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本・第6章 海洋博世論.doc

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第3部

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第6章 復帰後の沖縄社会と 海洋博世論

序 リアリティ の二 重 性: 海洋博会場 の内 部 と外 部

第2 部で は 、沖 縄 海 洋 博の 内容 を 分析 す ること を 通し て 、博覧会 の ス ペ ク タ ク ル空 間の な か で< 海 >や <沖 縄 >の イ メ ー ジが い か に し て 可 視 化 され 、具 現 化さ れ て き た の か、 ま た そ れ に よ っ て 復 帰 後 の沖 縄そ の も の が いかな る 方向 づけを 与え ら れ よ う と し て い た の か 、 その 諸 様 相 を内在的 に 検討 し て き た。 い わ ば 、海洋博 の 会場内部 の 内容分析 である 。こ れ を ふ ま え て 第3 部で は 、海 洋 博と 会 場 外 部、つまり 沖 縄 社 会と の関 係 に焦 点を 当 てていく 。 まず 本章 で は、 海 洋 博 は復帰後 の 沖縄社会 に お い て、 い か に と ら え ら れ て い た の か を見 て い く。 こ の復 帰 後 最 大の プ ロ ジ ェ ク トは 、 沖縄県民 の まなざし に は ど の よ う に映 っ て い たの だ ろ う か。 第2 部 で詳 しく 見 て き た「 海 −そ の望 ましい 未来 」 のテーマ と ス ペ ク タ ク ルの 空間 は 、主 催 者 側 が演 出し た と お り に は 、県 民に は 受容 さ れ て い な い。 むしろ 、会 場 準備 の段 階 から 会 期 終 了に 至る ま で、 海 洋 博 は県 民 世 論 において 終 始、 批 判 的 に と ら え ら れ て い っ た 。第 2部 で 明ら か に し た よ う に 、 会 場 内の 空 間は 、視 覚 的 快 楽と 包括的 管理 、 スペクタ ク ルと 監視 を 同時 に志 向 する 、合 理 性の 理念 に よ っ て貫 か れ てい た 。 ところが 、 この 種の 空 間的 合 理 化 は、 あ く ま で会場内 の 演出 に と ど ま る も の で し か な い 。 そ れ は、 会 場 外 部の 沖 縄 社 会に 、様 々な「 意図 せざる 帰結 」、マ ッ ク ス・ウ ェ ー バ ーの 言う「 合理化 の 非 合 理 的 帰 結」 をも た ら し て い く の で あ る 。 もっとも 、 だか ら と い っ て 私は 、 海 洋 博の 内 容が 重要 で な いと か 、 県民 が「 実 際に 」海 洋博 を ど う と ら え て い た か の方 が 重要 だ と か 、言 お う と し て い る わ け で は な い 。こ こ で あ らためて 本 論の 基 本 視 点を 確認 し て お く な ら 、本 論は 「 イメージ に 対す る実 態 の優 位」 と い っ た発 想 を と ら な い 。す な わ ち 、海洋博 に お い て演 出 さ れ た< 海 >や <沖 縄 >の イ メ ー ジ世 界も 、 それ 自体 が 復帰以後 の 沖縄 のリ ア リ テ ィの 一 面をなす 、 社 会 的 事 実 で あ る。 む しろ 重要 なのは 、会 場 内の <海 > のイ メ ー ジ 世界. . .. .. . .. .. . ..と、 会場外 の沖 縄 社 会. .. .. . ..とが 、 相並 ぶ( そ し て と き に は対照的 に もな る )形 で進 行 していく パ ラ レ ルな 現 実= リ ア リテ ィ の二 重 性を 、 < イ メ ー ジ > と< 実 際 > との 関 係 性 に お い て と ら え る こ と で あ る ( → 序論 )。 カ ル チ ュ ラ ル・ ス タ デ ィ ー ズ流 に 言い か え る なら 、海 洋 博という イ ベ ン ト文 化 のテ ク ス ト と、 復 帰 後 沖縄社会 の コ ン テ ク ス トと の関 係 を、 重 層 的 に と ら え て い く こ と であ る 。そ の 意味 では 、 本論 に お い て第 2部 と 第3 部も 、 相 互 補 完 的 な機 能を 果 た し てい く こ と に な る 。1 実 際 的に は 、第 2部 で 検討 し て き た よ う な 海洋博 の文 化 内 容 に深 い 関心 を も ち 、詳 しく 知っ て い た 県民 は少 な い。 そ れより も 、日 本 復 帰 と い う 「ア メ リ カ 世」 から 「 や ま と世 」 への「世 替わ り 」の な か で、海洋博 は沖 縄 の経 済 振 興 の「 起 爆 剤」として 期待 さ れて いた 。 ま た だ か ら こ そ 、期 待 はずれの 現 実が 訪れ る に つ れ て 、 県民 は海 洋 博に 対し て 違 和 感を 抱 1 なお 当然 な が ら 、本 章で 扱 う海 洋 博 世 論も 、た と え現 実の 経 済 効 果に 対す る 反応 で あ っ た と し て も 、 それ 自体 が 海 洋 博に 対 する 県民 の イ メ ー ジ ・表 象で あ る こ と に 注意 し よ う 。ま た そ の多 くは 、県 庁や 運 動体、 知 識 人 、 マ ス コ ミ、 投 稿 者な ど 諸々 のア ク タ ー が< 表 象= 代表 > する 見方 や 意見 が、 主に 地元 メ デ ィ アを 通 して 発せ ら れ る こ と に よ っ て、 広 く「 県民 の 声」 を< 代表 = 表出 す るrepresent >世 論 とし ての 形を と っ た も の で あ る 。そ の 意味 では 海 洋 博 世 論 も 、( カ ン ト の言 う「 物 自 体 」が 認 識 不 可 能 で あ る の と同 様 に、)厳 密 に言 えば「 県 民 世 論 そ の も の」と し て 抽 出 可 能 な も の で は あ り え な い 。こ こ で は 、 この 条件 つ き で あ る こ と を ふ ま え つ つ 、海 洋 博 世 論を 抽 出し 、再 構 成 し て い く こ と に し よ う 。

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き、 怒り 、 失望 して い っ た の で あ る。 海 洋博世 論 の視 点 は、 あ く ま で「 経済 」 や「 生活 」 を中 心に 据 え ら れ て い た。 そ し て 短 期 間で の め ま ぐ る し い状 況の 変 化と と も に 、世 論の あ りようも 急 速に 姿を 変 えていく 。以下 で は、復帰後 の沖 縄 社 会 の激 動 との 関わ り の な か で 、 海 洋 博 世 論 の変 容ぶ り を と ら え て い く こ と に し よ う。2

第1 節 1972 年 5∼12 月 :世 替わ り の不 安の 中 の、 淡々 とした 計画 の 進行

年 月 日 海 洋 博 関 連 の 主要 な 動 き と 地 元 世 論 69 11 22 佐 藤 首 相 と ニ ク ソ ン 大 統 領 、 72 年 沖 縄 返 還 の 日 米 共 同 声 明 。 70 1 通 産 省 が 沖 縄 海 洋 博 の 開 催 を 検 討 し て い る こ と が 、 初 め て 明 ら か に な る 。 3 沖 縄 経 済 振 興 懇 談 会 、 海 洋 博 の 沖 縄 誘 致 推 進 を表 明 。 5 官 民 合 同 の 海 洋 博 誘 致 期 成 会 が 結 成 、 誘 致 運 動を 展 開 。 71 8 琉 球 政 府 立 法 院、 全 会 一 致 で 、 海 洋 博 沖 縄 開 催を 本 土 政 府 に 要 請 。 10 海 洋 博 開 催 が 閣議 で 決 定 。 72 2 海 洋 博 協 会 が 設立 。 会 場 が 本 部 半 島 に 決 定 ( →第 2 章 ) 。 3 会 場 用 地 買 収 に着 手 。 5 15 沖 縄 、 日 本 復 帰。 25 国 際 博 覧 会 事 務 局 BIE が 沖 縄 海 洋 博 を 正 式 登 録 。 8 本 部 町 民 5000 人 、 「 海 洋 博 を 成 功 さ せ よ う 」 を 合 い 言 葉 に 美 化清 掃 。 9 用 地 買 収 に 伴 う地 価 上 昇 と 、 本 土 資 本 の 土 地 買い 占 め が 問 題 化 さ れ 始 め る 。 11 26 復 帰 記 念 植 樹 祭。 若 夏 国 体 ・ 海 洋 博 と 合 わ せ 三 大 復 帰 記 念 事 業 。 12 政 府 、 沖 縄 振 興 開 発 計 画 を 正 式 決 定 。 海 洋 博 を 成 功 さ せ る 会 が 発 足 。 会 長 は 屋 良 県 知 事 。 1972( 昭和 47) 年 5 月 15 日、 沖 縄は 日本 に 復帰 し、27 年 間に 及 ぶ米 軍 統 治 の時 代が 終わった 。 こ の と き す で に 海 洋 博 の開 催は 決 定し て お り 、政 府・ 海洋博 協会 ・ 沖縄県庁 を 中心 に 、着 々と 準 備 態 勢が 整 え ら れ つ つ あ っ た。72 年 中は 主 に、会 場や 関連公共事業の 具 体的 な計 画 が淡 々と 構 想さ れ、 実 施に 移さ れ て い く段 階 で、 海 洋 博 の是 非を 問 うような 県 民世 論は 、 ま と ま り を も っ た形 で はま だ浮 か び上 が っ て こ な い。 む し ろこ の 時 期、 県民 は 復帰 に伴 う 諸々 の複 合 的な 変化 に 追わ れ て い た。 具 体 的 には 、ド ル から 円へ の 通貨交換 、 急激 なイ ン フ レ3、本 土 資 本 の進 出 、経 済 振 興 のための 開 発と そ れ に よ る 環 境 破 壊、米 軍 基 地・ 自 衛 隊 配備 問題 な どに 代表 される 。海 洋 博が こ れ ら の問 題と 直 接に 関連 づ けて 語ら れ ることは 、73 年以後 に 比べれば は る か に少 な い。75 年開 催 予 定の こ のビ ッ グ イ ベ ン トは 、 県民 がリ ア ルな 問題 と し て と ら え る に は、 ま だ先 の話 で あ っ た。 も っ と も 、 会 場 誘 致 が 決 定し た 本 部 町で は す で に 、「 海 洋 博 を成 功 さ せ よ う 」 と い う合 2 以下 の時 期 区 分 に つ い て は 、今 村、1974 を参照 しつつ 、自 ら 検証作業 を 行っ た。 3 総理府統計局 に よ れ ば、 復帰後 の沖 縄 では 、72 年 6 月か ら 10 月 ま で の間 に 、物 価の 上昇率 は本 土 の 2倍 にも 及 ん で い た 。この 期間 の 消 費 者 物 価 指 数 は 、全 国 で2.1 %の 上昇 に対 し 、那覇市 は 4.5 % で あ っ た。し か も そ の 中 でも 、食 糧 は8.3 %、被 服 は 7.0 %と 、衣 食に か か る 費用 が 大幅 に値 上 が り し て い た( 沖 縄タ イ ム ス 、1972 年 12 月 23 日 付 )。

