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デネットの解釈主義とプラグマティズム : 三つのケーススタディ

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(1)

Title

デネットの解釈主義とプラグマティズム : 三つのケーススタディ

Author(s)

Nishimura, Shinichirou, 西村, 振一郎

Citation

関西学院大学 博士(哲学), 2013

Issue Date

URL

http://hdl.handle.net/10236/11371

Right

Kwansei Gakuin University Repository

(2)

デネ ッ トの解釈主義 とプラグマティズム

∼三つのケーススタディ∼

西村

振一郎

(3)

目 次

0.1 本論文は何を目的 としているのか … … … …

.…

… … … ・… … … … ・― 。

1

0.2

デネ ッ トの主張の基本 となる二つの柱

.…

… … … ・・… ・… … … ・― ・

2

0.2.1 解釈主義

.… .…

… … … …

0…

… … ・… … … ・… ・

2

0.2.2 プラグマティズム

.…

… … … ・… … … ・… … … ・… ・

4

0。

3

心について科学的に探求する とは どうい うことか … … …

.…

… … … …

6

0.3.1 科学的探求 とは

.…

.…

… … … ・… … … ・… … … ・… ・

6

0◆

3.2

全体論

._.._・

… … … ・― ・… … … ・… … … ・― ・

7

0。3.3 む とは ...。 ...・ ・・。・。・。・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・

7

0。

4

三つの姿勢 とは

.…

… …

.…

… … … … ・… … … ・… … … ・… ・ 10 0.4.1 志向姿勢について

.…

… … … ・… … … ・… … … ・― ・ 10 0.4.2 設計姿勢について

.…

… … … ・… … … ・… … … ・… ・ 12 0。 4。

3

物理姿勢について 。… … … ・… … …

0…

… … … …

12

0.5

三つの姿勢に注 目することの一つ 日の意義

.…

… …

.…

… … ・… … … … …

12

0。

6

素朴心理学は自然科学の語彙 と調和 しない とい う見解 について

.… .…

… … … …

13

0。

7

三つの姿勢に注 目することの二つ 日の意義

.…

… …

.…

… … ・… … ・… …

017

0。

8

解釈主義 とプラグマティズムの応用例 としての三つの姿勢

.…

.…

… … … … 0・ 19

0.9

心を探究する ときに私たちが犯 しがちな過ち その

1

本質主義

.…

… … … ・…

020

0.10ク オ リアの消去

.…

… … … ・・… … … ・… … … … 。一 ・ 22 0.11心を探究するときに私たちが犯 しがちな過ち その

2

存在論 を科学的探求 よ り重視 し て しまう

.…

… … …

.…

… ・… … … ・… … … … 0.12デネ ッ トの存在論上の立場

._.…

… … ・… … … ・… … … … 0.13ロ ーティの支持 と批判

.…

.…

… …

0…

… … … … ・… … … … 0.14ヘテロ現象学

.… .…

… … ・… … … ・… … … ・… … … … 0.15ヘテロ現象学に どのように解釈主義 とプラグマティズムが活かされているのか 0.16ミ ーム理論 とは どのような理論か … … … …

.…

… … … ・… … … … 0.16。

1自

然淘汰を定義する

.…

.…

… … … ・… … … … 0。16。

2自

然淘汰をアル ゴリズム として理解する 。… … … … ・… … … … 0。16。

3文

化の進歩を自然淘汰 として理解する

.…

.…

・… … … … … 0。

17ミ

ームによる自然淘汰 として文化の進歩を理解することの利点 。

_.…

… … 0.17.1自 然主義的で一貫 した世界像をもた らして くれる

.…

… … … … … 0.17.2デ ネ ッ トの主張 とミーム理論の調和

._.…

… … … ・… … … … 0。

17.3文

化の進歩についてよ り洗練 された説明手法を提供 して くれる

.…

… . 0.18ミ ーム概念をもちいた文化についての理解に対する反論

.…

.…

・… … 0 0.18.1ミ ーム理論は社会生物学ではないのか … … … …

.…

… … … … 0.18.2ミ ーム理論は自然主義的誤謬を犯 しているのではないか 。

.…

… … … 0.18.3自 然淘汰 は必然的な過程 として理解できない とい う指摘について

.…

0.18.4ミ ーム理論は利他主義を説明できないのではないか … … … … 28 30 33 36 42 45 46 47 49 52 52 53 55 57 57 61 63 65

(4)

0.18.5ミ ーム理論は目的論的説明を与えていないのではないか

..…

0。

19規

範性についての 目的論的説明の意義

._。

_.…

… … … ・ … 0。19.1ミーム理論にとっても規範性について目的論的説明を与えるこ 0。19.2目的論的説明のよ り重要な意義

.…

.…

・… … … … 0.19.3い かに して無限遡行を終わ らせるのか … … … . 0。19。

4ふ

たつの説明戦略の位置づけ

.…

… … … ・… 0.20解釈主義 とプラグマティズムの応用 としてのミーム理論

.…

.…

0.21デネ ッ トの三つ理論を振 り返 る 。… … … 。… … … … ・… … 0。

22デ

ネ ッ ト哲学の魅力 … … … ・… ・… ・… … … … … 0。

23こ

の論文の独 自性

._.…

.…

… … … ・… … … … ・… … ・ ・ ・ ・ 0 0 0 0 0 ・ 68 0・ 。

0000000 71

とは 有 意 義 で あ る

72

0 0 ・ 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 73 ・ 0 0 ・・・・・・・ 74 0 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 75 0 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 78 0 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0 79 0・ 000・ ・・・・

81

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 83

(5)

