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日米外交関係-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

私は本臼は日米外交関係に就きまして暫時御綺輩な煩ほしたい去思ひま耳。壷棟が御承知¢や与に

昨年の︵大正十三年︶の四月†二自に米観め下院に於きまして市民芸を得ざる外囲火の入圃を楽施

する空言汝樺塞を廼過しまし佗プそれほ市民ざな考を得ざ、る外国人重要形式で我が日永九の来観

に入るこごを止めた怯樺業であちまし雪而しで同鳥サ五甘に乏ほ範囲上院を通過し・蟹玉舟二十八

日に米闘犬兢領の署名調印針霹まして葦に効力脅生七、志しで昨年の七月青から其鎗衛が賓施せら

れまし、たJその胎晋本人履西軍火、施行者1・再渡米潜二義家、大畢敦授及び官警云ふやうな宕

を除いては、豪螢程度の畢生もあ♭まするが1毒し畢生は雷撃い去は入歯が面倒であカ書芸

魔の月本人の入国を染止しました。それから蒜姦過し賽日、あの問題はぎうなつて屠るか∵是

旧来外交瞞俸

日永外交

︵七七︶ ︼

(2)

こ ︵七A︶ 第 ︼︵巻 第こ鱗 は何人も知らんビ欲する所ご恩ひまする。∼で私は今日Jほ漆の糊題の前の経過をお訪いたしましで、−食 ぎうなつて僧るかビ云ふこ嘗に賓きを置いでお詩をし管見元、か。窄れから今起すつゝある、今後峯起 らんミする日米間の問題に観いて物情舞お煩はしねい.箪思か思す。 日本人排斥の本坊ビ申心ま耳の1は亜米和知四千八州あ丸吉す,フもに於で西部、即ち太平洋の岸でき ざいます所のカリフオルエヤ、オレゴン、ア㌣ソーン‘ダニ嵩ふ三つが蜜なるものであサます㍍、就中寒中 心でございますものは面積十入京方哩ヽ人望二宮四†萬のカブフォルエヤ州であイちまず。是が排日の森 填で外昧是から僑染して行ったものであらます。それで此カグアオルニヤが日本人排斥を始め覆殴で あゎ主音が、如何に始めたか豊富ふぎ我々があの曹時のこせを考へて見まするど、あそこに於てはぎう も排斥が起るやうに出盛て居た特別の聾億がございます。をれはぎう云ふ鮎かだ云ふご、一番先には

あの州が開けたのが一千八百四十八年、今を去る七十七年前てあそこで食が螢見されまし等それで

利別の南部諸州から移った着であゎ皇す。皆様御承知でありょせうが、重来剰加の爵部諸州は入籍排

隠州り氏が

斥め本場であ カ,

アれγエ†相良聖ユ分のて三人に一人であります。是はぎうしても排斥の風が其土

鳥人を胡麻もた脚登あります。此排斥の癖の開いて居る所の南部

(3)

地濫根へられぎらんg欲するも能はぎ亀謬であ好まじた。︰本葬南部諸嫡の排斥に喋づでり、嘩ユダⅤは 奴放火閥ぢやない、品物㌍藩鬼哲ゐた。品物だか貌財塵であ富ます。で笹から1殺し.てもぎ写しでざ 寧い理窟でず。さう云ふ排斥ぶち診じた雄臍がみま撮をれがひざいので放線廃止1三軍蕊議論が避挙、 ザカニて牙☆等は入選から之を登坂もまじせ終龍常北戦尊宅なり、明治元年一︵へ一入六入牢Y来観に於意

思絵補則サ四條至芸ものが磯雄壌駐て∵グ:、貯も亜米利加の爵民だなそ蔓の原如が決って自八

開様に故ほれる苧フになつて蒸花畑一遍れでも賓際ほ共通ちにほ塗らませぬ。叫つ其迫書の例を引い宅

見まするだへ㌧来園で鳩市民櫻機浄央敬治機関の下にあ禰装すが■投棄樺は各州臨で別々に定めます。

そ抱で四潜入州営選泰治が違って居ります。或州では敵背資格を要求し、或洲では二十一才以上の男

女普潜って居るこだになって屑るし、或州やは入頸稔四囲を約むる岩場非ぎれぼ出家ない豊一苧ふ風に

納税を要求して居る。′所で南部諸州はぎブするか空茶ふ琶ナ\其多てては致育資格を要求するこざにな

っで居りますが、之をざうしせ居るか重石ふミ∴来観憲法を了解心得や着せ云ふ畢与な條件を附けで

居るのが大分あちます。或は章米制加の憲法が諌めるもの竺嵩ふ苧フな條件があります?盃濡法巻了

解するぞ云ふこだを試験する藤︹ギヱ富ふ嵐にやるか怪申じます泣㌣白人でありますれば来園大統領

官ほ何ぞやせ云ふ質問をもます。奨な質問を♭ます。大統領ゼは大勝だ。親玉だ三富ふ芭通過す各。

最ん紡が行きますだ来観窓紘茶所謂権利の保障滝は何ぞや軍云ふ試験㊨語るか皇ハ簡しいので落第で

月光外交関係 三 ︵七九︶

(4)

四 小爪望

欝一準︰第こ渋

ありせす。斯う云ふ鳳来して異状樺を追啓七て居施主す。ゼころが彼融は殊に甚しかつ柁や斯う云ぷ 南部人が功リアオルニりヤ州民の三分の﹁屠場のであり呈すから、ざうしても迫害をなさざらんビ欲す るも能はず。そして一番先にやられたのはインデヤン、豊艶利加に生れて居るインデヤンがやられまし た。其次にやられたのが支那人でぁりま瑠。支那人は明治維新の前から盛んに塵ちまして慶嘩罪年∵ 二年、三年三富ふ時分に年々六七千人も宿ったⅥであり呈す。明治元年宰二年には年々﹁萬Å位宛行 わ寵。がまだ日本人は其時分には行って居ぁません。叫番先に宿つセ支那入がやられ鼓した。ざんな 迫害振りをしたかつ∵其ゅで;二つだ柑申して見ませう。非訂に無理な迫害でありますから中止げ せ見ませ、フC 是より先西洋人を相手セして裁判所に於で澄零する樺利をイツデヤソに拒んだ。土民であるインデ キンは頁八ミ裁判所で肇ふこどが出凍ない三方ふこ号にした。だから白人がインデヤyをぎん花に使 っても、 賽ねば有罪にな滝ないし、へ記者が出来なけ恥ば賃銀奪梯はない棒で匿いても助かる繹ですからさう云 ふこごをやつた。そこに支那Åがやって凍わル。で支那入は盛んに鉢山に僚はれ鼓して金を渾山得まL 光。所が先のインヂャソ℃封する綾律を支部人に通用いたしまして、支那人が法廷で白人を相手ざつ 茎堅一戸をする権利ぉ客つたのであもます。さうする竜受邪入が怒沌皇して終に裁剥所へ詐へて、そし

