翻訳に見る日英語比較
著者 加須屋 弘司
journal or
publication title
英語英文学研究
volume 4
page range 79‑94
year 1998‑09
出版者 東京家政大学文学部英語英文学科
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009611/
翻訳に見る日英語比較
加須屋 弘 司
日本語と英語を対照言語学的に対比して、両言語間の構造や表現の相違 から学習者のerrorsの原因を解明しようとすることはあまり行われなく なった。両言語間の隔たりが大きく、誤りが母語の干渉によるものか、学 習者個人の言語習得過程のstepなのか、偶然によるものなのか、教材の配 列上の問題なのか、個人的な言語癖なのかが判別しにくいからである。し かし、外国語を習得しようとする場合に、その言語を母語とする国や地方 で、学習者の母語を完全に遮断した特殊な状況で外国語を習得しようとす る場合を除いて、学習の過程で母語が介入し、目標言語と母語を比較して 文や表現を理解し、文構造の規則を理解し、習得しようとすることは避け
ることのできないことである。Grammar Translation Methodが、生きた 言語の習得には不適切であると指摘され、多くのDirect Methodsや Audio−Lingual ApproachesやCommunicative Approachesが実践され
てきたが、今も外国語教育の現場で母語を完全に払拭できないのは、あな がち試験制度の弊害だけでなく、LADの臨界期を過ぎた年齢の学習者にと っては、母語との比較を通して目標言語の構造を理解しようとすることは 避けて通れないからではなかろうか。
日本人が思考の道具として日本語を使用している以上は、日本人のもの
の考え方、感じ方に重要な影響力を持つ日本語の発想法や表現形式を、外
国語のそれと比較する教育は、国語教育または英語教育の一分野として確
立してもいいはずである。最近の国語教育はその点で若干の進歩が見られ
るものの、一般的には「読むこと」「書くこと」「観賞」が中心であり、文
法指導は品詞論と活用法の演繹的な指導が主である。「日英語比較演習」「日 英語比較特講」を担当して、日本語に対する学生諸君の知識のみならず感 受性の希薄さに驚くと共に、母語への無関心さが言語習得に一種の障碍と
なっていることを痛感している。
日英語の表現形式の比較は、多くの言語学者や外国人の日本語学者によ って研究発表されているので、本稿では日本語と英語の接点を文学作品の 翻訳に求めて、発想の相違点を考察してみたい。(1)
1.方向性・視点
ある状況を描写する際に作者の視点をどこに置くかの相違は、単にrhet−
oricの問題の場合もあるが、日英語の文構造の差異に根ざした表現上の問 題の場合もある。
1.a:国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。[川端康成:雪国]
b:The train came out of the long tunnel into a snow country.
[EG.Seidensticker訳]
この有名な「雪国」の冒頭の文(1a)は、列車に乗っている作者が車窓 から見える情景の急激な変化への驚きの描写として描かれているが、サイ デンステッカー氏の英訳(1b)では、作者は列車を外から冷静に眺めてい る視点での描写である。原作の主観的な視点を排除して、汽車も夜も景色 も「外」からあくまでも冷静に客観的に描写しようとする欧米の小説作法 の常道に従った翻訳である。また、1aでは「トンネルを抜ける」のは何 か、「抜ける」の主語は語られていない。また、何が「雪国であった」の か、文字通りに訳せば、英語ならば当然〈S+V+C>で表されるところ だが、そのS(主語)に当たる部分も表されていない。動作主としての主 語がなければ文を構成しない英語では、そのために、1bでは原作にない trainを主語に置かなければならなかった。また、1aでは列車の窓から見
える急激な景色の変化に驚いたことの描写として「雪国であった」となっ
ているが、1bでは冷酷なまでに作者の感情は排除されて、「列車は雪国に入
った」という客観的な描写である。英訳文では、原作のように動作主とし ての主語を明示せずに読者に判読させることが不可能だからである。
日本語の文構造の基本は、〈主題→陳述〉であり、助詞「は」は、その主 題を提示する役目を果たす。必らずしも英語における行為者としての〈主 語〉ではない。また、上の例で分かるように、「〜は」すらない文も日本語 では成立する。「雪国であった」と言えば、読者は列車の窓から見える景色 が白一色の雪景色になった情景を読み取ってくれるのが日本語で、「そこ は」とか「あたりは」のような英語での主語に相当する語は不要である。
2a:「お母さん、お母さん」と、庭で弘の呼ぶ声がした。
「リンディーを見にいらっしゃいよ」
「見るのはいいけど、今朝はお前と犬のお蔭で目が覚めちゃったの 圭、お母さんは」 [谷崎潤一郎:蓼喰う虫]
b:ccMother, Hiroshi called from the garden,1 aren t you coming out to look at him?
