◆緊急特別講演(2011 年 3 月 23 日 13:00‐14:30、立命館大学国際平和ミュージアム)
福島原発事故による放射能災害と私たちの生活
立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長、同・国際関係学部教授
安斎育郎
1 未曾有の大地震
2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分、東北地方の太平洋沖でマグニチュード 9.0 の超巨大地震が発生した(東 北地方太平洋沖地震、震災名は:東北関東大震災)。そのエネルギーは2011 年 2 月 22 日に起きたニュージー ランド地震の約11,000 倍、1995 年 1 月 17 日の阪神淡路大震災(兵庫県南部地震、マグニチュード 7.3)の 約350 倍、1923 年 9 月 1 日に起きた関東大震災の約 45 倍に相当する激甚なもので、明治時代に地震観測体 制がしかれて以来、史上最大の地震であり、超巨大ツナミ(津波、tsunami)が襲いかかった。 何千・何万という人々が死傷し、何十万という人々が避難生活を余儀なくされ、食料・燃料・医薬品の不足、 寒さや衛生状態の悪化などの困難に直面している。 加えて、大量の放射能放出を招いた福島第一原発の事故も重なり、事態はいっそう深刻化している。2 福島第一原発の事故の態様
今回問題を起こしている福島第一原発1∼6 号炉は、「沸騰水型軽水炉」と呼ばれるもので、1∼3 号機は運 転中、4∼6 号機は運転停止中だった。原子力発電のしくみ|原子力|東京電力
1∼3 号炉では、地震により予定通り制御棒が挿入されて原子炉の運転が停止され、核分裂連鎖反応は止ま った。しかし、核燃料内部に蓄積された放射性核分裂生成物が発する膨大な熱を除去するための冷却系が、つ なみの影響による電源喪失によって完全に機能を失い、核燃料が破損・溶融する事態を招いた。その過程で、 高温化した被覆材と水の反応で発生した大量の水素が原子炉建屋内に漏れ出し、1,3 号機では水素爆発を起こ して建屋を崩壊させ、環境中に放射能が漏出する結果となった。2 号機でも原子炉圧力容器を収める格納容器 下部で破壊が起こった。原子炉圧力容器には海水が注入されているが、なお十分な冷却能力が安定的に確保できるかどうか、予断を許さない。原子炉圧力容器内の核燃料の冷却が不十分なまま推移すれば、核燃料の破壊 がさらに進行していく危険もあり、大量の放射性物質が放出されることが懸念される。 (注)100 万キロワット原発を 1 年間運転すると、どんな放射性物質がどれくらい出来るか? ※放射能の単位:Bq(ベクレル)=毎秒 1 個の割合で原子核が放射線を出して別の原子に変わっている。 〈原子炉内の放射能は膨大なので、PBq(ペタ・ベクレル=1000 兆ベクレル)単位で表す〉 第 4 号機と(後に)第 3 号機では、使用済み核燃料の保管プールの冷却能力が失われ、同じように燃料棒 が高温化して破壊し、水素ガスによる爆発も起こった。プールは密閉されていないため、ここで核燃料が破壊 されると放射能がさえぎられることなく環境中に直接放出されるため、放射能放出の点では当面3,4 号機の使 用済み核燃料保管プールからの漏洩は非常に深刻な問題である。自衛隊が出動して上空から海水の注入を試み、 東京消防庁のハイパーレスキュー隊も屈折放水塔車で水を注ぎ込んでいるが、その有効性の評価はなお不確実 である。また、3 号炉の格納容器の圧力を下げるために「ガス抜き」を計画的に行なうことも検討されており、 環境への放射能放出の増大も懸念される。 現在、事故の収拾に向けて重要なことは、以下の通りである。 (1)核燃料を継続的に冷却する条件を安定的に確保すること、 (2)環境への放射能放出を極力抑制する有効な手立てを講じること、 現時点で、福島第一原発の事故が鎮静化に向かうかどうか、見通しは定かではない。この事態を乗り越える には、①明確な指揮系統のもとで、外部からの放水による冷却水の供給と並行して、発電所の冷却系を有効に 再起動させる努力を、原子力安全工学の専門家や消防関係の外部関係機関と共同して強力に推進すること、② 使用済み核燃料貯蔵プールからの放射性物質の放出を抑制するため、冷却と並行して、物理的・化学的な封じ 込め策を検討、実行すること、③国民の理解を得、不安を最小化するためには、危機管理に当たる電力企業(東 京電力)、原子力安全・保安院(経済産業省)および政府は、(1)隠すな、(2)ウソつくな、(3)意図的に 過小評価するな、の3 原則を守りつつ、「最悪に備えて、最善を尽す」に徹すべきである。 現在、事故処理に当たっている東京電力のスタッフは、すでに相当量の放射線を被曝し、身体的・精神的に 疲弊し、ストレスの極にあるように見える。任務意識はあっても、家族と離れて危険な放射線下での緊急措置 に従事していることに、大きな不安があるに相違ない。電力企業の垣根を超え、この国の原子力発電開発に責 任を負う形で関わってきたか否かにかかわらず、専門家の知恵を有効に活用できる強力なバックアップ体制を とることが不可欠である。ただし、責任ある最終的判断と指揮の系統は、混乱のない明確さを担保する必要が ある。
3 私たちはどうすべきか?
起こった事故を悔やむことはひとまず措いて、事態の本質を見極めつつその収拾を図り、放射能の環境への 放出を極小化することに総力を挙げることが重要だろう。 私たちとしては、何よりも、東京電力と原子力安全・保安院および政府に対して、「隠さず、ウソをつかず、 過小評価に陥らず」、「最悪に備えて最善を尽くす」よう、求め続けることが大切だ。 いま、原発周辺地域はもとより、東北地方、関東地方をはじめとして、人々の間には放射線被曝や放射能汚 染に対する深刻な不安が拡大している。東京電力、保安院、地方自治体および中央政府は、環境放射線量率や クリプトン 85(半減期 10.7 年、炉心生成量 22PBq)/ストロンチウム 90(28.8 年、190PBq)/ジルコニウム 95 (64 日、5900PBq )/ルテニウム 106(372 日、700PBq)/ヨウ素 131(8 日、3100PBq)/キセノン 133(5.24 日、6300PBq)/セシウム 137(30 年、210PBq)/セリウム 144(285 日、4100PBq)/プルトニウム 238(88 年、 3.7PBq)/プルトニウム 239(24000 年、0.37PBq)、その他大気・土壌・食品などの放射能汚染に関する速報値を、引き続きマスコミや市民がアクセスし易い形で公表し、 被曝や汚染の実態に応じて関連地域の住民や滞在者に具体的かつ平明な放射線防護上の措置を示すべきだろ う。 現在、原発近傍地域だけでなく、東京などそれなりの遠隔地でも放射線量率の有意な増加が観測され、放射 能汚染に対する不安が広がっている。 ① 避難勧告が出されている地域では、事態の沈静化について明確な見通しがついていない現状では、要 治療者・要介護者・子ども・妊娠可能年齢の女性などを中心に、より安全な、食料・居住・衛生・医療 環境が整っている地域に移動させることを検討し、実施する。 ② 原発周辺で放射線量率が(日常の数十倍の)毎時数マイクロシーベルト程度を示し続けている地域で は、その線量率が放射性雲(プリューム)の通過による(天からの)ものか、あるいは、すでに地上に 降り積もった放射性物質由来の(地からの)ものかも見極め、今後の対策に活かす必要がある。前者な ら発生源が収まれば減少するが、後者なら(セシウム137 などによる地表汚染があれば)長期化する可 能性がある。それに応じた対策を検討する必要があろう。 ③ そのような地域で市民レベルで出来ることとしては、a.不要・不急の外出は控える、b.外出時には表 面の滑らかな衣服(雨が降ればレインコート)、帽子、手袋、マスク(ガーゼを濡らして入れればなお 良い)の着用を心がけ、外出終了後は(可能なら)シャワーを浴び、着衣などは花粉症対策の場合と同 じように付着したチリを払い(レインコートはシャワーで表面を洗い落とし)、ポリエチの袋に入れて おくこと、c.