(5)

て支那人の標利問題がカザフオルニヤ州の最高裁別所へ雇った。、最高裁列朗はぎう判決をしたかキ云

遁ミ矢張り法樺の明度にあ濁イy㌧デヤ㌢控去五言菜は支細入に適用さ忍べ三戸集である室玄ふ判決

をした。、ぎう云ふ意味で判決もたか質申し′ますミノ成程唯今ではインデヤア軍云ふ青菜ビ支部人ざ云

ふ富農は別であら・︶。併乍らミニこ完が今を去る三豊青田†年前、欧羅巴から糞水利加持凍た昏時 は如何、ご申しますミ其時分はコロ.ソh雲は印度に凍る三雲意療を以て欧藤巴を担馨して地球が丸

い三方ふ見督から皮剥の方即ち野の方に街つ禿。をこでコ言ソメスの頭から言ふミ今日の東洋笠苓

ふ溝面は督印度であつ栗。だからしで遠来利加に着′、や否や、其慶にぁつた島を西印度島三看た。

だかち今は兎も角も今を去る四百年三富ふ昔に於では永年洋の水洗ふ所は悉く印度であつた。そこで

又支那も太平洋の水洗ふ所なぁが故に支部火も印度Åなり三言たのであります。なか/\理窟が面

倒であります・欒空自ひ廻はし振トであらます。併し兎も角もそれが賽に支那八は裁判に攣畠が出凍

潔いから、西洋人が支那人を使っても貰銀を排はんで宜いやう頻謬になつたのであト︰ます。

英次にも・三つ咤支那入が盛んに吏発刊加に凍るものでありますから今度は支那人いじめり方法

を執らうど考へ、桑港市で取鮨肯規′則な作った。′をれは酒佗酔ったりして裁判所瞥容に引かるゝビ云

ふ苧フな老、其他犯罪にでも問はれた所の者は、之に射して支那人が下げて居つた炸家を乳ヨキンぜ

切る三玄ふのであちます。今の支那入だつたら問題昔握ありませんが、普の支部人は耕髪が非常に大

欄米列安閑係∴ 畢 ︵八﹂︶

(6)

︵八〓影

弗、′﹂ 懸 弟こ坑

革であつた。そこで之を切ったなちぼ支邪火が飴り米問に凍ぬ苧フになるだらう。凍化もの′も締るだ らう三富ふ咽でやつた。研が暫く♭ますだ支那∧の反動訴畝がぁゎ、朱鞠内で期ラ云ふ法梓はいかぬ ぞ云ふめで問題になつて、最高の裁判痍短於て来観窓簸め補則七健三雷ふのに、惨酷にじで普通なふ ざる刑罰は之を許さぬ竺式ふ規定があ宜。之に依りで唯今の取締規則は連想のものだしで無効にな菅 花ぺ併し七人年周は支那人が之に苦しめられ佗むのであち真す。 斯う云ふ迫害をし柁のであぢます。此の如き亜米利加入が我が日本八に射しで人稽的差別待遇を加 へるも又不思議ではないのでございます。で私はカ,フォルエヤに於ては斯様な倦統があつ館主嵩ふ こだを日本人開港に入る濫発観ちまして叫寸二言しね謬でおち表す。 然らば我が日本の移民はぎうであ♪まずかぜ申しま瑠ぜ、是は鷺嘉の時代から潮の流れのエ合で津 肴した者ほございまず。太卒洋の潮流ほ日本に近い都南で北に且つで、そして蔑米利加瀬面で帝に下 って屠る。此潮溌の翁に漂着した漁民は居餅ました℃併し是は移民ではあらません。移民は螢兼利加 ぺ住む積ちで行き鎮静をする積りで出掛脾ろ者を指すのであカ皇す。叉萄幕時代に勝海舟も布かれた し、其他の役人も塵ちましねが、是は移民ではぁり峯せんぺ然らば移民ぎして盛ったのは何時が初め

だゼ申Lます軍?明治二年松軍兵ネールぜ申します和野人が打水爽よ†名教壇れてあちらに行ったの が勧め竺試れでじぜになつて居ります。此玲準ス、抒、−γ箪云ふ火の言ふ所持依るぜ、自分ほ幕僚に仕へ

(7)

功あゎし焉に於卒姓を給う璃﹄幕府倒勅明治になつでは仕方がな中ので、カリフオ斯1蒜重富ふ所広 金が出る三富ふので、金解けをする三方浅膚に月番A廿名を慮れて育った。此結果は成功戒心遵せん

でしたが、枚挙をする三富ふ積りで宿ったので薄から、急が日本鱒兇溺移民の初め三玄っても差支なか

らラビ偲ひます。其後或は向ふ濫祈って商館空して勉強するやフ彗Aも参りました。、唯今まで政友倉 の絶裁脅しで居り皇しセ高橋是清さん㌢ざも其一入で透った。\動物はそん写状態であち皇し尭が段々

多くな力まして、明治二十三四年噴から段々多ぺなつて、一年に日本人が二千人位宛行きまんた。痍が

それ位では向ふでは問題にせぬのでございまんたが、そろ∼111槍加して⋮萬を越えま心セのは明治三

十三年、漉年に初めで叫萬を越え彗一萬二千入念つ載のであやます。

向ふに於てはタンブラ∴′シスロ市長のアラブソな云ふ者がゆ心だ克ちまして、日本人排斥演説禽七催

した。′是は鼻面目に日本人排斥の螢が昂った初め豊満って宜しい8其前にもございましたが犬も写−

蜜豆はなかつセのでございます沌所が其後になって日本人排赤の萄が喧しくなつたのは何時かせ云ふ

芭、明治四十卑度加ち明治三十九寝からであり皇す、をれ凪ぎうした静かで云ふど、明治三せ九年の

七月∫−眉よ功胡治四†年の六月三十日拉到りまする︼年爛々明治四汁年度、㊦ちらⅥ暦で申しまする

ま、叫千丸首克年度ご申します。米観で何年度豆申します宜前の年の七月から其年望ハ月までを必て

二年草渾⊥宣す。例へば淡正す周年度三方ふ眉を向ふ澤申しますならば、†三卑の七月からオ四年の

︵入三︶

月光外密防俸

(8)

