構 成 学
を
基 盤
と し た
フ
ァ ッシ
ョン
・
デ ザ
イ
ン
Fashion
Design on the Basis of“
KOSEI”
常 見 美 紀 子
京 都 女 子 大 学
TSUNEMI Mikiko
Kyoto Women
’
s University1
.
は じ め に構 成 学と ファッ シ ョン
・
デザイン学との関連
を考 察 する前に、
被服 分 野 は 「被 服構 成 学」 と 「被 服意 匠学」 の二 つの系譜が あるということ を周知し て お き たい。
「構成」は
、一
般 的に は英語のCong.
truction の訳で、
建 造、
構 成、
紺み立て という意であ る。
被 服 分 野に おい て 「構成」 とい う名称 が使わ れ たのは 昭和24
年 に新 制 大 学が発 足し、
被 服 学 科 が 設 置さ れた 後で、
「『裁 縫』 が 『被 服工作』 に、
吏 に 「被 服構成学」 に 変わ り、
名称その もの につ い て も新しい」 と記さ れ てい る。
被 服 構 成 学の 名 称は、
ア メ リ カの ClaraM
.
Brown が著し た 『Clothing
Construction
』(1927
年)が ル
ー
ツ である。
被 服構 成学 を 「被 服の 日的に合致 するよ う に、
きものを作っ て着る。
これ が構 成 学の 受け持つ 分 野で あ る」 と定 義し、
「被服 学 が 目標に は 芸 術と科 学と技 術がある の で、
構 成 学におい てもこ の三つが密 接な関 係が あ る。
し か し、
構成学
の第・
歩と し てすべ ての人々 の着る き もの につ い て科 学 的 な 面に重 点を置 き たい」 (傍 点 筆 者)と科 学重視を明 言し た1〕。
一
方、
美 術・デ
ザ イン分野 が 用いた 本来の 「構 成」 に 近い内 容に は、
「被 服意 匠学」 とい う名 称がij・
え ら れ、
衣 服の意 匠・
デザインに関す る学と なっ た。
こ のよ う に被服 分 野 に お け る 「構 成 学 1 は、
美 術・
デ ザイン分 野といく ぶ ん異な る意 味に用い ら れ て き た 経 緯が あ る。
2 .
ロシア構 成主義
の フ ァッシ ョン と テ キ ス タイル20
世紀 初頭には、
様々 な美術 運 動が興 隆し た。
そ の 中に あって、
ロ シ ア構 成卞義は抽 象形態によって 創り上 げる新 しい造 形 運 動で、
後世の 芸術 運 動に重 要 な 影 響を与え た。
創 始し たの は 彫 刻家で 画家のウ ラ ジ ミー
ル・
タ トリ ン (Vladimir
Tatlin
1895 一
ユ953
) で あ る。1914
年、
彼は新し い造形実 験と して金属や 鉄 線 プラス テ ィ ッ ク 片な ど工業 材 料を寄せ集めた 抽 象彫 刻 「コー
ナー ・
レリー
フ1 を 発表、
その 作品 の 説 明 に 「構 成」 や 「構 成 的」 とい う言葉を用いた。
その後、
ロ シ ア革 命 前に タ ト リン、
マ レー
ヴィッチ、
ロ ドチェ ンコ ら が、
自らの抽 象 造形運 動を 「構 成 主 義」 と呼び、
運 動 を展 開した。
運 動は1920
年 代に は い くつ かの グルー
プに分裂 し た が、
般 的に構 成 主 義は抽 象の究 極の 目的で ある機 能 主 義と功 利卞義を 支 持し ていた
。
革 命 後、
構成 主義 者は 1イー
ゼル絵
画 か ら、
生活へ 」 と芸 術 家た ち も芸 術のため の芸 術 を探 求 するのでな く、
