韃靼海峡と蝶
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(2) . 教育科学編)第四十九巻 第 一号 北海道教育大学紀要 (. 鍵粗海峡と蝶. 安西冬衛 の代表的な 一行詩、. 比. 良. 輝. 夫. 注 4) にお い て、 「現代詩人 の自作目解」と いう標 題 のも と に、 安 増 刊号 (. 平成十年八月. 一一. 自作目解 『春』」 と いう のは、 昭 安西冬衛自身が この詩を解説 した 一文 「. と いう 詩 に つい て、 先 般 、 小 論 を 発 表 す る機 会 を 得 た (注 1 )。 そ こ で は こ. 西冬衛 ・草野心平 ・三好達治等 の十 八人 の詩人 が、自 ら の詩 に つい て解説を. 和三六 (一九六 一) 年六月 に発行 され た 『国文学解釈 と鑑賞』 の初夏 の臨時. の詩 に つい て、近年 国語教育界 で問題 にな っていた ことを紹介 し、 そ の論争. 加 え て い る も の の う ち の 一編 の こと であ る。 十 八 人 の詩 人 達 の 「自 作 目 解 」. てふ てふが 一匹鍵超海峡を渡 って行 った。. の 一端 を概観 し てみた のだが、 紙幅 の都合上書き残 し てきた所 があ るので、. の冒頭 に載 せられた 一文 で、 冬衛 自身 が この 「 春」 の詩 に ついて、 三頁 に渡. 掲 げ て、 次 のよ う に目 解 を 始 め る。. 冬衛 は第 一詩集 『軍艦業荊』 ( 注 5) に収載 した この 「春 」 と題 す る詩 を. 自作目解」 と略す。) 以下 「 る 「自作目解」 を加 えたも のであ る。 (. 続稿 とし て、 以下 にささやかな考察を付 け加 え てみた い。 前稿 では、 明珍昇氏 ・桜井勝美氏 のこの詩 に関す る御論考 の 一部を紹介し 、更 に最近 の田中栄 一氏 の御論考 の 一部を紹介し てお いた ( 注 3)。 ( 注 2) その中 で、 田中氏 の御 論考 に 一部引 用されながら、諸家 のあま り触れられ て 自作目解 『春』 」等 に つい て の検 討 の必 要 性 を こなか った安西冬衛自身 の 「. 「 春」 は、昭和 二年 ( 注 6)大連 で発行 し ていた雑誌 「亜」 に、 つい. で昭和 四年上梓 した処女詩集 「軍艦莱荊」 に重 ね て発表 され た詩 で、私. A. 春」 と題 された詩 の自註 とも言 え る 一文を再検討 し てみ る が、 この冬衛 の 「. が提起し た辺要精神 の最初 の記号 であ る。. 課 題 の 一つと し てお い た 。 そ こ で、 ま ず 、 多 少 引 用 が 長 く な る か も し れ な い. こと と す る。. 蓋 し 、 辺 要 と は ○昇 る ㈹ ムゴ?十 三ゅ 、 今 日 的 に い え ば ニ ュ ー ・ フ ロ ン. テ ィヤを指す地 理 で、 こう いう乾 いた風土 で滴養 され た精神 によ って形. ワ十 .上.