︵八望

欝︼ 番 茶二張

ふハ月迄抄こどです。遍は吏米朝加欄間塩を研究になる方は御記憶を腰ひます。年度は皆さうであbせ

す。窯蔓三サ九年の七月よち四十年の六月に至ります言年間に於て我が日本の移民が米国に入力

まし尭数は三琴一千人三白ふ多数に逢しまし光。最牒我が外務省で調べた数字は九千人ドニはつで居力

ますが、九千入行った漕が亜米朝加に着い耳三高二千軍なつたのはぎうしたのか?、それは斯うなの

です。是より先我が日本からは農業の人達が布畦の烏龍街つせ宿主しセ。研が御承知の通り明治三せ

﹂年頃でござい呈すか布畦が政米利加に合併せられた。をこで虜の連中は葦釆利加の本土に勝手に行

、けるや・フになりました。そして三†九年の七月から四キ年恩ハ月に至る一年間に於て彼等が布暖か港

米国渾土に塵ちました数が二撃て三千を数へ滋。日本から術つたのは九千でございますが、由来利

加太使の溝で計算します旦二高二千人凍七三玄ふ謬吏なるので通り皇す。そこで向ふの方では是で淑

呈玄ふので迫害を灘めた。第↓ほ隔樵辱茂盈沢僚をす沌て云ふこ塞でありました。即ち日本人の慧旦

排斥、恵ほざう云ふ夙にんてやったかビ申し呈すミキま牢

轡童はぎこに

隔離癖稜々作り、各方面に居る日永人は右の障腰畢腰衣葡はなければならぬ繹ざなつた。それを愈々

意サ仇年め十月から術ふこゼになつたが、絹本政府は之に耽読を申立て詑。俳南西、英富利等の叫等

観せ唐本は均等であるのに、彼等に濾何等の差別を設け∧書いのに︵日本人のみ隔雄琴校に入れ各藩云

(9)

ふ︸・蒜ぼ、是は均等の繚肇ではない空路釆通商條紛は均等砂待遇を我が日本Åに保障し、て居みか貧農 は甚だ不都合甘から止めで奥れろ三富箪談判でござい梁した。〝そう涙る軒来観桑捧官怒の着で申しま

、 するのには、﹁賓は学校間題が本賢ではなー紆、あまちあなたの′方がら塔頭蘇るから太軍曹岸が喧しげ︺

悪′賢簑瞬本の大使がそれならば日本の方か㌫あまり移民ぉ寒らぬ撃フにしや・吾妻普つ恵春陽題

やなつで居る詔暖から溌観本套柱太る所の寄添眩轟然やめ苧フq憩東和加に於で之を禁止なさつて転 差支ございませね豊苧つた。衰伐廃除離螢検問選ばやめ管下さい三富ふ談判をし卦した。㌧左は央統飯 ′γトガベル軒氏が中に立りで層化が、妄の始発ダ粟ブタ︰yジス書の市濃が之に同意し窓しで︺㌧布唾日 本移氏ゐ本曳穐航禁止霹容量排斥問題¢変換が毎奴れ†今まで資つ互海陀顔童排斥喀やめ揚、異常愈 に日本丸の布呟から米本箪に韓航痛撃−ぜは、是妹掛米債約で岐明かに保障して居る繹であ勺ますガ れぎも、来観梵之を勝手に禁止じ恵も日本陀放では異存はない空茶玖静になつ舵のであゝ怠すヂ是が :ノ ︶日本火排康の第′叫の概略であり皇務。′㍉ ご√も ∴英次は、㍉日本人拉封む廠立地所看棟恕禁止ずる.㌃ゼで担わました。御承知の過ち、日展人は勤勉軽繁 りて屠ウ先議のであカますから段身度盛に成功心恕が翫凍昔凍昂。そて\頂唐人め方では農菜をやっ耳 潜る日本丸の土地所有曙潜奪つ寵尤もぼ、自塵外が蔑米利側に奔てむ襲い等ピはないだ忠ふだ﹂長鳥 を心て並凍蘭加に渋航するこゼ港北める野り.う雀宮ふ遠浅浸地廊有感嶺虹三雲争J鳶を始め光。、ゑ 草∧五︶︺ 丸

洞泉外交関

(10)

欝﹂㌧傘、ト第こ兢 ︵八大︶ 鵬Q れが一層先湧チア冴ル、−︼ヤ州の議脅の問題ごなつ寵のは明簡四津年の暮であり皇す。所が共時には大 鏡傍ルーズベルも氏が守捗して、日番人に苧フ菜ふこゼ懲してはゃかぬ笠玄ふこぜになつてご旦中止。 けれぎを叉二年目に鶏舎が始去るだ叉起った。〃明潜四サ/こ年でありますが、此時寵もル守ズべγヰが 干渉レてやめさした。英次は明治四常田卒、今度は大統領タスもが干排してやめました。ピ英次ほ大鹿 こ年叉璃決し柁時は孝牙ルタシ大鹿領が干渉しましたが突放しました。何故か宣言へばルーズベルト タフ泉三吉ふ大統領の時代は共和蒸の天下で、l叉カリフオルニヤの湘脅及び湘の代議せが同甘く共和 尭の炎々でござい皇した。所が最後のタオルノ書芸蒜嶺蕪撃‡暮宣、大鹿領ほ民主裳の入であり好、 淋ザ黙オ〃一−ヤ湘効率及議食は共和蔑でゐちまず紋、大統領の藩カが効無く、大正こ年窓月サ九月箪前 車叫時享十分き云ふ時に於て、日本人旺立地私有権を類盆濁る陰得業が加翻知事の署名を経号泣鹿妻 放つたのであらます。警−で日本人隠土地を挿窓な辞空事ふこどになつた。研が僻ほ今日農業を璧愈

