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国際学研究第52号

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チェコ共和国における政党間競合構造の展開 ―浮

遊する「国民政党」チェコ社会民主党の変容と「安

定」を中心に―

著者

中田 瑞穂

雑誌名

明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review

International & regional studies

52

ページ

1-21

発行年

2018-03-31

その他のタイトル

Volkspartei without Anchor: The Czech Social

Democratic Party and the Evolution of Czech

Party Competition Structure

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【論 文】

チェコ共和国における政党間競合構造の展開

――浮遊する「国民政党」チェコ社会民主党の変容と「安定」を中心に――

中 田 瑞 穂

<要 旨> 固定化しているといわれていたチェコの政党システムが,近年新党の進出で大きな変化を被っている。 本稿は,政党システムを政党配列のみで捉えるのではなく,政党と有権者のリンケージ構造を考慮しつつ, 政党間競合構造を明らかにすることで,固定化したといわれていた時期からのチェコの政党システムの特 徴とその変化の動態の一端を明らかにするものである。具体的には,最も典型的な綱領政党にみえるチェ コ社会民主党を取り上げ,同党のリンケージ戦略を 1990 年代初頭から 2013 年の選挙まで辿り,それが短 期間の間に綱領リンケージを中心とし,労働者を対象としたものから,対象が国民全体へと拡大し,政策 リンケージも,綱領に基づくものから,様々な社会経済的立場にある個人に個別の政策を通じて利益を提 供するものへと比重を移していく変化を明らかにする。その変化は,政党間競合構造を,すみわけ的で安 定的なものから,二極競合的で対立的,硬直的なものへと変化させた。さらに二極競合の中で政権担当能 力をアピールするリンケージが強調され,そのリンケージを活用して新党が登場しているが,このリンケー ジは構造的な競合構造を構築しない。綱領的リンケージと集団的リンケージに支えられた部分を残しつつ, 政党システムの中核部分は構造を失っている。

はじめに

チェコの政党システムは,東中欧の新興民主主 義諸国の中でも最も「標準的」であり,北西欧の 政党システムに近いと考えられてきた(表 1)。実 際,チェコでは,2010 年代にはいっても社会民主 党や共産党,キリスト教民主主義連合=人民党(以 下人民党)といった「伝統的綱領政党」の名を冠 した政党が依然として多数の議席を占めており, 一時的に非政党の暫定政権はあるものの,中道左 派のチェコ社会民主党(以下社民党),中道右派の 市民民主党が政権の座を占めてきた。ヴィシェグ ラード諸国をみると,ハンガリーではキリスト教 民主人民党や共産党の後継政党の社会党が議席を もつものの,新しいタイプの政党であるフィデス に圧倒されている。ポーランドでは旧衛星政党で あったポーランド農業党が残っているだけであ り,スロヴァキアでは,前選挙で議会入りを逃し たキリスト教民主運動が議席をとれない状態が続 くと,党名から綱領的立場が推測できる政党は政 党システムからなくなってしまう。これらと比べ ると,チェコでは,東中欧諸国の中で最も西欧の 既存民主主義諸国に近い政党政治が行われている ように見える。 しかし,チェコでも,2010 年選挙以降,結成さ れたばかりの新党が多くの支持を集めて連合政権 の一翼を担ったり,新党の進出により,二大政党 の一つであった市民民主党が得票率 5%の議席獲 得ライン近くにまで支持を減らしたりと,従来型 の政党政治では想定できない状況も観察されるよ うになった。新党の進出や大政党の支持減退は既 存民主主義諸国でも見られる現象だが,チェコで は,その速度が急激で,規模も大きい。2010 年の

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選挙までは,顕在化していなかったものの,それ 以前からチェコの政党と有権者のリンケージや政 党間競合構造にも,既存民主主義諸国とは異なる 特徴が存在していたのではないだろうか。その土 壌の上に,近年劇的な変化が生じていると考える と現在の現象も理解しやすい。 これまでの研究では,チェコの政党システムの 特徴としては,「綱領政党」が多いことに加え,固 定化しつつある政党システムという評価が共有さ れてきた。社会階層と政党支持の関係(Smith and Matějů 2011),専門家調査による政党の政策位置 (Chytilek and Eibl 2011)などから,固定化傾向が 指摘されてきたのである。特に左派については, 共産党と社民党を比較しつつ,組織面についての 分析をした Tavits(2013)も,Mareš(2011)も, 左翼の固定化という結論を示している。中道右派 については,2010 年,2013 年の選挙での新党の進 出をうけて,固定化という評価の見直しも迫られ ているが,新党の登場を既存の中道右派小政党と の交代ととらえれば,政党システムは,部分的に 構成要素が入れ替わっただけであり,質的に変化 していないとも評価できる。 このように社会階層と政党支持の関係,支持者 の左右のイデオロギー傾向と政党支持の関係から みると,組織については弱体であるものの,政党 と支持者の関係の安定を示唆する要因が多く指摘 されている。 一方で,政党のリンケージ戦略については,個々 の選挙キャンペーンについての先行研究から,選 挙ごとに異なり流動的であることが示されてい る。2002 年の選挙戦略を特に扱った Pšeja(2003), 2006 年以降のネガティブ・キャンペーンや選挙戦 術の変化を扱った,2013 年の選挙マーケティング の分析(Šíma a Králiková 2014)などがその例であ 表 1 チェコ共和国下院議会選挙結果 1996 年 1998 年 2002 年 2006 年 2010 年 2013 年 2017 年 政党 議席 議席 議席 議席 議席 議席 議席 市民民主党(ODS) 68 63 58 81 51 16 25 自由連合-民主連合(US-DEU) 19 8 市民民主連合(ODA) 13 緑の党 6 0 キリスト教民主連合-人民党(KDU-ČSL) 18 20 21 13 0 14 10 TOP 09 41 26 7 ANO 2011 47 78 チェコ海賊党 22 市長と無所属 6 VV(公共) 25 社会民主党(ČSSD) 61 74 70 74 57 50 15 チェコ・モラヴィア共産党(KSČM) 22 24 41 26 26 33 15 共和国連盟(SPR-RSČ) 18 オカムラの直接民主主義の夜明け 14 自由と直接民主主義 トミオ・オカムラ 22 無所属 2 計 200 200 200 200 200 200 投票率 76.41% 74.03% 58.00% 64.47% 62.60% 59.48% 60.84% * チェコ統計局 http://www.volby.cz 及びスラブ・ユーラシア研究センター,中東欧・旧ソ連諸国の選挙データ (http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/election_europe/index.html)より筆者作成 ** 1998 年は US 単独の結果 *** 2017 年選挙は本稿脱稿後の 2017 年 10 月に実施されたため,本稿の直接分析対象とはなっていないが,本稿の 議論と密接に関連する結果となっているため,参考のため掲載した。詳しくは注 3 を参照されたい。

