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──大規模自然災害復興支援、平和構築支援を中心に──

* 今村 英二郎 はじめに  近年、平和構築支援(1)及び大規模自然災害復興支援に関する問題は、国際社会全体で注 目されるようになっている。国際社会は、冷戦後、ソマリア、マケドニア、ルワンダ、ハイチ、 ボスニア、コソボ、東ティモール、アフガニスタン、そしてイラクにおいて、紛争の予防、 紛争後の停戦監視といった平和維持、さらには紛争の再発防止から、本格的な国づくりに 向けた人道・復興支援まで、幅広く国際平和協力活動を行ってきた。また、バングラデシュ 水害、スマトラ沖地震・津波災害、パキスタン地震といった大規模自然災害においても積 極的に人道・復興支援活動を行ってきた。  平和構築支援や大規模自然災害復興支援の現場では、援助国、軍隊、国連・国際機関及 び NGO の様々な分野の専門家が活動を行っている。特に、平和構築支援においては、治安 維持、難民支援、選挙支援、暫定行政事務支援、復興支援そして開発支援に従事する多く の専門家、組織が混在しながら活動を行っている。支援主体である援助国、軍隊、国連・ 国際機関及び NGO は、多様な理念・目標を掲げて活動しているため、必ずしもそれらの支 援が一体化されている訳ではない。そこで、それぞれの支援主体が効率的・効果的な活動 を行うため、協力関係を構築する必要性が高まった。  特に、国際平和協力活動における軍隊と文民組織との協力に関する問題が、国際社会に おいてクローズアップされるようになった。しかしながら、軍隊と文民組織との良好な関 係を構築することは容易ではなく、良好な民軍協力関係を構築するために様々な努力が行 われている。軍隊側では、米軍の CMO (Civil-Military Operations)や NATO の CIMIC(Civil-Military Cooperation)のようなコンセプトを取り入れ、政府機関や非政府機関・民間組織 *   本稿は、2005(平成 17)年度に筆者が行った国際平和協力活動における民軍協力に関する調査研究 を基にしており、事例研究においてはその後の状況の変化を網羅していない部分があることに留意さ れたい。したがって、本稿は国際平和協力活動における民軍協力を探る上での中間報告と位置付けら れるべきであろう。 (1)  「平和構築」の定義は、紛争の段階及び軍事的・政治的枠組みの組み合わせで、狭義の平和構築か ら広義の平和構築まで使う人によって幅広い。1992 年 6 月、ブトロス・ブトロス・ガリ国連事務総 長が安全保障理事会に提出した『平和への課題(An Agenda for Peace)』の中で国連の役割を「予防 外交(preventive diplomacy)」「平和創造(peacemaking)」「平和維持(peacekeeping)」「平和構築 (peace-building)」の 4 つの活動に分類し、それぞれの活動の概念の定義付けを行った。本稿では、『平

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 との緊密な連携を重視した民軍協力活動に力を入れている(2)。一方、文民組織側では、自 然災害における民軍関係「オスロー・ガイドライン(3)」、紛争事態における「MCDA ガイド ライン(4)」、「複合危機における民軍関係(5)」、「国連シムコード(UNCMCoord)(6)」といっ た文民組織側による軍隊との関係を律するガイドラインの作成が行われた。  国際平和協力活動における民軍協力に関する分野の先行研究は必ずしも多くはない。冷 戦後、軍隊の非伝統的役割の拡大にともない、この問題が議論されるようになったため、 まだ十分に研究がなされていない分野である。また、研究のほとんどは人道支援組織及び NGO等の視点からの考察であり、軍隊側の視点から考察されたものは非常に少ない(7)  本稿の問題意識は、①なぜ軍隊は文民組織と協力する必要があるのか、②なぜ軍隊と文 民組織との協力関係の構築は難しいのか、その原因は、軍隊側にあるのか、それとも文民 組織側なのか、③民軍協力関係が構築される環境とは一体どういうものかという点にある。  本稿においては、上記の問題意識に基づいて、スマトラ沖地震・津波の災害復興支援と アフガニスタンにおける平和構築支援を事例研究として取り上げ、軍隊の支援活動及び文 民組織との協力状況を軍隊側の視点から調査研究し、国際平和協力活動における民軍協力 の可能性と限界について考察することを目的としている。本稿の意義として、国際平和協 力活動における民軍協力について考察を加えることは、今後の自衛隊の人道復興支援活動、 国際緊急援助活動のあり方を考える上で、有益な示唆を含むものであると考える。  以下、第 1 節でスマトラ沖地震・津波による大規模自然災害復興支援、第 2 節でアフガ ニスタンにおける平和構築支援の事例研究を行い、それぞれの民軍協力の実態を明らかに

(2)  米軍の CMO については、今村英二郎「米陸軍の Civil-Military Operations」『防衛学研究』第 33 号(2005 年 10 月)を参照。

(3)  United Nations, DHA-Geneva, “Guidelines on the Use of Military and Civil Defense Assets in Disaster Relief,” May 1994.

(4)  United Nations, OCHA, “Guidelines on the Use of Military and Civil Defense Assets To Support United Nations Humanitarian Activities in Complex Emergencies,” March 2003.

(5)  United Nations, OCHA, “Civil-Military Relationship in Complex Emergencies,” June 2004. (6)  United Nations, OCHA, “United Nations Civil-Military Coordination Concept,” March 2005.

(7)  民軍協力に関する先行研究として次のようなものがある。上杉勇司「人道支援や平和構築におけ る民軍連携と協力──その可能性と課題」『平和構築』WAVOC 事務局(2005 年 3 月)、小栁順一「緊 急人道支援のディレンマと軍隊の役割──国際人道組織との協働連携に関連して」『防衛研究所紀要』 第 8 巻第 1 号(2005 年 10 月)、早瀬史麻「紛争地域での人道支援活動における文民と軍の関係」『21 世紀社会デザイン研究』2003 年第 2 号(2004 年 2 月)。Pamela Aall, Daniel Miltenberger and Thomas G. Weiss, Guide to IGOs, NGOs, and the Military in Peace and Relief Operations, Washington, D.C.: USIP, 2000; Francis Kofi Abiew, “NGO-Military Relations in Peace Operations,” in Henry F. Carey and Oliver P. Richmond, ed., Mitigating Conflict: The Role of NGOs, London: Frank Cass & Co, 2003; Bruce R. Pirnie, Civilians and Soldiers: Achieving Better Coordination, Santa Monica, Calif.: RAND, 1998; Andrew Harris and Peter Dombrowski, “Military Collaboration with Humanitarian Organizations in Complex Emergencies,” Global Governance, Vol.8, No.2, Spring 2002, pp.155-178; Garland H. Williams,

Engineering Peace: The Military Role in Postconflict Reconstruction, Washington, D.C.: USIP, 2005;

Thomas G. Weiss, Military-Civilian Interactions: Humanitarian Crises and the Responsibility to