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い言 葉の も とに 、美 化清 掃 活動 な ど も 行わ れ、推進 ムード が盛 り 上が り つ つ あ っ た。また 、 県− 市 町 村 のレベル で も推 進協 力 体 制 が と ら れ、 年末 に は、 屋 良 朝 苗・ 沖縄 県知事 を会 長 に、「 海 洋 博を 成 功させる 会 」が 発足 す る。 だが 、推 進 側の こ う し た前 向き で 楽 観 的な 姿 勢と は裏 腹 に、9 月 ご ろ か らす で に、 海洋 博推 進へ の 障壁 も目 立 っ て きて い た。 会 場 用 地の 買収 が 難航 し、 地 価が 急激 に 高騰 し始 め る。 影響 は 会場周辺 か ら本 部 半 島 、名 護市 ・ 恩 納 村と い っ た 本 島 北 部の 国道 58 号線沿 い の地 域だ け で な く、 那 覇を 含む 中南部 に ま で 波及 し て い く の で あ る 。ま た、 これと 並行 し て、 本 土 資 本が 会 場 周 辺の 土地 を 買い 占め て いるこ と も 、盛 んに 問題化 され 出 した 。当 時 の本 部 町 企 画 室 の調 査 によれば 、町内 の約 262 万8 千㎡(79 万 6300 坪)も の 広大 な土 地 が、10 月末日までに売 買 され ており、そ の大 半 の買収者 が 本土大手企業であった 。4離島 を含 めて 県全体 で見 れ ば、 那 覇 市 の 2.5 倍 分の 面積 にも 及 ぶ 約 6300 万 ㎡も の 土地 が売 買 さ れ て い た 。5復 帰 後の 沖 縄は 、ち ょ う どい きな り 田 中 角 栄 首 相の も と で の「日 本 列 島 改 造 」 ブ ー ムの 中 に巻 き込 ま れ、猛 烈な 勢い で 土地投機 の ま な ざ し に 浸食 さ れ て い っ たの で あ る 。 もっとも 、 こうした 土 地を め ぐ る 劇的 な変 容 は確 かに 海洋博 を大 き なき っ か け と し ては いた のだ が 、こ の時 点 ではまだ 、 海 洋 博そ の も の の価 値 への 疑念 に つ なが る ま でに は至 ら なかった 。 む し ろ、 新 しい 沖縄 の 振興開発 の 「起爆剤 」 としての 、 漠然 と し た.. .. .期待 の方 が 大き か っ た と い え よ う 。そ の一 つ の証 拠に 、 海 洋 博に 備 えてこの 年 早く も、 ホテル 建設 ラ ッ シ ュ が起 こ っ て い た の で あ る 。6 また、 復 帰 後 初 めて 朝 日 新 聞が 実 施し た 県民世論調査 では 、7 割 近く の人 が 海洋博を 「 沖縄開発 の チャンス 」 としてとらえていた 。 特に 、今 後 の沖 縄 発 展 の望 ま し い 方向 に つ い て、「 観光事業 」と 答 えた 人は 36% に達 したが(前 回 71 年 8 月 は 20%)、そのうち 海洋博を「 沖 縄 開 発の チャンス 」 と答 え た の は、8 割強 にも 達 した 。基 本 的に 海 洋 博 は、 沖縄 の 観光開発 に プ ラ スの 効 果を も た ら す と して 、 期待 され て い た の で あ る。7 他に も こ の 時期 の海 洋 博へ のリ ア ク シ ョ ン と し て は、 海 洋 博関 連 の 工事 に よ っ て破 壊が 懸念 さ れ た 自然 ・文 化 財の 保護 を 求め る主 張 、会場内 の 人工海浜 の 計画 に対 す る地 元か ら の反 対な ど が あ った 。 し か し全 体 としては 、 この 時期 はまだ 、海 洋 博の 計画 が 淡々 と進 め ら れ て実 施 に移 さ れてい く 比 較的平 穏 な段 階 で あ り 、「 嵐の 前 の静 けさ 」 であった 。

第2 節 73 年 1 ∼10 月 : 海洋 博 世論 の騒 乱

年 月 日 海 洋 博 関 連 の 主要 な 動 き と 地 元 世 論 73 1 県 労 協 が 海 洋 博に 「 非 協 力 」 の 態 度 。 県 内 外 に衝 撃 。 2 県 労 協 、 「 非 協 力 」 か ら 「 反 対 」 へ 。 宮 里 副 知 事 、 海 洋 博 の デ メ リ ッ ト 面 に 取 り 組 ま な か っ た こ と を 反 省 。 4 琉球新報 、1972 年 11 月 10 日付 。 5 琉 球 銀 行 調べ 。 沖縄 タ イ ム ス、1972 年 12 月 23 日付 。 6 琉球銀行 の調 べによれば 、同行関係 だ け で も、10 月 末ま で に は 117 件も のホテル・旅 館 など 宿 泊 施 設 の新 増 築 の た め の融 資 が行 わ れ た 。琉 球 新 報 、1972 年 11 月 24 日 付 。 7 沖縄 タイムス 、1972 年 7 月 31 日付 。海 洋 博に よ っ て「 自 然 破 壊だけが 残 る」 と答 え て い る人 は、 北 部 地 区の 人 で も1 割 し か い な い 。

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(1)海 洋 博 世 論の 誕 生 と こ ろ が 、73(昭 和 48) 年の 年 明 けを 迎 えると、 急に 雲 行き が 変 わる 。 年頭早 々 に、 90 組合 5 万 人も の 規模 をもつ県労協(沖 縄 県 労 働 組 合 協 議 会 )が 、県 庁か ら「 海洋博を 成 功させる 会 」へ の参 加 を要 請さ れ た の を断 り 、海洋博 に 対し て「 非協力 」の 態 度を 示し た のである 。 その 理由 として 、政 府 によるお 祭 り騒 ぎに 終 わる 危険 、 物価上昇 、 労賃 のバ ラ ンス の破 壊 、農 業の 解 体、 輸 送 計 画の 未定 などを 挙げ た 。こ れ を う け て 経 済 界 か ら も、 海 洋博 が成 功 さ え す れ ば 後は ど う な っ て も い い の か と、 無批判 な海 洋 博 礼 賛に 対 する 違 和 感 から 、県 労 協の 見解 を 支持 する 声 が挙 がる 。 とはいえ 、 この 時点 ではま だ「 海 洋 博反 対 」 を強 く唱 え て い る わ け で は な く 、お祭 り 気分 に対 す る冷 静な 反 省・警 告に と ど ま っ て い た 。 だが 、さらに 2 月 に な る と、 県労協は「 海洋博対策委員会」 の設 置 を決 め、 明 確に 海洋 博 反 対を 打 ち出 した 。 焦点 は特 に 、復帰後 の 著し いイ ン フ レ と、 本 土 資 本に よ る土地買 い 占め に当 て ら れ た。 そ し て こ れ ら の根本的 な 原因 に、 海洋博 を位 置 づ け た の で あ る 。海 洋 博の 開 催 決 定が 異常 な 建設 ブ ー ム を呼 び、 労 賃と 資材 を 高騰 させ 、 インフレ を 加 速 化さ せ て い る。 サ ト ウ キ ビ 農 家は より 稼 げる 建 設 労 働に 流れ るため 、農 業 が解 体し て い く 。本 土 資本 の進 出 によ って 地 元 中 小 企 業 の倒 産が 増 え、 農地 は レジャー 用地用 に買 い 占められ て いく 。こ の ま ま で は県 民 生 活 が破 壊 さ れ る と し て、「 誰 のための 海洋博 か 」と 、明 確に「 反 対」 を打 ち 出し たの で あ る 。 こ れ が沖 縄 県 内 外に 強 いイ ン パ ク トを 与え 、 県庁 だ け でな く 東京 の 政府 や海 洋 博 協 会な ども 動揺 し 始め る。こ れ以 後県 内 では 、72 年にはなかった明らかな マ イ ナ ス・イ メ ー ジで 、 海 洋 博が 認 知さ れ、 語 られ て い く 。海 洋 博 世 論の 誕生 である 。 73 年 、新 年を 迎 えた 段階 で 、復 帰 による経 済 と生 活の 混 乱が い よ い よ明 確に 自 覚さ れて きた 。そ の 不満 を言 説 化す る際 に 、あ たか も 海 洋 博が 「 諸悪 の根 源 」で あ る か の よ う に 、 海 洋 博に 集 約される 形 で、 復 帰 後 の社 会 矛 盾 と混 乱に 対 する 不満 が 一気 に噴 出 し て き た の が、 この 年73 年で あ っ た 。 もっとも そ れ まで も 、海 洋 博が 県 民 生 活を 破 壊す ると い う こ と は 、各 種 専門 家 をはじめ 、 す で に気 づいて 主張 し てい る人 た ちはい た 。「県 労 協の 指摘 は 遅すぎる 」 と さ え言 われた 。 し か し、 県 内 全 体に 顕在化 した 世 論 形 成と い う点 では 、 や は り県 労 協の ア ピ ー ルは 大き な 影 響 力を も ち、 重要 な タ ー ニ ン グ ポ イ ン ト と な っ て い た のである 。 沖 縄 経 営 者 協 会 で さ え も県労協 に 同意 を示 し 、経 済 混 乱 の原 因を 海洋博 に見 出 した 。ア ンチ 海 洋 博 の頑 固で 重 い空 気が た ち込 め、 海洋博 を め ぐ る賛 否の 対 立が 先 鋭 化 し て くる 。 3 月には 、「 海洋博インフレ 」という 表現 が 使わ れ始 め 、インフレ の 原因 が明 確 に海洋博 に 帰される よ う に も な る 。 73 年 の沖 縄 県 内 に顕 著となった 、こ の 海洋博世論に共 通の 特 徴の 一つ は 、( 第 2部 で詳 細に 見て き た よ う な ) 海 洋 博そ の も の の内 容 には 、ほ と ん ど 無 関 心 な こ と で あ っ た 。中 身 の問 題は 、本 質 的な も の と し て は まず 言及 さ れ な い 。そ れ よ り も、海 洋 博 の誘 致・開 催が 、 沖縄経済 に ど れ だ け の 「効 果」 を 与え る の か 。ま た、 海洋博 関連 の 開発 や本 土 企 業 の進 出 な ど が、 沖 縄 県 民の 経 済や 生活 に 対し て、 プラス ・マ イ ナ ス 両面 で い かな る 影 響を 与え て いるのか 。基 本 的 に こ う し た 、海 洋 博と 外 部 社 会と の関 係 に視 点が 集 中し て い た のである 。

