アニメファンは「よそ者」である:
アニメ聖地巡礼は地域の担い手を生み出すか
1 はじめに
この論文は、アニメ聖地巡礼を通じて、ア ニメ作品の舞台モデルとなった地域に来訪し たアニメファンが、いかに「よそ者」として 地域と関わるのかについて、既往研究から分 析の視点を導出することが目的である。
今日本の各地では、人口の減少と地域の維 持は深刻な問題となっている。地域の担い手 をどう育て確保するかは、多くの地域社会に とって急ぎ取り組むべき課題である。現在か ら将来にわたる人口減少、特に生産年齢人口 の減少は地域の社会経済に大きな影響をもた らす。地域づくりという視点からこの人口減 少を見れば、これまで「地域づくりは人づく り」という専門家や活動家たちがなんども何 度も唱えてきた金言がもはやうまく働かなく なることを意味する。つまり、人がいなくな るからである。
さて、この近年で社会的にもまた学術的に も大きくクローズアップされているのが、ア ニメ作品の舞台モデルを訪れるという現象で ある。2016 年の映画『君の名は。』の大ヒッ トの直接間接の影響を通じて、アニメ聖地巡 礼という言葉が流行語大賞にノミネートされ るほどになった。2016 年には、KADOKAWA が JTB や JAL などと国内外旅行者のアニメ
聖地巡礼を促進するために「アニメツーリズ ム協会」を立ち上げた。2017 年に実施された DeNA の調査結果によれば、アニメ聖地巡礼 を含めて映像作品の舞台モデルに出かけたこ とがある人は、かなりの数に上ることがわ かった(DeNA 2017)。2020 年初頭から始 まったコロナウィルスの感染拡大はこうした 舞台訪問に冷水を浴びせている面があるとは いえ、それでもなお、TV アニメ・映画『鬼滅 の刃』の大勢のファンたちが、ゆかりの地(と ファンたちが考えた)である神社や旅館など を訪れるのがムーブメントになったことは記 憶に新しい。後述するが、こうした訪問行動 は「アニメ聖地巡礼」と一般的に呼ばれるよ うになった。
どうしてクローズアップされているのか、
を既往の研究に基づきつつ、地域づくり・地 域開発論の観点から明らかにすることがこの 論文の目的である。結論を先んじていえば、
アニメ聖地巡礼を通じて、アニメファンたち は地域の担い手として重要な役割を果たすポ テンシャルを持っている。とはいえ、このよ うな結論は、実はこれまでの地域づくり論、
地域人材論の世界では、ほとんど見向きされ てこなかった。本研究はこの議論のギャップ に光を当てて、埋めようとするものである。
北九州市立大学法学部准教授 森 裕亮
この論文は、以下のように議論を進める。
第1に、アニメ聖地巡礼と地域づくりの世界 を繋げるための準備である。そこでのコアと なる概念は「よそ者」である。第2に、アニ メ聖地巡礼と巡礼者となるアニメファンの行 動特性を明らかにする。第3に、アニメファ ンたちがどのように地域づくりと関わるの か、既往研究を紐解きながらそのメカニズム を検討する。ここで登場する大事な概念が
「ジモト型コミュニティ」である。第4に、上 記の議論と知見を基に、次の地域開発のため の重要な視角を提供する。
2 よそ者概念
2-1 よそ者
「よそ者」は、ごく一般的に使われる言葉 である。基本的には、家族以外あるいは町内 とか集落、サークルとか団体などの特定のグ ループに属していない人という意味である。
よそ者は常にどこにでも存在することは明白 な事実である。しかし、どんなグループに とっても、よそ者を意識したり課題と捉えた りしなければならなくなるのは、往々にして メンバーシップを持たない人々、あるいはグ ループのメンバーになったばかりの人々との 対面接触が起こる時である。学問的関心とい う観点では、よそ者は特定のグループにとっ ていろんな影響をもたらすことが研究されて きた。例えば、政治学では官僚組織に外部か ら 任 命 さ れ る 政 治 任 用 職(political appointees)の 研 究 が 関 心 を 集 め て き た
(Heclo 1977)し、経営学でも、企業の連携と かイノベーションの観点でよそ者の効用につ
いての議論が注目されてきた(Menzel 1960;
Li, Eden, Hitt, & Ireland 2008)。そして社 会学では、都市への移民など、地域社会集団 が海外から来訪する人々と接触するときに起 きる影響を解明することが主要なテーマだっ た(Park 1928 等)。
2-2 地域社会とよそ者期待論
過去からの議論を踏まえると、よそ者に関 する研究は、彼ら・彼女らが特定集団との葛 藤を起こしたり、排除されたりする可能性に 言及することもあったが、外部の「人材」と してよそ者を扱うことも多かった。特に、日 本の地方自治論や地域づくり論の範疇に属す る諸研究は、よそ者を地域にとっての人材と して位置付ける傾向が強い。とりわけ地域づ くり論の先行研究がよそ者をどう捉えてきた かについて見ていこう。
2-2-1 専門家モデルと移民モデル 特定の地域社会と外部の人々との関係を考 える際に、多くのよそ者研究者が常に参照先 と し て い る の が Simmel(1908)と Schutz
(1967)であるが、徳田(2005)は、これら2 人の主張を踏まえつつ、よそ者についての2 つのモデルを提示した。一つ目は「専門家モ デル」である。これは、端的に言えば外部高 度人材である。外部者の客観的視点から、よ そ者は非メンバーとして集団内部の知的イノ ベーションを促進する力となる。対して、「移 民モデル」は、専門家モデルと異なり、よそ 者は特定社会集団のメンバーシップを求めよ うとするが、だからこそ内部の色に染まろう として、集団メンバーと対立してしまうこと
もある。しかし、その過程で集団メンバーが 内部的には気づかないような潜在的な危機を 浮き彫りにして、その本質を集団に告知する 力を持つという(徳田 2005:13-15)。また、
集団のメンバーが放置している資源をよそ者 がその価値に気づくという構図もあるかもし れない。この徳田の整理を踏まえると、よそ 者は、ある社会集団にとって、単に異質なも のとか、排除すべき対象と捉えるべきという よりむしろ、何らかの貢献、特に、意図する にせよしないにせよ変化とか変革の機会をも たらす存在だと措定することができる。
2-2-2 日本の地域づくりとよそ者期待論 日本の地域づくり・地域開発分野では、よ そ者は歓迎すべきものだという見方が支配的 な了解だった。それは地域づくりには「若者、
ばか者、よそ者」が必要だという金言に現れ ている。敷田(2005)によれば、よそ者は「地 域内部にいる身内とは異なる存在」のことで あるが、地域開発の視点ではそれらが好意的 な意味を持って捉えられるという。とりわ け、よそ者は「他者」として地域内の人々と は違う視点を持つこと、つまり、地域の常識 と比べて「異なる価値観と常識」を持ってい るから、「逸脱」した存在であることが評価さ れるという。そうした特徴をもとに、次のよ うな地域に対する「よそ者効果」をまとめて いる(敷田 2009:86-88)。
第1は地域の再発見効果である。地域の 人々は日常生活の中で、実は地域資源の価値 に気づいていないことが多い。よそ者がその 地域にとっての当たり前を再発見する機会を
与える。第2に、地域側における誇りの涵養 効果である。よそ者の外部の視点が媒体と なって地域の人々の自意識を高めるという。
