ベトナムの鉱物資源開発の事例
ボーキサイト採掘現場の最新事情
中野亜里
はじめに
ベトナム社会主義共和国は、1986 年にうち出されたドイモイ(刷新)路線の下で、政治 面では共産党と国家が一体化した統治体制(党・国家体制)を維持しつつ、経済面では社会 主義的国家計画経済から「社会主義志向市場経済」へと移行した。資源・エネルギー開発 の分野でも、国有企業の主導により、外国資本を導入した大型開発が進められている。 しかし、近年まで重要な開発政策は党・国家指導部の決定によってトップダウン式で進 められ、一般国民はもちろん共産党系の議員で構成される国会に対しても、積極的な情報 開示は行なわれてこなかった。開発が環境や地域社会に及ぼす影響についても、当該地域 の住民とのコミュニケーションが不足している。すなわち、開発について多様なステーク ホルダー(利害関係者)が参加するガバナンスが成立せず、専ら党・国家のグッド・ガバ メント(善政)に期待するしかなかった(中野・村尾、2011b; 中野、2012)。 筆者らは、2008 年から開始されたベトナムの中南部高原地域におけるボーキサイト採 掘・アルミナ精製プロジェクト(以下、ボーキサイト開発プロジェクト)について、市場経済 移行国における資源開発をめぐるガバナンスという視点から調査を進めてきた。この事例 に注目した理由は、次のようなものである。 第 1 に、前述のように、ベトナムにおける大型開発は、従来は共産党政府によるトップ ダウンで進められてきた。しかし、ボーキサイト開発問題については、市民からのボトム アップの異議申し立てが国会や公認メディアを動かし、国家の政策や法規にも一定の修正 を促すことになった(中野、2012)。その意味で、この問題はベトナムの現代政治史上、画 期的な出来事と言うべきである。 第 2 に、ボーキサイト開発問題が顕在化してから、ベトナム市民の自立的な政治的活動 が活性化したことがある。この問題を契機に、政府の対中国政策をはじめ、環境破壊や汚 職、不当逮捕など、現在のベトナムが抱えるさまざまな問題について、市民によるイン ターネット上での署名活動、情報発信、街頭での抗議行動 1)などが、組織的、計画的に実 行されるようになった。このような現象は、アジアの残存「社会主義」国の民主主義の行 方を考察する上でも、開発をめぐるガバナンス問題の重要性を示している。 筆者らは、2012 年と 2014 年にボーキサイト開発現場の調査を行ない、現地の住民、開 発に批判的な有識者、関係省庁の官僚から意見を聴取した。また、2013 年にはハノイでワークショップを企画し、資源開発を管轄する官僚のガバナンスに対する認識と対応を検 証した。その結果、ベトナムでは法制度は整備されつつあるが、ガバナンスの前提条件と なる民主的な土壌が整っておらず、国際社会で共有されるグッド・ガバナンス 2)という意 味では、まだ何も始まっていないことが明らかになった。 ベトナムの党・国家指導部は、ドイモイ路線下で「国際社会への積極的参入」を進めて いる。その一方で、民主主義に関しては、党のイデオローグは、欧米諸国とは異なる「ベ トナム的社会主義的民主主義」があるという立場をとっている(中野、2000)。それでは、 開発政策においては、ベトナム的な民主主義に立脚したグッド・ガバナンスというものが あり、党・国家はそれを実現する意思をもっているのだろうか。 ベトナムの条件に適したガバナンス・モデルというものがあり得るのか、それを実現す るためには誰がどのように行動すべきなのか。このテーマ追究の一環として、本稿では現 地調査の結果から、開発に伴って住民の生活や自然環境にどのようなリスクが発生してい るかを具体的に示し、今後の課題を提起したい。
Ⅰ ボーキサイト開発問題の経緯
1. 開発計画の概要 (1)中越党指導部による決定 2001 年 12 月、ベトナム共産党のノン・ドゥック・マイン書記長(当時)が中国を訪問し た際に、両党指導者の間でベトナムのボーキサイト開発に関する協力が合意された。この 時の両国の共同声明に、ダックノン省におけるボーキサイト採掘とアルミナ精製事業での 協力が明記された。 しかし、この事業計画はベトナム国会に諮られることなく、ベトナム共産党指導部の中 で検討が進められた。2007 年 11 月、グエン・タン・ズン首相が第 167 号決定「2007 ∼ 2015 年(2025 年まで延長可)段階のボーキサイトの探査・採掘・精製・使用計画の批准」(以 下、167 号決定)に署名した。これによって、ベトナムの国有企業であるベトナム石炭・鉱 産物グループ(TKV = VINACOMIN)が、ラムドン省のタンライとダックノン省のニャン コーに外国のアルミニウム企業が参加する株式会社を設立することが許可された。 2008 年 7 月、「公開の国際的入札」により、中国のアルミニウム企業 Chalieco(中国アル ミ国際行程股份有限公司)社がボーキサイト採掘とアルミナ精製工場の建設事業権を落札し、 同年 8 月からタンライとニャンコーで建設工事が開始された。 (2)政府による国会報告 ボーキサイト開発はこのようにして開始されたが、折しも南シナ海群島の領有権問題で 中国との関係が緊張していたことから 3)、ベトナム国民の反中ナショナリズムと相俟って プロジェクトへの批判が高まった。国会からも批判が出たため、政府はプロジェクトについて改めて説明しなければならなかった。2009 年 5 月の国会で政府が公表した計画(以下、 政府報告)は、次のように述べていた 4)。 ベトナムにおけるボーキサイトの確認埋蔵量は約 55 億tで、世界第 3 位とされている。 うち経済的価値を生むのは 21 ∼ 25 億tで、そのほとんどが中南部高原に集中している。 すなわち、ダックノン省が約 35 億t、ラムドン省が約 9 億 7500 万t、ザライ省とコントゥ ム省が 8 億 600 万t、ビンフオック省が約 2 億 1700 万tであり、地域全体の確認埋蔵量は 44 億tとされている。 ボーキサイト開発の理念として、政府報告は「ベトナムの工業発展計画、地方の経済・ 社会発展および関連インフラ(交通・運輸・港湾・電力等)発展計画に適合したものでなけ ればならない」、「経費を節約し、効率的で、生態環境を護り」、「ボーキサイトを産出する 各地方、特に中南部地域の経済・社会発展」に資すると述べていた。また、「近代的かつ 環境に親和的な技術によるボーキサイトの採掘・加工工業を確立、発展させる」、「持続的 発展を保障」し、中南部地域の「経済・社会と調和のとれた発展を保障」するとも述べて いた。 事業計画は TKV が国家予算と外国借款を原資として実施し、中国の Chalieco 社がボー キサイト採掘・アルミナ精製工場建設を請け負う。期間は 2007 ∼ 2015 年で、2025 年まで 延長できる。投資総額は 100 ∼ 132 億ドルで、約 13 年で回収できる見通しであった。プロ ジェクトの第 1 段階(2008 ∼ 2010 年)では、ラムドン省バオロック県のタンライ、ダック ノン省ニャンコー、およびザライ省コンハーヌンで採掘したボーキサイトからアルミナを 精製し、ラムドン省バオロック県でアルミニウムに精錬する、第 2 段階(2011 ∼ 2015 年) では、ダックノン省のさらに 3 か所でアルミナを生産する、第 3 段階(2016 ∼ 2025 年)では、 上記の各地点での生産を拡大し、アルミニウムの産出量を倍増させる、という計画であっ た(中野・村尾、2011a、2011b)。 しかし、本稿執筆時で計画は 2 年以上遅れており、アルミニウム生産はおろか、その原 料のアルミナさえ、やっとタンライの 1 か所のみで 2013 年から試験的な生産が始まった という状況である。 2. 市民による批判の論点 (1)民主主義の原則違反 ボーキサイト開発プロジェクトに対して、有識者や一般市民から表明された批判の論点 は、まず開発政策の決定が国会の権能、法の支配、国民の知る権利といった民主主義の原 則に反しているというものであった。 法規との関連では、第 1 に、国会の審議を通さずにプロジェクトが認可されたことが問 題視された。国会が 2006 年 6 月に採択した第 66 号決議は、国家的に重要なプロジェクト には国会の裁定が必要と定めている。ボーキサイト開発は国家予算を投じての大規模プロ ジェクトであるにも関わらず、国会に対して秘密のまま実行された。この点について政府
