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印象に残る7つの論文

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Academic year: 2021

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はじめに

 京都大学大学院農学研究科の大学院博士課程を中退して 大阪府立放射線中央研究所(大放研)に就職してから 40 年が経った.この間,農林水産省関係などの大きな研究プ ロジェクトに参加することもなく,私が専門とする植物育 種学,植物生理遺伝学の分野で,自分で企画した研究テー マを自分で解決するというスタイルの研究生活を大放研と 滋賀県立大学で過ごしてきた.このような研究スタンスの ため,実験の規模は限られたが,ほとんどすべての研究を 自分で企画し実行できたことは,非常に恵まれた研究生活 であったと言ってよいだろう.私には小規模であってもユ ニークな研究を行いたいという意識が学生時代から強かっ た.個人で企画し実施する研究は自己満足に陥る危険性を 伴うことを自覚し,それを回避するために研究に直接関係 する文献を読むだけでなく,自分の研究分野以外の情報に もできるだけ目を通すよう心掛けてきた.私は研究生活の ほとんどの期間を片道 1 時間半以上の通勤をして過ごして 来たが,通勤途上で読んだ種々の専門分野以外の書物も貴 重な研究基礎になったと思っている.  振り返ってみると,私の研究生活に節目をもたらしたい くつかの思い出の論文がある.ここではその論文がなぜ節 目になったのかを,私の研究生活をふりかえりながら書い てみたい.この一文が若い人たちに研究の面白さを伝える ことに役立つのなら,私の望むところである.

印象に残る読んだ論文

1. Nilan RA, Sideris EG, Kleinhofs A, Sander C, Konzak CF (1973)Azide − a potent mutagen. Mutation Research 17:

142− 144.  大学院でラッカセイとイネを材料として突然変異の効率 的な誘発方法の研究に取り組んでいたが,縁あって大学院 博士課程を中退しプロとしての研究者生活を大放研で始め ることになった.当時のこの公立研究機関では行政の施策 に基づく研究課題はほとんどなく,個人(あるいは数人) 単位の研究が行われていた.配属された研究部には大学の 研究室の先輩である井上雅好氏がおられたが,私は学生時 代からの研究意識を実現したいと思い,入所したてでも自 分の研究テーマを探すことになった.個人研究といえばい かにも研究者の主体性が活かされた理想の研究のようであ るが,実際は乏しい研究費で,規模の小さい実験しかでき なかった.低予算で行えるユニークな研究を探すために文 献を読み,自分で実行可能と思われる新しい研究のネタを 探した.放射線植物学分野と縁の深い Radiation Botany や Mutation Research といった突然変異関係のジャーナルの最 新号が図書室に来るのを待ちわびる日々であった.当時の 大放研では動物分野でマウスやラットを実験材料とした放 射線障害とその修復に関する研究が活発に行われており, 井上氏は植物を用いた放射線生物学に取り組んでおられた が,私はやはり育種にこだわって栽培植物を材料とした突 然変異の誘発と突然変異体の利用研究を行いたかった.と いっても,植物に放射線を照射して後代に生じる変異を調 べるだけの研究は当時でも時代遅れであるという認識は 持っていた.  そこで見つけた論文が標記のものである.azide(sodium azide,アジ化ナトリウム,NaN3)とガンマ線の相乗効果に 関する同じ研究グループの論文もほぼ同時期に Radiation Botanyに掲載されていた(Sideris et al. 1973).NaN3とい

う物質が突然変異原であるという話は聞いたことがなかっ たので,とにかく NaN3をオオムギの種子に処理してその 効果を調べることにした.ポイントは pH3 の緩衝液を作っ て NaN3を溶かせることだけだった.  オオムギにおける NaN3の突然変異誘発効果は標記の Nilan et al.(1973)の論文に報告されている通りであった ので,追試データであったが 1975 年春の日本育種学会で 口頭発表した.それまで学会発表の経験はあったが,自分 で企画した実験計画を実行し,得られた結果を発表するの は初めてであった.27 歳の遅い学会デビューであった。 驚いたのは,作物に対する化学突然変異原の効果に関して 多くの実績のある O 先生が,NaN3の効果は確認できなかっ たという講演を同じセッションで準備されていたことであ る.O 先生は私のあとに発表されたが,講演要旨に記され ていたものの NaN3についてはほとんど触れられなかった ことを記憶している.NaN3の突然変異誘発効果に関する 私の発表は,追試であったが日本では初めての報告となっ た.乏しい予算の,しかも個人だけの研究でも,日本の先 頭を走れるテーマを得たという自信は大きかった.学会発 表後数年間はオオムギのほかにイネも実験材料に加えて, 様々な処理方法を検討して NaN3の突然変異誘発効果を調 べる日々が続いた.成果が論文になるまで少し時間を要し