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る。 以上のように,先行研究では,チェコの諸政党 と有権者像の対応関係の安定化が指摘されている 一方で,政党が有権者の支持を得るために用いる リンケージ戦略は絶えず変化していることも示さ れている。両者は一見矛盾しているようだが,両 者を統合的にとらえることで,政党システムの全 体像がより明確にとらえられる。政党のリンケー ジ戦略を考慮し,政党と有権者の結びつきの強さ と,政党の競合の方向性と強さも含めた政党間競 合構造として政党システムをとらえることができ れば,政党システムの固定化や流動性についても より多面的に把握できるだろう。 そこで本稿では,社民党を取り上げ,同党のリ ンケージ戦略が,1989 年直後の民主化当初から, 1990 年代後半,2000 年代以降と,短期間に大きく 変化し,それに伴い,政党間競合構造も変容した 実態を明らかにする。社民党の変化は,チェコ全 体の政党間競合構造の変化への対応でもあり,変 化を推進する原因でもあった。社民党の動きを追 うことで,チェコの政党間競合構造が,民主化以 降,何らかの方向へ固定化するというより,固定 化の方向性を模索しつつ変化し続け,2010 年以降 の流動化,アドホック化に進んでいく過程を提示 する。同時に,一定の枠がはめられているがゆえ に,流動性には限界があることも示す。他のヴィ シェグラード諸国や既存民主主義諸国との相違点 にも留意することで,前者と比べての相対的安定 と,後者と比較した場合の不安定性の原因の一端 も明らかにしたい。 社民党を取り上げるのは,最も典型的な綱領政 党とみなされてきたからである。西欧の既存民主 諸国でも,社会民主主義政党は 19 世紀に遡る古い 起源をもつ伝統政党であり,綱領的イデオロギー, 政党システムにおける位置も明白である。政党シ ステムの中で最も安定的要素と考えられる社民党 の変化は,「決定的事例 least likely case」として, チェコや東中欧の新興民主諸国,また広く新興民 主諸国全般の政党,政党システムの特徴を探るう えで重要な意味を持つ。 具体的には,先行研究にも依拠しつつ,社民党 の 1992 年から 2013 年までの選挙綱領を直接比較 分析することで,社民党が民主化当初から有権者 に対してどのようなリンケージ戦略をとってきた のか,それがどのように変化したのかを明らかに する。第 1 節で出発期の社民党,第 2 節で 90 年代 の社民党のリンケージ戦略,第 3 節で 2000 年代, 第 4 節で 2010 年代と時期ごとに分析し,その変化 を追う。社民党のリンケージ戦略を軸に,他の主 要政党のリンケージ戦略を概観することによっ て,政党間競合構造を明らかにし,チェコ政党政 治のカギとなる変化を明らかにしていく。 具体的な分析に入る前に,分析枠組みとして, 政党のリンケージ戦略と政党間競合構造について 定義しておきたい(Kitschelt 2000, 中田 2005, 中 田 2012)。 政党が有権者に対して用いるリンケージ戦略と しては,次の 4 つを想定する。第一は政党が目標 とする世界観や社会像を提示することで政党と有 権者が結びつけられる綱領的リンケージ,第二に は,個別具体的な政策を提示することで,有権者 の支持を調達する政策リンケージがあげられる。 政策には,綱領から導き出され,綱領的リンケー ジと補完性の高いものと,ヴェイリエンス・イシュ ーに関するものがあり,両者の性格の違いも重要 である。第三は,政党が魅力的で有能な政治指導 者を示し,有権者の支持を調達するカリスマ的 リーダーシップのリンケージである。第四は,支 持と個別的利益を交換することで支持を獲得す る,クライエンテリズム・リンケージである。政 治的クライエンテリズムは,提供される便益が個 別的なものか,一般性の高いものかによって,性 質に差があり,後者ほど政策リンケージに接近す る。 綱領的リンケージは,有権者のもつ世界観,理 想とする社会像に働きかけるため,リンケージが 安定化しやすい。第二の政策リンケージや,第四 のクライエンテリズム・リンケージは,有権者が 利益を実際に実感できるかどうかによって,安定 性に差異が生じ,経済,財政状況に左右される要 素が大きい。第三のカリスマ的リーダーシップの

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リンケージは,財政支出を伴う政策アウトプット を必ずしも必要としない点で,政策リンケージや クライエンテリズム・リンケージに比べて政党側 にメリットがあるが,国内対立,対外的対立を強 調する政治姿勢が,ガバナンスの低下を招く可能 性がある。また,リーダーのカリスマ性が,有権 者の飽きやリーダー自身の物理的弱体化などに よって,減退するとともに,リンケージが急速に 弱まる危険性ももっている。 さらに,そのリンケージの対象が,組織された 社会集団か個人かも考慮する(リンケージの対象 と し て の 集 団 に 注 目 し て い る 論 文 と し て Thau 2017( 1))。集団の場合は①エスニック・マイノリ ティ,地縁や血縁といった第一次社会集団,②特 定の利害や目的のため,人為的・意図的に組織さ れた第二次集団のなかで,労働組合や業界団体, 様々な職業団体など,経済生活に密着していて離 脱が難しいもの,③第二次社会集団の中で,より 自発性が高く,参加離脱は自由だが,恒常的な組 織を持つ自発的結社の三通りが考えられる。これ らはいずれも,実質的な社会的組織実体に裏打ち されている集団である。同じ社会的属性をもつ 人々で,組織されていない単なるコホートをリン ケージ戦略の対象とする場合もあるが,これは, 組織された社会集団を対象とする場合とは安定性 が異なり,区別して考慮する。 リンケージの対象が集団であり,かつ①のよう に可変的でないものの場合,リンケージは安定す る。②や③の集団であっても,個人を対象とする ものよりもリンケージは安定的になる。前者が部 分利益組織政党に典型的なリンケージであり,後 者が一部の部分利益政党や,国民政党が用いるリ ンケージである。 政党間競合構造は,政党のリンケージ戦略の総 和として決まる。各党のリンケージ戦略の対象が 集団ごとに分かれていれば,政党間競合はすみわ け的となるのに対し,各党のリンケージ戦略が特 定集団を対象としない場合,競合的となる可能性 が高い。綱領的リンケージによる競合は,世界観, 理想とする社会像ごとのすみわけ的競合になるの に対し,政策,クライエンテリズム,カリスマ的 リーダーシップのリンケージは競合的となる。 以上の枠組みをもとに,順次考察を進めたい。

1. 大衆組織政党の伝統と政党システムの

出発

1-1.長期持続政党の存在と比例代表制の選択 1989 年の政治変動以降,複数政党間の競争に基 づく代議制民主主義への移行を進めた東中欧諸国 にとっては,競合の主体である複数の政党の形成 自体が課題であった。 ロッカンの凍結テーゼで指摘されているよう に,ヨーロッパ諸国では,第一次大戦期までに形 成された大衆組織政党の伝統が戦後も残り,既成 政党の核を形成してきた。ヴィシェグラード諸国 でも前述した伝統的綱領政党の多くは,第一次大 戦期までに端を発する。しかし,社会主義体制期 に途絶してしまった政党も多い。その中で,チェ コの場合,相対的に継続の要素を引き継いだ政党 が多いことが特徴である。断絶なしに継続してい る政党としては,人民党と共産党があげられる。 チェコでは 19 世紀から第二次大戦後にかけて, 複数の大衆組織政党が成長した。第二次大戦後, 1945 年から 1948 年にかけての時期には,戦前の 政党のうち農業党と国民民主党は対独協力から活 動を禁止されたが,カトリック系の人民党,国民 社会党,社民党,共産党は活発な活動を再開し, 禁止された政党の支持層を獲得しようと組織の拡 大を目指した。1948 年 2 月以降,共産党の一党支 配体制が強まる中,社民党は共産党と合併し,独 立政党としての地位を失ってしまう。指導者の一 部は国外に逃れ亡命社民党を維持したが,社民党 の組織は,「人民の家 lidový dům」というプラハ市 内の党本部や機関紙などの資産とともに,共産党 に吸収されてしまった。 一方,人民党,国民社会党は,社会主義期の共 産党の一党支配下においても,国民戦線に参加す る衛星政党として地位を保ち,議会にも議席を 持っていた。政治的決定権は持たず,党員らは昇 進その他の面で不利な扱いを受けることもあった が,組織やその資産や機関紙,出版社は維持され,

