Carcinological Society o f Japan
日本における科学としての甲殻類研究の始まり
Beginning o f the scientific studies of Japanese crustaceans山口隆男
l T a k a o Y a m a g u c h i .---r本草綱目J
に影響 された江戸時代 「エピは魚で,カニは員である」と言ったなら ば,誰もが呆れるに違いない それらが甲殻類であ ることは広く知られている. し か し 江 戸 時 代 に は その常識は通用しなかった 江戸時代の初期に中国から李時珍 (151 8- 1593) の「本草綱目( ほんぞうこうもく. 1596年 初 版)J が日本にもたらされた 徳川家康が重用した儒学者 の林羅山は 1607年に長崎でこの著作を入手して家 康に献上した( 土井. 2008).r
本草網目J は江戸時 代における生物学のもっとも基本的な文献になっ た. 本草学は薬用植物学ともいうべきものであるが, 「本草綱目J
はかなりの程度博物誌的である. 動物 は獣,禽,介,虫,鱗の 5 グループに区別されて記 述された. 禽は鳥類,獣は日甫乳類である. 鱗には蛇 類,魚類がある. 魚類にはクラゲ,タコ,エピ類も 含まれていた 虫,介のグループ区分も今日の知識 と相容れないものであ った 昆虫だけでなく ,カエ ル,ミミズ,カタツムリも虫であった 介には堅い もの,つまり,亀類,異類,カニ類が含まれてい たー ヨーロ ッパにおける動物学の元祖はアリストテレ ス (B C 384-322) である (彼の動物誌は島崎三郎 によって翻訳され,岩波書庖刊のアリストテレス全 集,岩波文庫に含まれている. ) アリス トテ レスは ! 熊本大学合津マリンステーション・学外研究者, (元) 熊本大学教授 干862-0924 熊本県熊本市帯山5-36-7 1Formerly Professor of Kumamoto University, 5-36一71
Obiyama, Kumamoto 862-0924, Japan E-mail: ya町時uchiuca@ bun.bbiq.jp
動物を赤い血液がある有血動物,無い無血動物の二 つのグループに分けた. 島崎三郎は有血動物には背 骨があるとアリストテレスが述べているので,有血 動物を脊椎動物,無血動物を無脊椎動物としても大 差はないと解説している なお,アリストテレスは 無血動物の中に体液を持つものがあることを知って いた 彼は胎生,卵生を区別し,固着性の動物がい ることも理解していた けれども,李時珍の分類で は脊椎動物,無脊椎動物の区別は無い. 中国でも日 本でも ,体系化,理論化のようなことには消極的で あった. 外見だけで区別され,内部構造は全 く考慮 されなかった. 江戸時代に出版された自然史関連,あるいは啓蒙 的な書籍類では「本草綱目
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に準拠して動植物が区 分されて,記述されていた (図1). 植物の場合は 幕末にはヨーロッパの分類学が導入されて,リンネ の分類体系に基づいた飯沼慾斎の大著「草木図説, 1856-1862J が 出 版 さ れ て い る . し か し 動 物 に 関 図1 . 江戸時代の代表的啓蒙書,訓蒙図案大成 (きん もうずいたいせい. 1789) にある図 「本尊綱 目J
に従い,カニ類を介類に含めて,サザエ, タニシ,カブトガニと共に図示している. 99では,博物誌に限らず,いわゆる自然科学的領域で は体系化志向が全く存在しなかったと思われるので ある 天文学は東西とも古代から等しく発達してい たが,ギ リシア時代以来の宇宙構造一地球を中心と して惑星が同心円状に配列する図形的体系は,中国 で は つ い に 生 ま れ な か っ た 一 中 略 一 言 い か え れ ば,東は西と同じ線路の上を遅れて走っていたので はなく, 目指す終点が異なる別々の線路を走ってい たのではないか一私は近頃,そう考えている 一中 略一江戸時代分類の特徴は,きわめて常識的でわか りやすいことであった 当時,動植物に関心を寄せ る人々は極めて広い範囲にわたっていた. あらゆる 職業,すべての階層に広がっていた 今日の意味で の「専 門家j に近い者から素人まで,学識や経験に も深浅がある人々が博物書・本草書に目を通してい たのである ある生きものがどの仲間に属するか, わかりやすいほとe良かった 獣,禽,介,魚,虫の 5部分であれば,魚屋でL売っているものは大概は魚 類か介類に属するし,通常の獣禽魚介とは思えない 奇妙なものなら,まず虫類を探せば良く,頭を悩ま せないで済んだ. 一中田会一江戸時代の博物誌がヨー ロッパの博物学と異なる点は,体系化志向の有無だ けではない 西の学問は「もの」や自然現象の「仕 組みを探る」ことが一貫して中心命題であったが, 東の流れでは「仕組み」への関心が皆無に近かった と思われる また,近代西欧の博物学・生物学は人 間との関連を切り捨てることで成立・発展してきた が,東の博物学はつねに人間と離れない形で存在し た 両者の外見は似ていても,中身は全く別物で 一方の基準で他方を評価しでも意味が無い あって, と思う
