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デザインというかかわり

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Academic year: 2021

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(1)42. 特集:社会実践のデザイン学. 加藤文俊 Kato Fumitoshi 慶應義塾大学. デザインというかかわり Designing is Engaging. Keio University. 1.「調査者」という立ち位置 1.1.「デザイン」の誘惑. 近年、「デザイン」ということばがさまざまな領域で使われるようになり、. デザインによる社会課題の解決に注目が集まっている。パパネックは、デザ インとは「意味ある秩序状態(オーダー)をつくり出すために意識的に努力 することである」と定義した。いまや、デザインは、形や見た目だけではな く、広く、私たちの活動の過程、ひいては「姿勢」としてとらえることの重 要性が議論されている。商品やサービスをデザインする際、できるかぎり現 場に近づき、人びとのふるまいを観察するところからはじめることも、デザ インという活動への関心と無関係ではないだろう。 人びとのふるまいを理解するためのエスノグラフィックな方法と、〈モノ・ コト〉をデザインするための手続きは、密接に関連している。前者のエスノ グラフィックな方法は、総じて「フィールドワーク」と呼ばれる定性的な調 査手法の一つとして位置づけることができる。フィールドワークは、社会や 文化を理解するための「方法(定性的な調査手法)」であるが、たんに観察 や記録の技法としてではなく、現場で出会う人びととのかかわり方、〈モノ・ コト〉との向き合い方をふくめた、私たちの「立ち位置」と切り離すことが できない。では、フィールドに赴くとき、私たちにはどのような「態度」が 求められるのだろうか。また、フィールドワークをとおして、私たちはデザ インについてどのような理解を創造するのだろうか。. 1.2.『キッチン・ストーリー』に学ぶ. 映画『キッチン・ストーリー』は、フィールドワーカーの「態度」につい. て考える上で、示唆に富んだ作品である。舞台は1950年代のノルウェーの田 舎町で、一人暮らしの男性のキッチンにおける行動パターンを調査するため に、(スウェーデンから)調査者が各戸に派遣されるという設定である。調 査者は、背の高いイス(テニスの試合で審判が座るようなイス)をキッチン の隅に据えて、高いところから部屋を眺める。手にはクリップボードがあっ て、観察をしながら調査対象者の動線を逐次用紙に書き込んでゆく。キッチ ンでの行動軌跡や、一日の時間の流れのなかで、調査対象者がどのように過 ごしているのか、つぶさに観察・記述を試みる。各戸でえられたデータを、 (より理想的な)キッチンのデザインに活かそうということだ。現代であれ ば、小型の監視カメラのようなものを仕込んで、オンラインで(しかも、.

(2) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. もっと目立たないように)モニタリングすることも可能だろう。いずれにせ よ、調査者は現場とかかわりを持たない「第三者」としてキッチンに〈居 る〉ことになる。 調査者(観察者)は、実際に対象地に赴く前の説明会で、次のような指示 を受ける(映画の字幕より)。 調査を成功させるために もう一度 断っておきます 観察者は台 所に自由に出入りすることができますが 会話は禁止 家事や雑用 も手伝ってはいけません 何があろうと… この一節は、映画のなかで描かれているのが三人称的な立場からの調査で あることを示唆している。滑稽に見えるが、ここでは調査者は、一人暮らし の男からは「見えない」存在として時間を過ごす。調査対象となった男は、 気にせずに普段どおりに生活しているようにと指示されても、居心地がいい はずもない。電話が鳴ったり、来客があったりしたときには、一連のやりと りや近所づきあいさえもが晒されてしまうことになる。当然のことながら、 調査者は気配まで消すことはできない。目が合うこともある。そして、ある タイミングでその距離感が変容をせまられる。 コーヒーでも飲め ありがとう このとき、調査者が被調査者とのあいだに保つべき「適切な」距離が揺さ ぶられる。調査者は、事前に聞かされていたルールを破ってことばを交わ し、コーヒーを口にする。まさに、一人暮らしの状況に近づいたからこそ、 その静けさ、寂しさに感じ入り、コーヒーを勧める男の声に応えてしまうの である。言うまでもなく、「何があろうと」越えてはならないという当初の ルールを守れなかったのだから、調査者は叱責される。それに対して、感情 的になり、つぎのように口走る。 酒を飲むなとか 一言も口をきくなとか 参っちまうぜ 俺たちは 何をしてる? 高い所に座って 知ったような顔しているが ─   相手のことなんか まるで分かっちゃいない ただ眺めてるだけ このとき、調査者は、状況とかかわりを持たない第三者の立場ではなく、 ともに状況を構成する関与者になっている。つまり、二人称的な視座から現 場とかかわっている。もはや個人的な関係を意識し、相手の呼びかけに反応 する存在として自分を理解しはじめているはずだ。フィールドワークは、一 方的に見るだけではなく、まさに現場とかかわることによって成り立つ。 さらに興味ぶかいことに、被調査者は、一連の調査に協力はしていたもの の、ささやかながらその状況に抵抗しようと試みていた。観察用に置かれた イスの真上に小さなのぞき穴をこしらえて、時々、部屋のようすを(調査者 の)頭上からこっそり眺めていたのだ。じつはそのとき、調査者本人が被調 査者になるという状況が生まれていた。 台所をのぞけるよう 天井に穴を空けてある 何だと 最初のころに空けたんだ 君が調査するのと同じだよ この時点で、調査者は、〈見る〉ことに集中していた自分が、じつは同時 に〈見られる〉対象として存在していたことにも気づく。この「立ち位置」 は、一人称的と呼ぶべきものである。このように、一人称的な立場に自覚的 になると、かかわることの本質は、見たり見られたりという相互構成的な関 係だということを実感する。. 43.