は じめに

∼本

百田

文の 目標 とい くつかの定義∼

0.1

本論文は何を目的としているのか

地球か ら遠 くはなれた銀河の写真を撮影すると、その銀河を近 くで見た場合 よ り少 しばか り赤 く写 る らしい。 これは とてつ もないス ピー ドで離れてい く物体か ら到達する光の波長が引き延ばされるために 起 きる現象 らしい。 この現象を赤方偏移 と呼ぶ。 この現象を利用することによって遠 く離れた銀河や星 についてだけでな く、宇宙がなお膨張 し続けていることや、原始宇宙についても知ることができる。 こ のような方法で宇宙を研究する分野を天体分光学 とい う。天体分光学の話を聞 くと、一枚の写真か ら遠 い宇宙について知 ることができることに驚 きを覚えると同時に、人間の飽 くなき探究心にも驚 きを覚 え る。宇宙は今後の探求で大 きな発見が期待できる探求領域 と言えるだろう。 この宇宙 と同 じくらい、今 後の探求に期待が持てる、科学的探求の対象 となる分野は私 たちのす ぐそばにもある。それは私 たちの 「心」である。 心 も遠 くにある銀河のよ うに、私たちは肉眼で観察 した り、手で触れた りすることができない。 しか し他方で「′醸」は宇宙 よ りはるかに多 くの学問分野 と関係 している。心理学や文化人類学、歴史学、社 会学、経済学な どは人間が存在 しなければ成立 しえない。 しか し、これ らの学問分野における人間の心、 脳、身体、神経組織 な どへの言及 には共通 した理解があるわけではない。神経生理学で人間の欲求につ いて何か新 しい ことが分か った としても、経済学者はその成果を利用することは難 しい。人間の心に関 する語彙の用法 は、各学問分野の内部のみでの合意にとどまっている。 この ことに どのような問題があ るのかを具体的に考えてみたい。た とえば経済学者 は「欲求する」 といった語を使用する。「欲求する」 とい う語は特定の心的状態を指 し示 していて、その心的状態 は「水を欲求する」や「素早い対応を欲求 する」 とい うように内容を持つ。 これ らの心的状態を定義するために、経済学者は、おそ らくアンケー トをお こなってそれを もとに した統計のデータを用いるような統計的手法や、人々の購買行動を観察 し て特定の行動を した場合にのみ、なにが しかの欲求 していると見なす行動主義的手法を用いることにな る。 しか し、 このような方法には次のような問題がある。統計的手法では集団の購買行動をある程度正 確 に予測できる一方で、特定のある個人の行動を予測、説明す る上ではあま り有効 とは言えない。行動 主義的手法は実際に購買行動を見なければ「欲求 していること」が分か らないため説明はできても予測 はできない。仮に、人が「欲求 している」時の脳の状態を特定できれば、個々人の購買行動についてよ り正確な予測・説明が可能 になる可能性がある。では神経生理学な どの脳科学分野では、心は どのよう に して研究 されているのだろうか。それ ら学問分野では神経細胞やホルモンな どを指示する語彙が主に 用い られている。仮 に「欲求する」 とい う語を脳科学者が用いた としても、その状態や内容についての 定義は経済学者 と必ず しも共有されていない。心について客観的に探求する試みはさまざまな学問分野 で行われているが、それはその学問分野の中だけに とどまる局所的客観性なのである。 したがって、心 についての科学的探究は学問分野の間で断絶があ り、科学 とい うひ とつの大 きな探求プログラムの中で 各学問分野を どのよ うに位置づけるべ きか明確に定 まっていない。 この状況がなぜ問題を持つのかにつ いては0。3.3節 「′いとは」で詳 しく述べたい。 この問題に対 してダニエル 0デ ネ ッ ト(Daniel Dennett) は三つの有益 な提案を行 っている。 デネ ッ トの三つの有益な提案 とは私たちが対象を説明するときに「三つの姿勢」を使い分けていると い う主張、そ して心を探究する枠組み としての「ヘテロ現象学 (hetero phenomenology)」 、「ミーム (meme)」 とい う概念 を用いて私 たちの文化を理解 しよ うと言 う提案 である。本論文では、 これ ら三つ の提案を「三つの姿勢理論」「ヘテロ現象学」「ミーム理論」 と呼ぶ ことにする。 これ ら提案は、ふたつ の基礎 に支 えられている。それは解釈主義 (interpretivism)と プラグマティズム (pragmatism)であ

(6)

る。解釈主義 とプラグマティズムはさまざまな形でデネ ッ トの哲学に活かされている。本論文はデネ ッ トの三つの提案について次のことを示 したい。 1.「 三つの姿勢理論」「ヘテロ現象学」「ミーム理論」のいずれにおいても解釈主義 とプラグマティズ ムがさまざまな形で活かされていること。 2.解釈主義 とプラグマティズムの徹底がりさを科学的に探究する上で有用であること。 しか し、 これ らの主張をするためにはい くらかの下準備が必要 となる。 この「は じめに ∼本論文の 日 標 とい くつかの定義∼」の中で、その下準備をすませておきたい。まずデネ ッ トのさまざまな主張の基 礎 となっている「解釈主義」 と「プラグマティズム」が どのような概念であるのかを定義する必要があ る。0.2節 「デネ ッ トの主張の基本 となる二つの柱」において二つの概念 は定義 される。 また「′いを科 学的に探究する」 とい う言葉 も何を意味するのかをはっき りさせてお く必要があるだろう。0。3節「J際に ついて科学的に探求するとは どうい うことか」は「′際を科学的に探究する」 とい う言葉の意味を明確 に するための節である。 これ らの下準備をすましてか ら、デネ ッ トの三つの提案を、解釈主義 とプラグマ ティズムのケーススタディとして紹介 したい。「ケーススタディ

1

三つの姿勢」は私たちが対象のふる まいを予測・説明するときに使い分ける三つの姿勢についての理論を とりあげる。この理論においては、 私 たちが人の行動を予測 した り、説明 した りするときにはこの三つの姿勢の一つである志向姿勢を用い ていると理解 される。三つの姿勢理論は、志向姿勢を とった時に私たちが用いる他者の行動の予測 と説 明の戦略に認識論上適切な地位を与 える。「ケーススタディ

2

ヘテロ現象学」はヘテロ現象学について とりあげる。この理論によって心を科学的に探究する具体的方法をデネッ トは示 している。「ケーススタ ディ

3

ミーム理論」ではミーム とい う概念を用いて私たちの文化について自然科学的な解釈を試みる。 ミーム理論は人間の心的活動についての言明が もつ規範性に関わる語彙を自然科学の語彙 と調和させる 方法を明 らかにする。 これ ら三つのケーススタディを通 して、人間の心についてさまざまな学問で用い られている語彙を調和させ、科学的探求を進める道筋を解釈主義 とプラグマティズムが指 し示 して くれ ることを主張 したい。

0.2

デネ ッ トの主張の基本 となる二つの柱

本論文の 目的について、「三つの姿勢理論」「ヘテロ現象学」「ミーム理論」のいずれにおいても解釈主 義 とプラグマティズムがさまざまな形 で活かされていることを明 らかにすることである と私 は述べ た。 まずはデネ ッ トの解釈主義 とプラグマティズムが どのような考 え方であるのかについて紹介 しておきた い。まず「解釈主義」について次に「プラグマティズム」について紹介 し、同時にそれ らふたつの考え 方を採用することによって、科学が認識論の中で どのよ うに位置づけ られるのか もあわせて述べたい。 0。

2.1

解 釈 主 義 デネ ッ トの解釈主義について説明するために、私はまず有名な絵を紹介することか ら始めたい。

(7)

図1 この有名な絵は、ひ とつの対象について同 じくらい真実であるふたつの解釈が成立するとい うことを 教 えて くれる。一つの解釈 はこれは若い女性を描いたものであるとい う解釈であ り、ひ とつはこれは老 婆を描いた ものであるとい う解釈である。私たちは若い女性 と老婆を同時に見ることはできない。 これ は私たちがある特定のタイ ミングには特定の視点か らしか対象を見ることはできない ことを意味 してい る1。 私たちは特定の視点に立つ ことによって、対象を見る ときはなん らかの枠組みを通 して、あるいは 対象を構造化 された全体像 として とらえる。「枠組み」や「構造化された全体像」 とは上の絵で言 うなら ば「若い女性 として」あるいは「老婆 として」対象を見 る姿勢のことを指 している。 この絵 と同様の こ とが、私たちのさまざまな対象の理解においても生 じていると考える立場が解釈主義である。では私 た ちの世界のなかのさまざまな対象を探求する時に解釈主義は どのように機能するだろうか。 私たちが解釈する対象は、 この絵画だけではない。私 たちが解釈すべき対象は世界その ものや、他者 な ど多様である。た とえば「科学」は世界についての私たちの解釈のひ とつ といえる。科学においては 世界の諸対象は文によって記述できるような法則的関係のもとに とらえられる。そのような法則的関係 が理論 である。解釈主義は理論が世界の客観的事実の記述なのではな く、世界についての一解釈にすぎ ない と述べているのである。 この主張は、科学の理論が世界の客観的実在についての記述である とい う 主張 と、科学的理論は私たちが作 り出 した説明の道具にすぎない とい う考え方の中間に位置する。若い 女性にも老婆 にも見 える絵画が存在 しているように、世界 は存在 している。その世界を特定の視点か ら 見た時に一定の法則的関係を私 たちは見つけ出す ことができる。私たちが科学的探求を行 うとき、私た ちは特定の視点か ら世界の見ているのである。 したがって、世界のなかに私たちの認識か ら独立 して法 則的関係が存在 している訳ではない。それは世界を特定の視点か ら見た時にのみ成立する法則なのであ る。 この「科学」がひ とつの解釈にすぎない とい う主張は、占星術な どのオカル トも世界についての別 の解釈であ り、科学 とオカル トを同等の もの して扱 っているのではないか とい う疑間を生 じさせる。 こ のよ うな疑間はふたつの極端な考えを導 く。ひ とつの結論 は科学 もオカル トも世界 に対する認識論上、 同程度に真であるような解釈なのだ と言 う考 えである。 もうひ とつは、世界 についての多様な解釈 しか 1すばや く視点を切 り替えることができる人はいるだろう。ただ、それでもその人は視点を切 り替えているのであり、同時 に二つの視点から見ているわけではない。

