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バブル経済とその後の長期停滞を高校生に教えるバブル経済とその後の長期停滞を高校生に教える

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要旨  ①バブル経済が,どのように生まれ,どのように崩壊したか,②その後の金融危機と長期停滞の状況,③ 何のための経済かを問い,効率・成長主義の経済から,人間と環境を大切にする SDGs へ価値転換する必要 を高校生に理解させる。  グラフ・統計表を工夫し,聞蔵で検索して朝日新聞の記事を活用する。それらをコピーして配布またはパ ワーポイントで投影する。教科書で用語の意味を確認しながら,生徒とワイワイ話し合うための教案。 キーワード:インフレ,デフレ,バブル,スタグフレーション,SDGs

Ⅰ.バブルの発生

 バブルを生んだのは,①国中が経済成長主義の雰囲 気のもと,②日銀が,政府や米国の圧力に引きずられ て金融を緩め過ぎ,③銀行が貸し出し過ぎたから , で あるが,④政府・企業・金融機関・個人・学会など日 本中のチェックが弱かったという背景もある。ジャー ナリズムもかなり警告しているが,煽りの方が強力で あった。  第 2 次石油危機で 9%(1980 年)まで上げた公定歩 合を,1983 年 10 月の 5.0%まで 5 回下げ,日本は 3 ~ 6%の成長を続けた。  その日本の大幅な貿易黒字に対する海外からの批判 が高まった(貿易摩擦)。米国で日本車を打ち壊す写 真が新聞などに載った。経済成長は円安での輸出増加 によらず,国内の需要拡大によれ,というのである。  西独も,輸出を伸ばして,成長していた。  ところが米国は,貿易収支の黒字が増えたのは 1964 年まで。その後は黒字が減り,71 年からは赤字 になった。日・欧の企業の生産性が伸びたことや,米 国企業が海外進出をして(国内産業の空洞化),それ ら多国籍企業からの輸入が増えたからである。ベトナ ム戦争などの軍事費が嵩み,対外経済援助・軍事援助 も世界にドルをバラ撒くことになり,ドル不足だった 世界がドル過剰に転じ,ドル安が進んだ。  1981 年,大統領になったレーガンは,新自由主義 =「小さな政府」を掲げて所得税・法人税を減税した。 また歳出も減らしたが,「強い米国」を掲げて軍事費 は増やした。結局は財政も赤字が急増し,貿易赤字と 並んで双子の赤字と言われた。  さらに振り返ると,ドルの凋落は 1934 年のドル切 り下げに始まる。世界大恐慌で下がった物価・景気を 上げるために,金1㌉=20.67㌦を35㌦に上げた。2回目 のドル下げは 1971 年のニクソンショックで,それは インフレ対策と,輸入の抑制措置であった。固定相場 制を離れ,対円では,1㌦= 360 円から下がって行く。  そして 3 回目はプラザ合意という「悲鳴」である。 強いドルを標榜していたレーガン大統領は,2 期目の 1985 年には「威信」を捨て,ドル安へ向けての「協 調」を迫ったのである(1985.9.25)。以下,カッコ内 の日付は朝日新聞の日付。  1985 年 9 月,ニューヨークのプラザホテルで日・ 米・英・仏・西独の蔵相・中央銀行総裁の緊急会議 (Group of 5)が開かれ,ドル高を修正することが合 意された。各国が協調して為替介入すると,効果てき めん円相場は大幅な円高(ドル安)になった(表 1 の 太字)。

バブル経済と

その後の長期停滞を

高校生に教える

The Journal of Economic Education No.38, September, 2019

Teaching the bubble economy and the following long stagnation to high school students