(3) . 夫. 蜘 比. 受 けたも ので、 現 に雑誌 「姫火」 の座談会 で川路柳虹から 「こんなも の. にし ていたため に、当時 の既成詩人 からは、 異端とし てはげしく指弾を. そ の由 来 を つま び ら か にし てあ る。. 「縫 製 海 峡 と 蝶 」 の ア イ デ ィ ア は こ の地 理 か ら 採 集 し た も の で あ る V と. 眼下を塞 ぐ街 街を穿 って深く屈曲 し た大連湾 が リボ ンの如 く展開す る。 これ は英吉利人 の所謂 く行け o ぷ ゆか 、中 国人 の俗 に云う紅嵯 套 漢 で、. 成 さ れ た 詩 は、 従 来 行 わ れ て い た オ ー ソ ド ック ス の作 品 と は全 く 質 を 異. は詩 で は な い」 と ま で極 論 さ れ て い る が 、 そ ん な 誹 議 のあ いだ にも 「 春」. の精神 は死 なず、爾後 「 軽粗海峡 と蝶」 「 再び鍵麹海峡と蝶」「 堕ちた蝶」 私 の北方感覚を 証す系列 の作品群 に コアグ レ エトさ れ て いる。 ( 引 用文. 連時代 の冬衛 の生活 環境 や滝 口武士 と の交友、 北川冬彦 の妹 の友人 に因む思. と、 前稿 にも引 用した 『鍵趣 海峡 と蝶』 の序文 と践文 を更 に注を付し て紹介 し、 「因 に、 この伏見台 は大連 の市街を新 旧 の二 つに分解す る高 台 で、」 と大. と継起発展し、 更 に 「軍艦肋骨統遺聞」 「 測量艦不知奈」 と いう展開 で、 冒頭 の符 号 A及び傍線 と符 号 は稿者。 以下同 じ。). 『春 』 は、 これ ら の地 理 的 条 件 と 心 理 的 条 件 の デ ザ ル タ ン ト か ら は げ し く 反. い出 が 述 べら れ 、 「電 気 遊 園 」 の周 辺 も スケ ッチ さ れ 、 改 行 さ れ て、 「そ し て 更 に、 「私 が は じ め て こ の コ アグ レ ー シ ョ ンを 体 系 づ け た の は 」 と 、 昭 和 一. 射 し た も の な のだ 。」 と 記 し て い る。. ふ」 の詩 の 「モ チ ー フ の展 開 であ 」 る と 銘 記 し て い る よ う に、 こ の 「て ふ て. し ての自分 の位置 を決定 し た記念 の古典 であ」 り、 「 春」 と 題 す る 「てふ て. こ の よ う に 「自 作 目 解 」 を 見 てく る と 、 B に 「 鍵 鯉 海 峡 と 蝶 」 が 「詩 人 と. 五年以来 の経緯と、 同じ年山雅房刊行 の 『現代詩人集 W』 に載 せた 四作品 に 附 し た 傍 註 を 紹 介 し て、 「『春 』 に開 始 し た 軽 麺 詩 形 成 のプ ロセ スと 、 これ ら の諸 作 を 包 囲 す る 照 応 の世 界 を 明 ら か にし て い る。」 と 解 説 し て い る。. 次に冬衛は、. た 、 「自 作 目 解 」 に随 う 限 り にお い て は、 A の 1 ・3、 B の 4 に表 現 さ れ て. ふ 」 の詩 に対 す る冬 衛 の思 い入 れ の深 さ が よ く 分 か る であ ろ う (注 7 )。 ま. 又、 「 春」 の縁起 に つい ては詩集 「 鍵趣海峡と蝶」 ( 昭和 二十 二年、文. B. い こと が 明 白 であ ろ う 。 そ し てま た 、 「蝶 」 に つい ても 、 B の 4 ・5 に あ る. ポ の古 語 ) そ の他 の バ リ ェ エシ ョンを 構 成 し 、 著 者 の角 度 に 一つの指 標. ら な いが」 と、 間宮海峡 の由来 と、地図上 での配置、 ま た 「 髄麹 海峡 と蝶」. 続 け て冬衛 は、 「ここで、鍵組海峡 の固有名 詞 に つい て注 解 を 加 え ね ば な. 三. い る よ う に、 こ の詩 の持 つ意 味 は 、 容 易 に単 な る 一行 詩 と し て片 付 け ら れ な. 化人書房 刊) の冒頭 に 「 難胆海莱と蝶 鍵麹海峡と蝶 の位置」 と題 し て 「 は当時大連 にあ った著者 の昭和 四年 四月 ( 注、詩集 「軍艦某苅」所載 の. よ う に、 「タ ンポ ポ 」・「不 知 奈 」・「リ ボ ン」 と い う 語 ま で視 野 に 入 れ な け れ. ママ. 日時) の所産 で、 そ の前年雑 誌 「 亜」 に発表 した制作 「 春」〉 てふ てふ. ば 解 明 でき ず 、 一節 縄 で は 行 か な い こと が 明 ら か であ ろ う 。. ママ. が 一匹軽担 海峡を渡 って行 った〉 と いう詩 のモチー フの展開 であり、詩 人とし ての自分 の位置を決定 した記念 の古典 であ る。 この作 品 は爾後発 展 し て蝶 を 主 題 と し た 一系 列 の詩 と 蝶 の メ タ モ ル ホ ーゼ であ る タ ンポ ポ. を与 え るも の であ ると解 明し、 更 に詩 集 の 「 輯後」 に、 〈電気遊園 の樹. の描 写と の関連を述 べ、. を作因とし た 「軍艦肋 骨貌遺 聞」 「 注、不知奈 はタ ンポ 測量艦 不知奈」 (. 塙 に沿 ふ て伏 見台 へ登 ってゆく道 は、雑誌 「 亜」 時代 の私 が初期 の作品 に好 ん で用 ひ た モ ノグ ラ フヰ で、 坂 を 登 り つめ ると 景 観 が 忽 ち 一変 し 、. QU .
