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〈論 説〉
1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程
松 本 武 祝
目 次
序 論点 の開示
第1節 セ マ ウル運 動 の前提 条件 の形成 D農 村階級 構成 の同質 化
2)60年 代 末 にお け る農業政策 の転換 3)農 村 の組織化 の進 展
第2節 セマ ウル運 動 の展開過 程 1)セ マウル運 動 の推 進組 織 2)セ マ ウル蝶 あ変遷 3)財 政 支援
第3節 セ マ ウル運動 の効 果 1)農 家経 済 の向上 2)農 村 市場 の拡 大 3)合 意調達 費用 の節 約 4)政 権 の正 当性 調達
第4節 セマ ウル運 動 の限 界 と変質 1)洞 里間格 差 の増大
2)合 意調達 費 用の外 部化 3)価 格政 策 の限 界 お わ りに
序 論 点 の開示
本 稿 で 取 り上 げ る セ マ ウ ル運 動 は,1970年 代 韓 国 に お け る代 表 的 な 農 業 ・農
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村 政 策 の ひ とつ で あ った 。76年 に李 萬 甲 氏 が 農 民 を対 象 に お こ な った ア ンケ ー
2商 経 論 叢 第28巻 第4号 (171)
卜調 査 に よ る と,「71年 に比 べ て 生 活 水 準 が 改 善 さ れ た理 由 」 と して 最 も多 く 挙 げ られ た項 日 が 「稲 新 品 種 開 発 」 で,っ い で 「セ マ ウ ル 運 動 」 第3位 が 「新
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し い換 金 作 物 」 で あ った 。 農 民 の 印 象 に お い て も セ マ ウ ル運 動 の 評 価 は 高 か っ た と い え る。 そ して 後 に 述 べ る よ う に,稲 新 品 種 や 換 金 作 物 が 新 た に導 入 さ れ る過 程 で セ マ ウ ル運 動 は一 定 の 役 割 を演 じて い る。 した が っ て ,セ マ ウ ル 運 動 に 対 す る農 民 の 評 価 は,潜 在 的 に は この 調 査結 果 以 .ヒの もの で あ っ た と い う こ とが で き る。
72年10月 に 朴 正 煕 大 統 領 は 憲 法 停 止 ・国 会 解 散 を 内 容 とす る特 別 宣 言 を 行 い,ま た 非 常 戒 厳 令 を 布 告 した。 以 後79年 の 朴 人 統 領 射 殺 ま で ,「 維 新 体 制 」 と 名 付 け られ た 独 裁 的 な 政 治 運 営 が 行 わ れ た 。「卜月 維 新 」の 翌 年 の 年 頭 記 者 会 見 に お い て 朴 大 統 領 は,「 卜月 維 新 はす な わ ち セ マ ウ ル運 動 で あ る。セ マ ウ ル 運
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動 は1・月 維 新 で あ る。」 と表 明 した 。 朴 大 統 領 は同 じ席 上 で,「 碗 化 学1業 化 宣 の
言」 を も行 って い る。 朴政 権 は,後 者 を通 じて経 済成 長 の追 求 と 「朴政 権 な り の経 済 ナ シ ョナ リズム」の 貫徹 を,そ して 前 者 を通 じて60年ゆ 代 に停 滞 的 で あ っ た農 村 経 済 の活性 化 を それ ぞ れ も くろ み,そ れ らの成 果 を も って 「維 新 体 制」
の政 治 的 正 当性 の確 保 に努 め よ うと した。 セ マ ウル運 動 は 「維 新 体 制 」 にお い て 重化 学 工 業化 と並 ん で重 要 な政 治 的 課題 と して 位 置づ け られ た ので あ る。
で は,こ れ まで セ マ ウル運動 に対 して はいか な る評 価 が 下 され て きたの で あ ろ うか。
まず,セ マ ウル運 動 の 「正 史 」と もいえ る韓 国 内務 部 「セ マ ウル運 動10年 史 』 で は,例 え ば 「期待 以上 の実 績 を上 げた ことで セ マ ウル運 動 は農村 に根 を下 ろ
し,10年 とい う短 い期 間 にわが 国 農村 で の農 業 革命,文 化 革 命,精 神革 命 の基
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盤 を 堅 め る の に人 き く寄 与 した 」 と して,当 然 で は あ るが セ マ ウ ル 運 動 の成 果 を 高 く顕 揚 して い る。実 際 内 務 部 の 挙 げ た 数 値 に よ る と,セ 要 な19の 「セ マ ウ ル 事業 」 の う ち80年 時 点 で 当 初 の 目 標 以 上 の 進 捗 度 を 示 して い る もの が9っ
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に の ぼ って お り,こ の 数 値 を 見 る限 りで はか な りの 実 績 を 挙 げ た と評 価 す る こ とが で き る。
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た だ し,「 セ マ ウ ル 運 動 は少 な か らず 官 主 導 に よ っ て 推 進 さ れ た 」 と い う問 題
(1?0) 1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程3
点 も内 務 部 自身 が 指 摘 して い る。 と は い え これ に対 して は 「こ の運 動 を 自 らの た め の 運 動nら の家 族 ・職 場 ・地 域 社 会 の た め の 運 動 と して 発 展 さ せ て い か な け れ ば な い らな いC9)と 述 べ る の み で 濃 民 に 主 体 性 が 欠 け て い た 勧1こ 「官 t導 」 に な ら ざ る を え な か っ た と い う 同 義 反 復 的 な 理 解 しか持 ち合 わ せ て い な か っ た よ う で あ る。 ま た あ る論 文 で も,セ マ ウ ル 運 動 に対 して 「官 製 国 民 運 動 」 あ る い は 「政 府 官 吏 に よ る強 制 動 員 」 と い っ た批 判 が あ る こ と を 紹 介 して い る が,そ の 要 因 と して は 「セ マ ウ ル 運 動 が 地 方 公 務 員 の 昇 進 運 動 の 標 的 に な って
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きた」 とい ういわ ば行政 管 理 上の 欠 陥 を指摘 す るに留 ま って い る。 政府 の期 待 とは反 して セ マ ウル運動 に対 す る農 民 の 老体 的 な対 応 が容 易 に得 られ なか った の は いか な る理 由 によ る のか,本 稿 で 改 め て取 り扱 わ な けれ ば な らな い重要 な 論 点 の一 っ とな る。
一 方 ,政 府 に批 判 的 な 、γ場 か らの セ マ ウル運 動 評価 と して は,「内 外 独 占資 本 の順調 な蓄積 を保証 す るた め の 農 村政 策 で あ り農 民 動 員 政 策 で あ る」,具 体 的 に は 「セ マ ウル運 動 の1'要 内容 は独 占企 業 の短 期 的 ・長 期 的 市場 拡 張 と国 内資 本 調 達,『 営 農 資 金』回収 な ど と密 接 に関連 して い る」 とい うのが その代 表 的 な もの で あ 老1号.セ マ ゥ ル 運 動 の 過 程 で 農 村 で の 工 業 製 品(生 産 財 ・消費財)に 文f す る需 要 が 拡 大 し,ま た 貯 蓄 額 が 増 人 して,そ れ が 韓 国 で の 資 本 蓄 積 を 促 進 し
た と い う の は 注 目 に 値 す る指 摘 で あ る。 な ぜ な ら従 来 の 評 価 で は,70年 代 韓 国 の 重 化 学 工 業 化 は外 資導 入 と輸 出 指 向 」二業 化 政 策 に よ って 達 成 さ れ た と 言 わ れ て き た か らで あ る。 本 稿 で も こ の 点 を,ふ た っ あ の 論 点 と して 具 体 的 に 考 察 し た い 。
た だ し,国 内 農 村 市場 の 拡 大 と い う だ け の 目標 で あ れ ば一 般 の ス ペ ンデ ィ ン グ ・ポ リ シ ー(公 共事 業 や価 格政策)に よ って で も実 現 が 口∫能 で あ る。 韓 国 政 府 が 「運 動 」 と い う固 有 の政 策 手 段 を 通 じて 実 現 しよ う と した もの は,そ れ と は 別 の と こ ろ に 求 め な け れ ば な ら な い で あ ろ う 。 本 稿 で 取 り扱 う べ き 第 三 の 論 点 で あ る。
