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フィヒテとシェリング─「知的直観」と絶対知 利用統計を見る

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フィヒテとシェリング─「知的直観」と絶対知

著者

長島 隆

著者別名

Takashi NAGASHIMA

雑誌名

白山哲学 : 東洋大学文学部紀要 哲学科篇

51

ページ

17-41

発行年

2017-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00008590/

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はじめに   本 稿 で は、 フ ィ ヒ テ と シ ェ リ ン グ の 論 争 を、 ﹁ 知 的 直 観 ﹂ と﹁ 絶 対 知 ﹂ と い う 二 つ の 鍵 概 念 を 中 心 に し て フ ォ ロ ー することによって、二人の間で問題となっていたのはなんであるかを明らかにしたいと思 う (( ( 。   このテーマ自身、超越論哲学の限界点を確定する作業という意味を持っており、カント研究においては、これまで ほとんど問題にされることがなかった。この﹁知的直観﹂がカント研究上の問題になったのは、古く新カント学派の 時代、 19世紀後半においてであった。これは文献的にも確定することができ る (( ( 。さらに、 20世紀も後半において、 ﹁知 的直観﹂という用語の使用方法がカント、フィヒテそしてシェリングにおいて同じであるかどうかが争われ た (( ( 。   私自身の問題意識もまた、ドイツ観念論の理論的理解からカントを捉え返すことによって、問題を明らかにしよう とすることにある。しかも、カントの理論哲学を問題にする。今日、 ﹁知的直観﹂を扱う場合、 ﹃判断力批判﹄のほう に関心が向けられることが多いが、問題はカントの理論哲学の前提とその構造にあり、そこに問題があると考えるか

フィヒテとシェリング─「知的直観」と絶対知

 

   

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らである。それでは問題の所在を確認しておこう。   ﹁ 知 的 直 観 ﹂ の 問 題 は 実 は、 そ れ を 否 定 す る カ ン ト に 発 す る と 言 え る だ ろ う。 カ ン ト が﹁ 知 的 直 観 ﹂ を 拒 絶 し た こ と は 有 名 で あ る。 彼 の﹁ 直 観 ﹂ の 定 義 か ら 問 題 は 生 じ て く る。 ﹁ 直 観 ﹂ は カ ン ト に と っ て﹁ 感 性 的 ﹂ で な け れ ば な ら な い。 ﹁ 内 容 を 欠 く 思 想 は 空 虚 で あ り、 概 念 を 欠 く 直 観 は 盲 目 で あ る ﹂︵ A51/B75 ︶。 こ れ が、 カ ン ト の 根 本 思 想 を 示 すテーゼである。   カントは、 ﹁受容性﹂と﹁自発性﹂とを認識の二つの源泉であることを確認し、 ﹁感性﹂と﹁悟性﹂を認識の出発点 と す る。 ﹁ 直 観 ﹂ は、 ま さ に 認 識 の 場 で あ る﹁ 心 ﹂ が 触 発 さ れ る︵ afficir twer den ︶ こ と に よ り、 ﹁ 受 容 性 ﹂ を 基 本 と する捉え方が示されることになる。ところが、 この限りでは、 諸表象として﹁瞬間的﹂ 、﹁点的﹂ 、﹁散乱的︵ばらばら︶ ﹂ であり、直観が﹁対象﹂として焦点を結ぶとき、何らかの﹁能動性﹂が働いていると考えざるを得ない。ここに﹁受 容性﹂と﹁自発性﹂とが対立してくることになる。   だが、カントは﹁心﹂に定位し、デカルトらと異なって、この﹁心﹂という次元から 神へと﹁超越﹂することを拒 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 絶 す る 0 0 0 。 そ う す る と、 ど の よ う に し て、 両 者 の 一 致 を 確 証 す る こ と が で き る の か。 彼 の﹁ 超 越 論 的 ﹂ と い う 言 葉 は、 ま さ に こ の カ ン ト に と っ て、 ﹁ 内 在 的 超 越 ﹂ (( ( を 意 味 し、 方 法 的 機 能 を 果 た す こ と に な る。 し た が っ て、 カ ン ト は、 心 に定位しながら、内在的に﹁心﹂のうちに、峻別された﹁自発性﹂と﹁受容性﹂を結合する機能を探求することにな る。 ﹁把捉 ・ 理解 ・ 覚知︵ Appr ehension ︶﹂ 、﹁構想力︵ Einbildungskraft ︶﹂ 、﹁統覚︵ Apper zeption ︶﹂などがそれである。 カ ン ト に お い て、 こ の﹁ 自 発 性 ﹂ と﹁ 受 容 性 ﹂ を 結 合 す る﹁ 第 3 者 ﹂ の 存 在 の 探 求 は、 最 終 的 に、 ﹁ 統 覚 ﹂ =﹁ 私 は 考 え る︵ Ich denke ︶﹂ が 担 う こ と に な る が、 こ れ が﹁ 純 粋 統 覚 ﹂、 ﹁ 超 越 論 的 統 覚 ﹂ と 呼 ば れ、 自 己 意 識 を 意 味 す る と されることになる。これが、カントの試みにおいては、このカント自身の試みにおける困難の解決の最終審級となる

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わ け で あ る が、 こ こ に﹁ 知 的 直 観 ﹂ の 問 題 を 浮 か び 上 が ら せ た の は フ ィ ヒ テ で あ っ た。 ま さ に、 ﹁ 知 的 直 観 ﹂ は、 カ ントが﹁経験意識﹂と﹁自己意識︵純粋統覚︶ ﹂とを区別し並置せざるをえなかったところに存することにな る (( ( 。   この点を問題にした最初の人はフィヒテであった。   ちなみに、 このフィヒテの提起を受けて、 ノヴァーリス、 ヘルダーリンらいわゆる﹁ロマン主義者たち﹂もまた、 フィ ヒ テ に た い し て 批 判 的 に 対 応 し、 ﹁ 知 的 直 観 ﹂ 問 題 は 当 時 の﹁ ロ マ ン 主 義 ﹂ の 一 つ の 主 題 と も な っ て い た こ と も 付 言 しておきた い (( ( 。   本 稿 で は、 ま さ に フ ィ ヒ テ か ら 始 ま り、 シ ェ リ ン グ と の 対 決 に 論 点 を 絞 り、 ﹁ 知 的 直 観 ﹂ の 問 題 が 持 つ 問 題 の 性 格 を浮かび上がらせることにしたい。両者の対決する方向こそが、カントに発する﹁超越論哲学﹂の方向を分岐させる ことになると考えるからである。そして結論を先取りしていえば、 カントの ﹁直観﹂ =受容性の根本的捉え返しが ﹁知 的直観﹂のもとで行われたことであり、そのあとに﹁絶対知﹂の問題が登場することである。 .フィヒテにおける「知的直観」と自己直観   さ て、 フ ィ ヒ テ が﹁ 知 的 直 観 ﹂ を 取 り 上 げ、 そ の 問 題 を カ ン ト と 結 合 し て 見 せ た の は、 1797 年 で あ り、 ﹁ 新 方 法による知識学﹂ ︵ 1797 年及び 1799 年の講義︶ 、そして﹁知識学への第 2 序論﹂であった。実際、フィヒテは ﹁ 第 2 序 論 ﹂ で﹁ 私 は シ ェ リ ン グ 氏 を カ ン ト 解 釈 者 の 一 人 に 数 え 入 れ な い。 そ し て 私 も、 あ の 主 張 と 私 が こ こ で 語 る ことによる外には、 カント解釈者であるという栄誉を決して要求しなかった﹂ ︵ FW I 481 Anmerkung ︶と述べており、 フィヒテ自身、自分自身の思考の遂行として﹁知識学﹂を構想し、そのあとでカントとの連関を考察したことを確認 している。

