第二次ニューデイールと黒人女性メアリー・マクロ ード・ベシューン : 教育者として、女性運動家と して、連邦政府行政官として
著者 太田 美幸
学位名 博士(歴史学)
学位授与機関 関西学院大学
学位授与番号 34504甲第443号
URL http://hdl.handle.net/10236/00028982
2012角卜層菱 学位 論 文
第 二 次 ニ ューデ イール と黒 人女性 メア リー・ マ ク ロー ド・ ベ シ ュー ン ー 教 育者 と して 、女性 運 動家 と して、連 邦政 府 行 政 官 と して一
関西学院大学文学研 究科
大 田美幸
学位論文
第二次ニ ューデ ィール と黒人女性 メア リー・ マ クロー ド・ ベ シュー ン して、連邦政府行政官 として一
―教育者 として、女性運動家 と
関西学院大学文学研究科
大 田美幸
要 約
メア リー・ マ クロー ド・ベ シュー ンは、1936年 、第二次ニ ューデ ィール の主要 な事業 で あった全国青年局 の黒人部局 の部局長 に就任 した。黒人部局 は、ロー ズ ヴェル ト大統領 の 強力 な リー ダー シ ップの もと、失業者 の多 くを占めた黒人青年 の救済 を 目的 として設 立 さ れ た部局であ る。彼女 は、ベ シュー ン・ ク ックマ ン大学(以下、BCCと略記)を創設 して黒 人教育 に勤 しみ、全国黒人女性会議 を率いて黒人女性 の権利獲得 に尽力 した人物 で、第二 次 ニ ューデ ィール では この黒人部局 を率いて黒人 の救済 に貢献 した人物 である。彼女 は連 邦政府行政官 に任命 され た最初 の黒人女性 で もあるが、本論文 では、第二次ニ ューデ ィー ル期 の黒人の状況 と、黒人の 自立の運動 にベ シュー ンが果 た した役割 について考察 を加 え ることで、ベ シュー ンの連邦政府行政官 としての評価 に一石 を投 じることに したい。
さて、1980年 以後 、黒人史の研 究 は 日覚 ま しい成果 をあげて きてい る。 ことに黒人運動 の研 究は、飛躍的 に進展 した。 しか し、黒人男性 の研 究 と比べ る と、黒人女性 の研 究 は さ ほ ど進 んだ といえない面がある。黒人女性運動 の指導者 たちの伝記 的 な研 究 は多 くなつた ものの、黒人女性 の活動 を歴史 の中に位 置づ ける研 究 はまだまだ少 ない のが現状 で あ る。
メア リー・ マ クロー ド・ ベ シュー ンの連邦政府行政官 としての研 究が進 まなかつたの も例 外 ではない。ただ、ベ シュー ンに関 しては、 ローズ ヴェル トに近 く、体制側 に組 み した者
として、彼女が批判的 に捉 え られ が ちであつた面 も指摘せ ざるをえない。
か くして、本研 究 はベ シュー ンに焦点 を当て ることで、連邦政府 の行政官 となつた彼女 を客観 的 に評価す るとともに、黒人女性指導者 の研 究 にもこたえていきたい。事実、彼女 は行政官 になつて も、教育者 としての、女性活動家 としての活動 を体止 したわ けではない。
む しろ、大学教育の拡充 を通 して、黒人男性 のみな らず黒人女性指導者 を育成 し、ベ シュ ー ンに続 く連邦政府行政官 として登用 してい る。行政府 の部局の長 となった彼女 は、一面 で連邦政府 の意思 を実行 し、少 な くとも結果的には黒人 を民主党へ誘 うことで国家 に組み 入れ る政策 を実施 したが、他面では教育者 として、女性活動家 として培 つてきた方法 を拡
大 し、黒人 の 自立のた めの活動 をま とめあげ、連邦政府 につ なげる役割 を果 た した ことも 特筆 され る。
黒人部局長 としてベ シュー ンは、まず全 ての黒人指導者 を集結すべ く、黒人 の連邦政府 行政官 に よる組織 ブ ラ ック・ キャ ビネ ッ トを結成 し、1937年 黒人運動 の指導者 を集 める黒 人全体会議 を開催 した。
そ して各州 に連邦 の黒人部局 の下部組織 (州黒人部局
)を
立 ち上 げて教育プ ログラムを実施す るにあた り、ベ シュー ンは、黒人州統括官 な らび にその他 の重要な役職 に、上記 の黒人会議 で過 半数 を占めた東部 の黒人男性 でイ ンテ リの指導者 の みな らず 、徐 々に新 たに教育プ ログラムを通 して育成 した南部 出身者や黒人女性 も登用 し た。 さらには、彼 ら彼女 らの中か ら多数、才能 を発揮 した ものを連邦政府行政官へ と登用 した。そ して この活動 を下か ら支援 したのが、ベ シュー ンが組織 した
BCC卒
業生 に よる ベ シュー ン・ クラブである。 これ はベ シュー ンが育てたBCCの
卒業生たちが末端 の コ ミ ュニテ ィ組織及び一般 の黒人組織 を統合 し、フロ リダ州 か ら全州へ と拡大 させ た ものであ るが、 このクラブか らも、連邦政府行政官 が登用 され てい る。この よ うに、ベ シュー ンは、連邦政府行政官か ら黒人運動家、コ ミュニテ ィ組織 と一般 の黒人 に至 る双方 向的な黒人ネ ッ トワー クを、黒人女性 をは じめ南部や下層階級 の黒人青 年 を加 えて、彼 ら彼 女 らの支援 によつて作 り上 げた。 この彼 女 の活動 が連邦政府行政官 と
しての制約 を持 ちつつ も、デ ュボイスの 自立路線 を継承 して、ニューデ ィール期 の黒人の 自立 を促進 し、公民権運動へ の先駆 け としての役割 を果 た した こ とを指摘 したい。
写真
1
ブ ラ ック・ キ ャ ビネ ッ トとメア リー・ マ ク ロー ド0ベシ ュー ン第二次ニューデ イール と黒人女性 メア リー・マ クロー ド・ベ シュー ン
ー教育者 として、女性運動家 として、連邦政府行政官 として一
目次
・・・・・ 00。 ・ 。・・・・・・・
01頁
序章
・・・・・・ 。・ 。・・・ 。・・・・
第1節
研究 目的
1
ベ シューン評価 をめぐつて2
デ ュボイス とベ シュー ン第2節
メア リー・マ クロー ド・ベ シュー ンに関す る研 究史
1
全国青年局 を中心 とす る黒人運動史2