「多 く は 内 外 独 占 資 本 と地 主 の た め に少 し く は 少 数 の 富 農 の た め に,農 民 た
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ちの労 働 力 ・土地 ・現金 な どが無 償 で 提供 され た」 とい う説 明 が第三 の論 点 を
4商 経 論 叢 第28拳 第4号
(ユ69)
考 え る 際 に人 き な示 唆 を 与 え て くれ る(た だ し,地 主 ・富農 とい った農村 階級構 成 の実 態 にっ いて は別途検 討 を加 えな ければ な らないが)。 とす る と今 度 は,ど う して 農 民 た ち は 労 働 力 な ど を 「無 償 で提 供 」 した の か,と い う新 た な 疑 問 が 生 じて く る。 「維 新 体 制 は(中 略)農 民 た ち の 自 主的 参 与 を 無 視 した ま ま 強 圧 的 に セ マ
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ウル 運 動 を 展 開 した」 と い う説 明 も 可 能 で は あ るが ,「 強 圧 」で も って す べ て を 説 明 しきれ るほ ど 事態 は単純 で はな カ・った と思 わ総 と くに 上に示 した よ う
に か な りの 「セ マ ウ ル 事 業 」 が 当 初 の 目標 以 上 に進 展 した こ と を 「強 圧 」 の み で 説 明 す る こ と は無 理 で あ ろ う。 農 民 が セ マ ウ ル運 動 に 対 して 一 定 程 度 の 積 極 性 を 見 せ た とす れ ば,そ の イ ン セ ン テ ィ ブ は ど の よ う に して 形 成 さ れ た の で あ
ろ うか,こ れ が 第 四 の 論 点 と な る。
… 見 す る と第 一 の 論 点 と第 四 の 論 点 は 矛 盾 す るか の よ う に 思 わ れ るが
,時 間 の 経 過 と と もに 「官 主導 」「農 民 の 積 極 的 参 加 」 と い うそ れ ぞ れ の 側 面 に 濃 淡 が 現 れ た の で は な い だ ろ うか 。 時 間 の経 過 と い う と き,具 体 的 に は セ マ ウ ル 運 動 と して実 施 され た事 業 内容 お よ び洞 里 の社 会経 済 構 造 とい う二 っ の要 素 の変化くユの
の過 程 が 貢要 で あ る と考 え る。 さ いわ い同 時代 の実 態調 査 資料 が い くつ か報 告 され て い るの で,そ れ らを利 用 して セ マ ウル運 動 の展 開過 程 を洞 里 レベ ルで の 変 化 に即 して動 態 的 に把握 す る こ とを試 み る。
(1)セ マ ウ ル 運 動 は ま ず 農 村 に お い て 開 始 さ れ た が,す ぐ に 都 市 ・Il場 ・学 校 な ど へ も対 象 領 域 が 拡 大 さ れ て い っ た。 本 稿 で は 原 則 と して 農 村 セ マ ウ ル 運 動 の み を 指 して セ マ ウ ル 運 動 と い う表 現 を 川 い る こ と に す る。
(2)李 萬11{*『 韓 国 農 村 社 会 研 究 』1981年,294頁 参 照 。 な お*印 は 朝 鮮 語 文 献 で あ る こ と を 示 す(以 ド同 様)。
(3)1973年1月12日 年 頭 記 者 会 見 よ り 。ハ ン ・ ド ゥ ヒ ョ ン*r国 家 権 力 の 農 民 統 制 と動 員 政 策 一 セ マ ウ ル 運 動 を 中 心 に 一」 韓 国 農 漁 村 社 会 研 究 所 編 『韓 国 農 業 ・農 民 問 題 研 究(n)』1989年al44頁 よ り 再 引 用 。
(4)法 政 大 学 比 較 経 済 研 究 所/小 林 謙 一 ・川 上 忠 雄 編 『韓 国 の 経 済 開 発 と労 使 関 係 一一、汁1由iと政 策 』1991年,法 政 大 学 出 版 局,第3篇 第2章,204頁(鄭 章淵 稿)参 照 。 (」)同 上 書,205頁 よ り引 月La
(6)内 務 部*『 セ マ ウ ル 運 動10年 史 』1980年,234頁 よ り 引 用 。
(7)内 務 部*『 セ マ ウ ル 運 動10年 史(資 料 篇)』1980年,18・19頁 参 照 。
CIG8) 1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程5
(8)前 掲 『セ マ ウ ル 運 動10年 史 』602頁 よ り引 用 。 (9)同 上 書,603頁 参 照 。
(10)韓 昇 助*「 セ マ ウ ル 運 動 の 政 治 哲 学 」 ソ ウ ル 大 学 校 セ マ ウ ル 運 動 綜 合 研 究 所 『セ マ ウ ル 運 動 の 理 念 と実 際 』1981年,125・126頁 参 照 。
(ll)ハ ン ・ ド ゥ ヒ ョ ン,前 掲 論 文,149・150頁 参 照 。 な お,こ こ で い う 「営 農 資 金 」 と は 農 協 か ら農 民 に 貸 し付 け ら れ た 資 金 を 指 して お り,70年 前 後 に は 回 収 率 の 低
ドが 問 題 視 さ れ て い た(同,142頁 参 照)。
(12)(13)同 一L論文,150頁 よ り 引 川 。
(14)こ の 点 で,セ マ ウ ル 運 動 に 関 して 「わ れ わ れ の 周 辺 に は 農 民 の 豆体 性 を 忘 却 し た 認 識 が 横 行 し て い る 」 と い う馬 淵 貞 利 氏 の 指 摘 は 重 要 で あ る(「1970年 代 に お け る セ マ ウ ル 運 動 と 韓 国 農 業 一 セ マ ウ ル 運 動 の 一考 察 司 『東 京 学 芸 大 学 紀 要 第3部 門 社 会 科 学 」 第35集,1983年12月,240・241頁 参 照)。
(15)洞 里 は,申 央 政 府 一一道 郡 一一邑 面 と連 な る 地 方 行 政 団 体 の 最 末 端 単 位 を 指 す 呼 称(行 政 洞 里 と 呼 ば れtそ の 長 は 邑 面 長 に よ っ て 任 命 さ れ る)で あ る と 同 時 に 「自 然 部 落 」 を 指 す と き に も 川 い られ る 言 葉 で も あ る。 な お,「 セ ・マ ウ ル 運 動 」 の マ ウ ル は 「自 然 部 落 」 あ る い は 「集 落 」 を 指 して い る(セ は 「新 し い 」 の 意)。 行 政 洞 里 の な か に2〜3個 の 「自 然 部 落 」 が 含 ま れ る の が 一 般 的 で あ る と い う説 明 が な さ れ た 時 期 も あ っ た(以L,崔 在 錫*『 韓 国 農 村 社 会 研 究 』1975年,66・67頁 参 照)。 た だ し こ れ は,68年 時 点 の 郡 部 の 行 政 洞 里 数17千 個 弱 を 前 提 と し た も の (同 上 書,74頁 参 照)で あ る 。70年 代 に 入 る と 行 政 洞 里 数 は 増 加 し,77年 に は 郡 部 の 行 政 洞 里 数 は35i個 弱(以1̲,経 済 企 画 院*『 韓 国 統 計 年 鑑 』 各 年 版 参 照)と 2倍 以 上 に 増 加 して い る 。70年 代 に は 行 政 洞 里 と 「自 然 部 落 」 の 範 囲 が 一 致 す る
ケ ー ス が 支 配 的 に な っ た と 考 え られ る。 な お,上 の 行 政 洞 里 数35干 個 弱 は 毎 年 の セ マ ウ ル 運 動 参 加 マ ウ ル 数 と ほ ぼ 一 致 し て い る(前 掲 「セ マ ウ ル 運 動10年 史(資 料 篇)』,17頁 参 照)。
第1節 セ マ ウ ル運 動 の前 提 条 件 の形 成
以 下 で は3つ の 事 項 に わ た って,60年 代 の 農 業 政 策 お よ び農 業 ・農 村 の 実 態 の特 徴 点 を 説 明 す る。 こ れ らは す べ て,70年 代 セ マ ウ ル運 動 の展 開 過 程 に お い て 重 要 な 前 提 条 件 と して 機 能 して ゆ く こ と に な る の で あ る。
6商 経 論 叢 第28巻 第411Jj
(167) 1)農 村 階 級 構 成 の 同 質 化(1)
1950年 の 「農 地 改 革 法 施 行 令 」 交 付 に よ っ て 韓 国 で の 農 地 改 革 が 開 始 さ れ た 。 途 中 朝 鮮 戦 争 に と もな う混 乱 が あ っ た も の の ,57年 に 農 地 改 革 は 完Jし た。 この 結 果,1945年 ・49年 時 点 で そ れ ぞ れX3 .4%・40.1%で あ っ た小 作 地 率 は57年 に は4.5%に 激 減 して い る。 ま た,総 農 家 に 占 め る 自 作 農 の 比 率 は45 年,49物 そ れ ぞ れ13.8%・36.2%か ら57年 に は88.1%へ と 急 増 し で い(馨 濃 地 改 革 の 結 果,地 主 的 土地 所 有 は 基 本 的 に は 消 失 し,ま た 階 級 と して の地 セ層