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⑴   ﹁新方法による知識学﹂において、フィヒテはこう述べている。 ﹁ カ ン ト は 知 的 直 観 を 拒 絶 し た。 だ が、 彼 は 直 観 の 概 念 が た だ 感 性 的 で し か あ り え な い と 規 定 す る。 ⋮⋮ 我 々 の 知的直観においては ただ一つの行動だけ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 が直観された。カントはそれを、ただ それを反省しなかった 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 から、すな わちカント哲学がこの直観の結果であることを反省しなかったから。 ﹂   本 稿 の 文 脈 で は、 こ の 講 義 筆 記 録 か ら の 引 用 は こ れ で 十 分 で あ る と 言 え よ う。 1797 年 時 点 で 彼、 フ ィ ヒ テ は、 カントの問題を出発点として明らかにする。すでに先の引用が示すように、もちろんフィヒテは自分をカントの解釈 者とは同定してはいない し (( ( 、むしろ、独立した理論家としてふるまっている。 ﹃全知識学の基礎﹄ ︵ 1795 年︶でも カントに言及しないわけではないが、カントの問題を批判的に継承することを主張しているわけではない。事実問題 として、フィヒテがカントから、カントの試みが自我への反省の欠如に問題を見ることになる。このことが、まさに 彼の出発点となる。すなわち、 彼は﹃基礎﹄において、 知識学の 3 つの原則を立てるが、 そのときまさに﹁自己意識﹂ の根底に﹁事行﹂ ︵ Tathandlung ︶があることを指摘する。だが、これは行動と行動の結果が一つであることを示すも のにほかならないのであり、この働きなくしては、 ﹁自己意識﹂そのものが成り立たないことを主張する。   こ の﹁ 事 行 ﹂ が﹁ 知 的 直 観 ﹂ を 示 す こ と は 明 ら か で あ る。 ﹁ 事 行 ﹂ は 意 識 に 現 れ る こ と が な い。 む し ろ 自 己 意 識 が 存することそのことが、この﹁事行﹂の存在を確証する。 ﹁ 自 我 を 生 じ さ せ る 行 為 に お い て 遂 行 す る 際 に、 哲 学 者 に 要 求 さ れ た 自 分 自 身 に つ い て の こ の 直 観︵ 作 用 ︶ を、

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私は知的直観と名づける﹂ ︵﹃知識学への第 2 序論﹄ FW I, 463 ︶。   フィヒテは、自我を成立させる行為を﹁知的直観﹂と名づける。フィヒテはこの働きの直接性を強調する。この働 きは、概念によっては論証されることができない。むしろ、この﹁知的直観﹂は﹁直接に自分自身のうちに見いださ れる﹂ ︵ ebd. ︶。このような直観がなければ、自我は成立しないし、自我における感性的直観さえも成立しない。   そのため、フィヒテは次のように言うことになる。 ﹁ し た が っ て、 │ 知 性 は 自 分 自 身 を 直 観 す る。 単 に 知 性 と し て あ る い は 純 粋 な 知 性 と し て で あ る。 そ し て こ の 自 己直観のうちにこそ知性の本質が存している﹂ ︵第 1 序論、 FW I, 530 ︶。   この﹁知的直観﹂は﹁自己直観﹂である。カントとの関係で言えば、カントが自己意識を﹁私は考える﹂として純 粋統覚を示したことにたいして、フィヒテはこの純粋統覚を反省することによってのみ初めて可能となると考えるか らである。だが、このような反省がどのようなものであるかは問題である。   フィヒテは、このような反省を統覚の自己還帰であると考える。というのも、この反省は﹁活動の自己自身への還 帰 ﹂ で あ る か ら で あ り、 そ れ 故﹁ 自 我 性︵ Ichheit ︶﹂ と 名 づ け ら れ る か ら で あ る。 だ か ら、 こ の﹁ 自 我 性 ﹂ は、 自 我 そのものであり、何ものにも関係せず、自我そのものだけがあることを示すものである。   だから、フィヒテにとって、カントが言う﹁自己意識﹂は 事実として存在する 0 0 0 0 0 0 0 0 0 のであり、この自己意識を成り立た しめるのがまさに、成り立たしめている活動そのものに還帰することによって直観される﹁自我性﹂だということを

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意味している。このような何ものとも関係しない﹁自我性﹂が﹁感性的直観﹂のうちに存していることをフィヒテは 主張することになる。 ﹁自我性﹂はまさにカントの純粋統覚と比較するなら、 ﹁私は考える﹂を意識する自我を意味す ることになり、しかも感性的直観の根底にもあることになる。 ﹁ ⋮ 君 は、 以 前 に は 自 己 を 意 識 し て い る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︵ das Selbstbewusstsein ︶ 状 態 に あ っ た と こ ろ の も の を 再 び 意 識 す る と 0 0 0 0 0 0 0 ころの一つの新しき主観 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 を、同時に得る﹂ ︵﹁知識学の新叙述の試み﹂ 、 1797 年、 FW I, 527 ︶。 ⑵   ﹁知的直観﹂がカントの純粋統覚にたいして、すなわち﹁経験意識﹂に随伴する自己意識に対して、まさに、 ﹁経 験意識﹂と﹁自己意識﹂の並存にたいして、 この並存を成り立たしめるという方法的位置を持つ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ことは明らかになっ た。   だが、フィヒテはこの並存の、つまり経験意識の根拠としてある事行という徹底した活動性に﹁直観﹂という言葉 を与え、すでに述べたように、その﹁直接性﹂を強調する。それはなぜか。反省による﹁自己還帰﹂こそが﹁知的直 観﹂であるとするなら、 すでにそこには亀裂が、 対立があり、 ﹁直接性︵ Unmittelbarkeit ︶﹂とは言えないのではないか。 むしろ﹁媒介性︵ Mittelbarkeit ︶﹂ではないか。   だが、 まさにこのような亀裂、 対立を超えて媒介的に存しないことをフィヒテは強調する。それを説明するために、 フィヒテは﹁哲学者が観察する自我の系列﹂と﹁哲学者が行う観察の系列﹂とが知識学においては区別されるという ︵﹁ 知 識 学 へ の 第 2 序 論 ﹂、 1797 年、 FW I, 454 ︶。 自 我 の 自 己 還 帰 は ま さ に、 前 者 に 属 す る の だ と い う の が フ ィ ヒ テの主張である。

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  だから、フィヒテは、次のように言う。 ﹁ 自 我 は 自 己 自 身 に た い し て 根 源 的 に 生 じ る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 。 た だ 哲 学 者 に た い し て の み、 自 我 は 事 実 と し て あ ら か じ め 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 存 在 し ている﹂ ︵ FW I, 459 ︶。 ﹁ 彼︹ 哲 学 者 ︺ は 自 己 の 働 き を、 自 己 の う ち に 直 観 さ れ る ま ま に、 こ の 特 定 の 自 己 に 還 帰 す る 行 為 と し て 概 念 的 に把握する。⋮⋮行為が何であるかは、ただ直観されうるだけであって、概念から展開されることも概念によっ て伝達されることもできない﹂ ︵ FW I, 461 ︶。   つまり、 ﹁哲学者﹂にとって、フィヒテの言葉では﹁哲学者の行う観察の系列﹂にとって、 ﹁哲学者が観察する 自我 0 0 の系列 0 0 0 ﹂において起こっていること=自我の自己還帰は、 ﹁直観﹂として 与えられている 0 0 0 0 0 0 0 ことなのである。だから、 ﹁哲 学 者 ﹂ に と っ て は 所 与 で あ り、 ﹁ 直 観 ﹂ だ と 言 わ れ る。 フ ィ ヒ テ が﹁ 直 接 性 ﹂ を 強 調 す る の も ま さ に こ こ に そ の 理 由 がある。 ﹁ わ れ わ れ は ⋮⋮ 主 観 的 な も の と 客 観 的 な も の が そ こ で 直 接 に 合 一 化 さ れ て い る よ う な 意 識 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 を 見 出 し た の で あ ろ う。我々自身の思考の意識がこの意識である。⋮⋮その外部の何か︵思考の客観︶に向かう君の 内的な活動性 0 0 0 0 0 0 は 同時に自己自身のうちに、 かつ自己自身へと向かう。 しかし 自己のうちに還帰する活動性 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 によって⋮⋮我々にとっ て 自我が成立する 0 0 0 0 0 0 0 。君はそれによって君の思考において君自身のことを意識したのであり、そしてこの自己意識