t 1 don t mind Iooking at him, but you and your dogs managed to wake me early this morning. [E.G.Seidensticker訳]
3a:「仲のいいところを見せつけられたから、柳か轡憤を晴らしにきた のさ」 [谷崎潤一郎:蓼喰う虫]
b: tl need someone to cheer me up now that I ve seen how well other people get on together. [E.G.Seidensticker訳]
4a:「あら。それを私今まで黙っていたの、分る?女にこんなこと云わ せるようになったらおしまいじゃないの。」 [川端康成:雪国]
b:c Oh?You understand then why I ve not mentioned it before?
When a woman has to say these things, she has gone as far as she
can, you know. [E.G.Seidensticker訳]
5a:「いつからお掃除なさらないの〜畳をいくら拭いても、かびくさく て、しょうがないじゃありませんか。」 [川端康成:千羽鶴]
b:《tHow long has it been since you Iast cleaned the placeP I cannot
get rid of the mildew, no matter how hard I rub.
[E.G.Seidensticker訳]
6a:ある午前、自分は円山川、それからそれの流れ出る日本海などの見 える東山公園へ行くつもりで宿を出た。 [志賀直哉:城の崎にて]
b:Ileft the inn for a walk out to a park where I could look down on the Maruyama River and the Japan Sea into which it flows.
[EG.Seidensticker訳]
2aの原作では、「目が覚めちゃった」と自動詞表現であるが、2bの英 訳文では「犬と子供が起こした」という他動詞表現になっている。母親が
自然に目覚めたのではなく、本人の意志に反して騒音で「目を覚まさせら れた」ことを、その原因となっている騒音の主を主語にすることで表現し ている。日本語の「お蔭で」は、必ずしも恩恵や後援を表すものではなく 広く原因・理由を表すから、この文では「迷惑」の語感を伴い、その語感 は英文では1人称を主語にして表すよりもyou and your dogsを主語にし て他動詞表現をとる方が的確である。
3aの原作では、「轡憤」をどう英訳するかが問題である。ひどい仕打ち を受けて、そのために轡積した憤慨を持っているならresentment, grudge,
rancorなどの語も使えるが、「仲のいいところを見せつけられた」くらいの 暗い気持ちには不適当である。訳者は原作に見られる積極的な行動として の「欝憤を晴らす」を、「誰かに慰めてほしくて」という意味に方向転換し た表現を用いたのであろう。
4aの「女にこんなこと云わせるようになったらおしまいじゃないの」
は、駒子が島村をなじる言葉であるが、表現としてはかなり厳しい響きを 持っている。しかし、その直後に島村が「君はいい女だね」と云うことか
ら判断すると、この「おしまい」を深刻な「破局」とは解釈できない。訳 者は一般論として「女の人がこんなことを云わなければならないときは、
精一杯の思いで云っているのですよ」と駒子自身に語らせている。原作の
語感は若干弱められるが、「一人の女の生きる感じが温く島村に伝わってき
た」という後の文に繋ぐには一般論に視点を転換せざるを得なかったので あろう。日本語では親しい者どうしの会話では時に厳しい語調を使いなが ら親しみを確かめることもあるので、原作の語調をそのまま英語に訳出し
て、「おしまいじゃありませんか」をIt s all up(with you).やYou ll beruined.としたのでは、小説の流れに支障を来すほど強い表現となるからで
ある。
5の文は「掃除をしない状態が何時から続いているか」という日本語の 発想に対して、英語では「この前に掃除をしてからどれくらい時間が経ち
ますか」という発想である。How long haven t you cleaned the place?/How long have you kept the place uncleaned?でも文意は通じるが、掃除 をしない意図があるような語感になる。この文は菊治の無精さを表すもの
