[書評]
阿曽村邦昭・奥平龍二編著
『ミャンマー:国家と民族』
(古今書院,2016年)藏 本 龍 介
本書は,編者の一人である阿曽村邦昭が会長を務める「メコン地域研究 会」における報告を軸にした論集である。前作の『ベトナム:国家と民族』 (古今書院,2013年)に続く成果となる。冒頭で阿曽村は,本書の特徴とし て,ミャンマーに関する地域研究書であること,特に宗教と民族の問題に焦 点を当てていること,ただし「基本的な知識がある読者」を対象とし,「ミャ ンマーのことが何でも分かるというような性質の本ではない」ことを指摘し ている。 実際,ミャンマー研究の専門家や実務家たちによって執筆されている各論 考は,「広く,浅く」というものではなく,それぞれの専門に沿う形で深く 掘り下げられている。しかも全体で約800頁という分量がある。一応,ミャ ンマー研究者を自称する評者ですら,どこまで各論考の内容を把握できてい るのか,甚だ心もとない。しかし,それゆえに各論考から学ぶところは多 かった。まさに噛めば噛むほど味が出るような本である。本書の重みに,日 本におけるミャンマー研究の厚さを感じ取ることができるだろう。さて,そ のような重厚な本書の内容を十分に紹介し尽くすことは,紙面の都合上,難 しい。そこでこの書評ではまず,全体の構成を概観した上で,本学会誌の性 格を考慮し仏教関係の論文について,特に奥平龍二の「上座仏教国家」モデ ルについて,もう少し詳しく検討することとしたい。1.本書の概要
第Ⅰ部「東南アジア史におけるミャンマー」は,全5章から成る。第1章 「総説:上座仏教文化圏の成立(奥平龍二)」では,ミャンマーを含めた東南 アジア大陸部とその周辺地域,およびスリランカにおいて,上座仏教がいか に国家形成に寄与し,結果として「上座仏教文化圏」と呼びうる文化圏を形 成したかについて論じる。第2章「上座仏教国家の成立と崩壊(奥平龍二)」 では,タイ歴史研究者の石井米雄の議論を踏まえ,上座仏教を受容して形成 された政体である「上座仏教国家」が,ミャンマーにおいていかに成立,崩 壊したかを論じる。第3章「英国植民地支配下のミャンマー:植民地支配 下の社会経済変動(斎藤照子)」では,社会経済史の観点から,19世紀後半 から20世紀前半にかけてミャンマーに起きた変化を辿り,それが独立後に どのような影響を及ぼしたかを論じる。それは同時に,「英植民地支配が政 治・経済・社会を抜本的に変えた」というような単純な歴史観を相対化する 試みでもある。第4章「日本占領下のミャンマー(根本敬)」では,アジア・ 太平洋戦争期を対象として,なぜ日本はミャンマーに対する軍事的関心を深 め,占領するに至ったのか,人々はどのような経験を強いられたのか,ミャ ンマー史において日本占領期はどのように位置づけることが可能なのかにつ いて論じる。第5章「連邦国家の形成と挫折:ウー・ヌとネー・ウィンの時 代(1948∼1988)(根本敬)」では,独立後の議会制民主主義期(ウー・ヌ時 代)と1962年以降のビルマ式社会主義期(ネー・ウィン時代)が取り扱わ れ,なぜミャンマーにおいて国軍が直接政治を担う軍事政権が長期に渡って 続くことになったのかを論じる。 第Ⅱ部「日本とミャンマーの交流の歴史と伝統」は,全5章から成る。第 1章「日緬交流400年史:17世紀初頭アラカンの日本人キリシタン護衛隊を めぐって(奥平龍二)」では,17世紀前半,ミャンマーの最西端に位置する アラカン州において,ティーリ・トゥダンマ王の護衛隊として使えたドン・ レオン・ドノを頭領とする日本人キリシタン傭兵隊について論じる。第2章「「日本人」の「ビルマ進出」について:「からゆきさん」先導型進出パラダ イム批判(伊東利勝)」では,「からゆきさん」と呼ばれた娼館経営者がミャ ンマーに進出し,その後,彼らに日用品を供給する商人が続いたとする俗説 を,豊富な一次資料を基に再検討する。それによって近代以降の日緬交流史 を経済進出パラダイムで理解することの問題点を指摘する。第3章「竹山道 雄『ビルマの竪琴』に見るビルマの虚像と実像(阿曽村邦昭)」では,『ビル マの竪琴』(1959年)についてのミャンマー人の否定的な反応の分析などを 通じて,本書が歪んだミャンマーのイメージを広汎に伝えていることを指摘 する。第4章「故会田雄次教授のミャンマー観(阿曽村邦昭)」では,元京 都大学人文科学研究所教授だった会田雄次教授のミャンマー観について,彼 の著作である『アーロン収容所』(1962年),『アーロン収容所再訪』(1975 年)を通して論じる。