窓を開け放たず、できるだけ密閉性に配慮すること、d.不安があれば放射線検出器でチェ ックする(他県から出向いたモニター・チームが避難所を巡回している可能性がある。そうでない場合 は避難所で、どこに行けば可能かを聞く。チェックは短時間で済む)。 ④ 現状では現場の事故対策に当たっている人々以外は、急性の放射線障害に陥る心配を苦にするような レベルでないことは確かだが、事態の成り行きが、沈静化の方向に向かうのか、悪化の危険性を孕むの かの見極めがついていないので、まずは事態の見極めと収拾が最優先であることは疑いない。しばしば 官房長官の説明でも、現在周辺にもたらされている放射線被曝や放射能汚染に関して、「過度に心配す るレベルではない」ことを訴えかけようと、被曝のリスクをCT スキャンなどによる医療上の被曝と比 較し、「深刻なものではないので冷静に対応するよう」コメントする方法が常套化している。しかし、 医療上の被曝はその見返りにガンの発見などのメリットがあるが、原発事故に由来する被曝には何の見 返りもない。比較を行うとすれば、メリットのない被曝例として「自然放射線」を挙げることは参考に はなる。自然放射線は関東<関西<北陸など、地域によって地殻の自然放射性物質の違いなどにより異 なる。 ⑤ 食品の放射能汚染が報告されるようになっており、今後もかなりの期間、有意の放射能汚染が続くも のと思われる。現在公表されている汚染レベルの食品を1 年間摂取し続けたら被曝がどれくらいになる かを評価し、その結果を「CT スキャン 1 回分あるいはそれ以下」などとする説明は、メリットのある ものとメリットのないものを同列に比べている面で、やはり見識が問われる。汚染状況に関する情報を 公表し、それを利用することに伴うリスクの程度を示し、あとは消費者の選択の自由に委ねることにな ろう。その際、放射線防護学の原則からすれば、汚染した食品と汚染していない食品がある場合には、 汚染していない食品を選ぶことになるが、汚染レベルが取るに足らないレベルでも、一般に、人は「数 値によって理性的に怖がる」訳ではない。放射線は、身体的・遺伝的・心理的・社会的影響を伴い、心 理的影響は、一般に、定量的に扱うことは出来ない。 ⑥ 政府や自治体は食品の汚染状況を検査して、その情報を公表し、基準以上のものは出荷停止措置をと る必要がある。汚染地域産の食品は、たとえ基準以下の汚染食品であっても「風評」によって市場価値
を失うことが多く、生産者は自らの責任に属さない原因で多大の損害をこうむる。国は補正予算を組む などしてこれらを補償したり、買い上げるなどの財政支援措置を講じる必要がある。汚染食品を値下げ するなどして「経済的メリット」を対置することは可能だが、それを消費者が購入するかしないかは消 費者の選択の自由に属する。例えば、当該汚染食品を摂取してもそれによるリスクは自然放射線の地域 的変動の範囲内だとした場合、「その程度の汚染食品は怖がらずに食べるべきだ」と考えるのは一つの 立場だが、他に選択肢がある場合、やはり「汚染レベルが僅かでも、汚染食品は選ばない」という消費 行動も、同じように一つの立場である。そのような消費行動を「非科学的・非理性的だ」と批判するこ とも自由だが、人は常に科学的・理性的に行動する訳ではない。それは、幽霊を信じることが(たとえ 非理性的であろうとも)自由であることにも通じる。 ⑦ 被災者は地震とツナミの被害で苦しみの底にある。原発事故に伴う放射能災害は、それに追い討ちを かける災難である。いたずらに放射能の危険性を声高に叫ぶことは慎まなければならない。被災地で食 料・燃料・医療などの困難に直面しながら生活している被災者や、支援のために現地に入ったボランテ ィアが、引き続き放射線の影響を最小限に食い止めるために必要な手立てが講じられなければならない。 安斎自身が測定器を引っ掴んで被災地に行きたいと念じているが、果たせないでいる。被災地を訪れる 可能性のある人からの質問への助言は、以下の通り。 Q:お元気ですか?質問です。もし先生がいま被災地に入るとしたら、どのような準備で行かれます か? A:お答え (1)現地に入って活動する際、自分がどれだけ被曝し、どれだけ汚染したかを把握する必要があるので、被 曝情報を提供し、簡単な汚染検査をしてくれる担当部局を確かめること。 (2)屋内のボランティア作業の方が被曝は少ないが、屋外の作業に従事する場合には、雨合羽、帽子、手袋、 表面すべすべの着衣を用意し、できるだけ時間を効率的に使って任務を果たした後は、もしも可能なのなら放 射能のチェックを受け、可能なら雨合羽等はシャワーで洗い流すなどすること。 (3)体は念のため石鹸をつけて洗い、シャワーで洗い流すこと。 (4)食べ物、飲み物の放射能汚染については、現地で使用される食材の汚染状況に留意し、汚染の高い食材 を用いたものは、他にそうでない食材が選べるのであれば(実際上の放射線影響が微小なレベルでも、安全・ 安心のため)汚染の少ないものを選ぶ心構えをもつこと。もっていける携帯用食品があれば、それはそれで安 心の材料である。 (5)必要なら私のガイガーカウンターを貸します。その場合は、ついでに観測記録を持ち帰っていただくこ とになるでしょう。 (6)心配が生じたら、安斎育郎に連絡すること。 いまは、当事者と政府に事故収拾の最大限の努力を求め、未曾有の地震とツナミの被害で苦しみのどん底に ある被災者を支援することが大事だ。ゆとりのある人は信頼できる募金者に義援金を寄せ、知恵のある人は知 恵を出し、時間と労力のある人はそれを提供し、言葉のある人は励ましのメッセージをさまざまな方法で発信 し、ボランティアで被災地に赴く人にはその無私の心に感謝して可能な便宜を計らうなど、それぞれの人が自 分に何が出来るかを考え、実行することが期待される。いやしくも、「被災者に接すると被曝する」といった 被災者に対する差別感情を助長しかねないような言辞や、私利のために不要に買いだめに走るような行為は厳 に慎まなければならない。目の前の事実を見据えつつ、その克服のために何が出来るかを等身大で考え、事の 大小にかかわらず実践すること─それは国際平和ミュージアムがめざす「平和創造の主体形成」の視点からも 重要であると考える。
4 生き越し方を振り返って
緊急炉心冷却系(ECCS, Emergency Core Cooling System)の実証性の問題は半世紀も前から疑問視され、 私もアメリカの「憂慮する科学者同盟」(Union of Concerned Scientists)の検討結果を翻訳し、『原発の安全 性への疑問─ラスムッセン報告批判』(水曜社)として刊行した。私は、また、福島原発の安全性の問題に早 くから関心をもち、1974 年 9 月には、福島第 2 原発 1 号機の設置許可処分をめぐるわが国最初の公聴会に科 学者として参加して意見を述べ、仲間たちと『60 人の証言』を刊行した。その後、この原発については裁判 を提起した。 思い起こせば、私は1971 年 12 月、日本学術会議が開催した始めての原発問題に関するシンポジウムにお いて「6 項目の点検基準」を提起し、日本の原子力発電が直面する諸問題について全面的な批判を行なってい た。70 年代は、日本政府が電力企業と結びついて原発建設を批判を圧殺しながら強力に推進した時期であり、 科学者・地域住民・弁護士と連携して原発政策批判に取り組んだ私は、当時、反体制的イデオローグとみなさ れ、尾行・差別・ネグレクト・威嚇など、さまざまなハラスメントを受けた。私は、今、約 50 年間原子力畑 に関わってきた科学者として、原発政策批判に取り組んできたとはいいながら、結果的にこうした事態を招く ことを防ぎきれなかったことに対し、地域住民の方々に心からお詫び申し上げたい。それは、戦争の時代に批 判の側に身を置きながらも、結局戦争を防げなかったことに苦しむ知識人と共通の気持かもしれない。
( 参 考 資 料 1 )