ベ シュー ン個人に関す る研究史 第3節史料説明
第4節
本論文の章立て
第 I部
連邦及 び州 の黒人市 民指 導者 との連携 に よる黒人青年へ の教育支援
第1章
連邦政府 とメア リー・マ クロー ド0ベ シュー ン・ 。・・・
00000・
◆020頁第1節
全国青年局以前のメア リー・マ クロ
ド
・ベ シュー ン第2節
全国青年局成 立及び黒人部局
第3節
黒人部局組織 と黒人部局長ベシュー ン 第
4節
各州黒人部局 と黒人市民指導者ネ ッ トワー ク第2章
ブラック 0キ ヤビネ ッ ト結成 と 1937年 黒人全体会議・・・・・・・・・・35頁 第1節
ブラック 0キ ャビネ ッ ト
第2節
1937年
黒人全体会議 と全国黒人市民組織1 1937年
黒人全体会議 とブ ラ ック・ キヤビネ ッ トの増員2
黒人青年教育支援 に向けた全国会議第3章
全国市民組織 との連携 とによる黒人青年教育支援
・・・
000000・
052頁第1節
都市同盟 と失業青年への労働 プ ログラム
第2節
全国黒人向上協会 と学生への教育支援プログラム
第3節
全国黒人女性会議 とパー トタイム労働プログラム
第 Ⅱ部
フロ リダ州 の実践 と全 国的展 開
第
4章
ベ シュー ンとベシュー ン0ク ックマ ン大学の実験・0000000000・
70頁第1節
黒人の
4年
制大学ベ シュー ン・ ク ックマン大学1
ベ シューン・ クックマン大学の歴史2
黒人 による4年
制ベ シュー ン・ クックマ ン大学ヘ 第2節ベ シューン・ クラブの組織化
1
ベ シュー ン・ クラブ設立の 目的 と組織2
ベ シューン・ クラブの統合組織 と黒人女性指導者 の育成第5章
ベ シューン・ クックマン大学における黒人教育支援・・
0000・
・00085頁
第 1節
NYAエ
イ ド とBCC自立 プ ロ グ ラ ムl NYAエ
イ ドと大学生特別 ファン ド2
ベ シューン0ク ックマ ン大学奨学金制度開設3
失業青年への教育支援 プ ログラムの拡大 とサマースクール 第2節パー トタイム労働プログラム
1
カフェテ リア・ ダイニ ングプ ロジェク ト2
寄宿舎プ ロジェク ト第
6章
黒人指導者ネ ッ トワー クの形成 。・・0000000・
・・・・ 。・・・・98頁 第1節黒人州統括官への登用 と大学教育プ ログラムの拡充
第2節
黒人州統括官か ら連邦政府行政官への登用
1
黒人部局への黒人青年指導者 の登用2
ブ ラック 。キャビネ ッ トヘの登用終章
・ 。・ 。・ ・ 。00。 ・・・・・・・・・・・・・ 。・・・ 。・・・・・ 。112頁
参考文献 。・ 。。・ 00・
000・
・ 0・000・ 0000・
。・・・・・・・・ 117頁序 章
第1節 研 究 目的
ベ シュー ン・ クックマン大学
eCOの
創設者 で学長であったメア リー・ マ クロー ド・ベ シュー ンは、全国黒人女性会議 を率いた黒人女性の運動家でもあつたことはよく知 られて いる。また、彼女は第二次ニューデ ィール開始期の1936年に、黒人青年 の救済 を 目的 と して設立 された全国青年局黒人部局長 に就任 した。黒人女性 の連邦政府行政官への任命は 初 めての ことである。 これ は、黒人 に とっても黒人女性 にとっても画期的な出来事で、そ の歴史的意義 を考察す ることは、黒人史においても、黒人女性史においても、ひいてはニ ューデ ィール研究においても有意義である。 しか し、連邦行政官 としての彼女に研究関心 が向けられ ることは今までほ とん どなかった と言つても過言ではない。本研究では、連邦 行政官 としてのベ シュー ンに焦点 をあてることで、ニューデ ィール期 の黒人の自立運動に おいて、ベ シュー ンの果た した役割 について考察す ることに したい。1.ベ
シュー ン評価 をめぐって先行研究では、1980年以後、黒人史研究は 日覚ま しい成果 をあげてきている。ことに黒 人運動 の研究は飛躍的に進展 した。 しか し、黒人女性 の研究 もかな りな され るよ うになっ た とはいえ、黒人男性 の研究 と比べ ると、さほ ど進んだ といえない面がある。黒人女性運 動 の指導者 たちの伝記的な研究は多 くなったが、黒人女性 の活動 を歴史の中に位置づける 研究はまだまだ少 ない。メア リー・ マ クロー ド・ベシュー ンの行政官 としての研究が進ま なかったのも例外ではない。ただ、ベ シュー ンに関 しては、ローズヴェル トに近 く、体制 側 に組み した者 として、彼女が批判的に捉 え られ る傾 向があった面 も指摘せ ざるをえない。
本研究では、黒人女性指導者 の研究に一石 を投 じるとともに、連邦政府 の行政官 となっ た彼女の客観的な評価 をす ることに したい。行政府の長 となった彼女は、連邦政府の意思 を伝 える行政官 としての顔 を持つが、同時に教育者 として女性活動家 として培ってきた方 法 を拡大 し、黒人 の 自立活動 を連邦政府 に届 ける役割 をした側面 も特筆 できる1。
つま り、ベ シューンの 自立への意志には、公民権運動の先駆けとしての歴史的意義があ った と指摘できるが、その検証のためには、公民権法の成立を目指 して、まずベシューン が何 を したのかが問われ る。彼女は連邦政府での黒人の政治的地位 を確立す るために、就
任す るや ブラ ック・ キャビネ ッ トを結成 し、連邦政府内での黒人行政官の連携 を図った。
そ して、次 に、彼 らを頂点 として、黒人の市民 としての 自立を目指すための黒人ネ ッ トワ ー クを作 り上げるために、1937年 には黒人運動の指導者たちを結集 した黒人全体会議を開 催 した。従来 に全国の様々な地域で展開 され、それぞれで活動 していた市民組織に、大き な傘 をかけ緩やかな連合 を可能にさせたことは画期的であった。また、同時に、ベシュー ンは連邦政府 の全国青年局の地域組織 を州 ごとに編成 し、黒人問題には黒人州統括官を ト ップに置 くシステムを作 ることに着手 した。ただ、彼女の評価は、このシステムを トップ ダ ウンだけではな く、ボ トムア ップでもある双方向の関係 のシステムにしたことにある。