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(2)「メ リ ッ ト −デ メ リ ッ ト」 図式 の 台頭 :目 的 合 理 性の 共 有 こ れ に対 し て県庁側 で も、宮 里副知 事 から 、確か に こ れ ま で メ リ ッ トの 面 だ け を強 調し 、 デ メ リ ッ ト 面を 見て こ な か っ た こ とへ の反 省 が出 て く る 。これが 、 海 洋 博の 「 メリット − デ メ リ ッ ト 」図 式の 始 ま り で あ る 。県 と し て は あ ら た め て、 労 務 賃 金の 大 幅 上 昇、 資材 ・ 土地 の高 騰 、農 業・ 自 然 破 壊と いった 、県 民 の生 活を 圧 迫す る問 題 に積極的 に 対処 する 必 要性 を述 べ た。 こ こ で、 屋 良朝 苗県 知 事がとる 次 のような ロ ジ ッ クに 注 目しよう 。 海 洋 博は 、 沖縄振興 開発計画 の 一つ の柱 で も あ り、 イ ン フ ラ整 備 の促 進を は じ め 、大 き な経 済 効 果 が期 待さ れ る。 だ か ら 、い ま さ ら 中止 や延 期 ができる 状 況で はな く 、積 極 推 進 あ る の み で あ る 。同 時 にそ こ か ら 生じ るデ メ リ ッ トに 対 し て は、 最小限 に食 い 止め る べ く 最善 の努 力 を尽 くし て い く べ き だ、という 発想 である 。8実際、県 知 事・ 県 庁に と っ て、せ っ か く日 本 政 府 が開 催 を決 定し 、国 際 博 覧 会 事 務 局 BIE の 承認 を取 り つけるまでに至 った 国 際イ ベ ン ト・海洋博 は、 今さ ら 県レベル で その 是非 を 問いうる ような 性質 の も の で は な くな っ て い た。 だ か ら 海 洋 博を と ら え るフ レ ー ム も 、「メ リ ッ ト −デ メ リ ッ ト 」という 形 で 、意識的 に 二 項 対 立 化 さ せ ら れ て い っ た の で あ る 。す な わ ち 、反対派 に 半ば 同意 し つ つ も 、「確 か に そ う い うデ メ リ ッ トも あ る が 、そ れ 以上 にメ リ ッ ト は大 き い」 と い う 形で 、懐 柔 を図 る の で あ っ た。 だ が、 革 新 県 政の こ う し た態 度 に 対 して 、 県 内 では 「 説 得 力に 欠 け る 」「問 題 を 未解決 の ま ま進 め よ う と し て い る 」な ど と、 ま す ま す批 判が 高 まる 一方 で あ っ た。 しか し、 屋 良 知 事の 立 場か ら し て み れ ば、 そ れ なり の 言 い分 も あ っ た。 そ れ は 、海洋博 誘致 の経 緯 で あ る 。す で に69 年 11 月 の 佐藤首相 と ニクソン 大統領 の日米共同声明 により 、 72 年の 沖 縄 返 還が 正 式 決 定してまもなく、70 年 1 月 11 日 付の 日本経済新聞で 、通産省 が 沖 縄 海 洋 博 の開 催を 検 討し て い る こ と が、 初 めて 報道 された 。こ れ を き っ か け に、 沖縄 で も海 洋 博 誘 致の 世論 が 高ま り、 本 島・ 離島 ともに 各地 が 、熱 烈な 誘 致 要 請を 琉 球 政 府( の ちの 沖 縄 県 )に 対し て 活発 に行 っ て き た( → 第 4 章)。 そして、30 以上 の団 体 が誘 致 決 議 を し て 、(当 時 琉 球 政 府 主 席 で あ っ た )屋 良 に誘 致の 先 頭に 立つ よ う 、申 し入 れ て き た の だ と い う。 一 方、 誘 致 反 対の 声は 皆 無で あ っ た 。これは 当 時、 大 阪 万 博で 日 本 中 が盛 り上 が っていた 状 況が 影響 し て い る。 だ が、 屋良 はじめ 琉 球 政 府は 、誘 致 に踏 み切 るには む し ろ 慎重 で あ っ た。 と いうの も 、日 本 政 府 の方 は 確か に大 阪 万 博 と い う 一大 プ ロ ジ ェ ク トを 成 功さ せ た が 、海洋博 を 沖縄 が い ざ 受け 入れ る と な れ ば 、 復帰 の転 換 期で も あ る し、 海 洋 博 の準 備 態 勢 を整 え る に は、現 実的 には あ ま り に受 け 皿が 不 安 定 だっ たの で あ る 。ところが 、 「昭 和 45 年ごろの 誘 致 世 論の 燃 え上 がりは、決 断を 下 さず に時 を 貸す と い う こ と の許 さ れる 状態 で は な か っ た 。高 く 広い 計 画 構 想や 所 要経費 等 は国 の 大き な力 に 任す こ と に し て 、 ほ う はい た る世 論に こ た え て誘 致 決 定 へ踏 み 切ら ざ る を 得な か っ た の で あ る 」。9 屋良 は、 沖 縄内 の世 論 の盛 り上 がりに 押さ れ て、 海 洋 博誘 致 に全 力 で取 り組 む こ とに な った 。逆 に 誘致 ・開 催 を拒 む ことな ど 、で き る状 況で は な か っ た 。 そ れ が 3 年 後 の 73 年 には 、復 帰 後の 様々 な ひずみ と 不 満が 噴出 すると 、県 内 世 論 は海 洋 博 反 対へ と 一気 に ひ る が え っ て い く。 屋良 や 県の 立場 か らすれ ば 、 世論 に振 り 回さ れ る ば か り で あ っ た。 8 屋良 、1985 、p.233 。 沖縄 タイムス 、1973 年 2 月 26 日 付。 9 屋良 、同 上、p.229。

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屋良 は自 ら 、復 帰後 の 沖縄 の混 乱 ・動 揺の 原 因を 、次 の 3点 に分 け て分 析し て い る 。① 復 帰 後に 沖 縄で 起こ っ たイ ン フ レ ・土地買 い 占め ・乱 開 発・ 公害 ・ 農 漁 業 解 体 ・資 材 不 足 な ど のマ イ ナ ス 現象 は 、当 時 の日 本 全 国 の大 勢で あ り、沖 縄だけに 限 られ る わ けで は ない 。 ②も っ と も 、こ う し た 趨勢 は、 社 会的基 盤 がより 不 安 定 な沖 縄で は 、他府県 よ り大 きく 現 れる 。③ そ の上 、確 か に復 帰も 海洋博 も、 変 化・ 動揺 を 与え る要 素 は含 ん で い た。 沖縄 の 混乱・動 揺 は、以上 の 三重構造 か ら複合的 に 成り 立っ て い た 、と 言 う の で あ る 。10これは 、 当時 の県 内 外の 状況 に 鑑みれば 、か な り 説 得 力の あ る議 論で あ る。に も か か わ ら ず 、73 年 の県 内 世 論 は こ う し た 類の 分析 を 行う こ と な く、 反感 の 矛先 は ひ たす ら 復帰 と 海 洋 博そ の もの に向 けられ つ つあっ た 。も っ と も 、そ れ は確 かに 反対論 へ と ひ る が え っ て は い る が 、 有無 を言 わ さ ぬ ま で の 盛り 上が り と い う点 で は、70 年 の誘 致 世 論 と 、あ る種 の 同質性を 保 っ て も い た の で あ る 。 し か も こ う し た世 論 の 多 くは 、「 誘 致 賛 成 」 や 「 反対 」 を 志 向す る に あ た り 、 沖 縄 の経 済・ 生活 へ の「 効果 」 や「 影響 」 にの み、 関 心を 集中 さ せて いた 。 海 洋 博の 具体的 ・実 質 的な 内容 に つ い て は 、 本 質 的な 議 論が ほ と ん どな い ま ま であった 。 そ し て こ の 点に つ い て は、県 も共 犯 関 係 にあった 。屋良 知事 は 、70 年の 日 本 政 府と の誘 致 策 定の プ ロ セ スに 関 して 、こう 述 べている 。「 私た ち と し て は 、こ の未曾有 の 大プ ロ ジ ェ クト の全 体 構 想 に つ い て企 画 当 局 か ら ど ん な 説明 を う けて も 、時 間 的に も空 間 的に も、 そ の実 態は 頭 の中 に明 確 には 描き 出 し得 な か っ た。 思 考 的 に そ の よ う な不確定 の 状況 で誘 致 決定 に断 を 下す こ と に は大 変な 不 安が あ っ た 。会 場 計 画 の構 想― ア ク ア ポ リ ス 、民 族 歴 史 のク ラ ス タ ー 、魚 のク ラ ス タ ー 、科 学 技 術 のク ラ ス タ ー 、船 の ク ラ ス タ ー・・・などと 聞き な れ な い奇 想 天 外 の用 語 説 明 を聞 く と、 実に ユ ニ ー クで 魅 力は 絶大 。 だが 、全 体 的な 内容 が 具 体 的に 思 考の 中に 浮 き出 て こ な い。 でき 上 が る で あ ろ う外 観も 読 み得 ない 。」11 海 洋 博の 実質的 なイ メ ー ジ が浮 か ば な い た め に、 屋良 たちの 不安 と あ せり は 高 まるばか り で あ っ た 。しかし 、 当時 の誘 致 世 論 に押 さ れ、 躊躇 す る わ け に も い か な か っ た。 畢竟 、 会場 の計 画 ・企 画 構 想 に つ い て は 、海 洋 博 協 会や 通 産 省 に「 お ま か せ」 す る よ り な か っ た のである 。 最初 から 海洋博 は、 本土側 の主 導 で進 め ら れ る流 れに な っ て い た 。 県庁 も県 内 世論 も、 海洋博 の実 質 的 内 容に つ い て は( 沖縄館 を除 い て) 本 土 側 に委 託す る 形で 不問 に 付し 、も っ ぱ ら経 済 振 興 の観 点か ら 、海 洋 博を 目 的 合理 的 に と ら え て い っ た 。「 メリット − デ メ リ ッ ト 」図 式は 、 県内 で共 有 さ れ る こ の 目 的 合 理 性 の視 点を 、 具 現 化し た も の だっ た のである 。 推 進 派と 反対派 が一 つ の図 式を 共 有す る こ と に よ っ て 、 海洋 博は 「 経済振興 の 起 爆 剤」 として の一 元 的な 意味 づけを 、ま す ま す 強化 されて い っ た のである 。 年 月 日 海 洋 博 関 連 の 主要 な 動 き と 地 元 世 論 73 3 2 本 部 会 場 で 起工式 。 「 海 洋 博 イ ン フ レ 」 と 枠 づ け さ れ る 。 政 府 、 海 洋 博 の上 半 期 分 工 事 を 延 期 。 イ ン フ レ対 策 。 16 県 労 協 の 年 金 ・物 価 メ ー デ ー に 3000 人 。 海 洋 博 イ ン フ レ に 怒 る。 10 同上 、p.232. 11 同上 、p.228-9。