ただ、この効果を得るには、よそ者と地域側 との交信が必要条件である。いうまでもな く、第1の再発見を行ったよそ者に対して地 域側が寛容になるかどうかが重要である。第 3に、知識移転効果である。よそ者が地域に 接することにより、地域が持たなかった知識 や技能を持ち込む。地域づくりに必要な知識 や技術はどんどん変化している。地域内だけ で学習し切れないものも多くなっている。第 4に、地域の変容促進効果である。よそ者の 異質性が刺激となってそれだけで地域側に気 づきをもたらすのみならず、前述の知識や技 能が地域側の開発手法の刷新に結実すること もあり得る。そして最後に、しがらみのなさ である。しがらみとは、利害関係と言い換え ることができるだろうが、しがらみがないと いうことは行動の自由度が高いことを意味す る。だからこそ、よそ者は自由な発想で解決 策を提案することができるのだ。上記のとお り、敷田が主張する「よそ者」とは、端的に 言えばあくまで地域から見て「異質」な存在 だからこそ、地域の変化という貢献をもたら すアクターとして描かれている。
こうした期待論が沸き立つのが、Iターン の世界である。Iターンは一般的には、「自 ら選択して出身地以外の土地に移住するこ と」(松田 2014:149-150)である。往々にし て都市住民が田舎暮らしを選択するケースが 多い。実家やゆかりのある場所に戻るUターン とは異なり、自らの価値観と想いに基づきつ
つ、暮らしぶりそのものを選択し直すという 点がIターンの特徴でもある。たとえば、島 根県海士町はIターン移住者の多さで有名だ が、彼ら・彼女らの動機は「自分のやりたい こと、やりがい」だという点が共通していて、
地元食材を使って起業する人がとても多いと いう(石田・寺林 2012:67)。やりがいという 点は重要である。狭間が実施した全国調査に よれば、Iターン者は、移住先の地域への愛 着はそれほど強く感じないが、定住者に比べ て興味を持ったことをきっかけに活発な活動 に関与するという(狭間 2013;狭間 2017)。
総務省の事業として始められた「地域おこし 協力隊」にも典型的なIターンタイプの移住 者が多い。浅井らの調査によれば、隊員の7 割弱はIターンに該当の人だという(浅井・
熊谷・古川 2015)。地域おこし協力隊は、そ の地域に長期滞在しながら地域開発に貢献す ることを使命とするわけだが、何らかの事業 の開発と実践という表面上の変化だけでな く、地域の人々の気持ちや活力に作用すると いう点はより重要である。中嶋と川北による と、長野県に赴いたある協力隊員の事例調査 から、協力隊員が地域の人々に対する刺激と、
「まだ何かできるかもしれない」という意識 の芽生えを生み出した(中島・川北 2017)。
2-3 訪問客や旅人は「よそ者」か?
こうしたよそ者期待の議論は、Iターンの ように、どちらかというとよそ者自身が特定 地域に長期的に滞在したり、何らかの事業に 深く関与するという状態をそもそもの前提と している。上記したものの意外にも、例えば
環境運動によそ者(例えば都会の住民や専門 家等)が定期的に関与して、地域側の環境保 全に貢献するという面がその代表的なケース である(鬼頭 1998)。敷田は、短時間の滞在 者は有効なよそ者として期待しづらいことを 吐露している(敷田 2009:87)し、実は先に 登場した Schutz も、「訪問客と客人」をよそ 者から除外するのである(Schutz 1967)。そ れはなぜなら、そもそもそうした人々は、訪 問先に定着したり、地元の人々との対面接触 も深く求めないという議論前提に立っている からだろう。しかし、もしたとえ短期だった としても、ある場所への来訪者が、何らかの 地域への関わりを能動的に求めるようなこ と、あるいはなんども繰り返し来訪するよう な定着に近い行動を示したりした時、どう考 えるべきだろうか。特定の地域に長らく住む というよりむしろ、他地域にいる人々が別の 地域に関わろうとし、例えばボランティアな どの活動に取り組むといったような状況が特 別なことではだんだんなくなってきている。
その背景は、訪問者と客人(ツーリスト)
のあり方が質的に大きく変化しているからで ある。ツーリストがよそ者として訪問先との 関わりを持つという点は、従来の団体旅行な どのマスツーリズムのあり方からは実は想像 することが難しい。しかし、観光研究では、
そのマスツーリズムとは異なる「オルタナ ティブツーリズム」が、観光の形態として 20 世紀終盤に実態として広がり、学術的にも着 目されてきた。具体的にいえば、環境学習を 伴うエコツーリズム、あるいは余暇と社会貢 献を一緒に行うボランティアツーリズムなど
はその典型である。観光学のホスト・ゲスト 関係(Smith 2012)になぞらえていえば、次 のようになる。旧来のマスツーリズムは、
パッケージ団体旅行が典型である。それは、
いわば、訪問先にいるホストが提供するサー ビスを来訪者であるゲストが享受し消費する 構図を基本とした。他方で、オルタナティブ ツーリズムは、ホストとゲストが深く関わり、
ホストの文化や環境をゲストが学んだり して、ゲストが自己実現を図りながらも、
ホストを直接間接に力づけるような観光の あり方を含意する(大橋 2013;Wearing &
McGehee 2013)。
観光研究以外でも、来訪者・ツーリストに よる訪問地に対する貢献行動が環境心理学の 研究者によってすでに明らかにされている。
この分野の研究者の関心は、ある場所の自然 保護や環境保護にプラスになる行動を人々が 取るにはどうすれば良いかという点にある。
特に、国立公園(national parks)や野生動物 公園(wildlife parks)を対象として、来訪者 が訪問地にいかに愛着を持ち、自然資源の管 理とか保護活動などの当該場所への貢献行動 をどう認知するかというメカニズムが議論さ れてきた。その行動として、環境保全プロ ジェクトのボランティアになる、寄付金を払 う、パブリックミーティングに参加する等が 想定されている(例えば、Ramkissoon,Weiler,
& Smith, 2013;Tonge, Ryan, Moore, &
Beckley 2015)。これらの研究は、訪問頻度 や滞在日数はともかく、訪れた場所への愛着 形成が、そこへの何らかの貢献行動を誘発す るという経路を指摘した点に大きな意義があ
るといえよう。
重要な要素は、何はともあれ、「愛着」に他 ならない。ある場所への愛着を持つ人々は、
往々にして何らかの貢献行動を選択しがちで ある(鈴木・藤井 2008)。この愛着を持つきっ かけが何か、という局面に議論を展開すべき なのだろう。実は、とある来訪者が訪問を境 に訪問先のファンとなり、再訪を繰り返し、
地元の人々と交流し、そこに貢献したいとい う想いを抱くようになる、その典型例が、本 稿で迫ろうとするアニメ聖地巡礼である。ア ニメファンが、アニメ作品との出会いをきっ かけにして、ある場所に愛着を持ち、そして 様々な貢献をしようという思いを抱き実践す る、まさに「よそ者」になろうとしているの だ。
3 アニメ聖地巡礼とよそ者としての アニメファン
3-1 アニメ聖地巡礼
アニメ聖地巡礼とは、アニメーション作品 のロケ地やその作品・作者に関連する土地を 訪れる旅行形態(山村 2008)である。言い換 えれば、アニメ作品の諸要素が誘発する(動 機となる)旅行の形である。かねてから、例 えばゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげる 氏の出身地である鳥取県境港市や兵庫県宝塚 市の手塚治虫記念館等、作品と作者のゆかり のある土地への訪問はよく知られているし、
冒頭で述べたように近頃でも TV アニメ・映 画『鬼滅の刃』のゆかりのある場所にファン が赴いたことは記憶に新しい。他方で、この
10 年余りの間に議論の的になってきたのは、
「作品のロケ地」を訪れる旅行形態である。
アニメの場合は、厳密に言えば、「ロケ地」と いうより「ロケハン(ロケーションハンティ ング)地」が正しい(以下、表現は「ロケ地」
