捨堕法「雨浴衣戒」の考察
佐々木 閑
1.総論
本稿では,波羅提木 の捨堕法に含まれる「雨浴衣戒」を取り上げ,その学処 が律によって5通りもの異なったかたちで解釈されているという事実を指摘する 1).特にその解釈の多様性が『十誦律』と「根本説一切有部律」において顕著に 表れていることから,今回の研究結果は有部内の律の系統を解明する上で重要な 情報となることが期待される2). パーリ律,『四分律』,『五分律』,『摩訶僧 律』では,雨浴衣の保持期間を次 のように定めている.「熱季が終わるまであと1ヶ月(前安居開始まで1ヶ月)とい う時点で雨浴衣を求めることを許す.これ以前に雨浴衣を求めたなら捨堕であ る.また,熱気があと半月で終わって雨季に入るという時点(前安居開始まで半 月)で雨浴衣を作り,着用することを許す.これ以前に雨浴衣を作り,着用した なら捨堕である」. 言い換えると,雨安居(ここでは前安居)に入る1ヶ月前から雨浴衣を求めるこ とが許され,半月前から雨浴衣を作製し着用することが許されるということであ る.そしてそれ以前に求めたり,あるいは作製・着用したなら捨堕になるという のである3). なお,Vin 1. 297においては,「雨浴衣は雨季の4ヶ月間,雨浴衣としての所有 が認められ,それを過ぎたら浄施(vikappanā)せよ」と定められている.した がってこの規定と捨堕第24条を勘案すると,比丘の雨浴衣は雨季の半月前から, 雨季終了までの4ヶ月半の所有が認められていたことになる.所有許可期間が 4ヶ月半であることは『五分律』も明記している4). パーリ律,『四分律』,『五分律』,『摩訶僧 律』の4本の律に関しては,解釈 はすべて共通しており,特段の違いはない.しかし『十誦律』と「根本説一切有 部律」の2本の律では,これと全く異なる解釈が示されている.平川彰は,この点に関して次のように論じている. (平川の見解): 捨堕「雨浴衣戒」に関して,『十誦律』と「根本有部律」の2 本はパーリ律などとは異なる解釈を示している.この2本の律では,「熱季があ と1ヶ月という時点で雨浴衣を求めることを許す」という部分は同じだが,その あとの,「熱気があと半月で終わって雨季に入るという時点で雨浴衣を作り,着 用することを許す」という規定はなく,代わりに全く別の,「雨季が終わった後 さらに半月は,雨浴衣を着用することを許す.それを越えて着用したなら捨堕で ある」という規定になっている5). この平川の見解に従うなら,『十誦律』と「根本有部律」だけは,雨季に入る 1ヶ月前から雨浴衣を求めることが許され(おそらくは受用も許され),そうして 作った雨浴衣は,雨季が終わったあとさらに半月は使用が許されるということに なる.したがって使用可能期間は5ヶ月半ということになる. 確かに平川の言うような解釈が「根本説一切有部律」に出ているのは事実であ るが,情報としては不十分である.実際の状況ははるかに複雑であって,まず, 『十誦律』については,平川の説は全く間違っている.『十誦律』およびその付属 文献中に,平川が言うような解釈は見当たらない.『十誦律』の場合,原則は パーリ律などと同じである.ただし,付属文献である『薩婆多毘尼毘婆沙』によ ると,パーリ律などがその保持期間を「雨安居開始の半月前から雨期終了までの 4ヶ月半」とするのに対し,それを「雨安居開始の半月前から雨安居終了までの 3ヶ月半」とするのである.さらに『 婆多毘尼毘婆沙』は,「律師の説」として 全く別個の解釈も紹介する.したがって『十誦律』系統の文献には,パーリ律な どとは異なる解釈が2つ提示されているということになる. 一方「根本説一切有部律」では,パーリ律などが示す解釈とも,そして『十誦 律』系統の文献に現れる二種類の解釈とも違う,さらに別の解釈を示す.しかも それが「根本説一切有部律」の漢訳とチベット訳で相違している.つまり「根本 説一切有部律」の中に,さらに2種類の独自の解釈が現れているということであ る.したがって,総計で5種類の異なる解釈が存在していることになるのであ る.以下,『十誦律』と「根本説一切有部律」の状況を詳細に見ていく. 2
.『十誦律』
