良渚
文化
各
地 域
に お
け
る
副
葬
土
器
の
変
遷
と
地 域
性
の
研
究
劉
恒 武
は じ め に従 来
の良渚文化
土器の研 究
は ほ と ん ど良渚文化
の時期
区分
の前
提 作 業 と して 行わ れ た た め 、 そ の 焦 点が土 器の 編 年に しぼ られて お り、 そ の うち、 代 表 的な もの は 黄 宣 佩 ・ 欒 豊実
・宋 建な どの論
文が挙
げられ る 横 1981・1996、 欒1996、 宋1999)。 こ の よ うな状況
に お い て 、 い くつ か の 主要な器種
の様 式
の系譜
が明
らか に された が 、 土 器の 全体
像の時
期 的変 遷に つ い て は 検 討 し て い ない と こ ろが ま だ少なか らずあ る。 と こ ろで 土 器 研 究の 学 術 的価 値に つ い て い え ぽ、編年
作業
の ほか 、 地域文化
の 動態
お よ び文化
要素
の 地域 間の拡散
・ 移動
などの検
討に対
して それ も大
きな意義
を持
っ て い る と指摘
すべ きで あ る 。 し た がっ て 、良渚文
化の展 開
の 過程
を理解
す るの に 、良渚文化
土 器の研 究は 進め られ な け れ ぽ な らない 。 本 稿 で は良
渚 文 化各
時期
の 副 葬土器を取 り上 げ、 その 地域差
に注
目し、 諸地域の 間に ある副 葬土 器の器種 構
成 ・様式
などの変遷
を考 察
す る。 ま た こ うし た考 察
を通 じて新
石 器時代後期太
湖周
辺地 域の文
化統 合
に つ い て検討
を加
えて お きたい 。一
良
渚 文 化
直
前
の太 湖 周
辺
地 域
の副 葬 土 器
こ こ で
良渚文 化前期
・良
渚文化
中期
・良
渚 文化 後
期 とい う時代 順に したがっ て 、良渚 文化
の副葬
土器
を上海
一蘇州
地 域 、嘉
興 一 海寧
地域、 余杭地域、 嘉興 一海寧
地域 とい う四つ の 地 域に 分 けて考察
を行
っ て い きた い (図 1)。良渚文化
の 土 器を検
討 す る前
、 ま ず良渚文化
の直前
に ある菘
沢文化後期
の 副葬
土器の様 相
を見
て お 図 1 太 湖周辺地 域新石器 時代 後期遺 跡分布図良渚 文 化各地域に お け る副葬土 器の 変遷 と地 域性の研究 一
钁
,12飜
3 福 泉 山 L亠 」 M15 :5 4 梅 沢 M42:60 5 」 一 樫 沢o 一 5 M17:1 0 5 一 M69 :1 L」 _」 福 泉 山 OL 亠」 5 M20 :5 M70:5 一 10 菘 沢 0 5 M93:4 」_」 」 11 樫沢 0 5 M52 :8 一 _」 一 0 513 L− 」 」 張 陵 山下層 14 0 5 湯廟村 L 亠_1M2 :7 0 5 一 15 榛 沢 M51 :4 図2 菘択文化後期土器 (単位 lcm>
こ う。
これ まで 、
太
湖周
辺 で発
見 さ れた菘
沢 文化後期
墓は お もに 上 海 一 蘇 州地 域に 集 中し て お り 、 その 中に 、 青 浦 菘 沢 遺 跡 中層菘
沢 文化 第
3
期墓 (上 海 市 文物保管委員 会1987)・青 浦 福 泉 山遺 跡 灰 黒 土層
墓 (上海市文物管理委員 会2000)・湯
廟村 遺
跡菘
沢文化
墓 (上海市文物保 管 委 員 会1985)・張 陵 山遺跡
下層 墓 (南京博物 院1982)・少
卿山遺
跡(蘇 州博物館他1988)・草 鞋 山遺 跡 第6
層 墓の 一 部 (南京博物 院1980)が あ る。 ほか の 地域
に お い て 、 今 まで 公表
された菘 沢 文 化 墓 葬 関係 の資料
は きわ め て少
ない 。菘
沢文化後期
の 例 と して 、嘉
興 一海寧
地 域普安橋
遺 跡M26
(北京大学考 古学系他 1998)お よ び 常 州一常熟
地域
寺嫩 遺跡M2
(南京1
専物院1981)が挙 げられ る。 諸 遺 跡の 副 葬 土 器の 特徴 につ い て 、 こ こ で 胎土 ・器 種 ・様 式 ・副 葬土 器の 組み 合わ せ な どの 面か ら述べ て い きたい (図 2)。 土 器 の胎
土 これまで の発 掘 調 査 と研 究に よれ ぽ、 諸 遺 跡の 土 器が顕 著な 一 致性を持つ こ と が わか る。 煮 炊 器は ほ とん ど砂 と貝殻
粉 末を混和材
にする夾砂紅褐 陶
で あ り、 一般容
器は 泥質
灰 陶を主 に して 、 そ のっ ぎに泥質黒皮 陶
と泥 質紅
陶で ある。 副葬土器 器 種まず 上海 地 区の 菘 沢 遺 跡で は 出現
率
の 高い 副 葬 土 器の 器種
は 鼎 ・豆 ・罐
・壷で あ り 、 その次
は杯
と盆 盤i
類土器で あ り、 ま た例 数 の少
ない 器種
は鉢
・ 釜 ・ 瓶 ・ 觚 ・ 匝 ・ 碗 ・ 三 口器 ・ 甑 ・尊
(注 :実 際に 一種の 曲腹の 杯であ る)・帯流濾
器な どが あ る。福 泉 山
遺跡
は 副 葬土器
の器種
が比較
的少
な く、鼎
・豆 ・罐
・壷 ・杯
・盆 盤類
土器 が あ り、各 種
土 器の数
に 大 差が ない 。 ま た鉢 と箟 (注 :福泉 山 遺 跡 に おける籃は幅の 広い 圏足が付 く盆 類土器で ある)もみ られ るが、点
数良 渚文 化各地 域に おけ る副葬土器の 変 遷 と地域 性の研究 が極め て少ない 。 湯
廟
村 遺 跡の 副 葬土 器は 鼎 ・ 豆 ・ 罐 ・杯 ・ 盆 盤 類を 主 と し、 ほか に 壺 ・ 瓶 ・ 顱がある 。 現 有 する資
料か らみ れぽ、 三遺
跡の 副葬
土器の 器種構成
に は多少 違
い が み え るが、福泉 山
と湯
廟の資料
が比較
的少
ない ため 、 これ が 上 海 地 区内
の遺跡
間の差
を反 映 して い るか ど うか 、 ま だ論 定で きない 。 と ころ で 、 上海 一 蘇 州 地域の 蘇 州地 区諸 遺 跡は報 告 書に よ る と 、張陵山遺
跡の場合
は副 葬
土器に 鼎 ・豆 ・碗
・ 盤 ・三足鉢