て腰訂のは何故か三雲ふミ普揮って居つ終審が酸得棒ぜして求める謬でありまず。譲タ∵つぼ日本

人は土地所有権は禁止し佗のであ軋ますが?範囲意綾に依似て亜発刊加に盛れた潜は級恵避兼剋加凝 甫民むなる。重光利水の帝民権於ある豊玉ふので、lお父さん隠寺供の名儀で土地を輝もそしてお父 さんは子供年後鬼火癒しで其財産を管理する乃而じで拳業教やって琴弾謬であ力量ず柏餅乍ら陶ふで は此後見琶なな呈嵩ふ権利を挺ひ竺苧ふ法辟を邁適して澄寄密始め怒居る謬でみり鼓す。朗が英次払

(11)

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(12)

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(13)

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(14)

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(15)

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それで塩水制御のカで心配いたしましね。1養虹鱒叫布酪を見ま笹る芭、ノ布唾に二せ武萬居払鼓す単に

於て⋮番人日の多いのは許本人、是ほせて一高Å、白Åが黄濁、布畦の生民が四高位で忍ぎいます丞を

†︶で布唾の如きは民族凄観望茶ふ問題で肯起つ怒凍をぜ許容の餞立になる免除があ右。陶様に太肇津 ●︳

沿岸のカ凱ホル一州ヤに放ては早番丸ぬ素鹿が渾山盛れる。それは何故か′皇一声ふ亡命教会る三、由年取

の統計で申しますaざ蔓発刊加登体で日本丸せ議詐毎居りますが、カブフォルチャに於てはl七鞄兼巧

研が其恕萬の日本人の獲みます子供の教が五千火、酉挿入翌票這阜乏等をい。是は少し考′へれぼ

判るこどであらまするが、百八顔人血鹿近は一才の赤冬坊か㊨薮ヰ曳あ鹿齢に至る各年齢の宥が苓均

に居も︰ます。即ち子供を速まない人口が多勢居る。然るに我が在米日本人の八色はぎうかせ申むま堰

藩だ移民の歴史は長うございょすが、多勢盛り寵のは鑑頃であります。雪盲彼方に居途日本丸の兆

Ⅲの西澤を見まするミ 叫才からセ七人才に至る小供の教も意だ津山ほございませんも∵五せ藩政壷

◎老象もございません。?冬草入庫似東部嶽はせÅ九薄かち蕊☆才に至る小供を盛む盛鴻許b一です。

だか島比観的小供を繹由盛むのであ薄ます。㍉朗が光軸火ほ簡ぐそ組を考へ窒せんので日本犬法恐ろ転

隊親好密閉係 ︵九ご 一■玉

(16)

︵九こ︶ 二割 こ披 く小供を盛むを思ぷ沌ヤ回に二八旦ニÅも生むのだ重富ふ守フなこ婆牽盲ひ出した。で騰健束怒ゝ遮 ⑥乳森後五せ年百年の後には吏兼刹那南海痙は骨本人中敷が自火まカ多くなや、民族達哉に成つで日 本の額放ね寓ざちん豆欲するも髄はぎ£に至る庵あらうだ慶かたのであちま耳。′奪之を沈め竃院は食 後日本汲をして森過ぎち・レむるにあ篭茎富泌のであ力ます。.恵も昨年のあの法辟を出蒸せむ㊨鼻下因 であ♭ます沌併し由蒸は之れ位にしぞあの洩辞に就かて日本は現罵之恕差別待遇だして撃つ濫居ろ静 狩ございますが、ノぎ受云急鮎が差別待遇か空音ふこだを少し申しせしやう。い今渡の−九畢四年巧移民 法第封三億の排日規定は︹宙民ざなるお得ざ牽所の外国人の大尉を禁止する﹂清二謡ふ臨梓の文句が漂 ぎいますが、.是がぎう日義火持影饗し甘居る一かそ申むま奇壱、し米観に於では明治三年お月に於ざ蹄依 ¢法符を作れまして、﹀其第二千首六☆九健棒岩本題吸規定は白人た洛外観人及び亜弟利加出生の外衣 ㊥傍 及び阿弗利加血系の火柱通用窟るも野草す﹂箋云ふ規定お造りました。それ海自ん功ビ欝ん妨鰐蹄化 の横を輿ナる豊吉臼ふのであるが椚田本人に儲‡は何薮明確なる規鬼がござい鼓せん。鹿定はございま せんがゞ英文傲に依つ私見敏ど、我が自永九は白人でもなく文数ん幼でもご′ざい鼓せんから臨機樺む ないこ正になつで居る藤でござ頼叡すq毎春火抜此間購で寄ひました′。今の法律の文句のホ豆イトビ 云ぷ字は螢術上の言薬汲はないァ俗語で教本鼠譲。お獣ざつ′ば岸俗語であり主客。刷自蟹三悪誓言怒 らば日本人も大体に於て白い労咋澤琴互軍勢−せ索裁判怒等ウ州柁。′J是はマネチ草セヴ州拉於げ薫斎藤

(17)

革鱒圭一臼ふ裁判に現はれたま荻であ軋ました。︰其他外灯鮎で大分肇ひましたが、終に叫時々年︵大正 十十年︶の十−月に於て日本人ほ蹄化樺なし首云ふ最終の判決が来観大審院に於て下ケまして緑化樺 がないこどになつた用其判決を利用して市民ご琴各を得ざる外囲火の入園を禁止するそ云ふこミに昨 年の移民法で決したのであるr。白人たも外観人のカはさケ云ふ禁止ほみ好きせん。明治こ†三年に米 観に居った所の併蘭画人、英膏刹人、伊太利人は其の数の青身聖一だけを俳南西八、英嘗利人、伊太利入 谷閑人の鵬年の米繊入園数せする三富ふ制限が設けられたのであります†併し′計本人のやうに禁止な ぎはして居ない。でそこが日本人が不平を言つで事ふ鮎でみります。研がそれ、だけでノはありませぬ。 駁う両つ日本側で強くま硫し得る鮎は此の蹄化するを待ざる外観人せ云ふ規定七云ふもりは日本人だ けでなく絶て白人並に黒ん坊でない所の外観人に影響を及ぼす謬でございますが、賓際他の観人は別 段是が為新しく影響を受けません。新しく影響を受けよす老は猶h日本人でぁる三富ふ鮎に於て益々 こちらの方で反対論をなし得る謬であります。白人並に黒人以外で並来利加に今立で移民したものは 除幽の支那人、印度人及び我が日本人の芋つであります。研が此中に於て支那人はぎうかご申します るビ1第叫に明治十五年に米観で支那人の螢街着は入園を禁止す冬ビ云ふ法梓が出た。研が支部火の カでは、自分は静物者・でないから呈昌ふて象りますから、法砕を改めで支那人の入団軒許す着は斯く

