• 検索結果がありません。

古河善兵衛による康善寺「再興」について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "古河善兵衛による康善寺「再興」について"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

三 ) 年 、 現 在 地 に 再 移 転 し て 、 住 持 に 信 濃 国 更 級 郡 塩 崎 康 楽 寺 (現 長 野 県 長 野 市 篠 ノ 井 町 角 間 ) か ら 重 覚 を 招 き 、 康 善 寺 と 改 め 再 興 し た と い う (2 )O 再 興 か ら 間 も な い 一 六 七 二 (寛 文 一 二 ) 年 に 、 重 覚 の 息 一 通 が 著 し た ﹁康 善 寺 草 創 記 ﹂ も 、 移 転 年 時 や ﹁重 覚 ﹂ の 名 を 明 記 は し な い も の の 、 内 容 は 上 記 三 書 と 異 な ら な い 。 ﹁信 達 一 統 志 ﹂ な ど 、 江 戸 ・明 治 時 代 の 各 種 歴 史 書 か ら 、 現 代 の ﹁福 島 県 史 ﹂ ﹁福 島 市 史 ﹂ に い た る ま で 、 こ れ ら の 寺 蔵 文 書 を も と に 記 述 さ れ た ら し く 、 一 六 三 六 年 の 移 転 と 翌 年 の ﹁再 興 ﹂ に 疑 義 を 挟 む こ と は な か っ た 。 と こ ろ が 、 寺 蔵 の 法 物 の 裏 書 を 見 る と 、 そ れ よ り 一 七 年 も 早 く ﹁康 善 寺 ﹂ の 寺 号 が 西 本 願 寺 に 認 め ら れ て い た こ と が わ か る 。 一 六 〇 九 (慶 長 十 四 ) 年 六 月 十 二 日 に 本 願 寺 准 如 よ り 下 付 さ れ た 方 便 法 身 尊 像 の 裏 書 に は ﹁康 楽 寺 門 徒 奥 州 福 島 村 願 主 釈 明 玄 ﹂ と あ る ば か り だ が 、 一 六 二 〇 (元 和 六 ) 年 一 一 月 十 三 日 に 下 付 さ れ た 親 鸞 影 像 に は ﹁奥 州 信 夫 郡 福 島 村 康 五 九 江 戸 時 代 初 期 、 上 杉 景 勝 治 下 の 信 夫 ・ 伊 達 両 郡 の 代 官 を 勤 め た 古 河 善 兵 衛 は 、 幾 つ も の 堰 の 開 削 や 、 阿 武 隅 川 氾 濫 防 止 の た め の 堤 防 建 設 な ど 、 幾 多 の 大 規 模 な 治 水 ・ 開 拓 事 業 を 行 っ て 、 人 々 の 生 命 を 洪 水 か ら 救 い 、 広 大 な 農 地 を 提 供 し た 。 特 に 西 根 上 堰 の 開 削 は 、 数 代 の 郡 主 が 失 敗 を 繰 り 返 し た と し て 藩 に 認 め ら れ ず 、 自 財 を も っ て 行 う 条 件 で 許 可 を 得 た 難 工 事 で あ っ た 。 着 工 か ら 八 年 後 、 一 六 三 二 (寛 永 九 ) 年 に よ う や く 完 成 し た が 、 善 兵 衛 は 工 事 に 公 金 を 充 て た 責 を 問 わ れ 、 一 六 三 七 (寛 永 一 四 ) 年 に 切 腹 し た と 伝 え ら れ る (1 )O 善 兵 衛 は 浄 土 真 宗 を 信 仰 し 、 現 在 の 福 島 市 五 月 町 に 、 本 願 寺 派 無 為 山 泥 垣 院 康 善 寺 を 興 し た と い う 。 江 戸 時 代 末 期 に 書 か れ た ﹁古 河 善 長 縁 起 ﹂ ﹁古 河 善 長 居 士 略 縁 起 ﹂ や 、 ﹁明 治 十 一 年 寺 院 明 細 帳 ﹂ 所 収 の 書 上 に よ れ ば 、 福 島 郊 外 の 黒 岩 に あ っ た 秀 安 寺 が 衰 え て 無 住 に な っ て い た の を 、 一 六 二 〇 (元 和 六 ) 年 に 善 兵 衛 が 福 島 紙 蔵 の 地 に 移 し 、 一 六 三 六 (寛 永 一 古 河 善 兵 衛 に よ る 康 善 寺 ﹁再 興 ﹂ に つ い て

(2)

六 〇 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 善 寺 常 住 物 也 、 願 主 釈 宗 口 ﹂ 、 一 六 二 九 (寛 永 六 ) 年 一 二 月 二 十 一 日 に 下 付 さ れ た 三 朝 高 僧 像 と 聖 徳 太 子 像 の 裏 書 に は そ れ ぞ れ ﹁奥 州 信 夫 郡 福 島 村 康 善 寺 常 住 物 也 、 願 主 釈 宗 口 ﹂ ﹁奥 州 口 口 郡 福 島 村 康 善 寺 常 住 物 也 、 願 主 釈 宗 意 ﹂ と 寺 号 が 明 記 さ れ て い る (後 掲 資 料 C ) 。 西 本 願 寺 関 係 の 史 料 に も 、 一 六 三 七 年 以 前 に 康 善 寺 の 名 が 見 出 さ れ る 。 一 六 三 一   (寛 永 八 ) 年 に 本 願 寺 で 行 わ れ た 七 夕 の ﹁手 伝 ノ 衆 ﹂ の 中 に は ﹁ (奥 州 ) 康 善 寺 ﹂ の 名 が あ る 。 一 六 二 九 (寛 永 六 ) 年 の 七 夕 の 手 伝 衆 ﹁康 善 寺 ﹂ も 、 福 島 の 康 善 寺 を 指 す と 見 て よ い だ ろ う 。 ﹁再 興 ﹂ の 六 年 前 に 、 康 善 寺 は 、 相 当 な 金 銭 上 の 負 担 を 伴 う は ず の 本 山 の 大 行 事 へ の 出 仕 を 遂 げ て い た こ と に な る 。 次 い で ﹁再 興 ﹂ 前 年 に は 、 ﹁康 善 寺 重 覚 ﹂ が ﹁絹 袈 裟 ﹂ と い う 教 団 内 身 分 を 得 て い る 。 こ れ に も 莫 大 な ﹁御 礼 ﹂ が 必 要 だ っ た は ず で 、 藩 家 老 古 河 善 兵 衛 と い う 後 楯 が あ っ て の こ と と 考 え る べ き だ ろ う 互 。 寺 社 が 実 際 以 上 に 古 い 開 創 を 説 く 例 は 多 い が 、 実 際 よ り 新 し く 言 う の は 珍 し い 。 ま た 、 一 六 〇 九 年 の 明 玄 は ﹁康 楽 寺 門 徒 ﹂ だ が 、 一 六 二 〇 年 ・ 二 九 年 に は 康 楽 寺 と 康 善 寺 の 間 に 上 寺 下 寺 関 係 は な か っ た ら し く 、 法 物 の 願 主 は ﹁康 楽 寺 門 徒 康 善 寺 某 ﹂ の 形 に な っ て い な い 。 そ し て 、 一 六 三 七 年 を 過 ぎ て ﹁再 興 ﹂ 以 後 の 康 善 寺 は 、 再 び 康 楽 寺 と の 関 係 を 強 調 す る よ う に な る 。 実 は こ れ に は 、 大 開 拓 時 代 を 迎 え た 福 島 地 方 で 、 寺 社 の 興 隆 を 政 治 的 ・ 経 済 的 に 利 用 し よ う と し た 、 幕 藩 体 制 成 立 期 の 家 老 の 思 惑 が 絡 ん で い る の で あ る 。 善 兵 衛 は 一 六 三 四 (寛 永 一 二 年 に 、 福 島 郊 外 の 黒 岩 に あ る 黒 岩 山 満 願 寺 の 虚 空 蔵 尊 に 、 西 根 上 堰 竣 功 の 礼 と し て 堂 宇 を 寄 進 し た 。 満 願 寺 は 江 戸 時 代 中 期 に は 歴 代 藩 主 の 崇 敬 を 受 け て 広 大 な 寺 領 を 持 ち 、 多 数 の 庶 民 が ﹁十 三 参 り ﹂ に 訪 れ る よ う に な っ た が 、 善 兵 衛 の こ ろ は 微 々 た る 小 堂 だ っ た ら し い 。 現 在 に 至 る 繁 栄 の 足 が か り を 築 い た の が 善 兵 衛 で あ っ た 。 満 願 寺 は 一 六 一 八 (元 和 四 ) 年 に は 臨 済 宗 妙 心 寺 派 に 属 し て い た こ と が 判 明 し て い る が 、 も と は 天 台 宗 だ っ た と い い 、 虚 空 蔵 堂 の 別 当 寺 と し て 、 地 続 き の 春 日 神 社 と と も に 、 密 教 的 な 信 仰 を 担 っ て き た と 推 察 さ れ て い る (資 料 B )。 一 体 に 浄 土 真 宗 の 門 徒 は 、 阿 弥 陀 一 仏 へ の 帰 依 を 標 榜 し 、 他 の 諸 神 諸 仏 に 目 を 向 け な い 傾 向 が 強 い も の だ が 、 善 兵 衛 は 康 善 寺 ﹁再 興 ﹂ の 直 前 に 、 他 宗 寺 院 の 興 隆 に も 尽 力 し た こ と に な る 。 黒 岩 虚 空 蔵 尊 へ の 崇 敬 は 、 黒 岩 の 地 の 開 拓 と 表 裏 を 成 し て い る 。 虚 空 蔵 尊 所 属 地 一 体 の 山 林 原 野 を 切 り 開 い た 場 合 は 。 七 年 間 年 貢 免 除 の 特 典 を 受 け ら れ る よ う 、 善 兵 衛 は 藩 に 働 き か け た 。 堂 宇 造 営 と 同 じ こ ろ に 黒 岩 村 は 田 畑 一 五 石 を 満 願 寺 に 寄 進 し 、 米 沢 役 人 に 寄 進 の 許 可 を 願 い 出 た り 、 寺 に 報 告 し た り と い う 実 務 を 、 善 兵 衛 自 身 が 行 っ て い る 。 ま た 、 堂 宇 造 営 に か か る 費 用 は 、 実 際 に は 善 兵 衛 が 全 て 負 担 し た の だ ろ う が 、 今 も 残 る 当 時 の 棟 札 は 、 藩 主 上 杉 景 勝 と の 連 名 に な っ て い る (資 料 B ) 。 景 勝 は 一 五 九 八 (慶 長 三 ) 年 に 越 後 国 春 日 山 か ら 会 津 若 松 へ 、 さ ら に 一 六