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 する。なぜ事例研究としてスマトラ沖地震・津波による大規模自然災害復興支援とアフガ ニスタンにおける平和構築支援を取り上げるのか。事例を選定する上で、①最近の事例で あること、②規模が大きく比較的一般的に知られていること、③異なるタイプであること、 以上 3 点を重視した。2 つの事例の位置付けとして、受入国の政治状況(安定・不安定) と原因(自然災害・紛争)で区分すると、スマトラ沖地震・津波による大規模自然災害復 興支援は、受入国の政治状況が安定し、原因は自然災害という位置付けとなり、アフガニ スタンにおける平和構築支援は、受入国の政治状況が不安定で、原因は人災である紛争と いう位置付けである(8)。第 3 節において、2 つの事例研究の成果を受けて、「民軍協力の可 能性と限界」について検討を加える。また、軍隊と文民組織の関係と言った場合、文民組 織とは一体何を指しているのか議論のあるところであるが、本稿では、主として国連及び 国際機関を指している。事例研究においては、民軍協力関係を調査する対象をシンプルに するため、NGO と軍隊との関係を考察の範囲から外している。特筆すべき事項がある場合 のみ NGO についても付記してある。 1 大規模自然災害復興支援における民軍協力 (1)スマトラ沖地震・津波における災害復興支援の概要  2004年12月26日午前8時頃(現地時間)に、スマトラ島沖で発生した大地震(マグニチュー ド 9、震度 8)及びそれに伴う巨大津波は、アジア各地に甚大なる被害を及ぼした。被災各 国政府の取りまとめに拠る死者・行方不明者総数は約 30 万人以上、避難民は約 150 万人以 上とされる。また、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の調査結果に拠ると被災 7 カ国の被 害総額は約 72 億ドル以上に達すると積算されている(9)  最大の被害国(死者 12 万人以上、行方不明者 11 万人以上)となったインドネシア共和 国政府は、12 月 26 日、スマトラ沖地震・津波による災害を「国家災害」に指定し、国家 災害調整委員会(委員長:ユスフ・カラ副大統領)を設置し、救援活動を開始した。27 日には、 スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領及びカラ副大統領が現地を視察し、28 日、インドネシ ア政府は、外国の機関・団体がアチェ州で救援活動に当たることを認めた(10)  ブッシュ米大統領は 29 日、クリスマス休暇先のテキサス州クロフォードで記者会見し、 (8)  本来であるならば、受入国の政治状況(安定・不安定)と原因(自然災害・紛争)で区分した場合、 最低 4 つの事例研究を実施する必要がある。今後の調査研究の課題と考えている。 (9)  『産経新聞』2005 年 2 月 24 日。 (10)  インドネシア政府には、たとえ武力行使以外の目的であったとしても、外国の軍隊の活動は内政 干渉に繋がりかねないという、伝統的な懸念が存在すると言われている。特に、アチェ州の分離・ 独立を一貫して拒否し、インドネシアの国内問題であるという態度をとってきた政府にとって、ア チェ州の分離・独立問題が国際化するのを懸念し、同州への外国人の立ち入りを厳しく制限していた。

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 大津波の被災地救援のため、米国に日本、オーストラリア、インドを加えた 4 カ国による 「コアグループ」を創設する意向を表明した(11)。米国主導の「コアグループ」に対し、EU は異を唱え、国連がイニシアティブを取ることを主張した。その理由として、2 つ考えら れる。第 1 は、スマトラ沖地震・津波は、複数国にまたがる大規模自然災害であり、その 救援・復興活動は国際社会が行う史上最大規模になるものと予想され、これだけ大規模か つ長期的な災害救援をグローバルに調整できるのは国連しか在り得ないということである。 第 2 は、米国の提唱する「コアグループ」に対する警戒感である。米国主導の「コアグルー プ」は緊急支援だけでなく長期の復興及び開発をも視野に入れたものであり、将来的に被 災国に対する米国の影響力が大きくなることに対し、EU が反発したものと思われる。  2005 年 1 月 6 日、災害復興支援を本格化させる緊急首脳会議がインドネシアのジャカル タで開催された(12)。開催の最大の目的は、各国が拠出を表明した支援金を国連主導でいか に効率的に配分するかを協議することであった。会議の冒頭、議長を務めたユドヨノ大統 領は、「今回の災害は、過去に例がない規模であり、国連が主体となって各国が協力すべきだ」 と述べ、各国に対し迅速な救援と長期的な復興支援を求めた。会議では、国連に支援国が 協力することで合意し、緊急支援、復旧、復興及びインド洋沿岸に津波早期警戒システム の導入等を盛り込んだ共同宣言(13)が採択された。本会議の注目すべき点は 2 つある。第 1 は、 米国主導の「コアグループ」が解消され、国連主導の緊急支援体制に一本化されたことで ある。パウエル米国務長官は会議の席上、米国主導の「コアグループ」による支援につい ては「効果的に機能した」と評価した上で、「今後は国連が中心となり、国際社会の支援を 牽引していく」として、「コアグループ」の解消及び調整機能を国連に一本化することを表 明した。また、被災地域の復興には 5 ~ 10 年が必要であるとの認識で一致し、国連が主導 的な役割を担い、支援調整を行うために、国連事務総長特別代表を任命することを国連に 要請することが決定された。第 2 は、支援国の支援表明の確実な拠出と支援費目の移し変 えの防止(14)についてアナン事務総長が訴えたことである。被災者に対する人道支援として 今後半年間で総額 9 億 7,700 万ドルが必要だとするアナン事務総長の緊急アピールの背景 (11)  米国が提唱した「コアグループ」にカナダとオランダが加わり最終的には 6 カ国。 (12)  緊急首脳会議は、2004 年 12 月 30 日に、シンガポールのリー・シェンロン首相が、インドネシア、 タイ、マレーシアの各国首脳に呼びかけ、翌 31 日に開催が決定され、ASEAN 主導で開催。ASEAN 諸国をはじめとする 26 カ国、国際機関・機構(国連、世界銀行、アジア開発銀行、世界保健機構 、 ユニセフ、EU)が参加。 (13)  正式名称は「2004 年 12 月 26 日の地震及び津波被害後の緊急支援、復旧、復興及び予防を強化す るための行動に関する宣言」<http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/asean_05k/sengen.htm>。 (14)  支援費目の移し変えとは、支援国が被災国に対して新たな支援を表明するが、実態は、その支援 活動のために新たに予算を捻出するのではなく、これまでに約束している各種の支援の費目を組み 直して、新たな費目の名前で出してくる手法のこと。

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 には、2003 年 12 月 26 日に起きたイランのバム地震の時、国際社会は 10 億ドルの復興支 援を表明したが、実際に拠出されたのは僅か 50 分の 1 にも満たない 1,700 万ドルだったと いう過去の苦い記憶があったと言われている(15)  1 月 11 日、国連によるスマトラ沖地震・津波の被災国支援閣僚会議がジュネーブで開催 された。約 80 カ国が参加、エグランド緊急援助調整官室長が議長を務め、緊急首脳会議で 表明された約 50 億ドルの復興資金をどのように活用するか協議が行われた。また、WHO (世界保健機構)、UNICEF(国連児童基金)などの関係機関及び NGO はそれぞれの援助活 動について調整を行うとともに、援助資金の流れを常時監視するシステムの構築を提唱し、 透明性を確保した効果的な支援体制作りが行われた(16)  スマトラ沖地震・津波発生から 1 カ月、被災国及び各国の懸命の救援・復興活動は確実 に成果を挙げていた。エグランド緊急援助調整官室長は、スマトラ沖地震・津波の災害復 興支援の現状について「被災民の最低限の安全を保障するための『初期支援』が 3 月末ま でに完了する見通しである」ことを表明した(17)。各国の軍隊は、1 月下旬から 2 月にかけて、 救援活動を終了し、逐次撤収を開始した。また、UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)等 の国連機関の一部もアチェ州での活動を終了した。3 月 26 日、インドネシア政府は、アチェ 州住民への緊急援助を中心とする「救援段階」の終結を宣言した。 (2)軍隊の活動 ア 各国の軍隊の活動  インドネシア外務省によると、アチェ州では 2005 年 1 月 5 日現在、13 カ国の医療・救 援部隊が活動していた(18)。米国は、太平洋軍(PACOM)を中心に大規模な救援活動を展開 し、C-130 輸送機と H-60 ヘリコプターによる物資の輸送を 2 月末まで実施した。細部は後 述する。オーストラリアは、メダンにオーストラリア軍司令部を開設して、「スマトラ援助 作戦(Operation Sumatra Assist)」と称する活動を開始した(19)。救助活動は、主として航空 部隊による物資輸送の他、バンダ・アチェ市内で工兵部隊による瓦礫除去と浄水・給水を 実施した。また、医療部隊による医療支援も実施された。シンガポールは、ASEAN 諸国の (15)  『毎日新聞』2005 年 1 月 7 日。 (16)  http://www.worldtimes.co.jp/special2/sumatra/050112-2.html. (17)  『日経新聞』2005 年 1 月 20 日。 (18)  http://www.worldtimes.co.jp/special2/sumatra/050106.html. (19)  オーストラリア軍は、インドネシアを重点に支援を実施。その背景には、オーストラリアの安全 保障にとってインドネシアの安定が重要であるという最大の理由があるが、東ティモール独立以降、 冷却化した両国関係を改善したいという思惑もあった。そのこともあって、オーストラリアは、資 金援助において、国連を通さない直接支援(2 国間援助)を実施。