第5章「戦後の日本・ミャンマー関係(矢間秀行)」 では,ミャンマー政府の穏やかな対日戦線処理と,それに恩を感じミャン マーを友好国として手厚く恩返しをしようとする日本政府という構図が形成 されたこと,そしてネー・ウィン政権の崩壊後の,世界各国とは一線を画す 対ミャンマー政策の特徴について論じている。 第Ⅲ部「大東亜戦争におけるビルマ─南機関と藤原機関(阿曽村邦昭)」 は,他の部と異なり,全8章すべてが阿曽村邦昭による論考となっている。 まず,日本軍のビルマ進出に先立つ日本の「南進」について論じる。ついで 大東亜戦争における「南進」が事前の準備もろくになく,追い詰められた日 本が止む無くバタバタと決めた結果であること,ビルマ独立義勇軍の創設を 担った南機関長・鈴木大佐もインド国民軍の創設に関与した藤原機関長・藤 原少佐も全くの泥縄式にその使命を果たしたことを指摘する。 第Ⅳ部「ミャンマー連邦国家の内政と外交」は,全6章から成る。第1 章「国軍と政治:軍事政権の時代は終わったのか(中西嘉宏)」では,なぜ ミャンマーではこれほど長く軍事政権が続いたのか,2011年以降は何が変 化したのか,今後の国軍の政治への関与は低下していくのか,といった諸点 について論じる。第2章「ミャンマーの内政と外交の動向(岸直也)」では,
2011年に発足したテイン・セイン政権の内政と対外政策について,さらに 2015年11月に実施された総選挙において,アウン・サン・スーチー氏が率 いる国民民主連盟(NLD)が圧勝した背景について論じる。第3章「ミャ ンマーと民族問題(伊東利勝)」では,ミャンマーにおける民族問題を事例 として,民族という概念は,ある歴史的条件の中で,他との関係で識別さ れ,定義されてきたこと,それゆえに政治や経済の変化が民族というカテゴ リーを作り上げてきたと論じ,民族文化の固有性を尊重する多文化共生政策 の限界を指摘する。第4章「2008年憲法の概要と憲法改正への動向(伊野 憲治)」では,2008年に成立した「ミャンマー連邦共和国憲法」の特徴につ いて,それに先立つ二つの憲法,すなわち,独立後の1947年に議会制民主 主義体制の確立を目指して発効された「ミャンマー連邦憲法」と,軍政期の 1974年に発効された「ミャンマー連邦社会主義共和国憲法」と比較しなが ら論じる。さらに2014年から本格化している憲法改正の動きについても紹 介する。第5章「現代文学から見たミャンマーの政治・社会(南田みどり)」 では,現代ビルマ文学(日本占領期が終了した1945年以降のビルマ語純文 学)と政治・社会のかかわりについて,主として戦後あらたに登場した文学 のひとつの潮流の消長と,その周辺の長編や書き手の動向から論じる。第6 章「国家と宗教:2008年憲法にみる仏教の位置づけ(奥平龍二)」では,上 述の2008年憲法について,宗教,特に仏教がどのように取り扱われている かについて,ミャンマー史における政教関係を振り返りながら論じる。 第Ⅴ部「ミャンマー経済の現状と展望」は,全4章から成る。第1章「メ コン地域協力をめぐる中国・日本・米国の対応(白石昌也)」では,大陸部 東南アジア(メコン地域)において1990年代以降に発足した,様々な開発 協力の枠組みに,中国,日本,米国がどのように関わっているかを論じる。 第2章「ミャンマーの対外開放政策:新たな時代の成長戦略(工藤年博・熊 谷聰)」では,テイン・セイン政権の下で大胆な政治・経済開発が進む2011 年以降のミャンマーにおける,輸出志向・外資導入の成長戦略の進捗と課題 について論じる。第3章「ミャンマーと日本企業(小林英夫)」では,2010
年以降活発化しているミャンマーへの日本企業進出について,戦後の日緬関 係を振り返りながら論じる。第4章「日本の村・ミャンマーの村:共同体と コミュニティ(髙橋昭雄)」では,日本との比較を通して,ミャンマーの村 には,村の凝集性を前提とするあるいは促進させるような生産活動はないこ と,そして集団や組織に対する個人の自立性が高く,離脱の自由度が高いこ とを指摘し,それゆえに日本の村は「生産と生活の共同体」であるのに対 し,ミャンマーの村は「生活のコミュニティ」であると論じる。 第Ⅵ部「日本外交官の見たミャンマー」は,全4章から成る。