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活動をつづけていた。1989 年以降,両党は,国民 戦線から離れ,独立の政党として活動を再開する。 国民社会党は自立政党として成長することはでき なかったが,人民党は,新たに成立したキリスト 教民主同盟と合併し,キリスト教民主連合=チェ コスロヴァキア人民党(KDU-ČSL)の正式名称で 活動し,政党システムの中に定着した。 世俗的な色彩の濃いチェコ社会において,モラ ヴィア地方と南ボヘミアの一部はカトリック信仰 に篤いという特徴を持っている。これらの特定地 域に基盤を持ち,世俗―教権,中央―地方の二重 のクリーヴィッジに仕切られた有権者基盤を持つ 人民党は,19 世紀から続く大衆組織政党の伝統を 受け継いでいる。しかし,カトリック自体の基盤 が小さいため,全国では得票率 8%程度の小規模 政党にとどまらざるを得ない。 もう一つ,チェコの共産党は,他の東中欧諸国 の共産党と異なり,共産党を名乗り続け,党員, 党組織,党の資産を継承している。共産主義を支 持する有権者に支えられ,10%を超える得票を維 持している。共産党の支持者は,農村部,旧ドイ ツ人居住地域,保守的で文化的な基盤に乏しい地 域に多く,どちらかというと政治に関心が乏しく, 政治的な議論が低調な人々である(Bureš 2010:54)。 経済,社会層としては,高齢層,年金生活者が多 く,党支持者の 88%が「共産主義を支持」と表明 している。 両党のリンケージ戦略の特色は,政治家と支持 者の世界観,理想とする社会像の共有を基盤に, 固定的な支持社会層から着実に支持を獲得するこ とに焦点をおいていることである。綱領的リン ケージが,第一次集団,第二次集団を対象に目指 されているといえよう。基本的には,このリンケー ジ戦略は,90 年代初頭から現在まで一貫して変化 していない。人民党は地域的にも社会階層的にも 支持層が部分社会に限定されており,大衆組織政 党の中でも,部分社会統合政党といえる(中田 2015b)。共産党は,戦後は支持を拡大し国民政党 化したが,1989 年の体制変動以降,「民主化」の 中でも共産党を支持する特定の社会層に支持が限 定されるようになった。人民党とは成り立ちが異 なるが,これも部分社会統合政党に含めることが できる。 人民党と共産党という二つの大衆組織政党の継 続に加え,チェコの政党間競合構造に大きな影響 を与えたのは,選挙制度として比例代表制を選択 したことである。1990 年の最初の選挙における比 例代表制の選択は,第一共和国以来のチェコスロ ヴァキアの選挙制度の伝統として,大きな議論な しに行われた。その後,チェコスロヴァキアの分 裂後も,選挙制度は大枠として引き継がれた。但 し,5%の比較的高い敷居値が設けられ,小党の林 立は避けられている。並立制をとったハンガリー を例外として,東中欧諸国のほとんどがこのよう な阻止条項付きの比例代表制を選択している。 チェコ共和国では権限の弱い上院が置かれること になったが,こちらが小選挙区二回投票制で選出 されることになったのに対し,下院は比例代表制 と憲法にも規定された。2000 年代初頭に多数制に 近い選挙法への改革が提案されたとき,この憲法 規定がそれを阻むことになる。 比例代表制は,社会に存在するクリーヴィッジ を議会の構成に反映するのに適した制度であり, チェコ共和国では,人民党,共産党を含めた複数 の組織政党の並存による穏健多党制と連合政権が 想定されていたといえる。1990 年代初頭にはドイ ツ,オーストリア等西中欧諸国,北欧諸国等,近 隣諸国でも,戦後の大衆組織政党を基礎とする政 党間競合構造が,緑の党などの新党の台頭はあり つつも,基本的には継続しており,チェコ共和国 が目指すべき方向性としてこれを選んだのは自然 な流れであった。 1-2.社民党の「再建」 本稿の主要な検討対象である社民党も,19 世紀 に設立されたチェコスラブ社会民主党からの伝統 の継続を誇っている。戦間期のチェコスロヴァキ アにおいて,社民党は主要政党の一つであり,国 民社会党,共産党とともに労働者,社会主義支持 者の票を分け合っていた。しかし,1948 年に一度 共産党に合併されてしまった社民党が,1989 年以 降 , ス ム ー ズ に 復 活 し た わ け で は な い ( Novák

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2003:36)。 1948 年に合併に反対した社民党の一部の党員は 亡命し,国外で亡命社民党を維持していた。1989 年にチェコスロヴァキアで共産党の一党支配体制 が崩れると,亡命社民党のメンバーはすぐに帰国 し,社民党を再建した。1968 年のプラハの春の際 にも党の復活を試みており,当事者の間では継続 性は意識されていたが,亡命から 40 年という長い 時間がたっており,メンバーの多くも高齢化して いた。1990 年の最初の議会選挙では,連邦議会人 民院のチェコ選挙区では 27 万 8 千票,4%前後の 得票で 5%の敷居を越えられず,議席を獲得でき なかった。次の 1992 年 6 月の選挙では 50 万票, 7.6%を獲得し,10 議席を得たが,左派ブロック や自由社会連盟の諸党等,多くの左派小政党の中 の一つという位置づけであり,今後も恒常的に議 会政党として定着できるが予断を許さなかった。 社民党は伝統政党の「復活」を主張したが,人 民党,共産党と異なり,社会主義時代に社民党の 組織は共産党に吸収合併されてしまったため,伝 統的大衆組織政党としてのメリットである党組織 を引き継ぐことはできなかった。1992 年の選挙に むけて組織づくりを強化したが,1992 年時点では 党員数は 1 万 3500 人にすぎなかった(Pšeja 2003: 183; Kopeček and Pšeja 2004:1468)。しかも,1994 年には 1 万人にまで減少し,その後 1995 年 1 月に 1 万 1500 人,1996 年選挙前には 1992 年選挙時の レヴェルに,1998 年には 1 万 8800 人にまで達し たが,2000 年にはまた 1 万 6800 人にまで減少し てしまう。党員数の面では,社民党は大衆組織政 党というレヴェルに達することはできなかった。 但し,共産党と合併された時に同時に所有権も共 産党に移っていた党の不動産や新聞などの資産 は,紆余曲折を経たものもあるが,党本部「人民 の家」をはじめ,多くは再建された社民党の手に 戻り,貴重なアセットとなった。 組織面での連続性は乏しいものの,社民党は, 綱領面では社会民主主義政党としての伝統を引き 継ぐことを強く打ち出していた。同時にヨーロッ パ大の社会民主主義政党の国際的連帯の一翼を担 うことも強調されている。 1990 年 3 月 24 日から 25 日の党大会は,亡命中 の大会も通算して第 24 回党大会とされ,採択され た綱領では,「伝統的な労働者の政党」を名乗り, 「ヨーロッパの社会民主主義の経験,特に戦後の 成果」をよりどころとするとした(Program Česko slovenské sociální demokracie 1990:1)。労働組合に ついても,「わが党の伝統には,労働組合連合との 密接な協力も含まれている」とし,「労働組合がわ が党に伝統的なパートナーシップを見出すことを 期待する」と述べている。次の 1992 年選挙に向け た選挙綱領は,チェコとスロヴァキアの連邦維持 か,分離かをめぐる議論や経済改革の方向性につ いての具体的な議論が中心となり,社民党の綱領 的方向性を示すものにはなっていない。しかし, 指導部のメンバーからみても,1990 年から 1992 年の選挙にかけての社民党は,伝統的社会民主主 義政党の再建を目指していたといえよう。 以上のように,社民党は 1990 年代前半の時点で は,労働者の大衆組織政党である社民党の伝統を 引き継ぐ政党としての「再建」を目指していた。 リンケージ戦略としては,綱領リンケージ戦略を とり,対象としては,労働者という第二次社会集 団を対象としていた。しかし,右派の大政党とし て 1992 年選挙で形成された市民民主党に対し,左 派には多くの小党が存在し,政党競合構造は流動 的であり,社民党の立場も不安定なものであった。 その状況下で社民党が大政党として成長していく 過程で,リンケージ戦略も大きく変化することに なる。