1972 年 日 本 学 術 会 議 原 発 問 題 シ ン ポ ジ ウ ム で の 安 斎 育 郎 の 基 調 演 説
「原子力発電の問題点」
日本科学者会議は 1965 年の創立以来一貫して、科学・技術の成果を真に国民に役立たせることを重視する立場か ら、公害問題・災害問題等についての調査・研究活動を組織するとともに、科学や技術の誤った利用を告発してき ました。この間、アルミニウム精錬公害、コンビナート公害、水俣病等に関する 10 回にわたるシンポジウムを行な ってまいりました。原発問題については各支部あるいは分会レベルで地域住民との共同の活動が組まれてきました が、昨年 8 月 25 日には「原子力発電の安全性についての原子力委員会への申し入れ・公開質問書」を提出し、全国 レベルでの諸活動を企画してきました。この質問所については、国民の多くが重大な関心を寄せている重要な問題 なので原子力委員会が早急に責任ある回答を示すよう度々要請してまいりましたが、私たちはいまだに何らの回答 をも手にしていません。科学者会議は原発問題研究委員会の発足を踏まえ、本年 8 月 17 日から 3 日間、北海道・岩 内町において第 1 回原子力発電問題シンポジウムを開催し、道内外の研究者や地域住民約 400 名の参加のもとで、 とりわけ漁業問題に焦点を合わせて総合的な討論を展開しました。科学者会議がこのシンポジウムをこれまで企画 した一連の公害シンポジウムの一環として位置づけなかったのは、理由のあることであります。わが国における原 子力発電問題は、公害防止・安全性確保をめぐる科学・技術上の問題という観点からと同時に、少なくとも次に述 べる 6 つの観点から総合的に点検されなければならないと思います。 第1の点検基準は、自国に根ざした自主的なエネルギー開発であるのか否かという点であります。歴史的にあと づけてみれば明らかなように、わが国のエネルギー産業は、石炭・石油・原子力という展開過程において、政治・ 経済・技術上の対米従属的関係と不可分に結びついており、現在、原子力委員会が電調審の電力需要予測をそのま ま受け入れて策定した昭和 60 年 6000 万キロワットを目途とする原子力発電施設の殆どすべてが米国型軽水炉に依 存し、日米貿易収支のアンバランスの是正という米国経済政策の破綻の尻ぬぐいを理由とした濃縮ウランの大量買 付けという形をとって、燃料である濃縮ウランも当面米国一辺倒に委ねられようとしています。このことは原子力 委員会自身「原子力開発利用に関する自主性の確保ならびに核燃料の安定供給の点で必ずしも望ましいことではな い」と批判しているほどのものであり、わが国の原発のスイッチを米国に委ねるも同然であることは既に度々指摘 されております。米国型軽水炉導入一辺倒の開発政策は、結局のところ、発電に付随する様々な安全上の問題に関 する独自の研究・教育体制をも著しく貧弱なままに放置することにつながり、安全確保のための諸基準や自主的な 審査体制をも全く形骸化させる原因となるという点で、きわめて重大であると言わなければなりません。政治・経 以下の原稿は、1972 年 12 月に開催された日本学術会議の第 1 回原発問題シンポジウムでの安斎の基調的演説である。こ の時安斎は、日本科学者会議原発問題研究委員会の委員長であった。ここに提起した「6 項目の点検基準」は、当時の原発 に関する市民運動に一定の影響を与えた。済および技術開発政策上の対米従属関係のもとでは、本日の主題である安全の問題に関しても、本日問題となった 耐震性の点も含めて、それを保障するわが国の科学の水準と技術の力量を、主体的自立性をもったものとして発展 させることは著しく困難にならざるを得ないと思うのであります。 第 2 の点検基準は、経済優先の開発か、安全確保優先の開発かという点であります。経済成長率がアプリオリに 設定され、開発規模がはじき出されるという発想に基づく開発は、結局、安全性確保に多くのしわ寄せを押し付け たまま暴走し、重大な事態を招くおそれのあることは、60 年代を通じて圧倒的規模で顕在化した公害問題において われわれは幾多の実例を経験したとおりであります。また、亜硫酸ガス等を垂れ流して住民の生命と生活を犠牲に しつつ不当な操業を続けている石油火力との競合という状況のもとで、いたずらにコスト・ダウンをねらった安易 な大型化は、はかりしれない危険をもたらすおそれがあります。われわれは、経済主導型の開発によってもたらさ れる安全技術へのしわよせが、わが国の技術の発展段階において十分消化されないまま、不安全状態を放置して猛 進しつつあるのではないかという点に大きな危惧を抱いております。関西電力美浜一号炉は本年 6 月 13 日の蒸気発 生器細管漏洩事故以来、既に半年近く停止しており、事態の重大さを改めて考えさせるものとなっていますが、事 故の発生過程において、プロセス・モニターが異常な放射能を示してから実際に炉を停止させるまでに 35 時間が経 過しており、当時、海南火力発電所の 60 万キロワットタービンの爆発事故直後の電力需要期にあたり「運転停止は したくなかった」という経営事情への考慮から操業優先主義に陥り、事故の拡大をもたらしたという経緯を考える ならば、安全確保第一よりは経済優先ではないかという懸念は単なる心配ではなく、現実のものとなっていると思 われます。 さて、第 3 の点検基準は、自主的・民主的な地域開発計画とどう抵触するのかしないのかという点であります。 端的な例を北海道・岩内町にとってみるならば、岩内郡漁業協同組合は地場産業としての漁業の開発について独自の 年次計画を持ち、ホタテの養殖の成功も踏まえて年間約 90 億円の水揚げを予定し、水産加工品も加えるならば 150 億円を扱う北海道の一大漁業基地として発展していく展望をもっております。ここに、現時点で様々な安全上の諸 問題を未解決に放置したまま、大規模原子力発電施設を設置することは、漁業の発展を大きく阻害しかねないとい うことから、漁協のみならず漁業とともに歩んできた町として自治体ぐるみ設置反対の決議をしているわけであり ます。ここで提起されている問題は、跛行的展開を余儀なくされ著しい歪曲を免れているとは言えないわが国の科 学・技術の力量、あるいは自主・民主・公開の 3 原則をも蔑ろにした安全行政の実態が、地域ぐるみの死活をかけて 安全を真に保障し得ると断言できるのか否かという深刻な選択の問題なのであります。漁業はとりわけ国民の蛋白 資源の確保と不可分な問題として重要ですが、漁業に限らず、ミカンの栽培等の農業、牧畜、観光開発等について も全く同様であります。なお、これに関連して申し上げますならば、現在の九電力体制下では、相互間の競合関係 の中で、全国各地での計画的な地域開発と総合的な調整をとることは殆ど不可能であり、たとえば岩内の如き国民 の蛋白資源を守り発展させるというような事業が住民の反対運動によってかろうじて支えられているようでは大問 題であると言わねばなりません。原発による地域産業の破壊は漁業権の買収・消滅という形で既に進行している重 要な問題であります。 第 4 の点検基準は、軍事的利用への歯止めが保障されているか否かという点であります。日本学術会議は 1950 年 4 月の第 6 回総会において「戦争目的の研究には絶対に従うまい」という声明を採択していますが、原子力の軍 事利用については単に研究者・科学者の主観的決意の問題としてではなく、プルトニウム・プレッシャーによって 代表される技術上の難点を媒介とした経済的圧力や、ウラン濃縮問題、あるいはわが国が国政レベルでとっている 軍事政策の問題として、更には防衛技術研究所等で推進されている原子力の軍事研究の実態という視点から、点検 されなければならないと思います。