(3)

真 言 宗 の 白 河 郡 関 山 満 願 寺 に 現 存 し て い る 、 と い う の で あ る (5 )O 関 山 満 願 寺 (正 式 名 称 は 成 就 山 光 明 院 満 願 寺 。 白 河 市 関 辺 に あ る ) は 、 七 三 〇 (天 平 二 ) 年 に 聖 武 天 皇 の 勅 願 所 と し て 行 基 が 開 創 し 、 良 弁 ・ 最 澄 ・空 海 が 留 錫 し た と い い 、 黒 岩 満 願 寺 や 秀 安 寺 の 寺 伝 と 共 通 点 は な い 。 一 九 四 五 年 に 火 災 で 寺 宝 を 焼 失 し た た め も あ っ て か 、 現 在 は ﹁ 二 字 半 ﹂ に つ い て の 伝 承 も 持 っ て い な い (6 )O 黒 岩 満 願 寺 に は 、 箱 書 に ﹁教 如 上 人 御 判 、 当 村 阿 弥 陀 瀬 よ り 上 ら せ 玉 ふ 、 十 八 幅 の 内 な り と 云 ﹂ と あ る 阿 弥 陀 如 来 画 像 が 伝 来 し て い る (資 料 B ) 。 ﹁阿 弥 陀 瀬 ﹂ の 名 か ら 、 阿 弥 陀 画 像 が 上 が っ た と 誤 解 し た 後 世 の 誰 か が 、 西 本 願 寺 派 の 康 善 寺 に 対 抗 し て 、 ﹁東 本 願 寺 教 如 が 判 を つ い た 宝 物 ﹂ を 作 り 上 げ 、 伝 承 の 地 に 納 め た の で も あ ろ う か 。 江 戸 時 代 も 早 い う ち に 、 秀 安 寺 は 福 島 に 移 っ て 康 善 寺 と な り 、 黒 岩 満 願 寺 は 臨 済 宗 妙 心 寺 派 、 関 山 満 願 寺 は 真 言 宗 智 山 派 に 属 し て 、 そ れ ぞ れ の 道 を 歩 み 始 め た 。 だ が 、 三 者 の 間 に は か つ て 何 ら か の 関 係 が あ り 、 そ れ が ﹁阿 弥 陀 瀬 ﹂ を め ぐ る 伝 承 に 影 を 落 し て い る と 考 え る こ と は 、 決 し て 無 理 で は な い だ ろ う 。 ○ 一 (同 六 ) 年 に は 出 羽 国 米 沢 へ と 移 封 さ れ 。 所 領 激 減 の 憂 き 日 に あ っ て い た 。 荒 撫 地 の 開 墾 を 強 く 欲 し た 景 勝 は 、 虚 空 蔵 堂 荘 厳 の た め と い う 名 目 を 戴 い て 、 黒 岩 村 開 拓 を 奨 励 し た も の に 相 違 な く 、 開 拓 の 成 果 の 一 部 は 確 か に 満 願 寺 に 寄 進 さ れ た の だ っ た 。 康 善 寺 の 前 身 と い う 秀 安 寺 は 、 満 願 寺 よ り や や 上 流 の 黒 岩 小 原 に あ っ た と い う 。 小 原 の ﹁阿 弥 陀 淵 ﹂ も し く は ﹁阿 弥 陀 瀬 ﹂ と い わ れ る 所 が 、 康 善 寺 に 伝 存 す る ﹁七 字 半 の 名 号 ﹂ (本 来 は ﹁帰 命 尽 十 方 無 碍 光 如 来 ﹂ の 十 字 名 号 だ っ た は ず だ が 、 ﹁帰 命 ﹂ の 二 字 と ﹁尽 ﹂ の 上 半 分 と を 欠 い て い る 。 資 料 C に 写 真 が 掲 載 さ れ て い る ) の 霊 験 譚 の 現 場 で あ る 。 一 七 三 一 (享 保 一 六 ) 年 に 住 持 正 教 が 記 し た ﹃十 字 名 号 八 字 名 号 縁 起 ﹄ で は 、 以 下 の よ う な 話 に な っ て い る 。 秀 安 寺 開 基 の 明 教 は 、 親 鸞 聖 人 に 帰 依 し て 十 字 名 号 を 賜 っ た 。 天 正 年 中 、 小 原 に あ っ た こ ろ に 、 賊 徒 が 戦 時 の 混 乱 に 乗 じ 、 こ の 名 号 を 切 り 裂 い て 奪 い 去 っ た 。 住 持 了 教 は 残 っ た 宝 物 を 箱 に 納 め 、 阿 武 隅 川 の 深 淵 に 沈 め て 、 故 郷 羽 州 に 乱 を 避 け た 。 六 年 後 、 戻 っ て 来 た 了 教 が 河 畔 で 祈 り を 捧 げ る と 、 淵 中 の 宝 物 が 自 ら 水 よ り 踊 り 出 た (4 )O 江 戸 時 代 末 期 の ﹁十 字 御 名 号 略 縁 起 ﹂ で は 、 こ の 宝 物 は ﹁七 字 半 の 名 号 ﹂ ﹁身 替 の 名 号 ﹂ ﹁水 中 出 現 の 尊 号 ﹂ の 三 つ の 名 で 呼 ば れ る 。 小 原 村 の 邪 険 な 武 士 石 田 源 五 郎 は 、 妻 の 熱 心 な 秀 安 寺 参 詣 に 怒 り 、 帰 途 を 狙 っ て 首 を 切 る が 、 妻 は 無 傷 で 戻 っ て 来 る 。 不 審 に 思 っ て 確 か め に 行 く と 、 名 号 が 二 つ に 切 り 裂 か れ て い た 。 後 に 盗 賊 が 奪 い 去 っ た 上 部 の 二 字 半 は 。 古 河 善 兵 衛 に よ る 康 善 寺 ﹁再 興 ﹂ に つ い て 善 兵 衛 は も と も と 奥 州 の 産 で は な く 、 上 杉 景 勝 の 移 封 に 従 っ て 、 信 濃 国 か ら 移 住 し て き た よ う で あ る 。 父 は 信 濃 国 更 級 郡 塩 崎 の 城 主 小 笠 原 九 郎 左 衛 門 重 成 と い い 、 甲 斐 の 武 田 氏 に 属 し て い た が 、 武 田 氏 滅 亡 の 後 、 上 杉 氏 に 仕 え 古 河 と 姓 を 改 め た と い う (7 )O 六 一