(3) 44. 特集:社会実践のデザイン学. 2.あたらしいテーマと出会う 2.1. 予期せぬ展開. 『キッチン・ストーリー』は、私たちが生活の現場とかかわり、さまざま. なことを発見したり意味づけしたりするなかで、少しずつ自らの活動そのも のも変化し、かたどられてゆくことを考えるのに役立つ。同時に、フィール ドワークの計画と実践をとらえなおすきっかけになる。いま紹介した『キッ チン・ストーリー』では、「生活者の調査」が実施されたようすが描かれる。 この設定にかぎらず、通常、調査研究と呼ばれる活動を実施する際には、事 前に計画を立てる。そして、その計画どおりに調査や分析、論文・報告書の 執筆が行われることが想定される。例にもれず、『キッチン・ストーリー』 で描かれる試みも、「計画」に基づいてスタートしたプロジェクトである。 計画書や企画書では、目的や方法、スケジュールを明記することが求めら れる。何らかの形で研究助成を受ける場合には、その実現に向けて予算計画 も添付することになる。つまり、私たちにとって馴染みぶかいのは、事前に 綿密な計画を立て、その計画に則ってプロジェクトをすすめるやり方であ る。その計画の善し悪しはもちろん事前に判断されるし、進捗報告のたび に、当初の計画どおりに進行しているかどうかで評価されることが多い。予 定通りに進んでいなければ、その理由を問われる。もともとの計画に無理が あったのではないかと、マイナスの評価を受けることもある。 つまり、私たちは事前の計画と、実践の(事後の)結果を照らし合わせな がら、評価したり評価されたりするのだ。そのやり方に、慣れすぎていると 言ってもいい。この評価のありようについて、以下のような観点から整理し て考えてみよう(図1)。まず、私たちは、多くの場合、事前に調査研究の 図1. 計画を立てるので、実際に活動してみて、(当初の)計画どおりにすすんだ. ここでの議論は、2017年7月1日(土)、第64回日本デザイ. かどうか、つまり予期した結果がえられたかどうかで実践を評価することが. ン学会春季研究発表大会のオーガナイズドセッション (OS-B:デザイン研究における記述方法としての「視覚. 化」オーガナイザー:原田泰)に基づいている。その後、 一部については文章化し、加藤ほか(2019)において整理 した。 出典:加藤文俊・上地里佳・尾内志帆・大橋香奈・徳山夏 生(2019)『かかわりのフィールドワーク:ともにふり返 る』加藤文俊研究室(未発表論文). できる(横軸)。もう一つの軸は、結果に対して「おもしろさ」を感じてい るかどうかという判断にかかわるものだ(縦軸)。「おもしろさ」を定義する のは難しいが、これまでの文脈に即して考えると、フィールドワークに取り 組んでいる調査者自身が、没入感をもって向き合っているか/向き合ってき たかが手がかりになる。 こうして、二つの軸を設定すると、私たちの調査研究の道筋について、い くつかの方向性があることがわかる。まず、予期したとおり「おもしろい」 場合(右上)、これは言うことはない。企画書どおりに進行し、まさに事前 に予想・予見していたとおりの没入感をいだいている(いだくことができて いる)からだ。企画や調査設計が、実態に合っていて、調査者が自分の能力 やペース配分についてよくわかっているということだろうか。 企画書どおりにはすすまず、かつ「おもしろい」という感覚がない場合 (左下)は、残念な状況である。ニワトリが先か、タマゴが先かという議論 ではあるものの、企画書どおりにすすまないと、気持ちが続かなくなる。 「おもしろい」と感じていなければ、事前につくられたスケジュールそのも のに対して、否定的になってしまう。悪循環に陥ると、テーマそのものを変 更しようかなどと考えはじめる。  予期した結果ではあるものの、 「おもしろくない」場合は、没入感や探求の 興奮をさほど味わうことなく、とにかく「終わり」にしたいと思うようになる (右下) 。事前の計画どおりに遂行したのだから、その点は評価されるにちが いない。結果が「おもしろくない」としても、正しい手続きを経てえられた結.