われわれはプルトニウム・プレッシャーという問題が不明朗な見通ししか与え られないまま厳然として存在すること、法務局長官を含む政府関係者が責任ある発言として将来における原潜保有 の可能性に言及していること、核爆弾保有すべしの論が与党内に現に存在すること、わが国独自によるウラン濃縮 問題が避けられないこと、科学技術庁長官の国防会議参加問題、そして更には、既に核戦争あるいは放射能戦争を 想定した兵士の野戦における放射線被曝等に関する軍事研究が 1960 年代を通じて精力的に行なわれていること、こ のような一連の客観的な事実をこそ問題としているのであります。 第 5 の点検基準は、安全性の確保、すなわち発電所労働者と地域住民の生活と生命の安全を保障し、環境を保全 するに十分な歯止めが、どれほどの実証性をもって裏づけられているのかという点であります。これは本日の主題 でありますので、後ほど詳細に問題提起したいと思います。 第 6 の点検基準は、今まで述べてまいりました 5 つの基準を支えるためにも必須の要綱として、原発開発に関し て民主的な行政が実態として保障されているのか否かという点であります。わが国における原発開発についてはこ の点はとりわけ重大な問題であり、安全性確保に直接関わりあう問題ですので、具体的事実に基づいて後に詳しく 問題を提起したいと考えております。 以上述べて参りましたとおり、原子力発電の安全の問題は、科学・技術上の論争を重要な一環として含みつつも なお優れて政治的経済的な問題であります。ここに提起した 6 つの観点に照らしてわが国の原発開発は果たして本 当に問題なしと言えるのか否か、ご議論を頂きたいと思います。 さて、主題である安全性確保の問題についていま少し立ち入って議論を展開していきたいと思います。最初に、 述べる道筋を明らかにしておきたいと思いますが、第 1 には、安全審査体制や民主的行政の実態に関する、いわば 問題の行政的側面について触れます。第 2 には、わが国の原子力発電開発の安全性に関わる科学・技術上の争点に
ついて述べたいと思います。第 3 には、安全を保障するための研究・教育体制の問題について触れてみたいと思い ます。 まず第1に、行政的側面について述べます。その1は、わが国の原子力委員会は、原子力開発の推進と規制・監 督の両方の役割を兼ねており、その結果、安全審査は設置を前提として行なわれていると言っても実態として過言 ではないことであります。とくに現在では、申請書の提出以前から基礎工事を進めている状況が是認されており、 設置の前提は現実の無言の圧力となって審査を圧迫する虞があります。また、現法律下では、原子力委員会は単な る内閣の諮問機関に過ぎず、米国の場合のような行政権、命令権をさえも与えられていない訳であります。その 2 は、安全審査に関するデータ・情報・諸基準等の米国依存性、設置者依存性であります。この 10 月、内田審査会長 自ら軽水炉の緊急冷却に関するクレストのミーティングでお認めの通り、とくに ECCS(緊急炉心冷却系)に関して は、そのデータ・情報の殆どが設置者である電力会社を通じて米国のメーカーから提供されたものであり、したが って審査過程において、これらの情報の実証性を確認する論拠の基礎となる自前のデータが殆ど存在せず、また、 提供された計算結果を厳密に点検するための機関をさえ持っていないため、安全審査は著しく不健全な形骸化した ものにならざるを得ないと思います。われわれは原発の安全審査を含めて原子力安全行政の自主性・主体性の確立 と飛躍的強化を強く求めますし、原子力委員会が当面独自の力量あるスタッフを必要なだけ確保し、安全行政を総 合的に展開できるに必要な財政措置と権限の保障を早急に作り上げる必要があると考えています。その 3 は、安全 審査内容の総合的な欠如の問題であります。原子力発電に関わる安全の問題は原子炉事故の防止や放射線被曝の防 護といった問題に限局されるものでは決してなく、温排水の影響はもとより、淡水の調達問題、耐震性に関わる地 質調査、高圧送電の線下規制、温排水の塩素汚染、設置予定地域の地帯整備計画、再処理工場の設置計画との関連、 等など多面的検討が本来なされなければならないはずであります。しかし現実の安全審査にあっては、温排水がも たらすかもしれない極めて重大な問題さえなおざりにされてきましたし、淡水調達問題が地域に及ぼす影響等は副 次的な問題として脇に追いやられ、緊急時の避難交通網の整備を含む地域の整備計画の将来像についての見通し等 も殆ど責任ある検討をされず、審査の総合性の欠如が指摘されています。日本科学者会議静岡支部は浜岡原発につ いての淡水問題を、また京都支部は大飯原発についての淡水調達問題を独自の調査に基づいて警告していますが、 今また伊方原発についても同様のことが言われています。東海村については昭和 37 年 9 月原発 1 号炉設置許可当初 の地帯整備計画すなわち半径 4.5km 内を低人口区域とし人口増加は好ましくないこと、そして、退避道路を整備す る必要がある等が言われていたにもかかわらず、周辺地域の人口は急速に増加しつつあります。原子力発電所をあ る地域に設置することに伴って地域住民の生活全般に及ぼされる影響は現実的にはつねに総合的であります。にも かかわらず、審査されるのはそのうちの一部分でしかない。しかも、放射線による障害についても内田会長は治療 の必要のあるものをもって放射線の影響を定義づけるといった恣意的な危険な判断を行なっている、これは重大な 問題と言わなければなりません。もともとわが国では原子力は公害対策基本法からも除かれ、米国の NEPA に相当す るものもないという状況の下で、総合的検討は極めて重要な問題であると思います。その 4 は、審査過程・審査資 料の公開性の問題であります。アメリカでは通例となっている公聴会の開催が日本では住民の強い要求にもかかわ らず原電 1 号炉について形式的に行なわれただけで、以来、岩内町が地方自治体レベルで開催した以外は行なわれ ていません。大飯町では内田会長も出席して「説明会」なるものが開催されましたが、文書による質問の提出や討 論の禁止を前提としたのでは、疑問を深めることはあり得ても事態の根本的解決に何ら結びつくものではありませ ん。われわれは、原発設置に至る過程では、いかなる異論も論理的克服なしに抹殺されるべきではないと思います。 米国では建設および運転許可に先立って公聴会を開き、個人や集団による異議申し立て中は着工されず、Shorham BWR は 1968 年 5 月以来、また、Midland PWR の 1,2 号機は 1969 年 1 月以来、現在も公聴会を続行しておりますし、 後者については 52 項目にわたる住民側の異議申し立てが検討されている訳であります。審査のための資料について もその全面的公開が強く求められています。再び米国の例を引用するならば、米国ピーチボトム発電炉の Final Safety Analysis Report(最終安全解析報告書)は本文 2000 ページ、Amendment(改善書) 1500 ページ以上が公 表され、われわれの検討に委ねられていますが、わが国では審査結果 20 ページ程度の、しかも内容の形式化したも のが公表されるに過ぎません。原子力委員会の企業機密防衛を慮った拒否の姿勢は、昭和 34 年に日本学術会議が原 電東海 1 号炉について Calder Hall 炉資料公開要求をしたのを拒否して以来、一貫して続いています。公聴会の実 質的保障と審査資料の全面公開がもたらす安全審査をめぐる緊張関係こそが、安全技術・防護技術の進歩をもたら す原動力の一つとなり得るものと思います。これらを拒否することは、安全審査に何らかの不都合があることを実 質上認めるものであります。田島英三氏は去る 10 月の放射線影響学会シンポジウムにおいて、日本の原子力委員会 の信頼性を得るために影響学会関係者の協力を呼びかけましたが、日本の原子力委員会が信頼を得られないでいる のはそうしたことではなくて、公開拒否の姿勢等などの行政の実態にこそあることこそ問題にしなければならない と思います。その 5 は、行政実態に見る非民主性の問題であります。審査の非公開はその一つの重要な現われでは ありますが、わが国では、国政レベルでの原子力行政についても、地方自治体段階での行政についても、また、電 力企業が総体としてあるいは個別に行なっている安全性の強調一辺倒の宣伝活動についても、民主主義を蹂躙する 幾多の重大な事態が現実に起こっています。若干の例について述べますならば、浜岡原発 1 号機について中部電力 と静岡県が安全協定を結んで一定の条件のもとでの地方自治体の立ち入り調査権を認めたとき、真っ先に横槍を入 れたのは通産省でありました。佐世保原潜「寄港」に伴う港湾汚染事件のとき、異常があっても事実をさえ認めよ うとせず、目まぐるしく見解を変えたすえアメリカからの調査団のお座なりな調査でウヤムヤのうちに事態を処理
