欧米的キリスト教の歴史的性格と今日の課題
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(2) . 第 16 巻 第 2 号. 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 昭和40年12月. 欧米的キリス ト教の歴史的性格と今 日の課題 沢. 石. 徹. 北海道学芸大学旭川分校史学研究室. Toru ls日工zAWA 二 Hi icaI Character of European stor Chr i iani ty and i st t s Probl em 。f To‐day,. 目. 次. 1 . 欧米的キリスト教の歴史的性格. と歴史的理解について. ロ, ギ リ シ ヤ 思 想 との 結合. ロ, イ ス ラ エ ル 宗 教 史よ り みた るイ エ ス. ハ, ローマ帝国文化の継承 二, ゲルマン的習俗や精神との習合. ハ, 中世キリスト教についての批判 二, 初期プロテスタント教についての批判. 1, 欧米的キリス ト教の歴史的性格 イ, 概. 観. ‐ キリスト教は 世界宗教として 如何なる地域でも 如何なる民族の間でも 本質的には同一 , , , , たる べ きこ と を 確信 する も の である が , 今 日, 歴 史 学 が 明 ら か に し て い る と こ ろ で は, 欧 米 に て 歴 史 的 に 成 立 した キ リ ス ト 教 は そ の 衣 裳 と して , (トイ ソ ビ ー は ア ク セ サ リ ー と い う), ギ リ シ ャ 文 化, ロ ー マ 文 明, 北 欧 ゲ ル マ ン的 習 俗 を 身 に つ け た ヨ ー ロ パ 的 キ リ ス ト 教 で あ る こ と を 明 ら ッ )は い う か に して い る。 ト レル チ1 。 「キ リス ト 教 は, ギ リ ,シャ, ロ ー マ, 北 方 ヨ ー ロ ッ パ 文 明 と 密 接 な 結 合 を した と い う 歴 史 事 実. は否定できない。 我々 (註, 欧米人) のすべての思想や感情は キリスト教的動機やキリスト教 , 的 前 提 か ら生 じ て い る。 む しろ, 逆 に 我 ら のキ リ ス ト教 全 体 は 古 代 。 近 代 ヨ ー ロ パ 文 明 の , ッ ,. 要素と全く分 ちえられぬま でに結びあわされている ュ ダャ教の一派たるキリスト教 が 後に全 。 , ヨ ー ロ ッ パ の 宗 教 と な っ た が, こ の よ う に し て 成 長 した キ リ ス ト教 は ヨ ー ロ ッ パ 文 明 と 生 死 を ,. 共にする ものとなっ ている. それを歴史的にみれば, キリスト教は 全く東方的な性格を失い , , ヘレナイ ズされ, 西方化されている。 ヨーロ ッパ 人の人格の概念, その人格の永遠性の概念, 神 の義及び精神的な神の王国に向って進展しているという進歩の概念 発展への巨大なヨーロ ッパ , 人の能力, また精神的なものと地上的なものを相互に連結させる巨大な能力 わがヨーロ ッパの , 全社会秩序, 科学, 芸術, その他一切のものは, 先にいった反東方化されたキリスト教という根 拠 の上 に た っ て い る」 (筆 者 意 訳) キ リ ス ト教 が ヨ ー ロ ッ パ 文 明 と 一 つ と な て い る こ と っ , 的 な 性 格 を 失 い, ヘ レナイ ズさ れ た も の で あ る こ と を の べ て い る 。 )は, 「宗 教 と 西 方 文 化 の 興 起」 な る 著 書 で ク リ ス ト フ ァ 【 リ ドー ソ ソ2 ,. 一 45 -. 東方.
(3) . 石. 撒. 沢. 西方文明の統一原理は, キリス ト教会の一元的組織に負うていることを指摘 している. 「西方文明の如何なる一元的組織も, 社 会統一の有効なる原理を提供 した所の, キリス ト教会 ) は, の一元的な組織からはなれては決して存在 しえなかっ た」(筆者意訳) H・バターフィル ド3 「ヨ ー ロ ッ パ の 歴 史 に 於 け る キ リ ス ト 教 の 中 で,. 歴 史 家 フ リ ー マ ンの 言 葉 を 引 用 し て, 「. キリ. ス ト教 は, ロ ー マ 帝 国 の 一 部 を な す か, ま た は そ の 宗 教 と 文 明 と を, ロ ー マ 帝 国 か ら 学 ん だ よ う し かりした長久の根を下すことが できなかっ た と い っ て い る が 正 しい 表 現 な国々以外では. ,. っ. の よ う に 思 わ れ る」 と の べ,. か つ, イ エ ス ・ キ リ ス ト の 福 音 は, 如 何 な る 民 族 に も 問 題 と さ れ’. 用いられてしかるべき普遍的なものがあるのは当然であると しても, 「キリスト教が社 会的 に 優 勢 に な っ て い る 地 域 は,. 多 く は ヨ ー ロ ッ パ の 世 界 で あ り, ヨ ー ロ ッ パ が 海 外 に 発 展 し, ヨ ー ロ ッ. パの文化が移植された地域でのみ宗教と して存在している」 (筆者訳) とし, 同じヨーロッパの 歴史の中でも, 時代により, 地域によっ て, キリスト教 の理解や果した役 割は異ったものがある と の べ て, 例 を も っ て 語 っ て い る. ) も, 「世 界 宗 教 の 中 の キ リ ス ト 教」 に, キ リ ス ト 教 の 分 布 状 況 が, ア ーノ ル ド・ トイ ソ ビ ー4. そして他の高等宗教もそ うだが, その分布にいた る歴史的理由が, 全く宗教的理由からでなくて, 他 の 理 由 に よ っ て, こ の よ う な 分 布 図 を つ く っ て い る こ と を 指 摘 して い る.. 即 ち, 自 然 地 理 的 理. 由, 技術的理由, 政治, 戦争, 経済などの理由か らであっ て, 宗教的理由からでない. それにつ づ けてトイ ソ ビーはいう. 地上の果物や食物は, どこでも世界 的に同 じものを常 食にし, 飲物に していると思うのが間違いで, 日本人は ブ レッ ドを常食とせず, ライスを常 食とし, 飲物は ブド ライ ス の 酒 を の む. そ の よ う な こ と か ら, 西 欧 人 に は キ リ ス ト 教 は 普 遍 的 な も の と 思 っ て い た の に, こ の よ う な 現 実 に 直 面 す る と, あ る 意 味 で は, キ リ ス ト 教 と い う 宗 教 も, 地 域 ー酒 でなく,. 的 な も の で あ る こ と に 気 が つ い た と も の べ て い る. ま た, キ リ ス ト 教 と 西 方 文 明 と の 結 合 は, キ リ ス ト 教 の 最 初 か ら の も の で は な い. す べ て の キ. リスト教がそうであったわけではない. その結合は歴史の発展過程の中で生じた, 一部的なもの であ り, --時 的 な も の で あ っ た こ と を 指 摘 して い る . 即 ち, A. D,700 年 頃 ま では, こ の よ う な. ことはなかっ た. このことは, 西欧文明の成立以 前に, 結合が始められ, 7世紀の終りに西 欧文 明が出現 し始めたことを物語る. その頃, キリス ト教の宣教の中心は, 都市ではなくて, 田舎の 農業世界であっ た. キリスト教信仰を信条化するに あたっ て, 古代ギリシャ哲学の技術的用語に 訳したのは, 西欧文明が誕生する前に起っ たことである. キリスト教と西欧文明との結合は, 永 久的なもの, 必然的なものでな かっ た証拠として, 即ち, 一時的なものであった証拠と して, ネ ス ト リ ア ソが ア ジ ア を こ え て, 北 麦 に ま で 及 ん で い た こ と を 指 摘 し, 蒙 古 王 の 妻 の あ る も の は, ネ ス トリ ア ソの キ リ ス ト 教 徒 で あ っ た ら しい と も い う. ま た, キ リ ス ト 教 会を, ギ リ シ ャ ・ ロ ー. マ文明の後継者というような歴史的性格につくり あげた重要な人物は, アソブロ【ズ, オーガス チ ン, ベ ネ デ ィ ク ト の 三 名 が 代 表 的 人 物 で あ る. こ れ ら の 人 物 を 知 る こ と に よ っ て, 西 欧 文 明 な. るものが, キリスト教会の助 けなしでは生れなかったことが知られると共に, 西欧文明には, キ ). リ ス ト 教 か ら 出 て い な い も の も 結 合 さ れ て い る こ と を, 明 ら か に して く れ る と も の べ て い る5. トイ ソ ビ ー の い う と こ ろ を ま と め て み る と, キ リ ス ト教 の 今 日 の 分 布 状 況 は, 宗 教 的 理 由 に よ る よ り も,. 他 の 理 由 に よ っ て, 歴 史 的 に か く の 如 く な っ た も の で あ る こ と を の べ, 今 日 の キ リ ス. ト教は, 欧米人的な, 地域的な宗教であるとし, それも7世紀以後に, そのようなヨーロ ッパ的 キリス ト教が成立した. それ以前には必ずしもそ うでない場合もあった が, ギリシャ文明に接触 し, 布 教 の必 要 上, か く の 如 く に な っ た. ヨ ー ロ ッ パ 文 明 な る も の は,. ー 46 -. キリ ス ト教 の助 けに よっ.