(8)

海 洋 博 延 期 論 ・縮 小 論 が 高 ま る 。 5 1 メ ー デ ー で 海 洋 博 反 対 が 前 面 に 押 し 出 さ れ る 。 3 若 夏 国 体 開 催 。( ∼ 6 日 ) 23 中 曽 根 通 産 相 が視 察 、 「 延 期 は し な い 」 。 6 6 県 労 協 、 海 洋 博の 開 催 返 上 の 申 し 入 れ 文 書 を 県 知 事 に 提 出 。 「 沖 縄 の 文 化 と自 然 を 守 る 十 人 委 員 会 」 が 活 動 開 始 、 乱 開 発 を 告 発 。 地 元 銀 行 の 調 査か ら 、 海 洋 博 の 波 及 効 果 が 予 想を 下 回 る 。 伝 統 工 芸 の 危 機が 叫 ば れ る 。 県 に 、 海 洋 博 と北 部 開 発 公 社 に か ら む“黒 い 噂 ”が立 つ 。 7 23 文 化 財 保 護 審 議 会 、 海 洋 博 関 連 工 事 に よ る 文化財 ・ 自 然 破 壊 を 批 判 。 8 3 東 京 で 総 評 大 会、 海 洋 博 中 止 要 求 を 決 議 。 反 海 洋 博 が 全 国 に 波 及 。 8 沖 縄 経 営 者 協 会、 海 洋 博 推 進 と 県 民 の コ ン セ ン サ ス づ く り を 協 議 。 15 平 良 県 議 会 議 長、 「現 状 で は 県 民 生 活 の 破 壊 」と海 洋 博 に 提 言 。 与 野 党 同 調 。 17 宮 里 副 知 事 、 「賛 否 論 ず る 時 期 で は な い 」 と 反 対 派 を 批 判 。 県 労 協 、 海 洋 博 返 上 を さ ら に 進 め 具 体 的 な 闘 争 方 針 を 示 す 。 県 は 窮 地 に 。 9 中 小 企 業 調 査 結 果 公 表 、 半 数 が 海 洋 博 の 経 済 効 果 を 否 定 。 24 県 職 労 、「現 状 で は 海 洋 博と CTS は 開 発 の 起 爆 剤 で な く 自 爆 剤」 。 10 西 独 が 海 洋 博 に原 子 力 船 の 展 示 を 申 し 入 れ 。 県 民 感 情 を さ ら に 刺 激 。 金 武 湾 を 守 る 会、 反 CTS 運 動 激 化 。 ス ー パ ー ダ イ エ ー の 沖 縄 進 出 へ の 反 対 運 動 高 まる 。 (3)海 洋 博ア ノ ミ ー そ ん な中 で3 月 2 日 、海洋博起工式 は 予定通り 盛 大に 行わ れ た。そ の模 様を 見 守ってい た住 民 は こ う 言 った 。「こ の あ た り は だ ん だ ん変 わ っ て い く ん だ ね 」。12そ こ に は 、 住み 慣 れた 土地 が 変貌 す る こ と へ の戸 惑 いと 不安 がある 。「 海 洋 博ア ノ ミ ー 」と言 うべき 、諸々 の 急激 な社 会 変 容 ・解 体 とそれに 伴 う不 安・ 動 揺が 、い よ い よ 本 格 化 していく 。 こ れ は特 に 、会 場の 地 元・ 本 部 町 では 顕著 に 現れ た。 海 洋 博関 連 の 大 規 模な 開 発によっ て、 地 元 漁 業は 深刻 な 打撃 を受 け た。 一時 の 補 償 金を 受 け た か ら と い っ て、 簡 単に は転 業 できない 。 農業 を営 ん で い た住 民 も、 同じ よ う に 場所 を 追われた 。 観光 と工 業 の振 興が 図 ら れ る中 で 、農漁業 の 地位 は相 対 的に 下げ ら れ、 政策 上 の優先度 も 後退 しつ つ あ っ た。 ま た、 会 場 用 地 買 収や 本 土 企 業へ の 売買 に よ っ て土 地成 金 になった 人 々の 中に は 、賭 博に 手 を出 して 結 局 自 滅の 道 をたどる 人 も い た。 地 元の 教育 環 境へ の影 響 も と り ざ た さ れ た。 小 中 学 校に 隣 接す るキ ビ 畑が 買い 占 め ら れ、 そこに ホ テ ル の建 設 予 定 が持 ち上 が っ たた め 、 学 校 側は 子 ども たち へ の影 響を 懸 念し た。13 た だ し、 先 に も ふ れ た よ う に、 物 価・ 地価 の 上昇 や土 地 投 機 、農 業 解 体 、公 害 など 、海 洋博 をめぐ って 浮か び 上が っ て き た問 題は 、沖縄 だけに 見ら れ た現 象で は な く 、この 時期 、 12 沖縄 タイムス 、1973 年 3 月 2 日付夕刊 。 13 さ ら に本部町 で は、海 洋 博 関 連の し 尿処理場・ご み処 理 場・ 下 水 道 終 末 処 理 場・ 海 岸 埋め 立 て な ど の 計画 に対 し て、 地 元 民 の反 対が あ った 。

(9)

日本全国 で 深刻 化す る 問題 で もあっ た 。田中角栄 が 唱え た「日 本 列 島 改 造 論 」(田 中 、1972 ) は当 初一 世 を風 靡し た が、 結局 そ れ に よ っ て 地価 の高 騰 に は ず み が つ き 、物 価 全 般 のイ ン フレ も加 速 化し た。 田 中 内 閣 支 持 率も 、前 年 7 月 発 足 時の 62% から 、4 月 に は 27%へ と 急落 するが 、 そ の最 大 の原 因 は や は りイ ン フ レで あ っ た 。14し た がっ て 、 同じ 時 期 に沖 縄 のイ ン フ レ を加速化 させた 海 洋 博 も、「 列島改造 の 一環 に す ぎな い 」と し て批 判 さ れ た わ け で あ る。 3 月、県 労 協 主 催の 年金・物 価 メーデー で も、海洋博反 対 が柱 にされ、「 海洋博 インフレ 」 に怒 りの 声 が上 が っ た 。本 土と 沖 縄の 財 界 人 で構 成さ れ 、海 洋 博 誘 致に 貢献 し た沖 縄 経 済 振 興 懇 談 会 も、デ メリッ ト 対 策に 乗り 出 した 。政府 も沖 縄 のイ ン フ レ の深 刻な 事 態を 認め 、 海 洋 博の 73 年 度上半期分 の工 事 を延 期す る まで に至 っ た。 が、 そ の決 定が 海洋博起工式 の翌 日で あ っ た こ と は 、状 況の 微 妙さ を よ く 表し て い る 。建 材の 不 足と 高騰 は 、全国的 に 深刻 な問 題 と な っ て い た た め、 政 府は 開 催 時 期の 延期 ま で検 討し 始 めた 。県 も で きれ ば 延 期し た い が 、しかし 混 乱は 避け た い。 政府 と 県民 との 間 で板 ば さ み に な り な が ら、 結局 は 予 定 通り 推 進、 そ し て デ メ リ ッ ト 対策 にも 全 力を 尽く す 、という 立 場に 落ち 着 く。 延 期 論・ 縮小論 が高 ま る中 、4 月 9 日付沖 縄 タイムス で は、 海洋博のテーマ 「 海− その 望ましい 未 来」を も じ って 、「海 −そ の 痛ましい 現 状」と い う 皮肉 な見 出 しが 登場 す る。タ ン カ ーの 油 たれ 流し や 陸上 の廃 棄 物などで 、 沖縄 の海 は 次第 に汚 れ て き て い た 。特 に廃 油 ボ ー ルは 、 宮古 ・八 重 山の 離 島 地 域にまで 広 が っ て い た 。ま た、 本 島 西海 岸 に はオ ニ ヒ ト デが 異 常 発 生し た た め 、サンゴ 礁 が壊 滅 状 態 となった ( 開発 に よ る 赤土流出 の 影響 とも 考 え ら れ て い る)。新聞報道 に お け る海 洋 博バ ッ シ ン グは ま す ま す過熱化 し 、そ れ 自体 が再 帰 的な はた ら き に よ っ て 、海洋博 の マイナス ・ イメージ を 拡 大 再 生 産 していく 。 だ が、 実 際 に は こ の 時 期 、一 般 の 県 民は 海 洋 博 を ど の よ う に と ら え て い た の だ ろ う か 。 73 年 4 月に 朝 日 新 聞が 実施 し た県 内世 論 調査 では 、 海洋博に 「期 待 している 」 は 39%に 対し 、「期 待し て い な い」 は 46% であった 。 ただし別 の 質問 では 、 海洋博は 「 開発 のチ ャ ンス だ か ら 開い た方 がよい 」と い う賛成派 は 53% に達 し た の に対 して 、「いろいろ 不利益 を生 ず る か ら取 り や め た方 が よ い 」は 23% にとどま っ た。海洋博 への 期待度 は低 い が、中 止を 主張 す る ま で の 人 は少 な か っ た、 と い う こ と で あ る 。15 とはいえ 、 各運 動 団 体 の海 洋 博 反 対 論 は、 連鎖的 に毎 日 のように 新 聞を に ぎ わ し て い っ た( 年 表 参 照)。5.1 メーデー では 、 海洋博反対が前 面に 押 し出 された。16県労協 は6 月 、 正式 に「 海 洋 博 返 上 」の 申し 入 れ文 書を 県知事 に提 出、 さらに 8 月 には 、具 体 的な 闘争方 針17を示 した 。 県労協 に と っ て 「海 洋 博反 対 」 は、 政 治 闘 争 上の シ ン ボ ル と化 し 、 結束 を 強め る機 能 を果 た し て い っ た。8 月に 東京 で 開かれた 総 評 大 会で は 、海 洋 博 中 止 要 求が 決 議さ れ、 反 海 洋 博の 全国的 な広 が りぶ りを 表 した 。他 に も挙 げ て いけ ば キリ がない 。 8 月には 平 良 県 議会議長 が 、「 現状 では 海洋博 は県 民 生 活 の破 壊 に し か な ら な い 」と 述べ 14 沖縄 タイムス 、1973 年 5 月 3 日付 。 15 沖縄 タイムス 、1973 年 5 月 15 日 付。 16 なお、この 年 73 年 5 月 3∼6 日 に開 催 さ れ た若 夏 国 体 は、三 大 復 帰 記 念イ ベ ン ト の一 つ で あ っ た が、 佐 賀 県の 自 衛 隊 チ ー ム の出 場に 対 して 反 対 運 動が 高ま り 、機 動 隊が 警備 に 出動 す る こ と に な っ た 。当 時 の沖 縄で は 、自 衛 隊に 対 する 特有 の 抵抗 が根 強 か っ た 。ま た こ の こ と か ら は 、何 か あ る と 一 触 即 発 的 に 反 対 気 運 が 高ま る当 時 の状 況が 、 よ く う か が え る 。 17 『沖 縄 春 秋』7、73 年 9 月 号、p.27-29。