とする)。なぜならアニメ作品は作画される からである。この 10 数年の間にロケハンを 通じて取材した風景や場所が作品に描かれる ようになった(津堅 2014;周藤 2016)。
映画や小説、ドラマの舞台モデルを訪れる 現象も古くから見られるものだが、それらに は特別の呼び方がつけられることはない。ア ニメの世界だけ「聖地巡礼」という呼び名が 与えられる。その理由は、このアニメの舞台 モデルへの旅は、他の旅と大きく異なるから、
大変にユニークな面があるからなのである。
実は、この分野を開拓しリードしてきた山村 は、当初「アニメツーリズム」と表現してい た(山村 2011;Yamamura 2020)。しかし、
この類の現象が全国に広まると同時に、聖地 巡礼の方が広く用いられるようになった。と もかく、以下では主流の表現である「アニメ 聖地巡礼」を使う。まさに名は体を表してい る。
広くいえば、アニメ聖地巡礼は、フィルム ツーリズムの一種に属する。「フィルム」と は、厳密に言えば映画館で観る「映画」を意 味するが、この領域の先行研究はそこにテレ ビ番組のシリーズも含んで用語を定義してき た。もちろん、映画も DVD やビデオ録画で 鑑賞できることも考え合わせると、「フィル ム」はいわゆる映写や放送される動画一般を 指すものとして捉えることが適切だろう。
さて、フィルムツーリズムは、様々な要素 を 含 み 込 ん だ 言 葉 で あ る (Domínguez- Azcue, Almeida-García, Pérez-Tapia, &
Cestino-González 2021)。これは、「フィルム」
が誘発するツーリズムという意味を持つか ら、かなり広義な概念である(図1)。たとえ ば、フィルムに描かれたロケ地訪問、スタジ オセットツアー、フィルムに関するテーマ パーク、撮影現場を観ることから、ロケ地の 企画ツアー、映画祭、アワードセレモニーの 場 所 訪 問 な ど も 含 ま れ る(Connell 2012:
1009-1010)。「フィルムに登場した場所に赴 く」という面に限定して厳密に捉えるなら、
ロケ地訪問およびロケ地の企画ツアー参加、
そしてスタジオセットツアーおよびテーマ パークに限られる。フィルムツーリズム研究 の権威の1人である Beeton に準じて言え ば、前者はロケ地型ツーリズム(on-location tourism)、後者は撮影関連施設訪問型ツーリ ズム(off-location tourism)である。Beeton によれば、特に前者はその潜在力を大きく持 つという。なぜなら、ロケ地ツーリズムは、
訪問者がフィクションとリアリティを行った り来たりできる、つまり、まるで訪問者が作 品の一部にいて、愛するキャラのそばにいる ような感覚を持つことを許容するからである
(Beeton 2005:38-39)。
フィルムではなく、他のメディアが誘発す るツーリズムはどうなのだろうか。古くから るのは、書物の舞台に足を運ぶと言うスタイ ルである。フィルムツーリズムの研究者は、
映像体験は書物に比べてイマジネーションが 活きるために視聴者に訴える力が大きいとい う(Connell 2012:1011)。あらゆる媒体は、
人々の心や行動指針に何らかの影響を与える のだが、フィルムはその中でも格別だという ことが研究から明らかにされてきた。
フィルムは、Riley と Van Doren 流にいえ ば、「顕著なイベント」(a hallmark event)と しての機能を持つ。顕著なイベントとは、あ る訪問先となる土地の認識、魅力、利益を拡 充するために一定時期内に催される大きなイ ベントである。Riley と Van Doren は、具体 的には、Brent Ritchie(1984)が言及する国 際貿易フェア、スポーツイベント、その土地 ならではのカーニバル、お祭りなどに加えて、
フィルムの魅力もそれに該当するとした
(Riley & Van Doren 1992:268-269)。彼らに
よれば、「動画フィルムは、時間も日数も一定 時間内であり、映像の中にある土地が登場す れば、それはどんな観光 PR 広告より、長い 時間観客をその土地の風景に触れさせること になる。もちろん映像の認識、魅力、収益は どんどん薄れていくものだが、それでも、特 殊効果とか、有名な俳優と繋がっている感触、
そして映像中の完璧な風景描写を通じて、映 像で捉えられた土地は視聴者の記憶に深く残 る」。さらには、「フィルムの脚本に共通する ロマンチックな気風は視聴者の心とその土地 との距離を埋めるのだ」という(Riley & Van Doren 1992:269)。
実を言えば、フィルムツーリズムの先行研 究はアニメをほとんど扱っていないことには 留意しなければならない。この研究自体が、
欧米豪諸国を中心に発展してきたので、特に ハリウッド映画や英語圏のテレビドラマをそ の分析の対象題材としてきた。例えば、有名 どころでは、映画『フィールドオブドリーム ズ』や映画『ロードオブザリング』などが題 図1 フィルムツーリズム(Connell2012:1010)
ロケ地訪問
スタジオセット ツアー
映画祭
著名人観察 撮影現場観覧
フィルムの テーマパーク 新作封切りや
授賞式
ロケーション ツアー企画
ツーリズムフィルム
ロケ地として 売り込まれる 地域への訪問
材だった(Riley & Van Doren 1992;Beeton 2005)。従って、フィルムツーリズム研究か ら直接、アニメ独特の旅行行動への影響、作 用について何らかの知見を得ることはできな い。一方、日本では、コンテンツツーリズム という概念の方が一般的には知られている。
この概念は、北海道大学の研究グループが懸 命に構築し、体系化を図ってきたものである(山 村 2011;Seaton,Yamamura,Sugawa-Shimada,
& Jang 2017)。「コンテンツ」とは、「ポピュ ラーカルチャーの形で創造・編集され、それ 自体を消費することで楽しさを得られる、物 語、キャラクター、ロケ地、その他創造的要 素といった情報内容」(Yamamura 2020:9)
である。コンテンツツーリズムはコンテンツ に動機づけられた観光行動だと単純には説明 できる。アニメ聖地巡礼はコンテンツツーリ ズムとほぼ同義の概念として捉えられること もしばしばである(Beeton 2016:31)。
ただ、本研究は、基本的に枠組みとしてフィ ルムツーリズム概念に基づいて議論を進めた い。それは第1に、コンテンツツーリズムは 元来様々なメディア形式の議論の横断化を目 指すものであり、フィルム以外の要素を照準 に収めた比較分析には有用だが、特定のメ ディア形式とツーリズムの研究を行う場合、
狭い概念を用いた方が有効となるからであ る。第2に、コンテンツツーリズムは言葉と してかなり浸透しているものの、海外のフィ ルムツーリズム研究に比べて記述的な研究が 多く、理論的実証的な研究蓄積がまだまだ不 足しているからである。次節では、アニメ聖 地巡礼をロケ地訪問型のフィルムツーリズム
と関連付けながら、その特徴的な局面を議論 する。
3-2 聖地への巡礼
アニメ聖地巡礼は、確かに前出の定義では、
ロケ地への観光行動の一種として捉えること ができる。しかし、なぜそこに「聖地」と「巡 礼」という形容が施されたのだろうか。この 特別の形容の裏には、アニメ聖地巡礼はツー リズムの一類型でありながらも、実を言えば 他のツーリズムから分け隔てなければならな い特徴を帯びることにその背景がある。
聖地と巡礼という言葉は、もともと宗教的 な面を含意している(Collins-Kreiner 2010)。
端的に言えば、聖なる場所に行く旅行だが、