(8)

存在せず、絶対的な真 とい うべ きものが存在 しないのだ とい う考 えである。 これ らふたつの考 えは とも に誤 りである。その理由を述べたい。 これ らの極端な考えをもつ人々に注意 してほ しいのはデネ ッ トは複数の解釈が成立 した とき、それ ら 解釈がすべて同程度に真である と言 っているのではない とい うことである。ひ とつの対象について複数 の解釈が成立 した としても、それ らの認識論上の重要性には差が見 られる。多様な解釈のなかには有用 な解釈 もあれば、ほ とん ど存在意義を持たないような解釈 もある。解釈主義 とはすべての解釈を等価に 相対化す るような相対主義ではない。解釈を比較 し認識論上の価値に差をつける戦略をデネ ッ トはもっ ている。その戦略については次の「プラグマティズム」の節で述べる。 O.2。

2

プ ラグ マテ ィズ ム カレーの作 り方を しらべた ところ、以下の3つの レシピを得た と考 えてみよう。 ● レシピ

1

買 ってきた レ トル トのカレールーをあたため、 ご飯にかける。 ● レシピ

2

野菜 と肉を煮込み、そ こに市販の固形ルーを溶か し、さらに煮込む。 ● レシピ

3

クミンな ど各種スパイスを炒め辛みを出 してか ら、す り下 ろした野菜 と飴色 タマネギ を くわえ煮込む。最後にターメ リックな ど熱で香 りが飛びやすいスパイスを加える さて、 どれがカレーの レシピだろうか。料理が好 きな人に とってレシピ 1は カレーの レシピとはいえな いだろう。 しか しもの ぐさな一人暮 らしの大学生に とっては、 これ こそがまさにカレーの レシピである か もしれない。一般的な家庭に とってのカレーの レシピはレシピ 2で はないだろうか。固形のルーを買 うとパ ッケージの裏側に書いてあるレシピはこれである2。 レシピ 3に なるとかな り本格的で一般家庭で はちょっと難 しい本格的なカレーの レシピとい うことになる。手間がかかるのは しようがない としても、 購入 した多種多様なスパイスが使い切れずに困ることになるだろう。 しか し、あなたが料理店を営んで いるのであれば、 レシピ 1や レシピ 2は あなたに とってはカレーの レシピとは呼べないはずだ。プロ と してカ レーを提供するのであるか ら、一般的な家庭では提供することが難 しい本格的な味わいを 目指す ことになるだろう。さて、私がなぜカレーの レシピについてこのように長々 と話 してきたのかを以下で は説明 したい。 カ レーの レシピと一言でいってもい くつ も種類があることがわかる。 この多種多様なレシピのなかか ら、た とえば大学生は何を基準 にひ とつの レシピを選び出 したのだろうか。 もの ぐさな大学生が これ ら 三つの レシピを前に した ときに、考えることは「どのレシピが使えるのか」 とい うことである。 もの ぐ さで一人暮 らしの彼に とってはレシピ 1が もっとも利用価値が高い。それゆえ彼は レシピ 1を 選択 した のである。彼はレシピ 2を 選択できないわけではない。したがって、彼に とってレシピ2も 一応カレーの レシ ピではある。 しか し、材料か らカ レーを作 ったのでは結構な量の食材が残 って しまうことや、 自分 が食べるだけのものに費やす時間 と手間を考慮 した とき、 レシピ 2よ リレシ ピ 1の ほ うが彼に とって有 用な レシピだったのである。 しか し、レシピ 3とLヒベ るとレシピ 2は 大学生に とって有用なものである。 レシピ3は レシピ2以上に時間 と経済的コス トを大学生に負担させることになるだろう。大学生に とっ て有用性はほ とん どない。大学生は有用性を基準 に四つの レシピを見ることによって、カレーの レシピ の価値に差をつけたのである。有用性 とい う基準 は料理店にとっても同 じである。ただ目指すカレーが 異なるため、 レシピ 1で はな くレシ ピ3が有用だ と判断され、大学生 とは異なるレシピを重要なもの と 見なすようになる。私 たちの対象 についての解釈 も同様の方法で重要性に差を付けることができる。 2もちろん、家庭 ごとにちょっとしたアレンジがあ り、野菜を煮込む ときに自ワインをつかった り、ルーにす りおろしたリ ンゴを加えた りすることはあるだろう。ちなみに市販の固形ルーはこういったアレンジを前提に作 られていないので、アレン ジ したときにパッケージ通 りの量のルーを入れると味が濃 くな りすぎる傾向にある。

(9)