報告は、第 66 号決議は国会の審議の対象となる事業計画を国家資本の 30% 以上の大規模 プロジェクトと定めているが、ボーキサイト開発は規定されたプロジェクトには該当しな い、と説明した。 しかし、ボーキサイト採掘場に付設する工場や、電力・水の供給、廃棄物処理、鉄道・ 道路建設などの経費を含めれば、第 66 号決議で定める大規模プロジェクトに該当する。 また、同決議は環境に大きな影響を及ぼすもの、国防・治安に特に重大な影響を与えるも の、重要な史蹟のある場所でのプロジェクトも国会で審議すると規定しており、ボーキサ イト開発はこれらに該当すると考えられる。 第 2 に、鉱産物法 5)への抵触が指摘された。ボーキサイト開発計画が策定された時点で 効力をもっていた 1996 年制定の鉱産物法は、「政府は鉱産物を原料の形で輸出することを 制限する」と規定していた。批判者らは、アルミニウムの原料であるアルミナの輸出はこ の規定に違反するのではないかと指摘した。鉱産物法は 2010 年に改訂され、事業者に「法 律の規定に沿って」鉱産物を輸出する権利を認めるようになっている。 第 3 に、環境保護法 6)との関連である。同法は、大規模開発プロジェクトに対して戦略 的環境評価を義務づけている。これは、持続的発展を保障するため、プロジェクトの採択 以前に、それが環境に及ぼす影響を分析、予測するものである。環境保護法が規定する戦 略的環境評価の対象には、「国家的な経済・社会発展戦略」、「全国規模の分野・領域の発 展戦略」が含まれている。批判者らは、ボーキサイト開発はこれらに該当するとし、戦略 的環境評価が適切に行なわれたのかという点を質し、その内容を公表するよう要求した。 第 4 に、プロジェクトのために中国人労働者が多数流入するという見通しから、労働 法 7)との関連が問題視された。ベトナム国内で就労する外国人労働者の実際の数は明らか ではないが、特に中国人の場合、ベトナムの労働法に従った手続きを経ずに入国し、不法 就労する者が数十万人規模で存在すると言われている(中野・村尾、2011b)。2014 年 6 月に は、南シナ海の西沙群島付近に中国が石油探査設備を設置したことがきっかけで、ベトナ ム国内の中国系企業が襲撃され、複数の中国人が殺傷される事件が発生した。中国人労働 者の問題は、次に述べる治安・安全保障上の問題にもつながっている。 (2)治安・安全保障上の問題―中国人労働者の流入への警戒 中南部高原地帯は、ベトナム戦争の時期には、現在の共産党政府と敵対したベトナム共 和国(南ベトナム)の領域に属していた。ラオス、カンボジアと国境を接する戦略上の要 衝でもあり、戦争の最終局面で、ベトナム民主共和国(北ベトナム)軍と南ベトナム解放 民族戦線がこの地域を制圧したことにより勝敗が決定的になった。 このような戦略的に重要な地域に、中国のアルミニウム会社が進出することについて、 特に革命功労者である退役軍人らが最初に批判の声をあげた。ボーキサイト開発現場に は、1 万人を超える中国人労働者が流入して来ると予想されていた。日本でも有名な ヴォー・グエン・ザップ将軍(元国防相、2013 年死去)は、党・国家指導部に 2009 年初め から 3 度にわたって公開書簡を送り、開発反対運動のシンボル的な存在となった。軍人や
有識者の中には、ボーキサイト開発を中国のインドシナ進出戦略の一環とみなし、海南島 の中国軍基地と、ベトナム中南部高原の 2 方向からベトナムに圧力をかけることが北京指 導部の狙いとする見方もあった。中国のスパイが労働者に扮して潜入しているとも噂され た(中野、2012)。 (3)開発対象地域への社会・文化的影響への懸念 ダックノン省とラムドン省の人口は約 162 万人とされているが、多数民族のキン族(狭 義のベトナム人)のほか、エデ、ムノン、コーホー、ラグライ、タイー、ヌンなどの少数民 族が居住している。少数民族の中にはキリスト教徒、特にプロテスタントが多い。旧南ベ トナム時代には、少数民族組織「被抑圧民族解放統一戦線(FULRO)」が組織され、米軍 の支援の下に現在のハノイ政府側と闘った。FULRO のメンバーは、戦後は主にアメリカ に移住したが、一部は現在も中南部高原に残存しているという。このような歴史的背景か ら、現在でも少数民族プロテスタントに対する差別的な政策や、宗教指導者や信徒に対す る治安機関による人権侵害などの事例が報告されている。2001 年と 2004 年には、大規模 な少数民族の抗議行動が発生している。 ボーキサイト開発によって、タンライでは 1639 世帯が生活や職業に影響を受け、その 中の 700 世帯(うち 230 世帯が少数民族)は移住を強いられると予測されていた。ニャンコー では 861 世帯が影響を受け、その中の 83 世帯(うち 15 世帯が少数民族)が移住しなければ ならないという予測であった。中南部高原の状況に詳しい作家グエン・ゴックらを中心 に、これらの住民の生活や伝統文化は守られるのか、社会的安定は保たれるのかという疑 問が提起された。 この点について、政府報告では、ボーキサイト開発は「経済・社会的に極度に困難な地 域である中南部高原の経済・社会発展を目的とする」もので、この地域の「労働構造の転 換を促し、雇用を創出し、人々の収入を増加させる」、「中南部高原諸民族の経済発展と生 活改善」、「経済発展と文化・社会的発展の調和」を保障する、と約束されていた。タンラ イとニャンコーのプロジェクトでは、それぞれ約 1500 ∼ 1700 人の労働力を吸収できると も見積もられていた。 少数民族については、政府報告は「地元の少数民族同胞の若者を優先的に訓練するとい う原則に立ち」、「地元の少数民族の若者数千人に雇用を創出し、経済水準を高める」とい う見通しを示していた。また、各地方省の人民委員会に「TKV と協働で、補償、土地収用、 移住と再定住を滞りなく実施すること、また移住先での生活が移住前のそれよりもよくな ることを保証し、補償と再定住の過程では、少数民族同胞の風俗・習慣の保存、発展と文 化的特色の維持に関心を払う」任務を委託した、という説明であった。 (4)環境への影響に対する不安 プロジェクトが自然環境に及ぼす影響については、廃棄物の問題が懸念された。アルミ ナ製造の過程では、粉砕したボーキサイトに水酸化ナトリウムを加えて加圧加熱し、アル ミン酸ソーダを得る。この過程で分離された不純物は、その中に含まれる酸化鉄の赤い色
