作者不詳の 釈
Īśvarapratyabhijñāvimarśinīvyākhyā
について
川 尻 洋 平
0. カシュミールで発達したシヴァ教一元論は,アビナヴァグプタ(ca. 975–1025) やクシェーマラージャ(ca. 1000–1050)以降,多くの文献とともに南インドに伝え られ,その写本群は現在に至るまで伝承されている.それら伝承された著作の中 には,カシュミールで散逸したものもあり,南インドの写本群は貴重な資料を伝 えている.南インドでは,それらの文献が伝承されるとともに,カシュミールで 著された文献に対する 釈も著され,新たな作品も生み出された.その中には, マヘーシュヴァラーナンダ(ca. 1275–1325)1)の『マハールタマンジャリー』( Mahārtha-mañjarī,以下MAM)のように南インドからカシュミールに伝えられた作品もある. このように知的文化交流があった一方で,南インドで著された 釈群は,そのほ とんどが未出版の状態にあり,カシュミールのシヴァ教一元論が南インドでどの ように受容されたのかについては,十分に明らかではない. 本稿では,アビナヴァグプタの『主宰神の再認識反省的考察』(Īśvarapratyabhijñā-vimarśinī,以下ĪPV)に対する南インドの作者不詳の 釈(Īśvarapratyabhijñā vimarśinī-vyākhyā,以下Vy)に注目し,シヴァ教一元論に神学的基盤を与えた再認識派哲学 がどのような形で南インドで受容されていたのかを明らかにする. 1. はじめに,クシェーマラージャ以降,カシュミールや南インドで著された再 認識派 釈文献を確認しよう.ウトパラデーヴァ(ca. 925–975)の『主宰神の再認 識偈』(Īśvarapratyabhijñākārikā,以下ĪPK)に対して,カシュミールでは,バッターラ カ・スンダラ(17, 18世紀)による 釈(Īśvarapratyabhijñākaumudī)が著され2),南イ ンドでは,サダーナンダによる 釈(Īśvarapratyabhijñānvayadīpikā)3)とナーガーナ ンダによる 釈(Īśvarapratyabhijñāsūtravyākhyā)4)が著されている.この内,サダー ナンダは,『パラートリンシカー』(Parātriṃśikā,以下PT)に対して 釈( Parātriṃśikā-vivaraṇa)を著したサダーナンダであろう5).ナーガーナンダは,南インドの伝承 では『パラープラーヴェーシカー』(Parāprāveśikā,以下PPra)を著したとされる ナーガーナンダと同一人物である可能性がある6).ĪPVに対しては,カシュミー
ルのバースカラカンタ(18世紀)7)による『バースカリー』(Bhāskarī, 以下Bh)と南 インドの作者不詳の 釈Vyが著されている. これら後代の 釈文献は,ĪPVの刊本とともに出版されたBhを除いて出版さ れていない.Vyに関しては,Bhの欠落箇所(行為章第二日課第二偈から第六偈およ び真理要約章第十七偈から第十八偈)を補う形で挿入されているにすぎない8).Vy全 体の校訂本が,K. C. PandeyとN. Rastogiとによって準備されていたが,出版さ れなかった.ĪPKやĪPVをより深く理解するためだけではなく,シヴァ教神学の 南インドへの伝承を明らかにするためにも,Vyを含めて南インドの 釈文献は 貴重な資料であり,その校訂本の出版が待たれている9). 2. これら南インドの 釈文献の内,複数の写本が残っているのはVyだけであ る.したがって,まずはVyが検討されるべきである.これまでに確認されい
てるVy写本は,1)R4353, Government Oriental Manuscript Library, Chennai, 522ff. Devanagari, complete, paper, 2) T. No. 762, Institut Francais de Pondichéry. 403ff. Devanagari, complete, paper, 3) No. 131, Oriental Research Institute and Manuscript Library, Trivandrum, 179ff. Malayalam. Palm-leaf, Incomplete.の三本である.
チ ェ ン ナ イ に 所 蔵 さ れ て い る 第 一 の 写 本(No. R4353)は, カ リ カ ッ ト の Manaveda Arjuna Rajaのコレクションに含まれる写本のトランスクリプトであ
る10).このオリジナルの写本の字体については不明である.チェンナイに所蔵
されているトランスクリプト写本のコロフォンによれば,1923年12月6日から
1924年7月2日にかけて転写され,オリジナル写本と照合されている11).この作
業は,Subramania ShastriとP. V. Ramana Raoによってなされたと考えられる.Vy のトランスクリプト写本と同じノートに綴じられている『シヴァスートラヴァー
ルティカ』(Śivasūtravārttika)のトランスクリプト写本(No. R17924)のコロフォンに,
両者が校合し,後者が写したことが記録されており,Vyのトランスクリプト写
本についても同様であろう.Pandeyが企図した校訂本は,Subramania Shastriに
よって用意されたこの写本のコピーのみに基づいていた.
