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体育科卒 ( 御南中学校出身 ) 1 同志社大学政策学部政策学科 ( 推薦入試 ) 22 年次の始め頃から 私は 関関同立である同志社大学に魅力を感じていました その後に同志社大学に指定校があることを先輩から聞きました 3 年次の時に同志社大学とは試合をする機会があり ぜひこの大学でサッカーをしたい

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Academic year: 2021

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合格体験記 体育科卒 (福南中学校出身) ① 愛知教育大学 教育学部 中等教育教員養成課程 保健体育専攻(推薦入試) ② 私が愛知教育大学を受験することを決めたのは3年の夏ごろでした。大学でもバレーボールを続けるつもり だったので、レベルがあまり低くない大学に行きたいとは思っていましたが、私にはこれといった将来の夢もな くなかなか志望校を決められずにいました。部の顧問の先生がこの大学を紹介して下さり、この大学を目指すよ うになりました。合格するための努力をしているうちにこの大学に入りたいという気持ちは強くなっていきまし たが、私のように紹介などで進路を決めるのではなく、自分で調べたりして行きたい大学を見つけなければ勉強 などをする意欲がわかず苦しいと思います。 ③ とにかく提出物は最低限きちんと出すようにしました。授業態度はあまりよくなかったので、定期テストで 点がとれるように勉強しました。 ④ 試験の日が部の大きな大会の1週間後で、大会が終わるまでは勉強に身が入らず苦しみました。ですが大会 が終わってからの1週間で遅れを取り戻せるようにがんばりました。特に小論文の勉強に重点を置き、過去問を 解いたり、先生にアドバイスを貰ったりしました。面接の練習も先生に付き合ってもらいましたが、当日はグル ープディスカッション方式でしたが、面接練習をしたことによって堂々と話すことができました。 ⑤ 夏休みにはまだ現役で部活動をしていたので、受験があるという実感がわいていなかったです。なので部活 動にとにかく打ち込んでいました。 ⑥ 1年生の時は学校に慣れておらず、全てのことに必死だったことを覚えています。進路のことなどはまだま だ先のことだと考えていて、部活動に打ち込む毎日でした。 ⑦ 2年生の時は、学校生活や部活動にも慣れてきて余裕を持って過ごせるようになり、とても楽しく学校生活 を送ることができました。また、進路についてはこの時期から少しずつ考えはじめてはいました。 ⑧ 毎年、卒業していく先輩は3年間はあっという間だと言いますが、私も本当にその通りだと思います。なの で進路に向けての準備は早いうちから始めておきましょう。体育科は学力で他の受験生と競うのは難しいですが、 実績や面接での元気の良さなど、体育科ならではの武器があると思うので、受験のときはそれを試験官に思い切 りアピールして下さい。今、学校生活や部活動などで苦しい思いをしている人が多くいると思います。その苦し い思いは決して無駄にはなりません。何らかの形で自分の進路実現のための糧になるはずです。がんばって下さ い。