カ レーの レシピはカ レーを作ることが 目的だった。それゆえカレーを作 る上で有用なレシピほ ど価値 のあるレシピと見なされた。では世界 についてのさまざまな解釈について再び考えてみよう。対象につ いて私たちがさまざまな解釈を与える目的のひ とつは、対象について予測 と説明を与えることである。 その目的か ら見た とき、オカル トや神話 と科学は どちらが有用な解釈 と言えるだろうか。た とえば雷 と い う対象についての解釈を考えてみよう。雷を菅原道真の怒 りとして説明する方法 と、上空の雷雲内で の電位差による放電現象 として説明する方法の どちらが、予測 と説明に有用だろうか。オカル トの説明 を共有することの難 しさは、オカル トには観察することができない存在者が登場 した り、独特な論理が 用い られた りする点にある。た とえば菅原道真の霊を私たちは直接的にも間接的にも観察することはで きない。天気が悪 くなってきた時に、これか ら雷が落ちる可能性はあるのだろうか と考えたとしよう。菅 原道真の機嫌が分か らなければ今後の雷についても分か らないのであれば、私たちは雷が落 ちる可能性 について予測することはできないだろう。 また菅原道真の怒 りがいかに して雷の音 と光を発生させるの か、そのメカニズムを筋道立てて理解することは難 しい。菅原道真の怒 りによって雷を説明する方法は 予測 と説明の手段 としてはあま りよい もの とはいえない。 これに対 して科学の説明は観察 された情報を もとに帰納 と演繹によって論証するとい う方法を とる。帰納や演繹による推論は個別の対象を観察する ことによってその推論が妥当な物であるかを検証することが可能である。上空の雷雲の中で一定以上の 電位差が起 きているときに常に雷が落 ちるのであれば、雷雲の電位差による雷の説明は正 しい説明であ ることになる。 また一定以上の電位差が起 きていれば、雷が落ちるだろうとい う予測 も成立する。水槽 の中に水蒸気をため、電位差を作 り出せばミニチュアの雷を作 り出す ことができるだろう。対象につい て私たちが共有できるような予測 と説明を与える方法 としての有用性 とい う基準で考えた とき、科学は 極めて価値ある世界 についての解釈を私たちに提供 して くれる。そ して、その説明を第三者が検証する ことも可能である。対象について多様な解釈が成立 し、そのなかで絶対的な真が存在 しなかった として も、 目的に対する有用性 とい う観点か ら解釈の重要度に差を付けることができるとい う考え方がデネ ッ トのプラグマティズムである。 したがって科学 もオカル トも世界をある視点か ら見た解釈であるが、科 学は認識論上の極めて重要 であるのに対 してオカル トは価値をもたない。 しか し、科学の予測が常に正 確なわけではない。上空の雲に十分な電位差が観察 されているにもかかわ らず、落雷がない ことも実際 ある。 この点についてプラグマティズムは どのように考えているのだろ うか。 科学の推論 は常 に正 しい予測 と説明を与 えて くれ るわけではない。た とえば帰納的推論 においては ヒュームが指摘 したように、1万の具体例について成立 している法則が1万 1個日で成立 しない とい う 現象がお こる可能性がある。上空の電位差が十分にあるにも関わ らず雷が落 ちない ことが現実にはある だろう3。 帰納的推論が絶対確実な推論ではない ことは、多 くの論者の意見の一致するところである。実 際、現実の世界を相手にする多 くの科学分野ではさまざまな例外に直面することになるだろう。 しか し、 1万個の具体例について成立する法則は、予測 と説明 とい う目的を達成する上で十分 に有益である。上 空 に雷雲が発達 し、激 しい電位差があるときには落雷はないか もしれないが避難 してお くことが身のた めであることは間違いない。科学は多少の例外は含むものの、予測 と説明をする上で有益な理論を提供 して くれている。生物学や地質学の理論 に例外が見 られるにもかかわ らず、それ らを科学 と見なす こと ができる理由はそれ らが予測 と説明において有益だか らである。では、デネ ッ トの解釈主義 とプラグマ ティズムをまとめてお く。 ・ 世界 について私 たちはさまざまな視点か ら観察 し解釈する。 ・ 科学は世界についての多様 な解釈のなかの一つである。 ・ 絶対的な真理は存在 しないが、他方で多様な解釈には認識論上の重要度に違いがある。 ・ 認識論上の重要度の違いを判定する基準 は、その解釈が予測 と説明に有用であるかである。 3ほかにも投射可能性 (projectiblity)の 問題 も存在す る。

(10)

すでに述べた通 り本論文 で取 り上げる三つのデネ ッ トの提案「三つの姿勢理論」「ヘテロ現象学」「ミー ム理論」は解釈主義 とプラグマティズムの応用例 として理解することができる。三つの応用例を説明す る前に次の節で「′いを科学的に探究する」 とい う目的の意味を説明する。

0.3

心について科学的に探求するとはどういうことか

「ノ醸」は難 しい探求対象 である。科学 とい う言葉か ら連想される一般的な探求方法は観察や実験であ る。 しか し心を直接観察することはできない し、何を持 って心について実験を した と見なすのかについ ても考える必要がある。本節では「′際についての科学的探究」 とい う言葉を明確に しておきたい。 まず 最初に科学的探求について定義する。 O。 3。

1

科 学 的探 求 とは デネ ッ トは次のよ うに述べている。「デカル トは優れた科学者であった。彼は間主観性の価値を正 当 に評価 していた し、個々の探求者の特異性を排除するがゆえ、全 ての人が共有された探求に参加できる とい う科学の方法、すなわち科学的方法の “三人称 "ア プローチも受け入れていた。 (Dennett 2006,p. 28)」 この一節は科学的方法 とい う言葉によってデネ ットが何を意味 しているのかを明 らかに している。 「間主観性の価値を正当に評価」する とい うことは客観的な探求方法のみを用いることによって特定の 民族や文化を超 えた有用性を科学が もつ ことをデカル トが理解 していたことを意味する。具体的には観 察、実験、統計な どの理性を持つ存在者 であれば誰でも利用可能な検証の手続 き と、そ して帰納 と演繹 を利用する合理的な推論過程を科学は活用する。それに続 く「個々の探求者の特異性を排除す る」は、 特定の人物や集団に認識論上の特権的な地位を認めない とい うことを意味す る。私だけが知 りうる情報 や特定の文化、宗教を共有 している人だけが理解できる論理を用いることは科学においては認め られな い。「私はオーラをみることによって他者の心的状態を直接知ることができる」と主張する人がいた とし ても、そのような特異な探求者にのみに認識可能な情報は探求に活用できない とい うことである。逆に 合理的な推論能力を持 っているな らば著 しく身体の構造や知覚能力に差のある探求者 であって も探求 に 参加できるとい うことでもある4。 科学的探求にはこのような高度な再現可育旨陛が求め られる。そのよ う な条件を満たす探求 プログラムは、探求対象か らみて合理的な推論能力を持つすべての第三者が探求を 共有できる。その意味で科学的方法 とは「三人称 アプローチ」である。そ してこの定義の元では自然科 学的探求だけが科学的探求ではない。第二者が共有可能な探求方法を採用する人文 0社会科学分野 も科 学的探求に含 まれる。た とえば経済学や社会学においても命題 として記述可能な法則が用い られ、命題 は観察や統計 によって検証される。人文 0社会科学分野 も三人称アプローチ としての科学 と見なす こと ができる。科学を三人称アプローチ と見な した とき、理論を文 として記述することは特別な意味を持つ ことになる。科学で取 り扱 う知識は「二酸化マンガンは過酸化水素水の分解の触媒である (この命題を 以下では「命題a」 と呼ぶ)」 とい うような命題であ り、だか らこそ文 として内容を記述することが可能 であ り、教科書によって伝えることも可能 となる。命題を文 として記述することによ り第三者が検証す ることも可能になる。 しか し、 この検証 とい う過程を考 えた とき、科学のもう一つの重要な性質である 「全体論 (holism)」 について述べてお く必要があるだろう。次の節ではその「全体論」について述べて おきたい。 4知 覚能力に差があると、同 じ観察対象を観察できないのではないか とい う疑間を持つ人がいるかもしれない。 しか し、私 たちはオシロスコープや霧箱や電子顕微鏡などにより知覚能力を拡張することができる。 しか しオーラはどのような技術を用 いても観察不可能である。

(11)