それ は、
Bccの
学生や卒業生によるベ シュー ン・ クラブを全国的に広げていき、一般の 黒人 をこの組織 を通 して、州のプログラム と接続 し、ひいては連邦政府 と接続する道を切り開いた ことである。
こ うしたベ シュー ンの活動には、先述のよ うに、連邦政府の意向を伝えるものとい う側 面 と、黒人の 自立を草の根 レベルか ら促そ うとい う側面 との両面がある。そのために、ベ シューン評価 も二つに分かれ る。本論文ではこ うしたベシューン評価に対 して、彼女の具 体的な活動 を拾い上げることで、応 えてい くことになるが、そこではベシューンの自立に ついての考 え方 を考察す ることが重要 となろ う。彼女は、当時の黒人活動家 との関連、特 に初期の黒人の 自立 を求めた二人の指導者 ブ ッカー・ T・ ヮシン トンとW・ E・ B・ デ ュ ボイス との係 わ り合いか ら、自立の理念、行動を学んでいった。この二人の黒人指導者 と 同時代に生きたベ シュー ンは、教育者 として出発 したこともあ り、1920年代 ごろまでは、
南部 で農 民 として生 きるための経済的 自立を説 く人種協調お よび実務教育路線 を説 くワ シン トンのに強 く魅かれていた。 しか し1929年のデ ュボイスの来校
(BCCの
前身の女 子実業学校への来校)以
降、デ ュボィスの影響 を受 け、ベ シュー ンは次第に黒人教育によ る自立路線 に転 じることになった。黒人部局長就任以前の 1935年には、そのために黒人 女性指導者 を育成すべ く、女子実業学校 をベシューン・クックマン大学にまで進展 させて いる。また、彼女が 自人女性 の運動家の組織か ら離れて、全国黒人女性会議NCNWを
創 設 したの も、 こ うした彼女の 自立への意識変革 を反映 している。2。 デ ュボィス とベシューン
デ ュボィスは、「1917年 か ら 1947年 までのアメ リカ合衆国における人種関係」で、アメ
織 り込んだのである」 と述べてい る2。 デ ュボイスの 目指す黒人の 自立の理念 は、アメ リ カ社会 において、自人 と平等に生きて働 くけれ ども、布 に織 り込まれた縦糸 と横糸は決 し て布地 と一つ にな らず に新たな布地を創 り出す よ うに、アメ リカ社会で黒人のアイデ ンテ ィテ ィー を持 ち続 けることにあつた。彼 は、自人 の 「ア ングロ・ サク ソンの文化」に対比 して、黒人の 「オ リエ ン ト文化」の重要性 を主張を続 け、黒人 は自人 と対等の立場か ら、
新 たなアメ リカ社会 を構築す るのだ と主張 してい る。
ベ シュー ンによる黒人のアメ リカ社会への参カロに関す る考えも、デ ュボイスの 自立の理 念 を反映 してい る。事実、フィラデル フィアでの大学教育拡充の現場 を担 つた全国黒人学 校教師組合 の全国大会 では、「私が常に抱いてい る心情 は、アメ リカ的思考構成 の縦糸 と 横糸の中に、黒人の人生 と活動 を織 り込む こと」 とデ ュボイスの言葉 を引用 して3、 黒人 のアメ リカ社会への 自立 した参加 を積極的に具体化す ることを強調 している。彼女が 60 歳 を超 えてか ら全国青年局黒人部局 を率いたのは、「大恐慌下では、黒人総人 口の64。7%、
3分
の2近
くの成人 と若者 が、最初 に失業 し、最後 に雇 われ る」状況 をを改善す るためで はあったが、特 に3万
人 を超 える黒人青年男女 に援助 の手 を差 し伸べた、その学生支援 プ ログラムには、彼女の 自立への意志が込 め られていた。彼女 は、教育によつて知見を広め 技能 を磨 き、雇用の機会 を高 めることがまず第一 と考 えていたが、彼女の人種問題 の立ち 位置 を示す論文では、我 々(黒人 と自人)は共通の理解 とお互いの能力 によつて、共 に生 き、働 くことができる。黒人の文化 と白人 の文化 の統合 によつて、一般の人々の文化的な融合
(完全 に融合す るものではないが
)を
生みだす精神文化が将来生み出 され るべ きである と 述べてい る。そのために、黒人の高等学校や特 に大学での教育 の必要性 を説いてい るので あるが、この意味で、ベ シュー ンに とつて、第二次ニューデ ィール による黒人救済事業の 展開は、黒人の躍進 の好機 で もあつた4。ベ シュー ンがデ ュボイスか ら受 けた影響 を検証す る うえで、この時期のデ ュボイスの活 動 につ いて考 えてみ ると、ジ ヨセ フ・ テー ラーは、1936年 1月 の 動θ Jattnaノ aF″贈
」Jrr だ
"に
載せ られた「黒人のための社会計画、過去 と現在Jの デ ュボイスの言葉、「我々 は今、工業 を基盤 に した国家的及び世界的再生の真 つ只 中にい る」を重視 し、デ ュボイス の運動 の変化 を指摘 してい る。横 山良氏 も、 この時期 のデ ュボイスは、「大恐慌 による一 般 の黒人 の生活再建 のために、全国黒人向上協会の時代 の要請 として裁判 闘争 な ど黒人エリー ト層 の市民権獲得運動か ら、経済路線への転 向を主張 した」 としてい る5。
つま りこの時期デ ュボイスはエ リー ト層か ら一般労働者階級へ と、活動 を広げる必要 を
痛感 していた といえるが、彼 は、論文で、 自身が、この路線転 向に沿 う活動 として、生涯 の友であつたジ ョン・ホープの要請で、1933年 か ら 1944年 に (突然 に解雇 され る)まで、
黒人の大学教育のためにア トランタ大学 に戻 つて社会学 を教 えた と述べてい る。ア トラン タ大学は、南部 における黒人の大学教育拡充のために、全国黒人向上協会が設置 した5箇 所 の大学セ ンターの一つである。 さらに、デ ュボイスは、黒人のアイデ ンテ ィテ イーの確 立による自立 を進 めるための活動 を3点挙 げてい る。第1が黒人 に関す る歴史研究の出版、
第2に、ア トランタ大学で、黒人問題 についての調査 とコメン トを載せ る学術的な雑誌 の 編纂 と出版。第3に、ア トランタで、黒人問題 の総括的で系統だつた研究 のためのい くつ かの公 開討論会 を復活 させ ることであつた。実際、彼 は南部及び東部の