(4)

六 二 た め 、 再 度 私 財 を も っ て 現 在 地 に 堂 宇 を 建 立 し 、 康 善 寺 と 改 め た と 記 し 、 さ ら に ﹁土 人 ノ ロ 伝 ﹂ を 載 せ て い る 。 秀 安 寺 で は 一 二 世 性 教 ・ 一 三 世 知 覚 の 二 代 が 早 世 し 、 慶 長 元 和 期 に は 無 住 に な っ た の で 、 宝 物 を 黒 岩 の 赤 間 雅 楽 之 助 宅 に 移 し て い た が 、 古 河 善 兵 衛 が ﹁信 仰 ノ 余 り 法 宝 ヲ 請 求 ﹂ し 、 紙 蔵 の 仮 堂 に 安 置 し た 、 と い う の で あ る (10 )Q   黒 岩 村 の 中 世 以 来 の 土 豪 と 思 わ れ る 赤 間 氏 が 、 秀 安 寺 の 寺 宝 を 管 理 し て い た の な ら ば 、 秀 安 寺 は 元 来 、 赤 間 氏 の 念 仏 道 場 だ っ た の だ ろ う 。 善 兵 衛 は 、 黒 岩 の 土 着 勢 力 が 守 っ て き た 宝 物 を ﹁請 求 ﹂ し て 城 下 に 移 し 、 信 濃 か ら 招 き 寄 せ た 若 い 僧 侶 を 女 婿 と し て 住 ま わ せ て 、 康 善 寺 と 改 称 し た の で あ る (﹃ 西 光 寺 古 記 ﹄ に よ れ ば 、 重 覚 は 一 六 三 六 年 に 三 十 一 歳 だ っ た 。) 。 康 善 寺 の 過 去 帳 ﹃霊 簿 ﹄ の 冒 頭 に は 、 ﹁康 善 寺 略 系 ﹂ と し て 歴 代 住 持 の 法 名 ・ 没 年 月 日 な ど が 列 記 さ れ て い る 。 こ の 書 に よ れ ば 開 基 は ﹁高 祖 聖 人 直 弟 明 教 御 房 ﹂ だ が 、 二 世 か ら I 〇 世 ま で は 転 山 ・ 昇 道 ・ 樹 玄 な ど 、 お よ そ 真 宗 坊 主 ら し か ら ぬ 名 を 持 っ て い る 。 一 一 世 了 教 は 一 五 九 四 (文 禄 三 ) 年 に 没 し 、 一 二 世 は 一 六 一 四 (慶 長 一 九 ) 年 没 と い う 白 道 な の だ が 、 後 代 の 貼 紙 が あ っ て 、 ﹁白 道 ( 通 称 、 法 名 性 教 ナ ル ヘ シ 、 又 夕 慶 長 十 九 ( 同 九 ノ 誤 リ ) と ﹁訂 正 ﹂ さ れ て い る 。 コ ニ 世 は 一 六 五 六 (明 暦 二 ) 年 没 の 知 覚 だ が 、 こ れ に も 貼 紙 が な さ れ ﹁知 覚 ( 宗 覚 ノ 誤 り 、 明 暦 ﹁ 元 和 ノ 誤 り ﹂ と さ れ る 。 次 が ﹁中 興 十 四 代 、 等 量 院 重 覚 ﹂ で 、 信 州 塩 崎 康 楽 寺 十 二 世 浄 祐 の 子 で 古 河 重 吉 に 招 か れ て 中 興 に 携 り 、 善 兵 衛 の 娘 で あ る 妙 寅 と の 間 に 、 一 五 世 一 通 と 、 娘 妙 教 と を も う け て い る 。 重 覚 以 降 に 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 善 兵 衛 に よ る 開 拓 事 業 の 前 に も 、佐 藤 新 右 衛 門 が 西 根 下 堰 を 開 く な ど 、 福 島 地 方 で 様 々 な 努 力 が 重 ね ら れ て い た こ と は 確 か で あ る 。 し か し 、 西 根 上 堰 は 、 そ の 規 模 も 効 果 も 、 従 来 の も の と は 比 較 に な ら ぬ ほ ど 大 き か っ た 。 二 二 ヶ 村 を 通 過 し 、 全 長 三 〇 ㎞ 余 、 潅 漑 面 積 九 〇 〇 h 余 に の ぼ る 、 こ の 大 工 事 を 支 え た の は 、 信 濃 か ら 導 入 さ れ た 新 技 術 で あ っ た 。 藩 は 財 政 窮 乏 の 折 か ら 財 政 負 担 は 拒 否 し た が 、 善 兵 衛 を 普 請 奉 行 に 任 じ 、 工 事 役 人 と し て 武 士 た ち を 差 し 向 け て 、 事 業 を 後 押 し し た 。 工 事 役 人 筆 頭 の 清 水 喜 兵 衛 も 信 濃 国 塩 崎 出 身 で 。 そ の 父 清 水 戸 右 衛 門 は 、 慶 長 ご ろ に 信 濃 国 水 内 郡 三 水 村 芋 川 堰 を 開 削 し て い る 。 西 根 上 堰 は こ の 芋 川 堰 と 構 造 ・ 技 術 面 で 酷 似 し て い る と い う 。 そ の 他 に も ﹁信 州 普 請 奉 行 ﹂ と し て 森 次 右 衛 門 ・ 内 村 甚 右 衛 門 の 名 が 挙 が っ て い る (資 料 A )。 善 兵 衛 は 故 国 の 技 術 だ け で な く 、 故 国 に お け る 寺 院 の 力 に も 期 す る と こ ろ が あ っ た ら し い 。 康 善 寺 の 住 持 と し て 、 わ ざ わ ざ 塩 崎 か ら 康 楽 寺 一 二 世 浄 祐 の 息 重 覚 を 招 き 、 自 分 の 娘 と 結 婚 さ せ た 。 康 楽 寺 は 信 濃 三 ヶ 寺 の 一 と さ れ る 大 寺 院 で あ る (8 )O ﹃古 河 善 長 縁 起 ﹄ に よ れ ば 、 黒 岩 村 秀 安 寺 は 了 教 の 代 に ﹁無 住 ノ 空 坊 ﹂ と な り 、 ﹁法 物 ( 他 人 ノ 手 二 渡 り 、 既 二 廃 寺 ト ナ ) つ て し ま っ た 。 再 興 を 志 し た 善 兵 衛 は 、 一 六 二 〇 (元 和 六 ) 年 に 、 私 財 を 投 じ て 福 島 城 下 紙 蔵 の 地 に 殿 堂 を 造 り 、 散 逸 し て い た 霊 宝 を 集 め て 宝 庫 に 納 め た と い う (9 )O ﹃ 明 治 十 一 年 寺 院 明 細 帳 ﹄ 所 収 の 書 上 は 、 以 上 と 同 内 容 の 記 事 の 後 に 、 一 六 三 六 (寛 永 コ ニ ) 年 、 紙 蔵 に 武 家 屋 敷 が 建 設 さ れ る こ と が 決 ま っ た