(4) . 鍵組海峡と蝶. C. す な わ ち 、 「春 」 は こ のよ う な スタ イ ル のイ メ エジ か ら 形 成 さ れ た も の で、 提 起 さ れ た も の は あ く ま でも イ マ アジ ュで、 モ ラ ル は さ し て重 要. 自作目解」 の 一文 を結 ん でいる。 と 「. 以 上 、 「自 作 目 解 」 の全 体 の 四割 程 を 紹 介 し て来 た 。 こ の よ う に 、 冬 衛 の. 「 作者 の説明 や解説を 一応視 野 に入 れた上 で、考 え直 す 必 要 が あ る の では な. 「 自作目解L を詳細 に辿 ってみ ると、前稿 で触 れ たよう に、 国 語 教 育 界 で、. だ か ら 、 こ の詩 は提 起 と 受 容 のあ いだ に置 か れ てあ る スポ ン テ ニア ス. 注 8 )」 と い う 点 に つい て は、 も は や 多 言 を 要 し な いと 思 わ れ る か ろ う か。 (. と は し な い のだ 。. な難題 であ り、 訓話 の末を逐う解説 は いわば無用 の沙汰 と い っていいわ の であ る。. 春 」 と の結 び つき に よ っ て 、 花 漠 カ ルな 形 象 の コ レ スポ ンダ ン スは、 「. こ の 「てふ てふ 」 と いう 平 仮 名 と 、 「鍵 麹 」 と い う 漢 字 のも つ フ ィ ジ. 一部を、 比較 の都合上、次 に提 示し てみた い。 明珍氏 は、. 前稿 にも引 用し た ので繰 り返し になるが、 明珍昇氏 の 『評伝安西冬衛』 の. き た い。. 。次 に、 そ の点 に つい て再検 討 し てお 小 さな疑問を提起 し てお いた ( 注 9). と ころ で、前稿 では、近 ・現代詩 の専 門家 の方 々 の優れた御論考 に ついて、. 四. けだが、念 のため にこの詩 の深部 に用意 され てあ る作者 の構造計算 で、 不可欠 の要件かと思われる点を明か にし ておけば、 「てふ てふ」 と いう 平 仮 名 と 鍵 麹 と い う漢 字 のも つ フ ィジ カ ルな 形 象 の は げ し い対 照 。 そ の 照 応 か ら 抽 出 さ れ る メタ フ ィジ カ ルな 精 神 の対 比 の美 と いう こと に な る だ ろう。. 「てふ てふ」は旧仮名づか いの蝶 で、縫胆 は中国語 で達達、或 いは塔 々。 タ タ ー ル であ る。 こ の重 音 語 のも た ら す 洗 惚 た る コ レ スポ ンデ ン ス の世 界 は、 私 を 魅 了. し て止まず、 そ こに旺然た る春 の到来 が固く信窓 され る所 以な のだ。 と 述 べ る。 プレ・イマジナーレ. 次 に、「 私 は詩 を、 予前想像だと考 える。」 と、 ソ連 の化学 の予言書 『二十. とした浪漫を感覚的 に構成 し ている。単純 な構成 に過ぎな い短詩 が、 驚. く ほど豊 潤なイ メージを内 包し、 そ こに振幅感あ る小宇宙を交 響 す る の は、 その感覚と審美 の均衡 の上 に計量し つくされた確率 の所産 であ る。. 春」 の詩と の関わ りを述 べ、 一世紀 から の報告』 と 「 な お 、 「春 」 の サ イ ド ・ラ イ トと し て、 わ が 家 の紋 章 が 元 来 ち ょうち ょ. 中略 ) そ の価 値 判 断 を う な が し たも のは、 そ の内 質 さ れ た 圧 倒 的 な (. D. う であり、 私 の少年時代金色 の揚羽蝶 の象眼された父祖伝来 の鉄砲があ っ. 『 全詩集』) であり、 「 鎚趣」 が その誕生時 に合致 し た 二月堂 のお 水 取 り. 自伝」 「 蝶」 は 「わが家 の紋章、揚羽蝶」 ( 「 辺境精神」 の所産 であ った。 「. 私 が明治 三十 一年 三月九 日に生まれた奈良水 門 の家 が、 東大寺塔頭 の. 行事 の修法 である こと の偶然的 一致 は、趣味的 理解 に属す る ニ ュア ンス. た由緒。 所 領 であ り 、 折 柄 、 二 月 堂 の内 陣 では、 こも り の僧 が き び し いダ ッタ ン. であ ろうが、 そ こに こそ、暗 示的幻想 の糸をめぐらせ る冬衛詩 の開示が. 0) ( 注1 傍 線 と 符 号 は 稿 者 。) あ る と み ても よ いだ ろ う。 (. の修 法 を 執 り 行 って いた 真 最 中 だ った こと を つけ 加 え てお こう 。 あか. 北方感覚を証す修二会。若狭井 の水取行事。 鍵鎚海峡 と蝶 が、蓋 しかりそめ でな い所 以 に庶幾 から んか。.