25の
大学の連帯 によつてア トランタ会議 を成功 させ 、ア トランタ大学の学術雑誌 に会議報告 を掲載す るこ とになる6。 つま り、デ ュボイスは、黒人の 自立のために、黒人問題 の研究 をいろいろな 場で発表 し、そ うした場 に黒人指導者 お よび一般 の黒人の参加 を促 し、黒人のネ ッ トワークを繋 ぐことを 目的 としていた と指摘できる。
ベ シューンは、ジ ョン・ホープの要請 によるデュボイスの上記の活動 に感銘 し、全国青 年局黒人部局長 として綴 つた『 ピッツバー ク・ クー リエ紙』のコラムに、一般の黒人 と共 に、1936年道半ばで亡 くなつたア トランタ大学長 ジ ヨン・ ホープの意思 を自らのライ フ ワー ク として受 け継 いでい くのだ とい う強い決意 を述べてい る7。 つま り、デ ュボイス路 線 を取 ることを公言 してい るが、彼女が大学教育 による黒人青年男女の育成 のための黒人 支援ネ ッ トワー ク作 りを 目指 したのは、ジ ョン・ホープ、ひいてはデ ュボイスか ら学んだ 点が指摘 され る。ベ シュー ンは、当初 はB・ T・ ワシン トンの経済的 自立 を 目指 したが、
同 じく南部で黒人が 自立的に生 きることを重視 した とはい え、ワシン トンのこだわつた経 済的 自立 とは異なる自立運動 に、黒人部局長就任以前 に転 じていたのである8。
連邦政府 にお ける黒人 の政治的地位 の確立 とい う観点について も、ベ シュー ンはデ ュボ イスの影響 を受 けてい る。サ リバ ンは、デ ュボイスがニューデ イール期 に「全ての黒人が 政治 に参加す るために、選挙権以上 に、連邦政府 内に幾人かの黒人の役人 を入れ るべ きで ある」 と述べ、黒人の 自立のために、政治的な力 を連邦政府 内に有す る必要性 を強調 した と指摘 してい る。デ ュボイスは、ニューデ イール期 は、「南部 の黒人がかつて経験 した こ とのない連邦政府 と一般 の黒人 の新たな直接的 な接触 を生み出 した時期」と捉 えていた と この ことは、デ ュボイスの 「1917年か ら1947年までのアメ リカ合衆
組織会議への黒人の加入や リンチ問題 にお ける黒人陪審員 と警察官の増加 、テキサス州黒 人の予備選挙除外違憲闘争 の 1944年の勝利 な どを挙げてい る。 また教育関係 では公教育 の普及や高校生や ファィ・ベー タ・ カ ッパ会 の優等生の増加 について述べているし、政界 で も上院議員tJJII議会議員及び判事な ど政治家の増加 を強調 している。つま り、少 な くと
もベ シュー ンの連邦政府入 りは、デ ュボイスの 自立の理念及び活動 に沿 うものであつた と い うことができる。
ここで、ベ シュー ン自身の全国青年局黒人部局長就任 の 目的について も見てお く必要が あるが、エ レーヌ・ ス ミスは、ベ シュー ンは 「自分 の後 に多 くの黒人女性連邦政府行政官 が続 くことを願 つて就任 したのだ」 と述べてい る。同 じく、ジ ヨイス・ハ ンソンもベ シュ ー ンが「自分の地位 を用いて、黒人の扉、特に黒人女性 の扉 を開いたのだ。彼女は他 の人々 が突進できるよ うに扉 を開け続 けよ うとしたのだ」と評価 しているH。 両者 とも、ベ シユ ー ンの連邦政府入 りは連邦政府 にお ける黒人及び黒人女性 の政治的地位 を確 立す ること であつた としてい るのである。
さらにス ミスは、ベ シュー ンも、黒人問題 を有利 に導 く政策 を引き出す ことが、黒人の 行政官 の任務 だ と考 えていて、彼女が これ ゆえにワシン トン
DCに
滞在す るのだ と度々述 べていた と指摘 している12。 ベ シュー ンの黒人連邦政府行政官 としての 目的が、黒人連邦 行政官 を増や し政策決定 に携 わるものを増やす こと、またそれ らの勢力 を結集す ることにあった ことを示 してい るが、この ことはベ シュー ン自身の都市同盟 の機 関誌である『 オポ チ ュニテ ィー』にお ける論文 にも明示 されてい る13。 彼女が、黒人の問題 を国家 の問題 と 捉 え、連邦政府 の黒人勢力 を増大す ることによつて、黒人の 自立を推 し進 めよ うとした こ
とは特筆 できる。
ところで、ベ シュー ンが 日標 とした 自立理念 の重要な部分 は、連邦政府 を変革す るとい う点にある。ベ シュー ン とワシン トンは、同 じ黒人顧問官の道 を選択 したが、この連邦政 府 と対決 して変革 させ るとい う点 に、最 も大 きな違いが見いだせ る。晩年ベ シューンがデ ュボイスに「満足 を持 ってワシン トン氏がわが戦列 に加 わつた ことをお伝 えす る」と述ベ るよ うに、後 にはワシン トン自身 も考 えを変化 させ るが、彼 の場合 、変 えるべ き対象 はあ くまで北部 自人であつて、少 な くとも当初 は連邦政府 ではなかつた14。 この ことは、連邦 政府行政官 としての制約 をもつたベ シュー ンの評価 をす る うえで、欠 かせ ない部分である。
一方、ベ シュー ンが、全国青年局黒人部局長 として飛び込んだローズ ヴェル ト政権 は、
デ ュボイスのア トランタ会議後 の解雇 が示す よ うに、黒人への救済 は実施 したけれ ども、
黒人が政治的な問題 で団結す ること、つま り白人 と同等 の市民 となることは決 して認 めな かった。このよ うな中でベ シュー ンが どのよ うに黒人 自立の 目標 を実現 しよ うとしたのか。
まず ニューデ ィール期 の黒人運動 とベ シュー ンの理念 の変遷や活動 に関す る研 究史 を辿 つて、現在 までの研 究の動向 と問題点 を明 らかに したい。
第2節
メア リー・ マ クロー ド・ ベ シュー ンに関す る研究史
1