(5)

つ い て は 、 坊 守 の 出 自 や 名 前 も 詳 記 さ れ 、 逆 に 分 か ら な い こ と は は っ き り と ﹁本 姓 未 詳 ﹂ な ど と 書 か れ て い て 、 信 憑 性 が 急 に 高 ま る (11 )o 秀 安 寺 は 、 親 鸞 直 弟 明 教 開 基 の 伝 承 や 親 鸞 筆 十 字 名 号 と い う 宝 物 を 持 つ 真 宗 寺 院 だ が 、 同 時 に 密 教 系 の 満 願 寺 と も 関 わ り が あ っ た 。 開 基 明 教 ・ 一 一 世 了 教 ・ 二 一世 性 教 の ﹁教 ﹂ を 通 字 と す る 歴 代 名 と 、 二 世 か ら 一 〇 世 ま で の 非 真 宗 的 な 歴 代 名 (性 教 の 通 称 と い う ﹁白 道 ﹂ も こ れ に 加 え ら れ る だ ろ う ) と は 、 秀 安 寺 で 伝 え ら れ て き た も の で あ ろ う 。 明 教 が 本 当 に 親 鸞 直 弟 で あ っ た か ど う か は わ か ら な い 。 康 善 寺 の 法 宝 物 か ら は 、 明 教 が 初 期 真 宗 の 法 系 の い ず れ か に 位 置 し た ら し い こ と が 窺 え る だ け で あ る (12 )。 一 六 二 〇 年 、 善 兵 衛 は 紙 蔵 に 秀 安 寺 を ﹁移 し ﹂ て 宝 物 と 由 緒 を 引 き 継 ぎ 、 親 鸞 影 像 と 康 善 寺 号 を 入 手 し て 、 真 宗 寺 院 と し て の 体 裁 を 整 え た 。 い わ ば 秀 安 寺 を 乗 っ 取 る 形 で 、 城 下 に 康 善 寺 が 誕 生 し た の で あ る 。 寛 永 期 は 全 国 的 に 、 空 前 絶 後 の 寺 院 ﹁再 興 ﹂ 時 代 で あ っ た 。 こ れ に は 、 中 世 以 来 の 在 地 土 豪 の 没 落 で そ の 氏 寺 的 な 寺 院 が 退 転 し 、 庶 民 が 支 え る 村 の 寺 院 へ と 転 生 し た こ と が 、 大 き く 作 用 し て い る 。 だ が 、 幕 藩 制 国 家 が 、 国 家 権 限 を 代 行 す る 国 家 機 関 と し て 寺 院 を 位 置 付 け た こ と も 無 視 で き な い 。 一 六 一 五 (元 和 一 ) 年 の 寺 院 法 度 以 来 、 一 六 二 二 (元 和 八 ) 年 ・ 一 六 三 一 (寛 永 八 ) 年 と 、 幕 府 は 繰 り 返 し 新 寺 建 立 禁 止 令 を 出 し 、 一 六 三 二 (寛 永 九 ) 年 に は 各 宗 本 寺 に 末 寺 の 書 上 を 命 じ て 、 末 寺 の 完 全 な 掌 握 を 図 っ た 。 宗 旨 人 別 帳 を 持 っ て 、 国 家 の 戸 籍 係 と し て 人 民 を 確 定 す る 古 河 善 兵 衛 に よ る 康 善 寺 ﹁再 興 ﹂ に つ い て 役 割 を 担 う 寺 院 自 体 が 、 簡 単 に で き た り 消 え た り し た の で は 話 に な ら な い 。 国 家 の 認 め た 教 団 の う ち の い ず れ か に 属 し 、 新 寺 で な く 古 跡 寺 院 と し て 承 認 さ れ て こ そ 、 近 世 的 国 法 寺 院 と し て 存 在 し 続 け る こ と が で き た (13 )o 藩 の 家 老 古 河 善 兵 衛 は 、 こ う し た 流 れ を 察 知 し た は ず で あ る 。 逆 に い え ば 、 ﹁寺 院 ﹂ を 押 さ え る こ と の 重 要 性 を 、 支 配 者 と し て の 善 兵 衛 は 、 よ く 認 識 し て い た に 相 違 な い 。 真 宗 を 奉 ず る が 密 教 系 と も つ な が り が あ る と い う 秀 安 寺 の よ う な 形 態 は 、 も は や 時 代 遅 れ だ っ た 。 江 戸 時 代 の 寺 院 は 、 教 団 の 中 で し か 生 き ら れ な い 。 康 善 寺 は 一 六 九 〇 (元 禄 三 ) 年 に 、 明 教 の 遺 跡 寺 院 と し て ﹁親 鸞 直 弟 二 十 四 輩 地 ﹂ の 教 団 内 身 分 を 認 め ら れ た と い い (14 )i 一 通 以 後 の 歴 代 住 持 は 、 一 六 世 致 教 ・ 一 七 世 正 教 ・ 一 八 世 景 教 の よ う に ﹁教 ﹂ を 含 む 法 名 を 名 乗 っ て 、 暗 に 開 基 明 教 以 来 の 伝 統 を 主 張 し て い る 。 一 六 〇 〇 年 代 半 ば ご ろ か ら 、 本 願 寺 教 団 は 身 分 制 を 確 立 し て い く 。 ﹁親 鸞 直 弟 ﹂ の 由 緒 を 主 張 で き る こ と は 、 康 善 寺 の 強 み と な っ た に 違 い な い 。 江 戸 時 代 中 期 に は 、 親 鸞 や 蓮 如 の 旧 跡 寺 院 や そ の 宝 物 を 紹 介 す る 書 物 が 、 続 々 と 出 版 さ れ た 。 文 字 を 読 む 力 と 、 旅 を 楽 し む 余 裕 と を 得 た 庶 民 が 、 祖 師 旧 跡 を 巡 拝 し 始 め る と 、 親 鸞 直 弟 の 遺 跡 で あ る こ と が 、 寺 院 経 済 の 上 で も 重 要 な 役 割 を 果 す よ う に な っ た 。 一 七 七 一 (明 和 八 ) 年 刊 行 の ﹁大 谷 遺 跡 録 ﹂ を は じ め 、 江 戸 末 期 の ベ ス ト セ ラ ー ﹁ 二 十 四 輩 順 拝 図 会 ﹂ な ど が ﹁高 祖 直 弟 富 田 明 教 房 遺 跡 ﹂ 康 善 寺 を 採 り 上 げ 、 全 国 か ら 巡 拝 者 が 訪 れ た の で あ る 。 本 稿 で と り あ げ て き た ﹁古 河 善 長 縁 起 ﹂ ﹁古 河 善 六 三