第1章「鎖 国から開国へ(田島高志)」では,1993年から1995年まで駐ミャンマー日本 国大使として在勤した経験を踏まえ,ミャンマーが閉鎖社会から国際社会 へ,そして民主化と経済発展の進展を果たすためにはどのようにすればい いのかが提言される。第2章「キン・ニュン首相失脚(宮本雄二)」では, 2002年から2004年まで駐ミャンマー日本国大使として在勤した経験を踏ま え,当時の軍事政権の実力者であったキン・ニュン首相の失脚の背景を分析 し,ミャンマーにおける民主化の可能性について論じている。第3章「ア ウンサンスーチーさんまちぼうけ(赤阪清隆)」では,著者が外務省から WHO に出向して政務担当の顧問をしていた1996年当時,アウンサンスー チー氏との会見の約束をしていたにもかかわらず,当時の政治状況からそれ が最終的に叶わなかった事件について回顧する。 第Ⅶ部「現代ミャンマー社会の諸問題」は,全7章から成る。第1章「仏 教徒とイスラーム教徒の共存の可能性(土佐桂子)」では,2011年に成立し たテイン・セイン政権以降に激化している仏教徒・ムスリム間の宗教対立, さらには仏教徒側にみられる民族宗教保護運動と婚姻法制定などを追いつ つ,宗教対立の背景となる政治,歴史,社会的状況を鑑み,宗教共存の可 能性について論じる。第2章「ジェンダーをめぐる問題(飯國有佳子)」で は,同じく仏教徒による民族宗教保護法案を事例として,本法案には,「異 教徒から「攻撃されやすい」仏教徒女性を,我々が「保護」しなければなら ない」という,仏教徒男性の偏った女性観がみられると指摘する。第3章
「ミャンマー人仏教徒の死生観(奥平龍二)」では,ミャンマー人仏教徒は 「死」といかに向き合いいかに生きているか,現世から来世にどのように渡 ろうとしているかという問題について,輪廻転生や功徳といった教えを説く 上座仏教と,現世利益を追求する土俗の信仰を踏まえて論じている。第4章 「ある NGO の現場報告(中川善雄)」は,2013年からカレン(カイン)州で 地雷対策をしている「AAR Japan(難民を助ける会)」の活動についての現 場報告である。第5章「難民と国際協力の問題(田辺寿夫)」では,主とし て1990年代以降の,在日ミャンマー人および,難民申請者・認定者の状況 の変化について論じる。第6章「ミャンマーの保健・医療問題:マラリア をめぐって(白川千尋)」では,マラリアに注目することによって,ミャン マーの保健・医療の状況を分析する。そして医療施設のネットワークとその 問題,山地部への人の移動が感染拡大を助長している点などを論じる。第7 章「ミャンマーにおける日本語教育と対日理解(水野敦子)」では,2011年 以降のミャンマーにおける日本語教育環境と対日理解の現状について論じて いる。
2.「上座仏教国家」モデル再考
次に,本書所収の仏教関連論文について,特に「上座仏教国家」モデルに ついてもう少し掘り下げて検討してみたい。奥平龍二による第Ⅰ部・第1章 および第2章は,タイ歴史研究者の石井米雄の成果を引用しつつ,ミャン マーにおける伝統的国家の構造およびその変質を「上座仏教国家」という キーワードで確認している。奥平によれば,「上座仏教国家」とは以下のよ うな構造をもつ。 国王はサンガ(教団組織)によって護持された上座仏教を政治的統合 のためにいわば道具として利用し,その宗教原理の中に自らの王国を 支配する正統性を見出そうとしたものであり,また,王は上座仏教を 民衆に普及させることによって王と社会を結ぶ支配構造を確立しようとした。すなわち,在家仏教徒もまた,仏教の説く崇高な理念を戴 き,自らの倫理・道徳の向上を目指したのである。……上座仏教は 「為政者の宗教」であると同時にあらゆる信仰を包含する「民衆の宗 教」としての側面をもつことになったところに大きな特色がある[p. 20]。 ここでの強調点は,世俗権力と宗教権威(サンガ)の共生関係こそが, ミャンマーにおける伝統的な国家・社会のあり方を根底で支えているとい う構造である。それゆえに19世紀にはじまるイギリスによる植民地支配は, こうした共生関係が断ち切られたという意味において,国家と社会に大きな 危機をもたらしたという認識が示されている[p. 35]。 一方で,こうした図式的な理解を相対化するような議論も数多く提出され ているのも事実である。奥平の議論はあくまでも概説的なものであるため, ここでの意図はこのモデルを批判することではない。