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公共性の変容と市町村合併 [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)「公共性の変容と市町村合併―福津市を事例にして―」 キーワード:規範、価値、公共性、市町村合併. 発達・社会システム専攻 田名橋 真敏 1, はじめに. ステム内部における人々の欲求構造や価値構造や権力構. 市町村合併の歴史を振り返ると、明治の市町村は大日. 造などの変化の結果が、所得分配や産業構造や教育達成. 本帝国の基礎として、また、戦後の市町村は戦後の民主. などの変化の生ずる原因であるだろうことがわかる(富. 主義の基礎としてやはり上からの合併政策を受けて形成. 永,1995:143) 。特に、社会システム内部における人々の. され、今回の大合併においても分権化社会、福祉社会の. 欲求や価値構造という内生因が多大に影響を与えている. 基礎として国の政策の「受け皿」という意味合いが強い. と考えられる。このように理論的アプローチによって、. (藤田,1982:148)。行政組織によって、市町村、自治体の. 社会システムにおける外生因・内生因と社会変動(現象). 姿が変化してきた。このことを考えると、市町村合併は. との関係はさまざまに論じられているが、実証的な研究. 意図的社会変動であるといえる。意図的社会変動とは、. はあまり進んでいない。この理由として、分析対象の範. 社会の中の特定の行為主体が何らかの意図ないしは目的. 囲の広大さが挙げられる。分析対象の範囲が広大である. を持って社会を変動させようとする社会変動のことであ. ので、実証的研究は困難さを極めている。しかし、市町. る(佐藤,1998:2)。社会運動や社会計画がその典型例であ. 村合併において、分析対象の範囲を決定することは容易. る。つまり、平成の市町村合併は分権化社会、高齢化社. である。ここに本研究の意義を見つけることができる。. 会に対応する基盤を各市町村が持ち合わせるために行政. 本研究では、社会システム内部における人々の価値構造. 組織が行為主体となって実施する社会計画であるといえ. の変化を探求し、内生因と市町村合併との関係を理論的、. る。研究者は、この社会変動がどういう場合に起きるの. 実証的に明らかにしていく。. かを一般的に説明することに力を注いできた。富永は構 造機能主義の立場に立って社会変動を説明している。 「人 間の行為は、孤立した単独者の行為でない限り、複数の 他者との相互行為となる。この複数の他者との相互行為. 2. 市町村合併における現状 明治 11 年末、当時の記録によれば、全国の町村数は、. は、地位・役割・社会関係の形成に向かって、制度的に. 71,314 あったとされている。これらの町村は、江戸時代. 枠付けされていく。この制度的枠づけが、人間の行為を. の自然発生的な町や村をそのまま受け継いだものである。. 「構造化」するのである。その制度化された地位・役割・. しかし、時の明治政府は近代的な自治制度として市制・. 社会関係の形成が結晶化して「社会構造」である。この. 町制を施行し、市町村で戸籍や小学校教育などの事務処. 社会構造が技術や経済や政治や文化など社会システムに. 理が可能な行財政基盤を築くため、全国的に市町村合併. とっての環境の変化(外生因)と社会システム内部に生. を断行した。この結果、市町村の数は 15,859 となり、5. じた人々の欲求や価値や権力構造の変化によって社会変. 分の 1 に減少した。これが「明治の大合併」である。明. 動を遂げていく(富永,1995:141) 。 」とし、社会変動が外. 治の大合併の後も全国各地で市町村合併は進み、大正 11. 生因と内生因によって生じるであろうと論じている。ま. 年には 12,315 となり、さらに、第二次世界大戦の終わっ. た、この外生因や内生因の結果、より高度のシステム能. た昭和 20 年には 10,520 と減少していく。そして、戦後. 力の達成の為にもはや適合的でなく、社会シ. の新憲法のもと、新制中学の設置や自治体警察の創設事. ステムは現行の構造を変える機能的必要に直面している. 務などの事務が市町村で処理されることとなり、地方自. と多くのシステム成員が判断するようになったときに生. 治の確立が大きな課題となった。しかし、当時は町村の. じるとしている(富永,1995:143) 。. 行政規模がきわめて小さく行財政能力も乏しい町村が多. 上述のことを考えると、市町村合併は安易に国(中央. く、こうした新たな事務や権限を円滑に受け入れる体制. 官庁)によって意図的・計画的につくりだされるといっ. を整備することが急務となった。そこで、昭和 28 年 10. た単純なものではあり得ないことがわかる。そうではな. 月、新たに「町村合併促進法」が制定され、全国一律に. く、社会システムにとっての様々な環境変化や、社会シ. 人口 8,000 人を標準として町村合併を進めることとなっ.