(6)

六 四 宗 意 を 引 退 さ せ て 、 故 国 か ら 康 楽 寺 息 重 覚 を 迎 え た 。 こ こ に 康 善 寺 の ﹁再 興 ﹂ は 成 就 し た の で あ る 。 法 物 裏 書 の 願 主 名 か ら 宗 意 の ﹁意 ﹂ の 字 を 消 し 去 り 、 宗 意 と い う 住 持 の 存 在 自 体 を 否 定 し た の が 、 善 兵 衛 や 重 覚 な の か 、 後 世 の 誰 か な の か は わ か ら な い が 、 た と え 後 者 で あ っ て も 、 善 兵 衛 の 意 を 充 分 に 汲 ん だ 行 為 で あ る と は 言 え る 。 一 三 世 知 覚 の 没 年 を 一 六 五 六 (明 暦 二 ) 年 と し た ﹃霊 簿 ﹄ の 記 載 に 、 知 覚 を 宗 覚 、 明 暦 を 元 和 と す る 貼 紙 を し た の は 、 紙 蔵 移 転 前 に 住 持 が 早 世 し て 無 住 に な っ て い た と い う 記 事 に 対 応 さ せ た の だ ろ う が 、 も し か す る と 宗 意 に は 、 宗 覚 (も し く は 知 覚 ) と い う 子 息 が い た の か も し れ な い し 、 宗 意 が 宗 覚 と 改 名 し た 可 能 性 も 無 い で は な い 。 秀 安 寺 の 歴 代 名 の う え に 、 宗 意 に 代 え て 宗 ﹁覚 ﹂ の 名 を 置 き 、 再 興 僧 重 ﹁覚 ﹂ へ と つ な げ ば 、 断 絶 を 感 じ さ せ な い 康 善 寺 史 が 完 成 す る 。 最 後 に 、 一 六 〇 九 年 に 方 便 法 身 尊 像 を 本 願 寺 か ら 下 付 さ れ た ﹁康 楽 寺 門 徒 福 島 村 明 玄 ﹂ に つ い て 見 る と 、 ﹁春 日 野 作 阿 弥 陀 如 来 木 像 縁 起 ﹂ に 、 ﹁古 川 家 で 敬 礼 さ れ て き た 、 霊 験 あ ら た か な 生 身 の 阿 弥 陀 如 来 で 、 一 六 〇 九 (慶 長 一 四 ) 年 に 本 願 寺 准 如 か ら 古 川 の 先 祖 明 玄 が 裏 書 を 受 け た ﹂ 旨 が 記 さ れ て い る (15 )O 善 兵 衛 の 父 と 同 世 代 ら し い 明 玄 を 先 祖 と い う の は 無 理 に し て も 、 同 族 か 、 信 濃 か ら 移 住 し た 仲 間 で あ ろ う 。 明 玄 は 、 方 便 法 身 尊 像 、 い わ ゆ る ﹁開 基 仏 ﹂ を 下 付 さ れ な が ら 、 寺 号 持 ち の 寺 院 を 開 く に は 至 ら な か っ た が 、 遠 く 奥 州 に あ っ て も 康 楽 寺 と の つ な が り を 断 っ て い な い 、 篤 信 の 真 宗 門 徒 で あ っ た 。 康 楽 寺 か ら 住 持 を 招 く に 際 し て は 、 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 長 居 士 略 縁 起 ﹄ ﹃十 字 御 名 号 略 縁 起 ﹄ な ど 、 康 善 寺 の 宝 庫 に 遺 る 大 量 の 読 み 縁 起 は 、 門 徒 衆 に 開 創 の 事 情 や 法 宝 物 の 由 来 を 読 み 聞 か せ た 名 残 で あ る 。 江 戸 時 代 初 期 に 生 き た 善 兵 衛 の 預 り 知 ら ぬ こ と で は あ る が 、 秀 安 寺 か ら も た ら さ れ た 由 緒 と 宝 物 は 、康 善 寺 を は る か 後 代 ま で 潤 す こ と と な っ た 。 一 六 二 九 年 時 点 の 康 善 寺 住 持 名 は 、 聖 徳 太 子 画 像 裏 書 に あ る ﹁宗 意 ﹂ で あ る こ と は 確 か で あ る 。 一 六 二 〇 年 に 親 鸞 影 像 を 、 一 六 二 九 年 に 三 朝 高 僧 像 を 受 け た ﹁宗 口 ﹂ も 、 宗 意 を 指 す に 違 い な い 。 一 六 〇 九 年 に 方 便 法 身 尊 像 を 受 け た ﹁康 楽 寺 門 徒 福 島 村 明 玄 ﹂ と 違 っ て 、 宗 意 の 得 た 法 物 に ﹁康 楽 寺 門 徒 ﹂ の 文 字 は な く 、 康 楽 寺 と は 無 関 係 な 人 物 だ っ た と 考 え ら れ る 。 ﹃大 日 本 地 名 辞 書 ﹄ に は 、 ﹁康 善 寺 、 初 め 秀 安 寺 と 云 ひ 、 相 州 国 府 津 に あ り 、 善 兵 衛 、 寺 僧 宗 覚 と 謀 り 之 を 福 島 に 移 し た り ﹂ と の 説 が 載 っ て い る 。 秀 安 寺 が 黒 岩 に あ っ た と す れ ば 、 宗 覚 が 住 持 を し て い た 相 模 国 の 寺 院 が ﹁康 善 寺 ﹂ と い う こ と に な る 。 そ う す る と 、 退 転 し た 秀 安 寺 を 康 善 寺 と し て ﹁再 興 ﹂ し た い き さ つ は 、 次 の よ う に 推 察 さ れ る 。 一 六 二 〇 年 以 前 、 善 兵 衛 の 援 助 の も と に 、 宗 意 を 住 持 と し 、 正 規 の 寺 号 と 法 物 を 得 た 、 西 本 願 寺 直 参 寺 院 の 福 島 康 善 寺 が 発 足 し て い た 。 黒 岩 で の 活 動 を 活 発 化 し た 善 兵 衛 は 、 秀 安 寺 の 寺 宝 を 紙 蔵 に 移 し て い た が 、 藩 の 事 情 に よ る 紙 蔵 か ら の 移 転 を 機 に 、 秀 安 寺 の 発 展 的 解 消 を 企 て 、 一 六 三 六 年 に 福 島 に 秀 安 寺 の 宝 物 を ﹁移 し ﹂ 、 康 善 寺

(7)