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は君の思考のあの 直接的意識 0 0 0 0 0 にほかならなかった。⋮⋮﹂ ︵ FW I 527/528 ︶   こうして、フィヒテは、自我の自己還帰を﹁主観的なものと客観的なものが直接合一されている﹂意識とし、それ を 我 々 が︵ 哲 学 者 が │﹁ 哲 学 者 の 行 う 観 察 の 系 列 ﹂ が ︶ 見 出 し た と 主 張 す る。 こ の﹁ 自 己 還 帰 ﹂ は、 活 動 性 で あ り、 この活動性によってはじめて﹁自我﹂が成立することを主張する。ここで重要なのは、この﹁自己のうちに還帰する 活動性﹂によって、自我が成立するとされることである。この自己還帰こそが自我を定立するのであり、それ以上で も以下でもないとフィヒテは考える。   この﹁活動性﹂こそが自我であり、自我の成立においてこの﹁活動性﹂もまた意識に昇る。これがフィヒテにとっ て﹁ 直 接 的 な 意 識 ﹂ だ と さ れ る。 自 我 が 成 立 す る と こ ろ に は じ め て 意 識 さ れ る 事 態 が フ ィ ヒ テ に と っ て は﹁ 直 接 的 ﹂ と表現される。 ﹁ 自 己 意 識 は 直 接 的 で あ り、 そ こ に お い て 主 観 的 な も の と 客 観 的 な も の と が 不 可 分 に 結 合 さ れ て 絶 対 的 に 一 な の である﹂ ︵ FW I, 528 ︶。   このような﹁直接的な意識﹂が﹁知的直観﹂と呼ばれ、これが事行とされる。この間の区別は、まさに次のように 言われている。 ﹁知的直観﹂ は ﹁存在にかかわるのではなく、 行為に関係する﹂ ︵ FW I, 472 ︶。だから ﹁知的直観﹂ は ﹁自 我の絶対的自己活動性の直観﹂ ︵ FW I, 471 ︶であると言われる。

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﹁ ⋮⋮ 哲 学 者 が 知 的 直 観 を 意 識 の 事 実 と し て 見 出 す の は︵ そ れ は 哲 学 者 に と っ て は 事 実 で あ る が、 根 源 的 自 我 に とっては事行である︶⋮⋮通常の意識のなかに一体化して現れるものを区別し、全体をその構成要素に分解する ことによってである﹂ ︵ FW I, 465 ︶。   こうして、 確認するために繰り返すけれども、 フィヒテが﹁直接的﹂と強調するのもまさに﹁哲学者の観察﹂にとっ て で あ り、 そ れ は﹁ 意 識 の 事 実 ﹂ を 意 味 す る の で あ る が、 ﹁ 自 我 の 系 列 ﹂ に と っ て は、 ま さ に そ れ は﹁ 事 行 ﹂ そ の も のなのである。 ⑶   ﹁知的直観﹂は、 ﹃知識学﹄そのものが﹁自我﹂を原理として取り上げたことに基づく。実際、フィヒテは﹁知的 直観﹂こそが﹁事行﹂であり、自己 │ 定立 │ 行為、対象 │ 定立 │ 行為そして総合=同一性 │ 定立 │ 行為を、知識学の三つの 原則として掲げたのである。   この三つの原則は、まさに根底ではたらく事行=知的直観の働きの展開を意味しており、フィヒテは第 1 原則から 第 3 原則まで一貫して、発生点にもとづいて展開して見せた。 ﹁事行﹂こそがフィヒテにとって、 ﹁哲学者の観察の系 列 ﹂ に と っ て は、 哲 学 の 原 理 で あ り、 ﹁ 知 識 学 ﹂ そ の 課 題 は ま さ に﹁ 事 行 ﹂ と い う 自 我 の 活 動 性 を 記 述 す る こ と に ほ かならない。 ﹁ こ の 根 本 命 題 は、 我 々 の 意 識 の 経 験 的 諸 規 定 の 中 に は 現 れ も せ ず ま た 現 れ う る も の で も な く、 か え っ て あ ら ゆ 0 0 0 る意識の根底に横たわり、これがあることによってのみ意識を可能ならしめるような、このような事行 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 を言い表

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すものでなければならない﹂ 。   この文章は、フィヒテが﹁全知識学の基礎﹂第 1 部第 1 章において、冒頭部で知識学の第 1 原則を導くにあたって 表明した文章である。そしてすでに指摘したように、この﹁事行﹂は証明できるものではなく、むしろ﹁不可避の循 環︵ ein unver meidlicher Zirkel ︶﹂である。   証 明 で き な い が、 ま さ に﹁ 経 験 意 識 ﹂ の 根 底 に あ り、 ﹁ 経 験 意 識 ﹂ を 可 能 に し て い る が ゆ え に、 フ ィ ヒ テ は、 経 験 的なものを捨象することによって、 ﹁事行﹂の存在を浮かび上がらせてみせる。それが第 1 原則として定式化される。 す な わ ち、 ﹁ 自 我 は 根 源 的 に 端 的 に 自 己 自 身 の 存 在 を 定 立 す る︵ Das Ich setzt ursprünglich schlechthin sein eigenes Seyn ︶﹂ ︵ FW I, 98 ︶。 こ の 原 則 も ま た﹁ 発 見 さ れ る ﹂ の で あ り、 三 つ の 原 則 そ の も の が﹁ 哲 学 者 の 観 察 ﹂ に と っ て は つねに﹁意識の事実﹂として﹁発見される﹂ことになる。   重要なのは、まさにこの 3 原則の確立においてカントの﹁受容性﹂と﹁自発性﹂の峻別は克服されていることであ る。第 2 原則もまた事行の様式の表現にほかならず、 ﹁受容性﹂と﹁自発性﹂とが一つであることを示すことにな る ((1 ( 。 第 2 原則﹁自我にたいして端的に非我が反立される︵

Dem Ich wir

d schlechthin entgegengesetzt ein Nicht-Ich

︶﹂ ︵ FW I, 104 ︶ は、 ま さ に 第 1 原 則 と 対 立 し た 方 向 で は た ら い て い る こ と が 明 ら か に さ れ て い る。 シ ェ リ ン グ 的 な 表 現 で 記 述 す れ ば、 第 1 原 則 は﹁ 事 行 ﹂ の 肯 定 的 表 現 で あ り、 第 2 原 則 は ま さ に﹁ 事 行 ﹂ の 否 定 的 な 表 現 で あ る こ と に な る。 だから、フィヒテは﹁反立態から非存在への推論の形式だけに注目するならば、 ﹃否定性﹄のカテゴリーが得られる﹂ ︵ FW I, 105 ︶と述べることができる。   第 3 原 則﹁ 自 我 は 自 我 の な か に お い て 可 分 的 な 自 我 に た い し て 可 分 的 な 非 我 を 反 立 す る︵ Ich setze im Ich dem