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 (20)  シンガポールは、インドネシアとの関係をさらに緊密にしたいという意図と本災害の対応におい て存在感・信頼感を示すことにより、ASEAN 諸国における主導的な地位を獲得したいという思惑が あったと思われる。特に、就任したばかりのリー・シェンロン首相にとっては本災害の対応は指導 力が試される試金石であったと国内外では受け止められていた。 (21)  自衛隊は、最大の被災地スマトラ島北西部のバンダ・アチェで住民の診療 5,200 人、麻疹ワクチ ンの予防接種 2,277 人、防疫活動で 12 万 4,700 平方メートルを消毒。輸送支援では空自 C130H 輸送 中で中心的な役割を果たし、シンガポール軍の救援活動は目立つものであった(20)。シンガ ポール軍は、陸海空軍の主力を投入し、即応体制、部隊練度及び海上輸送・空輸能力の高 さを内外に示し、その存在感をアピールした。救助活動は、主としてヘリコプターによる 物資輸送を中心に、ムラボーで医療支援・瓦礫除去、バンダ・アチェ市内で浄水・給水を 実施した。日本は、インド洋からの帰国途上にあった艦艇 3 隻を急遽タイ・プーケット沖 での救助活動と遺体の捜索・回収にあたらせた。さらに、国際緊急援助隊として、陸海空 自衛隊の部隊を派遣し、輸送、医療、防疫を実施した。今回の国際緊急援助は、派遣人員 最大約 1,000 名、活動期間が約 2 カ月半(2005 年 1 月 6 日~ 3 月 23 日)という、これま での国際緊急援助にない大規模な援助活動であった(21)  スマトラ沖地震・津波の災害復興支援として、最終的には 20 カ国以上の国が、任務及び 部隊規模は異なるが軍隊を派遣した(表 1 参照)。 表 1 主要国の軍隊の派遣状況 (出所)各国の外務省、国防省ホームページ及び第 10回東京ディフェンス・フォーラム資料を基に筆者が作成。 国 名 主 要 活 動・規 模 月 月活 動 期 間月 月 タイ 航空輸送(輸送機×) 韓国 航空輸送(輸送機×) 艦船× インド 輸送任務、約0人、艦船× ブルネイ 医療任務、約0人、医療班、ヘリ× イギリス 司令部任務部隊、航空輸送、輸送ヘリ× ロシア 航空輸送、医療任務(野戦病院)、約0、輸送機 シンガポール 輸送、医療、工兵、約900人、艦船×、輸送機、輸送ヘリ×8 フランス 輸送、医療、工兵、約90人、艦船×、病院船、輸送機× 日本 輸送、医療、約000人、艦船×、輸送機×、ヘリ× アメリカ 輸送、医療、約000人、艦船×0、輸送機×、ヘリ×0 ドイツ 医療(野戦病院)、約0人、補給艦×、ヘリ× パキスタン 医療、工兵、約00人、輸送機×、車両等 オーストラリア 輸送、医療、工兵、約000人、艦船×、輸送機×7、ヘリ× マレーシア 輸送、工兵、約0人、艦艇×、輸送機×、ヘリ× 9 9  9       7 8 0  0 下旬 7  9   病院船 8 下旬  0 7  下旬  8

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7  スマトラ沖地震・津波災害復興支援における軍隊の活動の特徴として、2 つ挙げること ができる。第 1 点目は、航空輸送支援、医療支援を中心とした活動が行われたことである。 軍隊が大規模災害で活躍する理由としては、①艦船や輸送機による大量輸送能力、②明確 な指揮系統に裏付けされた組織力、③兵站能力を兼ね備えた自己完結能力が一般的に挙げ られる。加えて、本災害においては、地上の輸送路が各地で分断されたことから 、 空母に 搭載されたヘリコプターによる航空輸送の所要が増大した。また、ASEAN 域外国から派遣 された軍隊が被災国に到着し活動を開始した時期の現場の所要は、人命救助を中心とする 即時救援活動から医療支援、防疫活動等に移行しつつあった。  第 2 点目は、活動期間が短期間に限定され、すべての軍隊の活動が地震発生からわずか 3カ月で終了したことである。早期撤収の理由として、インドネシア政府の外国軍隊によ る救援活動の早期終了を求めた方針が挙げられる(22)。大規模災害における救援活動に外国 の軍隊が関与するのは、その被害が被災国政府自らの対応能力を超え、被災国政府からの 要請があった場合だけであり、要請が取り下げられた場合、速やかに撤収しなければなら ない。早期撤収のその他の理由として、①支援ニーズの変化と②援助能力が支援所要を上 回ったことが挙げられる。震災発生直後 1 ~ 2 週間のニーズは、診療(WHO からの要請多 数、外科的処置が中心)、予防衛生(インドネシア政府、UNICEF からの要請多数)、防疫(マ ラリアの未然防止)、物資輸送(国連要請による幹線輸送、ヘリによる空輸、重機及び仮設 住宅用資材の運搬)、施設(仮設住宅の建設)、給水であったが、震災発生から 1 カ月後の 1月下旬頃のニーズは、診療(内科的検診・心のケアが中心)、 物資輸送(輸送支援要請は 激減)、施設(道路 、 橋の復旧が中心)と大きく変化した。軍隊にしかできない業務は減少し、 国連・国際機関及び NGO で対応可能な業務が増大した。また、震災発生直後 1 ~ 2 週間は、 支援所要が援助能力を超えていたが、各国の軍隊が現場に到着し活動を開始すると援助能 力が支援所要を上回るようになった。米軍は、1 月下旬頃には、現地政府、国連・国際機 関及び NGO に機能を移管し始め、撤収の時期を探っていた(23)。大規模災害における必要 機が幹線輸送で物資約 193.4 トン、人員 335 人、陸自ヘリによる端末輸送が物資約 142.3 トン、人 員 773 人、海自が物資約 1.3 トン、人員 70 人をそれぞれ被災地に輸送。また、海自エアクッション 艇で施設器材などの重機 34 両を輸送している。『朝雲』2005 年 4 月 21 日及び防衛庁ホームページ <http://www.jda.go.jp/katudou.htm>参照。 (22)  カラ副大統領は、地震発生から 3 カ月の 3 月 26 日までに外国軍の活動終了を求める政府方針を表 明。それを受け、国軍司令部は救援活動に当たっていた 20 カ国の武官に対し、3 カ月以内の撤収に 関する説明を実施。一方、国連は、インドネシア政府の方針に対し、救援活動に期限を設けるべき でないとして懸念を表明、救援活動における(外国)軍の支援の必要を指摘。『読売新聞』2005 年 1 月 12 日、『朝日新聞』2005 年 1 月 15 日。 (23)  ファーゴ太平洋軍司令官は、「緊急支援の段階は経過し、復興・再建へ向けて迅速に移行している ところである。したがって、我々は現在、適切な受入国の機関や国際機関に機能を移管し始めている」 と述べている(2005 年 1 月 20 日のブリーフィング)。以下、ファーゴ太平洋軍司令官のブリーフィ ングについては太平洋軍ホームページ <http://www.pacom.mil/> で閲覧。