(4) . 欧米的キリスト教の歴史的性格と今日の課題. て成立したことを説明し, キリスト教とヨーロ ッパ文明との結合は, 何も永久にかくあらねばな らぬ 必 然 的 な 関 係 の も の で は な い と い う.. )は 「アウグスチーヌスと古代の終末」 なる著で, 古典古代文化とキリスト教と ゲ 内田芳明氏6 ルマン民族とが, 古代末期に如何に対決し, 妥協 し, 融合したか, その一大文化の結合という課 一 大 天 才 の ア ウ グス チ ー ヌ ス で あ る こ と を 論 じて い る。 我 々 は, こ こ で, 欧 米 の キ リ ス ト 教 が, どの よ う に して, ギ リ シ ャ 的, ロ ー マ 的, 北 欧 ゲ ル マ. 題 を 果 した のが,. ン的 な 衣 裳 (トイ ン ビ ー は ア ク セ サ リ ー と い う) を, 歴 史 的 に 着 る よ う に な っ た か と い う キ リ ス. ト教の全歴史を, ながながとのべるつもりはない. ある意味では, それは誰でもが熟知している こ と で ある. こ こ では, どの よ う な 衣 裳 で あ る か を, 大 ま か に 描 写 し, 論 議 の 準 備 と す る だ け で あ る. ロ, ギ リ シ ャ 思 想 と の 結 合 ロ ー マ 帝 国 の 支 配 下 に あ っ て, キ リ ス ト 教 は, そ の初 期 の 時 代 か ら, 弁 証 の た め に, ギ リ シ ャ l 哲 学 を 使用 した. イ エ ス や パ ウ ロ と 同 時 代 の 人 で, ュ ダ ャ 教 思 想 の 代 表 者 ヒ ロ ー (Phi on B.C, 25~A. D.40) は, ヘ ブ ル 思 想 と ギ リ シ ャ 思 想 の 結 合 を 企 て, プ ラ ト ンの 世 界 精 神 は, モ ー セ の. 神の言葉と同じであると主張した. このヒローの思想が, パウ ロや四福音書また教父たちの思想 に と り 入 れ られ て, ロ ゴ ス 思 想 と して 発 展 した が, ク レメ ン ト や オ リ ゲネ ス に い た っ て, い よ い よ 著 しく な っ た. ) は, 「キ リ ス ト 教 の 本 質」 の 中 で, ハ ル ナ ッ ク (A, von Harnack)7. 「ュダャ教並びにュダャ民族と断然手を切っ て後, 如何に著しく教会は, ギリシャ ・ローマ精 神の影響の下にたったか. 教会は幽霊の様に身体なく地方を紡復した. 身体なく, 然し身体を求 めつつ. 精神が自らのために身体を造りあげる事は疑を容れない。 然し, 精神は其の周囲のもの を同化して, 之をなすものである. ギリシャ思想, ギリシャ精神の注入と福音のそれ との結合は, 第二世紀の教会史に於ける最大事件であり, 此の時に其の基礎はすえられて, 次の数世紀に亘っ て継続したのである. ギリシャ思想がキリスト教に影響を及ぼした段階は之を三つに区分するこ とができる」 (山谷訳) 福音とギリシャ 精神との結合の第一段階は, A,D.130年である. 第二段階は 220~2 30年頃よ り, ギリシャ文化は教会の中に重要な地位を占めるようになった時期である. ギリシャ文化とい うのは, 特に新プラトン主義が, 多少の不信感もあったが, 全般的には親和感をもっ て採入れら れた。 この倫理思想の外に, 宇宙論的な概念たるロ ゴス説 が教会の教理上に, 支配的な地位を占 め る に 至 っ た. 二 世 紀 の初 め に, キ リ ス ト教 の 護 教 家 は, ロ ゴ ス, 即 ち, キ リ ス ト と い う 方 程 式 を つ く り あ げた. ロ ゴ ス 概 念 は重 要 な 世 界 観 と な っ た. ロ ゴ ス を キ リ ス ト と 同 視 し て, ギ リ シ ャ. 哲学と使徒的伝承とを結合した. それよりして, 宗教哲学への関心がたかめられて, その極端な あ ら わ れ が グノ ー ス チ シ ズ ム で あ る. こ の 霊 智 主 義 と の 戦 の た め に, 教 理 と 律 法 の 宗 教 と な っ た.. その戦の中で, 正統主義主張と形式主義の宗教に陥った. 三世紀のキリスト教は, 急激なギリシ ャ 化 の 運 動 と な り,. 霊 的 な も の を 失 っ た. キ リ ス ト教 は 教 え と して の 宗 教 と な っ た. ハ ル ナ ッ ク. ) は, 教義史においても8 , 教義の発達は, 初代キリスト教の信仰とギリシャ思想との混靖の結果 で あ り, キ リ ス ト 教 の 本 質 に 属 さ な い も の を も 含 ん で い る と 批 判 して い る. こ と に ギ リ シ ャ 正 教 会は, キ リ ス ト 教 の 衣 を つ け た ギ リ シ ャ 主 義 の 産 物 で あ る. 本 質 的 に は, ギ リ シ ャ 的, ギ リ シ ャ ) の 著 書 で, 宗 教 史 の継 続 で ある と も ハ ル ナ ッ ク は 極 言 して い る. ト レル チ が 「オ ー ガ ス チ ン」9. ロシヤのキリスト教は, 政治に無関心で, 古代教会からの神秘的=禁慾的な精神を保持 し, ロー 一 47 -.
(5) . 石. 徹. 沢. ton) の 「中 es マ 法 や そ の 合 理 主 義 と は 没 交 渉 で あ っ た と 評 して い る. コ プ レス ト ソ (F . C. Copl. l o ) では, 教父たちが, 護教の目的から, 手近かにあったギリシャ哲学を用いたこと, 最 世哲学」 初は新 プラトン主義が用いられ, 神学とギリシャ哲学の融合が深められたこと, そのような代表 的 な 中 世初 期 の哲 学 者 と し て,. オ ー ガス チ ン,. ポ エ チ ウ ス, J . エ リ ゲーナ の三 人を あ げてい .S. i l る. ヂ ル ソ ソ (Et ene Gi son) の 「中 世 哲 学 の 精 神」”) で は, 中 世 の 哲 学 は キ リ ス ト 教 の 哲 学 で あ る こ と, プ ラ ト ン, ア リ ス ト テ レス の 哲 学 の よ う な ギ リ シ ャ 哲 学 思 想 に, キ リ ス ト教 信 仰 が 接. 木されて, 独特なキリスト教哲学という 「歴史的な哲学」 が成立したこと, 中世の宗教哲学はギ リ シ ャ 哲 学 の亜 流 の 如 く であ る が, ギ リ シ ャ 哲 学 で は な く キ リ ス ト 教 哲 学 で あ る を 力 説 し て い る。 しか し, 中 世 思 想 に 大 き な 感 化 を 及 ぼ した オ ー ガス チ ンで も,. ポ エ チ ウ ス で も, エ リ ゲナ で も,. 存在論や宇宙論な ど, ギリシャ哲学好みの論理を展開しているが, キリスト教の本質からみると, 1 )に, 予言者にとっ 2 無用の論を展開しているようにも思われる。 浅野順一氏の 「予言者の研究」 ては神の存在論や宇宙論の如きは論外であっ たとのべられているのは参考になる。 以上は主とし 1 3 ) その外に, ギリシャ 的な生活態度の如 て, ギリシャ哲学的傾向について指摘 したのであるが, き も の も み られ る.. 4 ) 西 欧 の 政 治 と 戦 争 に 対 す る 態 度 は, 古 代 ギ リ シ ャ 人 の 都 市 トイ ソ ビ ー は,1. 国家に対する態度 (崇拝の態度) に由来するという. ハ, ローマ帝国文化の継承 5 ) で, ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 の 特 色 を 三 つ あ げ て い る. ハ ル ナ ッ ク は 「キ リ ス ト 教 の 本 質」1 1, カ ト リ ッ ク 主 義, 2. ラ テ ン的 精 神 と ロ ーマ 教 会 に お い て 継 続 せ る ロ ー マ 世 界 帝 国, 3. ア ウ グ ス チ ヌ ス の 精 神 と 敬 度。 カ ト リ ッ ク 主 義 と は, ギ リ シ ャ 教 会 信 徒 で も, 法 王 を み と め さ え す. れば, 何時でも加入をみとめるという普遍主義. ラテン的精神とは, 救を一定の条項を具備する 契約, 法に適う救済, ざんげの訓練, 教会法の完成にみられるもの. ローマ 教会は, 口 マ的法 規, ロ ー マ 的 法 服, ロ ー マ 的 組 織 を と り 入 れ て 成 立 した も の で, 法 王 は シ ー ザ ー の 後 継 者 と な り,. 6 ) 教会国家主義をつくりあげた. オーガスチ ンにも1 , 有形的教会主義には多少の責任はあるが, グレゴリー一世は, 特に教会国家主義を主張し, 法的権力を行使 した. そこでハルナ ックは, か かるカトリ ック教会は, ローマ世界帝国の歴史的発展であり, 法律と権力の国家としての 教会で あ る か ら, あ ま り に 福 音 か ら か け は な れ て い る と い う .. 筆者 はこのような ハ ルナ ックの評 価を直. ちに妥当とするものではないが, ローマ帝国文化の継承者としてのローマ教会の特色が是認され れ ば よ い. 7 ) ドウ ソ ソは 前 掲 書 に1 , ロ ー マ 世 界 はこ れま でロ ー マ 世界 と 野 蛮 人の世界 の二 つに分 け られて い た が, キ リ ス ト 教 の 普 及 に よ っ て,. シ ー ザ ー の 僕 と キ リ ス ト の 僕 の 二 つ に 分 け られ た。 数 世 紀. を へ て, ロ ー マ 帝 国 自 身 の キ リ ス ト 教 へ の 改 宗 に よ っ て, こ の 分 裂 は 克 服 さ れ, ロ 【 マ 人 と キ リ . ス ト者 と は ほ と ん ど同 義 語 と な っ た. こ の 頃 に は 西 方 で の ロ ー マ 帝 国 の 権 力 は 破 れ, ロ ー マ は も は や シ ー ザ ー の も の で は な く な り, ロ ー マ 法 王 庁 の あ る と こ ろ と な っ た. St . レオ に と り て も, 当 代 人に と り て も,. ロ ー マ 帝 国 は 諸 国 民 を キ リ ス ト の 福 音 に 導 く 道 具 で ある と 考 え, ペ テ ロ と パ ウ. ロ は, ロ ム ル ス, レム ス に 代 る 第 二 の 口. マ 建 設 者 と さ れ た と の べ て い る。. 8 ) の 「宗 教 改 革 の ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク の 法 律 主 義 に つ い て は, ハ ソス ・ フ オ ソ・ シ ュ 【 ベ ル ト1. 世界史的意義」(石原訳) にも, カトリ ック教会が教会法なる概念に基づいて, 教会法を完成し, 法を宗教としてしまった。 宗教を法律の様式で思索し, 法律の範噂とその内面的関係を記述せん 1 9 ) で, 「此東方基督教に対して, 西方教会に としているとのべている。 石原謙氏 は 「基督教史」 於ける法律的関係の発達は, 優るとも劣りはしない。 教会が法律に関して, 特に優越せる ローマ ー 48 -.