だから、時の経過に焦点を合わせたHow long has it been since...?の表現を訳者は取ったと思われる。「しょうがないじゃありませんか」を、訳者が
意図的に削除しているのは、Ican t get rid of the mildew...で文意が十分に伝わると思ったからであろう。
6aの文は志賀直哉の代表的な作品「城の崎にて」の一節である。志賀 直哉は戦後の国語審議会でフランス語を国語に取り入れることを提案した ことが知られているが、その主な理由は日本語が論理性に欠けることと文 字の多さであった。そのためか、彼の作品は私小説の形を取りながらも、
省略の少ない論理的な表現が好まれて使われている。読者が了解している と思われることはできる限り省略して表出させない日本語の性格かち見る と、「自分は」という主語は、谷崎や川端の文と較べると奇異な感じさえす る。「その(円山川の)流れ出る日本海」は、日本語では「流れ込む日本海」
でも可能である。ただ、「流れ出る」という場合は視点は円山川側にあり、
「流れ込む」という場合は視点はやや日本海側に傾いていると言えよう。
このように、日本語では視点の置き方によって表現が一定でないという現
象が起こるが、英語ではThe Maruyama River fllows(out)into the Japan
Sea.であるから、英訳文は当然the Japan Sea into which it flows.となっている。英訳文では視点は日本海にあって、そこに円山川が「流れ込む」
のである。
2.辞書的な解説表現
日本文学作品の英語話者による翻訳を見ると、どんなに英語に堪能な日 本人であっても、日本人が書く英語とは明確な相違があるように思える。
英語では簡単な単語を英語特有の方法で多用するが、日本人には簡単な単 語ほど適切に使用することが困難であるからである。漢字という表意文字 に慣れている我々日本人は、日英語の意味単位を1対1の関係で捉える傾 向が強く、さらに、簡単な英単語ほど多義的であるのに、それに対応する
「訳語」が不充分のまま学習されているためである。日本語ではこれ以上 は分解しようがないと思われる単語や表現でも、英語では辞書的に解説す るような表現が好まれることがある。
Alan Turney氏は、日本人向けに英語に翻訳したエッセーでpossibility という語を使ったところ、Longmannの編集者から「なんでwhat might have beenではなく、難解なpossibilityを使うのか」と言われたという(2)。
possibility(可能性)よりも、 what might have been(ありそ尋たかもしれ なかったこと)は英語話者にとっては平易な的確な表現であるが、日本人 には「possibility ・=可能性」という図式は平易だがwhat might have been は理解しにくい。このように、日本語で簡単に表せる意味を英語では複数 の簡単な語を使って辞書的な解説表現で表す例を考えてみよう。
7a:「後には文子さんおひとりで、お母さまもお心残りだったでしょう ねえ」 [川端康成:千羽鶴]
b: tlt must have troubled her to die and leave an only daughter
behind.
[EG.Seidensticker訳]
8a:年の若い私は梢もすると一途になり易かった。
[夏目漱石:こころ]
b:Being young,1 was rather inclined to become blindly devoted to
皇塑.
[Edwin McClellan訳]
9a:「房子のところの模様も知りたいし」 [川端康成:山の音]
b:Iwant to know−.
[E.G.Seidensticker訳]
10a:「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。
[太宰 治:走れメロス]
b: Hold your tongue! Filled with indignation, Melos came right back at the king.
[James O Brien訳]
11a:「はは。いのちが大事だったら、遅れて来い。おまえのこころはわか っているぞ」 [太宰 治二走れメロス]
b:℃h,come now, anyone can see that you don t want to die. If it suits you, be late. I can tell what you are up to.