宗教的な崇敬に基づいて、ある聖地と呼ばれ る場所に赴き、祈りを捧げる。その行程がど んなに大変なものであってもである。そうす ることで、スピリチュアルなインスピレーション を巡礼者が獲得するのである(Thomas,White,
& Samuel 2018:412)。しかし、現代の聖地 巡礼は、もっと世俗的な目的を持つことが多 くなり、純粋な宗教的意味での巡礼者と、楽 しみと休暇を求める旅行者との明白な区分け はだんだんと曖昧になったという(del Alisal
& Ackerman 2007:xvi;Collins-Kreiner 2010:
442-443)。そのことは、聖地巡礼と一言で表 しても、外面は宗教的だが内面は世俗的な ケースもあれば、外面は世俗的なのに内実は 宗教的な意味合いを持つケースもあるという ことになろう(del Alisal 2007:76)。「聖地」
を訪れる行為は同じなのだが、訪れる人に とって「聖地」の「聖性」が前者と後者では
大きく異なる。
何人かの研究者の意見を参考にすると、
フィルムツーリズムも実は聖性の高いタイプ の巡礼の色彩を強く帯び得ると評価すること ができそうである(Tooke & Baker 1996;
Riley, Baker, & Van Doren 1998;Beeton 2005)。Beeton は、巡礼とは、「聖なる地(sites considered sacred)に赴き(trek)、記念とな る品(memorabilia)を得て、その記念品が表 すものとともに家に帰る」というパターンで あるという(Beeton 2005:35)。Beeton の用 いた”trek”という言葉には、熱心な信仰者が、
あえて苦労を伴っても大事に思う特別の場所
(聖地)に赴くという行動図式が含意されて いよう。だからこそ、どんなに困難が伴って も、交通も買い物も不便であっても、艱難辛 苦を乗り越えででも赴くべき場所が聖地なの である。なぜ、フィルムの場合視聴者、特に 映像作品のファンは艱難辛苦を物ともせずに 聖なる場所に trek しようとするのか。彼 ら・彼女らが「巡礼者」たる所以は、彼ら・
彼女らの動機を特徴づける内発的な原動力に あ る(Macionis 2004:90-95;Beeton 2005:
34-39;Macionis & Sparks 2009:94-99)。そ れは、簡単に言えば、作品世界の追体験であ る(Riley & Van Doren 1992)。追体験は、共 感とか自己移入という言葉で理解できよう
(Macionis 2004:94)。大好きな作品のキャラ クターと同じ道を歩きたい、フィルムと同じ 瞬間を過ごしたいというのが追体験の真正の 目的であり、その体験を得ることを願うファ ンにとって、フィルムに描かれた土地や場所 は、聖性の極めて高い格別な聖地なのである。
その文脈でとりわけ大事なのは、景色という より、その景色に付随するストーリーとか登 場人物だとか、作品への感情である。それら が絡まりあい、その土地が視聴者・ファンに とって聖性の高い場所となって彼ら・彼女ら の巡礼を引き起こすのである。その意味で は、巡礼という観点では、ある土地の魅力を もたらすものは、綺麗な風景などの物理的環 境というよりもむしろ、フィルムの内容の方 が 重 要 だ ろ う(Riley & Van Doren 1992:
272)。オーストラリアのフィルムツーリズム を研究した Frost も、ツーリズムを誘発する のは、印象的なビジュアルを持った背景だけ というよりむしろ、ストーリーであると論じ た。その場所に訪れるということは、美しい 景色を観るという面もあるかもしれないが、
それ以上に物語とキャラクターへの視聴者が 持つ共感を伴うものなのである(Frost 2010)。
アニメ聖地巡礼に視点を戻すと、繰り返し この点が先行研究でも、報道などでも言及さ れてきた。基本的にはフィルムツーリズム研 究で明らかにされてきた訪問動機や追体験の 効果は、アニメ聖地巡礼の世界でも同様であ る。アニメ作品の場合は、舞台モデルとなっ た場所自体を特定することを動機にするファ ンがいる。岡本は、それらの人々を開拓型巡 礼者と呼んでいる(Okamoto 2015:22)。そ もそもアニメの場合は、ロケハンは行われて も、撮影は大々的に行わないし、しかも風景 といっても作画であるから、実際の場所を特 定するという作業自体が一定の人々にとって は魅力とされる。とはいえ、開拓型の彼・彼 女らも含めて、作品へのオマージュを持ち作
品世界を実感しながら、「登場人物の人生や 感情を追体験したり、印象に残る場面を再 現・再演したりするなど、作品世界と自分と の一体化を図る行為」が行われるという(山 村 2015:4)。アニメ作品が作画によるからこ そ、実際の風景のデフォルメを通したイメー ジ化作用が実写フィルムに比べて強いという
(いしたに 2011;山村 2015:2)。簡単に言い 直すと、「実写映画は映像的にリアルな割に フィクションであり、アニメはフィクション な割にはリアルな(本物より本物らしい)世 界を描くことができる」し、「実写は風景をそ のまま撮影するが、アニメは作品や地域の『イ メージ』を視覚的に具現化するために背景を 描く。したがって、実写よりもイメージがダ イレクトに我々の脳裏に焼きつく」(山村 2009:5)。こうしてより作品世界の追体験が 格別なものとなるのである。楠見と米田は、
アニメと映画や小説など他の作品ジャンルと 比較して、作中世界にどっぷり浸かり登場人 物にすっかりなりきる「没入」度合いは、さ ほど変わらないが、実際舞台モデルを見たと きの「興奮」度合いはアニメ作品の場合が高 いことを明らかにした(楠見・米田 2018)。
このように視聴者が実際の風景に遭遇したと きの体験の仕方が、アニメ作品の場合は他に 比べて顕著なのである。
アニメ聖地巡礼に出かけた人は、Twitter とかブログで写真とともにその興奮体験を綴 ることが多い。その中で、初めて聖地巡礼を 体験しつつ、追体験と巡礼者としての「聖地」
への気持ちを客観的に分析しようとしている のが、もぐもぐ氏のブログである。以下で引
用するのは、TV アニメ『Free!』の舞台モデ ルがある鳥取県岩美町を訪れた経験を綴った 記事である。少し長くなるが、初めて聖地巡 礼を経験して発見した思いを生き生きと描い ている。まずは追体験については、「初めて きた場所なのにそんな気がしない、って一緒 にいる子と何度も笑った。『知ってる……』
『ここ知ってるね……』を何回も繰り返した。
全然知らない縁もゆかりもない場所なのにこ こで起きた(ということになっている)何か を知ってるし、覚えてるしなつかしいし、不 思議な感じだった」。地元の人と「目が合っ て会釈して『邪魔じゃないですか?すみませ ん~』って言ったら『大丈夫よ、今日は人が 多いのねぇ。暑いから気をつけてね』って返 された。『これ何してるんですか?』『今ね、
日が出てきたからわかめを干してるの』……
うわー、こ、これは。アニメの外側で彼らが こういう会話しているリアリティがすごい。
これは生きてる。七瀬遙も橘真琴(※)も生 きてる気がしてきた」(※主人公の名前)。そ してもぐもぐ氏は、岩美の人々がアニメの舞 台モデルを持ち込まれてどう思っているのか を疑問を抱きながらも、「今回行ってみてわ かったのは、そっか、その土地自体が好きに なるんだな、ってことだ。岩美町自体に過剰 に親近感がわく。もちろん普段旅行に行って も、行く前に比べたら格段に気持ちは近くな るけど、作品ていう下敷きがあるからその思 い入れがさらに強くなる。なるほど、聖地巡 礼ってこういうことだったのか。もう少し深 くまで、違う角度まで、新しい要素まで、『好 き』の矛先が伸びるのか」(もぐもぐ 2015)。