MINOWA, Kyoshiro

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 合意以後も日本の輸出金額は増えたが,輸出数量は, それ以前の 10 年で 2.2 倍,その後の 10 年では 1.24 倍 (『経済財政白書』末尾の統計)と増え方が小さくなり, この過程で,海外へ工場を移し(産業の空洞化),そ の国から輸出する動きが高まった。こうして日本は 86 年の円高不況で,2.8%の成長にダウンした。  86年には公定歩合を4回も下げる(表1)。これは不 況対策・内需拡大策であるが,反面,円安を招き,輸 出を伸ばす働きもする。そこで,各国が同時に利下げ をすれば,為替相場を変えずに各国の景気を好くする。 というわけで,協調利下げを図った。  しかし各国には,それぞれの事情がある。米国は, 86 年 11 月に中間選挙があり,その前に景気を好転さ せたいので,とくに日本と西独に協調利下げを迫った。  日本には,不況ながらカネ余り感があり,利下げの 副作用が心配である。その様子を,新聞記事「金利新 局面 4 次下げの帳じり② インフレの芽 カネ余り, 広がる投機 日銀,綱渡りのカジ取り」(1986.11. 2) が,以下のように書いている。  …三重野(日銀)副総裁は10月3日,国会で次のよ うに述べている。「通貨供給量が増え,土地のほかに ゴルフ会員権,貴金属,絵画まで値上がりしています。 通貨供給量の増大が将来のインフレの芽になると見て 注意している段階であり,公定歩合は下げるべきでは ないと考えています」「日本経済は乾いたマキの上に 座っているようなもの。はずみでインフレの火がつい たら,取り返しのつかないことになる」というのが同 副総裁の持論でもあった(下線は箕輪)。  それが,三重野副総裁の国会発言から 1 カ月も経た ない11月1日に公定歩合を下げた。その背景には,米 国の中央銀行(連邦準備制度理事会)のボルカー議長 から澄田日銀総裁への強い要請があり,また大蔵省や ベーカー米財務長官から再三の申し入れがあった。  こうして苦渋の切り下げを続けたのに,さらに 87 年 2 月,5 回目の公定歩合引き下げを行った。これは進み 過ぎた円高(表 1)を戻すために,欧米諸国が協調介入 することを条件に,日本が呑んだのである。「対米配慮 を優先 … 財テク・投機には追い風」(87.2.21)。こ れがルーブル合意である。会議場所のフランス大蔵省 が,当時はルーブル美術館の建物の中にあった。  この合意にもかかわらず,さらに円高は進み,87 年末には 1㌦= 122 円と,84 年末の 2 倍を超えた(表 1 の太字)。  日銀は,かねてからチャンスを探り,87 年 8 月末か ら短期市場金利の高め誘導を始め,様子をみながら公 定歩合を引き上げる予定であった。ところが,西独で も通貨供給量が増え,インフレの芽を摘むべく 10 月 6 日, 金 利 を 上 げ た(「 小 幅 の 利 上 げ 誘 導  西 独 」 87.10.7)。 こ れ を ベ ー カ ー 米 財 務 長 官 が 批 判 し た (87.10.19)。すると資金が米国から流出し,10 月 19 日, 米国の株価が暴落した。ブラックマンデーと呼ばれ, 世界的な株価崩落になった。これで日銀は公定歩合引 き上げの機会を失った。  すでに日銀は,過熱を抑えるべく民間金融機関に対 する貸し出し抑制の指導に乗り出していた。「投機の 過熱を警戒 低金利政策と両にらみ」(1986.4.3)とい う見出しの記事は次のように述べている。「銀行同士 の貸し出し競争が企業の過度の株式・債券投資や土地 投機をあおる恐れがあるとの判断…企業のマネーゲー ムの行き過ぎを中止する姿勢を打ち出した」。  銀行の貸出競争が激しくなってきたのには,背景が ある。かつては日本の企業は,「資金調達の大部分を 銀行借り入れに頼っていた。ところが…金余り時代の 昨今だ。優良企業は財テクで資金を運用する側に回り, 資金が必要な企業も,調達コストが安い証券市場から の直接金融に頼りがち。産業界の“銀行離れ”」が進 んだのである(「変質する公定歩合」㊥ 86.1.31)。   ま た「 社 説  利 下 げ と カ ネ 余 り の ジ レ ン マ 」 年 公定歩合 年% 消費者物価前年比% 円 /1㌦年末 (経常)兆円国際収支 米国の貿易収支 億㌦ 1984 (83 年 10 月~)5.0 2.3 251.58 8.35 -1,125 85 2.0 200.60 11.97 -1,222 86 4.5, 4.0, 3.5, 3.0 0.6 160.10 14.24 -1,451 87 2.5 0.1 122.00 12.19 -1,596 88 0.7 125.90 10.15 -1,270 89 3.25, 3.75, 4.25 2.3 143.40 8.71 -1,177 90 5.25, 6.0 3.1 135.40 6.47 -1,110 表 1 1984 ~ 90 年の日米主要経済指標の推移 資料:日銀『日本銀行統計』,毎日新聞社『週刊エコノミスト臨時増刊 米国経済白書』 註:塗りつぶしの行は円高不況の年。