1生活に有 用な もの を 生産す る」 と し て生産主義を 主 張 した。
構 成主義は、
現 代 的な 素材と明 快なデ ザインを養護 した こ と が、
機能 主義 の美 学に力を与え た。
ロ シ ア構成 主義のさ まざま な
デ
ザイン活 動 は、
革 命後の経 済 的困窮の 中で多く は未 完に終 わっ た。 数 少 ない成 功 例と し て女流画 家リュー
ヴォ・
ポ ポー
ワ (Lj
ubov Popoval889−1924
)とヴァル ヴァー
ラ・
ス テ パー
ノ ワ (Varvara
Stepanova
1894−
1958 )の テ キ スタ イ ル とフ ァ ッ ショ ンが 注 目さ れ た。
彼 女ら は、
国 立第一・
捺 染⊥場 (旧ツ ィ ンデリ工場 )で1923 年 か ら24
年にか けてデ ザイ ン活 動に従 事し、
150
種 類 以 ヒの構成的なテキス タ イ ルデ ザイ ン を行った が、
工 場 生産さ れ たのはわ ずか24
種 類 (図1
)であっ た2)。
そ れ に先立 ち、
ポ ポー
ワは、
メ イエ ル ホ リ ドの唱 え る ビ オ メハ ニ カと構 成 主 義が結 合して最 初に成 功し た 舞 台 『堂々 たる コキュ 』 (1922
年) で、
演 技 者 す べ て に 首 元 に赤い玉房がつ いた青い作 業 着 (プロ ゾ ジェー
ジ ダ)を着 用させ た (図2
)。
こ の青い作 業 着 は、
労 働者を表 象する記号と し て欧 米に広 まった。
ナデー
ジュ ダ・
ラマ ノワ (Nadczda Lamanova1861−
1941
) はロ シア最初の フ ァッ ションデザ イナー
と さ れ、
革命 前には ブ ル ジョワ相手 の ク チュー
ルデ ザイ ナー
であっ た。 革 命 後は構 成主義 者と なり、
構 成 埋 念に よ り衣 装をデザ イン し た。1925
年パ リ現 代装飾 工業)術国際 博 覧 会におい て、
彼 女が デ ザ イン し たtt2 SPECIALISSUEOI
厂
」SSDVol、
tONe.
420 (B デ ザ イン学 研 究 特 集 号}皿 叩 『
一
欄一
調
’
!i 図1撫
図2ハ 「ロ シ アン スタ イル」 (図
3
)が グラ ンプリを獲 得し た。
それは プロパ ガンダと し て ロ シ ア民 族衣 装サラ フ ァ ンを 発想源 と した、
シ ャー
プで簡 潔な幾 何 学形 態の シ ルエ ッ トで あっ た3〕。一
逋の構成 的 な幾
何学 的 模 様の テ キスタ イ ル や明 快な シルエ ッ トは斬 新で、
パ リ モー
ドに影 響を与え たn3 .
バウハ ウス と織 物工 房19
.
19
年、
バ ウハウスは創 設さ れ、
ロ シア構 成 卞義 の 形態の抽 象 化や造形方法 を 受 け継い だ。
基礎 造 形 教育 と しての 予 備 課 程では、
造形 を 形態、
色 彩、
材 料、
テ ク ス チ ャー
の要素に分 類、
そ れ ぞ れの 特 性と その 造形の 可 能性を、
さ ま ざまな材 料に よ る触 覚訓 練やテクス チュ ア によ る実 習を 通 して造 形の理論や 某 本原 理 を学 ばせ た。
最 初に担 当し たヨ ハ ネス・
イ ッテン は、
「触感 覚を 発達さ せ るこ と は、
すべ て の 繊 維 工 芸の研 究 家に は基 本 的に最も重 要 なこと で あ る」 4) と述べ、
こ の演 習に 関 し て 「バウハ ウス で私は多 種多様な繊 維 裂 品を触 覚 的に識 別するた め に、
彩色 に 従 っ て体 系づけた膨 大な 染織見本 帳を製 作し た。 学 生たちは そ れ らの織物の 切端を、