[James O Brien訳]
7aの文には「母親が死んだ」という文言はないが、「お心残り」の中に 死に行く者が現世に未練を残す意味が含まれているので、7bの英訳文で はその意味を補充してある。さらに、「一人娘を残して死ぬことは、さぞか
し辛かったでしょう」と表現を整えている。
8のL途になる」は、「他のことを考えずにひたすらあることに打ち込 む」という意味だから、和英辞書にはto think intensely that...;be prepossessed(=obsessed>with the idea that...という表現が収録され ているが、この文意には合わない。「盲目的にある大義名分に没頭する」と いう意味のbecome blindly devoted to a single causeは言い得て妙であ
る。
9aの「模様」は「暮らし向き」のことである。川端の簡潔な表現には
時折意味が凝縮された語が使われる。「暮らし向き」も1ivelihoodやmode
of livingでは訳者の意に叶わなかった。日常のHow are things(going)
with you?という平易な表現を用いて、9bのように訳出してある。
10aの「いきり立って」は、簡単にexcitedly/being excitedと辞書に あるが、メロスが自分の命を賭して王に立ち向かう場面のこの文では、何 でexciteしているのかをも含めた表現が必要になって、10bの文のよう に、「義憤に駆られて」という表現になった。「反駁する」もrefute;confute;
retort;contradict等の語が考えられるが、単に議論を返すだけでなく、論 旨の鋭さや執拗さを感じさせる表現としてcome back at〜が使われてい る。come backにっいてはCOBUILDには下記のように解説されている。
If you come back with a new point or idea, you add it to what you have already said after someone has answered your first point
llaの「おまえの心」は「おまえが何を考えているか」という意味だが、
この場面では「何をしようとしているのカ¥つまり、遅れて来ようと考え ているだろう」という意味をも含んでいる。単にwhat you are going to doではもの足りない。 be up toを使っている理由はそこにある。
3.総人称表現のyou
日本語の「あなた」は2人称の代名詞youに対応する語であるが、口語 日本語では非常に改まった場面や誤解を生じる恐れのある場面以外では、
ほとんど使用されない。親しい者の間では2人称に対しても「〜さん」「〜ち ゃん」のような固有名詞がyouの代わりに使われるし、目上の人に対して は「あなた」よりも課長や先生などの職責名で表すのが通例である。日本 語のコソアドの距離感からみると、ア系(あれ、あの、あなた、あちら、
あそこ)の指示語は、発話者からの距離が大きいことを表す。日本語の2 人称「あなた」はその意味では、「敬して遠ざける」という日本語社会の行 動パターンの表れであると言える。つまり、first nameで呼び合ったり、
握手や抱擁で「ウチ」なる人間関係に引き入れることによって敬意を表す
欧米の行動パターンとは逆に、日本語社会では「三尺下がって師の影を踏
まず」式に、相手を「ソト」なる人間関係に置くことによって敬意を表す 行動パターンの表れである。本来ならば「こなた」「そなた」「あなた」「ど
なた」の順で発話者からの距離が大きくなるはずが、比較的近い距離にい る話し相手に関して「あなた」が定着したのは「敬して遠ざける」という 心理が働いたためであろう。そうして、現代では、その「あなた」すら親 近感が強すぎるので本当に親しい者どうし以外にはあまり使われなくなっ
た。
従って、対話でのthe other personの意味でのyouの訳語としての「あ なた」は、初期の英語学習の中では多用されるが、通常の日本語ではあま
り使用されない語となった。さらに、総称人称としての代名詞(you, we,
theyなど)は、翻訳上は訳出しないのが通例であり、我々日本人にはyou は発話者自身を除外する感じがあって、しばしば翻訳上の問題となること がある。総称人称のyouの中には「私たち」「あなたたち」「彼ら」「人々」
「みんな」が全部含まれているから、一般的真理に言及する場合や諺の中 で使われることが多いが、総称人称のyouが使われるのはそれだけではな い。「続日本人の英語」の中で著者のM.Petersenは、更There s a glory for you! のyouを特定の人を表すかのように誤訳した例を指摘している。総 称人称のyouは日本語では訳出されない語である。
12a:すぐにあやまるような男じゃあ、たよりなくてどうにもならないも の… [星新一:ノックの音が]
b:You can t really trust a man who apologizes too quickly.
[Stanleigh H. Jones訳]
13a:医局にいると大抵心理とか病理とかの研究室に配属され、いやでも 共同研究か何か押しつけられてしまうものだが、…
[北 杜夫:どくとるマンボウ航海記]
b:Generally when ygogu work at one of these places,)璽旦are pres−
sured into joining a group to pursue collabrative research into some aspect of psychology or pathology or whatever.
[Ralph F. McCarthy訳]p.11
14a:どうも小さい時計は老眼に工合が悪くて… [川端康成:千羽鶴]
b:These little watches are no good when you re far−sighted.