4 ジモト型コミュニティ
4-1 アニメ聖地巡礼者のよそ者としての 地域への関わり
一般的に、巡礼研究は、巡礼者たちが「聖 地」に対してポジティブな態度を示して、そ こに深い愛着を感じるということを論じてき た。Low は、巡礼が人々とある土地との象徴 的なリンケージである地域への愛着と関係す るとしている。「少なくとも、巡礼は、長くは 続かないのだけれど、特別な意味を伴う場所 に対する帰属感(identification)を生み出し て、ある人の人生のリズムに変化を与え、新 しい環境における経験をもたらす」(Low 1992:173)という。聖地巡礼は、まさに聖性 を帯びる目標に対して生起するものだが、大 事なことは、巡礼者が彼ら・彼女らの五感を 通してその場所を経験できることである。現 地では、精神的なリフレッシュとか、安らぎと かグループのつながりの強化などの便益とと もに、聖地に対する帰属感も巡礼者たちは感 じることができる(Mazumdar & Mazumdar 2004;Ruback, Pandey, & Kohli 2008;岡本 2015)。もぐもぐ氏の記事ははじめての巡礼 体験を綴ったものだが、一種の帰属感、地域 に対する強烈な愛着が伺える。
アニメ聖地巡礼を行うファンたちによる地 域に対するポジティブな態度形成は、だんだ んと時間を掛けてより強く形成される。結論 的に言えば、舞台モデルの土地を訪れるうち に、ファン同士、そして地元の人々との交流 を深めるうちに、次第に作品のファンの立場 から、地域のファンになっていくというので
ある。岡本によれば、アニメ聖地巡礼のファ ンたちの観光行動の特徴は、単に舞台モデル を写真撮影したり、有名観光地を周遊したり、
お土産を買うことにとどまらず、「巡礼ノー ト」や神社の絵馬などに来訪したことの記録 と証拠を残すこと、リアルタイムでネット上 に舞台モデルの情報を載せる、痛車で訪問し たり、コスプレをしたりするケースもあるこ と、そして地元の人々との会話と交流をする ケースが一般的だということを指摘する(岡 本 2010;Okamoto 2015:24-26)。最後の点は、
地域コミュニティの観点からはとても興味深 い発見である。さらに、ファンたちがとにか くマナーが良いという高評価が地元から得ら れていることも加えておこう(岡本 2013)。
アニメ聖地巡礼の世界で特に顕著なこと は、巡礼者がリピーターとなる傾向が強い点 である。このテーマに関する事例研究では、
舞台モデルとなった地域への来訪ファンに対 する質問紙調査で訪問回数を訊ねることが通 例である。例えば、岡本は、一連のアニメ聖 地巡礼の研究上も実践上も大きな画期となっ た TV アニメ『らき☆すた』の舞台モデルの ある埼玉県旧鷲宮町(現久喜市)に来訪した 人々に質問紙調査を行ったところ、2回目以 上の回答は約4割であった(岡本 2010:96)。
また、岩崎・津村によれば、TV アニメ『夏目 友人帳』の舞台モデルである熊本県人吉市で 実施した質問紙調査では、99 名中2回目以上 と答えた人が8割、5回目以上でも4割程度 になる(岩崎・津村 2018:73)。確かに、旅先 を再訪すること自体は、別段特別なことでは ない。ただ、アニメ聖地巡礼の再訪傾向で特
徴的なことは、年中行事のようなものという よりむしろ、何度でも自ら選んで好きな作品 のロケーションに赴くこと、そしてその回数 が凄まじいケースが多いことである。例え ば、TV アニメ『おねがい☆ティーチャー』
の舞台モデルとなった長野県木崎湖では、「毎 月のように」通ったというファンがいる(信 濃毎日新聞 2012)。筆者もいくつか巡礼ノー トを見たが、数百回レベルの来訪経験はさほ ど珍しくはない。
アニメ聖地巡礼の世界では、地元の人々と の交流は、訪問当初からというより、リピー ターになればなるほど、交流動機は強まりや すいことが先行研究によって明らかにされて いる。岡本は、初めての来訪者は「色々と短 く、様々な場所を見ることを重視する」が、
リピーターは「聖地を巡ることを中心とせず、
その町の魅力や人との交流のために訪れてい る」といった違いがありうることを指摘して いる(岡本 2010:100)。事例によってバリ エーションはあるが、佐藤らは、TV アニメ
『ガールズ&パンツァー』の舞台モデルであ る茨城県大洗町を対象にして、訪問経験者の Twitter の API のデータから、リピーターに なるにつれ、「作品への愛着」のみならず、ファ ン・地域との交流という「場所への関心」が 高くなる人々が一定に存在することを明らか にした。端的にいえば、再訪を繰り返すうち、
来訪目的が変化している人々が明らかに存在 するのである。「パネルやスタンプ巡りから、
ファンや商店街の人との交流や食べ物メイン になった」、「(『ガールズ&パンツァー』が)
主目的でなくファンや商店の人に会いに来
る」といった変化がファンたちに起こったと いう(佐藤・渡辺・坂本・川添・喜馬・松井 2018:39-40)。
4-2 地域貢献の動機
このファンたち、とりわけリピーターにお ける来訪目的の変化に関連して、彼ら・彼女 らが地域社会になんらかの関与と貢献意欲を 持つことが、アニメ聖地巡礼研究で最も焦点 が当てられてきたポイントの一つである。そ の発見が最も典型的に示されたのは、前出の TV アニメ『らき☆すた』の舞台モデルであ る埼玉県旧鷲宮町の動向である(山村 2008;
Yamamura 2015)。『らき☆すた』の放送前 には作中に登場する場所は公表されておら ず、写真を撮る若い人が増えていることが地 元の人々に認識されるようになって、鷲宮町 商工会スタッフが来訪者に聞いてみたら、こ こがアニメの舞台モデルになっているという ことが初めてわかったのだという。とはい え、地元側は、アニメファンの来訪に当初ど う対応してよいかわからず、作品の著作権者 と相談したり、また来訪したファンたちと相 談したりして、携帯ストラップを商品化する ような取り組みを実践してきた。いくつか顕 著な取り組みはあるが、特に重要なのは、『ら き☆すた神輿』である。地元の神輿渡御の行 事にアニメキャラを描いた神輿を導入した。
このお神輿に毎年ファンたちが担ぎ手として 参加している。岡本はこの担ぎ手たちに質問 紙調査を実施している(53 名)が、これまで に 20 回以上旧鷲宮を訪問した人が3割弱
(25.7%)であり、参加してよかったことに
ついては、地元の人々との交流が最も多い回 答だった(54.3%)(岡本 2011:86-89)。しか も、ファンたちは祭りの後の清掃作業も進ん で取り組んでいた(谷村 2011;山村 2011)。
らき☆すた神輿は担ぎ手だけではなく、担ぎ 手の募集から当日の運営を担うボランティア もいる。メンバーは 30 名程度で、リーダー は元自衛隊に所属していた人である。去る人 来る人の新陳代謝はあるが、ずっとボラン ティア組織が継承されている(まつもと 2017)。
来訪したファンが旧鷲宮町のように自発的 に聖地のゴミ拾いに参加することもあるし、
また呼びかけに応じてファンたちが地域に集 まることもある。例えば、前出の長野県木崎 湖では、アニメファンの有志と地元の NPO とが連携して、湖周辺の環境美化活動を続け てきた。このケースではそれだけでなく、
ファンたちが地元に迷惑にならないように ホームページで訪問ルールを提示したり、地 元の人との「あいさつ運動」を推奨したりし て、ファンたちが地域との関わり方を自ら熟 慮していた(山村 2009:34)。また、最近で は、TV アニメ『あの日見た花の名前を僕達 はまだ知らない。』の舞台モデルがある埼玉 県秩父市では、舞台モデルに落書きが見つか り、その清掃作業の呼びかけにファンなどが 多く集まった(秩父市 2021)。
