vol. 3
降るような蝉しぐれを聞きながら、表参道の並木道を扇子片手に歩く毎日です。厳しい暑さが続いておりますが、みなさまいか がお過ごしでしょうか。オリエンタルオーナメントの第3号の特集は、「ローマン・グラス」です。古代ローマの人々も、美しいガ ラス器を好み大切に使っていたといいます。冷えたガラス器にビール、かき氷、すいか.....夏には涼しげなガラスがぴったりで す。節電が続く毎日ですが、ご無理をなさらず、どうかご自愛くださいませ。
ギャラリーかんかん青山店
特集 ローマン・グラス
~ガラスの起源~(紀元前
4000年頃)
《その昔、天然ソーダを商う商人たちの船がこの海岸に入ってきた。そして食事の用意をするために、彼らは岸辺を見まわした。
しかし、大鍋を支えられるようなかまど用の石がなかなか見つからなかったので、彼らは積荷のソーダ塊を取り出して、その上に 載せた。このソーダ塊が熱せられて、砂浜の白砂とうまく合わさった時、ある見たこともない半透明の液体が、何本もの筋をなし て流れ出てきた。そしてこれが、ガラスの起源になったのだという。》(S・プリニウス『博物誌』巻36の65)
『ガラスの道』由水常雄 著 19ページ 3行~8行 より抜粋
これは、古代ローマ時代より伝えられている「ガラスの起源」を伝える物語です。フェニキア人が海上交易のために訪れた地中 海東沿岸、現在のイスラエルのアッコ(アクレ)という街の川岸が舞台となっています。著者のプリニウスは、紀元後1世紀の古 代ローマに生き、博物学者で、政治家、軍人でもありました。彼は著書の中でガラス製法や生産地についても述べており、当時の ガラス事情を伺い知ることができます。一方、考古学的には、メソポタミアで発見された紀元前4000年前後のガラスが最古と 言われており、フェニキア人の海上交易時代よりもはるか昔であるため、現在ではプリニウスの記述が正確でなかったことが分か っています。ただ確かなことは、物語の中で伝えられているように、古代のガラスは意図的に生産しようとしたわけではなく、日 常の偶然から生まれた技術であることは間違いないでしょう。初めてガラスを目にした当時の人々の驚きはいかばかりだったこと でしょうか。憧れる表情が目に浮かぶようです。
【下写真 左より 1, 2, 3, 4, 5, 6】
~最古のガラス~(紀元前
16世紀頃)
最古のガラスといわれているものは、現代で使われているような透明なガ ラスではなく、施釉石やファイアンスの状態であり、純粋なガラス単体では ありませんでした*1。ガラスだけが単体で抽出され、容器として使われるよう になったのは、紀元前16世紀後半のメソポタミア、続いて紀元前15世紀 前半のエジプトだと考えられています。エジプトの歴史では、突如としてガ ラスが完成された形で発見されているため、メソポタミアへの遠征の際に、
ガラス職人を連れ帰ることで技術を持ち込んだのではないかと推測されてい ます。宝石とガラスを交換することもあったと伝えられる程、当時ガラスの 価値は高かったと言われています。その後、両地域ともにガラス製作は発展 を遂げましたが、争いの絶えない時代であったため、世の中が不安定になる とガラス製作は途絶え、戦乱後、再び日常の暮らしが戻ると、ガラス工房が 復活するという繰り返しの歴史をたどっています。
当時のガラス容器は、コアガラス技法*2や鋳造法*3で製作されたものが一般 的でした。用途としては主に、香油や香水、オリーブ油などを入るための容
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器として、神殿や宮廷で使用されていたようですが、時代が下り民間にも広 がるようになると、葡萄酒を入れるような日常品も作られるようになって いったようです。*1 考古学的には、ガラスの起源は釉の存在と結びつけて考えられています。ちなみに、釉は銅精錬技術の中で偶発的に発見されたものであり、
ガラスは焼成温度が高温になりすぎて、施釉製品から釉が溶け落ち、単体でガラス化したものからヒントを得て生まれたのだといいます。釉と 聞くと、陶器が真っ先に浮かびますが、古代エジプトやメソポタミアでは陶器はもちろんのこと、施釉石やファイアンスも生産されていました。