目を閉じ て指 先 だけ で識 別し なければ ならないの で ある。
短期 間の こ の訓練の後に、
触 感 覚 は驚くべ き程 度に発 達 する もの で ある こと が判明 した。
私は そこで各種の材 料 に よる コ ン トラス ト効果 を学ば す た めに布 片 材 料の 貝’り合わ せrl辰 をつ く らせ た。
その頃は、
材 料の コ ン トラス トの 効 果が つ く り出す、
そのよ う な創 作 的 学 習 は 全 く斬 新 奇 抜な も の で あっ た」5〕と 回顧 し た「
=
”’一一
口3 (図4
)。
イ ッ テ ンの 多 種多様な材 質を触 覚 的に認識 させ る材 質 演 習や テク ス チ ュア重 視は、
微 妙な材 質 感の違 いが造形的な効 果を生 むテ キス タ イル やフ ァ ッ シ ョ ン分野に新 機 軸を も た ら し た (図5
)。1923
年 春、
イッテ ンは グロ ピ ウス と の教 台理念に関す る 意 見の対立か ら バ ウハ ウスを去っ た が、
その 後イ ッ テ ン・
シュー
レや繊 維⊥芸学 校な どで繊 維⊥芸 デザ イ ナー
を育 成し た。
織物コ「房 で制 作さ れ た織 物は
、
近 代 絵画の形態言 語と色 彩 言 語によっ てさ ら に豊か に なっ た。
その う え 手 織機での 右想 過 程と制 作が一
L業 デザ イ ン に も 応 用 さ れ、
新しい生 地の 開 発 は工業との密 接な共 同の も と に行わ れた。 織られた布は 「 バ ウハ ウス布地」 と呼 ばれ、
企業 が定 期 的にデザ イン を買い ヒげた (図6
)。
1925
年の ワイマー
ル の織 物工房に お ける作 品 及 び所 有 権目録に は、
多くの繊 維 素 材に よ る作 品一
ド レス、
子 供 服や服 地、
スカー
フを含
む一
が掲 載さ れて いた6)。
4 .
新 建 築工 芸学 院の構 成 教 育 と洋 裁 科口本で は
、
193
〔〕年バウハ ウスに 留学した水谷 武 彦 が帰国 し てか らバウハ ウス の造形教 育が に わ か に脚 光 を浴びた。
「構 成」 と い う言 葉は、
水 谷が ドイ ツ語 のゲ シュ タル ト (GcstaltUllg
)の日本語 訳 として 用い た こ と か ら般 に普 及し た
。
建 築 家川喜田煉七郎は1931
年生活 構 成研究 所を創設 し、
水 谷と と もに 「生 活 構 成 展 覧 会」 を 開 催 し た。
展 覧 会に は水 谷が 設 計 し た鋼管家具、
お よ び川 喜田の ウ ク ラ イ ナ 劇 場の モデ ザ イン学 研 究 特 集 号 SPECLAL
ISSUF
.
OF
ISSD
Vol ]ONo
.
42〔}03・
〕3図4 図5 デル やバウハウスの組織図
、
ナギや クレー
等の版 画 や肉 筆が出 品さ れた。
さ ら に水 谷の指 導に よ る構 成 基 礎 教 育の作 品一
触 覚 板や穴を開けた紙 糸の スパ ヌン グ練 習一
も展 示、
バ ウハウス教育の 全貌と その 成 果が具 体 的に 示 さ れ た。
川喜m
は1933
年5
月に 「銀 座・
新 建 築工芸 学 院」 (〜1935
年 12月 ) を 設 立し た。
ちょ う どバ ウハ ウスか ら山 脇 巌と道 子が帰国、
夫 妻は講 師と し て招かれ、
本格的 なバウハ ウス シ ス テ ム の教育を開 始し た。
桑沢洋子 は女 子 美 術 専 門 学 校 (現 女 子 美術 大学) を卒 業し た後にこの学
院
に 人学 (1933
年5
月)、
当該