(5) . . に指 摘 さ れ て い る こと でも あ る。 ま た 、 イ の記 述 に は 、 「自 作 目 解 」 の D の. 1) と 、 遠 慮 が ち 注1 氏 が 、 「『作 者 目 解 』 を ふ ま え つ つの評 言 であ ろ う か 。」 (. 6 ・7 と 照 応 し て い る こと は、 明 ら か であ ろ う 。 こ の こと は、 既 に 田 中 栄 一. と 述 べら れ て い る。 一見 し て、 ア の記 述 が 先 に引 用 し た 「自 作 目 解 」 の C の. 西 タ ン」 と いう 二 つの〈 畳 音 語 のも た ら す 怯 惚 た る コ レ スポ ン デ ン ス (. 中 略 ) 「テ フ テ フ」 「ダ ッ ら った 、 と そ の意 図 を あ き ら か に し て い る。 (. 照〉へ そ の照応 から抽出 され る メタ フィジ カ ルな精神 の対応 の美〉 を ね. フ ィジ カ ルな 形 象 〉 と へ て ふ て ふ〉 と い う 〈 平 仮 名 〉 と の〈 は げ し い対. 中 略) そ の着想 に ついて、 この〈鍵組V と いう〈漢字 のも つ 冬衛 は (. 注4 が 固 く 信 悪 さ れ る所 以 な のだ 〉 と い う。 ( 1). 郷注 ・照応) の世 界 は、私を魅 了し て止 まず、 そ こに旺然 た る春 の到来. 9 が 投 影 さ れ て い る と 考 え ら れ る であ ろ う。. 桜井勝美氏 も、 「 『縫廻 海峡と蝶』 ・そ の懸崖 の思想」 の中 で、 「へ てふ て てふてふ. ふ 〉 と い う 平 仮 名 書 き の イ メ ー ジ 」 に つい て、 「雲 海 万 里 、 漠 漠 の 天 を 渡 っ. と 述 べら れ て い る が 、 こ こ でも 「自 作 目 解 」 の C の6 ・7 と の関 連 性 は 明 白. て い く 蝶 の孤 愁 可 憐 な イ メ ー ジ は、 固 い漢 字 の〈 蝶 〉 で は そ ぐ わ な い。 そ. れはへ てふ てふ〉 であら ねば なら ぬ。」 と述 べ、初出 の際 の 「間 宮 海 峡」 か. 5) 注1 であ ろ う 。 (. 田中栄 一氏も、「〈新 し い〉解釈学 の問題 ・読 みにお け る作者 の存 在 に つ. ら 「 低 回 の果 て安 西 の頭 にひらめ いた のが、 鍵組海峡」 への改稿 に つい て、「 ダ ッタ ンと いう 言 葉 であ った。 こ の 一種 蜜 気 を 含 ん だ 無 頼 の音 調 と 、 鍵 組 と じ づら. いう字 面 にみなぎ る不遥暗晦 の魅力 は ついに安西を虜 にし た。」 と、 「『春 』. い て ー 安西冬衛 「 春」 の場合 を例 にー ー 」 と いう御 論考 の中 で、 冬 衛 の 6)、詳細 注1 自作目解」 のC の部分 の 「 念 のため にL 以下 の文 を紹介 され ( 「. メカニズム. 、 、 い るが ( 注2 1 ) こう い った着 想 の源 にも や は り 「自 作 目 解 」 の C の 6 の. 関 係 は、 前 に紹 介 し た と こ ろ の、 そ の 漢 字 が も つ〈 フ ィジ カ ル な 形 象 〉 と. 蝶) の 鍵趣』 と 『てふ てふ』 ( な論を展開された上 で、 「この作品 におけ る 『. が完成 され る に到 る表現上 の、特 に言葉、文字 の構成 に つい て」述 べられ て 影 響 が あ る と 考 え ら れ る の では な か ろ う か 。. 『て ふ てふ 』 と いう 〈 平 仮 名 〉 と の対 応 の美 へのね ら い の 奥 に 、 も っと 内 容. 