から「赤泥」と呼ばれている。政府報告におけるアルミナ生産計画では、この赤泥が 1 日 に 5 万t排出されることになる。 2010 年 10 月、ハンガリーのアルミナ工場で廃液を貯留していた池の側壁が決壊し、100 万 m3の廃液が周辺の街に流出する大事故が発生した。この事故は、自然環境への影響、 安全対策という面でベトナム国内の世論を刺激することになった。 土地法は、鉱業用地について「環境保護、廃棄物処理その他の措置をとる」ことを定め ている。政府報告は、「赤泥の成分には環境を害する毒性の物質、放射性物質は含まれて おらず、有害廃棄物には属さないという信頼すべき結論が出た」と述べていた。「赤泥の 溶液には pH 12.5 以上のアルカリ性の成分がある程度残留しており、これが土に浸透する と周囲の土壌に有害であり、水源を汚染することになる」と認めていたが、中国の処理技 術の水準は証明済みとの説明であった。しかし、後述するように、中国企業にはベトナム の中部高原で産出される種類のボーキサイトを加工した経験がなかったことが判明する。 (5)経済効果への疑念 ボーキサイト開発がもたらす経済効果について、政府報告は、TKV は「諸経費を十分 計算して分析・算出」しており、投下資本は 13 年で回収できるという見通しを示してい た。アルミナの輸送については、鉄道ができるまでは道路輸送に頼るが、鉄道が完成すれ ばより経済効果が高まると予想していた。アルミナの販売価格の平均は 1t当たり 362 ド ルという見積もりであった。また、ボーキサイト開発事業の波及効果として、「交通・運 輸、機械、建設、都市開発、貿易、ホテル業、観光業、娯楽、飲食業などに関連する各サー ビス業部門の発展を招く」という予想で、「これは、農林業中心から多角的な産業へと、 地域の経済構造の転換を促す」と説明された。 しかし、批判者らは、これらの見積もりや地域への波及効果にも疑問の目を向けていた。 アルミナの輸出先が主に中国であることから、中国への経済的な依存が増大するのではな いか、また、電力や水の供給、廃棄物の運搬・処理など、関連インフラ整備の負担が大き すぎるのではないかと指摘された。 この国会での政府報告はあくまでも一方的な説明で、ボーキサイト開発問題は議事予定 に入れられなかった。国会議長の判断で審議は行なわれず、議員からの質疑応答だけで、 しかも質問を認められたのは、493 名の議員中わずか 10 名だった(中野・村尾、 2011b)。そ れでも、国会と一般市民からの批判は、次に示すように一部の法規と政策に一定の影響を 与えた。 3. 法規・政策の修正 (1)事業管理体制の整備 商工省は 2009 年 10 月、「中部高原ボーキサイト・プロジェクト実施指導委員会」の設 置を決定した。その主な任務は、TKV の工程と作業内容をチェックし、法規を遵守させ ること、商工相への報告、そして問題への対策を提言することである。同委員会は、商工
省次官を委員長とし、同省重工業部の正副部長、交通運輸省の環境部長、資源・環境省の 地質・鉱産物部長、その他中央各省の官僚、および TKV の代表から構成されていた。し かし、政府や事業主から独立的な立場の専門家や、地元住民の代表は最初から含まれてお らず、市民が参加するガバナンスという考え方は存在しなかった(中野・村尾、2011b)。 (2)外国人労働者の管理強化 2009 年 9 月、労働・傷病兵・社会省は「ベトナム国内における外国人労働者管理の強化 に関する通達」を出した。この通達は、全国各省と中央直轄市に対し、管轄地域で就労す る外国人労働者の状況を定期的に調査し、毎月報告するよう求めるものだった。また、従 業員の採用、労働許可証の発給、労働期間の延長に関する規定を精査するとともに、外国 人を雇用する外国の建設業者に注意するよう指示し、違反が発見された場合は法律に従っ て強制退去を含む厳格な措置をとるよう求めていた(中野、2012)。その結果、中国人のみ ならず、外国人一般に対するビザ発給の条件も厳格化され、ベトナムでの企業や民間団体 の活動などが制限されることになった。 また、ホアン・チュン・ハイ副首相からラムドン省のボーキサイト開発当局に対し、外 国人を含む労働者の管理、労働環境の管理、工場での安全対策の実施、さらに地元の人材 から技術要因や労働者を養成するよう求められた。しかし、同副首相は、地域住民には問 題解決への参加ではなく、政府や TKV の方針に従うことを求めただけであった(中野、 2012)。その後、雇用の創出や安全対策が向上したかどうかについては、まだ調査が必要だ が、住民がガバナンスの主体になるという発想は、政府側にはないと言えよう。 (3)鉱産物法の改正、鉱物資源採掘の管理強化 2010 年 6 月の国会では、新たな鉱産物法の草案が審議された。資源・環境相は、1996 年制定(2005 年改正)の鉱産物法では、一部の規定がもはや現状に適さないと説明し、新 鉱産物法の草案は、鉱産物に関する国際法規に沿ったものであることを強調した。 グエン・タン・ズン首相は、2011 年 11 月の政府定例会議で、鉱産物は再生不可能な資 源であると強調し、鉱産物開発の各プロジェクトについて、鉱物を原料の形で輸出しない よう求めた。原料の形の輸出は 1996 年の鉱産物法でも禁止されているが、現実には行な われていたことが推察される。首相は、認可済みの鉱産物開発プロジェクトと、既に鉱物 を採掘しているプロジェクトを再点検し、問題のあるものは即刻停止するよう求めた。そ して、各種の鉱産物の採掘について具体的な「指導的意見」を述べ、その一部については、 輸出の禁止または停止を指示した(中野、2012)。この会議を機に、資源の切り売りになら ない持続的発展の重要性について、政府内部で認識が共有されたと考えられる。 (4)開発計画の見直し 2010 年 11 月の国会では、議員から鉱物の採掘、加工、輸出についての質問が出され、 首相は「新たな鉱物の採掘許可を一時停止した」と答弁した。首相によれば、他の採掘計 画も再検討され、環境汚染を引き起こすものは直ちに停止される、再検討後に計画を修正 した上で、採掘・加工を継続することになったという。また、政府は、ラムドン省とダッ
クノン省におけるボーキサイト開発プロジェクトを「試験的」なものと位置づけることを 決定した(中野、2012)。
Ⅱ 現地調査の結果