0。 3。

2

全 体 論 命題 aは 化学の周辺的な理論か ら切 り出 して、単独で真偽を判定することはできない。仮に命題aを 検証するために過酸化水素水に二酸化マンガンを加 える実験を行 ってみた ところ、分解が進 まなか った としよう。果た して命題 aは 誤っているのだろうか。この実験だけでは命題 aの 真偽を決定することはで きない。た とえば命題 aに は「特定の化学反応の反応速度を速める物質で、 自身は反応の前後で変化 し ない ものを触媒 と呼ぶ (命題b)」 とい う触媒の定義に関する命題が関係 している。実験結果 と命題aが 一致 しなかったのは、この命題

bが

誤 っているか らだ と考 える方法 もある5。 科学の理論は反証実験に対 して原理的な部分を保持 したまま、実験によ り近い位置にある命題を修正することもできるし、その逆 も可能である。学問は単なる命題の寄せ集めではな く、それ ら命題は有機的な全体論的体系を形作 って いる。 このよ うな知識の体系の整合性ができる限 り維持されるような形で、個々の命題を改訂すること によって理論体系全体をよ りよい もの としようする「ノイラー トの船」が科学なのである。 ところで科 学が理論の全体論的体系であるとい うことが、心を科学的に探究する上で どう関係 しているのだろうか。 すでに述べたように人間の心について探求する諸学問分野で語彙の使用について専門家たちの合意は 実現 していない。経済学者 は「欲求」を脳科学者 とは異なる方法で定義 している。科学は全体論的体系 であるがゆえ、心に言及する科学的命題についても全体論的関係が成立 しているはずである。た とえば、 ある命題が別の命題の根拠を与えた り、一方が他方の前提 になっていた りといつた関係が成立 している はずである。 この関係は経済学や脳科学 と言 った個別の学問分野を超 えて、科学の体系全体の中で成立 している。実際、た とえば化学の理論 と物理学の理論 と生物学の理論においては語彙が統一的に使用さ れてお り、生物学で扱 うホルモンについて化学が説明を与えるといった連続性がある。それぞれの分野 で化学記号や語彙は統一的な使用が実現 している。 自然科学の多 くの理論が個別の学問分野を超 えたつ なが りを持 っている。だか らこそ、化学での発見が生物学の進歩に活かされた り、物理学の発見が化学 の進歩を促す とい ったことが可能 となる。心についての理論 も同様のつなが りを科学の体系の中に持 っ ているはずである。 しか し、現状においては心に関する限 り、それぞれの学問分野は他の分野の研究成 果を活用できない。経済学の成果を心理学者が検証するとか、脳科学の研究成果を利用 して法学におけ る責任能力についてよ り厳密な定義がなされるといったことは実現 していない6。 さまざまな学問分野の 心についての理論は、個別の学問分野の中では統一的に使用されている一方で、他の学問分野 と連続性 を持つ科学の体系の一部 として完全に調和 していないのである。 この問題を解決するためには統一 とま ではいかな くても、最終的にはなん らかの形で学問分野間で心に関する語彙の調和をはかる必要がある。 この調和が実現すれば、心の科学的探究は各学問分野のローカルな取 り組みが統合 され、学問分野を横 断 したグローバルな探求へ と大 き く進歩することになる。本論文において注 目するデネ ッ トの解釈主義 とプラグマティズムは、その大 きな進歩に寄与することができる。では次に、私たちの探求対象である 「′醸」について考 えたい。 0.3。

3

心 とは 私たちが「′い」 とい うとき唯一の基準は私たちの「′醸」である。牡蠣や ミミズのように私たち とあま りに異なっている存在者の心を私たちはイメージすることができない。 しか し、犬のように複雑なふる まいを見せ る動物はもしか した ら「′醸」があるのか もしれない と感 じる。 しか し犬の「′醸」が どのよ う な ものであるのか想像することは難 しい。それが難 しい大 きな理由は、犬が悲 しそ うだ と感 じた として もそれを経験主体である大に確かめることができないか らである。犬は自分の心的状態を言葉にするこ 5たとぇば命題bを「特定の化学反応の反応速度をときどき速める物質で、自身は反応の前後で変化 しないものを触媒 と呼 ぶ」 とすれば、実験において二酸化マンガンの分解が進まなかったとしても命題aは正 しかったことになる。 6実 際、精神科医の鑑定結果である司法鑑定や鑑定意見書を司法の場でどのように扱 うべきか ということは学術の世界だけ でな く現実の社会でも問題 となる。

(12)

とができない。 しか し私たちはそ うではない。私たちは自分 自身の心的状態について「悲 しんでいる」 とか「水が欲 しい」のように言葉で表現することができる。私たちは単に心的状態を言葉で表現するだ けではない。私たちの心的活動の特徴的な側面について考えるため、私がエ レキギターを始めた ときの ことを話 したい。エ レキギ ターを弾 くとき、最初の頃はビックを持つ右手に妙に力が入 ってしまう。ギ ターに限 らず楽器の演奏やスポーツでは最初は多 くの人が奇妙なフォームに苦 しむ ことになる。そのよ うなフォームには、正確に演奏できない とか、ボールのコン トロールが甘い とい つた問題がある。その ような時、私 たちは自己の行動を意識的に矯正することになる。私たちは自分 自身の行動を対象化 し、 「力を抜け」 とか「膝を高 くあげろ」な どと自己に命令する。 しばらくすると、そんな風に自分 自身に語 りかける必要 はな くなる。 自然 とビックを軽 く持つ ことができるようになっている。いったんそ うなっ て しまうと、 もう自分 自身にビックを軽 く持つよう命令する必要はない。言語を持たない犬には、 この ような自己の行動の対象化はできない。 この 自己対象化は人間の心の特徴的な一面である。私が′際につ いて説明するときはこの一面を無視することはできない。 この一面は「自己意識」 とか、さらに省略 し て「意識」 と呼ばれる7。 以上のよ うに私 たちの心 についての科学的探究 はその特徴的側面である「意 識」についての理論を含 まなければな らない。言語が重要な役割を果たす意識に注 目することは、次の 段落で見 るように科学的に心を探究する とい う目的に とって重要 な意味がある。 すでに述べた通 り、科学は命題の全体論的体系である。心についての科学的探求 も、それが科学の一 部であるな らば科学の全体論的体系の一部でなければな らない。そ うでなければ心についての科学的探 究は、よ り大 きな科学 とい う企 ての一部ではない局所的な客観的探求 プログラムになって しまう。心に ついての科学的探求が科学の一部であるならば、さまざまな学問分野において用い られる私たちの心に 言及 した命題 も、 この体系の一部を構成 しているはずである。私がノいを探求する ときに、言語を用いて 自己対象化を行 う意識 に注 目することは命題知の全体論的体系である科学の一部 として心の探究 プログ ラムを位置づけるとい う意味がある。特に命題的態度 (prOpositional attitude)に関わる語彙 は文 とし て内容を記述可能であ り、命題的態度 と行動の間に法則的関係が存在するように感 じられる8。 命題的態 度 に関わる語彙 は科学の知識の一部 となるための条件を満た しているように思われる9。 自己を対象化 し、文 として記述可能な命題 として とらえる意識に注 目することは、主に人文・社会科学分野で取 り扱 われる「信念」や「欲求」 とい った命題的態度に関する語彙を科学の探究対象 としての位置づける とい う認識論上の意義を もつ。 もちろん「′い」にもっと広い定義を与 えるべ きだ とい う主張 もあるだろ う。 そのような主張について次の段落で検討 したい。 自己意識 とい う意味での「意識」を心の中心的な活動 ととらえることに抵抗を示す人 もいるだろう10。 しか し、そのような人には私たちが「心」 とい うとき唯一の基準は私 たちの「心」であることを思い出 して欲 しい。私たちが知 る限 り相互に意思疎通が可能な種は人類だけである。い くらかの種は どうや ら 情報のや り取 りを しているようだ。意識を心の中心的な活動 とすることに抵抗を示す人々は、そ うい っ た種のことが気にかかっているのだろう。たとえばチンパ ンジーやイルカはかな り複雑な行動をするし、 情報伝達を しているような行動が観察 される。それ ら種の内部でなん らかの複雑な過程が存在する可能 性が高い ことを私は否定 しない。 こうい った種が一切の内的状態を持たない とい うことにはな らないだ ろう。 しか し、彼 らのそれが人間の心 とかな り異なっていることは間違いない。チンバンジーの「言語」 の情報量や機能については分か らない ことが多いが、少な くとも彼 らが人間 と同程度の心の理論をもつ

7チ_マーズ(Chalmers,DⅣid.)は意識という言葉には多様な用法が存在することを指摘している(Charmers 1996 pp.