的 意 味 と し て何 か が 奥 深 く 潜 ん で い る よ う に思 わ れ てく る の であ る。」 o圧”). る い天 に解 き 放 って や り た い。 これ は 安 西 の い つわ ら ざ る情 念 で は あ っ. 8 )。 こ こ にも ま た 、 冬 衛 の 「自 作 目 解 L の D の 8 が 強 く 意 ら れ てい る ( 注1. 自作目解 『 春』) 執 着 す る。」 と述 べ 『 蝶』 は、 自家 の紋章 であ ったとし て (. 8 で、 「と り わ け これ も ま た 前 稿 で引 用 し た が 、 田 中 氏 も こ の御 論 考 の 注 1. と 論 じ ら れ て い る。. たろう。 しかし安西 の手 から放 たれたへ てふ てふ〉 は、 孤愁 の可憐 な影 を負 う てとび去 ってい った。 鍵 麹 海 峡 を渡 って行 った 一匹 のへ てふ て. 識 さ れ て い ると 言 え よ う。. 注 路) へ てふ てふ〉 の姿 は、ま さ に安西自身 の姿 でもあ った のだ。 ( こ の部 分 にも ま た 、 冬 衛 の 「自 作 目 解 」 の D の 8 が 影 を 落 と し て い る と 考 え ら れ る であ ろ う。. 法則化批判』 の中 で、 西郷竹彦氏 は、 そ の著 『. 、 田中氏 は、 右 に引 用した御論考 の注 8 1 の文 に続 け て. 五. ふ〉 の姿 に、安 西 は自分自 身 の孤 影 を 見 出 し た にち が いな い。 一匹 の. 蝶 はもとも と安 西家 の家紋 であ る。 そ の家紋と し ての蝶 を、自在 に明. 桜 井 氏 は、 ま た 次 の よ う にも 述 べら れ て い る。. 輝. 夫 良 比. 0 2.
(6) . 旋廻海峡と蝶. が 「 春」 のみ にお いてなし ている、 いわば常識的 な意味 合 い での解釈 で. く 。 そ れ 故 、 そ の こと ば に潜 む イ メ ージ や意 味 に思 いを 凝 す と き 、 諸 家. し か も そ れ ら に付 与 さ れ て いく 意 味 合 い は大 き く 変 貌 し つ つ展 開 し て い. 黄海 に没入す る最后 のドタ ン場ー ー そ の懸崖を背負 ってゐる地勢 に踏 み. 大地 の中 の大地」 と呼ばれ てゐる亜細亜 の大陸 に移行 し、断絶 し て る 「. 欧 羅 巴 か ら 始 ま った 大 陸 の起 伏 が 、 か の ポ ー ル ・ク ロー デ ル の頒 の讃 へ. 崖 の家 は街 道 を 隔 て て禿 山 に面 し て居 り、 壮 大 な 形 容 を 試 み る な ら 、. ( 傍 線 は稿 者 ). 傍線を伏 し た箇所 は、 桜井氏 が引 用 の際 に圏点 を付 した所 であ る。 桜井氏 が、 「 安西冬衛を し て懸崖 の思想 の場 に立 たしめた要 件 には三 つのも のが考. ろ 「大 陸 の番 人 」 であ った。. 「憲 法 の番 人 」 と い ふ や う な 言 葉 が あ る が 、 そ の頃 の私 は全 く のと こ. ふ姿勢 の中 に昂然とし て精神を把持し て自 らを侍 ん でゐたも のである。. い。 実 際 又 私 は 日夜 こ の大 陸 の波 動 の フ ィ ニ ッシ ュに踏 み耐 へてゐ ると い. と な って亜 細 亜 大 陸 こ こ に終 わ ってゐ る のだ か ら大 変 な と ころ と い って い. 岩 の露頭した禿山となり、急 に雪崩 れ てそれは大 連 の港 口を擁 す る断 崖. 