(2) た。これにより昭和 28 年には 9,868 あった市町村の数が. 由で平等な市民による自己呈示の場「他人と取り替える. 昭和 36 年には 3,472 と減少した。これを「昭和の大合併」. ことのできない真実の自分を示しうる唯一の場所」を指. と呼んでいる。時代の変化に応じて、合併、再編を繰り. していた。近代国家の出現とともに公私の区別が消失し、. 返してきたことが概観できる。そして、またここ数年、. 生命維持と経済活動に奉仕する領域が公的な政治性をま. 市町村合併について論議が様々に展開されている。前述. とって新たに「社会」的領域として台頭し、大衆社会の. の通り、日本には明治、昭和の二回、大きな市町村合併. 中で公的領域のみならず私的領域をも破壊しつつある、. の歴史がある。そして今三度目の波が起きている。政府. というのがアーレントの時代診断であった(Arendt1958)。. は市町村合併特例法に様々な合併優遇策を盛り込んでい. このアーレントの議論をふまえて、ポリスの理想化と〈政. る。起債発行額の 7 割の償還を国が負担する特例債の発. 治/経済〉二元論を避けながら、公的領域と私的領域の. 行(合併後新たに必要な公共施設等(市役所建設等)の. 分離・浸食の問題を、より抽象度の高い「公共性」論と. 整備事業については 95%の充当率で起債発行を認め、そ. して提起したのがハバーマスである。 『公共性の構造転. の元利償還金の 70%は交付税で措置する、つまり国が借. 換』でのハバーマスの目的は、ポリス的公共性に代わる. 金の支払いを肩代わりする)や、合併後 10 年間の地方交. 近代的公共性としての「市民的公共性」の形成と意義を. 付税額の維持等(合併から 10 年間は合併時の市町村の交. 明らかにし、続いてその現代的腐食と危機に対して警鐘. 付額合算額を保障し、その後 5 年間段階的に増加額を縮. をならすことにあった。彼は、社会分化にともなう政治・. 減するというもの)がそれである。一方で、合併しない. 経済システムの自律化を避けられない事態として承認し、. 小規模な市町村に交付税削減という「圧力」をかける。. その上で権力や貨幣に影響されない自由で平等なコミュ. この合併特例法の期限切れが 2005 年 3 月に迫るなか、財. ニケーションから生まれる理性的合意に公共性を付託し. 源の多くを国に依存せざるを得ない各市町村は正面から. ようとした(三上 2003) 。. 合併問題に向き合うこととなっている。. これらからみられるのは、公共性が語れる文脈として 次の 2 つがあることである。一つには、 〈共同体−市民社 会〉という文脈であり、もう一つは、近代社会の中核的. 3. 現代社会における市町村合併という現象. 原理たる〈個人主義〉の文脈である(友枝 2003) 。こう. 