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て反 響を 呼 び、 与 野 党 と も に同 調 した 。海 洋 博による 県経済 への 波 及 効 果も 、 主要工事 が 本土大手 企 業に 多く を と ら れ た た め、 予想 を 大き く下 回 る こ と が わ か っ た の で あ る 。9 月 には 沖縄県 職員.. . ..労 働 組 合( 組 合 員 5000 人)までもが 、「現 状で は 海洋博と CTS は 開発 の 起 爆 剤で な く自爆剤 だ 」と 主張 し た。 こ れ は 県 職 員か ら 屋良県政 に 対す る、 内 部からの 批 判を 意味 し て い た 。海 洋 博 反 対と 時 期を 同じ く し て 、本 島 東 海 岸 の石 油 備 蓄 基 地 CTS の 建 設 反 対 運 動 も高 ま っ て き て い た の で あ る。 屋 良知 事は 、 支持母体 で あ っ た革 新 諸 団 体や 県 議会 ・県 職 員からも 突 き上 げを 食 らい 、い よ い よ 窮地 に 追い 込ま れ た。 こ の よう に 、海 洋 博を め ぐ る 混乱 と不 安 ・動 揺= 海洋博 ア ノ ミ ーは 、日 ごとに 深ま る 一方 で あ っ た。 (4)沖 縄 の< 文化 > <自 然> の 喪失 と再 発 見: 対 抗 言 説と し て の オ ー セ ン テ ィ ッ ク またこの 時 期、 文 化 財 と自 然の 保 護の 観点 からも 、海 洋 博 批 判は 活 発に 行わ れ た。 沖縄 の知識人 た ち か ら な る「 沖縄 の文 化 と自 然を 守 る十 人 委 員 会」、公 害 防 止 対 策 協 議 会 、文 化 財 保 護 審 議 会などが 、 海 洋 博 関 連 工 事 や本 土 企 業 の進 出 によって 文化財 と自 然 が破 壊さ れ て い る実 態 を告 発し 、 県に 保護 対 策を 要請 し た。 とりわけ 、 十 人 委 員 会 の活 動は 顕 著なもの で あ っ た。18彼 らは 7 月 、県 民 世 論 の形 成 を 主な 目的 として 、「沖 縄の 文 化と 自然 を 守る 要 望 書 」を 地 元 紙 ・沖 縄タ イ ム ス に掲 載 した 。 その 前書 に よ れ ば、 こ の要望書 は 、文 化・ 自 然の 破壊 に 対す る「 具体的 かつ 早 急な 対応 を 切実 に提 起 」す ると と も に. . ..、「沖 縄の 文 化と 自然 の 根 源 的な.. ..意 義を 概説 し た」 も の であ る 。 続い て 、「 この 自 然と 文 化 破 壊は 沖縄..喪 失である 。」と 言 う。 つ ま り、 こ の箇 所だ け か ら で も わ か る よ う に 、十 人 委 員 会は 、沖 縄 の文 化・ 自 然の 破壊 を告 発す る と同 時に 、 そうした 沖 縄 固 有の < 文化 >< 自 然> を再 発 見. . .し て い る 。常識的 に は、 <文 化 >や <自 然 >は 、昔 か ら そ の地 域 に固 有の も の と し て 、 も と も と そ こ に あ.. .. . .. .る.と 思わ れ が ち で あ る。 つ ま り こ れ ら は、 自 明 性.. .を身 に ま とっ た 概念 である 。し か し、 この 文 脈で の< 文 化> <自 然 >の 語り の 特徴 に、 よ く注 目し て み よ う。 復帰後 に破 壊 され 、失 わ れていく 危機的 な状 況 に直 面し て い る か ら こ そ、 その 状 況へ の対 抗 言 説 と し て 、根源的 ・ 本 来 的な < 沖縄 >や 、 その <文 化 >< 自然 > が想 起さ れ て く るの で あ る 。復 帰 後の 変動 の 文脈 の中 で 新た に想 像 /創 造さ れ る、 オー セ ン テ ィ ッ ク な< 沖縄 > のイ メ ー ジ で あ る。 一 見 自 明な < 文化 >や < 自然 >が 想 起さ れ、 < オ ー セ ン テ ィ ッ クな も の> が熱 望 さ れ るこ の コ ン テ ク ス トが 、実 は 政 治 的で あ り、 対 抗 的 な も ので あ ることに 注 意す べ き で あ る 。 第 4 章で も伊 江 島に 関し て 示唆 しておいたが、 ベンヤミン 的な 「ア ウ ラ」 は、 失われて みて 初め て 、事後的 に 意 識 化・ 言説化 さ れ る も の で あ る 。ここで 沖 縄 固 有の < 文化 >< 自 然> は、 復 帰・ 海 洋 博 に よ る破 壊 ・喪 失を 契 機として 、 あ ら た め て そ の 純 粋 型 が想 起・ 再 発見 さ れ て い る の で あ る。 逆 説 的 な が ら海 洋 博は 、徹 底 的な 批判 を 浴び る こ と を通 して 、 オ ー セ ン テ ィ ッ クな < 沖縄 >を 喚 起させる 、 ひとつの パ ラ メ ー タ ー (媒 介 変 数 )として 機 能し て い る 。確 かに こ の時 期の 大規模 な開 発 によって 、 戦後 こ れ ほ ど、 <文 化 >< 自然 > が失 わ れ た こ と は な か っ た だ ろ う 。しかし 同 時に 、こ れ ほ ど 沖縄 の <文 化> < 自然 >が 自 18 その 活動 ・発 言 は、 彼ら の 編集 に よ る 『沖 縄 喪 失 の危 機 』(1976 )に ま と め ら れ 、600 頁を超 え る大 著に な っ て い る 。その 内 容は 当時 の 沖縄 の< 文 化> <自 然 >へ の ま な ざ し を知 る 上で 非常 に 興 味 深い も の だ が 、こ こ で そ の全 体を 詳 細に 検討 す る こ と は 本 論の 主旨 か ら は ず れ る の で 、彼ら の主 張 のエ ッ セ ン スを 抽出 す る に と ど め よ う 。