しかしこの機会にいく つかの議論を確認しながら,「上座仏教国家」モデルの現状における可能性 を確認しておくことは有益だろう。 たとえばタイ研究者のタンバイア(S. Tambiah)は,サンガは社会迎合的 な「村・町の僧」と原理主義的な「森の僧」という二元性を内包しており, それゆえにサンガと国家・社会との関係も安定せずに常に揺れ動くというモ デルを提示している[Tambiah 1984]。また,ミャンマー歴史研究者のアウ ントゥイン(M. Aung-Thwin)は,王権とサンガの関係には,財をめぐる潜 在的な緊張・対立関係があり,それがミャンマー史のダイナミズムをもたら していると指摘している[Aung-Thwin 1985]。そのほかにもタイ研究者の林 行夫は,「上座仏教国家」モデルは,植民地化や社会主義を経験することな く王権が維持されたという,東南アジアでも特殊なタイを事例としてモデル 化されたものであると指摘し,国境地域での人類学的調査を通じてこうした モデルの相対化を試みている[林編 2009]。 以上の諸議論が示唆しているように,「上座仏教国家」モデルは,現実の
上座仏教徒社会の忠実なモデル化とは言いがたい側面がある。つまり,一口 にサンガといってもその内実は様々であったし,国家とサンガの関係にも潜 在的な矛盾がある。また,各時代・地域毎の差異も無視できない。それでは 「上座仏教国家」モデルは「絵に描いた餅」に過ぎないのだろうか。
この問題を考えるためには,「上座仏教国家」モデルの二面性──ギアツ (C. Geertz)のいう① model of(「∼のモデル」)と,② model for(「∼のため のモデル」)[ギアツ 1973]──を考慮すべきだろう。つまり,このモデル が,①現実の上座仏教徒社会の状況を図式化しているだけでなく,②ある 種の理想的国家像として現実に機能している点にも注意を払う必要がある。 ミャンマーにおいても歴代の王たちは理想の「仏法王」たらんとし,そして サンガや民衆もまた,理想の「仏法王」を望んできた(その具体的なイメー ジについては本書所収の「ミャンマーの王権神話(第Ⅰ部・第2章付属資 料,奥平龍二)」に鮮やかに示されている)。つまり「絵に描いた餅」である がゆえに,王権・サンガ・民衆といった諸アクターの心理的な起動力とな り,歴史のダイナミズムを形づくってきたという側面がある。 さらに「絵に描いた餅」であるがゆえに,王権を喪失した植民地期以降 も,「上座仏教国家」モデルの呪縛,あるいは「仏法王」の呪縛が,政教関 係の混迷をもたらし続けている。つまり時の政府が「仏法王」の役割を拒否 すれば,仏教徒の反感を免れ得ないし,逆に「仏法王」の役割を引き受けれ ば,非仏教徒を内包する国民国家の枠組みが瓦解する。結果として,現行の 2008年憲法においても,奥平の指摘するように「国民統合の見地から他の 宗教とのバランスを取りながらも仏教重視の姿勢を示唆し,「政教分離」の 原則をある程度尊重しながら,「信仰の自由」を全面的に保障する「世俗国 家」」(p. 469)という,どっちつかずなものとなっている。本書の第Ⅶ部・ 第1章および第2章において詳細に分析されているように,現在のミャン マーでは仏教徒と非仏教徒の対立が大きな問題となっている。「上座仏教国 家」モデルは,こうした現代的な課題を考える上でも,重要な道しるべとな るだろう。
参考文献
ギアツ,クリフォード著・吉田禎吾ほか訳1983『文化の解釈学(1・2)』,東京:岩 波書店(原本:Clifford Geertz 1973 The Interpretation of Cultures: Selected Essays. New York: Basic Books).
林行夫(編)2009『〈境域〉の実践宗教:大陸部東南アジア地域と宗教のトポロジー』, 京都:京都大学学術出版会.
Aung-Thwin, Michael 1985. Pagan: the origins of modern Burma. Honolulu: University of Hawai‘i Press.
Tambiah, Stanley Jeyaraja 1984. The Buddhist saints of the forest and the cult of amulets:
a study in charisma, hagiography, sectarianism, and Millennial Buddhism. Cambridge: