ロボット化と人間化の合一
仏教は学問としてはこれまでは文学部の中に位置づけられていた。しかし、ものごとは、とこと ん徹底すると逆の所に到達する。科学技術がここまで進歩して、気が付いてみると、もうそれは仏教な しには、先へ進めないことになっていた。仏教は理科系にも含まれなければならなくなった。 いうまでもなく、仏教の応用は分野を限らない。仏教は当然、科学技術へ応用されて、その偉力を十 分に発揮するはずであり、すでに一部ではその恩恵をこうむっている。以下では、筆者の専門であった ﹁工場の自動化﹂において、仏教がどのように応用され、どのような効果を上げているかについて簡単 に述べさせていただく。 全部が全部というわけではないだ自動化を推進すると、人間が疎外されるという事実がある。 二自動化か人間化か |はじめに森政弘
123ロ ボ ッ ト 化 と 人 間 化 の 合 一 だが本田技研の自動化導入はちがう墨本田には一自動化は徹底的に行うが、従業員は大切で減らせ ない﹂という基本姿勢がある。これは倫理を超えて、眼が開いている。真観がある。 筆者は専門として、三十数年間、自動化に携わってきたが、その体験からい、フと、自動化ぐらいでは 人間は絶対に減らないのである。人間は死なない限りは減らない。だから、自動化で人が減るという常 識は、完全な錯覚である。このような無自覚な錯覚は、仏法にそぐわない。 それは、見えない遠方へ移動することと、なくなることとを取り違えている。自分の会社だけという 狭い視野からすれば、人が減ったのと等価なのかも知れない。しかし、不要になった従業員が、他の会 こういうやり方をすると、現場では、ロボットというものを二おれたちの職を奪う敵がきた﹂という ふうに把握する。そして油をさす代わりに﹁砂でもぶつかけておけ!﹂という調子になり、会社は経営 者側と労働組合側との二つに分裂して、身動きならない事態になり、会社は傾く。 経営者側には、従業員を愛し尊重するという気持ちがない・労働組合側も、遍計所執性でもってロボッ トを錯覚し、その実体を見てはいない。また、二つに分裂して争うことは、仏の御心に反することであ うo○ 一兵ご三相二石先一斗匂 うことになる。 ﹁さあ君たち、これからはこのロボットを使って、十五人でやってきた作業を五人でやりなさい﹂とい トの方が安ければロボット導入に踏み切る。そしてロボットが納入されると、それを現場に持込み、 四すべてか全機する自動催 125
一手作りの自動化﹂から始められる。しかもそれによって、従業員のミズカラという姿勢
ロ ボ ッ ト 化 と 人 間 化 の 合 一 二、自らのアイデアで 三、自らの手をよごして自動化する。 この姿勢で、従業貝は自分を助けてくれる自分のロボットを、自分のアイデアで、自分が手をよごし て製作するのである。その時従業貝は、われを忘れて懸命になる。アイデアを出すことも、手をよごす ことも、大脳生理学的にいえば、前頭連合野の励起になる。前頭連合野は自己・宗教などという高級な 情報を司る部位である。 ここで、思い出されるのは、道元禅師の正法眼蔵現成公案の、次の言葉である。 仏道を習雲フというは自己を習、うなり。 自己を習うというは自己を忘るるなり。 自己を忘るるとい、﹃ノは万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるというは自己および他己の身心をして脱落せしむるなり。 いうまでもなく、これは禅定の心境であろう。だが坐禅でなくと、賀ロボット作りにおいてわれ を忘れる製作三昧にひたれば、それは仏道となる。したがって、ロボットも法の一つであるから、 ロボットに証せらるるとい、7は自己を忘るるなり。 一自らの職場を 127
ロボット化と人間化の合一 仏法の技術ないしは工場経営への応用として、ロボット化と人間化とを合一し、矛盾を超え得た例 を紹介させていただいた。 法に合致している縁︾ 本田技研の創始者、本田宗一郎さんは非常に般若的な方とお見受けされる。経になぞらえれば、金剛 経的な方で、﹁仏法即非仏法是名仏法﹂の姿勢で、水のよう/に流れるとらわれない心で経営をされてきた と、筆者には見えるのである。﹁私は仏教は知らない﹂としばしば申されるが、なされることは見事に仏 ロチである。 七おわ隙〃に 129