学期が カ リキュ ラ ム が もっ と も充 実し てい た。
桑 沢 入学 時の学生作 品が 「構成教育 に 関する記録1 〜
3
」に掲 載さ れ ているη。
学 校 案 内によると、
その一
学 期 (3
ヶ 月隔凵)の 教 育 内 容は、
平 面的抽 象構成 1、
人体の単 化、
平 面的抽 象構 成H 、
単化文 字練 習、
フ ォ トモ ン ター
ジュ 練 習、
材 料によ る立 体 的 抽 象 構 成 練 習L
材 料による立 体 的 抽 象 構成練1i
lr
、
ウ ィ ン ドウ設 計・
舞 台 設 計という9
つ の段 階に分か れ、
順 次 学ぶ。
その基 礎 教 育の全体を貫く縦 糸が、
単 化 練 習、
横 糸がシュ パン ヌ ンク で あっ たS〕。
しか し、
川 喜田は 「構 成教 育とは丸や、
四角や、
三 角 を な らべ る事では ない。 一
中 川各一
我々 の 凵常の生 活の極く あ りふ れ た、
極く卑近な事を充 分取 り出し て 見て、
そ れ を 新 し い 目で見なほして、
鑑賞し た り、
作っ た り す る上の コ ツ を掴み と る とこ ろ の教育、
そ れ が構 成 教 育であ る」 と 説 明 し た9〕。
現 実に教 育 界か ら注口 さ れ たの は抽 象 構成 だっ た が、
川喜田 は自然研 究、
社 図6 会 研 究とい う 領 域 ま で拡 大し た現 在のデザ インに近 い 「生産 構 碗 の概 念を想定して いたlU)。
学 院は
、
33
年は 基 礎教 育科だけであった が、1934
年1
月 か ら7
月までは、
構 成 教育 科、
洋 裁 科、
織 物 科、
建 築 科、
絵 画 科、
演 劇講 座の6
科に編 成し直した。
全 科 を貫く技 術の根 底は構成 教 育 に あるの で、 6
科 は 並 列 せず構 成 基 礎 科を学んだ 後に、
各科に進む よ う に改組さ れたIDu こ の改 組の 特 色は、
構 成 教 育を 女 性に適用 す る試み と して、
洋 裁 科と織 物 科が 昼 に 開 講さ れたことで ある。
織 物 科で は バ ウハ ウ スで学 ん だ 山脇 道 子が、
洋 裁科では ア メ リカで裁 縫 手 芸を 習 得し た景 山 静 子が教 授した12〕。
洋 裁 科の 募 集には 「こ こ では機 械 的な 『ワ リダシ 』」 は一
切や り ません。
マ ネ キン に直接ハ トロ ン紙や材料 その もの を かけて 裁 断し ま す。
し か も、
どなたにもできる方 法で、
こ こでは 日本 人の体 躯に合わ せ て 色 や材 料を自 由に組 み合わ せ な が ら、
ズンズン新しい スタイル が出 来る システムを工丿くして居り ま す。
スタ イ ルブッ ク は そ の ま ま我々の服 に は決し てな り ませ ん。
と も か く、
日木の洋 裁 学校で い ま ま で や ら な かっ た 『デ ザイン 』 と創 作 的な 裁 断 法 が本 洋 裁 科の主な学 科で御座居ま す} と教 育 方 針を 力説し た1:t}
。
当 時の 洋 裁 教 育の 卞 流で あっ たワ リダシm で な く、
立 体 裁 断を採 用した の は、
ワ リダシ に よ る平 面 製 図に 比べ て、
立 体 裁 断 は自在に 衣 服 を創 作できる利 点が あるか らだ、
その 教 育は スタイル ブッ クの 模倣では なく、
色や材 料を 組 み合わ せ てデザインし、
立 体 裁 断に よって 衣服を つ くる と い う、
当時としては 珍 し く時 代に先 駆けて 54 SPECIALISSUEOF 亅SSD 〜厂
〔,1.
tONo.