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磯野は江戸時代の博物学に独特の価値を認めた. 整理が不徹底で体系化されていなくても,名前を知 る上では不便は無かった. 人々の興味を盛り上げ, 楽しみを与えてくれたのである. し か し 学 術 的 知 識の国際性,普遍性という点ではヨーロッパで発達 した分類体系が勝っていることは自明である 和名 では日本以外の研究者には通じない 学名は共通で ある. 系統分類の体系は世界の共有財産になってい る.;
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一言
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11f!-tJ../瓦.4r..f. 将軍の侍医で。高名な自然、史研究者の栗本瑞見 ( くりもとずいけん, 1756- 1834) が編集した 「燦蝦類写真( かいかるいしゃしん)J にある 図 ガザミの抱卵雌が背面,腹商の2方向から 描かれている. 卵の粒が判るように絵の具を盛 り上げて丁寧に画いている この図譜はシーボ、 ルトに贈呈され,現在はオランダにある 中央 にPortunuspelagicus Fabr♀と記入したのはシー ボルトである 図2. しては,明治維新に伴って海外の新知識が導入され るまで「本草綱目」の影響下にあった 平和な江戸時代には大名から町人にいたるまでの あらゆる階層の中に,自然に親しみ,博物学を好む 人々が見られるようになった 多くの動植物に和名 が与えられ,美麗な写生画が含まれる図譜類がいろ いろと作成された( 朝日新聞社, 1988; 平凡社, 1994) 貝類のようなものを除くと高温多湿な日本 では標本の長期保存は困難で、あった そのために写 生図にして記録したのである( 図2) 磯 野 直 秀 ( 1999) は日本,東洋の博物学に関連し て,極めて重要な新しい見解を述べている ロッパ的な基盤に立つべきではなく,別々のものと して見直すべきだと云うのである 「学問を含む全 ての人間行為が単一の路線上を進むという歴史観は 果たして正しいのだろうか 西には西,東には東の 道があってもいいのではないか. じつは,東の世界 ヨーC an
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. シ ー ボ ル ト の 貢 献 日本産甲殻類の研究の原点はシーボルトにある . 幕府は交易の相手国を中国とオランダだけに限定し て,極めて厳しい条件下で長崎においてのみ認めて いた. 出島商館の医師としてシーボルト (Ph. F. von Siebold, 1796-1866) が 1823 年 8 月に着任した. 彼は日本に関した総合的学術研究と日本の自然物, つまり動植物と鉱物の標本,の採集を行うように指 示されていた 収集に必要な費用は支給された. 収 集標本はオランダのライデンに設立された国立自然 史博物館に送ることにな ってい た. 彼が3回に亘っ て出島から送付した甲殻類の標本は合計して 710 点 であった シーボルトの後任として引き続いて出島 で 標 本 類 の 収 集 を 継 続 し た の は ピ ュ ル ガ ー (Heinrich Burger, 1806 ?一1858, ピュjレゲルとも書か れる ) であった. 甲殻類に関しては3 回標本を発送 している. シーボルトは 1830 年にオランダへ帰国した. 国 立 自 然 史 博 物 館 の 館 長 の テ ン ミ ン ク (C. J. Temminck, 1778- 1858) に面会して「ファウナ・ヤ ポニカ (Fauna Japonica,日本動物誌