現代社会は、高度情報社会、グローバル社会、高齢化. した文脈で語られるのだが、市民革命を経験しないまま. 社会である。その中で、平成の市町村合併という現象は. に近代化を進めた日本では、欧米のような市民社会の形. 登場してきた。なぜ、市町村合併という現象が現代社会. 成が十分になされなかった。明治以来長らく、 「公」とは. に登場してきたのだろうか。今回の市町村合併は、分権. 天皇を頂点とする国家官僚制のことをあらわし、公益と. 化社会、福祉社会に対応するための合併であることがい. は国家利益のこととされてきた。第二次世界大戦後の民. われている。これを否定的に捉えることはできない。し. 主化によってこうした体制は形式的には崩壊したが、現. かし、そこにはこの市町村合併という現象を生じさせた. 実的には行政管理的な公共性の概念が残存している。も. 人々の意識(内生因)が必ず存在している。その意識の. っとも、欧米諸国で発達した市民的公共性も、資本主義. 中でも公共性観の変容が現代の市町村合併に大きく関係. 経済の矛盾が表れ始めた 19 世紀後半から揺らぎだした。. していると考えられる。そこで、次に市町村合併をもた. とくに、1930 年代の世界大恐慌により市場がアナーキー. らしたエートスと考えられる公共性観を探っていく。公. 状態陥ったこと、ファシズムの猛威により市民社会が大. 共性論を現代社会固有の問題として社会科学の俎上に載. きな挑戦を受けたことを契機として、政府の権限が増大. せたのは、H・アーレントとハバーマスである。アーレン. し私的領域への介入が肥大化した。かくして、公共政策. トは、 『人間の条件』において、ギリシャのポリスを理想. を通じた市民生活の安定と福祉の向上を図る仕組みが拡. とする公的領域と私的領域の区別に立脚することで、公. 大し、市民的公共性も後退を余儀なくされた。. 共性論に先鞭をつけた。アーレントによれば、ポリスに. もう一つの文脈においても、公共性の現実味が失われ. おける公的な活動は、明確に私的な生活圏から区別され. つつある。旧来の公共性の特徴は、 「私」と対立したかた. ている。私的な生活は、生命維持と自然的必要によって. ちでの「公」を問題とすることにあった。私事(わたく. 支配された経済的生活としてあり、家長とそれ以外の家. しごと)とは別に公(おおやけ)が存在し、私事を越え. 人・奴隷との間の厳格な不平等に基礎を持ちつつ、自ら. た問題に参加することが公共的関心を示すことであった。. の個性を他の市民から認知される自由と平等性を文字通. しかし、個人主義化が進んだ現在において、この意味で. り「奪われた」活動領域としてある。それとは、対照的. の「公」と「私」の対立を前提することは困難になって. に、公的生活は広場において家長によって演じられる自. きた(今田 2001) 。ここまで公共性の概念そして公共性.