42()()3 デ ザイ ン学研究 特 集 号一
〔イ ) 静 止した 形 ∩
一
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蝋
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ラ シ ヤ 爪綿
繽
躙勉
. 1矚 図7 図8 図9 いた。
洋 裁 科は7
ヶ 月とい う短い 期 間の開 設で あっ たた め、
関連の記述は き わめ て 少ない。
唯一・
、
『構成 教育 体 系』 におい て 「洋 裁の話」冊 と して巻 末に掲 載された。
そ れ は建 築 雑 誌 『件 宅』 に掲 載さ れ た 「日本の 女性と洋 装」]6)と同じ執 筆 者 「東京 銀 座・
新 建 築工 芸学 院 洋 裁科高見 洋 子1 で あっ た
。
内 容は 構 成の基 礎を も とに、
シュ パ ン ヌ ングに よ る人 体 プ ロポー
ションと 服飾 デ ザインの関 連を解説 している。
H
木人女性の 人体プロ ポー
シ ョンを9
分 類し、
異な っ た体型3
人 はスタ イ ルブッ ク その ま ま、
も う・
方 はシュ パ ンヌ ングをも とに修正 し た衣 服を着用 させ た。
切 り替え位置の変化 や削 除によっ て、
シ ュ パ ン ヌ ングが変 化し、
静止 した形 (イ)や動き のある形 (ロ)に変 容さ す (図7
)。
し か し抽 象絵画の造 形 埋 論を、
安 易に服 飾デ ザイン に結びつ けて い る感が拭 えず、
後 年 桑沢の批 判の対象と なった]7}。
次の8
月 号 に は 「新しい洋 装のデ ザ イン 」 と題して、
「羅紗、
木 綿、
絹と い う3
種の異 なっ た材 料を 『ツー
』 とい う感 じ に並べ、
ザラザラか らツルツルの 感じに動い て い る よう洋 装で も配置 し て み る よ い 」 と、
マ テリ ア ル シュ パヌ ン グ につ い て書 か れている (図8
)。
ま た、
同・
デ ザ インを様々な材 料でつ くる と同 じデ ザ イン で も異な る感じ に表現 で き、
如 何 に材 料が 重要 で あ る か を図に示し、
説 明して い る (図9
)。
新 建 築一
「芸 学 院の洋 裁 科が、
当時の裁縫 中 心の洋 裁 教 育とは 異 な り、
デ ザインを 市視し た教 育を行っ て いたの は注日 すべ きこ とであっ たn5 .
日本におけ る 服飾界 と の 関 連 囗本の 服 飾 界に お い て構 成の 洗 礼を受 けたのは、
田中千代、
伊 東茂平、
桑 沢 洋 子の3
人であ る。
日本 の 主要な原型一
文 化 式、
ドレ メ式、
出中 式、
伊 東 式、
桑沢式一
の うち、 3
つ を 占 め、
日本の服飾界 も構成 と 無関係で は な かっ た ということ ができ よ う。
出中千代 (tgO6 −1999
)は、
日本最初の ファ ッ シ ョ ンデザイナー
と さ れて い る。
田中は、23
歳の時に チュー
リッ ヒの バウハ ウス派 で あ るハ ス ハ イ工教 授 の主宰する 「流 行と衣 装の学 校」 で、1930
年4
月 か らL2
月 まで教え を 受 け た。
ハ スハ イエ は元ベ ル リン の美 術 学 校の 教 授で、
オペ ラ の衣 装 作 者と して も有 名であっ た。
その 後、
ハ ス ハ イエ 教 授 に イッテ ンを 紹 介され、1930
年12
月か ら短 期間 イ ッテ ン・
シュー
レで学んだ。
こ のパ ジャ マ ドレ ス (図10)は帰 国 後 に デ ザインし た もの で、
構 成の造形理 論をフ ァ ッ シ ョン に生か し た斬 新なデザ インで、
大胆な分 割を施 し、
無 地 とス トラ イプ を構 成 的に配して い るis)出中 はパ リ仕 住 時には藤田 嗣 治、
凵木 で は 小磯良平ら と 交流、
常に前 衛 的な芸術 環 境の中に身を 置いた。
伊 東 茂平 (
1898 −1967
) は、
近代 的な考えの 持ち 主 で、
服飾 デ ザイ ンと造形の基 礎および 要素と の関 連を追 及しようとし て いた。
1934 年 に、
川喜田煉七 郎の構成教育 に 興味を示し、
講 師と して虎ノ門の イ ト ウ洋 裁 研 究 所に招いた。
その とき 同行し たのが 桑 沢 洋 子であっ た。
伊東洋 裁 学 校 で 材質 演 習と して行 っ た 異素材の 布の デッ サンが 『構 成 教 育 体 系』 に掲 載さ れ、
洋 裁 学 校に はじめ て構 成 教 育が導入 さ れ たデ ザイ ン学研究 特 集号 SPEcrixL【ssuLoF
,
rssD Vol.
10]lo.
42003 5…5図10 図11 pLame
←
E ×PR ヒ5310N亠
:
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ゴ
ち
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尋 櫛鱶
・
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’
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.