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theilbar en Ich ein theilbar es Nicht-Ich entgegen ︶﹂ ︵ FW I, 110 ︶ は、 ﹁ 総 合 ﹂ と い う 評 価 を 受 け て い る。 だ が、 こ れ も 筆者から見れば、事行の同一性をも浮かび上がらせた命題であると言えるだろう。   カントでは、 ﹁受容性﹂ と ﹁自発性﹂ との両者の峻別こそがカントの哲学の中心に座っていた。だが、 フィヒテにとっ ては、もはやこのような両者の峻別そのものが哲学の原理においてすでに克服されているのである。すでに述べたよ うに、この 3 原則そのものが事行の三つの表現形態にほかならず、その体系の形成においても、体系の全体において も、この事行が働いていることを示していることになる。 .シェリングにおける「知的直観」の登場とその構造   さてシェリングであるが、シェリングは﹁知的直観﹂の問題を大きくみて、二度取り上げることになる。まず第 1 に、 ﹁自我﹂ ︵ 1795 年︶論文及び﹁書簡﹂論文︵ 1795 年︶において、フィヒテ解釈において直ちに取り上げる こ と に な る。 だ が、 す で に 明 ら か に さ れ て い る よ う に、 ﹁ 自 我 ﹂ 論 文 は ス ピ ノ ザ を 前 提 に し て フ ィ ヒ テ が 解 釈 さ れ て いることである。第 2 に、同一性哲学の時期、テキストとして挙げるならば、 1802 年の﹁体系からの詳述﹂であ る。第 1 の時期から始めよ う ((1 ( 。 ⑴   ﹁知的直観﹂が何を捉えるのか、このことがシェリングにとっては課題となる。彼は知的直観の問題を﹁無限者﹂ と﹁ 有 限 者 ﹂ の 問 題 の 枠 組 み で 考 え て い る。 ﹁ 自 我 ﹂ 論 文 が 副 題 と し て﹁ 知 に お け る 無 制 約 者 ﹂ と し て い る よ う に、 も ち ろ ん﹁ 知 に お け る ﹂ と 限 定 し て い る よ う に、 こ こ で は 認 識 論 的 に 問 題 は 立 て ら れ て い る け れ ど も、 ﹁ 無 限 者 ﹂ が 問題であり、したがって彼がまず問題にするのは、このような存在である。

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﹁ 実 在 性 と い う 究 極 の 一 点 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︵ ein letzter Punkt ︶ が 存 在 す る の で な け れ ば な ら な い。 そ し て こ の 場 合 に は、 す べ て はこの究極の一点にかかっており、 われわれの知のいっさいの存立や形式がこれから発しており、 この点こそ諸々 の要素を区別し、知という宇宙のなかで円を描きながらそれぞれの要素に作用し続けている。⋮⋮そのような究 極的なものの 存在の原理と認識の原理とは 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ︵

das Princip seines Seins und das Princip seines Erkennens

︶、 合致し 0 0 0 一つでなければならない 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ことである。 ﹂︵ SW I, 86 ︶ ﹁ ⋮⋮ 知 的 直 観 を 否 定 し て い る 箇 所 の カ ン ト の 探 求 は 絶 対 自 我 を い つ も た だ 前 提 し て い る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 だ け で あ り、 前 提 さ れ たより高次の諸原理にもとづいて経験的に│制約された自我を、たんに規定している⋮⋮﹂ ︵ SW I, 82 ︶   シェリングは、まさにフィヒテの絶対自我を原理とみなし、それがカントにおいては知的直観を否定しながらも前 提していると主張している。だから、シェリングもまたそのような原理としての絶対自我をカント的な受容性と自発 性 の 峻 別 を 超 え る 両 者 の 統 一 と し て 捉 え る こ と に な る。 そ れ に 加 え て、 シ ェ リ ン グ は、 ﹁ 実 在 性 と い う 究 極 の 一 点 ﹂、 あるいは﹁存在の原理と認識の原理﹂との合致という課題を取り出してくる。これがフィヒテの﹃知識学﹄から﹁自 我﹂論文が取り出した課題である。しかも、それはスピノザにもとづいて主張されることになる。このスピノザ的契 機がシェリングの存在論的把握に道を開いてい る ((( ( 。   そのため、 ﹁知的直観﹂はすでに徹底した能動性のもとでとらえられ、 ﹁絶対自由﹂とも表現される。そしてこの﹁絶 対 自 由 ﹂ は﹁ 絶 対 的 自 力︵ Selbstmacht ︶﹂ と も と ら え ら れ る。 だ か ら、 経 験 的 意 識 = 有 限 な 意 識 に お い て は、 当 然 の こととして現れることができない。むしろ﹁知的直観﹂は、フィヒテと同様に自我の﹁自己直観﹂をこの段階では意

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味 す る が、 す で に 自 我 を 超 え て﹁ 無 限 者 ﹂ を 捉 え よ う と す る 概 念 と し て 働 い て い る こ と に な る。 ﹁ 絶 対 的 自 力 ﹂ と い う言葉がまさしく、シェリングにとっては存在へと向かう方向を示している。彼にとってはそのような存在と認識と が一つになる点が存在することを示すことが問題である。この点は 1795 年の時期に確認されるし、かつその後も 確認される。 ﹁ 自 己 意 識 の 源 泉 は 意 欲 0 0 で あ る。 し か し 絶 対 的 意 欲 0 0 0 0 0 に お い て は、 精 神 が 自 分 自 身 を 直 接 に 理 解 す る。 い い か え れ ば精神は 自分自身の知的直観 0 0 0 0 0 0 0 0 0 を持つのであり、直観とは、それが媒介されず、知的であり、あらゆる経験を超え 出て、概念によってはけっして到達されない活動を対象とするので、このような認識を意味するのである。⋮⋮ 我々のうちに知的直観がないとすれば、永遠に客観に関する表象にとらわれ、超越論的思惟も超越論的構想力も なく、理論哲学であれ、実践哲学であれ、哲学は存在しないだろう。 ﹂︵ SW I, 401 ︶ ﹁ 超 越 論 的 哲 学 は、 あ ら ゆ る 客 体 的 な も の を ま ず は じ め に 現 存 し な い も の と み る 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 こ と に よ っ て そ の 本 性 か ら み れ ば、生成するもの、生けるものへと向けられる。なぜなら 超越論的哲学はその最初の諸原理において発生的であ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 り 0 、精神がその哲学において世界とともに同じく生成し、成長するから。 超越論的哲学はその最初の諸原理にお 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 いて発生的であり、精神がその哲学において世界とともに同じく生成し、成長する。 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ﹂︵ SW I, 403 ︶   こ の 二 つ は 1796 ・ 7 年 の﹁ 知 識 学 と い う 観 念 論 の 解 明 の た め の 諸 論 ﹂ か ら の 引 用 で あ り、 こ こ に お い て、 シ ェ リングが﹁自己直観﹂であるとしながらも、その自己はすでに﹁精神﹂へと変わり、また﹁発生論﹂的であることを