・罐
・杯
・大
口尊
・甕
(注 :一種の 小 口径 で胴 部 大 きな罐類 器)な どが あ る 。草
鞋
山遺 跡の 菘 沢 文 化 墓全体は その 副葬土器が鼎 ・豆 ・罐 ・壺
・杯
を 主 と し、 ほ か に釜 ・ 獻 ・ 盆 ・ 盤 ・大
口尊
が ある 。 嘉 興 一海寧
地 域 と常州
一常熟
地域
の状 況
は墓の資料
が少
ない けれ ど も、 遺跡
の 出土品
を考
え合
わせ れ ぽ、大体
鼎 ・豆 ・罐
・壷を主 とする こ とが 分か る。詳 しく公
表
さ れた菘 沢 文化 墓 地の資
料が ま だ不 充分 であるの で 、諸
地域の副葬
土器 器種
の構成
に関 して は比較
研究
が展 開で きない 。 そ れに もか か わ らず、 興味
深い と ころが い くつ か見
られる 。 例え ぽ、 松 沢 遺 跡の 墓で 出 土 した觚お よ び 觚 式 瓶 (原報告書で 「皿式瓶 」 と し てい る)がほ か の 遺 跡の 副 葬 品に ほ とん どみ えない 。 こ うした觚
は底
部が幅広
く、 胴 部が窄
ま り、 口縁が強 く外
反 して喇叭状
に な っ て お り、高
さ が13 .8cm
〜18
.2cm
で 、杯
よ り高
い (図 3 : 1 )。 觚式瓶
の形
態特徴
は觚
と似て お り、胴 部
と口頸部
が窄
ま り、底 部
に 三矮足 を付け 、 胴部
の表
面に 瓦稜 文 を施 し、 墓M37
:5
例が高 さ23
.8cm
で ある (図 3 :2)。 一 般遺物
包含
層か ら出た觚
と觚式
瓶 の 例 と して は それぞれ上海寺
前 遺 跡 トレ ン チll
T
201
のll
・T
201
:
56
觚
(上海博物館 考古研究部2002a)と福 泉 山遺
跡 トレ ン チT
!O
のT
10
:
25
觚 式瓶
が挙
げ られ る。蘇州
地区
の草鞋 山遺跡
と嘉
興一海
寧
地域 の大
墳
遺跡
で 発見
さ れ た杯
(陸1991)で は数
点
の もの は サ イ ズが大 き く、 胴 部が内
へ や や窄ま り、 觚と共
通点
を持
つ が、厳格
に い え ば、 ま だ 「 杯」 の ワ クを超えて い ない 。 し たが っ て 、 こ う し た觚
と觚形瓶
は上海
地区
の特殊
な器種
で あ る可能
性が高い 。 そ の源
流に つ い て は長
江以北海岱
地域の 觚 と密 接に 関連 す る と考
え られ る。 ま た、 蘇 州地区の少
卿山
・張 陵山
と草鞋 山
の 墓 に お ける大
口尊
(缸)は 副葬
品と して 用 い られる例がほ か の 地 区に み られず、 これ は 地 域 的現象
で は ない か と思わ れ る。 加えて 、 大口尊
は 海岱 地 域に もみ られ、形 態
的に海岱
地 域 同 時期
の もの とほ ぼ 一致
して お り、 その 特 徴は丸 底 で、 口径が幅
広 く、 口縁の 下に弦文
を数本
巡 らせ る。 少 卿 山墓M2
の 一 例 が口径35cm
で 、 高さ33cm
で あ る (図 3 :3) 。 副葬
品の組み合
わせ菘 沢 遺 跡で は よ くみ られ る組み合わ せ と し て鼎+豆+
罐
、 鼎+ 豆 + 壺 、 鼎+ 豆 + 罐+ 壺 (或い は +他)な どが ある。 注 目すべ きこ と と して は 二つ ある。 一 つ は鼎
・豆 ・罐
・壺の 揃っ た 組み合わ せ お よ び瓶
または觚
を含
め る組
み 合わ せ が 、 副 葬 品数
上位
の 墓に 現 れ るの で あ り、 も う 一 つ は豆 を持た ない 組み合わ せ が大体
副葬
品数
下位の 墓に み ら れ る の で あ る。 こ れ は副葬
土 器の 組み合わせ に おける階層性
を示
して い る と考
え られ る。 ほ か の 遺跡
の様
相は そ れ ぞ れ違
う。例
え ぽ、福 泉 山
で は 豆 +罐
+壷+他の組
み合わ せ が大
きな割
合を占
め て お り、 湯廟
村と張 陵 山で は他+ 盆+杯
と い う 組み合わ せ が注 目さ れ る。 ま た 大口尊を含
む組み 合わ せ が蘇州 地 区だ けで しか み られない こ と も指摘
しなけれ ばな らない 。今
の と こ ろ 、資料
の制
限の た め 、 と くに 上海
一蘇
州 以外
の 地 域の資
料
が きわ め て少
ない ため 、 土器
の組
み合わせ の 地 域 的比 較は ま だ 展 開良渚文化各地 域に お ける副葬土器の 変遷 と地域性の研究
H
飜
1 ° L5 0 5 2菘 沢 L」」 M37 :5 山 卩 2 卵 必 3 少 M )冒
出
64 少卿山 M2:3N
張 陵 山上 層鈍
趙 陵 山 M58ア
:10 L亠畢
」纛
一 M17 ・7雰
濫
(
塗
16 福 Ml32 :47;
i
。薦耳
M3 :27 L 」 」 0 8 17 一 ,,5 °Lj
譏
10 福 泉山 Ml43:1 家 埠 17:7 0 一 5 26欝
゜一 5 櫞 山 」ボ
冨
黜
、、 M139 :34 張陵山 上 層こ
D
腰
5鑷
鰻
。悉
鷽
一 M2L2 図 3 1 〜 5 16〜30・ 一 ・
袈
衣山 9 M2:17 M7 :6 , 、話
轟
一 Ml :4 M23 :3螽
軸
]
530 広 冨 林 M3 :7 龍 潭 港 M20 :1 菘沢文化後 期土器 6 〜15 :良渚文化前期土 器 良 渚文 化 中期土器(単位 :cm )で きない が、 現
有資料
だけで 分析
す れば、 副葬
土器の 組み合わせ に は遺跡 別の 差 と地 域 的差が確
実に存在
する こ とが分
か る。 土器の様
式こ の
時期
に は鼎 ・ 豆 ・罐
・ 壺 な ど土器の全 域 的な様 式
が多
く存
在
す る。 例 えば、 鑿形足
を持
っ た 盆 形 鼎や花 弁状
圏足をつ くっ た杯
な どば諸 遺 跡に広が っ て い る。 た だ し、 バ ラエ テ ィ ー が豊 富 で統
一 性の欠如
も指
摘 し な け れ ぽ な ら ない 。 菘 沢 遺 跡 中層 一 ヶ所 だ け を取