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8 な軍隊の救援活動期間は、災害の大きさと救援活動の規模によるが、1990 年から 1997 年 の米海軍と海兵隊による救援活動の 16 件のうち 15 件は 1 カ月以内に終了できたというデー タもある(24)  防衛庁主催の第 10 回東京ディフェンス・フォーラム(25)において、スマトラ沖地震・津 波における被災国及び支援国による意見交換が行われ、大規模自然災害における「災害救援・ 復興支援活動における軍隊の役割」について再評価された。議長サマリーでは、「軍の主た る役割は当該国の主権の防衛であるが、軍の自己完結的な性格と、短期間で動員できる能 力は、災害救援、特に発災直後の段階において軍が重要な役割を果たすことを可能とする」 と述べられ、①情報の共有、計画、連絡先の交換といった平時における努力の必要性、② ニーズのリスト及び各国で提供し得る軍事アセットに関するデーターベースの有用性、③ 軍の対応能力を強化するためのキャパシティ・ビルディング(能力向上)及び訓練の重要性、 ④連絡要員、駐在武官の役割の重要性といった教訓が述べられている。 イ 米軍の活動  米軍は、タイのウタパオ基地に、沖縄の第三海兵機動展開部隊(III MEF)を基幹とす る統合支援部隊(CSF: Combined Support Force)を編成し、「統合援助作戦(Operation Unified Assistance)」と称する作戦を開始し、最大 2 万人近い部隊を投入して援助物資の航 空輸送、医療活動を実施した。その素早い対応と大規模投入は他国の軍隊と比べ群を抜い たものがあり、大規模自然災害に対する救援活動においても米軍のプレゼンスを確認する ことができる。以下、米国防省及び太平洋軍のホームページを参考に、米軍の初動から撤 収までの概要について記述する。  地震発生 24 時間以内に、太平洋軍司令部内に「作戦計画チーム(PACOM Operations Planning Team)」及び統合作戦センター(Joint Operations Center)を立ち上げた。災害 発生 48 時間以内に、インドネシア、タイ及びスリランカへ「被害評価チーム(DRAT:

(24)  Lt.Gen.Wallance C. Gregson, James North, and Robert D. Eldridge, Responses to Humanitarian

Assistance and Disaster Relief: A Future Vision for U.S.-Japan Combined Sea-Based Deployments

<http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~eldridge/Articles/2005/USJjointdep.pdf>参照。 (25)  第 10 回東京ディフェンス・フォーラム(アジア太平洋地域防衛当局者フォーラム)は、2005 年 6月 28 日~ 29 日、東京において、22 カ国(オーストラリア、ブルネイ、カンボジア、カナダ、中 国、インド、インドネシア、日本、ラオス、マレーシア、モンゴル、ミャンマー、ニュージーランド、 パキスタン、パプア・ニューギニア、フィリピン、韓国、ロシア、シンガポール、タイ、米国、ベ トナム)及び EU の参加を得て開催された。OCHA(国連人道問題調整事務所)及び ASEAN 事務局 も本フォーラムに招待された。本フォーラムの議題は、セッションⅠの「災害救援における軍の役 割(被災国プレゼンテーション)」、セッション II の「災害救援における軍の役割(派遣国プレゼンテー ション)」、セッション III の「災害救援活動に係る今後の課題と地域協力の可能性」の 3 つであった。 <http://www.jda.go.jp/j/news/youjin/2005/06/0628/06_2_1_2.htm>。

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Disaster Response Assessment Team)」の派遣を命令、タイのウタパオ基地へ C-130 輸送機 及び P-3C 哨戒機の派遣を命令した。2004 年 12 月 31 日に被災国に駐在する米国大使及び 武官と調整を実施し、現地の必要性の把握に努めるとともに、ブラックマン在沖縄四軍調 整官を司令官とする統合特別任務部隊の設置を命令した(26)。併せて、航行中のエイブラハ ム・リンカーン空母打撃群(帰国途中、香港で休暇中)、強襲揚陸艦ボノム・リチャード機 動展開群(イラク派遣でグアム南方を航行中)に対し、災害地域に派遣を命じた。派遣人 員は 13,435 人(タイに 1,001 人、インドネシア 149 人、スリランカ 171 人、マレーシアに 107人)を配置していた(27)。これら一連の太平洋軍の初動は太平洋軍司令官の判断により、 直接ホワイトハウスに意見具申して実現したものであった(28)  米軍の救援活動の大部分は、水上艦艇を基地として海上から行われた。スマトラ島西岸 に対し、エイブラハム・リンカーン空母打撃群と強襲揚陸艦ボノム・リチャード機動展開 群(途中、強襲揚陸艦エセックスと任務交代)が中心となって支援を実施した。スリラン カ沿岸に対しては、ドック型輸送揚陸艦ダルースを中心に、スリランカ政府の要請に基づ き、輸送、医療、工兵支援を実施した。また、病院船マーシー(寝台 1,000 床、手術室 12 室) が 2005 年 1 月 11 日に現地入りし、活動を開始した。米軍の救援活動のピーク時には、約 1万 5,000 人の米軍人が関与し、艦船 26 隻、ヘリコプター 58 機、固定翼機 43 機が参加し た。これは米軍の資産 300 億ドル分の投資に当たるとロドマン国際安全保障問題担当国防 次官補が「津波被害への米国の対応」の公聴会で証言している(29)。今回の東南アジアでの 米軍の活動は、ベトナム戦争以来最大規模の活動であった。また、米軍は、展開が迅速であっ た一方で、他国に先駆け 2 月初めから逐次部隊の撤収を開始した。2 月 4 日エイブラハム・ リンカーン空母打撃群、2 月 9 日エセックス機動展開群、2 月 12 日ウタパオ基地の第 536 統合支援部隊司令部を撤収した。病院船マーシーだけを被災地のバンダ・アチェ沖に 3 月 16日まで遊弋させ、医療行為を実施した。  スマトラ沖地震・津波災害復興支援における米軍の活動の特徴として、3 つ挙げること ができる。第 1 点目は、米軍の救援活動は、大規模な米軍部隊を上陸させることなく、海 上拠点(sea basing)を中心に活動を実施したことである。ちなみに米軍は、1991 年のバン

(26)  統合任務部隊については、当初、第 536 統合特別任務部隊(JTF-536: Joint Task Force)と名付 けられたが、2005 年 1 年 4 日に再編成され、第 536 統合支援部隊(CSF-536: Combined Support Force)となった。司令官はブラックマン海兵隊中将(在沖四軍調整官)、任務は被災国政府支援及 び米軍と他国・他機関との調整支援である。 (27)  http://www.pacom.mil/special/0412asia/factsheet.html. (28)  柴田昭市「インドネシア国際緊急援助活動における統幕幕僚雑感」『陸戦研究』第 624 号(2005 年 8 月)、25 ページ。 (29)  2005 年 1 月 26 日に実施された下院歳出委員会外国活動及び輸出財政等計画分科会における「津 波被害への米国の対応」の公聴会での発言 <http://www.fednews.com>。

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グラデシュ水害における「海の天使作戦(Operation Sea Angel)」で海上拠点から人道支援 を行い、その作戦は成功裡に終っていた(30)。海上拠点の長所として、①陸上の足跡(footprint) を最小限にし、兵力の柔軟性を保持できる、②現地のインフラに負担をかけずに救援を必 要とされる地域に集中させ、海上からヘリコプターで速やかに物資や医療チームを運ぶこ とができる、③感染病の可能性が高い被災国での活動を行う隊員が病気に罹る衛生上のリ スクを最小限にできる、④軍隊と地元住民との間の文化的摩擦を軽減することができる、 ⑤テロ攻撃の恐れを最小限にすることができるといった点を挙げることができる(31)。米軍 は、バングラデシュでの経験から大規模災害における活動においては海上拠点を中心とした 活動が好ましいという認識の下、飛行場といった運用基盤を必要としないヘリによる輸送 を重視し、初動における被災地ニーズである飲料水及び食糧支援を中心に活動を実施した。  第 2 点目は、米軍の派遣期間に関して、早い段階から短期間で救援活動を終結しようと 企図していたことである。地震発生後のわずか 10 日後の 2005 年 1 月 7 日に実施されたブ リーフィングにおいて、ブラックマン統合支援部隊司令官は、「我々はさらなる人命の損失 を最小限に止め、人々の苦しみを緩和するという任務を達成するために必要な限り、活動 を行う。しかしながら、必要以上に留まるつもりはない。(活動期間について)公式な合意 はしていないが、外国災害援助局(OFDA: Office of Foreign Disaster Assistance)及び国連 との調整・協議の上、米軍部隊の削減開始の時期について今後決定することになるだろう。 OFDAや国連が、被災者に必要な支援を持続できる立場になれば、私は米軍による活動の 段階的縮小を意見具申することになるだろう」と述べている。また、1 月 10 日のブリーフィ ングにおいて、ファーゴ太平洋軍司令官は、「米軍は、軍が提供できる特有の迅速な救援 の必要性が求められている期間だけ駐留するということを認識することが重要である。民 間の救援活動が増加するに従い、我々は受入国及び主導的な救援団体の要請に基づき、駐 留規模を縮小するであろう」と、1 月 20 日のブリーフィングにおいては、「歴史を見ると、 1991年のバングラデシュにおける救援活動『海の天使』作戦では確か、軍による支援は 60 日間であった。これは非常に適切な基準である」とそれぞれ述べている。  第 3 点目は、各国軍隊が実施する救援活動の調整において、米軍を中心とする MPAT (Multinational Planning Augmentation Team: 多国間作戦強化チーム)プログラムが有効に

機能したことである(32)。MPAT プログラムとは、2000 年に米太平洋軍司令官ブレアー海軍

(30)  「海の天使作戦(OSA)」に関する研究として次がある。Paul A. McCarthy, Operation Sea Angel: A

Case Study, Santa Monica, Calif.: RAND, 1994; Charles Smith, Angels from the Sea: Relief Operations in Bangladesh, 1991, Washington, D.C.: US Marine Corps History Division, 1995.