第二の写本は,ポンディシェリに所蔵されているものである.コロフォンによ れば,V. Krishnamachariが1969年に写したものである.第一の写本を写したもの であるが,行を飛ばして書写している箇所が少なからずある.
第三の写本は,トリヴァンドラムのOriental Research Institute and Manuscripts Libraryに所蔵されている.この写本は,ĪPV認識章第五日課第九偈までを含む断 片的なものであるが,他の二写本の欠落をしばしば埋めるという点で有用である.
3. Vyの作者は, Sanderson (2014, 75)に指摘されているように,南インドの出 身であることはほぼ間違いない.これは,Vyがカシュミールでは近代まで知 られておらず,現存する写本がすべて南インドでのみ伝承されており,さらに 近代まで南インド以外で知られていなかった『パラートリーシカーラグヴ リッティ』(Parātrīśikālaghuvṛtti,以下PTLV)や『パリアンタパンチャーシカー』 (Paryantapañcāśikā)をVyが引用しているからである.さらにVyが引用する文献 群は,南インドのマヘーシュヴァラーナンダが著したMAMに対する 釈『マ ハールタマンジャリーパリマラ』(Mahārthamañjarīparimala,以下MAMP)に引用され る文献群におおよそ一致する.このことは,VyとMAMが共通の文献的背景の 下に著されたことを示唆する.VyがMAM 3abを引用していることから,Vyは 南インドの学匠によって14世紀以降に著されたと考えられる12). 南インドの再認識派文献の諸 釈の前後関係を考える時,Vyが引用する文献 の中でも,南インドではナーガーナンダによって著されたとされるPPraが注目 される.PPraを著したとされるナーガーナンダは,写本伝承の中で,バッタ ナーガ(Bhaṭṭanāga)とも呼ばれているが13),シヴァーナンダ(ca. 1225–1275)は 『トリプラーサーラサムッチャヤ』(Tripurāsārasamuccaya)を著したバッタナーガに 言及している14).この両者とĪPKに 釈を著したナーガーナンダが同一人物で あるならば,ĪPKに対するナーガーナンダの 釈は,13世紀以前に著されたこと になり,Vyに先行することになる. 4. Vyの作者は,ĪPVに 釈を著す上で,カシュミールで著されたシヴァ教文 献に関して,どのような情報を持っていたのか.カシュミールの学匠の著作に関 して,南インドの学匠が正確な情報を伝えているとは言い難い.例えば,マヘー シュヴァラーナンダは,『スヴァッチャンダバイラヴァ』に対するクシェーマ ラージャの 釈(Svacchandabhairavauddyota)をアビナヴァグプタに帰しているから である15). Vyの作者もまた,ウトパラデーヴァの著作を十分に把握していない.『主宰神 の再認識詳注』(Īśvarapratyabhijñāvivṛti,以下ĪPViv)と『精神的認識主体の確立』 (Ajaḍapramātṛsiddhi)を混同しているからである.Vyでは,アビナヴァグプタが引 用するウトパラデーヴァの詩節を,後者からの引用であると 釈しているが,実 際には,Ratié (2013, 433, fn. 126)に指摘されているように,ĪPVivからの引用であ る16).Vyの作者は,明らかにこの二つの著作の全体を把握していない. 南インドの学匠は,このようにカシュミールの文献について正確な情報を持っ
ていない.一方で,Vyの作者が,PTLVをアビナヴァグプタの著作として引用し ているように17),PTLVに関する情報は南インドの学匠の間で共有されている. 5. シヴァ教文献が南インドへと伝承されたが,南インドで優勢であったのは, 三女神を崇拝するトリカの中でも,特に最高神パラーのみを崇拝する一派であっ た.この一派が典拠としたのがPTである.この一派が優勢であったことは,南 インドにおいて,アビナヴァグプタに帰せられたPTLVが典拠として頻繁に言及 され, PTLVに対する 釈やPTへの 釈がしばしば著されたことからも伺える.