印象に残る 7 つの論文

Seven impressive papers in my 40 years research activities

長谷川 博

滋賀県立大学環境科学部(〒 522 − 8533 滋賀県彦根市八坂町 2500)

2013年 1 月 17 日受理

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たが(Hasegawa and Inoue 1980a),イネでも NaN3がアル

キル化物質なみの突然変異誘発効果を示すことを明らかに した論文(Hasegawa and Inoue 1980b)はその後の突然変 異関係の論文に多く引用された.ジャーナルに掲載された 後に届くリプリント請求を待つのが楽しい日々であった. 当時の日本と研究交流が少なかった東欧諸国やアジア・ア フリカの開発途上国からの文献請求の葉書に貼られている 切手を集めて楽しむことができた. 第 1 図 アジ化ナトリウムの突然変異誘発効果に関す る Mutation Research に掲載された論文のコ ピー.  このように標記の論文はわずか 3 ページの短報である が,私にとっては私が研究者として過ごせたきっかけに なった最重要論文である.残念だったのは日本の植物育種 学の教科書の突然変異育種の章をみると,1990 年以降に 発行された著作であるにも関わらず,突然変異原として NaN3が無視されていたり,高毒性で 1970 年代中頃には入 手不可能となったエチレンイミンが記載されていることで ある.おそらく突然変異に関する情報が不十分な著者が以 前の教科書をそのまま引用した,あるいは NaN3のことを 知っていても原著論文でその有効性を確認せずに書いたた めと思われる.自分が総説や教科書を書くようになった時 に注意しなければと思った.  標記論文の第 3 著者である Dr. Kleinhofs は後に硝酸還元 酵素に関わる突然変異体の解析研究の中心人物として活躍 されたが,ここでも小生の研究テーマと重なることになっ た.彼には国際会議の場で数回お会いし,NaN3の突然変 異誘発メカニズムのことや硝酸還元酵素の分析法のことな ど,親切にいろいろと教えていただいた.

2. Ashri A, Levy A(1974)Sensitivity of developmental stages of peanut(A. hypogaea)embryos and overies to several chemical mutagen treatments. Radiation Botany 14:223 − 228.  私の学生時代はいわゆる「大学紛争」の時代であって, 私も実績もないのに「研究とはかくあるべきだ」などとい う議論に熱中していた.学部生のときは自分で決めた研究 テーマで卒業研究を行えば,大きな成果が出せるはずと本 気で思っていた.  大学院に進学し,選んだ研究テーマがラッカセイの突然 変異誘発であった.実験材料には研究室で維持している材 料のなかから,自分の好きなものを選びなさいと恩師の山 縣弘忠先生から言われて,ラッカセイの研究をしたいと即 答した.研究室でラッカセイに取り組むのは自分ひとりだ から,自分で決めた実験ができるだろうという単純な理由 からであった.ラッカセイは受精後,子房壁という組織が その中に受精胚を包んで下降し,土壌中に到達してから胚 発生が始まる.下降中の子房壁に化学突然変異原を処理す れば受精胚に突然変異を誘発することとなり,M1 植物の キメラが避けられるはずなので,効率的な突然変異誘発法 になると考えた.大学院 1 年生の夏は直接指導教官だった 井上雅好氏に助けられながら,エチレンイミンの水溶液を 小さなガラス管に入れて,ラッカセイの子房壁を浸す作業 を続けた.しかしながら,ラッカセイの子房壁はエチレン イミンに非常に弱く,低濃度でもほとんどが枯れてしまい 突然変異を検出できるだけの後代の種子を得ることが出来 なかった.翌年に再度の挑戦を考えたが,井上氏が大放研 に転出されたことと実験規模に限界を感じたので,同時に 行っていたラッカセイにおけるガンマ線の突然変異誘発効 果についてのデータを中心にして修士論文をまとめた. ラッカセイの研究では学会の口頭発表ができるまでのデー タも得られなかった. 第 2 図 開花期のラッカセイ.子房壁の伸長はまだほ とんど見られない.  大放研で研究生活を始めて 2 年目の冬に見つけたのが標 記の論文である.著者はイスラエルのラッカセイ研究者で, 大学院生のときに彼らのグループによるいくつかの論文に 接していた.標記の論文を読んでビックリしたのは,著者 らが私と同時期にラッカセイの子房壁に化学突然変異原処 理を実施していたことである.研究の競争では完敗であっ たが研究手法の発想は同じであったので,この論文は研究 者の卵であった当時の私に大きな刺激をもたらした.私の