(3) が語られる文脈についてふれてきたが、ここから二つの. えることは困難になっている。個人の中の公共性を考え. ことがいえる。. る、例えば今田の自発支援型のような公共性は現代の公. ひとつには、 「公共性とは、公が国(官)であり、私が. 共性を考える際に大きな助力となる。また、阿部潔も『日. 民である」ことである。これは、日本特有の公共性観で. 本における公と私』 ( 「高度情報化社会としての日本にお. ある。そして、ふたつは「公共性とは、公が社会であり、. ける公と私」 )において今田と同じ文脈で公共性を捉えて. 私が個人である」ということである。これは公共性の普遍. いる。阿部は、高度情報化社会のもとでの公私を精神次. 主義的特徴であり、個人と社会をつなぐ在り方である。. 元、関係次元、身体次元の三つの次元から捉えている。. そして、この問題を考える際、個人から出発する必要が. 精神次元では、高度情報化社会での情報過多/情報プレ. ある。なぜなら、社会は個人の集合によって形成される. ッシャーへの対応の中で、二つの「公私」の境界付けが. からである。近代において、人々が伝統から脱却し、個. みられると述べている。ひとつに、私的領域を複雑なも. 人の「伝統からの脱却」がみられる。伝統の呪術化から. のにしてしまうことによって、公的領域と私的領域との. 解き放された個人は自由な存在として位置づけることが. 境界付けをする「保身/保心」としての私的領域へと耽. できる。ウェーバーは、近代化の過程を合理化というキ. 溺することである。そして、もう一つが、外部の複雑性. ー概念で説明したが、個人が合理的になった結果、個人. を高めることでの境界付けをする「無心/無身」として. の自己充足的価値を肥大化させた。個人は社会秩序とい. の公的領域への没頭することである。また、関係次元に. う目標に対して合理的に思考するのではなく、自己の充. おいては、電子ネットワークによる「公私」境界の揺ら. 足という目標に向けて合理的に思考するようになったか. ぎをみることができるとし、これをインターネットにお. らである。自由な存在である個人の集合はどのように社. ける「露出系の人々」にみられる「公」の私化と捉えて. 会を形成するのだろうか。また、自由な存在である個人. いる。そして、身体次元においては、高度情報化/記号. によって、社会秩序は形成されるのだろうか。これらの. 化による二つの「身体の揺らぎ」をみることができる。. 安定的な社会を形成するためには何が必要なのだろうか。. ひとつに、モバイル化とナルシシズム化との齟齬による. 「私」からの公共化に目をむける必要がある。今田は、. 「公的場面での私的行為」の日常化である。もうひとつ. 1980 年代以降の市民サイドから支援活動に対する自発的. が、 「私秘化」と「公然化」の同時進行による「私的場面. な取り組みがなされるようになったこと、とくに公益性. での公に向けた行為」の台頭である。 (阿部 2003) 。今田. の高いサービスの供給に関して、行政に頼っていたので. においても阿部においてもみられるのは、 「私」の中から. は、必要な時にサービスを受けられないことが多く、サ. 「公」が生じてきている現象である。このことを考える. ービスに対するニーズとその提供に時間的なミスマッチ. と、公共性が変容していることがわかる( 「公」から「公」. が発生する。そこで、行政に頼らず自分たちの力で対処. →「公」から「私」→「私」から「公」 ) 。この公共性の. する動きがあることを取り上げて、これを〈自発支援型. 変容と市町村合併とがリンクしていると考えられる{明. の公共性〉と呼んだ。今田は「私」と対置された「公」. 治・昭和(戦前)の市町村合併( 「公」から「公」 )→昭. を前提としない公共性の在り方をケアと支援の中に求め. 和(戦後)の市町村合併( 「公」から「私」 )→平成の市. ている。支援とは、意図を持った他者の行為に対する働. 町村合併( 「私」から「公」 ) } 。. きかけであり、その意図を理解しつつ、ケアの精神を持. 現代の市町村合併は、高齢化社会、グローバル社会、. って行為のプロセスに介在し、その行為の質の維持・改. 高度情報化社会に対する不安定な状況において生じてき. 善を目指す一連のアクションであると同時に、他者のエ. た。ここで、現代の市町村合併が生じた要因として二つ. ンパワーメントを図ることを通じて、自らもエンパワー. の事柄が考えられる。ひとつに、ケアと支援における自. され自己実現することである。エンパワーメントとは、. 発的公共性による「私」からの公化である。高齢化社会. 人がことがらをなす力、生きる力を獲得することである. において、高齢者をケアすること、支援することは、諸. (今田 2003) 。なぜ、この今田の自発支援型の公共性に. 個人にふりかかる問題である。高齢者に対するケアと支. 注目するのか。ハバーマスやメルッチにおいては「公共. 援は、 「私」からの公化を意味すると同時に、個人、個人. 性は、 『私』に立脚しつつも『私』を超えた社会的連帯を. がばらばらになった社会の中で、高齢者に対するケアと. 可能にする契機である」とし、ハバーマスは「合意」に、. 支援は「私」の安定を意味する。たとえば、ボランティ. メルッチは「集合アイデンティティ」に社会的連帯の可. アは他者のためにおこなう行為と位置づけられているが、. 能性をみた。ハバーマス、メルッチにおいても近代とい. それだけではなく自己のためにおこなっている行為でも. う時代にはある一定の説得力を獲得できたが、現代は個. ある。ボランティアをすることによって、自分らしさを. 人主義が蔓延し、集合体(公衆、集団)から公共性を考. 実感するからである。人から「どうもありがとう」や「非.