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体育科卒 (御南中学校出身) ① 同志社大学 政策学部 政策学科(推薦入試) ②2年次の始め頃から、私は、関関同立である同志社大学に魅力を感じていました。その後に同志社大学に指定 校があることを先輩から聞きました。 3年次の時に同志社大学とは試合をする機会があり、ぜひこの大学でサッカーをしたいと思うようになりました。 また、中学の頃から、社会系の勉強には興味があり、もっと詳しく学びたいので、同志社大学政策学部を志望す ることを決めました。 私は、指定校1本しか考えていなかったので、競合していると聞き、急いで次の志望校を考えました。どんな状 況にも対応できるように複数の道を考えておいたほうが良いと思います。 ③ 指定校で行くことをある程度考えていたので、評定を 0.1 でもあげるように努力していました。そのため に、提出物をきちんと出し、定期考査でいい点がとれるように試験週間は一生懸命勉強していました。 ④ 志望校を決めた時期は早かったけれど、指定校が決まる秋ぐらいまで特に何もしていませんでした。指定校 が決まってからは、小論文の勉強に重点をおいて勉強を始めました。まず私は、知識が足りなかったので新聞や 現代社会の教科書見るようにしました。過去問を参考に色々なテーマで書き、社会の先生のところに何回も通い、 訂正してもらったりしていい文章を書けるようにしました。志望理由書も国語の先生に何度もみてもらい、訂正 してもらいました。小論文と志望理由書に追われ、口頭試問の練習を数多くこなすことが出来ませんでした。そ れでも進路課の先生や友達に面接をしてもらい、少ない機会でも大切に取り組むようにしていました。 ⑤3年の夏休みは、部活動中心の生活でした。部活動に集中できるように8 月上旬頃には、宿題を終わらせてい ました。特に受験に向けては勉強していませんでした。オープンキャンパスには参加させていただき、色々なも のに触れ、目標となるものが決まりました。 ⑥1年生の頃は、学校に慣れる事に必死でした。部活動と勉強の両立をはかれるように、どちらも目一杯がんば っていました。進学することは決めていたので、特に勉強は頑張るようにしていました。 ⑦1年生の頃に比べ学校生活になれてきていました。それでも部活動と勉強の両立には力を入れていました。進 路の方向は決めていたので、評定を上げるように努めていました。提出物を期限内に提出するのはもちろんのこ と、ノートはとり、一生懸命に勉強しました。 ⑧進路というのは、自分1人で考えるものではありません。親や先生方も親身になって考えてくれます。その存 在がいることは非常に有難いことだと思います。しかし、その人たちに頼るのではなく、自分で自分の進路を見 つけてください。それでも親や先生方は応援してくれます。その人たちの期待に応えられるように一日一日を大 切にして、勉強と部活動を頑張り、自分を磨いてください。

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体育科卒 (高松中学校出身) ① 川崎医療福祉大学 医療技術学部 健康科(推薦入試) ② 私の将来の夢が、体育の教員になることなので教員免許を取ることのできる一番自分に合った大学を探して いくと、この大学だと分かり、高大連携などで大学の事もよく知っていたので進路を決定しました。それが7月 頃でした。元々県外に行くつもりはなくスムーズに決まったのですが本格的に受験の準備を始めたのが引退して からの9月でした。小論文は2年からやり始めましたがもっと練習していたら良かった。 ③ 面接…できるだけたくさんの先生方に練習してもらう。内容を丸覚えではなく箇条書にして覚え、引き出し をできるだけ多く用意しておく。最近のニュースには関心を持ち、新聞を読むようにして、気になるニュースを 2~4個ピックアップする。 小論文…過去問を3つほど用意して、それを書いては直してもらうを繰り返す。できるだけ回数をこなすことで だんだんとなれてくる。また図書館で小論文に関する本を借りて参考にするのも分かりやすくて良いと思う。一 番力を入れて頑張った。 実技…マット運動、バレー、バスケ、ハードル、水泳の練習をした。詳細については、受験レポートに書いてい るので見てください。 ④ 一番に小論文の練習を頑張りました。他の面接、実技においても過去の受験レポートを参考にするのが良い と思います。 ⑤ 部活を引退してからはオープンキャンパスに参加しました。 ⑥⑦ 提出物、授業態度、定期テストをしっかりやりました。 ⑧ 実技は試験会場が体育館で数十人が見ているので余り緊張しないこと。あとはしっかりと行きたい大学のこ とを調べ、家族や先生方と話したうえで進路を決めよう。そして決まったらフライングありの受験準備をしよう。