『十誦律』本体は,学処でパーリ律などと同じ規定を語っており,特段変わっ た記述は見られない.しかし『十誦律』を注釈する『 婆多毘尼毘婆沙』は,パーリ律などとは異なる解釈を示す.『十誦律』の学処と,『 婆多毘尼毘婆沙』 の関連する注釈文をまとめて以下に提示する. 『十誦律』尼 耆波夜提 第28条(梵文戒経は第26条)6) 若比丘春殘一月.應求作雨浴衣.半月應受持.若比丘未至春殘一月求作.過半月受持者. 尼 耆波夜提. 熱季があと1ヶ月という時,比丘は雨浴衣を求めてもよい.そして雨季まであと半月とい う時,受持してもよい.もしも比丘が,熱気の1ヶ月前以前に雨浴衣を求めたり,雨季ま であと半月以上ある時に受持したなら,尼 耆波夜提である. この条文の意味を『 婆多毘尼毘婆沙』は,「雨安居(ここでは前安居)に入る1ヶ 月前から雨浴衣を求めることが許され,半月前から雨浴衣を作製し着用すること が許される」と注釈する.これはパーリ律などと全く同じ解釈である7).しか し,『 婆多毘尼毘婆沙』ではそのあと,雨浴衣を使用できる期間に関して, パーリ律などとは異なる解釈を示す. 若前安居.至四月十五日應如法受持.到七月十五日.應著一處不應畜用.若畜用者突吉 羅.(T23: 538c19) もし前安居するなら,4月15日に[雨浴衣を]如法に(=「正式に」の意味か)受持し,7月15 日になったら一処に置かねばならない.所有していてはならない.もし所有し続けたなら 突吉羅となる. 若後安居.從四月一日至五月十五日.四十五日畜.至七月十五日.應擧一處不應畜用次第 如前安居法.(T 23: 538c22) もし後安居するなら,4月1日から5月15日までの45日間は持っておけ.そして7月15日 になったら,一処に置かねばならない.所有していてはならない.以下,前安居法の場合 と同じである. これらの記述により,『 婆多毘尼毘婆沙』は雨浴衣の所有期間を4月1日から 7月15日までと定めていたことが分かる.雨安居が始まる1ヶ月前から雨浴衣を 求め,半月前から雨浴衣の受用を認めるという点はパーリ律などと同じなのであ るが,いつまで雨浴衣を使うことができるかという点で,それがパーリ律などよ り1ヶ月短く設定されているのである. さらに『 婆多毘尼毘婆沙』では,この独自の解釈の他,「律師」の説として また別の解釈が紹介される.「律師」によると,雨安居に入る1ヶ月前から雨浴 衣を求めることも作ることも保持することも許されるという8). そして条文中の,「熱季があと半月となる時以前,(つまり雨安居に入る半月前以
前に)雨浴衣を蓄えたなら捨堕になる』という学処の言葉は,閏月のせいで規定 期間を超えて保持してしまった場合の規定だ,という.普通の月よりも期間の長 い閏月のせいで,雨安居に入る前に規定の半月よりも長く雨浴衣を所持してし まった場合のことを言っているのだというのである. 過半月畜捨墮者.律師云.諸論師謂閏三月於前三月十六日求作雨衣.至三月盡作衣已竟. 至後三衣便受用.至後三月盡從受來.尼 耆波逸提.求來作來突吉羅.是名過半月畜.(T 23: 539a3) 「雨季まであと半月以上ある時に受持したなら,尼 耆波夜提である」という文言に関し て律師は,「諸の論師は次のように謂う.『閏の3月の場合,その前半が始まる3月16日に 雨衣を求めて作り,その3月前半が終わるまでに雨衣を作り終え,3月(3衣?)後半に なってそれを受用した場合,3月後半が終わって受用し続けたなら尼 耆波逸提であり, 求め続けたり作り続けたりしたなら突吉羅である.これを,雨季まであと半月以上ある時 に受持すると言う』と云う. このあとも『 婆多毘尼毘婆沙』は閏月の場合に関する事例判断が延々と続 き,そのままこの第28条に対する注釈は終わる.文中の律師の説がどこまでな のか,区切りがはっきりせず,文意不明確ではあるが,ともかく条文中の「雨季 まであと半月以上ある時に受持したなら,尼 耆波夜提である」という一文を, 閏月の特殊事例に関する規則だと解釈していることは間違いない. 3
.「根本説一切有部律」