(6) . 欧米的キリスト教の歴史的性格と今日の課題. 精神の伝統を受け, 内外に起る凡ての問題を法律的に取扱い, 叉, 解決したのみでなく, 一般に 信仰の教にも法律的意義を与え たのは, 顕著な事実である。 教会法典 の最初の集成である所. 謂. Co i l l t ec o Canonum の如き其一例であり, 更に甚しきに至っ ては, 教会が檀ままに古い文書を. 改寂 し, 或いは樫造して作製し, 之が殆ん ど吟味批判されずに法律的効力を有したことさえ稀で な か っ た」 0 ) は 前 掲 書 の 中 で の べ て い る 世 界 の 歴 史 の 中 で 時 満 ち て ュ ダャ 教 と ギ リ バ タ ーフ ィ ル ド2 , , 。 シ ャ 哲 学 と ロ ー マ 帝 国 と の 合 流 o 出 遭 い と い う こ と が, キ リ ス ト 教 に 勝 利 を えさ せ た. こ の よ う. な大いなる結合という大事 件は, 世界史上, 再びみられない大事件である。 しかし, この結合 は, 福音に利した点はあったが, また反面にはその欠点も残されている. ローマ帝国の崩壊・死とい う墓 の上 に, ロ ー マ 帝 国 へ の 郷 愁 と い う も の と して 建 て ら れ た も の で あ る こ と を み と め ね ば な ら. ぬ. 野蛮人の侵入を蒙ったヨーロッパ世界, この野蛮人の世界を, キリスト教が教化する際に, キ リ ス ト 教 は, グ レコ o ロ ー マ ン世 界 の 一 切 の ょ き も の を 継 承 す る も の で あ り, 文 化 の 案 内 者 で. あると信任さ れたこと, 宣教者もまたその自覚をもって指導にあたったので, ヨーロ ッパ世界の 文 化 を そ の よ う な キ リ ス ト教 圏 と して 作 り あ げ る こ と に な っ た。 そ れ よ り して, ロ ー マ 人 と は, キ リ ス ト教 徒 と い う 意 味 に な っ た。. ドーソンは前掲書に, キリスト教会が如 何に蛮族を教化したかの歴史をよく叙述 している. 中 世のヨーロッパ文化は, 一般に暗黒時代といわれるが, 中世のヨーロ ッパの精神的力は, 蛮族の 教 化 に 傾 注 さ れ,. そ れ を 教 化 して, ヨ ー ロ ッ パ 文 明 圏 が つ く ら れ た こ と を 叙 述 して い る。 グ レコ. ・ローマン文明の衣裳をつけたキリスト教は, 野蛮人の教化には非常に有効であっ た. ローマ教 会は ギ リ シ ャ o ローマ文明の後継者, その宣伝者として宣教にあたった。 また, 教職制度の組織 化は, 野蛮人に対して, 権威をもっ て教化することができ, その教会法は野蛮人の文明化, 生活 訓練のために役立った。 しか し, ハ ル ナ ッ ク や シ ュ ー ベ ル ト の 批 判 を ま つ ま で も な く,. 宗教が法に かえ られる という危. 険を犯 した。 教会法とローマ法とは違っ たところのあるは当然である。 社会生活の律法に, 神の 国の理想を注入していることが根本的に異るところである. 申命記律法が予言者の精 神をとり入 れて, 改革された律法であるように, 教会法は新しき契約, キリストの福音に基づく 律法である という根本的 性格はみとめてよいが, 福音の生命を枯渇せしめる危険を犯していたことはみとめ ら れ る。 こ の 点 で は, プ ロ テ ス タ ン ト も, 聖 書 主 義 を 主 張 した の は よ か っ た が, 何 時 の ま に か プ. ロテスタ ントのスコラ主義といわれるような時代逆行の律法主 義に陥った場合もある. 二, ゲルマン的習俗や精 神との習合 ) は, 前 掲 書 の 中 で, 北 方 ゲル マ ン族 の 精 神 が, ヨ ー ロ ッ パ 文 明 即 ち ヨ ー バ タ ー フ ィ ル ド2 1 , , ロ ッ パ 的 キ リ ス ト 教 圏 の 中 に 残 さ れ て き た 歴 史 的 事 情 に つ い て, 次 の 如 く の べ て い る. ロ ー マ 帝. 国の崩壊後に, ヨーロ ッパとよば れるキリスト教圏の形成を目指す運動がつづけられた。 西方で はチ ユ ー ト ソ族 と そ の 王 朝 が, フ ラ ンス, ス ペ イ ン, イ タ リ ー, ブ リ テ ンを犯 し, こ れ ま での, ロ ー マ 帝国 の 文 明 世 界 と, ゲル マ ンの 暗 い 野 蛮 な 北 方 と の 間 を 分 っ て い た 障 壁 を 被 っ た。 ア ジ ア. からは多くの遊牧民がョ. ロ ッ パ に 侵 入 し て き て 掠 奪 を した。 ヨ ー ロ ッ パ の 新 しい 野 蛮 人 国 家 が, キ リ ス ト 教 化 す る に は, コ ンス タ ンチ ンの 時 代 に ま でみ ら れ た 自 由 な 改 宗 と は全 く 違 っ た も の で. あっ た。 彼ら野蛮人はロ トマ世界に入ると, ローマ人のもつ信仰に転宗し, 信奉するのが, 政治 的にも文化的にも得 であると考え, キリスト教をす ぐれた文化として受入れた。 このように して, 半キリスト教化し, 半ローマ化した半野蛮人国家が, さらに北方の暗い原始民族のキリスト教化 - 49 -.
