在的问题是先让乡亲们吃饱肚子,到那时咱再 说别的。曲波《林海雪原》

現在の問題は村の人を食べさせることだ。それ

(12)

から、別の問題を解決しろ。

 実は“吃饱了肚子”は“吃坏了肚子”(食べてお腹 を壊した)と同じ構造であって、両方とも目的語指向 型に属している。“吃坏了肚子”の場合は、“吃肚子”

とは言わないことから明らかなように、“吃饱了肚子”

も同じように“吃”と“肚子”は直接に結合関係を持 たないが、意味上は「食べる」という行為をしてお腹 に対する状態変化が起こったことを表していると言え る。上に述べたように“吃饱饭”の目的語“饭”は構 造に何も新しい情報を付け加えていないが、“吃饱肚 子”の場合は情報量がかなり違うのである。例(66)、

(67)で見たように、“吃饱肚子”は空腹を満たすとい う意味で、食料を手に入れることができない状況を表 す時に使われる。この場合、“吃饱肚子”が意味上で は“填饱肚子”という表現と同じ意味を表し、食べる という行為を通じて「お腹を埋める」、「お腹を満たす」、

「お腹をいっぱいにする」という意味になるのである。

 したがって、具体的な場面では“吃饱”と“吃饱肚 子”はその用法が全く同じというわけではない。用法 の違いを見てみると、

 (68)你吃饱了吗?(お腹いっぱいになったか。)

 (69)你吃饱肚子了吗?(お腹をいっぱいにすること ができたか。)

 例(68)は普通食事の後でお腹いっぱいになったか、

つまり、しっかり食べたかということを聞くことに対 して、(69)の場合、相手が飢餓に苦しんでいたり、

あるいは十分食べられていないのではないかという前 提のもとで用いられる。とにかく、お腹を満たすため に食べるというニュアンスがある。

 このように、同じ“吃饱”であっても、その目的語 が“肚子”である場合、新しい情報の付与によって「目 的語指向型」に属することになる。

4.基本文型「主 ・ 述 ・ 目」における主語と  目的語の位置変換

 ここまで「動詞+結果補語」構造における目的語の タイプについて結果補語と目的語の統語的関係の立場 から詳しく検討した。その結果、「動詞+結果補語」

構造全体の目的語は結果補語と直接的な関係を持って いることがわっかた。4のところでは「動詞+結果補 語」構造における主語と目的語になる名詞性成分の統 語的機能について見てみたい。

 4.1 主語と目的語位置に現れる成分

 朱德熙(1982:110)によると、主語は必ず述語の 前にあり、目的語は必ず動詞述語の後ろにある。主語 と述語の間の関係は緩やかで、動詞述語と目的語は意 味上及び構造上の連携は極めて緊密である。つまり、

目的語は動作を受ける対象という性質を持たなければ ならない。例えば、

 (70)村里饿死了不少人。

   村で多くの人が餓死した。

 (71)这场饥荒饿死了不少人。

   この飢饉のせいで多くの人が餓死した。

 例(70)と例(71)は、それぞれ主語になる名詞句 に違いがある。例(70)は存現文13で、文全体におい て述語“饿死”の主語は“村里”である。しかし、主 語“村里”はただ構造上において文の主語の位置にあ るだけで、動詞との意味上のかかわりが薄い。また、

目的語“不少人”が持っている意味役割は常に動作 主(施事賓語)であると考えられてきた。つまり、自 動詞“饿”は動作主を目的語に取っている。一方、例

(71)の目的語“不少人”は動作を行う主体ではなく、

意味から見れば例(70)と違って、動作を受ける対象 となっている。

 以下、中川(1992)の述べる「施事主語文」につい て考察してみよう。次のような例がこれに該当する。

(13)