した原子力委員会、科学技術庁の態度、原子力文化振興財団協力の形で製作された 9 電力の覆面・持ち込み番組「原 子力発電は安全か」なる放送において、昨年 10 月、住民の声を聞くという形式をとりながら内容的には一方的ない わゆる学界の権威および政府関係者の見解を対置しただけで原発は安全だという断定的な結論を引き出し、原発設 置予定地区だけ重点的に放映したあのようなやり方、去る 9 月 15 日、「いばらき新聞」に「明日を築く原子力開発」 という名で県政経済研究会なるものの座談を PR のページであることを断りもせず、一般記事のごとく見せかけて掲 載させ、住民に各戸配布したあのやり方、町長リコール運動にまで発展した福井県大飯町前町長の関西電力に直結 した政治姿勢、新潟県柏崎原発にあっては県が「原子力ニュース」なる安全性喧伝一辺倒の出版物を発行し、市は 既設原発見学旅行に住民を駆り立て、公開討論会の拒否、反対署名への露骨な干渉、集会への民主的科学者の派遣 に対する圧力等、刈羽村ではついに住民投票をもって反対の意思を表明するに至ったあの事例、さらに、日本原子 力研究所の労働者の原発講師団に対する様々な非民主的労務政策の問題は、日本学術会議の学問と思想の自由委員 会にも提訴された問題であり、よく知られたことですが、先日の JPDR ロックアウト裁判における原告側全面勝訴に も表れているとおり、当局側の不当性が明らかにされつつあります。遺憾ながら、この種の非民主的行政実態の例 は枚挙に暇がない程であり、このような事例の一つ一つが安全性確保に対する住民の信頼を日に日に大きく失わせ るものであると言わなければなりません。原子力委員会設置法は、民主的行政の推進を謳っているにもかかわらず、 それがすでに全く形骸化の危機に瀕しているということ、これは絶対ゆるがせに出来ない問題であると考えており ます。 さて、次に、第 2 の問題として、原発の安全性をめぐる科学・技術上の論争点について問題提起したいと思いま す。話を展開する順序としてまず第 1 に原子力発電の有する潜在的危険性についての認識を事故発生の問題につい て述べ、第2に発電所の運転に付随する放射線影響の問題と温排水問題、第 3 に核燃料再処理の問題、第 4 に廃棄 物処分の問題と廃炉問題について触れたいと思います。第 1 の原発の潜在的危険性の問題ですが、一つのサイトに 数億キュリーに及ぶ放射性物質が内蔵される訳ですからまさに想像を絶する危険であります。新潟県柏崎市での講 演の中で東大の都甲泰正氏は「ヨウ素 131 が 10 万キュリーというと驚くが、目方はわずか 1 グラム程度なので処理 し易いのだ」と説明していますが、都甲氏は一方において、空気中に排出することが許されるヨウ素 131 の許容濃 度は 10‐12ppm という、一般の公害問題における物質とは全く比較にならない程微量なのだという認識─空気 1cc 中 に原子が 20∼30 個でもう許容濃度に達するのだという認識を決定的に欠落しているように思われます。わが国の人 口密度を考慮すれば、この潜在的危険性は一層重大な意味をもって認識されなければなりません。重要な問題はこ のような重大な潜在的危険性が顕在化するのを防ぐためにどのような手立てが講じられ、その手立てが確かに有効 に働くということがどれほどの実証的データで裏づけられているのかという観点であります。しばしば、安全性を 強調する立場 から「原子 炉には幾 重にも安 全装置 が施されてい る」とう解 説がなさ れますが 、基本 的観点 はそうではな く、本来危 険なもの だからこ そ幾重 にも安全設備 が必要なの であって 、最も重 要な点 は、幾 重にも施され ているとい う安全技 術が苛酷 な事故 条件のもとで 本当にその 性能を発 揮するで あろう という 実証的保障がどれほどあるのかという点で ありま す。都甲氏のたとえを引用するならば、「いまの原子炉でやっ ていることを飛行機に喩えれば、万一の場合の用心に気球を 2 つぐらい備え、それが働かない場合の用心にパラシ ュートを 2 つぐらい備え、さらに住民の住む上空に網を張り巡らしておくようなもの」ということでありますが、 われわれが問題とすべきは、上空に網が張ってあるか否かではなく、そのように張り巡らしたネットが落ちてくる 飛行機を本当にくいとめ得るのか否か─答えはまったく明らかですが─それが実験的に十分確認されているのか否 かにある訳であります。米国 LO FT (冷却材喪失実験)計画中の EC CS (緊急炉心冷却系)欠陥問題はこ の間 の経緯を極め て象徴的に 物語って おります 。緊急 時には最も頼 りとされる その効果 が確実に 働くも のと期 待されていた 安全装置が 実際に働 かない可 能性が あることが実 証されたこ と─これ ほど米国 型軽水 炉が実 証的であるということの中身を暴露した事 例はあ りません。原子力委員会は ECCS 問題発生直後の昨年 6 月 1 日、あの実験は小規模かつ1ループのもので実際の ECCS を十分模擬していないと声明し、同月 28 日には調査団が わが国の軽水炉は 68 年以降の新型炉なので欠陥問題の対象とはならないと発表しましたが、その後米国原子力委員 会は暫定基準を発表し、ECCS 問題は軽水炉開発上の重要な問題であると提起しています。現在原子力委員会は ECCS 問題を安全審査上どのように位置づけているのか、見解を明らかにすべきであると思います。これに関連して被覆 材の最高温度の問題等がありますが、ここでは省略いたします。この問題に関連して関電美浜 1 号炉の蒸気発生器 細管漏洩事故に今一度触れておきますが、京都大学の若林二郎教授は本件に対する見解─いわゆる若林メモ─を発 表し、これは事故ではなく「小さな故障」であると言い換えた上、このような故障は発電所の全寿命の間に 400 回 程度許せるという驚くべき甘い見通しを述べております。そして「このような軽微な事故について 1 ヶ月も運転を 停めるのは電力という国民の基幹産業にとってはむしろ困った問題なので、今後は速やかに運転再開できるよう要 望したい」としております。事故ではなく故障だと言い換えてみてもそれは単に言葉の遊戯に過ぎません。このよ うな事故で半年以上も炉が停止することは安全審査の段階で予測されていたのか否か、予測されていたとすれば随 分お粗末なことですし、proven reactor(実証炉)の内容はこの程度のものかということになりましょうし、もし も予測されていなかったとすれば proven(実証された)という言葉は返上しなければならないでありましょう。原 子力委員会の見解を知りたいところであります。さて、時間の関係で第 2 の問題、すなわち平常運転に伴う放射線 被曝および温排水問題に移ります。まず、放射線被曝の問題を論じますが、一つは発電所労働者の被曝の問題、も う一つは周辺住民の被曝の問題であります。労働者の被曝については 2 つの問題に触れます。第 1 は、最近のわが