1. 第 1 回調査(2012 年 2 月) ボーキサイト開発をめぐる政府の説明と、社会からの批判の論点を検証するため、筆者 らは 2012 年 2 月に第 1 回目の現地調査を行なった。行政当局に正式な調査の申請をしても 許可される可能性はなく、また現地に外国人が長く滞在することで治安当局の警戒を招 き、ヒアリングの相手に何らかの圧力がかかる場合もあるため、非公式な調査を 4 日間と いう短時日で実施せざるを得なかった。それでも住民たちの話から俯瞰して、次のような 問題点が浮き彫りになった 8)。 (1)民主主義の原則―情報公開・説明責任の不足 第 1 の論点である民主主義的原則に関する問題については、行政・企業側から住民への 情報開示と説明が十分に行なわれていないことが窺われた。タンライとニャンコーのボー キサイト加工工場周辺の住民は、みな十数年から二十数年前に、主に北部諸省から移住し てきた開拓農民であった。親族を基本に数世帯単位で集住し、森林を開墾して、コーヒー、 胡椒、カシューナッツ、タピオカなどを栽培している。農業による収入は土地や作物に よって異なるが、ニャンコーの農家の例では、コーヒーなら 1 ha 当たり年間約 2 tの収穫 があり、4000 m2の耕地で 4 万ドルの収入になるという話だった。 ニャンコーでは、2012 年の時点で工場建設は 2 年遅れていた。工期の遅れの原因は、主 に TKV の予算不足から、土地の収用が遅れているためである。ニャンコー住民によれば、 土地が収用 9)されて補償金が交付されれば、3 カ月以内に移転しなければならない。移転 を拒否すれば、重機で家を壊すなどの強制的措置がとられるという。土地法は土地使用計 画の公開を定め、人民の意見聴取を義務づけている。また、収用する土地への補償は「国 家の義務」であり、土地使用者への補助や再定住などについて詳しく規定している。しか し、筆者らがヒアリングを行なった住民の中で、工場の建設や拡張計画、土地の収用計画 や代替地などについて、詳しい説明を受けている者はいなかった。情報があっても曖昧な ため、生活設計ができない状況に立たされていた。 タンライでは 2013 年に工場が完成したが、その前年に実施した第 1 回調査の時点では、 周辺住民は今後の工場拡張計画について知らされていなかった。移転が決まった住民も、 補償金の問題を抱えており、移転の補償金の額、交付の時期についての説明責任も、十分 に果たされていないことが分かった。 (2)中国人労働者問題―中国「脅威」論とのギャップ 第 2 の論点である中国人労働者の流入については、それが地元の社会に大きな影響を及ぼしているという証左は得られなかった。プロジェクトの開始当初は中国人の技術者が来 ていたが、既にほとんど帰国しており、中国人労働者は工場の敷地内の宿舎で生活し、地 域住民との関わりは希薄なようだった。都市在住の軍人や知識人による中国の「脅威」と いう言説と、現地の実態との間にはギャップがあることが認められた。 (3)社会・文化的影響―少数民族チャウマーの事例 第 3 の論点である社会・文化的影響を明らかにするためには、長期的な観察が必要であ り、短期の調査からは結論を出すことができない。少数民族に関しては、筆者らは、タン ライの工場建設によって移転し、再定住地に住むチャウマー族の住民にヒアリングを行な うことができた。工場から 2 ∼ 3 km 離れた場所にある再定住地域には、チャウマー族の 26 世帯が 2008 ∼ 2009 年頃から移住し、TKV が無償で提供した家屋に居住している(写真 1)。ある家族の話では、ボーキサイト開発計画を知らされたのは「4 年前」とのことであ るから、計画を知ってすぐに移転させられたことになる。TKV が建てた家は、家賃を支 払う必要はないが、電気や水道のために現金が必要で、企業が提供した宅地では農業や牧 畜も不可能で、移住によって生活環境が大きく変化していることが見てとれた。家族の成 員がそれぞれ茶摘みや茶葉加工の作業に出かけたり、省境の農園で住み込みで働いたりし ているという話から、家族がばらばらになる生活を余議なくされていることも推察された。 (4)環境への影響―工場建設による環境被害 第 4 の論点である環境への影響については、ボーキサイト工場の建設によって地域住民 が実際に被っている被害に適切な対策がとられてないこと、工場の稼働後に発生し得る環 境リスクについて、企業側と住民とのコミュニケーションが不足していることが明らかに なった。 ニャンコーのある農家では、建設中のボーキサイト工場の敷地から、畑や池に土砂が流 入して 360 m2の土地が埋まり、農作物や池で捕れる魚による現金収入が得られなくなって いた(写真 2)。行政機関や TKV に訴えたが、TKV 側は実質的な対応をしていない。県は 写真 1 移転した少数民族のため TKV が提供した 住宅(タンライ、2012 年筆者撮影) 写真 2 工場からの土砂で埋まった池 (ニャンコー、2012 年著者撮影)
会社に問題の早期解決を促したが、TKV は土砂に埋もれた土地の面積を計測しただけで、 何の対策もとらず、補償もしていない。工場の騒音や振動に対して、付近の住民は「1 年 間に 7 ∼ 8 回」苦情を申し立てたが、適切な対応は取られていないという。 タンライでは、第 1 回調査の時点で工場が試験稼働の段階に入っており、環境への影響 がより明確であった。周辺住民からは、工場のトラックによる土埃の被害が大きい、住民 の交通に支障がある、工場の機械の試運転があると騒音がひどい、水の汚染が心配だとい う声が聞かれた。タンライ工場は、2011 年 8 月に廃棄物を流出させたために、ラムドン省 から約 2500 ドルの罰金を課されている。2012 年 4 月には、規定値の 1.83 倍の亜硫酸ガス を排出したため、約 2000 ドルの罰金を課されている(中野・村尾、2012)。 ニャンコーとタンライのいずれの地域でも、企業や行政当局からこのような環境リスク について事前の説明はなく、問題発生後にも何らかの通知がなされたことはないという。 (5)経済効果―地元への波及効果は証明できず 第 5 の論点である経済効果についても、短期の調査で結論を出すことはできない。筆者 らの調査の時点では、住民に対する雇用機会の創出や、職業訓練、人材育成という地域へ の波及効果は認められなかった。むしろ、前述のニャンコーの農家のように、土砂流出に よって経済生活に損失が発生している例が見られた。タンライでは、茶を栽培していた農 民が、移転の補償が滞っているために生産意欲を失い、収穫が減少しているという話が聞 かれた。茶葉の仲買人によれば、もともと 1 日に約 10t売買していたが、調査時点では 1 日 1t程度、つまり約 10 分の 1 に減少したという話であった。 工場の労働者は、筆者らがヒアリングを行なった限りでは、すべて別の地方からの出稼 ぎであった。ニャンコーの建設労働者の場合、賃金は仕事の内容によって異なるが、平均 で 1 日約 7.5 ドルとのことだった。タンライでも、排水ポンプの設置、トラックの運転な どに携わる下請け会社の作業員は、地方からの出稼ぎだった。それらの労働者も、仕事が なくて賃金が支払われない日もあるという状態であった。工場に雇用される場合も正社員 ではなく、雇用期間も定められておらず、賃金も明確に保証されていないという話であっ た。そもそも、非正規の単純労働者を多数採用することはないという。地元の労働力を積 極的に活用するという企業の意思は認められず、前述の政府報告や、後述する関係省庁の 説明と現実との間には、大きな差異があると言わざるを得ない。 2. 第 2 回調査(2014 年 9 月) 筆者らは 2 年半後の 2014 年 9 月に 2 度目の現地調査を行ない、状況の変化を検証した。 1 の(1)∼(5)の論点のうち、(2)の中国人労働者問題、(3)の社会・文化的影響につ いては、1 度目の調査の時から特に変化は見られなかった。地元住民にとって緊急性のあ る問題と言えるのは、(1)の説明責任問題、(5)の地元への経済効果、そして特に(4) の環境への影響であった 10)。