 (72)胖子把椅子坐塌了。

   太った人がいすに座って、いすがつぶれた。

 (73)大孩子把小孩子带坏了。

   大きな子供が小さい子供を連れ歩いて悪くした。

 これらの例について中川(1992)は、動作主“胖子”、

“大孩子”などの主語(名詞句)が表しているのは文 全体(CR他動詞文全体)の原因と見なすことができ るものであると主張している。これらの主語は広い意 味で考えると原因になっているが、この文での主語は 単なる「施事」というような意味役割を表すわけでは なく、意味役割を超えたものである。上記の例の主語 を他の語に変えてみると、以下のようになる。

 (74)?瘦子把椅子坐塌了。

 (75)?小孩子把大孩子带坏了。

 このように、例(74)の場合、主語が太った人から やせた人に変わると、やせた人が原因でいすがつぶれ たという結果が生じる事態は想定しがたい。例(75)

の場合、小さい子供が大きな子供を連れ歩いて悪くし たということも考えにくい。したがって、例(74)と 例(75)の主語は文全体の原因にならない。例(72)

と例(73)の中での主語は文全体の出来事の原因を表 すというよりも、述語動詞と結果補語の間の因果関係 の容認度を高める機能をしていると思われる。

 石村(2000)は、この種の文の主語に立つ名詞句を「原 因主語」と呼んでいるが、この種の主語は使役変化を 引き起こす性質を備えているという意味論的な条件を 満たしていなければならないと述べている。例えば、

 (76)一场噩梦惊醒14了孩子。

   悪夢を見て子供はとび起きた。

 例(71)の“这场饥荒”と例(76)“一场噩梦”の ような主語位置に現れる成分は文全体の表す使役の事 態の原因となりうる名詞句で、出来事を表す使役主

(causer)であると考えることができる。つまり、文

全体としては「飢饉が人を死なせる」、「悪夢が子供を 起こす」という使役的な意味を表す。以下の例を見て みよう。

 (77)隔夜饭吃坏了我的肚子。

   昨日のご飯を食べてお腹を壊した。

 (78)祥林嫂的故事听烦了他。

   彼は祥林嫂の話しを聞き飽きた。

 例(77)と例(78)の主語はモノ名詞であり、例(71)

の“这场饥荒”と例(76)“一场噩梦”のようなデキ ゴト名詞ではない。しかし実際には、メトニミー(換喩)

の一種であり、「昨日のご飯を食べた」と「話を聞いた」

という出来事が形式の裏に隠れているのである。

 石村(2000)は原因主の導入条件については何ら言 及されていないが、使役性を持つこの種の主語を原因 主として解釈するためには、二つの条件のどちらかを 満たさなければならないと思われる。一つは述語動詞

「食べる」出来事全体が「お腹を壊す」という使役事 象の原因にならなければならない。もう一つは、例(77)

(78)のように結果補語が働きかけで状態変化を経験 する目的語がその受け手であることを示さなければな らない。

 4.2 主語と目的語の位置変換

 中国語の目的語は多くの場合述語の後から述語の前 に移動することができる。一般的には目的語は述語の 前に移動することができても、主語は述語の後に移動 することができない。しかし次のような場合は目的語 は述語の前に移動できるばかりでなく、主語も述語の 後に移動することができる。例えば、

 (79)a 祥林嫂的故事听烦了他。b 他听烦了祥林嫂的 故事。

   彼は祥林嫂の話しを聞くのが煩わしくなった。

 このような文は、一見主語と目的語の語順を変換し、

(14)

動詞から見た意味役割が変わらない文であるかのよう に見えるが、例(78a)は“祥林嫂的故事”を使役主 とする文であるのに対し、例(78b)は“他”を動作 主とする文である。

 この文では、「S+V+O」構造が「O+V+S」構造 に変換していると言える。主語と目的語の位置が逆転 しても、文が表している意味(命題)は全く変わってい ない。しかし、このような位置変換はすべての文に用 いることができるわけではなく、一部の文にしか使え ない。以下の例文は主語と目的語の変換ができない。