国の炉の運転に当たっては、定検作業等、外部被曝と体内汚染のおそれの大きい作業が下請け作業者に委託される 傾向が一般的で、転々と渡り歩く下請労働者の放射線安全管理は重大な、しかし有効な管理方式が決められていな い分野として放置されています。原子力委員会はこれを労働省の管轄として傍観することは到底許されるべきでは なく、わが国の原発開発に関わる安全の確保と不可分の問題として早急に解決を図らなければならないと思います。 第 2 の問題は発電所労働者に対する許容線量の問題であります。近年国際放射線防護委員会が発表したレポート─ ICRP Publication14(国際放射線防護委員会・刊行物第 14 号)─においては、発電所労働者のように全身の臓器が ほぼ均等に被曝にさらされるような場合には、年間の被曝の上限を 1/4 か 1/5 か 1/10 に切り下げなければならない かもしれないと提案しています。最も厳しい 1/10 をとって考えると、労働者に対する許容線量は年間 0.5 レムとな りますが、例えば 1963 年から運転しているイタリアのガリグリアーノ原発の場合、年間 0.5 レム以上の被曝を受け る労働者は、1965 年以来全発電所労働者の 60∼70%に及んでいるという事実だけから考えても、重大な問題と言わ ねばなりません。原子力委員会が刻々と提起されるこの種の放射線影響に関する新しい知見や提案を遅滞なく自主 的に検討する体制にないことは大いに問題であろうと思います。なお、許容線量に関するこのような知見が出てき ている現在、例えば年間 3 レム以上を被曝した場合には手当てを出すとか出さないとかいうことを労使間で協定し ようという発想がありますが、危険と引き換えに金を受け取るといった「わが身を切り売りする」考え方には重大 な問題が含まれております。次に、住民に対する放射線の影響の問題についていくつかの問題を提起します。第 1 は、放射線の低線量率下での長期慢性被曝が世代を越えて及ぼすかも知れない影響については現在知見が少なく、 それだけに十分な安全余裕をとるべきことであります。然るに、現実に電力会社が地域住民に行なっている宣伝に は、インドのケララ州やアメリカのデンバーの例など、既に論理的に破産している議論をあえて持ち出し、自然干 す葉脳が高い地方でも有意な影響は出ていないといった、事実に反する誇大な捻じ曲げを行なっており、こういっ た喧伝を直ちにやめさせなければ、ますます住民の不信を深めるのみであろうと思います。アーネスト・スタング ラスがドレスデン BWR 周辺の従事死亡率の上昇について報告したとき、電気事業連合会は反論として、年間 1 レム の被曝による白血病発生の有意性を検定するには少なくとも 17 万人の集団についての疫学的調査が必要であると 述べ、スタングラスの研究がその意味で不完全なものだと指摘しましたが、次の瞬間、その論理を全くかなぐり捨 てて、自然放射線の高い地域でも有意な影響は出ていないという、今度は解析に耐える疫学的調査が行なわれてい ないという事実を一切無視して主張しています。J.W.Gofman, A.R.Tamplin や K.Z.Morgan らの試算を引用するまで もなく、われわれが線量と効果の間のリニアリティ(直線性)という科学者のコンセンサスに基礎を置く限り、わ が国における住民に対する被曝限度=0.5 レム/年で国民が被曝すれば、平衡状態で年間数千人の放射線死がもたら される計算になるのであり、日本科学者会議は昨年の公開質問書の中で、この線量限度の切り下げを要求したので あります。そこで第 2 点は、これと関連して、気体廃棄物にしても液体廃棄物にしても希釈・拡散に期待する考え 方は根本的に間違っているということ─それは 10 人が1ずつ浴びるか、1 人が 10 浴びるかであって、その集団か ら出る障害の期待数は何ら変わらないということであります。絶対量で規制し、man-rem 規制を設けるべきことは もはや明らかでありますが、わが国の場合原発の平常運転に伴う man-rem 規制はなく─米国では 400man-rem ですが ─最近審査を通ったとされる原電東海 2 号炉の場合も計算値が見当たりません。第 3 には、米国で軽水炉の設計基 準として提起された数値 5 ミリレム/年についてですが、この数値は当面直ちに採用すべきものとしても、問題はそ の中身であります。最近の審査結果によれば計算値は 5 ミリレム/年よりも下回っており、ある意味で先取りされた 形になっていますが、このことが直ちに原発の安全技術が従来よりも進展したことを意味する訳では決してないと いう点であります。この種の数値の計算過程には、計算方式およびパラメーターのとり方にかなりの恣意性が入り 込みますので、勝手な仮定の操作が行なわれていないか否かが厳密に点検されなければなりません。85Kr(クリプ トン 85)の評価に関する Hendrickson の方式等触れるべきことは少なくありませんが、割愛せざるを得ません。こ の問題の最後に、許容量に対するわれわれの見解を述べておきます。しばしば許容量問題はリスクとベネフィット のバランス論という土俵で処理されますが、許容量を「risk と benefit の balance で決まる社会的概念」という表 現の字面だけで論じることは、benefit の一方で risk を当然視しかねない点で、極めて危険であります。これだけ の便益があるのだから、これぐらいの危険は容認せよという安易な考え方に直結する危険をもっています。許容量 は、替えがたいベネフィットがあるという大前提のもとで、放射線被曝ゼロが最も望ましい側と、低く制限される ほど社会的・経済的活動の面で不利益を蒙る側との絶えざる緊張関係で決まるものであるとわれわれは考えます。 住民の要求は、したがって、「ゼロの要求」ということに尽きる訳であります。次に、平常運転に伴う第 2 の問題で ある温排水問題に移ります。基本的に重要な点は、温排水はその拡散予測さえも十分に出来ない科学水準であるこ と、そして、これが海産生物の食物連鎖に及ぼす影響や霧の発生その他の気象に及ぼす影響についてもデータが極 めて不足しているということ、そして、それにもかかわらず温排水問題は漁業の死活問題として重大な意味をもっ ていることであります。この面での実地調査はやっと最近始められてばかりであり、米国においても詳細な調査は 将来に残されています。わが国の安全審査体制におけるこの問題の軽視と相俟って、漁業関係者を大きな不安に陥 れています。科学者会議の公開質問書はこの問題について、第 1 には、この問題を漁業権の買収という補償問題と してみるのではなしに、排水からの熱除去という技術課題を設定して本質的な解決を志向すべきこと、第 2 に、熱 による環境変化についての生態学的な調査・研究を充実すべきこと、第 3 に、温排水の温度規制を直ちに実施すべ きこと等を要請しました。こられについての原子力委員会の見解および今後の展望を明らかにする必要があると考 えます。温排水の挙動や影響に不明な因子が多い現在、一方ではその影響を過小に印象づけようとする不当な言動
が行なわれています。先に述べたテレビ番組でも放射線医学総合研究所の佐伯政道氏は、原子炉出力に何ら言及す ることなく、「温排水については 500mも沖合に出れば温度差はなくなる」という断定を行なっていましたが、柏崎 では東電発表で沖合 4.2km まで 2℃上昇するとされているのであり、このような「為にした」としか考えられない 発言は「学識経験者」なるものに対する不信感を強める以外の何ものでもありません。北海道岩内の場合では、道 の調査報告書が、殆ど期待できないような甘い仮説に基づいて「拡散が速やかに行なわれる可能性」について述べ、 これも関係者の批判を浴びています。静岡県浜岡の場合には、東海大学の岩下教授が「原子力発電所からの冷却水 が漁業に及ぼす影響について」の見解を述べ、確かな見通しもない温排水利用を前面に出して、漁業と原発の共存 共栄を推奨するという、つまり温排水の影響の評価さえもが未知数の段階でその議論を脇に追いやり、現実にもの になるか否かも定かでない温排水利用をことさらに強調するという議論のすり替えが行なわれています。原研で試 験的に検討されている温排水養殖も、それが原理的に不可能であるか否かではなく、国民の蛋白資源の確保の中で 本当に原発サイトの養殖に何らかの位置づけを与え得るのか否か、だいたいそのようなものが売れるのか否か等、 展望ある見通しはない訳です。