(7) . 石. 沢. 撤. に 武 力 を も っ て 改 宗 せ しめ た。. プ ロ ツヤ や ポ ー ラ ン ドな ど は 武 力 で 改 宗 さ せ ら れ た 方 であ る。 オ. ラ ン ダ に 侵 入 した フ リ ー セ ソ,. サ ク セ ン ら も 強 制 的 に 入 信 さ せ ら れ た。 一 般 に ゲ ル マ ン諸 国 民 の. 改宗は, ほとん どが集団的に改宗させられたり, 剣をもっ て改宗させられたので, 原始的な野 蛮 人の民衆精神は永く存続した。 それ故に, 当時の教会の戦いは, 如何にして野蛮人の習俗をやめ さ せ る か と い う こ と に あ っ た。 こ と に 野 蛮 な 習 慣 を も つ 借 主 た ち に, そ れ を や め さ せ る こ と に あ. っ た。 そのような 教会の努力にもかかわらず, 野蛮人の原始的な民衆精神は, キリスト教圏の中 に,. な がく つ づ い た。 こ の よ う な 事 情 か ら, 新 約 聖 書 に 見 出 さ れ る キ リ ス ト 教 と は, か な り 違 っ. た宗教となっ た。 ことに文明の初歩の段階にある民族に対して, 他の宗教が果 したような役割, 2 ) で は, ロ ー マ 世 界 と ゲ ル マ ン野 即 ち, 種 族 の 統 一 の 基 礎 と な っ た。 H. Moss の 「中 世 の 誕 生」2. 蛮人世界を対照的に描き, 両文化の接触からヨーロ ッパの中世の混乱 した歴史が展開しているこ と を 明 ら か に し て い る. ) こ の 問 題 に つ い て は, 大 要 次 の よ う に の べ て い る。 ヨ ー ロ ッ パ は キ リ ス ト 教 化 さ 3 ドウ ソ ンは2. れたとはい え, ヨーロ ッパには二つの文化が残っ た。 即ちキリスト教は西方の国民とその文化の 上 に, 深 い 影 響 を 及 ぼ し た が, メ ロ ビ ンヂ ア ン王 朝 の ガ リ ャ と, ア ン グ ロ o サ ク ソ ンの ブ リ テ ン. の半野蛮的な社会に対して, キリスト教帝国 の成熟 した宗教文化との間には, 大きな溝がのこさ 4 ) オ ー ガス チ ンや ポ エ テイ ウ ス の よ う な 人 の 精 神 と, 西 方 の 運 命 を 支 配 した ク ロ ヴイ ス や れ た2 。. チルペリ ックのような戦士の首長の精神との間には大きな溝 があった。 新 しいヨーロッパ文化の 興起は, このような二つの鋭く対立する二元主義によって貫ぬかれている。 一つは野蛮人王国の 戦士の社会, 英雄主義と攻撃主 義の習俗をもつ戦士の社会であり, 他は禁欲主義や自制, 高い神 学的文化を理想とするキリスト教会の平和な社会である. このような二元主義は, 何も A.D.500 年~1000年の間の, 暗い暗黒時代にかぎらず, ある意味では中世文化全体に通 じていえるのであ り’ 後 の 西 方 ヨ ー ロ ッ パ の 歴 史 に も み ら れ る も の で あ る。 ま た, ドウ ソ ンは 次 の よ う な こ と を 書 5 ) ツ ー ル ズ の グ レ ゴ リ ー (St f Tour s) の 時 代 の 野 蛮 人 は, い て い る.2 . Gregory o. 帝 国 を 滅 し,. キリスト教会に侵 入した。 メロ ビソガ王朝の王たちは, キリスト教徒にはな っ たが, 野蛮人たる こ と を や め な か っ た。 ツ ー ル ズ の グ レ ゴ リ ー の 書 く と こ ろ に よ る と, そ こ は 暴 力 と 腐 敗 と の 世 界. であり, その支配者は不正の典型であり, 法を無視し, 武人としてのほこり であるべき忠誠心や 軍人的名誉の美徳さえも失っていた。 かかる世界では, 野蛮きわまる自然的な暴力に対 しては, 宗教は超自然的な威厳や精神的暴力とでもいうべき精神的畏怖感を与えることによっ てのみ, 宗 教の力を維持できた。 神の怒りと聖者の復讐という精神的威嚇のみが, フラ ンク王国の半野蛮な, 無法者なる新しい支配階級を威嚇できる唯 一の力であった。 聖者は道徳的に完全なる典型である だけでなく, その教会に住みつく超自然的な霊力であり, かつ, その国土と国民の幸福を守護す る 神 威 な る も の と して あ が め ら れ た.. そ の よ う な 多 く の 聖 者 が あ る 中 で, 聖 マ ルチイ ヌ ス (St .. i Mar t n) は, ツール ズの教会の恵みと, 奇蹟的な治癒を与える聖者であるとされて, 病人がガリ ャ全国からあつまっ た。 当時の教会は, 野蛮人の教化に, 聖者崇拝や聖者の復讐と巣りな どでお 1ard) I ど して 無 法 な 王 た ち を 教 化 した こ と が の べ ら れ て い る。 同 様 の こ と を ポ ラ ー ド (A. F . PO. 6 ) に, 家庭教師 が腕白な子供に, 鬼がくるぞとおどして教育するのと同 2 も, 「近世史の諸要因」 じ方法 で, 教会は乱暴者の王たちを教化したとの べている。 ついでながら, ル ッターの回心の際 に, ル ッ タ ー は エ ル フ ル ト 大 学 で 法 律 を 学 ぶ 学 生 で あ っ た と き に,. 雷 に あ っ て, 「セ ン ト o ア ン. ネよ, 我れを助け給え, 私は修道僧になりま しょう」 と叫んだといわれている。 同 じ ゲル マ ン人 と い っ て も, 大 別 して 考 え ね ば な ら ぬ こ と に つ い て は, 一 50 一. 歴 史 家 H. W. デ ビス.
(8) . 欧米的キリスト教の歴史的性格と今日の課題 (Davi s) の 「中 世 ョ. 7 ) で の べ る と こ ろ で あ る 中 世 の ヨ ー ロ ッ パ は, 早 く 口 ← マ ナイ ロ ッ パ」2 。. ズさ れ て い た ゲ ル マ ン人 と, 全 く ロ ー マ ナイ ズさ れ て い な か っ た ゲ ル マ ン人 と は, 明 ら か に 歴 史 的 に 区 別 さ れる こ と, か つ ま た, 早 く ロ ー マ ナ イ ズ さ れ た ゲ ル マ ン人 と 然 ら ざ る ゲ ル マ ン人 の キ リ ス ト 教 の 受 容 に は, 目 づ と 相 違 の 生 ず る を 明 らか に して い る の は 傾 聴 に 値 す る。 タ キ ト ゥス の 「ゲ ル マ. ) の 註 に も, 両 者 の 相 異 る も の あ る を の べ て い る 8 ニア」 (田中 o 泉 井 訳)2 。. )の 中 で, プ ロ テス タ ン ト の 宗 教 改 革 は, 9 ハ ル ナ ッ ク は 「キ リ ス ト 教 の 本 質」2. 果 して ゲ ル マ ン. 精神の発現であるかと自問して, 東方のキリスト教をギリシャ的と名付けるならば, 中世的西方 の ラ テ ン民 族 の キ リ ス ト 教 は ラ テ ン的 と い え る で あ ろ う。 そ れ に 比 して, プ ロ テス タ ン ト の キ リ ス ト 教 は, ゲ ル マ ン的 と 名 付 け う る で あ ろ う と い う。 フ ラ ンス 人 カ ル ザ ンは, フ ラ ンス 人 で は あ る が, ル ッ タ ー の 弟 子 で あ り, や は り ゲ ル マ ン精 神 の 発 現 の 中 に 入 る と し,. ゲ ル マ ン的 精 神 と い. うものを, 禁欲主義からの転向, 外的権威としての宗教に対する反抗, 説教における温さと熱心, ルッターの卒直な攻撃的議論への共感と説明している。 ルッターは無意識的に, 使徒時代に成立 した 形 式 を, 変 更 した り 廃 止 さ え も して, ゲ ル マ ン精 神 を 発 露 した と, ハ ル ナ ッ ク は 誇 り を も っ 0 ) て語 っ て い る。 ハ ソス リ フ オ ン o シュ ーベ ルトも, 前掲書で3 , 宗教改革がゲルマ ン精神の発露. であることを誇りげに語り, ルッターの ドイツ的な豪勇と外的な要素の排撃にゲルマ ン精神が示 さ れ て い る と い う。 ル ッ タ ー の 神 信 仰 や カ ル ザ ンの 神 信 仰 で,. 何 が ゲ ル マ ン的 か と い う こ と に つ い て 検 討 す る に あ. たって, 我々はわが二人の先達の研究を利用することができる。 佐藤繁彦氏の 「ルッターの根本 、ン神学の精神) 3 )と, 魚木忠 一氏の 「基督教精神史研究」(カルワ 1 )である ルッターにつ 3 2 思想」 。 ザ 氏の同上著に ソについては魚木氏の同上著によ いては佐藤 , カル っ て検討してみる。 ルッタ【 の神は, スコラ学とも ドイ ツ神秘主義とも異っ たものである。 倫理的律法も理性をも媒介としな い直接意志的な神, 凡ての凡てを働き給う意志的な神である。 「神は殺して活かす 神であり, 罪 3 1 ) ル ッターの神は独裁的。 に堕 して義とする神であり, 地獄に入れて天に引きあげる神である」 独善的な意志的な神である。 神の怒りも, また, 理性と律法を媒介としない恐るべき怒りとして 受けとられ, 我々はただ信仰と服従のみである。 自由意志は神にのみあっ て, 人間には奴隷的意 志 しか な い,. しか し, 神 に は 我 々 に 「か・ く さ れ た る 神」 の 側 面 が あ る。 神 の 審 判 と い う ベ ー ル の. 下には, 神の愛がかくされている。 怒の背後には神の愛がある。 その愛を信じて, 我々は懇願あ るのみ である。 このようなルッターの神観をみてくると, 倫理的律法や合理的理性を媒介としな い, 独善的な厳格な父親を思わせる。 そして, その厳格な父親の怒りや処罰の背後に は, 子への 愛 が ひ そ ん で い る の だ と 説 く と 同 一 で あ る。 こ こ に, ロ ー マ ナイ ズさ れ る こ と の 少 な か っ た 北 欧 のu 未開ゲルマン社会での 種族的 ◎ 封 建 的 な 社 会 の 家 父 長 の パ タ ー ナ リ ズム を よ み と る こ と が. ,. でき る。 一 般 に い わ れ る よ う に, ル ッ タ ー の 神 観 は, 神 と 人 と の 間 に, 何 も の を も 媒 介 す る こ と. なしに, 直接に神と交るにあるといわれる が, 広い意味では ドイツ神秘主義の流れの中にあると い っ て よ い の で は あ る ま い か。. 、ンの宗教類型を 「ゲルマン類型 と呼ぶべき 魚木忠一氏の前掲書によると, ルッテ ルやカルワ , であ る」 と し, 「長 類 型 (ゲ ル マ ン類 型) が ル ッ テ ル に 於 い て 高 峰 的 表 現 に 達 した こ と は, ゼ ー. ベルグも説く所であるから, カルザンが独自の類型を代表するか否かは, 要するに彼がルッテル 2 ) カ ル ザ ンを 仏 類 型 に 入 れ る に は, に 対 して 如 何 な る 位 置 に 在 る か に よ っ て 定 ま る と も 云 え る」3. 反人文主義的でありす ぎる. カルブソの創造者の神に関する思想は, 「最も実在的なものは, 神 の意志であるという根本的確信の表現であることが知られる。 ……信仰は神の聖なる意志を, 絶 1- -5.