ぐの着である三富ふ列謹ま鶉を執つ詑。

日光外交関係 ︷重責 チ七

(18)

︵九四︶ ︼A

第∴﹁怨﹁∵鹿 こ兢

辞には清囲臣民どなつて居る択、㌧我々晩晴掛臣民ではない?女難Åり血はあるけれども醸固爵見で甘

ないむ云ふ主張駁して凍よし紘。そこせ向ふのカでは更に汲砕を改めまし七掃除臣民並に支那人系統

砂者は入掛針許さす‡法待を改めました。それで偲はぬ影響を受け呈しね蓼昧取掛敢良三官爵即ち壷

潜入であ力ますや盛唐人は満観臣民ではございませんでし㍑が支那人の系統でございます三軍ふ理由

を以て、︹是は過去数†年間米紺に入れません。其地文那人は面倒な放砕で制限せられで居か。即む寛

邦人は居留澄明審を有せぎる賓は締らなければならぬ。支那入併上陸な助くる老ある由は五官弗以下

即ち首本書言.ど千閲以下の罰金に準し、∵半年以下の療錮町摩す室玄ふ呪文がございま

人は蹄化樺を有せざる、㈲成せなる歓待ざか外人の入園資ヰ㌢富ぷ綾な怯梓では影響ほあbま軋ぬ。

其次に印度人はぎうかど申しますミ是︰は大要ハ年に於て感度緯度め規啓に依って排斥ぉ受け緩二東

経哀ナ度互サ百ヰ痩に到や、北緯五サ度恵亙南部地瀞よりは入園を許さや﹂∴呈表ふ法得が猥雑たやノ真

読ちに印度が入/つ.て居るのであす吏す。ノ新主嵩ふ風、に東都入も印度人も已に入園を許されで愚毘患せ

んかを残ウで愚た者は我が′日本丸でございぇじ柁や即ち昨年の皆棒に依って影響を受ける賓は専ら日

本人なるが故にその差別待遇の忠魂は益々差別待遇に漁らざるを得ないゐである。それで日本のカで

は之・ほ射して抗議が軍へる繹であ軒ますq痍が牽フ衰ふサ︰︼首ですかを臥恕政府も奄捗して居りむすが

然をば地変捗が粕普な成績を恢めて腐るか豊表ふ撃墜軌で腐ち払い。′何故収めて屠らぬかぜ申します

(19)

るど、それは日米間の條幼があうますが、是れが且本人の標利も東亜利加の樺利をも規定して居る。

然るに其條約の日本文のものだ米幽にある英文のものだが蓮ふ?移民簡題に緬す、孝標利に就いナあ文

句が造ふ。それが只今爾観の閥の問題宜して難関を生じて居る琴であ甘夏す。ぎう云ふ粘かせ言ふだ

†オ例を引いて見ましでむ條約三富ふものは違ふのが常々面だど恩は、れ竿ころもあぁ︰ます。日本文に

ある月本文のH釆通商航海條約を見号するヱ、日本国皇帝陛下及び北米合衆観大統領ごあつで、J我が

皇帝陛昔の御名が免忙あゎます。それかち條約の文句を蔑んで温ま心ても∵商館約蜘の橿民若くは人

民だある㍉帝国民成層民、義光利加は典称蘭だから人民∵南本入の雰智免に書いて窃兼利加を次に書

く。廟が向ふや雰の文凄見るそ之に反して北米合鹿細流統領及び月番腐皇帝ビ克つて居る。怨んて

條蘭又々偲んで見るミノA既着くは臣民ご番いてあるゾ麿水利加切藩を先忙書い′で月本の方をあご忙

して腐ります。農場違ふのが普り繭であ力ますヅ是空手六層潤寸八年忙欧洲の大倉議クエネトアブ

クヤ合議に於て始められ佗もの・に依ったのであう皇すJ。所が違法可か■ちず睾て違つで居るのが日米通 番航海條約第︼條の中の移民尤陶凍る文句で透り皇す8ぎ・フなつて屑篭かご申しますミ先づ日本の 方の條約を義元で見豊するご1斯う書い√てあう、ます虻﹁商館駒園の碩良禽くほ人民は他の⊥方や版園内 に至カ、′施行し、居住し﹂.ぜ番いてあります。.即ち他の十方の版園内に至薄三富ふめは移民するこ、だ

であうます。それでくぎ頒があうまして、ノ英次に却資小繋商業に徒事するこミ、英次泣家屋店舗を所

月光外交関係 ︵九五︶ ︼九

(20)

︵九六︶ 二J

箔一審第二洗

有し、賃借し、・使用する権利が書かれ、−それ等に就いてはお互に内樹臣民若くは人民同様の自由があ る。即ち亜米利加入同様の桔利を闇本人が持って居鳥居書いてあ≠ます。第′一は移民に伸七完全なる 眉由がある。第こは商資するこだ濫裁いで自由がある。琴こにほ家屋店舗を所有し賃借上位用する樺 制がある。之を簡むご月本の移民樺ほ完全ないのであふソ傷ますりだから我が日本は思ひ切つ﹁て尋発刊加 官等ふこミが出務まするし叉向ふが放けなければならぬ謬でござい鼓す。研がそれが争フ祈って居ら ないのは如何なる理由があるか三昌ふビ並風刺加のカの英文の億約恕見るビ之ぜ遷ひ皇す。即ち爾締