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刊行への協 力を依頼した シーボルトは「動物学の専門家では ないので,自分には執筆はできない し か し 日 本 の動物を印刷物によって学界に紹介したい」と考え た. ファウナ ・ヤ ボニカは美麗な図版を含む豪華な 刊行物として出版された テンミンクを含む 3 名の 国立自然史博物館のスタッフが執筆した標本の収 集はオランダ政府からの指示であった. しかし, ファウナ・ヤポニカの刊行はシーボルトの個人事業 であった. 博 物 館 の 無 脊 椎 動 物 担 当 研 究 官 は デ ・ハーン (Wilhem de Haan, 1801一1855) であった. 彼は主と して昆虫を研究していた. しかしシーボル トと ビュルガーから送られてきた甲殻類の標本が素晴ら しいので,甲殻類編を執筆することにした 1833 年に第 l 分冊が配布され, 1850 年に最後の第 8 分 冊が刊行された 完成したl冊の本ではなく,分冊 ... 且 . . 日本における科学としての甲殺類研究の始まり 図3. ファウナ ・ヤポニカ甲殻類編の第 11 図版 中 央にアカイシガニが示され,上から下に,左に アシハラガニ,ムツアシガニ,コメツキガニ, 右にフタパカクガニ,ケフサイソガニが図示さ れている. それぞれ実物大に描かれ,ハサミ脚 や腹部の形態の特色を示す図も加えられてい る. 学名が有効とされるものはIII種である. シャコ, ヨシエピ,ホ ッコク エピ,テナガエピ,ヌマエピ, ミナミヌマエピ,ニホンザリガニ,アナジャコ,イ ソカニダマシ,イシガニ,シオマネキ,ヒライソガ ニ,アカテガニ,モクズガニなどであった 日本産 の代表的な十脚甲殻類が記載されたのであった. 刊 行が完結するのに 17 年もかかったのは,病気のた めにデ・ハーンが執筆を長期間中断したためであ る. 図版は美しく,各種の甲殻類が実物大に図示さ れている( 図 3) なお,シーボルト,ピュルガー 収集標本の多くは良好な状態で国立自然史博物館に 保存されている (山口, 1993). シーボルト自身も日本の甲殻類に学名を与えてい る ハコエピ,イセエピ,ウチワエピ,ヘイケガニ の4種を記載したのはシーボルト自身であった. 彼 は出島の商館長が集めていた動物標本類を調べた 自分には未知の動物に学名を与え,簡単な説明を添 えた論文を書いた. 1824 年に印刷され, 4 種に関し てはシーボルトが命名者になった 形式で作成された 図版 10 業とテキストが l 分冊 . ス チ ン プ ス ン の 貢 献 で,完成する度に予約者に配布された フアウナ ・ ヤボニカ甲殻類編によって 190 の甲殻類とカブトガ シーボルト,デ・ハーンに続いて日本産の甲殻類 ニが紹介された. これらのうちデ ・ハーンが与えた を記載したのはスチンプスン ( William Stimpson,C a
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1011832-1872) である. ペリーが率いた 1853,1854 年 のアメ リカ艦隊の来航によ って ,徳川幕府は開国へ と追い込まれたーペリーは来航時に日本に関した学 術的な調査を行わせて,立派な学術報告書を刊行し た 加えて,アメリカ海軍は北太平洋の学術調査を 行うために2隻の艦船を派遣した 旗艦がヴインセ ンス号 ( Vincennes) で,もう一隻 はジョン・ハン コック号 (John Hancock) であっ た (小山. 1996) 開国に伴って, 日本の一部の港にアメリカの船が寄 港できるようになった. 調査艦隊は 1854 年 10 月に 香港を出航すると小笠原,沖縄,種子島,鹿児島 湾,喜界島,奄美大島,沖縄,伊豆下回,函館の順 に寄港した. 函館寄港は 1855 年の 6 月であった スチンプスンは無脊椎動物分担の動物学者として ヴインセンス号に乗り組んでいた. 甲殻類とは限ら ず貝類などいろいろと収集を行った ( スチンプス ンの航海日誌は縁あって. 2005 年に日本甲殻類学 会から C rustacean R esearch Specia1 No. 5 として刊行 されている. ) アメリカ海軍が軍艦 を周航させて学 術調査を実施し標本の収集などを行ったのであっ た開国後の日本にも海軍が創設され,次第に強力 になったしかし学術調査とか標本収集を行った ことがあったであろうか スチンプスンは収集標本を活用して精力的に成果 を発表した. しかし 187 1 年 10 月に彼が勤務して いたシカゴ科学アカデミ ーの建物はシカゴ大火に よって標本もろとも焼失した その痛手から回復で きず,持病の結核が悪化して 1872 年に亡くなって いるー彼が記載した甲殻類の中で三宅貞祥の「原色 日本大型甲殻類図鑑. 1.