りあげて み れ ば、菘
沢文化後期
墓か ら出土 した鼎が19
式
、 豆 が31
式
、罐
が23
式
、 壷が14
式
に 分 けられ て い る(上 海市文物保管 委員会1987)。 諸 遺 跡の 土 器を比 較す る と、 似た よ うな様式
の 土 器 が多
く見 られるが、 細か い 形 態や文様
の 差 も見 落と して は な らな い 。 一 ・ 二 ヶ所
に しか み られ ない特殊
な様式
もよ く目に付
く 。 こ うした 土器
の例
と して は少
卿山
M2
の鼎
(M
2 :3)と寺
數M
2
の 鼎 (M2
:3
)が挙げ られ る。 少 卿 山M2
:3
鼎は 胴部
が球
形 と な っ て お り、 表 面に8
本の 弦 文を 巡 らせ 、 胴 部の 下に 三つ の短
い 錐 状足
をつ け、 口縁部
が外
反 し、 胴径
が19
.1cm
で 、高
さ21
.4cm
で あ る (図3 :4 ) 。寺數
M2
:3
鼎
は 釜形
の 胴部
に 三つ の 鑿形 足が付
き、 口径12cm
、胴 径
15
.2cm
で あ る。今
の と こ ろ、 こ の 二式
の鼎
は ほ か の 遺跡 に ま だ見
当た らな い (図 3 : 5) 。 二良渚文化 前期
に おけ
る各
地
域
の副葬
土
器
良 渚
文
化前期
の 墓 地 遺跡 は 下 の 通 りで ある 。上
海
一 蘇 州 地域
:上海青
浦福泉
山 第3
層 墓 ・上海松 江 広 冨 林 良渚文化
墓地 の 一 部 (M9
・M23
を含め る)(上 海博物館 考古 研 究 部2002b) ・蘇 州
越 城 中層
墓 の 一部
(M1 ・M2
・M5
)(南京博 物 院1982b)・ 呉良渚文化各地域にお ける副葬土器の 変遷 と地 域 性の研 究
江
龍南
の 墓87M
6
・88M
1
・88Mll
(蘇 州 博物館他1990)・ 昆 山趙 陵山高台
墓地 の 中型 墓 (江 蘇省趙 陵山考古隊1996)・呉 県 草鞋 山 第4
層 墓 ・昆
山少卿
山良渚文化前期
墓 (蘇州 博物 館他2000 )・呉県張 陵山
上 層墓が ある。嘉
興一海寧
地域 :海
塩龍
潭港
の 墓M25
(浙 江 省 文物考古 研 究 所 他 2001)・海寧達
沢 廟第
一 ・二期
の 墓 (浙 江省 文物 考古研究所他1997)・海寧
徐歩橋
と平
湖平
邱 燉の 一部
の 墓 (浙江省文物 考古研究所 1993a)が あ る。余杭
地 域 :余杭 呉 家埠 第
2
層 墓 (浙 江省 文物 考古研 究 所1993b)・良
渚廟前
の墓M24
・M25
(浙江省文物考古研究所1993c)な どが ある。常州一 常 熟 地域 :常熟
羅
燉の 墓M8
・M9
・Mll
・M13
(蘇州博 物 館 他1999)が ある 。 副 葬土器の胎土煮炊
器が お もに夾砂紅 陶
で 、 一般
容器が泥質
灰 陶 と黒皮
陶と い うあ り方は菘
沢文化 後期
と同 じで ある。 た だ し、泥質
黒皮 陶
の割
合が増えて い く傾 向が顕著
で あ る 。 副 葬土器の器 種表
1
に よれぽ、 上 海 一 蘇 州 地 域に お い て は 菘 沢 文 化後 期 よ り諸 遺 跡 の あ り方
が比較
的大
きな統
一性
を あ らわ しは じめ 、 まず 鼎 ・ 罐 ・杯 ・豆 ・盆 盤類
土器
お よ び壷が 主流
を占
め 、 これは菘
沢文化
後
期福 泉 山と湯廟
村 の あ り方 と似て い る 。 また 出 土 例の 少ない器
種
は大
口尊
・ 鉢 ・ 双鼻
壺 ・注口器が あ り 、1
・2
点 し か ない 器 種 は碗
・甕
・篁 ・尊
・ 釜が あ り 、樫
沢文化 後期
と比べ て みれ ぽ、 觚 ・瓶
な ど の古
い 器種
が消失
する と ともに 、 い くつ か の新
器種
と新
た な様
式が 出現
し た こ とが分か る。嘉 興一 海
寧
地 域 で は鼎
・豆 ・罐
の 出現 率
が 最 も高
く、 盆 盤類
と双
鼻
壷がその次
に あ り、 ほ か に 一 般 壺 類 器 ・杯
・大
口尊
・箟が あ る。常 州一 常 熟地域の 良渚 文 化 前 期の 墓地
資
料は 羅 數一 ヶ所 しか な く、 しか も資料
の 公表
も不完
全で ある。報告書
に よ る と 、 主 要 な 土器
器種
に は鼎
・豆 ・壼 ・双鼻
壺 ・杯
・盆 盤類
な どが あ り、副次
的 器種
に は注
口器 ・甑 ・鉢 ・盃 (注 :取手と長い 注口が付い た一種の 壼 形 器)な どが み ら れ る。余杭
地域 で は鼎
・ 豆 ・罐
・ 壷の出
現率
が高
く 、次
に濾水
器 (注 :濾 口の 付い た一種の 壷類器)・盆 盤類
・杯
な どが あ り、副葬
土器
の 器種は 諸地 域で い ち ばん単 純で ある。 諸地域の 副 葬土器の 器 種を比較 対 照 して みれ ば、 羅 數 遺 跡の あ り方
は 上海
一蘇 州
地域
の様相
に相似
し、嘉
興 一海寧
と余杭
両地域 は そ れ ぞ れ独 自
の 地 域的特徴
を持
っ て い る と考
える。指摘
すべ き こ とは 四つ あ る。 まず、 注口器 副 葬は 余杭 と嘉 興 一 海 寧 両 地域 に お い て ほ と ん ど み られな い 。 ほか には 双 鼻壺副 葬は余杭地域に お い て あ ま りみ られ ない 。第
三に は当該 時期
に お ける杯
の副葬
は上海
一蘇州
地域
に よ くみ られ るの に対
して 、嘉
興 一海寧
地域
と余杭
地 域で は比較
的少
ない 。 また大
口尊
(缸)の 副葬
は菘
沢文化後期
の蘇
州一 地 区か ら上海地 区 と嘉興
一海寧
地域まで に 広が っ た が 、余
杭
と常州
一常熟
地域
で は ま だ みつ か っ て い ない 。この
時期
に新
たに登
場 し た器種
で は 取手
をつ けた注
口器が注 目 さ れ る(図 3 : 6) 。 こ うし た注
口器は報 告 書
で 「匯
」 と も呼
ぽ れ る が 、菘
沢 遺 跡に お ける菘
沢文化後期
の 「匝
」 と は 異なっ た系統