 (80)小说看哭了姐姐。    * 姐姐看哭了小说。

   小説を読んで姉は涙を流した。

 (81)相声听乐了他。    * 他听乐了相声。

   漫才を聞いて彼は笑った。

 このように、これらの文は構造上の特徴により、主 語位置に現れる成分は目的語位置に移動できない。

 ここでは、以上のような

S

O

が語順の変換が可 能な文について、述語動詞と結果補語との関係に焦点 を絞って考察する。

 ある結果状態に達するための手段というのは複数存 在する可能性がある。したがって、動補構造において は、一つの補語に対して、複数の動詞が結びつきうる ことが少なくない。例えば、

 (82)洗干净(きれに洗う)/ 刷干净(きれいに磨く)

/ 冲干净(きれいに流す)/……

 例(82)の「洗う」、「磨く」、「流す」などの動詞は「き れいにする」という目的を達成するための手段として 使われている。このように、原因となる行為が唯一で はないというのが通常の状況であるが、これに対して 例(80)、(81)のようなタイプの文で前提となるのは、

原因となる行為が往々にして唯一でまたは限られたも のしかないという点である。例えば、

 (83)他看 / 演 / 唱哭了。

 (84)小说{?弄 / ?想}哭了他。

 例(84)が示すように「小説が彼を泣かせる」とい う使役事象が成立するための前提は、通常「彼が小説 を読む」という事象だけである。つまり、例(83)の ように本来は手段としての場合は述語動詞には複数の 中から選択できる可能性があるが、例(84)の場合、

述語動詞の選択可能性が極めて限られている。もう一 つの例を見てみよう。

 (85)一杯啤酒喝醉了老王。

   王さんはビール一杯で酔った。

 例(85)では、主語の「ビール一杯」が「飲む」と いう手段で「王さんが酔う」という事態を引き起こし たというわけではなく、述語動詞の「飲む」という動 作によって表される「王さんがビールを飲む」という 出来事が「ビール一杯が王さんを酔わせる」という使 役事象の前提になっているのである。

 現代中国語には、本来は目的語成分を求めない自動 詞でも目的語成分が必要になる構文がある。例えば、

 (86)王冕七岁死了父亲。(死は王冕の意思に関係な く自然に発生したこと)

   王さんは七歳の時、父に死なれた。

 (87)他们家跑了老婆。

  彼の家族は嫁に逃げられた。

 例(86)と例(87)は「父が死ぬ」、「嫁が逃げる」

という事態の発生によって何らかのマイナスの影響を 被った事態を表している。つまり、主語の名詞(経験 者)が出来事によって、主語にとっては喪失や被害を 受けることを言っている。出現・消滅に関わる動詞を 伴う「無主語述語文」の場合を見てみよう。例えば、

 (88)来客人了。VO    来客があった。

(15)

 主語を伴う言い方も存在する。例えば、

 (89)客人来了。

SV

   客が来た。

 例(88)の場合、主語がなくても、動作主の「客」

を動詞の後ろに置き、「客が来た」という事態を表す ことができる。例(88)と(89)は「客が来た」とい う客観的事実を表す点では全く同じであるが、話し手 が出来事を体験することによって生成される感情が異 なるのである。

 “客人来了”では動詞“来”の前の“客人”は特定 できるものであり、“来客人了”での“来”の後ろの

“客人”は不特定のものである15。つまり、“来客人了”

の場合は、「突然の客が来た」という意味を表すのに 対し、“客人来了”の場合は「予定していた客が来た」

ことを表す。したがって、“来客人了”は約束なしに 客が来たということで、話し手の意思に関係なく起 こった出来事であり、客は行く意思を持ってやってき たが、話し手は客の意思を事前には知っていない。つ まり、“来客人了”は予期せぬことに対しての対応の 準備があまりできていない。一方、“客人来了”は客 が来ることを話し手も事前に知っているので、受け入 れる態勢ができている。