施釉石とは、ビーズなどに加工された石の表面にマラカイトの粉などを施して焼成したもので、この場合石は青緑色に着色されます。また、フ ァイアンスとは、珪石の粉末を固めてビーズなどのかたちにし、その上に釉をかけて焼成したものです。
*2 コアガラス技法:金属棒を芯にして粘土であらかじめ壷型を作り、その周りに溶けたガラスを巻き付けていき、均一になるように炭火で熱し ます。その後、装飾用のガラスを巻き付けて柄を描き、完成型となったところで灰の中に入れて熱を冷まします。常温になった頃に金属棒を抜 き取り、粘土を掻き出してガラス容器の完成です。大型の物を作ることは難しく、大体20センチ以下のものが多いようです。
*3 鋳造法:溶かしたガラスを鋳型に流し込んで成型し、冷やして固めるという方法。コアガラス技法ではできない大きな器をつくることが可能
でした。(上写真の壺は、鋳造法でつくられたと思われます。)
〜ガラスの革命〜(紀元前
1世紀中頃)
紀元前1世紀中頃のローマ帝国時代、ガラスの技術大革命が起こりました。
以前からガラス製作技術の腕前に定評があり、初期のフェニキアのガラスビ ーズ職人の末裔がいたという現在のレバノンの町、シドン(サイダ)で吹き ガラス技法が誕生したのです。溶けたガラスを鉄パイプの先に巻きつけ、息 を吹き込んで成型するという、現在でも続いている基本的なガラス製作技法 です。それまでのコアガラス技法のように手間のかかる型を必要としないた めに、一気に他のガラス製作工房に広がり、ガラスの大量生産が可能になり ました。その技術力は、それまで100年間かかっていた生産量が1年間も かけずに製作できてしまうという程、革新的だったようです。こうしてガラ ス製作技術は向上し、近代化され、新しい技術、かたち、装飾スタイルが様々 に生まれるようになりました。紀元後1世紀になると、ほとんどの器物は吹 きガラス技法で作れる様になっていたと言われています。もともとは大変貴 重で高価なものとして、ローマの神殿や宮廷で、高貴な身分の者だけに使用 や装飾品の着用が許されていたガラス製品も、紀元後2世紀あたりからは、
日用品として庶民にも広く使用されるようになりました。
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〜ローマ帝国とローマン・グラス〜
(紀元前1世紀頃)
ジュリアス・シーザー、絶世の美女として伝えられるク レオパトラなどが生きた紀元前1世紀。内乱に次ぐ内乱で、
農村は荒廃し、貧富の格差は拡大し、汚職や暴力の横行で 世の中は乱れていました。そのような時代に終身独裁官に 就任したシーザー。彼が暗殺されたのが前44年。その後、
オクタヴィアヌスとマルクス・アントニウスが覇権を争い、
クレオパトラとアントニウスの自殺をもって内乱の終焉 を迎えた前30年。そしてオクタヴィアヌスが帝政を開始 した前27年。
ローマン・グラスと呼ばれるガラスは、このような激動 の時代の中で誕生し、歴史を目撃してきました。おそらく、
歴史に名を刻む錚々たる顔ぶれが、ローマン・グラスの杯 で葡萄酒を酌み交わしたことでしょう。さらに、新約聖書 に登場するマリアが、イエス・キリストの足に塗ったとさ
れる貴重なナルドの香油が入っていた容器*4も、当時はまだ大変高価 【上写真 内側より 9, 10, 11, 12 】 だったローマン・グラスの器だったのかもしれません。戦乱が続く時代、悲しみのために流した涙を入れる壺、「涙壺」というどこ かセンチメンタルな呼び名がつけられていたこともあったとか。この詩的な言葉の響きに、古の時に誘われるかのようです。
*4 この一節は、ヨハネによる福音書12章1節~8節によります。
ローマ帝国は、東はアルメニア、シリア、北はブリタニア(現イングランド南部)、南は北アフリカ北岸一帯からエジプトにまで、