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覚的 ・意 識 的に イ メ ー ジさ れ、 語 ら れ る こ と も な か っ た だ ろ う。 こ う し た< 文 化> <自 然 >の 喪失 と 再 発 見は 、 オ ー セ ン テ ィ ッ クな < 沖縄 >へ の 再 帰 性の 高 まり の、 表 と裏 を な す 同 時 並 行 的 なプ ロ セ ス で あ る。 要 望 書の 前 書は 、さ ら に次 の よ う に言 っ て い る。 「薩 摩の 沖 縄 侵略 後 、 廃藩置県 、 戦後 の異 民 族 支 配に 至 る沖 縄の 歴 史は 、苦 難 にみちた 被支配者 の 歴史 で あ る 。政 治、 経 済、 文化 の 差別 が行 わ れ、 沖 縄 県 民の 主 体 性は 、 か たくなに 拒 否された 。 戦後 は、 祖 国と 断絶 し 、無国籍 と な っ て、 孤 児 沖 縄の 主 体 生 存 を よ ぎ な く さ れ 、異 民 族 支 配の 厳 しい 拘束 は あ った が 、 政治 、経 済 、文 化の 自由 を 求 めて 、島 ぐ る み の活 況 を呈 した 。 創 造 的な 政 治、 経済 、 文化 が清 気 溌らつと 実践 さ れ た。 基 地 公 害は あ っ た が、 土地 は 島ぐ る み で 守ら れ、 企 業の 後 進 性 が幸 い し て、 乱 開 発 に よ る 文 化 と自 然 の 破 壊 も な か っ た 。こ の 主 体 的な 志 向 が 、沖 縄 の 思 想を 形 成 し 、 固 有の 文 化 と 自然 へ の 愛 着 を不 動 に し た。 復 帰 後 、本 土 資 本 に よ る 土 地 の買 い 占 め 、 乱 開 発に よ る文 化と 自 然 破 壊に 対 応す る原 点 は、 県民 が 戦 後 二 十 八 年に わ た る歴 史 体 験 で確 認 し た 。主 体 性 を 持 続し て 、 企 業 経 済 優 先 の錯 誤 を 廃 し、 県 民 ( 人間 ) 優 先 、 文化 、自 然 優 先 を信 条 と す る県 民 一 体 の態 勢 強 化 が望 ま れ、 県な ら び に 地 方 自 治 体 に 対し 厳し い 、行 政 対 策 を要 望し た い。」19 委 員 会の 座 長・ 豊 平 良 顕に よ れ ば 、以 上は 委員会 の「 基本的 な信 条 」で あ っ た 。薩摩侵 略 以 来の 沖 縄の <歴 史 >を 想起 す る中 で、 沖 縄 県 民の 「 主 体 性」 が 、復帰後 の 乱 開 発に 対 して 二項対 立的 な形 で 立ち 上げ ら れ て い る ことが 、波 線 部か ら明 ら か であ る 。 戦後 ∼復 帰 前は 、米 軍 統 治 下の 厳 しい 状況 で は あ っ た が 、だ か ら こ そ「 島ぐ る み」 の創 造 的な 政治 ・ 経済 ・文 化 が実 践さ れ て き た、 と 高く 評価 す る。 復 帰 前 の米 軍に 対 する 島ぐ る み土 地 闘 争 や「 企業 の 後 進 性」 が 、乱開発 の 現状 とは 対照的 な「 古 き良 き時 代 」として 、 新た な意 味 づ け を与 え ら れ て い く の で あ る 。ノ ス タ ル ジ アの 効 果は 、不満 な現 状 を相対化 す る ため に 、 そ れ と対 照 的な 形で 過 去を ユ ートピ ア 化し 、自分 た ち が 立ち 返る べ き「 原点 」「本 質 」と し て、 その 過 去を 位置 づける 点に あ る。 また 、彼 ら に おい て 、 沖縄 の土 地 を買 い占 め て い く本 土 企 業 と い う <他 者> は 、明 らか に「 悪」 として イ メ ー ジさ れ て い た。 し かしこ の 文脈 の 中で は あ く ま で 、そ の <他 者> を 媒介 して こ そ、「 県民 」の 「 主 体 性」 が 構築 さ れてい る の で あ る。 つ ま り こ こ で は 、「本 土 企業」の 他 者 化( 客 体 化)と 、「 県民」の 主 体 化が 、同 時 並 行 的な プ ロ セ スで 進 め ら れ て い る。 十人委 員会 に と っ て「 本 土 企 業」 とは 、「県 民 」の 純粋 な 像を 映し 出 すための 、「鏡 と し て の他 者 」な の で あ っ た 。 さて 、十 人 委 員 会は 、 海 洋 博だ け を批 判し て い る わ け で は な く、 復帰後 の乱 開 発 全 般を 批判 して い た。 と は い え、 や は り 海 洋 博は 、 本 土 型の 乱開発 の起 爆 剤として 、 重要 なシ ン ボル となっ てい た 。す な わ ち 、復 帰 当 時 の日 本は 、60 年 代の 高度成長時 からの開発行政 と 公 害 化の 流 れを 、依 然 保 持し て い た 。そ こ へ沖 縄 が復 帰し 、「 系 列 化 」し た こ と で 、そ う し た体 制の 中 に組 み込 ま れ て し ま っ た。 そし て 復帰記念 の 海 洋 博が 、 沖縄 の悲 運 をさらに 深 19 沖縄 の文 化と 自 然を 守る 十人委員会 、1976、p.199。強調 は 多田 。

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刻にした 、と 言う の で あ る。「 復帰前 、当時 の 琉球政府 と 立 法 院が 日 本 政 府に 海洋博 の誘 致 を積極的 に 訴え 、海 洋 博を 起 爆 剤 と し て、 短期間 に沖 縄 の経 済を 高 度 成 長さ せ る幻 想を 抱 い た の で あ る。」20東京オ リ ン ピ ッ ク ・大 阪 万 博 の後 を う け た沖 縄 海 洋 博は ま さ に、本 土 型 の高 度 成 長 を沖 縄に も 同じ よ う に も た ら そ う と す る も の で あ っ た 。 だが 皮肉 に も、 公害 と いう 副 産 物 も同 時に 持 ち込 まれ 、 沖縄固有 の <文 化> < 自然 >が 失 わ れ て し ま っ た 。そ こ で彼 らは 十 人 委 員 会 を 結成 して 、本 来 的 な< 沖縄 > の像 を浮 か び上 が ら せ る こ と に よ っ て 、 この 憂う べ き現 状を 救 い出 そ う と し た の で あ っ た 。21その 活動 の開 始が 1973 年 7 月、 反 海 洋 博の 世 論が 最 高 潮 に達 し て い る時 期で あ っ た 。

第3 節 73 年 11 ∼12 月 :オ イ ル シ ョ ッ ク 後の 延期 と 沈 静 化す る 世論

年 月 日 海 洋 博 関 連 の 主要 な 動 き と 地 元 世 論 73 10 第 4 次 中 東 戦 争の 影 響 で オ イ ル シ ョ ッ ク 到 来 。イ ン フ レ に 拍 車 。 11 「 国 民 的 危 機 」に 石 油 規 制 、 消 費 抑 制 強 ま る 。経 済 界 に 深 刻 な 影 響 。 17 政 府 が 海 洋 博 を再 検 討 し 始 め る 。 県 内 に 波 紋 。 海 洋 博 を 成 功 さ せ る 会 、 本 部 町 、 「 延 期 反 対 」を 決 議 。 29 BIE、 海 洋 博 の 延 期 申 し 入 れ を 了 承 。 12 21 政 府 、 海 洋 博の 75 年 7 月 開 催へ 延 期 を 決 定 。 緊 縮 予 算 の 中 、沖 縄 関 係 は 海 洋 博 関 連 の 大 型 公 共 工 事 に 集 中 。 以 上 見て き たように 73 年 は、海洋博に関 して 反対論・デメリット論・延期論・縮 小 論 ・ 返 上 論な ど 、様 々の 批判的 な海 洋 博 世 論が 乱 舞し た年 で あ っ た。 こ う し た騒 動 の中 、混 乱 をさらに 加速化 さ せるよ う な国 際 問 題 が勃 発 した 。10 月、石 油 輸 出 国 機 構 OPEC が、 原 油の 大 幅 値 上げ を通 告 した 。そ こ か ら 、い わ ゆ る オ イ ル シ ョ ッ ク が 世 界 中に 波 及す るの で ある 。通 産 省は 当初 、「石 油 の備 蓄は 充 分あ る」 と 強気 で い た が、11 月 に な る と、 関西 を 中心 にト イ レ ッ ト ペ ー パ ー の買 い だ め が広 が り、 オ イ ル シ ョ ッ ク の リ ア リ テ ィ は急 速に 広 が っ て い く 。政 府も 消 費 規 制へ 動 き出 し、 マ イ カ ー自 粛 や電 力 節 約 な ど の「 省 エネ 」を 呼 びかけた 。石油・電力 の 産 業 用 消 費は 10% 削減 されることになり 、経済界は 深 刻な 打撃 を 受け た。 さすがに こ の非 常 事 態 には 、政 府 も海洋博 の 再 検 討を 始 めた 。政 府 は、 総 需 要 の抑 制を 迫ら れ 、公 共 事 業の 繰 り延 べ を本 格 的に 検 討 する 段 階に 至 っ て い た の で あ る 。22海洋博 も 20 同上 、p.3 。座 長・ 豊平 の 単 行 本 序 説 (強 調は 多 田)。73 年 7月 の要 望 書で は、 例 えば 次の よ う に 海 洋博 に言 及 し て い る 。「復 帰 と同 時に 沖 縄に お い て も、 本 土 企 業 の 土 地 買い 占 めは 眼に あ ま る も の が あ る。そ れ に 油を 注 い だ の は 海 洋 博 で一 旗 あ げ よ う と す る 本 土 企 業の 土 地 買 い占 め で あ る 。か ん じ ん な 所 は す べ て 買 い占 め ら れ て い る 。土 地の 買 い占 めは 乱 開 発 を招 き 、冷 酷 な資 本の メ カ ニ ズ ム は 容赦 なく 沖 縄の 共 同 体 的 美 風を 奪 い と る ば か り で な く 、『沖 縄 の心 』の 淵源 す る歴 史 的 実 証と し て の 貴重 な埋 蔵 文 化財 を も つ ぶ し て し ま う。」(p.203-4、強 調は 多 田。) 本土企業 の 土 地 買い 占 めや 乱 開 発 が、 沖縄 の「 共 同体 」や 「 心」 ま で も 解体 した 、 と す る。 21 また 同じ 時期 に 、ち ょ う ど 伝統工芸 の 危機 が叫 ば れ、「 精神文化 の喪 失 」が 危ぶ ま れ て い た 。 読 谷 山 花織 や琉 球 絣 、ミ ン サ ー 帯が 、原 材 料 不 足 か ら危 機に 瀕し て い た の で あ る 。農 業 を守 る運 動 や県 産 品 愛 用 運 動も 、 こ れ ら と 重 なる 視点 か ら、 同様 の コ ン テ ク ス トの 中で 活発 に 展開 さ れ た 。 22 田中角栄首相 は 、強 力 に進 め て き た「 列 島 改 造 」で さ え も「ス ロ ー ダ ウ ン す る」と 言う に至 っ て い た。 「ス ロ ー ダ ウ ン 」と い う表 現は ま さ に 、高 度 成 長 路 線 の 転 換 点を 象徴 し て い る。

