多文化を背景にもつ人が経験した日本での学校教育の意味 : ナラティヴ・アプローチを通して
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(2) 3.結果と考察 研究協力者ごとの語りを検討し,その人の人生を深く掘り下げ,語りを細かく解釈するよう努力した。語りの内容は 以下のとおりであった。. 研究協力者の語りの内容 Aさん. Dさん. Cさん. Bさん. Fさん. 皿さん. 日本入. ブラジルで「なに人」と思っていたか?. 日系人. 日本人. 日本人. 日本語十. 日本語十. 日系人. uラジル人 ブラジルでの主な生活言語 ボロルトガル語. ボルトがル語. ポルトガル語. {ルトカ“ル語. 日本人十. 日本人十. uラジル人. uラジル人. 日本語. 日本語. 日本語. 日本語. 親の移庄. 留学. 親の希望. 親の移住. 親の移佳. 弁当. コミュニケーションギャッ. 謳カ. v対人関係. 現在「なに人」と思っているか? ブラジル人. ポルトガル語. │ルトガル語. ブラジル人. 日系人. ブラジル人. ポルトガル語. 日本での主な生活言語 ホロルトがル語. i日本語). 末目動機. 親の移住. 日本の学校生活の思い出. 制服. ル当. 謳カ タ技翻斗. ブラシ“ル料理紹. スホ㌧ツクラブ. 矧?ョ. i学希望. nし役 祖国. 生まれた所. ブラジルについて 日本について. 祖国. 日本で学校教育をうけとことについて. 良かった. 日本の学枝に求める支援について. 大変だった. いいこと. 謔ゥった. セ葉・授業. 言葉の支援. 黷髑蜷l 本面接を受けたことについて. ありがたい. 日本人として. ゥ然に身につ 齒盾ノいてく. 譿eと学校の橋. 上下関係. 「ていること一. ノついて事前. 故郷. 第2の母国. 覚えてもらえ. 自然のこと. ラ強になった 日本語支援. 補習授業. 同じ仲間がい. 周囲の子ども スちへの教育. 誇り. ュ人数による. 驍ニいう情報. ?ヘの子ども スちへの教育. 謔闖oし授業. ノ知りたい 楽しかった. 良かった. 楽しかった. 良かった. 良い経験. 明確な語りは見られなかった. 4.総合考察 各事例について,経歴は同じであっても,来日. しだいに「目本人」でもあり「ブラジル人」でも. 時期,家族構成,学校環境などが一人ひとり異な. ある,その人らしさを協カ者自身が認識し,どち. り,人生における意味づけとその過程も独自性に. らか一方の国籍を選択するのではなく,どちらの. 富んでいた。語り手自身がrなに人」であるかと. 国(籍)をも大切に思う気持ちへと変化していっ. いうアイデンティティの模索を,発達段階. たと語られた。. (趾ikson,1959)における思春期の揺らぎと共に. 学校教育において,多文化を背景にもっ児童生. 経験し,成人になった現在も模索し続けている語. 徒の心理臨床学的支援に関わる者は,「なに人」で. りが生み出された。. あるからという一律の支援方法を模索するのでは. さらに,日本の学校生活における語りから,本. なく,目の前に対時する児童生徒に適した個別の. 研究協カ者は日本の学校に「馴染もう」と自ら努. 対応を試みることが求められる。このことは,多. 力したと思われる。来日当初,研究協力者は周囲. 文化を背景にもつ児童生徒のみならず,多くのそ. と同化することで日本の学校生活に「馴染もう」. の他の子どもたちにとっても有意義なことである。. としていたが,日本での滞在が長期化するにつれ,. 主任指導教員 辻河昌登. 指導教員 辻河昌登 一119一.
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