 このように、話し手の対応の仕方が異なると、同一 の事態に対して違う言語表現を用いることがある。こ こでは、本来前に置くべき動作主

S(客)を動詞の後

ろに置きそれを新しい情報として出している。以下の 例を見てみよう。

 (90)学生吃腻了食堂。

学生はいつも食堂で食べているから、食堂に飽 きてしまった。

 同じ出来事(学生が食堂に飽きてしまったこと)で あっても、話し手の主観が強くはたらくと、以下のよ うに語順を組み換えることが可能である。例えば、

 (91)食堂吃腻了学生。

 例(90)は動作主“学生”が食堂のものに飽きてし まったという主語である学生自身の変化を述べてい る。それに対して、例(91)では、目的語“学生”が 経験する状態変化は、自分自身の原因ではなく、何ら かの働きかけを受けて引き起こされたものである。つ まり、自らのコントロールが及ばない客観的なこと(同 じ料理が提供されること)のため、飽きてしまったと いう事態から自分を抜け出して、自分が責任を取らせ ないように言っている。このようにある事態を言語化 する際、話し手が事態をどのように把握することに よって、言語化の結果が異なってくる。もう一つの例 を見てみよう。

 (92)a 老师讲烦了课。(先生自分自身の原因)   

   b 课讲烦了老师。(授業の問題)

   先生は授業をするのが煩わしくなった。

 例(92)は授業に飽きたという事態を述べているが、

例(92a)は動作主の先生が授業に飽きたという事実 のみ述べている。それに対して、例(92b)のように 言うことによって、何らかの原因を見つけ出して、自 分の勝手な責任逃避ではないことを表している。

 ここで指摘していきたいことは、今まで見た“吃 腻”、“讲烦”などの例は全体として非意志的行為だと いうことである。つまり、動作主にとってはコントロー ルできないという特徴を持っている。一方では、“喝 醉”はこれらと違う特徴を持っており、“喝醉”の場 合意志的なものと非意志的なもの両方に解釈できる。

例えば、

 (93)老王喝醉了酒回家。[±意志的]

   王さんは酔っぱらって帰ってきた。

 意志的かどうかを検証するため、“故意”を入れて みると、

(16)

 (94)老王 故意 喝醉了酒回家。[

+

意志的]

   王さんはわざと酔っぱらって帰ってきた。

 例(93)の場合は“喝醉”自体が意志的な場合と非 意志的な場合の両方の可能性がある。一方、例(94)

の場合は“故意”との共起により必ず意志的で、非意 志的な行為に解釈されることはない。

 以上のように、目的語を伴う「動詞+結果補語」構 造用例の中では主語と目的語が位置変換できるという 構文的特徴が見られるが、それは動詞と結果補語の意 味関係が主語と目的語の位置変換に影響を与えている ことがわかった。

5.おわりに

 今後は「動詞+結果補語」構造が目的語を伴う場合、

それが生起する位置について、統語的制約と意味論的 な動機づけを論証する。その中でも、予測を外れたも のにおける目的語の前置と後置についての問題、つま り過分義を表す「動詞+結果補語」構造の内、目的語 が後置される場合と目的語が前置される場合はどのよ うな区別があるのか。また「予期した結果」を表す「動 詞+結果補語」構造も目的語が前置される場合と目的 語が後置される場合はその文法的な意味が異なってい ると考えられる。この論文では、統語レベルでの「動 詞

+

結果補語」構造が生起する「S+VR+O」という 形式の目的語しか扱うことができなかったが、別の原 則が働いている可能性もあるという批判も含めて検討 し、今後の研究を進める。

1 視点:言語行為において、話し手がある出来事を描写しようとする時に、自身が占めている空間的、時間的、

心理的な位置といった意味である。(澤田治美1993:303)

2 詹卫东(2010)では、VRについて分類を行う際に、Rが主観的な評価を表すものとして “买贵了”、 “吃 多了” のようなものが挙げられている。主観のテストにおいては、まず、このようなVRは必ず“了” ついている。次に、“得”を挿入できるかどうかによって判断している。