2. 社民党の国民政党化と政党間競合構造の

「安定」

2-1.社民党の拡大 1990 年,1992 年の選挙に参加した多くの小政党 のなかから,社民党が議会政党としての立場を固 めていくには,旧市民フォーラムと共産党からの メンバーの参加が大きな役割を果たした。 まず旧市民フォーラムの側から見てみよう。反 共産党のアンブレラ組織として 1990 年の選挙に 臨んだ市民フォーラムは,連邦議会で過半数の議

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席を擁したが,この中の左派指向のメンバーは「オ ブロダ Obroda(再生)」というグループを形成し ていた。このオブロダから後に多くの社民党の指 導的政治家がでることになる。1991 年 2 月に市民 フォーラムが解体すると,右派メンバーは市民民 主党を,オブロダのメンバーは「市民運動 OH」 を形成した。「市民運動」は 1992 年の選挙で 28 万票,4.3%を獲得したものの,議席を得ることが できず,その結果を受けて多くの政治家が社民党 に合流した。副首相として改革直後の経済政策を 提示したヴァルター・コマーレク Valter Komárek, 社民党党首,1998 年から 2002 年の首相,現大統 領のミロシュ・ゼマン Miloš Zeman や,チェコス ロヴァキア連邦政府の副首相を務めた法律家で, 1996 年の選挙から社民党に加わり,1998 年の社民 党少数派政権の副首相,現憲法裁判所長官のパ ヴェル・リヘツキーPavel Rychetský もその中に含 まれている。 他方,共産党から社民党に移ったメンバーも現 れた。共産党の改革派は,ポーランドやハンガリー のように共産党の社民政党化を目指していたが, 党内で主導権を握ることができなかった。そのた め,最終的に党を離れて社民党に加わることに なった。 これらの新しいメンバーの中で,特に 1990 年代 後半以降活躍するのが,ゼマンである。1993 年 2 月のフラデツ・クラーロヴェーの党大会では社民 党内のいくつかの潮流が衝突したが,最終的にゼ マンが勝利し,党首となった(Kopeček a Pšeja 2004: 1470)。ゼマンの立場は,当時の中道右派政権に明 白に対立的な立場をとることだった。ゼマンは右 の国民政党としての地位を築いていた市民民主党 に対抗する中道左派政党として社民党を位置づけ る。このように,中道右派対中道左派の対抗とい う軸を設定し,その一方の代表として認知された ことによって,社民党は多くの左派系政党の中か ら,中核的な左派の国民政党として固定化した (Mareš 2011:143)。社民党の拡大には,党首ゼマ ンの庶民的で歯に衣着せぬ物言いなどからくる個 人的人気も一助となった。市民民主党と党首で首 相のヴァーツラフ・クラウスに対して,対決姿勢 を打ち出したことが,支持された。 同時にフラデツ・クラーロヴェーの党大会では, 共産党との協力も否定された。この方針は 2 年後 の 1995 年のボフミーン党大会で確認され,現在に 至 る ま で 社 民 党 は こ の 方 針 を 堅 持 し て い る (Kopeček a Pšeja 2004:1470-1971)。但し,旧共産 党員を社民党の党員として受け入れることは認め られた。 2-2.社民党の 1996 年選挙綱領 この時期の社民党選挙綱領から,社民党のリン ケージ戦略を考察してみたい。1996 年の下院議会 選挙に向けて作られた選挙綱領は,「自己中心主義 に対抗する人間性 Lidskost proti sobectví」と題し, 「第 1 章 われわれは誰か」「第 2 章 われわれは何 を望むか」「第 3 章 われわれの政策は何か」の 3 章から構成されている(Volební program ČSSD pro volby 1996)。 第 1 章では,1878 年の設立から現在までの社民 党の歴史を振り返り,1995 年にヨーロッパの社民 党の代表者 50 名の集会がプラハで行われたこと を紹介し,同党がヨーロッパ大に広がる社民党の ネットワークの一員であることを強調する。その うえで,社会的かつエコロジーに配慮した市場経 済,ヨーロッパ社会モデル,持続的可能な発展, 分権化,教育・医療・社会サービスへの国家の責 任等,党の基本姿勢を提示する。 第 2 章では,「どの政党も政治によって実現を目 指す長期短期の目標を市民に示さなくてはならな い。目標は選挙で勝つことではなく,選挙での勝 利は,目標を実現する手段である」とし,「現代的 でオープンな市民社会,教育,参加,連帯の社会」 を目標とする社会像として提示する。 そのうえで,第 3 章では,経済政策,社会政策, 文化,スポーツ,エコロジー,保健,教育,住宅, 外交政策について,理想とする社会像を引照しつ つ,詳細に政策を説明している。最後には,社民 党は勤勉な労働の価値を支持するとし,労働者, 技術者,農業者,サービス業従事者,医師,教師, 芸術家,研究者,経営者に向けてメッセージを発 したいと述べている。不正によって利益を上げて

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いる人々を断罪し,賃借人,若い家族,学生,病 人,年金生活者などの弱者を彼らから守ることを 目指すと述べ,連帯こそが社会の繁栄の基礎,自 己中心主義に対して人間性が勝利をするのだとま とめている。 このように,社民党の 1996 年の選挙綱領は, チェコとヨーロッパにおける社会民主主義の伝統 を強調したうえで,理想とする現代社会の像を提 示し,それに向かう政策を述べるという大衆組織 政党の古典的な選挙綱領のスタイルをとってい た。政治家個人の名前や顔は登場せず,党の世界 観,理想とする社会を提示する抽象的な綱領で有 権者に訴えかける綱領リンケージが中心の選挙綱 領である。具体的な数値目標や個別政策などは示 されていない。 その点では,1990 年の選挙綱領の連続線上にあ るが,1990 年とは異なり,「労働者の政党」とい う表現はみられず,すべての勤労者に呼びかける というスタイルをとっている。労働組合について の言及がないことも興味深い。社会層クラスター ごとに有利な政策を示す個別政策的なリンケージ の構築も目指されていない。社会的連帯を目指す 党の社会像に共感する市民を広くターゲットとし ている綱領である。 2-3.1996 年選挙 1996 年選挙はチェコ共和国が 1993 年に独立国 家となって初めて実施された下院選挙であった。 この選挙で社民党は初めて二大政党の一翼を担う 政党になった。市民民主党が 179 万票,30%の得 票で 200 議席中 68 議席を獲得したのに対し,社民 党は 160 万票,26.4%の得票で 61 議席を獲得し, 第二党となった(表 1)。政権は市民民主党と中道 二政党の連合が獲得したが,社民党の躍進は目覚 ましい。これまで社民党と並立していた左派小政 党がほとんど票を得られず,この選挙で社民党は 中道左派の国民政党としての位置を確立すること になる。 社民党の成功の背景には,上述のように市民 フォーラムや共産党から多くの政治家が合流した ことが大きい。そのことが,社民党のリンケージ 対象を市民全般に幅広く広げることにつながっ た。社民党は伝統的な社民党を受け継ぐ政党とし て自己規定しているが,前述のように主要な政治 家の多くが体制転換時に反体制運動から政治の世 界に入り,市民フォーラム経由で社民党に合流し ており,その意味では体制変革後に設立された新 政党としての性格も強い。そのような社民党の性 格を表しているのが選挙地理の研究成果である。 人民党が一貫して同じ地域で支持を集めているの に対し,社民党は伝統的に社民が強かった地域では なく,新しい領域で支持を集めている(Kostelecký, Tomáš a kol. 2014)。 しかし,社民党の伝統やヨーロッパの社会民主 主義政党との結びつきは,党の正統性を訴えるう えでも重視されている。また,選挙綱領の核となっ ているのも現代化された社会民主主義的社会像で ある。 党組織については前述のように大きな成長はみ られなかった。国政政党として安定したのちも, 地方組織は弱く,コミューンレヴェルでの政治も 弱い。ドイツの社民党系エーベルト財団はチェコ の社民党の組織作りのために支援を行い,例えば 「青年社会民主主義者 Mladí sociální demokraté」と いう青年組織の後援会,セミナーの開催などに資 金提供を実施している(Vyhnánek 2010:76)。しか しこれも党組織の拡大にはつながらなかった。労 働組合との関係を構築できなかった点も組織上の 弱さといえる。 そのような組織面の弱さを補うために,社民党 のゼマンは路線バスを選挙キャンペーン用に改造 したバス「ゼマーク」で国内の町や村をくまなく 巡り,市民と直接の接点をつくった。ゼマークと はゼマンのバスという意味で名づけられたが, チェコ語でジャガイモを意味する表現の一つであ り,庶民の党としての社民党を印象付ける役割を 果たした。 このように,1996 年選挙時の社民党のリンケー ジ戦略は,綱領的リンケージに基づきつつ,広く 市民をターゲットとする国民政党型であったとい えよう。

