柳川市沖端地区における漁村集落の形成と変容 ー浦町と西北町の比較を通してー [ PDF
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(2) 3. 浦町と西北町の比較考察. 明治初期が 22 カ所で,分筆後は 51 カ所と,29 カ所増. 3-1. 時代変遷の比較. 加しており,全体の増加の約6割以上が公道に面しな. 1) 浦町. い敷地によるものである。ミチに面するように分筆す. 寛政 2(1790) 年の古図からは,「裏町」という名称で確. る場合があるが,旗竿敷地の形状が数カ所程見られた。. 認でき,浦町周辺に描かれたミチと街区は現在まで, 明治初期から現在にかけて公道に面しない奥の敷地が ほとんど変化しておらず,江戸末期の町の骨格を現在. 増加し,高密度居住が発展したことが分かる(図 10)。. まで残している(図 7)。. 2) 西北町. 2) 西北町. 敷地の数は,明治初期では 55 ヵ所,分筆後は 128 ヵ. 寛政 2(1790) 年の古図には,西北町の中央部に南北. 所と 73 カ所増加しており,2 倍以上に増加している。. 方向と東西方向の二方向の水路が通っている事が確認. 明治以降の分筆は,北町通り沿いの敷地に顕著な変化. できる(図 9)(以下,南北方向に走る水路を「南北水路」, が見られ,明治初期は間口の狭く細長い地割であった 東西方向に走る水路を「東西水路」と呼ぶ)。ヒアリン. ものが,奥行方向にのみ分割し,ミチに面しない敷地. グによると,明治初期には宅地の裏側に畑があり,現. が多く発生していた。このことは,明治初期以降に裏. 在の宅地の土地利用である宅地とは異なっていたとい. 側に屋敷を持つ高密度居住へ変遷したことを示してお. う。つまり,江戸末期の西北町の空間は「ミチ・宅地・. り,北町通り沿いのセドワの形成も,明治以降である. 水路」の構成であり,柳川の町人町に見られる構成と. ことが分かる(図 12)。. 同じであった。そのため西北町は,現在に見るような. 3-2. ミチ・セドワの比較. 漁師町ではなく,町人町であった可能性が高い。南北. 1) 浦町. 水路は,明治中期頃に宅地化によって埋立てられ,東. 公道に面しない裏側の屋敷へ行くには,セドワを通. 西水路は,昭和初期の上水道整備によって生活用水の. らなければならない。浦町のセドワは袋小路が多く,. 機能を失ったために埋め立てられたと推測される。埋. 入口へアクセスする機能が主である(図 11)。袋小路. 立てられた水路はミチや「セドワ」 として利用された。 のセドワは 1. 3 軒程で利用され,私的な空間となっ. 2). 3-4. 地割の比較. ている。また,セドワの幅は,70 ㎝. 2m 程の幅で,. 1) 浦町. ばらつきが見られ,幅の広いセドワでは生活物品や植. 明治初期から明治以降の分筆を見る。敷地の数は明. 栽等が置かれ,生活感のある空間となっている。. 治初期が 125 カ所で,分筆後は 172 カ所と,47 カ所増 加している。次に公道に面しない敷地の数を見ると, 二宮神社 龍神宮. 西 横 町 通 り. チ. ミ. の. い. 沿 居. 土. 常願寺. り 北 町 通. 長善寺. 図 8. 現在の西北町 図 6. 現在の浦町. ミチ. 水路. 土居. セドワ 南北水路が セドワへ変化 東西水路が ミチへ変化. 宅地裏に畑 南北水路 東西水路 畑. 袋小路. 図 7. 浦町のミチと水系の変遷. 江戸末期. 図 9. 西北町のミチと水系の変遷. 7-2. 現在.
(3) 2) 西北町. 13)。西北町の水路は北側から灌漑用水として利用され. 西北町にも公道に面しない屋敷があり,そこに行く. た水が流れてきたため,飲料水として適していなかっ. ためにはセドワを利用する。西北町は,主に通り抜け. た。水系の上下によって,浦町と大きな差異が見られた。. できるセドワが多く,多くの居住者で利用しているも. 3-5. 屋敷の比較. のが多い(図 13,写真 1)。西北町のセドワは玄関や庭. 1) 浦町 (Km 邸,Ok 邸 ). 等の生活空間へのアクセスの他、舟溜まりへのアクセ. 漁村住宅である Ok 邸と Km 邸は共に茅葺きの母屋を. スを容易にする機能を併せている。. もち,それが二軒連続することで,かつての通りの風. 3-3. 水系の比較. 情を現在に残している(写真 2)。これらの屋敷は通り. 1) 浦町. に面し,裏にはもう一軒屋敷が建てられている。裏の. 浦町の周囲を囲む水路に着目してみると,大半の民. 屋敷へは,Km 邸横のセドワを通りアクセスする。セド. 家が水路に面していないことが分かる(図 11)。水道. ワの幅は 70cm. が整備される昭和初期以前は,浦町の人々は橋のたも. されている(写真 3)。. カミシモ. 85cm 程で,石で舗装され現在も利用. とに作られた共同汲水場で生活用水を取水していた。 平面構成を見ると,母屋は二軒とも間口が二間,奥 浦町の水路は南側の干拓地へ配給する機能を有してい. 行きが三間と小規模なものとなっている(図 14)。漁. たため,水の流れが速く,飲料水として適していた。. 村における屋敷が小規模であるの. 2) 西北町. は,漁師は生産の場と生活の場が. 西北町の水路は,汲水場は組. 4). 単位が基本であるが, 異なり,海上での活動が主である. 土居沿いの屋敷付近には灌漑用水としての水路しか. ため,漁師の屋敷は主に寝起きと. 通っていなかったため,土居沿いの居住者達は,他の. 食事のために利用されたためと考. 組と共同で利用し,釜洗い等に利用していた。. え ら れ て い る 5)。Km 邸 の 間 取 り. 上水道整備が整備される昭和初期以前の西北町の住. は大きな増築は行っておらず,ザ. 民は,飲料水は水路から取水せず,井戸から取水して. シキとドマの二室構成となってい 写真 1. 西北町のセドワ. いたという。そのため,汲水場と井戸の数を見てみる と,井戸の数が多く,汲水場が少ないことが分かる(図. 明治期の地割 明治以降の分筆 宅地 田・畑. 図 10. 浦町の地割 3). 図 12. 西北町の地割 3). 図 11. 浦町のセドワと汲水場の位置. 図 13. 西北町のセドワと汲水場・井戸の位置. 7-3.