も消 滅 した 。
た だ し,小 作 地 率 の低 さ お よ びrI作 農 比 率 の 高 さ は,こ の57年 が い ず れ も ピー ク で あ り,そ の 後 そ れ ぞ れ 増 加/減 少 傾 向 を 示 して い る。そ して70年 に は 小 作 地 率17.2%,自 作 農 比 率66.5%を 記 録 して い(3)。
こ う した 小 作 地 ・小 作 農 の 「再 生 」 の 原 因 と して は ,朝 鮮 戦 争 に よ る農 業 生 産 基 盤 の 破 壊,分 配 農 地 代 価 の 現 物 償 還(イ ンフ レの利 益 を41:受で きす)お よ び 臨 時 十 地 取 得 税 の 負 担 過 重,そ して ア メ リカ か らの 余 剰 農 産 物 援 助 に と も な う農 産 物 価 格 の 低 迷 と い っ た 点 が 従 来 指 摘 さ れ て い る。 さ ら に 朴 珍 道 氏 は,「 下 層 農 で は 自 作 農 の 没 落 が,上 層 農 で は 借 地 に よ る規 模 拡 人 が ,相 対 的 に 重 要 な ウ ェ
(q}
イ トを 占 め た 」 と指 摘 し,こ れ らの 要 因 に 加 え て ,「 白小 作 前 進 」型 の規 模 拡 大
「廠 「恋 面
i
第1表 耕 地面積 の推 移 讃 一i沓 面 積r
単 位11000Yia,%
19691,9952,025(̲1:187246(+1.6) 1955
1965/2,256(111.1)1,286(F6.6)
19702,317(斗 一2.7)1 ,284(一 一 〇.2)
‑9752,240(}3・3)1,277(‑0・5) 1980!2,19fi(‑2.0)1,307(+2.4)
水利安鱗 灘 沓
407×1.3 499(十22.7)48.5
538({8.0)53 .0
745(一 十一38.3)42.6 790(一+6.生)46.0 893(十13.1)47.5
〈 資 料 〉 農 水 産 部 ・農 業 振 興 公 ネ{.*『 農 業 基 盤 助 成 事 業 統 計 年 報 』1980・1981 年 版
く 注>1)()内 は 各5年 間 で の 増 減 率 を 示 すC
2)1=記81年 版 『年 報 』 で 水 利 安 全 蕾 の 統 計 数 値 が 過 去 に さ か の ぼ っ て 大 幅 に 改 訂 さ れ て い る。 本 表 は 改 訂 後 の 数 値 を 川 い た 。
(166) 1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル運 動 の 展 開 過 程7
が進 行 した 点 に も注 目 して い る。耕 作 規 模 別 の総 耕 作 面 積 の推 移(60年 〜70年) を 見 る と,1〜2ha層 が11.0万ha増 で も っ と も増 加 面 積 が 大 き く(増 加総 面積 の47%),そ の う ち小 作 地 が60%を 占 め て い た。 す な わ ち,1〜2ha層 が 「自小
くの
作 前 進 」 を 担 った 室 要 な 階 層 で あ った と い え る。
こ う した 「自小 作 前 進 」 型 の 経 営 規 模 拡 大 を 口∫能 に した の が,零 細 農 層 の 土 地 喪 失 と と もに,総 耕 地 面 積 の 拡 大 で あ っ た 。 第1表 で5年 ご との 総 耕 地 面 積 の増 減 を 見 る と,60年 前 半 の 増 加 率 が 飛 び抜 け て 大 き い。60年 代 後 半 に は増 加 率 が 小 幅 に 留 ま りf沓(水 田 の意)面 積 は減 少 に 転 じて い る。
1961年 に ク ー デ タ ー に よ って 政 権 を 奪 取 した 朴 正 煕 は,「 農 漁 村 高 利 整 理 法 」
儂 産物価離 鰍 」i米緻 府買入制の論 あるいは 「 醗 暇 翻 」樋 じ
て の 農 村 の 生 産 基 盤 拡 充 な ど,一 連 の 「重 農 的 」 な経 済 政 策 を 打 ち 出 して い っ た 。「重 農 政 策 」 は,農 村 部 で の 政 権 支持 基 盤 確 保 と い う政 治 的 目 的 の た め ば か りで な く,「 第1次 経 済 開 発5ケ 年 計1由i」(62年 開始)の 当初 に 目論 見 られ て い た,国 内 資 本 を 動 員 して 国 家 資 本 を 創 設 しそ れ を て こ に 資 本 蓄 積 を 押 し進 め る と い う,「民 族t」 的経 済 開 発 戦 略 の 一ヒか ら もF#'一̲要な政 策 課 題 と して 位 置 づ け られ て い た 。「四 月 革 命 」に 対 す る い わ ば 反 革 命 に よ って 政 権 の座 に つ い た 朴 大 統 領 に と って は,生 活 水 準 の 向 上 や ナ シ ョナ リ ズ ム を 強 調 し,「 革 命 」 の継 承 者 と して 立居 振 舞 う こ と が 政 権 の 正 統 性 を 確 保 す る うえ で 必 要 不 可 欠 な こ と で あ っ た。 しか し結 果 的 に は,ア メ リカ の1渉 に よ って こ う した 開 発 戦 略 は 白 紙 に も ど さ れ,64年 か ら の 「第1次 経 済 開 発5ケ 年 計 画 」 の 「補 完 計 画 」 で は,
くわ
外 資 導 入 ・輸 出 指 向 工 業 化 路 線 が 定 着 して ゆ き,こ れ に と もな って,初 期 の
「重 農 政 策 」 も顧 み られ な くな って い った と思 わ れ る。
上 で み た よ う な,60年 代 前 半 に お け る急 速 な 耕 地 面 積 の 拡 人,同 後 半 で の伸
E8)
びの鈍 化 とい う動 きは,こ う した経 済 政策 上 の変化 の反 映 で あ ろ う。
「第1次 経 済 開発5ケ 年 計 画」 途 中 で の開 発 戦 略 の大 転 換 と い う混 乱 を経 な が ら も同計 画 お よび それ に続 く 「第2次 経 済 開 発5ケ 年 計 画」(67年 開始)期 間 中 にf韓 国 の工 業化 は急 速 に進 展 して い った。 これ に と もな って,工 業 部 門 そ の他 の非 農業 部門 で の就 業 者が 急増 して い った。 これ に対 して 農業 部 門 で は,
8商 経 論 叢 第28巻 第4号 Clfi5)
農 家 戸 数 と農 家 人 口 が,67年 ま で は ほ ぼ 増 加 傾 向 に あ っ た の に対 して,68年 以 降 減 少 に 転 じて い っ った 。
農 家 戸 数 の 増 減 を 耕 作 規 模 別 に 見 て ゆ く と,特 徴 的 な 動 き を示 して い る。 す な わ ち,以 後 減 少 に 転 じ る ピ ー ク年 に注 目す る と,そ れ が 最 も早 か っ た0、5ha 未 満 層 で は62年 で あ っ た の に 対 して,最 も遅 か っ た1〜1 .5ha層 は68年 で あ っ た。 耕 作 規 模 別 構 成 比 の 変 化 を 見 る と,0.5ha未 満 層 は60年 の43%か ら
{g)
70年 に は35%へ と 減 少 し て い る 。 こ れ に 対 し て1〜2ha層 は21%か ら26%へ , 0・5〜lha層 は30%か ら33%へ と そ れ ぞ れ 増 加 を 示 し て い る
。2ha以 上 層 は 6%で ほ ぼ 変 化 が な か った。(lU)
こ の こ と か ら,工 業 化 に と もな う農 外 労 働 力 市 場 の 拡 大 に 対 して ま っ先 に 反 応 した の が 零 細 農 層 で あ っ た こ とが 窺 え る。 先 述 の よ う に,60年 代 に は 自 作 農 ド層 の 小 作 農 へ の 没 落 が 進 行 した と い わ れ て い るが ,こ の 階 層 の 多 く の 部 分 が ・ さ らに 脱 農 ・離 村 へ と 向 か って い った の で あ る。 た だ し,そ れ らが す べ て 直 ち に 安 定 的 な 就 業 機 会 を 得 られ た わ け で は な く,多 くの 部 分 が 都 市 雑 業 層 と
して 堆 積 し都 市 部 に 新 た な 貧 困 問 題 を 発 生 さ せ て い った。
経 営 規 模 別 の 小 作 地 率 は,62年 時 点 で は0.5ha未 満 層 が 最 も高 く(い わ ゆる残 存 小作 地),耕 作 面 積 が 大 き くな る ほ ど そ の 数 値 が 小 さ くな って い る。 こ れ に 対 して68年 で は,小 作 地 率 が 最 も高 か っ た の は1〜1 ,5ha層 で0.5〜1ha層 が そ れ
に 次 い で い る。0.5〜1.5ha層 は 「自小 作 前 進 」 型 の経 営 展 開 に よ って 農 業 ・農 村 内 部 に か ろ う じて 踏 み と ど まれ た 階 層 で あ っ た と い え る。