(9) . 石. 沢. 徹. )「カ ルザ ソの立場は非神秘主義的, 3 2 対なる意志として体得することを以て任務とする」. 宗教実. 在主 義である。 こうした発展に於いて, 彼はルッテルと全く同 じ思惟動向を示すというべく, 之 3 2 ) 神が意志 は両改革者が協同的に ゲルマ ン類型を代表するという判断の一根拠となるであろう」 的な力の神と してとらえられている. 人間が思弁的に探求しえない独裁的な権力者であり, 人間 は た だ こ れ 命 を き く べ き も の と さ れ て い る。. そ こ に は, ル ッ タ ー の 場 合 と 同 じ く, 新 し き 契 約 に. 伴う律法も, 合理的理性の媒介をも必要と しない。 しか し, 神が意志的な神としてとらえられる のは, 神が人格的実在者としての神であり, 罪認識も, この意志的神に反することで, 罪の原理 を媒介としない. 神の摂理も, 神の独占的意志によるもので, 因果律の入る余地がない。 このよ うな神信仰を魚木氏は基督教意神主義とよんでいる。 「彼は神が凡てのものの原因であると の 中 ) というの 2 世神学的思惟を, 恩寵のみによりて の 思 想 に よ っ て, 敬 度 に 人 格 的 に 解 釈 した」3 は, 神 の 信 仰 に は, 合 理 的 理 性 を 媒 介 と し な い と い う こ と で あ る。 ま た, 信 仰 に よ り て キ リ ス ト の 義 を 抱 懐 す る こ と は, 同 時 に, 聖 潔 を 抱 懐 す る こ と だ と 断 言 す る カ ル ザ ソは, ル ッ タ ー と 同 じ. く, 倫理的律法を媒介としないことをいうものである。 魚木氏はいう。 「彼自身の立場から義認 教理を打立てたことにより, ゲルマン類型は鮮かな自己意識を以て確立 したといっ てよい。 それ はゲルマ ン類型が他と異るものとして成熟 したことを意味するだけでない. それ以上に, 他者が ) エ ミ ー ル, G. レオ ナ ー ル の 「プロ テ ス タ ン ト 2 之 か ら学 び 得 る よ う に な っ た こ と を も 意 味 す る」3. )(渡辺訳) にも, 「カルザ ソの神は中世末期の神秘主義者の表現をうけついだものであ 3 3 の歴史」 る. 戦 傑, 恐 怖, 濯 れ な どと い わ れ て い た も の を, カ ル ザ ンが 今 一 度 自 分 の も の と して 云 い な お した も の で あ る・ 神の戦課す べき威 厳を思うならば, われわれは恐怖な しではすまされない かない 畏れは宗教の根本である カ ルワ、ソ の 神 も. 彼の無限はわれわれを恐れさせずにはお ル ッテルのように, 倫理的律法や合理的理性を媒 介としない, 独占的な意志的な神である。 それ を魚木氏はキリス ト教意神主義と表現 している. そこには, 封建的, 未開民族社会の, パターナ リスチ ックな神観が表現されていて, 北欧 ゲルマン人に深い感銘を与えたことも理解される. し かし, ローマ教 会ギリシャ 教会が, 聖書にある素朴な純真な信仰から, あまりにもかけはなれて いた ことが, ゲルマ ン的な宗教改革に大きな作用 をなさ しめたのは当然である. 2 . 欧米的キリス ト教についての批判の観点と歴史的理解につ い て イ, 批判の観点について キ リ ス ト 教 は, ギ リ シ ャ 的, ロ ー マ 的, ゲル マ ン的 衣 裳 を つ け て, ヨ ー ロ ッ パ 的 キ リ ス ト 教 と して 成 立 した こ と を の べ て き た の で あ る が, 筆 者 は そ れ が 悪 い と い う つ も り は な い. は ギ リ シ ャ 正 教 や ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 を 批 判 して,. ハ ル ナ ック そ れ な る が 故 に, 福 音 か らは な れ て い る か. ら正 しくない と批判するのであるが, ハルナ ックの批判の観点は, ゲルマン的な福音理解からの 批判であることが第一に問題にされね ばならぬ. 歴史的にみるならば, ギリ シャ 正教, ローマ・ カ トリ ッ ク 教, プ ロ テ ス タ ン ト 教 は, そ れ ぞ れ の 歴 史 的 使 命 と 意 義 を も っ て, か く な っ た も の で. あり, そこには神の摂理のあっ たことをみとめるべきである。 筆者は, それぞれの時代と処にお いて, 宣教の必要に応 じた発展であっ たとみとめるのである が, しかし, ある場合には, 一方に 偏し誤りに陥っ たことな どは当然反省されね ばならないと考える. 中世のキリスト教会が, ゲル マンの野蛮人たちを教化するために, 精神の全勢力を傾注して, 今日のヨーロ ッパ文明をつくる の に 貢 献 した こ と に つ い て は, ,ドゥ ソ ソ の 著 に も の べ ら れ て い る と こ ろ で あ る が, そ の 宣 教 の 必. 要上, まとった衣裳が今日からみ て, また他の民族からみて, 好ましくないものが付着された歴. - 52 -.
(10) . 欧米的キリスト教の歴史的性格と今日の課題. 史的事情も理解することができる。 ギ リ シ ャ 的 o ロ ー マ 的 o ゲ ル マ ン的 な 衣 裳 を, ヨ ー ロ ッ パ 的 キ リ ス ト教 は つ け て い る 。 一般的 ヨ ー ロ ッ パ 的 衣 裳 を ま と っ て い る。 そ の よ う な キ リ ス ト 教 が 西 欧 の 植 民 地 か 植 民 , ,. に い っ て,. 地化されていない日本や東洋に, そのまま通用するとは思われな いし, 日本人や東洋人におしつ け ね ば な ら ぬ 理 由 は な い。 そ こ で, パ ウ ロ が キ リ ス ト 教 を ュ ダ ャ 的 キ リ ス ト 教 の 枠 か ら解 放 し , て, ヘ レニ ズム 世 界 のキ リ ス ト 教 と した よ う に3 4 ) 今 や キ リ ス ト教 を , , ヨ ーロッパ 文 明の枠 か ら. 解放 し, 世界の他の文明諸国民のための福音とすることが, 最も重要な課題である そのために 。 は, 神の特別な啓示であると いわれるナザレのイエスを, イスラエル宗教史の中で 歴史的に再 , 検 討 して み る 必 要 が あ る. そ の こ と は 結 論 的 に い え ば, ギ リ シ ャ 化 さ れた ,. ギリ シ ャ 的な 思 考 法. によらずに, ヘ ブル的な, 本来の思考法に還元して再検討してみることである たとえを キ エ , 。 ) というと きに は 5 ル ケ ゴ ー ル が 「こ れ か, あ れ か」3 , 神 を 信 ず る か, 否 か の 撰 択 で は な く て, 神. と我との間 の 「汝と我」 との関係にたつか, もL く は, あ く ま で そ れ を さ け て 眺 め る も の の 立 場 にとどまるかの二 者のいずれかを撰択することであって, 前者はヘ ブル的立場であり 後者はギ , リ シ ャ 的 な 立 場 で あ る。 キ エ ル ケ ゴ ー ル は, い う ま で も な く ヘ ブ ル 的 な 立 場 に た つ こ と を 求 め , て い る の で あ る が,. そ の 点 で は, バ ル ト も ブ ル ソナ ー も, そ の こ と を 神 学 の 主 要 点 と して い る 。. 彼らはそれがヘ ブル的な態度であるとは自覚していないが 。. ロ, イ ス ラ エ ル 宗 教 史 よ り み た るイ エ ス イ ス ラ エ ル 宗 教 史 を どの よ う に 把 握 す る か が 問 題 で あ る が そ こ に は ニ つ の 側 面 が あ る と 思 う , 。 祭司の宗教, 予言者の宗教, 教法師 o 学者の宗教である 渡辺善太氏は n日約 書 の 文 学」3 6 ) の . ,. 初めに, 第一はカナ ソの影響の下に発達した思想, 予言者的宗教及び文学で す ぐれた倫理思想 , をあらわしている。 第二 はバ ビロ ンの影響の下に発達 した思想, 宗教的 教会的であり 祭司的 , , 宗教及び文学が発達した。 第三は, ギリ シャ 的文化の影響の下に発達した思想 哲学的 であるが , , 智者的宗教 (智慧文学) 及び宗教が発達した, と のべ, 以上のような三潮流が 一人の人の生命 , に 合 流 して 生 み だ さ れ た の が,. ナ ザ レ のイ エ ス で あ る。 彼 は こ の 潮 流 を, そ れ ぞ れ 代 表 し しか ,. も, その何れよりも 「より大きく」 あっ た. 彼は, 「殿より大なるもの燕にあり」 「ヨナより大. な る も の こ こ に あ り」 「ソ ロ モ ンよ り 大 な る も の こ こ に あ り」 (マ タ イ 12:6 41 42) 殿 (ミ , ,. ャ) とは祭司思想の象徴であり, ヨ ナは予言主義, ソロモ ンは智慧文学者。学者を代表する イ 。 エ ス は予 言者 中 の最 大な る も のと いわ れるパ ブテス マ のヨ ハネ よ り も 偉 大なる 予 言者 であり ,. 彼. は如何なる教法師や学者よりも, 神の教と律法を, 真に知れるょき教師であり 彼は最後の晩餐 , で自ら語っ たように, またヘ ブル書記者が告白したように, 自らを生 ける犠牲として 神に捧げた 大祭司であっ た。 ナザレのイ エスの歴史的啓示は, それらの三側面 の宗教が 一つの正 しい宗教 , と して 示 さ れ て い る の で あ っ て, ロ ー マ e カ ト リ ッ ク 教 ギ リ シ ャ 正 教 , ,. プ ロ テス タ ン ト 教, そ. の他の宗教は, このようなキリストの啓示に照して, その行過ぎや偏向や誤り を反省し 改革し , てゆくことが必要である。 三 宗 教 の側 面 とイ エ ス の 関 係 に つ い て は, ブ ー セ ッ ト の 「イ エ ス」3 7 ) にも記さ れている イ エ .. スはパ ブテスマを創始した予言者ヨハネの後継者と して世にあらわれ その説く所 は予言者の如 , く であった。 しかし, 彼は当時のラ ビ (教法師) とまた甚だ似た活動をした 彼は当時のラ ビた 。 ちと同 じく, シナ ゴク (会堂) で教え, 聖書を解釈し討論し, 土地から土地へと遍歴し 門弟や , 弟子をあつめた。 彼の説話の形式 は, シナ ゴクの学者精 神, ュダャの学者主義の比較的後代の伝 承 を う け つ ぐも の で,. 彼 自 身, 若 き 日 に, シ ナ ゴク で う け た 教 育 の 方 法 で あ た そ して イ エ っ 。 ,. ー 53 -.