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実験と異なっていたのは,RI でラベルした突然変異原を 用いて変異原が確実に受精胚に達することを確認していた ことだけでなく,研究が組織として大規模に行われていた ことである.研究資金に恵まれ,システムとして研究を動 かさねば論文として発表できる結果は得られないことを, すなわち個人で実施する研究の限界をようやく認識でき た.でも,この論文を読んで私のような研究者の卵でも世 界のトップレベルの研究者と同じ発想の研究を実行してい たという自信を得ることができた.同時に,思い浮かんだ 研究のアイディアはとにかく試みるべきだという教訓も得 た.この教訓が以後取り組んだアミノ酸アナログ抵抗性や セシウム抵抗性に関する突然変異体の研究に活かされた. 3. Kueh JSH, Bright SWJ(1981)Proline accumulation in a barley mutant resistant to trans-4-hydroxy-L-proline. Planta 153:166 − 171.  NaN3の突然変異誘発効果に関する研究がまとまった後 は,それを用いた育種研究に進みたいと思った.大放研で できる「育種」に近い研究テーマとして考えたのが,研究 材料の突然変異体を誘発,選抜し,その特性を調査するこ とであった.研究材料の育成も品種育成と基本は同じであ ると考えたからである.  1970 年代後半は高等植物でも細胞レベルの突然変異体 選抜とその特性調査が盛んに行われていた時期で,耐塩性 や薬剤耐性を示す変異体に関する報告が多くなされてい た.それらのなかで,アミノ酸アナログ抵抗性に注目した. 突然変異体のスクリーニングが容易にできると思われただ けでなく,抵抗性突然変異体は対応するアミノ酸を遊離の 形で細胞内に蓄積することに興味をもった.当時,日本の 植物関係の学会発表で突然変異体を用いた機能解析に関す る研究のほとんどは,海外に留学した研究者が当地で育成 されていた材料を用いたものが多く,自ら選抜して得た突 然変異体を用いた研究例はまだ少なかった.自分で育成し た材料を用いれば,ユニークな研究ができるだろうと思っ た.リジンやトリプトファンのアナログに関する研究が多 くなされていたが,プロリンアナログであるヒドロキシプ ロリンに対する抵抗性を取り上げることにした.同じ研究 部の汐見信行氏がオオムギを用いてバーナリゼーションと プロリン代謝の関係を研究されていたので,突然変異体の 特性解析の時に助けてもらおうと考えた.その研究途中で 出会ったのが標記の論文である.この論文は細胞レベルで なく,突然変異原処理した M2 から目的の突然変異体を選 抜する手法をとっていること,突然変異原として NaN3が 用いられていることに親近感をもった.  イネを材料としてヒドロキシプロリン抵抗性の突然変異 体は順調に選抜できた.その特性を調べると,遊離プロリ ンの蓄積が認められないタイプと認められるタイプに分か れ,前者は抵抗性が劣性遺伝子に,後者は優性遺伝子に支 配されていることがわかった.当時,大放研の研究者には 年間 1 名の長期海外出張が認められていたので,渡航先と して選んだのが標記論文の責任著者 Dr. Simon Bright が在 籍する英国の Rothamsted Experimental Station(名称は当時 のもの.その後組織改編がなされ名称は変わっているが Rothamstedの名前は受け継がれている)である.申請は認 められ,1986 年 8 月から 1 年間を 1843 年に設立された世 界で最も歴史のある農業試験場 Rothamsted の訪問研究員 として過ごすことになった.ただ,Rothamsted では作物の プロリンアナログ抵抗性突然変異に関する研究は終了して おり,その代り硝酸吸収欠失の突然変異体の研究を行うこ とになった.当時は植物の根の硝酸吸収も根の表皮細胞の 細胞膜に存在するトランスポーターを介して行われている ことが確実視されるようになった時期であり,硝酸トラン スポーターを同定するために,まず硝酸吸収が欠失した(す なわち,トランスポーターが欠失した)突然変異体を選抜 しようというプロジェクトが Rothamsted で発足したとこ ろだった.  Rothamsted での 1 年間の研究生活は私の人生で夢のよう な期間であった.Simon は私が Rothamsted で実験を始め て間もなく転勤したので,留学先でも私は自分で計画して 突然変異体の選抜とその特性調査を行った.突然変異体の スクリーニングと有望個体の再調査を定期的に行う他は, 図書室で研究テーマに関する植物生理・生化学の情報収集 と帰国後の仕事をも考慮した文献探索で過ごした.プライ ベートな面でも,ヨーロッパの風土に接することができて, 私の人生の中で貴重な体験と心の休暇を得ることができ た.パブでビールを飲みながらランチを取るというイギリ ス風の生活にはすぐなじむことができた.週末は家族でカ ントリーハウスと呼ばれる地方の貴族の館めぐりや動物園 めぐりの小旅行を楽しんだ.ロンドンの周囲はコムギやナ タネ栽培の農地が広がっており,英国が豊かな農業生産国 であることも知ることができた. 第3図 設立以来の肥料連用試験がつづくローザムス テッド試験場のコムギ畑.  Rothamsted 滞在も残り少なくなった 1987 年 7 月にはゴ ルフの聖地として著名なスコットランドのセントアンド リュースで開催されたシンポジウム Molecular and Genetic