6. それでは,Vyは,ĪPVの帰敬偈(ĪPV I, p. 1: nirāśaṃsāt pūrṇād aham iti purā bhāsayati yad dviśākhām āśāste tad anu ca vibhaṅktuṃ nijakalām// svarūpād unmeṣaprasaraṇanimeṣasthitijuṣas tad advaitaṃ vande paramaśivaśaktyātma nikhilam//)をどのように理解したのであろうか.
Vyによれば,ĪPVの帰敬偈は,間接的な仕方で,種子マントラSAUH4 を示して
いる.この種子マントラは,PTに詳説されるものに他ならない.このマントラ
は,あらゆるものが休らう最高原理から,あらゆるものが放たれ,そしてそこに
収束することを表しており,無上なるもの(anuttara),放出能力(visargaśakti),存
在様態(sadvṛtti),三叉(triśūla)を象徴する.これら四要素が,帰敬偈中の「そ れ」(yat),「本 有 的 な 部 分」(nijakalā),「一 切」(nikhila),「開 眼 に よ っ て 展 開」 (unmeṣaprasaraṇa)に始まる語によってそれぞれ示されている18). Vyは,さらにĪPVの帰敬偈だけではなく,ĪPK全体が,種子マントラSAUH4 を表していることを,PTLVを援用することによって示している.それによれば, 認識章と行為章を通じて放出能力が理解され,真理要約章によって無上なるもの が,アーガマ章第一日課を通じて存在様態が,アーガマ章第二日課を通じて,三 が理解される19). 7. このように,Vyは,ĪPVの帰敬偈だけではなく,ĪPK全体も種子マントラ SAUH4 を教示するものと考えている.このことは,Vyが,パラーのみを崇拝す るトリカの影響下で著されており,再認識派文献がPTに対する一種の 釈とし て受容されていたことを示している.ウトパラデーヴァの著作に関する不正確な 情報が示唆するように,Vyの作者にとって,再認識派文献そのものよりも,そ れらをPTに関連付けることこそが重要だったのである. 今後,サダーナンダやナーガーナンダの 釈を検討することによって,南イン ドでの再認識派哲学の受容の形がより明らかになろう. 本稿で使用した写本の使用および複写の許可をいただいた各関係機関には,ここに記して謝
意を表したい.
1)マヘーシュヴァラーナンダの年代に関して,Sanderson(2007, 412–416)を参照. 2)バッターラカ・スンダラの年代に関して,Ratié (2019, 327–329)を参照. 3)No. B. 167, Oriental Research Institute Library, Mysore. 4)No. 28. B. 24, Adyar Library, Chennai. 5)Sanderson (2014, 75, fn. 294)を参照. 6)Sanderson (2014, 69, fn. 268)によれば, PPraは,南インドの伝承ではナーガーナンダの著作であり,誤ってクシェーマラージャに 帰せられた.しかし,シャーラダー写本の伝承では,PPraはクシェーマラージャの著作と されている.南インドでは,誤ってアビナヴァグプタに帰せられた作品があり,シヴァ教 文献とその著者に関する混同が見られることを考慮すれば,クシェーマラージャの著作が ナーガーナンダに帰せられた可能性もある.加えて,プンヤーナンダ(ca. 1300–1350)の 『カーマカラーヴィラーサ』に対するナタナーナンダの 釈(Cidvallī)に引用される箇所 (KKV p. 2: tasya antarlīnatvaṃ nāma antarmukhatvam)は,出版されているPPraには見られな
い. 現 状 で は,PPraを ナ ー ガ ー ナ ン ダ の 著 作 と す る こ と に は 注 意 を 要 す る. 7)バースカラカンタの年代に関する最新の研究成果として,Jager (2018, 8–15)を参照. 8)Bh II p. ixによれば,行為章の部分は,Bhの写本にも失われているのに対して,真理要 約章の部分は,出版社のもとで失われた.したがって,後者の部分に関しては,写本に 残っている.このことは,現在Oriental Research Library, Srinagarに所蔵されいてる写本 (No. 1655)に確認できる. 9)ĪPV帰敬偈に対するVyについては,Kawajiri 2012を
参 照 せ よ. 10)See Bh II, p. xii. 11)See Vy p. 522. 12)See Vy p. 55. 13)Sanderson (2014, 69, fn. 268)を参照. 14)See R4V p. 119. 15)See MAMP on
MAM 8, p. 24. 16)See Vy p. 137. 17)See Vy p. 520–521. 18)See Kawajiri (2012, 382). 19)See Kawajiri (2012, 382–383).