先 に 示 した よ うに,ま ず50年 代 の 農 地 改 革 に よ って 「範 躊 と して の地 主 」 は 韓 国 農 村 か ら消 滅 し た。 そ の 後60年 代 を通 じて 小 作 地 率 は .,昇傾 向 に あ っ た が7そ れ は 「範 躊 と して の地 室 」 の復 活 で は な く,脱 農 ・離 村 者 に よ る零 細 な 上地 所 有 あ る い は 都ll∫富 裕 層 の 資 産 と して の 所 有 と い った 性 格 の もの が 拡 大 し た結 果 で あ る と 言われ て い る。(l2)
と ころで,地1こ 的 土地 所 有 は両 班 と常 民 とい う李 朝期以 来 の伝 統 的 身分 関 係 (班常関係)を 再牛産 す るた あ の経 済 的基 盤 と して機 能 して きた。 したが って 農 地 改 革以 降,農 村 で の伝 統 的 身 分 関 係 は徐 々 に希 薄 化 して い った と考 え られ
(lfi4) 1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程9
る。 さ らに,60年 代 に お け る耕 地 拡 大 そ して 零 細 農 層 の大量 な脱 農 ・離 村 と い った現 象 によ って,60年 代 末 に は洞 甲内 にお け る農 家 の階層 構 成 は比較 的 に 同質 化 され た状 態 に達 して いた とい うこ とが で き る。 さ らに付 け加 え ると,李 萬 甲氏 に よれ ば60年 代 に は零 細 農層 と並ん で 「富 裕 な 上層 階級 の農 村家 族 」の 離 村 傾 向 が 強 か っ た と し1'3) y¥J.後者 は教 育 水 準 が 高 く,ま た 櫛 顯 の た め の 資 金 力 も豊 富 で あ るた め に,都 市で の安 定 した就 業機 会 を得 や すか った と考 え ら れ る。 さ らに加 えて李 氏 は 「マ ウル の葛 藤 に介 入 しやす い非伝 統 セ義 者 と若年
くレの
の トラ ブ ル メ ー カ ー 」 も ま た こ の 時 期 に 村 落 を 離 れ た,と 指 摘 して い る。
こ の よ うに,50年 代 ・60年 代 の 農 業 政 策 や 経 済 変 動 の 影 響 を受 け て,60年 代 末 ・70年 代 初 の 農 村 は,階 級 ・階 属 構 成 か らい っ て も,ま た 意 識 構 造 か ら い って も,そ れ 以 前 の 時 期 に 比 べ て よ り同 質 的 な 性 格 を 持 つ成 員 に よ って 構 成
さ れ て い た と い う こ とが で き る。
2)60年 代 末 に お け る農 業 政 策 の 転 換
農 家 戸 数 ・農 家 人 口 が1968年 以 降 減 少 に転 じた 点 を 先 に指 摘 し た が,農 業 政 策 の.ヒで も68年 は 大 き な 転 換 点 と な っ て い る。62年 に 「経 済 開 発5ケ 年 計 画 」 が 開 始 さ れ て 以 降,成 果 は と もか く も政 策 目標 と して は 食 糧f=体 のrl給 自 足 が 設 定 さ れ 続 け て き た の に対 して,68年 以 降 は食 糧 全 体 で は な く,米 の 増 産 と 自給 の 実 現 に 政 策 目標 が 限 定 さ れ る よ うに な った 。 そ れ に か わ って 畜 産 や 商
(15)
品 作 物 の 導 入 の 奨 励 策 が 展 開 さ れ る こ と に な る。
こ う した 政 策 転 換 の 直 接 的 な 契 機 と して は,ひ とつ に は67年 ・68年 に連 続 し て 発 生 し た 早 魅 に よ る 米 穀 の 減 収(66年 生 産 量 に対 して そ れ ぞ れ 一8.1%一 一 18.5%)が 挙 げ られ る。 こ の 早魅 の の ち,水 利 事 業 が 急 激 に拡 充 さ れ て い る。 そ
して も うひ とっ の 契 機 と して は,ア メ リ カか らの 余 剰 農 産 物 無 償 導 入 の 中 止 を 指 摘 す る こ と が で き る。PL480・MSAな ど を 根 拠 に1956年 か ら開 始 さ れ た 余 剰 農 産 物 導 入 が66年 で 終 了 し,67年 か らは 長 期 借 款 に よ る輸 入 に変 更 さ れ る こ とに な っ た。 そ こで 韓 国 政 府 は,外 貨 節 約 と い う観 点 か ら も農 産 物 の 自給 率 向 上 を 目指 す こ と と な っ た の で あ る。
10商 経 論 叢 第'28巻 第4号
X163)
ただ し,外 貨 節 約 の ため と はい え国際 競 争 力 のな い国 内 穀物 生 産 まで保 護 し て は低 労 賃 を武 器 とす る工 業 化 戦 略 と翻 鮪 を きた す こ と とな る
。 そ こで,い わ ば 「選択 的拡 大 」作 物 と して選 び出 され たの が 先述 の米穀 で あ 一,たといえ る
。 60年 代 を 通 じて 米穀 の政 府 買 入価 格 は国 際 価 格 の7〜8割 程 度 に と ど ま って お り・ま た卸 売1陽 価 格 も6・ 年ft後 半 に は国 際 価格 を 梱 る状 況 に あ 鍵 .他 の 穀 物 に比 べ て米 穀 は相 対 的 に国 際競 争 力を有 して いた と考 え られ る。
米穀 増 産 業r1給 化 の た め に,政 策 的 に は,ひ とっ に は前述 の よ うに水 利 事業 が 集 中 的 に実施 され,生 産 基 盤 の拡 充 が図 られ て い る。 第1表 か らわか る よ う に,水 利 安 全 沓 面積 の増 加 率 で は65〜70年 間 で の値 が飛 び抜 け て人 きい の は
そ鍼 果嬢 れである.な おに の膿 地改良糸 酪 儂 組)媛 船 鹸 比率は
急 減 して お り,60年 代 末 の 水 利 事 業 が 個 人 や 任 意 団 体 に よr,て 行 わ れ た こ と を 示 して い る。 そ して も う ひ とつ の 政 策 と して,米 穀 政 府 買L価 格 が 急 激 に 引 き 上 げ られ て い る。2年 続 き のF諺魑 ・減 収 に対 す る 応 急 措 置 と い う側 面 もあ っ た が,1962年 か ら76年 ま で の15年 間 で の5年 毎 の平 均 引!二率 と同 時 期 の 農 家 購 入 品 価 格 上昇 率 を 比 較 す る と,62〜66年 お よ び72〜76年 に は 両 者 は ほ ぼ 同 一 水 準 で あ った の に 対 して,67〜71年 だ け は後 者14 .5%に 対 して 前 者22.5%と 大
ロ
幅 に}二回 っ て い る。加 え て,政 府 買 入 制 に お い て70年 か ら 二 弔価 格 制 が 採 用 さ れ て お り・ 米 価 支 持 政 策 と し て の 機 能 を 本 格 的 に 果 た し は じ め る に 至 っ て い る。 政 府 買 人 数 量比 率 も71年 か ら は10%台 に 達 して し1鷲
。
こ う して 米 穀 増 産 政 策 は 積 極 化 した もの の a他 の 穀 物 に 対 す る政 策 的 手 当 は 特 に 施 さ れ ず,麦 類 ・雑 穀 類(飼 料 用 も含 む)の 輸 入 量 は急 激 に 増 加 して ゆ き, 国 内 で の 生 産 は 停 滞 した。 これ ら の 作 物 に 代 わ って60年 代 に急 速 に生 産 を 伸 長 さ せ て い った の が 果 樹 ・疏 菜 ・畜 産 そ してCIの 特 用 作 物 で あ(20} 。 い う ま もで も な く こ れ らの 作 物 は都 市 部 で 拡 大 しは じめ た新 た な 需 要 に 対 応 して 生 産 を 伸 ば し て い っ た の で あ る 。 政 府 は こ う し た 農 村 で の 新 た な 動 き に 対 応 す べ く,68年 か ら 「農 漁 村 所 得 増 大特 別 事 業 」 を 開 始 して い る。 こ の 事 業 は,農 民 が 養 蚕 ・畜 産 ・商 品 作 物 な ど を 共 同 で 栽 培 す る た め に補 助 金 や 融 資 を供 給 す る もの で あ る。 第1期 事業 で は 全 国90ヵ 所 の団 地 が選 定 さ れ,さ らに 「第3次 経
(162) 1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程11
第2表
「一 一 『一 一一 一… 一1
管 轄 団 体 団 体
i‑一 一̲.一㎜一̲一 一̀
1農 村 指 導 所 農 事 改 良 ク ラ ブ
1生 活 改 善 ク ラ ブ
i
l4‑‑lIク ラ ブ
保 健 所1婦 女教室
IIオ モニ会
i面 事 務 所1里 洞 開発委 員会
1セ マ ウル 事業推進 委 員会
… 班常 会
II …農機械契
1単 位 農 協1協 同 会 iI
i;作 目 班
… 婦 女 会
lI一 兆 金 庫.貯 蓄 班
[再 建 国民運 動 マ ウル金庫
1:再 建 肖年会
lill健 婦 女 会
[lh林 組 合[lt林 契
農地改良組合1興 農契
膀 一..̲諒 量 望 ヒ茎1軋 ….一.