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体育科卒 (高島中学校出身) ① 愛媛女子短期大学 子ども学科(推薦入試) ② 私が進路について本気で考え始めたのは、部活動を引退した9月頃からでした。それまでは、なんとなくそ のままにして部活動に力を入れ、毎日過ごしてきました。将来やりたい事はあったので学部や学科はすぐに決ま りましたが、途中進路変更などをしたのでこの短大に行くと決めたのは10月で、試験を受けたのは12月下旬 でした。 ③ 提出物は期限を守り、授業は集中して受けるようにしました。テスト期間は苦手分野を特に勉強しました。 ④ 受験内容は、小論文と面接だけだったので教科の勉強などはしていませんでした。小論文は、過去に受験さ れた先輩が出されたテーマを自分で時間をはかって書き、現代文の先生に見てもらったりしました。面接練習は 色々な(特に国語の)先生に何回もお願いして行いました。また、専門的な事を聞かれても大丈夫なように、図 書館で資料や本を読んだりインターネットで調べたりしました。 ⑤3年の夏休みは、8月の終わりに国体予選があったので、その大会に向けて毎日ハンドボールの練習をしてい ました。部活動が休みだった時、丁度オープンキャンパスをしていたので、興味があった大学に行ったりしまし た。 ⑥1年生の時は、学校生活や部活動に慣れるまでが大変でした。授業も集中して聞いたり、提出物をちゃんと出 したりする事を頑張りました。 ⑦ 1年生の時と同じように過ごしてきましたが、勉強の方は少し疎かになってしまいました。でも、テスト期 間では点数を下げないよう頑張りました。また2年の9月頃から新チームへ代わったので毎日部活動中心に生活 してきました。 ⑧ 進路がすぐ決まる人もいれば、なかなか決まらないという人もいると思います。今、やりたい事が決まって いない人もたくさんいると思いますが、後悔のない道を進んでいって欲しいと思います。なるべく早くやりたい 事を見つけ、目標を持って次へ進めたらいいと思います。また、3年になった時に過去の評定は変わらないので、 自分で自分を苦しめないよう勉強をしっかり頑張った方がいいです。高校生活3年間は、長いようでとても短く 感じます。体育科の人たちは光南高校でしか教われなかったり見つからなかったりすることがたくさんあると思 うので、残りの時間を大切に過ごしてください。

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体育科卒 (高梁中学校出身) ① 天理大学 体育学部 体育学科(推薦入試) ② 私は1年時から体育教員になろうと決めていたので、体育教員の免許が取得できる大学に行こうと決めてい ました。2年時の夏休みには私の中で数校に絞り、夏休み明けには天理大学を受けることをほぼ決めました。そ して進路校外研修で実際にキャンパスを見て、考えを確固たるものとしました。今となって考えてみると、この 時期に第一志望校が決まったのだから、さらに幾つかの大学をリストアップするべきだったなと思っています。 ③ 天理大学の公募推薦では、実技、小論文、調査書の三つの方法によって受験が行われます。そのため私は、 特に小論文の勉強を頑張りました。各教科の学習法というよりかは、小論文の学習法となりますが、私はまず図 書室にある小論文の書き方という本を読みました。さらに1年時から行ってきた小論文対策で使用した本などを 読み返しました。そうすることでまずは私なりの小論文の書き方を確立させました。その後は実際に小論文を書 くこと、小論文に必要な知識を得ることを両立させて行いました。 ④ 私は前項目で紹介した方法で受験勉強を行いました。他は部活動を頑張っていたことと、各授業に全力で取 り組み、少しでも良い評定平均値を取れるように頑張りました。 ⑤ 特に3年時の夏休みには、本をたくさん読みました。そして保険体育の教科書も読みました。つまり、私が 小論文を書くために必要だと思った知識を収集したということです。人によってどんな情報や知識が必要なのか はまったく違います。私の場合はたまたま保健体育の教科書が最適なものでしたが、それが人によっては新聞で あったりニュースであったりするかもしれません。とにかくこの時期には自分の中で必要な情報や知識をきちん と整理し、その中でも使えるもの、使えないものを取捨選択する必要があります。 ⑥1年時はとにかくたくさんの大学を調べ、たくさんの先輩から大学についての情報を取り入れました。1年時 は多くの人が高校に入学できたことに満足してしまい、新たな進路に向けてのスタートを切ることに遅れをとっ てしまいがちです。しかし私は1、2年時にどれだけ多くの情報を仕入れるかが進路実現ではとても重要だと考 えています。そのために1年時はとにかく多くの情報を仕入れた方が良いのです。 ⑦2年時は1年時より一段階レベルの高いことをする必要があります。それは方向性を決めることです。3年時 に志望校を決定し、合格に向けて努力するためには、もちろん志望校する大学を決めなければなりません。それ らを決定するために、自分が将来やりたいか、なりたいもの、理想などを明確にしましょう。そうすれば1年時 に集めた情報の中で必要なものとがはっきりします。それらの情報をさらに詳しく調べることで進路実現に大き く前進できるはずです。 ⑧ 私は大きく分けて二つのことを言いたいと思います。一つめは、勉強をしっかり頑張っておくべきであると いうこと。普通科、情報科、体育科のどの科においても基本となるものは勉強です。勉強を頑張ることの出来な い人は、いろいろな場面で損をします。ゲームをする前に勉強をしてください。理想を現実に変える為に必要な ものは努力と意志だと思います。高校という場所に対して希望と強い志を持ち、明るい未来を自らの手で切り拓 いて下さい。