24-25/邦訳pp.50-51)。 しかし、本論文では私たちの心のこの側面に注目し簡単に「意識」とだけ呼ぶことにしよう。 8たとぇば「水を飲みたい」 とい う信念をもつ人は水を飲む とい う行動をするとい うような法則的関係である。ただし、 こ の法則的関係は自然科学の法則ほどの厳密さを持たないように感 じるかもしれない。その問題については 0.6節 「素本卜醸理学 は自然科学の語彙 と調和 しない という見解について」で議論することになる。 9逆に文 として記述できない心的状態が存在 しているとしても、それはひとまず学問の探究対象から外 してもかまわないだ ろう。 1°たとえばチャーチラン ド (Churchland,Paul.)は自己をを表象するはたらきとして意識を とらえることに問題があると主 張する (Churchland 2002 pp.72-74)。

(13)

と考える根拠はない11。 彼 らの「ノ醸」は人間のそれ とは質的にかな り異なっていることになる。私 たち 人間の心を「ノ醸」の典型的モデル として考 えるのであれば、チンパ ンジーやイルカはひ とまず「′さらし きもの」は持 っている程度の認識に とどめ、探求の対象か ら外すべきだろう。あま り人間 と似ていない 「′醸」について何かが明 らかになった としても、その成果を人間の社会の諸問題をテーマ とする社会科学 の分野で役立てることはできない。12 以上のよ うに心についての科学的探究 とは「意識」についての三人称 アプローチである と定義す る。 これで本論文の下準備はお しまいである。いよいよ解釈主義 とプラグマティズムの応用例について論 じ ることにする。 11チンバンジーが誤信課題をクリアーできるかについて専門家たちは合意に達していない (Doherty 2009 p。7)。 12動物の心についてデネットは "んηごsCソνttαS(邦訳『′部はどこにあるのか』"(Dennett 1996/邦 訳 1997)の 中で論 じている。特に第1節 (pp.1-18/邦 訳 pp.9-42)の 議論が本節と関係している。

(14)

ケーススタディ

1

三つの姿勢

デネ ッ トの解釈主義 とプラグマティズムの応用例のひ とつめは三つの姿勢 である。私 たちがなにか について予測・説明 しようとするときの私たちの態度にデネ ッ トは注 目し、私たちの態度を「志向姿勢

(intentiOnal stance)」「設計姿勢 (design stance)」 「物理姿勢 (phySical stance)」 の三つにわける。 こ

れが「三つの姿勢」である。次の節 「三つの姿勢 とは」ではその三つの姿勢が どのようなものであるの かを説明する。三つの姿勢 について、よ り重要な ことは この三つの姿勢理論が どのよ うな意義を持 ち、 三つの姿勢理論にデネ ッ トの解釈主義 とプラグマティズムが どのように活かされているのか とい う点で ある。三つの姿勢には大 き く分けて二つの意義がある。第一の意義は三つの姿勢理論は、私たちが諸対 象 について予測・説明する際に用いる三つの説明戦略が認識論上同程度に重要性を持つ ことを明 らかに した点である。 この第一の意義について 0.5節 「三つの姿勢に注 目することの一つ 目の意義」で説明 し たい。 この三つの説明戦略が認識論上、同程度に重要であるとい う主張に対 し志向姿勢の認識論上の価 値 は疑わ しい と考 える立場か ら反論がある。その反論 について 0.6節 「素朴心理学は自然科学の語彙 と 調和 しない とい う見解について」の節で検討する。三つの姿勢理論の二つ 日の意義 として、三つの姿勢 は他者 についてだけでな く、自分 自身の経験についての新 しい理解を私たちに与えて くれる。私たちは 自分 自身の経験 について、直接知 ることができると考えている。 しか し三つの姿勢は私たちが 自分 自身 の経験について説明するときも、志向姿勢を採用 しているとい うことを明 らかに した。 この点について 0。7節「三つの姿勢に注 目することの二つ 日の意義」で説明 したい。最後に三つの姿勢理論に解釈主義 と プラグマティズムが どのように活かされているのかを 0.8節 「解釈主義 とプラグマティズムの応用例 と しての三つの姿勢」で述べる。

0.4

三つの姿勢 とは

私たちがさまざまな対象について予測・説明をするときの説明戦略をデネッ トは三つに分ける。デネッ トの この主張を本論文では三つの姿勢理論 と呼ぶ。 この三つの説明戦略はそれぞれ、志向姿勢、設計姿 勢、物理姿勢 と呼ばれ る。本節では三つの姿勢を順 に説明 してい く。 0。4。

1

志 向姿 勢 に つ いて 私たちが人の行動を説明 した り予測 した りす るとき、私 たちはその人の信念や欲求な どの心的状態を 相手に帰属させ、その心的状態が行動を引き起 こす と考 える。 しか し、信念を他者に帰属させるとい う技 術 は私たちが考 えているほ ど単純な ものではない。信念を人に帰属 させる能力を私たちは幼児期に発達 させる。 この ことはウィマー

(Wimmer,Heinz)と

パーナー (Perner,JoseOに よる次のような実験か らも理解できる13。 彼 らは小 さな人形を使 って次のようなス トー リーを実演 しなが ら子 どもたちに話す。 マキシー と呼ばれる少年は板チ ョコレー トを一枚 もっている。場面はマキシーの家の台所で ある。彼は欲張 らずにあ とで食べるためにチ ョコレー トを少 し残 してお こうと決めた。そこ で、緑の整理箱の中にそれを入れた (場面1)。 そ して彼は部屋を出て遊びに出かけた。マキ シーがいない間に、母親が現れ、ケーキを作 り始めた。そ うするうちに、母親はケーキを飾 るためにマキシーのチ ョコレー トが必要になった。そ こで、母親は緑色の整理箱か らチ ョコ レー トを取 り出 し、それを少 し使い、その残 りを青色の別の整理箱に戻 した (場面2)。 その 後、マキシーが戻 ってきて、チ ョコレー トの残 りを食べたい と思 った。 13以下で紹介する実験は「サリーとアン」に代表される誤信課題の一バージョンである

(15)