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表明していることが重要であり、この点は後にフィヒテとの書簡における論争において争われることになる。すなわ ち、意識に現れる諸刺激、つまり諸感覚そのものが﹁知的直観﹂の︵これは﹁知的直観そのもの﹂が﹁能動性﹂であ る こ と を 意 味 す る ︶ 能 動 性 に よ っ て 意 識 の う ち に 構 成 さ れ て く る の で あ る。 最 後 の 引 用 文 が 示 す よ う に、 ﹁ あ ら ゆ る 客体的なもの﹂はまず現存しないものとして現れる。この無から対象を構成することによって、我々にとって精神に 具体的な対象として現れてくる。この構成する過程がまさしく﹁発生論的﹂ととらえられ、超越論哲学そのものの基 本的性格として捉えられることになる。ここにおいて、フィヒテとの相違も決定的になる。フィヒテはすでに示した ように、 ﹁見出す﹂こと、 ﹁発見すること﹂を強調し、その記述を哲学の課題と主張した。だが、シェリングは、まさ に﹁構成すること﹂が超越論哲学の課題だとなすのである。この相違は大きい。   ちなみに、この書簡における論争については、私はすでにコンパクトにまとめてい る ((1 ( ので、これ以上言及すること はせず、次の文章を﹁往復書簡﹂から引用しておく。 1800 年 11月 15日付シェリング宛フィヒテ書簡からである。 ﹁ 超 越 論 的 哲 学 に あ っ て は、 自 然 の 実 在 性 は 徹 頭 徹 尾 見 い だ さ れ る 0 0 0 0 0 0 も の と し て、 し か も 出 来 上 が っ た 完 成 し た も 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の 0 として現れます。しかも、自分自身の諸法則に従ってではなく、⋮⋮知性の内在的な諸法則にしたがって、そ うなのです 。 ((1( ﹂ ⑵ 明確に、この知的直観の位置が変化するのは、 1802 年の﹁体系からの詳述﹂である。 ﹁ 意 識 そ の も の に よ っ て 措 定 さ れ て い る 必 然 的 分 裂 は、 絶 対 者 の う ち に あ る 統 一 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 が 有 限 な 知 性 に と っ て は、 有 限

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者と無限者のうちで同じ仕方で反省されることによって空間と時間を必然的で 非恣意的な直観 0 0 0 0 0 0 0 にする。その一方 で 永遠者そのもの 0 0 0 0 0 0 0 の本質であるかの統一の点は行為においてと同様、反省的認識において持続的に逃げ去り、た だ 知的直観 0 0 0 0 によってのみ実現され直接に認識されることができる﹂ ︵ IV , 0347 ︶。 ﹁ 自 我 性 0 0 0 ︵ Ichheit ︶ は そ こ で 絶 対 者 が 直 接 的 意 識 に と っ て 把 握 さ れ る 形 式 で あ る と い う こ と は、 自 ず と 明 ら か に なる命題である。すなわち、しかし、 自我性における自体 0 0 0 0 0 0 0 0 0 はそれ自身 絶対者 0 0 0 にほかならない。そして、あの自体 をあらゆる制限から自由に対象にする 知的直観 0 0 0 0 において、特定の形式としての形式は消滅する。純粋意識と経験 意識の対立と相対的統一は、すでにそれ自身特殊的意識に属する。対立は、まさしく 知的直観 0 0 0 0 において全く消滅 し、 永 遠 者 そ の も の の 直 観 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 に お い て ど ん な 特 殊 性 も 抹 消 す る 特 定 の 自 我 性 が 基 づ く も の そ の も の で あ る ﹂︵ IV , 0355 ︶。 ﹁ 最 初 の も の に 関 し て は、 必 然 的 で あ る の は、 知 的 直 観 の 主 観 性 が 全 く 捨 象 さ れ る こ と に よ っ て、 自 ら を 絶 対 的 主観│客観に絶対的認識作用そのものに高めることであり、絶対者を即自かつ対自的に認識することである。   一部はこの点で一部は隔たった目標の達成のために、あの原理に適合した体系の形態化が他の場所でなされて いるということを、我々は一部の読者のもとで少なくとも、周知のこととして前提すべきである。しかし、現在 の叙述はまず第 1 に、なるほど絶対的認識様式の本性、換言すれば、知的直観の本性が、しかし、次いで主要な 定理、及びそれに基礎づけられた哲学体系の内的構成を、不断の批判的関係でもって、より詳しく言えば、まし て消息通の人たちの了解でもって、読者の前で展開し、論じるように規定されている﹂ ︵ IV , 361f. ︶。

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  長々と引用してきたけれども、ここには同一性哲学期におけるいくつかの問題が現れている。①同一性哲学期にお け る﹁ 有 限 者 ﹂ と﹁ 無 限 者 ﹂ の 問 題 の 論 理 的 構 造。 ② こ の 論 理 構 造 を つ な ぐ 存 在 と 認 識 の 原 理 と し て の﹁ 知 的 直 観 ﹂ の問題。③新たな問題の発生。すなわち、 ﹁絶対知﹂問題である。この問題はフィヒテとの論争の問題となる。   この三つの論点を解明しておこう。 ①   第 1 の論理構造の問題。この時期には、シェリングは﹁有限者﹂と﹁無限者﹂とを同一性のもとに把握する。そ し て、 ﹁ 無 限 者 ﹂ は﹁ 無 限 者 ﹂ と﹁ 永 遠 者 ﹂ と に 区 別 さ れ、 全 体 の 構 造 は﹁ 有 限 者 ﹂ │ ﹁ 無 限 者 ﹂ │ ﹁ 永 遠 者 ﹂ と い う 構造を形成する。そしてこの構造は、もちろん﹁有限者﹂ / ﹁無限者﹂ │ ﹁永遠者﹂という二元的構造を持つことにな る。これは、 1801 年の﹁私の哲学体系の叙述﹂における﹁絶対的同一性﹂と﹁絶対的総体﹂との区別をさらに詳 細にしたものである。 ﹁絶対的同一性﹂はまさに﹁永遠者﹂であり、これはいかなる現象にも表れることができない。 唯 一 可 能 な の は、 端 的 に﹁ 無 限 者 ﹂ に お い て 二 つ の 存 在 様 式 に お い て 我 々 は そ れ を 捉 え る こ と で あ る。 ﹁ 絶 対 的 認 識 作用︵ absolutes Erkennen ︶﹂と﹁絶対的存在︵ absolutes Sein ︶﹂とである。   近代哲学の文脈で考えるならば、デカルトの﹁コギト﹂の発見によって、まさしく﹁思惟者﹂と﹁延長者﹂とが根 源的に対立することになった。デカルトの解決は ﹁神への超出﹂ によって両者の間に同一性を確保することになった。 だ が、 カ ン ト 以 後、 ﹁ 神 を 拒 絶 す る ﹂ こ と に よ っ て 問 題 の 解 決 を 試 み る 方 向 は、 シ ェ リ ン グ に お い て 完 成 す る と 言 え るのではないか。すなわち、 主観、 客観の対立構造のうちに、 あるいはその根底に、 両者の同一性を置くことである。 主観︵主観│客観の同一性︶と客観︵主観│客観の同一性︶との対立であり、主観とは両者の同一性が、量的に主観 が優位にあること、客観とは両者の同一性が、量的に客観が優位にあることを示す。シェリング自身、この構図を何