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(1987.2.21)は,次のように述べている。「公定歩合の 引き下げは,昨年初めからこれで 5 回目である。…物 価が落ち着いているが,安心していてよいかどうか。 …生産投資よりは財テクで既発行の株式が買いあおら れ,…とくに不健全なのが土地買いだ。…金融の蛇口 を緩めるだけでなく,財政政策で実需を掘り起こすこ とが不可欠である」。  このとき表 1 の斜字のとおり,消費者物価の上昇が 0.1%と低かったので,日銀に油断が出た。商品(フ ロー)の価格は安定していても,株や土地など資産 (ストック)の価格は上がっていたのである。為替相場 が 200 円→ 160 円→ 122 円と,円高が進み,国際収支の 黒字が減り始めたことも,日銀を油断させた(表 1)。

Ⅱ.バブル崩壊

 88 ~ 89 年になると物価が上がり始め,為替相場も 円安になったので(表 1),日銀は 89 年 5 月,やっと 公定歩合を上げた。それまで 2.5%という戦後最低水 準を 2 年 3 か月続けている間に,米国は 3 回,西独は 4 回,引き上げをしていた。  89年5月の引き上げは,「やっと引き締め 9年ぶり の公定歩合引き上げ① 総裁のいらだち 対外配慮 我慢の 2 年 緩和の代償 地価と株に」(89.5.31)とい う記事の見出しだけでも生徒に説明できるが,この記 事には,日本が米国債を買わなくなるので,米国に気 兼ねする大蔵省に気兼ねして,日銀が公定歩合引き上 げを抑えていたことが書いてある。とにかく,この引 き上げは遅すぎた。  それを挽回するように,同年 10 月,12 月と続けて 引き上げた。金利を上げると,資金がそちらに流れ, ふつうは株価が下がる。このときの株価も,そうした 動きみせたが,結局は年末の 38,915 円まで上がった。 これが今までの最高値である。  正月明けから株価は下がった。今度も上げ下げは あったが,結局は下がり続けた。これがバブル崩壊の 始まりである。  それでも公定歩合は 90 年 3 月と 8 月,なお上がる。 ひとつは地価が,まだ上昇を続けていて,大蔵省から 「不動産業向け融資の貸し出し規制」の通達(「土地融 資 総量規制を通達地価高の地方波及で」90.3.27 夕) が出るほどだった。  公定歩合を下げ始めたのは 91 年 7 月である。6.00% から 5.50%に下がり,さらに同年に 2 回,92 年に 2 回, 93 年に 2 回,1 年あけて 95 年に 2 回下がり,0.05% と いう信じられない低水準になった。99 年にはゼロ金 利政策がとられた。  「土地神話」で下がらないはずの土地を担保に融資 したのであるから,図 1 のように地価が暴落すれば, 銀行貸出は焦げ付き,不良債権になる。  公定歩合の異常な引き下げは,不良債権に苦しむ銀 行を救ったが,「利子が頼りのお年寄り 深刻 元金を 取り崩す」(93.10.2)という厳しい状況を生んだ。た とえば 2 か年定期預金金利が 1990 年は年 6% を超えて いたのが,96 年には 1% を割ることにもなったからで ある。  「公定歩合がついに年 0.5%…。これで潤うのは,不 良債権の処理に手を焼いている大銀行,そして巨大企 業だけである。…」(95.9.19 声「金利政策は弱者に優 しく」)。「業務純益最高,2 兆円台 大手 21 行の 9 月 中間決算 超低金利で『恩恵』」(95.10.17)。「低め誘 導に日銀懸命 銀行救済の色濃く」(95.10.19)。  こうした新聞記事を縮刷版から拡大コピーして生徒 に提供すると,授業がリアルになり,活気づくと思う。  公定歩合が 0.05% に下がると,もう公定歩合の意味 はあまりなく,金融政策は,政策金利と称して,短期 図 1 株価と地価の推移 資料:矢野恒太記念会『数字でみる日本の 100 年』など。