(4) 納戸 裏側の 住宅. ダイドコロ 分 家 の 屋 敷. 居室. セ ド. イタ ノマ. A ブ ツ マ. ザシキ. A. A'. 西 横 町 通 り. ヘヤ. ドマ. ザシキ ヘヤ. ザシキ. A. 写真 2. Km 邸. セ ド ダイド コロ. ドマ. ダイド コロ. ドマ. フロ. 水 路 フロ. ミチ ミチ. N. 入口. セ ド ワ. 隙 間. Ok邸. セ ド ワ. Km邸. 写真 3. Km 邸側のセドワ. ナンド. 分 家 の 屋 敷. ナンド. ナンド. ブツマ. 西 横 町 通 り. ザシキ. A ザシキ. A. ザシキ. 水 路 0. 1. 2. 3(m). 入口. 0. 勝手口. 図 14.Km 邸・Ok 邸平面図・断面図. 2 1. 写真 4. Kg 邸. 5 3. 図 15.Kg 邸 平面図・断面図. 10(m). る。生活はザシキを中心に行われ,寝室や居間,接客. があることである。漁師町の仕組みは,一見,無秩序. 空間等として使われている。断面構成を見ると,Km 邸. な空間に見え,一方で伝統的な空間にも見える。しかし,. と Ok 邸の間には下屋と隙間があることが分かる。下屋. 形成時期が異なっても共通の空間を有するということ. は母屋より後発的に増築されたと考えれば,もともと. は,高密度居住の生活において不可欠な仕組みであり,. は Km 邸横のセドワよりも幅の広い空間が存在していた. 必然的に形成された空間であることを示している。. ことになる。浦町の住民達は建物の隙間の幅によって, 住宅を見ても,屋敷の空間構成はドマとザシキとい 屋敷の増築や,セドワを通す等の,有効利用をしてい. うシンプルな構成であり,食事をして寝るための屋敷. たと推測できる。. という,格式よりも合理性を重視した居住空間であっ. 2) 西北町 (Kg 邸 ). た。セドワも同様に,無秩序に通されているのではなく,. Kg 邸は西横町通りに位置する鉤屋型の屋敷である. 屋敷間にある隙間を利用して形成し,生活のために通. (写真 4)。築 180 年の屋敷とされ,江戸末期の町人町. された合理的なミチであると言える。このような合理. の頃の屋敷と推測される。この屋敷は明治期に分家に. 的な考えは,効率性・利便性を考える漁師の気質から. 敷地を分け与えたときに,屋敷を一部解体して敷地を. 来たものであり,そうした背景が漁師町の空間を形成. 明け渡したという。そのため本家の屋敷が構造上不安. したと考えられる。. 定になっており,分家の屋敷に寄りかかる形態をとっ. また,漁師町の集落構造は,高密度居住と,それを. ている(図 15)。また,現在のブツマの空間は下屋で. 支える仕組みであるセドワで形成されており,水路と. 増築されているため,分筆・解体された部分に本来の. の関わりは薄いものであった。しかし,漁村集落の形. ブツマやザシキがあったと推測され,格式のある居住. 成背景には,水路がミチに変化するといった,水郷柳. 空間であったことがうかがえる。Kg 邸は,西北町が明. 川ならではの要因があった。そうした形成背景と漁師. 治期から現在にかけて漁師町へと変遷する中で,高密. 町の集落構造を併せもった空間は,沖端地区の漁村集. 度化への影響を受けた屋敷と言える。. 落ならではの特性と言える。. 4. まとめ. < 注記 >. 漁村集落の比較考察から見えてくるのは,漁村集落 としての形成時期が異なるにも関わらず,街区型の高 密度居住や,セドワの存在等,様々な点で共通する点. 1)「地図の中の柳川」柳川市 1999 沖端御絵図 をもとに作成 2)「セドワ」とは,公道に面しない裏側の屋敷や庭へアクセスする,私有地のミチのこと。 沖端の居住者が一般的に使用している名称であり,「背戸輪」とも書く。 3)「旧字図 沖端」 (柳川市税務課所蔵)をもとにトレース。現在のスケールとは歪みがある。 4)「組」とは,数軒 数十軒で構成された社会組織のことで,祭礼の運営や,汲水場の共有 等をしている。血縁関係や立地等で組まれる。 5) 参考文献 (4) より < 参考文献 > (1) 柳川の歴史と文化 甲木 清 1985 (2) 地図のなかの柳川 柳川市史別編柳川市史編集委員会 1999 (3) 図説 民族建築大辞典 日本民族建築学会 2001 (4) 見島の漁村 宮本常一 1974. 7-4.
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