(11) . 石. 沢. 撤. スは自己の受難と死 とを特別な意 義と目的をもっ てみた. 多くの人の購いとして自分の生命を与 えるとの自覚. これこそは 祭司宗教の究極であるが, これについては, ブーセ ッ トは消極的肯定 をしている。 イスラエル宗教史上, 予言者アモス, ホゼヤと当時の祭司たちとの論争の根本は, 神に捧げる犠牲 のことであっ た. 両者の意見の生かされる道は, 神の子イエス が, 自らを神に犠 牲とすることであり, それこそはまた我々自身の神へ の敬度の道である。 自ら十字架を負うこと による神への犠牲 (イケニヘ) は, 神の最も喜 び給うことであり, 旧約思想の根 本である. ょき ラ ビ であ り, 予 言 者 で あ り, ま こ と の 大 祭 司 で あ る イ エ ス が, そ れ を 自 覚 しな か っ た と は 思 わ れ 8 ) は, 「人 の 子 に つ い て, か れ が 多 く の 苦 難 を 受 け, な い。 こ の 問 題 に つ い て, シ ュ ヴイ ッ ア ー3 る の か」 (マ ル コ 9:12) イ エ ス は, こ の よ う な 苦 難 故 で あ 恥 か しめ られ る と 書 い て あ る の は 何. をうける神の僕 の姿の中に, 自分の姿をみとめたの である。 そこに自分の受難の使命 が予め示さ れているのを見出 した。 そこからヘ ブル書 が, 「己が血を以て永遠の贈罪を終えた大祭司」(9: 11~28) と 書 い て い る。 そ れ で は, イ エ ス は 何 故 に, 祭 司, 教 法 師 (学 者), パ リ サイ の 徒 を 責 め. たのであるか というに, イ エスは祭司の存在や学者の存在の意 義を否定 したのではない。 問題は 9 ) それが本来の意味を失い, 方向を誤っ ていたからである。 関根正雄氏がイスラエル宗教文化史3 の中で明らかに しているように, 予言者は決 して祭司の宗教, 儀式や, 律法学者の存在を否定 し たことはなく, 彼らが本来の宗教の使命にたち かえり, その生命を生かすことを求め警告したの であっ て, 予言者のみでは宗教は成立しないことは, 予言者自らよく知っ ていた。 浅野順一氏も 4 0 ) で, 「パ ブテスマなく, 聖晩餐なく, 礼拝なく祈祷なきキリスト教を考えて 「予言者の研究」 見 よ。 そ こ に は も は や キ リ ス ト 教 そ の も の も な い で あ ろ う. ……予言者の信 仰と祭儀とが本質的. に相容れぬものとは思わない」 予言者的宗教の側面 : ここに説明を加 える必要はない と思うが, 予言者は通常の宗教経験をこえて神について知らさ れたろ人であり, 彼は民族の危機にあたっ て, 宗教革新と更生によっ て国民に理想を与え, 従っ てまた, 王国の政治, 外交政策などを批判して, 神に信をおく 自主的外交を訴え, 国内問題とし ては, 強く社会正義の擁護を訴えた。 彼らは律法を 守ることを徹底的に国民に求め, そのような 日常倫理を守らざる国民に, 神による終末的な審判のあることを告知して反省をうな がした。 エ レミャのよ うに, 神の求める高き正 義の要求と, これを守りきれない民 との間に介在して苦悩し た予言者も あるが, 予言者の宗教は, 高く倫理的, 精神的, 社 会正 義的である. 従って, 民から は分離した存在 であっ た。 神よりはなれゆく 罪多き民を如何に して, 神に近 づ けるかは, 彼らの 解決しえ ざる課題であっ た. 祭司 的宗教の側面 : 儀式的方面 B .C .622年に申 命記が書かれた。 申命記の著者は, 予言者的宗 教を実現するには, の必要を感 じた。 一般民衆にとりては, 予言者の要 求する純粋なる霊的倫理的唯一神教は, あま りに峻厳すぎて近 づ きがたいので, 民を神に近 づ けるに, 外的な儀式的礼拝の必要を感じた。 儀 式を純化するために, エルサレムに, エ ホバの礼拝を統一するため, エルサ レム礼拝集中主 義を 確立した。 その律法の中に, アモス, ホゼヤ, イ ザヤらの力説 した神の愛と社会正 義を詳細に織 ) 1 り こ ん だ。 こ の よ う な 努 力 な し で は, 予 言 者 の 教 も 生 か さ れ な か っ た4 。. 次に B, C.598 年の第一回の捕囚のときに, バ ビロ ンにつれてゆかれた祭司の 一人, エ ゼキエ ルは, 祭司 的予言者といわれるが, エルサ レム神殿を中心にする未来の理 想たる教会国家の構 想 をたてた。 イスラエル国家形体崩壊の後に, 国民の団結を守るた めには, 宗教教団をつくる必要 - 54 -.