に 属 す る。 菘 沢 文化後期
の 甌は実 際に 一種
の盆 類 器で あ り 、 口縁 に小
さい 注 ぎ口 をつ くる 。良
渚 文化前
期の 注口器は その 胴 部が小 型の 壺類
器に 近 く、把手
をつ ける場合
が多
く、 その底部
が平底
あ良渚文化各地域に おける副葬土 器の 変遷 と地 域 性の研 究 良渚 文化 前 期墓副葬土器資料一覧 表 1 土 器器 種構 成 地 域 遺 跡 鼎 豆 罐 双
皇
篁 注 口 器 杯 盆 盤 大 口 尊 壺 他 副葬 品数(点) 及び出土状 況 上海一 福 泉 山M1 ◎ 1 蘇 州 M2 0 M126 ◎ ◎ ◎ ◎ 7 Ml39 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 尊 47 Ml43 ◎ ◎ ◎ ◎ 18 M149 ◎ 6 M150 ◎ ◎ ◎ ◎ 鉢 11 Ml51 ◎ ◎ ◎ ◎ 16 広冨林M9 ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋、 土 11 器破片 M23 ◎ ◎ ◎ ◎ 23 越 城M1 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 10 M2 ◎ ◎ ◎ ◎ 13 M5 ◎ ◎ 釜 6 龍南87M6 ◎ ◎ ◎ 箟 4 88M1 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋 10 88M11 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 鉢 12 趙 陵 山M57 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋 12 M58 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 17 M69 ◎ 1 M70 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 7 M80 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 圏足鉢 7 M81 ◎ ◎ 鉢 4 M82 ◎ ◎ 2 草鞋 山M78 ◎ 1 M79 0 M80 ◎ 1 T802Ml ◎ ◎ ◎ 鉢 9 少卿山M1 ◎ ◎ 7 (撹乱あ り) M2 ◎ 1 (撹乱あ り) M3 ◎ ◎ ◎ 4 (撹乱あ り) M4 ◎ ◎ ◎ 7 (撹乱 あ り)) ) ) ) ) ) ) 疏 ソ り り h ソ h ソ り り
艦
撒犠
・轡
:
蕾
鰍
る
薹
− − β 皿鈴 ( ( ( ( ( ( ( 1 6 3 4 9 3 4 4 4 蓋 蓋 器 器 器 、 、 水 水 水 甕 碗 蓋 蓋 蓋 蓋 籃 濾 濾 濾 獻 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 9684525910128111415717182481119 MMMMMMMMMMMMMMMMMMMM2425913118 山 港 廟 橋 數 埠 MMMMMM 陵 潭 沢 歩 邱 家 前 燉 張 龍 達 徐 平 呉 廟 羅 一 一 興 寧 杭 州 熟 嘉 海 余 常 常 注 :本表で は福 泉山 ・張 陵山・羅 燉 ・少卿 山な ど遣 跡の原報告 書の匝を そ れ ぞ れ注口器と し、福 泉 山 ・張 陵 山 ・達沢 廟など遺 跡の原 報告 書の缸およ び大口缸を大口尊と し、張 陵ltl・趙 陵 山 ・羅 馼など遺 跡の原報 告 書 の貫 耳 壺 を 双 鼻 壺と し、趙 陵 山 ・平 邱 嗷・羅 燉 など遺 跡の原 報 告 書の盤 を 盆とし、趙 陵 山M70の原 報 告 書 の圏足壼 を罐とする。 るい は
低
い 圏足底
で ある。表
1
を参 照
に して み れ ぽ、 その分布
の 地 域 性がわ か る 。 注口器 は 良渚 文 化 前 期 に お い て数 量 的に 少な く、 副 葬 品と して の 出土 例は すべ て 上海一 蘇 州 地 域 と常 州一 常 熟 地 域 の遺
跡に あるが、 嘉 興 一海
寧
と余杭
地域
の前期
墓お よ び一般遺
跡 に は ほ とん どみ られ ない 。 ほ か に 、呉
家埠第
2
層
と廟前遺跡
の 墓良渚文化各地 域に おけ る副 葬土器の 変 遷 と地 域性の 研 究 に み えた濾 水 器 も新 出した器
種
で あ る。 こ うした濾水
器は 胴 部が鉢
状を呈し、 圏足を持 ち、 口縁
の 片 側に 上向
きの 注口 をつ け、今
の と ころ余杭
地域で しか 発 見 され て い ない 。 副葬土 器の組 み 合 わせ各
地域は い ずれ も鼎 ・豆 ・罐
また は 鼎 ・豆 ・壼を 中心 とす る組 み合わ せ を主流とす る が 、 副 次 的器種
の差
が存在
す るの で 、 具体
的な組
み合わせ方
に お い て はバ ラエ テ ィ ー が豊富
で 、 しか も地域 的差 も明 ら か に み え る。 そ の うち、 最 も顕著 なの は 諸 地域 の 副 葬 土 器 組み合わせに お け る杯、 ま たは 形 態 的に杯 と近い 「 小 壷」 (注 :福 泉 山遺 跡に よくみ ら れ る)の 位置付
け で あ る (図 3 :7)。 こ うし た 土器は余
杭地域
と嘉 興一 海 寧 地 域に お い て恒
常 的 な組
み合
わせ に 入 っ てい な い が、 上海 一 蘇 州地 域 と常
州一 常 熟地域の 羅 燉 遺 跡 に お い て様
々 な組
み合
わせ に み られ る。 ま た注 意 しなけれ ば な ら な い の は器種
の 整っ た組み合わ せ を持つ 墓あ るい は 土器数
の多
い 墓 が必 ず しも副 葬 品上位
の もの で は ない の で ある。表
1
に あ る副葬
品の 最 も多
い 墓一福泉
山M139
・張
陵山M4
・M5
・呉家 埠
M
8
の副葬
土器様 相
を調
べ て み る と 、張