むしろ現実には温排水の影響の精力的調査・研究をなおざりにして、プラスの面も あるという可能性を印象づける喧伝の道具に使われている側面が強いと思います。さて、次の第 3 の問題は再処理 問題であります。今の計画のごとく大規模原発を次々と作っていく限り、核燃料再処理の必要性も急速に拡大しま す。これは避けられないことであります。しかし、0.7 トン/日という東海工場以降の計画は民間に期待するという 以上には明確になっていません。再処理工場の設置は不可避であるにもかかわらず、どこにどの規模のものを建て るという計画を一切示さず、原発のみをどんどん認可していくことは、ある意味ではごまかしであります。近い将 来必ずやこれだけ原発が出来たのでこれだけの再処理施設が必要になったという形で各地に再処理工場が作られる に至るであろうことは、今のままでは見やすいことであります。柏崎市長は、原発は作っても再処理工場は作らな いと表明しているとのことですが、これは本来市長の主観的願望の問題ではありません。燃料─原発─再処理─廃 棄物は原発開発において本来ワン・セットのものであるはずですが、わが国の場合、原発だけが大規模に急速に導 入されており、それが既成事実となって核燃料や再処理や廃棄物処分を無理やり押し通していくことになりかねな い訳であります。この点がまず第 1 に押さえるべき点であると思います。したがって、ワン・セットとしての見通 しもないまま原発の設置は行なうべきではないという主張が当然生まれて参ります。さらには、再処理工場の安全 の問題があります。これについても臨界事故を含む向上の事故の問題や労働者の被曝管理の問題等、独立に論じら れなければならない大きな問題がありますが、今日は触れられません。一つだけ述べておくべきことは、現在東海 村に設置されようとしている工場でさえ、85Kr(クリプトン 85)を含む気体廃棄物 1 日 8,000 キュリー、3H(トリ チウム)200 キュリー等を環境中に廃棄する訳であります。原電敦賀炉が昭和 46 年に放出した85Kr が年間 70,000 キュリー程度と発表されており、チャコール・ベッド設置後はずっと少なくなったとされていますが、再処理工場 で 1 日 8,000 キュリーずつ捨てられたのでは何にもなりません。原発でためこんで再処理段階で放出するというの では全体として全く筋が通りません。このような工場がそう遠くない将来全国に散在することになれば由々しき問 題と言わねばなりません。さて、最後に廃棄物処分と廃炉問題に触れておきます。これらもはっきりとした見通し のない問題としてのこされておりますが、近い将来、今の原発設置を認める限り避けられない問題であります。廃 棄物は海洋投棄を前提として調査が行なわれていますが、試験投棄が単に棄て方の練習に終わる可能性を懸念しな い訳にはいきません。海に棄てることを是認すれば、棄てた物の千年・万年にわたる安定性が問題とされましょう が、そのようなことが高々3 年程度の試験期間で明らかになるものか否か、この問題もやはり安全性研究を究める 必要性よりも原発設置の既成事実化と廃棄物プレッシャーのはけ口という形で問題が設定されるのをわれわれは恐 れている訳であります。廃炉問題については JPDR(日本動力試験炉)で経験を積んだということが言われています が、それほど単純な問題ではないと思われます。廃炉はただ土をかぶせればよいというものではなく、一定の安全 管理体制を敷かねばなりませんが、企業の経済性追求の中でどうなるか、全く予測が立ちません。 最後に研究・教育体制について若干触れて終わりにしたいと思います。まず研究の面では軽水炉の安全研究を大々 的に推進することが要請されます。軽水炉は proven(実証済み)であるという規定のもとで実際には安全研究は中 途半端な状況に押し留められてきました。わが国の原発が既にこれだけの軽水炉を使っている現実のもとで、この 研究は急がねばなりません。第 2 の問題は、日本に設置されている各発電所の運転経験や管理経験は日本の手によ ってではなく GE(ゼネラル・エレクトリック)あるいは WH(ウェスティング・ハウス)に集約されているという状態 を改め、原子力委員会自身が組織的にやらなければなりません。第 3 に、放射線影響研究に飛躍的な予算措置を行 なうとともに、日本学術会議が勧告している放射線障害基礎研究所および環境放射能研究所を設立し、研究者の共 同の利用の場として民主的運営を保障することであると思います。原爆被災資料センターを確立することも重要で あります。教育の体制については安全性研究関係の大学講座の新・増設、技術者の養成制度の確立等が考えられな ければなりませんが、この面ではむしろ日本学術会議が検討されて具体化されることを期待したいと思います。な お、これまでに触れてこなかった問題として原発施設周辺の環境監視の問題がありますが、基本的観点は住民の立 場に立った第 2 者モニタリングの確立ということであります。電力会社のモニタリングをチェックする意味でしば しば中立的な性格をもつ第 3 者機関の必要性が説かれますが、われわれはむしろ、完全に地域住民の側に立った第 2 者モニタリングこそが確立されねばならないと思います。 さて、以上述べて参りましたとおり、日本の原発開発は安全性確保の面においても極めて多くの問題を抱え、し かも見通しある展望が描けない問題が山積しています。このような状況では、原子力委員会が示している長期計画
の路線で突き進むことに明確に反対の立場に立たざるを得ません。最初に提起した六つの点検基準から総合的に判 断して Go か Stop か討論を深めて頂きたいと思います。最後の最後に申し上げます。日本の原発開発がその安全性 確保に向かって進み、住民の信頼を得るためには、いわゆる学識経験者や電力会社の人々が「被曝はバックグラウ ンドの変動以内だ」とか、「温排水の影響は高々沖合 500m までだ」とか説いて回ることでは全く駄目であります。 あの四日市磯津地区では「ふろ屋の煙突ほども排出していない」と説明され、「煙の拡散計算や風洞実験では決して 到達しない」と説明されていたにもかかわらず、64 人の死者と 879 人の公害患者を出したのであります。方法はた だ一つ、公聴会の開催や審査資料の全面公開を含めて原発開発をめぐる行政を徹底的に民主化することに他なりま せん。
( 参 考 資 料 2) 原 発 見 学 許 可 申 請 顛 末 記 ─ 2009 年 4 月 の 体 験
※ 「 安 斎 育 郎 先 生 と 行 く 平 和 ツ ア ー 」で 原 子 力 発 電 所 を 訪 れ る こ と を 旅 程 に 入 れ ま し た が 、 直 前 で 見 学 を 断 ら れ る と い う ハ プ ニ ン グ が あ り ま し た 。 以 下 は 、 そ の 顛 末 で す 。 実 際 の や り 取 り を も と に 私 な り に ま と め た も の で す が 、 事 の 本 質 は ご 理 解 頂 け る で し ょ う 。 M s . P : 先生、面白いことが起きました。今日、KS 電力の京都営業所から、 フレンズ・フォー・ピース のツアーが途 中で訪れることになっていた原発について、突然、「見学をお断りする」という電話が入ったのです。実のところ、 この原発の見学については約半年前から交渉を始めました。京都営業所が窓口だと言われましたのでそちらに連絡 し、所長室のN さんと折衝を重ねてきました。こちらとしては、初めから、「平和資料館の市民ボランティアの会 で、毎年やっている『A先生と行く平和ツアー』の一環として原発を見学したいのです」と説明しました。すると、 先方から、「平和ツアーなのになぜ原発を見学するのですか?」と聞かれましたので、「平和資料館は現代の地球環 境問題も取り上げており、地球温暖化の問題を考えるにあたって、原発のことも学習したいと考えているからです」 とはっきり目的も説明し、その結果「OK」の許可がおりたのです。 