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Aspects of Nitrate Assimilationに参加し,Rothamsted におけ る私の研究成果を発表した.そこで 2 人の日本人の生化学 者中川弘毅氏(千葉大学)と皆川信子氏(新潟薬科大学) に出会ったことが,私の研究生活に決定的な転換をもたら した.中川氏は,科研費の総合研究として硝酸吸収を含む 硝酸代謝研究のプロジェクトが計画されていることを私に 伝えていただいた.それまで日本に帰れば再度ヒドロキシ プロリン抵抗性突然変異体の研究に戻ろうと思っていた が,中川氏の話を聞いて帰国後も硝酸吸収に関する研究環 境ができるのではと思うようになった.  このように私の研究テーマは Rothamsted での 1 年間の 前後で大きく変化したが,それもすべて標記の論文を読ん だことがきっかけである.本論文の責任著者である Simon は Principal Researcher という要職であり年配の研究者とい うイメージを抱いていたが,ロンドンのヒースロー空港ま で迎えに来てくれた Simon は私と同年配で,幼い子供連れ だったのにビックリした.欧米と日本の研究体制の違いに 目覚めることになったという意味でも思い出深い論文であ る.

4.Chérel I, Gonneau M, Meyer C, Pelsy F, Caboche M(1990) Biochemical and immunological characterization of nitrate reductase deficient nia mutants of Nicotiana plumbaginifolia. Plant Physiology 92:659 − 665.  Rothamsted から帰国後,中川氏から硝酸代謝に関わる科 研費の総合研究に加わってほしいとの連絡を受け,喜んで 参加させていただいた.このプロジェクトに参加できたこ とにより,わが国の硝酸代謝関連の多くの研究者と知り合 うことができ,植物遺伝育種学と植物栄養学の学際研究を 歩むことができた.イオンクロマトグラフの購入が認めら れ,大放研でも Rothamsted で取り組んだ硝酸吸収の研究 を行えることになった.放射線育種場の流動研究員として 同場で育成されたイネの突然変異系統の生化学形質のスク リーニングを行う機会が得られ,硝酸代謝関連形質のスク リーニングもその一環として行うことができた.さらに, 研究室のよき先輩一井眞比古氏(香川大学)もイネを実験 材料として窒素代謝の遺伝研究を手掛け始められており, 共同研究の誘いを受けた.振り返ってみると,Rothamsted から帰国してからの 5 年間は大放研の改組の時期でポスト の不安定さという将来への不安があったにも関わらず,研 究面では最も充実した時期であった.  科研費を利用してのイネの硝酸吸収欠失突然変異体のス クリーニングは順調に進めることができたが,放射線育種 場で保存されているイネの突然変異系統からは硝酸還元酵 素欠失突然変異系統 M819 を選抜することができた.この 系統の特性調査を科研総合研究で知り合いとなった井田正 二氏(京都大学食糧科学研究所)と一井氏の研究室の大学 院生片桐豊雅君(現,徳島大学医学部)とともに進めてい た時期に発表されたのが標記の論文である.