(4) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 果なのだから、 「おもしろい」かどうかではなく、何か別の観点から評価する こともできるはずだ。そう考えて、事務的に向き合うようになるかもしれない。 『キッチン・ストーリー』のなかで進行する取り組みは、予期せぬ展開を しながらも「おもしろい」ものであった。というより、人とのかかわりが きっかけになって、自分のこと、さらには自分と他者との関係をふり返る調 査へと変わっていった。そして調査者は、確実に「おもしろしさ」や友情す ら実感していたにちがいない。 フィールドワークにかぎらず、さまざまな社会実践は、現場の状況に応じ て修正や変更をせまられる。周到に準備しておいても、思いどおりに行かな いこともある。そうした変化に富んだ現場で、私たちは人びととかかわり、 ときには即興的な判断をしながら、その都度対応してゆく。『キッチン・ス トーリー』は、たとえ事前の計画どおりにすすまなかったとしても、思わぬ 発見をしたり、喜ぶべき方向に展開したりすることを示唆している。大切な のは、「予期せぬ結果」を、すぐさま否定的に扱わないことだ。感性を豊か にしながらフィールドワークに向き合えば、「おもしろさ」を発見できるか もしれないからだ。. 2.2.「ニーズ」から「可能性」へ. フィールドワークは、計画どおりにすすまないことがある。だからといって、. 無計画でよいというわけでも、諦めたり投げ出したりしてよいわけでもない。 当然のことながら、私たちは下準備をしてフィールドワークに臨む。もとより、 まったく何も考えずに出かけるのではなく、日頃の問題意識があってこそ、現 場へと足をはこんでいるはずだ。だが、そもそも私たちのフィールドワーク は、 「計画ありき」ではじまるものばかりだろうか。詭弁のように聞こえるか もしれないが、 「計画」が緻密であればあるほど、 「計画どおり」にすすむか どうかが厳格に問われてゆく。ゆるやかな「計画」であれば、 「計画どおり」 にいかないことに対して、もっと寛容に向き合えるのではないだろうか。 いま述べたように、『キッチン・ストーリー』も、じつは「計画どおり」 ではなかった。三人称的な立場から、一人暮らしの実態を観察 ・ 記録すると いうことが当初の目的だったことをふまえれば、調査対象者に話しかけたり 一緒に食事をしたりするのは「本筋」ではない。もともとの申し合わせ(調 査のガイドライン)を無視し、当初の「計画」にない部分に時間やコストを かけているのだから、そのこと自体は、評価されるものではない。むしろマ イナス評価になる。だが、この映画で描かれる「ものがたり」は、毎日の調 査をくり返すなかで、関係性が育まれてゆくという、フィールドワークの探 索的な側面を際立たせる。つまり、事前の「計画」を忠実に遂行するという よりは、現場のようすを見ながら、ゆるやかに対応し、状況に応じて「計 画」そのものが書き換えられていったのである。. 2.3. ABCD アプローチ. ま ち や 地 域 コ ミュ ニ テ ィを 理 解 す る た め の 方 法 とし て、 「Asset-Based. Community Development アプローチ」(以下 ABCD アプローチと記す)と呼ば. れる実践がある。 「ABCD アプローチ」は、私たちに比較的なじみ深い考え 方を、省察的にとらえなおすことから始まる。私たちは、あらかじめ問題(課. 題)を同定し、それに対する解決方法を探るための方法としてフィールドワー クをはじめとする社会調査の実施を考えることが多い。つまり、 「問題(課題). 45.