(12) . 欧米的キリスト教の歴史的性格と今日の課題. があっ た。 その基礎をつくっ たのはエゼキエルであった。 エ ゼキエルの精神をくんでH典 (聖潔 の法典) がつくられた。 エホバ の聖に対して, 民の聖なるを求めた きわめて儀式的な法典であ . る が, 「己 の 如 く 汝 の 隣 人 を 愛 す べ し」 は し ビ 記19 18の H 典 に 出 て い る B C 444年 に 祭 司 , . . 。 , 典 (P 典) が 書 か れ た。 バ ビ ロ ン伴囚 か ら か え っ た ュ ダ ャ 人 は, エ ル サ レム 神 殿 と そ の 儀 式 的 礼 拝 に 集 中 した。 イ ス ラ エ ル 国 民 と い う よ り も,. エ ホ バ の 宗 教 団 体 と して 存 立 しえた の で, 祭 司 的. 立場から歴史と制度をととのえる必要を感じた, 宇宙創造の最高潮が安息日にあっ たとして 安 , 息日の神聖を強調 し, イスラエル民族の聖別を示す印として割礼を重視し, 民族の宗教教団とし ての団結の基礎をそこにおいた。 P 典 に も と づ い て エ ズラ, ネ ヘ ミ ヤ の 改 革 が 行 な わ れ た エ ズ 。 フ, ネヘ ミヤの律法主義運動は, ュ ダャ教の基礎となった。 効罪相半ばするものがあるが, 伴囚 以後のュダャ人が, 異邦の宗教にまきこまれる危険があったので, エホバ の礼拝の儀式を強制 し , 宗教の純真性を保持したが, 他方では宗教の生命 を枯渇せしめて, イエスの批判を蒙る方向にす す ん だ。. 賢人, 学者, 教法師 (律法学者) の宗教の側面 : その起源は旧 約学上, 問題とされている。 予言者エレミヤは, 「祭司はヤハウエは何処に在す といわ ず, 律法を扱う者 は我 を知らず」 (2:8) とのべ, 「律法を扱うもの」 を祭司と別にして ) しか しラ ビ た ち か ら 祖 と 仰 が れ て い る の 2 いる。 教 法 学 者 が こ の 頃 に始 ま っ た と さ れ て い る4 。 ,. は, 学者エズラである。 捕囚後, モーセ律法の学者として, 公布者として, 後世ュダャ教の父と して, ラ ビ た ち か ら尊 敬 さ れ てし・る。 彼 はイ ス ラ エ ル の 民 の 帰 還 を 指 導 し エ ホ バ の 律 法 を 教 え , ,. 信仰の弛みをひきしめ, 風俗の乱れを匡正せんと した エズラのときに, ュ ダヤ教団は確立され 。 , 正典もでき, シナ ゴグの実際的建設者学者の父とエ ズラはあがめられた エルサレム及びエルサ 。 レム外でも, 正典の朗読と解釈が礼拝の主たる形となった. かかる事情から, 律法解釈を業とす る 律 法 学 者 が 生 れ, シ ナ ゴ グ の 発 達 に よ っ て, 祭 司 を しの ぐ勢 力 を つ く っ て い っ た. . ) 3 ウエルハウゼソは4 , 律法学者が必要になっ てきた理由を以下のように説明する。 申命記以後 になると個人主義時代で, 総てのものは, 神から教を受くべきものと考え 律法・予言の実行な , どによっ て, 一般教育を施すことが目的とされてきた また敬神の反省が始められ 智慧文学が 。 , 生れた。 (ヨブ記, ソロモンの言葉, シラクの鱗言, 伝道書な ど) 祭司の犠牲執行も主観化され て, ト ー ラ ー の 中 に 編 入 さ れ, 誰 で も 教 え ら れ る も の と な り,. 俗 人 も, そ れ に つ い て は, 一 通 り. 理論的に は心得おくべきものとなった。 律法は, そのような宗儀執行法を皆のものに徹底させる 方法であっ た。 神殿礼拝の重心が祭司をはなれて, 教団にうつった。 祭式の歌も, 合唱隊によっ て う た わ れ, 宗 教 教 団 の 歌 と な っ た。 「宗 教 は ト ー ラ ー に よ っ て 教 え ら る べ き も の と な っ た 。. そ. こで第二の (再建された) 神殿の教団中には, 教師が必要となっ た。 女の学者 (スクライ ブ) が トーラーを編成したに対 し, 彼等はそれを人々に説き勧め, それによっ て生活を律してゆくのを 務めと した. 叉, 同時にそれによっ て補填的, 変更的伝承の基礎を置いた。 それは時代の要求と 共に進歩した。 訓育の場所は会堂 (シナ ゴグ) であり, そこで安息日には, 律法。予言書が読ま れ説明きれた。 会堂と安息日 は, 神殿と祭りより重要であり, 学者は道徳的影響 では祭司より勝 っ ていた。 祭司は表面的の権力と名誉とに満足していなければならぬのであった。 神聖政治はそ の根本に於いて, 律法政治であった。 従っ て, 終にはラ ビ達が, 教政政体の相談者となったのは 理の当然である」 4 ) (米 倉 訳) に の べ イ エ ス 当 時 の 律 法 学 者 の こ と に つ い て は, ブ ル ト マ ソが 「原 始 キ リ ス ト教」4. ている。 「民の指導者達は, 政治的な主君ではなく, しかし, また祭司達でもなく, 律法学者達 -、 5 5.
(13) . 石. 沢. 撤. である。 彼らは同時に法律家であり, 神学者 である。 ……律法学者達の律法解釈は, 法の運用も 日常生活の営為と全く選ぶところなく規制する」 「律法学者達の地位は, 教法師 (ラ ビ) への叙 任をその目的とするある特定の教養過程を制定する。 律法学者の学問は, 既述せる如く, 旧約聖 書の解釈である」 イ エスの宗教は, 予言者の宗教に最も近くあるが, しかし, 根本的には,・祭司, 律法学者, 予 言者の宗教を, 正 しい意味で一身に具現せるもので, 祭司宗教, 律法宗教を否定せるものではな ・ い。 予言者のみでは宗教は成立しなし 。 礼拝と儀式という祭司的側面 と, 信徒の信仰生活の指導 と訓練と, 子弟の宗教教育という教法師的側面な しでは宗教の存続はあり えない。 律法は旧約宗 教の根本である。 神とその民との契約に伴 う律法である。 シナイ の山で, イスラエル人民の代表 者 モーセが, ャハ べの神より与えられた律法は, イ スラエルの民 と神との契約にもとづく律法で あっ て, その逆ではない。 律法は神がその所属の社会集団に, 秩序と平 和と恵みを与え, かつそ の社会を維持するために必要な条件である。 真の平和と幸福を保証するものが神の律法である. マホメ ッ ト教が, アラ ブ種族の統一と社会秩序の組織化に役立っ たのはそのよい例である。 その よ う な こ と は, 宗 教 本 来 の 使 命 外 で あ る と 考 え る の は 間 違 っ て い る。. キ リ ス ト 教 は, 新 約 と い わ. れ る よ う に, エ レ ミ ャ の い う 「新 し い 契 約」 の 宗 教 で あ る。 新 し い 契 約 は, 当 然,. 新 しい 律 法 を. 伴う。 それを明らかにするのは, ュ ダャの律法学者ならぬ今日のキリスト教学者の任務 である. しかし, 旧約の祭司や律法学者, パリサ イ の徒が, 何故に, キリス トの批判を蒙らねばならなか , あ らゆる宗教 , 宗派が反省しなければならぬ点である。 祭司の っ たか。 このことは, 今日でも, 宗教 がエルサレム神殿礼拝集中主義を確立した当時の事情は, 理解できるとしても, エルサレム 神殿が破壊され, 信徒は各地に散らされ, 一生そこを訪ねること ができない事情にあっ ては, エ ルサレム集中主 義は意味を失う。 安息日の厳守も, 貧しい民衆の生活では守りきれない場合も多 い。 民をして神に容易に近 づ かしめるという祭司宗教の本来の意味 が失われる危険がある。 祭司 主義の強行は, 正 しく神を知らんとする心を閉 ざ してしまう危険がある。 律法宗教の面では, 契 約に伴う律法は必ずあるわけであるが, 律法学者の使命とするところは, 新 しい事態に対応 した 神礼拝の方法と, 新時代に於ける社会律法を再建し, 時代に即した神の律法 が何であるかを明ら かにすると共に, 民衆教育が義務である。 しかるに, イエスの時代の律法学者の多くは, 固順に 陥っ た伝承にのみとらわれて, イスラエル社会の腐敗と無秩序 を如何にして再建 するかという課 )指 摘 して い る よ う に, イ エ ス と パ 5 題の解決に努力 しなかった。 それ故に, マルセル o シ モ ソが4 リサイ派とは, 多くのつながりをもちな がら, 律法の受とり方で, 両者は衝突した。 イ エスは律 法を重んじたが, 同時にそれから自由であり, 弟子にもそのような態度をとらせた。 パリサイ党. の律法主義には大多数の人々はついてゆけなかっ た。 大多数がついてゆけないものは法とはいえ ない. そのような律法主 義は反社会的でさえある. 律法は人を生かすものであるのに, 律法主 義 は人を殺すのみ である。 それ故にキリストの批判を蒙っ た。 キリスト教は, 新 しい契約にもとづ く宗教であるならば, それに伴う新 しい律法があるはずである。 カール o バ ルトの著 「福音と律 4 )は, この問題を, その基本的な関係だけは, 比較的真面目に取扱っ ているように思われる。 6 法」 ハ, 中世キリスト教についての批判 中世キ リスト教についての批判も, 「イスラエル宗教史 上に於けるイエス o キ リ ス ト の 啓 示」 7 ) という上述の観点から批判さるべき である4 。 中世教会が蛮族教化のために, ローマ帝国の組織 教 と制度を学び, 会の組織を強化 し, 祭司職の権威を保っ たこと が教化に大いに役立っ たことは 理解できるとしても, 歴史の経過の中で, 倫理的宗教の精神を失い, 単なる形式的祭儀宗教に陥 -5 6-.