この論文は硝 酸還元酵素のドメインの部分活性を調査して硝酸還元酵素 欠失突然変異体の突然変異が生じた部位を推定するもの で,M819 についても論文で書かれた方法をさっそく試し てみることにした.実験は井田氏の研究室で,神戸に実家 のあった片桐君に宇治まで通ってもらって行った.その結 果,M819 は硝酸還元酵素のヘムドメインに突然変異が生 じたことが明らかにすることができた.当時は高等植物の 突然変異体を分子レベルで解析した例はまだ少なく,DNA の変異部位まで明らかにできれば最先端の研究成果になる と意気揚々とした気分になったことを覚えている.M819 の特性調査の結果を Theoretical and Applied Genetics に投稿 したところ,私の書いた論文のなかで修正なしで受理され た唯一のものとなった(Hasegawa et al. 1992).  私はそれまで一匹狼的な研究を行ってきたが,M819 を 用いた研究は井田氏や一井氏の協力がなければできなかっ た.また,若い院生と研究を共に進めることの充実感を体 験できたことから,大学の研究室に移りたいという,それ まで漠然と考えていた願いは実現しなければという強い気 持ちに変化した.したがって,標記論文は私に共同研究の 大切さを決定的に感じさせただけでなく,研究の場を変え ることを決心させた論文として印象に残るものである.  一方,科研費のサポートを受けて実施した硝酸吸収欠失 突然変異体のスクリーニングから,3 つのイネの低硝酸吸 収突然変異体を獲得することができた(Hasegawa 1996). これらの突然変異体と M819 を用いて硝酸の吸収と還元に 関する特性解析ができれば,植物栄養特性の育種プログラ ムへの導入という,環境科学部のなかでの育種学にふさわ しい研究ができるだろうという期待を抱いて 1995 年の春 に滋賀県立大学に赴任した.

印象に残る書いた(指導した)論文

5. Hasegawa H, Inoue M(1983)Enhancement of sodium azide mutagenicity by ethidium bromide in rice(Oryza sativa L.). Environmental and Experimental Botany 23:53 − 57.  恩師である山縣弘忠先生には,大放研に就職してからも いろいろと研究をサポートしていただいた.オオムギとイ

ネに対する NaN3の突然変異誘発効果に関する論文が

Japanese Journal of Breedingに掲載されて間もなくの頃,ワ シントン州立大学の Prof. Konzak が京大の育種学研究室に 来るから,データを持って自分の研究をアピールしに来な さいとのお誘いを受けた.  Prof. Konzak は NaN3の突然変異誘発効果に関する研究 を進めているワシントン州立大学のスタッフの一員であ り,最初に紹介した論文の共著者の一人でもある.私がそ れまで発表した NaN3に関する論文は追試にすぎなかった けれど,NaN3の処理条件をいろいろと工夫した結果,よ うやくユニークな実験結果が得られた時であった.すなわ ち,NaN3処理後にエチジウムブロマイド(EB)を処理す