洞 里 レ ベ ル の 農 民 団 体(1970年 代 前 半)
1参 加 対 象
一一一一一!..̲一一"̲青 少 年
名}一
(32,454)1(〕
(27,26}
(36,379)1 (36,320) (26,500);
(34,665)1C̀
(34,665)1() (249,957)i(.) (LOOO)() (35,000)C
(9,977)1⊂) (9,300) (34,500)() (26,000)(う (21,000) (21,000) (21,523) (11,120)1 (35,011}
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〈 資 料 〉 人 韓 民 国 国 務 総 揖1企齢 腋 室*r韓 【膿 協 運 ↑}↑謂 ・{}・報 告 醐1979年 ・320∫ 〔よ りt川1・
〈 注 〉()内 は ト月体 総 数 。
ぐ の
済 開 発5ケ 年 計 画 」(72年 開始)を 機 に137の 団 地 が 選 定 さ れ て い る。
以 上 の よ う な60年 代 末 に お け る一 連 の 農 業 政 策 の 実 施 に と もな って,農 家 所 得 は か な りの 程 度 の 上 昇 を 遂 げ て い る。1962〜66年 の5年 間 で 農 家 実 質 所 得 の 伸 び は 一3.5%と 減 少 を 示 した の に対 して,66〜70年 間 で は28.5%の 急 速 な 伸 び を 記 録 して い る。 さ らに 都 市 勤 労 者 の 実 質 所 得 水 準 と比 較 して み る と,64 年 以 降 徐 々 に 格 差 が 開 い て67年 に60.1%と 最 低 の 水 準 を 記 録 した 後 は格 差 が
(22?
縮 小 に 向 か い,70年 時 点 で は67.1%に ま で 回 復 し て い る 。 な お,こ の 傾1̀1】は70 年 代 に 人 っ て か ら も 続 き,74年 に は100%の 水 準 を 突 破 す る に い た る ・
12商 経 論 叢 第28巻 第4号
G61)
3)農 村 の組 織化 の進 展
第2表 は,政 策 誘 導 に よ って形 成 され た 洞 里 レベ ル の各 種 団体 の70年 代 前
くヨの
半 に お け る組 織 状 況 を 示 した も の で あ る。 こ れ ら団 体 の 中 に は す で に50・60 年 代 か ら存 在 した もの もい くっ か あ る。 セ要 な 団 体 の組 織 化 の 経 緯 を 以 下 で 簡
iに 紹 介 す る(24) 。
57年 に制 定 され た 「農 事教 導 法 」 に基 づ い て 郡 単位 に農 事 教 導 所 が 設 、γさ れ た。 そ して 農 民 ら を 「教 導 」 す る た め に農 事教 導 所 を 通 じて 洞[}1単 位 に 組 織 さ れ た の が,農 事 改 良 ク ラ ブ(経 営 セ対象),生 活 改 善 ク ラ ブ(婦 女 ア対象)そ して 4‑Hク ラ ブ(青 少年 対象)で あ る。 これ ら3団 体 の 組 織 化 は順 調 に 進 み
,60年 代 末 に は 農 事 改 良 ・4‑H両 ク ラ ブ は29千 個,生 活 改 善 ク ラ ブ は18千 個 の水 準 に達 して い る。 な お,「 農 事 教 導 法 」 が61年 に 「農 村 振 興 法 」 に代 替 さ れ た 際 に,農 事教 導 所 は農 村 指 導 所 へ と名 称 が 変 更 され て い る。
保 健 所(保 健社 会部 が管轄)傘Fの2団 体 の う ち,婦 女教 室 は 「家 族 福 祉 の 向 上 に 寄 与」す る た め に67年 に 設 置 が 開 始 され ,ま た オ モ ニ(母 親 の意)会(「 家 族計 画 オモ ニ会 」 を略 記 した もの と思 われ る)は ,家 族 計 画 実 践 の た め の教 育 を 実 施 す る た め に68年 以 降 に 「韓 国 家 族 計 画 協 会 」 に よ っ て 設 置 が 推 進 され て い った
。 唄 洞 開 発 委 員 会 の 設 置 は,5$年 に 開 始 さ れ た 「地 域 社 会 開 発 事 業 」 に お い て
「示 範 マ ウ ル」 に指 定 され た洞 里 で 組 織 さ れ た の を ,そ の 噛 矢 と す る。示 範 マ ウ ル 数 は58年 の12個 か ら62年 に は2 ,137個 へ と増 加 した も の の,全 洞 里数 に 比 べ れ ば そ の 事 業 範 囲 は限 定 さ れ た も の に留 ま って い る
。62年 以 降 この 事 業 は, 前 出 「農 村 振 興 法 」 に基 づ く農 村 振 興 事 業 の 一 環 で あ る 「示 範 農 村 建 設 事 業 」 へ と継 承 され て い っ た。
1957年 に 「農 業 協 同 組 合 法 」 が 制 定 さ れ ,こ の 法 律 に 従 って 郡 レベ ル(郡 農 協)と 洞 里 レベ ル(里 洞農 協)で の 組 織 化 が 進 め られ て い っ た。 な お この 年 同 時
に 「農 業 銀 行 法 」 が 制 定 さ れ,植 民 地 期 の 金 融 組 合 が 農,業 銀 行 に 改 編 さ れ た 。 こ の 時 点 で は農 協 は 信 用 事 業 を 営 む こ と が で き な か っ た 。62年 に 「農 業 協 同 組 合 法 」 が 改 訂 さ れ,農 業 銀 行 と農 協 と が 統 合 さ れ,こ こ に は じめ て 総 合 農 協 が
くゐ
誕 生 した。62年 時点 で す で に 里洞 農 協 数 は2万 を超 え,組 合 員 も全 農 家 数 の
(160) 1970{F代 韓1・濃 村 に お1ナる セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程13
90%を 超 え る に 至 っ て い た 。 しか し,甲 洞 農 協 の 規 模 が 零 細 過 ぎ る た め ・64年 か らは 甲洞 農 協 を 面 単位 に統 合 す る指 導 が 行 わ れ る よ うに な り(第2表 で の 「単 位農 協」 とは面 単位農 協 の こ と),73年 に 統 合 作 業 が 完 ゴして い る。 協 同 会 は,従 来 の 甲洞 農 協 に替 わ って,面 単 位 農 協 の 下 課 職 と して 測1を 鞘1と して 作 ら れ て い っ た もの で あ る。
再 建 国 民 運 動 傘 下 の3団 体 に つ い て は,そ の 具 体 的 な 内 容 は よ く分 か らな い.た だ,マ ウ ル 金 庫 に 関 して は,「1963年 再 建r眠 運 動 の 郷i=開 発 事 業 と して
(26)
始 め られ た 」,と い う説 明 が な さ れ て い る。
(1)こ の 項 の 記 述 は 朴 珍 道 「戦 後 韓 国 に お け る地 斗{小作 関 係 の 展 開 と そ の 構 造(1) (H)」rア ジ ア 経 済 』 第28巻 第9号 ・第10号,1987年9・10∫L樹 仁浩 「韓 国 経 済 に お け る 農 業 の 位 置1960年f覧 と70年 代 一」rア ジ ァ 経 済 』 第19巻 第7号 ・
1978年7月,を 参 照 した 。
(2)(3)朴 珍 道,同 上 論 文(1),3頁 を 参 照 。 た だ し,45,49年 の 総 農 家 数 に は 被 雇 傭 者 農 家 が 含 ま れ て い る 。
(4)同 ⊥二論 文,12頁 よ り 引 用 。
(5)以 上 の 数1直 は,同L論 文,ll頁 よ り算 出 。
(6)1954〜56年 に 実 施 さ れ そ の 後 中 断 して い た 。 た だ し,60年 代 の 政 府 買 入 制 で は 政 府 買 入 数 量 が 生 産 屋 に 占 あ る比 率 は6〜9%に と ど ま り,ま た 売 買 価 格 差 は 順 ザ ヤ で あ っ た 。 生 産 者 米 価 支 持 政 策 と し て の 性 格 は 脆 弱 で あ っ た と い え る。 金 畑 華 ・金 兼 鐸*『 経 済 発 展 と 米 穀 政 策 』1984年,156・157,164・165頁 参 照 。 (7)以L}前 掲 『韓 国 の 経 済 開 発 と労 使 関 係 』 第1篇 第3章(磯 崎 典 世 稿),第3篇
第1章(金 元 重 稿)を,そ れ ぞ れ 参 照 し た 。
(8)な お,1962年 に は1開 墾 促 進 法 」 が 制 定 さ れ て い る(朴 珍 道,前 掲 論 文(1), 20頁 参 照)。
(9) (10) (11) (12) (13) {15) (16) (17)
70年 の 数 値 に は 「耕 種 外 農 家 」 が 含 ま れ る。
以 上 の 数 値 は,桜 井 浩,前 掲 論 文,39頁 よ り算 出 。 朴 珍 道,前 掲 論 文(1),18頁 参 照 。
以 上,朴 珍 道,前 掲 論 文(H),88・89頁 参 照 。 (14)李 萬 甲 前 掲 『韓 国 農 村 社 会 研 究 』303頁 参 照 。 桜 井 浩,前 掲 論 文,36頁 参 照 。
金 畑 華 ・金 乗 鐸 前 掲 書,166頁 を 参 照 。
農 地 改 良 組 合 は,f地 改 良 事 業 の 施Lお よ び 施 設 の 維 持 管 理 を 行 う 公 共 団 体 。
14商 経 論 叢 第28巻 第4‑7rJ
(159)
(18)桜 井 浩,前 掲 論 文,46頁 を 参 照 。
(19)金 畑 華 ・金 飛 鐸}前 掲 書yl75・176頁 参 照 。 (2⑪)桜 井 浩,前 掲 論 文,44・45頁 参 照 。
(21)谷 浦 孝 雄 嘱 掴 に おGfる 農 村 政 策 の 展 開 一1970fl{f℃ の セ マ ウ ル 運 動 を11心 に