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において命名が有効と されているものは,エピ類で 22. 異尾類で 29. カ ニ類で 55 もあり,合計して 106 種に達しているー サルエビ,スナモグリ,オカヤドカリ,オキナガ ニ, ミナミコメツキガニなどの命名者はスチンプス ンである. . 日本人による甲殻類研究の始まり 東京大学には 1877 年に生物学科が設けられた . モース,ホイットマンと 2 代続いて海外の研究者が 教授であった 日本人としての最初の教授になった のはアメリカで動物学を学んだ箕作佳吉( みっくり かきち. 1858- 1909) で. 1882 年に任命された 24 才の青年であった. 当時は日本には東京大学の他に は大学は無かった 動物学担当の教授は l 名だけで あった 箕作は研究者としても指導者としても優れ ていた 海産動物に関心が深く,三崎の臨海実験所 の開設に尽力した箕作門下の最初の甲殻類研究者 として岸上鎌吉( きしのうえかまきち. 1867-1929) が 1889 年に動物学教室を卒業した 1895年には理 学博士の学位 を授与されている. 岸上は 1909 年に 東京大学農学部水産学教室の教授になり. 1928 年 の定年まで在職した. 岸上は甲殻類だけではなく, クラゲにも員にも関心があった. 理学部の出身で あったが,魚類に関した研究を行って,水産業の振 興に努めた( 酒向. 1987) 三宅貞祥の「原色日本大型甲殻類図鑑. r J には 岸上が命名した4種のエピがリストされている そ れらは P enaeus (Melicertω) latisulcatus (フ トミゾエ ピ). Metapenaeus mojebi ( モエピ) . Parapenaeopsis cornuta ( チクゴエピ) . Acetes japonicus ( アキアミ) である これらのうち最初の 2 種の記載年は 1896 年である 日本人が記載した甲殻類の中でもっとも 古い つまり,海外の研究者ではなく,日本の研究 者による甲殻類の新種の記載が 1896 年に始まった ことになる. 東京大学の生物学教室設立以来 19 年 が経過していた岸上による最初の記載論文は動物 学雑誌第8巻に掲載されている 「本邦産くるまえ び類及其分類j というタイトルで. i12 種のクルマ エピ類の標本を入手したが. 3種は新種と恩われる ので¥ 種名を与える」と簡単に記述されている. 英 文ではなく,和文で,図は無かった. もちろんタイ プの指定も無い. 現在の新種の記載とは異なった簡 略なものであるが. 2 種については有効な記載と認 められている. なお,この論文の前半は 1896 年 に 発表されたが,後半は翌年刊行の第 9 巻で発表され ており,その点でも変則的であった. (1886年に生物学科は動物学と植物学の 2 学科に分 . 寺 崎 留 吉 の 貢 献 と 謎 けられた) 日本人の中には動物学の教授を勤める だけの学識がある者はまだいなかった そのために 現在はいろいろな図鑑類が刊行されている. ネッ102
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2 0 (2011)トでも各種の甲殻類のカラー 写真を見る事ができ る. しかし明治時代にはありふれた甲殻類の名前 を 知 る こ と も 容 易 で は な か っ た . 松 浦 歓 一 郎 は 1895年刊行の動物学雑誌第7巻にカニ類の リスト を紹介した ファウナ ・ヤボニカ甲殻類編で報告さ れた種で. 112種が示されている . それらのうちで 和名が示されているものは32種だけであった そ れぞれの種の学名を知るだけではなく,和名を与え る必要もあった. 寺 崎 留 吉 (187卜1945) は動物学雑誌の第 14巻 (1902) から第 17巻 (1905) にかけて,合計23 回 に