その勢力を拡大しました。そのために、ローマの装飾品は、東方や、古代都市国家エトルリアの影響から金細工に貴石をあしらっ たものなど、様々な地域のエッセンスを取り入れながら発展していきました。もともとは内乱の影響もあり、贅沢は好ましくない とされた時代でしたが、紀元前1世紀頃になると禁欲的な風潮は次第に消えていきます。さらに帝国領土が拡大し交易ネットワー クが広がると多種多様な素材が手に入るようになり、装飾品は洗練され、ローマ市民に広く愛されるようになりました。特に、ガ ラスビーズは小さく軽いために持ち運びしやすく、さらに大量生産が可能であったため、交易の際にとても重宝されました。その 交易の範囲はスカンジナビアの北方、中国の南方から韓国、イラン、シリア、マリ、エチオピアに至るまで、広大な地域に及んで います。色とかたちが美しい小さなビーズの魅力に人々は引き つけられ、各地で熱望されていたことがうかがえます。
ガラス工房もあらゆる地域に作られました。特に有名な工房 は、エジプト北部地方のアレクサンドリアや現在のレバノン沿 岸の街、シドン(サイダ)やティルス、イタリアの各地に存在 していました。現代の発掘調査からも、あらゆる地域で多数の ガラスビーズやガラス器などが発見されていて、当時のローマ 帝国の繁栄を今に物語っています。
〜バラエティに富むガラスビーズ〜
■アイビーズ 【左写真 内側より 13, 14, 15】
西アジアから北ヨーロッパによく見られます。人の妬みや恨 みがこもった魔を放つ眼、いわゆる邪視から身を守るために、
護符として身に付けられていたものと言われています。
■人面玉 【紙面右下写真】
紀元前後、エジプトのアレクサンドリア地方で作られていたガラス ビーズ。直径1~2センチの小さなビーズに、当時の人々の顔、身に つけた首飾りまで細密に表現しているものもあり、当時の豊かなセン スと洗練された技巧が伺えます。
■ゴールドサンドウィッチビーズ 《金とんぼ》
2層になったガラスの間に金箔を挟み込んだビーズ。紀元前 2世紀 から紀元後2世紀の間に製作されていました。高価な金が使用されて いることから、特別なビーズだったと想像されます。黒海北岸が生産 拠点だったと考えられており、イラン、インド、東南アジア、中国、
朝鮮、日本にまで伝播しています。【右写真 内側より 16, 17, 18, 19】
■アムレットビーズ 【左写真 内側より 20, 21, 22】
古代のアムレットストーンビーズに憧れを抱いて作られたものです。
石を加工するよりもガラスビーズを作る方がはるかに簡単なため、ガ ラス技術の発達と共にストーンビーズは作られなくなりました。天然 石である縞メノウの縞模様までを忠実に真似て作られたガラスビーズ もあるほどです。
~銀化ガラス~
ローマン・グラスの中には、「銀化現象」を起こしているものがあり ます。当時は青や緑などの透明なガラスだったものが、時代の移り変 わりと共に土中に埋まり、ガラス成分と土の成分とで化学変化を起こ して、銀色の輝きを帯びて発見されたものを「銀化ガラス」と呼びま す。青、黄、緑、白など様々な色が重なり合い万華鏡のように角度に よって輝きを変え、美しい輝きを放ちます。化学変化と言ってしまう と味気ない気がしますが、美しい銀化はガラスの成分、土の成分、気候 条件、時の流れなど「銀化現象」を起こす好条件が重なり合って生まれ
《参考文献》 た、およそ2000年という気の遠くなるような長い時間と自然が作り
『古代ガラスーH氏の場合―』谷一尚 著 1998年 京都書院 出した奇跡なのです。
『ガラスの道』由水常雄 著 1988年 中央公論社
『ローマン・グラス』京都書院アーツコレクション23
松永伍一 著 1997年 京都書院
『とんぼ玉』平凡社カラ―新書138 由水常雄 著 1984年 平凡社
『ガラス入門』由水常雄 著 1989年 平凡社
『The History of Beads 』LOIS SHERR DUBIN 著 2009年 Abrams
■ギャラリーかんかん青山店
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11:00~19:30(火~土)11:00~18:30(日・祝)月曜定休 【右写真 左より 23, 24】