4-3 ジモト型コミュニティ
谷村は、アニメ聖地巡礼を媒介にして、来 訪したファンと地元の人々に生成される関係 を「ジモト型コミュニティ」と呼ぶ(谷村 2012)。ジモト型コミュニティの「ジモト」と
は、一定の地理範囲ではなく、「『ここにしか ない』『かけがえがない』と認知されることで 成り立つ概念」であり、「自分の帰属先」(谷 村 2012:80;鈴木 2008 も参照)を含意する言 葉である。
この概念については、以下のポイントに分 けてその意義を確認できる。第1には、ジモ トの概念は、人がある場所に対して特別の関 係を感じる場所や空間を含蓄していることで ある。ここでは、来訪者にとって訪問先は、
あくまで物理的な目的地なのではなく、特別 の感情と帰属意識をもつ対象である。第2 に、コミュニティの概念は、何らかの人間関 係の蓄積のことだが、ここでは2つの人間関 係が重要である。一つは、ファン同士の関係 である。ファンたちは、SNS などを通じてオ ンラインで情報をやり取りして関係を作って いるが、現地のイベントやオフ会を開いて一 堂に会する機会を得ることができる。そう やって trek して集まったファンたちが「聖 地」に身を置いてファン同士の関係を築いて いく。もう一つは、舞台モデルのある地元の 人々との関係である。ファンたちは自分たち のコミュニティを形成維持するだけではな く、地元に直接間接に関与しようとする。一 例は、先述のような地元での環境美化活動で ある。このように、ジモト型コミュニティは、
真正の地元への関与を追い求める動機も捉え る概念なのである。このジモト意識を通じて 生まれた場所への愛着が、地元の人々との距 離感をより縮めることになるのである(谷村 2010:144-147;谷村 2011:191-195;谷村 2012:
80-81)。
こうしたファンたちと地元との相互作用は 自然に生まれ維持されるものではないことに 注意しなければならない。結論から言えば、
地元サイドのファンに対する態度が前提条件 だということである(谷村 2012;入江 2014;
森 2016)。谷村は、『らき☆すた』と TV アニ メ『けいおん!』の舞台モデルをめぐる聖地 巡礼を事例にして、「アニメを用いたまちお こしにより多数のアニメファンが訪れている 場所は、そこがアニメ作品の舞台であるから 訪れていることも確かであるが、それだけで なく、アニメファンや地元住民たちによるコ ミュニケーションと、その過程で紡がれたコ ミットメントによって活性化している」(谷 村 2012:81)と指摘した。どういった趣味で も、考えや趣向の異なる人との会話で、自分 自身の好きなことを語ることは容易ではな い。アニメについては、なおさらである。だ からこそ、多くのアニメファンにとって、舞 台モデルのある地域はそれだけ自分をさらけ 出すことができる大切な場所であることは明 白である。アニメファンは、もちろん作品世
界の追体験を楽しみにして聖地巡礼を行う が、実は本質的な部分では、本当の自分にな れる、まさに自己実現の機会を求めている点 は見逃せない。他方、そうしたファンを地元 の人々が理解し、受容できるかどうかが問わ れる。ある種のホスピタリティといってもい いかもしれないが、舞台モデルとなった土地 がファンの居場所のような所になるかどうか は、地元側の心持ちと態度にかかっていると いっても言い過ぎではないのである。ファン たちは自分がアニメ好きであることを包み隠 さず抱擁してくれる、自分たちの思いを実現 させてくれる場所に絶大な恩義と愛を感じる 訳である(谷村 2011:194)。この恩義と愛は、
訪れたファンたちのジモト意識を強くし、そ してそれが彼ら・彼女らの貢献に結実してい るのである。
4-4 誰に期待するか
地元の視点に立てば、地域開発を試みる上 で、ジモト型コミュニティをどのように形成 したら良いかが重要なテーマとなる(谷村 図2 ジモト型コミュニティ(谷村 2012:81)
2012:81)。いうまでもなく、ファンの地域貢 献は無条件で起こるというわけではない。少 なくとも留意しなければならないことは、厳 密に言えば、アニメの舞台モデルを訪れる ファンたちの層はとても広く、そこには様々 なタイプがある点である。詳しく見ると彼 ら・彼女らの中では訪問動機は多様だという ことである。それぞれのタイプで訪問動機が 異なれば、それゆえに滞在中の行動も多様だ し、舞台モデルの土地に対する思いもさまざ まである。そうすると、地元は、一体誰に期 待すればいいのだろうか。アニメ聖地巡礼者 と一言で言っても、そこにはさまざまなタイ プがある。改めて真正の「巡礼者」と成り得 る「コアファン層」に注目したい。彼ら・彼 女らの特性をツーリスト論の視点から解きほ ぐそう。
こ の ツ ー リ ス ト の タ イ プ に つ い て、
Macionis の議論を参考に検討してみよう。
Macionis はフィルムツーリズムの領域で、ロ ケ地や舞台モデルを訪れるツーリストには3
つのタイプがあると論じた。第1には、偶然 型である。たまたまロケ地や舞台モデルに居 合わせたタイプである。第2に、一般的旅行 者タイプである。このタイプは、もともと舞 台モデルとなった場所を知っていて、しかも そこを訪問したい気持ちを持っている人々で ある。とはいえ、舞台モデルの場所だけを目 指すというよりも、移動の一環としてそこを 訪れるというタイプである。舞台モデル探訪 は全体の旅行計画のうちの1つという位置づ けである。そして第3は、舞台モデルの場所 オンリーを目的とする、明白なフィルムツー リスト(a specific tourist)である。第1のタ イプから第3のタイプにかけて、Macionis に よれば、だんだんと舞台モデルへの訪問動機 は内面的になる。単に、きれいな景色を見た いなどの動機から、自己実現といった個々の 内発的動機が強くなる。図3では「巡礼」は、
第3のタイプの構成要素のひとつとして位置 づけられている(Macionis 2004:95)。
図 3 フィルムツーリストの動機類型(Macionis 2004:95)(一部改変)
フィルムへの関心度合い
偶然のフィルムツーリスト
Serendipitous Film Tourist 一般的なフィルムツーリスト
General Film Tourist 明白なフィルムツーリスト Specific Film Tourist たまたまフィルムが撮影された
場所に居るというだけの人 とくに撮影された場所にひきつ けられたわけではないが、その場 所に訪れる旅行に参加する人
積極的にフィルムで見た場所を 求める人
動機:社会的交流 目新しさ
動機:逃避行
目新しさためになる経験 懐かしさ
動機:自己成長 自己実現巡礼
アイデンティティ 追体験想像・空想 ステータス・特権 ロマンス懐かしさ
Seaton&Yamamura(2015)も文化ツーリ スト(cultural tourists)の類型を示している。
第1は「断固たる文化ツーリスト」である。
ある映像に関係した場所の訪問が第一義の動 機であり、その土地の文化を深く体験するこ とになる。第2に「観光文化ツーリスト」で ある。旅行行程の一部に映像に関係した場所 を訪れる人々であるが、第1のタイプよりそ の土地の文化体験は弱くなる。第3に「幸運 文化ツーリスト」である。たまたま映像に関 係した土地に居合わせたのだが、それを機会 に映像作品に興味を持つ人々のことを言う。