」rア ジ ア経 済 』 第21巻 第10号,正980年10∫Lllr惨 照, (22)桜 井 浩,前 掲 論 文,45頁 を 参 照 。
(23)・ ∫りll文献 に は 調 査 年 次 が 記 載 さ れ て い な い 。 農 村 指 導 所 傘 ドの3闇 体 数 は73年 の 統 計 資 料 の も の と … 致 し(鄭 起 換 ほ か*『 マ ウ ル 社 会 集 団 の 組 織 と 変 遷 」1987 年,24頁 を 参 照),ま た 作 目班 数 は75年 の 統 計 資 料 の も の と 一致 す る(前 掲 『セ マ
ウ ル 運 動10年 史(資 料 篇)』36頁 参 照) 。
(24)以 ドで の 記 述 で は,鄭 起 喚 ほ か,前 嬬,23〜2順 ,お よ び 韓lk濃 村 経 済 研 究 院
*『 農 村 お よ び 農 業 構 造 変 遷 に 関 す る 研 究 』1991年 S229〜231頁 を 参 照 し た 、, (25)こ の 点 に っ い て は,チ ャ ン ・ウ ォ ン シ ク*r現 行 農 協 の 問 題 点 と改 勘1司
一韓 国 農 漁 村 社 会 研 究 所,前 掲/ド韓 国 農 業 ・農Lく問 題 研 究(II)』 且57〜162頁 参 照 。 (26)セ マ ウ ル 研 究 会*11セ マ ウ ・レ運 動 研 究 論 叢 』 第2輯1977イ1こ1月 ,203∫{よ り 引
用 。
第2節 セ マ ウル運 動 の展 開過 程
1)セ マ ウ ル運動 の 推進 組 織
黄仁 政 氏 の整理 に よ る と,セ マ ウル運 動 は 三つ の領 域 に区 分 して分 析 で きる
(1)
と い う。 す な わ ち,個 人 レベ ル の 精 神 革 命 ,組 織 化 の 基 本 要 件 と して の セ マ ウ ル指 導 者の 訓 練 事 業,そ して 「経 済 的 環 境 」 を 対 象 と す る セ マ ウ ル 事 業 で あ る
。 当 然 な が らzこ の3領 域 は柑1工 に 関 連 しあ っ て い る と 考 え られ る。 セ マ ウ ル 事 業 は 農 民 の 「経 済 的 環 境 」 の 改 善 に よ って 農 家 経 済 の 向fを 目指 す もの で あ る が,他 方 で は,「 拝業 の ウ1案 ・実 行 過 程 へ の 農 民 の 参 加 を 通 じて,勤 勉 ・自 助 ・協 同 と い う 「セ マ ウ ル精 神 」 の 定 着 縞 「精 神 革 命 」 の 実 現 が 期 待 され て い た 。 そ して ・ 中 央 ・地 方 の 訓 練 機 関 で 養 成 さ れ た セ マ ウ ル指 導 者が 各 洞 型 に 配 置 さ れ,彼/彼 女 ら が 農 民 の セ マ ウ ル 弔 業 へ の 参 加 を 促 す 役 割 を 担 っ た 。 同 時 にr資 材 や 補 助 金 ・融 資 の 供 給 と い う財 政 措 置 に よ って ,セ マ ウ ル 事 業 へ の 農 民 の 参 加 意 欲 を 引 き出 す と い う 手段 も講 じ られ て い た 。 ま た こ う し た財政 措 置
くこり
が 「優 秀 マ ウ ル優 先 支援 原 則 」に 基 づ い て い た こ と に よ り,隣 接 洞[手{間の 競 争
(158) 1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル運 動 の 展 開 過 程15
第鐘
契の組織年代「年 代 別 口 「 窒益望」.
李 嘩サ1旺寺…fモこ28(20.7) 解 放 前55(40.7) 1魚 翠 ノ孜 そ麦25(18,5) ,朝 鮮 戦 後 、15(11.1)
1朴 政 権 期 旨9(6 .7)
1
不1羽i3(2.2)
1135(100.0)1合,汁 一1‑一 一̲.一一 一一一一.1‑一一̲一一一一一
そ 歪⑳ 死ll諮 一 一ll}1二
19(3.6)47(7.0) 49C9.'Z)104(15.5) 42(7。9)67(10.0) 119(22.3)134(20.0) 303(56.7)312(46.6)i
2(0.4)5(0.7)1 534(100.0)669(100.0)1
ぐ 資 料 〉 菱昌 奎*『 契 がll!洞 農 業 協 同 組 合 に 及 ぼ す 影 響 』1969年,
35∫ 」.よ りfメド}戊。
ぐて ハ.〕2()レ 勺1[よヰ歯J」3〜⊥ヒ(.̀o)。
意 識 を 昂 め,事 業 へ の参 加 意 欲 を 一層 引 き出 す 機 能 を 果 た した と い え る。 そ し て,優 秀 な セ マ ウ ル 指 導 者 に 対 して は 各 種 の 表彰 が な さ れ た り・ 様 々 な 優 遇 措 置 が と られ た りす る な ど,セ マ ウ ル 指 導 者個 人 の動 機 付 け に対 して も政 策 的 な
(3)
対 応 が な さ れ て い る。
以Lの よ う に セ マ ウ ル運 動 は,政 府 や 地 方 行 政 機 関 が 経 済 的 資 源(資 材,補 助 金 ・融 資あ るい は技術)や 政 治 的 資 源(競 争,表 彰)を 洞 里 に供 給 す る こ とで,農 民 の セ マ ウ ル 事 業 へ の 参 加 意 欲 を 引 出 し,そ の 事業 を 通 じて 農 民 の 生 活 水 準 向
上 と 「精 神 革 命1を 日指 す も の で あ っ た 。 し た が って,そ れ ら経 済 的 ・政 治 的 資 源 が い か な る機 構 を 通 じて 全 国 の 洞 里 に 配 分 さ れ,ま た 洞 甲 レベ ル で そ れ ら
の 資 源 を受 け 取 っ た の が い か な る組 織 で あ っ た の か を 明 らか に す る こ と は,セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程 を 考 察 す る 前 提 と して 緊 要 な こ とで あ る と い え る。
セ マ ウ ル 運 動 を 推 進 す る た め に,中 央 ・道 ・郡 ・邑 面 ・洞 『1とい う地 方 行 政 団 体 の5つ の レベ ル に 対 応 さ せ て そ れ ぞ れ に 協 議 組 織 が 設 置 さ れ た 。 中 央 協 議 会 ・道 協 議 会 ・郡 協 議 会 ・邑 面 推 進 委 員 会 そ して 里 洞 開 発 委 員 会 が そ れ で あ る 。 中 央 協 議 会 は 委 員 長(内 務 部 長官)お よ び 各 院 部 処 次 官,庁 長 な ど か ら な る 22名 の 委 員 に よ って 構 成 さ れ,農 協 ・水 協(目 本の漁 協に相 当)中 央 会 副 会 長 な ど が 陪 席 した 。 道 ・郡 の 協 議 会 お よ び 邑 面 推 進 委 員 会 は,道 知 事 ・郡 守 ・邑 面 長 が そ れ ぞ れ 議 長 と な り各 級 の 関 係 諸 機 関 ・団 体 の 長 が 委 員 と な って 構 成 さ れ
16商 経 論 叢 第28巻 第4号 q57)
た 。 な お,後.=者 に は セ マ ウ ル 指 導 者 そ の 他 必 要 人 物 が 委 員 に加 え られ た。 そ して,末 端 の 洞 弔 レベ ル で 組 織 さ れ た の が4{洞 開 発 委 員 会 で あ る。 前述 の よ う に 里 洞 開 発 委 員 会 は58年 に は じま っ た 「地 域 社 会 開 発 事業 」の 際 に す で に そ の 組 織 化 が お こ な わ れ て い た。 内 務 部 は,60年 代 の 該 事 業 に お い て 甲 洞 開 発 委 員 会 が 有 効 な 役 割 を 果 た した と評 価 し,セ マ ウ ル 運 動 開 始 に 合 わ せ て72年 に 「正欄 開 発 委員 会 条例 」 絞 イ寸し裡 洞 開発 委員 会 の設 置 を促 し究 .そ の委 員長 に は セ マ ウル指 導 者 ま た は 弔長 が 就 き,「 マ ウル 単位 の各 種 組 織 と 自生 組
(5)
織 の 実 質 的 代 表 者 を 網 羅 」 し た15名 前 後 の 委 員 に よ っ て 構 成 さ れ る こ と に な って い た。前 掲 第2表 に 示 し た よ う に,す で に60年 代 に 政 府 の 政 策 に沿 って い くっ か の 団 体 が 洞 里 レベ ル で 組 織 さ れ て お り,ま た後 述 の よ う に,そ の 他 数 多 くの 「自生 組 織 」 が 洞 里 内 に存 在 した。 そ れ らの 代 表 者 た ち に よ っ て 里洞 開 発 委 員 会 が 構 成 され て い た の で あ る。 な お,1洞 里 内 の 平 均 農 家 戸 数 は70戸 程 度 で あ る か ら,噴 洞 開 発 委 員 会 に は そ の2割 程 度 に も及 ぶ 農 家 の 世帯 セや 婦 人 が 委11と して 参 加 して い た こ と に な る。
こ う した推 進 協 議 組 織 と 平 行 して,そ れ ぞ れ の レベ ル の 行 政 機 関 で セ マ ウ ル 運 動 責 任 者 が 任 命 さ れ た 。各 部 処 次 官 ・次 長(中 央),副 知 事(道),副 郡 守(郡) , 副 邑 面 長(邑 面)そ して セ マ ウ ル 指 導 者(洞[勘 が そ れ で あ る。 ま た,各 級 行 政 機 関(邑 面以 上)に セ マ ウ ル運 動 を 専 担 す る 部 署 機構 が あ らた に 指 定 ・設 置 さ れ
くの
て い る。 さ ら に 「担 当 公 務 員 制 」 が 執 られ,洞 唄 ま で 出 張 して セ マ ウ ル運 動 の 推 進 状 況 を確 認 し指 導 を行 う こ ととな った。くわ
以 上の2本 の ル ー トを通 じて,中 央 の 事業 計 画 ・目標 の各級 行 政 単位 へ の配 分,洞 里 レベ ル 事業 計 画 の各級 行 政 レベ ルで の集 計 ・調 整,財 政 支 援 の配 分 そ して事 業結 果 の評価 ・表 彰,財 政 支 援 の再 配 分 と い ったや り取 りが繰 り返 しな され て い った ので あ る。