マキシー 場面2 図

2(図

表 はMitchell,P.1997p。

78/邦

p.103よ

り引用) この人形劇をみた子 どもたちに、戻 ってきたマキシーはチ ョコレー トを求めて どこを探すのかをたずね た。すると4歳児か ら5歳児の多 くが、マキシーは今チ ョコレー トがある青色の整理箱を見るだろうと間 違 った判断をする。しか し6歳児か ら7歳児になると、マキシーの信念の誤 りを考慮 して、マキシーは最 後 にチ ョコレー トを見た緑色の整理箱を探すだろうと答 える子 どもが多数派 になる。事実 と他者の信念 の内容には違いがあ り、私の信念 と他者の信念にも内容に違いがある。そ して異なった内容を持つ信念は 異なった行動を引き起 こす。 このような他者の信念 についての正 しい知識 と理論を私たちが幼児期に学 ぶ ことを この実験は表 している。信念や欲求 といった命題的態度を説明対象 となる人に帰属 させること によって、その人の行動を説明・予測するとい う方法は「′際の理論 (theOry Of mind)」 と呼ばれる理論 を私たちが習得 した学習の成果 と見なす ことができる。心の理論の体系は素本卜さ理学 (folk psyChology) と呼ばれ る。 この説明 0予測の方法 は対象がノいを もってい る と考 えることによって有効なもの となる。 このように対象を心あるもの と見な し「′際の理論」を用いて他者のふるまいを予測する私 たちの態度を デネ ッ トは志向姿勢 と呼ぶ。 この姿勢は対象が人でない場合にも有効である。た とえば「エアコンが温 度を下げよ うとしている」 とい うように、機械 な どに信念を帰属させてその未来の振 る舞いを予測する ことができる。 とはいえこの方法 には限界がある。対象があま りに単純な ミミズのよ うな生物の場合、 対象が′際を持 っていると見なす ことは難 しい。そ してなによ り可能だ としてもエアコンに心的状態を帰 属 させてふるまいを予測する人はいないだろう。心があると見なす ことによってふるまいを もっともう ま く予測できるような対象は、世界の中にそれほ ど多 くはない。おそ らく志向姿勢が常に といってもい い くらい高い頻度で予測 と説明を与えて くれることを期待できる対象は人間 くらいだろう。それ以外の 対象には別の姿勢を採用する方が うま くふるまいを予測・説明できることになる。「それ以外の対象」に ついて以下の節で見てい くことにする。

(16)

0。 4。

2

設 計 姿 勢 につ いて エアコンやエ レベー ターな どはもともと特定の動作をするように設計されている。エアコンは設定温 度を25度に設定 しておけば、室温が25度になるように自動的に動作を調整する。エ レベーターはボタ ンを押す と、今待 っている階で停止 し扉が開 く。 したがって、私たちはこれ ら機械の設計をもとにその 機械のふるまいを予測・説明することができる。 このような予測・説明方法 を設計姿勢 とデネ ッ トは呼 ボ。設計姿勢は機械のように特定の設計 にもとづいてふるまう対象 には、 うま くあてはまる。 しか し、 た とえば「石を蹴ると飛んで行 く」 とい うような、より単純な物理的対象の説明 と予測については どう だろうか。このような対象は特定の設計に基づいて作 られている訳ではない。このような対象について、 設計姿勢は うま くいかない。 0。 4。

3

物 理 姿 勢 につ いて 石のような単純な物理的対象の予測 と説明の手段 として物理姿勢がある。物理的対象は物理法則に従 つ て運動する。野球を しているときフライのボールを私たちがキャッチできる理由は、私たちが物理法則 に従 ってボールの飛行の軌跡を正 しく予測できるか らである。物理学の法則を用いることによって、よ り厳密に対象の振 る舞いを予測 0説 明することもできる。 このように対象を物理的法則に従 うもの と見 な し、物理法則を用いてその対象のふるまいを予測・説明する態度をデネッ トは物理姿勢 と呼ぶ。以上、 簡単ではあるが三つの姿勢について説明を した。では、 この三つの姿勢理論が持つ意義について以下で は見てい くことにしよう。 0。

5

三つの姿勢に注 目する ことの一つ 目の意義

人間の体を電子顕微鏡で見てみる と、私たちの体を構成する細胞の一つ一つを観察することができる。 細胞のふるまいを予測・説明するときに私たちが採用するべ き態度は設計姿勢 と物理姿勢の どち らなの だろうか。細胞はある程度、構造化されている対象であるため設計姿勢のほ うが物理姿勢 よ りも効率的 に予測 0説明が可能になるように思 う。 しか し、細胞はそれほ ど複雑な構造体ではないため物理姿勢を とることが不可能 とまでは言えないだろう。 このように私たちはひ とつの対象に対 して、異なる姿勢を 使い分けることができる。 また複雑 さの程度に合わせて異なる姿勢を とることができる。私たちが三つ の姿勢を使い分ける基準には次の段落で説明する三つの姿勢の特徴が関係 している。 三つの姿勢の うち、物理姿勢を用いた予測は厳密に行 うと極めて正確で例外の少ない予測 と説明が可 能 である。ボールや石 とい った単純な物理的対象についてはもちろんの こと、エ レベー ターのような複 雑 な対象についても物理姿勢を とることによってふるまいを予測することができる。 したがって物理姿 勢 は原理的には広範な利用可育旨性を もつ。ただ し、エ レベー ターのふるまいを物理法則を用いて予測・ 説明することはかな り困難な ことでもある。エ レベーターのふるまいを物理姿勢を用いて説明するため には、エ レベーターの物理的側面に注 目しなければならない。つまり、エ レベー ターが どのような仕組 みで動いているのかや、エ レベー ターを構成する各部品の摩擦係数な どについての情報が必要 となる。 物理姿勢に比べ、設計姿勢を用いてエ レベー ターの動 きを予測することはそれほ ど難 しい ことではない。 エ レベーターの複雑な構造を一切考慮することな く、そのふるまいを予測できる。しか し、エ レベーター は常に設計通 り動 くわけではない。点検中の ときや故障 したときには、エ レベー ターは設計通 りには動 かない。設計姿勢にもとづいた予測はそのよ うな時には外れることになる。 しか し物理姿勢であれば、 個々の部品の状態 も考慮 して予測 と説明をす ることになる。壊れている部品があれば、壊れた状態の部 品のふるまいが予測 と説明に反映され るため、そのような時にも正 しくエ レベー ターのふるまいを予測

(17)