約魔の人民若くほ臣民は、速までは周£でありますが英次に、紆酢が即評がヤびが脚即㌦が

aOOO〇〇〇〇〇〇〇〇

の領土に至心版行し居住tセ蓉ホてあうます9日本文のカでは最初に向ふの領土に入勺族行し薦俵す るこご忙就いて自由があつて、英次に膚繋をするこ宰牢働いで自由がぁるど斯う書やてあり皇ヰ。所 が米国側の條約文成ざ・フもさうではな小商繋をする焉に他の一叫カの領土に到う族雇し、居住するぜ番 いてある。ノだから商費をするのでなければ入歯は出家ぬ謬にな∫つて居ちます。ぎうして斯う間違って 居各かど申すミ コンマの問題でありましで、コツマがあるか、ないかの問題であり呈す。日本文で ほっンマがあるこまに克つで薄かれて、屈ますが、向ふのはない。之があゎませんだ御承知の通う英語 は下かち餞上げるのでありますから、商柴に従事し、 モ文字が前の﹁勉め方の版圃内に至卜云々Lの 文句の前に讃まれるこビゼなつて之が入園柾恕制限するこむになる咽であトます心

(21)

The c昏eコS〇﹁∽ubjec叶朋Ofthe Hi等8コ茸c昔凪Pa昔溜Sh塾′h乳el詳eぞ.tO e言草東署早彗d ー凰d2inth2首−it邑esO州Oth旦轟添斎㌧木元彗伊か哲鎗て誉廿叫遥尚dノ沙巴tOC彗y〇コ雷de† W訂を旦e aコd扇tai二豆泰十

然らば條約は何が正文か三富ふミ傭南西文であト′透すが、日本だ米国、日本官英竜利の問の條約

又は英文を正文宣して居ります。それが叫つの新開宅なって居るのであもごますべ

允も此外に月本が零ふ僚地がないのではな車。即ち條釣精神論を似て寧ふ飴地が潔い繹でほないJ

月光雨瀾は封等の観である。を∵で俄が日本人を他の外観人草同機東扱ぬ七い星亨せ︼ざ閥、頑固の

條約の精神主背寸で云ふま破が出家竃いこどはぁりlませんっそれを以で日本は寧へば寧ふ飴地が多少

ございますが、然らば之で行くざしてぎうかど申しますど、之は規定を本ごするま張程強くないので

ある?併し月本が之で鵜む云して、も、第一の難隣は蔑水利卸㌢云ふ酪ほ仲裁裁判に移民問題を付せな

い三言改発を執って居る∴違で為るノ是が;の難関であります0是は重光制御の永い倦放であト

ます。Åうーつは農は蛍光利加自身の事ではございませんが、英苛剥が重来利加せ同じやうな移民排

斥の港辞を似て居る箪言涼聾唐澤あります。で移民絢題に就いては英苫利は並兼利加に後援する免除

がありまして、我が一日本が外交止多少の難掬に立つ三富ふこごを記憶せねばならません用是や鵬つの

英文を書きますビ、下の如くでゐ薄ます。 讃米外賓網櫛 ︵九克︶ 二︼ 虜

(22)

第⊥手悠∴上界二携

︵九九︶ ニュ

難問題であもま斉川恵も英壱利戌眉分の方短日本人排斥をしで居各月たから螢水利加の移民問題の場

合に遼東御伽に同情して凍怒や英観の本国では畢つ七居り意せんがや璃民地であるオトネ!フリヤ、が 先づ厄本人排斥をやっ.成層洒凄す誹・濠曲に於て忌樺り汝砕が明治三十四年にぬ凍獣しね。をれは政

洲に久威せんどする者は濠洲の官吏が指定する所の欧應巴の青菜五十語を昏き樽谷老に阪か重富ふ払

前射

律を通過い雷そた〇政府は蓋砕の通過り前に教育費格で移民を制警る芸ふ、こ妄嘗

まtてハ教育褒格′で制限するならば不急申な上官はないかふ官しから・′フ呈云ふこざであつたが、をのこ

せが壕洲應愈の記膝丈載うで屠場㌣す。痍が向ふでは決して各年誓言ほやりませんでした沌適うし

たか孝義ふゼ∵此倣藤巴の言条五十語を昏き得る者竺嵩過規定庖無理に触辞してヽ無理に車用をんて

ゐるり壷邁でありよすビ英語を五十語書けば壕かちう、彿蘭画語七五十書いた兎壕からう、癖逸語を

五†習いたふ宜からうだ思ふぁが瞥然であ膏嘉す心房が向ふではをÅなものは武野長さぬ。何を牒

すかく重富ふだ例′へ迂希魔語を出す。日本某塞もでは英偽猫位照らばやれま一せうが、希臓語は審軋ます

まい。だかlら革箪ゼ云ネ一一壱軽薄る。是は法律に穴があるのであります。官吏に依りて指定せらるゝ

ノ√領、▲声.

欧凍巴の雪月尭五十語∵是が落じ界であ.ゃます。⊥周ふが指定する∵の・写らち軒選接するめではない。∵そ れで日本人で壕靭に屠る者はぎうかき革ふ吏、∴由拾二手四年以前に泣謝に串?た人達注既得樺ですか

ら居れもむよするが︹併堂芋四年後に向ふに行く賓は此試験では上陸出家ぬJ齢こで免除澄明審己

(23)

串ふ物を取、り皇して、それによつて止みます?是は椴上陸であ風ます⋮から崩せ居各こぜが出家るけれ ぎも永やば屠れぬ、蘇ら指潜ればぢらぬそ云ふこまになつ芳屑力宴す潤.、、で濠弼の日永移民の歴史は長 うござ・いますが﹂唯今の在渡御月番入.わ入口償がに五千人であ舟ま球。英次はカ.すダはぎ、サかど申し 達す菩ふ㌢ダ蟻明治囲徴年にルミ立−オ云ふ商務大臣か日本に凍まじで∵γ年に日本か牒丸ナダに 選る移民の数は家内的螢惨に徒草すか潜?農園労働に徒事す紅潜は四雷名を越ゆべかちす。一年に四 音名以止はねけないざ云ふ取亙極めをし1て凍た沌でカナダに封す各8本移民吸塵鹿は長うございょす