彼ら・彼女らは結果的に土地の文化を深く体 験することができる。第4に「カジュアル文 化ツーリスト」である。映像に関する場所へ の訪問には関心はなくはないが、その訪問は 旅行行程全体のほんの一活動に過ぎないとい うタイプである。だからこそその土地の文化 体験は浅い。そして最後は「偶発文化ツーリ スト」である。もともと映像に関する場所へ の訪問は念頭になかったが、その場所によっ ていくタイプである。第4と同じくこの場所 の 文 化 体 験 は 浅 い(Seaton & Yamamura 2015:3-4)。Macionis の第3の明白なフィル ムツーリストは、Seaton らのいう「断固たる 文化ツーリスト」そのものである。
地元にとって最も重要な存在は、Macionis の第3のタイプである。それはまさに単なる
「観光客」ではない。純粋な「巡礼者」である。
山村によれば、確かにアニメ聖地巡礼はだん だんとライト層にも広がってきているが、こ れまでの経緯も踏まえると、アニメ作品の「コ アファン層」の存在に着眼すべきだという。
彼ら・彼女らこそピュアな巡礼者として舞台 モデルとなった地域に向き合い、リピーター として地域の支え手となるポテンシャルを有 するというのである(山村 2016:18)。前節 で見てきたアニメ聖地巡礼の多くの先行研究 が強調してきたのも、主としてかような巡礼 者となるポテンシャルを有するコアファン層 である。旅行の主目的に舞台モデル探訪を行 うほど、彼ら・彼女らはアニメ作品への愛情 を持っているし、それだけに強烈な追体験を 経て舞台モデルとなった地域への愛着を深く 感じやすいと推測できる(Kim 2012)。彼ら・
彼女らがリピーターとして何度もその地域を 訪れていることが愛着形成にとってはより重 要だろう。実は、Macionis & Sparks によれ ば、2,000 人のオーストラリア人を対象にし たアンケート調査から、フィルムは観光行動 に影響力を持っているものの、実際フィルム ロケーションを訪れたことがあるのは全体の うち 30%程度で、そのうち上記したマニアッ クな明白なツーリストは4%しかおらず、そ のために「フィルムの物語を体験する」、
「フィルムの中の俳優になった気分になる」、
「フィルムと個人的なつながりを感じる」、
「フィルムで見た場所への巡礼を行う」と いった明白フィルムツーリストに見られ やすい訪問動機の回答は少ないことがわ かった(Macionis & Sparks 2009)。もちろ ん、Macinonis たちも、数値は低いが無視し てはならない(Macionis & Sparks 2009:99)
と強調していて、いかに少数派であろうとも、
大好きなフィルムが生まれたその場所を崇敬 することで、リピーターとなり、地域への愛
を育んでいく、そしてその地域への想いから 何かの役割を求めるのではないか。もちろ ん、一般的旅行者タイプにとっても、偶然タ イプにとっても、場合によっては舞台モデル に接した経験が地域への愛着を生む可能性も ある。ただ、もともとの訪問動機の特殊性に かんがみて、山村が言及したコアファン層は 純粋な巡礼者として舞台モデルとなった地域 を訪れることで、その地域との特別な関係を 形成しやすいのである。
4-5 ジモト型コミュニティの制度装置:
アイコンの活用と維持、そしてその条件 先述の通り、谷村は、仮に舞台モデルがあ る地域がアニメ聖地巡礼を通じて地域開発を 試みるなら、ジモト型コミュニティの要素に 気を配るべきだと主張している(谷村 2012:
81)。特に、巡礼者であるファンがどう地域 社会に関与できるか、地元の人々と彼ら・彼 女らとの関係をどうホットに保つことができ るかが大きく問われる。もちろん、コアファ ン層は、ずっとコアファンではないし、逆に あらゆる人がコアファンになり得る。その意 味で、訪問地となる地元は、幅広くツーリス トを迎え入れるための体制を整えることが求 められる。成るように成るでは何も進展しな いし、しっかり制御が必要な局面もある。観 光論で言うところの訪問地マーケティング
(destination marketing)の実践が求められ る。
フィルムツーリズム論は、この訪問地マー ケティングの方法や要素も繰り返し言及して きた。Hudson & Ritchie は、フィルムツーリ
ズムをめぐるマーケティング活動を、「作品 放映前」と「放映後」に分けて整理してリス ト化した(Hudson & Ritchie 2006:390)。「放 映前の活動」は、フィルム会社へのプロモー ション、ロケーション探しといったフィルム コミッション型のものから、エンドクレジッ トに撮影地の名前を入れてもらう、フィルム のスポンサーとなる、トラベルメディアの招 待、食べ物、音楽などフィルム外の部門の促 進計画など幅広い。対して、「放映後活動」は、
ロケーションの標識、フィルムの記念品開発 販売、フィルムのアイコン、撮影現場、シー ン、セットの再現と維持、来訪ピーク以降の イベントの開催、ウェブサイト設置、フィル ムガイドツアー、制作会社とのジョイント事 業、ツーリストのためのマップの作成、フィ ルムに関する記念品の展示、継続的なメディ アの注意を促す、といったことが挙げられて いる。少なくとも、この議論は海外の映画製 作と撮影地のことを前提としたものであり、
アニメ聖地巡礼の観点から見ると直接関係し そうにない活動もある。しかし、コアファン 層(またはその潜在層)を迎え入れる装置と して重要なのは、上の放映後活動のうち、特 に、フィルムに関係するアイコンの再現であ る(Riley,Baker,& Van Doren1998)。「アイ コン(icon)」とは、ここでは憧れや崇敬の的 になるものという意味で使われる(パソコン やタブレットの「アイコン」ではない)。ファ ンたちがその場所を憧れ、崇敬するその象徴 がしっかり存在し、それが訪問引力となり、
訪問者の訪問動機となる。
ファンたちにとっては、特別なイベントが
アイコンとなりうる(Connell 2012:1018)。
最も象徴的催しは、上述した旧鷲宮町の土師 祭における「らき☆すた神輿」である。また、
作中に登場した実際のお祭りもそれに該当す る。例えば『あの日見た花の名前を僕達はま だ知らない。』にも登場したが、神事でロケッ トを打ち上げる「龍勢祭」(天野 2015)、他方、
TV アニメ『花咲くいろは』の舞台モデルと なった石川県金沢市の湯涌温泉では、実在し ないが作中に描かれたお祭りを現実に再現し た「ぼんぼり祭り」が開かれた(畠山 2012)。
まさに、日常風景に触れるだけでもファンに とっては大きな追体験なのだが、こうした特 別の光景に居合わせるという体験は極めて印 象的なものとなるのだろう。他は、イベント としてよく散見されるのが、キャラクターの 誕生会である。多くのアニメ作品ではキャラ の誕生日が設定されることが多いので、その 日に合わせてファン参加によるイベントが地 元アクターによって企画される(片山・竹下・
大中・片山ゼミ 2016)。これらは、形は違う が、ストーリーの体験機会となる。
また、いわゆる祭典でなくても、作品の世 界をそのままアレンジして、登場人物たちの 追体験ができる仕組みも重要である。例え ば、TV アニメ『結城友奈は勇者である』の 舞台モデルとなった香川県観音寺市では、何 回かファンイベントを開催してきたが、香川 大学の文部科学省「地(知)の拠点整備事業」
(COC 事業)の一環として「リアル勇者部」
事業が注目に値する(神田 2019)。勇者部は、
作品に登場する主人公たちの部活動の名前で ある。敵キャラと戦う勇者を集めることが真 の目的に結成されているが、表向きは「困っ
ている人の為に頑張る活動」である(Project 2H 2014)。リアル勇者部では、作中に登場し た有明浜の清掃活動を実施していた。これと 同じ構図が、TV アニメ『輪廻のラグラン ジェ』の舞台モデルの千葉県鴨川市で、組織 されている「ジャージ部」である(山村 2012)。