こ う い う 人 物 が さ ぞ か し 活 躍 し た こ と で あ ろ う 。 う と し た 理 由 を 勘 案 し な が ら 、 別 種 の 史 料 や 他 寺 の 由 緒 書 等 と 突 き 合 わ 善 兵 衛 自 身 は 、 康 楽 寺 と の 間 に も 一 線 を 引 い て い た よ う で あ る 。 康 楽 せ て ゆ け ば 、 あ る 歴 史 的 な 状 況 の 中 で の 、 そ の 寺 院 の 有 り よ う や 願 望 を 寺 が ヱ ( 世 紀 に 子 息 や 弟 子 に 与 え た 法 名 は 、 ﹁浄 ﹂ の 字 を 含 む こ と が 多 い (16 )O 明 ら か に す る こ と が で き る 。 従 来 の 由 緒 書 論 か ら 、 地 域 に 根 ざ し た 宗 教 武 家 が 養 子 や 家 臣 に 主 の 名 の 一 字 を 与 え た よ う に 、 康 楽 寺 も 、 康 楽 寺 住 社 会 史 論 へ の 転 進 が 、 こ こ に 可 能 に な る の で あ る 。 持 の 通 字 ﹁浄 ﹂ を 与 え た の だ が 、 康 善 寺 の 新 住 持 は 浄 某 で な く 、 古 河 善 兵 衛 重 吉 と の 関 連 を 思 わ せ る 重 覚 を 名 乗 っ た 。 康 善 寺 の 由 緒 書 や 読 み 縁 康 善 寺 現 住 職 海 野 卓 哉 様 に は 、 法 宝 物 の 調 査 ・ 撮 影 を 御 快 諾 戴 い た 。 末 起 類 は 、 ﹁七 字 半 の 名 号 ﹂ の 由 来 を 説 く も の と 、 義 民 古 河 善 兵 衛 を 称 揚 す 筆 な が ら 、 厚 く 御 礼 申 し 上 げ る 次 第 で あ る 。 る も の ば か り で 、康 楽 寺 や 重 覚 に は 全 く 関 心 を 示 さ な い 。 康 楽 寺 か ら 入 っ た 新 住 持 を 戴 い て の ﹁再 興 ﹂ を 強 調 し な が ら 、 現 実 に は 康 楽 寺 の 下 寺 と 古 河 善 兵 衛 ・ 康 善 寺 ・ 黒 岩 満 願 寺 の 資 料 は 、 以 下 の 書 物 に よ っ た 。 な ら ず 、 親 鸞 直 弟 明 教 の 古 跡 寺 院 と し て 、 本 山 直 参 の 地 位 を 守 っ て き た 。 A ﹃福 島 市 史 ﹄ 二 、 一 九 七 二 年 。 宗 祖 以 来 と い う 由 緒 と 宝 物 、 ﹁康 楽 寺 門 徒 ﹂ の 名 の あ る 開 基 仏 、 そ し て B ﹃福 島 市 文 化 財 調 査 報 告 書 ﹄ 五 、 一 九 六 七 年 。 堂 宇 と 寺 号 と 親 鸞 影 像 と を 備 え た 近 世 的 真 宗 寺 院 を 、 善 兵 衛 は 手 に 入 れ 、 C 同 朋 学 園 仏 教 文 化 研 究 所 編 ﹃真 宗 初 期 遺 跡 寺 院 資 料 の 研 究 ﹄ 一 九 女 婿 の 手 に 委 ね た 。 黒 岩 虚 空 蔵 崇 敬 の 念 が 、 黒 岩 の 在 来 勢 力 の 圧 倒 ・ 取 八 六 年 。 り 込 み と 一 体 の も の と し て 展 開 し た よ う に 、 城 下 の 整 備 に 乗 じ た 真 宗 寺 院 ﹁再 興 ﹂ も 、 幕 藩 体 制 成 立 期 の 福 島 に お け る 、 十 分 に 政 治 的 な 行 動 で 注 あ っ た 。 (1 ) 善 兵 衛 が 切 腹 し た 日 時 と 理 由 に は 異 説 も あ る 。 資 料 A は 、 玉 野 町 の 所 属

多く地方自治

体史おい

由緒書や宝物由

来書鉦批判

鵜呑

に心な心心い心に

(匹91に球呂

鉄牡

隷諮

み に さ れ る か 、荒 唐 無 稽 な 伝 承 と し て 切 り 捨 て ら れ る か の ど ち ら か と な っ (2 ) ﹁古 河 善 長 縁 起 ﹂ に は 以 下 の 記 述 が あ る (資 料 C ) 。 て い る 。 い ず れ に せ よ 、 歴 史 研 究 の 上 で 重 視 さ れ て い る と は 言 い 難 い 。

け れ ど も 、 史 料 と し て の 価 値 は 、 記 さ れ た 個 々 の 出 来 事 が 史 実 で あ る か 四 輩 ノ 霊 場 モ 無 住 ノ 空 坊 ト ナ リ 、 法 物 ( 他 人 ノ 手 二 渡 リ 、 既 二 廃 寺 ト ナ リ 否 か だ け で 決 ま る の で は な い 。 物 語 の 意 味 を 総 体 的 に 捉 え 、 そ れ を 語 ろ ケ ル ヲ 、 古 河 重 吉 深 ク 歎 息 シ 、 頻 二 再 興 セ ン モ ノ ヲ ト 、 莫 大 ノ 浄 財 ヲ 拠 古 河 善 兵 衛 に よ る 康 善 寺 ﹁再 興 ﹂ に つ い て 六 五

(8)