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ると NaN3単独処理に比べてイネでは突然変異誘発効果が 最大 7 倍も増幅するというデータがまとまった直後であっ た.自分で計画した NaN3の突然変異誘発効果に関するデー タを売り込む絶好のチャンスであり,英語には自信はな かったが数字は共通であると居直って,山縣先生の研究室 を訪ねた.私のデータをみて“Exciting data”と言った Prof. Konzakの言葉は今でもよく覚えている.その言葉で自信 を 得 て 結 果 を さ っ そ く 論 文 に ま と め Environmental and Experimental Botany に投稿したところ,比較的簡単に受理 された.この論文は,ようやく一人で行ってきた研究が世 界で通じるという自信を得た論文である.  この論文は私が書いて初めて海外のジャーナルに受理さ れた点だけでなく,もうひとつの点で研究者としての私の 研究生活に大きなインパクトを与えている.この実験を始 める前の仮説は,DNA の intercalating agent である EB は染 色体の切断を起こすγ線との間で相乗効果をもたらす可 能性があるが,染色体異常を生じない NaN3との間には相 乗効果はないというものだった.結果は正反対であった. この NaN3と EB の相乗効果は,NaN3が呼吸阻害剤であり, EBは酵母で petit という呼吸欠損を示す細胞質遺伝子の突 然変異を高頻度で誘発することと関連がありそうである. 物理学や化学の実験なら仮説と大きく異なった場合は実験 の失敗によるところが大きいが,生物学では実験結果が仮 説と異なっても,その原因をなぜと追究することにより新 しい真実が見いだされる可能性が大きいことを認識させて くれた論文である.NaN3処理後の EB 処理はミトコンドリ アゲノムの突然変異原として有効ではないかと考えたが, Rothamstedでの研究生活を優先させたため,実験は準備の 段階で終わった.

6. Nomiyama T, Kurashige Y, Morikawa T, Hasegawa H(2005) Landform processes have great impacts on establishment and distribution of common reed(Phragmites australis) population. Transactions, Japanese Geomorphological Union 26:225 − 238.  環境科学部にポストを得た時に,異分野の研究者と交流 の機会が増えるので,新しいアイディアの研究ができるだ ろうという期待をいだいた.環境中での窒素循環に関係す る植物の硝酸代謝研究は「環境」というキーワードといろ いろな場で結びつくだろうと考えて,新設大学に赴任した. 残念ながら異分野の研究者との共同研究を十分に行えたと は言えないが,ひとつだけまとまったのが標記の論文であ る.  環境フィールドワークという学外実習で学生を引率して 帰りのバスの中のことである.陸水学が専門の倉茂好匡氏 から「北海道十勝の小さな河川の下流に形成されている自 然堤防上にヨシが生えている.このヨシが周囲の湿地帯に 由来するものか上流から流れてきたものか判定できない か?」という質問を受けた.遺伝子マーカーを使えば可能 であると答えたことから,6 年間の十勝の調査が始まった. 第4図 当縁川下流のヨシ群落.  子供のころから地理が得意で,地形図を見,地形図を手 書きしてバーチャルな景観を想像するのが好きだった小生 にとって,十勝の自然環境でのヨシの調査は環境科学部に 赴任した時の夢がようやく実現して充実したものだった. 調査は大学院進学を希望する野見山誉君が担当することに なり,太平洋に注ぐ当縁(とうべり)川という延長約 40kmの河川の上流から河口までのヨシについてアイソザ イムマーカーを指標とした遺伝的多型の調査を進めること になった.北海道大学の平川一臣氏がリーダーとなった和 人入植後の土地開発が地形にどのような影響を及ぼすかと いう総合研究の一部であり,同氏が指導する院生が同河川 流域における明治時代以降の開発の歴史や河川の土砂運搬 量などを調べた.  当縁川流域では,大小のヨシの群落が水源の山地の湿地 帯から河口付近の湿地帯まで分布していた.クサヨシが優 占する河口付近の自然堤防上にも確かにヨシが生育してい た.水源地に近い上流の流れに沿った湿地にも小さなヨシ の群落がみられ,ヨシは低地の水際の植物という固定概念 が現地の調査でまず崩された.野見山君の分析技術が上達 してしばらくたった頃,「自然堤防のヨシと上流のひとつ の支流のヨシとアイソザイムの泳動パターンが一致し,ク ローンである可能性がある」という報告を受けた.その翌 年,当縁川流域のヨシ群落の徹底的な調査を行い,自然堤 防のヨシとアイソザイムの泳動パターンが一致するのは, 上流の土砂流出量が多い支流の,しかも河川による浸食が 進み崩壊途中の群落のものであるとわかった.当時はヨシ の DNA マーカーがまだ開発されておらず,両者が確実に クローンであるという結論に至らなかったが,自然地理学 的証拠と合わせて考えると両者がクローンである確率は非 常に大きいと考えた.  結果は日本地形学連合の機関誌に発表した.自然地理学 と植物遺伝育種学という異分野の学際的研究の論文を任期 中にひとつでも書けたことで環境科学部の研究者としての 責任を果すことができたと思っている.