翌月には N さん自ら平和資料館に来られ、私たちツアーの実行委員とも面談したのですが、「見学会の申込書と 参加者名簿を2 週間前までに出して欲しい」とのことでした。その後、参加予定者が先方の規程の 40 名を超えた 段階でもう一度連絡をしましたが、2∼3 名程度のオーバーなら OK ですと改めて許可も貰い、最終的に 44 名にな った段階でもN さんから T 原発に連絡をとって頂いて、この時点でも OK になっていました。つい 10 日ほど前に 旅行代金の入金処理が終わり、結果的に参加者は 43 名になりました。そこで私は、参加者全員の氏名・住所・電 話番号・年齢を書いて「見学会申込書」を添えて郵送しました。すると今日の昼頃に N さんから電話があり、「ボ ランティア・ガイドの会だと聞いていたが、参加者が全国にわたっているのはどういうことか?」という問い合わ せがありました。全国と言っても京都・大阪以外の人はほんの2,3 人に過ぎません。そう説明すると、「 フレンズ・ フォー・ピース の方はどなたとどなたですか?」と聞かれたので、「そんなことは答える必要はないでしょう」と 言うと、「どのようにして募集されたのですか?」と執拗に聞いてくるので、「ちょっと変だな」とは思いましたが、 「 フレンズ・フォー・ピース の会員が知り合いに呼びかけたのです」と事実を伝えました。 すると私が夕食を作っている6時過ぎに、KS 電力京都営業所の Z さんという人から電話がかかってきて、「今回 の見学会はお断りしたい」と言われるのです。手のひらを返すというか、寝耳に水というか、とにかく驚きました。 私が理由を訊ねますと、「平和資料館のボランティア・ガイドの方の見学会と思っていたら、『A先生と行く平和ツ アー』とあるので、失礼ながらA先生のことをインターネットで調べさせてもらった。その結果、先生は原発に激 しく反対されていて、長年その運動をされてきた方だと分かったので、それでは見学会は困る」うんぬんかんぬん と言うではありませんか。呆れ返りました。 「いったいあなたはどなたですか?」と確かめると、京都営業所の所長室所属の係長で、なんと「地域共生係」 を担当しているZ だと言うのです。こんなやり方で「地域との共生」が出来ると考えているのでしょうか。これで はまるで「地域への強制」じゃないですか。怒り心頭に発した私は、次の点で絶対に承服できないと答えました。 ①最初から「A先生といく平和ツアー」だということを表明して了解を貰っていること。手続きはすべてそちら の言う通りの手順をきちんと踏んでおり、KS電力からの見学許可を得た上で動き出したツアーであって、当 方には何のミスもないこと。 ②A先生が原発政策を批判的してきたという1点をもって拒否するのは、個人の思想信条の自由に反することで あって、これは極めて重大な問題になること。A先生は世界的に活躍している著名な平和研究者であり、問題 は国内に留まらず、国際的に大きな問題になること。 ③原発に批判的な市民には見学させないということならば、KS 電力は参加者の内心をどうやって推し量るの か?何か知られてはまずい不都合なことが原発にあるとしか思えない。原発は私たちKS 電力の顧客に公平に公開するのが筋ではないのか。 ④すでにツアーはホテルの予約から観光バスの手配まですべて終わっており、このツアーの参加者にどう説明す るのか?万が一にもそんなことになれば、Z さん自身が当日の朝来て全員に説明する義務があること。 私は、「怒髪天を衝く」心境だったので、思わず電話口で机を叩きながら喋り捲りました。そして、「この考えは 誰のものですか?所長を出して下さい、所長を!」と要求すると、「いや、これは私個人の判断です。改めて上司と 相談して電話します」と言われるので、私は「絶対に承服できません!!!」と言って電話を切りました。時計を見る と、30 分近く話していたことに気がつきました。 明日はちょうど実行委員会を開きますので皆と話し合いたいと思いますが、KS 電力はA先生について許し難い 不当な扱いをしていますので、先生のご意見もうかがって対応したいと思います。お忙しいでしょうが、お考えを お聞かせ下さい。 A 先 生 : いやー、そうですかぁ。面白いことが起こるものですねぇ。だから、日本の原発は信用されないんですねぇ。ホ ントはここで交渉を打ち切った方が面白いような気もしますね。当日は原発の門の前まで行って、「見たいのに見せ てくれない原発の 中はよっぽど後ろめたいか」なんて和歌を詠むのもいいかもしれません。「反対者には見せな い!断じて見せない!」─これが日本の電力会社の方針なのですかねえ。感心することしきり。 この件を大々的に宣伝したらどうかしら?相手が後悔するくらい。公開質問状、抗議声明・・・・。日本原子力 学会、各新聞社などへの投書。 フレンズ・フォー・ピース から担当者宛に、「A先生は今回のKS 電力の対応に ついて、『あっ、そう、へえー』って言ってました」って伝えながら、今後、KS 電力の対応はこうでしたって大い に広報させて頂きますって言ってあげたらどうかしら?「平和ツアーなのになぜ原発見学?」なんて言っていると ころをみると、現代平和学の平和の概念についてもご存じないのかもしれませんから、いろいろ資料をお送りした らどうかな? M s . P : お騒がせします。原発見学会の件、再度KS 電力の Z さんから電話がありまして、またまた手のひらを返すよう に一転して「見学OK」となりました! 今日は予定通り実行委員会を開いたのですが、実行委員の方々には予め事情を通知しておきましたので、皆さん 武者ぶるいして集まりました。ツアーについての最後の打ち合わせと役割分担についての相談を終えて、最後に KS 電力の件を論議しましたが、誰も先生のように「達観」は出来ませんで、等しく「怒り心頭に発し」ました。 で、いろいろ話し合った結果、万一KS 電力が恥じも外聞もかなぐり捨てて「見学お断り」となった場合は、次の ように対応しよう決めました。 ①今更日程は変えられないので、原発まで出かけ、そこに Z さんに来てもらって、43 人の参加者の前で見学お 断りの理由を説明して貰う。これは、いま流行りの「説明責任」ですね。 ②それを受けて参加者が抗議の意を表明する。おのずから、KS 電力の「蛮行」ともいうべき対応に抗議する緊 急集会になるでしょう。 ③できれば「原発銀座」とも呼ばれるこの地でこの問題に取り組んでいる住民にも来て貰って、実態を話しても らう。 ④その場には当然新聞社などにも取材に来て貰う。私は、「踏み絵踏まねば原発見学させぬ!─KS 電力の時代錯 誤ぶり」という新聞記事の見出しまで頭に浮かんでしまいました(笑い)。 ということで、みんなは「これからのなりゆき如何?」と、「困惑」というよりはむしろある種の「興趣」をさえ 感じながら散会したのです。 夕方6時過ぎに帰宅しましたが、期待していた留守電は入っていませんでした。その後、7 時過ぎでしたが、夕 食を食べている最中に Z さんから電話が来ました。私は昨日のことがあるので、「話が長くなるようなら、食事が 終わってからにしてほしい」と言いますと、「いえ、それでは簡単に致します」と言われるのでそのまま聞くことに しましたが、要するに、「昨日は大変ご迷惑をおかけしました。私が出っ張ってしまい、今日、所長からこっぴどく 叱られました。ついてはP さんのご自宅に謝罪にお伺いしたい」と言うのです。もちろん私に謝罪するなどおかし な話で、謝罪するなら実行委員全員に対してすべきです。そう申し渡した結果、こちらから都合のいい日時を連絡 することになりました。 電話では言えませんでしたが、彼が謝罪に来たらA先生は「あっ、そう、へぇー」ということでしたよと申し上 げておきます。KS電力も随分ヘマをしたものですね。見学自体は型どおりのもので、そんなに面白いものではな いだろうと思っていましたが、こういうことがあればかえって違った面で興味を感じるようになりました。