(1)住民への説明責任―異議申し立てはできず 第 1 回の調査では、工場の建設予定や土地収用の計画、補償金などについて詳しい説明 を受けたという住民には全く出会うことがなかったが、第 2 回の調査では、村長(末端の 行政単位「トン(thôn)」の長)が、2005 年から数回、住民を集めて説明を行なっていると いう話を聞くことができた。しかし、たとえば道路沿いの土地の場合、1 m 当たり(奥行 きは無関係)の市場価格が約 1500 ドルであるのに対し、補償価格は 6 分の 1 の約 250 ドル に過ぎず、住民が移転によって利益を得ているという状況ではなかった。補償金の額など に不満があっても、異議申し立ての手段をもたないか、たとえ申し立てても効果はないと いう実情である。 (2)地元への経済効果―雇用機会拡大の証左なし 工場が稼働を開始したタンライでは、工場で働いている地元の住民もいるが、非正規雇 用で日給は約 10 ∼ 15 ドルとのことで、従来の農業収入と比べて不安定という状況は、前 回調査時から変わっていなかった。地元の住民からは、前回調査と同様に、工場に雇われ る場合でも低賃金の仕事しかないという声が聞かれた。筆者らのような外国の研究者がア ンケート調査等を実施して統計を得ることは現実的に困難だが、ヒアリングから得た情報 からは、政府報告が示したような「1500 ∼ 1700 人」というレベルの安定的な雇用が発生 している証左は得られなかった。 タンライでは、次の(3)で示すような環境の悪化から地価が下落し、土地が売れない ため、残っている住民は移転したくてもできない状況であった。工場付近の住宅や店舗は、 前回調査時と比べて減少しており、政府報告にあるような各種産業の発展という波及効果 は確認できなかった。 (3)環境への影響―汚染による被害 ニャンコーでは、第 2 回調査の時点でも工場はまだ建設途上で、赤泥貯留池の建設がこ れから始まるという段階であった(写真 3)。しかし、住民からは既に、工場稼働後の赤泥 による汚染を心配する声が聞かれた。それでも、仮に自分の土地が汚染された場合でも、 積極的な抗議を行なうという考えはなく、他所に移転するしかないという話であった。 タンライの工場は、2013 年から試験稼働が始まり、第 2 回調査の時点では、予定よりは 少ないがアルミナの生産が行なわれていた(写真 4)。一方、工場の稼働によって周辺の環 境が悪化していることは、短時日の調査でもはっきりと見受けられた。工場周辺では騒音 が常時あり、空気には粉塵が混じり、異臭が感じられた。工場正門前の住民の話では、「工 場ができてからは、井戸の水が汚くなった。空気が悪く、子供を外で遊ばせられない」と のことであった。 ボーキサイトの採鉱場とアルミナ製造工場を結ぶベルトコンベアの脇にある製茶工場で は、工場の裏手に造った池から茶畑に水を供給し、魚を獲っていたが、工場建設後は水が 汚れて魚が大量に死んだ、という証言が得られた(写真 5)。工場の従業員によれば、この 件については新聞社の取材があり、記事にもなったが、何も変わらないという。周辺地域
では牛の放牧も行なわれており、家畜の飲み水への影響も懸念される。 比較的早い時期に工場から 3 ∼ 4 km 程の場所に移転して、経済的には損害を被っていな い世帯でも、工場のトラックの騒音や、工場の排気の異臭、井戸水の汚染への不安の声が 聞かれた。この地域の一般世帯は、水道水を屋上のタンクに溜めて飲料水、調理用水とし ているが、その水も時々汚れているため、フィルターで濾過している。住民によれば、工 場ができる以前と比べて水が汚れており、オイルや塵が混じっていることもあるという。 水道会社に訴えたが、話を聞くだけで何も対応しないとのことであった。 タンライ工場で製造されたアルミナは、ラムドン省の省道 725 号線、国道 20 号線、ド ンナイ省の省道 769 号線を順に経由して、暫定積み出し港であるゴーザウ港まで運ばれて いる。これらの道路の拡張工事と途中の橋梁の補強工事も、当初の計画から 2 年以上遅れ て進められている(写真 6)。いずれも地域住民の生活道路で、児童・生徒が自転車で通学 する姿も見られるが、第 1 回調査時と比べて工事用車両やボーキサイト工場に出入りする 写真 4 2013 年にアルミナの生産を開始した タンライ工場(2014 年筆者撮影) 写真 3 建設が 2 年以上遅れているニャンコー 工場(2014 年筆者撮影) 写真 5 写真 4 の工場建設後に魚が大量死したと いう池(タンライ、2014 年筆者撮影) 写真 6 アルミナを輸送する道路(ドンナイ省、 2014 年筆者撮影)
トラックの通行が増えている様子だった。道路工事による粉塵で視界が真っ白になるほど で、周辺住民の健康被害や交通事故の危険の増大が推察された。報道によれば、2014 年初 めから 8 月下旬までの間に、ラムドン省ではアルミナ運搬に関連する事故が、毎月少なく とも 1 件は発生しているとされる(中野・村尾、2014b; Nakano, 2014)。
Ⅲ ガバメントの不備とガバナンスの欠如
1. 総合的開発戦略の不備 ボーキサイト開発プロジェクトの実施は、既に 2 年以上遅れている。この間に、予算を 含めさまざまな点で計画が破綻し、プロジェクトに関するガバメントの不備が明らかに なった。 (1)「主観的」予算計画 2013 年 5 月、ベトナム科学技術連合の主催する会合で、TKV は初めて次のような数字 を公開した。タンライ・プロジェクトへの投資額は、2009年は約6億7000万ドルだったが、 2013 年 3 月にはさらに 1 億 8200 万ドルを追加せざるを得ず、約 30% の増額となった。理 由は諸物価の上昇と、当初のコスト計算が「主観的」だったためとされる。その結果、投 下資本の回収期間も 2 年以上延びることになった。ニャンコー・プロジェクトには、これ まで約 3 億 4000 万ドルが投入されたが、工期の遅れで約 8500 万ドルの損失が生じた。政 府報告は「経費を節約し、効率的」な生産を行なうとしていたが、この点でも綻びが生じ ることになった。 一方、プロジェクトを批判する知識人による試算では、工期の遅れによって、タンライ では 2013 年 5 月までに、少なくとも 7000 万∼ 8000 万ドルの財政上の損失を出している。 ニャンコーでは、工場建設だけでも年間約 3 億 5000 万ドルが費やされている。これらが アルミナ生産のコストに反映されると、アルミナ 1tのコストは約 500 ドルとなる。政府 報告では、1t当たり 362 ドルと見積もられていた。TKV の当初の計画でも、1tの輸出価 格は 450 ドルとされていた。この数字に従えば、1t当たり 50 ドルの赤字となり、年間約 3000 万ドルの損失になる(中野・村尾、2014a)。 (2)インフラ建設の遅れ アルミナ輸送路の整備が遅れ、交通の危険が増していることは、アルミナを積み出す港 の建設プロジェクトが頓挫したこととも関連している。2007 年の首相による 167 号決定で は、中南部のビントゥアン省のケガーにアルミナを搬出する港を建設することになってい た。しかし、ケガーの地形や海流は複雑で大型船の航行には危険なこと、漁業や生態系へ の影響など、専門家の間から批判が出ていた。TKV の当初の計画では、同港の建設には 約 500 億ドルが投入され、2015 年には 100 万∼ 150 万t、2025 年には 250 万∼ 300 万tの アルミナの積み出しが可能になるはずであった。