[EG.Seidensticker訳]
15a:何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにその暗やみからぼんやり 浮き上がっているものがあると思いますと、それは恐ろしい針の山 の針が光るのでございます… [芥川龍之介:蜘蛛の糸]
b:There is nothing but darkness whichever way you look, except for a vague glimmer that appears at intervals out of the dark−
ness−the glimmer of the needles on terrible Mountain of Needles. [Dorothy Britton訳]
16a:しかし地獄と極楽との間は何万里となくございますから、いくら焦 って見たところで、容易に上には出られません。
[芥川龍之介:蜘蛛の糸]
b:The distance between Hell and Paradise, however, is tens of thousands of leagues, so no matter how you may hurry, it is not so easy to reach the top. [Dorothy Britton訳]
17a:うちは貨物船が多いですから荷下ろしのときなど怪我人が多い、指 .がちょんぎれる、足はちょんぎれる、頭が割れてしまうのである、
などと私をおびやかしさえしたのである。
[北 杜夫:どくとるマンボウ航海記]
b:_the man delivered the coup de grace to my scheme by describ−
ing in vivid detail certain injuries that occurred frequently during the loading and unloading of his company s freighters:fingers chopped off, Iegs severed, skulls split open, and what have巡型.
[Ralph F. McCarthy訳]
12,13,14は一般論的な表現であると同時に自分自身の体験上普遍性があ
るど認めた事実を述べている。weに置き換えることも可能だが、客観性を
含め、聞き手や読者からの共感を得るためにはyouが好んで使われる。
weはいわゆるroyal ftwe に見られるように、高位高官の人たちがformal な場で1の代わりに使う代名詞でもあるので、尊大な感じを避ける意味も あってyouの方が総称人称として一般的な真理や格言などで使われる。
15,16は読者をstoryに引き入れる効果を期待する総称人称である。三人 称を中心にstoryは進行するが、情景描写や事情説明の中などでyouを使
うことによって読者の臨場感や共感を強める。文学作品でよく見られる手
法である。17は一連の関連事項を列挙するときに末尾にwhat have youをつける
「〜など」に相当する表現である。この表現で用いられるyouも総称人称 のyouで、特定の対話者を指すものではないから日本語には訳出されな い。What have youについては下記のように解説されている。
You say what have you at the end of a list in order to refer generally to other things of the same kind[COBUILD]
WAHT HAVE YOU. Other things that are unspecified.(A fairly
recent expreSSiOn) [English Colloquial ldioms]what have you or what not n. phr., informal Whatever you like or want;anything else like that e.g. The sto re sells big ones, small ones,
medium ones, or what have夕OU.
[ADゴ6 ゴo那ηof/1耀沈αηldioms]
4.動作とbe動詞
日本語では、日常的な話し言葉でも漢字による意味の凝縮が頻繁に行わ れる。先に「可能性」が英語ではpossibilityよりも平易なwhat might have beenで表現されることを挙げたが、「決心する=make up one s mind」や
「〜に気づく=be aware of〜」のように、動詞についても同様なことが
言える。日本人なら1語の動詞を用いて表現するところを、英語話者は平
易な基礎的な動詞と他の語の組み合わせを用いて表現することが多い。そ
の代表的な動詞がbe動詞である。
17a:「そこへ繋いで置いて頂戴、今すぐ下へ見に行きますから」
[谷崎潤一郎二蓼食う虫]
b: tLeave your dog there.1 11 be right down.
[EG.Seidensticker訳]
18a:「あなた、淡路へ行ったんだって?」
「うん」
「誰と?」 [谷崎潤一郎:蓼食う虫]
b:ttyou ve been to Awaji?
CCYes.
ttAnd who was with you? [EG.Seidensticker訳]
19a:兄さんかて機嫌直しやはるし、世間の信用も附くやろうし…
[谷崎潤一郎:細雪]
b:His brother will be over grudge by that time, and people will start trusting him again.
[EG.seidensticker訳]
20a:お嬢さんは菊治さんとの話しに気がすすんでらしたんですから、お 嬢さんがよそに行って不幸だったら、菊治さんに責任がないとは言 えませんね。 [川端康成:千羽鶴]
b:She was very interested. We can t really say, can we, that you re not responsible if her marriage isn t happy.
[E.G.Seidensticker訳]
21a:そう云う姿が目に入った時、良平は年下の二人と一しょに、もう五 六間逃げ出していた。 [芥川龍之介:トロッコ]p.90 b:By the time Ryohei and the two younger boys were aware of
what he looked like they had already started to run and were about tep or twelve yards away・[Dorothy Britton訳]
22a:良平は直ぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜 柑畑の匂を煽りながら、ひた辻りに線路を走りだした。
[芥川龍之介:トロッコ]
b:Ryohei lost no time in jumping on. No sooner were all three on the wagon than it started coasting down the track, fanned by the fragrance from the orange groves.