(14) . 欧米的キリスト教の歴史的性格と今日の課題 らな か っ た か. ヘ ブ ル 書 の 理 解 す る と こ ろ で は, イ エ ス は 大 祭 司 で あ り 同 時 に 自 ら の 身 を , , ,. 罪なき汚れなき犠牲として, 神前に献げたが, 中世教会の祭司階級は かなり多くのものが世俗 , 的権力闘争に没頭 し, 政治・経済問題に心労すること甚 しいために, 修道院運動が起り それが , ) 中世の華とされたのではなかったか. 教会法は4 8 「 新しき契 なる福音に伴う 約 」 キリスト信徒 , の, 神に従う生活善き社会人と しての生活を規定 したものであろうが, それが, イ エス当時の律 法主義のように, 極端に儀礼中心的 であり, 形式的であり, 社会律法についても, 時代おくれの , または庶民のついてゆけないものとなっ ていなかったか. 宗教の生命を枯渇せしめていなかっ た か. 近代の発生は, 国民国家の成立にあるとされるが, ゲルマンの社会に, 新 しく興 ってきた国 民主義的傾向に, 正しく対応 し, 教会法の改訂や改善がつねにとりあげられていたの であるか . ハルナ ックの批判点は, 祭司的傾向, 律法的傾向を, 純福音と違った自然宗教的なものと して 批判した. その意味で, それらの側面を否定 し, 無用 であると考えるのであれば誤っ ている4 9 ) . しかし, 中世の教会法には, 祭司職と聖礼典の組織化と儀式化の過重によって, 本来の使命を失 わしめる. 祭司主義や律法主義の弊があらわれていたところに問題がある. 礼拝は, 霊と真実を もっ て, 神を拝することができるようにするのが根本であり, 律法は人を活か し, 人を助ける 愛 の律法であるべきである. 中世教会は, 以上のような観点から批判さるべきであっ て, ハルナ ッ ク の よ うな 観 点 か らな さ る べ き で は な い. 二, 初 期 プ ロ テ ス タ ント 教 に つ い て の 批 判. プロテスタ ントが, 中世教会の改革を求めて, 聖書に権威をおき, 聖書の言によっ て批判 した のはよいとしても, それ以後, 聖書主義に陥り, キリストは越り給うて, 使徒時代までは働かれ たが, 使徒以後は, 全く居眠りされて, 16世紀の宗教改革運動の時になって, 突然に目を覚され て, 御霊の働きをされたかのように考え, 中世のキリスト教史を全く無視する態度は, 果してキ リスト復活信仰を真実に信奉しているかを疑わしめるものがある. ドゥソンの前掲書な どは, 中 0 ), 「教 会 は 聖 性 世 に お け る キ リ ス ト の 御 霊 の 働 き を 知 る に よ い 著 述 で あ る. J . B. デ ュ ロ ゼ ル は5. と人間性とを同時に兼ねそなえる一つの社会であり, キリストの神秘体 における 救世主の不滅の展開である 」 と の べ て い る.. すなわち. 時の流れ. プ ロ テ ス タ ント は, 聖 書 主 義 を と っ た た め に, A, F 1 )に 指 摘 . ポ ラ ー ドが, 「近 世 史 の 諸 要 因」5. しているように, 聖書文字至上主義の結果, 二千年前の, 新約時代の国家観が, 知らぬまに延ら されて, それがあだかも理想である かの如くに考えられるようになった. このような誤りが生ず るのは, 当代のキリスト者が, 神と人との関係は永遠に変 らぬとしても, 二千年前の社 会関係と , 現代では異っ た社会関係にあるの であるから, 二千年前の聖書の文字に, そのまま固着するので なく, 現代の正 しいキリスト者の国家観, 社会観, 家族観等々は, 如何にあるべきかを真剣に考 えないとこ ろに誤謬がある. 教法師の果すべき研究が真剣に考えられていないからである また . 安易な聖書主義が, それを軽視せしめるからである. 根本的には, ゲルマン的な, 独裁的な, よ ら しむ べ し, 知 ら しむ べ か ら ず 式 の 神 信 仰 に 由 来 す る と も い え る .. そ の 点 で は, カ ト リ ッ ク は,. 2 ) 教会法の改 訂に5 , つねに努力 しているのは, 一応 妥当な態度といえる. しか し, 宗教改革の果した役割を, 否定的に考えるのは間違っている ル ッターは, 当時の中 . 世キリスト教が陥っ ていた祭司主義, 律法主義の傾向に対して, それを批判し, 反省せしめる予 言者的役割を果 した. 彼はロ ーマナイ ズされないゲルマン族の, ゲルマン精神の蛮勇をもって改 革にあたった予言者であっ た. だが予言者的であるだけでは宗教は成立しない. メ ラ ソヒトンは , 新教成立上の, 祭司宗教的役割を果し, カルザンは若くして法律を学び, かつ, フラ ンス系ロー - 57 -.
(15) . 石. 撒. 沢. マ ン族の出身であっ たこともあっ て, 新教成立上, 教法師 (律法学者) 的役割を果 している. 3. イ, ョ 【ロ ッ パ の 歴 史 を 知 る も の は,. 今. 日. の. 課. 題. ヨ ー ロ ッ パ 的 キ リ ス ト 教 が, 世 界 の 平 和 を も た らす よ り. も, 宗教戦争を起す原因となり, 宗教改革に伴 う宗教戦争の如きは, 最も残酷な争いと憎しみの 場面を展開し, それが世界の知識階級の宗教に対する不信の大きな 原因になっ た ことを知っ てい る. 今日, 交通の発達によっ て, 異っ た宗教信徒が, 直接顔をあわす機会が多くなった事情の下 では, 宗教的不寛容と憎しみは, その衝突する場合の ことを想像すると恐怖を感ず る. トイ ソビ 5 3 ) の中で, 独善的な宗派心が, 人間の原罪にもとづく最たる罪 ーが 「一歴史家の宗教への接近」 であるとのべている が, 宗教史を研究 している筆者は, 全く同感せ ざるをえない。 しかし, 近年 カ トリ ッ ク 教 会 で も, 法 王 が ギ リ シ ャ 正 教 の 教 皇 長 と 面 会 した り, プ ロ テ ス タ ント代 表 を,. その. 会議に招待したりして, 世界平和の使者たるの信用の回復に努 めているのは正しい努力であると 思われる. 口, ヨーロ ッパ的キリスト教の一部には, 旧習墨守で生命を失ったのみでなく, 貴族宗教と化 し, 社会大衆の幸福に反するものとの印象を与え, マルクス が出た頃には, 社 会主義者は, 貴族 宗教化したキリスト教会と対立 したために, 唯物主 義を旗印としたといわれている. 当時のキリ ス ト 教 が貴 族 宗 教 化 し,. 貧 し き 者 の 友 と な っ て い な か っ た た め で あ る と ル ドル フ ・ フ オ ン・ ミ ー. 4 ) は書いている. それは当時の教会が, キリスト者の 守るべき新 しき律法が何であるか, 社会 ズ5 に平和と幸福をもたらす新しき律法 が何であるかを, 明らかにすることを怠っ ていたからである. ハ, ヨ ー ロ ッ パ 的 キ リ ス ト 教 を, 世 界 の 諸 国 民 の キ リ ス ト教 に 解 放 す る こ と は 今 日 の急 務 であ る. パ ウ ロ は ュ ダ ヤ 的 キ リ ス ト 教 の 枠 の 中 に と ざ さ れ て い た キ リ ス ト 教 を, ヘ レニ ズ ム 世 界 の キ. 5 ). 古き律法と割礼のュ ダャ教の厳重な枠に しばられて リスト教に解放 した最大の功績者である5 い た ュ ダ ャ 的 キ リ ス ト教 か ら 解 放 した パ ウ ロ の 事 業 を 思 え ば,. ヨ ー ロ ッ パ 的 キ リ ス ト教 を, 他 の. 国民のキリスト教に解放する ことは, はるかに容易のように思われる. 日本や東洋での布教には, 欧化主義やヨーロ ッパ文明崇拝に便乗するような宣教の方法では, す でに時代おくれである. そ 6 ).(も っ と も, こ れ に は, 安 那 伝 道 に 成 功 した マ テ オ ・ リ ッ チ ら の 宣 教 法 に 学 ぶ べ き も の が あ る5. れは後に, 法王により宣教を禁 ぜられたが) ュ ダャ人にはュ ダャ人の如くに, ギリシャ 人にはギ リシャ 人の如くに, した がっ て, 日本人には日本人の如くに宣教する 「宣教の神 学」 が真剣に問 われね ばならぬ, 追記 : 弁解するつもりはないが, 筆者は日本史を専攻するものであって, したがって, この論 文に関する参考書や資料に乏 しく, 権威ある書を多く引用 できなかっ たことを遺憾とする。 しか し, 筆者の論述には, とるにたらずと批判する人もあろぅが, また, それぞれの部門の専門家に よ っ て, 応 援 や 助 言 を して 下 さ る こ と も で き る の で は な い か と 信 じ て い る.. 註 i i i ianthought:i t cat on p t st t s s Hi ory and appr sch : Chr 1) B, Troel ,53 f Wes l ture P i t l 23 ) P.33 ern Cu seo on andthe Ri 2 gi ) Christopher Dawson: Re .22 (17) P .28 ( H i i i i 0 1 0 2 1 1 l d C 2 ( ) 5 2 H 6 h i t B t ( ) ( ) B t 5 5 t t u r c a s o r r s a n o n y p p u e r e : n p p 3 ) . y p . . .32 , ld p,36 (5) p i l i i i ty among the Re t on ofthe Wor s ani g 4 ) Arnold Toynbee: Chr ,59 (14) p .68 6) 内田芳明 : アウグスチヌ ス と古代の終末 15 29 i ) )( t ent ums(山谷訳) P en des Chr s 7 ) A. Von, Harnack : Das We s .220( cht e 8) A, Von, Harnack: Dogmengeschi . i 16) p sch: Au t 9 ) E, Troelt s n(西村訳)p gu .7( ,38. - 58 -.
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