横光利一『機械』論(二〇〇九年度卒業論文要旨集)
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(2) 古典文学研究室 六四一三 宇佐美杏備. Fうつほ物語﹄ の飲食表現. 近代文学研究室 六四九三 真山 希弥. 横光利一¶機械﹄論. 全体の傾向を指摘したり、飲食表現語の種類・数を抜き出した. ﹃うつほ物語﹄ の飲食表現に関する先行研究には、飲食場面. りしたものはあるが、個々の飲食表現に着目したものは少ない。. 横光利一の ﹃機械﹄ には、主人公の﹁私﹂が怒りなどの感情 ていない。本研究では、主人公﹁私﹂ の ︵生の感情︶と︵肉体. よって本研究では、個々の飲食表現に着目し、その特徴やそ. を露にしたり、暴力を受けて痛がったりする様子が全く措かれ 的な痛み︶ に着目し、それらが措かれない理由を明らかにする. こから本作品の試みの新たな視点を指摘することをめざした。. ことが分かった。そして、回想と現在の﹁私﹂ の語りの違いを. ることで、第八段落に限って文体に﹁私﹂ の感情が表れている. 母や妻の体を案じて﹁乳﹂﹁水﹂﹁湯﹂﹁湯水﹂を飲まない様子. 修行者の食物を表しているが、他作品には見られない。さらに、. 物語﹄ では﹁草﹂﹁草木﹂﹁草木の根﹂﹁葛の根﹂が貧窮生活や. 果芙やそれを食べる様子が多く措かれている。また、﹃うつほ. では花や芳香について記すことが多いが、¶うつほ物語﹄ では. その結果、以下のことが分かった。﹁橘﹂﹁花橘﹂は、他作品. ことで、今まで注目されてこなかった﹃機械﹄ の手法の新しさ を見出すことをねらいとする。. 見出すこともできた。これを元に、語り手の視点を ︵四人称︶. まず﹃機械﹄ の文体に注目し、段落ごとの平均文長を算出す. という新たな視点と関連付けて分析し、語り手の﹁私﹂は ︵生. 反対に、﹁黄金の生瓢﹂のような豪華な調理器で饗応される様. に深い思慮と愛情を寄せる人物として措かれているといえる。. とが分かった。さらに当時流行していた﹁機械主義﹂との関係. 子や、本来仕えるべき父と舅に献身的に食事の世話をされる様. から、本作品の主要な登場人物である藤原仲忠が、身内の女性. を見ていくことで、横光はこの流行を﹃機械﹄に取り入れ、﹁私し. ていることが分かった。. 子からは、仲忠が周囲の人物に深く愛される人物として措かれ. の感情︶ や ︵肉体的な痛み︶ を表現する視点を持ち合わせては. の視点に﹁メカニズム﹂の要素を組み込んだことが明らかになっ. おらず、﹁自意識﹂ のみを抽出して語り進めようとしているこ. た。. る。読みの新たな視点については、飲食表現によって仲息の男. なかったり見えなかったりする飲食表現が多いことが挙げられ. ﹃うつほ物語﹄ の飲食表現の特徴は、他作晶では一般的では. 横光は語り手に︵生の感情︶ や︵肉体的な痛み︶を表現する視. 主人公としての魅力が高められていることが挙げられる。. ﹃機械﹄は︵四人称︶を発明工夫するための試作品ともいえ、. 的な視点を生み出した。これが﹃機械﹄の手法の新しさである。. 点を意図的に与えないことで、﹁自意識﹂ のみを見つめる機械. 63.
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