(31)  Gregson, North and Eldridge, Responses to Humanitarian Assistance and Disaster Relief. (32)  スマトラ沖地震・津波における緊急援助活動では、米軍を中心とした MPAT が有効に機能したと

いう説明が太平洋軍司令部の担当者から行われた。柴田昭市「SEAS(東アジア安全保障シンポジュ ウム)に参加して」『修親』第 554 号(2005 年 9 月)、110 ページ。

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 大将が提唱し、開始されたアジア・太平洋地域における多国間による軍事活動の構想であ る。これは作戦レベルでの相互運用性向上を目的として、人道支援や国際緊急援助、邦人 救出、小規模な緊急事態等において迅速かつ効果的な活動を実施するための多国間のプロ グラムである(33)。今回、米太平洋軍は多国間での一元的な取り組みを目指して統合支援部 隊を編成した。統合支援部隊司令部では、各国、各機関の収集した被災地等の情報及び支 援国からの情報要求が一元的に集約され、多国間の情報組織として有効に機能した(34)。ま た、詳細は後述するが、MPAT 構想の一部である統合調整所(CCC: Combined Coordination Center)が設置され、一元的な調整の下、援助物資を被災国へ円滑に空輸する体制が確立 された。また、ファーゴ太平洋軍司令官は、共同演習「コブラ・ゴールド」の効用について、「コ ブラ・ゴールド」の中で訓練された技能や、同演習によって培った関係が、今日の救援活動 で生かされていると 1 月 10 日に実施されたブリーフィングで言及している。 (3)国連・国際機関等の活動   国連・国際機関や各国の政府機関も数多く援助活動に参加した。国連機関は、最大の被 災国であるインドネシアを中心に展開して活動を行った(図 1 参照)。  国連のアナン事務総長は、2004 年 12 月 30 日に国連本部で、スマトラ沖地震・津波によ る被害をめぐり、救援・復興活動の中心となっていた米国、日本、オーストラリア、イン ドの 4 カ国の国連大使らと緊急会合を開いた。また、同日、被災国 12 カ国の国連大使との 会談及び NGO の代表と会談を行い、国連の救援・復興支援活動を活発化させた。アナン事 務総長は、「30 日現在の死者が少なくとも約 11 万 5,000 人、負傷者は 50 万人に達し、緊急 援助を必要とする人は 500 万人に上る」と発表し、エグランド緊急援助調整官室長は、「被 災者 500 万人のうち被害が深刻なインドネシアやスリランカで 180 万人に対する食料援助 が必要となるだろう」と述べ、各国に一層の支援を呼び掛けた(35)。また、アナン事務総長は、 (33)  MPAT は、アジア・太平洋地域において、生起した事態に対して、多国籍部隊による対処を迅速 に実施するため、各国から多国籍軍司令部の基幹要員(増強幕僚)を参集させ、迅速に司令部活動 を開始することを目的としている。MPAT は、軍同士の取り組みであり、国家間の枠組みや取り決 めを参加国に求めるものではない。MPAT が実際に運用されるのは、アジア太平洋地域において、 事態が生起し、一時的な国家間の取り決め等により多国籍軍が編成される場合であり、多国籍軍と して、事態を収拾し、適切な時期に、適当な政府又は機関(国連等)に任務を移管するまでを活動 の期間として考えている。MPAT が対象とする事態は、①人道援助・災害救助、②非戦闘員救出活動、 ③捜索救難、④平和活動、⑤その他、戦争以外の軍事活動(MOOTW)である。MPAT 要員が多国籍 軍司令部で活動する準拠として MNSOP (Multinational Force Standing Operating Procedures)を作成 し、その内容の改善のため、太平洋軍を中心に、多国間で更新に努めている。日本はオブザーバー として参加している。Asia-Pacific Area Network <http://www2.apan-info.net/mpat/> 参照。

(34)  統合支援部隊司令部は、衛星情報を最大限活用して、被災地の被害状況を把握・分析して救援活 動を主導。

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 2005年 1 月 2 日放映の米 ABC テレビとのインタビューで、大津波を伴ったスマトラ沖地 震の被災国の復興完了には 5 ~ 10 年かかるとの見解を示した(36)  国連・国際機関等の組織とその活動の概要を機能別にまとめると次のようになる(37)。全 般調整の役目を担っていたのは OCHA(国連人道問題調整事務所)である。OCHA は、被災 地に 100 人以上の職員を配置し、定期的な調整会議を主催し、定期レポート(Indonesia, Sri Lanka, Thailand: Earthquake and Tsunami OCHA Situation Report)と救援から復旧への戦略 計画の作成を担当した。また、OCHA 主導で、インドネシアとスリランカでは、人道情報セ ンター(HICs: Humanitarian Information Centers )が設立され、情報の集約・発信が行われた。

 兵站分野においては、食糧支援担当の WFP(国連食糧計画)が、迅速な物資供給を行う ため、管轄下にある UNJLC(国連合同兵站センター)を通じて、空路による人・物資の輸

(36)  『毎日新聞』2005 年 1 月 4 日。

(37)  OCHA, “Consolidated Appeals Process (CAP): Mid-Term Review of the Flash Appeal 2005 for Indian Ocean Earthquake-Tsunami” <http://www.reliefweb.int/rw/RWB.NSF/db900SID/SKAR-6B7HQ5?OpenDocument&rc=3&cc=mdv>参照。

図 1 国連機関の配置状況

(出所) OCHA の Situation Report 及び Relief Web サイト <http://www.reliefweb.int/> からの資料を基に筆 者が作成。 バンコク 国連センター、 軍民調整官×1(OCHA) 国連統合支援センター、 WFP、 OCHA現地事務所(軍民調整官×2) WFP 軍民調整官×2(OCHA), HICS WHO、UNICEF、 HICS、WFP、 軍民調整官×1(OCHA) WFP、 軍民調整官×1(OCHA) WFP 国連災害評価調整チーム、 軍民調整官×1(OCHA) 地域調整センター UNICEF 国連 (中継基地) UNICEF、WFP、 軍民調整官×1(OCHA) ロックスマウェ ウタパオ メダン スバン空港 ムラボー シンキル ジャカルタ スラバヤ シンガポール バンダアチェ スリランカ