圭 実際 に私 の家 の裏山 は、桜花台亜社 のうし ろからせり上 が って 一日一. 止 ってゐ る と でも 申 し て い い姿 勢 の中 に立 って ゐ た 。. よ いか 否 か 、 そ れ ら の語 表 現 の取 り 扱 い に混 迷 を お ぼ え る の であ る。. 鍵麹海峡と蝶」・「再び軽担海峡 と蝶」・「堕 ち た蝶」 を抜 粋 し と述 べられ、 「 ながら紹介 され、 海 峡 )」 「蝶 」 の モ チ ー フは、 冬 衛 に よ って こ の よ う に、 こ の 「軽 胆 ( か な り 執 勘 に追 い求 め ら れ て い る こと が う か が え る の で あ る 。 (中 略 ). 春」 におけ るそれ ら の語表 現が、 同 一作者 の内奥 に このようなわけ で 「 お い て、 い ま 見 た ご と き そ れ ら が お び る 意 味 合 い と 、 い わ ゆ る 類 縁 的 (ゴー タ テ ィヴ ) に つな が って い る のか 否 か を 見 極 め ず に、 わ ず か 一行 の詩 界 の解 釈 と いえ ど も に わ か に は断 定 を 下 せ な い思 い にと ら わ れ る の. 圧博). えられ る。 第 一は、彼 が住 ん でいた大連 の土地柄。彼自身 の言葉を か り て云 1) と指摘 されたそ の地 理的状 況 の説 明 注2 地理』 であ る。」 ( えば、大連 の 『. であ る。. と 述 べ ら れ て い る。 田 中 氏 の思 い に つい て は 全 く 同 感 であ る。 し か し 、 こ こ. 、 。 注0 の界隈」 と題 し て載 せられ たも のであ る ( 2) 桜井 氏 自 身 が そ の 一部. 代詩大系』第十巻の月報に、昭和二六 (一九五 一)年 一一月、 弓軍艦莱荊』. を 用 い る に至 った 一文 が 、 冬 衛 の書 い た も の の中 にあ る。 そ れ は 、 『日 本 現. 懸崖L なる語句 思想」 に ついて、前稿 でも触 れ てお いた。恐 らく桜井氏 が 「. の有力 な資料 は、次 に掲げ る山 口誓子 と の対談中 に紹介され ているも の. の よ う な 〈 思 想 〉 を は ぐ く ん だ のか 。 実 は、 こ の問 題 と 関 連 す る と こ ろ. そ の大 連 に お け る生 活 の場 は ど のよ う な と ころ か 、 ま た そ こ で冬 衛 は ど. 最 も か か わ り のあ り そ う な の は、 第 一の地 理 的 情 況 で は な いだ ろ う か 。. へ懸崖 の思想〉 と は何か。 そし て桜井氏が挙 げ る三点 のうち、 それと. よ う に述 べら れ て い る。. 懸崖 の思想」 に ついて、 田中氏 は前掲 の御論考 の中 で次 の この桜井氏 の 「. 。. で紹 介 さ れ な が ら 変 容 し て行 く 「蝶 」 の モ チ ー フに つい ては、 既 に冬 衛 自 身. に弓 用 さ れ た も の であ る. が 「自 作 目 解 」 のA の3 ・B の4 及 び そ の前 後 で述 べ て は い な か った であ ろ う か。. 懸 崖 の思 想 L と いう 表 現 を 導 き を 引 用 さ れ て い る の であ る か ら 、 そ こか ら 「. 2) 注2 で は な いか と 思 わ れ る。 (. 懸崖 の と ころ で、桜井勝美氏 が前掲 の御論考 で副題 にもし ていた冬衛 の 「. 出 し た と 考 え て構 わ な いと 思 わ れ る が 、 そ れ は 次 の よ う な 一文 であ る。. 1 2.