陵山
M5
の13
点
と呉
家埠
M
8
の7
点
が良渚文化 前期
墓の 全体
に お い て突
出 して お らず、 ま た前
者の 鼎 ・ 豆 ・ 罐 ・ 大口尊
・ 壷 ・注口器 ・ 碗 と後
者の 鼎 ・ 豆 ・ 壷 ・罐
と い う組み合わ せ は ご く普 通で あ る。 これ は副 葬玉器の 急 増 と直接
な関連を持
ち、 土器に おけ る階層性
を示 す意味
が薄
くなっ た。 土 器 の様
式菘 沢文 化 後 期の 特 徴を
多
く保留
す る盆 盤 類土器を除 き、大
多
数 の 器種で は顕 著な変 化が み られる。まず 鼎に おい て は 、 菘 沢 文
化
期に よ くみ られる鑿 形 足や柱
状 足 の もの は ま だ普
遍 的に存在
し たが 、 胴 部に多本
の沈線文
を施
す もの が
減少
し た。菘 沢文化後期
に数少
ない魚鰭形
足の鼎
は こ の時期
に な る と、良渚文 化
全 域に広
が っ た。 こ う した魚鰭 形
足鼎
は胴部
に 文様
な く、 足部
の 内縁 と外
縁 の厚
さ が 一 致 す る と い う特 徴で 全 域 共 通で ある。 魚 鰭 形 足 鼎の発生地に つ い て は 非 常に 判 定 し難い が 、余杭
地 域に み られ る良
渚文化前期
の魚鰭形
足 鼎は形
態の観
察 を行
うと、 その足 部
が外
へ 開 くよ うに作
り付
けられて お り、 同類
鼎の系
譜の 中で 最 も古い (図 3 :9)(丁1996 )。様 式
の独 特
な鼎と して は棒 状把手
が付 くもの が挙 げ られ、 こ れ まで は そ の 出土 地点
一広
冨林
M23
・福 泉
山Ml43
(図 3 :10)・趙
陵 山M58
が み な蘇州
一 上海
地域
に ある の で、局
地的
な様式
だ と考
え られ る。豆 は菘 沢 文
化
期 の もの と比べ れば 、 圏足が低 くなっ た こ とが顕著
で あ る こ とがわ か る。 しか も圏
足 の文様
が明らか に単純化
し、 透か し孔
や陰刻
でつ くっ た菘
沢文化期
の複 雑
な文様
が大幅
に減少
し、 その か わ りに多
くの場 合は 少 数の 円孔で 圏足 を飾る (図3
:8)。その ほ か、 口縁 に 三つ の小 耳を
付
す豆お よ び 圏足に数
本の 凸弦文
を施
す 豆が注
目され る。 こ の 二式
の 豆は い ずれ も限 られた地域
で しか発見
さ れ て お らず、前者
は圏足が低
く、 盤部
の 口縁に小
耳 をつ け、 お もに 嘉 興 一 海寧
地域 に 分布 し、 出土地 点は ほ と ん ど墓 地遺 跡で あ り、 普 安 橋 ・達 沢廟
・徐 歩 橋 ・平 邱 數を含 む (図3
:11) 。余杭
地域の 呉 家埠
遺
跡第
2
層M18
とM8
に もそ れ ぞれ 一例
み ら れ た が 、 その なか 、M18
:2
例は様 式
上 で嘉
興 一海 寧
地域 の 出土例 と異な り、 その 圏 足部は 高 く、 しか も幅
が広い 。後
者は様 式に お い て 豆 盤 部が鉢 状 を呈 し、 圏足
が細長 く、 圏足に 凸 弦 文と透か し孔
をつ くり、余
杭 と嘉
興一 海寧
両地域の 遺 跡に み えるが、 発 見地点
と し て は呉 家埠
(墓 と遺物包含層)・徐
歩橋
(墓)が ある(図 3 :12) 。良渚文化 各地 域に お ける副葬土 器の 変遷 と地 域性の研 究
罐
・ 壺 ・杯類
土 器に 関 して は 、 屈 折 す る器壁 や花 弁状
圏足 な ど の菘
沢文化
土器の形態 的特徴
は ま だ残
っ て い るが、数
量的
に 激減
する。胴部
が屈
折 する樫
沢文化式
の壷 は 越 城 中層
と草鞋
山第4
層 で み つ か っ た だ けで あ る。 ほか の 遺跡 に お い て 、 罐 と壺 はい ずれ も丸
い 胴部
の もの が 圧倒
的で ある。花 弁状
圏足を持
つ菘
沢文化後
期式
の杯
は少
な くなる と と もに 、平底
あ る い は平
らか で低
い圏
足 の ものが主 流に なっ た (図 3 :13)。 こ の 時期に新た に現れ る罐壼類 副 葬土器の様 式 と し て は、 壺類器
に双鼻
を付
け る壷が あげ られる。双鼻
壺は良渚文化前期
に お い て太
湖周
辺全域に広
が っ て い た が、 その 出土地点
は 広 冨林
・趙 陵 山 ・ 張 陵 山 ・龍 潭 港 ・達 沢廟
・平 邱燉 ・羅 數な ど の墓 地 遺 跡お よ び福 泉 山 ・ 龍南 ・ 呉 家埠
な どの 遺 跡の 遺 物包含 層を含め る 。余
杭 地域
で は 副葬
品 と して の良
渚文化前期
の 双鼻
壺が ま だみつ か っ て い ない 。 こ うした双鼻
壺は短
い頸部
・丸
い胴部
・平 底
また は低
い 圏 足を特 徴 と し、 同時 期 に 流 行 した 双鼻
を持た な くて丸 い 胴 部を つ くる壼 や罐 と形 態 的に 相 似 して い る (図 3 :14)。 広 冨林 と平 邱數
の 出土例は 頸 部が長 く、良
渚文化前期
の 遅い段
階に属 す るもの で ある と判定
で きる。最後に 大口
尊
で あ るが、良
渚 文 化 前 期の 大口尊
は ほ とん ど 口縁 の 下部に 籃文
を施 す様
式 に変
わ っ た (図3 :15)。 大 口尊 副 葬 の 分布 範
囲は 蘇 州 地 区一 地か ら上海 地 区 と嘉 興一 海寧
地 域ま で に広
が っ た 。ま と め る と、
良
渚文化 前期
に 、 鼎 ・豆 ・壺な どの 主 要な器 種 に おい て は全 域 的様 式
が現
れた が 、 器種
・様式
が新 旧混雑
し 、 と り わ け壷
罐 類の 土器は バ ラエ テ ィ ー が ま だ 極め て豊 富で あ り 、 ま た い くつ か の 器種
・様式
の 地 域 的片 寄 りも明 らか に み え る。 したがっ て 、
各
地域な い し各
遺 跡の 土器様
相は良渚文化 前期
に依然
と し て非均斉性
を強