六 六 祐 俊 編 ﹃法 流 故 実 条 々 秘 録 ﹄ に 見 え る 。 (4 ) 長 文 な の で 要 点 の み 掲 げ る 。 案 夫 嚢 祖 明 教 者 、 宗 祖 聖 人 常 随 呪 近 投 機 写 瓶 之 高 弟 也 。 (中 略 ) 乃 以 此 名 号 直 授 千 明 教 、 自 爾 已 来 聯 綿 相 伝 将 五 百 年 矣 。 原 夫 喘 昔 天 正 年 中 (中 略 ) 当 寺 在 陸 奥 信 夫 小 原 邑 維 持 。 住 僧 法 名 了 教 、 羽 州 最 上 之 人 也 。 然 而 戦 国 大 壊 郡 雄 虎 争 賊 徒 蜂 起 。 (中 略 ) 痛 哉 、 当 此 時 而 十 字 尊 号 狼 罹 賊 手 、 制 裂 錦 字 奪 却 而 去 。 住 僧 了 教 仰 天 歎 良 茫 然 (中 略 ) 仰 願 霊 宝 暫 入 水 中 、 避 於 世 乱 、 然 後 宝 物 納 箱 以 石 為 鎮 没 深 淵 底 。 鳴 呼 哀 哉 、 如 是 之 事 前 代 未 聞 。 泣 別 河 也 、 竟 到 羽 州 。 然 後 諸 国 喪 乱 紛 々 擾 々 、 空 送 光 陰 漸 経 六 年 。 辞 国 帰 里 草 庵 、 狼 籍 村 里 索 寞 。 直 訪 善 友 因 催 信 者 、 通 夜 臨 淵 誦 経 念 仏 。 奇 哉 妙 哉 、 其 夜 四 更 深 淵 放 光 何 辺 明 朗 而 猶 白 昼 、 奉 没 霊 宝 自 然 潟 水 。 歓 喜 踊 躍 戴 箱 蓋 、 霊 宝 無 恙 厳 然 如 故 (下 略 ) 。 (5 ) 長 文 な の で 、 冒 頭 と 末 尾 の み 掲 げ る 。 コ ノ 御 名 号 ヲ 、 水 中 出 現 ノ 尊 号 卜 申 シ 、 又 ( 、 身 替 ノ 名 号 ト モ 称 シ 奉 ル 。 (中 略 ) 上 ノ ニ 字 半 ( 、 ソ ノ ト キ 盗 賊 奪 ヒ ト リ 、 紛 失 セ シ カ 、 其 後 同 国 白 川 郡 関 山 ノ 満 願 寺 二 、 上 ノ ニ 字 半 ( 現 存 シ タ マ ヘ ル ヨ シ 、 何 ツ ク ト モ ナ ク 旅 僧 キ タ リ 、 コ ノ 事 ヲ シ ラ ス ル カ ト 思 フ ウ チ ニ 、 旅 僧 ( 忽 チ ミ ヘ サ リ シ ノ リ 、 不 思 議 ノ コ ト N オ モ ヘ 、 住 僧 七 字 半 ノ 御 名 号 ヲ 供 奉 シ 関 山 ニ イ タ リ 、 事 ノ ヨ シ ヲ ツ フ サ ニ モ ノ カ タ リ シ カ ( 、 満 願 寺 ノ 住 僧 モ 不 思 議 ニ オ モ ヘ 、 二 字 半 ノ キ レ ヲ 出 シ テ 合 セ ミ ル ニ 、 符 節 ヲ 合 セ ル カ 如 シ 。 シ カ レ ( I 体 十 字 ノ 御 名 号 、 両 寺 ニ ト メ マ リ ク マ フ モ 、 衆 生 済 度 ノ 善 巧 方 便 ト モ 云 ツ ヘ シ 。 可 仰 可 信 。 (6 ) 関 山 満 願 寺 の 現 住 職 金 沢 嘆 仁 氏 に よ る 。 一 六 八 九 (元 禄 二 ) 年 、 芭 蕉 の ﹁奥 の ほ そ 道 ﹂ の 旅 に 従 っ た 曽 良 は ﹃曽 良 随 行 日 記 ﹄ (﹃ 校 本 芭 蕉 全 集 ﹄ 六 、 富 士 見 書 房 、 一 九 八 九 年 ) に ﹁行 基 菩 薩 ノ 開 基 。 聖 武 天 皇 ノ 御 願 寺 、 正 観 音 ノ 由 ﹂ と 記 し て い る が 、 こ れ は 現 在 の 関 山 満 願 寺 伝 と ほ ぼ 同 内 容 と 見 て よ い よ う で あ る 。 (7 ) 資 料 B に よ る 。 ﹃古 河 善 長 縁 起 ﹄ に も ﹁古 河 重 吉 ﹁ 元 来 信 州 更 級 郡 塩 崎 ノ 産 ニ シ テ 康 楽 寺 ノ 門 徒 ﹂ と の 記 述 が あ る 。 (8 ) 中 世 に 康 楽 寺 が 属 し て い た 法 善 門 流 は 、 絵 画 や 鉱 業 な ど を 専 職 と す る 技 術 者 集 団 を 基 盤 に し て い た と す る 説 が あ る 。 早 島 有 毅 ﹁中 世 社 会 に お け る 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 チ 、 元 和 六 年 庚 申 ノ 春 、 福 島 城 下 二 寺 ヲ 移 シ 、 昔 二 増 シ タ ル 殿 堂 ヲ 造 営 シ 、 分 散 ノ 重 宝 ヲ 聚 メ テ 宝 庫 二 納 メ 奉 、 別 二 五 尊 ヲ 始 用 度 百 事 二 到 ル 迄 、 閥 ル コ ト ナ ク 寄 付 シ テ 菩 提 所 ト ナ セ リ 。 次 に ﹃古 河 善 長 居 士 略 縁 起 ﹄ を 揚 げ る (資 料 C ) 。 古 河 善 兵 衛 ノ 尉 重 吉 卜 云 ヘ シ 人 ナ リ 。 其 身 信 州 塩 崎 二 生 ル 。 故 ヘ ア リ テ 上 定 勝 ノ 臣 ト ナ リ 、 福 島 ノ 城 代 二 仁 ゼ ラ ル 人 ト ナ リ 。 文 武 ヲ 兼 ネ 而 モ 三 宝 ヲ 信 シ テ 、 殊 更 当 寺 ノ 霊 宝 二 帰 シ 、 日 日 二 来 詣 セ ラ レ タ リ 。 然 ル ニ 是 ヨ リ 先 キ 、 兵 乱 ノ 因 り 霊 宝 ヲ 大 隈 川 二 沈 メ 、 爾 シ ョ リ 年 緒 ヲ 経 テ 再 ヒ 崇 敬 シ 奉 ル ト 云 ヘ ト モ 、 汚 臓 ノ 人 屋 ナ ル ヲ 歎 キ 、 当 時 ノ 住 僧 卜 謀 り 堂 舎 再 建 ヲ 経 営 セ シ ガ 、 工 事 未 夕 遂 ケ サ ル ニ 住 僧 ノ 不 幸 ア ル モ 、 居 士 ノ 志 聊 カ 弛 ム コ ト ナ ク 、 大 堂 悉 ク 満 足 シ 霊 宝 ヲ 移 シ 奉 リ 、 寺 務 ヲ 執 ル 事 三 四 年 。 然 ル ニ 君 二 事 へ 民 ヲ 理 ス ル 身 ナ リ セ ( 、 家 郷 ヨ リ 重 覚 ヲ 屈 請 シ テ 当 寺 ノ 住 僧 ト セ ラ レ タ ﹃ 明 治 十 一 年 寺 院 明 細 帳 ﹄ 所 収 の 1  上 は 以 下 の 通 り で あ る (福 島 市 史 編 纂 委 員 会 編 ﹃福 島 市 史 資 料 叢 書 ﹄ 第 41 輯 、 一 九 八 四 年 ) 。 康 元 元 丙 辰 年 月 日 不 詳 。 岩 代 国 信 夫 郡 黒 岩 村 小 原 二 秀 安 寺 創 立 ス 。 開 山 明 教 。 十 一 世 了 教 天 正 十 四 丙 辰 年 九 月 戦 争 ノ 際 、 本 尊 ヲ 始 メ 法 宝 物 等 櫃 二 納 メ 大 隈 川 ノ 深 淵 二 沈 メ 奉 リ (中 略 ) 爾 来 此 瀬 ヲ 阿 弥 陀 カ 瀬 卜 号 ク 。 今 現 二 字 ア リ 。 土 人 ノ ロ 伝 二 云 、 十 二 世 性 教 十 三 世 知 覚 相 続 ス ト 雖 モ 共 二 早 世 ス 。 慶 長 元 和 無 住 タ ル ニ 付 、 同 寺 宝 物 、 同 所 赤 間 雅 楽 之 助 宅 二 移 シ 奉 リ シ ヲ 、 領 主 上 杉 景 勝 公 私 ノ 臣 、 信 達 両 郡 ノ 諸 士 代 、 古 河 善 兵 衛 丞 重 吉 是 ヲ 聞 、 信 仰 ノ 余 り 法 宝 ヲ 請 求 ス 。 元 和 六 庚 申 年 仲 春 福 島 字 紙 蔵 二 移 シ 仮 堂 ヲ 造 営 ス 。 (中 略 ) 古 旧 信 濃 国 更 級 郡 塩 崎 村 康 楽 寺 十 二 世 了 尊 二 男 、 重 覚 ヲ 招 請 シ 秀 安 寺 ノ 住 ト ス 。 寛 永 十 三 丙 子 年 紙 蔵 ノ 寺 跡 ヲ 上 杉 家 馬 上 衆 屋 敷 二 致 度 由 所 望 ニ ョ リ 、 檀 那 古 河 善 兵 衛 丞 卜 相 議 シ 、 今 ノ 地 ヲ 重 覚 自 費 ヲ 以 テ 買 入 レ 、 堂 宇 ヲ 創 立 ス 。 康 善 寺 卜 改 称 ス 故 、 十 四 世 重 覚 ヲ 中 興 ト ス 。 (下 略 ) (3 ) 性 応 寺 了 尊 ﹁七 夕 之 花 之 覚 ﹂ 本 願 寺 史 料 集 成 ﹃慶 長 日 記 ﹄   一 九 八 〇 年 、 同 朋 舎 出 版 。 同 集 成 ﹁西 光 寺 古 記 ﹂ 五 十 二 ﹁絹 袈 裟 衆 寺 号 地 名 ﹂ に は ﹁康 善 寺 重 覚 、 三 十 一 歳 、 奥 州 信 夫 郡 福 島 、 寛 永 十 三 年 八 月 十 八 日 ﹂ と あ る 。 な お 二 ( 二 ○ 年 ご ろ か ら 、 各 教 団 内 身 分 取 得 の た め の ﹁御 礼 ﹂ を 定 め 、 由 緒 に よ ら ず 許 可 す る よ う に な っ た こ と が 、 一 六 六 九 (寛 文 九 ) 年 、 西 光 寺