(7) . . 夫 良 輝 比. そし て田中氏 は、 山 口誓 子 の 「 樺太 ま でー ー句 によ る自伝ロー ー」 ( 『財政』 昭 和 三 一 ・九 ) を 引 用 さ れ て い る。 こ の引 用 文 は 大 変 参 考 にな る も の であ る. 「てふ てふが 一匹軽担 海峡 を渡 ってい った」 安西冬衛 コレスポンダンス 昭和 の初頭 に期 せずし て提起 された、 この詩精神 の 照 応。. 右 の 一文 と比 し ても、 冬衛 にお いては、 「辺境」と 「 辺要」 と 「辺 方 」 を ほ. が、 そ の中 で安西冬衛 が山 口誓 子 に言 ったと回想 され ている、 「あ な た の郭 公 の句 と私 の蝶 々 の詩 はどち らも辺境精神 のあ ら はれ です ね」と いう 一言 の. ぼ 同 義 に用 い て い る と 考 え て差 し 障 り な いも のと 思 わ れ る。. 六. 中 の、 「辺境精神」 と いう言葉 に注目 され、 「 冬衛 に、 直接 この詩 を扱 っての 『辺 境 』 な る概 念 に つい て語 った も の は管 見 に入 って こ な か った が 、 こ の 作. 品が載 った前掲詩集 『軍艦莱荊』 に ついて語 ったも のの中 に、 それ に近 い解. 以上、 引用文 が多 く、 しかも些細 な ことを 冗長 に記述 し てき たが、諸氏 の. 。 説 が あ る。」 ( 注3 2 ) と 述 べら れ て い る こ の 「解 説 」 と いう の は、 前 掲 の 「『軍 艦 莱 荊 』 の界 隈 」 の こ と であ り 、. 御論考を批判す る つも り で列挙 し て来 たわけ ではな い。寧 ろ、 諸氏 の御論考. 要 は、 前稿 の末尾 で述 べた 「 近 ・現代詩 の専門家 の方 々は、 冬衛自身 の自. 田中氏 は この引 用文を媒介 と し て、「辺境精神」 と桜井 氏 の強 調 され た 「懸 確 か に田中 氏 の言 わ れ る よ う に、 冬 衛 に 「て ふ てふ 」 の詩 を 扱 っ て、 「辺. 中 略 ) に引 か れ す ぎ 、 そ の呪 縛 を 脱 し 切 れ て い な いと い った 観 も な い 註等 (. に導 か れ 、 教 え ら れ る所 ば か り であ った と 言 っても 過 言 で は な い。. 境 」 の語 を 用 い て語 った も の は 見 当 た ら な い。 し か し、 も う 一度 「 自 作目 解」. わ け で は な い。L と いう 点 に つい て、 稿 者 も 含 め て具 体 的 に 再 検 討 し て み た. 崖 の思 想 」 と を 関 連 付 け ら れ よ う と さ れ て い る。. の A の部 分 を 見 直 し て み ると 、 1 ・2 の 「辺 要 」 と い う 語 が 、 こ の 「辺 境 」. に過 ぎ な い。. 先 にも述 べた通り、 「 作者 の説 明や解説を 一応視野 に入 れ た上 で考 え」 る. と い う 語 と ほ ぼ 重 な って い る と 言 え る の では な か ろ う か 。. 昭和 二七 (一九 五二)年十 一月十九 日、鼓 ヶ浦 に て山 口誓子 と会 見し た折. ことが、文 学作 品 に対す る時 の基本的姿勢 である べきだと考 え ている。従 っ. た安 西冬衛 のこの 「 自作目解」・『 春」 の詩 の場合、 「 軽 麹 海 峡 と 蝶』 の序 文. あひだ. の こと を 、 翌 年 二 月 冬 衛 は 「誠 い海 と淡 い水 の際 に十 十 山 口誓 子 の ク ロ ッキ ー. て、 作 者 の言 辞 に引 か れ る の は当 然 の こと であ る と は思 って い る。 し か し な. 舞台 の背後と は何を指すか。. と版文 ・「 『軍艦莱荊』 の界隈」等、 そ の殆どが昭和 二〇年代 以降 のも のであ. 4) ー ー 」 と い う 一文 で述 べ て い る。 ( 注2. 異質 の彊土iー非情 の精神 であ り、 0g o姿 常 三 愛 (辺 方 =異質 ). る。 そ の辺 り に何 か 陥 奔 が あ り そ う な 気 が す る の は 、 考 え 過 ぎ であ ろ う か 。. が ら 、 な お 一抹 の不 安 を 感 じ な いわ け で は な い。 特 に、 本 稿 で再 検 討 し てみ. 誓子 の俳句 に於 け る場合、 彼 の少 年 期 を形 成 し た北 辺 の地 理 な のだ。. 中略) ( されば、 誓子 の運命 に決定 を与 へた辺方 の地 理 ‐唐大 の精神 の意義. 誓. 子. の重 要 を 、 人 は 改 め て確 認 し な く て は な ら ぬ。. 「 郭公 や鎚麹 の日 の没 るな べに」. 2 2.