くみせ て い る とい え よ う。三
良渚 文 化 中期
に おけ
る各
地 域
の副
葬
土 器
良渚文
化 中期
の代表 的
墓葬
と し て は以下の もの が挙 げられ る。上海一 蘇州 地 域 :福 泉 山遺跡 の
第
2
層 と第
1
層下部 の 墓 ・ 広 冨 林 良 渚文 化 墓 地 の 一部
(M3
・M8
・M13
・M21
を含め る)・亭林 良渚
文化
墓地 の 一 部 (M1 ・M23 を含め る)(上海 博 物 館考古研 究部2002c)・馬橋遺
跡良渚文化
墓の 一 部 (1978Ml と1997M2 を含め る)(上海 文 物保 管 委 員会1978、上海文物管理委員会1997)・寺 前M3
(上海 博物館考古研 究 部2002a)・ 趙 陵 山M77
・少
卿山
M
1
(蘇州博 物館他1988)・越 城M
3
・M6
・M7
。嘉
興一海寧
地域 :龍 潭 港M9
・M15
・M19
・M20
・M23
・達 沢 廟第
3
期
墓 ・大墳
M2
(陸1991)・平 邱 燉 ・ 千金角 ・雀 幕 橋 の 一 部 の 墓 (浙江 省 文 物考 古研 究所1993a)。余
杭 地 域 :上 口山M4
・M6
・M7
(浙 江省文物考古研 究所2002a ) ・ 鉢 衣 山M2
・M3
・M4
(浙 江 省 文 物考古 研 究所2002b )・呉家埠
M
l5
・瑤 山 諸 墓 (浙 江省文 物 考 古研 究 所2003)・ 反 山諸墓 (浙 江 省 文 物 考 古 研 究所反 山考古隊1988)・匯観 山
諸 墓 (浙江省 文物考古研究所他1997) 。常 州一 常 熟 地 域 :
高
城數
墓 地の墓 の大 部
(江蘇省高城 燉聯 合考古隊 2001)・ 羅 數 墓 地のM3
・M7
。 土 器 の胎 土こ の
時期
に お ける土 器の胎土につ い て は大体
前期
と一致
するの で 、 こ こ で贅言
を要
すま い 。良渚文 化各地 域 に おけ る副葬土器の 変遷 と地域 性の 研 究 良渚 文化中期墓 副葬土器資料一覧 表 2 器種構成 地 域 遺 跡 鼎 豆 罐 双
皇
亞 注 口 器 杯 盆 盤 大 口 尊 壷 他 副 葬 品数(点) 及び 出 土状 況 上海 一 福泉 山M ユ15 3 蘇州 M120 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋 、 顱 15 M124 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 20 Ml35 ◎ ◎ ◎ 9 Ml40 ◎ ◎ 4 M145 ◎ ◎ ◎ ◎ 26 M94 ◎ ◎ 蓋 、顱 11 MlO9 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋、 甑 35 Ml32 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋 、甑、 73 箟 Ml44 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 36 M146 2 広冨林M3 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 箟 10 M8 ◎ ◎ ◎ 9 Ml3 ◎ ◎ ◎ ◎ 4 M21 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ll 亭林M1 ◎ ◎ ◎ ◎ 21 M23 ◎ ◎ ◎ 21 馬橋ユ978M1 ◎ ◎ ◎ 釜 6 1997M2 ◎ ◎ ◎ 4 寺前M3 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 7 趙 陵 山M77 ◎ ◎ ◎ 21点 以上 少卿山M1 21(撹乱あ り) 越城M3 ◎ ◎ ◎ ◎ 9 M6 ◎ ◎ ◎ ◎ lO M7 ◎ ◎ 4 嘉寧 一 龍潭港M9 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋、箟 55 海寧 M15 ◎ ◎ ◎ 圏 足 器 9 Ml9 ◎ ◎ ◎ ◎ 三鼻篤 6 (撹乱あ り〉 M20 ◎ ◎ ◎ ◎ 蓋 18 M23 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 6 達 沢廟M2 ◎ ◎ 碗 、鉢 不詳不 詳 13 不詳 不 詳 不 詳 10 15(撹乱あ り) 8 913911 9 6 6 6 16 7 (撹 舌Lあ り) 9 (撹舌Lあ り) 5 (撹舌Lあ り) 5 10 8 40(撹 乱あ り) 22 3 (撹 舌
L
あ り) 30 160 96 52 53(撹 乱あ り) 72 69 547 193 碗 三鼻籃 鼻籃 ・ド
尊 鞴 鉢 鉢 三 碗 蓋 尊 鼻 篁 蓋 蓋 三 尊 鉢 蓋 尊 蓋 蓋 蓋形 器 濾水器 尊 、甑 顱 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ M3 M4 M5 M6 M7 M1 大墳M2 千金角M7 平邱 燉M ユ M4 M6 M8 Mll M13 M14 M21 雀幕橋M3 M5 M7 M8 上口 山M4 M6 M7 鉢衣 山M2 M3 M4 呉家埠M15 瑤 山Ml M7 Mll M14 匯観 山M2 M4 反 山M18 M20 M22 余杭良渚文化 各地 域に おける副 葬土器の 変 遷 と地 域 性の研 究 常州一 高城燉M5 ◎ ◎ 41 常熟 羅數M3 ◎ ◎ ◎ ◎ 30 M7 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 鉢 48 注 :本表で は諸 遺 跡 原 報告 書の閙把 杯・匝 ・寛 把壺・帯流 罐を そ れ ぞ れ注口器とし、龍 潭 港遺 跡 原報 告 書の帯 把 盂を箟とし、越 城遺 跡のV型 壷を双鼻 壺と し、羅徴 遣跡の篁を罐とす る。 副 葬土 器の器 種
表
2
を参
照 して み れぽ、 上海 一 蘇 州 地 域は鼎 ・ 豆 ・ 罐 ・ 双鼻