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7. Araki R, Hasegawa H(2006)Expression of rice(Oryza

sativa L.)genes involved in high-affinity nitrate transport during the period of nitrate induction. Breeding Science 56: 295− 302.  簡単な実験でも世界に通じる研究を行ってもらう.これ が滋賀県立大学で 4 回生と大学院生に研究を指導する私の 方針であった.また,学生・院生諸君には指導教員の研究 の下請けで,言われた通りの実験を行い,データを出せば よいという研究指導を行いたくなかった.自分で考えて研 究する能力をつけられるような指導を目指した.滋賀県立 大学のような小規模の,しかも新設大学で外部にアピール する研究を行うためには,私のこれまでの研究方針,すな わち小規模でもいいからユニークなテーマの研究を行うこ とを活かすべきと考えた.環境科学部という学際研究の分 野で,若い諸君はきっと素晴らしいアイディアを持ってい るに違いないと期待した.滋賀県立大学で行ったヨシやオ オカナダモの硝酸吸収遺伝子に関する研究は,環境科学部 のなかでの育種学研究としてこのような方針に基づくもの であり,実際多くの学生諸君が栽培植物ではなく野生の植 物の機能と利用に関心をもっていた.一方,自分が作った 研究室の力を試すためには,世界レベルで他の研究機関と 競争するテーマで研究を行わなければならないという気持 ちも当然持ち合わせていた.このようなテーマで成果が得 られれば新大学の力を示す絶好の機会になると考えた.世 界 で 競 争 す る 研 究 テ ー マ を 選 ぶ に は 迷 い は な か っ た. Rothamstedでの経験と自分で育成した硝酸吸収に関する突 然変異体を持っていることから,テーマはイネの硝酸吸収 以外に考えられなかった.  新設大学における研究は,開設時の当初予算で購入した 大型機器はあったが,開学してしばらくはその機能を発揮 させるための小さな備品や消耗品が不足し,十分な研究を 行うことができなかった.新設大学に優秀な人材が集まっ たが,初期の学生・院生には十分な研究指導ができなかっ たことが悔やまれる.それでも時間が経つにつれて研究室 の体制もハード・ソフトの両面で整ってきて,院生に学会 発表させる機会が増えてきた.大学院に進学した 3 期生の 荒木良一君は当初はヨシの高親和性硝酸トランスポーター (NRT2)を研究対象としていたが,発現解析などの基礎資 料を得るためにはモデル植物を実験材料とした方が有利で あることを認識して,博士後期課程ではイネの高親和性硝 酸トランスポーター遺伝子 OsNRT2 を研究対象とすること になった.世界を相手にする研究を行うためには嬉しい研 究方針の転換であった.OsNRT2 には 4 種類あり,それぞれ が植物体の部位や窒素条件で異なる発現をしていることは すぐ明らかになった.ことに興味深かったのは,OsNRT2.1 と OsNRT2.2 は同じ ORF を持ちながら 5’-UTR の配列が異 なっているので 、 硝酸態とアンモニア態窒素への反応が異 なっていたことである.Breeding Science に掲載された標記 の論文は,イネの NRT2 に関する基本情報として高等植物 の硝酸トランスポーター関係の論文に引用されることが多 く,世界に通じる研究が小さな大学の小さな個人の研究室 からも可能であることを示すことができたと思っている. したがって,本論文は滋賀県立大学における私の研究室の 代表論文である.もっとも,インパクトファクターがもっと 高いジャーナルに受理される内容まで研究を詰められな かったという反省点もある.OsNRT2.3 については alternative splicingにより OsNRT2.3a と OsNRT2.3b という性質が若干 異なる 2 つのトランスポーターが生じることを中国のグ ループが見つけた(Feng et al. 2011).もし,この論文の実 験を行っているときに OsNRT2.3 の alternative splicing に気 づいていればと思う. 第 5 図 窒素代謝に関する国際学会 Nitrogen 2007 が 開催された英国ランカスター大学内の会場.  滋賀県立大学に赴任直前に育成したイネの低硝酸吸収突然 変異体については,硝酸トランスポーターの構造以外の要因 により吸収が低下する点までは見当がついたが,突然変異形 質の遺伝さえ明確に示すことができなかった.シロイヌナズ ナで最初に発見された硝酸吸収欠失突然変異体が得られたの は 1973 年であり(Oostindier-Braaksma and Feenstra 1973), そ れ を 基 に 最 初 の 硝 酸 ト ラ ン ス ポ ー タ ー 遺 伝 子 CHL1 (AtNRT1.1)が同定されたのは 20 年後の 1993 年のことであ る(Tsay et al. 1993).私の見つけた突然変異体を使って誰 かが新発見をしてくれればと願っている.