(9)

親 鸞 門 流 の 存 在 形 態 -中 太 郎 真 仏 を 祖 と す る 集 団 を 中 心 と し て I ﹂ ﹁真 宗 什 宝 聚 英 ﹂ 八 、 一 九 八 八 年 、 同 朋 舎 出 版 。 (9 ) 注 2 参 照 。 ( 10 ) 注 2 参 照 。 (11 ) ﹁ 霊 簿 ﹂ の 外 題 に は ﹁従 寛 永 到 明 和 ﹂ と あ る 。 ﹁康 善 寺 略 系 ﹂ に よ っ て 、 住 持 名 と 没 年 、 お よ び 若 干 の 注 記 を 列 記 す る と 、 以 下 の よ う に な る 。 高 祖 聖 人 直 弟 、 当 寺 開 基 明 教 御 房 、 文 永 五 年 二 代 映 飾 院 就 信 、 弘 安 七 年 三 代 慈 心 院 転 山 、 延 慶 元 年 四 代 特 蒙 院 昇 道 、 元 享 三 年 五 代 更 教 院 樹 玄 、 正 慶 二 年 六 代 偏 学 院 祥 雲 、 延 文 五 年 七 代 徹 窮 院 諦 道 、 応 永 十 八 年 八 代 徳 水 院 唯 教 、 康 正 元 年 九 代 真 容 院 義 玄 、 文 亀 二 年 十 代 謄 神 院 応 範 、 元 亀 元 年 十 一 代 凝 心 院 了 教 、 文 禄 三 年 十 二 代 性 海 院 白 道 、 慶 長 十 九 年 (貼 紙 に ﹁白 道 ( 通 称 。 法 名 性 教 ナ ル ヘ シ 、 又 夕 慶 長 十 九 ( 同 九 ノ 誤 リ ナ リ ) 十 三 代 徴 覚 院 知 覚 、 明 暦 二 年 (貼 紙 に ﹁知 覚 ( 宗 覚 ノ 誤 リ 、 明 暦 ﹁ 元 和 ノ 誤 リ 、 其 実 元 和 二 年 十 月 二 十 四 日 若 年 ニ シ テ 卒 セ リ ﹂ ) 中 興 十 四 代 、 等 量 院 重 覚 、 延 宝 二 年 。 信 州 塩 崎 康 楽 寺 十 二 世 浄 祐 之 子 也 、 依 古 川 重 吉 之 帰 依 、 此 二 来 テ 当 寺 ヲ 中 興 ス 十 五 代 無 為 円 院 一 通 、 享 保 十 二 年 。 中 頃 仙 台 称 念 寺 へ 転 住 卜 云 々 。 (下 略 ) 一 六 六 〇 (万 治 三 ) 年 に 没 し た ﹁成 満 院 妙 寅 ﹂ に は ﹁古 川 善 兵 衛 尉 重 吉 娘 、 一 通 ノ 母 也 ﹂ と の 注 記 が あ る 。 (12 ) 資 料 c に よ れ ば 、 阿 弥 陀 瀬 か ら 上 が っ た と い う 十 字 名 号 に は 願 智 ・ 本 誓 の 二 僧 が 描 か れ 、 ﹁三 尊 連 座 御 影 ﹂ に は 法 然 ・ 親 鸞 ・ 明 教 が 、 ﹁十 四 体 連 座 御 影 ﹂ に は 、 源 信 ・ 法 然 な ど の 先 徳 と 共 に 願 力 ・ 願 智 ・ 本 誓 ・ 明 教 が 描 か れ る 。 江 戸 時 代 半 ば に は 、 明 教 は ﹁富 田 明 教 ﹂ と さ れ る が (﹁ 大 谷 遺 跡 録 ﹂ ﹁ 二 十 四 輩 順 拝 図 会 ﹂ 。 と も に 真 宗 史 料 集 成 第 八 巻 所 収 ) 。 こ れ も 俗 姓 ・ 法 系 と も に 不 明 で あ る 。 常 陸 国 鹿 島 郡 富 田 鳥 栖 村 を 中 心 と し た 鹿 島 門 徒 の I と い う つ も り で あ ろ う か 。 (13 ) 竹 田 聴 洲 ﹁民 俗 仏 教 と 祖 先 信 仰 ﹂ 東 大 出 版 会 、 一 九 七 一 年 。 大 桑 斉 ﹁幕 藩 制 国 家 の 仏 教 統 制 -新 寺 禁 止 令 を め ぐ っ て I ﹂ 圭 室 文 雄 ・ 大 桑 斉 編 ﹁近 世 仏 教 の 諸 問 題 ﹂ 雄 山 閣 。 一 九 六 九 年 。 (14 ) ﹁ 明 治 十 一 年 寺 院 明 細 帳 ﹂ 所 収 の 1  上 に ﹁十 五 世 一 通 代 、 元 禄 三 庚 午 年 七 月 二 十 日 、 本 山 十 四 世 寂 如 上 人 代 家 司 横 田 監 物 書 付 ヲ 以 テ 、 寺 筋 目 来 由 有 古 河 善 兵 衛 に よ る 康 善 寺 ﹁再 興 ﹂ に つ い て 之 二 付 、 大 師 遺 弟 棄 承 無 誤 二 十 四 人 ノ 列 二 加 ヒ ラ ル ﹂ と あ る 。 二 十 四 輩 と は 。 親 鸞 直 弟 の 中 で 正 し い 教 え を 伝 え る 者 で あ る こ と を 、 覚 如 か ら 認 め ら れ た 人 々 、 と さ れ て い る 。 (15 ) 藤 原 少 将 春 日 野 が 承 安 元 年 に 信 州 善 光 寺 で 刻 ん だ と い う 阿 弥 陀 木 像 に つ い て の 読 み 縁 起 で 、 ﹁慶 長 十 四 年 之 夏 、 不 誠 院 殿 上 杉 大 主 木 長 臣 、 古 川 御 先 祖 明 玄 方 、 恭 理 光 院 准 如 上 人 被 為 遊 御 書 机 添 、 此 有 御 付 属 者 ﹂ と あ る (資 料 C ) 。 (16 ) 例 え ば 、 一 五 九 三 (文 禄 二 ) 年 に 長 野 市 吉 田 に 白 鳥 山 浄 専 寺 を 開 い た 浄 専 は 、 康 善 寺 と 同 じ く 康 楽 寺 一 二 世 浄 祐 の 息 と さ れ て い る 。 六 七

参照

関連したドキュメント

の改善に加え,歩行効率にも大きな改善が見られた。脳

まきこまれ 不休 36 8月20日 タンク設置工事において,タンク底板合わせ作業後の移動中に体調不良 熱中症 不休 4

第7回 第8回 第9回 第10回

問2-2 貸出⼯具の充実度 問3 作業場所の安全性について 問4 救急医療室(ER)の

問 19.東電は「作業員の皆さまの賃金改善」について 2013 年(平成 25 年)12

一般法理学の分野ほどイングランドの学問的貢献がわずか

●「安全衛生協議組織」については、当社及び元方事業者約40社による安全推

改善策を検討・実施する。また、改善策を社内マニュアルに反映する 実施済