〔Dorothy Britton訳]
23a:良平は車に手をかけていても、心は外の事を考えていた。
[芥川龍之介:トロッコ]
23b:But while Ryohei s hands were on the wagon, his mind遡 elsewhere.
[Dorothy Britton訳]
17,18のbe動詞は元来の存在を表す意味から派生して、「(移動して)
〜にいる/ある」という表現に代わったものである。日本語では移動の動 作として表現するが、英語ではその結果としてbe動詞で表現される。
19のbe over、20のbe interested;be responsibleや21のbe aware of
〜は、初歩の学習段階でも記憶される「熟語」であるが、英語では感覚的 には当然すぎてidiomと呼ぶにはふさわしくない。be動詞を含む句が日本 語での「終える」「関心を持つ」「責任をとる」「気づく」などの動詞表現と 対応するので奇異に感じられるだけである。
21のand(they)were about ten or twelve yards away.はstarted to runの結果を表し、22のNo sooner were all three on the wagon..も、す
ぐ前のRyohei lost no time in jumping on.の結果を存在表現で表したもの である。
23は英語では「AがBにある」という表現形式をとっているが、文脈の
中で見れば、「手をかけ」「外の事を考えていた」という日本語の動詞表現
に対応する。おわりに
今回は日英語の基本的な発想の相違、表現上の相違の数点について日本 文学作品とその英訳とを比較考察した。それぞれの翻訳者は、日本語社会 と英語社会が長年にわって培ってきた言語と文化の違いの狭間をどのよう に埋め、なおかつ、原文の格調や繊細さをどの程度に的確に表現するかに 心を砕いたことであろう。翻訳はそれ自体が文学作品であるから、敢えて 原作と比較するのは礼を失することになるが、日英語比較の観点からは実 に優れた資料を提供してくれている。異なった文化ではモノやコトが異な った形態で言葉に表現されるばかりでなく、事象自体の捉え方に差異があ って、それが言語学習の根底に、ある障碍を引き起こしている。だから、
母語を介入させない外国語教育が叫ばれている理由もそこにあるのだが、
他方で、学習者が言語習得の過程で母語を払拭できないのも事実である。
このジレンマの中で、日本文学作品の英語翻訳は様々な興味ある資料を提 供してくれる。
注:
(1)各文例の出典は「参考文献」に記載。
(2)Alan Turney 『英語のしくみが見えてくる』光文社 1991 p.1
参考文献
E.G.Seidensticker・那須聖 『日本語らしい表現から英語らしい表現へ』
培風館 1974 巻下吉夫・瀬戸賢一 『文化と発想とレトリック』(日英比較選書)
研究社 1997 Alan Turney 『英語のしくみが見えてくる』光文社 1991
夏目漱石 『こころ』新潮社 1996
Edwin McClellan, translation Koleoro, by Soseki Natsume Charles E.
Tuttle Company 1993
星新一『ノックの音が』新潮社1985
S.H. Jones, translation There was a knock, by Shinichi Hoshi Kodansha
Internationa11984
北 杜夫 『どくとるマンボウ航海記』新潮社 1990
R.F. McCarthy, translation Doctor Manbo at Sea, Morio Kita Kodan−
sha International 1987
芥川龍之介 『蜘蛛の糸・杜子春』新潮社 1992
D.Britton, translation The Sp ider s Thread and Other S云oηセs, Ryunosu−
ke Akutagawa Kodansha International 1992 太宰 治 『走れメロス』角川書店 1992
J.0 Brien, translation Crackling Mountain and Other Stories, Osamu Dazai Charles E. Tuttle Company 1992
志賀直哉 『小僧の神様・城の崎にて』新潮社 1995
Donald Keene, Modern/4panese Literature Charles E. Tuttle Company
1996EGSeidensticker, translation At Kinosaki, Naoya Shiga Charles E.
Tuttle Company 1996 川端康成 『雪国』新潮社 1986
E.G.Seidensticker, translation Snow Count2Zy, Yasunari Kawabata
Charles E. Tuttle Company 1996川端康成 『千羽鶴』角川書店 1986
E.GSeidensticker, translation Thousand Cranes, Yasunari Kawabata
Knopf 1996荒木博之 『日本語が見えると英語も見える』中央公論社 1994 安西徹男 『英語の発想』講談社 1983
A.Makkai, ed. A D2 ctionary(ゾん%6沈αη肋o窺s Barron s Educational Series, Inc.1975