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 送支援を行った。また、UNJLC は、コロンボ、ジャカルタ、バンダアチェ、メダン、バン コクに事務所を開設し、西海岸地区への海上輸送の促進及びヘリ輸送を担当した。  経済復興とインフラ分野においては、UNDP(国連開発計画)が、長期的視野に立ち、復旧・ 復興・開発のための計画作成を担当した。世界銀行やアジア開発銀行と協力して、インド ネシア、モルディブ、タイにおいてニーズアセスメントを実施し、インド、スリランカで は復興計画を作成した。また、被害状況の確認、復旧ニーズの調整、危険情報の収集、雇 用による瓦礫撤去と道路の補修なども行った。IOM(国際移住機関)(38)は、1 万 1,000 戸の 仮設住宅の建設及び救急センター建設を、ILO(国際労働機関)は、職業創出、地元の経済 開発など、雇用に関する活動を行った。  食糧支援分野においては、WFP が、インドネシアとスリランカで子供や妊婦に栄養食を 支給し、スリランカとモルディブで学校給食を行った。ミャンマーでは、コミュニティ復 興のための Food-for-Work 事業(作業の対価として食料を支給するというもの)、スリラン カでは FAO(国連食糧農業機関)や IOM と連携して清掃活動支援を行うなど、各国でさま ざまな活動が行われた。  保健・衛生分野においては、WHO が、支援国、国連機関及び NGO が実施した初期アセ スメントを基に、モニタリングや保健システムの復旧支援といった事業を通して、ハード・ ソフト両面から被災国の保健機関を支援する戦略を発表した。また、感染症対策として、 グローバル感染症警報・対応ネットワーク(GOARN: Global Outbreak Alert and Response Network)を構築し、感染症の初期警告と監視・発生時の対応を担当した。UNICEF は、医 療と兵站を担当したほか、被災国の保健施設への技術指導なども実施した。また、アチェ では、保健調査および栄養調査に参加し、20 万人以上の子供たちにはしかの予防接種を行っ た。子供の保護に関しては、残された子供たちの登録や身元確認を最優先事項とし、約 1 億 2,000 万ドルを投入して、UNICEF と被災国政府、NGO と協力して、人身売買・搾取・ 虐待の予防、心理的ケアを行った。  その他の注目すべき活動を実施した国連・国際機関は、UNHCR、ICRC(赤十字国際委員 会)及び IFRC(国際赤十字・赤新月社連盟)であった。UNHCR の本来の任務は、戦争や 紛争で国境を越えた人々を救済することであったが、今回のスマトラ沖地震・津波では自 然災害の被災民も救済対象であると初めて位置付け、WFP と一体となって活動を行った(39) ICRCは、赤十字の基本原則である独立・中立の立場から人道支援を行い、主として保健と (38)  IMO は、スマトラ沖地震・津波災害の援助活動においては、仮設住居の提供以外に、援助物資の輸送・ 配布、被災者の登録、人身取引(トラフィッキング)対策、医療支援の分野等、幅広く活動していた。 IMO「スマトラ沖地震・津波被災者支援」<http://www.iomjapan.org/act/tsunami.cfm> 参照。 (39)  『産経新聞』2005 年 1 月 7 日。

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 医療活動を行った(40)。IFRC は、安全な飲料水の供給、救急法の普及、保健衛生教育の実施 により、感染症のリスク軽減に努めた。マルク・ニスカラ IFRC 事務総長は、「赤十字・赤 新月社は、単に災害救援をする組織ではない。我々が重視しているのは、世界の 181 カ国 に広がる、1 億人にのぼるボランティアの力であり、彼らは災害に対する海外からの救援 活動が終わった後も現地にとどまり、地域の復興を助け、被災地がその痛手から回復する 際の重要な原動力となっている。今回被害を受けた 12 カ国のうち、11 カ国で赤十字のボ ランティアが活動しており、このため被災後すぐに活動を開始することができた。そして 今後も救援活動や復興活動を長期的に実施することが可能である」と述べている(41)。その 他、大小 200 以上の NGO・NPO の組織が展開して、診療 、 給水、浄水支援等の様々な援助 活動を実施していた(42)  スマトラ沖地震・津波災害復興支援における国連・国際機関等の活動の特徴として、3 つ挙げることができる。第 1 点目は、国連職員が広範囲に展開していたため、全体的に人 員不足であったことである。OCHA の中間報告によれば、被災地に 100 人以上の職員を配 置し、定期的な調整会議を主催したとあるが、実態は、バンコクに 1 名、ウタパオに 3 名、 バンダアチェに 2 名、メダンに 1 名、ムラボーに 1 名、ジャカルタに 1 名の民軍調整官 (CMCoord Officer)が配置されていただけである。また、配置された時期も遅かった。メ ダンの民軍会議(Civil Military Conference)において、当初、議長を務めていたのはオース トラリア軍の中佐であり、活動初期は軍主導で調整が実施されていた。OCHA の民軍調整 官が議長を務めることになったのは 1 月中旬以降であったと伝えられている。第 2 点目は、 初期段階において組織的活動が行われていたとは言い難いことである。また、被災国のニー ズに基づいて実施すべき援助活動であったが、必ずしも被災国のニーズに合致していなかっ た。その理由として、未曾有の被害で、情報錯綜し、各支援組織が混在する被災地域にお いて、国連主導の調整枠組みや調整要領の確立が遅れたことが考えられる。効果的な組織 的援助活動は実施されず、国連・国際機関や他国機関(USAID、AUSAID)、赤十字、NGO といった各組織がその場その場で各個に調整を実施しながら活動を実施した。しかしなが ら、被害地域が広範かつ支援所要が多かったため、援助活動において各支援組織間の競合 は見られなかった。第 3 点目は、国連・国際機関独自の輸送能力が不足し、被災地に対す る支援が十分にできなかったことである。アナン事務総長は、「被災地では食料など援助物 資の空中投下が始まったが、ヘリコプターやトラックなど輸送手段が不足している」と訴 (40)  http://www.jrc.or.jp/active/news/717.html. (41)  http://www.ifrc.org/docs/pubs/disasters/tsunamibook.pdf. (42)  柴田「SEAS(東アジア安全保障シンポジュウム)に参加して」25 ページ。

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 えていた(43)。幹線輸送の端末地周辺では援助活動が行われたが、地上の輸送路が分断され 孤立した地域への援助は各国の軍隊によるヘリコプターによる航空輸送に頼らざるを得な かった。   (4)スマトラ沖地震・津波災害復興支援における民軍関係   被災地では、各国の軍隊、国連・国際機関、各国政府機関及び NGO 等の多数の組織が、 多国間調整の枠組みを活用しながら、それぞれの目的に応じた援助活動を実施していた。 民軍調整・協力の重要性について、第 10 回東京ディフェンス・フォーラムにおいて、「役割、 任務、能力の分担との観点から、重複を避けると共に隙間を埋めるため、外国軍、民間機関、 国連等の国際機関、NGO といった、災害救援の様々なフェーズにおける関係者の間での調 整が重要である」と確認された(44)。本災害の復興支援における民軍協力関係は、当初より 良好な関係が構築され、文民組織及び軍隊双方の協力により、より迅速な救援・復興活動 が遂行された(45)。以下、どのような調整枠組みや調整要領が確立されていたのかについて、 軍主導の調整、国連主導の調整そして米国における省庁間調整について記述する。 ア 軍主導の調整  米軍は、ウタパオ基地内に、統合調整所(CCC)を開設し、各国軍や国連等の調整を円 滑にリードした(図 2 参照)(46)。具体的な調整要領として、航空輸送業務の場合、固定翼 機はウタパオで米軍が統制、ヘリコプターは飛行場地区毎に調整が行われていた。ウタパ オでは、輸送支援開始初期は、米軍が支援各国を集めた会議で各国参加者から状況を聞き、 個別に具体的に調整し、コブラ・ゴールド方式(各国が自分たちの部隊の能力と照らし合 わせて、実行できる救助活動を請け負う仕組み)で実施された。次第に輸送支援が本格化 すると、民軍調整委員会(Civil Military Coordination Board)が設立され、被災国、国連、

NGOからの輸送支援要請をもとに輸送所要の取りまとめ、優先順位の付与、スケジュール

案の作成が行われた。スケジュールは、統合移動調整委員会(Joint Movement Coordination Board)で調整が行われ、統合軍航空部隊指揮官(Joint Force Air Component Commander)

(43)  『毎日新聞』2005 年 1 月 4 日。 (44)  第 10 回東京ディフェンス・フォーラムにおける議長サマリー、<http://www.jda.go.jp/j/news/youji n/2005/06/0628/06212.htm>。 (45)  東京アメリカンセンターで 2005 年 4 月 20 日実施された「スマトラ沖地震・インド洋津波災害か ら学んだこと── 今後の国際緊急援助へむけて より効果的な文民と軍事要員の協力をめざして」 という討論会が実施された。討論会では、パネリストとして参加していた米国国際開発庁(USAID) 民主化・紛争・人道援助局ウイリアム・ガーバリング局長代理および米国大使館国防武官マーク・ウェ ルチ海軍大佐から民軍協力関係は良好であったという趣旨の発言があった。 (46)  第 162 回国会衆議院会議録安全保障委員会第 6 号(2005 年 4 月 8 日)<http://www.shugiin.go.jp/ itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001516220050408006.htm>。