ひ、
図12 こと を 示 し てい る。
伊東は、
戦前にすで に 人 間 工学 的な観 点か ら独 自の製 図 法を研 究し、
凵本 人の体 型 に合わ せ た 立体 製 図を 完 成 し た。
その立体製
図の理 論 体 系は伊 東 式と し て教 育の場で広く普及さ れ応 用 さ れ、
婦人服生 産技 術の基 礎 と なっ た19。
桑 沢 は 東 京 社 (現 婦人 画報 社 )を退 職し た1940
年に、
伊 東に 師 事して数ヶ月 間製
図 を学ん でいる。
6
.
桑 沢デ ザイ ン 研究所 の構 成 教 育と ドレ ス科 実 際に構 成 学を基 盤と した 服 飾 教 育を行い、
構成 教 育をシ ステ ム と し て確 立 し たの は、
桑 沢洋了一
(1910 −1977
>である。 先 述し た よ うに、
桑沢は戦 前 に 川喜出煉七郎の新 建 築工芸学 院で構 成教育 を 学 ん だ2ω。
その後、
川喜出の紹 介で 『アイシー
オー
ル』 や 『住 宅』 の取材記者や 『婦人 画報』 の 編 集 者を経 て、
デザイ ナー
と なっ た2D。
戦 後
、
桑 沢は、
野良着の改 良や仕 事 着のデザ イン に従 事した。
昭 和29
(1954
) 年、
念 願の桑 沢 デ ザイ ン研 究 所を創設、
ド レス科 と リビング デ ザイ ン科を 設 置 し、
構 成 教 育を幕 盤と した デザイン教 育を開 始 し た。
当時は洋 裁 ブー
ムの最 中で あ り、
研 究 所は 圧 倒 的に ドレ ス科の 学生が多く、
初 期の 構成 教 育 は ド レス 科へ 影 響 を与え た。
高 橋正 人 (1912 −2000
) は 東 京 教 育 大 学構 成 専 攻の 教 授で あっ た が、
デ ザイン 教 育に構 成 学が不可 欠 で あ る と 誘 わ れ創1「
1/時か ら携 わっ た。
ニ ュー
バ ウハ ウス 出 身の写真家、
石 元 泰 博 は その経 歴を 買われ、 2
年 日か ら構 成 教 育を担当、
ワラ 半 紙に点 を つ 自 由に打て と い う既 製の 概念に と らわれない演 習を行 うと と もに、
教 育の形 骸 化を 防ぐ た め に内容を変え てい た とい う。
真鍋一
男は 設 立 時か ら、
高 山正喜 久は4
年目 か ら加 わった。 高 山 は桑 沢か ら、
構 成の授 業は服 飾に直 接 結 びつ か な く も よ い の で 発想 教 育と し て自 由にする よ う に と、
指 示 さ れ た。
石 山 彰 は、
女 子 美術や杉野で服飾の デ ザ イン を教 えて いた が、
桑 沢 デザイン研 究 所の創 設 時 よ り参 画 し た。
彼 は 東 京 美術学校学 生時に、
直に水 谷 武 彦か ら 「構 成 基 礎」 の授 業を受け た。
昭和29
年 に お茶の 水女 子 大学へ 移っ て か ら は 「被 服 意匠学」 を受け持 ち、
服 飾のデ ザイン の理 論 構 築に力を注い だ。
石山 は 「意 匠 力と は元 来 組 織力 なの で あっ て感 覚と理論と技 術の一
体 化に よっ て生 ま れる 」 9t2)と 述 べ、
被 服 意 匠 学 を体系 化 した 「服 装の ため の意 匠 学 は どのよ う に して 成立つ か ? 」 (1953
年) を 作 成 し た (図11
)。
円の中の美 的形式 原 理、
造形要 素 (色、
形態、
素 材)、
デザ インに影 響を与え る事柄 が 理 論 で あ る。
そ れ ら を有 機 的に統 合 化する のが感 覚であ り、
次に表 現 (平 面か ら 立体の間に ) し、
機能 性と審 美 性 を 考慮し て製図・
立体 裁 断の技 術によっ て、
衣服 を作り 上げる、
とい う課 程を図に示 した。
こ の体系 は バ ウハ ウス の造形理論を基に、
フ ァ ッ シ ョン・
デ ザインの特質 を加え、
発 展させ たもの で、50
年 前に も関わ らず普 遍 性 が あ り、
いま な お新し い。桑 沢 自身は直接 的に は構成 教育に 関 与 せず
、
構 成 を基 盤と するデザ イン教 育シ ス テ ムを オー
ガ ナ イ ズ する に と ど め、
服飾に関する 理論や感覚や技術 を 教 授 し た。
と りわ け機能 主義 者の 立 場か ら30
数 年にわF
,
6 SPE⊂IAHI SUE OF.
ISSD V〔,110No.