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2-4.1996 年選挙以降の各党のリンケージ戦略と 政党間競合構造 1996 年選挙で人民党は 8%,共産党は 10%の得 票を得た。両党はこの後もこの水準の得票を維持 し続ける。両党は部分利益統合政党的性格を持つ 伝統的組織政党として,一定の集団的支持層と綱 領的,組織的な安定的なリンケージを結んでいる。 両方とも大政党ではないが,政党システムの中で 安定的な位置を占める両党の存在は,チェコの政 党システム全体の形成にも大きな役割を果たし た。 それに対して,社民党は市民民主党とともに中 道左派,中道右派の大政党となった。両党は広範 な市民層に綱領的リンケージで働きかける国民政 党となった(図 1)。北西欧の国民政党と比べ,社 会組織との結びつきが弱く,綱領的リンケージに 主に基盤を置いているところに特徴がある。 左から共産党,社民党,人民党,市民民主党と 並んだこの 4 つの政党を基本とする政党システム は,北西欧の既存民主主義諸国の綱領政党を中心 とした政党システムと類似している。そのことか ら,チェコにおいて北西欧型の政党システムが成 立したようにも見える。但し,北西欧型の国民政 党が綱領に基づいて広い範囲の市民を対象にしつ つ,社会組織,党組織にも基盤を持っていたのに 対し,チェコの社民党,市民民主党は,組織的側 面を欠いていたことが重要である。 しかし,社民党と市民民主党の二つの国民政党 の競合と,二つの部分社会糾合政党のそれぞれの 支持者の囲い込みを軸とした政党間競合構造はか なりの安定を見せた。その背景には,両国民政党 の綱領的対立が明確で,それが 1990 年代以降の経 済,社会改革に対する有権者の左右の選好の構造 と重なっていたことがある(Nakada and Narihiro 2015a:19)。社会的公正と個人の自由のどちらに比 図 1 1996 年選挙から 2006 年選挙までの政党システム 中道右派 リベラル政党 社会民主党 市民民主党 国家介入 市場指向 市民 綱領的リンケージ 個別政策リンケージ 綱領的 リンケ ージ 固定的 支持社 会層 固定的 支持社 会層 共 産 党 人 民 党 綱領的 リンケ ージ 綱領的リンケージ 個別政策リンケージ

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重を置くかということで,左右に有権者が明確に 分かれている。これと一元的左右軸中心の一元的 な政党間競合が一致しているのである。エスニシ ティ,ナショナリズム,カトリックといった政治 争点が他の東中欧諸国にくらべて弱いこと,環境, ジェンダーなどリバタリアン争点も強固に主張す る勢力もない一方で,伝統を足場にした強い反対 もないことなど,縦軸の弱さも特徴的である。 ポーランドやハンガリーでは 1990 年代中頃に 旧共産党の流れをくむ「中道左派」政党が政権に つき,市場経済化政策,社会保障の改革を推進し た。1993 年からのポーランドの民主左翼連合の政 権は大規模な民営化を実施し,1994 年に成立した ハンガリーの社会党を中心とする連合は銀行,電 力,ガス等の民営化,社会保障関連の緊縮政策を 実施している。ポーランドの 1997 年選挙,ハンガ リーの 1998 年選挙では,これらの「中道左派」政 党の「市場経済化推進政策」に対し,「中道右派」 政党が社会的弱者保護を訴えて勝利するという構 図となった。そのため,両国では「中道左派」政 党が「右的」政策,「中道右派」政党が「左的」政 策を擁護するという「ねじれ」が生じた。このよ うな政党間競合が生じると有権者が明確な左右軸 認識を持つことは難しい。ポーランドでは,その 結果,政党競合構造がなかなか安定しなかった。 さらに,中道右派の側では,社会的弱者が本当に 守るべき国民であり,旧共産党の中道左派政党は エリートを擁護し,国民を裏切っているという対 立の構図を用いることから,ナショナリズムの軸 を主要な対立軸とした政党間競合構造へと発展し ていき,2000 年代の政党のポピュリズム化もこの 延長線上に生じた。 それに対し,チェコでは,1990 年代を通じて中 道右派の市民民主党が市場経済化政策を推進し, 中道左派の社民党はそれに対し社会的連帯を訴え るという構図を維持することができた。市民民主 党の市場経済化政策は,実際にはそれほど急進的 なものではなかったが,首相クラウスを中心に, 言説上強い新自由主義のイデオロギーを発信し, 綱領的一貫性を保持したことが,対立構造をわか りやすくしたといえるだろう。クラウスの好悪の 分かれるカリスマ的リーダーシップも一助となっ た。 以上のように,チェコでは,社民党の国民政党 化に伴って,政党間競合構造が安定し,2000 年代 を迎えることになる。

3.二極化期の社民党と政党間競合構造

3-1.政党間競合構造の欠陥と選挙制度改革の試み 1996 年選挙後の政党間競合構造は,構造的には 安定していたが,政権連合創出については大きな 欠陥を抱えていた。そのことが,政党指導者たち がこの政党間競合構造を変革しようと動く原動力 になる。その結果が二極競合化の過熱であった。 さらに,この時期はチェコの EU 加盟と重なり, EU 加盟によって実際に選択できる政策の幅は限 られるのにもかかわらず,ことさらに二極競合化 を進める二大政党の姿勢は,有権者の既存政党離 れを招くことになる。 政権連合創出についての欠陥とはどのようなも のであろうか。まず,安定して 10%以上の得票を 得ている共産党がどの政党にとっても連合パート ナーと認められなかったことである。社民党は共 産党と政策面では共通点を持ちつつ,前述のよう に共産党とは決して連合を組まないという方針を 定めていた。その方針は,その後も現在に至るま で維持されている。共産党の共産党一党支配時代 の過去や,現在も共産党という名前を維持してい るように,共産主義そのものを否定してはいない こと,欧州統合への参加や NATO 加盟に対して否 定的であることが理由である(Mareš 2011:149)。 そのため,政権連合は必然的に社民党か市民民 主党が中道の小政党と組むことになる。中道の小 政党が政権形成のキャスティングボートを担うこ とになることを左右の大政党が望ましく思わない ことも問題の一つであったが,他党の支持動向に よっては,そもそも多数派が形成できないことも 課題であった。 まず 1996 年の選挙では,極右の共和国連盟が議 席を得たが,この党も他党から共産党と同様連合 パートナーとみなされず,連合政権を形成できる