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に滑走路、スロットタイムが割当てられ、それに応じて航空任務命令書(ATO: Air Tasking Order)を作成し、実施部隊に示すという輸送業務の調整要領が確立された。また、バンダ アチェでは、インドネシア軍が調整会議を主催して運航調整会議を実施していた(47)。ここ では端末空輸の調整が主で、毎日午後 8 時、各国が翌日の任務をエントリー(翌日の活動 に提供できる航空機の機数などを報告)し、これに基づきインドネシア軍が滑走路、スロッ ト等の割当て調整(24 時間後の任務)を実施し、翌朝 7 時には当日の活動が確定し、航空 任務命令書が示された。 イ 国連主導の調整

 バンダアチェ及びメダンでは、国連主導の民軍会議(Civil Military Conference)が開催さ れた。民軍会議では、OCHA が中心となって、軍、国連・国際機関、USAID 及び NGO の 支援実施状況や予定の確認、それぞれの支援組織が保有する輸送手段の調整が行われた。 国連主導の会議には、各支援国の軍隊の連絡官(LO)や CIMIC 要員が参加し、情報交換と 軍隊の支援活動と文民組織の活動とのすり合せが行われた。文民組織のアセットだけでは

(47)  『読売新聞』2005 年 1 月 23 日。

図 2 統合調整所(CCC: Combined Coordination Center)

(注)CSG=Combind Support Group.

(出所)  2005 年 6 月 10 日に米国防大学(National Defense University)で実施された Pacific Symposium で配布された資料“Operation Unified Assistance”を基に筆者が作成。尚、同大学サイト <http:// www.ndu.edu/inss/symposia/Pacific2005/lefebvre.pdf>から入手可能。 DONORS 支援(要請)情報 支援(要請)情報 国際機関NGOs UN CCC(ウタオパ) 調整 調整 調整 調整 命令 CSG CSF−536 調整 調整 支援 支援要請 支援要請 支援要請 タイ王国 スリランカ モルジブ インドネシア 支援 直接支援 シンガポール オーストラリア 日 本 支援(要請)情報

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7 対応できない場合、軍への支援依頼が行われた(図 3 参照)。また、ジャカルタでは、国連 主導で、対津波被害空輸支援調整会議及びドナー会議が開催された。 ウ 米国の省庁間調整  本災害復興支援において、米国政府の各機関は積極的に援助を行った。国務省は外交的 な調整にあたり、保健・福祉省は保健技術専門家を派遣し、農務省は食糧援助を行った。 その中で、中心的な役割を果たしたのが、USAID/OFDA であった。OFDA は、OFDA 地域 アドバイザー、水質及び公衆衛生の専門家、現場担当官などから構成された地域の「災害 援助対応チーム(DART: Disaster Assistance Response Team)」を編成した。DART は、スリ ランカ、インド、インドネシア、タイにそれぞれ配置され、地震・津波被害への米国政府 の人道支援活動の調整を実施した(48)。具体的な活動内容として、被災地の調査、被災した 米国民への対応、全体的な救援復興活動の調整、財政支援要請の通知、米国政府への適切 な救援活動提言を行った。この際、国家、地域、現地それぞれのレベルで、米国内各政府

(48)  USAID Fact Sheet #3 “Indian Ocean - Earthquakes and Tsunami”(December 29, 2004) <http:// www.usaid.gov/our_work/humanitarian_assistance/disaster_assistance/countries/indian_ocean/fy2005/ indianocean_et_fs03_12-29-2004>. 図 3 軍への支援依頼要請の流れ (出所)図 2 に同じ。

統合調整所(CCC)

現地レベル 戦術レベル 作戦レベル

統合支援群(CSC)、その他の軍隊

現地における国連・NGO等

被災国の能力

被害評価に基づく

被災国のニーズ

Request for Assistance (RFA)

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8 機関(軍隊含む)、国連・国際機関、NGO 及び被災国と積極的に調整が行われ、円滑な援 助支援が実施された(図 4 参照)。 2 平和構築支援における民軍協力 (1)アフガニスタンにおける平和構築支援の概要(49)  2001 年 10 月 7 日、米軍を中心とする多国籍軍は北部同盟と共同して攻撃を開始、わず か 1 カ月余りで、タリバン政権は崩壊した。タリバン体制の崩壊を受けて、12 月 5 日、国 連の呼びかけで、アフガニスタン主要会派代表者会議がボンで行われ、本格政権が発足す るまでの 3 年間の政治プロセスである「恒久的な政府機関の再建に至るまでのアフガニス タン暫定政権協定(ボン合意)(50)」が合意された(図 5 参照)。 (49)  アフガニスタンの平和構築支援については次を参照。内海成治編『アフガニスタン戦後復興支援 ──日本人の新しい国際協力』昭和堂、2004 年、武者小路公秀・遠藤義雄編『アフガニスタン── 再建と復興への挑戦』日本経済評論社、2004 年、駒野欽一『私のアフガニスタン──駐アフガン大 使の復興支援奮闘記』明石書店、2005 年、伊勢崎賢治『武装解除──紛争屋が見た世界』講談社現 代新書、2004 年、鈴木均編『ハンドブック現代アフガニスタン』明石書店、2005 年。 (50)  ボン合意の主な内容は、①暫定行政機構、特別独立委員会、最高裁判所からなる暫定政権の設立、 ②暫定政権はアフガニスタンの主権を有し、対外的にアフガニスタンを代表する。③暫定政権設立 後 6 カ月以内に緊急ロヤ・ジルガを召集し、移行政権を決定する。緊急ロヤ・ジルガ開催から 2 年 以内に選挙を実施し、国民を完全に代表する政権を樹立する。④移行政権設立後、18 カ月以内に憲 法制定ロヤ・ジルガを召集する、という和平プロセスである。 図 4 人道支援調整システム(米国の場合)

(注)  OFDA=Office of U.S. Foreign Disaster Assistance, DART=Disaster Assistance Response Team, HOC=Humanitarian Operations Center, CMOC=Civil Military Operations Center.

(出所)  東京アメリカン・センターで実施された討論会(2005 年 4 月 20 日)で配布された資料を基に 筆者作成 国防省 統合参謀本部 (Joint Staff) 太平洋軍 (USPACOM) OFDA 連絡官 国連現地事務所タイ(バンコク) Forward Operating Areas 現地事務所 HOC/CMOC を通して調整 Country Teamを通し て調整 Country Team DART CSF 536 国務省 UNOCHA IOs/NGO 受入国 閣僚 国際事務所 人道調整官 (Humanitarian Coordinator) 国際開発庁 (USAID) OFDA 国家レベル 地域 現地

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 「ボン合意」成立を受けて、22 日に暫定政権(Interim Government)が発足した。暫定 行政機構はハミド・カルザイ議長以下 5 名の副議長、30 名の閣僚から構成された。2002 年 4 月には、G8 治安支援会議が開催され、アフガニスタンにおける治安部門改革(SSR: Security Sector Reform)の方針がきめられた。具体的には、米国がアフガニスタン新国軍 の建設(中央軍団と地域コマンドの設立支援及び部隊・兵士の訓練)、ドイツが国家警察の 再建、イタリアが司法改革、イギリスが麻薬対策、日本が軍閥の武装解除、動員解除、社 会復帰(DDR: Disarmament, Demobilization, Reintegration)を担当するというものであった。  2002 年 6 月 11 日から 19 日、全国から 1650 名の代議員が首都カブールに集まり、緊急ロヤ・ ジルガ(国民大会議)が開催された。カルザイ議長が大統領に選出されたほか、閣僚及び 最高裁判所長官の人事が行われ、移行政権(ATA: Afghan Transitional Authority)が発足した。 憲法制定ロヤ・ジルガは、当初 2003 年 10 月に開催される予定であったが、国民の意見聴 取が不十分であることとアル・カイダ、タリバンの残存勢力によるテロが増大し国内の治 安が悪化したことを理由に延期された(51)。最終的には、憲法制定ロヤ・ジルガは、2003 年 (51)  タリバン、アル・カイダの残存勢力は、多国籍軍の対テロ戦にもかかわらず、カンダハルを中心 とする南部、アフガニスタン・パキスタン国境に潜伏してテロ活動を継続。また、ヘクマチアル元 首相の率いるイスラム急進派が活動を再開し、反政府・反米姿勢を強めていた。大統領選出後、7 月にはカディル副大統領の暗殺、9 月には大統領暗殺未遂が生起し、治安情勢は悪化。 図 5 アフガニスタンの政治プロセス (出所)新聞報道を基に筆者が作成。 2001.12.22 2001.12.5 2002.6.11-19 2003.10 DDR開始 2003.12 2004.10 2005.5-7 カブールに 限定 第1次拡大 (北部) 第2次拡大 (西部) 2004.5 DDR本格化 2005.6.30 DDR終了 2002.6.19 2004.1 2004.10.9 2005.9.18 2005.12.19 2004.12.24