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いよいよ 、 延期 ・縮 小 ・中 止の 可能性 が出 てきた 。11 月 17 日、 こ の突 然の 事 態に 屋良知 事は 、「信 じ ら れな い 」。す で に こ こ ま で、 国 も協 会も 県 も、 開催 に 向け て全 力 を尽 く し て きた し、関 連 公 共 事 業 も進 め て き た。こ れ が 中止 や延 期 に な るこ と な ど 、「寝 耳に 水 」の 心 境で あ っ た と い う。23こ の日 の 午後 、 東京 か ら の「 海 洋 博 再 検 討 」 のニ ュ ー ス に 、 県内 各 界に は大 き な動 揺が 走 る。 興 味 深い の は、 こ れ ま で盛 んに 海洋博 の再 検 討を 主張 し て き た県 内 世 論 が、 い ざ実 際に 政府 が再 検 討を 始め れ ば、「 政府 の勝 手 な態 度だ 」と し て、批 判し 始め た こ と で あ る 。前 節 で見 た よ う に、73 年 、ここまで は政 府 ・県 が「 推 進」、 主要 な世 論 が「 再検討」の 立場 で 対立 し て い た の に対 し て、 オ イ ル シ ョ ッ ク で 大き く情 勢 が変 わ る と 、政 府が 「 再 検 討」 へ 態度 を変 え た。 常 識 的 に考 え れ ば 、政 府が 県 内 世 論に 歩 み寄 り、 後 者の 意が 通 っ た よ う に 思え る。 しかし 世論 は 、逆 に政 府 への 不信 を 強め る の で あ る 。 沖縄 タ イ ム ス 11 月 19 日付社説 の次 の 箇所 は、 こ の空 気を 集 約し て い る 。「 い ま、 政府 が検 討し よ う と し て い る延 期、 規 模 縮 小、 あ る い は中 止 ―― と い う こ と は、 現 在の 混乱 に. .. .. . さ ら に輪 を か け る こ と.. .. . .. .. .で あ り、 も し政 府が 自 らの 都合 に よ っ て恣 意 に方 向 転 換 する. .. . .. .. . .. .. . .. .. . ..なら 海 洋博 は沖 縄 にとって 文字通 り“ 自爆剤 ”と な ろ う 。そ の 政治責任 は ま こと に 重 大である 。」 10 月ま で熱 烈に 求 められていた海洋博 再検討 が、11 月 にはこう ネガティブ に 受け 取ら れ る と こ ろ ま で 、変 化し て い た ので あ る 。11 月に 入っ て から は急 激に 、そ れ ま で の海 洋 博 世 論の 潮流 よりも 、オ イ ル シ ョ ッ ク のイ ン パ ク トの 方が リ ア リテ ィ を 獲得 して い た。 その 渦 中に あ っ て 、実 に短 い 間に 、海 洋 博を め ぐ る パ ラ ダ イ ム の変 換が 生 じていた わ け であ る 。24 それだけ 、 県内 に お い て海洋博 の 存在 は大 き く な っ て い た の だ と も 言えよう 。 例え ば渡 具知 ・名 護 市 長 は、4 月の 時点 で す で にデメリッ トの 観 点か ら、 海洋博 を延 期 すべきとの 見解 を表 明 していた 。そ してこ の 11 月 には 、次 の よ う に言 う 。「自 然 を ぶ ち壊 し て おい て 、 今さ ら中 止 とか 縮小 とかは 踏ん だ り蹴 っ た り だ。 物価 、 労賃 、農 業 破 壊 など 進 行し て い る デ メ リ ッ ト 問題 を い っ た い ど う し て く れ る の だ ろ う か 。」25すでに 沖 縄の 中で 海洋博 のリ ア リ テ ィは 、 後戻 り で き な い と こ ろ ま で 進行 し て い た。 だから 彼は 、 あくまで デ メ リッ ト 対. .. .. . 策を 講じ な が ら の延 期.. .. . .. .. .を求 めた の で あ る。 要するに 、 海 洋 博は 良 くも 悪く も 、復帰後 の 沖縄 の社 会 ・経 済を 進 行させる 、 ひとつの 中 核 的な パ ラ メ ー タ ー =媒 介 変 数 と し て機 能 し て い た の で あ る。 これを 今さ ら 中止 や縮 小 す る こ と は 、沖 縄の 現 状を 根本 か ら揺 る が す 死活問題 になる 。だ か ら、 政府 の 突然 の態 度 変更 は、 県 民 世 論に と っ て は「 勝 手」 で「 無責任 」な も の に 映っ た の で あ る ( し か し実 際 には 、県 民 世 論 の急 激 な変 わ りよう も 、政 府 に匹 敵す る も の だ っ た わ け で あ る )。 そのため 海 洋 博世 論 の 批判 の矛 先 は、明 ら か に屋 良 県 政 から 政 府へ とシ フ トし た 。10 月 までとは 明 ら か に語 り の質 が変 わ ってく る 。 県民世論 の ま な ざ し は 遠く 東京 へ 向けられ 、 固唾 を呑 ん でそ の動 向 を見 守り だ し た 。海 洋博会 場 の地 元 、本部・名護・今帰仁 では 、「 中 止や 延期 を さ れ る と 死 活 問 題だ 」 と、 政府 へ の強 い反 発 を あ ら わ に し た 。 これに 対 し て 政府 は 、「 海洋博 に つ い て は 現 地 の 意思 を 尊 重 する 」 と 表 明し た 。 政 府の 23 屋良 、1985 、p.242 。 24 もっとも 、政 府 の態 度 変 更 を肯 定す る 声も あ っ た 。例 えば 県 労 協 の亀 甲 議 長 は、「 た だ ち に や め る べ きだ 。当 然 だよ 」と 、 そ れ ま で の 海 洋 博 反 対 姿 勢 が通 っ た こ と を 受け 入 れた 。 25 沖縄 タイムス 、1973 年 11 月 18 日付 。

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方も 、こ こ まで 相当 な 反海洋博 の 県民 世論 が 高まって い たことを 気 に し て い た 。26そこで 、 地元 の意 向 を聞 く策 に 出た の で あ る。 屋 良 知 事は 早速 、 県 議 会や 地 元 関係 者 、 経 済 界な ど の意 見を 聞 いた 。そ の 結果 、大 勢 は政 府の 再 検討志 向 に 反発 し 、「 既 定 方 針を 貫け 」と い う こ と で あ っ た。 し か し 、オ イ ル シ ョ ッ クの 深刻化 の中 で 、予定通 り と い う の は 不 可 能な 情 勢に な っ て い た 。結 局 妥 協 策と し て、 延期 という 選 択 肢 が確 定し て き た 。開 催 期 日 を め ぐ る折 衝は 紆 余 曲 折を 経 たが 、沖 縄 海 洋 博と い う性質上 、 7∼ 8月 の 夏休 みを 含 んだ 方が よ いという 観 点か ら 、最終的 に は、1975 年 7 月 20 日∼76 年 1 月 18 日の 開催 で 正式決定 し た( 当初 の 計画 は 3 月 2 日∼ 8月 31 日 )。 これが 年末 、12 月 21 日のことであった 。 この 騒動 の 一応 の決 着 を機 に、 県 内の 海 洋博世 論 は急 速 に沈静化 し て い く。 県労協 はじ め革 新 諸 団 体に と っ て も、文 脈の 変化 は あった が 、「 延期 」と い う形 で 一応 の道 理 は通 った 。 また 推 進 派 に と っ て も、 延期 の 幅が 4 ヵ 月半 にとどまったことは、 オイルショック 下で あ ることを 考 慮に 入れ れ ば 、妥 協で き る結 果で あ っ た 。そ し て 何よ り 、11 月以降の県 民の リ アリティ に お い て は 、 もは や復 帰 や海洋博 による 生活 ・ 経済 への 影 響よりも 、 オ イ ル シ ョ ック に よ る 混乱 への 直接的 な対 応 に追 わ れ る 状況 の方 が 、支 配 的に な っ てい く 。そのため 、 海 洋 博へ の 関心 そ のもの が 、薄 ら いでい く の で あ る。

第4 節 74 年 1 月 ∼75 年 3 月: ポ ス ト 海 洋 博へ の 不安 と病 理

年 月 日 海 洋 博 関 連 の 主要 な 動 き と 地 元 世 論 74 1 10 県 リ ゾ ー ト 開 発 公 社 ス タ ー ト 。 ポ ス ト 海 洋 博 に焦 点 を 当 て 取 り 組 む 。 2 本 部 ・ 名 護 の 「海 洋 博 成 金 」 に 賭 博 被 害 の 続 出が 表 面 化 。 3 県 委 託 の 九 州 経 済 調 査 協 会 の 調 査 中 間 報 告 、 海 洋 博 の デ メ リ ッ ト を 強 調 。 県 委 託 の 日 本リサーチセンター の 調 査 中 間 報 告 、 県 経 済の 起 爆 剤 に な る 可 能 性 指 摘 。 海 洋 博 の 跡 地 利 用 と ア ン コ ー ル フ ェ ア 開 催 の 問題 が 前 面 に 浮 上 。 4 沖 縄 館 ・ 政 府 出 展 館 の 起 工 式 が 行 わ れ る 。 施 設 工 事 が 本 格 化 。 海 洋 博 道 路 の 建設 に よ り 渡 久 地 湾 の 航 路 発 着 が困 難 に 。 地 元 商 店 街 に 衝 撃 。 5 19 沖 縄 解 放 同 盟 ・反 帝 戦 線 が 本 部 町 で 海 洋 博 粉 砕デ モ 。 地 元 が 反 発 。 6 14 田 中 角 栄 首 相 来 沖 。 歓 迎 と 抗 議 の 声 が 渦 巻 く 。 首 相 の 口 か ら 「海 洋 博 は 早 す ぎ た 」 発 言 飛 び 出す 。 関 係 省 庁 ・ 県 に 戸 惑 い 。 7 海 洋 博 の 地 元 雇 用 2000 人 に と ど ま り 、 期 待 は ず れ の 雇 用 効 果 。 県 海 洋 博 協 力 局、 輸 送 ・ 宿 泊 対 策 に 苦 慮 。 ホ テ ル 業 界 、 観 光 客 数 が 伸 び ず 苦 境 に 。 リサーチセンターと 九 経 協 に よ る 海 洋 博 の 影 響 調 査 報 告ま と ま る 。 両 面 か ら 分 析 。 8 16 県 、 海 洋 博 跡 地 利 用 問 題 対 策 協 議 会 を 設 置 。 県 観 光 開 発 公 社、 ポ ス ト 海 洋 博 に 向 け て 観 光 振 興 の 基 本 構 想 固 め る 。 9 海 洋 博 工 事 で 本 部 町 の 教 育 環 境 破 壊 が 取 り ざ た さ れ る 。 開 発 問 題 を 考 える 会 、 県 の 海 洋 博 優 先 の 開 発 行 政 を 批 判 。 26 当時通産大臣 で あ っ た中 曽 根 康 弘は 、『屋 良 朝 苗 回 顧 録 』の 中の コ メ ン トで 、そ の こ と に ふ れ て い る (屋 良、1977 、p.255 )。