(5) 46. 特集:社会実践のデザイン学. ありき」で発想するのが一般的だ。フィールドワークは、これらの「問題 (課題)」の理解や、解決に向かうために貢献するものとして採用される。 クレッツマンらは、こうした(支配的とも呼ぶべき)アプローチを「ニーズ 主導(needs-driven) 」と呼ぶ。その上で、こうしたアプローチ自体が、問題状. 況に向き合う当事者たちを、必要以上に「クライアント化」する可能性がある. と指摘している。ひとたび「問題(課題) 」が提示され共有されると、当該の 「問題(課題) 」にかかわるアクターやその役割関係が固定的になりがちだから である。また、個別具体的な問題(課題)でありながら、不特定多数の人び とを「受け手」に想定した記述がなされると、問題状況そのものが文脈から 切り離され、あたかも「他人事」であるかのように対象化されることになる。 図2 Kretzmann ほか(1993)を元に作成:地域における「資産」. に着目する発想においても、日本の文脈に応じて、とらえ. なおす必要がある。たとえば海外諸国における文脈では、 エスニック・グループによる集い、教会等での集いなど、 地域コミュニティにおける集まりにはいくつものバリエー ションがある。また、図ではスペースの都合で割愛した が、Kretzmann らのマッピングでは、障がい者をはじめと. それに対して、「ABCD アプローチ」では、まずは地域のもつ「資産」を. 熟知し、その潜在的な可能性を模索することを目指す。 それは、「可能性志 向(capacity-focused)」という立場から、地域に偏在する多様な「資産」の. 理解を試みるものだ。たとえば、地域コミュニティが保有する「資産」を、 個人の属性・能力、地域における集まり、地域の組織・施設から構成される ものとして位置づけ、地域の「強み」(潜在的な可能性)を可視化しようと. する社会的参画が難しいと理解されがちな人びと(labeled. 試みるのである。まずはさまざまな観点から「資産」をマッピングした上. なものではなく、いくつかのスケールで地域における「資. で、地域コミュニティにおける潜在的なパートナーを考え、そのパートナー. people)の属性・能力も記載されている。(図は、網羅的. 産」を列挙する事例として用いている。). との紐帯を強化するための方法・方策を検討する。そして、最終的には個別 具体的な活動へと結びつける(図2)。. 3.デザインというかかわり 3.1. フィールドワークを語る. 私たちが「デザイン」のありようをとらえなおすにあたって、上述の. 「ABCD アプローチ」の考え方は有用である。私たちは、「意味ある秩序状. 態(オーダー)をつくり出すために意識的に努力すること」をとおして、 フィールドの潜在的な「可能性(キャパシティ)」の理解を試みているから だ。言い換えるならば、デザインは、そもそも探索的・構成的な活動なの だ。(あらかじめ可視化されていた)「問題(課題)」を効率的に解くことよ りも、(まだ出会ったことのない)「おもしろさ」を発見しようとする「可能 性志向」のフィールドワークこそが、あたらしいデザインの理解につながる のではないだろうか。 では、私たちは、どのようにすれば、現場で「おもしろさ」に出会えるの だろうか。どのようにすれば、没入感に浸り、知的な喜びを感じながら、自 らを成長させてゆくことができるのか。思いどおりにならないとはいえ、そ のヒントがあるなら、やはり知りたいと願うにちがいない。もちろん、これ に答えることは容易ではない。いまの段階で一つ言えるのは、「おもしろさ」 は、まさに「誰か」(友人、先輩、後輩、同僚かもしれない)との絶え間な いかかわり合いのなかで、実感されるということだ。フィールドワークは個 別具体的な体験であるが、その意味は、「誰か」に語ることによって編成、 再編成される。 また、私たちはつねに「移動している」のであるから、「いつ・どこで」 語るのかによって、その意味も移ろうはずだ。「可能性志向」のフィールド ワークには、こうした揺らぎを受け容れる心持ちが求められる。私たちの. 「生き方」は、まさに私たちが移動していることによって、変わってゆく。 時間を経たからこそ、わかること、語れることもたくさんある。.