一方「根本有部律」になると,学処の条文自体は『十誦律』といくぶん類似し ているにもかかわらず,解釈が全く違った独自のものとなる.しかも同じ「根本 有部律」の中に,2種類の異なる解釈が表れてくるのである.まず条文を提示す る. 『根本説一切有部毘奈耶』 泥 波逸底 第28条 若復苾芻春殘一月在應求雨浴衣.齊後半月來應持用.若苾芻未至春殘一月.求雨浴衣.至 後半月・仍持用者泥 波逸底 .(T 23: 757a9)māsyaḥ śeṣo grīṣmāṇāṃ bhikṣuṇā varṣāśāṭīcīvaraṃ paryeṣitavyam ardhamāsāvaśiṣṭā kṛtvā dhārayitavyam. arvāk ced bhikṣuḥ māsyaḥ śeṣo grīṣmāṇāṃ varṣāśāṭīcīvaraṃ paryeṣeta, ūrdhvam ardhamāsāvaśiṣṭāvarṣāḥ kṛtvā dhārayen naisargikā pāyantikā. (Banerjee 1977: 31)
dge slong gis so ga rnams kyi zla ba gcig lus na dbyar gyi gos ras chen btsal bar bya'o/ dbyar zad nas 'og tu zla ba phyed kyi bar du bcang bar bya'o/ gal te dge slong gis so ga rnams kyi zla ba gcig lus pa'i
sngon rol du dbyar gyi gos ras chen tshol bar byed dam/ dbyar zad nas 'og tu zla ba phyed las 'das par 'chang na spang ba'i ltung byed do/ (D cha 202b4; Stog cha 178a3)
熱季があと1ヶ月という時,比丘は雨浴衣を求めてもよい.[雨季を]半月残した時を限度 として(or半月過ぎた時を限度として),受持してもよい.もしも比丘が,熱気の1ヶ月前 以前に雨浴衣を求めたり,雨季を半月残した時(or半月過ぎた時)以降に受持したなら, 尼 耆波夜提である. この条文に対する経分別部分を見ると,条文の前半を,「熱季があと1ヶ月(前 安居開始まで1ヶ月)という時点で雨浴衣を求めることを許す.これ以前に雨浴衣 を求めたなら捨堕である」と解釈するところはパーリ律などと同じだが,下線部 の「半月」云々という文言に関しては,「根本有部律」独自の,しかも漢訳とチ ベット訳で,互いに相容れない二種類の解釈が表れているのである. その二種類の解釈とは,「雨安居が終わる半月前まで雨浴衣の使用を許す.そ れ以降,使用した場合は捨堕になる」とするものと,「雨安居が終わってから半 月後まで雨浴衣の使用を許す.それ以降,使用した場合は捨堕になる」と解釈す るものである.前者は漢訳『根本説一切有部毘奈耶』に表れる.泥 波逸底 第28条の経分別部分である. 春殘一月者.謂去安居有一月在.即是從四月十六日至五月十五日.應求雨浴衣者.謂洗浴 物.齊後半月來應持用者.指用分齊.謂有半月在當作隨意事.謂從八月一日已去.(T23: 757a13) 「熱季があと1ヶ月という時」とは,安居まで1ヶ月ある時をいう.すなわち4月16日から 5月15日である(根本有部律の暦法は,他の律より1ヶ月遅くなるので,これは他律の3月 16日∼4月15日に相当する).「雨浴衣を求めてもよい」とは,雨を浴びて身体を洗うため の物である.「後半月を限度として,受持してもよい」とは,使用する限界を指している. すなわち,随意事(自恣)までにあと半月という時,つまり8月1日が過ぎた時点である. 一方,後者の解釈は同じ『根本説一切有部毘奈耶』のチベット訳に現れる. dbyar zad nas 'og tu zla ba phyed kyi bar du bcang bar bya'o zhes bya ba ni dgag dbye byas nas zla ba phyed kyi bar du'o/
雨季が終わってから後,半月の間は所有せよ,とは自恣をしてから半月の間である.(D
cha 202b7; Stog cha 178a6)
自恣のあと半月は受持してもよいというのであるから,受持期間は雨安居終了後 半月まで,ということになる.そして『根本 婆多部律攝』は,その漢訳もチ
ベット訳もそろって後者の解釈を支持している.