暫定政権

ボン合意

DDR

ISAFの

任務拡大

緊急ロヤ・ジルガ

憲法制定ロヤ・ジルガ

移行政権

正式政権

大統領選

議会選挙

国民会議招集

(20)

0

12月 14 日から 2004 年 1 月 4 日まで、全国から 502 名の代議員が出席して行われ、新憲法 が採択された(公布は 2004 年 1 年 26 日)。

 2004 年 6 月 15 日、カルザイ大統領は訪米し、ブッシュ大統領と会談し、米国のアフガ ニスタンの復興への長期的な関与を確認した。 6 月 24 日、カルザイ大統領は、NATO 首 脳会議に参加、基調講演で、国際治安支援部隊(ISAF: International Security Assistance Force)の勢力を現在の 6,500 名から 1 万名へと態勢強化することを要望した。7 月 9 日、 アフガニスタンと国連が運営する合同選挙管理委員会(Joint Election Management Board) は、大統領・議会選挙を延期することを検討し、大統領選は 10 月 9 日、総選挙を 2005 年 春に延期することを決定した。  2004 年 10 月 9 日、アフガニスタン大統領選挙が実施された。選挙の実施にあたっては、 多国籍軍(1 万 8,000 人)、ISAF(8,400 人)、アフガン国軍、警察等合計 10 万人が警戒にあたり、 テロによる選挙妨害は抑制され、無事に選挙が行われた。12 月 7 日、初代大統領にカルザ イ暫定大統領が就任し(得票率 55.4%)、12 月 24 日、カルザイ新政権が発足した。2005 年 5月 21 日 カルザイ大統領は再度訪米し、ブッシュ大統領と会談、「米国・アフガニスタン 戦略パートナーシップ共同宣言(52)」に署名した。共同宣言は、米国がアフガニスタンに対し、 包括的な支援を長期的に実施することを謳う一方、米軍及び多国籍軍に対し、アフガニス タンとの合意あるいは協議を条件としつつも、同国内での作戦行動の自由と、バグラム空 軍基地とその関連施設の利用を引き続き認める内容であった。

 2005 年 6 月 30 日、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA: UN Assistance Mission in Afghanistan)は、DDR に関し、武装解除と動員解除の段階が終了した旨を公表し、許可 ある者以外の武器の使用・移動が禁止されたと発表した。DDR は、日本が主導国として、 UNAMAと UNDP の協力の下、ANBP(Afghanistan's New Beginning Program)により運営 されていた(53)。DDR は、2003 年 10 月から実施、2004 年 5 月から本格的に実施され、クン ドゥズ、ガルデス、カンダハル、ヘラート、カブール / パルワン、ジャララバード、バー ミャン、マザリシャリフの 8 カ所を拠点に実施された。DDR の対象となる武装勢力(AMF: Afghanistan Military Forces)は、アフガニスタン国防省の管轄下に置かれ、武装解除と引 き換えに一時金や再就職の機会が与えられた。DDR により、6 万 1,417 人の武装勢力が武 装解除及び復員プロセスを終了した(54)

(52)  “Joint Declaration of the United States - Afghanistan Strategic Partnership,” <http://www.state.gov/ p/sa/rls/pr/2005/46628.html>.

(53)  DDR に関しては、伊勢崎賢治「平和構築における直接的処方箋」内海編『アフガニスタン戦後復 興支援』154 ~ 175 ページ、伊勢崎『武装解除』を参照。

(54)  DDR の対象外の非正規民兵については、850 グループ、6 万 5,000 人以上いると言われている。 DDRの対象とならなかった武装勢力についても、非合法武装集団解体(DIAG: Disbanding Illegal Armed Groups)により、武器の自発的な提出が行われている。

(21)

  2005 年 9 月 18 日、アフガニスタン全 34 州において議会選挙の投票が実施された。議会 選挙は、1,200 万人の有権者(18 歳以上)の投票により、国民議会である下院議員 249 名、 州議会議員 490 名を選出するものであった。議会選挙を控え、南部・東部に潜伏するタ リバン、アル・カイダの残存勢力によるテロ活動や襲撃事案が多発し、選挙の実施が危ぶ まれたが、アフガン国軍(2 万 8,000 人)・警察(5 万 5,000 人)、多国籍軍(2 万人)及び ISAF(1 万 1,000 人)による厳戒態勢が敷かれ、選挙は大きな混乱もなく無事に行われた。 12月 19 日、1973 年の議会解散後 32 年ぶりに国民会議が招集された。国民会議は、上院 (Meshrano Jirga/House of Elders: 長老会議、102 議席)と下院(Wolesi Jirga/House of People:

国民議会)で構成される。議会召集をもって、議会制度が復活し、民主主義国家としての 体裁が整ったことにより「ボン合意」に基づく和平プロセスは完了した。

(2)軍隊の活動 

 アフガニスタンにおける軍隊の活動は、米軍を中心とする多国籍軍が実施しているア ル・カイダ及びタリバンの残存勢力の掃討作戦である「不朽の自由作戦(OEF: Operation Enduring Freedom)」と NATO の ISAF が実施している政治プロセスを推進するためのアフ ガニスタン国内の治安維持活動である。OEF は個別的及び集団的自衛権を保障する国連憲 章第 51 条に基づく行動であり、ISAF は国連憲章第 7 章及び国連安保理決議 1386 号に基づ く平和維持活動である。つまり、アフガニスタンにおいては、OEF と ISAF という異なる 任務を持つ別の軍事作戦が行われていることになる。 ア 米軍の OEF  米軍を中心とする多国籍軍の掃討作戦については、多国籍軍やアフガニスタン当局から はタリバン側の死者といった成果を除いては、戦闘に関し、多くの説明はなく、戦闘区域、 参加兵力の規模等 、 詳細は不明である。多国籍軍(CJTF180)は、米軍の第 10 山岳師団、 第 2 海兵師団を中心に地上部隊・航空部隊から構成されている(55)。派遣当初の勢力は 15 カ国から約 1 万 1,000 人、司令部はカブールの北に位置するバクラム、在アフガニスタン 米軍司令官はバルノー中将(2005 年 5 月 3 日、アイケンベリー中将へ交代)である。具体 的な掃討要領は、アフガン国軍が主体となり地上作戦を実施、米軍は AC-130 及び A-10 対 地攻撃機、AH-64 攻撃ヘリによる対地攻撃支援を実施している(56)。また、50 人程度の特殊

(55)  CJTF の上級司令部は、アフガン連合軍司令部(CFC-A: Combined Forces Command-Afghanistan) であり、アフガン政府及び ISAF との調整を行っている。

(56)  米軍の戦死者は、2001 年 12 人、2002 年 43 人、2003 年 47 人、2004 年 23 人、2005 年 54 人であり、 イラクにおける作戦の戦死者と比較してはるかに少ない。このことから、第一線にはアフガン国軍 が活動し、多国籍軍はアフガン国軍の行動に連携した火力支援を実施しているものと思われる。

図 1 国連機関の配置状況
図 2 統合調整所(CCC: Combined Coordination Center)

参照

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