壺 ・盆 盤類土器が数 多
く 、 そ れ につ い で注口器 ・壺 ・大
口尊
・杯
・ 蔵 もよくみ られ る。 ま た数少
ない 器種 に 箟 ・釜が ある。 前 期 と比較
して み る と 、 壺 類土器で は双鼻
壷が主要な割 合を 占め る よ うに な り、 一 方、注
口 器が増 加す る と ともに、杯
の 例 数は 大幅
に減 少 した 。嘉
興一海寧
地域は その 主 要な器種
が鼎
・豆 ・罐
・双鼻
壷 ・盆 盤 類で あ り、前期
と く らべ て 、 双鼻
壺 と盆 盤類土器 が 普遍化
して き た。 ほか の 器種
は 箟 ・ 壷 ・ 杯 ・ 注 口器 ・尊
・ 大口尊
・ 碗 ・ 鉢があ り、前期
と対
照 して み る と、 籃の 激増
が 目に つ く。常州
一常 熟
地 域 は その全体像
が ま だ分
か らない が 、 羅嫩
墓 地に は 鼎 ・豆 ・罐
・双鼻
壺 ・盆 盤類 ・杯
・注口器 ・鉢な どの 土 器が あ り、高
城 數 墓 地に は鼎 ・ 豆 ・ 罐 ・双鼻
壷 ・ 壷 ・ 大 口尊
な どがある 。余杭
地域
に おい て は、恒常
的な副葬
器種
は 鼎 ・ 豆 ・罐
三種
類に 限られ て お り、 そ の次
に大
口尊
と壷が ある。数少
ない 副葬
器種
は 盆 盤類 土 器 ・濾水器 ・尊 ・献
・双鼻 壺が あ り、 前 期 と比較 して み れ ぽ、 そ の 主流 的器 種が依 然と して 単 純で あ り、 高台
墓 地に おけ る大
口尊
副葬
の 一般 化
とい う現象
は注
目せ ざ るを え ない 。と ころ で、 四地 域の
様
相を 比較対
照 し て み よ う。嘉
興 一海寧
地 域は そ の 主 要な 器種が 上海
一 蘇州 と 同 じ く、 しか し、 箟が数多
い こ と と注口器の 少ない こ とな ど の 点で 当該 地 域は 上海
一蘇
州 と異な る地域
性
を みせ て い る。 常 州 一常熟
地域
は羅
激 と高
城 燉 両遺
跡 だけか らみ れ ぽ、 そ の あ り方
が ほ ぼ上海
一蘇
州 と似
て い る と想定
で ぎる 。余
杭 地域は 以上 の 三地 域 と比べ て み る と、 明 らか な相 違 点が ある。 まず 主 要な副葬
器種
は そ の種
類が比較
的少ない 。 ほ か に 、 公表
さ れ た墓の資
料で 副 葬 品と して の 注口器と杯が 全 くない 。良渚廟前
遺跡 で は報 告書
に よれ ば、副葬品
の 「杯
」 が あ るが、資
料が不 詳なの で検 討 で き ない 。 また 副 葬 品と し て の 双鼻
壷が極
め て 少ない こ と も地 域 的な現象
で ある。 そ れに もかか わ らず、 大 局 的に考察
して み る と、各
地 域 副 葬土器の 器種様
相は前
期 よ りさ ら に大
きな近似性
を示 し てい る と考
えて い る。 副葬土 器の組 み 合 わせ上海一
蘇
州、 嘉興
一 海寧
、 常 州 一 常 熟三地 域で は 鼎 ・豆 ・罐
・ 双鼻壷
中心の組
み 合わ せ が支 配 的で ある が、余
杭 地 域で は反 山や瑤
山な どの高 台
墓地 の 場 合、 鼎+豆 +罐
+大口尊
が注 目され、 鉢 衣山 な どの一 般墓地 の 場 合 、 鼎 ・豆 ・罐
を 中 心 とす る組み合 わせ が多
い 。余
杭 地域に おけ る副 葬 土 器の 組み合わせ は良渚文化
中期
の と ころ まで ま だ強い 地 域 性をみ せ て い た。 土器の様
式当
該
時期
に お い て諸 器種
の様
式 変遷 も著 し くみ え る。 まず 鼎の様
式に 関 して は、単
一化
する傾向
が顕著
で あ る。 中期 前半
に 至っ て 、前
期に現
れた 魚鰭形足
の鼎
が良渚文化
全 域に お い て支
配 的地 位を 占め、 一 方 、 前 期 に み え る ほか の 形 態の 鼎 足が ほ とん ど消え て し ま っ た (図 3 :エ6)。 中期 後 半に な る と、 主流 的 鼎 足 の 形 態が 丁字
形に変
わ り、 こ の動
きも全 域 的統
一性
を持
つ (図 3 :17)。 ま た こ の 二式
の鼎
は ほ と ん ど胴部
が文様
な く或
い は少数
の弦文
だ け を巡 らせ る。良渚 文化各地 域に おけ る副 葬 土 器の 変遷 と地 域 性の研 究
形 態
特
異な鼎 と して は耳付
きの短足
鼎が挙
げられ る。福
泉 山M
144
で 出土 し た 一 例は 口縁部
に 四つ の環
状耳
を付け、 胴部
に 弦 文 を二 本 施 し、魚
鰭 形の 短足 を持つ 。 広 冨 林M21
例は 形態
的に前者
と同 じで ある が、 環 状 耳二 つ ・ 胴 部 弦 文三 本 などの点
で異 な る (図 3 :18)。 こ うした鼎は ほ か の地 域で まだ み つ かっ て お らず、 上海 地 区の 地方 的な様 式で ある と考
え られ る。豆 の
様式
に お い て は 、前期
に あるバ リエ ー シ ョ ンがほ とん ど消失
し、 二つ の 全 域 的様 式
が登 場 する 。 一 つ は 盤部
が比較 的
に 深 く、 盤 部の 輪郭に屈 折が あ り、 圏足 部に数
本の 凸凹弦 文或
い は突 帯 文 お よ び少 数の 透か し孔 を施す (図 3 :19)。 こ の 様 式の 豆 は 良 渚 文化
中期
の 同類土器 に お い て 最 も普
遍 的で あ り、 その様式
の起
源に つ い て 、前期
に み える 一 般 的低
圏足豆 と余杭
地域
の 圏足部
に 凸弦
文の付 く豆が折 衷 し た もの で は ない か と筆
者は考
える。 も う 一 つ は 盤 部が浅 く、 鉢 状を呈 し、 少数
の 円孔また は 弦 文で 圏足 部を飾 る (図 3 :21)。 こ の 二式
の 豆は い ず れ も良
渚文化
全域に み られ るが、前 者
が数
量 に お い て支
配 的で ある。ほ か の 高
台付
きの 盤 盆 類 土 器 で は 、 「三鼻