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体育科卒 (瀬戸中学校出身) ① 川崎医療福祉大学 医療福祉学科(AO入試) ② 私がこの大学を受験しようと思ったのは3年次の5月頃です。最初は指定校をもらい県外の大学に進学しよ うと考えていましたが、自分の興味や将来やりたいことができる分野の大学に進学しようと思い川崎医療福祉大 学を受験しました。 ③ 授業は先生の話をよく聞き、ノートもしっかりとるようにしていました。テスト前は勉強時間を作り、ノー トを何度も見直すなどしました。また、目標も決め、それに向けて取り組みました。 ④ 受験方法は面接と課題文でした。面接は同じ学部に進学された先輩に面接内容を聞きました。放課後先生に お願いをして面接練習をしました。課題文はあらかじめ題が決められていたので本で調べたり、インターネット で調べたりしてきちんと書けるようにしました。文章も先生に見てもらいちゃんとした文章が書けているかチェ ックしてもらいました。 ⑤ 夏休みの始めは部活を一番に考えて頑張っていました。AO入試は9月に受験だったので部活を引退してす ぐに入試に向けて課題文を書いたり願書を書いたりしていました。また、オープンキャンパスに参加し、入試に 向けて課題文を書いたり願書を書いたりしていました。またオープンキャンパスに参加し入試に向けて過ごして いました。 ⑥1年次の時は学校生活に慣れることや、部活動で精一杯でした。 ⑦2年次は少しずつ進路のことを考えるようになりました。評定を下げないためにテストを頑張りました。 ⑧1年次の時は学校生活や部活動のことで精一杯だと思いますが授業をきちんと受ける、提出物も期限内に必ず 出すといった当たり前のことは必ずやるべきです。2年次は部活が自分たちのチームになり忙しくなるときです が自分で時間を見つけ進路のこともしっかり考えていってほしいです。そして、自分の志願する大学、就職先を 決め、充実した高校三年間を送ってもらいたいです。