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幅が狭まった。成立した市民民主党と中道二党の 連合政権は 99 議席しか持たない少数派政権で あった。この政権は,1997 年に市民民主党のス キャンダルをきっかけに連合が崩れ,倒れてしま う。官僚内閣を挟んで 1998 年に実施された選挙で は,市民民主党を抑え,社民党は第一党になった。 社民党が政権をとるには,人民党と自由連合 Unie Svobody の二つの中道政党と連合を組む必要が あったが,政策距離の遠い自由連合が誘いを拒んだ ために,中道左派連合は成立しなかった(Koudelka 2013:87)。結局,社民党は「野党協定」と呼ばれ た市民民主党の閣外協力を得ての単独少数派政権 を組織した。 このような経験が続く中,社民党と市民民主党 は,選挙制度改革によって,政党間競合構造を変 えることを意図した。「野党協定」の中で,多数派 選挙制度への転換を約束したのである。前述のと おり,憲法で比例代表制が規定されていることか ら,形式上は比例代表制を維持するものの,選挙 区数を増やすことで,実質的に多数制に近づかせ, 大政党に有利,小党に不利な選挙制度が草案され た。両党の意図は,これによって,政党間競合構 造を二大政党の競合に収れんさせ,その他の小党 の登場機会を減らすこと,部分社会統合政党であ るがゆえに確固たる議席数を維持している共産党 と人民党の力をそぐことであった(Koudelka 2013: 85-86)。基本的な政治的要請は,大政党一つと小 政党一つで過半数の連合政権が作れることであっ た。 両党は選挙法改革のために政党間委員会を形成 した。社民党からは Zdeněk Koudelka(下院議員), Pavel Rychetský(上院議員,副首相),Zdeněk Škromach (下院議員,社民党副党首),Vladimír Špidla(下 院議員,第一副首相),市民民主党からは Miroslav Beneš( 下 院 議 員 , 市 民 民 主 党 副 党 首 ),Libuše Benešová(上院議員,市民民主党副党首),Martin Kocourek(下院議員),Milan Kondr(上院議員) ら有力議員が委員となり,最終的な交渉結果は, 2000 年 1 月 26 日の社民党と市民民主党の合意(い わゆる寛容協定 toleranční patent)に盛り込まれた (Koudelka 2013:86)。これを反映して,2000 年 7 月 15 日に新しい選挙法案を提出した。 1990 年のチェコスロヴァキアで作られた選挙 法はチェコ地域を 8 つの選挙区に分けており,1995 年に分裂後制定されなおした選挙法でも 8 選挙区 を踏襲していた。これは 1960 年代の州区分(いわ ゆる「古い州」)と一致していた(Kostelecký a kol. 2014:74)。その際,一選挙区の議席数は最小 14, 最大 41 議席で,平均 25 議席であった。それに対 し,法案では,選挙区を 8 から 35 に増やし,一選 挙区当たりの最小議席数を 4 とする提案であった (Balík a kol. 2013:94-97)。200 人の議会に対し, 35 の選挙区という改革案は,形式的に比例代表制 を守りつつ,大政党に多くの議席を与える多数制 の要素を盛り込んだ改革案であった(Charvát 2013: 137)。 この改革案に対し,当時の大統領ヴァーツラフ・ ハヴェルが拒否権を発動し,憲法裁判所に判断を 委ねた。2001 年,憲法裁判所は,改正案に盛り込 まれた多数制の諸要素は,結び合わさって機能す る結果として,憲法で規定された下院議会選挙に おける比例代表制の規定を侵すことになると判断 し,改革案は大幅な見直しを余儀なくされること となった。 2002 年に新たに改正された下院議会の選挙制度 (zákon č. 37/2002 Sb)では,2000 年から施行さ れた新たな州区分(いわゆる「新しい州」)に沿っ た 14 の選挙区が置かれ,定数の範囲は最小 5 最大 25 議席となった。また,阻止条項は政党の単独リ ストの場合は全国で 5%以上で,1995 年の選挙法 とかわらないが,政党連合については 2 党の場合 10%,3 党の場合 15%,それ以上の場合 20%と議 席獲得の条件が引き上げられた(1995 年選挙法で は,2 党の場合 7%,3 党の場合 9%,それ以上の 場合 11%)。 結果として,1995 年の選挙法と比べた場合,若 干大政党に有利になったが,2 大政党が意図したよ うな多数制に近い選挙制度への転換は実現しな かった。 3-2.社民党の 2002 年と 2006 年の選挙綱領 以上のように,選挙制度改革そのものは二大政

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党の希望した形では実現しなかったものの,二大 政党の競合が政党間競合構造の中心となる展開は 2000 年代を通じて続いた。 社民党の党首は 2001 年にゼマンからシュピド ラに代わり,シュピドラは 2002 年の選挙で勝利し て中道政党と連合を組んだ。シュピドラ首相は チェコの EU 加盟を実現し,首相を退任して EU 委員へと退き,社民党の若きエースであったグロ スが首相の座に就いた。しかし,グロスは自宅購 入の資金源を巡るスキャンダルで退き,社民党の プラハ地区で活躍していたパロウベクが首相と なった。パロウベクは 2006 年の選挙で勝利を狙 い,激しい選挙戦を展開したが,市民民主党と中 道二派が 100 議席,社民党と共産党が 100 議席と 行き詰った選挙結果となり,長期の連合交渉の末, トポラーネク率いる市民民主党が中道二党と政権 連合を組み,社民党は野に下ることとなった。社 民党は 2008 年の地方選挙では大勝,2009 年には トポラーネク政権を倒閣し,2010 年の選挙での政 権奪還を狙ったが,後述するように目覚ましい勝 利を挙げることができなかった。 このように,2000 年代の社民党は,市民民主党 との政権争いに終始した。その中で,社民党は 1990 年代後半の綱領的立場に重点を置く国民政 党から徐々に性格を変え,選挙での勝利,政権の 獲得に比重を移していくことになる。ここでは, この社民党の変化を 2002 年,2006 年の選挙綱領 から考察してみたい。 (1) 2002 年の選挙綱領 2002 年の選挙は,4 年間の政権政党としての成 果を問うものであり,社民党としては初めての与 党の立場での選挙であった。2002 年の選挙綱領 は,これまでの社民党の選挙綱領とは大きく異 なっている(Volební program ČSSD pro volby 2002)。 1990 年代の社民党の選挙綱領は,1996 年の選挙綱 領に典型的に見られたように,党の理想とする社 会像から抽象的な政策を提示し,幅広く勤労市民 に訴えかけるというものであった。 それに対し,2002 年の選挙綱領には,社民党の 理想とする社会像が掲げられていない。全体とし て約 4000 語と非常に短いことがまず目を引く。冒 頭の部分では,権利と公平,社会的市場原理とい う社民的価値が目標とされている。しかし,その 内容としては,生活水準と生活の質の向上を目指 す,教育,文化,芸術,その他の良き伝統的価値 の側に立ち,労働者,技術者,農民,サービス業, 医者,教員,芸術家,学者,公務員,経営者みな の価値ある労働に対する責任を果たし,真に豊か な社会を目指すというように,ヴェイレンス・イ シューが正面に打ち出されている。「人を第一に」 というスローガンもどのようなイデオロギー的立 場の政党のスローガンにもなりうるものである。 そのうえで有権者には箇条書きで具体的な政策 を約束する形がとられている。具体的には,12 人 の様々な世代,職業の人物が登場し,希望を述べ, それに社民党が答えるというスタイルがとられて いる。「いとこのトマーシュ,25 歳,経営者」に は,中小企業の保護,経済的に弱い地域の保護, 税制改革,脱税との対決を,「姪のヴェロニカ,17 歳,職業学校の生徒」には,技術学校の維持,中 等教育資格(マトリタ)後の教育,職業教育,留 学奨学金を,「叔父のカレル,52 歳,農業者」に は,健全な農作物にふさわしい価格を,「失業者」 には職を,「学生」には住居を,販売員にはインフ レ抑制を約束するという形である。他に挙げられ ている職業は,教員,農業者,建設業労働者,フ リーター,年金生活者 2 名,障害者年金受給者, 失業者,高校生であり,これらの選択に社民党が 対象とする社会層が表れている。基本的には手厚 い社会保障と経済成長のための企業への支援の両 方が具体的に政策として提示されている。 (2) 2006 年の選挙綱領 続く 2006 年の選挙に向けた社民党選挙綱領は 「安定と繁栄」と題され,約 2 万 6 千語とこれま での社民党の綱領の中では最も長い。2002 年の選 挙綱領が短く箇条書きで具体的な様々な属性の具 体的有権者に宛てて約束を行う形式で書かれてい たのに対し,6 倍以上の長さであり,箇条書きでは なく,挿絵もなく,全体が文章で書かれている。 一見したところ古典的な政党綱領の形式であった