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市場の金利を誘導する形になり,さらに 2001 年から は,金利でなく,資金量を調節する方式に変わる。  こうした金融緩和にもかかわらず,信用組合・信用 金庫などが破綻したり合併した。北海道拓殖銀行・日 本長期信用銀行・日本債券信用銀行なども破綻した。  そこで,金融緩和のほかに,次のような銀行救済措 置がとられた。新聞記事に語らせよう。  ①法人税免除 「6 グループはこのところ法人税を 納めていない。過去の不良債権処理で生じた欠損金を 繰り越し,利益と相殺できる制度のためだ(06.11.26 社説「銀行決算 もっと利用者に還元を」)。  「みずほコーポレート銀行は今年から,みずほ銀行 と三井信託銀行,りそなホールディングスは来年から 納税する方針だ。三井住友は 15 年ぶり,りそなは 18 年ぶりの納税」(「大手銀 納税再開へ」12.5.16)。  ②公的資金の注入 預金保険機構からの資金が注入 された(表 2)。「公的」というのは,日銀・民間銀行 のほかに政府も同機構に出資しているからである。  下記の表 2 のほかに,「贈与」もあった。「預金保険 機構から日債銀に 3 兆 1414 億円が贈与された。…生か すために出す公的資金とは全然違う」(19.3.12 夕「バ ブル崩壊をたどって ⑥」)。  ③銀行合併 1980 年代の自由化の流れの中で,97 年 6 月から独占禁止法が緩和され,持株会社が解禁さ れた。これを利用して不良債権処理や人員削減をしよ うと,金融持ち株会社が生まれた。旧財閥系列を超え た合併も行われた。銀行の生き残り策である。そして 銀行の名前に,×× holding とか financial group が付 くものが目立つようになった。  「…2005 年までに 3 行合わせて現在の従業員数の 2 割近くの 6 千人の人員を削減し,業務純益 1 兆円超を 目指す」(「一勧・富士・興銀,事業統合へ 金融持ち 株会社 …」99.8.20)。  「住友・さくら銀,合併を発表 不良債権処理前倒 し 4 年半で 9300 人削減」(99.10.15)。

Ⅲ.超長期停滞

 バブルが破裂した 1990 年から数えると,もう 30 年 になる。山一証券や日本長期信用銀行などが破綻した 97-98 年からでも 20 年を超える。こんなに長い停滞は 日本でも,世界でも初めてであろう。  やや遡ると,戦後の復興を終えた日本経済は高度成 長を始める。消費者物価指数(2015 年基準)は,図 2 の点線のとおりに推移した。60 年余の間に物価は 5 倍 になったが,そのうち 1990 年からは横這いである。  図 2 の実線の折れ線は全く様子が違い,ギザギザし ている。しかし点線の折れ線と同じ内容を,別の形で 示している。目盛りが右軸であり,前年に比べて何% 変化したかがわかる。90 年までは平均 4%前後の上昇 であり,第 1 次石油危機のときは 23% も上昇した。90 年からは 0% の線に沿った横ばいで,マイナスの年が 多い。小さな角のように立っているのは,消費税が始 まった年と消費税増税の年である。  高度成長を目指す政府の低金利政策に多少は「抵 抗」しながら,日銀は公定歩合政策をきめ細かく使っ た。結局は 71 年まで金利は緩く下がり,経済は高度 成長し,つれて物価は,不況になると上がり方が小さ くなるが,年 5%程度の上昇を続けた。1 人当たり雇 用者報酬(賃金)は 10%を超えるペースで伸びた (『経済財政白書』の末尾の統計)。実質賃金はかなり 伸びたわけである…産油国から原油を買い叩き,公害 をばら撒きながら。  産油途上国が目覚め,73 年 10 月に原油価格を上げ た。当然ではあるが,突然であり,しかも上げ幅が大 きかった。国内は「狂乱物価」状態になり,人々はト イレットペーパーや洗剤などを買いに走った。  石油ショックの直前,72 ~ 73 年は田中角栄の「列 表 2 公的資金の注入 億円 2018.3. 末 資本増強額 注入開始 返済完了 残額 新生銀行 (長銀) 4,166 1998/3 2,500 三菱 UFJ FG 22,000 1998/3 2006/6 0 みずほ FG (富士・興銀ほか) 29,490 1998/3 2006/7 0 三井住友 FG 15,010 1998/3 2006/10 0 三井住友トラスト HD 7,103 1998/3 2013/3 0 りそな HD (大和ほか) 31,280 1998/3 2015/6 0 あおぞら銀行 (日債銀) 3,200 1998/3 2015/6 0 横浜銀行 2,200 1998/3 2004/8 0 その他とも計 123,809     2,500 資料:『預金保険機構年報 平成 29 年度』