全国青年局を中心 とす る黒人運動史第二次ニューデ ィール期 の黒人運動及び黒人市民指導者 の研 究は、近年特に 1980年以 降その評価 に大 きな転換がみ られ るが、まず、同時代 まで遡 つて、ニューデ ィール期 の黒 人運動 の研究 を見てみ ると、当初 は 「忘れ られた人々」への政策 を重視 した とされ るロー ズ ヴェル ト政権や、それ を実施 した全国青年局NYAや、農場保全局FSAなどの研究に終始 していた と言 つて過言ではない。その多 くは白人 に焦点が当て られたもので、全国青年局 と黒人部局の活動 も体制側か ら与 え られた もの として論 じられている 15。 こ うした中で、
1960年 にジ ョージ・ラウィックの研究は特筆すべ きで、第二次世界大戦 に至 る全国青年局 の設立か ら活動、青年及び青年 の運動 を分析 している16。 しか し、その後、全国青年局の 研究で包括的な ものが出るには、1992年 の リチャー ド・ レイマ ンの研究まで待たれた。全 国青年局が実施 した教育プ ログラムについては、1937年 度 については研 究がやや薄いが リ ン ドレイ夫妻が、1940年度 はマ リアン・ ライ トが詳細 な記録 を発表 してい る。 これ らは、
上か らの見方で見ているとい う限界 はあるが、少 な くとも事実関係 の把握 には役立つ 17。
全国黒人市民組織及び指導者 については、1980年 代 を前後 して、詳細な研究がすす め ら れ た。黒人運動の先駆者であるW・ E・ B・ デ ュボイス及びB・ T・ ワシン トンに関 して も、この時期以後、特 にワシン トンの晩年互いに思想的 に歩み寄つていた とす る見解 が増 えてきた18。 そ して彼 らが創設 した り、理念が受 け継 がれ た りした全国黒人向上協会及び 都 市同盟、さらにベ シュー ンが創設 した全国黒人女性会議 な ど黒人女性組織 も含 め全国黒 人市民組織 の独 自の活動 について も論 じらるよ うになつた19。 それ らの組織 で活動 した黒 人指導者 について も注 目され るよ うにな り、ベ シュー ンのプラ ック・ キャビネ ッ トの も う 一人の指導者 ロバー ト・ ウィバーな ど従来 さほ ど注 目されていなかった指導者 にも注 目が 当たるよ うになった。 レイ フォー ド・ ローガ ンやバーナー ド・ ステ ンシャーの論文集 は、
黒人市民の指導者 の中か らニューデ ィール に迎 え られた黒人連邦行政官の統合組織で ある黒人問題連邦会議´К隅 (黒人新聞ではブラック・ キャビネ ッ トと称 されたので、以 後 ブラック・ キャ ビネ ッ トとす る)について も、光があて られ るよ うになるのは、1980年 代 になってか らである。 まだ彼 らが現役 で活動 していた 1940年代 に、 ウイ リアム・ バー ニー と、 ロイ・ ォ ッテ リーの
2本
の ドキュメンタ リーに近い論文が出 された以外は21、連邦 においては非公式な組織 とされ、黒人指導者か らは体制側の組織 と捉えられたため、
研 究が進 まなかった。ニューデ ィール期の黒人に対す る政策 を総括 したハーバー ト0シ ト コフも、連邦政府側 の組織 としての活動を評価するに留まった22。
だが、1980年 に入 ると、ジ ョン・ カー ビー とナンシー・ ウェイスによって、入念な史料 批判 に基づいた ローズ ヴェル ト政権下のブラック・キャビネ ッ トをは じめ黒人指導者の活 動 に関す る著作が刊行 された。カー ビーは住宅供給局のウィバー と全国青年局のベシュー ンを挙げて、ローズ ヴェル ト政権か ら与えられた不平等な地位 を超えて自立 した黒人部局 を運営 して、多 くの一般 の黒人に、連邦の支援 としての黒人救済プログラムを実践 したと 評価 している。 しか しカー ビーの論 旨は、プラック・ キャビネ ッ トの指導者 としてのベシ ュー ンの成功の要因を、ローズ ヴェル ト大統領 をは じめ白人連邦政府行政官 との繋が りの 深 さに求 めることに終始 した23。 また ウェィスはプラック・キャビネ ッ トが相互に部局を 超 えて協力体制 を採 るとい う活動方針 を出 していたことに初めて言及 したものの、両者 と
も黒人市民指導者 との連帯についてまでは言及 していない点に問題が残った2亀
しか し、ブラック・ キャビネ ッ トの研究が進んだことは、199o年 を前後 して、彼 らと黒 人市民指導者 を中心 とした研究を進 めることにもなった。選挙権など公民権を勝ち取るこ とができなかったことか ら、成果 のなかった時期 と捉 えてきたこの時期の黒人運動に対 し て、黒人の 自立を推進 した運動 としての評価が与えられ るよ うになった。例えば 1920年 代か らの教育差別撤廃運動 を総括的に論 じたマーク・ タシュネ ッ ト、また協同農場運動を 指揮 した南部小作農組合 の活動家に研究の枠 を広げた秋元英一氏が挙げられる。またサ リ バ ンが全国学生同盟NSLの黒人青年指導者、全国産業別組織会議の自人女性指導者 な ど広 範 な市民活動家が南部 の教育の平等及び黒人投票権獲得闘争 を実践 した意義について指 摘 した25。
さらに 2000年を前後 して、一般 の黒人 をも政治活動に巻 き込んだこの黒人運動に対 し て、公民権運動の萌芽期 であった とす る新たな見解が生まれてきたことは、ニューディー ル期 の黒人運動史 において画期的なことであった26。 サ リバ ンは、1934年か らの全国黒
人向上協会 による各州での教育の平等 をめぐる闘争が、一般の黒人や様々な黒人組織の地 域ネ ッ トワー クを作 りだ し、彼 らの支援 による平等を求める戦いが、1950年代の様々な公 民権法制定に繋がった と分析 した27。 つま リニューデ ィールが連邦か らの統合であったの か、あるいは草の根運動による改革であったのか とい う長い論争に、両者の連帯によるも のであった とす る新たな見解 を与えるものであった。 日本でも、デ トロィ トの自動車産業 にお ける黒人労働者 の組合運動 について論 じた樋 口映美氏が、「中産階級か ら労働者階級 への視野の広が りを示 し、その後エ レノア・ ローズヴェル トやベシューンのような政府官 僚や 則L、 ジェネ ラル・モーターズ社等 も巻 き込み全階級的な支持を得て、画期的な黒人 社会運動 となった」 と、ブラック・ キャビネ ッ トか ら全国黒人市民組織及び労働組合へ と 繋 がるネ ッ トヮー クによる黒人運動の成果 を評価 している28。