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日本産蟹類集説j という連載を行った. 東大の動物学教室に集められていた標本を調べたの である. 彼はOrtmannの分類体系に沿っておよそ 90種を記述した それぞれの科,属,種に説明が そえられている. 種名だけではなく,科,属の特色 を知るのにも役に立つものであった. 彼は図を描く のが得意であった. 和名が無かった種には適当な和 名を与えて,それぞれの種を適切な図を添えて紹介 した. 残念なことに連載はオウギガニ類の途中で突 日本における科学としての甲殻類研究の始まり したらしい( 磯野直秀氏の教示による) . 卒業論文 は「断賜の卵の分裂について」で,指導教官は箕作 佳吉であった. 連載打ち切りの事情は東大動物学教 室の歴史に詳しい磯野氏にも不明ということであ る. 興味あるのは,寺崎留吉が3種を新種として「日 本産蟹類集説j 中で記載していたことである うち オーストンガニは命名が有効とされている( 図4) 寺崎は日本人として初めてカニ類に命名をしたので あ っ た 採集者の A. Owston (1853- 1916) に献名し ている A. Owston はイギリス人の貿易商で海産動 物に興味を抱き,相模湾で採集を行 っていた( 藤 田・赤坂. 2007). 寺崎はその後はもっぱら植物の 研究者として知 られる ようにな った. 得意の画技を 生かして多数の植物写生函を描いた 2,100種を図 示 し 個 性 的 に 編 集 し た 寺 崎 植 物 図 鑑 を 1935年に 刊行している. 私立の日本中学 ( 現在の日 本学園中 学 ・高校) の博物学教師になり. 1940年まで在職 した. 然に打ち切られたどういう事情だ、ったのか動物学 . - - - - r 日本動物図鑑j の刊行とその意義 雑誌には何も記されていない. 結果としてイワガニ 類,スナガニ類などは全く紹介されないままに終 わってしまった. 寺崎が最後まで連載を継続したな らば,日本産カニ類図鑑が完成して,カニ類に関し た知識はより豊富に,より早く普及したに違いな い 惜しまれる中断であった 寺崎留吉は東大の動 植物学科の専科に 1893年に入り. 1897年頃に卒業 ( ヨ40). 〈大 11 ・ 〉 に が ん と す を 図4. 寺 崎 留 吉 が 描 い た ク モ ガ ニ 科 に 属 す るCyrtomaia owstoni Terazaki, 1903. オースト ンガ ニの図 1927年に北隆館から「日本動物図鑑」が刊行さ れた. カラー口絵21葉があり,総ページは2,500 を超えている. 晴乳類から昆虫,原生動物まで網羅 されており. 4,100種が扱われている. 当時として は画期的な出版物であ った 甲殻類は合計487種が 含まれている. 十脚類を分担したのは中沢毅一( な かざわきいち. 1883- 1940) であった. 彼は 1909 年に東大動物学科を卒業した中沢はタラバガニと かサクラエピの研究者として知られるが,カ ニ類に も詳しかった. いろいろな職を渡り歩いている . 農 業に従事していた時もあか非常勤講師として教え たりしていたが. 50才の時に東京慈恵医科大学予 科の教授にな っ た (酒向 ,1987). 日本甲殻類学会 の設立に尽力した小田原利光は生徒として中沢の指 導を受け, 甲殻類に 対する興味を深めたのであ っ た 彼 は 「 日 本 動 物 図 鑑 」 に 計256種を記述した 他 の 甲 殻 類 は 駒 井 卓 , 丸 川 久 俊 が 分 担 し た 「日 本動物図鑑」の改訂版は 1947年 に 刊 行 さ れ た 準 備は進められていたが戦争のために遅れたのであ る 昆虫類は別の図鑑に移され,著者が大幅に入れ
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替わった. 甲殻類は合計して788種が扱われ,分担 執筆者は 12名にもなっていた 研究者の層が厚く なったのである 十脚甲殻類の場合, ー中沢の記述が そのまま用いられた場合もあったが,エピ類は久保 伊津男,ヤドカリ類は三宅貞祥,カニ類は酒井恒 が担当して内容が充実した. 1964-65年に「日本動 物図鑑」はさらに姿を変えて3 冊からなる「新日本 動物図鑑」として刊行された 甲殻類はその中巻で 扱われている 種の数は合計して 1,036種になっ た 「新日本動物図鑑」における甲殻類の分担執筆 者は 16名である.