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度か数直線で描いてみせている。同一性哲学とはまさに近代哲学のはらんだアポリアを解決することを目指したと言 えるのではないか。   さらに、これはいわゆる﹁量的差別﹂論において、 ﹁有限者﹂を含めて統一的に理解されることになる。すなわち、 本質においては有限者、 無限者そして永遠者は同一であるが、 量的に異なっているという理解である。だが、 ここで、 エッシェンマイヤーからこの﹁量的差別﹂論が極めて強く批判され、 ﹁流出論﹂であるか否かが問われることになる。 それは 1803 / 04 年のことである。 ②   ﹁ 存 在 と 認 識 の 原 理 ﹂ と し て の﹁ 知 的 直 観 ﹂ の 問 題 は、 ま さ に、 こ の﹁ 有 限 者 ﹂ か ら﹁ 永 遠 者 ﹂ へ と 連 続 的 に 繋 結されていることを示す。しかも、ここにおいて我々﹁有限者﹂が﹁永遠者﹂へと上昇することができるということ もまた示される。そのとき、 ﹁構成﹂ という概念が登場してくる。 ﹁知的直観﹂ は自我の定立を行う。 ﹁自我性﹂ である。 だ が、 こ の﹁ 行 為 ﹂ そ の も の、 フ ィ ヒ テ の﹁ 事 行 ﹂ は 絶 対 者 そ の も の に 内 在 す る。 だ か ら、 ﹁ 主 観 性 ﹂ を 捨 象 す る こ とができるとき、我々は、知的直観の最高段階に到達できると考えるのである。シェリングにとって実際自然哲学の 最 後 に 登 場 し た﹁ 脱 ポ テ ン ツ 化 ﹂ が、 ﹁ 捨 象 ﹂ と し て、 同 一 性 哲 学 へ の 方 法 的 意 味 を も つ こ と に な る。 シ ェ リ ン グ の 同一性体系への最初の著作、1801年の﹁私の哲学体系の叙述﹂の本文の冒頭で、同一性哲学の境位として﹁絶対 理性﹂が示され、この境位に我々は﹁捨象﹂によって到達するとされるのである。 ③   こ の と き、 ﹁ 絶 対 知 ﹂ 問 題 が 登 場 す る。 シ ェ リ ン グ と フ ィ ヒ テ の 分 岐 点 は﹁ 絶 対 知 ﹂ に お い て 絶 対 者 は 存 在 す る かどうかである。シェリングは﹁絶対知﹂において﹁絶対者﹂が存在すると考え、フィヒテは﹁絶対知﹂の外部に絶 対者が存在すると考える。   だが、両者とも﹁理性﹂において﹁絶対知﹂は問題となる。この点はすでによく知られているように、ヘーゲルの

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﹁絶対知﹂とは異なった位置づけを持つと言えるだろう。   シェリングに即してこの問題を見ていくならば、 われわれは ﹁絶対者﹂ に到達することができる。これはまさに ﹁知 的直観﹂を主観的な知的直観から﹁客観的知的直観﹂へとその主観性を捨象することによって﹁理性直観﹂に到達す ることを意味している。だから、初期に彼が述べたように、このプロセスを﹁発生論的に﹂捉えることによって可能 となる。それと同時に、この﹁発生論的﹂プロセスをまさに﹁構成﹂することによってその﹁絶対者﹂の実り豊かさ を描き出すことができると考えるのである。   そして、 重要なのは、 シェリングの自然哲学の営みが背景にはあると言えることである。シェリングは、 ︵超越論的︶ 自我を﹁最高のポテンツ﹂において成立する派生的性格のもとに捉える。この︵超越論的︶自我が出発点になる。   自 然 哲 学 と 超 越 論 哲 学 と は ま さ に 反 対 方 向 の 思 考 の 運 動 と と ら え ら れ る。 ﹁ 最 高 の ポ テ ン ツ ﹂ に お け る 自 我 を 出 発 点としてポテンツを下げていくこと=脱ポテンツ 化 ((1 ( を通じて原理へと到達することが超越論哲学の方向である。それ に対して、この原理としての自然│精神の同一性からポテンツを挙げていくプロセスが自然哲学において描かれる自 然過程である。 .「知的直観」と「絶対知」の問題性─ 「知的直観」の担うもの   フィヒテは後期に至るまで、たとえば﹁意識の事実﹂ ︵ 1813 年︶においても知的直観を問題にする。 ﹁ 見 る こ と は そ の た め に、 形 成 さ れ た y の 事 実 的 直 観 で あ り、 そ こ に お い て 啓 示 さ れ る、 一 撃 で 直 接 的 に み る こ とができない現象の知的直観である﹂ ︵ FW IX 455 ︶。

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  すでに 1804 年頃から﹁まなざし﹂が問題となり、内面への自己省察は﹁見ること﹂へと高まるが、それでもな お﹁知的直観﹂ が問題になっていることは指摘することができるだろう。しかもシェリングとの間において論争になっ た こ と、 後 期 フ ィ ヒ テ の 思 想 的 転 換 の 問 題 は 擱 く と し て も、 ま た 後 期 の 課 題 で あ る 神 の 問 題 を 擱 く と し て も、 ﹁ 発 見 する﹂ことはさらに強調されることになる。   フィヒテにとっては、知的直観が、ここでは﹁見ること︵ das Sehen ︶﹂は﹁事実的直観﹂であるとされ、そこにお いてあらわれる現象のうちに知的直観が働くことを主張することになる。この知的直観はまさしく初期から続いてい ることを確認できるであろう。明確に﹁事実的直観﹂という言葉で、 所与性が強調され、 したがって﹁発見すること﹂ が課題となっている。   それにたいして、シェリングにとっては﹁知的直観﹂は、同一性哲学の前期くらいまでしか議論の対象とはならな い。 ﹁ ブ ル ー ノ ﹂ 対 話 篇 で は 3 か 所 し か 言 及 さ れ て い な い の で あ る。 1809 年 の﹁ 自 由 論 ﹂ に お い て は 一 度 も 使 用 されていない。むしろ、 ﹁知的直観﹂とは、 初期から同一性哲学の早い時期に使用された言葉であることが示されよう。 だから、ヨランダ・エステスがシェリングの知的直観への取り組みを評して、シェリングは知的直観が彼の志向する 体系の目標を満足させないことがわかったと述べてい る ((1 ( ことは至当である。実際、第 2 節で述べたように、シェリン グは体系の原理を求めていたのであり、むしろそのような原理の探求として超越論哲学の試みも自然哲学の試みも存 在した。   自 然 哲 学 に お い て、 シ ェ リ ン グ が 自 然 を﹁ 生 産 性 と 産 物 の 同 一 性 ﹂ と 表 現 す る と き、 自 然 は も は や 原 理 で は な く、 原 理 で あ る 生 産 性 か ら 見 れ ば、 ﹁ 無 制 約 者 の 否 定 的 表 現 ﹂ に ほ か な ら ず、 絶 対 的 能 動 性 は 自 然 と し て は 否 定 的 に し か

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現れることができない。したがって、 自然物は﹁記念碑﹂と称されることになる。だから、 ﹁絶対知﹂についてのフィ ヒテとの論争において、 ﹁絶対知﹂は﹁絶対的同一性﹂ =絶対者の存在様式︵ Seinsweise ︶だというとき、シェリング は体系の原理である﹁絶対的同一性﹂への通路をすでに獲得してしまっていたのである。まさに、すでにのべたよう に、この﹁絶対知﹂という通路を通るか、あるいは自然哲学を介して﹁存在﹂の通路を通るか、それだけがシェリン グにとっては問題であった。だからこそ、シェリングにとっては 1831 年の﹁ファラデー論評﹂あるいは最晩年の ﹁自然過程の演繹﹂など最後まで自然過程の問題にこだわらざるをえなかったと言えるのではないか。 おわりに   フィヒテとシェリングの﹁知的直観﹂という問題提起は、まさに我々の認識においてカントにおいて新たな次元に 立 っ た 問 題 │ デ カ ル ト に 発 す る﹁ 主 観 ﹂ │ ﹁ 客 観 ﹂ と い う 枠 組 み そ の も の を 超 え る 試 み と し て﹁ 超 越 論 哲 学 ﹂ の 問 題 を確立したのである。このプロセスの骨格となっていたのが、カント的な﹁直観﹂の根本的な捉えなおしであった。   ﹁ 超 越 論 的 ﹂ と﹁ 発 生 論 的 ﹂ と は 本 来、 対 立 す る 概 念 で あ る だ ろ う。 だ が、 彼 ら は、 と り わ け シ ェ リ ン グ は﹁ 超 越 論 的 ﹂ を﹁ 発 生 論 的 ﹂ と 捉 え 返 し た。 そ れ は、 ﹁ 知 的 直 観 ﹂ を 原 理 と し て と ら え た と き、 そ れ を 介 し て﹁ 発 生 論 的 ﹂ に我々が絶対者に到達するプロセスを構成することを本稿では指摘した。さらにシェリングに荷担していえば、シェ リングにおいては、 自然哲学と超越論哲学とは連結され、 反対の方向の運動を繰り返すことになる。 ﹁最高のポテンツ﹂ に お け る︵ 超 越 論 的 ︶ 自 我 か ら 脱 ポ テ ン ツ 化 の 操 作 に よ っ て、 ﹁ 自 然 │ 精 神 の 同 一 性 ﹂ を 捉 え る 超 越 論 哲 学 と﹁ 自 然 │精神の同一性﹂から自然の過程を構成して﹁最高のポテンツ﹂に至る過程である。問題は、この円環において、超 超 論 哲 学 も、 自 然 哲 学 も と も に、 ﹁ 絶 対 的 同 一 性 ﹂ を 捉 え る こ と が で き な い こ と で あ る。 そ の こ と が シ ェ リ ン グ の 同