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1996 年選挙綱領に類似しているように見える。 しかし,内容をみると 2002 年の選挙綱領の拡大 版であり,具体的数字を挙げての様々な政策の公 約が展開されている。全体の公約としては,毎年 GDP5%の経済成長,平均賃金を最低でも 2 万 6500 コルナに引き上げること,失業率を 6%まで引き 下げること等の具体的な公約が掲げられている。 個別政策分野においては,細かく詳細で具体的な 政策提案が書き込まれている。 例えば,「家族政策と国家による社会扶助」の項 では,家族と親であることの価値を再生し,親と しての役割と職業上の役割を両立できるように, 出産手当を引き上げ,第一子に 6 万コルナ,第二 子 9 万コルナ,第三子 12 万コルナにする,両親手 当を段階的に引き上げ 2010 年には 1 万コルナにす る,育児休暇を子どもが 8 歳になるまでとれるよ うにする,雇用者が託児施設を作るよう動機付け を与える,保育園,幼稚園など,働く親のためだ けでなく,職を探している親や病気の親のための 保育施設も作る,など具体的な政策提案が並べら れている。このような提案が年金,住居,医療, 経営支援,工業支援,交通,農村,教育,文化, スポーツと広範な分野に関して展開されている。 このように,まず目立つのは,有権者に具体的 利益を提供する社会保障関連の政策である。政権 を経験したことで,抽象的な理想とする社会像で はなく,具体的な政策が掲げられるようになった という指摘も可能であろう。しかし,これは様々 な社会,経済的な立場の人に対する総花的な提案 であり,財政的にも全部を実行に移すことはかな り難しく,その意味で現実的とはいいがたい側面 がある。第二の特徴は,有権者が共通の優先順位 と考える繁栄,安全,経済成長,教育などのヴェ イレンス・イシューに重点を置き,マイノリティ 政策,環境問題などのポジショナル・イシューに は踏み込んでいないことである。 (3) 長期綱領との比較 しかし,一方で,社民党は 2003 年の第 31 回党 大会で長期の基本綱領を採択している。「伝統に忠 実に,新しい要請に開かれて」と題したこの長期 綱領では,人権,平等,連帯,社会的公正,持続 可能な発展,社会的でエコロジーを志向する市場 経 済 を 目 標 に 掲 げ て い る ( Dlouhodobý program ČSSD 2003; 中田 2005:185)。2005 年にもこれを 発展させた長期綱領を採択している(Dlouhodobý program ČSSD 2005)。前者は 79 頁,後者は 99 頁 に及ぶ大部のものであり,基本的価値,目標から 始まり体系的に記述された典型的な政党綱領であ る。内容的にも,経済発展と社会的公正,環境の バランスを指向するヨーロッパの標準的な社会民 主主義の綱領路線をとっていることがわかる。 選挙綱領では具体的な政策を示し,長期綱領で 理想とする社会像を示すという綱領のレヴェル分 けは綱領政党の基本的な姿勢である。しかし,2003 年と 2005 年の長期綱領が目指している社会の理 想像と,広範な市民にメリットのある政策を並べ た 2002 年と 2006 年の選挙綱領との間には直接つ ながっている部分と,使い分けが見られる部分の 両面が見られる。 直接つながっているのは,社会的公正の綱領的 主張と手厚い社会保障政策である。また,長期綱 領でも,経済的発展を強く打ち出しており,その ための具体的政策は選挙綱領にも多数もりこまれ ている。一方,長期綱領では取り上げられている が,選挙綱領で政策提言化されていないのは,チェ コ国内のチェコ人以外のエスニシティに対する社 会的統合やジェンダー問題,環境問題,ヨーロッパ 統合へのコミットなどである(Dlouhodobý program ČSSD 2003:33-34; Dlouhodobý program ČSSD 2005: 16, 17, 24, 29-37)。党の綱領としては,ポジショ ナル・イシューについてもはっきりした立場を示 しながら,具体的な政策を有権者に示す際にはこ れらの問題は避けている点が興味深い。 これらの綱領から,この時期の社民党のリン ケージ戦略について,どのようなことが読み取れ るであろうか。選挙綱領では,個々の社会的,経 済的状況にある人々に,政策を通して利益を提供 する個別政策リンケージが目立つ。その政策の中 で,社会保障関連のものは社会民主主義の社会的 公正の観点と結びついている。つまり,社民党の ポジショナルな綱領的立場のうち,社会的公正の

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部分は市民の支持を得るための具体的な政策に転 換されている。しかし,マイノリティの社会的統 合や環境,ヨーロッパ統合などの綱領的立場は, 長期綱領のなかには盛り込まれているものの,有 権者への働きかけ,リンケージ構築には活用され ていない。また,教育や経済成長など,綱領的立 場とは直接関係のないヴェイレンスな争点に関わ る個別政策リンケージの試みも目立つ。 3-3.国民政党から新国民政党へ?―社民党の党 内対立と選挙戦略 このように,2000 年代に入ってからの社民党 は,選挙綱領においては,個別政策リンケージに 比重を置くようになった。その中には社会民主主 義のイデオロギー的立場から導かれたもの以外も 含まれ,社民党は選挙での支持獲得のために,様々 な市民に広く働きかけていった。 このような社民党の変化は,党の方向性をめぐ る党内対立や選挙戦略からも後づけることができ る。 まず,党の方向性を巡る党内対立のほうから見 ていきたい。まず 2002 年の選挙を率いたシュピド ラは,環境問題やマイノリティ,人権問題等に積 極的に関与する「緑の社会民主主義路線」を望ん でいたが(Pseja 2003:187),そのような綱領的な 進化を目指す動きは,社民党の中で主流にはなれ なかった( 2)。シュピドラはEU加盟を果たしたのち は党首,首相を退き,グロス,パロウベクの脱イ デオロギー的プラグマティズム路線が党内の主流 となっていった。シュピドラらの「緑の社会民主 主義路線」は,長期綱領には盛り込まれたものの, 選挙綱領で有権者に働きかける場面ではいかされ ることはなかった。 プラグマティズム路線は,2006 年の選挙から 2010 年の選挙にかけて前面に出され,次にみるよ うな,市民民主党との二極化した政党間競合をも たらした。但し,プラグマティズム路線が,綱領 的立場から離れることを意味したわけではない。 社民党の中心的な綱領的リンケージは,社会的公 正と経済自由主義を巡る左右軸にかかわるもので あり,市民民主党ともこの軸を中心に対立,競合 し続けた( 3) 選挙キャンペーンは,2006 年の選挙以降,大規 模なものとなり,市民民主党との対決姿勢を前面 に出すものとなった(中田 2011)。2006 年の選挙 では,社民党はマーケットリサーチ,政治的市場 調査,戦略コンサルティングを行うアメリカの広 告代理店 PSB(Penn Schoen Berland)社に委託し, ド イ ツ の 社 会 民 主 党 の 手 法 も 参 考 に し た プ ロ フェッショナルな選挙キャンペーンを実施した (Paroubek 2011:137)。同社は 2005 年にブレアの 労働党選挙キャンペーンにも参画している。党首 のパロウベクはメモワールの中でこの選挙を振り 返り,テレビでの党首討論や選挙区の党リーダー ごとのテレビ討論に力を入れたことや市民民主党 に対するネガティブ・キャンペーンを重要で効果 的であったと述べている(Paroubek 2011:138)。ネ ガティブ・キャンペーンとは,市民民主党の略称 に「マイナス」をつけた“ODS minus”と題する キャンペーンで,市民民主党が政権獲得した場合, 社会保障の切り詰めによって市民生活もたらされ るという様々な悪影響をポスターにまとめたもの である(Lebedová 2013:198)。市民民主党も同様 のネガティブ・キャンペーンを行い,選挙戦は両 者の対決色が濃いものとなった。メディアが社民 党のパロウベク党首と市民民主党のトポラーネク 党首の対立として選挙を演出した側面もある。社 民党はこのキャンペーンで 1950 億コルナ(約 1 兆 円)を使用した(Lebedová 2013:215)。 このように,選挙キャンペーンにみられるのは, 対象を特定社会集団に絞らず,マーケティング的 手法を用いて広く働きかけていることと,カリス マ的リーダーシップのリンケージの強化である。 綱領的リンケージにも沿った競合であるが,従来 から社会民主主義的イデオロギーに近い人々だけ ではなく,さらに広い層に訴えかけようとしてい る。国民政党ではあるが,固定支持基盤を意識す るだけではなく,様々なリンケージでより広く, より多く選挙で支持を集めることを目指す,選挙 政党,新国民政党の色彩も濃厚になってきている といえよう。 社民党と同様に新国民政党の要素を強めた市民