最 後 に,セ マ ウル運 動 の展 開 過 程 にお いて 洞 堅内 の各種 組織 が いか な る変 化 を た ど ったか を見 て お きた い。韓 国 農 村 に は契 とよば れ る伝統 的 な 「自生 組織 」 が 数 多 く存在 して い る。 契 の巾 に は,農 作 業,冠 婚 葬祭 あ る い は相 互金 融 ・共 済 とい った特 定 の 目的 ご とに洞 里内(あ るいは洞E}桝)の 任 意 の人 々が構 成 員 と
(156) 1970年 代 韓 国 農 村 に お け る セ マ ウ ル 運 動 の 展 開 過 程17
な って 組 織 す る機 能 組 織 と,洞 里 民(厳 密 には世帯 扮 全 員 が 構 成 員 と な り洞 里 そ の もの の 行 政 ・、ア法 ・司 法 に か か わ る 自治 的 機 能 を 一 身 に担 う,洞 契 ・大 同 契 な ど と呼 ば れ る組 織 とが あ る。
1967年 の 調 査 に よ る と(第3表),「 公 益馳 の6割 以 上 が 植 民 地 期 お よ び そ れ 以 前 に組 織 され て お り,そ れ だ け伝 統性 の強 い組 織 で あ る ことが窺 え る。 そ れ に対 して,こ こで い う機 能組 織 的 な各 種 の契 は,朝 鮮 戦争 後,と りわ け朴政 権 下 にお いて 集 中 的 に成 立 して い る。後 者 の動 きの要 因 と して,姜 呂 奎氏 は朴政
く ラ
権 初 期 の 「電 農 政 策 」 の影 …響 を指 摘 して い る。
と こ ろ で,72年 の 別 の調 査 は,「 大 同 契,洞 契 な ど部 落 公 共 に 関 す る契 は漸 次
(lo)
甲 道 開 発 委(員 会 一引用者)に 吸 収(さ れ 一引用 者)消 滅 過 程 に あ る」 と い う報 告 を 行 って い る。 両 調 査 は調 査 地 域 が ず れ て お り厳 密 に比 較 す る こ と は で き な い が,お お ま か な 推 移 を 把 握 す る た め に 両 年 次 の 数 値 を 比 較 す る と・1洞 甲当 り
C11)
平 均 「共 益 契 」数 は,67年1.8に 対 して72年 は0.9で あ っ た 。た だ し後 者 に は, 宗 族 組 織 あ る い は 「セ マ ウ ル 運 動 に と もな う青 壮 年 層 の 部 落 発 展 を 目 的 とす る 彙誓)も 含 ま れ て い る。 した が って,洞 契 ・大 同 契 の この 間 の 減 少 は こ の数 値 以 上 に急 激 で あ った と7tf:さ 縄 これ1こ対 してr共 益 契 」 以 外 の 契 は,67イ に
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は1洞 弔 当 り平 均7.1で あ っ た の がt72年 に は8.7へ とか な り増 加 して い る。
洞 甲.は,一 面 で は地 方 行 政 機 構 の 末 端 組 織(行 政洞 里)と して 機 能 しっ っ も, 他 面 で は慣 習 と構 成 員 間 の 濃 密 な 面 接 匪 に 担 保 さ れ て 一 定 の 自治 的 機 能 を 有 し て き た。 そ れ を実 際 に担 って きた の が 洞 契 ・大 同 契 で あ っ た と い え る。 セ マ ウ ル運 動 の 開 始 と と もに 洞 契 ・大 同 契 が 唄 洞 開 発 委 員 会 に吸 収 さ れ た と い う ヒ述 の報 告 が 一 般 化 で き る とす れ ば,洞 里 自治 機 構 の 中 核 に ま で 地 方 行 政 機 構 の 影 響 力 が 直 接 的 に 及 ぶ に 至 っ た と い う点 で,セ マ ウ ル運 動 は韓 国 農 村 組 織 の 歴 史 に お い て 一 つ の 画 期 と な り う る。 さ らに 前 掲 第2表 に示 した組 織 も ま た,各 種
(L5)
の 契 の 機 能 を 代 替 す る か た ち で 形 成 さ れ る こ と も あ っ た 。
セ マ ウ ル運 動 を 組 織 論 的 側 面 か ら捉 え る と,こ の よ う に在 来 の 契 組 織 を 行 政 的 に包 摂 して 活 用 して い った,と い う特 徴 を 見 い だ す こ とが で き る。 そ して 反 面 で は,朴 政 権 初 期 の 「f農 政 策 」 が 契 機 と な っ て 契 数 が 増 加 した の と同 じ よ
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うに,セ マ ウ ル 事 業 に 関 わ る財 政 支 出(資 材 ・補助 金 ・融 資)に よ って 組 織 化 の イ ニ シ ャル ・コ ス トが 賄 わ れ る こ とで ,機 能 紐 織 的 な 新 た な 契 が ふ た た び数 多
くつ く られ て い?た の で あ る。
な お ・ セ マ ウル 運 動 関 連 の 洞 甲 内 組 織 に 関 して1点 付 「江 て お く。 こ れ ま で 見 て き た よ う に・50年 代 以 降 農 業 ・農 村 政 策 に対 応 して 様 々 な 澗 里 内 組 織 が っ く られ て き た が,類 似 の 組 織 が 弔複 して 組 織 され て い くつ か の 弊 害 を 生 む に 至 った た め,77年 国 務 総 理 の 指 ・丁≒に よ り紐 織 の 統 合 が 進 め られ て い 巧1建誤 体 的 に は・ 生 活 雌 ク ラ ブ ・セ マ ウ ル婦 姶 ・婦 女教 室 ・家 族1繭 オ モ ニ 会 が 統 合 さ れ て セ マ ウ ル 婦 女会(郡 が 管轄)に,農 事 改 良 ク ラ ブ ・協 同 会 ・作 目班 が セ マ ウ ル営 農 会 儂 協が管轄)に ,そ れ ぞ れ 統 合 さ れ,そ して4…Hク ラ ブが セ マ ウ ル 壽少 年 会(農 村指導 所 と農 協が管 轄)に 改 称 され て い る
。
2)セ マ ウ ル 事 業 の 変 遷
1970年4月 の 全 国 地 方 長 官 会 議 に お い て 農 村r1助 努 力 の 振 作 方 案 に 関 す る 議 論 が な さ れ た が,こ れ が 政 府 次 元 で の セ マ ウ ル 運 動 に 関 わ る論 議 の 備 矢 で あ っ た。 同 年10月 に は 全 国33干 二強 の 行 政 【}{洞に セ メ ン トが335袋 ず っ 無 償 で 配 布 さ れ,翌 年6月 ま で の 農 閑 期 に 住 民 に よ る洞 里 内 の 環 境 改 善 事 業 が 行 わ れ た。 これ が71年 セ マ ウ ル ・カ ク ギ 事 業(カ クギ とは 浮 入 れ」の意)で あ り
,こ れ を も って セ マ ウ ル運 動 が 開 始 され た。 政 府 は,同 事 業 の 評 価 を 基 に して,翌72 年 か ら環 境 改 善 に と ど ま らな い総 合 的 な 農 村 開 発 運 動 と して セ マ ウ ル運 動 を 本
(l7)
格 的 に 展 開 して い った 。
こ の 時 期 に セ マ ウ ル運 動 が 開 始 され た背 景 と して ,韓 昇 助 氏 は3っ の 点 を 指
くゆ
摘 して い る。 第 一に は,農 村 が国 内 ⊥業 生 産 物 の消 費 市場 か ら除 外 され る,あ るい は農 業 生産 の低 調 が 巨額 の食糧 輸 入 を招 くな どt農 村 の 貧困 と落後 性が 韓 国 の!業 成 長 の阻 害要 因 とな って い る こ と,第 .二に は,農 村 の落後 性 が韓 国 の 政治 的 ・社 会 的 不 安 の潜 在 的根 源 とな って きた こ と,そ して第 三 にx農 村 人 口 の流 出 によ って 人都 市人 口の過 密 集 中現 象 が悪 化 しは じめ た こ と,で あ る。60 年 代 の経 済 開 発 の過 程 で顕 在 化 して きた農 業 ・農 村 の貧 困 と落 後 性 の解 消 を 目
q54) 1970年 代 韓 国 農 標 こお け る セ マ ウ ル運 動 の 展 開 避 盛19
第4表 マ ウル昇級 の評価対象事 業(1976年)
部r・Ii‑11」産 塞 擁 部 ド・lI所 得 増 大 部r・1‑一 一 一
[̲
〈 資 料 〉 黄
̲一 一一一
一 一十 一' 農 道 整 備
小 橋 梁 架 設 評 小 か川 整 備 価1農 業lil水 施 設
1協1司 生 産 施 設 対iマ ウ ル 共 同 倉 庫
象1農 耕 地 拡 張 1マ ウ ル 植 樹 事1船 着 場 施 設
業1協 同 圏 蝶 是盤 ・漁木寸下琶イヒ iマ ウ ル 通 信 一i‑一 一一̲一 一一̲.̲一
1稲f乍団地営農 1麦 増 産
上佳月巴士曽産 1共 同所 得 事業
マ ウル養 苗 1有 畜農家 育成 ]農 漁村 副 業 1
」、福 祉 環 境 都
!精 冬申 開 発.部 一門 … マ ウル内道 路 整備
卜水溝 整備 1屋 根 改良
住 宅環境 整備 i簡 胎 ノ腕 設
1井 ∫'f管 理 1マ ウ ル 会 館 i
1
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‑‑i.一 一..一.一一 一一 一一[一 一 一 一̲一 一 政*r韓 国 の 綜 合 農 村1醗 」1980年 」6以 〔よ り 州11・・
第5表 セ マ ウ ル 事 業 に よ る 総 投 資 額 の 推 移
一 一 一
里洞 開 発委運'営 班'常会運 営 1民 防衛 活動 1婦 女活動
1マ ウ ル基金造成 セ マ ウル金庫 運営 マ ウル清掃実 施 i
1,,﹂
「 奪読 下 生産基盤
旨 一一 寸一 一11973 i!