おわりに

 図書室での文献漁りから遠ざかってかなりの時間がたつ. 以前は,日時を決めて図書室の新着雑誌の棚にお気に入り のジャーナルの最新号が届いているのかを確認したものだ. そのついでに他の分野のジャーナルのコンテンツを見てア カデミックな雑学を身に着けた.新着ジャーナルにお目当 ての論文があるときはアブストラクトを読んで必要ならコ ピーをとった.お目当て以外の論文も要旨を斜め読みする ことで,その関連分野の研究情報を入手できた.NaN3の突 然変異誘発効果の研究から次のテーマを模索しているとき

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にアミノ酸アナログ抵抗性というキーワードに接したのも, このような文献漁りからだった.このプラスαの情報が Rothamstedでの研究生活,そして硝酸吸収研究への道を開 いた.  現在ではパソコンの画面上で多くのジャーナルの論文の アブストラクトまで読めるようになった.けれどもインター ネットでの文献検索はどうしても対象のジャーナル,ある いは対象分野が限られてしまうように思う.自分の研究分 野と異なるジャーナルの目次を見て,関連のある論文タイ トルが見つかった時の興奮を味わう機会が減ったのは筆者 の齢のせいだけではないと思う.2012 年春,筆者は研究生 活の最終年になって日本物理学会における発表の共同研究 者の一人に加わった.共焦点光和周波分光顕微鏡という特 殊な顕微鏡で米粒の構造を調査されている研究者からの問 い合わせが,滋賀県で進められている胴割れ米の研究と結 びついたためである.このような異分野との出会いを積極 的に作ることができる場が図書室の新着ジャーナルの棚で ある.  ここで書いた内容はデジタル時代に乗り損ねたアナログ 派人間の感傷かもしれない.けれど,ラッカセイに始まっ てイネやオオムギ,さらにはトマトやタバコを用いた研究 を行い,滋賀県立大学ではヨシやオオカナダモという野生 植物まで手を広げた 40 年間の研究生活を振り返ると,すべ てアナログ的な発想のメリットを活かすことにより,研究 生活を過ごせたと感じる昨今である.  大学院に進学して自分で企画した研究テーマを自分で解 決したいという希望で始めたラッカセイの研究から,植物 遺伝育種学と植物栄養学,環境科学部の中の育種学という 学際領域の教育・研究の道を歩んできた.その道は連続し たものでなく,橋のない川を何度か渡らねばならなかった. その時に渡し船の役割を果たしてくれたのが,ここで紹介 した 7 つの論文であった.

謝  辞

 本稿では,本文中に名前を記した諸氏以外にも多くの方々 に支えられた研究を紹介している.本来ならすべてお名前 を列挙して御礼を述べるべきであるが,謝辞が長すぎる原 稿となり,バランスを考慮して割愛させていただいた.あ らためて,私の研究生活を支えていただいたすべての方々 に御礼を申し上げる.

引用文献

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参照

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