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島改造ブーム」で,すでに公定歩合は 7%に上がって いたが,石油ショックで,さらに一挙に 2%幅上げて 9%とし,これを 1 年 4 か月も維持した。  その間,日銀は迷った。23%もの物価高だから公定 歩合を上げたい。しかし不況で,戦後初めて成長率が マイナス(74 年,- 1.2%)になった。とすれば公定 歩合を下げるべきだ。というわけで 1 年半近く,どち らの政策もとれなかった。  ふつうは好況のときはインフレになり,不況のとき はデフレになる(図 3)。ところが,このときは「不 況 下 の イ ン フ レ 」(stagflation) に な っ た。 こ れ は stagnation(停滞,不景気)と inflation の合成語であ る。  第 2 次石油危機のときは対応が早かったため,公定 歩合を同じく 9%まで上げたが,物価上昇率は前回ほ どでなく,5 か月後には,公定歩合を下げ始めた。  そのころから株価は上がり始めた。地価はさらに前 から上がっていた(土地神話)。その両者が 86 年ごろ から絡み合い,銀行の過剰貸し付けが,それを煽って バブルが生まれた。  前述のとおり 90 年の正月明けにバブルが破裂し, 銀行は不良債権の処理に苦しんだ。成長率・家計消費 支出,消費者物価など多くの経済指標が下落し,公定 歩合も下がり,99 年にはゼロ金利政策が始まった。  01 年,「消費者物価指数が 2 年連続でマイナスに なったので」政府は戦後初めて公式にデフレであるこ とを表明した(01.3.16)。03 年から成長率・株価など が回復し,消費者物価も 06 年にはマイナスを脱した。 日銀は「異常事態」は終ったと判断し,06 年 3 月,量 的緩和を終らせた(ゼロ金利は継続)。それが次頁の 図 4 でマネタリーベース(棒グラフ)が少し減る 06-07 年である。GDP,消費者物価が少し上向いてい る。Monetary Base とは,日銀が市場に供給する日銀 マネーで,発行銀行券+日銀当座預金+コイン流通高 である。  08 年になると景気が不況局面に入った(リーマ ン・ショック)。消費者物価が前年比 1.4%上がってい たので日銀は板挟みになったが,円高・株安であるこ とを重視して,公定歩合・政策金利ともに 10 月,12 月に下げ , マネタリーベースも再び増やし始めた。し かし不況は深刻で,09 年は GDP が -5.4% と落ち込み, 「脱デフレ 至難の業」(09.11.21.)などの記事も出た。  12 年末から安倍政権になり,翌 13 年 4 月,選任 早々の黒田日銀総裁は,誰もが驚いた「異次元」の大 規模な金融緩和策を打ち出した。銀行所有の国債を日 銀が大量に買い入れ,その分,それぞれの銀行の,日 銀への当座預金が増額される。それをどんどん引き出 して企業や家計に貸し出し,設備投資や消費支出を増 やすことを期待したわけだが,それが進まず,日銀当 座預金が増加して眠っている(図 4)。  当初,黒田総裁は「2 年程度で物価上昇率 2%を達 成する」と約束してみせたが,いつまでも物価が上昇 しないので,16 年 2 月から「マイナス金利」を導入し 図 2 消費者物価指数とその変化率(前年比) 資料:総務省統計局『消費者物価指数年報』 図 3 景気と物価の関係 スタグフレーション 数量景気? 好況   ≒   インフレ 不況   ≒    デフレ

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た。日銀当座預金には所要準備額などは無利子,それ 以外は年 0.1% の利子がつくが,16 年 2 月以降の当座 預金増加分については年マイナス 0.1% の利子がつく ことになった。「預けると手数料を取られる」と考え ると分かりやすい。預けないで企業や家計に貸すこと を促そうという苦肉の政策である(16.1.30)。しかし, あまり効果が出ていない(16.8.17)。消費者物価2%上 昇達成時期は 6 回も見送り,ついに 18 年 4 月,達成時 期を定めないことにした(18.4.28)。ギブアップであ る。  日銀がお金をジャブジャブ出しても,図 4 のとおり, GDP は伸びず,物価は上がらず,家計の消費支出は 減る。国民の可処分所得の中央値の半分に満たない人 の割合を示す相対的貧困率も 1985 年の 12.0%から 2015 年の 15.6%へ悪化し(『国民生活基礎調査』),日 本は OECD 諸国など 30 カ国のうちメキシコ,トルコ, 米国に次いで 4 位。良い方の 1 位がデンマークで,ス ウェーデン,チェコ,オーストリア,ノルウェーと続 く(『経済財政白書 平成 21 年度』のグラフ)。