することができる。 この ことか ら物理姿勢に比べ複雑な対象について効率よ く予測 と説明が可能である が、他方で予測が外れるリスクが高い とい う設計姿勢の特性が明 らか となる。 このような効率 とリスク の トレー ドオフは志向姿勢においてはより顕者になる。私たちは人間の物理的側面に注 目することによっ て、人間のふるまいを予測することができる。脳の神経細胞の電位変化やホルモンの分泌量がそれであ る。 しか し、「本を取 って」 と言 った人物に本を手渡す ときに、いったい誰が相手の脳の神経細胞の電位 変化やホルモンの分泌量を考慮するだろう。通常は相手 に本を取 つてほ しい とい う欲求を帰属 させ、そ の心的状態をもとに相手のふるまいを予測する。常に対象の物理状態を考慮することは効率が悪 く実用 性 に乏 しい。特に人間のような極端に複雑な対象について予測・説明する ときに、対象を構成する個々 のパーツに考えを巡 らせることな ど不可能である。人間のふるまいを予測・説明するときに志向姿勢を 採用することは、効率的で現実的な解決策なのである。 しか し志向姿勢を とることによって可能 になる 効率的な説明戦略は、設計姿勢以上 に予測精度が低い。「水を飲みたい」 とい う欲求は多 くの場合、水 を飲む とい う行動を引き起 こす傾向があるが、「水が飲みたい」 とい う欲求を持 っているにも関わ らず、 私 たちが水を飲 まないようなさまざまな状況があ り得 る。例外の発生率 は大 きい。欲求や信念を もとに した説明や予測は、設計姿勢以上に リスキーな説明戦略なのである。そのような リスクがあるにもかか わ らず、私たちが志向姿勢を採用するのは、志向姿勢を とることによって得 られる効率の良さと言 うメ リッ トが、例外の多さと言 うデメリッ トを上回つているか らである。それ どころか志向姿勢は私たちの 日常生活 における他者の行動を予測・説明するときの標準的な戦略である。志向姿勢ぬきに私たちの生 活 はあ りえない。人間の複雑な行動をある程度の正確さで効率 よ く予測・説明できる戦略は志向姿勢の 採用をおいてほかに存在 しない。彗星の軌道を計算するときに物理姿勢が欠かせないの と同様に、人間 の行動をある程度のスケールで予測・説明するさいに志向姿勢は欠かせない。 以上のように私たちは三つのそれぞれの姿勢のメ リッ トとデメリッ トを天秤にかけ、相手の複雑 さの 程度にあわせ最 も有用な姿勢を採用 している。エ レベー ターについて、設計姿勢が私たちにもた らす効 率の良さ とリスクはバランスが とれている。人間について、志向姿勢が私たちにもた らす効率の良さ と リスクはバランスが とれている。三つの姿勢を採用 して得 られる理論 は、いずれ も対象の予測 と説明を する上で同程度に有用である。それゆえ三つの姿勢が提供する三種類の説明戦略はプラグマティックな 観点か ら見た とき認識論上等 しい価値を持つ。 この ことを明 らかに した ことが三つの姿勢理論のひ とつ めの意義である。 このことがもつ意義は次のように理解できるだろう。物理姿勢を採用 した とき、私た ち物理法則をもちいて対象 について予測 0説 明する。 したがって物理姿勢においては、物理学な どの 自 然科学分野 と調和す る語彙のみが用い られる。 したがって物理姿勢を採用 した ときの予測 と説明の戦略 が認識論上価値を持つ とい うことは、物理法則が認識論上価値を持つ とい うことと同 じである。物理法 則が学問の中で重要 であることは今 さら確認す るまでもない事実 として広 く受け入れ られている と言 っ ていいだろう。 しか し、志向姿勢を採用 した ときに用い られる法則的関係が学術的に どれほどの価値を 持つのかについて、物理法則ほ どの広範な合意は得 られていない。素朴心理学の認識論上の地位を物理 学の認識論上の地位に比べ低 く位置づける立場 として、素朴心理学の語彙を 自然科学の語彙へ と還元 し よ うとする還元主義 (reductionism)な どの立場が存在する。デネ ッ トの三つの姿勢理論は、プラグマ ティックな基準を採用 した とき、志向姿勢 と物理姿勢は同 じくらい認識論上の重要性を持つ と主張 して いるのである。 このような主張は当然、素朴心理学の認識論上の地位を物理学な どの自然科学の語彙の 下位に位置づける立場の反論を招 くことになる。次の節ではそのような立場の一つ としてチャーチラン ドの消去的唯物論 (eliminative materialism)を 取 り上げる。

0.6

素朴心理学は自然科学の語彙と調和 しないという見解について

素朴心理学には法則的な関係や因果関係によって対象のふるまいを説明するような文が多 く登場する。 しか し素朴心理学は科学の理論一般に見 られる予測・説明に比べ十分な厳密 さをもっていないように感 13

(18)

じられる。た とえば「電気分解された物質の量は、流れた電気量に比例する (フアラデーの電気分解の 第一法則)」 とい う法則はほぼ例外な く成立する。 しか し、「水を飲みたい とい う欲求を持つ人は、水を 飲む」 とい うよ うな法則が どれほ どの確率で成立するのだろうか。水を飲みた くても深刻 な会議の途 中 であれば水を飲 まない ことはあるだろう。水を飲みたい とい う欲求を持つ人が不幸にも砂漠の真ん中に いて水にあ りつ くことができない場合 もあ りうる。 このように考 えると、素本卜醸理学において用い られ る法則的関係は私たちの日常生活の曖昧な言語使用の産物にすぎないのであ り、理論 と呼ぶに足る厳密 さを持 っていないのではないか とい う疑間が生 じる。そ して仮に心の理論を理論 と見な した としても、 それは科学的探究の一部なのだろうか。本節では心の理論が文字通 り「理論」であ り、科学的探求対象 であることを論 じたい。 素朴心理学 においては命題的態度を指示す る語彙が用い られ る。それ ら語彙の間の法則的な関係 を チャーチラン ドは以下で示す リス トとして整理 している。以下の リス トでは「p」 が命題的態度の内容を 代入する項である14。 1.すべての xと

pに

ついて、

xが

pとい うことを恐れるな らば、xは

pで

ない とい うことを欲す る。 2.すべての xと pについて、

xが

pとい うことを望み、かつ

xが

pとい うことを発見するな らば、

x

はpとい うことを喜ぶ。 3.すべての xと pと qに ついて、

xが

pと い うことを信 じ、かつ

xが

pならば qと い うことを信 じる な らば、混乱や動転な どがなければ、

xは

qと い うことを信 じる。 4。 すべての xと pと qについて、

xが

pとい うことを欲 し、かつ

xが

qならばpとい うことを信 じ、 かつ

xが

qと い うことを生 じさせ られるならば、相容れない欲求や優先すべき戦略がなければxは qと い うことを生 じさせる。 (Churchland 1981 p.71/非 Ftt p。131) このチャーチラン ドの リス トを見てみると、素朴心理学が厳密さに欠けるとい う批判は必ず しも適切で はない ことがわかるだろ う。15。 素朴心理学が厳密 さを欠 くよ うに感 じられる理由は別 にある。た とえ ば「太郎が株価が暴落することを恐れているなら、太郎は株価が暴落 しない ことを欲する。」 とい う命題 間の法則的関係を利用 して導いた言明に対 して「株価暴落のタイ ミングで太郎が激 しい恋に落ちて、太 郎は金のことなんて どうでもよくなるか もしれない じゃないか。」 とい うような反論がなされる場合があ る。た しかに現実世界ではそのようなことがあるだろう。 しか し科学の法則的関係は必ず しも現実世界 の流動的な状況を前提 している訳ではない。科学の法則が厳密に成立することを確認するためには、理 想的な前提条件が設定 された実験室を用意する必要がある。 フアラデーの法則 も極端な気圧や磁界の中 では成立 しない ことがあ りうるだろう16。 現実世界の流動的な状況では多 くの例外が発生することは自 然科学の法則で も同 じことである。 したがって素朴心理学の法則が現実世界 で うま く機能 しない場合が あることは、必ず しも素本卜心理学が厳密さに欠けることを意味 しない。む しろ現実の流動的な状況の中 で実用に足る信頼性をあげているとい う事実は、素朴心理学が予測 と説明 とい う点において、高い信頼 性をもっていることを意味 している。チャーチラン ドの リス トは、志向姿勢の もつ信頼性を分か りやす く定式化 した物 と言 えるだろう。ではチャーチラン ドの リス トか らどのようなことが言えるのだろうか。 14リス トの一つ 目を利用する場合を例に考えてみよう。x=太郎、p=「株価が暴落する」であるとする。すると「太郎が株 価が暴落することを恐れているなら、太郎は株価が暴落 しない ことを欲する。」 とい う予測が成立する。 15しか し、素朴心理学で用い られる命題間の法則的関係にある程度例外があった としても、以下で述べるようにプラグマ ティックな基準に照 らして考えることで例外が発生する程度がそれほど多 くない限 り、例外が生 じることはそれほど重大な間 題を生 じさせない ことがわかる。 16北極点を旋回する飛行機の中ではファラデーの法則は成立 しない といっても、それはフアラデーの法則を批判 したことに はならない。「塩化ナ トリウム水溶液は導電性を示す」 といった科学の法則は量化子をもたないが、「すべての塩化ナ トリウム 水溶液」について述べたものとして一般的には理解される。 しか し、これはあらゆる奇妙な条件のもとで法則が成立すると述 べているわけではないし、例外が全 く存在 しない と述べているわけでもない。

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