(8) . 鎚麹海峡と蝶. へ注〉 」『 語学文学』第三五号 平成九 (一九九七)年三月 北 安西冬街と 『てふてふ』 1 拙稿 「 海道教育大学語学文学会 評伝安西冬衛』 昭和四九 (一九七四)年六月 桜楓社 2 m明珍昇 『 三 (一九七八)年三月 蜜文館 安 西 冬衛. 安西冬衛全集第二巻月報2』 昭和五 の桜井勝美 弓縫纏海峡と蝶』・そ の懸崖 の思想L 『. 年 三月. 「 特集 ・現代詩の方法」 至文堂 昭和 四 (一九 二九)年 四月 厚生闇 による。) 五 二年 : 一 自 責文館. ( 但し、 ここでは 『 安 西冬衛全集 第 一巻 』. 昭和. 九九0) 新潟大学教育学部紀要』第三 一巻第二号 平成二 (一 「 春L の場合を例にーー」 『. 3 田中楽 一 「〈新 し い〉解釈学 の問 題 ・読 み にお け る作 者 の存 在 に つい て. 4. 5. 亜』 一九 号 に原 型 が 発 春」 は大正 一五 (一九 二六)年五月、『 6 前稿 にも記したよう に、 「 表 され ている。従 って、 この記述 は記憶違 いとも考 えられ るが、『亜』 は昭和 二 (一九 二 七)年 一一一 月、 三五号をも って終刊し ている ので、 「昭和 二年 ま で大連 で発行し ていた」 の意 で、 「ま で」 の落 ちた誤植 とも考 えられ る。 紀念 の古典」と冬衛自身 が述 べ ている よ う に指 7 前稿 で稿者 は、「春」 の詩 そ のも のを、「 春L の詩 鎚組海峡と蝶」 の詩 の方 を指すと解す べき で、 「 摘 したが、「 紀念 の古典」 は、 「 を そ のモチー フとし ていたと、 ここで訂正し ておきた い。但 し、桜井 勝 美 氏 も注 2 の② の中 で、前稿 の稿者 の考 えと同じ理解をし ているよう に、冬衛 のこの序 文 が誤 解 を 招 き 易 い表 現 であ る ことを付記し ておく。. 8 注I. 7 P2. 7 9 注 I P2 4 0 2〜 9 1 注 2 の① P9 1 0 1 注 3 P3 2 1 注 2 の② P2〜 4. 3 1 注 2 の⑦ P6〜 7 2 3 4 書 房 P 〜 平 成 元 ( 一 九 八 九 ) 年 五 繁 明 月 6 6 1 、 、 現代語 のイ マアジ ュと そ の表現」 ( 5 『現代詩講座 2』 昭和 二五年)から 1 但 し 西郷氏 は 「. 五年五月) に載 せられた 「現代詩 に於 け るイ マアジ ュと その表現」 と いう 一文 が収 録 さ. 安西冬衛全集別巻』 には、『現代詩講座 2』 ( 昭和 二 引 用したとされ るが、稿者 は未見。『. 自作目解」 とほぼ同文。 れ ているが、全 く別文。西郷氏 の引用文 は、「 9 P2 3 P3 6 注3 1 7 注3 1. に よ る。). 8 注 3 P3 5 1 始 注 3 P6 3 0 ( 但 し、 ここでは 『安西冬衛全集別巻』 昭和六 一年八月 富文館 による。 ) 2 河出書房 1 2 注 2 の② P4 1 2 2 注 3 P3 3 注 3 P2 3 2 4 『 安西冬衛全集第五巻』 昭和五三年 一-- 俳句』第二巻第二号 ( 但し、ここでは 『 月 2. ( 本学助教授 ・釧路校). 3 2.
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