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体育科卒 (東山中学校出身) ① 倉敷芸術科学大学 生命科学科 (推薦入試) ② 私は2年の冬頃まで理学療法士か救急救命士を目指すか迷っていた。小野先生から倉敷学術科学大学救急救 命士コースを紹介されて、親とゆっくり相談し自分の本当に行きたい大学が見つかったと思う。最初はAO入試 で受験する予定だったが、大学見学で本校には指定校があるという話を聞き、指定校入試で受験することになっ た。 ③ 毎日部活でなかなか勉強をする時間がとれなかったので短時間で集中して勉強していた。日頃の授業をきち んと受けて、重要なポイントは家へ帰って確認したり休み時間にもしていた。また分からない時は友達に聞いて 確認もしていた。どの教科も同じで、英語なら単語や文法をひたすら書いて覚えていたり、数学では繰り返し問 題を解いて覚えたりしてテスト期間中はしていた。 ④ 部活動の県内最後の大会を控えている中で、受験をすることになり、時間があまりとれなかった。倉芸の指 定校は面接だけだったけれど、面接練習の時間がなかなかとれず、3回しか練習ができず不安のまま受験日をむ かえた。無事合格することができたが、もっと計画を立てて面接練習をしていれば不安なくできたと思った。 また、一般推薦を考えて生物を3年から一人で授業を受けていた。先生がわかりやすく、大学で出そうな問題な どを出題してくれるなど対策をしていた。今は大学へ行って困らないように対策をしている。 ⑤3年の夏休みはインターハイがあり、部活に集中していた。インターハイが終わってから、AO入試の準備を 始めた。志願理由書を完成させるのに時間をかけた。下書きを先生に見てもらいながら、完成させていった。9 月になり、指定校の一覧をみると倉芸があったので担任の先生に相談して指定校入試で受験させてもらうように なった。 ⑥1年生の時は入ったばかりで何も分からない状態で先生や先輩に怒られてばかりで大変だったけれども部活 をきっちりこなした。たくさんの失敗や大きな壁にぶつかって辛いこともあったけど、たくさんの経験をするこ とができた。その中で学習面においても課題を見つけて、一つ一つ達成するようにしていた。 ⑦2年生の時は春高バレーやインターハイなど、全国の舞台を2度も経験した。全国へ行ったということで周囲 の目も変わってくる中で、学校の生活面や学習面をより一層気をつけてきた。部活ばかりではいけないので、特 に授業への取り組みも変えて、学習面で努力した。 ⑧ 本気で部活ができるのが高校までで、人それぞれ進路が違ってくると思う。なので、今集まっている仲間を 大事にして一日一日を過ごしてほしいと思う。また、進路決定は早めの段階からしておくと後で困らないし、目 標ができるのでいいと思う。

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体育科卒 (児島中学校出身) ① 朝日リハビリテーション専門学校(AO入試) ② 私は、2年の冬に肩をケガしてしまい、その時肩のリハビリをして下さった理学療法士の方に憧れ、自分も 誰かのケガのリハビリを手伝ってあげたいと思い朝日リハビリテーション専門学校に行きたいと思い進学しま した。もう少し詳しく調べておいた方が後が楽だと思いました。 ③ 各教科の学習方法は、ワークやノート、プリント類を覚えるまでひたすらノートに書いていく方法で学習し ていた。寝る前にも教科書やノート、プリントを見て寝ると覚えているので眠い時はそのようにしていた。 ④ 受験勉強は、面接と志望理由書だけで学科がなかったので夏休み中何回も学校に行き志望理由書を担任の先 生や顧問の先生に何回も見直しをしてもらい、何回も書き直しをしました。 学科がある時は、過去問を何回もする方が自分のためになり良いと思います。 ⑤ 3年の夏休みは、夏休みの間に入試があったので毎日学校に行って面接練習や志望理由書を書き、入試の事 をひたすら夏休みはしていました。 夏休みだから、遊ぶのも良いが休みが長い間に勉強をしておくと入試の日に気楽に行けるので夏休みの過ごし方 は、自分に合うよう考えて過ごす事が1番良いです。 ⑥ 1年の時は、自分の事を精一杯で毎日部活ばかりしていました。毎朝始発で行き、帰りも家に着く頃には9 時前だという生活を過ごしていて、帰ったらご飯を食べてお風呂に入って寝るという生活でなかなか勉強時間が とれませんでした。 ⑦ 2年の時も部活ばかりでした。だが、2年になると自分に余裕が出来てきて勉強の仕方も自分なりにわかっ てき始めました。でも、基本的には1年と同じで部活ばかりで部活中心の生活を過ごしていたと思います。 今になると勉強をもっとしておけば良かったという後悔も今さらですがあります。 ⑧ 私が後輩にいえる事は、勉強はしておいた方がいいという事です。3年になってしておけば良かったと思う

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