しかし、建設予定地には既に 12 件のリゾート地開発計画があり、TKV と開発事業主と の間で土地の売買交渉が滞ったため、港の建設は 5 年間まったく進まなかった。2013 年 2 月、首相の決定によりケガー港建設計画は中止された。TKV の説明では、「技術面に問題 があり、経済効果も期待されない」ことが理由とされているが、最初から緻密な開発計画 が立てられていなかったと見られる(中野・村尾、2014a)。 政府報告では、アルミナの搬出は最初の段階だけ道路輸送に頼り、新たに鉄道を建設し て輸送効率を高めるという構想であったが、これまでのところ鉄道建設は構想のままに留 まっている。報告は、ボーキサイト開発は「ベトナムの工業発展計画、地方の経済・社会 発展および関連インフラ(交通・運輸・港湾・電力等)発展計画に適合したものでなければ ならない」としていたが、道路、鉄道、港湾の建設計画いずれとも適合性を欠いていたこ とになる。 (3)中国企業の技術レベルの問題 政府報告は、タンライとニャンコーで用いられる中国の技術は「先進的アルミナ・アル ミニウム工業部門をもつ国々の国際的なレベルに準ずる」、「中国の技術は実際に検証済み であり、ベトナムでの各プロジェクトに適用が可能である」、「TKV は入札時のデータに 沿って、技術面の検査・査察と技術移転の受け入れに責任をもち、先進的技術を保障する」 としていた。 しかし、中国企業はベトナム北部山地で採れるダイアスポア主体のボーキサイトを加工 した経験しかなく、中南部高原で採れるギブサイト主体のボーキサイトからアルミナを生 産した経験がないことが明らかになった。しかも、古い技術と設備で試行錯誤的に作業し、 それが汚染物質の発生にもつながっているという(中野・村尾、2014a・b)。政府報告は「近 代的かつ環境に親和的な技術」によって「持続的発展を保障」すると謳っていたが、この 点も疑問視せざるを得ない。 (4)政府・企業の説明 ボーキサイト開発計画の大幅な遅れは、政府と国有企業に対する批判を募らせた。説明 を求められたヴ・フイ・ホアン商工相は、計画が遅れている理由について、「ベトナムで は初めての試み」であり、「莫大な資金管理の経験がない」「複雑な技術が要求される」と いう理由を述べた。このような答弁は、自国の経験、資本管理能力、技術レベルなどの条 件に則した開発戦略を策定するガバメント能力の不足を物語っている。 一方、TKV は工期が遅れた理由として、第 1 に「大規模で複雑なプロジェクト」である こと、第 2 に用地の収用が遅れていること、第 3 に 2010 年のハンガリーの赤泥流出事故を 受けて、赤泥貯留池のテストに時間がかかっていること、と説明した。それに加えて、第 4 にプロジェクト継続の可否をめぐる「世論の影響」があること、第 5 に中央・地方当局 の視察とメディアの取材が多く、TKV と中国の Chalieco 社に「精神的な影響」があること を挙げた。特に第 4、第 5 の点については、国家的大規模プロジェクトの当事者がこのよ うに認めることは異例である(中野・村尾、2014a)。
(5)事故の発生、安全対策の問題 プロジェクトの実施が遅れる中で、現場では深刻な事故が発生し、それがさらに計画の 進行を遅らせている。2014 年 5 月には、タンライの工場で高圧ポンプを使用していた作業 員の上に赤泥が落ちかかり、1 名が死亡、1 名が重傷を負う事故があった。 2014 年 10 月、タンライ工場で、原鉱から不純物を除去した廃水の貯留池の防壁が決壊 し、5000 m3以上の廃水が 5 ∼ 7 km2の範囲に流出した。ラムドン省資源・環境局の発表で は、事故の原因は、水分が浸透して防壁が劣化していた上に、大量の雨が連日降り続いた ことによるという。TKV は、流出したのは赤泥ではなく、有害物質を含まない中性の水で、 自然環境や農産物への影響はないと声明した(中野・村尾、2014b)。 しかし、地域住民としては、もし同様の事故で赤泥が流出したらどうなるのか、という 不安が高まったと推察できる。筆者らの現地調査の際には、廃水や赤泥が流出する事故の リスクについて、住民への説明が行なわれていたという情報は得られていない。 商工省は 2014 年 2 月の国会常務委員会への報告で、赤泥貯留池の予算の削減を求めて いた。同省によれば、貯留池の安全性について「世論の圧力」があったため、その建設に 約 1192 万 5000 ドルの追加投資を行なったが、安全性は基準以上であり、予算の無駄であ るという説明であった。また、5 月の国会常務委では副首相が、赤泥貯留池には気候変動 の影響を考慮した安全対策がとられていると説明していた(中野・村尾、2014b)。しかし、 実際に事故が発生したことで、リスク情報を発信する側への不信感が高まったと考えられ る。 2. ガバナンスの前提条件の欠如 (1)公式見解と現状の乖離 筆者らは、2012 年 2 月に商工省と資源・環境省を訪問して官僚へのインタビューを実施 した。商工省次官の説明は、次のようなものだった。つまり、ベトナムの鉱業は環境に十 分配慮しており、鉱産物法も「時代に合わせて」3 回改正され、鉱物資源の輸出は禁止さ れている、開発計画の透明性についても意識しているという説明である。 地域社会への影響については、次のような説明であった。ベトナムの資源は山岳地域に 多いが、そのような地域は教育レベルが低く、開発には配慮が必要である。開発政策では 先住民に対する差別的な内容はまったくなく、地域社会に配慮している。山岳地域での雇 用創出が課題である。住民の移住については、住民の職能訓練と雇用に十分配慮しており、 これまで移住政策で問題が発生した事例はないという。 商工省次官は、中部高原のボーキサイト開発については、「移転する住民には十分な補 償が支払われ、他の住民から妬まれているほどだ」と語った。文化面にも配慮しており、 たとえば、地域の伝統家屋をそのまま移設するような措置に多額の予算を割いている。そ のような情報は公開され、関係者に周知されているという。 資源・環境省では、鉱業管理課長が次のように説明した。まず、新しい鉱業法は、国家、
鉱産地の地域住民、資源産業の間のバランスをとることを目指している。また、企業の責 任は明確化されている。さらに、企業は地元住民に配慮しなければならず、ボーキサイト 開発予定地については地元住民の雇用が優先される、ということである。 しかし、このインタビューと同じ時期に行なった前述の第 1 回調査の結果では、住民へ の情報公開は進んでおらず、地元の雇用機会が拡大しているという証左もなく、住民は環 境面の被害に悩んでいた。むろん、「伝統家屋をそのまま移設」した例も見られなかった。 (2)自由な議論の制限 ボーキサイト開発をめぐる諸問題に対する関係省庁の認識を探り、多様なステークホル ダーを包摂したガバナンスの可能性を検証するため、筆者らは 2013 年 3 月にハノイにお いて、ベトナム商工省との共催で、「持続的発展、環境保護、人間の安全保障―ベトナ ム鉱業の明るい未来に向けて」と題する国際ワークショップを企画した 11)。目的は、「鉱 物・エネルギー資源開発をめぐるガバナンスのグローバルな潮流に関する情報を共有し、 市場経済移行国としてのベトナムの鉱業の現状について意見交換を行なうことにより、持 続的発展、環境保護および人間の安全保障実現への道を開くこと」と設定した。