Ⅳ.問題点いくつか

 図 4 のような状況になるのはなぜか。生徒に次の問 題点を投げかける。 ①消費者物価が下がっているのは日本だけである。 表 3 のとおり,米・英・ユーロ圏とも消費者物価は上 がっている。しかも賃金の方がやや大きく上がってい る,つまり実質賃金が上がっている。オーストラリア や韓国なども同じ傾向である。なぜ日本だけ横ばいで, しかも賃金の上がり方が物価よりも小さいのか。「Ja-pan as No.1」とか「北東の奇跡」といわれる成長の 挙句,もの凄いバブルを経験したからなのか,それが どう影響したのか,しなかったのか,私も理解してい ないことを生徒に正直に言い,以下の問題点を挙げる。  むしろ消費者物価が上がらないのは歓迎である。し かし不況は困る。逆 stagfl ation を生み出せないものか。 神武景気が始まったころ,数量景気と言っていたが, 好況下の物価安定であろうか。当時の朝日新聞に連載 「グラフに見る今年の数量景気」が載った。 ②マイナス金利 「経済気象台 破れかぶれノミク ス  …政策効果についての評価がどこにも見られな い…それらに答えることなくマイナス金利に踏み込ん だのは…(16.2.4)」。「量的緩和のカードをほとんど使 い果たした日銀が,新たな緩和手段として賭けに打っ て出た政策である。(社説 マイナス金利 弊害広げ ない方策を 16.3.20)」。  ③日銀は表 4 のとおり,国債を大量に買い込んだ。 日銀は,大量に保有する国債や ETF(上場投資信 託)に生じる損失に備えて引当金を積んでいる(「日 銀 引当金 4500 億円 緩和『出口』に備え」16.5.28)。 図 4 金融緩和と物価・GDP・家計消費支出 資料:『日本銀行統計』,『家計調査報告』など。 表 3 各国の物価・賃金の上がり方(2016/1998) 物価 賃金 日本 99.8 96.7 米国 147.1 151.9 ユーロ圏 135.1 150.7 英国 147.2 169.0 資料:IMF 統計 註:ユーロ圏は 2013 年,英国は 2015 年