(4) 常に助かった」という感謝の言葉を投げかけられて、人. えられる。また、 「私」からの公化については、福間地区. 間との触れ合いを実感する。もう一つが自己の存在論的. の若年層、中年層でみられた。重回帰分析の結果から、. 安心による「私」からの公化である。高度情報化やグロ. 若年層では「集団の一員である」 、 「困った人への配慮」. ーバル化によって生じた「私」へのリスクの増大は、個. が弱い規定力であったが、中年層においては、それらの. 人を危険にさらしている。個人が危険にさらされるとき. 項目が市町村合併の賛否を強く規定するものに変容した。. おこなう行為は、社会的連帯をつくりだし、そのリスク. このことから、 「私の公化( 「困った人への配慮=ケアと. に対処することだろう。これらをふまえると、 「平成の市. 支援における自発的公共性による「私」からの公化」 、 「集. 町村合併は、 「私」からの公化が引き起こした現象であ. 団の一員である=自己の存在論的安心による「私」から. る。 」と考えられる。. の公化」 )が市町村合併をもたらしたのではないか。 (仮 説②) 」という仮説を証明することができた。以上から、 これらの要因は市町村合併という現象をもたらした一要. 4. 生活意識と市町村合併に対する調査. 因であると考えられる。. 津屋崎地区では公的領域よりも私的領域を、福間地区 においては私的領域よりも公的領域を重要視しているこ とが明らかになった。つまり、外集団よりも内集団との 関係性を重視する津屋崎地区と内集団よりも外集団との. 5.今後の課題と展望 アンケート調査を実施したが、市町村合併が実施され. 関係性を重視する福間地区との違いがあることがわかる。. てから調査したので、回想データを多く含んでいる。回. また、福間地区、津屋崎地区において、公共性観の違い. 想データを含んでいるということは、人々の意識に市町. をみることができた。その背景には、これらの地域にお. 村合併という現象がすでに影響されていることが考えら. ける社会構造の違いが影響している。つまり、津屋崎地. れる。この点については、プランニングの段階で計画を. 区では、個別主義的な垂直的関係性規範が重いウエイト. 立てる必要があった。また、市町村合併が与える事後的. を占めていることから、高年層が主に「地域」に強く関. な影響に対しても調査する予定であったが、福津市が誕. 与していると考えられる。一方、福間地区においては普. 生してからまだ日が経ってないのでこの事柄については. 遍主義的な水平的関係性規範が重いウエイトを占め、高. 今後の課題としたい。また、実証研究における重回帰分. 年層よりも中年層が中心となって「地域」に強く関与し. 析においては主観的な価値を排除できていない。主観的. ていると考えられる。この結果、津屋崎地区で公共性観. な要素を排除して、分析するためにはどうしたらよいの. が高くなっているのは高年層であり、福間地区で公共性. か考えなければならない。. 観が高くなっているのは若年層、中年層であると考えら. 福津市を研究対象に選別し分析をおこなったが、日本. れる。これらをふまえると、津屋崎地区では内集団との. 全国で市町村合併という現象は実施された。今後はこの. 関係性から培われた公共性観であり、福間地区では外集. 研究から得られた知見を、多数の市町村合併の事例と照. 団との関係性から培われた公共性観であることがわかる。. らし合わせていきたい。福津市が特殊な事例の可能性も. つまり、福間地区においては、中年層が外集団との関係. あり、他の市町村合併と比較する必要がある。このこと. 性から培われた公共性観から生じた普遍主義的価値(水. を今後の課題と展望としたい。. 平的関係性規範)によって、外集団との関係性を重要視 するようになり、 「公的領域を重視する価値観を持ってい れば、市町村合併に肯定的に志向し、私的領域を重視す. 【主要な参考文献】. る価値を持っていれば、市町村合併に否定的に志向す. 作田啓一著,1972,『価値の社会学』岩波書店.. る。 」という結果になったと考えられる。若年層に関して. 佐々木毅,金泰昌編,2003,『公共哲学 3 日本における公と. は、外集団や内集団との関係性が未熟であるために、二. 私』東京大学出版会.. つの回路が考えられる。そして、津屋崎地区において、. 佐々木信夫著,2002,『市町村合併』ちくま新書.. 公的領域、私的領域と市町村合併との関係があまりみら. 山田真茂留,2004,『日本人らしさのゆくえ――価値観調. れなかったのもこれらの社会構造が影響していると考え. 査をもとに』紀要社会学科 第 14 号.. られる。つまり、内集団との関係性から培われた公共性. 『合併に関する住民意識調査(報告書) 』福間町.. (私的領域重視)から生じた価値が二つ(普遍主義的、. 『住民意識調査報告書』福間町・津屋崎町合併協議会.. 個別主義的)に枝分かれしているので、公的領域、私的 領域と市町村合併との関係があまりみられなかったと考.

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※1 13市町村とは、飯舘村,いわき市,大熊町,葛尾村, 川内村,川俣町,田村市,富岡町,浪江町,楢葉町, 広野町, 双葉町, 南相馬市.

以上の基準を仮に想定し得るが︑おそらくこの基準によっても︑小売市場事件は合憲と考えることができよう︒

となってしまうが故に︑

〇齋藤会長代理 ありがとうございました。.

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

① 農林水産業:各種の農林水産統計から、新潟県と本市(2000 年は合併前のため 10 市町 村)の 168