420e3 デ サ イン学 研 究 特 集 号た り原型 を 研究し た瀰
。
研 究 所で のデ ザイ ン教 育に 加 え、
デ ザ イ ナー
と し て仕 事 着や 既製 服のデ ザイン に、
構 成の概 念を取りい れ た。
活 動 全 体を見 渡し、
桑 沢の代 表 作は亡く な る直 前ま で改良 を 重 ね た 日本 石油の サー
ビスマ ンユ ニ フ1−一
ム である といえ る。
なか で も1973
年 版男 子の 整備服 (図12
)は昭 和47
(L972
)年か ら平 成 元 (1989
) 年まで の17
年 間、
モ デル チ ェ ン ジ無しで継 続 着 用さ れた。 こ の整 備 服は オー
バー
オー
ル 形式で、
紺とrl
の ス トライプ柄で あ るた め錯 視 効果 に 優 れ汚れが 目立たず、
美 的に も 機 能 的に も良い デザイン で あっ た2’
1.
)。
ロ シ ア構 成 卞 義 者 ポ ボー
ワが 作 りだした労 働 者の記号プロ ゾジェー
ジダは、
日本で も作 業 着と し て 受容さ れ、
生 活の 中 に 定着していったの である。 7.
おわ りに 「構成」 と い う言葉はロ シ ア構 成主義か ら使わ れ始 め、
それを引 き継いだ バウハ ウス は、
「構 成」 とい う 概 念を、
予備課程の墓 礎 造形教育の 中で 展 開し、
次 第 に造形文 法の学と して体 系 化して いっ た。
戦前に 「新 建 築T .
芸学院1 で行な わ れ た構成教 育は、
日本流 に解 釈さ れ な が ら も一
般 教 育の中に浸 透し て、
戦 後 の造形教 育の主巾山と なっ たm こう し た構 成卞義の展 開の中で形 成さ れて きた造形文 法 「構 成学」 と と も に、
ファ ッ ショ ン の造形 理論も確立 さ れてき た。
特 に、
H
本におい て伝 統の無かっ た 洋 服 に関して は、
構成 学の 理 論 を 基 に展 開せざるを得 なかっ た という 事 情 も ある。
ともあれ
、
構 成学 を 基盤と したフ ァ ッ ショ ン・
デ ザインは、
その基 盤が普 遍 性を有 し てい る ゆ え に、
今後も、
卜分な 発 展、
展 開 が 可能で あるといえ よう。
1)水梨サ ワ子 :被 服構 成 学、
柴田書 店、
39、
昭和31年 2) 拙 稿 :ヴァ ル ヴァー
ラ・
ス テバー
ノワ のデ ザ イン 1920年 代の テ キスタイルとファ ッ ショ ン を中心 と す る一
、
日本 服 飾 学 会 誌 18号、
1118、
1999 3) 拙 稿 :<ロシ ア ン ス タ イ ル> 1920年代 ナ デー
ジ ュ ダ・
ラマノ ワ の ファ ッ シ ョ ン・
デ ザイ ン.