籃 」 と呼ぽ れ る土 器 が 注 目さ れ る。 こ う した籃は 形 態 的に 三耳
を付け る前 期の 豆 と関連
を持
ち、 その 口縁 部に は三つ の小鼻
が付 き、 盤i
部が 豆 よ り深い が 、 圏足 部が 豆 よ り幅広 くて低
い (図 3 :22)。 中期
三鼻
箟 の 出土 地点
は龍潭港
・達
沢 廟 ・千 金角
・普安橋
・福 泉 山
・広
冨林
(普安橋 と広 冨林遺跡の 原報 告書で は 「豆 」 と して い る)な ど墓 地 遺 跡を含
め 、 明 らか に嘉 興一 海寧
地 域 と上海 地 区に 集 中して い る。 ま た上 海広 冨 林 墓 地で は 一 種 の様 式 特 異な籃が発 見 さ れ、 低い 圏足や深 く盤部
な ど の特徴
で 三鼻
箟 と共 通 して い るが、 口縁 部に小鼻
を付
けず、 か わ りに い くつ か の小
さい孔
が 開い てい る (図3 :23) 。一 般
罐
壷類
土 器につ い て み て み る と、当該 時期
に な ると バ リエ ー シ ョ ンが激減
し、 無文
圏足 の様 式が流行 し て い る。 こ うし た様 式の罐
や壷は 圏足 ・短
い 頸 部を持 ち、 胴 部の 輪 郭が円形に 近 い あ る い は弧 状
を呈 し、 文様
を施
さな い (図 3 :20)。 ほ か の罐
壺類
の 土器に は双鼻
壺 ・管
状耳付
ぎ壺 ・尊
が 含ま れて い る。良渚 文 化 中期 に お け る
各
地 域の 双鼻 壺
は様式
上 で顕著
な斉一性
をみせ 、 頸 部が長 く伸び、 無 文を施 さない あるい は頸 部 と 圏足 部 に数本
の弦文
を 巡 らせ る (図 3 :24) 。分布 範
囲は前期
と同様
に良
渚文化
全 域に わ た り、 しか も当該時期
に 入 っ て余杭
地 域で も副葬
品 と し て の 出土例がみ られた。 しか し、 それは ま だ余杭
地域
の 主 要な副 葬土器で ある とい え ない 。管
状耳付
きの 壺は中期
に あ らわ れ、胴部
が丸
みを帯
び 、肩 部
に 二つ の管
状 耳をつ け 、短
い頸部
をつ くり、肩
・頸
の間
に 一本
の 凸 弦 文が あ り、 出土例の 中で 平 底の もの が多い (図3
:25)。 中 期に おけ る副 葬 品と して の 例が雀幕橋
・平邱
嫩で発
見 され 、 ま た双橋
・ 廟前
・寺
數な ど遺
跡 の遺物
包含
層お よ び呉県
澄湖古 井
(南京博 物 院他1985)で非
副葬
品がみつ か っ た 。 ただ し、寺
數 と澄
湖で は そ れ ぞ れ一 例 しか な く、 し か も時 期 が 判 明で ぎない 。 したが っ て 、 そ の 分布
の 中心 地は 中期に 嘉 興一 海寧
地 域 と余杭 地域に ある と考 え ら れ る。中
期
の い われる 「尊
」 は形態
的に一般 的
な壷 と同 じよ うに 、頸
部
と圏足
をつ くり、 た だ し、肩部
が折れ 曲が り、 口縁が大い に 開 く、 と い う独特
な特徴
を持つ (図 3 :26)。 中期 の 尊の 出 土 遺 跡 は 千 金角
・平 邱 數 ・匯 観 山な ど墓地 お よ び 廟前 遺
跡 の遺物
包含 層
(浙 江省 文物考古研究所1993c)を含
め 、嘉
興 一 海寧
地域 と余杭
地 域に集
中して い る。良渚文化各地 域に お け る副 葬土器の 変 遷 と地 域性の研 究
良
渚文化
中期の 注 口器
は胴部
が壺罐
類土器に 近 く、 足 部の 様 式 が 圏足 と三足 とい う二式 に分け られ 、前
期の 平 底式
が ほ ぼ消失
し、 ま た前
期の もの と比べ 、 注口が伸 長 し て把手
が幅 広 くなる と い う 点で 全 域共
通の 変 遷が み え る (図 3 :27) 。 広 冨 林M3
で 出土 し た 一 例が把手
を持たず 、 三つ の 注口を つ くり、 形 態の め ず ら しい 注 口 器で ある (図 3 :30) 。 中期
に お い て注
口 器 副 葬の ある遺跡
は福
泉
山 ・広
冨林
・亭林
・越 城 ・雀幕橋
・龍
潭港
・羅 數があ る。 その うち、 嘉興 一 海寧
地 域に属 する遺 跡に は 出土 例が 比 較 的に少
ない 。 余 杭 地 域に お け る注 口器 副 葬の例が ま だ み つ か っ て い ない 。中
期
に おける杯
類土器に 関 して は、 こ こ で 「単把杯
」 と 「双鼻
杯
」 を取 りあげて 述 べ た い 。「単 把杯 」 は 弧 状 の 胴
部
で 、 一 つ の 把 手 をつ け、 口縁
が や や外 反 し、底部
に低い 圏 足をつ くる。 こ れ まで 中期の 単 把 杯の 出 土例 は嘉
興一 海寧
地域
の 雀幕 橋
と平邱
數 の 墓で しか み られて い ない (図 3 :28)。良渚文 化
中期
以前
に お い て は単把
を持
っ た杯
は嘉
興 双 橋 遺 跡菘
沢 文化 期 のH1
(浙江省文物考古研 究所1993d)・張 陵 山上 層 墓 葬 と福 泉 山 第3
層Ml43
で も発 見 され た が、 そ の 様 式は平 底 とや や窄ま っ て い る 口縁 部を特色
と し、 中期
の単把杯
と異
なる。底
部 ・口縁 部 と胴 部 の 形態
か らみれ ぽ 、 中期
の単把杯
が後期
に現 れ た注
口 をつ くる細 長
い杯
と系譜
的に 近い と考
え られ る。双
鼻杯
は 口縁部
に 二 つ の小 鼻
と低
い圏足
をつ ける点
で 、 双鼻
壺 と共通 して い る。 しか し、 双 鼻 壺の よ うな長い 頸部を持たず、 中期
の 出土例が龍潭港
の 墓 と廟 前 遺 跡だ けで み られた 。 (図 3 :29)最後
に大
口尊
で あ るが 、 それ は様 式
上 で大体前期
の もの を踏襲
し、分 布範
囲が余杭
地 域 と常
州 一常 熟
地域 まで に拡 大
した 。 ま た表
3
に よれ ぽ、 大口尊
の 副 葬は 副 葬 品 数上位 墓に片 寄る こ とが分か る。