ジャージ部とは、作中の主人公が作った部活 動の名称に由来する。主人公が常にジャージ を身にまとっていることが名称の理由だが、
作中では簡単に言えば人助けのよろずサーク ルといった位置づけである。作中のジャージ 部の設立趣旨にあやかって、鴨川のジャージ 部は地元のまちづくりをサポートするために 組織化された。最も典型的だった一例は、鴨 川市に作品の原画など製作資料を保管するこ とになったが、その際にジャージ部のメン バーが膨大な資料の移設作業をサポートする ために鴨川に集まったことである(岡野・柿 崎 2015)。
近年は、キャラクターに声を当てる声優も アイコンとして機能するようになっている。
例えば、TV アニメ『ラブライブ!サンシャ イン!!』の舞台モデルとなった静岡県沼津 市では、出演声優を「燦々ぬまづ大使」に任 命したり、「沼津夏祭り花火大会」では声優と のコラボイベントを実施したりしてきた(電 撃 G’s マガジン編集部 2020;プロジェクトラ ブライブ!サンシャイン!! 2019)。アニメ が実写映像と大きく異なる点は、厳密には キャラクターとその声を吹き込む声優を有機 的に区分けすることができることだ。上述の 秩父市の「龍勢祭」でも口上を出演声優が務 めていたこと(天野 2015)も考え合わせると、
声優の要素がファンにとっての聖地を象徴
するアイコンとなる状況が一般化しつつある と言える。
他にも、地元でしか手に入らないグッズや 品物、あるいは作品世界を堪能できるコラボ カフェなども十分ファンにとってのアイコン になり得る。これらは、いわば純粋な追体験 をファンに与える機会とは異なるだろうが、
舞台モデルの場所の魅力となり、ツーリスト を惹きつける重要なプル要因なのだ。
さて、訪問地は、これらのアイコンを自由 自在に使用することができない。なぜなら、
上記の例は、基本的に著作権者が地元のマー ケティング活動を理解し、著作権許諾の局面 で協力的姿勢を示しているからである。近年 は製作者が舞台モデルを公認する傾向が強 まっているから、以前に比べて制作サイドと 地域との間で協働関係を結びやすい。山村や 岡本などが考察した 2000 年代後半の事例で は、まだ作品の放映前から舞台モデルが明ら かにされるケースは希少であった。しかし、
2010 年代以降になると、鴨川市がそうだった が、TV アニメ『ゾンビランドサガ』(佐賀県 唐津市他)、TV アニメ『ゆるキャン△』(山 梨県身延町他)など、実際の地域名が作品で 登場するケースが増えている。したがって、
この外部環境の変化を認知しつつ、地域が地 域開発にアニメを活かす可能性が大きく広 がっているのである。このことは翻って言え ば、舞台モデルのある地元の人々が、ファン、
特に巡礼者との関係を形成する上できちんと 作品の内容や特徴を理解しなければならない といけないし、また製作サイドとの間で著作 権をめぐる合意をしっかり調達しておかなけ ればならないことを含意する。アニメ聖地巡
礼をめぐる地域づくりは、フィルム一般もそ うだが、いわば著作物を取り扱うことになる。
著作者にとっては当然、自身の作品を守るこ とが先決である(Beeton 2005;大谷・松本・
山村 2018)。したがって、その点を前提条件 として、訪問地マーケティングが、ファンた ちと地元住民・事業者、そして製作者との信 頼関係を継続するように実践されなければな らない。
4-6 コロナウィルスと新たな聖地巡礼と 聖地移住
コロナウィルスの世界的感染まん延は、兎 にも角にも人々が移動すること、そして集ま ることに甚大な制約を課している。その渦中 にあって、ファンたちは、もはや思い思いに 舞台地に赴くことができないでいる。訪問地 側は手をこまねいているだけではないし、
ファンたち自身も、熱い想いと貢献意欲を持 ち続けていることが明らかである。一つは、
『ガールズ&パンツァー』の舞台モデルとなっ た茨城県大洗町観光協会が実施したクラウド ファンディング『大洗「おかえり」ミッショ ン!』である。大洗では、これまで地域の祭 りに『ガールズ&パンツァー』の要素を取り 入れたり、日常的にはスタンプラリー、また 商店街でキャラクターの誕生会などの工夫を 繰り返し実践してきた(吉田 2016a;2016b;
森 2017)。このファンディングは、店舗ごと のチケットか、あるいは特産品を受け取れる のだが、目標 2,000 万円に対して約 4,600 万 円のお金が集まった(大洗観光協会 2020)。
また、冒頭に紹介したアニメツーリズム協会 は、リモトラ(リモートトラベル)サービス
を提供するようになった。鳥取県倉吉市と三 朝町が舞台モデルとして登場する、TV アニ メ『宇崎ちゃんは遊びたい!』のリモトラ『宇 崎ちゃんはリモトラで遊びたい!』は、声優 が現地を訪れるのをオンラインライブで視聴 して、舞台地訪問を体験することができる(東 京ウォーカー 2020)。先にも触れた通り、出 演声優を通じて大好きな作品世界に触れ合う という、新しい追体験の実現と地域との関係 づくりにつながるかもしれない取り組みである。
また、遠く離れたところから巡礼すること ができないから、直接聖地に住むという選択、
またあるいはワーケーションの場所としての 選択が、積極的に各所から提案されるように なった。聖地巡礼ならぬ聖地移住は、まさに コアファン巡礼者の、ニュータイプと言おう か、満開バージョンと言おうか、進化形であ る。前出の茨城県大洗町には、2016 年時点で 30 人程度の移住者が確認されていた(日本経 済新聞 2016)。巡礼者個々人のアニメ作品へ の思い入れが強ければ、それだけ舞台モデル を大切に思うのだろうし、似通った趣向を持 つ人々が集まる場所だからこそ仲間意識が芽 生えるし、さらに地元の人々との関係も親密 になるという事情がアニメ聖地巡礼には内包 されている。移住者が実際どのように地域と 関わるのかはまだこの種の研究は明らかにし てないが、Iターン研究と接点を持つアニメ 聖地巡礼研究の現代的トピックだ。
5 結論
本研究は、以下のとおり議論を進めてきた。
まずは、「よそ者」の概念を前提にしつつ、よ そ者が地域づくりに対して持つ潜在性を確認
した。特に訪問者や客人も「よそ者」として 位置づけて、近年のオルタナティブツーリズ ムの概念に着眼しながら、とりわけアニメ聖 地巡礼者として行動するアニメファンが地域 貢献へいかに関与しえるかについて議論し た。そこでは、アニメ作品がもたらす追体験 の特殊性を考察しながら、直接間接にファン たち、とくに巡礼を唯一の目的とした巡礼者 が地元の人々と密な関係を取り持ち、彼ら・
彼女らが舞台モデルとなった地域に対してジ モト型コミュニティを形成する動機を持ちや すいことを明らかにした。もちろん、このジ モト型コミュニティのもう一方の構成者であ る地元の人々は、アニメ作品そのものを地域 づくりに活かすためには、どんなファンが来 訪するのかを分析し、作品内容を理解し、そ して製作者、ファン、地元事業者との信頼関 係を管理することの重要性があることを指摘 した。
忌野清志郎が作詞した RC サクセションの 曲『よそ者』に次の一節がある。「いつの日ど こかに/落ち着くことができる/そんな夢を 見ながら/今夜ここで/踊るだけでいいの に」(忌野 1981)。よそ者だからどこにでも いってしまうかもしれない、ある種の放浪者 の面もある。いつか居付く場所、終の住処を 求めて彷徨う姿を彷彿とする歌詞である。逆 に、移住を決めてしまうだけの覚悟はないが、
居所はどこかにあるものの、自由に、かつ大 切な場所を支えるため、時間と動機の条件さ えあればそこへ向かい続ける(忌野の詩を借 りれば、踊り続ける)という人々が一定に存 在し始めている。アニメ聖地巡礼者の地域献 志向は確かにあるが、どこに行くかわから