…
1974156・5(43)1 1975163.7(22) '
;1976190.2(28) 19771135.SC29)i
'1978'
,130.7(21)
4
1979', Il980145.1(15)
所 得 増 大1
̲̲̲̲̲f
33.8C25) 187.5(63) 154.1(48)1 182.E(39) 242.6(38):
福祉環境
で
27.6(29)1 28,8(22)1 30.5(10)1 67.6(21}
110.0(24)1 244.6(39)I
i
158.9(21)',326.6(43)',292.8(32)1 325.5(35)1390.9(42)1
1
、‑1981195Ll働35免 ・5‑(50)1‑lg7・1(28)1
〈 資 料 〉 黄 仁 政,前 掲Li,
精神開発I
o,81D1
3,2(2)1 4.6(2)
i
5.7(2) 10.7(2)1
12.6(2)
7.9(1)1 6.9(1)1
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単 位11〔 〕有意 ウ オ ン
都11∫1揚1色 一 一
や 196
.1(100) 10.5(8)i132.8(100)i
9.6(3)1295.9(100)旨
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27.4(6)1466.5CIOO)
2鍛1灘 淵1
69.0{7)936.80100)',
30.0(4)702.9{100)1
‑‑1‑一 一
井37頁 お よ び 呉兆 換*1わ が国 農 村 綜 合 開 発 の実 際 とそ の 効率 的推 進 方
案(D‑、r地 域 ネ桧 開 発ll耽 』 第7輯,1982年12」 】・
<注>D1980年 の 合 訓畠f直は 合 計 欄 の 数1直 と 若1提 な る が,引 2)()1ノ 〜μよ稲桂bjl〜⊥七(96)〔 〕
19頁 よ り 作 成 。 1資 料 の ま ま 記 載 した 。
標 に,朴 政 権 は セ マ ウ ル運 動 を 雨 要 な 政 治 課 題 と して 位 置 づ け て 推 進 して い っ た の で あ る
セ マ ウ ル事 業 は詫 産,/部 門,1折 得 増 大 部 門,福 祉 環 境 調1門そ して 精 神 開 発 部 門 の4部 門 に 分 類 さ れ て い る。 第4表 は 全 部 で33の 事 業 を こ の4っ の 部 門 に 分 類 して 記 載 した もの で あ る。 本 表 で い う 「マ ウ ル 昇 級 」 と は,セ マ ウ ル
20商 経 論 叢 第28巻 第4号
Cl53)
事 業 の発展 水 準 別 に洞 里 を3段 階 一基 礎 マ ウル ・自助 マ ウル ・自 立マ ウ ル ー一に 分 類 し・ こ こに掲 げ た各 事業 にお いて 予め 設定 され た事業 進 捗 度 の 基準 を ク リ
ア ーす れ ば,1段 階 上位 の マ ウルに 「昇級 」で き る とい う仕組 みで あ る
。前述 し た 「優 秀 マ ウル優 先 支援 原則 」に くわ えて,「 マ ウル別 に基礎 的 な環 境 改善 事 業 か ら着手 して農 業生 産 基盤 造 成 事業 ,農 家 所得 増 大 事業 の順 に事業 を推 進 す る
(lra)
よ う に した 」 と い う政 府 の 方 針 は,「 昇 進 」 を 目指 して セ マ ウ ル 事 業 を 積 極 的 に 推 進 す る イ ンセ ンテ ィ ブ を,そ れ ぞ れ の 洞 里 に 与 え る も の と な っ た と ㌧・調
。 さて 第5表 は,投 資 規 模(政 府 支援 お よ び住民 負担 な どの総額)の 変 化 か らセ マ ウ ル 事 業 に お け る 重点 部 門 の 変 遷 を み よ う と した もの で あ る
。 政 府 は セ マ ウ ル 運 動 の 開 始 に 当 た って 】981年 ま で の 長 期 発 展 目標 を 定 め た が
,そ こで は71〜
73年 を 「基 盤 造 成 期 」,74〜76年 をm助 発 展 期 」 そ して77〜81年 を 「自 立完 成 期 」 と そ れ ぞ れ 設 定 して い る。 本 表 で の 事 業 部 門 別 投 資 構 成 比 も ま た,こ の 3っ の 時 期 ご と に 特 徴 的 な 傾 向 を 示 して い る と い え る
。 す な わ ち,「 基 盤 造 成 期 」 に は生 産 基 盤 部 門,つ いで 福 祉 環 境 部 門 の2部 門 が 圧 倒 的 な比 重 を 占 め て い た の が,「 自助 発 展 期 」 に は両 者 の 構 成 比 が 減 少 し(と くに前T7),か わ って 所 得 増 人 部 門 の そ れ が 増 加 して い る。 そ して 「自 、γ完 成 期 」 に は い る と,生 産 基 盤 部 門 は 引 続 き構 成 比 を減 少 させ た の に 対 して 福 祉 環 境 部 門 の そ れ は 再 び増 加
に転 じ,所 得 増 大 部 門 と同 水 準 に復 活 して い る。
す で に 述 べ た よ う に,71年 の セ マ ウ ル 事 業 は セ マ ウ ル ・カ ク ギ 事 業 と 呼 ば れs主 と して 洞 胆 内 の 環 境 改 善事 業 が 実 施 さ れ た 。71・72年 の 実 績 を 見 る と
, 71年 に は マ ウ ル 入 口道 路 拡 張 が 総 事 業 費 の48% ,72年 に は マ ウ ル 内 道 路 拡 張 が1司 じ く58%と,そ れ ぞ れ 圧 倒 的 な 比 重 を 占 め て い た(両 者 と も生産 基盤 部門 に 分類 され てい る)。 そ して,下 水 溝 改 修 ・共 同 井 戸 設 置 な ど の 福 祉 環 境 部 門 が そ れ らに次 で 事業費 が大 きか った。 政 府 は 「目 に 見え る有 形 的変 化 を もた らす 事く り
(zz)
業 」を農 民 の 「精 神 革 命」を促 す た めの戦 略 的 な 事業 と して位 置 づ けて い たが, 道 路 修 理 や共 同衛 生 施 設設 置 とい った 事業 は,事 業 そ の もの は比 較 的容 易 でか つ 事 業 の結 果 が端 的 に顕 れ る ことか ら,そ れ に最 適 な 事 業で あ った とい え る。
71〜73年 の 「基 盤造 成 期 」 に は,こ う した類 の 事 業 が重 点 的 に推 進 され それ を