ワーク ショップには、市場経済移行国のモデルとしてモンゴル、鉱物資源開発の先進国として オーストラリアからそれぞれ専門家を招聘した。 しかし、商工省側は、一旦はワークショップ開催には同意したものの、準備段階から既 にボーキサイト問題を取り上げることに拒否反応を示した。不自然な理由をもって開催時 間を短縮しようとしたり、筆者らが提案した資源・環境省からの代表者や、民間の調査機 関「発展諮問研究所(CODE)」代表者の出席についても、これを拒否した。CODE はボー キサイト開発の可能性についても詳細な調査報告書を作成しており、CODE の所長はこの 開発プロジェクトに批判的な意見の持ち主として知られている 12)。これら代表者の出席を 拒否されたため、現状報告者は商工省重工業局長のみとなった。 筆者らは、ボーキサイト開発に批判的な有識者の出席も提案したが、これに対し商工省 側は、ボーキサイト開発の事例を取り上げることを明確に拒否した。また、当初予定され ていた商工省次官と重工業局長の出席も取り消され、ワークショップ当日には、同省側の 都合でオープン・ディスカッションも中止された。このような結果から、政府機関の官僚 が多様なステークホルダー、特に国家の方針と見解を異にする人々とのコミュニケーショ ンに極めて消極的であり、ガバナンスが成立する民主的土壌が欠如していることが見てと れる。 (3)都市部と開発地域のコミュニケーションの欠如 政府当局の説明と開発地域の現状にギャップがあるだけでなく、開発に批判的な都市部 の知識人と、現地住民とのリスクに対する認識にもギャップがある。 ボーキサイト開発問題の顕在化後、2009 年年 4 月に、文学者グエン・フエ・チー教授、 教育学者ファム・トアンらを中心に、ウェブサイト「ボーキサイト・ベトナム」が開設さ れ、市民からの意見や公認のメディアが報道しない情報を掲載するようになった。その後、
このウェブサイトは、ボーキサイト開発問題だけでなく、ベトナムの政治、経済、社会に 関するさまざまな情報と、個人の自由な意見を発信するようになっている。 筆者らは 2012 年以降、サイト開設者らの意見を聴取し、インターネットを通じて情報 交換を行なっている。それを通じて分かることは、ボーキサイト開発から生じるリスクに ついて、都市に住む知識人の認識は、中国の影響力の拡大や事業の採算性に比重が置かれ、 環境問題への関心は相対的に低いという傾向である。特に、中国企業の進出、中国人労働 者の流入は、彼らの言論活動で最も重大なテーマである。ホーチミン市に住むあるジャー ナリストは、もし事業を請け負うのが日本企業ならどうか、という筆者の質問に対し、「そ の方がベトナム人は安心するだろう」と語った。 一方、開発現場の住民は、前述のように水や空気の汚染、粉塵、騒音による被害、交通 事故の危険など、直接的な環境リスクに晒されつつある。ヒアリングを通じても、中国企 業や中国人労働者の存在、アルミナが中国に輸出されることなどについては、住民はあま り意識していないことが感じられた。 これまでのところ、都市部の知識人と現地住民とのコミュニケーション・ネットワーク は形成されていない。ニャンコーとタンライの住民にはインターネット環境も十分にな く、このことが両者のリスクに対する認識や、メディア・リテラシーの格差につながって いると言えよう。都市住民はインターネットを通じて容易に世界と繋がれるのに対し、都 市と農村の住民が連携してリスク・ガバナンスを成立させることは、今のところ非常に困 難な状況である。
おわりに
ベトナムでは経済活動の自由化が進められたが、共産党一党支配が継続しているため、 大規模な開発においては、資源の配分は党・国家指導部によって決定される体制にある。 一方、開発の過程で発生するさまざまなリスクは、開発対象地域の住民個人に転嫁されて いるのが現状である。 中南部高原のボーキサイト開発プロジェクトの場合、筆者らの調査の結果、現地の住民 は開発の受益者となる以前にリスクのみを負わされていることが明らかになった。住民が 直面しているリスクについて正確なデータを集め、それを様々なステークホルダーの間で 検討し、リスク・マネージメントに関する合意を形成することが必要である。そして、客 観的、科学的なリスク評価を政策決定者に伝達し、政策の修正を促すことが喫緊の課題で あろう。 しかし、本稿で指摘したように、ボーキサイト開発に伴うリスクについて、都市部の知 識人と開発現場の住民との間には、少なからぬ認識のギャップがある。前者が主に中国の 「脅威」や経済効果について警告を発しているのに対して、後者は個人の健康や安全に直接的な被害を受けつつある。そして、公権力による統制のため、両者はいまだに自発的な コミュニケーション・ネットワークを形成することができないでいる。都市部の有識者が インターネット上で環境面のリスクを指摘したとしても、地元住民はそれに呼応して政策 の修正や変更を申し立てる手段をもたない。そのような状況であるからこそ、開発に伴う リスクのどの部分に焦点を当て、それをどのように評価し、それによってどのように政策 決定者を動かすかが問題となる。 また、現在の政治体制の下では、科学的な調査とリスク評価だけでは、政策の修正、変 更を促すことはできない。共産党政府と国有企業は緊密に結びついており、ボーキサイト 開発に関するリスクは TKV の自己評価に任されてきた。将来の持続的発展のためには、 独立的な専門機関が現状を調査し、事業計画を再評価するシステムが必要である。そのよ うな自律的な活動が国内では困難とすれば、現地住民の安全を保障するためには諸外国や 国際組織の支援も必要であろう。ベトナムの市民が、中国の「脅威」や技術は不安だが日 本なら安心だと認識しているなら、日本からの助言と協力には一定の効果が期待できる。 環境ガバナンスの前提となる自由な議論が制限されている現状では、ベトナム的なガバ ナンスがあり得るのかどうかについて、まだ答はない。しかし、当面の環境リスクを回避 するために、ベトナムに適切なリスク評価のシステムを構築する必要があると言えよう。 (注) 1) 2007 年末頃から、南シナ海群島の領有権問題を契機に、市民による自発的な反中デモが計画的に組織 されるようになった。ボーキサイト開発に対しては、2009 年 3 月 3 日に 100 名を超える知識人が党・国 家指導部に書簡を送り、プロジェクトに対する民意を問うよう求めた。その後 1 年あまりの間に、在外 ベトナム人を含む 3000 名近くが本名と職業、居住地を公開してこれに賛同の署名を寄せた(中野、 2012)。署名としては決して多い数ではないが、言論・報道が制限されてきたベトナムにおいては、本名、 職業、居住地などを明らかにして異議申し立てを行なうことは、大胆な行動と言わねばならない。 2) 世界銀行がグッド・ガバナンスとして発展途上国に求める政治的・社会的要素として、政策決定過程 における透明性と情報公開、政府官僚の職業的倫理、法の支配、公的課題への市民社会の幅広い参加な どがある。これらを踏まえて、ガバナンス論に共通の特徴として、(1)多様な主体の参加と協働、(2) 情報の公開とアカウンタビリティの確保、(3)透明性のある意思決定プロセス、という点が指摘されて いる(松下、2007: 277)。 3) 中国が 2007 年 12 月に、ベトナムが主権を主張する南沙・西沙両群島を含む南シナ海の島々を、海南 省三沙市という行政区画に編入した。これに対し、2007 年末∼ 2008 年初めに、ベトナム国内の中国公館 の前などで市民による抗議デモが行なわれ、ベトナム政府の対中国政策にも批判が向けられた(中野、 2012)。