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また国債に投機売りを掛けられれば,国債価格下落→ インフレが進む。1,000 兆円の国債残高のうち,外国 政府や海外投資家は 1 割ほど所有しているし,国内の 金融機関でも,売りに出ないとは限らない。  現に,「三菱 UFJ 特別資格返上 マイナス金利で重 荷に(16.7.14)」,「日本国債 財務省 『入札資格返上 は裏切りだ』 三菱 UFJ 銀,マイナス金利に不満(日 経 16.8.7)」などの記事がある。この制度はプライマ リー・ディーラー(国債市場特別参加者制度)と呼ば れ,04 年 10 月に発足した。参加者は,国債発行予定 額の 4%以上の応札が求められ,落札額でも一定割合 の義務がある(「国債入札 特別参加 25 社指定 安定 消化狙う」日経 04.10.2)。この 25 社が 19 年 3 月末に は 21 社に減っている!  ④企業の姿勢・政府の姿勢  まず企業の姿勢を表 5 で見よう。  生徒には,表頭の内部留保(または社内留保)を説 明する。会社の純利益から税金を払い,株主へ配当金 を払い,後は会社の中に貯え,積み立てて会社は大き くなっていく。会社は新株発行(増資)や銀行借り入 れのほかに,このような儲けで大きくなる。  この内部留保がマイナスの年度がある。たとえば 1993 年度は,それまでの残高を 0.7 兆円取り崩した。 配当が減って会社の人気が落ちるのを避けたのである。 その前の 2 年度は,積み立ててある分を崩さずに,新 しく積み立てる額を少なめに抑えるだけで済んだので ある。なお,この表は総合的な状況を示しているので あり,個々の企業によって状況・対処は違う。  以上の説明をして,たとえば 5 分間,表から読み取 れることや疑問などを,席の近い者同士話し合わせ, その後,発言させながら説明する。  a.企業の経常利益は,バブル景気が終わった翌 1991 年度の 33.6 に下線を引くか,○で囲む。その後 は減り,20 兆円台が続く。2002 年からの伊い邪ざ那な美み景 気(いざなぎ伊い邪ざ那な岐ぎ景気は 1966 ~ 70 年)に入ると 増え,30 ~ 50 兆円台に乗せる。08 年度からのリーマ ン・ショックで減るが,2010 年度代には 40 ~ 80 兆円 台に急増する。とくに 13 年からのアベノミクスで目 立って増えるので,13 年度の 59.6 から 17 年度の 83.5 までを一括して丸で囲む。  b.配当金は,2005 年度から 2 ケタになった。下線 を引く。日本の会社に,「物言う」外国資本が入り込 み,配当を増やさないわけにいかなくなった。  c.内部留保は,1990 年度の 12.4 に下線。その後は 1 桁台またはマイナス。いざなみ景気で少し増え始め, 08 ~ 09 年のリーマン・ショックでマイナスになるが, その後は増える。13 年度からは目立って増える。13 年度の 23.1 から 17 年度の 38.1 までを一括して丸で囲 む。  d.最後の従業員給与は,バブルが破裂しても,少 しずつ増え続ける。これは大勢の労働者の賃金である という性格上である。金額も,前 3 者に比べて大きい。 金融危機でも少し増えている。ところが 2001 年度か ら減り始め,130 ~ 120 兆円台になる。2013 年度の 124.4 から 132.1 までの 5 つを一括して赤丸で囲む。前 3 者が増えているのと対照的で,目立つ。振り返って, 90 年度台・2000 年度台より低いことを確認する。  正規雇用者が 98 年から減り始めたことも響いてい る。非正規雇用に置き換えられたのである。89 年に 817 万人だった非正規雇用が,18 年には 2,120 万人に 増えた。そして会社は儲かっても,従業員の賃金を増 やさない。トリクルダウンしないのである。遡ると, バブルのときは,経常利益が増えるにつれて従業員給 与も増えたのである(統計は省略)。  表 5 には,企業のグローバリズム=むき出しの資本 主義が現われている。その企業に癒着し,支える政府 の姿勢は,たとえば次の新聞記事が紹介している。見 出しだけでなく,リードと,いくつかの段落を投影ま たはコピー配布して生徒に熟読させ,話し合わせたい。 「企業の政策減税 倍増 安倍政権で 1.2 兆円 62% 巨 大企業 大企業減税 家計に届かぬ『果実』 研究開発減税 上位 3 社は自動車 企業の大口献金 急増(2016.2.14)」。 表 4 国債所有者の推移  兆円 年度末 内国債発行 残高 (うち所有者) 政府 日銀 市中金融 機関 その他 1985 137 41 4 2013 969 37 183 146 604 2014 998 47 248 124 579 2015 994 6 343 118 528 2016 1,017 4 405 83 526 2017 1,033 7 438 67 522 2018 資料:『国債統計年報』,『日本銀行統計』 註:その他には海外(ゆうちょ銀行,個人,外国政府,海外投 資家など,