(6) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 3.2. ラボラトリーと視点呈示. 私たちの身の回りにある多様な〈モノ・コト〉は、デザインされている。無. 形・有形のデザインは、試行錯誤の所産として理解される。その試行錯誤の 過程は、コンセプト(問題意識)と、フィールド(実践の文脈)とを行き来 することだと言える。私たちが、その往復を容易にするために整備するのが 「ラボラトリー」である。これまでの議論をふまえると、私たちのデザインと いう営みは、フィールドワーク(個別具体的な現場への接近)と、コンセプト ワーク(より普遍抽象的な理解の創造)との間を取り持つ「ラボラトリーワー ク」であると考えることはできないだろうか(図3) 。 「ラボラトリーワーク」 は、時間を忘れて熱中することのできる日々の営みである。 「ニーズ主導」の 活動は、 「仮説検証型」の思考に結びつくので、仮説が有意なものとして検証 されるまで、実験と評価がくり返される。私たちが「仮説検証型」の活動を 想定している際には、 「ラボラトリーワーク」によって生み出された〈モノ・ コト〉がもたらす「効果」や「インパクト」の評価という側面が際立つ。 いっぽう「可能性志向」は、私たちを「視点呈示型」ともいうべき環境へ と誘う。そこでは、私たちを魅惑し知的関心を充たすにふさわしい仮説や ヴィジョンが生まれるまで、試行錯誤(プロトタイピング)とコミュニケー ションが続けられる。つまり、デザインは、現実に先行する〈ものがたり〉 をいち早く体験する「視点呈示型」の実験として再認識することができるの だ。それによって、私たちは「効果」や「社会的インパクト」を生み出すと いう使命感やプレッシャーから解放され、さまざまな可能性の範囲を探究す る作業に挑むことができる。 私たちは、デザインという営みにおける人間ドラマの部分を捨象し、もっ ぱら「成果」に注目しがちである。いま、私たちが考えるべきなのは、ラボ ラトリーワークを多面的に理解するための方法や態度である。その際、重要 になるのは、実験のログ、実験ノートや業務日誌と呼ばれる、デザイン過程 における「生活記録(life document)」であろう。ラボラトリーでの操作的. 作業の記録は、その「成果」の説得力を高めてゆくために欠かすことができ ない。それは、まさに〈モノ・コト〉がつくられるときのエビデンスだから. である。「視点呈示型」のラボラトリー観でデザインに臨むのであれば、 『キッチン・ストーリー』が示唆するように、二人称的(一人称的)な営み 図3. を細やかに理解する必要がある。起伏に富み、試行錯誤のくり返しのなかで. 私たちの「ラボラトリーワーク」を柔軟に理解しようと試. 展開するデザインの〈ものがたり〉は、エビデンスにもとづいて説得される. みるとき、「実験室研究(laboratory studies)」として知ら. 性質のものではなく、「了解にもとづく浄化(カタルシス)」をもたらすもの. よる調査は、その代表的な事例で、「アクターネットワー. だ。デザインは、私たちのかかわり合いのなかにある。. れている一連の研究が示唆に富んでいる。ラトゥールらに ク理論」の礎となったと言われている。「実験室研究」は、 実験室を対象とする人類学的・民族誌的な調査研究であ る。ラトゥールらは、「ソーク生物学研究所」における参 与観察をとおして、「実験室」で何が行われているのかに ついて、詳細な記述を試みた。それは、「科学がつくられ ているとき」について、あたらしい知見をもたらすもの で、たとえば「実験室」においては、夥しい「文書作業」 が求められているということを明らかにした。「実験室」 は、ファイルの整理やラベル貼り、あるいは実験装置の調 整やメインテナンスといった、実務的な作業をもふくむ、 有機的なネットワークとして理解することができる。ま た、実験装置に大きく依存する研究内容の場合には、どの ように(しばしば高額な)装置を入手し、維持管理を行う のかといった制度や組織の状況も関わっている。「実験室」. 【参考文献】 加藤文俊: 「ラボラトリー」とデザイン 問題解決から仮説生成へ,SFC Journal, 17 (1) , 110-130,2017 加藤文俊・上地里佳・大橋香奈・尾内志帆・徳山夏生:かかわりのフィールドワーク ともに. ふり返る,加藤文俊研究室,2019 ヴィクター・パパネック:生きのびるためのデザイン,晶文社,1974 アリス・ローソン:姿勢としてのデザイン「デザイン」が変革の主体となるとき,フィルムアー ト社,2019 佐伯・刑部育子・苅宿俊文:ビデオによるリフレクション入門 実践の多義創発性を拓く,東 京大学出版会,2018. Kretzmann, J. and McKnight, J.: Building communities from the inside out: A path toward finding and. s assets, Skokie: ACTA Publications, 1993 mobilizing a community’. は、多数のモノや複雑な人間関係をもふくむ「生活」の場. ブルーノ・ラトゥール:科学が作られているとき 人類学的考察,産業図書,1999. として、つまり「ラボラトリーライフ」として描かれた。. ケン・プラマー:生活記録の社会学 方法としての生活史研究案内,光生館,1991. 47.

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