、
日本 服 飾 学 会 誌17号、
159167、
1998 4)ヨハ ネス・
イッテン :造形芸術 の 基 礎、
美 術 出版 社、
58、
1970 5)ヨ ハネス・
イッテ ン :前掲 書、
57 6>ハ ン ス・
M・
ウィ ングラー
編 著 :バウハ ウス、
造 型 社、
108−
109、
1969 7) 銀 座 新 建 築工芸 学 院の 教 課 につい て、
建 築工芸 アイシー
オー
ル第3巻 第4号、
69、
1933 8) 川 喜田 は 「諸君 は 既 に 抽 象 構 成 の 最 初 に 於て物 象に対 する単 化 練 習 を試み た筈で あ る。
こ の 単化 練 習こそ 構 成 教 育 を一
貫し て いく 所 の 縦 糸 で あ る」 (出 典 ) 川喜田煉七郎:シュ パ ン ヌン ク、
アイシー
オー
ル第2巻10号、
10、
1932 9)川喜田煉七郎・
武 井 勝 雄 :構 成 教育大 系、
学校 美 術 協 会 出版 音β、
1、
1934 10) 拙 稿 :川喜田煉 七 郎の構 成 概 念につ い て 生活 構 成と 生産 構 成一
、
日本 基 礎 造形学 会 論文 集11号、
914、
2002 11) 生 徒 募 集、
ア イ シー
オー
ル1934年1月号 12)「洋 裁の実 際に は ア メ リ カ モ ン テベ ロハ イスクー
ル、
ロサンゼ ル スカレー
ジ裁 縫手芸科 を 卒 業 さ れ た景 山 静 子 女 史」、
(出 典 ) 洋裁 科4日 間 の 経 過 報 告、
ア イ シー
オー
ル1934年3月 号、
45 13)1934年B期研究生 募集 ア イ シー
オー
ル1934年4月号、
76 14) 人 体 計 測 し た 寸 法 か ら 計 算 して、
各 部 分の寸 法を決め て製図 する方 法 15) 川 喜田煉七郎・
武 井 勝雄 :前掲 書、
506−
509 16)日本の 女 性 と 洋 裁、
住 宅、
1934年8 月号、
138140 17) 桑沢 洋 子 :ふだん着のデザイ ナー、
平凡社、
44、
1956 18)1932年力ネ ボウ サー
ビス ステー
ショ ン (心斎 橋 )の シ ョー
ウ ィ ン ド用.
,
思 う よ う な布が 見つ から ず田中 自身 がアッ プ リケ な どに よって 柄 を 製 作 し た。
19) 桑沢 洋 子 :故 伊 東 茂平先 生 を偲ぶ、
桑 沢 洋 子 随筆 集、
昭 和54 年11月、
95−
99 20) 拙 稿 :桑 沢洋子 と新 建 築工芸 学 院の 「構 成 教 育」、
日本 基 礎 造形学 会 論 文 集10 号、
43−
50、
2001 21) 拙 稿:1930年 代 の 編 集 者 と して の桑 沢洋子の活 動、
日本 デ ザ イ ン学 会誌 テ サ イン学研究特 集 号 「フ ァッショ ン・
テ ザ イ ン 学 に 向 け て」、
第9巻4号、
31−
38、
2002 22)石 山 彰 :服飾 意 匠、
光生館、
1、
1968 23) 豊 田 高 代 編 著 1 桑 沢式 原型の 変 遷1948年〜
1985年、
光 陽 出 版 社、
1994 24) 拙 稿 :日 石 サー
ビス マ ン のため の ユニ フォー
ムテ サ イ ン、
デ サ イ ン 学 研 究第48回研 究 発 表 大 会 概要集、
20.
21、
2001 図版出 典図1) Tatiana Strizhenova:SQviet Costume and Textiles 1917
−
1945
,
Flammarion,
146,
1991図2) Lidya Zaletova and others :Revolutionary Costume
,
RizzoPPublications
,
116,
1989図3) Tatiana Strizhenova:[bid
、
,
81図4) ヨハネス
・
イッ テ ン :造 形芸 術の基 礎、
美 術 出 版 社,
62,
1970図5)Hans M
.
Wlngler:The Bauhaus,
The MIT Press,
545,
1978図6) Hans M
.
Wingler:ibid.
,
464図7) 日 本 の 女 性 と 洋 裁
、
住宅、
1934年8月 号、
139 図8,
9) 新しい洋 装のデ ザ イン、
住 宅、
1934年9月 号ws、
201 図10) 大阪 神 戸 の モ ダニ ズ ム」展 カ タログ、
兵 庫 県立近代美 術 館、
88、
1985 図11)石山彰 :テ キ ス トNO 1、
1、
1953 図12) 日本 石 油 株 式 会 社 :日 石 サー
ビスマ ン・
ユ ニ ホー
ムの し お り、
昭和48年3月10日 発 行デサ イ ン 学 研 究特 集 号 SPECIA 凵 SSUE OF 」SSD Vo]