2
ベ シューン個人に関す る研究史黒人女性指導者 としてのベ シュー ンの評価 にも 1980年 を境に転換が見 られ る。つま り、
ブ ッヵ―・ T・ ヮシン トンとW・ E・ B・ デ ュボィス とぃ ぅ二人の黒人指導者 と同時代に 生 きたベ シュー ンは、教育者 として出発 したこともあ り、ワシン トンの人種協調および実 務教育路線 を強 く継承 した立身出世型の人物 とされてきた29。 しか し1980年 を前後す る ポー ラ・ ギデ ィングスやエ レーヌ・ス ミスの研究は、デュボィス との交流を通 じて、ベシ ュー ンが、黒人教育の 自立路線 に転 じ、黒人女性指導者 を育成すべ く女子実業学校をベシ ュー ン・ク ックマン大学にまで進展 させ、さらに人種協調路線に対立するデュボイスを支 持 して白人女性組織か ら離れて、全国黒人女性会議 NCNWを 創設 したとす る30。
全国青年局黒人部局長ベ シュー ンの研究については、ニューディール研究 と呼応 して、
1980年 代 を前後 して、ジ ョィス0ロスやェ レーヌ・ス ミスによってなされ始めた。ロスは、
ベ シューンによる教育支援プログラムのための黒人市民指導者の任命 に焦点を合わせ、ス ミスは、史料『 ピッツバーク・ クー リエ紙』をはじめて使用 した研究者で、全国諮問委員 か ら戦時体制 にお ける活動までを網羅 して、黒人部局長ベシューンの活動を総合的に論述 している31。 両者 とも、ベ シュー ンが最終的に(黒人が公民権 を持つ)分離なき社会 をめざ し、黒人市民指導者 を登用 して、連邦及び州における自立 した黒人部局を運営 しようとし た活動について論 じた。
ロスによると、全国青年局黒人部局長ベシューンの黒人青年への教育支援のための各州
社会へ の 自立的な統合 とい う展望」 を持 つていた としてい る。 なぜ な らベ シュー ンは、
(100%の平等が実現できた ときに)、 分離差別 は意味を失 うと言い、それ ゆえに 「(分離)
が現実であ り続 ける間は、平等 は十分ではな く、それは補償 によつて補 われなければな ら ない」 と主張 した とす る32。
一方ス ミスは、ベ シュー ンは、人種統合問題 ではな く(分離 なき社会 に向けて)、 む しろ 積極的 に、「アメ リカ社会 にお けるあ らゆる場面での平等」 を 目指 した としてい る33。 つ ま り、ベ シュー ンが、黒人部局運営において、 自立 した黒人プ ログラムによつて、黒人女 性 のみな らず、多 くが失業 中の、地域や階級 によつて分断 され ていた黒人青年 にも、連邦 政府 か らの支援 が届 き、彼 らの中か ら優秀 な人材 には連邦政府行政官への道 が開かれ るこ
とい う具体的な 目標 を明示 していた と指摘 している34。
さらに、ロス とス ミスは、ベ シュー ンによる州 の指導者である黒人州統括官の任命数 の 多 さを両者 とも評価 してい るが、黒人州統括官が 自人 と平等の地位 を得 ていたかの議論 に おいて、両者 の分析 は相反す る。 ロスは、給料や州統括官会議 に出席できないな ど権限の 面か ら不平等であった ことに加 え、彼 らは黒人部局長 であるベ シュー ン以上 に本来 は州統 括官に所属す る地位 であるため、ベ シュー ン と彼 らとのつなが りに問題 があつた とす る35。
ロスは現存す る黒人部局のファイルがあま りに少ないのは、ベ ューンが直接報告 を受 ける ことを求 めたにもかかわ らず、彼女が連邦及び州 において黒人部局長 の存在 を明確 に示す ことができなかったか らだ とす る36。 一方ス ミスは、黒人州統括官の待遇 における不平等 や繋が りを持つ ことの難 しさについて、常に戦いの連続 であった としなが らも、ベ シュー ンが黒人州統括官 を州統括官会議 に伴 った り、頑迷な州統括官 を変更 させ るな どしてい る 点 を列挙 して、ベ シュー ンの努力 によって、かな りの指導力 を発揮 できていた とす る37。
ス ミスの主張には、それ を支持 して、そ してい くつかの州での教育プログラムの分析か ら、十分ではないに しても、自人 と対等 に活動 した黒人州統括官 もいた とす る著作が、1990 年 を前後 して出版 され るよ うになった38。 ことに、ジ ョセ フ・テイ ラー とジ ョイス・ハ ン
ソンは、ベシュー ン自身が育成 した黒人州統括官 を分析 した論文 を発表 した。まずテイ ラ ーは 1986年 の論文で、2回の1937年 黒人全体会議に関 して、出席者 としてブラック・ キ ャ ビネ ッ ト及び職業別 の黒人市民指導者、
4部
会 の司会者 と会議内容 、最後 に出 された勧 告等 を詳 しく解説 した。そ してその中で、1939年 の第2回黒人全体会議 に、ベ シュー ンが 黒人女性や南部 出身者 を含む多数 の黒人州統括官及び青年 グループを出席 させ た と述べ、教育支援 プ ログラムの拡大 について評価 している39。
またハ ンソンの論文 は、黒人女性市民活動家 としてのベ シュー ンを全国黒人女性協会会 長、ニューデ ィール期 の全国青年局黒人部局長 、第二次世界大戦 中の全国黒人女性会議会 長 として、それぞれ の活動 を分析 している。そ して黒人部局長 としてのベ シュー ンが、特 に黒人女性指導者 に関 して、黒人女性州統括官 を、さらに黒人女性連邦行政官 を多数育成
し又登用 した ことを指摘 した40。
また近年 では、ベ シュー ンの発言や論文、書簡が編纂 されて公刊 されている。ス ミスは オー ドリー・マ クル スキー と共 に、ベ シュー ンのエ ッセイや論文及び出席 した会議での発 言や議事録 を、教育者・ 黒人女性活動家・政治家の3分野 に分 けて編集 した新たな著書 を 発表 した41。 その中での政治家ベシュー ンの紹介で、ロスが全 く権限がなかつた と批判 し たベ シュー ンが任命及び育成 した黒人州統括官がネ ッ トワー クを繋 ぎ、それがベ シュー ン の教育支援プ ログラム運営のカギ となつた と記述 している42。