が、、唯今め在加日本人教ほ僅かに一萬允許であちよず。斯ケ云ふ風に英観の殖民地がやつて居り皇す

お請をい托しませう。それは米観に於て本年の三四月頃かち起つ尭ものであ丼をすが、タブ、ト大統領

問題は容易に纏まらぬであちうだ考しへる。但Lこれにつきて米図で救捨連動が起、づて居る。大館その

、ゝ∼√Å√︶ も墓に義憤し豊嶋是が移籍題の解決が非常に困警警あ呈す。故に悪業孟は此

ものですかち﹁虚水利加ノ英誌利は排本に反動すなのであり去すや︰だから英樹は亜米利加に同情しで

時代の検事組長モあつ氾ヂヨ〟1ギ●サイヵーレ︰ヤムヾだ云ふ人が中心せなつで約二三†名の米図の識者が

聯合して﹂日本人にも西洋人己同じ方放で移民を制限しやうセ云盈辻勒を始め汁っそれはぎう云ふ粘

か軍申し主するゼ、唯今欺測火に課もて屠る制限法樺ほ﹂.千凡百九サ年︵明治二十三年︶の在米各観人 め人口を標準ビしで其百分鱒志学堺てその鞠民め.叫年の入国数宜する三富ふ.こ寧でございます。是は 甘兼外交関係 ∴︵九九︶ こ三

(24)

第一粒集こ兢

︵一′00︶ニ阻 昨年め七月に白人に対する制限の法律ざしで出家た牒のです。近頃の人声を本にするのではありませ ん。陶冶二†三年三富ふ古い藤代に東光制加に居った各観人数の百分の二r,ゼ云ふ謬で、恵は大分移民 制限Ⅵ敦典を収め主した。ざうしてそうしねかご申しますミ大正十三年度に兼て蔓米利加に入b︰ま しセ移民の級数良一年間に八十萬人、所が其翌年に人眉唾によゆ些二分を入団せもむる法樺を作も︰ま した所が少し綴りまして、三十萬になり去した。今回百分の二せ云ム標準で制限しました結果は来観 に入る一年間打移民の赦は僅かに十五萬どなつたのである。だから西洋人も大分城b左したっ伊太利 火の如きは大正十年に於ては一一年鼠に二†二爵人並米利加に武うましたが、それが今度の法律に依り まするど、三千八百五十人しか這入れ互い。、何故か呈呂ふビ伊太利火の移民歴史は新しいのでござい 吏すから、明治二†三年、今を去る三せ五年前には伊太利人の米国の居留審は少かったのですべ

我が牒本人はぎケかさ申しますミ此法砕に傾るビ明治二せ三言遠来利加に屠った日本人軋級数

は一蕗四十人でぁりますが、其十高四千人の百分聖一昧こ百八千人しかあ∼ませぬ。一年に二宮八十

人しか日本人は入れない繹でありまず。崩軒之でやって凍られるそ凋本のカではぁけに不卒が言ひ苦

い′。明治二十三年頃は日本は伊太剃異同じ︷永由居留潜が少かったので、最は差別待遇どは言へない

月本の髄面を保つこ寧が出凍るのだヶそれで⋮t大統領時代の検車組畢化ゆしタイて首言云

ぷ人が、是で如きさへすれば日本人も不卒は言ふまいじ1日本人の戚憤も牧まるでぁら㌢三富ふこを

(25)

を考へせ、此連動.を始めて居サます℃痍に鹿西点から盛んに車つて居卜吏す。、L急がこノ皇ぐ布きます弦 易ば、賓際立の影響は別にある静セはあり吏せん/が、髄面が犬欒助か恵ものですから我々は此成功蘇

希盛する静であわます。併乍ら此成功位㊨を澱まな帝れば軒転払状態に立つ七居る室玄ふこどは、い衷

々種本人だして極イ断て退城なこどであLうます?我々はノ之に満足サ与野七塗しざいよせん。廃乍ら定が

成功すかや否や豊貫こ守はなかく濠言か艶凍なホヤ扁惑かざ寄ネ号丁度一方に斯様狩る連動が虚

ヰまするさ、㌧他方に於て盛んに白本人排斥に姦し、吏しなアルバ︶1ヰrヂ亨ソ・サンド三富ふ来園の下院の 移民委員長が日永人、支那人、印度人排斥法の兢一く空茶ふこごを企でヽ凍セ。.之にょるぜ今迄は支那人

の排斥、印度人の排斥、又は日本人は日本人の排斥ビ云ふ苧フに分れて居り左し元が、﹀之を皆合せて二

っにしやうぞ云ふめであhソ上ます。若し批評意が行はるヽこヰ笹なサます吏、′是は日本に不利に遽ひな

い。唯今支那人、に射しでは穫酷なる法碍があるカ支部火の入園を助ける者ある時は五官弗以下の罰金

に廃するどか色々な確酷な規定がある。日本人の方は先に申した市民だなるを線ざる外囲人の入観を

無血する琴示ふ茨浸るもの位しか甘い。、そこ′で東洋移民排斥疎密銃叫しキー港豆する場合には和宮凌

純な規定になゑでございませ︸。き︸す各ざ日本人にごらても面倒な成定、が加はら、をの鱒両問題が

叫∵磨起って凍るであちう。、ゼかも一方に日本に好都合だぜ患はる烏運動が起つで居るビ同線に、他方

持田本に不利な運動が起つで居るこノ已軌忘れ′てはな名ね。是がざ・1なをか重秀ふとどは浪々に取つで 甘米外交関係 ︵−0こ こ玉

(26)

革一番、第こ携

〓0≡ ムごハ 典妹ある問題でありまして、是は本年の十二月から開かるゝ光軸吟議昏−に於て如何に慶分せらるゝか 呈云ふこどを私は興味を以r見んどして居るのゼあやます。是が移民法篠に閲しrての大髄でござい羞