言後半月者.謂去隨意日餘有半月在.齊此應用.過此用者得捨墮罪.(T 24: 565b23)
「後の半月」というのは,随意(自恣)の日からさらに半月過ぎた時である.これが限界で あり,これを過ぎてまだ使用した者は捨墮罪になる.
dbyar zad nas 'og tu zla ba phyed kyi bar du bcang bar bya'o zhes bya ba ni dgag dbye byas nas zla ba phyed kyi bar du'o/
(D nu 172b2) 雨季が終わってから後,半月の間は所有せよ,とは,自恣をしてから半月の間である. 4
.結語
1本の学処が5とおりにも解釈されている例を提示した.結果は以下のとおり. 1) パーリ律,『四分律』,『五分律』,『摩訶僧 律』: 雨安居に入る1ヶ月前から 雨浴衣を求めることが許され,半月前から雨浴衣を作製し着用することが許 される.違反すれば捨堕になる.雨浴衣の所持が許可される期間は,雨安居 の半月前から雨季が終わるまでの4ヶ月半である. 2)『十誦律』の注釈書『 婆多毘尼毘婆沙』の説: 条文の解釈は上の1)と同じ だが,雨浴衣の所持期間は,雨安居の半月前から,雨安居が終わるまでの 3ヶ月半とされる. 3) 同じ『 婆多毘尼毘婆沙』で紹介される律師の説:「雨安居に入る1ヶ月前か ら雨浴衣を求めることが許される」というのは1),2)と同じだが,「半月前 から作製し着用せよ」という部分を閏月の特殊な場合の規定と解釈する. 4)『根本説一切有部毘奈耶』のチベット訳,および『根本 婆多部律攝』(漢訳, チベット訳とも)の説: 雨安居に入る1ヶ月前から雨浴衣を求めることが許さ れ,雨安居が終わってから半月後まで所有が許される.違反したら捨堕. 5)『根本説一切有部毘奈耶』漢訳の説: 雨安居に入る1ヶ月前から雨浴衣を求 めることが許され,雨安居が終る半月前まで所有が許される.違反したら捨 堕. 律蔵経分別には,平川彰の『二百五十戒の研究』では言及されていない重要情報 が数多く存在している.それを丹念に調査していくことで,律蔵の変容過程をよ り精密に解明していくことができるであろう. 1)雨浴衣については佐々木1999: 128–129, 267.2)『十誦律』と「根本有部律」の関係性に関してはすでにいくつかの論文を発表している. 佐々木2000, 2017a, 2017b, 2018a, 2018b. 3)他の律の対応箇所:『四分律』T 22: 628c24–630b27;『五分律』T 22: 32b8–33b13;『摩訶 僧 律』T 22: 319c1–320b5 (Tatia1975: 17). 4)T 22: 33b10. 5)平川1993: 463–465. 6)T 23: 59a9; Simson 2000: 200. 7)T 23: 538c11. 8)T 23. 538c15. 略号
D Sde dge edition of the Tibetan Tripiṭaka. Stog The Tog Palace Manuscript of the Tibetan Kanjur.
Vin The Vinaya-Piṭakaṃ, ed. H. Oldenberg, London [1879–1883] 1969–1982. 〈一次文献〉
Banerjee, Anukul Chandra. 1977. Two Buddhist Vinaya Texts in Sanskrit, Prātimokṣa Sūtra and Bhikṣukarmavākya. Calcutta: The World Press Private Limited.
Simson, Georg von. 2000. Prātimokṣasūtra der Sarvāstivādins II. Göttingen: Vandenhoeck & Rupt-echt.
Tatia, Nathmal. 1975. Prātimokṣasūtram. Patna: K. P. Jayaswal Research Institute. 〈参考文献〉 佐々木閑1999『出家とはなにか』大蔵出版. ― 2000「婆沙論と律」『印度学仏教学研究』49(1): 86–94. ― 2017a「学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類」『印度学仏教学研究』65(2): 230–237. ― 2018a「『根本説一切有部毘奈耶』波 底 21条におけるチューラパンタカの物語 ―「根本有部律」の編纂目的との関係において―」『インド学チベット学研究』21: 1–28.
Sasaki Shizuka. 2017b. Analytical Study of the Monks pācittiya波逸提Rulus. In Medieval Tradi-tions of Buddhist Monastic Regulation, eds. Susan Andrews, Jinhua Chen, and Cuilan Liu, Rules of Engagement, Hamburg Buddhist Studies 9, 317–331. Bohum; Freiburg: Projectverlag.
―. 2018b. Who Used the Sarvāstivāda Vinaya and the Mūlasarvāstivāda Vinaya? In Reading Slowly, A Festschrift for Jens E. Braarvig, eds. Lutz Edzard, Jens Borgland, Ute Hüsken, 357–373. Wiesbaden: Harrassowitz Verlag.
平川彰1993『二百五十戒の研究II』春秋社.
〈キーワード〉 雨浴衣,捨堕,律師,『 婆多毘尼毘婆沙』