このよ うに 1980年代以降か ら現在 までの黒人部局長ベ シュー ンの研究史か ら、ベ シュ ー ンが、連邦政府か ら与 え られた黒人部局の位置 を超 えて、黒人青年への教育支援プ ログ ラムを各州 に拡大 した こと、プ ラック・ キャ ビネ ッ トや黒人市民指導者 のネ ッ トワー クに よつて、教育の分野において分離なき社会 を 目指 して黒人全体 を、市民 として向上へ導 く とい う構図を作 り上げつつ あった とい う研究の進展 を読み取 ることができる。
しか しこれ を明確 に実証す るには、ベ シュー ンが全国黒人市民組織 を統合 し、南部や黒 人青年女子 な ど新たな指導者 を育成 した州 での教育支援 プ ログラムの内容や、そのプ ログ ラムを実施 した方法な ど、まだまだ解明 され なけれ ばな らない問題 が残 されている。新た な史料 の編纂が進んだこともあ り、本論文では、こ うした教育支援プ ログラムやベ シュー ンが繋いだネ ッ トワー クの分析な ど、精緻なベ シュー ン研究 を進 めることに したい。
第3節
史料説 明
史料 としては、ベ シュー ン 自身 によるもの以外 では、先ずブ ラック・ キャ ビネ ッ トの重 要なメンバーで、全国黒人市民組織 関係者 であった、ロバー ト・ ウイバーが 動θ ttking〆 励θルFλノ に、ブラック・ キャビネ ッ トのメンバーの相互関係 について論文 を書いてい る43。 ブラック・キャビネ ッ ト唯一の集合写真 も、彼 によつて残 されたものである。また、
彼 を含 めたブラック・ キャビネ ッ トのメンバーや黒人市民指導者 が、関係 の深い全国黒人 市民組織 の機 関誌や、 自ら関係す る組織 の機 関誌 επ」ュ
Q″
ゴ″こ動θ力EnaF aF
―ル期の黒人指導者の活動が、黒人側からの語 りで示 されている′点で重要である。
次に研究史で挙げたベシューンの発言や論文、書簡が編纂 されて公刊 されて、使用 しや す くなっている45。 ス ミスはオー ドリー・マクルスキー と共に、ベシューンのエ ッセイや 論文及び出席 した会議での発言や議事録を、教育者・黒人女性活動家・政治家の3分野に 分けて編集 している。これには、プラック・キャビネ ッ ト結成会議、1939年 黒人全体会議、
またベシューンが創設 した全国黒人女性会議結成会議など重要な会議の議事録や、ローズ ヴェル ト夫妻宛ての書簡をはじめ、黒人及び白人指導者へのものなど、黒人市民指導者ネ ッ トワークの解明に重要な史料 も集められている。
さて、ベシューンの州における黒人部局長 としての活動を研究す るうえで、最 も重要な 史料は、彼女が書き綴つた π 託訪颯誠 め西 ″『 ピツツバーク・ クー リエ紙』のコラムで ある46。ベシューンが論文を掲載 した
o″
″ ゴj/Fオポチュニティ紙』も重要であるが、全 国的規模 をもつ黒人週間新 聞である『 ビッツバー ク・ クー リエ紙』 は、それ らに比べ、
はるかに多 くの一般 の読者 を持 つてお り、黒人部局長 としてベ シュー ンが実践す る教育プ ログラムを初 めて多数の一般の黒人に伝 え、連邦政府 と彼 らを結ぶ役 日として効果があつ た。ベ シュー ンは各地 を訪れ、1937年 1月 か ら 1938年 6月 まで1年半に渡 って コラムを 掲載 してい る。訪れた個所 は25州 63都市、 コラム数 は58項目に及 んでいる。広範 な州 で黒人部局 を立ち上げ、各州で実施 された黒人青年への教育支援プログラム・一般 の黒人 への 自立を目指す呼びかけ・その他 (他の黒人組織 との連帯な ど
)が
示 され てお り、多 く の黒人青年への教育支援 プログラムの実践 された ことが分かる。もつ とも、彼女は黒人部 局長 として、黒人 を票 田 とす ることを第 1の 義務 として コラムを綴 らねばな らない とい う 制約 を持 つていた ことは考慮 しなけ らばな らないが、ベ シュー ンの 自立への理念 と、都市 同盟・全国黒人女性会議・全国黒人向上協会 と各プ ログラム との関係 が初 めて明確 に記 さ れた史料 として貴重である。ただ、ベ シュー ンが『 ピッツバーク・ クー リエ紙』に詳 しく記 しているのは、連邦が救 済 として奨励 した失業青年への労働 プ ログラムである。ベ シュー ンは、他 に、高校生及び 大学生への教育支援 プ ログラム、彼 ら彼女 らに奨学金 として支援 されたパー トタイ ム労働 プ ログラムを実施 しているが、それ らは、『 ピッツバー ク・ クー リエ紙』 のコラムでは分 か りづ らい とい う制約がある。 この、ベ シュー ンが力 を入れた大学生への教育支援 につい
て は 、1995年に 、ベ シ ュ ー ン の BCC大学 に 限 る も の で あ る が 、滋 町 硼 χ θθご胸 励 θル ρaFS
の 中 の ル θ 腸 励 e一 激 囮 ″ の ゴル ″ 働 ″ θσガ
"(以
後 、 解 と略 記)が
、 マ イ ク ロ フィル ム として公 開 された47。 以上紹介 した多 くの研究家がほ とん ど使用できていない、黒 人市民指導者 の支援 を得 てベ シュー ンが実施 した大学生への教育支援 プ ログラム、及び連 邦か らの支援 を拡大 して独 自に運営 した 自立 プ ログラムを解 明す る新 たな史料 が公刊 さ れた といえる。
内容 としては、1922年か ら1955年までのベ シュー ン・ ク ックマ ン大学の歩みが、すべ て膨大な1本 1000フ レームの12本のマイ クロフィル ムに収 め られている。年代が、ベ シ ュー ンの黒人部局長 であつた時期 と重な り、黒人部局長ベ シュー ンとベ シュー ン・ クック マ ン大学 との関係、つま リベシュー ンのフロリダ州での学生への教育支援プ ログラムを解 明す るために、貴重な史料 である。特 にベ シュー ンの全般的な活動 を網羅 したファイル 、 学生への NYAフ ァン ドに関す るファイル、また
bcc学