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日本動物図鑑」のおかげで,い ろいろな動物の名前や特色を知ることができるよう にな った それまでは教科として学校では博物が教 えられていたが,身近な甲殻類の名前を知るのは極 めて困難であった もしも寺崎留吉の蟹類集説が中 断しなか ったならば. 日本のカ ニ類相についての理 解がより早く深まったことであろう 明治,大正期 には和名が与えられた穫は少なく,適切な書物も無 かった. 原著論文に接しないと,調べることができ なか った 一部の種を除くと,民間の人々や教員, 生徒たちが甲殻類の名前を具体的に知るのはほとん とマ不可能だったのである. . 謝 辞 寺崎留吉の学歴等についてご教示下さった慶応大 学名誉教授の磯野直秀氏,日本動物図鑑を貸して下 さった馬場敬次氏に御礼申し上げます.104
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C 8 n c : 町却{ 却11) . 文 献 朝日新聞社編. 1988 江戸の動植物画. 朝日新聞社, 東京 162 pp. アリストテレス原著 ・島崎三郎訳. 1968 動物誌, 上,ア リストテレス全集7. 岩波書庖,東京.426 pp 土井康弘. 2008 本 草 学 者 平 賀 源 内 講 談 社,東京, 221 pp 藤田敏彦・赤坂甲治. 2007. 三崎臨海実験所の自然史 研究における足跡相模湾動物史 ( 国立科学博物 館編) 東海大学出版会,秦野. p.57-67. 平凡社編. 1994 彩色江戸博物学集成,平凡社,東 京 501 pp. 磯野直秀. 1999. 日本博物誌雑話。タクサ( 日本動物 分類学会誌) . 6: 14-18. 岸上鎌吉. 1996 & 1997 本邦産くるまえび類及其分 類. 動物学雑誌. 8: 372-374, 9・14-17. 松浦歓一郎. 1895 日本産の短尾類動物学雑誌. 7・ 51-57 三宅貞祥. 1982 原色日本大型甲殻類図鑑(1) 保育 社,大阪. 8 + 2 6 1 pp, 56 p1ates. 三宅貞祥. 1983 . 原色日本大型甲殻類図鑑(II) 保育 社,大阪. 8 + 2 7 7 pp, 62 p1ates 小山銭夫. 1996. 黒船が持ち帰った植物たち アポツ ク社出版局,鎌倉,口絵4葉. 99 pp. j酉 匂 昇 . 1987 えび学の人びと. いきな書房,東 京. 236 pp 寺崎留吉. 1902- 1904 日本蟹類通説 (1ー) (23). 動物 学雑誌. 14寸6. 山口隆男編. 1993 シーボルトと日本の博物学,甲殻 類 日本甲殻類学会,東京 731 pp, 24 p1ates D e Haan, W ., 1833-1850. Fauna Japonica, Crustacea.Leiden, 290 pp, 71 plates
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