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10 ポ ス ト 海 洋 博 の経 済 不 安 高 ま る 。 以 後 、 論 議 が活 発 化 。 海 洋 博 会 場 内 の営 業 認 可 に 地 元 業 者 が 不 満 示 す。 地 元 優 先 を 主 張 。 26 県 労 協 青 年 協 と沖 教 祖 青 年 部 が 海 洋 博 反 対 総 決 起 集 会 。本 部 の 埋 立 地 に 千 人。 11 海 洋 博 を 控 え て沖 縄 の 売 春 問 題 へ の 対 策 が 講 じ ら れ る 。 海 洋 博 関 連 の 本 土 企 業 の 進 出 に 、 県 民 の 間 に 「誰 の た め の 海 洋 博 か 」 の 声 。 海 洋 博 協 会 、 「県 産 品 優 先 に も 限 度 」 。 26 沖 教 祖・ 中 頭 支 部 、児 童 生 徒 の 団 体 見 学 拒 否 に 加 え、海 洋 博 協 力 を 全 面 拒 否。 12 沖 縄 館 建 設 の た め の 県 民 寄 付 金 が 目 標の 15% し か 集 ま ら ず 。 海 洋 博 の 観 客 予 想 、 著 し く 低 下 。 7 日 本 科 学 者 会 議 沖 縄 支 部 、 海 洋 博 シ ン ポ 。 科学者 の 立 場 か ら デメリット探 る 。 75 1 新 年 度 予 算 、海 洋 博 主 体 か ら 農 業・ 離 島 振 興 、教 育 へ 。「 静 かな 沖 縄 づ く り 」。 25 海 洋 博 シ ン ポ ジ ウ ム 。 環 境 保 全 と 県 民 生 活 の 擁護 を 強 調 。 「 海 洋 博 開 催 に伴 う 青 少 年 健 全 育 成 県 民 運 動 実 施 要 綱 」 の 検 討 始 ま る 。 2 海 洋 博 跡 利 用 構 想 案 ま と ま る 。 以 後 、 跡 利 用 問 題 が ク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ る 。 会 場 周 辺 の 小 中 高 校 、 教 育 環 境 の 悪 化 へ の 対 策を 教 育 庁 に 要 請 。 日 本 ペ ン ク ラ ブ 、海 洋 博 協 力 で も め る 。五 木 ・野 坂 ら「 県 民 感 情 を 逆 なで 」。 3 26 糸 洲 海 洋 博 協 力 局 長 、 チ リ 軍 艦 の 海 洋 博 参 加 に反 対 表 明 。 (1)先 取 りされた 未 来へ の不 安 海 洋 博の 延 期は 決定 さ れ た も の の、時 期を 同じ く し て 73 年末 に 決定 された 74 年度 政府 予算 では 、 海 洋 博 関 係 の予 算が し っ か り と 確 保された 。 政府 は全 国 的に は、 物 価 対 策の た めに 公共 事 業を 抑制 す る緊 縮 予 算 の方 針を と っ て い た が 、沖 縄に 関 し て は本 土 との 格 差 是 正の た め の 振興開発 や 、タ イ ム リ ミ ッ トの あ る海洋博 に 備え 、予 算 配 分 に関 し て か な り の 優遇 を行 っ た。 だ か ら 74 年の 沖 縄関 係予 算 は、 全国 の 趨勢 とは 対照的 に、 海洋博関連 の 大 型 公 共 工 事に 集中 す る こ と に な る。 先に ふ れ た よ う に 、前 年 異 様 に活発化 し た海 洋 博 世 論は 、74 年に 入 るとかなり沈静化す る。 この 時 期はもう 海洋博 そ の も のに 関し て 評 価 云々 す る段 階で は な く な り 、 身近 に迫 っ た開 催へ 向 けて 、本 格 的な 準備 が 淡々 と進 行 していく 段 階に 入っ た 。27 そ れ と並 行 して 、1 月 10 日には 沖縄県 リ ゾ ー ト開 発 公 社 がス タ ー ト し、この 頃 から 関心 の焦 点は ポスト 海 洋 博 、す な わ ち 海 洋博以 後 の沖 縄 経 済 の問 題 へと シ フ ト していく 。75 年 の海洋博 では 450 万人 も の観 客を 予 測し 、か な り の 経済効果 を 見込 んだ としても、その 後 を ど う す る のか 。会 期 終 了 直 後 に は反 動で 観光客 が激 減 し、 ホ テ ル をはじめ 倒 産ラ ッ シ ュ が起 こる 恐 れは 充分 にある 。景 気 の起爆剤 と して 立ち 上 げられた ビ ッ グ プ ロ ジ ェ ク トは 、 皮肉 にも 巨 大な 反動 を 直後 に産 み 出し 、か え っ て 深刻 な 不況 を呼 ぶ 危 険 性を 含 んでいる 。 こうした 懸 念は 以前 か ら、海洋博 のデ メ リ ッ トの 一 つとして 考 え ら れ て き た も の で あ っ た 。 そ れ がい よ い よ この 新 年か ら 、「 ポ ス ト 海 洋 博」 として 本 格 的 にテーマ 化 され て き た 。 27 もちろん 、そ う し た中 か ら ま た新 たに 様 々な 問題 も生 じていくし 、海洋博 や関 連 開 発 に対 す る県 民 の 不信 にも 、依 然 根 強い も の が あ る 。こ れ ら に つ い て は 必ず し も本 文で 言 及し な い も の も あ る が 、年表 を 参照 さ れ た い。

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この 観点 か らリ ゾ ー ト 開発公社 は 、海 洋 博 後 の沖 縄( 特 に本 島 北 部 地 域 )の リ ゾ ー ト開 発を 図る 主 体として 、 位置 づ けられ た 。そ し て、 物 理 的 にも 象 徴 的 にも その コ アと な る の は、 海洋博 会場 そ のもの の 跡 地 利 用で あ っ た 。ま た、 会期後 のデ メ リ ッ ト対 策 と し て、 ア ンコール ・ フ ェ アを 実 施す る こ と も検 討さ れ て い た。 し か し こ れ ら の問 題は な か な か具 体 化されず 、 県の は っ き り し な い 態 度に 対し て 、政 府や 海 洋 博協 会 の 不満 が高 ま っ て きて い た。 そ こ で8 月 、県 は海 洋 博 跡 利 用 問 題 対 策 協 議 会を 設置 し た。 県・ 学 者・ 地元経済界・ マスコミ ・ 市 町 村・ 民 主 団 体の 代 表 47 人で 構成 されるもので、 これによってようやく 本 格的 な議 論 がス タ ー ト した 。ま た 県 観 光 開 発 公 社 も、 ポスト 海 洋 博 に向 けて 観 光 振 興の 基 本 構 想に 乗 り出 した 。 ところで 、4 月中旬に沖 縄タイムス 社が 実 施し た「 復帰二年県民世論調査 」で は 、「 海洋 博が 沖縄 の 将来 に と っ て利 益に な る と 思い ま すか 。そ う は思 い ま せん か 。」と い う質 問に 対 して 、「 利益 になる 」26% 、「 そうは 思 わない」32% 、「 どちらともいえない 」27% と、 三 分し な が ら 、利 益に な ら な い と 見 る人 が や や 多く な っ て い る 。そ し て、 利益 に な ら な い と 思う 理 由 の内 訳 は 、「ポ ス ト 海 洋 博 の 不安 」9 % 、「 物 価 ・地 価 の 値上 が り 」7% 、「 大資本 だ け が も う か る 」4 %、「自 然 環 境 の破 壊」2% 、「 経 済 混 乱」2% 、「 農業 の破 壊」1% 、「 他 の面 が お ろ そ か に な る 」1% 、「 その 他」4 %で あ る。28こ のパ ー セ ン テ ー ジ は 、「 利 益に な る と は思 わない 」の値 32%そのまま の内 訳 なので、小 さくなっている 。つまり計算 しなお すと 、利 益 に な る と は思 わない 人の 32 分 の 9、3 割近 く の人 々が 、ポスト海 洋 博へ の不 安 を理 由に し て い た こ と が わ か る 。 7 月ごろになると、 こ う し た未 来 への 不安 は 単に 先の 話 として. . .. .. . .. .. . .. .で は. .なく 、現 在 の状 況と.. .. . .. .. も関 連づ け て語 ら れ る よ う に な り.. .. . .. .. . .. .. .、い よ い よ 不安 が身 を も っ て実 感 さ れ て く る 。海洋博 の 観客 を目 当 てに ホ テ ル や民 宿が 乱 立し た た め に、 早く も 稼 働 率 が 20%を 切る 状況 が 訪れ 、 多く の業 者 が深 刻な 経営難 に陥 っ た。 また 、 海 洋 博の 建 設 工 事が 本格化 し て も 、労 働 力 需 要は 当 初 予 想よ り も は る か に低 く 、地 元 雇 用 は 2000 人 あまりにとどまった 。 求人 と求 職 が う ま く か み合 わ な か っ た よ う で 、建 設 労 働 の半 数 以 上 は、 本土 からの 流 入 労働 力 が占 め る形 にな っ て し ま っ た のである 。 オ イ ル シ ョ ッ ク 以来 、 日本全体 が 高度成長 か ら安 定 成 長 へと 路 線 変 更し て き た の に 対し 、 74 年の 沖縄 は 例外的に 公 共 事 業が 集 中された 。それも直接的に は 、海洋博が 翌 年に 迫っ て い た こ と に よ る 優 遇 措 置のため で あ っ た。し か し だ か ら こ そ 、「沖 縄 の真 の不 況 は海 洋 博 後 に来 る の で は な い か 」 と い う不 安 も高 ま る の で あ っ た 。 国 内 外の 不 況のなか で の こ う し た 特殊状況 が 、海洋博 そ の も の へ の 関心 を飛 び 越え 、そ う し た 先取 りした 未来 へ の不 安.. . .. .. . .. .を 呼 び起 こ し た の で あ る 。 皮肉 な こ と に、 工事 が 順調 に進 め ば進 む ほ ど 、こ の不 安 は日 増し に 高ま って い く。 それ は あたかも 、 工事 に よ っ て沖 縄の 自 然の 風景 が 切り 崩さ れ て い く度 合 と、 比例 す る か の よ う で あ っ た 。 解体 さ れてい く 自然 は 、こ う し た ポ ス トへ の 不安 を投 影 する 形で 、 ま な ざ さ れ て い た の で あ る (こ れ に つ い て は 後述 )。 (2)教 育 ・非 行 問 題 との 関連 づ け: 病 理 化 する 海 洋 博 こうした 「 ポ ス ト」 へ の不 安と と も に 、海 洋 博による 病 理 現 象も 、9 月 ご ろ か ら活 発に 28 沖縄 タイムス 、1974 年 5 月 15 日 付。

参照

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