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民主党との間の二極競合がチェコの政党間競合の 基調を定めることになった。両党の合計得票率は, 1998 年 60.05%から 2002 年には 54.67%と一度下が ったが,2006 年には 67.7%にまで高まった(表 2)。

4.二極化の矛盾と政党システムの融解

4-1.二極化の矛盾 二大政党の二極競合には矛盾が存在した。選挙 制度改革が失敗したため,若干改革されたものの, 下院の選挙方法は比例代表制のままであった。得 票率と議席率の差は大きくない。たとえばイギリ スの小選挙区多数制のように,小さな得票率のス イングが大きな議席数の差につながるような選挙 制度ではない。二大政党の勢力は拮抗したままで あり,安定した政権を作り出すことはできなかっ た。2006 年の選挙は 100 議席対 100 議席となり, 政権連合の形成に時間がかかっただけでなく,よ うやく形成された中道右派政権も与党議員の造反 で,社民党に倒閣されてしまった。 このように比例代表制下の二極化は,二極化に 期待された安定政権創出の機能を果たすことがで きなかった。二大政党が交互に安定的なマンデイ トを得て責任をもって統治することはなく,僅少 差での政権運営は不安定であった。中道政党が キャスティングボートを持つ構造も変わらなかっ た。 その一方で,政権を目指した総花的な政策提案 や相手政党に対するネガティブ・キャンペーン, 政権掌握後の相次ぐ政治腐敗のスキャンダルは, 政党と市民を離反させることになった。総花的で 具体的な政策提案は,有権者を一時的には引き付 けるが,政策が実際に実現されなければ離反を招 いてしまう。ネガティブ・キャンペーンは既存政 党全体への信頼低下を招いた。対決の政治は,真 の対立にみえず,既成政党全般への批判が高まっ た。投票率も下がり,支持政党なしの有権者も特 に若者の間で増加した(Linek 2013)。2008 年の倒 閣後,政党から連合政権が形成できず,元統計局 長官という官僚出身の首相による専門家内閣が作 られ,国民の支持を集めたのも,政党の対立やス キャンダルへの疲れや飽きを示していた。 4-2.新党の登場と社民党のリンケージ戦略 (1) 新党の登場 その中で,2010 年の選挙以降,新党の登場によっ 表 2 二大政党の選挙結果と合計得票数 下院選挙 政党 得票数 得票率 議席数 議席率 二大政党の 合計得票数 投票率 1996 社民党 1,602,250 26.44% 61 30.50% 56.06% 76.41% 市民民主党 1,794,560 29.62% 68 34.00% 1998 社民党 1,928,660 32.31% 74 37.00% 60.05% 74.03% 市民民主党 1,656,011 27.74% 63 31.50% 2002 社民党 1,440,279 30.20% 70 35.00% 54.67% 58.00% 市民民主党 1,166,975 24.47% 58 29.00% 2006 社民党 1,728,827 32.32% 74 37.00% 67.70% 64.47% 市民民主党 1,892,475 35.38% 81 40.50% 2010 社民党 1,155,267 22.08% 56 28.00% 42.30% 62.60% 市民民主党 1,057,792 20.22% 53 26.50% 2013 社民党 1,016,829 20.45% 50 25 28.17% 59.48% 市民民主党 384,174 7.72% 16 8 ANO 2011 927,240 18.65% 47 23.5 共産党 741,044 14.91% 33 16.5 TOP 09 596,357 11.99% 26 13 スラブ・ユーラシア研究センター,中東欧・旧ソ連諸国の選挙データ (http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/election_europe/index.html)より筆者作成

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て,政党間競合構造に大きな変容がもたらされる ことになる(図 2)。2010 年の選挙ではいくつもの 新党が議席を獲得し,第一党となった社民党も, 第二党の市民民主党もともに得票を減らした。両 党の合計得票率は 2006 年の 67.7%から 42.3%と 激減し,二大政党の対抗を軸とした政党間競合構 造は終焉を迎えることとなる。TOP 09 と「公共」 の二新党は前者が右寄り,後者が左寄りの中道政 党であったが,二大政党の作った政党間競合の軸 とは異質の,既成政党批判,政治腐敗批判を政策 リンケージの軸に据えていた。カリスマ的リー ダーシップのリンケージの活用も新党の特徴で あった。両党とも綱領的基盤も党員組織も持たな い選挙政党であり,これまでの中道右派の小政党 とも,部分利益統合政党の人民党や共産党とも異 なる存在であった(この選挙については,中田 2012 参照)。 2010 年の選挙では,社民党は第一党になったに もかかわらず,政権連合を形成できず,野党となっ た。市民民主党と二つの新党によるネチャス連合 政権が成立したが,市民民主党と新党「公共」の 政治腐敗や内紛で有権者の政党離れがさらに進む 結果となった。 2013 年には,ネチャス首相が自身のスキャンダ ルで辞任後,大統領が指名した議会外内閣の首相 が議会で信任を得られず,急遽の下院選挙が実施 された。この選挙では,新党 ANO 2011(以下 ANO) が 18.65%の得票を得て,第二党となった。スキャ ンダルを繰り返した市民民主党は 7.72%の票しか 獲得できず 5 位に沈んだ(表 1, 2 参照)。社民党 と市民民主党の合計得票率は 28.17%となり,二 大政党の二極化からは大きく遠ざかる選挙結果と なった。ANO のほかにも,「トミオ・オカムラの 直接民主主義の夜明け(以下「夜明け」)」と名乗 図 2 2010 年選挙以降の政党システム よ 社 会 民 主 党 共 産 党 国家介入 市場指向 市民 綱 領 的 リ ン ケ ー ジ 公共/ANO 2011 ヴ ェ イ レ ン ス ・ イ シ ュ ー に 関 す る 個 別 政 策 リ ン ケ ー ジ 夜明け TOP 09 綱 領 的 リ ン ケ ー ジ , カ リ ス マ ・ リ ン ケ ー ジ カ リ ス マ ・ リ ン ケ ー ジ ポ ジ シ ョ ナ ル な 政 策 リ ン ケ ー ジ カ リ ス マ ・ リ ン ケ ー ジ 人 民 党 綱 領 的 リ ン ケ ー ジ 綱 領 的 リ ン ケ ー ジ , 個 別 政 策 リ ン ケ ー ジ 綱 領 的 リ ン ケ ー ジ , 個 別 政 策 リ ン ケ ー ジ 市 民 民 主 党

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