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Ⅴ.おわりに…人と地球に優しい経済を

 価値転換が必要である。政府も,企業も,国民も, GDP が伸びればよいという成長主義から,国民みん なが幸せになる経済を目指す考え,つまり SDGs(Sus-tainable Development Goals:持続可能な開発目標) に変わるべきである。SDGs は国連加盟国が 2030 年ま でに取り組むべき行動計画で,15 年の国連総会で採 択された。量・金額を伸ばす時代は過ぎた。分配・格 差・質の問題が大切である。  ①まず財政では,歳入面で所得税の累進度を上げる ことである。かつて最高税率 60%,12 段階だったも のが,どんどんフラット化され,今は最高税率 45%, 7 段階である。この累進度を再び高めるべきである。 株の配当所得などは,金持ちでも 20%の負担で済む 現在の制度を,分離課税でなく,総合課税にするべき であろう。法人税はかつて実効税率(国税+地方税) が 50%程度であったが,40%程度に下がり,安倍政 権になると 30%程度に下がった(2014 年現在。米・ 仏より低く,独・韓より高い。各国間で引き下げ競争 がある)。その他に,さまざまな租税特別措置がある (上記の新聞記事)が,これを大企業優先でなく,中 小企業を支援するものに変えるべきであろう。  歳出面でも,厳しく見直す必要がある。たとえば防 衛関係費など米国の高い戦闘機を買うなどして「5 年 連続で過去最大」にする必要があるだろうか。逆に, 最近問題の統計不正については,関係職員を増やすべ きであろう。「国の統計職員数の推移 2004 年 6000 人 超→ 2018 年 約 2000 人(19.3.20)」。  ②金融では,異次元緩和を早く手じまいするべきで ある(社説「弊害広げない方策を」16.3.10)。いくら緩 和しても株価が上がるくらいで,むしろ副作用が多い。 銀行は経営不振で(「5 期連続赤字 2 割超」19.4.4),各 種年金基金は運営が厳しい。年金生活者も困っている。  ③企業も国民も 高度成長期やバブル期の意識を反 省し,SDGs を目指す。「『新しいものさし』で考えよ う まず,今日の買い物で(17.1.31)」。  「平成期の失敗」もあるがその前の高度成長期の失 敗もあると思う。過ぎてはいけない。スモール,ス ロー,ローカルを意識しよう。大量生産・大量消費・ 大量廃棄ではなく,節約する。省エネ,自然エネル ギー使用。原子力発電をやめる。  大企業のバナナ農園では農薬を飛行機で空中散布し, そこの労働者の健康を害し,土地を破壊し,消費者の 健康を蝕む。安いと,つい買ってしまうが,安いもの にはわけがある。高くても Ethical な,フェアート レードのバナナを買おう。野菜・果物・魚など,なる べく地産地消を心がけ,添加物の無い食品を買う。  生産者と消費者がお互いを思い合う。運送する人の 苦労も考える。過重労働,長時間労働をやめる。下請 けいじめもやめる。『公正取引委員会年次報告』の下 請法違反行為件数を見ると,代金の支払い遅延,割引 困難な手形の交付,買い叩きなどが増え,特にリーマ ン・ショック以後に急増している。下請け→孫下請け へとしわ寄せされていく。担当者の苦悩にも思いを致 し,SDGs を心に留めたい。  なお,生徒には,吉野源三郎『君たちはどう生きる か』(岩波文庫,2018 年)の次の部分を紹介して,わ いわいガヤガヤ話し合いたい。「人間は…地球を包ん でしまうような網目をつくりあげたとはいえ,そのつ ながりは,まだまだ本当に人間らしい関係になってい るとはいえない。…だがコペル君,人間は,いうまで もなく,人間らしくなくっちゃあいけない。…たとえ 『赤の他人』の間にだって,ちゃんと人間らしい関係 を打ちたててゆくのが本当だ」。  以上,書きながら勉強させてもらった。下記の資料 表 5 経常利益・配当・内部留保・従業員給与の推移(1990 年以降) 兆円 資料:『法人企業統計』(金融・保険業を除く) 註:塗りつぶしの行は不況の年。 年度 経常利益 配当金 内部留保 従業員給与 年度 経常利益 配当金 内部留保 従業員給与 年度 経常利益 配当金 内部留保 従業員給与 1990 38.1 4.2 12.4 122.1 2000 35.8 4.8 2.7 146.6 2010 43.7 10.3 8.3 126.4 91 33.6 4.5 8.6 133.6 01 28.2 4.4 -5.5 138.5 11 45.2 11.9 7.2 130.1 92 26.0 4.0 2.9 138.3 02 31.0 6.5 -1.1 136.1 12 48.4 13.9 9.8 128.1 93 20.5 3.7 -0.7 142.8 03 36.1 7.2 4.9 133.3 13 59.6 14.4 23.1 124.4 94 21.8 3.8 -0.2 145.7 04 44.7 8.5 7.0 139.7 14 64.5 16.8 24.4 127.1 95 26.2 4.1 2.7 146.8 05 51.6 12.5 9.1 146.2 15 68.2 22.2 19.6 128.7 96 27.7 4.1 2.5 142.8 06 54.3 16.2 11.9 149.1 16 74.9 20.0 29.6 130.6 97 27.8 4.2 3.2 146.8 07 53.4 14.0 11.3 125.2 17 83.5 23.3 38.1 132.1 98 21.1 4.3 -5.6 146.8 08 35.4 12.2 -4.8 125.8 18 99 26.9 4.2 -2.6 146.0 09 32.1 12.2 -3.0 127.0 19

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や新聞記事をなぞりながら書いた箇所も多い。 参考文献 [1] 浜矩子『どアホノミクスへ 最後の通告』毎日新聞出版, 2016 年 [2] 大和総研『明解 日本の財政入門』金融財政事情研究会, 2016 年 [3] 『最新図説 政経』浜島書店,2016 年 [4] 保坂展人『〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと 世田谷をつなぐ』岩波書店,2018 年 [5] 岡澤憲芙・斎藤弥生『スウェーデン・モデル』彩流社, 2016 年 [6] 野口悠紀雄『平成はなぜ失敗したのか』幻冬舎,2019 年。 本書を早く読むべきであった。

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参照

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