すが、其他に於てまだ日本人の問題は樺山ございます。畢叫つほ商人の問題であらます。先に申立げ

たやうに米図の移民法に射ては大磯に日本人の入観は窯止しまじたけれぎもJ併し日本商人の入組は

之を許し⊂居るのみならず︰宗教家も許して居ります。番犬の方は月光通商航海條約の規定に徒、つて

入れて居悪所が之に就いても今や難簡題がござい達す。そ推ほ何か三吉ふビ第叫は昨年七月に乳歯

の労働省が省令を馨したが其三†眈追加令室茶ふ中に、/移民法に放で商人電去ふこごはぎう云ふ意味

か壱言ムミそれは商人の本観ざ来観の閥に於花貿易に徒畢ずるもの竺云皇息味であるゼ云ふこごで

す。例へば日本人であるミ日本ギ蔑光利加せの間に放せ貿易に徒事ずる老が是が移民法の商人だま

云ふこどであります。常横之が匿瞥な恕解辞三吉はれませうかノ。′之を栽は大いに疑ふのであケ去諦。

村政か芭申せば日米通商像約ではも知恵本意商業に従事す澄もゐ藍旨いまして、/日本そ蔓乗利加

ぜの閤の貿易に徒事する者に限って入観云々ビはござい皇せん。所や宮本の商人は猶り自本号蔓兼制

加の間の貿易に後事する潜許りであ・わませうか。支那だ葦発刊加の舞易捉徒寧し或は印度ご亜兼利加

め貿易に従事する日本火もあり皇せう。是が商人ではありませんや響りか。それから蛍光利加に居留

巨で居りまして豊水利加め品物を買ふて店哲出しで屠る日本人は、日東通商航海條約の劫繋小繋商業

(27)

罵絶藻する商人でばあります凄いか。。私ほ亀等む矢張五商人悉思ひ鼓棄。玖米通商航瀬條約驚は感光

剤加だ日本属の開の商業脹徒事する索☆限滋吏蕃ホギ査ふ薄支那ビ改発利加軍曹易に後輩する衰苛も

管清人に違ひなレい。で斯かる省令密螢働省に於窯出し喪以上犠、.是が愈寧嘗現すを暁咤於て蛛尽来歯

閑静欝⑲絆ぜなるピ思び潰す。

英次は、藁米利加の秀で月本政人の奥さんはぎうかざ言ぷピ、・日米通商航海條約の中では奥畏んき

壇簸で行く三者ふこ£は書いでな樟心叉今回の向ふの法律はぎうか立言ふ毛、商人の入閣は許しで磨

るが奥さんめ入園はきめで屠歩思せん。ぞれが文難問腐であサ呈す。姦して聡嶺はぎケしで奥さんが

行つで滞るか三石ふミ唯今は向ふの亨加姥でやって居る。著し正接に法律の表で行くごなるビ商人

は奥さんを呼ぶ権利がガイ

、︵濁さんは茄街老親光竺嵩ふ意簸で=行く外に枚方がありません。一寸行っ

て締らなけれぼなち犯罪であトまう。研が此鮎に於で我が日本の條約は支那の條約より患い。何故か

定言へば叫千八百八十年︵明治サ室年︶に溝椰ビ光鞠ぜの間に出凍た億約では、、支部扮商人ほ奥さん並

樗下女下男を連れて行くこごが億凍る評であうます。日本の僚約では粂れがございませぬ。セ此鮎に

於ては日本の商人の方が支恥入ょらも不利な立場に立って居る。唯今は向ふの手加減でやって居薄ま

すけれゼも、日本の感情哲嘗ねるを恐れで寛爽にやつで居jますけれざむ、.若し向ふが法律哲振りか ざすこどになる悉℃か′1是も日米間の厄介な問題になるだち・プご恩びます。、 調光外憂蘭篠圭 ︵︼〇三︶ 二七㌧

(28)

︷︼〇四︶ 三久 第、㌧行て恕㌣・第こ妹

義以外に於ては?排日遅勒者は在来日東火の螢菜様に芋を触れんどしつ∼ある

率ルーlヤ州でぁり皇すが∵今まで・は凋本人が魚を獲つで居た。研が今度は外国人たる日本人に.は漁業 溜禁止せんピサる法律寛が葡散骨に弾ましたJⅧそれほ昨年からでありましたが、今厚だけは自火の暗 譜骨赦が運動を致七まして、日本人で魚を獲る人邁を鰊止するに於ては我々碓詩業者は魚を持つで凍 る漕がな小かゃやめて呉れ▲三軍ふこぜで今年だけは助かうたのであります。併し今後も是が問題にな ▲そ斗ビもあり皇せぅ。 其他月本人が市民でない■三雲ふ鮎を似て椰々の螢薬療た、・.向ふが手を触れん宣しつゝあるのであか 漣サ。是も難問題であ旬透す。

∴其次は何か三富ふミ我が日本人の子供で米国に鋳れました者は米圃憲法禰別の十四條に依り兼園

市民であります。で苦境に櫓うで屠る日本人は﹂貴子供の名儀で土地を所有し、やつご農業哲やつで居 る琴であや患す。所が日本人排斥の連中ほ■昨年の十二月ブギシ†シ租の出身た女こT計シス三省ふ止 院議員の手に依つで米観憲法補則十四條の修正案を米国談合に出しました。修正集の骨子は、観が市 民権を肴せざる場合は英子供は米国隼鱒サ∼箪革製糞観市民権を得すき去恵めであやます。法律案で ほあもません?忍法修正案であノります。それはまだ上下両院に於′て決しで費展を見て屠ゃませんが† 結構是は議食め問題ごなるでありませうヤ最む是が決定するにはさう薬ではない。ノ何故か女云五首う

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米韓で憲法を欒へるには上下両院に於望二分のこの多数を占めなければなぢぬ。共立に更に米園田† 八州めうち四分のこ石同意を得なけ終ばならぬ、故に急に賓現は六ケしいけれぎも著し市民権を日本 犬系の子供から奪ふこさになれぼ、今迄のやうな臆面問題でほない。賓際の苦痛を在米日本人に輿ヘ 巻のであb達す。 是が昨年密閉題どぎつで居る所の移民問題の過去現在並に脾凍に就いて申上げたのであります。併 漬u﹁ 邑終りに言寄上げたんき;は、此外観の我が日本に轡する追啓は文一つの若き教訓を頻へるのであ Ⅳこます。我々は迫害は嫌ひであわますが、之に刺戟されで桃源の夢瞥見互いやうにして、各人が犬い に努カして各自見識を進め又能力哲昂めるこだでおるのです。著し之が我由鹿の賓力養成の刺戟翔ご もなるならば、それは我オきじでは犬lに事ばねぼならぬこ㌣だ吏思ひまず。 是以止申上げ皇すど、政治論になつて仕舞ひますの′で、り是にて終サせ激し嘉す? 増兵外賓閣僚 ハ︵ニ0玉︶ ±九

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