3 中国語の形容詞は文脈に頼らなくても、語彙的な意味に比較の基準点、つまり絶対的な基準が既に内在 しているため、形容詞自体が比較を表している。したがって、形容詞が、とても(“佷”)または少し(“有 点儿”)といった副詞と共起しないときは、比較の意味が現れる。

4 “- 见”は本来「見える」という意味を持つ動詞だが、そこから「何かが知覚される」ところまで、意味が広がっ ており、視覚や聴覚などの感覚のことを表す。例えば、“听见”、“看见”。

5 他的话伤透了妈妈的心。(彼の言葉がお母さんの心を深く傷付けた。)

ここでの“- 透”は形容詞であり、「徹底している」という意味で、形式的には結果補語であるが、意味 的には「“伤”(傷付ける)の程度がはなはだしく高い」ということを表している。

6 我们得抓紧了。(もう急がなければ、……)

ここでの“抓紧”とは“抓紧时间”のことで、「時間をしっかりつかんで行動する」、つまり「急ぐ」とい う意味である。

7 林焘(1957)では、「虚詞型」の結果補語を軽声の補足語(“轻音补足语”)と呼び、動詞と結合する時に は本来の語義を保っていないと述べている。また、石毓智李讷 (2001)は「文法化」の観点から音声形 式の弱化によって一部の使用頻度の高い結果補語や量詞、構造助詞などが接語化したことを論じている。

8 武松 打死了 老虎。

  主語述語補語目的語       述語   主語

というような分析法、つまり、表層構造分析と深層構造分析の合わせ技で対処している。そこで、表層構 造上で補語に当たる“死”は、深層構造上では、表層構造で目的語にあたる“老虎”を主語としているこ

(17)

とが示されている。しかし、深層構造は、結局文法構造ではなく、文意構造というものなのだ。

9 VRの配列順序は因果関係にある二つの出来事(時間的に連続する二つの出来事)が生じた時間的順 序を類像的に反映したものである。(Tai2006)使役の解釈は類像性(iconicity)を反映した語順がもたらす。

10 “酒醉人” という表現は古代の使役用法が残っているものである。しかも、“醉”の目的語は“人”だけ である。

11 “吃饱”、“喝醉”は、その二つの成分の間の意味関係においても特徴が見られる。つまり、“饱”という状 態の原因となる行為は“吃”だけであり、“醉”という状態についても“喝”という行為だけがその原因 となりうるのである。

12 李(1986189)はこのタイプの目的語を類名詞(generic noun)が目的語になる場合だと指摘し、郭(1995)

“吃饭” 、 “喝酒”を離合詞という範疇に入れて、“吃饱饭” 、 “喝醉酒” のような構成体は “吃饭”、 “喝 酒”の間に補語“饱”、“醉”を挿入したものだと言っている。また、(2004)は余った成分だと指摘し、

施(2008:144)は、表現の中で省略することができるデフォールト(default)だと言っている。

13 存在や出現、消滅を表す「場所を表す句+述語+もの(人)を表す名詞」という構造を持つ文。

14 “醒”は「覚める」という意味で、 醒 は「驚く」ということが原因で、「子供が目覚める」というこ とを表している。このように、どのような原因で目が覚めるのかを表す表現に、“叫醒”(呼ばれて目が覚 める)、“吵醒”(騒がしくして目が覚める)、“疼醒”(痛くて目が覚める)などがある。ここで、“惊” 述語として単独で使えないという個性を持っているのに対し、“叫”、“吵”、“疼”などは自由に使える。

15 “小王来了”は言えるが、“* 来小王了”は言えないのである。“* 来小王了”が非文法的であるのは“小王”

が古い、既知の情報と関わっているからである。中国語では主位は既知の情報でなければならない。動詞 の後ろに置かれている情報が未知の情報で、つまり、新情報である。

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参照

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