生 ファン ド委員会書記バーサ・ ミッチェル のファイル、1938年 か らベ シュー ンの代理学長 となったアプ ラム・シンプ ソンの 1938年 度大学の学生や行事報告 な どのファイル、ベ シュー ン・クラプのファイル な ど、全 国青年局黒人部局長ベ シュー ンの活動 に関係す るファイルが多 く含 まれてい る。
本論文では、以上のよ うな先行研 究お よび史料説明を踏 まえて、ローズ ヴェル ト政権 の 連邦政府行政官 としてのメア リー・ マ クロー ド・ベ シュー ンと、彼女が部局長であつた全 国青年局黒人部局が黒人 の 自立運動 に果 た した役割 を考察す る。す なわち、本研究では、
女性であ り、黒人であつたベ シュー ンが全国青年局黒人部局長 とい う体制側 の地位 に飛び 込み、ローズ ヴェル ト政権への忠誠 とい う制約 を持 ちつつ、連邦か らの支援 に頼 るだけで な く、いかに 自立 した黒人青年へ の教育支援 を実施 したのかを分析す る。 これ によつて、
ベ シュー ンが、連邦政府か ら地域の末端に至 る様々な レベルで、指導力のある黒人を育成 し、登用 して、黒人勢力のネ ッ トワー クを繋 ぎ、黒人 を政治的に纏 めよ うとした第二次ニ ューデ ィール期 の黒人 自立運動が、その後の公民権運動の先駆 けとなるものであつた こと を論証 したい。また同時に、1990年 以後盛んになった黒人女性史の研究において、体制側 の人物 として対象外 におかれ ることが多 く、いまだ総括的な論証のな されていないメア リ ー・ マ クロー ド・ ベ シュー ンについて、黒人女性運動家 としての評価 を促す ものである。
第4節
本論文の章立て
次 に、本論文 の章立てを説明す る。tt I部 は、連邦及び州 の黒人指導者 の連携 による黒
ン トンの人種協調路線か らデ ュボイスの 自立路線 に方 向転換 して、全国青年局黒人部局長 に就任 した ことを検証す る。そ して全国青年局の組織 と、その中で黒人部局はどのよ うな 立場 を与 えられたのかを解 明 し、彼女 との考 え との違 いを明 らかに し、彼女が どのよ うに
してその隔た りを埋 めよ うとしたのかを論証 したい。
第
2章
では、ベ シュー ンが、 自立 した黒人部局運営 をめざし、まず連邦 レベルで繋い だ黒人連邦政府行政官組織 ブラック・ キャビネ ッ トと、3大
全国黒人組織 を中心 とす る黒 人市民指導者へ とネ ッ トワー クを繋 ぐために開催 した 1937年黒人全体会議 について検証 す る。さらにこのネ ッ トワー クの指導者 を集 めて各州での教育支援 プ ログラムの実施 を 目 指 して開催 された連邦会議 について論 じる。第3章では、各州での黒人青年への教育支援 の実施 に際 し、ベ シュー ンが繋いだブラッ ク・キャビネ ッ トと、1937年 黒人全体会議の出席者である全国黒人市民組織 の黒人指導者 とのネ ッ トワークについて分析す る。つま リベシュー ンを中心にブ ラック・ キャ ビネ ッ ト と全国黒人市民組織 の指導者 によつて実施 された教育プ ログラム として、都市同盟 と失業 青年への労働 プ ログラム と全国黒人 向上協会 と学生への教育支援プ ログラム、そ して学生 へ の経済支援 として奨学金 に代わつて提供 された全国黒人女性会議 の支援 によるパー ト タイム労働 プ ログラムについて検証 し、自立 を求 めていた全国黒人市民組織が どのよ うに 統合 され、 自立プ ログラム として運営 されたのかを検証す る。
次 に第 Ⅱ部、フロ リダ州での実践 と全州への拡大 について、またベ シュー ン・ ク ックマ ン大学 を通 して、ベシュー ンによる新 たな人材 の育成 と彼 らの州及び連邦政府 の要職 に人 材 の登用 について論 じる。第4章では、ベ シュー ンが青年指導者 の育成 を 目指 して重視 し
た学生への教育支援 プログラムを、教育の遅れた南部 に拡充 したテス トケース として、フ ロ リダ州ベ シュー ン・ クックマ ン大学に焦点を当てる。
4年
制ベ シュー ン・ クックマ ン大 学 を 目指 し、多数 の学生の教育 を支援す るために立ち上げた教育 ファン ド設立の コメン ト か ら、ベ シュー ンの黒人青年への教育支援 にお ける理念 を分析す る。そ してその支援組織として設立 されたベ シュー ン・ クラブを通 しての黒人女性指導者育成 について論 じる。
第5章、ベ シュー ン・ ク ックマ ン大学 をテス トケース として、連邦か らの支援 によつて 実施 した教育支援 プ ログラム と、それ に加 えて、黒人市民指導者ネ ッ トワー クによつてベ シュー ンが実施 した 自立プ ログラムについて分析す る。またこれ らのプ ログラムの運営に よる黒人青年男女指導者育成 について論 じる。
第6章「黒人指導者ネ ッ トワークの形成」では、フロ リダ州 をテス トケース として、黒
註 1
人州統括官 に、大学教育プ ログラムを現場で支 える指導者 、さらに全州 に拡大 した 自立プ ログラムやベ シュー ン・クラブか ら黒人女性 を代表 とす る新たに育成 した黒人指導者 を登 用 し、フロ リダ州か ら全州への黒人部局設立による黒人青年への教育支援 の拡充 について 論 じる。
そ してベ シュー ンは彼 らの中か ら、連邦政府行政官への登用 によつて、多彩な省や局の 黒人部局以外 にも広範 に拡大す る政治集団 となったブラック・ キャビネ ッ トを頂点 に、全 国黒人市民組織や系列組織 の州黒人部局の指導者 、さらにその下部組織及び コミュニテ ィ 組織 の指導者や メンバー と一般 の黒人 を含有す るベ シュー ン・ クラブ と広範 な分野 にわた り、双方向的な黒人指導者ネ ッ トワー クを形成 した。 これ らの黒人部局長 としてのベ シュ ー ンの活動が、デ ュボイスの 自立路線 に近いニューデ ィール期 の黒人 自立運動 として、公 民権運動への先駆 け となった ことを考察す る。
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