〈略号表〉
Bh Bhāskarī by Bhāskarakaṇṭha. Īśvarapratyabhijñāvimarśinī of Abhinavagupta. Ed.
K.A.Subramania Iyer and K.C. Pandey. 2 vols. Delhi: Motilal Banarsidass, 1986.
ĪPK Īśvarapratyabhijñākārikā by Utpaladeva. The Īśvarapratyabhijñākārikā of Utpaladeva with the Author s Vṛtti: Critical Edition and Annotated Translation. Ed. Raffaele Torella. Delhi:
Motilal Banarsidass, 2002.
ĪPViv Īśvarapratyabhijñāvivṛti by Utpaladeva.
ĪPV Īśvarapratyabhijñāvimarśinī by Abhinavagupta. The Īśvarapratyabhijñā of Utpaladeva, with Commentary by Abhinavagupta. Ed. Mukunda Rām Shastri. 2 vols. KSTS 22, 33. Bombay:
Nirnaya Sagar Press, 1918–21.
KKV Kāmakalāviālsa by Puṇyānanda. The Kāmakalāvilāsa of Punyananda with commentary. Ed.
Mukunda Rāma Shāstrī. KSTS 12. Bombay: Tatvavivechaka Press, 1918. KSTS Kashmir Series of Texts and Studies.
MAM Mahārthamañjarī by Maheśvarānanda. See MAMP.
MAMP Mahārthamañjarīparimala by Maheśvarānanda. Mahārthamañjarī of Śrīmaheśvarānanda
with the Auto-commentary parimala. Ed. Vrajavallabha Dviveda. Varanasi: Research
Insti-tute, Sampurnananda Sanskrit University, 1992.
PPra Parāprāveśikā by Kṣemarāja. The Parāprāveśikā of Kṣemarāja. Ed. Mukunda Rāma
Shāstrī. KSTS 15. Bombay: Tatvavivechaka Press, 1918. PT Parātriṃśikā. See PTLV.
Laghuvṛtti by Abhinavatupta. Ed. Zadoo Shāstri. KSTS 68. Srinagar: Mercantile Press, 1947.
R4V R4juvimarśinī by Śivānanda. Nityāṣoḍaśikārṇava. Ed. Vrajavallabha Dviveda. Varanasi:
Sampurnananda Sanskrit Vishvavidyalaya, 1985.
Vy Īśvarapratyabhijñāvimarśinīvyākhyā. Government Oriental Manuscripts Library, Chennai,
No. 4353, paper, devanāgarī script.
〈参考文献〉
Jager, Stanislav. 2018. Bhāskarakaṇṭhas Cittānubodhaśāstra. Marburg: Indica et Tibetica Verlag. Kawajiri, Yohei. 2012. A Critical Edition of the Īśvarapratyabhijñāvimarśinīvyākhyā on the maṅgala
verse of the Īśvarapratyabhijñāvimarśinī. In Saṃskṛta-sādhutā Goodness of Sanskrit: Studies in
Honour of Professor Ashok N. Aklujkar, ed. C. Watanabe, M. Desmarais and Y. Honda, 368–396.
Delhi: D. K. Printworld.
Ratié, Isabelle. 2013. On reason and scripture in the Pratyabhijñā. In Scriptural Authority, Reason
and Action. Proceedings of a Panel at the 14th World Sanskrit Conference, Kyoto, September 1st–5th
2009, ed. V. Eltschinger and H. Krasser, 375–454. Wien: Verlag der Österreichischen Akademie der
Wissenschaften.
―. 2019. For an Indian Philosophy of Margins: The Case of Kashmirian Sanskrit Manuscripts. In L espace du sens: Approches de la philologie indienne. The Space of Meaning: Approaches to
Indi-an Philology, ed. Silvia D Intino Indi-and Sheldon Pollock, 305–354. Paris: Collège de FrIndi-ance Indi-and
Diffu-sion De Boccard.
Sanderson, Alexis. 2007. The Śaiva Exegesis of Kashmir. In Mélanges tantriques à La mémoire
d Hélène Brunner, ed. D. Goodall and André Padoux, 231–442, and 551–582. Pondicherry: Institut
français d Indologie/École française d Extrême-Orient.
―. 2014. The Śaiva Literature. Journal of Indological Studies 24/25: 1–113.
(本稿は,令和元年度科学研究費補助金基盤研究(C)19K00074(研究代表者: 川尻洋平) による成果の一部である.)
〈キーワード〉 Īśvarapratyabhijñāvimarśinīvyākhyā,アビナヴァグプタ,Parātriṃśikā