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一性哲学の課題となる。   ﹁超越論哲学﹂はまさにカントに発し、フィヒテがその可能性の領野を﹁事行﹂ │ ﹁知的直観﹂によってその根拠を 与え、拡大した。シェリングは、まさにそこから﹁存在﹂領域へと超出する道をとった。そのため、今日に至るまで ﹁超越論哲学﹂から独断論への転落と批判されることになる。だが、 それがシェリングの難点であるにしても、 ﹁存在﹂ へとさらにその領域を拡大することになるのではないかというのが本日の報告の結論である。例えば、繰り返しにな る が、 自 然 哲 学 の 問 題 を 捉 え た 時 に も、 自 然 は す で に﹁ 相 対 的 同 一 性 ﹂ と し て と ら え ら れ る。 ﹁ 絶 対 的 能 動 性 ﹂ そ の ものはそれ自身としては現れることができない、だがそれは自然が﹁生産性と産物との同一性﹂だという 1799 年 におけるシェリングの理解がそれを現わしている。 謝辞   本稿は 10月 29日に行われた東洋大学白山哲学会での﹁最終講義﹂を論文としてまとめたものである。このような機 会を与えてくれた白山哲学会会長河本英夫氏に感謝する。そして準備してくれた同僚の諸氏および院生の諸君にお礼 を申したい。   私のつたない講義に最後まで付き合い、かつ当日も参集してくれた学生諸君、院生諸君にも感謝を述べておきたい と思う。当日出席していただいた、先輩諸氏、同輩の方々にも感謝をしたい。ひとりだけ名前を挙げさせていただく が、当日わざわざ足を運んでくれた加藤尚武・京都大学名誉教授にも感謝を述べたい。学生時代に先生の緊張感に満 ち た 倫 理 学 の 特 殊 講 義 を 聴 講 し な が ら 私 は 茫 然 と し た、 ま っ た く 理 解 で き な か っ た ま ず し い 自 分 を 思 い 出 し て い た。 加藤先生には、つたない研究者としてその後も様々に支援をいただいている。私はもう一度ヘーゲル学者として仕事

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を完成させたいということも今の思いである。私はお亡くなりになった石関敬三早稲田大学名誉教授のもとでその後 研究者としてのトレーニングを受けたが、先生の厳しさもまた思い出していた。そして最後に、同期に同じ大学に入 学 し、 同 じ ク ラ ス︵ 46L1 ︶ に 属 し た 神 崎 繁 君 が 一 週 間 ほ ど 前 に な く な っ た こ と も 記 し て お こ う と 思 う。 彼 と は 同 じ 哲学をまなびながら、仕事上は全く交差していなかったが、彼の晩年の優れた仕事を遠くから見て励みになっていた ことを思い出す。   本稿で使用するテキストは次のものである。   カ ン ト﹃ 純 粋 理 性 批 判 ﹄ は、 慣 例 に し た が っ て 第 1 版、 第 2 版 を 区 別 し A, B と し て 併 記 し、 ペ ー ジ 数 だ け 記 す。 ま た フ ィ ヒ テ と シ ェ リングについては次のように略記し、巻数とページを付記する。なお版が異なるものから引用する場合は、そのつど指示する。   FW = Fichtes W

erk, hrsg. von I.H.Fichte, Berlin: W

alter de Gr uyter , 1971.   SW = Schellings W

erke. Nach der Originalausgabe in neuer Anor

dnung her

rausgegeben von Manfr

ed Schröter , Munchen: C.H.Beck scher Verlagsbuchhandlung, 1856-1861.   なお、引用文中の傍点はすべて筆者のものである。 ︵ 1 ︶  この ﹁フィヒテとシェリング﹂ というテーマそのものは、 不幸にも日本ではほとんど問題にされることがないテーマである。それは、 このテーマが両者の影響史という枠組みにおいてとらえられるが故にである。 今日、 両者はそれぞれ独自的に自己の思想の展開を行っ て い た こ と が 明 ら か に さ れ て い る。 こ の テ ー マ に つ い て 重 要 な も の に、 最 近 で は 次 の も の が あ る。 Jantzen, Jör g/Kisser , Thomas/ T raub, Har tmut (Hrsg.), Gr

undlegung und Kritik. Der Briefwechsel zwischen Schelling und Fichte 1794-1802, Amster

dam/New Y ork: Editions Rodopi, 2005. ま た 最 近 で は ア メ リ カ の 若 い 女 性 研 究 者 も 言 及 し て い る。 Nasser , Dalia, The Romantic Absotute. Being and

knowing in early Ger

man Romantic Philosophy

, 1795-1804, Chicago, 2014,Specially p.161-185. 筆者がこのテーマについて大きな関心を持 ち、 フォローしてきているのも、 影響史の問題ではなく、 まさに両者が対決する点において、 ﹁超越論哲学﹂が形成されるが故である。

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その際、シェリングに即してみれば、 ﹁発生論的﹂アプローチの問題があり、この点が本論稿では最終課題となる。 ︵ 2 ︶  こ の 点 に つ い て は 拙 稿﹁ カ ン ト と 知 的 直 観 │ カ ン ト﹃ 純 粋 理 性 批 判 ﹄ 超 越 論 的 感 性 論 の 分 析 か ら │ ﹂ 東 洋 大 学 大 学 院 紀 要 第 52集、 2016 年 3 月、 pp.167-189 を参照されたい。 ︵ 3 ︶ 

Gram, Moltke S.,,,Intellectual Intuition: The Continuity Thesis in

Jour

nal of Ideas

42, 1981, pp287-304,:Estes, Y

olanda, intellectual

Intuition: Reconsidering Continuity in Kant, Fichte, and Schelling in

Fichte, Ger

man Idealism, and Early Romanticism

(Fichte-Studien-Supplementa , Bd.24), ed. By Daniel Br eazeale and T om Rockmor e, Amster dam/New Y ork, 2010. ︵ 4 ︶  ﹁ 内 在 的 超 越︵ Immanente T ranszendenz ︶﹂ と い う 言 葉 は、 実 は Harald Holz の 言 葉 で あ る。 Harald Holz は す ぐ れ た シ ェ リ ン グ 研 究 者 で あ り、 彼 の 名 前 は 1970 年 代 に Beier waltes と と も に 知 ら れ て い る。 両 者 は、 初 期 シ ェ リ ン グ に お け る プ ラ ト ン 的 契 機 を 浮 か び 上 が ら せ た 人 物 で あ る。 今 日﹁ テ ィ マ イ オ ス 評 釈 ﹂ が 報 告 さ れ て 以 来、 そ れ を め ぐ っ て の 議 論 が 中 心 に な っ て き て い る が、 シ ェ リ ン グ の 文 献 読 解 か ら プ ラ ト ン 的 契 機 を 浮 か び 上 が ら せ ら れ て い る 点 で、 き わ め て す ぐ れ た 読 解 を 示 し た 研 究 者 で あ る。 な お﹁ プ ラ ト ン 的契機﹂にかんしては、 すでに当時からシェリングは﹁新プラトン主義的理解﹂ ︵例えば、 1803 / 04 年におけるエッシェンマイ ヤ ー と シ ェ リ ン グ の 論 争 ︶ と し て 問 題 に さ れ た。 だ が、 シ ェ リ ン グ が プ ロ テ ィ ノ ス を 読 ん だ の は、 1805 年 の こ と で あ り、 こ の こ と を 文 献 的 に 報 告 し た の は Beier waltes で あ る。 新 プ ラ ト ン 主 義 的 理 解 を 主 張 す る た め に は、 お そ ら く﹁ マ ル キ オ ン 論 文 ﹂ を 読 解 に 導 入することが必要であろう。拙稿﹁ W eltalter の研究動向とマルクス ・ ガブリエルのシエリング研究. ﹂﹃国際哲学研究﹄別冊第 5 号、 ︵東 洋大学国際哲学研究センター︶ 、二〇一四年二月 ︵ 5 ︶  Cr one, Katja, T ranszendentale Apper

zeption und konkr

etes Selbstbewusstsein, in:

Kant und Fichte-Fichte und Kant (Fichte-Studien,Bd.33)

, hrsg. von Asmuth, Cristoph, Amster

dam/New Y

ork: Editions Rodopi, 2009, S.65-80.

もまた筆者と同様に見解を示してい る。 ︵ 6 ︶  Frank, Manfr ed, intellektuelle Anschuung . Dr

ei Stellennhmen zu einem Deutungsversuch von Selbstbewuß

tsein: Kant, Fichte,

Hölderlin Novalis, in:

Die Aktualität der Frühr

omantik

, hrsg. V

on Er

nst Behler und Jochen Hörisch, Paderbor

n/München/W ien/Zürich: Fer dinand Schöningh, 1987, S.96-126. ︵ 7 ︶  こ れ は﹁ 新 叙 述 の 試 み ﹂ を 受 け て 行 っ た 講 義 の Krause に よ る 筆 記 録 で あ る。 本 文 で 示 し て い る よ う に、 こ の 講 義 は 1797 年 と 1799 年 に 行 わ れ た。 こ れ は フ ィ ヒ テ の 息 子 が 編 集 し た 版 に は 収 録 さ れ て お ら ず、 本 稿 で は、 筆 者 も ま た Felix Meiner 社 か ら 刊 行

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さ れ た Phb 版 か ら 引 用 し て い る。 こ の 点 は フ ィ ヒ テ 全 集 第 7 巻﹁ イ ェ ー ナ 後 期 の 知 識 学 ﹂ 所 収 の﹁ 新 方 法 に よ る 知 識 学 ﹂ 解 説︵ 藤 沢 賢一郎︶が詳しい。藤澤、千田による訳は Krause の筆記録からの翻訳ではない。 ︵ 8 ︶  この点は、本講義と同じ時期の﹁知識学への第 2 序論﹂でわざわざ次のように言っているのは示唆的である。 ︵ 9 ︶  こ の 点 に つ い て 先 行 者 を 挙 げ れ ば、 Salomon Maimon を 挙 げ る こ と が で き る だ ろ う。 彼 は ラ イ プ ニ ッ ツ の﹁ 表 象 ﹂ 作 用 を 念 頭 に お いてカントの﹁受容性﹂を解釈し、 この﹁受容性﹂を﹁微小表象﹂と同じような解釈を示す。 ﹁意識は 思惟能力の活動性 によって生じ る。 だ が、 個 々 の 感 性 的 諸 表 象 を 受 容 す る 際 に は、 こ の 能 力 は 単 に 受 苦 的 に 振 舞 う 0 0 0 0 0 0 0 ﹂︵ Versuch über die T ranszendentalphilosophie, 1790, S.22 ︶。マイモンの捉え方によれば、 ライプニッツの ﹁微小表象﹂ は最低限の自発性であることになる。マイモンについては、 シェ リングはすでに早く、 ﹁形式﹂論文︵ 1794 年︶で言及している。また以下のシェリングの部分でも明らかになるように、 シェリン グ も ま た、 す で に こ の 点 で は フ ィ ヒ テ と 同 様 に、 感 性 の 受 容 性 は 能 動 性 の﹁ 否 定 的 表 現 ﹂ と し て と ら え る こ と に な り、 か つ Ein-bilden, Hinein-bilden という概念によって、 ﹁直観﹂のうちに両者の同一性が形成されることを指摘する。それによって、 カントが陥っ た 受 容 性 に お け る︵ 徹 底 的 に 受 動 的 な ︶ 諸 表 象 と そ れ を 対 象 と し て 確 立 し、 判 断 す る﹁ 図 式 論 ﹂ の デ ィ レ ン マ が 解 消 さ れ る と 私 は 考 える。 ﹁直観﹂とは本文でももう一度指摘するが、 シェリングにとっては、 すでに受容性ではなく、 カントの言う自発性の一つの表現 でしかなく、行為を意味することになる。 ︵ 10︶   ﹁知的直観﹂についての区分をこのように二つに区分すると、 直ちに批判があるかもしれない。つまり、 1800 年の﹃超越論的観 念 論 の 体 系 ﹄ は ど う な の か と い う 問 題 で あ る。 こ こ に お い て 確 か に﹁ 知 的 直 観 ﹂ と い う 用 語 は 使 用 さ れ て お り、 か つ こ こ で は﹁ 美 的 直 観 ﹂ と の 関 係 に お い て 問 題 化 さ れ る。 し た が っ て、 理 論 哲 学 的 な 意 味 よ り も 美 学 的 な ニ ュ ア ン ス が 強 く な る。 筆 者 は こ れ ば 別 に 扱 わ れ る べ き も の と 考 え て お り、 そ れ で 本 文 の よ う に、 二 つ に 分 け て い る。 1800 年 の﹁ 知 的 直 観 ﹂ に つ い て は 次 の も の を 参 照 さ れ た い。 Peez, Siegbr t, Voraussetzung und Status der intellektuellen Anschauung in Schellings System des T ranszendentalen Idealismus, in: System als W irklichkeit. 200 Jahr

e Schellings “System des T

ranszendentalen Idealismus

, hrsg. V

on Chtristian Danz, Klaus Dierkemeier

und Christian Seyen, Wür

zbur g: Königshausen&Neuman, 2001, S.23-40. ︵ 11︶   例えば、この点はスピノザの﹃エチカ﹄及び﹁知性改善論﹂について、シェリングが注で言及している。 ︵ 12︶   拙稿﹁フィヒテとシェリング│絶対知について﹂ ﹃ドイツ観念論を学ぶ人のために﹄ ︵大橋良介編︶ 、世界思想社、 2005 年 ︵ 13︶   座古田豊 ・ 後藤嘉也訳﹃フィヒテ│シェリング往復書簡﹄ワルター ・ シュルツ解説、法政大学出版局、 1990 年、 122 ページ。

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︵ 14︶   ﹁脱ポテンツ化︵ Depotenzier ung ︶﹂はほとんど注目されることがないが、 筆者はシェリング研究の当初から注目している。これは、 1801 年の﹁叙述﹂では捨象として現れ、 ﹁絶対理性﹂の立場に立つ方法的な意味を持っている。拙稿﹁近代的自我と絶対者│フィ ヒテとシェリング、 あるいは自然哲学の理論的前提﹂ ﹃物象化と近代主体﹄を参照されたい。これについては、 さらに拙稿﹁シェリン グの自然哲学│ドイツ観念論における自然哲学の伝統﹂ ﹃東洋大学哲学講座第 2 巻   哲学を享受する﹄ 所収でも言及して説明している。 ︵ 15︶   Estes [ 2011 ] p.176

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参照

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