4) 政府報告は Toàn văn báo cáo của Chính phủ gửi Quốc hội về bô-xít(http://www.vietnamnet.vn/, 24/05/2009)、 邦訳は中野・村尾 (2011a)による。
5) 1996 年の鉱産物法は Công hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam(1996)、新鉱産物法は同(2011a)。 6) 環境保護法は Cộng hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam(2014b)。
7) 労働法は Cộng hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam(2011b)。 8) 第 1 回調査の詳細については、中野・村尾(2012)。
9) ベトナムでは土地の私有権は認められておらず、土地は「全民所有」(国有)である。憲法によれば、国 家が組織や個人に土地の使用権を承認し、国家は「国防・治安、経済・社会の発展」という目的で、「国益、 公共の利益」のために組織や個人の土地を収用できる(Cộng hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam, 2014a: 28)。土 地法の規定では、土地は「全民所有」で「国家の統一的管理」の下にあり、国家が土地の使用権を使用 者にゆだねることになっている(Cộng hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam, 2014c: 12)。さらに、土地使用の原 則として、「天然資源の合理的開発と環境保護」「民主と公開」が定められている(ibid.:14)。土地の収用は、 農地の場合は収用の 90 日前まで、その他の土地は 180 日前までの通達を義務づけている(ibid.: 75)。
10) 第 2 回調査の詳細については、中野・村尾(2014b)。
11) ワークショップのタイトルは、商工省側が抵抗を覚えないよう、紛争事例を想起させるような表現は 避けた(詳細は、中野・村尾、2013; 2014a)
12) CODE の調査報告は、ベトナムにおけるボーキサイト開発は、まだ必要な条件を満たしていないと評 価している(Viện Tư Vấn Phát Triển - CODE, 2010: 215)。
(参考文献) 日本語 中野亜里(2000)、「ベトナムの対外開放と民主化政策―『社会主義的民主化』をめぐる内外環境」 『国際政治』125 号、31–44 ページ。 ―(2011)、「ベトナムにおける党−国家と市民社会の関係性―『実社会』からの政治改革の要 求」寺本実編著『現代ベトナムの国家と社会 人々と国の関係性が生み出す〈ドイモイ〉のダイ ナミズム』明石書店、133–182 ページ。 ―(2012)、「ベトナムにおける市民社会の萌芽―領土問題・資源開発をめぐる市民の公的異 議申し立て」『国際政治』169 号、73–87 ページ。 中野亜里・村尾智(2011a)、「ベトナム政府による中南部高原のボーキサイト開発計画―第 12 期第 5 回国会報告資料」産業技術総合研究所地質調査総合センター編『地質ニュース』第 678 号、 66–78 ページ。 ―(2011b)、「ベトナム中南部高原におけるボーキサイト開発計画の経緯と批判者側の論点につ いて」『地質汚染―医療地質―社会地質学会誌』第 7 号、1–9 ページ。 ―(2012)、「ベトナムの鉱物資源開発をめぐるガバナンスの諸問題―ボーキサイト開発に関 する政府・企業の説明責任」Proceedings of The Twenty-second Symposium on Geo-Environments and Geo-Technics, Japanese Society of Geo-Pollution Science, Medical Geology and Urban Geology (PMUG)、 115–120 ページ。
―(2013)、「大規模開発をめぐるベトナム政府の説明と対応に関する現地調査報告」Proceedings of The Twenty-third Symposium on Geo-Environments and Geo-Technics, Japanese Society of Geo-Pollution Science, Medical Geology and Urban Geology (PMUG)、95–98 ページ。
―(2014a)、「ベトナムにおける大型資源開発をめぐる政府の説明責任―中南部高原における ボーキサイトの事例から」『大東文化大学紀要』第 52 号、171–189 ページ。
―(2014b)、「鉱山の導入と地元のメリット―ベトナム・ボーキサイト開発地域の最新事情」 Proceedings of The Twenty-fourth Symposium on Geo-Environments and Geo-Technics, Japanese Society of Geo-Pollution Science, Medical Geology and Urban Geology (PMUG)、151–156 ページ。
松下和夫編著(2007)、『環境ガバナンス論』京都大学学術出版会。 英語
Nakano, Ari (2014), “Concerns fester in Vietnam over China policy, industrial pollution”, AJW Forum, http:// ajw.asahi.com/article/forum/politics_and_economy/southeast_asia/AJ201410160042.
ベトナム語
Cộng hòa Xã hội Chủ nghĩa Việt Nam (1996), Luật Khoáng Sản, vietlaw.gov.vn/LAW.NET/docView. do?docid_3796
― (2011a), Luật Khoáng Sản, Nhà xuất bản Tư pháp, Hà Nội. ― (2011b), Bộ luật Lao động, Nhà xuất bản Lao Động. ― (2014a), Hiến pháp Năm 2013, Nhà xuất bản Lao Động. ― (2014b), Luật Bảo vệ Môi trường, Nhà xuất bản Hồng Đức. ― (2014c), Luật Đất Đai năm 2013, Nhà xuất bản Lao Động.
Viện Tư Vấn Phát Triển – CODE (2010), Khai thác bauxite & phát triển bền vững Tây Nguyên, Nhà xuất bản Tri Thức.